東京地方裁判所 昭和53年(ワ)12835号 判決 1982年1月25日
原告
下兼尚之
右訴訟代理人
岡田克彦
同
清水恵一郎
同
須黒延佳
被告
国
右代表者法務大臣
坂田道太
右指定代理人
松岡敬八郎
外八名
被告
関根計孔
右被告ら訴訟代理人
神原夏樹
主文
一 被告国は、原告に対し、金一五万円及び内金一〇万円に対する昭和五四年一月二一日から、内金五万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告国に対するその余の請求及び被告関根計孔に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告国との間においては原告に生じた費用の五分の一を被告国の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告関根計孔との間においては全部原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自金五〇万円及び内金三〇万円に対する昭和五四年一月二一日から、内金二〇万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和四六年一一月二六日、麹町郵便局(以下「麹町局」という。)に採用され、昭和四八年一二月二〇日、郵便事務官に任ぜられたが、採用以来麹町局集配課(昭和五三年七月一八日以降第一集配課)に勤務している。なお、昭和五二年四月七日以前から、訴外全逓信労働組合麹町支部(以下「訴外全逓麹町支部」という。)所属の組合員である。
被告関根計孔(以下「被告関根」という。)は、昭和五〇年三月以来、麹町局集配課課長代理である。
2 訴外麹町郵便局長鎌田達郎(以下「訴外局長」という。)は、昭和五二年八月一〇日、原告に対し、原告が、同年四月七日、麹町局庁舎に、別紙ステッカー図記載のステッカー(以下「別紙ステッカー」という。)をちよう付したことを理由に、訓告処分をした(以下「本件処分」という。)。
3(一) しかしながら右処分は、その処分事由が存在しないにもかかわらずされたもので、違法である。
(1) 昭和五二年四月七日午後六時三〇分ころ、ともに麹町局集配課勤務の郵政事務官で、訴外全逓麹町支部所属組合員である訴外花山康美(以下「訴外花山」という。)及び訴外大西博(以下「訴外大西」という。)は、訴外花山の持つていた三枚の別紙ステッカーを麹町局職員通用口ポーチ(以下「本件ポーチ」という。)内に二人で分担してちよう付する旨話し合い、訴外花山において監視員窓口(以下「監視窓口」という。)の窓ガラス上部に、別紙ステッカー一枚をちよう付し(別紙麹町郵便局職員通用口付近見取図―以下「見取図」という―点)、訴外大西において前記通用口のアクリル製掲示板に、別紙ステッカー二枚をちよう付した(見取図点)。
訴外花山は、右のとおり別紙ステッカーをちよう付したのち、訴外大西の方を振り返つて見取図点まで進み、同人のちよう付作業を見ていたが、そのとき、見取図記載の道路C上(以下見取図記載の道路については「道路C」のようにいう。)、本件ポーチから三五ないし四〇メートル離れた見取図①点付近を、何者かが自転車に乗つて本件ポーチの方に近付きつつあるのに気付いた。暗くてよく見えなかつたものの、自転車の後部荷台に郵便物用の箱を積んでいたことと輪郭とから、被告関根ではないかと考えた。そこで訴外大西に、被告関根の接近を気付かせるため、「帰ろう、帰ろう」と声をかけ、そのころ前記通用口から出てきた訴外曽山正道(以下「訴外曽山」という。)と共に、早足で道路Bを、靖国通り方面に歩いて行つた。
訴外大西は、訴外花山の言つた意味を解することができず、被告関根の接近に気付かないまま作業を続け、二枚目の別紙ステッカーをはり終えた。そのとき、被告関根は、見取図④点で、自転車から降り立ち、前記掲示板前にいる訴外大西に対し、「何をしているのだ。ステッカーはりはやめなさい。現認したぞ。」と声をかけた。訴外大西は、これに驚き、被告関根の方を振り向いた。それから急ぎ足で、訴外花山らのあとを追つて、道路Bを靖国通り方面へ向かつた。
被告関根は、訴外大西らを追うことなく、「大西君、はがしなさい。そこにいるのは誰だ。」などと言つた。
(2) ところで、当日の日没時刻は午後六時七分であり、天候は、午後六時まで雨のち曇、同時刻以後は曇であつた。
本件ポーチ付近には、見取図記載のとおり街灯が二本あり、点灯されてはいたものの、本件ポーチ内の明るさにはほとんど影響しなかつた。また、本件ポーチには天井に埋込式の照明があるが、オイル・ショック後で節電が強調されていたうえ、前記通用口は、夜間には出入がほとんどないことから、点灯されていなかつた。
したがつて道路Cから本件ポーチ内を見ても、暗くて見えにくい状況であつた。
(3) 前記のとおり、被告関根は、訴外大西がアクリル製掲示板に別紙ステッカーをちよう付した事実は、間近で確認したものの、訴外花山とは、すぐ近くで顔を合わせる等、確認することのできる状況にはなかつた。しかるに、見取図①点付近を走行中に、(2)記載の状況のため、右訴外花山を原告である旨誤認し、監視窓口に別紙ステッカーをちよう付したのは原告であると思い込んだのである。この思込みに加えて、原告が、右同日、監視窓口の窓ガラス上部に、別紙ステッカーをちよう付するのを目撃し、その後、原告が訴外大西とともに本件ポーチ内に立つているときに、すぐ近くから、右両名の名を挙げ、現認した旨通告したとの虚偽の内容の現認書を作成し、訴外局長に提出した。
(4) ところで、原告は、右同日朝、軽い頭痛のためすぐに起きられず、寝過ごして遅刻したが、出勤し、午後二時五七分まで勤務した。その後入浴し、着替えをして、午後四時少し前に麹町局を出て、午後五時ころ、当時の住所地である東京都目黒区自由ケ丘のアパートに帰宅した。その後は外食に出ただけで、アパート自室に一人で休んでいた。
