東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)74号 判決 1981年3月27日
原告
吉沢菊三郎
右訴訟代理人弁護士
柏木博
同
岩瀬外嗣雄
同
明賀英樹
被告
防衛庁長官大村襄治
右指定代理人
野崎弥純
(ほか五名)
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し、昭和五一年三月三一日付をもってした免職処分は、これを取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和二七年一一月一七日、保安庁技官に任用(昭和二九年七月一日、自衛隊法の施行により防衛庁技官となる。)された後、技術研究所第二部重機械班長、同動力機器班長、技術研究本部第四研究所第二部原動機第二研究室長、同第三研究所第二部原動機第一研究室長及び同土浦試験場長等を経て、昭和四一年六月一日第一研究所主任研究官(兼技術部付、昭和四六年九月一日から兼第四研究所勤務)となり、昭和四九年一月一六日から同五三年三月三一日までの間、第一研究所付として勤務していた。
2 被告は、原告を、昭和五一年三月三一日付で、自衛隊法四二条一号、三号該当を理由として免職処分にした。
3 原告は、右分限免職処分に対し、昭和五一年四月二三日、異議申立をしたが、被告は、防衛庁公正審査会の昭和五二年七月八日の右申立を棄却すべきものとする議決に基づき、同五三年三月三一日、右申立の棄却決定をし、同決定書は同年四月一五日に原告に通知された。
4 しかし、原告には分限免職事由は存在しないので、右分限免職処分を取消すことを求める。
二 請求原因に対する認否
1ないし3は認める。4は争う。
三 被告の主張
原告は、以下に述べるとおり、勤務成績不良であり、自衛隊員としての職務に必要な最低限度の適格性を欠くから、本件処分は相当である。
1 勤務成績不良
(一) 研究課題の提出について
(1) 原告は、昭和四八年四月二六日をもって、防衛庁研究職々員の退職勧奨の年令満六〇歳に達した。そこで被告は、翌昭和四九年一月一六日付けをもって、原告に対し「第一研究所付」を発令し、同年四月一日(退職予定日)までの間、従来の慣行に従い退職のための業務整理等に従事させることとしたのである。なお被告は、原告に対し退職の意思を打診する一方で、退職後の再就職のあっ旋を申し入れるなどして退職を勧奨したが、原告はこれに応じず、結局、右四月一日を過ぎてもなお引き続き職員として在職していたのである。
このため、業務を付与しないままに原告を在職させることが不都合となり、適切な業務を与えることが必要となったのである。
ところで、当時の技術研究本部(以下「技本」という。)における原動機の研究開発は、車両、施設器材、船舶、航空機、誘導武器、水中武器等の広範多岐に及び、多くの重要な研究課題を抱えていた。したがって、現在の研究開発状況の分析、将来の各種原動機の動向等種々の視点から、研究開発体制の整備について調査研究を行うことは、原動機の研究開発のために極めて有意義なことであった。
そして、原告は、当時研究職一等級の職務にあり、過去の経歴に照らして、原動機の分野に関しては研究面のみならず管理面についても相当の学識経験を有していた。そこで技本の第一研究所(以下一研という。)では、原告に右の調査研究を行わせるのが適切であると判断し、原告に対して、本件の「技本における原動機の研究開発体制について」という研究課題を付与して右に関する研究報告の提出を命じることにした。
(2) 一研長中曽根成雄は昭和四九年一一月二二日、原告に対し、右研究課題を付与し、これについて研究報告を提出するように命じたところ、原告はこれを拒否し、またその際、一研長から他に希望するテーマがあれば提示するよう申し渡されたのに、これをも拒否した。
なお、原告が右職務命令を拒否した理由は以下のとおりであった。
<1> 原動機の研究開発体制の問題は、組織、人員の配置、設備から現在の開発計画の必要性の程度、量、将来の見通しにまで及び広範なものであり、一個人が研究してみても意味がない。
