東京地方裁判所 昭和53年(ワ)508号 判決 1981年1月20日
原告
川合和男
ほか一名
被告
東京都
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、各金七七五万円及びこれに対する昭和五三年二月一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 事故の発生
訴外沢田勝弘(以下訴外沢田という。)は、昭和五二年五月一九日午前一〇時三五分ころ、大型貨物自動車(福島一一や六〇四一、以下本件事故車という。)を運転して都道四六一号線(以下本件道路という。)上り線を白鬚橋方向から言間橋方向へ進行し、東京都墨田区向島五丁目一六番四号先の野球場前交差点(以下本件交差点という。)にさしかかつたところ、右交差点の車両用信号機(以下A信号機という。)が青信号を表示していたので、同信号に従つて右交差点に進入したが、前方に車両が渋滞していたため右交差点の横断歩道(以下本件横断歩道という。)上に本件事故車の前部をかけて一旦停車し、その後、前方の渋滞が解消したので前車に続いて発進しようとしたが、その際A信号機が赤信号を表示しているにかかわらず右交差点前方の派出所前交差点の信号機(以下B信号機という。)の青信号に気をとられて自車の直前、左右の安全を確認することなく発進したため、折柄本件横断歩道を自転車に乗つて東から西に横断しようとしていた訴外亡川合和好(以下亡和好という。)に自車前部バンパーを接触させて同人を押し倒し、自転車と共に自車の下部に巻き込んで自車の左前輪及び左後輪で同人を轢過し、そのため亡和好をして同午前一〇時五五分肺損傷により死亡させるに至つた。
2 責任
本件交差点の信号機、道路上の停止線及び横断歩道はいずれも被告の機関である東京都公安委員会の設置、管理するものであるところ、右設置、管理にあたつて、次のとおりの瑕疵があり、仮にそれぞれがそれ自体では瑕疵と認められないとしてもそれらの複合組合せによつて瑕疵となり、それが原因となつて本件事故が発生したものであるから、被告は国家賠償法二条に基づき後記損害を賠償すべき義務がある。すなわち
(一) 本件交差点は変型T字路で、同交差点には車両用信号機二基(うち上り線用の信号機がA信号機である。)及び歩行者用信号機二基が、またその前方には前記のとおりB信号機がそれぞれ設置されているが、A信号機の信号表示サイクルは青五八秒、黄三秒、赤二九秒の一サイクル九〇秒、B信号機の信号表示サイクルは青二八秒、黄三秒、赤五九秒の一サイクル九〇秒で、一サイクルの時間は同一であるが、両信号機の信号表示には時差があり、B信号機が赤から青となつた一一秒後にA信号機が赤から青となり、B信号機が青から黄となつた四一秒後にA信号機が青から黄となるように設置、管理されている。
ところで、右のようにB信号機が青から黄に変つた四一秒後にA信号機が青から黄に変わる信号表示サイクルでは、本件事故現場のように交通量が多く、かつA、B両信号機間の距離が約三七・七メートルという短い場所では、両信号機間に車両の渋滞が生じ、本件事故車のようにA信号機の青表示に従い停止線を越えて本件交差点に進入したもののB信号機が赤表示のため本件交差点内の横断歩道に車体の一部をかけて停止せざるを得ない車両を生じやすく、しかも右のような車両も本来A信号機の規制を受けるにもかかわらず右停止位置ではA信号機の表示を視認することができず、そのため、実際は前記のようにB信号機が青となつた一一秒後にA信号機が青になるにかかわらず、自動車運転者としてはB信号機が青になるとほぼ同時にA信号機も青になつたものと速断してA信号機が赤であるにもかかわらず不注意発進しやすく、事故発生の危険性がある。
右のような事態を避けるためにはA、B各信号機の表示を同時ないしは同時と同程度に作動させるべきであり、それにもかかわらず、前記のような時差のあるまま作動させていたことは信号機の管理についての瑕疵というべきである。
(二) 本件事故当時、本件横断歩道とA信号機の規制する停止線との間には停止禁止部分の標示がなく、そのため本件事故車のように本件交差点内に進入して停止する車両が生じやすい状態を生じていたもので、右停止禁止部分の標示がなかつたことは、道路標示の設置、管理につき瑕疵があつたものというべきである。右のことは東京都公安委員会が本件事故後、本件交差点に停止禁止部分の標示を設けたことからも明らかである。