したがつて、原告が右同日午後六時三〇分ころに本件ポーチ内あるいは付近にいた事実はない。
以上ととおり、訴外局長は、前記現認書の記載内容が事実に反するにもかかわらず、これを軽信したため、原告が監視窓口に別紙ステッカーをちよう付した事実が存しないのに、これを処分事由として、本件処分をするに至つたのである。
(二) 本件処分は、処分権者である訴外局長が、行うべき調査を尽くさず、不十分な資料に基づいて判断したため、処分事由がある旨誤認してしたものであり、違法である。
本件につき被告関根の提出した現認書によれば、被告関根は、帰庁してくる途上、日没後の午後六時三〇分ころ、本件ポーチ内において、原告が別紙ステッカーをちよう付するのを、一人で目撃した、というのである。一般に郵政省が、組合活動等にかかわる行為につき処分を行うに当たつては、少なくとも二人以上の目撃者の現認書をもつて、事実の確定を行うのが通例である。したがつて、訴外局長が本件処分を行うためには、右目撃状況に照らし、現認書の記載内容を軽信することなく、慎重な裏付調査を行うべきであつた。ところで、別紙ステッカーが本件ポーチ内にはられた翌日、訴外麹町局庶務会計課長米田宏(以下「訴外米田」という。)は、原告及び訴外大西に対し、右ちよう付行為について、順次事情を聴取したが、その際、原告は前日、監視窓口の窓ガラス上部にステッカーをちよう付したことを否定し、訴外大西は自らが本件ポーチ内にいたことは認め、ちよう付行為を暗に認める態度を取りながら、本件ポーチ内には他に誰もいなかつたと述べているのである。もし被告関根において、前日、右両名をすぐ近くから確認し、その面前で右両名の名を挙げ、現認した旨通告していたのであれば、右両名が右のような供述をし、態度を取ることはありえないはずである。しかも、訴外米田は、その後本件処分に至るまでの間に、当時訴外全逓麹町支部書記長であつた訴外坪井利明(以下「訴外坪井」という。)から、監視窓口に別紙ステッカーをちよう付したのは、原告ではなく別の者である旨告げられていた。
したがつて、被告関根が、別紙ステッカーちよう付につき右のような目撃状況を報告していたのであれば、その報告内容には合理的な疑いがさしはさまれたというべきである。しかるに、訴外局長は、監視窓口に別紙ステッカーをちよう付した者が原告であることを支えるべき資料としては、被告関根の右報告をおいて他になく、右報告には合理的な疑いがさしはさまれている状況であるにもかかわらず、右報告を軽信し、関係者からの再度の事情聴取等の調査を行うことなく、安易に本件処分に及んだのである。したがつて、本件処分は違法たるを免れず、右事実に照らせば、訴外局長の事案の調査、判断過程に過失があることは明らかである。
(三) 処分権者が職員に対し、その非違事実につき訓告等の処分を行う場合には、あらかじめその職員に非違事実について十分な弁解の機会を与えなければならない。しかるに、前記のとおり、ちよう付当日の翌日、訴外米田が原告から事情聴取をした際、同訴外人は、原告に対し「昨日ステッカーをはつたか」と聞いただけで、非違事実の発生した日時、場所及び行為態度について十分告知せず、原告がステッカーをちよう付したことをはつきり否定し、逆に右の各点について質問をしたにもかかわらず、これに答えることなく、一方的に事情聴取を打ち切つた。その後は原告は事情を聴取されることもなく、十分な弁解の機会は与えられなかつた。
したがつて、本件処分は、原告に十分な弁解の機会を与えずになされたもので、違法である。
(四) 昭和五二年四月七日当時、訴外全逓信労働組合(以下「訴外全逓」という。)は春闘中であつたため、麹町局庁舎には、所属組合員らによつてステッカー等がはられていた。本件処分の対象となつたステッカーちよう付も、右争議行為の一環としてなされたのである。麹町局において、ステッカーのちよう付をもつて訓告等の処分がなされた例は、本件に至るまで皆無であつたのであり、本件処分は、訴外全逓の団結行動を不当に制約し、これに介入するもので、違法な処分である。
4 訴外花山によつて監視窓口にステッカーがちよう付されたこと及び当時の状況は、3(一)(1)及び(2)に述べたとおりである。したがつて、被告関根は、本件ポーチ内で訴外大西及び原告と間近に相対し、二人の面前で両名の名を挙げ、現認した旨通告した事実が存しないことを十分承知しており、かつそのような虚構の事実を訴外局長に報告すれば、原告が本件処分を受けることになることを承知しながら、あえて右虚構の事実を報告し、訴外局長をして本件処分を行わせるに至らしめた。
仮に、被告関根に右故意が認められないとしても、前記3(一)(1)及び(2)の状況からすれば、右のとおり報告したことには重大な過失が存する。
被告関根の右報告行為は、本件処分自体とは異なる別個の行為であり、同人が国家公務員であることをもつて、個人として負うべき不法行為責任を免れる理由はない。
5(一) 原告は、処分事由を欠くのに本件処分を受けたに止まらず、昭和五三年四月の定期昇給の際、本件処分を含めると、一年以内に訓告三回となり、郵政省と訴外全逓との間で締結されている昇給の欠格基準に関する協約一条一の(四)の適用を受け、一号俸を昇給号俸数から減ぜられるという不利益を受け、本訴を提起・追行せざるを得なかつた。
右により、原告は多大の精神的苦痛を被つたのであり、これに対する慰藉料は金三〇万円を下らないというべきである。
(二) 被告らは任意の支払に応じないので、原告は、弁護士岡田克彦、同清水恵一郎及び同須黒延佳に事件の処理を委任し、その手数料、報酬として金二〇万円を、本件第一審判決言渡の日に支払うことを約した。
