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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)9559号 判決 1983年3月25日

原告

荒木きよみ

原告

荒木良之

原告

荒木賢二

右原告ら訴訟代理人

森田昌昭

神部範生

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

松本克巳

外二名

主文

一  被告は原告荒木良之、同荒木賢二に対し、各金一六一二万三八七一円及びこれに対する昭和五三年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  右原告両名のその余の請求及び原告荒木きよみの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告荒木きよみの、その二を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告荒木きよみに対し、金五三九万二三二五円及び内金四九九万二三二五円に対する昭和四三年一〇月四日から、内金四〇万円に対する昭和五三年一〇月一四日から、原告荒木良之、同荒木賢二に対し、各金一九九九万七三九二円および各内金一八一九万七三九二円に対する昭和四三年一〇月四日から、各内金一八〇万円に対する昭和五三年一〇月一四日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の概要

亡荒木正策(以下「荒木」という。)は、航空自衛隊第五航空団第二〇二飛行隊所属の自衛官であつた。

荒木は、昭和四三年一〇月三日一二時七分、同飛行団の飛行訓練計画に基づき、要撃訓練実施のためF一〇四ジェット戦闘機(以下「事故機」という。)にとう乗し、僚機とともに新田原飛行場を離陸した。その後、訓練空域において要撃訓練をした後、一三時六分、同空塔を離脱して新田原飛行場へ帰投を開始し、一三時一八分、同飛行場へ着陸すべく新田原GCA(着陸誘導管制。以下「GCA」という。)の誘導により精測レーダー進入を開始した(第一回進入)。ところが、接地点から6.5マイルの最終降下開始点を過ぎ、降下を開始したのちに、事故機の進入方向と正対して東方に向けて離陸中の出発機(T―三三A型機)があつたため異常接近の危険が生じ、GCAの指示により、着陸進入を中止した。

当時、同飛行場の天候は、正午ごろから急激に悪化し次第に同飛行場上空を雲が覆い雨も降り出すという状態になつていた。事故機は、一三時二七分から再度着陸進入を開始した(第二回進入)が、右のような悪天候による視界不良のため着陸することができなかつた。しかし、その時点では、既に残燃料の関係で代替飛行場(板付飛行場、新田原飛行場からの距離一〇九マイル)への飛行が不可能になつていたため、一三時三六分から三たび着陸進入を行つた(第三回進入)が、同様の理由から着陸することができず、更に着陸進入を試みるべく旋回中、一三時四二分、燃料切れのため、宮崎県児湯郡高鍋町東方海上に事故機ともに墜落し、死亡した。

2  被告の責任

(一) (不適切な訓練の実施)

本件事故当時、荒木は訓練計画に基づき局地有視界飛行方式によつて飛行訓練を行つていた。右の方式による訓練を実施するには、気象状態が離陸から着陸まで有視界飛行に適する状態であることが必要であるところ、訓練開始前の気象状況と正午以降の予報はそのような状態ではなかつたのであるから、第五航空団司令等の飛行訓練の責任者らは訓練を中止すべきであつたのにこれを強行し、その結果本件事故を招いた。

(二) (迅速な着陸の阻害)

本件事故当時のように気象状況が急激に悪化している場合には、着陸進入を行う時期が遅れれば遅れる程その成功率が低下するのは当然である。従つて、GCA管制官及び管制塔管制官は、事故機が早急に着陸できるよう万全の援助体制をとるべき義務があつた。しかるに、GCA管制官は、はじめ使用滑走路一〇(新田原飛行場の滑走路を西から東、すなわち陸地側から海岸方面へ向つて使用する)を指示し、荒木がこれに従つて降下を行つていたのに、その後全く反対方向の滑走路二八(前記滑走路を東から西へ使用する)を使用するよう指示をして着陸時期を遅らせ、また、管制塔管制官は、事故機の位置を誤認したか、着陸態勢にあることに気付かず、前記のとおり事故機が第一回進入を行おうとする間際にT三三A型機に対して離陸許可を与え、同機の離陸により事故機をして右旋回を余儀なくさせて第一回進入を妨げ、その結果、新田原飛行場に着陸しうる唯一の機会を失なわせた。管制塔管制官がT三三A型機を離陸させず事故機の着陸を妨害しなかつたならば、荒木はそのまま安全に着陸できた筈である。

(三) (代替飛行場への飛行指示義務違反及び不正確な気象情報の通報)

前記のとおり、新田原飛行場周辺の気象状況は、事故機が第一回着陸進入を開始する以前から急激に悪化しており、第二、三回進入当時にはもはや着陸が困難な程に視界が悪化していた。そして、このことは、右のような気象状況の変化から当然予見し得るところであつた。

