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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)7322号 判決 1981年3月31日

原告 田中忠雄

右訴訟代理人弁護士 橋本紀徳

同 堀敏明

被告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 遊佐光徳

被告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 手嶋博利

<ほか四名>

主文

一  被告甲野太郎は原告に対し、金九〇一万二四九四円及びこれに対する昭和五三年八月一一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告甲野太郎に対するその余の請求を棄却する。

三  原告の被告東京都に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用中、原告に生じた費用の三分の一と被告甲野太郎に生じた費用は被告甲野太郎の、原告に生じたその余の費用と被告東京都に生じた費用は原告の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

〔請求の趣旨〕

一  被告らは各自、原告に対し、金二五〇一万六〇八五円及びこれに対する昭和五三年八月一一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言

〔請求の趣旨に対する答弁〕

一  被告甲野太郎

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

二  被告東京都

1 主文第三項と同旨

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

〔請求の原因〕

一  事故の発生(以下本件事故という。)

被告甲野太郎(以下被告甲野という。)は、昭和五二年二月六日午前零時過ぎ普通乗用自動車(多摩五六や九〇〇四、以下甲野車という。)を運転して甲州街道を府中方向から新宿方向へ進行中、警視庁第八方面交通機動隊所属の訴外大内和夫巡査(以下大内巡査という。)運転、訴外小川清身巡査(以下小川巡査という。)助手席同乗のパトカー(以下本件パトカーという。)の追跡を受けたため逃走走行を続け、同零時二〇分ころ調布市小島町一丁目五番の信号機により交通整理の行われている交差点(以下本件交差点という。)にさしかかったがその際、対面する信号機が赤信号を現示しているのにかかわらずこれを無視して本件交差点内に直進進入したため、折から交差道路である三鷹街道上を深大寺方向から調布駅方向へ向かって進行し、対面信号機の青信号に従って本件交差点内に直進進入した原告運転の普通貨物自動車(多摩四四ま四一六一、以下原告車という。)の右前部、右側部に自車を衝突させ、その結果原告に多発性肋骨骨折、血気胸、広範皮下気腫、肺挫傷の傷害を負わせた。

二  被告甲野の責任

被告甲野は、前記のとおり赤信号を無視し、かつ制限速度を超える時速約八〇ないし九〇キロメートルの速度で本件交差点に進入した過失により本件事故を生ぜしめたものであるから、同被告は民法七〇九条に基づき原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

三  被告東京都の責任

1 (本件事故に至った経緯)

大内巡査らは、昭和五二年二月五日午後一一時五〇分ころ、調布市西町無番地先甲州街道白糸台六丁目交差点において暴走族の取締りにあたっていたところ、同月六日午前〇時一五分ころ右甲州街道上を府中方向から道路中央線を超えて対向車線上を時速約六〇キロメートルの速度で進行してくる甲野車を発見したので、警笛を吹鳴し赤色灯を振って停止を命じたが、同車が右合図及び右交差点の赤信号をいずれも無視し、そのまま右交差点を通過して行ったので、大内巡査が本件パトカーの運転席に、小川巡査が助手席に乗車して甲野車の追跡を開始した。ところが、甲野車は、同市飛田給一丁目信号機にさしかかったあたりで前照灯を消したうえ更に加速し、小川巡査のパトカー備付のマイクによる警告も無視し、甲州街道上の調布市上石原、富士見町一丁目、下石原の各交差点をいずれも通行区分に違反して対向車線に進入しかつ赤信号を無視して時速約六〇ないし七〇キロメートルの速度で通過し、本件パトカーも終始甲野車の追跡を続け、本件交差点に至った。

2 (運行供用者責任)

ところで、被告東京都は、本件パトカーを所有し、自己のため運行の用に供していた者であるところ、本件事故は、前記のように本件パトカーが甲野車を追跡したため、甲野車が右追跡から逃れようとして暴走し、その結果発生したものであるから、右事故は本件パトカーの運行によって生じたものというべきである。従って、被告東京都は自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)三条に基づき原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

