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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)11946号 判決 1983年3月04日

原告

松永梭雄

右訴訟代理人

河和松雄

中山修

河和哲雄

河和由紀子

小林健治

住田昌弘

被告

松永芳生

右訴訟代理人

木村健一

原美千子

徳永健

林信彦

主文

一  本件訴訟は、昭和五七年五月二七日の訴えの取下げにより終了した。

二  昭和五七年七月二一日付書面による口頭弁論期日指定申立て以後の訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

一、二<省略>

三1  原告訴訟代理人が本件期日指定の申立ての事由として述べるところは、原告が未成年者、禁治産者ではないことが明らかな本件において、要するに、「原告は昭和五三年一二月二日に本件訴えを提起した時点においてはその意思能力を有していたが、昭和五七年五月二六日の、本件取下書を作成した時点においてはその意思能力を喪失していたので、右取下げは無効である。」というものである。

2  本件記録によれば、原告は、昭和五三年一二月二日に当裁判所に対し、被告を相手方として本件訴えを提起し、昭和五七年五月二七日に当裁判所に対し、被告が訴えの取下げに同意する旨の記載のある同月二六日付の訴えの取下書を提出していることが明らかであるところ、適法に係属した訴訟においても、以後になされる個々の訴訟行為につき、これを行う当事者の意思能力に欠缺があれば、当該訴訟行為は無効というべきであるから、原告が本件取下書を作成した時点において原告にその意思能力があつたかどうかについて以下判断する。

(一)  <証拠>並びに本件記録によれば、

「原告は、明治三二年一月二五日に生まれ、長男仁、三男被告など六子をもうけたが、昭和四七年一二月に夫に先立たれ、その遺産である本件土地建物の分割方法をめぐつて相続人の間で争いが生じ、昭和四八年六月に長男らとともに被告を相手方として東京家庭裁判所に対し、遺産分割の調停を申し立てたが、同年暮れごろから不眠、意欲減退、疲れ易さ、食欲不振等の不定愁訴がみられるようになり、昭和五〇年一〇月三日から同年一一月一四日までの間は高血圧症、老人性白内障のため大宮赤十字病院に入院し、昭和五一年一月一四日には脳軟化症等の治療のため同病院に再度入院したが、病状に特段の改善がみられないまま同年三月一三日退院したものの、脳軟化症治療のため従来から服用していたエンボール錠の副作用で身体に発疹が出現したため同年四月末ごろ、同病院に三たび入院し、そのころエンボール錠の服用を中止した。その後、同年八月ごろから原告は物事を自発的に行うことが更に少なくなり、自室にこもりがちで、物忘れもひどくなり、昭和五三年一〇月ごろ、東京医科歯科大学精神科の島薗医師から老年痴呆との診断を受けた。」ことが認められる。

(二)  原告が本件訴えを提起したのは、昭和五三年一二月二日のことであるから、当時、原告が右老年痴呆の影響下にあつたことは否めないが、それにもかかわらず、その三男である被告に対して本件訴えを提起することの意味を理解し、その結果を予期し、判断しえたことは弁論の全趣旨から明らかである。

(三)  本件訴えを提起してからの原告の右症状の経過については、前掲証拠によると、

「原告は、本件訴えを提起した後の昭和五五年五月三〇日ごろから約二〇日間東京都養育院付属病院精神科に入院し、担当医師木戸又三により脳動脈硬化性痴呆と診断されているが、右入院期間中無気力と明らかな記銘力の減退が認められ、入院当日失禁するなど若干の異常がみられはしたものの翌日から退院までの間は入院生活には全く破綻がみられなかつた。」

ことが認められる。

また、原告の日常の生活状況については、<証拠>によれば、

「原告は、被告が歯科医院を開業している本件建物の一階六畳間と八畳間に一人で起居し、三度の食事のため近くに居住する長男方に赴くほかはほとんど外出することなく本件建物内で過ごしていたが、昭和五五年七月に自転車と衝突して恥骨を骨折して入院し、九月末ごろ退院した後は、長男の妻久子に三度の食事を本件建物まで運んで来てもらうようになつた。また、昭和五六年九月ごろからは食事時などに昔の歌を歌つたり、ティッシュペーパーを用いてかんじんよりを作つて遊んだり、時折幼児語を使つたり、夜一人で寝巻のまま外を出歩いたりするようになり、時折失禁することもあつたが、原告の身の回りの世話については、久子から食膳や布団の上げ下げや週に一回、部屋の掃除をやつてもらうほか同女に週に一回程度入浴させてもらうぐらいでこのほかは特段他人の手を借りることなく生活し、昼間は食後に本件建物内にある歯科医院の控室へ出入りして従業員と普通に雑談したり、同所や自室でテレビを見たり昼寝をしたりし、またには歯科医院で用いるレセプトの右上部分に松永歯科の印を押すことや同医院で用いる洗濯物のタオルをたたむことを手伝つたりし、被告が中野の家に帰り、久子が夕食の膳を下げた後は本件建物には原告一人となるが手洗い等は支障なく行けるし、冬期においては自室を出る際や寝る際は電気ストーブのスイッチを原告自ら切るなどしていて特段の問題は生じていない。」