従つて、このような場合、GCA管制官及び管制塔管制官は、着陸機に対する援助を行う責任を有する者として、気象状況の推移についての情報を的確に把握するともとに、これを迅速に荒木に通報し、荒木が気象状況の推移について判断を誤ることがないよう援助すべき義務を負つていた。また、荒木の所属する飛行群司令、飛行隊長及び本件飛行訓練の地上指揮官(以下これらを「飛行群司令ら」ということがある)は、飛行訓練の責任者として、気象状況の推移についてはもちろん、事故機の残燃量、代替飛行場の気象状況等必要な情報を収集、把握した上で、事故機を新田原飛行場に着陸させるべきか否かを検討し、その検討結果を荒木に指示、助言すべき義務を負つていた。

しかるにGCA管制官は、一三時一六分、荒木が第一回進入を開始しようとする際に、一三時一三分の気象状況を誤つて一三時のそれとして通報した外、その後の状況についても極めて断片的で不十分な情報を与えたに止まり、これによつて荒木の判断を誤らせた。さらに、飛行群司令らは、前記のような情報の収集、検討を行なわなかつたばかりでなく、第一回進入後、荒木から「板付へ行こうか」と指示を求められたのに対し、前記のような気象状況及び事故機の残燃量(仮にもう一度新田原飛行場への着陸進入を行えば、もはや代替飛行場への飛行が不可能になる状況であつた)等からして、当然代替飛行場への飛行を指示すべきであつたにもかかわらず、地上指揮官において「おりられるなら滑走路二八で着陸した方が良い」と新田原飛行場への着陸を継続するよう指示した。

以上の結果、荒木は、新田原飛行場への着陸が可能であるものと誤信し、第二回進入を行つて代替飛行場へ飛行する機会を失つた。

(四) (緊急脱出指示義務違反)

第三回進入が失敗に終つた当時、気象状況は改善の気配がなく、しかも、事故機の残燃料は僅か五〇〇ポンドであつたから事故機がこれ以上着陸進入を試みても成功する可能性は殆どなかつたばかりか、燃料切れによる墜落の危険さえ生じていた。従つて、飛行群司令らは右の状況を踏まえ、機を失せず荒木に事故機から緊急脱出するよう指示すべきであつたのにこれを怠り、かえつて地上指揮官において第四回目の着陸進入を行うよう指示して緊急脱出の機会を失なわせ、燃料切れによる墜落という事態を生じさせた。

(五) 以上のとおり、本件事故は被告が荒木に対して負うべき安全配慮義務に違反したため発生したものであり、被告はこれによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。<以下、省略>

理由

一本件事故の概要及び事故当時の気象状況について

請求原因1の事実中、荒木の第二、三回進入の失敗が、視界不良のためであるか否かの点以外は当事者間に争いがない。そして、右の争いのない事実に、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  第一回進入までの経過

(一)  荒木は、航空自衛隊第五航空団第二〇二飛行隊所属の自衛官であつたが、昭和四三年一〇月三日一二時七分、同飛行団の飛行訓練計画に基づき、要撃訓練実施のため、事故機にとう乗し、クラスター・ブルー編隊(二機編隊で、荒木がその編隊長であつた)の一番機として新田原飛行場を離陸した。

当初の計画によれば、予定飛行時間一時間二〇分、塔載燃料一時間五〇分(八八〇〇ポンド)、訓練は有視界飛行方式によつて行なわれることになつていた。離陸前の一一時五六分の段階における新田原飛行場の気象観測結果及び一二時以降の気象予報は、別紙気象観測結果の一一時五六分欄記載のとおりであつた(以後は、気象観測結果及びその予報の内容について特に記さないが、すべて右気象観測結果の各欄記載のとおりであつたと認められる)。

(二)  事故機編隊は、要撃訓練を実施した後、一三時六分に、VFR、GCI―GCA(有視界飛行方式で要撃管制から着陸誘導管制によつて帰投する進入手順)により新田原飛行場への帰投を開始し、一三時一五分、新田原GCA(着陸誘導管制)の管制下に入つた。

2  最低気象条件及び代替飛行場

新田原飛行場に着陸するための最低気象条件(飛行場に離着陸するために最低必要な気象条件を言い、その内容は当該飛行場の有する離着陸援助施設等を勘案して定められる)は、精測レーダー進入方式(管制官が、精測レーダーによつて着陸機を捕捉しつつ、着陸機が適正な降下経路を降下し得るように逐次パイロットに高度、方向についての指示を与え、パイロットは右の指示を与え、パイロットは右の指示に従つて着陸機を操縦するもの)により滑走路二八に着陸する場合、進入限界高度(精測レーダー管制による誘導をすることができる限界高度で、この高度に達した後はパイロットが自ら飛行場の滑走路や、滑走路の確認ができる燈火などの地上目標を視認しながら飛行しなければならない。誘導限界ともいう)四五五フィートにおける飛行視程(飛行中の航空機の操縦席から目視することができる距離)一二〇〇メートルと定められていた。なお、右飛行視程自体は、飛行場では測定することができないので、運航のための情報として飛行場から航空機へ通報するのは、飛行場における卓越視程(地上において水平方向の周囲の目標を視認することができる距離)の観測結果に基づいて行われ、飛行場に有効な進入燈がある場合には、飛行場そのものが視認できなくてもその進入燈を目標に着陸することができるところから、飛行視程の代りに滑走路視距離(航空機の滑走路接地点付近の地上五メートルの高さから滑走路又は滑走路ぞいの特定の燈火等を視認できる離着陸方向の最大距離)を適用することも認められていた。結局運航のための情報としては、地上で観測することができる卓越視程、滑走路距離から推定するよりほかないということになる。そして、新田原飛行場の気象条件が最低気象条件を満たさず、着陸することができないときの代替飛行場として、板付飛行場(新田原飛行場からの距離、一〇マイル)が指定されていた。

