東京地方裁判所 昭和52年(特わ)593号 判決 1980年3月26日
本籍
東京都葛飾区青戸五丁目一五一番地
住居
同 都足立区千住旭町九番一三号
会社役員
吉田三郎
大正一二年四月二九日生
本店所在地
東京都葛飾区金町六丁目一一番五号
株式会社萬大
元代表者代表取締役
吉田三郎
清算人
吉田三郎
右吉田三郎に対する所得税法違反、法人税法違反被告事件、右株式会社萬大に対する法人税法違反被告事件につき、当裁判所は検察官八代宏出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人吉田三郎を懲役一年及び罰金一八〇〇万円に、
被告会社株式会社萬大を罰金四五〇万円に
それぞれ処する。
被告人吉田三郎においてその罰金を完納できないときは金一〇万円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。
被告人吉田三郎に対し、この裁判確定の日から三年間その懲役刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、被告人吉田三郎の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
第一 被告人吉田三郎は、東京都葛飾区亀有三丁目一八番四号ほか一か所において、キャバレーを経営するかたわら不動産売買、貸金等を行なっていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、キャバレーの売上の一部、貸金利息収入及び土地売買共同事業からの受取分配金収入を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ
一 昭和四八年分の実際総所得金額が九四、八二七、六五三円(別紙(一)の修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、同四九年三月一五日、同都足立区千住旭町四番二一号所在の所轄足立税務署において、同税務署長に対し、同年分の総所得金額が七、〇五六、八一〇円でこれに対する所得税額が七三五、四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五七、三四一、五〇〇円(税額の算定は別紙(三)のほ脱税額計算書参照)と右申告税額との差額五六、六〇六、一〇〇円を免れ
二 同四九年分の実際総所得金額が二九、二二九、七五六円(別紙(二)の修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、同五〇年三月一五日、前記足立税務署において、同税務署長に対し、同年分の総所得金額が一〇、四〇三、一三二円でこれに対する所得税額が一、四二八、三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額一一、一五〇、五〇〇円(税額の算定は別紙(三)のほ脱税額計算書参照)と右申告税額との差額九、七二二、二〇〇円を免れ
第二 被告会社株式会社萬大(昭和四八年四月五日設立、同五〇年三月三〇日解散、現在清算中)は、東京都葛飾区金町六丁目一一番五号に本店を置き料理飲食店(キャバレー、クラブ)、浴場(サウナ)の経営等を目的とする資本金一、〇〇〇万円の株式会社であり、被告人吉田三郎は、同会社の代表取締役としてその業務全般を統括していたものであるが、被告人吉田は、右被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ
一 昭和四八年四月五日から同四九年二月二八日までの事業年度における同会社の実際所得金額が三七、七五一、二九九円(別紙(四)の修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、同四九年四月二七日同都同区立石六丁目一番三号所在の所轄葛飾税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が五五五、七四一円でこれに対する法人税額が一五五、四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出してそのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額一三、六三二、八〇〇円(税額の算定は、別紙(六)のほ脱税額計算書参照)と右申告税額との差額一三、四七七、四〇〇円を免れ
二 同四九年三月一日から同五〇年二月二八日までの事業年度における同会社の実際所得金額が一〇、一〇五、〇三一円(別紙(五)の修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、同五〇年四月一七日、前記葛飾税務署において、同税務署長に対し、欠損金額が一七、四三八、二四四円であって納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出してそのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額三、三二二、〇〇〇円(税額の算定は、別紙(七)のほ脱税額計算書参照)を免れ