3 (国家賠償法上の責任)

(一) 本件事故発生時、被告甲野が逃走した甲州街道の白糸台六丁目交差点から本件交差点までの各交差点の甲野車進行車線上には三ないし一〇台の車両が信号に従って停止しており、また交通量も信号一サイクルの間甲州街道については上下線とも約二五台、三鷹街道については上下線とも四、五台の車両が通行し、歩行者も時折り通行するという状況で、一方甲野車は、本件パトカーの追跡を受け始めるや前照灯を消して加速し、小川巡査の度重なる警告を無視して逃走を続け、右各交差点において赤信号無視、道路区分違反、制限速度違反の暴走行為を反覆していたのであるから、大内巡査らは本件パトカーが甲野車の追跡を続行すれば、甲野車が第三者の生命身体に重大な危害を加える危険性が極めて高いこと、また追跡を続行しても右甲野車の無謀運転を停止させ検挙することが極めて困難であることを十分認識しており、かつ右追跡中に小川巡査は甲野車の車種、車色、車両番号を確認しており、無線連絡による交通検問など他の捜査方法ないしは事後捜査により被告甲野の検挙が十分可能であったのであるから、大内、小川両巡査は、すみやかに甲野車の追跡を中止し、第三者に対する危害の発生を防止すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、甲野車と同一の高速度及び運転方法で追跡を続けた過失により、被告甲野をして暴走行為を続けしめ、よって本件事故を発生させるに至ったものである。

しかも、大内巡査には、甲野車を追跡するに際し、適切な車間距離をおかずに極めて接近して追跡した過失があり、同過失により、甲野車が原告車に衝突後、本件パトカーを甲野車に衝突させ、その衝撃により再び甲野車を原告車に衝突させ、原告車に衝撃を与えたものである。

(二) のみならず、甲野車は前記のとおり各交差点において赤信号を無視し制限速度を超えた速度で通過しており、他の車両や歩行者に危害を加える可能性が極めて高かったのであるから、同車を追跡していた大内、小川両巡査としては、交差点に交差道路から青信号に従って進入してくる車両及び歩行者に対し、甲野車の暴走を知らせるため赤色灯を点滅し、サイレンを吹鳴すべき注意義務があったにもかかわらず、同人らがこれを怠り、赤色灯の点滅、サイレンの吹鳴をしなかったため原告は、甲野車の本件交差点への進入を知ることができず、青信号に従って本件交差点に進入し甲野車と衝突するに至ったもので、本件事故は大内、小川両巡査の過失によって発生したものというべきである。

(三) 大内、小川両巡査はいずれも被告東京都の警察官であり、同人らはその職務を行うについて右(一)、(二)記載の過失によって本件事故を生ぜしめたものであるから、被告東京都は国家賠償法一条に基づき原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

四  損害

1 後遺症による逸失利益 金六八〇万六七九一円

原告は、本件事故によって生じた前記一の傷害により、治療後も肋骨に針を刺されるような痛みが残り、力仕事をすることができないなどの後遺症を生じた。原告は昭和四〇年から田中商店名をもって妻シヅイと二人で青果業を営んでおり、同営業による昭和四九年から昭和五一年まで三年間の総売上げ髙は金五二〇六万五六七五円、年平均金一七三五万五二二五円であったが、本件事故後の昭和五三年は金一四九八万三四六七円と年間金二三七万一七五八円の減少が生じている。青果業においては売上げ額の約一八パーセントが純利益と推定されるので、本件事故後の純利益の減少額は年間金四二万六九一六円であり、右が原告の後遺症による年間の逸失利益額とみるべきである。そこで、右後遺症固定時である昭和五二年七月(当時原告は四二歳)以降原告が稼働しうる六七歳まで二五年間の逸失利益額から年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除してその現在価額を求めると、その額は金六八〇万六七九一円となる。

