東京地方裁判所 昭和52年(ワ)8068号 判決 1979年5月30日
原告
石嶋敏雄
右訴訟代理人
高氏佶
被告
神田信用金庫
右代表者
清水好二郎
右訴訟代理人
興石睦
外三名
主文
被告は、原告に対し金一三七、九七一円を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。
事実《省略》
理由
一請求原因(一)の事実は、当事者間に争いがない。
二そこで、被告の抗弁について判断する。
(一) 被告が原告に対し昭和五二年五月二九日到達の書面で、被告の原告に対する貸付元利金が金四、五二〇、八〇四円であるとして、これをもつて本件預金元利金とその対当額において相殺する旨の意思表示をなしたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告の被告に対する定期預金債権の元利金は右当時金四、六五八、七七五円であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 被告は、昭和五一年八月一八日、原告との間で信用金庫取引契約を結び、同日、右基本契約に基づき、被告に対し金四、五〇〇、〇〇〇円を弁済期同年一一月三〇日、利息年6.25パーセントの約で貸付け、当該貸付元利金債権を右相殺の自働債権とした旨主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はない。
(三) しかしながら、<証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。
1 原告は、すし職人として稼働していたところ、客として知り合つた訴外平岩仁雄の紹介で、被告関町支店に預金することとし、昭和五一年七月一七日、「石島敏雄」と刻した原告の印章と額面三〇〇万円の小切手および現金一五〇万円を持参し、平岩の経営する練馬区関町六丁目二三五番地所在の三協ガス圧接の事務所に赴いたこと、
2 同事務所において、原告は、被告関町支店得意先係員大木勇らに対し、定期預金の申込みをなし、所定の定期預金申込書に、平岩が原告に代わつてその氏名欄に「石島敏雄」および住所欄に同事務所の所在地を記入し、原告が印鑑欄に持参した印章を押捺し、大木らから四、五〇〇、〇〇〇円の預り証の交付を受けたこと、
3 平岩は、それまで被告との間に取引があり、被告の職員と面識があつたため、原告は定期預金証書の受領方を平岩に依頼し、前記の印章および預り証を同人に預けたこと、
4 約一週間後、原告は妻幸代に預けた印章と預金証書を平岩の事務所に取りに行かせたところ、平岩は右印章と預金証書のコピー二枚を同女に交付しただけで、同月一九日大木から手渡されていた定期預金証書の原本は手交しなかつたが、原告はこれに格別疑問をさしはさまなかつたこと、
5 かくするうち、同年八月一八日、被告関町支店に平岩と石島敏雄と名のる男が訪れ、同支店融資係員山田昇平に対し、本件定期預金を担保に融資を申込み、すでに住所、氏名欄に原告が預金申込時に届出たのと同一の住所、氏名が記載され、かつ、届出印鑑と同一の印影のある信用金庫取引約定書担保差入証書、借入申込書、約束手形および裏面の受領欄に同一の記載、押印のなされた定期預金証書二通を差出し、原告が被告との間で抗弁(二)1、2記載の借入れおよび担保設定をなしたかのごとき手続を行つたこと、
6 原告は、これらの書類に署名、押印したことはなかつたが、被告の融資係員山田は、石島と名のる男が面識のある平岩と同道しており、かつ、右一連の書類に押捺された印影とさきに原告が預金に際し届出た印影と照合したところ、両者は同一であると認めたので、原告が本件定期預金を担保に貸付けを受けるものと信じ、それ以上の確認手続をとることなく、右貸付けを実行したこと、
7 原告と被告との定期預金契約には、預金証書諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもつて照合し、相違ないと認めて取扱つたうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があつても、そのために生じた損害については、被告は責任を負わない旨の免責規定が設けられていること、
以上の事実が認められ、<る>。
三ところで、金融機関が定期預金債権に担保の設定を受け、または、右債権を受働債権として相殺する予定のもとに、新たに貸付けをなし、これによつて生じた貸金債権を自働債権として相殺されるに至つた場合、実質的には定期預金の期限前払戻しと同視することができるから、金融機関は、右貸付けをなした者が真実の預金者と異なるとしても、その貸付当時、金融機関として尽くすべき相当な注意を用いた限り、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済の類推、あるいは、定期預金契約上存する免責規定によつて、表見預金者に対する貸金債権と定期預金債務との相殺をもつて真実の預金者に対抗しうるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四八年三月二七日第三小法廷判決民集二七巻二号三七六頁参照)。
本件において、前記借入れおよび担保設定は、平岩らが勝手にこれをなしたものであるが、被告が真実の預金者である原告と認めた石島と名のる男は、被告の職員と初対面であつたものの、同人は、被告と取引上面識のあつた平岩と同道し、右貸付等をなすにあたつて、被告の担当者は、貸付けに関する一件書類に押捺された印影と預金届出印鑑とを照合しているから、これらの事情に鑑みると、担当者においてそれ以上の調査をなさなくとも、被告としては真実の預金者の認定に相当な注意を用いたものというべきである。なお、原告は、被告が免責されるには、貸付時のみならず相殺時においても善意無過失を要する旨主張するが、民法四七八条の類推適用あるいは契約上の免責規定の適用をなすのは、金融機関の信頼の保護を理由とすることを考えると、貸付時に相当の注意を尽くせば足り、相殺時まで善意無過失を要しないと解すべきであるから、原告の右主張は当を得ないものである。
そうすると、原告の被告に対する定期預金債権のうち、元本金四、五〇〇、〇〇〇円および利息のうち金二〇、八〇四円の合計金四、五二〇、八〇四円については、以上の説示のとおり、被告の前記相殺の意思表示により消滅したことは明らかであるが、定期預金の利息の残金一三七、九七一円については、被告は貸金債権の元利金をもつて相殺したと主張するだけで、右金四、五二〇、八〇四円をこえる額を自働債権として相殺したことを認めるに足りる証拠はないから、被告は原告に対し、右残余金の支払義務があるといわなければならない。
四よつて、原告の本訴請求は、金一三七、九七一円の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容するが、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条本文、仮執行宣言につき、同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(長野益三)