6 被告国は、訴外局長の違法な本件処分によつて原告の受けた前記損害を国家賠償法一条に基づき賠償する義務を負い、被告関根は虚構の事実を訴外局長に報告し、同訴外人をして違法な本件処分を行わしめたことにより原告の受けた右損害を民法七〇九条に基づき賠償する義務を負い、被告らは、原告に対し、遅帯して右損害を賠償する義務を負う。
よつて、原告は被告らに対し、各自右損害金五〇万円及び内金三〇万円に対する不法行為ののちである昭和五四年一月二一日から、内金一〇万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する被告らの認否及び主張
1 請求の原因第1項の事実は認める。
2 同第2項の事実は認める。
3 同第3項(一)(1)の事実のうち、昭和五二年四月七日午後六時三〇分ころ訴外大西が本件ポーチ内職員通用口のアクリル製掲示板に別紙ステッカー二枚をちよう付したこと、同じころ本件ポーチに面した監視窓口の窓ガラス上部に、もう一人の者によつて別紙ステッカー一枚がちよう付されたこと、同時刻ころ被告関根が道路C上を、後部荷台に郵便物用の箱を積み、自転車に乗つて、本件ポーチの方に向かつて進行していたこと、同被告が前記掲示板の前にいる訴外大西に対し、声をかけ、ステッカーちよう付をとがめ、これを現認した旨通告したこと(後記のとおり、訴外大西に対してのみ声をかけたのではない。)、訴外大西がその後、道路Bを靖国通り方面へ向かつたことは認め、その余の事実は否認する。(2)の事実のうち、本件ポーチ付近に、見取図記載のとおり街灯が二本あり、点灯されていたこと、本件ポーチ内に埋込式の照明があることは認め、その余の事実は当日の日没時刻、天候の点を除き、否認する。(3)の事実のうち、被告関根において、原告が昭和五二年四月七日、監視窓口の窓ガラス上部に、別紙ステッカーをちよう付するのを目撃し、その後、原告が訴外大西とともに本件ポーチ内に立つているときに、すぐ近くから、原告及び訴外大西の名を呼び、現認した旨通告した、との内容の現認書を作成し、これを訴外局長に提出したことは認め、その余の事実は否認する。(4)の事実は否認する。<中略>
(二)の事実のうち、被告関根が、本件につき、帰庁の途上、(日没後である)午後六時三〇分ころ、本件ポーチ内において、原告が別紙ステッカーをちよう付するのを、一人で目撃した旨の現認書を訴外局長に提出したこと、ちよう付当日の翌日、訴外米田が、原告及び訴外大西に対し、右ステッカーちよう付の件で、順次事情を聴取したことは認め、その余の事実は否認する。
訴外局長が行うべき調査を怠り、不十分な資料に基づいて処分事由ありと誤認し、本件処分をした旨の主張は争う。
(三)の事実は否認し、原告に非違事実について十分な弁解の機会を与えずになされた本件処分が違法である旨の主張は争う。
(四)の事実のうち、昭和五二年四月七日当時、いわゆる春闘の最中であつたこと、麹町局において、本件に至るまで、ステッカーのちよう付をもつて訓告等の処分がなされた例がなかつたことは認め、本件処分が、訴外全逓の団結行動を不当に制約し、これに介入するもので、違法である旨の主張は争う。
麹町局において本件に至るまでステッカーのちよう付をもつて訓告等の処分がなされた例がなかつたのは、そのような行為を現認したことがなかつたからに過ぎない。
4 同第4項の事実は否認し、その主張は争う。なお被告関根が、昭和五二年四月七日午後六時三〇分ころ、本件ポーチ内で原告及び訴外大西と間近に相対し、両名に対し、名を呼んで、現認した旨通告したことは、前記のとおりである。
右同日当時は、前記のとおり、いわゆる春闘中であり、麹町局においても、一部の訴外全逓麹町支部所属の組合員が、管理者の警備の隙を縫つて、しばしば庁舎内外に別紙ステッカーと同種のものをちよう付していたため、同局管理職員である被告関根は、庁舎管理者である訴外局長から、庁舎等の巡回、警備等を命ぜられていたのである。右同日、原告のステッカーちよう付という非違行為を現認したので、その旨訴外米田に報告し、その指示に基づいて現認書を作成し、訴外局長に提出したのであつて、同被告の右報告行為が同被告の職務行為であることは明らかである。
公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであつて、公務員個人はその責を負わないのであるから、被告関根に対する請求は、失当である。
5 同第5項(一)及び(二)は争う。本件訴訟で、仮に本件処分の処分事由が認められないと判断された場合には、将来に向つての是正措置に止まらず、昭和五三年四月当時に遡及して昇給の見直しが行われ、原告になんらの経済的、精神的損害が残るものではない。
6 同第6項は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求の原因第1、2項の事実、同第3項(一)(1)ないし(4)の事実のうち、昭和五二年四月七日午後六時三〇分ころ本件ポーチ内において訴外大西によつて職員通用口のアクリル製掲示板に別紙ステッカー二枚がちよう付され、何者かによつて監視窓口の窓ガラス上部に別紙ステッカー一枚がちよう付されたこと、同時刻ころ被告関根が道路C上を、後部荷台に郵便物用の箱を積み、自転車に乗つて、本件ポーチの方に向かつて進行していたこと、同被告が前記掲示板の前にいる訴外大西に対し、声をかけ、ステッカーちよう付をとがめ、これを現認した旨通告したこと、その後訴外大西が道路Bを靖国通り方面へ向かつたこと、本件ポーチ付近に見取図記載のとおり街灯が二本あり、点灯されていたこと、本件ポーチ内に埋込式の照明があること、被告関根が「原告が昭和五二年四月七日監視窓口の窓ガラス上部に別紙ステッカーをちよう付するのを目撃し、その後原告が訴外大西と共に本件ポーチ内に立つているときに、すぐ近くから、原告及び訴外大西の名を呼び、現認した旨通告した。」