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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)599号 判決 1980年2月12日

原告

大和善一

被告

鈴木鉄工建設株式会社

主文

一  被告らは原告に対し、各自金三六三万三、九九〇円およびこれに対する昭和五三年三月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各自負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当時者双方の申立

一  原告

1  被告らは原告に対し、各自金九八八万八、九四三円およびこれに対する昭和五三年三月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当時者双方の主張

一  原告の請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和四四年五月五日午後二時五五分ごろ

(二) 場所 東京都葛飾区新小岩三の四の一〇先路上

(三) 天候 晴

(四) 事故の態様 被告田所は、自家用普通貨物自動車(足立四ほ四一一七号・以下、被告車という。)を運転して、右路上を新小岩方向から松島町方向に進行中、右路上を歩行中の原告の右側頭部に、被告車の左前側部を衝突させて原告を転倒させ、原告に対し、右側頭部陥没骨折、硬膜外血腫の重傷を負わせた。

2  責任

(1) 被告車は被告鈴木鉄工建設株式会社(以下、被告会社という。)の所有に属するものであり、被告田所は被告会社の使用人ではないが、被告会社は、被告田所に対し同日午前八時から同日午後八時まで被告車を貸与していたものであるから、運行供用者として自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条により、

(2) 被告田所は、自動車運転者として、右路上は幅員五メートル位の、しかも通学路になつており、徐行区域であるところ、時速二五メートル位のスピードで走行し、さらに、前方を注意して走行しなければならないのにこれを怠つた過失により本件事故を惹起したので、民法七〇九条により、

それぞれ原告の被つた損害につき賠償義務がある。

3  負傷および後遺障害

原告は、本件事故により前記の如き傷害を受け、千代田病院に入院し、頭蓋骨形成手術、血腫除去手術を受け、さらに、昭和四五年五月にも入院し、レジン板充填術の施行を受けたが、右側頭部に直径約七センチメートルの円形瘢痕を残している。外傷は治療したものの、脳波に異常を残し、昭和五〇年三月一八日に順天堂大学医学部脳神経外科で診察を受けたところ、外傷性てんかんとの診断を受け、それ以後今日まで通院加療を受けている。現在も、投薬にて発作を押えている状態であり、後遺障害等級は九級に該当する。

4  損害

(1) 逸失利益金七八八万八、九四三円

原告は、現在一一歳二か月の小学校五年生であるが、現在、投薬で発作を押えている状態で、その精神障害は将来も回復困難であり、後遺障害九級に該当するので、一八歳の男子の平均給与額月金九万一、八〇〇円を基礎とし、労働能力喪失率三五パーセント、新ホフマン係数によつて、原告の得べかりし利益の喪失額を算出すると、金七八八万八、九四三円(91,800×12×35/100×20,461=7,888,943円)となる。

(2) 慰藉料金二〇〇万円

原告は、本件事故による受傷のため、数度にわたり入院手術を受けるという肉体的苦痛を受けたが、それにもまして昭和五〇年三月ごろから発作がひどくなり、外傷性てんかんと診断され、今日もなお通院治療を受けているけれども、何時発作がおきるか分らない不安におそわれ、脳波に異常を認めるものであり、その精神的苦痛は一生つきまとうもので甚大であるといわなければならない。よつて、その慰藉料として金二〇〇万円をもつて相当と思料する。

5  よつて、原告は被告らに対し、右損害額計金九八八万八、九四三円およびこれに対する本訴状送達日の翌日である昭和五三年三月二日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各自支払いを求める。

