東京地方裁判所 昭和52年(ワ)8884号 判決 1979年7月19日
原告
黒松酒販株式会社
右代表者
嶋田喜久雄
右訴訟代理人
田邊勲
被告
南進興産株式会社
右代表者
安田敬子
右訴訟代理人
茶村剛
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金二一二万八一七〇円及びこれに対する昭和五二年九月二八日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 主位的請求原因
1 原告は、清酒、洋酒、ビール等の販売を業とする株式会社である。
2(一) 原告は被告に対し、昭和五一年九月三日から同年一二月一四日までの間に別紙売掛表の通り合計二一八万二〇五〇円相当の清酒、洋酒、ビール等を売り渡した。
(二) 右売買に至る事情は次のとおりである。
訴外株式会社下田観光ホテル海山荘(代表取締役大川茂。以下訴外会社という)は別紙物件目録記載の建物(本件建物という)において海山荘と称するホテルを経営していたが、昭和五一年九月被告に右営業を譲渡した。そこで原告はホテル海山荘の新経営者となつた被告との間で右(一)のような取引をしたものである。
もつとも、大川茂は昭和五一年一二月までホテル海山荘の営業に関与していたけれども、それは新経営者となつた被告の依頼により、その経営を補佐していたにすぎない。
3 よつて、原告は被告に対し、右売掛残代金二一二万八一七〇円及びこれに対する訴状送達による請求の翌日である同五二年九月二八日から支払済みに至るまで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 予備的請求原因(仮に被告の「下田観光ホテル海山荘」の営業譲受の時期が別紙売掛表の期間後であるとすれば、次のとおり請求する。)
1 原告は訴外会社に対し、昭和五一年九月三日から同年一二月一四日までに、清酒、洋酒、ビール等合計二一八万二〇五〇円相当の商品を別紙売掛表の通り売り渡した。
2 被告は昭和五一年六月二五日訴外大川茂から、訴外会社が「下田観光ホテル海山荘」と称してホテル営業に使用している建物である別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という)を買い受け、翌五二年六月頃訴外会社(代表者大川茂)から「下田観光ホテル海山荘」の営業を譲受けた。
3(一) その上、被告は、右営業譲受と同時に、本件建物において「下田観光ホテル海山荘」の屋号を続用してホテル営業を始めている。
(二) なお被告の右(一)に関する自白の撤回には異議がある。
4 よつて原告は被告に対し、商号続用の営業譲受人の責任に基づき、訴外会社の買掛債務及びこれに対する遅延損害金債務について、主位的請求原因3と同一の金員の支払を求める。<以下、事実省略>
理由
一主位的請求について
1 主位的請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告は昭和五一年六月二四日から、その営業の部類に属する酒類、調味料、食料品等を継続的にホテル海山荘に売渡し、代金は最初の月のみ現金で、その後は小切手又は約束手形で支払を受けていたこと、右取引の当初、ホテル海山荘の経営者は、大川茂が代表取締役である訴外会社(株式会社下田観光ホテル海山荘)であつたこと(前経営者の点は当事者間に争いがない)、そして原告は昭和五一年九月三日から同年一二月一四日までの間にホテル海山荘に対して別紙売掛表のとおり合計二一八万二〇五〇円相当の商品を売渡し、同表記載の入金額、容器代を差引いた金二一二万八一七〇円の売掛残代金債権を有することが認められ、これに反する証拠はない。
2(一) 原告は別紙売掛表の売買期間中のホテル海山荘の経営者は被告であると主張する。
そして、被告が昭和五一年六月二五日大川茂からホテル海山荘の建物である本件建物を譲り受けたことは当事者間に争いがない。
(二) しかし、<証拠>によれば、