たものである。
(証拠の標目)
判示第一、第二の事実につき
一 被告人の当公判廷における供述
一 被告人の検察官に対する昭和五二年一月一八日付、三一日付(全八丁のもの)、二月七日付(本文一八丁のもの)、三月二日付、五日付供述調書
一 田中基雄、影山義光の検察官に対する各供述調書
一 検察官作成の捜査報告書
一 収税官吏の小沢直に対するてん末書
一 押収してある売上仕入貸金関係元張一綴(昭和五二年押第一二五〇号の七)
判示第一の事実につき
一 第一二回ないし第一六回公判調書中の被告人の供述部分
一 被告人の検察官に対する昭和五一年一二月一三日付(二通)、一四日付、同五二年二月七日付(本文一三丁のもの)供述調書
一 収税官吏の被告人に対する昭和五〇年五月一五日付、九月二三日付質問てん末書
一 収税官吏作成の昭和四八年分損益科目調査元帳、同四九年分損益科目調査元帳
一 第六回公判調書中の証人林鉑淳、第七回公判調書中の証人岡本一之及び同金容斗、第八回及び第九回公判調書中の証人広国重雄、第一一回公判調書中の証人三木純夫の各供述部分
一 足立税務署長作成の証明書
一 松川信夫こと金容斗、星山正達こと趙正達、周本典夫こと周城会、周本昇の検察官に対する各供述調書
一 収税官吏の高野忠雄(三通)、広国重雄に対する各質問てん末書
一 東京都経済局金融部金融課長作成の捜査関係事項照会回答書
一 国税査察官作成の査察官報告書(二通)
一 水戸地方裁判所麻生支部昭和四九年(ケ)第七号競売事件記録写(但し抜すい)
一 千葉地方裁判所八日市場支部昭和四九年(ケ)第一六号競売事件記録写(但し抜すい)
一 領収証等を複写した書面(三通)
一 領収証を複写した書面
一 押収してある昭和四八年分所得税確定申告書一袋(前同押号の一)、同年分青色申告決算書一袋(同押号の四)、昭和四九年分所得税確定申告書一袋(同押号の二)、同年分青色申告決算書一袋(同押号の三)、念書等一綴(同押号の一一)、念書(原稿)一枚(同押号の一四)
判示第二の事実につき
一 被告人の検察官に対する昭和五一年一二月二七日付、同五二年一月三一日付(全六丁のもの)、二月一日付供述調書
一 登記官作成の株式会社萬大の登記簿謄本
一 収税官吏作成の株式会社萬大の昭和四九年二月期の損益科目調査元帳、昭和五〇年二月期の損益科目調査元帳
一 検察事務官作成の捜査報告書
一 押収してある昭和四九年二月期法人税確定申告書一袋(前同押号の五)、同五〇年二月期法人税確定申告書一袋(同押号の六)
(争点についての判断)
本件の訴因中、所得税法違反事実について争いがあるので、以下その争点に対する判断を示す。
一 雑所得中貸金利息収入の収入金額について
1 昭和四八年分広国重雄の関係について
昭和四八年分の広国重雄からの貸金利息収入金額について、検察官は月利二分五厘で貸付けた元金二、〇〇〇万円口の利息三ケ月分合計一五〇万円であると主張し、弁護人は右利息一か月分五〇万円である旨主張するので、この点につき判断する。
前掲収税官吏の広国重雄に対する質問てん末書、第八回公判調書中の証人広国重雄の供述部分、第一二回、第一四回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する昭和五一年一二月一四日付供述調書、押収してある売上仕入関係元帳一綴(昭和五二年押第一二五〇号の七)、取締役会議事録等一綴(同押号の八)によれば、広国に対する貸付の経緯は次のとおりと認められる。すなわち、被告人は昭和四八月六月二八日広国に対し二、〇〇〇万円を月二分五厘の約で貸付けたこと、広国はそのころ、この二、〇〇〇万円をさらに大宝企業株式会社に対し期間を三か月とし、横浜市磯子区杉田町の土地を担保にとって貸付けたこと(形式は買戻し条件付売買)、広国は右貸付と同時に登記済権利証等所有権移転登記申請に必要な書類を大宝企業株式会社から受取り、その後被告人に渡したこと、被告人は広国から同年六月二八日、七月二八日、九月二八日、一か月分の利息各五〇万円計一五〇万円の前払いを受けたこと、大宝企業株式会社は同年九月末ころの期限までに借金の返済をしなかったため(買戻権の行使をしなかったため)、杉田町の土地は広国の所有に帰したこと、広国は大宝企業株式会社から貸金の返済を受けられず、その結果被告人に対する借金の返済に困ったため、被告人と交渉し、同年一〇月一六日ころ、被告人との間で、広国が杉田町の土地の所有権を被告人に移転し、その代りに被告人は本件の貸金二、〇〇〇万円及び広国に対する別口の貸金一、〇〇〇万円のいずれについても返済を免除するとともに広国に対し現金一〇〇万円を交付する旨の口頭の約束をなし、被告人はそのころ一〇〇万円を交付したこと、広国は右交渉の際、杉田町の土地の時価は約六、〇〇〇万円と称していたが、被告人が同年一一月ころ調査したところ、傾斜地で利用価値がなく、他に売却できるような土地でないことが判明したため、立腹して右口頭の約束を破棄し、そのころ預かっていた登記済権利証等を広国に返還したこと、しかし、広国は被告人が先に交付した一〇〇万円を返還できなかったため、そのころ、被告人は前記売上仕入関係元帳(これはいわゆる裏帳簿であって、被告人はこれに公表外の貸金等の取引に関する記載をなしていたものである。)中の貸付の部「広国重雄横浜磯子」との見出しのある頁に「10月6日貸付一、〇〇〇、〇〇〇」との記載をなしたことが認められる。
