東京地方裁判所 昭和52年(ワ)7036号 判決
第一 本訴について
一 原告が印章の製造、販売を業とする会社であること、被告が原告と同業の株式会社日本印相学会の代表取締役であること、原告が朝日、読売、サンケイ、東京の四紙を含む各新聞に広告を掲載していること及び被告が昭和五二年四月頃右の各新聞社に本件書面を配付したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、被告が昭和五二年四月当時原告といわゆる競業関係にあつたかどうかの確定はしばらく措き、まず本件書面が原告主張のような虚偽の記載を含むものであつたか否かの点につき判断する。
1 本訴請求の原因2(三)(1)の主張について
書込み部分を除き成立に争いのない甲第一号証(書込み部分を除く。以下、同様とする。)及び被告本人の供述によれば、本件書面には、原告が要旨(1)として主張する記載中、その前段部分、すなわち、原告の広告中の本件表示が商標法第八〇条、第七四条第一号の規定するいわゆる虚偽表示罪を構成する旨の指摘部分に引き続き、「仮に原告が『印相学の総本家』なる標章につき商標登録を経由するに至つたとしても、右の登録商標は指定商品を印刷物(第二六類)とするものであつて、原告の広告にかかる印章(第二五類)にはその効力が及ばないから、この場合には原告の広告中の本件表示は商標法第八〇条、第七四条第二号の虚偽表示罪を構成する。」、「各新聞社も、原告の広告中の本件表示が犯罪を構成することを知るに至つたと思われるが、然りとすれば、将来重ねて同様の広告を掲載するときは、商標法所定虚偽表示罪の共犯の刑事責任を問われることになると思料される。」との趣旨の各記載があつたことが認められる。
ところで、いずれも成立に争いのない乙第一ないし第二三号証によれば、原告は、昭和五一年一二月五日の読売新聞朝刊第六頁(前掲乙第六号証)全面に印章の販売に関する広告をするに当たり、その広告中に「同じ使うなら『印相学の総本家』宗家の開運吉相印鑑をご使用になりませんか」との文章を掲げる(横書き)とともに、右「印相学の総本家」なる文字の上部に、これよりはるかに小さな文字を用いてではあるが、「登録商標」なる文字を併列して掲記したのをはじめとして、以後昭和五二年四月頃までの間に、読売新聞のほか、朝日、サンケイ及び東京の三紙にもしばしば右と同様の表示を用いた広告を掲載したことが認められる。一方、いずれも成立に争いのない甲第三ないし第六号証によれば、原告は、右「印相学の総本家」なる標章につき、昭和四八年一〇月二九日商標登録の出願をし、昭和五一年五月三一日出願公告、同年八月二〇日登録査定、同年一〇月八日登録料納付の各手続を経たうえ、昭和五二年二月七日第一二四七〇四四号をもつて登録を経由したところ、右の登録商標は指定商品を、商標法施行令第一条別表(以下、単に「商品区分」という。)第二六類「印刷物その他本類に属する商品」とするものであることが認められる。
よつて考察するに、原告の広告掲載に関する前記認定事実によれば、原告の広告中の「印相学の総本家」なる文字は、原告の略称と思われる「宗家」なる文字の修飾辞として記述的に使用されているにとどまらず、これに併記された「登録商標」なる文字あるいは前後の記載と相まつて、原告の販売にかかる印章の商標としても使用されているものであることを認めるに十分であり、証人鈴木義美の証言中右認定に反する趣旨に解される部分は信用できない。そうすると、原告の前記広告のうち、昭和五二年二月七日前の掲載分は、登録商標以外の商標に商標登録表示を附したものとして、商標法第七四条第一号の規定に違反し、同法第八〇条の規定するいわゆる虚偽表示罪を構成する疑いがあるものというほかはない。けだし、原告が「印相学の総本家」なる商標につき、すでに登録査定を受け、かつ、登録料納付の手続を了していたにせよ、未だ登録を経由していなかつた段階では、いまだこれを登録商標ということはできないからである。また、原告の前記広告のうち、昭和五二年二月七日以後の掲載分は、指定商品以外の商品につき登録商標の使用をする場合において、その商標に商標登録表示を附したものとして、商標法第七四条第二号の規定に違反し、同法第八〇条の規定する虚偽表示罪を構成する疑いがあるものというべきである。なんとなれば、原告は、前記認定のとおり、商品区分第二六類に属する商品を指定商品として、自ら登録を得た「印相学の総本家」なる商標を、その指定商品以外の商品である印章(これは商品区分第二五類に属する。)の商標として使用するに当たり、これが登録商標である旨の附記をしたからである。