3  第一回進入から第三回進入までの経過

右の経過及び荒木と地上側との交信内容等は、別紙交信記録(一三時一六分から一三時三八分まで)及び別紙航跡図のとおりであるが、その概略と若干の補注を示すと次のとおりである。

(一)  第一回進入

事故機編隊は、一三時一六分にGCAから気象通報を受け(一三時の状況として通報されているが、実際には、一三時一三分の気象観測結果を通報したものと認められる。)、同時に現在使用されている滑走路は一〇である旨の連絡を受けた。ところが、地上指揮官は、気象状況が悪化しつつあつたため、海岸側から進入する滑走路二八を使用した方が安全であると判断して、一三時一七分、GCAを通じて滑走走二八を使用するようにと連絡し、また、自ら気象状況の通報を行つた(通常の場合地上指揮官がGCAと着陸機との交信に割り込むことは余りなく、この場合は気象状況が悪化していたためあえて割り込んだものである)。事故機編隊は、一三時一八分、滑走路二八への精測レーダー進入を開始したが接地点から約6.5マイル(約10.4キロメートル)まで達し最終降下を開始したところで、新田原飛行場から離陸したT三三A型機との異常接近の危険が生じ、一三時一九分GCAからの指示により着陸進入を中断して、右旋回した(管制塔管制官は、T三三A型機に離陸許可を求められたとき、事故機が新田原飛行場の東方二三マイルの位置にあることを知りながら(右位置から、右許可を求められたのは一三時一六分であると認められる。航跡図参照)、許可を与えたもので、T三三A型機はその後一三時二〇分に事故機編隊の二番機のすぐ近くを通過している。)。

(二)  板付飛行場に対する交信

事故機は新田原飛行場の上空六〇〇〇フィートに上昇旋回中、一三時二一分、GCAに対し、有視界飛行方式から計器飛行方式へ、飛行方式の変更を要求し、地上指揮官から「視程は一六〇〇メートル、雲高は六〇〇フィート。雨はやみそうにない」との通報及び「着陸は、単機ごとに実施した方が良い」との指示を受けた。これを受けて、荒木と地上指揮官との間で、「板付へ行こうか」(荒木)、「燃料大丈夫ですか」(地上指揮官)、「ぎりぎりだね」(荒木)、「風が一〇度で五ノットですから降りられるんならGCAの方の二八で着陸の方がいいと思います」(地上指揮官)、との交信が交されたが、結局、荒木は、一三時二二分、新田原飛行場への単機着陸を決意し、着陸誘導をGCAに依頼した。

なお、後述の通り、事故機の僚機は事故機が第二回進入に失敗した後板付飛行場に飛行している。右僚機が板付飛行場に着陸するまでに要した燃料は一五〇〇ポンドであり、事故機の燃料は、第二回進入前一九〇〇ポンド、進入後が一二〇〇ポンドであつた。従つて、事故機が代替端行場である板付飛行場に飛行しうる最後の機会は、前記の交信時であつたと言うことができる。

(三)  第二回進入

事故機は一三時二七分から再び精測レーダー進入を開始した。ところが、進入途中から、進入降下経路の左にずれるようになり、GCAから再三その修正を指示されたが、完全に修正できないまま誘導限界に達した。そして、GCAから「飛行場を視認したら通報せよ」と指示されたのに対し、「飛行場を視認していない」と応信し、進入復行を指示され、進入復行した(なお、事故機は、進入途中で、GCAに対し、「進入燈をつけて下さい」と要請している)。

(四)  周回進入(その意味は、別紙新田原飛行場GCA着陸進入経路2参照)

荒木は、GCAから進入復行の指示を受けた後(この間、少くとも数秒の間隔がある)、「飛行場を視認した」と通報し、更に一三時三〇分、進入復行して周回進入する旨通報した。事故機の周回進入の模様は明らかではないが、結局視界不良のため着陸しえなかつたものと推認される。