ところで、弁護人は、被告人から広国に交付された一〇〇万円を利息の返還であるとし、これを根拠として前記の如き主張をなすのである。そこで、所論のように本件一〇〇万円の交付が利息の返還と認められるか否かにつき検討すると、たしかに、被告人及び証人広国も当公判廷で本件一〇〇万円の交付は支払済みの三か月分利息のうち二か月分を返還したものである旨供述しているけれども、前叙認定の経緯に照らすと、被告人が前払方式により収受していた利息は九月二七日までの分であるから、これを一〇月一六日になって返還しなければならない根拠は全く存せず、右一〇〇万円が支払われることになった理由は広国と被告人が前記代物弁済契約を結ぶにあたり、債権額合計三、〇〇〇万円に比し、対価である土地の価格が高いとみらられたため、右三、〇〇〇万円の債務を免れさせるだけでは双方のつり合いがとれないと考えられたためであると解されるのであり、たとえ証人広国及び被告人が当公判廷で供述するように一〇〇万円交付の話が、広国から二か月分の利息を返してくれという形で持ち出されたものであったとしても、一〇〇万円交付の合意の実質は、ひつきよう代物弁済契約の一部をなす追加金の支払の合意と認められるのであって、既に支払済みの貸金利息を返還するとの性質を有する合意であると評価することはできないのである(なお、その後、右代物弁済契約は破棄され、被告人は右一〇〇万円の返還を請求できることになったが、前記売上仕入関係元帳の記載は、右債権がこの時点で準消費貸借に更改されたことを示すものと考えられる。)。
以上のとおり、被告人が広国に対し、利息を返還したとの事実を認めることはできないから、弁護人の主張は採用しない。
2 昭和四九年岡本一之の関係について
昭和四九年分の岡本一之関係の貸金利息収入金額(但し仲介手数料控除済み)について検察官は月六分の割合による一四四万円であるとするのに対し弁護人は月三分の割合による七二万円である旨主張するので、この点につき判断する。
前掲第六回公判調書中の証人林鉑淳の供述部分、第七回公判調書中の証人岡本一之の供述部分、売上仕入関係元帳一綴(前同押号の七)によれば、被告人は林鉑淳の仲介により、岡本一之に対し、昭和四九年八月三〇日から四ケ月間(同年一一月三〇日まで)六〇〇万円を貸付けたこと、右貸付に際し、被告人は、右林に対し、最低利率のみを指定し、実際いかなる貸付利率を定めるかは林に一任するとともに、最低利率以内の分は自己の取り分とし、これを越える分は林が仲介手数料として取得することを承諾したこと、そして林は岡本に対し月八分の割合による利息を要求し、その旨の利息約定のなされたこと、岡本は右約定に従って利息の支払をなし、被告人は林の仲介手数料を控除した分を取得したことが認められる。
そこで右八分の月利のうち、被告人が取得すべき分がどの程度であったかについて検討するに、林はその検察官に対する供述調書において自分のとり分は二分位であった旨供述する一方、当公判廷では被告人の取り分は二分であった旨供述するのである(第六回公判調書中の証人林鉑淳の供述部分)。
しかして、各供述のいずれが信用できるかについて考察するに、たしかに、検察官の主張するとおり、林は被告人と一〇年来のつき合いがあり、また林にとって被告人は自己が金融業を営むにつき資金面での支援をしてきてくれた恩義ある人物であること、林は証言当時、返済できずに残っている被告人に対する債務が二、七〇〇万円もあり、被告人に対し申訳ないとの感情を抱いていたことなど、林が被告人の面前で被告人に不利益な事実を承認しにくい状況の存したことが認められるうえ、現に同証人の供述中には被告人に迎合したと思われる供述も存するのであって、これらの点に照らせば、直ちに林の前記公判供述に全面的に信を措くわけにはゆかず、林は被告人の取り分を少な目に供述しているのではないかとの疑問を留保せざるをえないのである。
しかし、他方、林の検察官に対する供述にも信用性に疑問がある。すなわち、林は当公判廷において、検察官の質問を受けた際、被告人の所得についてだけでなく、自己の所得についても大分問題にされたため、自己の所得に対する追及を防ぐべく、査察官や検察官に対し、自己の所得が少なくなるよう供述した旨述べているところ、右検察官調書中の林の訂正申立部分の記載内容等に照らすと、林に当時右のような気持が働いていたのではないかとの推測も十分できるうえ、仮に自己の取り分が月二分位であるとの林の前記供述が正しいとすると、被告人の取り分、すなわち、被告人の指定した最低利率は月六分位であったことになるが、これは売上仕入関係元帳に貸付利率(仲介者を介さずに貸付けた場合)あるいは指定した最低利率(仲介者を介して貸付けた場合)まで記入されている他の貸付の場合(右元帳に記載された貸付のうち、かなりのものがこの点の付記がされている)と比較し、高率にすぎるといわざるをえず(たとえば被告人が林に直接貸付ける場合には月二分の利息しかとっていないことが右元帳の記載により明白である)、右の差異を合理的に説明できる事情が認められるならば格別、そのような事情の存在を肯認しうるだけの十分な証拠も認め難い以上、林の検察官に対する前記供述の不自然さを否定することはできないのである。