との内容の現認書を作成し、これを訴外局長に提出したこと、(二)の事実のうち、被告関根が右のとおりの現認書を作成、提出したこと、ちよう付当日の翌日、訴外米田が原告及び訴外大西に対し、右ステッカーちよう付の件で、順次事情を聴取したこと、(四)の事実のうち、昭和五二年四月七日当時いわゆる春闘の最中であつたこと、麹町局において、本件に至るまで、ステッカーのちよう付をもつて訓告等の処分がなされた例がなかつたことの各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二右に述べたとおり訴外局長は原告に対し、原告が昭和五二年四月七日麹町局庁舎に別紙ステッカーをちよう付したとして本件処分をした。その直接の根拠は、原告が別紙ステッカーをちよう付しているのを被告関根が目撃したというにある。すなわち、被告関根作成の現認書(乙第一四号証)及び被告関根本人の供述の信憑性の根拠である。
ところで、原告は、自分が別紙ステッカーをちよう付したことを否定し、アリバイを主張するにとどまらず、別紙ステッカーの真のちよう付者は訴外花山である旨名ざししており、訴外花山自身も証人として出廷し、宣誓の上、その旨の供述をしているのである。
そこで、原告によるちよう付行為を被告関根が現認したことを裏付けるべき前掲各証拠を信用することができるのか否かについて検討するに、まず以下の各事実が認められる。
1 被告関根本人尋問の結果によれば、昭和五二年四月七日午後六時三〇分ころ、訴外大西によつて本件ポーチ内職員通用口のアクリル製掲示板に別紙ステッカー二枚がちよう付され、もう一人の者によつて監視窓口の窓ガラス上部に別紙ステッカー一枚がちよう付されていたとき(以上の事実は当事者間に争いがない。)、被告関根は滞留物排送を終え、麹町局に戻るべく、後部荷台に、空になつた郵便物用の箱を積み、自転車に乗つて、普通の速度で、道路C上を本件ポーチの方に向かつて進行していたこと(被告関根が右同時刻ころ、後部荷台に郵便物用の箱を積み、自転車に乗つて、道路C上を本件ポーチの方に向かつて進行していたことは当事者間に争いがない。)、その際同被告は、見取図①点において、誰と識別できたかどうかはさておき、本件ポーチ内に二人の男がいることに気付いたこと、内一名は監視窓口前に被告関根に背を向けて立つており、他の一名は右の者より被告関根寄りに立つていたこと、右①点は本件ポーチから約三五メートル離れていることが、それぞれ認められる。
2 <証拠>を総合すれば、
(一) 道路C上見取図①点附近から本件ポーチの方を見ても、逆に本件ポーチから右①点附近を見ても、その間に障害物となるものはなく、見通しはいずれも良いこと
(二) 道路Bから本件ポーチに上がるには、その間に各五センチメートル程度の二段の段差があること
(三) 右同日の日没時刻は午後六時七分であり、問題の午後六時三〇分ころといえば、右日没から二〇分ないし三〇分ほど経過した時間であること
(四) 右同日の天候は午後六時まで雨のち曇、それ以降は曇であつたこと
(五) 本件ポーチ及び付近の照明としては、本件ポーチ内の天井に上から下に照らす埋込式のスポット照明が付けられ、他に見取図記載のとおり街灯が二本立つており、右同日午後六時三〇分ころにはいずれも点灯されていたこと(本件ポーチ内に埋込式の照明があること、見取図記載のとおり街灯が二本あり、街灯については右同時刻ころ点灯されていたことはいずれも当事者間に争いがない。)
(六) しかもなお空は簿明るい状態であつたこと
以上の事実が認められ、これらに弁論の全趣旨をも勘案して考えると、右同時刻ころには次第に暗くなつてゆくいわゆる簿暮に当たり、照明がつき始めたとはいつても、明るさは中途半端で、やや離れた距離では見えにくい状況であるのが普通であるというべきであるから、至近距離からならば格別、道路C上に立つてやや離れた距離から本件ポーチ内に立つ者を見ても、容易に誰と識別できる状況ではなかつたものと推認するのが相当である。
被告関根本人の供述中右推認の事実に反する部分は信用することができず、他に右推認を左右するに足りる証拠はない。
3 <証拠>によれば、訴外米田は、昭和五二年四月八日、被告関根の現認報告に基づき、前日の、本件ポーチ内の別紙ステッカーちよう付の件で、原告及び訴外大西から、順次事情を聴取したが(訴外米田が、右同日、前日の、本件ポーチ内の別紙ステッカーちよう付の件で、右両名から順次事情を聴取したことは当事者間に争いがない。)、その際原告は訴外米田に対し、監視窓口に別紙ステッカーをちよう付したことを否定するとともに、それを誰が現認したというのかを質問したこと、訴外大西は前日、本件ポーチ内にいたことは認め、別紙ステッカーをちよう付したこともあえて否定しなかつたが、本件ポーチ内に他に誰かいなかつたかとの質問には、これを否定したことが、それぞれ認められる。
4(一) <証拠>を総合すれば、当時訴外全逓麹町支部の書記長であつた訴外坪井は、昭和五二年四月八日ころ、訴外大西から本件ポーチ内に別紙ステッカーをちよう付しているところを被告関根に目撃され、この件に関して訴外米田から事情聴取を受けたが、(何人であるかはひとまずおくとして)一緒にステッカーをはつた者については、被告関根に現認されなかつたとの報告を受け、さらに原告から同様に訴外米田による事情聴取を受けたが、別紙ステッカーを本件ポーチ内にちよう付した事実は身に覚えがないので否定したとの話を聞き、併せてこの件の処理を一任されたこと、右訴外坪井は、訴外大西については被告関根によつて別紙ステッカーちよう付を現認されているので、当然処分されることになろうと予想しつつ、原告が処分を受けることはあるまいと考えていたうえ、当時いわゆる春闘中で訴外全逓麹町支部の他の用件で忙しく、本件についてはさほど関心を持つていなかつたため、右同日ころ訴外坪井と訴外米田との間で行われた労使間のいわゆる窓口折衝及び昭和五二年四月一七日ころ行われた局長会見において本件ポーチ内の別紙ステッカーちよう付の件を話題にしたものの、訴外米田に対し、原告が本件ポーチ内に別紙ステッカーをちよう付した事実はなく、被告関根の誤認である旨はつきり申し入れるにまでは及ぼなかつたことが認められる。