(1) 昭和五一年六月二五日現在で被告(当時の商号は大洋興産株式会社)及びその代表者安田敬子個人、同取締役高橋トミらは訴外会社もしくはその代表者大川茂個人に対して合計一億円を越える貸金債権を有していたので、大川茂は同日被告に対して、その借受金債務の担保として同人所有の本件建物を買戻特約付の売買名義で譲渡し、同年八月二五日までに買戻を実行しないときは右売買代金債権と借受金債務とを清算することを約した。(もつとも、本件建物には停止条件付代物弁済契約を原因とする先順位仮登記が二件存在していたから、清算のための売買代金額の決定はなされてなかつた)。
(2) その後、大川茂は右買戻期限の延長を一、二度受け、安田敬子からはさらに若干の金員を借受けており、遅くも昭和五一年一一月三〇日までには本件建物及びホテル海山荘の営業を第三者に売却し、その売却代金をもつて被告、安田敬子、高橋トミらに対する債務を弁済する案を提出し、被告や安田らの了解を得た。しかし、同年一二月に入つても右の売却の目途がつかなかつたので、大川茂はそのころ被告代表者安田敬子に対して、右売却までホテル海山荘の経営に当つてもらいたい旨を申し入れた。
(3) そこで、被告代表者安田敬子と訴外会社代表者大川茂との間で、昭和五一年一二月二〇日までに発生したホテル海山荘の買掛金等の諸債務は訴外会社の負担とし、翌二一日以降に生じるものは一切被告の負担とすること、右期日以降のホテル海山荘の経営に要する費用は一切被告の責任で調達し、経理面も被告が掌握すること、但し宿泊客の斡旋を受けている旅行業者等に対する関係ではなお訴外会社がホテル海山荘の経営に当つているように取りつくろうこと、被告は大川茂に対し月額三〇万円の給料を支給し、右旅客の受入業務に従事させることをそのころ合意した。
右営業の継承に伴い、被告は代表者安田敬子の息子とその妻(もと銀行員)ほか一名をホテル海山荘に常駐させて、経理を担当させ、代表者自身も東京から時々出張して来て、同ホテルの経営を監督した。他方、大川茂はこの後は右ホテルの経営には事実上全く関与しなくなつた。
(4) 被告代表者安田敬子は、大川茂の斡旋する本件建物及びホテル海山荘の売却はいずれ実現できるもの(訴外会社及び大川茂の負債はそれほど巨額なものではない)と考えていたので、右営業の継承の当初は、これによつてホテル海山荘の収益からいくらかでも被告及び安田敬子、高橋トミ個人の貸付金の回収に当てることができることを期待して、つまり債権回収策の一つとして、昭和五一年一二月二一日以降、みずからの資金と計算でホテル海山荘の経営に当つてきたものである。
ところが旅行斡旋業者の発行する宿泊券(クーポン)の代金が大川茂の手許に振込まれている事実が発覚し、旅行業者等に対する関係でも被告がホテル海山荘の経営者であることを明らかにする必要が生じた。
(5) そこで被告(昭和五二年二月一〇日現商号に変更)は昭和五二年四月一三日付で「飲食店営業(旅館)」許可申請をし、同年五月九日その許可を受け、大川茂をホテル海山荘から完全に排除し、対外的にも被告が同ホテルの経営者であることを公式に明らかにした。
との事実を認めることができる。
(二) 右認定事実によれば、被告は昭和五一年一二月二一日を期してホテル海山荘の営業を譲り受けたものと言うべきである。
被告は昭和五二年六月に営業譲渡があつたと主張し、被告代表者尋問の結果中には右主張にそう部分もないではないが、昭和五一年一二月二一日以降、ホテル海山荘の経営上の責任すなわち収支、損益の帰属はすべて被告に帰することを大川茂との間で合意し、これに基づいて被告が同ホテルの経営に当つてきたことは右認定のとおりであり、大川茂が昭和五二年五月頃まで残留したのは、旅行業者等との関係を円滑に処理するための便宜的方策にすぎず、大川自身の給料も訴外会社ではなく被告の計算によつて支払われていたのであるから、右営業の承継が債権回収策の一つであるにせよ、被告がホテル海山荘の営業を譲受けたのは昭和五一年一二月二一日にほかならない。(ちなみに本件記録中の訴訟告知書において被告は、同日訴外会社所有の旅館営業権、什器備品その他一切を債権確保のため譲り受けた旨を自陳している。)大川茂が本件建物及びホテル海山荘の営業を第三者に売却すべくほん走することを被告が認容してきたとしても、それが被告の本件建物の所有権及び営業の譲受けを否定する趣旨でないことは右認定の経過から明らかである。
<証拠判断略>