以上のとおりであって、林の前記両供述とも措信できない面があるのであるが、結局、被告人にとってより有利である林の前記公判供述により、被告人の取り分については月三分の限度内でこれを認めることとし、昭和四九年分の岡本一之関係の貸金利息収入金額(但し仲介手数料控除済み)は合計七二万円と認定する。
3 昭和四九年分の埼玉プラスチック工業株式会社の関係について
(イ) 昭和四九年分の埼玉プラスチック工業関係の貸金利息収入金額(但し仲介手数料控除済み)について、検察官は貸付元本一、〇〇〇万円口について四〇万円、貸付元本二、〇〇〇万円口(貸付期間二か月)について一六八万円合計二〇八万円であると主張し、弁護人は一、〇〇〇万円口については被告人が貸付けた事実はなく、二、〇〇〇万円口については貸付期間は一か月であり、被告人の貸金利息収入金額は月三分の割合による六〇万円のみである旨主張するので、この点につき判断する。
(ロ) 前掲第六回公判調書中の証人林鉑淳の供述部分、第一三回公判調書中の被告人の供述部分、売上仕入関係元帳一綴(前同押号の七)によれば、被告人は林鉑淳の仲介により、埼玉プラスチック株式会社に対し昭和四九年七月三〇日から一か月間一、〇〇〇万円、同年一〇月三〇日から二か月間二、〇〇〇万円を各貸付けたことが明らかである。弁護人は元本一、〇〇〇万円口について、売上仕入関係元帳に右一、〇〇〇万円を貸付けた旨の記載がなされていないことから右貸付事実の存在を争うけれども、第一三回公判において、被告人自身その存在を認めており、証人林鉑淳も第六回公判で同旨の供述をしているのであって、これらに照らせば右貸付事実の存在を十分肯認しうる。また弁護人は元金二、〇〇〇万円口の貸付金につき売上仕入関係元帳に「49・10・30桑久保(埼プラ)49・11月30手形¥二、〇〇〇万」としか記載されていないところから、その貸付期間は一か月であると主張するが、第六回公判調書中の証人林鉑淳の供述部分によれば、右二、〇〇〇万円口の貸金については当初の貸付期間を少なくとも一か月は延長したことが明白であり、売上仕入関係元帳にその記載がないのは単なる付け落しにすぎないと認められるから、弁護人のこの点の主張も採用できない。
(ハ) 次に各貸付金の貸付利息について検討すると、これらも2の岡本一之に対する貸付金の場合と同様被告人は自分の取得すべき分のみを指定し、各貸付金につきどの程度の貸付利息をとるかは仲介者である林鉑淳に一任していたものであるところ、第六回公判調書中の証人林鉑淳の供述記載によれば、同人は埼玉プラスチック株式会社代表取締役桑久保某との間で右一、〇〇〇万円口については月利七分、二、〇〇〇万円口については月利八分と定め、右約旨に従った利息を桑久保某から受取ったというのであり、右が前述のような関係を有する被告人の面前でなされた供述であることに鑑みれば、右供述にかかる利率が真実の利率よりも圧縮されている疑いはあるにしても、少なくとも真実の利率より上回っていることはないものと認められる。なお、林の検察官に対する供述調書中のこの点に関する供述を検討すると、同人は、元金一、〇〇〇万円口の貸金については月利五分と定め、また元金二、〇〇〇万円口の貸金については二か月分合計で二一〇万円の利息(平均月利五分強)を約束受領した旨述べているけれども、被告人の面前でなされたものでありながら、より不利益な事実の承認を内容とする前記公判供述と比照すれば、右供述が自己の取り分を圧縮するため、元となる貸金利息自体をも圧縮せんとの意図に出たものであるとの疑いが濃厚であって、右供述があるからといって各貸金利息が月五分もしくは五分強を上回ることはないと認定することはできないのである。
なおまた、右供述調書中には、埼玉プラスチック株式会社の帳簿に元金一、〇〇〇万円口の貸金につき一〇〇万円の利息を支払い、元金二、〇〇〇万円口の貸金につき三九〇万円の利息を支払った旨の記載があることをうかがわせる供述記載があるが、右帳簿自体の証拠調べもなされていないし、また右帳簿に記載された金額は各貸金に対する利息だけでなく、埼玉プラスチック株式会社が林に対し本件各貸付の仲介手数料として支払った分も含まれた金額である疑いがあるので、右供述記載により本件各貸金利息が月七分あるいは月八分を超えていたと認定することはできないのである。
(ニ) そこで、さらに進んで被告人が指定、受領した取り分について検討するに、林は検察官に対する供述調書において、元金一、〇〇〇万円口については自己の取り分は月一分であった旨供述し、元金二、〇〇〇万円口については自己の取り分は二か月で合計四二万円であった旨供述し、他方公判廷では、各貸金につき被告人の指定、受領した取り分は月三分であった旨供述しているところ、前者の供述は自己の取り分を圧縮して述べている疑いがあり、後者の供述は逆に被告人の取り分を圧縮して述べている疑いがあるが、他に具体的に被告人の取り分を確定できる証拠がない以上、結局後者の供述により、被告人の取り分は月三分を下らないものであったと認定するほかない。