ことが認められる。

(四)  昭和五七年九月一〇日の当裁判所における第二回目の原告本人尋問の際の原告の供述態度は、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起、追行を委任したこと、本件取下書を作成したことなどは忘却したと供述するなど本件訴訟に直接関係する事項についての記憶は極めて曖昧であるが、他方、自分の家族関係、日常生活などに関することについては比較的明瞭に記憶しており、原告が長男仁、その妻久子、三男被告などとの前記の日常生活の中で自分の置かれている立場・境遇を十分認識し、わきまえており、更に原告は尋問の意味内容を的確に把握した上で、問いに対し記憶のある限度で適切な応答をし、本件取下書を、その本文、日付、署名が自分の筆跡によるものであることを認識した上、明確に朗読することができ、その意味、内容が三男である被告との間で本件土地、建物の所有権の帰属について争つて来た本件訴訟を取りやめにするものであることを理解しており、前記本件訴訟に直接関係する事項についての記憶の曖昧さが右の立場・境遇の影響によるというのはうがちすぎであるとしても、その曖昧さを直ちに原告の意思能力の有無に結びつけうるものではない。

(五)  本件取下書が当裁判所に提出されるに至つた経緯につき、被告本人は、

「被告は、昭和五六年春ごろから何度か原告から本件訴訟を取りやめにしたいといわれていたため、昭和五七年四月ごろ、訴訟手続を終了させる方法を教示してもらうべく知合いの浅見東司弁護士のもとを訪れ、同弁護士から、それには訴えの取下げという方法があること及びその手続、書式を教わつた上、本件取下書の下書を書いてもらい、右下書を同年五月二六日、本件建物内で原告に見せ、訴えの取下書を裁判所に提出すれば本件訴訟が終了する旨を説明した。原告は、これに応じて右下書を見ながら本件取下書を自書し、署名した上で自ら買い求めてきた「松永」の印章を押捺し、その左に指印して作成した。そして、被告が原告署名の左側余白に右訴えの取下げに同意する旨記載して署名、押印した後、原告が宛名、差出人を自書し、封筒に入れて投函した。」

と供述(第二回)する。

原告が被告に対し、「本件訴訟を取りやめにしたい。」と述べることは、前記(四)の原告の立場・境遇に鑑みれば、十分にありうると考えられるところであつて、仮に、原告が長男仁又はその妻久子に被告に対して述べたことと正反対のことを述べていたとしても、そのことから、直ちに原告が被告に対し、右のようなことを述べたことを否定することはできない。被告本人の供述(第二回)は、その意味において、信用することができる。

(六) 第一審の終局判決言渡前の訴えの取下げは、控訴の取下げとは異なり、紛争について公権力による解決を求めないという程度の訴訟行為にとどまり、かつ、本件訴えは親子間の紛争であることも勘案すると、原告が本件訴えを取下げるには、訴えの提起に要したのと同程度の判断能力を有すれば十分であると解するのが相当というべく前記事実によれば、原告は、被告に対して本件訴えを提起した時点で、その意味を理解し、その結果を予期し、判断しえたのであるから、被告に本件訴訟を取りやめにしたいと述べてから本件取下書を作成した時点にかけて、八三歳と四カ月の高齢に達し、脳軟化症等に罹患していたとはいえ、右訴えを取り下げることの意味、効果を理解する能力を有し、その意思能力に基づいて本件取下書を作成し、当裁判所に提出したものと推認することができ、前記(三)の症状・状況も右の推認を左右するものでない。他に右推認を妨げ、訴えの提起から取下書の作成にかけての間に、原告に右判示程度の能力も欠けるようになつたことを認めるのに足りる証拠はない。

3  そうすると、原告が本件取下書を作成した時点において原告の意思能力に欠缺があつたとは認められないので、結局、本件訴えの取下げは有効というべきであるから、本件訴訟は、昭和五七年五月二七日の訴えの取下げにより終了したものというべきである。

4  よつて、原告訴訟代理人の昭和五七年六月二一日付書面による口頭弁論期日指定の申立ては理由がないから、終局判決をもつて主文のとおり判決することとし、口頭弁論期日指定の申立て以後の訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(榎本恭博 滝澤孝臣 奥田正昭)

目録<省略>

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