なお、被告代表者第一、二回尋問の結果中には、昭和五一年一二月二一日から翌五二年五月末日までの間は安田敬子個人の経営であつた旨の供述も存在する。しかし、前示認定のとおり、本件建物は被告が所有権を取得しており、食品衛生法上の営業許可も被告が四月一三日付で申請し、許可を得ており、しかも安田敬子は被告の代表取締役にほかならいこと、被告の大川茂あるいは訴外会社に対する貸金債権は、本件建物に先順位の停止条件付代物弁済契約を原因とする仮登記が存在するため、売買名義で本件建物の所有権の移転を受けても、同代金債権と相殺その他の方法により清算することが難しく、依然として消滅せずに存続していること(したがつて、被告には右貸金債権回収のためホテル海山荘の経営に当る動機があること)の諸事由に照らせば、右代表者の供述部分もたやすく信用できない。
(三) いずれにせよ、昭和五一年九月三日から同年一二月一四日までのホテル海山荘に対する別紙売掛表記載の各商品の買主は、当時の同ホテルの経営者である訴外会社であり、右売買は原告と訴外会社との間に成立したものと認められる。
右の認定を覆えし、原被告間に右売買契約が成立したことを認めるに足る証拠はない。
よつて主位的請求は失当である。
二予備的請求について
1 予備的請求原因1の事実は右一で判断したとおり、これを肯定することができる。
2 そして予備的請求原因2のうち被告が昭和五一年六月二五日大川茂から本件建物を買い受けたこと、同建物は訴外会社の経営であるホテル海山荘の営業の本拠であることは当事者間に争いがなく、被告が昭和五一年一二月二一日訴外会社から同ホテル営業を譲受けたことは右一で認定したとおりである。
3(一) しかも右一で認定したところから明らかなとおり、被告は昭和五二年五月頃までは、被告がホテル海山荘の経営者であることを旅行業者等に対する関係では表面に出さないように配慮していたものである。
(二) 被告は予備的請求原因3(一)(屋号の続用)の事実について、初めこれを認めると述べながら、後に、右自白の撤回を主張する。
しかし、被告の右自白が真実に反していること及び錯誤によつてなされたことは、いずれもこれを認めるに足る証拠がない。かえつて、本件建物の昭和五二年七月二〇日当時の写真であることに争いがない甲第一三号証、<証拠>及び右(一)の事実によれば、被告は少くとも昭和五一年一二月二一日から昭和五二年五月までは「下田観光ホテル海山荘」の名称を用いて、譲り受けにかかるホテル海山荘の営業を継続してきた事実を認めることができる。
もつとも、<証拠>によれば、被告は昭和五二年六月頃から玄関のガラス戸の文字を「ホテル海山荘」と改め(「下田観光」の文字が存在しない)、同ホテルの屋号もそのとおりとし、伝票、封筒、宣伝ちらし類にも逐次この屋号を用いるようになつた(但し、伝票は昭和五三年まで旧来のものを使用していたので、伝票上の屋号が右のとおり改まつたのは昭和五三年中のことである)こと、本件建物に掲げてある大型の看板は旧来のもので「下田観光ホテル海山荘」の文字が依然として存在するが、これは、同看板自体が差押を受けており、撤去、改造ができないためであることが認められるけれども、これらの事実も被告が営業の譲渡を受けた昭和五一年一二月二一日から少くとも昭和五二年五月まで「下田観光ホテル海山荘」の屋号を使用してきたことを否定するものではない。したがつて、この限度では被告の自白の撤回は許されないものといわなければならない。
4 そこで営業の譲受人である被告の責任について判断する。
(一) 被告の商号が、昭和五二年二月一〇日までは「大洋興産株式会社」であり、同日以降「南進興産株式会社」と変更されていることは前示一2(二)(1)及び(5)のとおりである。そうすると被告は営業の譲渡人である訴外会社の商号(「株式会社下田観光ホテル海山荘」)を自己の「商号」としては続用していないことは明らかである。しかしながら、右3で認定、摘示したとおり、被告は訴外会社の商号を被告が経営するホテルの営業自体を表わす名称(原告のいう屋号)として続用していたものである。(「株式会社」の四文字が脱落した程度では商号の(屋号としての)続用を否定する理由にならない。)