二  被告らの答弁と主張

1  答弁

請求原因1の事実中、被告田所が被告車を運転し、原告主張の日時にその主張の路上をその主張の如く進行したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告田所は、被告車を原告に衝突させ傷害を負わせたことはない。すなわち、同被告は、被告車を運転して右路上にさしかかつた際、進行方向右側に原告の母親がおり、左側に原告がいたが、原告が右側に渡ろうとして同行者より手を引いて制止され、自ら倒れたのを認めたので、二〇〇メートル位進行してから停止し、戻つてみると、原告が泡をふいて倒れたままでいた。そこで、同被告は、被告車が原告に衝突したことはなかつたけれども、親切心より、一応警察に連絡したうえ、原告を最寄りの大和診療所に連れて行き診察を受けさせたものである。同2(1)の事実中、被告車が被告会社の所有に属するものであり、被告田所が被告会社の使用人でないことは認めるが、その余の事実は否認する。同2(2)の事実中、原告主張の道路の幅員が五メートル位であることは認めるが、その余の事実は否認する。なお、道路規制は昭和四四年一〇月以降であり、運行速度も時速二〇キロメートル以下である。同3・4の事実は否認する。原告は、昭和五〇年三月ごろから外傷性てんかんの後遺症が発生したと主張するが、原告の受傷は約一年後の昭和四五年六月一八日には治癒したものとされ、後遺症については労働者災害補償保険の第一二級に該当する旨の診断がなされており、原告の症状は固定していたものである。したがつて、右外傷性てんかんは昭和四四年当時の受傷とは因果関係がないものである。

2  主張

(1) 免責

仮に、被告車が原告の直近を通過した際、原告が負傷したものであるとしても、被告田所は、別段、対向車両もない前記道路を、通常の速度で、前方にも歩行者にも十分注意して被告車を運転していたものであつて、もちろん、前記のとおり、原告に被告車を衝突させてはいないのである。右受傷は、右衝突と関係なく生じたものであるが、保護者と同様の立場にある訴外五味ヒロ子が幼児である原告の手を引いていなかつたという重大な過失によつて生じたものである。そして、当時、被告車には構造上の欠陥ないしは機能の障害はなかつたものである。

よつて、被告らは免責されるべきである。

(2) 過失相殺

仮に、右事故発生につき、被告田所になんらかの過失があつたとしても、原告側にも右のような過失があつたから、損害額の算定に当り、この点を斟酌すべきである。

(3) 消滅時効

仮に、被告田所が原告に被告車を衝突させて傷害を負わせたとしても、本件損害賠償請求権は、原告主張の事故発生日である昭和四四年五月五日から、仮に、そうでなくても、右受傷が治癒したものと判断された日である昭和四五年六月一八日から、それぞれ三年間の経過により時効によつて消滅しているので、被告らは、本件第一回口頭弁論期日(昭和五三年三月二八日)において、消滅時効を採用する旨の意思表示をした。

(4) 失効の原則

仮に、然らずとしても、本訴提起は、右事故発生日より八年以上を経過しており、その間、原告は被告らに何らの請求もしていないのであるから、原告の本訴請求は、信義則に反するものであり、所謂失効の原則が適用されるべきものである。

三  被告らの主張に対する原告の答弁

被告らの右各主張事実はいずれも否認する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  被告らの責任原因

請求原因1の事実中、被告田所が被告車を運転し、原告主張の日時にその主張の路上をその主張の如く進行したこと、同2(1)の事実中、被告車が被告会社の所有に属するものであり、被告田所が被告会社の使用人でないこと、同2(2)の事実中、原告主張の道路の幅員が五メートル位であることはいずれも当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証、乙第二号証、その方式と趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証、乙第一号証、証人五味ヒロ子、大野多鶴子の各証言および原告法定代理人大和幸子尋問の結果を総合すれば、原告の母大和幸子は、昭和四四年五月五日午後、長男の原告(当時満二歳)、姉の訴外五味ヒロ子(原告の伯母)および右訴外人の子供(当時満一歳)とともに外出し、同都葛飾区新小岩三の四の一〇先の路上にさしかかつたが、その際、電話をかけようと考え、右訴外五味に対し、「しばらくの間、原告をみていて欲しい。」と言つて原告を預け、一人で、近くの菓子屋の前にある電話器の傍に行き、そこで右路上を背にして電話をかけ始めたこと、そのころにおける原告らの位置関係はほぼ次のとおりであつたこと、すなわち、別紙図面記載のとおり、<イ>点に原告が、<ロ>点に右訴外五味が、<ハ>点に右訴外人の子供がそれぞれ位置し、いずれも原告の母がいる<ニ>点の方を向いて立つており、<ホ>点には車両が停止していたこと、しかし、その後、原告の母が電話をかけている最中、原告は、右路上で、数回「お母さん、お母さん。」と呼び、落着かない様子で、一人であちこちをうろうろしていたこと、ところで、このような状況のもとにおいて、被告田所は、同日午後二時五五分ごろ、被告車(なお、被告車は、被告田所が被告会社より同日午前八時から同日午後八時までの約束で貸与を受けていたものである。)を運転し、毎時約二〇キロメートルの速度で、別紙図面記載の路上を左側から右側に向けて進行してきたが、進路前方に対する注意を十分に払わないで、右速度のまま、右路上にいた原告の間近かを通過して行つたこと、そして、そのころ、原告は、その付近の路上に転倒して右側頭部陥没骨折および硬膜外血腫の重傷を負つたこと、右骨折は、通常の場合、強力な外力が加わらなければ生ずる可能性が極めて少ないものと考えられるところ、右転倒前、原告が車両以外のものによつて強力な外力を加えられた形跡は全く存在していない(なお、被告らは、原告が右訴外五味より手を引かれて右路上に転倒した旨主張するが、本件全証拠を検討するも、これを認めるに足る証拠はない。)こと、原告は、右受傷前までは健康体であつて、格別の病気をしたことはなかつたことが認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。

