東京地方裁判所 昭和52年(ワ)8075号 判決 1979年7月30日
原告
日建産業株式会社
右代表者
小野寺喬
右訴訟代理人
降籏巻雄
被告
国
右代表者法務大臣
古井喜實
右訴訟代理人
横山茂晴
右指定代理人
吉田克己
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の申立
一 原告
(一) 被告は原告に対し、金六二七万七、八三七円及びこれに対する昭和五二年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 第一項につき仮執行の宣言
二 被告
(一) 主文と同旨
(二) 仮執行宣言付原告勝訴の判決をする場合は、担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
(一) 原告は、建物サービス業を主たる業務とする会社であり、訴外××××裁判官(以下「本件担当裁判官」という。)は、昭和五一年六月当時、東京地方裁判所民事第九部に所属する裁判官として、その職務を遂行していたものである。
(二) 原告は、別紙目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、昭和五一年六月当時これを占有していた。
(三)1 訴外山田由蔵(以下、単に「山田」ともいう。)は、昭和五一年六月一八日、東京地方裁判所に対し、原告を債務者として本件建物のうち別紙目録二添付図面斜線部分(以下、「本件建物部分」という。)について仮処分申請(以下「本件申請」という。)をした(同裁判所昭和五一年(ヨ)第四二九八号事件として係属)。
本件担当裁判官は、昭和五一年六月二六日、債務者たる原告を審尋することなく、別紙目録二記載のように本件建物部分につき債務者の占有を解いて執行官に保管させ、債権者にその使用を許す旨のいわゆる断行の仮処分決定(以下「本件決定」という。)を発し、同債権者は、同月二八日、右決定に基づいてその執行を行つた。そのため、債務者たる原告は、本件建物部分(本件建物の約半分)の占有を喪失した。
なお、山田はその後本件建物全部を占拠した。
2 本件申請の理由は、債権者山田が昭和四九年四月一日以降訴外東京興産株式会社(以下「東京興産」という。)から本件建物部分を借受けてこれを占有していたところ、原告が昭和五一年五月二〇日、東京興産に対して本件建物全部についての明渡の強制執行を行つたことにより山田の右占有が奪われたから、占有訴権に基づきその占有の回収を図るに及んだというものであつた。そして、同人が本件申請に際して裁判所に提出した疎明資料は、同人の株式会社平和相互銀行新橋駅前支店の預金通帳及び手形等(いずれも写)並びに山田その他同人の関係者等と思われる者達の作成名義にかかる上申書等であつたが、これらの資料のうち、右上申書等の内容は、人為的に作出可能なものであり到底信を措き得ないものである。
そして、右各資料のうち、山田の本件建物部分の占有事実を裏付ける唯一の客観的資料は、同人がその上申書において昭和四九年四月一日以降銀行取引を始めたことを示すものと指摘している前記預金通帳のみであつたのであるが、山田は、本件申請に際し右通帳の表紙だけを提出したにとどまり、銀行取引開始日の明記されている部分を提出していなかつた(なお、同通帳による銀行取引開始日は昭和五一年二月二三日であることが後に判明した。)。
従つて、山田が昭和五一年五月二〇日当時本件建物部分に対する占有権を有していたとの疎明がなく、結局、本件申請は被保全権利の疎明を欠く理由のないものであつた。