<2> 研究体制については種々の意見があり、どの程度の規模が適正であるかにつき個人的見解を述べても意味がない。
<3> 技術的能力を無視して重要人事が行われている現状では、原告がいかなる研究成果を提出しても全く意味がない。
(3) しかしながら、右研究課題は前記のとおり、原告が永年にわたって原動機関係の研究を担当してきたことを十分に考慮して選定されたものである。すなわち、
<1> 当該研究課題は、原告の経歴及び研究職一等級として有すべき知識、能力に照らせば、十分原告が一人で行い得るものであり、かつ、原告一人で可能な範囲で行うよう指示されたものである。
<2> 研究体制については、種々の意見が存するが故に、経験者としての原告の見解が有益となり得ると考えたものである。
<3> 人事に関する事項は、当該研究課題の担当拒否の正当理由とはならないものである上、右に関する原告の考えは全く事実に反する的外れなものである。
(4) 前記のとおり、原告の命令拒否は、正当な理由に基づくものとは認められず、また、原告において他のテーマを示そうともしなかったため、一研長は昭和五〇年一月二七日、原告に対し、命令拒否の正当な理由がないとして再度当該課題の担当を命じた。
これに対して原告は、同年三月二四日、当該課題の研究報告を提出したが、右報告内容は四百字詰原稿用紙でわずか六枚の粗略なもので、かつ、本題である技本における原動機の研究開発体制についてはほとんど触れず、過去の人事に係る個人攻撃に大半を費しており、到底当該課題の研究報告としての体をなさないものであるのみならず、命令の趣旨を著しく逸脱し、実質的に課題の担当を拒否するに等しいものであった。
そこで一研長は、同年五月一二日、原告を自室に招き、当該研究の留意点を教示しつつ、重ねて当該研究の担当を文書をもって命じようとしたが、原告は文書の受理を拒否し、「ラインをはずされているのでそのような作業はできません。」と述べ、退室した。一研長は、同日、再度原告を自室に招き、「ラインをはずされているのでできないと言うが、当方としては貴官一人だけでやれる範囲に限定している。また必要があるならば研究室等の支援もやぶさかでないので申し出られたい。」と述べて原告の翻意を求めたが、原告はこれをも拒否し、制止をきかず退席した。
(二) その他の勤務状況について
(1) 土浦試験場長当時
原告は、場長として部下の管理指導を行うべき立場にありながら、場長としてなすべき技術指導、各種試験に対するアドバイス等は全く行ない得ない等、業務遂行に必要な管理能力は極めて不良という評価を受ける状態であった。
(2) 一研主任研究官兼技術部付当時
原告は技術部長を補佐すべき立場にありながら、部長の命令に従わず、再三再四にわたる注意を無視し、職務専念、資質向上に努める様子は全く見られなかった。その一例としては、技術部長松井宗明から研究指導のため研究所に赴くこと、あるいは研究成果報告のチェックを行うこと等を求められた際、「そんな細かい事は不向である。」等と述べて、これに従がおうとしなかった。このため、これらの報告を受けた本部長から「勉強をしない」「命令に従わない」として口頭注意を受けたにもかかわらず、その態度は改まらなかった。
(3) 第四研究所(以下四研という。なお、他の研究所も同様に表現する。)勤務当時
原告は昭和四六年九月から同四九年一月中頃までの間、研究項目の選定、審査等につき四研長を補佐するため、四研兼務を命ぜられたが、この間数次にわたる研究項目審査の会議の席上において、原告は、会議審査項目に関する建設的意見は全く述べず、人事上の処遇不満を個人攻撃にかえた悪口雑言で会議を混乱させ、所長等の注意によっても改まらず、会議の目的を達することが不可能となる事態が重なったため、ついには原告を会議構成員から除外せざるを得ない事態となった。
(4) 原告の一研勤務(昭和四一年六月一日以降)以来の日常の勤務状況は、勤務時間の大半を新聞を読んだり、ラジオを聴いたりして過ごすのが常であり、職務を放棄していた。
2 適格性欠如