一方、僚機は、地上指揮官の指示により板付飛行場へ向つた。

(五)  第三回進入

地上指揮官は一三時三三分事故機に対して短径路進入方式によりもう一度進入するよう指示した。そして、事故機は一三時三六分、精測レーダー進入を開始したが、接地点から三マイルの地点を過ぎたあたりから、前回と同じく進入降下経路より約一〇〇フィート左方にずれ始め、一三時三八分、誘導限界に達する前に進入復行を指示された。

荒木は、進入復行の指示に対し、誘導の続行を要求し、更に緊急状態を通報した。

4  墜落に至る経過

(一)  緊急状態の通報をした当時の荒木は、「ちやんというともう脱出ですよ」、「もう燃料ないですよ。きれますよ」「もうだめですね。多分」と言うなど、あせりの色が見えた(また、今回も、荒木は飛行場が全く見えなかつた旨通報している)。これに対し、地上指揮官は、一三時三九分、短径路による再進入を指示した。そして事故機は、右の方法による進入を試みるべくGCAの誘導を受けつつ飛行を継続した。

(二)  事故機は、一三時四一分、GCAから「残燃料知らせ」との指示に、「残燃料五〇〇ポンド」と答え、続いて、「右旋回、二四〇度」との指示に「二四〇度」と応答した。しかし、これが最後の応答となり、以後応答がとだえ、新田原飛行場から一一〇度一〇マイルの地点でレーダーからその機影が消失した。

三 そして、一四時五分、当該地点付近の海上で浮遊物が発見され、その後同海域で事故機の破片及び遺体の一部が収容された。調査の結果、事故機墜落の直接の原因は燃料切れであつたと推定されている。

二以上を前提として、請求原因1のうちの、第二、三回進入が行なわれていた当時、新田原飛行場の気象状況が、視程障害により着陸不可能となる程に悪化していたのかを検討する。

1  新田原飛行場の最低気象条件の内容は前記のとおりであるところ、最低気象条件としての視程は、飛行場においてこれを計測する場合、誘導限界における視界の状況をそのまま反映しているわけではないから、飛行場における計測結果が最低気象条件を満たしていても誘導限界において地上目標を視認しえないという事態がおこることは当然予想される。そして、飛行場の気象状況が最低気象条件に達していない場合ばかりではなく、これを満たしてはいてもパイロットが誘導限界に達したとき滑走路、進入燈など必要な目標を視認できない場合には当該飛行場への着陸が許されず、その上空に待機して天候が回復し視程が好転するのを待つて進入を復行するか、代替飛行場へ飛行する他ないこととなる(航空法施行規則一八九条三号イ、空制第五号参照)。そこで、このような場合には、視程障害により着陸不能であつたと言うことができる。

2  これを本件についてみるに、別紙記載の気象観測結果のとおり第二、三回進入当時の新田原飛行場の卓越視程は、一〇〇〇メートルないし一二〇〇メートルで、最低気象条件の最低限度であるかこれを下廻っているが、同時刻の滑走路視距離は一四〇〇メートるないし一六〇〇メートルであるから、かなり悪い状況ではあるにせよ最低気象条件を下廻つてはいなかつたこととなる。しかしながら、飛行場における視程の観測結果が、最低気象条件を満たしていたとはいえ、かなり劣悪な状況を示していたことに加え、前記のとおり荒木は、第二回進入の最終段階で「進入燈をつけて下さい」と要求していること、GCAから「誘導限界。飛行場を確認したら通報せよ。」と指示を受けたのに対し、「飛行場を視認していない」と応信し、その後少くとも数秒してようやく「飛行場を視認した」と通報していること、第二回進入が失敗した後、進入燈はついていたものと思われるのに(「全然ついとらんぞ」と通報していること(交信記録)、また、第三回進入に失敗した後も「飛行場全然見えんぞ」と通報していること(交信記録)などを考え合わせると、第二、三回進入当時は、誘導限界に達しても飛行場を視認しうるような状況にはなかつた。すなわち、着陸できるような天候ではなかつたと推認する外はない。もつとも、事故機が第二、三回進入とも、正常な降下経路から約一〇〇フィート左にずれてしまつていることは前示のとおりである。しかし、第二回進入については、前記交信内容からみて誘導限界に達した時点での左偏向が着陸を不可能にする程のものではなく、GCAが着陸復行を指示したのは荒木が「飛行場を視認していない」と応信したためであると窺われるし、第三回進入については誘導限界に達する前に着陸復行を指示されたことは確かであるが、別紙気象観測結果によれば、新田原飛行場の気象状況(特に視程)は、第二回進入当時よりむしろ悪化しているのであるから、視程障害状況も少くとも第二回進入当時より改善されていることはないと推認すべきである。そうであれば、事故機の左偏向という事実は前記認定を左右するには足りず他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