3 ところで、山田は、東京地方裁判所に対し、本件申請に先立ちこれと当事者、対象物件、申請の趣旨・内容を同じくする仮処分申請(以下「前申請」という。)並びに更にそれ以前原告を相手方とする第三者異議の訴(原告の東京興産に対する前記強制執行につき本件建物部分に関する部分の排除を求めるもの)及びこれに伴う強制執行停止申請を行い、本件担当裁判官が右各申請事件の審理を担当した。そして同裁判官は、昭和五一年六月二日債務者たる原告の代理人降籏巻雄弁護士(但し、当時は未だ右各事件を受任していない。)に対し、右各申請を告げ、前申請に関し原告側の出頭を求めたので、同弁護士はその際同裁判官に対し、原告は本件建物につき他の者との抗争においてその執行保全手続をとつており、その執行の際東京興産以外の者の占有事実がなかつたこと及び原告は判決に基づく強制執行手続によつて本件建物の引渡を受けたものであることを告げた。そして翌三日原告代表者、原告代理人降籏弁護士及び山田の代理人が本件担当裁判官のもとに出頭した。その際降籏弁護士は同裁判官に対し、左記(1)ないし(4)の文書を提示したうえ、殊に(4)の執行調書については占有者に関する該当箇所を指示して右執行の際山田の占有事実なきことを主張し、右各文書の写を記録に編綴するよう求めたが、同裁判官は右申入れを一蹴した。
(1) 原告が、さきに本件建物を賃貸していた東京興産との間の賃貸借契約を解除した後、その明渡執行保全のため東京地方裁判所に申請し同裁判所が昭和四九年一二月二一月にした同会社を債務者とする占有移転禁止の仮処分決定正本(甲第六号証)。
(2) 右決定に基づき東京地方裁判所執行官が同月二一日本件建物につきした仮処分執行の執行調書謄本(甲第七号証)。これによれば、右仮処分決定における債務者東京興産代表者市野敏郎が右執行に立会い、同人は執行官に対し他に占有者はない旨答えたことが記載されている。
(3) 原告が東京興産を被告として本件建物の明渡を求めた訴訟の執行力ある確定判決正本(甲第八号証の一、二)。
(4) 右判決に基づき東京地方裁判所執行官が昭和五一年四月三〇日本件建物につきした明渡強制執行の執行調書謄本(甲第九号証の一)。これによれば、右判決における被告東京興産代表者市野敏郎が右執行に立会い、同人は執行官に対し、他に占有者はない旨答えたことが明記されている。
なお、本件担当裁判官は前申請事件につき執行官保管・債務者使用の占有移転禁止の仮処分決定(以下、「前決定」という。)を発し、山田は昭和五一年六月一二日右仮処分執行を行つたが、本件決定に基づく仮処分執行の直前にこれを解放した。
4 以上のとおり、山田の本件申請についてはその被保全権利を疎明する資料がなく、他方債務者たる原告は、右申請に先立つ前申請に際し、本件担当裁判官に対して、東京興産以外の者が本件建物を占有していなかつたこと即ち本件申請における山田の被保全権利の不存在なることを示す公文書まで提示していたのであるから、その後本件申請をも担当した同裁判官は職務上このことを知悉していたものである。
それにもかかわらず、本件担当裁判官は、その職務上の注意義務を怠り、本件申請につき被保全権利の疎明があるものと誤認し、本件決定を発した。
殊に、本件担当裁判官は、債権者山田の主張を裏付けるべき唯一の客観的疎明資料たる前記預金通帳につき、その原本を精査して債権者の主張を疎明するに足りる資料であるか否かを調査確認すべきであるのにこれを怠り、漫然債権者の言に依拠して被保全権利の疎明があるものと軽信したのである。仮に、同裁判官が本件決定にあたり通帳の原本を精査したにもかかわらずその取引開始決定が昭和五一年二月であることを看過したものであるとすれば、これまた同裁判官の職務上の過失によるものである。更にまた同裁判官が右通帳の銀行取引開始日を知りながら本件決定に至つたものであるならば、それはむしろ故意に基づく加害行為というのほかない。
5 なお、その他の事情として、本件担当裁判官は、本件申請及びこれに先立つ同一内容の前申請のみならず山田の原告に対する第三者異議の訴に伴う強制執行停止申請事件にも関与しているのであるが、このような場合同一裁判官に公平かつ冷静な判断を期待することは困難であり、本件担当裁判官もこのことに思いを致し本件申請に関与することを避けるべきであつた。また本件決定は、僅か一〇坪足らずの本件建物(一室)につきその約半分を債権者に仮に使用を許すものであつて著しく不当というべきである。