(ホ) そうすると、昭和四九年の埼玉プラスチック関係の被告人の貸金利息収入金額(但し、仲介手数料控除済み)は元金一、〇〇〇万円口について三〇万円、二、〇〇〇万円口について一二〇万円と認めるのが相当である。
二 貸金回収費用について
弁護人は太田勘左衛門に対する貸金に関して、
(イ) 昭和四九年四月一一日 三〇万円(任意競売手続の代行を依頼した大野茂を介し、水戸地方裁判所麻生支部に納付した予納金)
(ロ) 右同日 二〇万円(右大野を介し、千葉地方裁判所八日市場支部に納付した予納金)
(ハ) 右同日 二四万円(右大野を介し、千葉地方裁判所八日市場支部に任意競売申立の嘱託登記に要する登録免許税として納付した収入印紙の代金)
(ニ) 同年四月から一二月 一五万円(右大野に対し、任意競売手続代行に要する諸経費として渡した分の合計額)
合計 八九万円
の回収費用があるので、これを必要経費として認容すべき旨主張し、検察官はこれを争う。
星山こと趙正達の検察官に対する供述調書、被告人の当公判廷における供述、第一三回、第一四回、第一六回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する昭和五一年一二月一三日付供述調書(本文一六丁のもの)、国税査察官作成の査察官報告書(二通)、水戸地方裁判所麻生支部昭和四九年(ケ)第七号競売事件記録写(但し抜すい)、千葉地方裁判所八日市場支部昭和四九年(ケ)第一六号競売事件記録写(但し抜すい)、領収証等を複写した書面、売上仕入関係元帳一綴(前同押号の七)によれば、本件貸付及び回収の経緯として次の事実が認められる。すなわち、被告人は星山こと趙正達等の仲介により、昭和四八年四月二六日、茨城県鹿島郡波崎町の土地、千葉県銚子市の土地、家屋に抵当権の設定を受けて太田勘左衛門に対し、月利四分で、六、〇〇〇万円を貸付けたが、太田は同年末ころより利息支払いのために振出した手形を不渡りにするなど利息の支払を滞らせるようになったこと、そこで被告人は抵当権の実行をすることとし、その手続の代行を金融業をしていた仲介者趙の使用人である大野茂に依頼したこと、大野茂は右依頼に基づき、昭和四九年四月一一日、千葉地方裁判所八日市場支部に不動産競売の申立をし、続いて同日水戸地方裁判所にも同様の申立をしたこと、大野はその後も被告人に代わり必要の都度両支部へ赴き必要な手続をなしたこと、被告人の右競売申立に基づき、八日市場支部においては同月一五日、麻生支部においては、同年五月二〇日不動産競売開始決定をなし、そのころその旨の嘱託登記もなされたこと、その後各抵当不動産は競落となり、被告人は昭和五〇年四月三〇日八日市場支部から一、三三一万一、七四四円(内訳競売手続費用六一万八、一一一円、遅延損害金一、二六九万二、九三三円)の交付を受け、同年一二月一六日麻生支部から六、〇六〇万二、〇〇〇円(内訳競売手続費用一四〇万三、八一五円、元金六、〇〇〇万円、遅延損害金二、二七五万九、一七六円)の交付を受けたこと、大野は前示のとおり本件不動産競売について必要な諸手続を被告人の依頼により被告人に代って行っていたものであるが、被告人は右の依頼をなした際、実費は被告人の方で全て負担すること、金額の大きな費用については被告人にその費目を告げるべきこと、競売手続が完結した段階で謝礼を支払うことを申入れたこと、そして大野は被告人に代って前記競売申立をなすにあたり、被告人に対し、八日市場支部に納付すべき予納金として二〇万円、任意競売申立の嘱託登記に要する登録免許税として同支部に納付すべき収入印紙の購入代金として二四万円、麻生支部に納付すべき予納金として三〇万円が必要である旨告げて被告人から合計七四万円の金員を預かり、前記競売申立と同時に、被告人に代って、八日市場支部に対し予納金として二〇万円、登録免許税として収入印紙二四万円を納付し、麻生支部に対し予納金として三〇万円を納付したこと、右各予納金はその後不動産評価料等の競売手続費用に全額使用され、右収入印紙も全額登記嘱託書に貼付されたこと、被告人は競売代金交付の際、競落代金のうちから右を合計した七四万円を含め、競売手続費用として合計二〇二万一、九二六円の優先的交付を受けたこと、また大野は費目を告げて受取った右の七四万円の外に、昭和四九年中に多くて五回、小額の費用をまとめ、その費目の明細を告げず、単に競売に必要であるとのみ告げて、万単位で一回あたり多くて三万円を被告人から受取ったこと、大野は右の多くて合計一五万円を、各支部に予納する郵便切手等競売手続終了後返還されるか競売手続費用として優先的交付を受けうる費目に使ったほか、ガソリン代、文具代、宿泊費、昼食費等競売手続費用として競落代金中から交付することを請求できない費目に使ったこと、被告人は右の明細を聞かずに大野に渡した金員は万単位で渡しているため、大野が使う実費より若干上回ることは予想していたが、その差額を大野から返還を求める気持はなく、大野が報酬として取得することを認容していたことがそれぞれ認められる。