なお、原告は、訴外坪井が訴外米田に対し、監視窓口に別紙ステッカーをちよう付したのは原告ではなく別の者である旨申し入れた旨主張し、証人坪井利明はこれに副う供述をしているが、右認定の各事実及び証人米田宏の証言に照らしてたやすく信用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。
(二) <証拠>によれば、昭和五二年八月一〇日に本件処分がなされたのち、原告あるいは訴外全逓麹町支部の支部長及び訴外坪井らから、訴外局長に対し直接にあるいは訴外米田との窓口交渉を通じて、原告のちよう付行為を現認したというのは誰なのか、また非違行為の事実関係を教えるよう求める申入れがなされたこと、被告関根が現認したという話を聞いた原告が被告関根に文句を言つたこと、訴外全逓東京地方本部と東京郵政局との間にあつて、不当労働行為等について労使間の調整を図ることを目的としている六人委員会に対し、訴外全逓麹町支部が本件処分のことを訴えたが、労使双方の見解が並行線をたどり、決裂したこと並びに訴外局長、訴外米田、訴外全逓麹町支部長及び訴外坪井との間で行われた四者会談の際に本件処分のことが何回か取り上げられ、訴外坪井らは、本件ポーチ内に別紙ステッカーをちよう付したのは原告ではないのに被告関根がこれを誤認したのである旨述べて本件処分の撒回を申し入れたことがそれぞれ認められる。
被告関根本人の供述中右認定に反する部分は前記証拠に照らしてたやすく信用することができず、その他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三以上の事実を前提にして、まず被告関根本人の供述及びこれにより同被告がステッカーちよう付の目撃状況を報告すべく作成、提出したものと認められる乙第一四号証の記載の信憑性について判断する。
1 被告関根本人は、昭和五二年四月七日午後六時三〇分ころ、自転車に乗つて麹町局へ帰る際、道路C上、訴外川上浩平宅前の見取図①点付近で、本件ポーチ内に二人の男がいるのに気付き、原告及び訴外大西であると認識し、監視窓口の前に立ち、被告関根に背を向けて立つている男が右窓口の窓ガラス上部に別紙ステッカー一枚をちよう付するのを右訴外川上浩平宅前から右道路上九段食堂前見取図②点に至るまでの間に目撃し、後姿から原告であると判断し、さらにこの者が、ちよう付後、訴外大西の方を振り返つた際に、その顔を見、原告であつた旨供述している。また、前記乙第一四号証にも、被告関根において、原告が、背伸びして右手を高く上げ、監視窓口の窓ガラス上部に、別紙ステッカーをはり付けるのを目撃した、との記載がある。
被告関根本人尋問の結果によれば、同被告の当時における視力は1.2であり、さらに、同被告が日ごろ、麹町局で働く者に目を配り、その顔、身体付きを覚えていたことが認められ、これらは、一応右供述及び記載を補強する事実といえよう。
ところで、被告関根本人は、昭和五四年九月一七日に行われた本人尋問の際には被告ら代理人の質問に答えて、訴外川上浩平宅前の見取図①点で、原告が右手を高く上げて、監視窓口の窓ガラス上部に何かをはり付けるのを目撃した旨供述していたところ、右尋問が続行された同年一一月一二日には原告代理人による反対尋問の際に、見取図①点では、本件ポーチ内に原告及び訴外大西がいるのは見たものの、原告が監視窓口の窓ガラスに別紙ステッカーをはつているのはまだ見ておらず、見取図①点から②点へ行く間に、瞬時原告が手を上げて監視窓口の窓ガラスに別紙ステッカーをはるのを見たと、前記供述内容を訂正している。
このように訂正された被告関根本人の供述を、右経過に照らし、合理的に理解するならば、同被告が、監視窓口の前にいる男が手を上げ、その窓ガラスに別紙ステッカーをはるのを目撃し、後姿から原告であると判断した地点は、見取図①点から②点へ行く間であるとはいうものの、同①点からさほど離れていない場所であるというべきである。
しかして、被告関根が本件ポーチ内の二人の男を認めたときは、次第に暗くなつてゆく薄暮の時期で、街灯及び本件ポーチ内のスポット照明が既に点灯されていたとはいつても明るさは中途半端で、やや離れた距離から本件ポーチ内に立つ者を見ても容易には識別できないような状況であつたことは前記二2で述べたとおりである。
また証人大西博及び同花山康美の各証言によれば、麹町局の職員には、同局から防寒用として黒色のジャンパーが支給されており、職員の中には、訴外大西及び同花山を含め、これを通勤の際にも着用している者があること、訴外大西らが本件ポーチ内に別紙ステッカーをちよう付した昭和五二年四月七日にも、訴外大西及び同花山とも麹町局から帰る際右ジャンパーを着用していたことがそれぞれ認められ、右認定の事実に弁論の全趣旨を勘案して考えると、右同日訴外大西とともに別紙ステッカーをちよう付していた者も訴外大西同様右ジャンパーを着用していた旨認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