2 パート代 金九九二万四八二〇円

原告は、本件事故後昭和五二年六月一七日田中商店の営業を再開したが、原告の傷害及び後遺症の残存で十分稼働できないためパートで店番を雇わざるを得ず、そこで店番を雇い、同月分として金二万五〇〇〇円、同年七月から昭和五三年六月まで毎月金五万円宛合計金六二万五〇〇〇円のパート代を支払った。さらに原告は引続き今後二四年間毎月金五万円、年間金六〇万円のパート代を支出せざるを得ないので、右総額から年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除して、その現価を求めると、その額は金九二九万九八二〇円となる。従ってパート代支出による損害合計額は金九九二万四八二〇円となる。

3 商品損失代 金三九万円

原告は本件受傷により事故当日から三月一二日まで入院を余儀なくされ、その間妻シヅイは原告の付添看護にあったため、右期間中営業を休まざるを得ず、そのため入荷していた青果類が傷みその商品価値を失った。その内訳は、果実類金一七万円、野菜類金七万円、練製品類金八万円、乳製品類金一万円、清物類金六万円の合計金三九万円であり、右が本件受傷により原告の被った商品損失による損害である。

4 入通院に対する慰藉料 金一一二万五〇〇〇円

原告は、本件受傷による治療のため訴外武蔵野赤十字病院に昭和五二年二月六日から同年三月一二日まで入院し、同退院後昭和五三年七月まで四三日通院した。そのうえ、原告は自己の経営する田中商店の営業を本件事故以降昭和五二年六月一六日まで休まざるを得ず、多くの得意先を失い、多大の精神的苦痛を被った。これに対する慰藉料としては金一一二万五〇〇〇円が相当である。

5 後遺症に対する慰藉料 金五〇四万円

原告は前記後遺症により多大の精神的苦痛を被った。これが慰藉料としては金五〇四万円が相当である。

6 弁護士費用 金一七二万九四七四円

原告は原告訴訟代理人らに対し、本訴の提起、追行を委任し、着手金及び謝金として金一七二万九四七四円を支払うことを約した。

よって、原告は被告らに対し各自、損害賠償として金二五〇一万六〇八五円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五三年八月一一日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

〔請求の原因に対する認否〕

一  被告甲野

1 請求の原因一、二のうち、甲野車が本件パトカーの追跡を受け、原告主張の日時に赤信号を無視して本件交差点に直進進入し、主張の方向から青信号に従って本件交差点に直進進入してきた原告車の右前部、右側部に衝突したことは認めるが、原告の受傷内容は不知、その余の事実は争う。甲野車の事故時の速度は時速約七〇キロメートルであった。

2 同四の事実はいずれも知らない。

二  被告東京都

1 請求の原因一のうち、原告が主張の傷害を負ったことは知らない、その余の事実は認める。

2 同三1の事実は認める。

3 同三2のうち、被告東京都が本件パトカーを所有し、その運行供用者であったことは認めるが、その余の主張は争う。

4 同三3(一)の主張は争う。

大内巡査らの追跡行為は、警察法二条に定める責務を有する警察官として、第一に被告甲野を現行犯人として検挙し、あるいは逮捕する目的、第二に交通事故発生の危険のある違反状態を除去し、もって道路交通の安全回復をはかる目的に出たものであるから、正当な職務行為であり、行動、追跡方法も妥当なものであった。従って被告甲野が逃走したからといって追跡を中止することはその職責を放棄することになり到底許されないことである。また、本件においては、本件パトカーの追跡開始後甲野車が数回にわたる警告を無視して逃走を続けるため無線手配をすべく甲野車の車両番号を確認しようとしたが容易に同車との車間距離が縮まらず、ようやくその車両番号を確認しうる程度まで接近することができ、小川巡査が右車両番号を確認した直後に本件事故が発生したものであり、無線手配により交通検問等の実施を依頼する暇はなかったものである。