更に、本件決定における保証金は金一〇〇万円であるが、これに先行する前決定におけるそれは金一五〇万円であつた。これは本件担当裁判官が、当初の仮処分申請(前申請)に際し債権者使用のいわゆる断行の仮処分決定を行うところを誤つて債務者使用の前決定を行つてしまつたため、やむなく債権者山田側と図つて同一内容の本件申請を行わせ、債務者たる原告側を全く審尋することなく本件決定を行つたという事情に基づくものと考えられる。
(四) 本件担当裁判官は、裁判官として国の公権力の行使に関する職務を行う公務員であるが、前記のとおりその職務上の過失により本件決定を行つたため、原告は左記損害を蒙つた。従つて、被告は国家賠償法一条に基づき原告に対して右損害を賠償する責任がある。
1 原告は、本件建物の占有回復のため、本件決定に対して異議を申立て、また本案訴訟に対して応訴し、かつ明渡の反訴を申立てるとともに、その執行保全のため山田その他の不法占有者に対する仮処分申請及び仮処分の執行をした。以上の諸手続のため、原告は金二六四万一、八〇〇円の出捐(弁護士費用金二五〇万円、執行官費用金四万一、八〇〇円、その他の執行手続費用金一〇万円)を余儀なくされ、右と同額の損害を蒙つた。
2 山田その他の者は、昭和五一年六月二八日から同五二年六月八日までの間、本件建物を不法占拠した。そのため原告は、一か月金一五万円の割合による賃料相当損害金一一か月分合計金一六五万円の損害を蒙つた。また、原告は、本件建物のあるニユー新橋ビルを管理するニユー新橋ビル管理株式会社から右占拠期間中の管理費用合計金三八万六、〇三七円の支払請求を受け、後日その支払を余儀なくされるので、右費用は原告の蒙る損害となる。
3 原告は、本件決定によりその財産に多大の損害を受け、もつて国の司法秩序に対する信頼感を喪失するに至つた。その精神的苦痛は甚だしく、これを慰藉するために要する慰藉料は金一〇〇万円が相当である。
4 原告は、原告訴訟代理人に対し、本件訴訟の提起及び遂行を委任し、その際着手金三〇万円、成功報酬金三〇万円を各支払う旨約し、もつて右同額の損害を蒙つた。
(五) よつて、原告は被告に対し、国家賠償法一条に基づき、損害賠償金六二七万七、八三七円及びこれに対する不法行為後である昭和五二年九月一〇日(本件訴状送達の日の翌日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否。
(一) 請求原因(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実は認める。
(三) 同(三)1の事実のうち、山田が本件建物全部を占拠したことは不知、その余は認める。
同(三)2のうち、本件申請における被保全権利の内容に関する事実、山田が提出した疎明資料に関する事実及び右疎明資料のうち預金通帳についてはその表紙の写のみが提出された事実はいずれも認め、その余の事実は不知、主張は争う。
同(三)3の事実のうち、原告代理人が本件担当裁判官に対み(1)(2)の文書を提示したこと、原告代理人が(1)ないし(4)の文書の写の編綴方を求めたが本件担当裁判官がこれを一蹴したことは否認し、(1)(2)の文書内容は不知。その余は認める。
同(三)4、5は争う。
(四) 同(四)の事実のうち、本件担当裁判官が国の公権力の行使にあたる公務員であることは認め、その余は不知ないし争う。
三被告の主張
原告は、本件担当裁判官の行つた本件決定における被保全権利の認定が誤つている旨主張するが、裁判における事実認定は、裁判官の専権に属し、その自由心証に基づいてなすべきものである。従つて、その事実認定が誤りであつたとしても、その認定が証拠及び経験則に照らし許容しえないものでない限り、裁判官の当該裁判は、国家賠償法上違法行為には当らないものというべきである。