(一) 原告の土浦試験場長以来の前記の如き勤務状況、行動、研究課題の実質的拒否等は、原告の技本の人事に対する不満がかような行動となって現われたものと思われるが、これらは原告の強度の自己顕示欲、自己中心主義を示すものである。
すなわち、原告は自己の意にそわない職務指導及び命令はこれを拒否してはばからず、上司の命に従って職務を遂行するという熱意及び責任感を著しく欠いており、この点において、原告は自衛隊員としての適格性を欠くと言わざるを得ない。
(二) このことは、原告が退職勧奨に応じなかった理由にも端的にあらわれている。
すなわち、原告は退職拒否の理由として、「技本はいい加減な人事をやっているからである。自分としては、尾沢前第一研究所長と同じ給料になるまでいたい。彼はうまくやって所長になった。自分もなっていいはずなのに冷遇されている。あと二~三年頑張るというのはそういう意味である。」「所長にしてくれれば一番よい。指定職になれば一年でやめる。」「本当は本部長に話したいが、技本の人事はでたらめだ。技術的にでたらめをやっている者が指定職になる。海法さん、中城さん、尾沢さんは皆そうだ。尾沢なんて技術的に何にもわかっていない。」「技術部長時代の中城は何もやっていない。PPBSなんてつまらんことをやっていた。会議を開いて『評価とは辞書を開くとアタイをハカルと書いてある。』と言ったくだらんことをやっていた。」などと述べているが、これらの発言は上司に対する常軌を逸した侮辱的言辞であり、その根底には右に述べた原告の自己中心主義が存在していることは明らかである。
3 よって、被告は、原告が勤務成績不良であるとともに、自衛隊員としての職務に必要な最低限度の適格性を欠くとして、自衛隊法四二条一号及び三号により免職処分に付したものであり、本件処分には何らの違法性もない。
四 被告の主張に対する認否
1 前記三1(一)について
(1)中、原告が昭和四八年四月二六日をもって防衛庁研究職職員の退職勧しょう年令である満六〇才に達したこと、被告が原告に対し昭和四九年一月一六日付をもって「一研付」を発令したこと、被告は、原告に退職を勧奨したが、原告はこれに応じず、同年四月一日をすぎても在職していたことは認める。その余は不知。
(2)中、原告が研究報告提出を拒否したとの点及びテーマ提示を拒否したとの点は否認し、その余は認める。原告は拒否したのではなく、反対意見を述べただけである。
(3)中、冒頭の事実及び<2>は不知。<1>、<3>は争う。
(4)中、昭和五〇年一月二七日、一研長が、原告に対し、再度当該課題の担当を命じたこと、原告が、同年三月二四日、原稿用紙六枚の研究報告を提出したこと、一研長が、同年五月一二日、原告を自室に招き重ねて当該研究の担当を文書をもって命じようとしたところ、原告が主張のような発言をしたこと、一研長が、同日、再度原告を自室に招き、主張のような発言をして原告の翻意を求めたことは認める。原告が右文書の受理並びに翻意を拒否したとの点及び一研長の制止をきかず退席したとの点は否認する。その余は争う。
2 同(二)について
(1)は否認する。原告は、問題が起きた場合はそれなりの指導はしていた。
(2)は否認する。原告は、本部長から被告主張のような注意を受けたことは一度もない。
(3)は否認する。
(4)中、原告が自室でラジオを聞き、新聞を読んだとの点は認め、その余は否認する。原告は、昭和四五年頃、一研主任研究官当時は、ラジオはFEN放送のみを聞いており(これは、米国の特別兵器研究所のことにふれる場合があった。)、新聞もニューヨークタイムズの縮刷版で海外事情、特に当時激しくなったベトナム戦争の状況を勉強していたのである。昭和五〇年頃、一研付であった時には、原告を掃除人の隣の電話のない部屋に移して職務を与えなかったためであり、その時もFEN放送を録音して英語の勉強とともに米軍の情報を聞いていたものである。新聞を読んでいたのは原告のみではなく、本部長、副本部長、所長等も読んでいたものである。したがって、原告は、何ら職務放棄はしていない。
3 同2について
(一)、(二)はいずれも争う。
五 原告の反論
1 研究報告について