もつとも、商標法第八〇条、第七四条第一号又は第二号に規定する虚偽表示罪が成立するためには、行為者に犯意があつたことが必要であることはいうまでもないところ、本件につき原告代表者に右の犯意があつたことを認めるに足りる的確な証拠はなく、また右の点の確定は結局刑事手続に待つほかはないものである。その意味において、本件書面のうち右犯罪の構成を云々したくだりは、些か断定的にすぎ、表現として穏当を欠くきらいがないわけではないけれども、一方、犯罪行為に該当するような外形的事実があつたこともまた右にみたとおりであるから、右の記載部分をもつて虚偽ということは到底できない。
なお、原告は、被告が本件書面を前記各新聞社に配付した昭和五二年四月頃は、すでに「印相学の総本家」なる商標について商標登録がなされていたので、本件書面に、「何らの商標登録を得ていない」旨記載したことは虚偽である旨主張するが、前掲甲第一号証により明らかなように、本件書面は、仮に右商標が登録されたとしても商標法第八〇条、第七四条二号に規定する虚偽表示罪を構成する旨記載しているのであつて、この記載をもつて虚偽とは断じ難いことさきに説示したところであるから、右主張は採りえない。
以上にみたとおり、本件書面のうち前記認定にかかる記載部分は、全体としてこれを虚偽というに由ないものである。
ところで、原告は、本件書面において、商標法第八〇条、第七四条第二号に関する記載は、同法第八〇条、第七四条第一号に関する記載に比べて付加的であり、読者の印象を惹くほどの比重を占めていないと主張する。なるほど、前掲甲第一号証によれば、前者の記載は、それが本件書面において占める位置あるいはその表現の態様等からみて、後者の記載との比較上、付加的な感じを免れず、読者に与える印象としても若干弱いことが窺われないでもない。しかしながら、進んで前者の記載を無視すべきものとし、存在しないに等しいとみることは到底肯認し難く、かえつて、前者の記載が本件書面における被告の主張の核心の一をなすものであることも前掲甲第一号証によつて明らかである。原告の右主張は採用できない。
次に、原告は、被告自身においてもその広告中で、指定商品以外の商品について登録商標の使用をする場合にもその商標に商標登録表示を附しているから(甲第七号証の二)、被告が原告による本件表示のみを採り上げて商標法第八〇条、第七四条第二号違反として問疑、宣伝することは信義則上許されないとの趣旨の主張をする。しかしながら、本件の争点は、原告の広告中の本件表示が右法条に違反するかどうかの点にあり、被告が同様の表示を用いているかどうかとは直接関係がない。のみならず、いずれも成立に争いのない甲第七号証の二、第八、第九号証、乙第五三ないし第五五号証によれば、原告が指摘する被告の広告(右甲第七号証の二)中には、「登録商標」なる表示のもとに、(1)「印相学」、(2)「印相学印章」、(3)「印相学宗家」及び(4)「日本印相学会」の各標章が列記されていること、被告はこれらの標章につき商標登録を得ているが、このうち(1)及び(4)の標章が商品区分第二五類「印章」を指定商品とするものであるのに対し、(2)の標章は旧商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号)第一五条第六六類「図画、写真及び印刷物類(但し書籍を除く)」を、(3)の標章は同規則同条第六六類「印刷物」を指定商品とするものであること、もつとも、右の広告は主として被告の「印章の吉凶の解説」と題する著書の宣伝を目的とするものであつて、印章広告の意図は全く副次的なものにすぎず、右各登録商標を列記した趣旨もおもに著者たる被告の業績を示すところにあり(登録商標列記の末尾に「登録商標権所有太田清文」なる記載がある。)、右(2)及び(3)の標章と印章との関連性は希薄であることが認められる。したがつて、被告の右広告中の表示は必ずしも商標法第七四条第二号の規定に違反するものとはいえず、これを原告の広告における本件表示と同視することの不当であることはいうまでもない。原告の右主張も採用できない。