(三) 前記(一)記載のとおり、本件交差点では本件事故車のように横断歩道に車体の一部をかけて停止する車両が生じやすいものであるところ、本件事故車は前方三・六メートルまでが死角となるのに対し、横断歩道の幅員は四・三メートルにすぎないから、運転手が安全を確認しうる横断歩道の幅は〇・七メートルにすぎず、そのため訴外沢田は亡和好を発見することができずに本件事故に至つたものである。従つて本件横断歩道は大型車両の死角も考慮して運転手が十分安全を確認できるだけの幅員を設けるべきであるにかかわらず、右のように四・三メートルの幅員しか設けなかつたことは、右横断歩道の設置、管理につき瑕疵があつたものというべきである。
3 損害
(一) 亡和好の逸失利益
亡和好は、昭和三八年六月九日生れの、本件事故当時一三歳の男児であり、本件事故により死亡しなければ一八歳から六七歳まで四九年間稼働し、その間少くとも毎年金二四八万九三四〇円(昭和五〇年度賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計男子労働者の全年齢平均給与額に五パーセントを加算した額の収入が得られるはずであるから、右の額から生活費としてその五割を、またライプニツツ方式により年五分の中間利息をそれぞれ控除して、右死亡時の現在価額を算出すると、その額は金一七七一万九一二二円となる。ところで、亡和好は本件事故で死亡しなければ一三歳から一八歳までの五年間毎月金二万円の養育費を要するので、右金額からライプニツツ方式で年五分の中間利息を控除し、亡和好の養育費の死亡時の現在価額を算出すると、その額は金一〇三万九〇五六円となる。そこで前記金額から右養育費を控除すると、亡和好の逸失利益の死亡時の現在価額は金一六六八万六六円となる。
(二) 慰藉料
亡和好及び同人の実父母である原告らは本件事故により精神的苦痛を受けたもので、これを慰藉するためには亡和好については金三〇〇万円、原告らについては各金五〇〇万円が相当である。
(三) 相続
原告らは亡和好の実父母として同人の死亡により同人が取得した前記(一)及び(二)(亡和好の慰藉料)の損害賠償債権につき相続によりその二分の一ずつを取得した。
(四) 葬儀費用
原告らは、亡和好の葬儀費用として各金二五万円を負担した。
(五) 弁護士費用
原告らは、本件訴訟の提起、追行を原告ら訴訟代理人に依頼し、着手金として各金一七万五〇〇〇円を支払つた。
(六) 損害の填補
原告らは、自賠責保険から金一五〇〇万円、訴外沢田から金二万円の各支払を受けたので、前記(三)の法定相続分と同様の割合に従つて各金七五一万円を各自の損害賠償債権に充当した。
よつて、原告らは被告に対し、国家賠償法二条に基づく損害賠償として各金七七五万円(一万円未満切捨て。)及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日以後である昭和五三年二月一日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2前文のうち、被告の機関である東京都公安委員会が、A及びB信号機、本件交差点の道路標示、横断歩道を設置、管理していることは認めるが、その余の主張は争う。
同2(一)のうち、A信号機とB信号機の信号表示に時差があること、本件横断歩道に車体の前部をかけて停止した車両は同位置ではA信号機の表示を視認することができないこと、本件事故現場が交通量の多いことは認めるが、信号表示サイクルの内容は不知、その余の事実は否認する。信号機の赤色燈火の意味は、道路交通法施行令二条一項によれば、直進車両については停止位置(停止線が設けられているときはその停止線の直前)を越えて進行してはならないというだけで、同信号機は停止位置に停止した車両を規制するか、右停止位置を越えて進行し交差点内に停止した車両は規制せず、従つて、本件事故車のように既に停止位置を越えて交差点内に進入停止した車両はA信号機の規制は受けず、またB信号機は派出所前交差点への進入について規制しているにすぎないから、本件横断歩道付近で停車した本件事故車の発進はA及びB信号機に規制されるものではなく、原告らの主張は前提において誤りがあり、失当である。