右認定事実に照らすと、原告がどのような状態で被告車と接触し、どのような状態で転倒したかは詳でないけれども、原告の右傷害は、原告が被告車と衝突して転倒した結果生じたものと推認することができる。

そして、本件事故は、被告田所の前方不注意の過失によつて発生したものであるから、同被告は、原告の被つた損害につき民法七〇九条所定の損害賠償義務がある。また、被告会社は、運行供用者として、原告の被つた損害につき自賠法三条本文所定の損害賠償義務がある。そして、被告らの右各義務は不真正連帯債務の関係にたつものである。

二  原告の受傷の部位・程度等

前掲各証拠およびその方式と趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二、第四、第六ないし第一〇号証によると、原告は、本件事故により前記傷害を受け、右事故発生日である昭和四四年五月五日から同月一九日まで大和診療所に入院して治療を受けたのち、同日から昭和四五年六月一六日まで千代田病院に入通院を繰返して治療を受け、この間、同病院で、昭和四四年五月二一日頭蓋骨形成手術および血腫除去手術、同年一二月一一日創部感染にてレジン板除去手術、昭和四五年六月レジン板再充填手術をそれぞれ受けたが、原告の右側頭部には直径約七センチメートルの円形瘢痕が残つていること、そして、同病院医師は、同月一八日、原告の外傷は同日治癒し、右瘢痕は労働者災害補償保険の後遺症一二級所定の「男子の外貌に著しい醜状を残すもの」に該当するものと判断したこと、ところで、原告は、出生(昭和四一年一一月二七日生)してから昭和五〇年二月ごろまでの約八年間、医師より、特に脳に異常がある旨の診断を受けたことはなく、また、後記のような発作・激しい頭痛・吐気等を起したこともなかつたこと、このようなことから、原告は、右受傷した昭和四四年五月五日当時はもとよりのこと、右外貌醜状痕後遺症の判断がなされた昭和四五年六月一八日当時も、後記のような外傷性てんかん後遺症の発生とこれによる損害を予期することは全くできなかつたこと、ところが、原告は、右受傷後約五年一〇か月経過した昭和五〇年三月ごろから激しい頭痛と吐気におそわれるようになつてきたため、同月一八日順天堂医院で診察を依頼したところ、医師より、外傷性てんかんの疑いがあるとして脳波検査等を受けた結果、右側頭葉後部に異常が認められ、医師より、これがてんかん病巣となり得る可能性が十分にある旨の判断を受けたこと、原告は、その後も脳波の改善が認められず、激しい頭痛と吐気があつたため、同病院に通院し、医師より、同年八月五日から抗けいれん剤を投与され、途中、脳波所見や臨床症状に従い、抗けいれん剤の投与量および投与薬剤の追加・変更を受けていたが、医師より、昭和五二年一〇月五日、「原告の症状は、極めて難治性のものであり、脳波上の異常所見の改善は得がたく、また、臨床的にも発作性頭痛・意識消失発作が時に出現する。向後、発作のコントロールが困難で、かつ、脳波異常の改善が得られない場合には入院精査の必要がある。原告の病名は、頭部外傷後遺症、外傷性てんかんである。」旨の診断を受けたこと、そして、原告は、この間、時々けいれんを起こし、数秒間、額面が蒼白になり、腫孔が開き、動作が停止しているような病状を呈したため、その病状精査の必要上、同医院に同年一一月四日から同年一二月三日まで入院して治療を受けたが、同医院医師は、昭和五四年一〇月二二日、同医院での原告の病状経過につき、「昭和五〇年三月一八日初診、外傷性てんかんを疑い、脳波検査、精神科受診等を行い、脳波上、受傷側の側頭葉を中心とした異常を認め、また、精神科医の意見をも参考にし、精神運動発作に属するてんかん発作であろうと判断し、抗けいれん剤の投薬を開始した。