そして本件申請においては、債権者山田はその被保全権利の疎明資料として、東京興産代表者市野敏郎外一名の上申書、訴外八木沢信の上申書、訴外株式会社国政通信専務取締役佐藤英博の上申書、山田由蔵の上申書二通、訴外相山今朝義の上申書、東京興産代表者市野敏郎の上申書及び手形を提出しており、これらの疎明資料によつて山田が昭和四九年四月一日以降本件建物の約半分を占有使用してきたことの疎明があると判断することは十分可能である。
なお、原告の指摘する預金通帳表紙は、山田の銀行取引開始日を立証するために提出されたものではなく、右資料が他の証拠と矛盾するものでない以上、職権探知主義を採用していない現行民事訴訟制度のもとにおいて、本件担当裁判官が原告主張の事項につき、これを探求すべき職務上の注意義務は存しない。
四 原告の反論
裁判官は、仮処分決定を行うにあたり、提出された疎明資料について原本の提示を求めその内容及び存在を確認すべきものである。殊に山田は、前記預金通帳を提出するとともにその上申書において同人が昭和四九年四月一日以降本件建物を占拠使用していたことは取引銀行等が認めている旨述べているのであるから、その真偽は右通帳の原本を調査すれば直ちに判明したものなのである。
第三 証拠<省略>
理由
一本件担当裁判官が昭和五一年六月当時東京地方裁判所民事第九部に所属する裁判官としてその職務を行つていたこと、原告が当時本件建物を所有しこれを占有していたこと、山田が昭和五一年六月一八日東京地方裁判所に原告を債務者として本件建物部分につき仮処分申請(同裁判所昭和五一年(ヨ)第四、二九八号、本件申請)をしたこと、右申請における被保全権利の内容が山田が昭和四九年四月一日以降東京興産から本件建物部分を借受けこれを占有していたことに基づく占有回収訴権であつたこと、本件担当裁判官が右事件を担当し昭和五一年六月二六日債務者側を審尋することなく本件建物部分につき執行官、債権者使用の本件決定(なお、その保証金一〇〇万円)を発したこと、山田が同月二八日右決定に基づきその執行を行い、そのため原告が本件建物部分の占有を喪失したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
そして、<証拠>によれば、原告は昭和四九年東京地方裁判所に東京興産を被告として本件建物の明渡等を求める訴訟を提起し(同裁判所昭和四九年(ワ)第一〇、九一六号)、同五〇年八月六日勝訴判決を得たこと、これに対し東京興産は東京高等裁判所に控訴を提起して(同裁判所昭和五〇年(ネ)第一、八五三号)争つたが、同裁判所は同五一年三月二四日控訴棄却の判決を言渡し、その後前記判決は確定したこと、そこで原告は右勝訴判決に基づき同年四月三〇日(但し、明渡催告にとどまる。)及び同年五月二〇日東京興産に対し本件建物明渡の強制執行を行い右建物の明渡を受けたこと、なお、これに先立ち原告は、右執行保全のため東京地方裁判所に東京興産を債務者とする本件建物の占有移転禁止の仮処分申請をした(同裁判所昭和四九年(ヨ)第八、二九四号)が、同裁判所は昭和四九年一二月二一日本件建物につき執行官保管、債務者使用の占有移転禁止の仮処分決定を発し、原告は同月二五日右決定に基づきその執行をしていたこと、他方、本件決定に対する異議訴訟においては、山田の前記保全権利の疎明がないとして本件決定を取消し本件申請を却下する旨の判決言渡があり、右判断は控訴審でも維持され、右判決は確定したこと、またその本案訴訟の第一審判決でも山田の占有権を認めうる証拠がないとして同人の原告に対する請求は棄却となり、原告の山田に対する本件建物明渡請求(反訴)は仮執行宣言付で認容されたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