三次に、請求原因2(被告の責任)について判断する。

1 国は、公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、当該公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つていると言うべきであるが、右の義務の中に、本件のように航空自衛隊の飛行訓練に従事する航空自衛隊員に対しては、訓練機の飛行の安全を保持するために必要な措置をとり、飛行訓練を終えた訓練機が悪天候の中を飛行場に着陸しようとする場合、安全に着陸することができるよう適切な援助をする義務も含まれることはいうまでもない。

そこで、以下、被告に右の義務があつたかどうかを検討することとする。

2  まず、第五航空団の行う飛行訓練の指揮系統及び団司令以下の職務権限についてみるに、<証拠>によれば、次のとおり定められていたことが認められる。

(一)  航空団における全般的な指揮系統については、最高責任者である航空団司令を頂点として、以下飛行群司令、飛行隊長、飛行班長、一般のパイロットという縦系列が定められていた。

航空団司令は、航空団の飛行運用及び飛行管理全般に関する方針、実施基準及び基本計画等を定め、その実施を指導監督することとされており、また、飛行群司令は、飛行群所掌の飛行運用及び飛行管理に関する方針、細部実施要領等を定めるとともに飛行群の運用及び飛行管理全般を指導監督するものとされていた。

(二)  具体的な飛行訓練の実施に関する指揮(飛行指揮)については、航空団司令らが定める実施基準に基づき、次のように定められていた。

(1) 飛行群司令は飛行指揮について総括的に責任を負い、飛行隊長は飛行隊の実施する飛行等について責任を負う。

(2) 飛行指揮は空中指揮及び地上指揮の二つに区分され、空中指揮権は当該飛行訓練を行う編隊の編隊長等に、地上指揮権は、訓練を行う都度指名される地上指揮官に与えられる。

右の編隊長等や地上指揮官は、具体的な訓練の実施について、飛行群司令以下の上官からその指揮権を委譲され、右の各指揮権を行使する。

(三)  空中指揮権は、訓練における訓練機の具体的運航全般に及ぶものである。本件訓練においては荒木が空中指揮官であつた。

(四)  地上指揮権の内容は次のとおりである。

(1) 訓練等の実施に必要な調整及びその指導監督。

(2) 飛行中の所属航空機に対する所要の指令等に関する事項

(3) モーボ幹部の実施する業務の指導監督と、モーボの開設等。

(4) 緊急状態発生時の処置に関する事項。

(五)  異常状態が発生した場合、地上指揮官は、積極的に空地全般を統一指揮して在空機に対し最善の応急措置及び行動を指導するものとされ、このため、地上指揮官としては、緊急機の状況及び緊急状況の把握に努めるとともに、緊急機に対する指示、助言を行うべきものとされている(右緊急状態ないし異常状態とは、規定の趣旨に鑑み、当初の訓練計画では予想できなかつた事態が発生し、そのため緊急に計画とは異つた行動をとらなければならなくなつた。ないしはその危険が発生した場合を言うものと解される。)。

(六)  なお、新田原飛行場には、以上の指揮系統とは別に着陸援助施設として管制及びGCAがある。そして、管制塔制官は離着陸機の管理等一般的な管制業務を担当し、GCA管制官は精測レーダーによる離着陸機の誘導を担当している。

3  不適切な訓練の実施について

第一項1(一)で認定した出発時の気象状況及び一二時以後の予報に照らせば、航空団司令らが予定飛行時間内に有視界飛行計画による訓練を実施することは可能であると判断して訓練実施を命じたことはなんらの義務違反はないというべきで、この点についての原告らの主張は失当である。

4  迅速な着陸の阻害について

(一)  第一項3(一)で認定した事実(特に一三時一六分から一三時一九分頃までの時点における事故機の位置、航跡図参照)によれば、地上指揮官が一三時一七分に使用滑走路の変更を指示したことによつて着陸時期が遅れたものと認めることはできない。この点についての原告らの主張は失当である。

(二)  次に、事故機は、一三時一九分第一回進入を中断して右旋回した後第二回進入を開始する一三時二七分まで、少くとも八分間着陸を妨げられたこと及び右進入中断の原因が、T三三A型機の離陸にあつたことは明らかである。被告は、管制塔管制官は事故機の着陸を妨げることなくT三三A型機を安全に離陸させることができるものと考えて離陸許可を与えたと主張するが、事故機編隊及びT三三A型機が特に異常な飛行を行つた形跡がないのに異常接近の危険が生じている以上、管制塔管制官の判断に何らかの誤りがあつたと推認すべきであり、右の推認を覆すべき証拠は存しない。

そして、第一項1(一)で認定した気象状況の変化(卓越視程は、一三時一〇分に七〇〇〇メートルであつたのに、一三時一三分には四〇〇〇メートルに、一三時一九分には二〇〇〇メートルに低下している)からすれば、離陸許可を求められた一三時一六分頃は卓越視程は低下を続けている状態であつたものと認められるから、僅か数分の差でも気象条件の悪化によつて事故機が着陸不能となる事態が生ずるおそれがあることは、管制塔管制官としても当然予見しえたものというべきである。管制塔管制官は、地上にあるT三三A型機の発進よりも、空中にある事故機の着陸を最優先して管判業務を行うべきであつたのであり、事故機が着陸体制に入つていたにもかかわらずT三三A型機を発進させたことは、安全配慮義務に反するものというべきである。