また、CTが作動し始めた昭和五二年二月二三日にはCT検査も施行され、受傷側の右側頭葉後部に、やはり異常が認められ、外傷による瘢痕形成によるものであると考えられ、てんかん病巣となり得る可能性は十分であると判断した。しかし、投薬によつても、発作のコントロールは非常に困難で、難治性てんかんとして精査のため、同年一一月四日から同年一二月三日まで入院し、血管写、脳室造影等の検査を施行したが、CT以上の情報は得られなかつた。改めて外来にて、抗けいれん剤の量・質等に検討を加えつつ、投薬を継続中であるが、頻度・病状は大部減少、軽快しているようである。」と診断し、さらに、「原告の脳波異常は、右受傷部位とCT所見から考えて、外傷によるものと考えるのが妥当である。右に述べた精神運動発作は、別名側頭葉てんかんと言われているが、てんかんの発作型から推して、この脳波異常と原告の症状との因果関係は十分にあると考えられる。原告の治癒の見通しについては、右受傷後一〇年以上の経過にもかかわらず、なお難治性であることからして、向後治癒する見通しは非常に悲観的にしか考えられないと思う。」旨の判断を示していること、原告は、現在も、同医院に通院して治療を受けているが、薬物を服用しないと、何時右のような発作が起きるか分らないので、これを服用しながら不安な生活を送つている有様であり、また、生活活動面で、医師より、今後一般の体操程度はしても良いが、激しい運動は避けた方がよいと注意されるなどかなりの制限を受けていることが認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。

右認定事実に鑑みると、原告の外傷性てんかん後遺症は、本件事故によるものというべく、その程度は自賠法施行令二条別表の後遺障害等級表九級一〇号所定の事由、すなわち、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するものであり、その労働能力喪失率は、右症状および労働基準監督局長通牒(昭和三二年七月二日基発五五一号)にかかる労働能力喪失率表等を参酌して、三〇パーセントと認めるのが相当である。

三  原告の損害

1  逸失利益金四八五万六、六五一円

前掲各証拠によると、原告は現在、一三歳の中学校一年生であるが、もし本件事故に遭遇しなければ、一八歳から六七歳までの四九年間就労することができ、かつ、この間、右後遺症の発生が明らかとなつた昭和五〇年の賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計による男子労働者一八~一九歳の平均賃金を下回らない金員を得ることができたものと認められるので、右平均賃金を基準とし、右後遺症の程度および労働能力喪失率等を斟酌して、この間の逸失利益をライプニツツ式計算方法によつて算出すると、金四八五万六、六五一円(円未満切捨・54年〔=67年-13年〕に対応するライプニツツ係数18.5651、5年〔=18年-13年〕に対応する同係数4.3294、18.5651-4.3294=14.2357、〔月額83,600円×12月+年間賞与等134,000円〕×労働能力喪失率30/100×ライプニツツ係数14.2357=4856,651円40銭)となる。

2  慰藉料金一二〇万円

前掲各証拠によつて認められる本件事故の態様、原告の受傷部位・程度、治療の経過、外傷性てんかん後遺症の有無・程度その他諸般の事情(ただし、後記過失相殺の点を除く。)を考慮すれば、原告の右後遺症による精神的苦痛を慰藉するためには金一二〇万円が相当であると認める。