2 本訴請求の原因2(三)(2)の主張について
本件書面に原告が要旨(2)として主張するような記載があることは、当事者間に争いがない。
そして、前掲乙第五三、第五四号証、書込み部分を除き成立に争いのない甲第一〇号証(書込み部分を除く。以下、同様とする。)及び被告本人の供述に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、昭和一一年頃から業として印章の製造、販売に従事し、その後いわゆる営業表示として「日本印相学会」なる名称を、また、印章の商標として「印相学」なる標章等を使用するようになり、昭和四八年一月には株式会社日本印相学会を設立して自らその代表取締役に就任する一方、従前の個人営業を同会社に承継させたこと、そして、被告は昭和五〇年一月六日右「印相学」の標章につき印章を指定商品とする商標登録を経由したこと、ところが、この間の昭和四七年頃から同じく印章の製造、販売を業とする原告が「株式会社宗家日本印相協会」なる商号、「印相学」なる標章あるいは「印相学」又は「印相」の文字を含む各種標章を使用するに至つたため、原、被告間に紛争を生ずることとなり、被告は原告を債務者として甲府地方裁判所に対し、右商号及び標章の使用の差止を求める仮処分の申請をしたこと(同庁昭和四八年(ヨ)第一二二号事件)、被告の申請は不正競争防止法、商法及び商標法(前記商標権)に基づくものであつたところ、同裁判所は、右申請のうち、商標法に基づく差止請求の一部を認容し、原告がその印章の販売に関する広告中で「印相学の会社印」、「印相学の印鑑」及び「印相学印鑑」なる標章を使用することの禁止を命ずる一方、その余の申請を却下する旨の判決を言い渡したこと、もつとも、右の判決における被告の勝訴部分は、その申請全体から量的にみる限り、高々数分の一程度にすぎず、敗訴部分よりもはるかに少ないこと、右の判決に対しては、原、被告双方から東京高等裁判所に控訴が提起され(同庁昭和五〇年(ネ)第二一七二号事件)、なお、原告からの控訴に基づき、被告の右勝訴部分につき執行停止の決定が発せられたこと(右執行停止の決定があつたことは当事者間に争いがない。)が認められ、右認定に反する証拠はない。
よつて考察するに、原、被告間の争訟の経過は右に認定したとおりであるから、本件書面中の前記記載(原告が要旨(2)として主張する記載)のうち、右の争訟に言及した部分は、必ずしもその実態を忠実に反映したものとはいい難く、就中、前記仮処分事件につき、あたかも被告全面勝訴の判決が言い渡されたかのような印象を与えかねない表現が用いられている点において、不正確であることを免れない。また、前記記載のうち、前項で認定したような表示を伴う原告の広告掲載行為が被告の「印相学」なる登録商標の出所表示機能を減殺することを企図した極めて悪質な計画的犯行である、とする部分も、前項に説示した意味において些か穏当を欠くものといわざるをえない。しかしながら、一方、被告が「印相学」なる標章につき印章を指定商品とする商標登録を得ていることも前に説示したとおりであるから、他に特段の事情が認められない限り、原告がその印章の販売に関する広告中で右登録商標又はこれに類似する商標を使用することができないことは、いうまでもないところであり、前記仮処分事件の判決においても、これと同様の趣旨で、被告の右商標権に基づく差止請求が認容されたものにほかならない(なお付言するに、前記仮処分事件の判決(前掲甲第一〇号証)において被告の商標権に基づく差止請求の一部が却下されたのは、原告による当該標章の使用が商標としての使用に当たらないと判断されたためである。同判決中には、なるほど原告主張のような説示部分が見受けられるけれども、これは右に述べた判断を理由づけたものであつて、被告の「印相学」なる登録商標の出所表示機能まで否定したものではないことは、その判文上明らかである。)。
また、前項で認定した原告の広告中の表示に疑義のあることも前に説示したとおりである。