さらに、被告甲野は、過去において速度超過、信号無視など一〇件の道路交通法違反及び三回の自動車運転免許停止処分歴を有し、暴走族ホワイト・ローズの仲間であり、本件事故発生直前も右ホワイト・ローズの集会に参加した後、右集団の車両約三〇台の先頭をきって時速約七〇ないし八〇キロメートルで走行中のところを大内巡査らに発見されたものであり、右発見時において既に制限速度違反、赤信号無視、通行区分違反を行い、本件パトカーの追跡以前から暴走していたものであって、右追跡開始後に若干の加速があったとしても、それは従前の暴走の継続にすぎず、本件事故は被告甲野が自らの意思によって暴走行為を継続した結果発生したものであって、大内巡査らが被告甲野を追跡したために発生したものでないことは明らかであるから、大内巡査らによる甲野車の追跡と本件事故の発生との間には相当因果関係がない。

なお、本件事故において甲野車と原告車の衝突後、本件パトカーが甲野車に衝突したため、甲野車が再度原告車に衝突した事実はない。

5 同三3(二)の事実は否認する。大内巡査らは、甲野車の追跡開始直後から本件事故発生に至るまで終始サイレンを吹鳴し、赤色灯を点滅させていたものである。

6 同三3(三)のうち、大内、小川両巡査がいずれも被告東京都の警察官であること、本件事故当時職務執行中であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

7 同四の主張は争う。

〔被告甲野の抗弁〕

被告甲野は原告に対し、本件事故に基づく損害賠償債務の弁済として入院費名目として金五五万八九八四円、自動車購入割賦金支払として金六〇万一七八九円、その他金一九九万八三二一円、合計金三一五万九〇九四円を支払った。

〔被告甲野の抗弁に対する原告の認否〕

抗弁事実は認める。

第三証拠《省略》

理由

一  昭和五二年二月六日午前零時過ぎ、被告甲野が甲野車を運転して甲州街道を府中方向から新宿方向へ進行中、本件パトカーの追跡を受け、同零時二〇分ころ赤信号を無視して本件交差点内に直進進入し、折から交差道路である三鷹街道を深大寺方向から調布駅方向へ向かって進行し青信号に従って本件交差点内に直進進入した原告車の右前部、右側部に自車を衝突させたことは全当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は、本件事故により左右肋骨多発性骨折、外傷性血気胸、骨盤骨折、左尺骨茎状突起骨折の傷害を負ったことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

二  そこで、被告甲野の責任について判断する。

前記争いのない事実に、《証拠省略》を併せると、本件事故現場は幹線道路である甲州街道と三鷹街道と直角に交差する交差点で、右甲州街道は右交差点附近では歩車道が区別され、車道幅員一三メートル、片側二車線となっていて、最高制限速度は毎時四〇キロメートルに制限されており、一方三鷹街道は歩車道の区別のない幅員七メートル、片側一車線の道路であること、被告甲野は、前記のように本件パトカーの追跡を受けて、逃走走行を続け、本件交差点の手前約九〇メートルの地点付近まで至ったところ、進路前方に六台の車両が停止していたため、道路中央線を超えて反対車線(下り車線)に進入し、かつその際本件交差点の対面信号が赤信号であることを認めたが、そのまま時速約七〇キロメートルの速度で進行を続け、本件交差点の手前約二〇メートルの地点に至ったとき、約二七メートル前方に左方から右方に進行する原告車を発見し、直ちに急制動をかけたが間にあわず、自車の前部を原告車右前部ドア付近に衝突させたこと、一方原告は、原告車を運転して三鷹街道を南進して本件交差点にさしかかったところ、対面信号が赤信号であったため交差点の手前で一旦停止し、まもなく信号が青信号に変ったので発進し、甲州街道の上下車線の車両が停止しているのを確認しながら本件交差点内を時速約二〇キロメートルの速度で直進通過中に甲野車に衝突されたものであることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