そこで右にのべた大野が被告人を代行して各支部に納付した予納金二〇万円及び三〇万円、同じく被告人を代行して八日市場支部に納付した収入印紙二四万円、被告人が大野に諸経費として渡した合計一五万円(正確には一五万円を上回らない金額)が貸金回収費用として必要経費と認めうるか否かにつき検討するに、まず、最後の一五万円については、前叙認定事実に照らし明らかなように被告人と大野との間で後日清算することが予定されていなかったうえ、大野の右一五万円の実際の使途中には、競売手続完了後未使用の場合返還され、使用した場合でも競落代金から競売手続費用として優先的に交付を受けうる予納郵便切手の購入等にあてられた分も一部あるが、大野が右金員を受けとる際には、受取る金員のうちどのくらいを右のような性質の費用として支出するかを明らかにせず、後日返還ないし優先的交付を受け得ない費用に充てる分も一括してその総額を被告人に告げ、他方被告人も両者の割合を尋ねることなく大野の告げた総額を大野に手交しているのであり、さらに大野に手交した金額と大野の使った実費との差額については被告人は大野がこれを報酬として取得することを認容していたが、右差額はさほど大きいものではないと推認され、かなりの時間と労力を要する本件競売手続の代行の報酬として決して高額すぎるものとはいうことができないと思料されることなどの点に鑑みると、本件一五万円を全額貸金回収のために要した費用として必要経費に含ましめるのが相当であり、これを立替金あるいは仮払金として処理すべきであるとかそのうち一部は所得の処分であるとするのは相当でないとしなければならない。
しかし、その余の合計七四万円の支出は被告人の所得金額の計算上必要経費となるものでないと判断される。すなわち、収入印紙二四万円は、登録免許税として納付されたもので、競売手続費用であり、予納金計五〇万円は不動産評価料、賃貸借取調手数料等の競売手続費用に充当されるものであるところ、競売手続費用は競売物件が競落となった場合競落代金中から優先的に交付を受けうるのであり、競売手続費用は最終的には競売に付せられた物件の所有者が負担するものであって、競売申立人が予納金や登録免許税を支出するのは競売手続を進行させるためにいわば立替払いをしているにすぎないのである。なお、予納金中競売手続費用として使用されなかった残額は競売手続完結の際返還されるものである。これらに照らすと、申立人の納付する予納金や登録免許税は本来立替金ないし仮払金たる性格を有するものであって、ひっきよう返還請求権の留保されているものであるから、必要経費となるものでないと解すべきであり、本件の場合においても、大野を介してなした右七四万円の支出につき被告人がその費目や金額を了知していなかったのであるならば格別、前叙のとおり大野からこれを知らされていた以上、これを必要経費とみることはできないといわなければならないのである。
以上のとおり、弁護人主張の八九万円のうち一五万円のみを必要経費として認容すべきであり、その余の七四万円についてはこれを必要経費として認容すべきでないと思料される。
三 貸金の貸倒れについて
弁護人は、三和地所株式会社に対する二、〇〇〇万円の貸金が同会社の倒産によって回収不能となった旨主張し、検察官は、右貸金は昭和四九年一二月三一日の時点においては回収可能であり、貸倒れにならない旨主張する。
第七回公判調書中の証人金容斗の供述部分、第一一回公判調書中の証人三木純夫の供述部分、第一四回、第一五回、第一六回公判調書中の被告人の供述部分、松川信夫こと金容斗の検察官に対する供述調書、被告人の検察官に対する昭和五一年一二月一四日付、同五二年二月七日付(本文一三丁のもの)供述調書、押収してある売上仕入関係元帳一綴(前同押号の七)、念書等一綴(同押号の一一)、念書(原稿)一枚(同押号の一四)によれば、三和地所に対する貸付金に関して、次の事実が認められる。すなわち、新和興産株式会社(代表取締役三木純夫)は三和地所株式会社から八、〇〇〇万円の借入れの申込みを受けたが、資金が不足であったため、三木純夫は金融を業とする同和産業株式会社を経営する金容斗に残額の出損を勧誘し、金容斗は自分に資金がなかったため、さらに、被告人及び株式会社希利屋の経営者三井某に出損方勧誘し、被告人及び三井はそれぞれが取得する利息の半額を同和産業に交付するとの条件でこれを承諾し、結局新和興産が四、〇〇〇万円被告人及び希利屋が各二、〇〇〇万円の出損することになったこと、そして昭和四九年六月中旬ころもしくは七月中旬ころ、それぞれが出損した合計八、〇〇〇万円を、新和興産が代表して、三和地所に対し、返済期限同年一〇月八日、返済額利息を含め一億円、担保として三和地所はその所有にかかる箱根の別荘地を提供する、具体的には買戻し条件付売買を原因とする三和地所から新和興産への所有権移転登記に同意するとの約で貸付けるとともに、同年七月一日右買戻し条件付売買による所有権移転登記を了したこと、被告人は右出損の前後ころ、金容斗を通じ、他の共同出損者である新和興産、希利屋との間で、返済期限までに三和地所から元利一億円の支払のあったときは各出損者は出損額に応じて利息を取得する、三和地所において返済期限までに元利金の支払をなさなかったときは(買戻し権を行使しなかったときは)新和興産が責任をもって右箱根の土地を売却し、売却代金は各出損者が出損額に応じて取得する、右売却に至るまでは、右土地については各出損者が出損額に応じた持分で共有するとの合意をなしたこと、新和興産は同年八月一七日、前記のとおり新和興産に所有権移転登記のなされた箱根の土地につき、朝銀東京信用組合のために一億円の抵当権を設定したこと(なお、右抵当権の設定が他の共同出損者の同意を得てなされたものであるかどうかについては判然としないところがあるが、この点は結論に影響しない。)