二原告は、本件担当裁判官がその職務上の注意義務を怠り、本件申請における被保全権利の疎明がないのに疎明があるものと誤認した結果本件決定を発したものであるから、右決定は違法である旨主張する。
しかしながら、保全処分制度は、訴訟による債権者の権利保護の遅延と自力救済の禁止との矛盾の解決策として認められたものでその性質上、緊急性、密行性が強く要請されており、そのために任意的口頭弁論主義を採用し(民訴法七四一条一項、七五七条二項)被保全権利及び保全の必要性についての立証も疎明で足りるものとされ(同法七四〇条二項、七五六条)、またその疎明が不十分である場合、更には疎明がないときでさえ裁判所は債権者に裁判所が自由な意見をもつて定める保証を立てさせたうえで保全処分を発しうるものとされている(同法七四一条二項、三項、七五六条)こと、他面かくして発せられた保全処分が不当である場合に債務者が蒙る損害について、その賠償の実現を容易にするため、被保全権利及び保全の必要性について疎明がない場合は勿論、疎明がある場合でも、裁判所は、保全処分を発するに先立ち又はその条件として、債権者に保証を立てさせることができることとしており(同法七四一条二項、三項、七五六条)、また保全処分発布後、債務者が異議を申立てれば、債権者の申請及びこれにより一方的に発せられた保全処分の当否を口頭弁論により改めて再審査する手続が開始され(同法七四四条、七四五条、七五六条)、加えて起訴期間徒過、事情変更又は、特別事情による保全取消の途も用意されている(同法七四六条二項、七四七条、七五六条、七五九条)ことなどをあわせ考えれば、裁判所が債権者に保証を立てさせたうえで保全処分を発した場合には、その疎明資料において被保全権利の存在しないことが明確であるなどの特段の事情がある場合は格別、その被保全権利の疎明が不存在又は不十分であるというだけでは、直ちにその保全処分が国家賠償法上違法であるとはいえない。
三そこで、本件についてこれをみると、<証拠>を総合すれば、債権者山田は裁判所に対し本件申請の疎明資料として、(イ)請求原因三3(4)の家屋明渡強制執行調書(内容は明渡催告をしたのみ)、(ロ)右(イ)と同一事件についての強制執行調書(明渡執行)、(ハ)債権者原告外一名、債務者東京興産間の競売調書、(ニ)原告と東京興産間の本件建物明渡請求事件第一審判決正本(東京興産に対して本件建物の明渡を命じた原告勝訴判決)、(ホ)債権者山田作成名義の昭和五一年五月二一日付上申書(この上申書においては山田は、昭和四九年四月一日より本件建物のうちその約半分を占有使用しており、そのことは取引銀行及び取引先等が認めているところである旨上申しているが、後記(ワ)の普通預金通帳などの他の証拠との関係については触れていない。)、(ヘ)東京興産及び同会社代表者市野敏郎共同作成名義の昭和五一年五月二〇日付上申書(要旨は、昭和四九年四月一日から山田に対し本件建物の使用を許している。市野は、原告の委任に基づく執行官の明渡執行に立会い、その際、執行官に対して山田の共同占有事実を告げたにもかかわらず、執行官はこれに対し何らの応答もせず、調査も行うことなく、市野の反対を無視して、差押執行をした。――内容からみて(イ)の執行調書の執行の際のことと推測される。)、(ト)八木沢信作成名義の昭和五一年五月一九日付上申書(要旨は、同人に対する東京興産の債務不履行を契機に、山田が昭和四九年四月一日より東京興産から本件建物の半分を借受け占有使用している。)、(チ)株式会社国政通信専務取締役佐藤英博作成名義の昭和五一年六月七日付上申書(要旨は、山田が昭和四九年四月から本件建物を事務所として使用している。)、(リ)相山今朝義作成名義の昭和五一年六月五日付上申書(要旨は、山田が昭和四九年四月から本件建物で金融業等を営んでいる。)