以上の事実によれば、被告甲野には本件交差点を通過するにあたり、赤信号を無視し、かつ制限速度を大幅に上廻る時速約七〇キロメートルの高速で同交差点内に進入した過失があり、右過失により本件事故が発生したことは明らかであるから、被告甲野は、民法七〇九条に基づき原告に生じた後記損害を賠償すべき義務があるものといわざるを得ない。

三  次に、被告東京都の責任について判断する。

1  まず原告は、本件事故が本件パトカーの運行によって生じたものであるから、被告東京都は自賠法三条によって損害賠償義務があると主張する。

大内、小川両巡査らが、昭和五二年二月五日午後一一時五〇分ころ甲州街道白糸台六丁目交差点において暴走族の取締りにあたっていたところ、同月六日午前零時一五分ころ右甲州街道上を府中方向から道路中央線を超え対向車線上を時速約六〇キロメートルの速度で接近進行してくる甲野車を発見したので、警笛を吹鳴し赤色灯を振って停止を命じたが、同車が右合図及び交差点の赤信号をいずれも無視し、そのまま右交差点を通過して行ったので、直ちに大内巡査が本件パトカーの運転席に、小川巡査がその助手席に乗車して甲野車の追跡を開始したこと、ところが、甲野車は、飛田給一丁目信号機付近で前照灯を消したうえ更に加速し、小川巡査のパトカー備え付けのマイクによる停止警告も無視し甲州街道上の調布市、上石原、富士見町一丁目、下石原の各交差点をいずれも通行区分に違反して対向車線に進入しかつ赤信号を無視して時速約六〇ないし七〇キロメートルの速度で通過し、本件パトカーも終始甲野車の追跡を続け、本件交差点に至ったものであることは原告と被告東京都間に争いがない。

しかしながら、本件全証拠を検討しても本件パトカー自体が原告車と衝突したと認めるべき証拠はないうえ、右当事者間に争いのない事実によれば、甲野車は本件パトカーの追跡を受ける以前から通行区分違反、速度違反及び信号無視の暴走行為をなし、その後本件パトカーの追跡を受けるやこれを認識し、かつマイクによる停止警告も受けたのであるから当然に暴走行為をやめ直ちに停止すべきであるにかかわらず、これを無視して暴走行為を継続し、遂に本件事故を惹起するに至ったもので、本件事故は被告甲野の重大な過失によって発生したものであり、右のような事実関係のもとでは甲野車が本件パトカーによって追突されることを避けるため止むを得ず信号が赤信号であるにかかわらず交差点内に進入せざるを得なかったなどの特段の事情がないかぎり本件パトカーの運行と本件事故との間に相当因果関係があるものとはいい難く、本件では右のような特段の事情があったものとは認められないので、結局本件事故が本件パトカーの運行によって生じたものとみることはできない。したがって、原告の右主張はその理由がないものというべきである。

2  次に原告は、大内、小川両巡査には本件パトカーによる甲野車の追跡を続行すれば、甲野車が暴走を続け第三者に危害を及ぼす危険性が高く、追跡を続行しても検挙が困難であることの認識が十分にあり、かつ他の捜査方法によって検挙が可能であったから追跡を中止すべきであるのにこれを怠った過失があり、右過失により本件事故が生ずるに至ったと主張する。