そして、紛争関係にある当事者の一方が些か穏当を欠くとみられる言辞を用い、あるいは不正確な表現を使用して他方の非を鳴らすなどの所為は、世上まま見受けられる事象であることを思えば、右にみた程度の表現上の不正確さもしくは不穏当さは、社会常識上到底許容されるべきものではないとは断じ難く、ことさらに虚偽として違法視するには足りないものというべきである。
三 以上のとおりであつて、本件書面が虚偽の記載を含むものであることを前提とする原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないことになる。
第二 反訴について
一 まず、反訴請求の原因1(一)の主張につき判断する。
思うに、訴訟の提起が不法行為を構成するというためには、単にその訴訟上の請求に理由がないというだけでは足りず、訴訟を提起した者が当時このことを知つていたか、又は少なくとも必要な注意を用いれば容易にこれを知りえた場合でなければならないものと解するのが相当である。
本件についてこれをみるに、原告の本訴請求に理由がないことは前に説示したとおりである。しかしながら、原告が本訴提起の時点で敗訴することを十分承知していたとか、容易にこれを知りえたとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。かえつて、本件書面には一部ながら疑義のある記載がないわけではなく、これを虚偽と評価すべきかどうかの判断にもかなり微妙なものがあつたことも前に説示したところから明らかであるから、原告としては、本訴提起の当時、その請求が失当であることを知らなかつたものと推認すべく、また、これを知らなかつたのも無理からぬところというべきである。被告の右主張は理由がない。
二 次に、反訴請求の原因1(二)の主張につき判断する。
被告本人の供述に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、昭和五二年五月二〇日(本訴提起の日)頃被告主張の各新聞社の記者と記者会見を行い、本訴を提起した旨及び本訴における原告の主張の要旨を発表したことが認められないでもない。しかしながら、原告の右行為は、その発表の内容が原告側の主張のみを反映している点で一方的であることは否定できないにしても、それ自体何ら異とすべきことではないし、また、右発表の内容が、原告側の主張を要約したというにとどまらず、ことさらに被告を誹謗、中傷するものであつたことを窺わせるような証拠は全くない(なお、被告は、右発表の内容が「真実に反する一方的な事実」であるというのみで、何ら具体的に主張しない。)。被告の右主張も理由がない。
三 進んで、反訴請求の原因1(三)の主張につき判断する。
原告が昭和五二年三月社団法人日本広告審査機構に乙第五二号証の文書を交付したことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない右乙号証、証人鈴木義美の証言及び被告本人の供述に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、原告が右文書の交付に及んだのは、被告がこれより先右社団法人に対し、原告の広告掲載につき本件書面と同旨の苦情申立をしたため、対抗上、原告側の言い分を同法人に説明する必要があつたことによること、右文書には、被告が他人の出願にかかる商標権を譲り受けたうえ、各地の同業者を手当たり次第攻撃し始めた旨及び右のような「ゆすり、たかりのような行為が許されてよいものでしようか」との記載があることが認められる。
そして、右に認定した原告の文書中の記載、就中、被告の行為を評して「ゆすり、たかりのような行為」とする部分は、これまた穏当を欠くものとの感じがしないでもないけれども、右の程度の表現は、これが用いられた目的、経緯等に徴すれば、前説示(第一の二の末尾部分)と同様の意味において、社会的に許容されうる埒内にあり、なお違法性を欠くものというべきである。被告の右主張も理由がない。
四 そうすると、被告の反訴請求もその余の点につき判断するまでもなく理由がないことになる。
第三 結論
以上の次第であつて、本訴請求及び反訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却する。