及び債権者山田作成名義の同月七日付「関係説明陳述」と題する書面、(ヌ)東京興産作成名義の八木沢信及び山田宛の昭和四九年四月一日付承諾書(要旨は、山田が東京興産の事務所を利用することを承諾し、借用金三〇〇万円につき右使用料として毎月一二五万五、〇〇〇円宛消却する。)、(ル)山田を第二裏書人とする手形の裏面(同人の住所として本件建物所在地番が記載されているが裏書年月日欄は白地、次の(ヲ)も同様。なお、昭和五一年四月二七日付第三裏書がある。)、(ヲ)山田を第三裏書人とする手形の裏面(なお、昭和五一年二月二七日付第四裏書がある。)、(ワ)山田名義の平和相互銀行に対する普通預金通帳表紙(取引開始日等の記載はない。)、(カ)山田の氏名の記載がある小切手裏面(山田の住所の記載はない。昭和五一年三月一二日付支払拒絶の記載がある。)、(ヨ)山田作成名義の昭和五一年六月一九日付上申書(本件建物中、同人の占有使用にかかる部分を示した図面添付)、以上の一五通の書類を提出したこと、これらの疎明資料のうち特に、山田(二通)、東京興産外一名、八木沢信、佐藤英博及び相山今朝義各作成名義の各上申書、東京興産作成名義の承諾書並びに山田を裏書人とする手形裏面(前記(ホ)ないし(ヲ)、(ヨ))は山田が昭和四九年四月一日東京興産から本件建物の半分を借受け以後これを占有使用していたところ、原告の委任を受けた執行官が右事実を無視して敢えて東京興産に対する明渡の債務名義に基づき、本件建物の明渡執行を行い、そのため山田が本件建物(半分の)占有を喪失したという債権者山田の主張に副うものであつたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。
尤も、前掲甲第三〇号証の二の一・二・一一(前記疎明資料中の各強制執行調書及び東京興産作成名義の承諾書(前記(イ)、(ロ)、(ヌ)))によると、東京地方裁判所執行官が昭和五一年四月三〇日明渡執行のため本件建物に赴いた際、立会人の東京興産代表者市野敏郎は執行官に対して同会社以外に本件建物を占有している者はない旨述べ、執行官も右陳述及び現場状況からこれを確認していること((イ))、また、同裁判所執行官が同年五月二〇日本件建物の明渡執行を行うに際し、占有関係を調査したところ東京興産の占有が認められたとし、同所にあつた物件をすべて東京興産の所有に属するものであると認めて明渡、差押執行を行つたこと((ロ))が認められ、また東京興産と山田間の本件建物貸借に関する約旨によれば、その賃借期間は一応二年間即ち昭和五一年三月三一日までと定められたことが窺われる((ヌ))から、以上の疎明資料の内容をも勘案すれば、債権者山田の主張に副う前記の疎明資料では被保全権利の疎明が必ずしも十分ではない。
しかし、右(イ)、(ロ)の本件建物の占有及びその明渡執行の状況に関する記載内容に対しては、これと真向から対立する前記(ホ)ないし(ヌ)があり、また(ロ)は現に本件建物を占有使用していた東京興産に対する本件建物明渡執行に関するものであるから、その内容上直接には昭和五一年五月二〇日当時東京興産が本件建物を占有していたことを示すにとどまるものであり、さらに(ヌ)については東京興産と山田間の当初の貸借期間を計算上推知しうるにすぎないもので右期間経過後山田が本件建物を使用占有していないとはいえず、かえつて右期間経過後も山田が本件建物を占有使用していたとの疎明資料も存するのである((ホ)、(ヘ)など)。
