東京地方裁判所 昭和53年(ワ)13027号 判決
一 請求の原因1及び2の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の特約の存否につき判断する。
前記争いのない事実と成立に争いのない甲第一ないし第三号証及び証人竹川東、同田沢博昭、同大原誠三郎の各証言並びに原告本人の供述(但し、後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、前記裁判上の和解の成立に先立つ昭和五〇年一〇月七日、東京都千代田区大手町所在の弁護士大原誠三郎の事務所において、当事者のみによる和解の交渉が行われ、原告側からは原告本人並びにその代理人である弁護士竹川東及び弁理士田沢博昭、同石橋某が、一方、被告側からはその代理人である右大原弁護士及び弁護士関谷巌がそれぞれ出席したうえ、数時間にわたり種々接衝を行つた結果、原告が被告に対し、本件特許権を含む各種工業所有権を一括して金三〇〇〇万円で譲渡すると同時に、被告からこのうちの本件特許権及び他の実用新案権につき別紙目録(二)記載の内容による通常実施権(但し、右実用新案権については、同目録の記載中、「期間」につき「目録(一)の特許権」とある部分は「右実用新案権」、「再実施権許諾の制限」につき「特許権者」とある部分は「実用新案権者」とそれぞれ読み替える。)の許諾を受けることを骨子とする合意が成立し、これを和解契約書(前掲甲第二号証)及び通常実施権設定契約書(前掲甲第三号証)にしたためたこと、そして、右和解交渉の過程においては、原告側の前記石橋弁理士から、右通常実施権の設定登録手続はどうするかという質問が出されたが、被告の前記代理人らは、当面被告において本件特許権等を第三者に譲渡する意思はないから、右登録手続に応じなくても、原告に格別の不利益は生じないとの説明をしたうえ、現時点では右登録手続は不必要であるが、将来原告から要求があれば、話合いには応じてもよいとの意向を示したこと、以上の事実が認められる。
しかしながら、進んで原告主張の特約の存在を認めるに足りる証拠はなく、かえつて、前掲甲第二号証によれば、前記和解契約書末尾の日付け表示部分と当事者の署名(又は記名)押印部分との間には、タイプ文字による本文とは別に、「加1条」との表題のもとに手書きの文字による条項が付加、挿入された例があるにもかかわらず、前記登録手続に関する条項はとくに設けられていないことが認められるのである。原告本人の供述中には、右特約が成立したとの趣旨に解される部分があるけれども、右供述部分は前掲その余の各証拠に照らしてにわかに採用することができない。
三 以上の次第であつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとする。
〔編註〕 本件における請求原因は左のとおりである。
1 原告は、別紙目録(一)記載の特許権(以下、「本件特許権」という。)を有していたところ、昭和五〇年七月被告を相手方とし、原告が被告に本件特許権の通常実施権を許諾したこと及び被告が本件特許権にかかる発明の技術的範囲に属する装置を製造、販売したこと等を主張して、静岡地方裁判所富士支部に対し、通常実施料の支払を求める訴訟(同庁昭和五〇年(ワ)第九八号事件)を提起した。
2 そして、右訴訟は昭和五〇年一〇月一四日裁判上の和解により終了したが、右和解の内容は、原告が被告に対し本件特許権を有償で譲渡すると同時に、被告から本件特許権につき別紙目録(二)記載の通常実施権(以下、「本件通常実施権」という。)の許諾を受ける、というものであつた。
ちなみに、原、被告間には、これより先の昭和五〇年一〇月七日右裁判上の和解と同一内容の合意が成立したものであり、その際に作成、調印された和解契約書(甲第二号証)の第九条第一項及び通常実施権設定契約書(甲第三号証)の第一条にも、本件通常実施権の許諾に関する約定が明記されている。
3 ところで、原告が本件通常実施権の許諾を受けたのは、本件特許権にかかる発明及びその関連発明の企業化を企図していたからであるが、これに協力すべきことを申し出た者の多くは、本件通常実施権の登録を条件として出資することを約していたため、原告としては本件通常実施権につき対世的効力を取得する必要があつた。そこで、昭和五〇年一〇月七日の和解交渉の席上、原告並びにその代理人であつた弁護士竹川東及び弁理士田沢博昭らは、こもごも被告の代理人であつた弁護士大原誠三郎及び同関谷巌に向つて「すぐに通常実施権の登録手続をしてもらえるでしようね。」と念を押したところ、右被告代理人らは「いつでも手続をします。」と確約した。すなわち、被告は右口頭の特約によつて原告に対し、本件通常実施権の設定登録手続をすべき義務を負うに至つたものである。
なお、原告が右特約の文書化を要求しなかつたのは、法律専門家としての右被告代理人らを信頼し、また、右和解内容のすみやかな実現を望んだからである。
4 しかるに、被告は、原告の再三の請求にもかかわらず、前記特約が文書化されていないことを奇貨として、前記登録手続の履行に応じない。よつて、原告は被告に対し、前記特約に基づき本件特許権について本件通常実施権の設定登録手続をすることを求める。