、三和地所は本件貸金の返済期限である同年一〇月八日より前に手形不渡りを出して倒産し、経営者は所在不明となり、もとより、前記元利金合計一億円の支払(買戻し権の行使)をなさなかったこと、同年一〇月九日になって、右箱根の土地について、登記簿上三和地所の前所有者であった坂口フサ子の申立により東京地方裁判所のなした処分禁止の仮処分の登記がなされたこと、まもなく、右坂口フサ子から新和興産及び三和地所を被告とする所有権にもとづく登記抹消請求の本案訴訟が提起されたが、昭和四九年一二月末日現在未だ右訴訟は係属中で、右仮処分登記は同日までに抹消されなかったこと(なお、右本案訴訟は当初から勝訴の見込が強かったものであり、現に昭和五一年六月に勝訴判決確定により右仮処分登記は抹消されるに至っている。)、新和興産の設定した前記抵当権の登記も昭和四九年一二月末日までに抹消にならなかったこと、新和興産は右同日現在営業を継続していたこと、被告人は昭和五〇年以降においても三木純夫に対し「利息はともかく元本位なんとかしろ」などと度々督促していたことがそれぞれ認められる。
そこで以上の事実関係に照らし、本件二、〇〇〇万円の貸金につき、昭和四九年一二月末日の時点において貸倒れになっていたか否かについて検討するに、税法上債権を貸倒れとして認定しうるためには、債権全額について回収の見込みのないことが客観的に認められ、かつ、債権者においてこれを取立てる意思が明確に存しないことが必要であると解すべきところ、前叙のとおり、三和地所は昭和四九年一〇月八日の返済期限までに元利合計一億円の支払をなさなかったのであるから、箱根の土地は最終的に被告人らの前示の持分割合による共有に帰し、かつ、新和興産はすみやかに自ら設定した抵当権を抹消したうえで箱根の土地を売却し、その売却代金を出損額により按分して被告人らに交付すべき義務を負担するに至ったのであり、したがって、被告人としては新和興産に右義務を履行させることにより(なお、昭和四九年一二月末日現在抵当権設定登記は抹消されていなかったが、当時新和興産は営業を継続していたのであるから、朝銀東京信用組合に対し債務を弁済して右抵当権設定登記を抹消したうえ右土地を売却することが事実上不能であったとはいえない。)、本件貸金を回収しうる見込が客観的に存したことが認められる。もっとも、本件土地については昭和四九年一二月末日現在においても処分禁止の仮処分の登記の存したこと前叙のとおりであるが、仮処分はその名の示す通り暫定的なものであるうえ、本件仮処分の本案訴訟は当時から勝訴の見込が強かったものであるから、本件仮処分の登記が存したことにより、本件土地の売却を一時留保せざるを得なくなった点は否めないとしても、本件貸金の回収見込がなくなったとはいえないのである。
そのうえ、被告人は前叙のとおり、昭和五〇年以降においても、三木純夫に対し、度々「利息はともかく元本位はなんとかしろ。」などと言って、新和興産の前記義務の履行を求めていたものであり、昭和四九年一二月末日現在において、被告人が貸金二、〇〇〇万円の回収をする意思を有していたことが明白に認められるのである。
以上のとおり、本件貸金については、その回収の見込がなかったとも、被告人においてこれを取立てる意思もなかったともいえないのであるから、弁護人の本件貸倒れの主張は採用の限りでない。
四 貸金利息収入と所得の種類について
弁護人は、被告人の昭和四八、九年の収入中貸金利息は雑所得でなく事業所得である旨主張する。
被告人の当公判廷における供述、第一二回ないし第一六回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する昭和五一年一二月一三日付(本文一六丁のもの)、一四日付、同五二年二月七日付(本文一三丁のもの)供述調書、押収してある売上仕入関係元帳一綴(前同押号の七)等関係証拠を総合すれば、たしかに弁護人の指摘するごとく、被告人が昭和四八、九年中に他に貸付けた金員は総額で二億円を超えること、貸付の相手方数は一七名位であり、延べ貸付回数は少なくとも二十数回を超えること、昭和四八、九年中における貸金利息収入は六、五〇〇万円を超え、全収益中に占める割合は二割を超えることが認められる。
しかし、右のような事情だけで直ちに被告人が金融業を営んでいたものと断定することは早計である。そもそも金銭の貸付行為が所得税法上事業所得の源泉としての「事業」に該当するかどうかについては、貸付の回数、金額、利息収入金額等の大小がその判断の重要な要素となることは否めないが、それのみによって決すべきでなく、これらを含めた諸般の状況を総合勘案して、右貸付行為が営利の目的で独立的、有機的、継続的に遂行され、社会通念上事業と称するに足る実体を有すると認めうるか否かにより判断すべきものである。