また、本件申請に先立つ前申請事件に関し、本件担当裁判官から連絡を受けた原告訴訟代理人が同裁判官に対し、口頭で本件建物については他の者との抗争において執行保全の手続がとられており、その執行の際東京興産以外の者の占有事実はなかつたことを告知したこと、その後前申請事件の審理にあたり、原告代表者及び原告訴訟代理人が本件担当裁判官に面接し、その際同裁判官に請求原因(三)3(3)の各判決正本(一、二審)及び同(4)の執行調書謄本を提示したことは当事者間に争いがないが、<証拠>に、当事者間に争いのない右事実を総合すると、前申請事件において提出された疎明資料は前記(イ)、(ニ)ないし(ト)、(ヌ)ないし(カ)及び山田の被傭者二名の上申書二通であることが認められ、右認定を左右する証拠ない。従つて、本件担当裁判官が本件申請事件を審理判断するにあたり、前申請事件において提出された疎明資料をも裁判所に顕著な事実として斟酌しうる余地があるとしても、前申請事件において提出されていた疎明資料は本件申請事件における被保全権利の存否の判断に格別影響を及ぼすほどのものではない。なお、原告は、原告訴訟代理人らが本件担当裁判官と面接した際、同代理人がさきに口頭告知した事実(先行仮処分執行及びその際の占有状況)を疎明する資料として請求原因(三)3(1)(2)の各書面(甲第六、第七号証)を提示した旨主張するが、これを認めることができる証拠はなく、仮に右原告主張のような事実があつたとしても、本件仮処分当時、前記のような疎明資料もあり、右甲第六、第七号証によつて(なお、右甲第七号証には、原告主張のように東京興産代表者が他に占有者がない旨答えたとの記載はない。)直ちに山田の本件被保全権利が不存在であると断定するのは困難であるというべきである。
以上のとおりであるから、債権者山田の本件申請については、その被保全権利の疎明が不十分であるとはいえ、提出された疎明資料によつて被保全権利の不存在が明確であると判断することは困難であり、他に特段の事情が認められない以上、本件担当裁判官が、債権者山田に保証を立てさせたうえで本件決定を発したことにつき国家賠償法上の違法があるとはいえない。
四次に原告は、(1)本件担当裁判官が本件申請前の山田の申立にかかる強制執行停止申請事件及び前申請事件に関与しながら本件申請事件につき審理し決定したこと、(2)同裁判官が本件申請事件について債務者である原告側を審尋しなかつたこと、(3)同裁判官が債権者山田の提出した疎明資料、殊に前記(ワ)の預金通帳の表紙の原本を調査しなかつたこと、(4)同裁判官が本件決定において一室の一部について明渡を命じたこと、(5)前決定と比較して本件決定の保証金が低額であつたことなどを非難するが、第一に本件担当裁判官が前申請事件などに関与したうえ本件申請事件に関与したとしても、それは格別違法であるとはいえないし、第二に保全処分殊に本件申請のようないわゆる断行の仮処分申請事件を審理するにあたつては、債務者側を審尋することが望ましい場合が少なくないとはいえ、かゝる場合にも法律上審尋が必要的とはされておらず、第三に前記のとおり山田は疎明資料として預金通帳全部ではなく、その表紙部分のみを提出したにすぎないし、同人がこれによつてその占有開始決時期を立証する趣旨であつたことを窺う資料もないから、本件担当裁判官がその原本を調査したとしても、本件申請に対する判断に消長をきたすものでないことは明らかであり、第四に、裁判所は、仮処分申請を認容するにあたつては、その意見をもつて申請の目的を達するに必要な処分を定めることができるのである(民訴法七五八条一項)から、当不当はともかくとして、本件決定のように一室の一部の明渡を命ずることもその裁量の範囲内に属するものであるところ、本件決定の内容がその裁量権の範囲を著しく逸脱したものと認められるような証拠はなく、第五に保証金額はこれまた裁判所の広汎な裁量に基づいて決定されるものであるところ、原告主張事実だけではその裁量権を著しく逸脱したものとは認められず、他にこれを認めることができる証拠はない。
五以上の次第で、本件担当裁判官が本件決定を発したことが違法であるとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がなく、棄却を免れない。
よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(篠原幾馬 和田日出光 佐藤陽一)
目録一、二<省略>