四  過失相殺

前記認定の事実によると、原告の伯母訴外五味ヒロ子は、本件事故前、前記路上で、原告の母(原告の親権者)より、原告を預けられ、右親権者の補助者として、原告の監督に当つていたものというべきところ、前掲各証拠によれば、同訴外人は、右事故前、同路上は車両等が通行する場所であり、かつ、わずか二歳の幼児である原告が、落着かないで、一人であちこちをうろうろしていたことを知つていたのであるから、あらかじめ、原告がその場をむやみに動かないように原告の手を握つておくなどして事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたのに、これを怠つた過失により本件事故を発生させたものであることが認められる。

ところで、本件のように被害者本人が幼児である場合における民法七二二条二項にいう被害者の過失には、被害者側の過失も含まれているが、右にいわゆる被害者側の過失とは、被害者本人である幼児と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられる関係にある者の過失をいうものと解せられるところ、原告の伯母である右訴外人の過失は、右のような関係にある者の過失ということができるから、本件損害賠償額を定めるに当つては、同訴外人の右過失を被害者側(原告側)の過失として斟酌すべく、本件事故に対する過失割合は、原告側が四〇パーセント、被告田所が六〇パーセントと認めるのが相当である。そこで、原告の右損害額計金六〇五万六、六五一円につき過失相殺すると、原告が被告らに請求し得る残損害額は金三六三万三、九九〇円(円未満切捨)となる。

五  被告らの主張に対する判断

1  免責の主張について

前記認定のとおり、本件事故発生については被告田所に前記過失があつたことが明らかであるから、被告らの右免責の主張は、その余の点につき判断するまでもなく、失当として採用することができない。

2  消滅時効の主張について

民法七二四条は、不法行為による損害賠償請求権は、被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知つた時から三年の時効により消滅する旨規定しているが、右被害者につき、その不法行為によつて受傷した時から相当の期間経過後に右受傷に基因する後遺症が現われた場合には、右後遺症が顕在化した時が同条にいう損害を知つた時に当り、後遺症に基づく損害であつて、その当時において発生を予見することが社会通念上可能であつたものについては、すべて被害者においてその認識があつたものとして、当該損害の賠償請求権の消滅時効はその時から進行を始めるものと解するのが相当である。そこで、このような考え方に立つて本件をみると、本件事故により原告が受傷したのちにおける治療の経過はすでに述べたとおりであつて、前記二認定の事実に照らすと、原告の前記受傷による外傷性てんかん後遺症は、早くとも、原告が順天堂医院に受診した日である昭和五〇年三月一八日から顕在化したことが明らかであるから、原告としては、この時点に至つて始めて右後遺症に基づく逸失利益および慰藉料の損害の発生を予見し、その賠償を請求することが社会通念上可能であつたものというべきである。そうすると、本件損害賠償請求権は、昭和五〇年三月一八日から時効の進行を始めたことになるが、本件記録によれば、本訴が提起されたのは昭和五三年一月二五日であることが認められるから、未だ、三年の消滅時効は完成せず、被告らは原告に対し、本件損害を賠償すべき義務がある。したがつて、被告らの右主張もこれを採用することができない。

3  失効の原則の主張について

被告らは、原告の本訴請求は、信義則に反するものであり、所謂失効の原則が適用されるべきである旨主張しているけれども、前記認定の事実に照らすと、原告が右受傷後本訴を提起するに至るまでの間、被告らに対し、特に信義に反する行為をしたものとは到底認め難く、他に被告らの右主張事実を認めるに足る証拠はない。したがつて、この点に関する被告らの右主張もこれを採用することができない。

六  結論

結局のところ、原告の被告らに対する本訴請求中、計金三六三万三、九九〇円およびこれに対する本訴状送達日の翌日である昭和五三年三月二日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各自支払いを求める部分は理由があるのでこれを認容するが、その余の部分は失当としてこれを棄却すべく、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松本朝光)

別紙(図面)

<省略>

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