したがつて、被告関根において、見取図①点付近から、黒色の右ジャンパーを着用していた何者かが監視窓口窓ガラス上部に別紙ステッカーをちよう付するのを目撃し、後姿から原告であると判断し、さらにこの者が振り返つた際、その顔を見て原告である旨確認したと考えたにしても、右の者が原告であるかどうかを識別するには誤認のおそれがなかつたとはいえない。
2 被告関根本人は、訴外大西らが別紙ステッカーをちよう付するのを目撃したのち、自転車に乗つたまま本件ポーチ内に乗り入れ、ポーチの柱のわきに自転車を止め、訴外大西の背後約1.5メートルの地点(見取図③点)まで進んだところ、原告がこれに気付き、訴外大西のそばに寄り、「おい、来たぞ、来たぞ。」と声をかけ、同訴外人に知らせたこと、訴外大西に対し、「大西君、何をしているのだ。ビラ貼りはやめなさい。」と制止したが、同訴外人は、無言のまま、にやにやしながら、職員通用口左側のアクリル製掲示板にちよう付したステッカーを、右手の指でなでこすつたこと、さらに、右訴外大西及び原告に対し、「大西君、下兼君、ビラ貼りを現認したぞ。」と通告し、「すぐはがしなさい。」と命じたが、右両名は、無言のまま、道路B上を靖国通り方面へゆつくり立ち去つたこと、以上のとおり供述しており、乙第一四号証にも同旨の記載がある。
しかしながら、
(一) 前記二2(一)で述べたとおり、道路C上見取図①点付近から本件ポーチの方を見る場合のみならず、本件ポーチ内から右①点付近を見ても、見通しはよいのであるから、被告関根本人が供述するように、同被告において、監視窓口の窓ガラス上部に別紙ステッカーをちよう付した者が振り返つた際その顔を見、原告であると判断できたのであれば(この判断に誤認のおそれがあつたこと1はで述べたとおりである。)、右ちよう付者においても、訴外大西の方を振り向いた際、その延長線上の道路C上を、後部荷台に郵便物用の箱を積み、自転車に乗つて、本件ポーチの方へ進んでくる者に気付くことができたはずであること、麹町局集配課勤務の郵政事務官は、内務職の被告関根が滞留郵便物排送に従事することがあることは熟知していたものと思われ(この事実は弁論の全趣旨によつて認める。)、午後六時三〇分ころという時刻を考え併せ、輪郭等から、自転車に乗つて進んでくる者が被告関根ではないかと推測しえたであろうことは事理の当然といわなければならない。
ところで、当時麹町局では、いわゆる春闘の最中で、訴外全逓麹町支部所属組合員らによつて争議行為が行われており(当時いわゆる春闘の最中であつたことは当事者間に争いがない。)、右組合員らの一部が、争議行為の一環として管理者の警備の隙を縫つて、しばしば別紙ステッカーを麹町局の庁舎内外にちよう付していたため、同局管理職員らは、庁舎管理者である訴外局長から庁舎等の警備等を命ぜられていたのであつて(この事実は弁論の全趣旨によつて認める。)、これらの事実によれば、訴外全逓麹町支部所属の組合員らが別紙ステッカーをちよう付するに当たつて無警戒であつたとは到底考えられないのである。
したがつて、別紙ステッカーを監視窓口にちよう付した者が訴外大西の方を振り向き、同訴外人の方へ近付いた際、道路C上を、見取図①点付近から本件ポーチに向かつて走つてくる被告関根を、漫然見のがすことは、考えにくい事態である。
まして、被告関根が道路Bを横切り、右ちよう付者(見取図点)からわずか三メートル程度の見取図③点に到達したのになお気付かず、同被告が自転車に乗つたまま段差を超え、本件ポーチ内に乗り入れてからようやく気が付いたという事態は、経験則の肯認しえないところといわざるを得ない。
(二) 被告関根本人の前記供述及び乙第一四号証の記載によれば、訴外大西が被告関根に気が付いたのは、原告が「おい、来たぞ、来たぞ。」と言つたため、ということになる。しかしながら、前記二2(二)で述べたとおり、道路Cと本件ポーチとの間に各五センチ程度の二段の段差があるから、被告関根が自転車に乗つたまま本件ポーチ内に入つたとすれば、多少の音がするのは避けがたく、既にこの時点において訴外大西が振り返る等の挙に出るはずであり、前記証拠は、この点においても疑問がある。
(三) 前記二3で認定したとおり、被告関根が訴外大西らによる別紙ステッカーのちよう付行為を目撃した翌日、訴外米田が原告及び訴外大西から、順次事情を聴取したが、その際原告は右ちよう付行為を否定し、逆に誰が現認したというのか質問し、訴外大西は自らが本件ポーチ内にいたことは認め、別紙ステッカーをちよう付したこともあえて否定しなかつたのに、本件ポーチ内には他に誰もいなかつたと述べているのである。
もし、原告及び訴外大西が本件ポーチ内に一緒におり、わずか1.5メートル位の距離から被告関根に顔を見られ、名を呼ばれて現認した旨通告されたとすれば、右事情聴取の際に、そのような言動を取ることは通常では考えにくいことである。
以上のとおりであつて、前記被告関根作成の現認書(乙第一四号証)及び被告関根本人の供述にはいくつかの疑問があり、訴外花山が真実のちよう付者として名乗り出ていることを考え合わせると(右訴外花山の証人としての供述を信用できないのであれば別であるが、この点は次に検討する。)、右各証拠を直ちに信用することはできない。
四つぎに、真実のちよう付者として登場した証人花山康美及び同大西博の各証言の信憑性について検討するに、前記二で認定した各事実に照らしてみても、とくに不合理な点は存しない。
なお、証人花山康美及び同大西博の各証言によると、訴外花山が被告関根に気が付いて大西に声をかけつつ立ち去つた際には、被告関根は見取図①点を通過して本件ポーチにかなり接近していたことになり、このことは被告関根本人が「おい、来たぞ、来たぞ。」と言う言葉を聞いた旨供述していることとも符合するのであるが、右の点のみをもつてしては、被告関根が自転車に乗つたまま本件ポーチ内に入り、その際訴外大西及びもう一人のちよう付者が右ポーチ内に残つていた旨の被告関根本人の供述を信用することのできる根拠として不十分であることは前記三2(一)ないし(三)に述べたとおりであるうえ、訴外花山及び同曽山が被告関根の方から顔をそむけて急ぎ足で立ち去つたとすれば右両名が被告関根と真正面から顔を合わせることなく立ち去ることもあり得ない訳ではない。