前記争いのない事実に《証拠省略》を総合すれば、前記追跡を開始した白糸台六丁目交差点から飛田給一丁目信号機までの距離は約三〇〇メートル、同信号機から上石原交差点までは約七〇〇メートル、同上交差点から富士見町一丁目交差点までは約二〇〇メートル、同上交差点から下石原交差点までは約五五〇メートル、同上交差点から本件交差点までは約三五〇メートルで、白糸台六丁目交差点から本件交差点までの距離は約二・一キロメートルにすぎず、本件パトカーが追跡を開始してから本件事故発生までの時間は多くとも二分間以内であったこと、甲野車は、大内、小川両巡査が警戒していた白糸台六丁目交差点を既に制限速度違反、通行区分違反、信号無視の道路交通法違反を犯すとともに排気筒のマフラーをはずすことによって生ずる異常に高い排気音をひびかせながら同交差点を通過したので、右両巡査は直ちに本件パトカーに乗車して追跡を開始したのであるが、追跡開始当初の車間距離は約一〇〇メートルで、その後本件パトカーも信号にこそ従わなかったが交通安全上の配慮から交差点を通過する度に減速するなどしたため右距離は容易に縮まらず、白糸台六丁目交差点から約一〇〇〇メートル離れた上石原交差点付近に至ってようやく車間距離が約四〇ないし五〇メートルに狭まったこと、小川巡査は飛田給一丁目信号機を過ぎた付近から富士見町一丁目交差点を過ぎるまでの間にパトカー備え付けのマイクで甲野車に対し数回に亘り直ちに停止するよう警告を発したが甲野車は右警告に従わず排気音をひびかせつつ各交差点で信号無視、通行区分違反、制限違反を犯しては赤信号に従い停止中の車両を追い越す蛇行運転を繰り返すなどの暴走を続けたので、大内巡査は本部に無線連絡するため富士見町一丁目交差点付近で小川巡査に対し、甲野車の車両番号を控えるよう指示し、自車の前照灯を上に向け、速度を上げて下石原交差点付近で甲野車に約二〇ないし三〇メートルの距離にまで接近したので、小川巡査において右車両番号を確認のうえ手帳に控えたが、控え終ったのは下石原交差点を過ぎたあたりで、大内巡査としてはさらに被追跡車の運転手である被疑者の特徴を確認しようと努めている直後に本件事故が生じたもので、その間に右被疑者の検挙等の手配を依頼するため本部に無線連絡する暇はなかったことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定事実特に追跡開始後本件事故発生までの走行距離及び時間、車両番号確認のできた時点等を考えるならば、本件パトカーの追跡によって甲野車が暴走行為を続け、その結果第三者に危害を及ぼす危険性の高い状況下にあったとしても、両巡査において、本件事故発生以前に追跡行為を中止して検挙を断念すべきであったということはできず、右追跡行為を中止しなかったことをもって過失ありとすることはできない。したがって、原告の右主張は理由がない。

なお、原告は、大内巡査が適切な車間距離をおかずに甲野車を追跡したため、甲野車が原告車に衝突後、本件パトカーを甲野車に衝突させ、その衝撃により再び甲野車を原告車に衝突させたと主張するが、右主張のように甲野車が二度にわたって原告車に衝突したことを認めるに足る証拠はなく、かえって《証拠省略》によれば、本件交差点において原告車は甲野車に衝突された後本件交差点南東隅のガードネット信号柱に衝突して同所付近に停止し、一方甲野車は右衝突後右ガードネットに衝突し、その反動で再び道路中央付近にもどってきたところ、本件パトカーの右前部が甲野車の後部に衝突し、その衝撃により甲野車は甲州街道下り車線上に信号停止していた訴外井上英寿運転の普通乗用自動車に衝突して停止し、本件パトカーは、甲州街道上り車線の本件交差点車端付近で停止したことが認められるにとどまり(他に右認定を左右する証拠はない。)、右甲野車は原告車に二度衝突してはいないことが認められる。

3  更に原告は、大内、小川両巡査には、追跡走行中第三者に対し甲野車の暴走を知らせるため、赤色灯を点滅させ、サイレンを吹鳴すべき義務があるのにこれを怠った過失があり、右過失により本件事故が発生したと主張する。