原告は、研究開発体制の中で最も重要なのは人の配置であり、人の配置が適正なれば研究項目の選定、それに伴う施設、機械器具の購入等も自ら適正になるので、研究体制を論ずる場合に人事を抜きにして、組織の大きさや、人数や施設、機器を論じても仕方ない事であると考えたので、そのような細部を論ずると直接担当者でなければ誤った事を言う恐があるところから人事のみについて言ったのである。
これを粗雑な文章で実質的に命令を拒否したとか成績不良だなどと言うのは皮相的見解と言わざるを得ない。原告としては、反対に技本をよくするために最も大切な事を述べたものなのである。
2 適格性について
免職という結果の重大性を考えれば、自衛隊法四二条三号の「職務に必要な適格性を欠く場合」とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、それが現に就いている職に限らず、転職可能な他の職をも含めて、これら全てについての適格性を欠く場合をいうと解すべきである。これを本件処分について考えると、そもそも被告の主張は事実に反しており、仮に原告に多少の行きすぎがあったとしても、これらは免職処分に該当するような適格性欠如事由とはいいえない。
3 本件処分について
(一) 原告は昭和四八年頃から何回か退職勧奨を受けたが応じなかった。昭和五〇年一一月中旬安田副本部長が勧奨を行い、もし受けなければ分限免職処分にする。但し事務手続きに一~二週間はかかるからその間考えが変ったら返事をするようにと言った。また一一月一九日、総務課長と同補佐が一研に来て一週間猶予を与えるから退職勧奨を受けるか否か返事をするように、もし受けなければ免職処分にすることに人事局長と話がついていると言った。さらに、一二月一三日原告が本部長に会って考えを聞くと、勧奨に応じなければ免職処分にすると答えた。
(二) 昭和五一年三月二四日には、人事局長が迎えの車をよこして原告を人事局長室に呼び、人事第三課長同席で勧奨を行った。さらに二・三日後人事局長から原告の自宅に電話があり、勧奨に応ずるようにすすめたのである。
(三) その後原告が、一研長室から所長立合いの下で人事第三課長に電話で勧奨に応じられない旨申し述べると、第三課長は三、四人の人をよこして本当に拒否するのかと念をおした。その数日後、原告は一研長から免職処分の辞令を受けとったのである。
(四) 以上の経過からして、原告が退職勧奨に応じなかったために本件処分がとられたことは明白である。被告は原告が研究課題の担当を拒否したとか研究報告の名に値しない報告書を提出したとかという理由を付して分限免職処分を正当化しようとしているが、前記のように右の被告の主張は事実に反しているのである。また、たとえ原告に多少のいきすぎがあったとしても被告が主張する事由は昭和五〇年五月までのことであり、もし被告が原告のその際の態度を問題にするのであれば、当然五、六月頃に戒告等の処分を行ったはずなのである。原告が退職勧奨に応じなかったので、後から付した理由であることは明白であると言わなければならない。よって本件処分は違法であり取り消しを免れえないと考える。
六 原告の反論に対する答弁
1 前記五2について
被告は、原告の職務に必要な適格性の有無を判断するについては、次のとおり、原告にとって転職可能な職について十分な考慮を払っている。
(一) 原告に対する補職上の配慮
(1) 原告は、昭和四一年六月一日、土浦試験場長(管理職手当二〇%)職から、一研主任研究官(管理職手当一二%)職とされているが、これは前記のとおり土浦試験場長職において勤務成績不良、適格性に欠ける点が見受けられたための事実上の不利益処分に等しいものである。
(2) 右のとおり、原告は、昭和四一年六月一日から昭和四六年八月三一日まで一研主任研究官であったが、同時に兼技術部付とされている。これは、一研主任研究官としての職務は「一研の所掌に属する特定重要研究課題についての調査研究並びに調査研究の指導及び監督を行うこと。」であり、原告の能力及び勤務態度から直接、これらの業務にたずさわらせるのは無理であると判断し、実質的に技術部に配置し、技術部長の指導、指示に基づく「研究開発制度審議会の評価態勢についての試案の作成」並びに原告の多年の経験が活用される筈の「原動機関連の技術指導」を担当させたものであって、原告の今後の補職方向と配置可能な職域の模索を含む意味での補職であった。