もつとも、第一回進入時から、既に相当の視程障害が生じていたから、仮に事故機が第一回進入を継続していたとしても誘導限界において必要な目標を視認することができないため、着陸できなかつた可能性を否定し去ることはできない。しかしながら、第一回進入当時の方が、第二、三回進入時に比べ視程障害の程度が軽かつたことは別紙気象観測結果から明らかであつて、むしろ安全に着陸し得た可能性の方が高いといえるし、仮に着陸不可能な程の視程障害が生じていたとすれば、荒木としてはその時点で代替飛行場への飛行を決断することができたはずである(後記のとおり、荒木は第一回進入を中断した後、代替飛行場へ飛行するか否か判断に苦しむ状況に置かれたのであるが、このことの原因はまさに第一回進入を中断せざるを得なかつたことにある)。

そうすると、管制塔管制官の右安全配慮義務違反は、少くとも後記の地上指揮官らのそれとあいまつて、新田原飛行場への着陸の機会と、代替飛行場への飛行を決意する唯一の機会を失わせ、その結果本件事故を生じさせたものというべきである。

5  代替飛行場への飛行指示義務違反等について

(一)  第一、二項で認定した事実によれば、本件訓練実施中に気象状況が急変し、事故機が新田原飛行場に着陸できなくなるおそれが生じたことは明らかである。そして、このような場合も、緊急状態ないしはこれに準ずる場合に該当し、地上指揮官としては、必要な情報を収集、検討した上、荒木にその生命を危険から保護するため適切な指示、助言をすべき義務があつたと言うべきである。

また、飛行群司令、飛行隊長も、右のような状況が認められる以上、訓練に関する全般的責任者として、地上指揮官の求めに応じ、または自ら進んで、地上指揮官の権限行使を援助すべき義務があつたと言つてよい。

(二)  そこで、進んで右の地上指揮官らは、原告らの主張するとおり、荒木に対して、代替飛行場への飛行を指示、助言すべきであつたかについて検討する。

(1) まず、本件事故当時の気象状況の推移及び事故機の残燃料につき検討するに、第一、二項に認定した事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる(代替飛行場への飛行の指示、助言を行うことができる最後の時点は、前記のとおり、一三時二二分に荒木が「板付へ行こうか」と送信してきた時点ころであつたから、気象観測結果については、別紙気象観測結果の記載のうち、それ以前である一三時一九分欄記載のものまでを問題とする)。

気象観測結果は、前示のとおりであつて、一二時五六分から一三時一九分までの僅か二三分の間に卓越視程が九〇〇〇メートルから二〇〇〇メートルまで急激に低下している。これは、「卓越視程が八〇〇〇メートルにまで低下する。」という一一時五六分における予報、「卓越視程が五〇〇〇〇メートルにまで低下する」という一二時五六分の予報を遥に上回るものであり、このため気象観測を担当する新田原飛行場気象隊は、定時の気象観測の外、一三時一〇分から特別観測(天候が悪化した場合に行う気象観測)を開始し、一三時一三分には、視程が予報を上廻る勢いで低下していることを警告する気象勧告文を発していた。そして、一三時二二分の時点においても視程障害が改善される気配は窺われず、むしろ悪化する傾向を示していた(前判示のとおり、地上指揮官は一三時二一分、荒木に対し、「視程は一六〇〇メートル」と通報している)。

事故機の残燃量は、一三時二〇分の時点で二四〇〇ポンド、一三時二四分の時点で一九〇〇ポンドあつた。従つて、一三時二二分の時点(荒木が「板付へ行こうか」と送信した時点)では二一〇〇ないし二二〇〇ポンドであつたと推定される。この量は、その時点で直ちに代替飛行場へ飛行した場合、約六〇〇ないし七〇〇ポンドを残して到着できる程度のものであるが、第二回進入を行うと、もはや代替飛行場へ飛行することが不可能になる。

(2)  右に認定したとおり一三時一九分の視程が二〇〇〇メートルにすぎず、しかも、それまでに急激に低下を示していたことを考えると、事故機が第二回進入に行つた場合、誘導限界に達する前に最低気象条件を割つてしまう危険があることは十分に予想できる。のみならず、事故機の残燃量が次のようなものであつたことからすれば、仮に第二回進入を行い、視程障害のため着陸できないようなことになれば事故機は代替飛行場へも飛行できず、本件のように無益な着陸進入を繰り返すか、新田原飛行場上空に待機して天候回復を待つ(天候が容易に回復しそうになかつたことは前示のとおりであるから、この場合でも無益に燃量を消費することになつたはずである)しかないこととなり、いずれにせよ、燃料切れによる墜落という重大な事故が発生する可能性が極めて高かつたと言わざるを得ない。