まずサイレン吹鳴の有無であるが、その点につき原告本人のみならず、原告とともに青果市場組合の役員会に出席し、車で帰宅途中前記富士見町一丁目交差点先で甲野車及び本件パトカーと擦れ違った訴外高尾和広、さらには本件事故当時本件交差点の甲州街道下り車線上に赤信号に従って停車中であったタクシー運転者の訴外井上英寿のいずれもがその本人尋問及び証人尋問において、本件事故前にサイレンの吹鳴音は全く聞かなかった旨供述しているうえ、本件衝突後パトカーが停止した時点においてパトカーのサイレンが吹鳴されていなかったことは小川巡査自身その証人尋問において認めるところであり、これらの各供述からすると本件パトカーは本件事故前サイレンを吹鳴していなかったのではないかとの疑いが存しないでもない。しかしながら、一方大内、小川両巡査はその証人尋問において、追跡開始後は小川巡査においてスイッチを上げ下げすることによってサイレンを波状的に吹鳴させ、前記のように甲野車の車両番号を控えていた間もスイッチを入れたままにして吹鳴させた旨供述しており、右両名の証言によると、右スイッチは二段式で一段上げると赤色灯が点灯し、更に一段上げるとサイレンも継続して吹鳴されるという構造になっていることが認められること、更に本件時のようにパトカーが信号に従うことなくしかも高速度で追跡走行する場合にサイレンを吹鳴せずに走行するということは通常考えられないことも併せ考えると、前記各供述から直ちにサイレン不吹鳴の事実を認定することはできず、他にこれを認めるべき証拠もない。

のみならず、道路交通法施行令一四条によれば、パトカー等が緊急の用務のために走行するときには原則としてサイレンの吹鳴が義務づけられているが、同義務は右法条によるとパトカーばかりでなく消防自動車、救急車等にも一律に課されているうえ、サイレンの吹鳴のし方については法令上なんらの規定もないから例えば緊急自動車であるパトカーがサイレンを吹鳴しながら走行している場合第三者としてはサイレンの吹鳴を聞いただけでは同車が単独走行中なのか他車を追跡中なのかを判別することは事実上不可能というべきであり、それらの点からして緊急自動車のサイレンの吹鳴は第三者に対し緊急自動車の接近進行を豫め知らせて道路交通法四〇条に定める義務を行わせ、緊急自動車の迅速な走行確保を目的とするもので、他に危険車両が存在することなどを知らせることは右目的に含まれず、事実上そのような効果をもつとしてもそれは反射的効果にすぎないとみるのが相当である。そうだとするならば、本件において仮に本件パトカーが当時サイレンを吹鳴していなかったとしても、原告に対する関係ではそのことが過失とはならないものというべきである。

次に、赤色灯の点であるが、《証拠省略》によれば、原告車の進行してきた三鷹街道から甲州街道府中方向の見通しは悪く、加えて本件事故当時同方向上り車線上には六台の車両が信号待ちのため停止中であったから、本件パトカーが赤色灯を点灯していたとしても原告が本件交差点内に進入する以前に右赤色灯を視認することは不可能であったことが認められる(他に右認定を左右する証拠はない。)から赤色灯点滅の有無は本件事故との間に因果関係がないものというべきである。