さらに原告のアリバイの主張について触れるに、証人米田宏の証言により成立の認められる乙第一七号証によれば、原告は、本件ポーチ内に別紙ステッカーがちよう付された昭和五二年四月七日には、午後六時ごろには麹町局を出て帰宅した旨を翌八日の訴外米田宏による事情聴取の際に供述する一方、右同日午後四時ころ麹町局を出て帰宅した旨当公判廷では供述しているが、原告は、既に事情聴取の際にアリバイの弁解を述べていたことに照らすと、右原告本人の右供述のくい違いのみをもつてしては原告のアリバイの主張を直ちにしりぞけることはできない。
結局以上に検討してきたとおり、証人花山康美及び同大西博の各証言の信憑性を否定するに足りず、他に右各証田に疑問をさしはさむべき特段の証拠もない。
右各証言によれば、請求の原因3(一)(1)及び(3)の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない(なお前記乙第一四号証及び被告関根本人の供述を信用できないことは前記三で述べたとおりである。)。
五したがつて本件処分は、被告関根が訴外花山を原告であると誤認したため、原告が監視窓口に別紙ステッカーをちよう付したとしてなされたもので、その処分事由を欠くといわざるを得ない。
六本件処分がその処分事由を欠くことは右のとおりであるが、そのために直ちに本件処分が国家賠償法一条一項にいう「違法」な処分であるとすることはできない。けだし、懲戒権者が国家公務員に対し、国家公務員法所定の懲戒処分をした場合、処分の時点において収集した資料に基づき、非違事実が存在すると認定し、かつこれに対して当該処分をするのが相当である旨判断したことについて合理的な理由が認められるかぎりは、事後的に右非違事実が存在しなかつたことが明らかになつたとしても、右処分は、国家賠償法上は適法であると解するのが相当であり、この理は処分権者が訓告処分をする場合にも妥当するからである。
しかしながら、国の公務員である処分権者が、訓告処分をする時点において、必要かつ可能な調査を行わず、十分な資料を収集することなく安易に処分事由の存在を認定したり、あるいは収集した資料に対し、その合理性を肯認しえない誤つた評価をした結果事実を誤認し、処分事由が存在しないにもかかわらずこれがあるものと判断して訓告処分をした場合には、かかる処分行為は、国家賠償法一条一項にいう「違法」な行為であり、右調査・判断過程の過誤に照らし、誤つた訓告処分をするについて処分権者に過失があつたものと解するのが相当である。
そこで、右の見地から本件を考えるに、<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
1 被告関根は、訴外大西らによる本件ポーチ内の別紙ステッカーちよう付を目撃したのち、直ちに麹町局内にいた訴外米田に連絡し、本件ポーチに赴いた右訴外米田に対し、監視窓口窓ガラス上部にはられた別紙ステッカーは原告が職員通用口左側アクリル製掲示板にはられた二枚の別紙ステッカーは訴外大西が、それぞれちよう付したものであり、それを現認した旨報告した。訴外米田は、被告関根に対し、別紙ステッカーをちよう付したのが原告及び訴外大西に間違いないかどうか念を押したが、確かに現認しており、面前で右ステッカーをはがすよう命じているので間違いない旨の回答を得たので、右のとおりの目撃状況を記載した現認書を作成して訴外局長あてに提出するよう指示するとともに、訴外和光信義に、はられている別紙ステッカーを写真に取らせた。
2 前記二5で述べたとおり、訴外米田は、その翌日、被告関根の右報告に基づき、右ステッカーちよう付の件で、原告及び訴外大西から、順次事情を聴取し、その要旨を二通の聴取書にまとめ、訴外局長に提出、報告した。
3 なお、被告関根は、訴外米田の前記指示に基づき、現認書を作成して、訴外局長に提出した。
4 訴外局長は、被告関根作成の右現認書、訴外米田作成の原告及び訴外大西からの聴取書並びに本件ポーチ内の別紙ステッカーのちよう付状況から、監視窓口の窓ガラス上部に別紙ステッカーをちよう付したのは原告であると判断し、原告の右行為は郵政省就業規則(昭和三六年二月二〇日公達第一六号)一三条七項所定の「ビラ等のちよう付」禁止に違反するものとして、郵政部内職員訓告規程(昭和二五年七月二五日公達第八三号)により、昭和五二年八月一〇日、原告を本件処分にした(訴外局長が右同日、原告に対し、原告が昭和五二年四月七日、麹町局庁舎に、別紙ステッカーをちよう付したことを理由に、本件処分をしたことは当事者間に争いがない。)。
ところで、訴外米田が作成し、提出した前記乙第一七、第一八号証(聴取書)によれば、いささかあいまいであるとはいえ、原告は、監視窓口に別紙ステッカーをちよう付した事実を否定し、逆に「課長が見たんですか。」と現認者が誰であるかを質問し、さらに被告関根が本件ポーチ内で原告を見たという前日午後六時三〇分ころには既に麹町局を出ている旨明言していること、訴外大西は、自らが本件ポーチ内にいたことは認め、別紙ステッカーをちよう付したこともあえて争わない態度を見せながら、本件ポーチ内に他に誰かいたのではないかとの質問には自分一人であつた旨答えていることがそれぞれ認められる。