従つて、事故機としては、残燃料に余裕があるうちに代替飛行場へ飛行するのが最も妥当な措置であつたと言うことができる。

もつとも、代替飛行場への飛行の可否を考えるに当つては、視程障害の状況ばかりでなく、残燃料も考慮しなければならず、荒木が残燃料が「ぎりがりだ」と通報していたことに照らすと、地上指揮官が代替飛行場への飛行を指示、助言するのをためらつたとしても無理はないと言う余地もないではない。しかしながら、事故機の残燃料の状況は前示のとおりであつて、少くとも客観的には余裕を持つて代替飛行場へ飛行、着陸し得たと言えるし、このことは残燃料が何ポンドあるかを確認しさえすれば容易に知り得たものと認められる。そうであれば、残燃料の点で多少疑問があつたとしても、視程障害の悪化が前記の通り非常に深刻なものであつた以上、代替飛行場への飛行を助言することこそがより適切な処置であり、また、地上指揮官もこれをなしえたものと考えざるを得ないし、仮に代替飛行場への飛行を助言することはためらわれたとしても、視程障害が深刻となつており、着陸不能となる虞れがあることは告知すべきであり、告知し得たものと言うべきである。

(3)  そして、地上指揮官らが右のような助言ないし告知をしていれば、荒木としても代替飛行場への飛行を決断しえたものと認められる。そうすると、地上指揮官らが右のような助言、告知をすることなく、「降りられるのならGCAの方の二八で着陸の方がいいと思います。」というような新田原飛行場への着陸の方が妥当であると受けとられかねない発言をした点は、安全配慮義務に反するものであつたと言わなければならない。

(4)  被告は、代替飛行場への飛行の可否というようなことは空中指揮官である荒木が自ら率先して判断すべきであつて、地上指揮官らがその助言をしなくても責任はないと主張する。

確かに、通常の場合であれば、機の残燃料はもとより、視程障害の程度も、実際に着陸機を操縦している機長が最も良く把握しうる立場にいるわけであるから(特に誘導限界において必要な目標を視認しうるか否かは本来機長しか確認し得ない事柄である)、機長が判断すべきものであるという余地もある。

しかしながら、前示のとおり、本件の場合、事故機が代替飛行場への飛行を決断しうる最後の機会は、荒木が「板付へ行こうか」という交信を行つた時点であつたが右の時点において事故機は、T三三F型機の離陸のため誘導限界の遥か手前で第一回進入を中断せざるを得なかつた上、第二回進入を行えばもはや代替飛行場への飛行を行うことは不可能になるという状況におかれており、誘導限界付近における視程障害の程度を確認する機会を全く有していなかつたのである。従つて、視程障害の程度は飛行場における気象観測結果から推測する他なく、その意味で、地上からの気象通報や指示助言に依存する割合が大きかつたことは否定しえない。しかも、荒木に対して行われた気象通報が、観測結果を逐一通報するような類のものではなかつたことは別紙交信記録と別紙気象観測結果との対比から明らかである(そして、荒木も右のような立場におかれていたからこそ、地上指揮官に「板付へ行こうか。」との指示を仰いだものと考えられる)。

そうであれば、飛行場の気象結果を逐次通報され、また、自らもこれを確認しうる立場にあつた地上指揮官らの方が(残燃量の確認は極めて容易である)、むしろ積極的に代替飛行場への飛行の可否を判断して荒木に援助をすべき義務を負つていたと言うべきであり、被告の主張は採用できない。

(なお、証人松山主一郎の証言によれば、荒木は第五航空団の中でもトップクラスの技量を持つたパイロットであつたことが認められる。そして地上指揮官らが前記のとおり荒木に対し、特段の指示をしなかつたことの背景には、本件が自衛隊の行う訓練であるということ、また、右のような荒木の技量に対する信頼があつたことが窺われる。これらのことは心情として理解できないものではないのであるが、前記の結論を左右するに足りる事情ということはできない)

6  以上によれば、荒木は前記のような管制塔管制官及び地上指揮官らの安全配慮義務に違反した行為により、新田原飛行場に着陸する機会と、代替飛行場へ飛行する機会とのいずれをも失つたのであり、このことが本件事故発生の原因となつていることは明らかである。従つて、原告らのその余の主張(緊急脱出指示義務違反)について判断するまでもなく、被告は荒木の被つた損害について賠償責任を負うものと言うべきである。(なお、被告は右の緊急脱出の点に関し、荒木は自ら早期に緊急脱出を決断すべきであつたと主張する。そして、荒木が事故機の墜落以前に緊急脱出していれば或いは死亡という最悪の事態を避け得たかも知れないのであるが、GCAと荒木との交信がとだえた後の状況について判断する資料のない本件において、慰謝料額算定の事情として考慮するのはともかく、これを荒木の過失と認めるのは相当ではない。)。