従って、サイレンの吹鳴及び赤色灯点灯に関する原告の主張はいずれも理由がない。

以上の次第で、被告東京都に対する請求は損害の点についての判断に及ぶまでもなく、その理由がないものといわざるを得ない。

六  そこで、被告甲野の関係で原告に生じた損害について判断する。

1  後遺症による逸失利益

《証拠省略》によれば、原告は本件事故によって前記のような傷害を受け、治療したが、その後も後遺症として背胸部、主としてその右側の体動時及び体位変換時の疼痛と左手関節の疼痛という症状が残り、右後遺症状は昭和五四年三月二〇日に固定したこと、原告は昭和一〇年七月八日生れの男子で、右後遺症固定当時四三歳であったこと、原告は昭和三九年一二月から肩書住所地で田中商店名をもって妻シヅイと二人で青果業を営んでおり、本件事故による受傷のため昭和五二年二月六日から同年六月一六日まで営業を休止し、同月一七日営業を再開したが、右再開後朝の仕入れは自ら行うものの前記受傷ならびに後遺症のため従前のように稼働することができず、横になって休むことが多いところから営業再開後パートで店番を一名雇って営業を続けていること、右営業による利益すなわち売上げ金額から原価及び経費を差し引いた額は、昭和四九年が金一五六万五一二六円、昭和五〇年が金一七八万一一九一円、昭和五一年が金二〇九万三二九一円であったが、本件事故のあった昭和五二年は前記休業による得意先の喪失もあって金五一万一五三四円、昭和五三年は金一六〇万三八八八円で、昭和五一年と昭和五三年を比較すると利益が金四八万九四〇三円減少していることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定事実からするならば、原告は前記後遺症のため年間少くとも金四二万円を不らない収入損を生じており、右収入損は原告が稼働可能な六六歳余まで続くものと認められるから、右後遺症固定時以後六六歳余まで二三年間の総収入損額からライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除し、その現価を求めると、その額が金五六六万五一七〇円となることは計数上明らかである。従って原告の後遺症による逸失利益額は金五六六万五一七〇円となる。

2  パート代

《証拠省略》によれば、前記認定のように原告は昭和五二年六月一七日営業再開後自己が傷害のため十分稼働できないところからパートで店番を一名雇い、その費用として昭和和五二年六月は金二万五〇〇〇円、その後は毎月五万円宛支出していることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

しかしながら、右パート代中原告の後遺症が固定した昭和五四年三月二〇日以降の分については前記1の後遺症による逸失利益算定にあたって既に経費として考慮ずみであるから、本訴においてパート代損害として請求し得るのは昭和五二年六月一七日から昭和五四年三月一九日までの分合計金一〇五万五六四五円で、それ以後の分は請求し得ないものというべきである。従ってパート代損害は金一〇五万五六四五円となる。

3  商品損失代

《証拠省略》によると、原告は本件事故による受傷のため事故当日から同年三月一二日まで入院し、その間妻シヅイも付添看護にあたったため営業を休止せざるを得なくなって休止し、そのため既に仕入れていた仕入価格三九万円相当の青果類はすべて傷んで廃棄したことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。従って商品損失による損害は金三九万円となる。

4  入通院に対する慰藉料

《証拠省略》によれば、原告は本件事故による前記傷害のため、武蔵野赤十字病院に昭和五二年二月六日から同年三月一二日まで入院し同月一三日から昭和五四年三月二〇日までの間に四六回通院したことが認められ(他に右認定を左右する証拠はない。)原告が右受傷により精神的苦痛を被ったことは容易に推認されるところであり、これに対する慰藉料としては金一〇〇万円が相当と認められる。

5  後遺症に対する慰藉料

《証拠省略》によれば、原告は本件事故により、前記認定の後遺症が生じ、それがため少からぬ精神的苦痛を被ったことは容易に推認されるところであり、事故の態様等本件事案における諸般の事情を斟酌すると右苦痛に対する慰藉料としては金二五〇万円が相当と認められる。

6  損害の填補

被告甲野が原告に対し、本件事故に基づく損害賠償債務に対する弁済として合計金三一五万九〇九四円を支払ったことは当事者間に争いがないが、右の内金五五万八九八四円は入院費名目、内金六〇万一七八九円は自動車購入割賦金支払いであることはこれまた当事者間に争いがないから右1ないし5の損害に充当すべき額はその余の金一九九万八三二一円であり、同額を控除すると、原告の残債権額は金八六一万二四九四円となる。

7  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額に鑑みると賠償を求め得る弁護士費用は、金四〇万円と認めるのが相当である。そうすると、右弁護士費用を加えれば原告の損害賠償債権額は金九〇一万二四九四円となる。

七  以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告甲野に対しては金九〇一万二四九四円とこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五三年八月一一日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容し、その余は理由がないから失当としてこれを棄却し、被告東京都に対しては理由がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川昭二郎 裁判官 稲田龍樹 富田善範)

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