(3) 昭和四六年九月一日から昭和四九年一月一六日までの期間は、一研主任研究官兼技術部付兼四研勤務とされているが、このうち、一研主任研究官としての職務は、前記(2)で述べた理由により従事させず、また、技術部付の職務も付与された業務に対する意欲と適性に欠けたため当分の間、留保しておくこととし、今一度その補職及び配置の方向を見出すために、過去に経験したことのある四研に配置してみることとしたものである。四研での職務は、原告が過去において経験したことのある原動機の技術について原動機の研究に従事している研究者の指導を中心として四研の業務計画策定に当たっての審査等であった。
(4) 昭和四九年一月一六日から昭和五一年三月三一日の間は、主任研究官(管理職手当一二%)の職からはずし、無任の一研付としたのであるが、これは七年六月に亘る長い間、土浦試験場長(管理職手当二〇%)、一研主任研究官兼技術部付(管理職手当一二%)、同上兼四研勤務(同)の各種の業務に補職したものの遂にその適格性を見出すことができず、加えて、勤務態度も不良であり、また勧奨退職予定日(昭和四九年四月一日)までの間、従来の慣行に従い業務整理に従事させることもあって、一研付を発令したものである。
(二) 原告に対する適格性の判断
技本は、自衛隊の装備品等についての技術的調査研究、考案、設計、試作及び試験並びに自衛隊において必要とされる事項についての科学的調査研究を行う機関であるが、前項において掲げた原告の職務は、原告の専門と多年の勤務及び等級からみて、原告に対し技本において与えうる適職を網羅したもので、これらは原告にとってまさに「転職の可能な職を含めたすべての職」と言いうるものであった。
それにもかかわらず、これらの職務においての原告の勤務状況は前記一に述べたとおりすべての期待を裏切るものであったのであり、したがって被告は、原告において「その職務に必要な適格性を欠く。」と判断したのである。
2 同3について
原告は、勧奨退職に応じなかったから分限免職が行われた旨主張するが、防衛庁における勧奨退職の実情をみれば、かようなことは事実に反することは明らかである。
(一) 防衛庁においては、昭和四〇年度以降、退職の勧奨に応じて退職した者は、四三二三名で、これは勧奨対象者四三三八名の九九・七%に当たる。一方、退職の勧奨に応ぜず勧奨退職予定日以降も引き続き勤務した者、いわゆる不応者は一五名で勧奨対象者の〇・三%にすぎない。現在、在職する不応者は一〇名、最高年令は七〇才である。
以上のことから次のことが明らかである。
勧奨退職については対象者のほとんどがその趣旨を理解してこれに応じ、制度として定着しているが、不応者も常時継続的に存在し、かつ退職の勧奨は強制力を伴わないので、不応者に懲戒免職事由又は分限免職事由がない限り、不応者もその意に反して離職させられることなく、勧奨退職予定日以降も引続き勤務しているのである。若し原告が言うように、勧奨退職のいわば代替手段として分限免職処分がとられたのであれば、今までに本件のほかに類似の事例があって然るべきであるが、過去において、原告のほか不応者で分限免職処分を受けた者は皆無である。このことからも、原告に分限免職に相当する事由があったからこそ原告が当該処分を受けたものであることは明らかである。従って、原告の主張は、当該処分を曲解し、自己の不当性を擁護しようとするものであり、失当である。