(二) ところで、商法二六条一項が譲受人に譲渡人の営業上の債務の弁済義務を負わせたゆえんは、商号が続用される場合は、営業主の交代を債権者が認識するのは容易でなく、交代があつたことを知らないために譲渡人に対して債権保全の措置を講ずる機会を失するおそれが大きいことに鑑みて、個々の具体的な知、不知を問わず、商号の続用を要件として、法定の責任として譲渡人と同一の義務を負担させることとしたものと理解される。(もし、一般的に営業譲渡があれば譲受人による債務引受があつたものと考えるのが債権者の常であるとか、ただ単に営業上の債務は営業財産を担保としているとかの理由によるものであるならば、商号続用の有無と係りなく営業の譲受人全部について同様の法定責任を負担させて然るべきであり、商法二六条一項がとくに商号の続用を要件に掲げたことは無意味なことになる)。
そうだとすれば、商法二六条一項にいう「譲渡人ノ商号ヲ続用スル場合」とは、譲渡人の商号を譲受人が「商号」として続用する場合だけでなく、譲渡人が自己の商号を同時に営業自体の名称(この意味で「屋号」と呼ぶことにする)としても使用していたものであるときは、譲渡人の「商号」を譲受人が「屋号」として続用する場合をも包含するものと解釈するのが相当である。けだし後者の場合にも、商号続用のゆえに、営業主の交代を債権者が容易に知り得ないことは、前者の場合と大きな差異はないと考えられるからである。
(三) これを本件について言えば、被告は営業を譲り受けた昭和五一年一二月二一日以降、少くとも昭和五二年五月までは訴外会社の商号をホテル営業の屋号として続用したことにより、商法二六条一項の定めに従い義務を負担すべきものである。
三被告の責任の消滅(抗弁2)について
(一) <証拠>を総合すると、
(1) 原告の訴外会社に対する売掛は別紙売掛表のとおり昭和五一年一二月一四日で終了した。
そのあと右営業の譲渡を受けた被告が新に原告から商品の仕入を開始したのは昭和五二年一月一七日であり、同取引は同年三月をもつて終了したが、その取引額は訴外会社当時と比べると少額であり、しかも現金で決済されている。
(2) 原告の取締役営業部長河名正は訴外会社との取引の決済のため為替手形九通を受取つていたが、その最初の満期は昭和五一年一二月三一日であり、以後昭和五二年一月一〇日から同年三月にかけて満期日が集中していたので、訴外会社あるいは大川茂の決済資力についてはとくに関心をいだき、原告代理人として右手形の決済見通を折に触れて大川茂に打診していた。
これに対して大川茂は、近く被告がホテル海山荘の経営に携ることになつており、心配はないと答えていた。
(3) 昭和五二年一月上旬頃、河名正はホテル海山荘を訪れ、訴外会社当時の右売掛金及び一月以降に満期が到来する前示為替手形(最初の期日分は不渡となつていた)の決済について被告と話合つたが、その席上で被告の経理担当者から「従来の取引に関しては被告は関係がないから支払えない。被告が営業を引き継いでから後に生じた取引に関するものは私の方で支払う。」との趣旨の申入を受けた。これに対し河名正は今までの商取引の行きがかり上、右申入はやむを得ないものと判断し、これを了承したうえで、被告が今後も取引の継続を希望するならば現金取引にしたい旨を反対に申入れた。そして河名正の右申入については被告も承諾した。
(4) 昭和五一年一二月二〇日(訴外会社経営当時)までの買掛債務等については、数十名にのぼる債権者があつたが、被告はホテル海山荘の営業を譲り受けてから、これら訴外会社当時の債務については被告は支払の責任を負わない旨をその都度債権者に説明し、各債権者の了解を得ている。
との事実を認めることができる。証人河名正第一、二回証言のうち右(3)の話合があつた時期は昭和五一年一二月末日以前である旨の部分は、にわかに信用できず、他に右認定を動かす証拠はない。
(二) 右(一)(3)の事実によれば、原告代理人河名正は昭和五二年一月上旬頃被告に対し、別紙売掛表記載の売掛残代金債権について被告が支払の責任を負わないものとすることに同意したことは明らかである。このような商法二六条一項の法定責任を解除する合意が有効なものであることは、同条二項の規定の趣旨に照らして疑問の余地がない。
被告の抗弁2の主張は理由がある。
四以上のとおり、原告の、主位的請求、予備的請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(山本和敏)
物件目録<省略>