同2(二)のうち、本件事故当時本件横断歩道とA信号機の規制する停止線との間に停止禁止部分の標示がなかつたこと、本件事故後右場所に停止禁止部分の標示が設けられたことは認めるが、その余の主張は争う。
同2(三)のうち、本件横断歩道の幅員が四・三メートルであることは認めるが、その余の主張は争う。
本件事故は、訴外沢田が停止線を越えて進行し、本件横断歩道上に車両の前部を〇・七メートル突出して停車した後、再び発進するに際して、B信号機の青信号に気をとられ、自車の直前及び左右の安全を確認せず漫然と発進させた過失と亡和好が自転車を運転し、左右の安全を確認しないで本件道路を横断しようとした過失が相まつて発生したもので、本件各信号機の表示の時差、停止禁止部分の標示の不存在及び横断歩道の幅員とは無関係に発生したものというべきであるから、右信号機の時差等と本件事故との間に因果関係はない。
3 同3の損害に関する主張は争う。
第三証拠 〔略〕
理由
一 訴外沢田が、昭和五二年五月一九日午前一〇時三五分ころ、本件事故車を運転して本件道路上り線を白鬚橋方向から言問橋方向へ向けて進行し、東京都墨田区向島五丁目一六番四号先の本件交差点にさしかかつたところ、右交差点のA信号機が青を表示していたので同信号に従つて右交差点に進入したが、前方に車両が渋滞していたため本件交差点の横断歩道上に本件事故車の前部をかけて一旦停車し、その後前方の渋滞がなくなつたので前車に続いて発進しようとしたが、その際本件交差点前方の派出所前交差点のB信号機の青信号に気をとられて自車の直前、左右の安全を確認することなく、発進したため、折柄本件横断歩道を自転車に乗つて東から西に横断しようとしていた亡和好に自車前部バンパーを接触させて同人を押し倒し、自転車と共に自車の下部に巻き込んで自車の左前輪及び左後輪で同人を轢過し、そのため亡和好をして同日午前一〇時五五分肺損傷により死亡させるに至つたことは当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第四号証の一ないし三、第六号証、第八、第九号証、第一三号証の一、二、証人伊藤昭也の証言、原告本人尋問の結果によれば、本件事故現場は、南北に走る上下線とも幅員各五・五メートル、一車線の、西側には車道と歩道との間に幅員二・八メートルの緑地帯、東側には幅員一・五メートルの縁石歩道とその外側に幅員三メートルの緑地帯の設けられた本件道路と、幅員四・二メートルの道路が白鬚橋方向寄りから斜めに本件道路の上り線側に交差する変型交差点で、右交差合流点の南側角に接して、幅員四・三メートルの本件横断歩道(同幅員については当事者間に争いがない。)が設けられ、同横断歩道のほぼ南北端の線に沿つて上下線用車両用信号機二基(うち、上り線用がA信号機である。)が、また東西の歩道上に横断歩行者用信号機二基がそれぞれ設置されているほか、右上り線車線上の横断歩道北端から六・一五メートル北方に停止線が設けられていること、本件交差点の南方には、隅田公園方向と水戸街道方向に分かれる三差路となつた派出所前交差点があり、右交差点の本件道路上り線を規制するB信号機の停止線から本件横断歩道までの距離は三七・三メートルであることがそれぞれ認められ、他に右認定を左右する証拠はない。
1 原告らは、A、B両信号機の表示に時差があり、交通量、両信号機間の距離と相俟つて両信号機間に車両渋滞が生じて本件事故車のように横断歩道にかかつて停止せざるを得ない車両が生じやすく、しかも右のような車両も本来A信号機の規制を受けるにかかわらず、同信号を視認できないところから、B信号機の表示とともにA信号機の表示も変つたと速断して不注意発進し事故を惹起する危険性があり、同危険性はA、B両信号機の表示に時差があることに因るもので、その点において信号機の管理に瑕疵がある旨主張する。
成立に争いのない甲第一一号証の一ないし三、証人伊藤昭也の証言によると、本件事故発生の直後である昭和五二年五月一九日午前一一時ころから同一二時ころまでの間のA及びB信号機の信号現示状況は、共に九〇秒サイクルで、A信号機は青五八秒、黄三秒、赤二九秒、B信号機は青二八秒、黄三秒、赤五九秒で、B信号機が赤から青となつた一一秒後にA信号機が赤から青となり、その一七秒後にB信号機が青から黄となり、さらにその四一秒後にA信号機が青から黄になるという現示状況を示しており、当時右各信号機は自動感応制御装置方式がとられていて、交通量の増減により青信号の表示秒数が変化することとなつていたが、本件事故当時の信号現示状況もほぼ右と同一であつたものと推認され(両信号機の表示に時差のあつたことは被告の認めるところである。)、他に右認定を左右する証拠はない。