(二) また原告は、「たとえ原告に多少のいきすぎがあったとしても、被告が主張する事由は、昭和五〇年五月までのことであり、もし被告が原告のその際の態度を問題にするのであれば、当然五、六月頃に戒告等の処分を行ったはずなのである。原告が退職勧奨に応じなかったので、後から付した理由であることは明白であると言わなければならない。」と述べ、被告が懲戒処分を行うことなく原告を分限免職したことの不当性を主張するが、懲戒処分と分限処分とは、その趣旨、目的を異にするものであるから、懲戒処分が行われなくても分限処分を行い得ることは当然のことである。本件において被告は、昭和四一年から免職に至るまでの長期間にわたり継続的に見受けられた原告の勤務成績不良及び職務に必要な適格性の欠如に対して処分をしたものである。それらは、一過的又は偶発的な個々の非違行為ではなくて、原告の自己中心的、偏執的な性格等に起因する矯正しがたい持続性を持った一連の行為であって、分限処分事由に該当することは明らかである。
第三証拠(略)
理由
一 請求原因1ないし3は当事者間に争いがないところ、被告は、原告が勤務成績不良であり、また、職務に必要な適格性を欠くから自衛隊法四二条一号、三号により免職処分にした旨主張するので、検討することとする。
1 被告の主張1(一)(1)中、原告が、昭和四八年四月二六日をもって防衛庁研究職職員の退職勧奨年令である満六〇才に達したこと、被告が原告に昭和四九年一月一六日付をもって「一研付」を発令したこと、原告は退職勧奨に応ぜず、昭和四九年四月一日を過ぎても在職していたこと、同(2)中、原告が研究報告提出及び他の希望テーマの提示を拒否したとの点以外の事実、同(4)中、一研長が、原告に対し、昭和五〇年一月二七日、再度研究課題の担当を命じたこと、原告が、同年三月二四日、原稿用紙六枚の研究報告を提出したこと、一研長が、同年五月一二日、原告を自室に招き、重ねて当該研究の担当を文書をもって命じようとしたところ、原告が、「ラインを外されているので、そのような作業はできません。」との発言をしたこと、一研長が、同日、再度原告を自室に招き、「ラインを外されているのでできないと言うが、当方としては貴官一人だけでやれる範囲に限定している。また必要があれば研究室等の支援もやぶさかでないので申し出られたい。」旨述べて、原告の翻意を求めたこと、同(二)(4)中、原告は、一研勤務以来自室でラジオを聞き、新聞を読んでいたこと、はいずれも当事者間に争いがない。
右各争いのない事実と、成立に争いのない(証拠略)を総合すると、原告の技本土浦試験場長(以下土浦場長という。)以来の勤務状況及び本件免職処分に至る経緯について、次のような事実が認められる。
(一) 土浦場長当時(昭和三八年一月五日から同四一年五月末日まで)原告は、昭和一二年三月に大学の工学部機械科を卒業して以来、海軍に勤務し、また、その他種々の職に就いた後、昭和二七年一一月一七日、保安庁技官に任用され、昭和二九年七月一日からは自衛隊法の施行により防衛庁技官となり、以来、原動機関係を中心として研究職に従事し、技本三研及び四研の原動機部門の研究室長を経た後、昭和三八年一月五日、土浦場長を命ぜられ、同四一年五月末日までその職にあったものである。
原告は、その間、昭和三九年九月一日には研究職一等級に昇給している(なお、原告は、土浦場長当時、管理職手当として俸給月額の一〇〇分の二〇の割合による特別調整額を支給されていた。)。
土浦試験場では、試作ロケットの性能試験を業務としており、場長の職責は、職員に対する技術指導、ロケットの性能試験に対する助言等の技術的指導及び職員の管理であるが、原告は、土浦場長への発令に対し、いわば昇進の本流から外されたとの感情を強く有し、このことの不満もあってか、右技術指導に対して熱意がなく、職員との接触も積極的でなく、その他の管理業務の執行にも恣意的な姿勢が目立つなどその勤務態様は不良との評価を受けざるを得ない状況であった。
(二) 一研主任研究官兼技術部付時代(昭和四一年六月一日から同四六年八月末日まで)
技研本部内では、試験場長の経験者は、順当であれば研究所の部長クラスに昇進する例が多いが、原告は、前記のとおり、場長としての評価が不良であったため、技本ではその処遇に苦慮し、原告の研究職一等級としての地位に適合し、かつ、管理的能力よりむしろ技術的能力を発揮し得る職として昭和四一年六月一日付で、当時空席のあった一研主任研究官にあて(この結果、原告は管理職手当として俸給月額の一〇〇分の一二の割合による特別調整額を支給されることになった。)、かつ、技術部付兼務として技術部長の直接の指示を受けることとした。なお、当時の技術部長は訴外中城忠彦(以下中城という。)であり、同人は原告の大学及び海軍における先輩でもあり、この意味でも同人が原告の指導にあたるのが好適であると考えられた。