四損害

1  逸失利益

<証拠>によれば、荒木は昭和六年五月七日生まれであることが認められ、また、荒木が原告主張の経歴を経て本件事故当時三等空佐自衛官として原告主張の給与を得ていたことは、当事者間に争いがない。そうすると荒木は本件事故によつて死亡しなければ、四九才(前示のとおり、原告は荒木の年令を一才多く算定しているので退職を四九才として計算した)に達するまで自衛隊に勤務して、その間少くとも毎年一号俸ずつ昇給し、防衛庁職員給与表に従つて給与及び退職金を受けたはずである。そして、右給与の算定にあたつては毎年実施されたベースアップを考慮して差し支えないと考えられ、原告の主張する算定方法は相当であると認めてよい(原告の主張に基づく各年度の給与額が原告主張の通りであることは当事者間に争いがない。)。しかしながら<証拠>によると航空手当の支給については被告の主張通りであると認められるから、四一才以降の右手当は、それぞれ原告の主張額の二分の一として算定すべきである。

また荒木は、右の定年退職後は、少くとも五一才から六七才まで稼動してその主張どおりの収入を得られたはずであると認められる。

そして、以上の収入から荒木の生活費三割を控除し、更にこれから年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除した結果は別表第五のとおり(四五三七万一六一四円)であり、これが荒木の逸失利益の現在価格であると認められる。

2  慰藉料

荒木が本件事故により多大の精神的苦痛を受けたであろうことは想像に難くない。しかしながら本件事故の発生については気象状況の急激な変化という不幸な事態が介在したことは否定できないし、また、荒木としても適切な時期に緊急脱出を行つていれば生命を失うような結果にまでは至らなかつたかもしれないことは前判示のとおりである。更に、被告が原告荒木きよみに対し、相当額の遺族年金等を支払つていることは原告らの自認するところであり、この支払が当裁判所が損害賠償額として認容する額の如何にかかわらず、将来も継続して支払われることは明らかである。そして、これらの事情は慰藉料算定に当たつて考慮してよいと考える。その他諸般の事情を勘案すると、被告が払うべき慰藉料額は三〇〇万円が相当である。

3  相続

原告荒木きよみが荒木の妻であること、原告荒木良之、同荒木賢二がそれぞれ荒木の子であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告らの他に相続人がいないことが認められる。従つて、原告らは、法定相続分に従い、右損害賠償債権(1、2の合計四八三七万一六一四円)をその三分の一である一六一二万三八七一円ずつ相続したことになる。

4  葬祭費

原告荒木きよみは、これを同原告固有の損害として主張するのであるが、本件の請求は債務不履行に基づくものであるところ、被告と同原告との間には何ら契約関係がないから、右の主張は失当である。

5  損害の填補

原告荒木きよみは、その請求原因3・(四)において、被告から同原告主張のような各金員を受領したこと、及びこれを同原告の請求額から控除すべきことを自認している。また、被告は、その抗弁において右金員のうち、遺族補償年金の昭和五七年五月三〇日までの支払額が二二二八万三九六八円である旨主張し、同原告はこれを明らかに争わないから、同原告は被告から被告主張の金員の交付を受けたものとみなす、そうすると、右金員の合計は二五七四万七六五八円となるから、これが同原告の相続分一六一二万三八七一円を上廻ることは計算上明らかである。

よつて、原告荒木きよみが被告に対して有する損害賠償債権はすべてその弁済を受けたものであり、同原告の請求は失当として棄却を免れない。

6  弁護士費用

原告らは、これを、原告ら主張の損害賠償債務を履行しないという被告の不法行為により蒙つた損害であるとして請求するもののようであるが、金銭債務の不履行による損害は民法所定の遅延損害金によつて填補せられるべきもの(民法四一九条二項)と解するのが相当であるから、右の主張もまた失当である。

7  遅延損害金

原告らは荒木の死亡の日からの遅延損害金を請求するが、前示の通り本件は債務不履行による損害賠償を請求するものであるから、被告の債務は期限の定めのない債務であると解すべきである。従つて、遅延損害金の起算日は、原告らが被告に対し右債務の履行を催告した日の翌日、すなわち訴状の送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五三年一〇月一四日からとすべきである。

五以上の次第で、原告荒木きよみの請求は理由がないからこれを棄却し、原告荒木良之、同共木賢二の請求は、各金一六一二万三八七一円及びこれに対する昭和五三年一〇月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、右を越える部分は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を各適用し、仮執行宣言については相当でないものと認め、この点に関する原告らの申立を却下して主文のとおり判決する。

(大域光代 生田治郎 鶴岡稔彦)

一 気象観測結果<省略>

二 交信記録<省略>

三 航跡図<省略>

四 新田原飛行場GCA着陸進入経路<省略>

五 別表第一ないし第五(損害額の算定関係)<省略>

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