しかして、被告関根の作成、提出した乙第一四号証(現認書)には、前記三2に引用した被告関根本人の供述とほぼ同旨の記載がなされており、そのとおりに被告関根が原告及び訴外大西と間近で相対し、右両名の名を呼び、現認した旨通告したとするならば、事情聴取の際の右両名の前記言動は不可解というほかなく、訓告処分の対象となるべき非違事実の有無を判断する処分権者にとつては、単に表面上そのような態度を取つているに過ぎないとして看過することは許されない性質を有するものというべきである。
したがつて、訴外局長とすれば、少なくとも再度右両名を呼び、被告関根から報告を受けた目撃状況と突き合わせながら、原告の別紙ステッカーちよう付行為について質問し、あるいは他の者に質問させるべきであつたのであり、さらに被告関根から目撃状況を具体的に聞く等の調査を行うべきであつたといわざるを得ず、また右調査を不可能ならしめる事情が存したことを認めるに足りる証拠はない。
ところで、訴外局長において、さらに右調査を行つたか否かについて検討するに、証人坪井利明は、訴外全逓麹町支部として、本件は誤認である旨訴外局長に申し入れたので、訴外局長は被告関根に対し、確認のため事情聴取を行つた旨供述しているが、訴外坪井あるいはその他の訴外全逓麹町支部の者が被告関根の誤認である旨訴外局長に申し入れたことは本件処分以前にはなかつたことは前記二4(一)及び(二)で認定したとおりであるうえ、被告関根本人が右事情聴取をはつきり否定していることに照らしてとうてい右供述を信用することはできず、その他に訴外局長において本件処分以前に前記のごとき調査を行つたことを認めるに足りるなんらの証拠もない。
結局訴外局長は、必要かつ可能な調査を怠り、前記資料のみで安易に処分事由ありと判断し、本件処分に及んだもので、右処分行為は、国の公権力の行使に当たる訴外局長の「違法」な職務執行行為であるといわざるを得ない。そして、本件処分に至る訴外局長の右調査・判断過程に徴すると、訴外局長に、違法な本件処分を行うについて過失があるものと解すべきである。
したがつて、被告国は、右違法な本件処分によつて原告の受けた損害を賠償する義務を負う。
七進んで、原告の受けた損害について判断する。
1 原告は、以上のとおり違法な本件処分を受けたのであるが、弁論の全趣旨によれば、訓告は、懲戒処分に至らない程度の職員の非違行為につき行われるものであつて、職員の権利義務関係に直接的な影響を及ぼす制裁的な性質を伴うものではないこと、原告は、昭和五三年四月の定期昇給の際、本件処分も考慮されたため、一年以内に訓告三回となり、郵政省と訴外全逓との間で締結されている昇給の欠格基準に関する協約一条一の(四)の適用を受け、一号俸を昇給号俸数から減ぜられたものの、本訴において、被告国は、本件処分の処分事由が認められないとされた場合には、将来に向つての是正措置に止まらず、昭和五三年四月当時に遡及して昇給の見直しを行う旨確言していることがそれぞれ認められ、右をしんしやくすれば、原告が本件処分により受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇万円をもつて相当と認める。
2 原告が本訴の提起と訴訟の遂行とを原告代理人に委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容・請求認容額及び訴訟の経過等諸般の事情をしんしやくすると、違法な本件処分と相当因果関係のある損害と評価できる弁護土費用は金五万円と認めるのが相当である。
その支払時期については、本判決言渡の日と約定されていることが弁論の全趣旨から認められる。
八さらに被告関根の責任について判断する。
公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであつて、公務員個人はその責を負わなかものと解すべきである。
しかして、被告関根本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、昭和五二年四月七日当時はいわゆる春闘中であり、麹町局においても、訴外全逓麹町支部所属の組合員らによつて争議行為が行われており、しばしば庁舎内外に別紙ステッカーをちよう付されていたこと、そのため、麹町局管理職員である被告関根は、庁舎管理者である訴外局長から、庁舎等の巡回、警備等を命ぜられていたこと、右同日、本件ポーチ内に別紙ステッカーがはられるのを目撃し、監視窓口にこれをちよう付したのは原告であると考え、その旨訴外米田に報告し、その指示に基づいて現認書を作成し、訴外局長に提出したこと、以上の事実が認められ、これによれば、被告関根の右報告行為が、本件処分自体とは異なる別個の行為であるとしても、国家公務員である同被告がその職務を行うにつきしたものであることは明らかである。
したがつて、被告関根に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
九以上の次第で、被告国は原告に対し、損害金として金一五万円及び内金一〇万円に対する本件処分の行われた日ののちである昭和五四年一月二一日から、内金五万円に対する本件判決言渡の日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
よつて、原告の本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、被告国に対するその余の請求及び被告関根に対する請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言についてはその必当がないものと認めこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(伊藤博 宮﨑公男 高世三郎)
ステッカー図、見取図<省略>