原告は、技術部長から研究開発の管理評価体制についての専門委員会(以下評価委員会という。)の委員を命ぜられ、研究開発の評価方法の検討が原告の主たる職務となったが、原告は、その持論として、かような評価は技術部長並びに技術専門官の職責であるのに、技術専門官はこれをなおざりにし、技術部長は自己の責任を逃れるために評価委員会を設置したとの意見を有しており、評価委員会議の席上においても、建設的な意見を提出することなく、右会議自体不必要であるとの発言や個人攻撃的な発言が多く、委員長より発言を制止されることもあり、かようなことから後には原告は殆ど発言しなくなった。昭和四五年三月からは訴外松井宗明(以下松井という。)が前記中城の後任として技術部長に就任したが、右松井は中城からの引継事項の一環として、原告は自我主張が強く、命令を素直にきかず人間関係も悪い旨の報告を受けている。松井は、原告に研究計画の評価方法についての試案作成を命じたところ、原告は、評価の重要性は理解するが、研究項目の設定、評価方法がなっていないなどと言い、また、技術部長等の上司に対する個人的な批判を強く言い立てたが、結局、右試案は作成に至らなかった。そこで松井は、原告に他の仕事を割当てるべく、原告にその専門分野である原動機関係について研究所に赴いて指導にあたることの打診をしたところ、原告もこれを積極的に希望したため、四研に赴いて指導することを命じたが、結局、原告はこれを履行しなかった。原告は、前記評価委員会の業務の他には特に定まった業務を有さず、自発的に研究等を希望することもなく、自室においては(当時は技術専門官と同室であったが)、ラジオのF・E・N放送を聞いたり、英字新聞、英字雑誌等を読むことで勤務時間を過ごしており、同室者からも苦情の出る状況であった。
(三) 一研主任研究官兼技術部付兼四研勤務当時(昭和四六年九月一日から同四九年一月一五日まで)
原告は、前記のとおり、四研への技術指導に赴かず他に特段の仕事もなかったところから、松井は、原告を四研に兼務させ、原動機関係についての技術指導に当らせることとし、原告は昭和四六年九月一日付で四研兼務を発令された。
四研における原告の職務は、業務計画検討会議に出席して研究項目の審査をすることと、原動機関連の研究室に赴いて技術指導をすることであり、当初一年間位は比較的積極的にこれらの職務に取組んでいたが、その後は積極性に衰えを見せ、右会議においては現状否定的な発言や、上司に対する個人攻撃的な発言(特に前技術部長の前記中城及び前四研長であった訴外尾沢に対する攻撃が激しかった。)が多く、会議の進行を阻害することもあった。また、四研長から研究報告の審査を依頼されたが、殆ど実質的な検討を行わない状況であった。自室においては(所付主任研究官と同室であったが)、以前と同様にラジオを聞き、新聞、雑誌を読むなどして過ごしていた。
(四) 一研付当時(昭和四九年一月一六日から同五一年三月末日まで)
防衛庁においては、職員が満六〇才に達する一年位前から当該職員に退職を勧奨し、同人がこれに応じれば、同人が満六〇才に達した年の期末である三月末日付をもって退職とする慣行的な取扱いをしており、殆んどの職員はこれに応じている。ところで原告は、昭和四八年四月二六日をもって満六〇才に達するところ(したがって、原告が退職勧奨に応じていれば、昭和四九年三月末日をもって退職の取扱いをされる筈であった。)、原告に対しても、昭和四七年九月頃から、当時の四研長であった訴外中曽根成雄から数回にわたって退職勧奨が行われたが、原告はこれを拒否していた。しかし防衛庁当局は、原告の退職勧奨を円滑に進めるために昭和四九年一月一日付で原告に特別昇給の措置をとると共に、同月一六日付で一研付を発令したが、これは原告の退職が予定される同年三月末日までの間、業務整理等をさせるための、いわば退職準備の意味をもった発令であった。