しかして、本件A、B両信号機が一周期としての時間数は同一であるものの、各色燈火の変化に時差のあることは右認定のとおりであるが、各信号機のサイクルは当該信号機の設置された箇所の道路状況、殊に交差道路の有無、その数及び幅員、交通量の多寡等諸種の事情によつて決定されるべきもので、その結果前後の他の信号機の表示との間に時差が生じてもそれは止むを得ないところであるうえ、交通渋滞の多くは交通量、工事もしくは事故による交通規制によつて発生するもので、それが信号機の時差自体から生ずることは少なく、本件においても前記のような時差の存在が特に交通渋滞の有力原因を成しているものと認めるべき証左もない。
のみならず、本来信号機は車両の場合、その表示が青のときはそのまま進行することを認め、黄及び赤のときは停止位置(停止線が設けられているときはその直前)を越えて進行してはならないことを命ずるにとどまり(道路交通法四条、同法施行令二条)、その規制はこれからその規制区域に進入しようとする車両を対象とするもので、信号の表示に従つて進入したものであるか否かを問わず、既に規制区域に進入した車両の如きは対象外というべきであるから、本件事故車のように既に交差点内に進入停止した車両は本件A信号機の規制を受けず、従つてA信号機の表示がいずれであるかは全く問題とならず、その点においても原告らの前記主張はその理由がないものというべきである。
2 次に、原告らは、本件横断歩道とA信号機の規制する停止線との間に停止禁止部分の標示がなかつたため本件事故車のように本件交差点内に進入して停止する車両が生じやすく、それが本件事故発生の原因となつたもので、その点において設置、管理の瑕疵があると主張する。
ところで、本件事故当時本件横断歩道と停止線との間に停止禁止部分の標示がなく、事故後右標示がなされたことは被告の認めるところである。
しかしながら、本件交差点の手前に停止線の設けられていたことは前記認定のとおりで(原告ら自身認めるところでもある。)、信号機の表示が黄及び赤であるときは車両がその停止線を越えて進行してはならないことはさきに判示したとおりであるから、さらにそのうえ停止禁止の標示をなす必要性はないものというべきである。もつとも右標示をなすことによつて車両運転者に対する心理的規制の面に影響を及ぼすことも考えられなくはないが、その影響がさほど大きいものとは考えられず、右標示がないことをもつて管理に瑕疵があるとすることはできないし、前記のように本件事故後右標示がなされたことも右結論を左右するものではない。
3 さらに、原告らは本件横断歩道の幅員が狭少で、その点において設置、管理の瑕疵がある旨主張する。
しかしながら、もともと横断歩道や交差点内は車両の停車禁止場所で、進路前方の車両等の状況によつて右場所で停止するおそれがあるときは進入してはならない(道路交通法四四条、五〇条)のであつて、その点からいえば横断歩道の広狭は問題とならないのみならず、仮に横断歩道の幅員を広くしたとしても、右に違反して敢えて進入停止した車両の停止位置や横断者の横断径路によつては原告ら主張と同様な死角問題が生ずるのであつて、本件において横断歩道の幅員がより広かつたならば本件事故が避けられたものともいえず、従つて本件横断歩道の幅員が前記のとおり四・三メートルであつたことをもつて設置、管理上の瑕疵とすることはできない。
以上のとおり、本件A、B両信号機の時差の存在、停止禁止部分の不標示、横断歩道の幅員はいずれもそれぞれの設置、管理上の瑕疵とはいえず、また右に判示したところから明らかなようにそれらの複合組合せによつても瑕疵となるものではなく、結局本件事故は前方が渋滞していてそのまま本件交差点を通過できないおそれがあるのに停止線を越えて交差点内に進入して停止を余儀なくされ、発進にあたつて前方のB信号機の表示に気をとられて自車の直前、左右の安全を確認することなく発進進行した本件事故車の運転者の過失によつて発生したものといわざるを得ない。
三 そうすると、原告らの請求はその余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小川昭二郎 田中優 富田善範)