そこでこの観点からさらに関係証拠を精査すると、本件においては前述のような事情の存する一方、他方において次のような事情も存することが認められるのである。すなわち、被告人はかねてより飲食店等を経営し、これにより生活の資を得てきたもので金融を生業としてきたものではないこと、被告人は貸金業の届出はしておらず、貸付業務を行うために事務所を設けたり、使用人を雇ったり、図書を購入したりしたこともないこと、貸金関係を記載した帳簿としては売上仕入関係元帳一綴(ただし、実際には帳簿名の記載されていないルーズリーフ式の帳簿)があるのみであるが、被告人は右にすべての貸付金を記載していたものでなく、記載もれになっている貸金もかなりあると思われ、また、記載されているものについてもその記載内容はかなりずさんであり、前記元帳は貸金管理のための帳簿というには不正確不備なものであり、むしろメモに近いものであること、被告人は自己が金銭の貸付を行なっていることを示す名刺看板等を作ったことのないことはもちろん、個別的な形での貸金の勧誘を含め、一切の宣伝、広告活動をこれまで行なったことはないこと、被告人が貸付をした相手方あるいは貸付の仲介をした者の中には数名の金融業者が含まれるが、これらの者はいずれも被告人の前からの友人知人であること、被告人が貸付けた相手方には被告人の友人知人でないものもいるが、被告人は被告人の友人知人からの依頼でこれらの者に貸付けたものであり、友人知人を介さないで貸付けた事例はないこと、被告人が直接借主との間で合意した貸金利息の利率ないし被告人が自己の受取り分として仲介人に指定した最低利率は殆んどが月三分位であり、いわゆる街金融の利率に比べれば、かなり低いこと、貸付資金は一部信用金庫等の金融機関からの借入によって調達されているが、大半は被告人がこれまで蓄積してきた自己資金及び被告人の設立経営にかかる株式会社萬大等からの借入金によってまかなわれていること、被告人は貸付に際し担保権の設定を受けた場合もあるが、多くは約束手形等の振出を受けるだけで物的担保を徴せず、また物的担保を徴した場合でも物件の担保価値等についての事前調査は他人まかせにするなどしていたことなどが認められるのである。
そして以上の事情を合わせ考え、さらに被告人は昭和五〇年五月一五日付質問てん末書において「金融業を行なって儲けるということは全く考えたことはなく友人から貸してほしいとせがまれるので、やむを得ず融資したものです。」と述べ、同年九月二三日付の質問てん末書において、「友人の金融業林鉑淳に生活に困っているから何とかしてくれといわれて私の貸金の仲介を林にやらせました。」と述べ、さらに当公判廷においても「事業としてという意思はあまりありませんでした。というのは宣伝したこともないし、せがまれるので貸付けてやっただけだからです。これで儲けてやろうという気はあまりありませんでした。」と述べていることなども考慮すれば、被告人の行なった本件貸付行為は、これを全体としてみても、未だ営利の目的で一個の独立の企業として有機的継続的に遂行されたものとは認め難く、金融業としての社会的実体をもったものとはいえないから、これが所得税法上の事業に該当すると認めることはできないのである。したがって、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人につき
各所得税法二三八条一項、二項(懲役刑及び罰金刑併科)、各法人税法一五九条一項(懲役刑及び罰金刑併科)、刑法四五条前段、懲役刑につき同法四七条本文、一〇条(犯情最も重いと認める判示第一の一の罪の刑に法定の加重)、罰金刑につき同法四八条二項。刑法一八条。懲役刑につき刑法二五条一項。刑訴法一八条一項本文
被告会社につき
各法人税法一五九条一項、一六四条一項、刑法四五条前段、四八条二項
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 須田賢)
別紙(一)
修正損益計算書
吉田三郎
自昭和48年1月1日
至昭和48年12月31日
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
別紙(二)
修正損益計算書
吉田三郎
自昭和49年1月1日
至昭和49年12月31日
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
別紙(三)
課税総所得金額及びほ脱税額計算書
吉田三郎
昭和48年分
<省略>
昭和49年分
<省略>
別紙(四)
修正損益計算書
株式会社 萬大
自昭和48年4月5日
至昭和49年2月28日
<省略>
<省略>
別紙(五)
修正損益計算書
株式会社 萬大
自昭和49年3月1日
至昭和50年2月28日
<省略>
<省略>
別紙(六)
ほ脱税額計算書
株式会社 萬大
自昭和48年4月5日
至昭和49年2月28日事業年度分
<省略>
別紙(七)
ほ脱税額計算書
株式会社 萬大
自昭和49年3月1日
至昭和50年2月28日事業年度分
<省略>