そのため、原告は前記業務計画検討会議の構成員からも外され、原告の職務は実質的に存在しない状況となった(なお、原告は、一研付とされた結果、前記管理職手当は支給されないこととなった。)。
原告は、その間、技本の副本部長、総務部長等から退職勧奨を度々受けたが、これを強く拒否し、結局、退職を予定されていた昭和四九年三月末日以降も勤務を続けることとなったが、自発的に希望業務の申告もせず、自室においては、従前と同じくラジオを聞いたり、新聞、雑誌を読むなどして時間を過ごしていた状態であったため、一研において原告に何らかの職務を付与する必要が生じ、検討の結果、原告の専門分野である原動機関係について、原告の管理、研究両面における学識、経験を生かし得る研究課題として、「技本における原動機の研究開発体制について」と題する課題を付与し、その結果を技本において今後の参考資料とすることとし、昭和四九年一一月二二日、当時の一研長訴外中曽根成雄が口頭でこれを原告に命じたところ、原告は、技本における原動機の研究開発体制といっても極めて範囲が広く、これを一人でやれというのはおかしい旨述べてこれを拒否し、その後、一研長の要請で拒否理由を同年一二月一六日付の書面に記載して提出したが、これには事実三(被告の主張)1(一)(2)中<1><2><3>記載の如き理由が記されてあった。しかし、一研長は、右理由はいずれも命令拒否の正当理由とならないものと判断し、昭和五〇年一月二七日、再度、原告に対して、右研究課題の担当を文書により命じた。原告は、これに応じて、同年三月二四日、右課題に対する研究報告書を提出した。
しかし、右報告書(<証拠略>)は、四百字詰原稿用紙六枚のものであり、その内容は、技本における原動機関係の研究体制の現状を概括的に述べて、これが適正であると結論するほかは本課題について殆ど触れるところがなく、その余の部分は、現在の評価体制を批判するほか、技術部長、三研長、四研長を批判し、技本における人事を論難することで終始している。しかし、これらの論述は、いずれも具体的な技術的検討を経たものとは認め難く、極めて表面的で粗雑なものと言わざるを得ないものであった。
一研長は、右報告書に対し、前記課題担当命令の趣旨を逸脱したものと判断し、原告に対し、これでは不十分である、個人攻撃的なことは控えたほうが良い旨、口頭で注意し、また、同年五月一二日、原告を自室に招き、重ねて当該研究の担当を文書をもって命じようとしたが、原告は、「ラインを外されているので、そのような作業はできません。」と述べてこれに応じなかった。一研長は、同日、再度原告を自室に招いて、「ラインを外されているのでできないと言うが、当方としては貴官一人だけでやれる範囲に限定している。また必要があるならば研究室等の支援もやぶさかでないので申し出られたい。」と述べて原告の翻意を求めたが、原告はこれに応じなかった。
その後、原告は、希望する研究課題を申し出ることもなく、他に特段の職務もなく(一研長は、前記研究課題の報告書が提出されれば、さらにこれに関連した研究課題を付与することを考えていたが、前記のような経緯で原告が再度の報告書提出に応じなかったため、かような関連課題を付与することもなし得なかった。)、勤務時間中は、従前と同じく、ラジオを聞いたり、新聞、雑誌を読んで過ごすことに終始した。
その間、原告に対する退職勧奨は引き続き行われ、昭和五〇年一一月頃には、技本副本部長から、勧奨に応じねば分限免職にもできる旨の発言があり、同年一二月中旬には、本部長からも同様の発言があった。昭和五一年三月二四日以降は、人事局長からも退職を勧奨されたが、原告はこれらを強く拒否していたところ、同年三月三一日、一研長から、同日付の免職辞令(自衛隊法四二条一号、三号による)を交付された。
なお、原告は、退職勧奨の応対の際に、種々人事に関する不満を表明しており、昭和四九年九月二〇日の技本総務部長との話し合いにおいては、「技本はいい加減な人事をやっている。」「尾沢前所長と同じ給料までいたい、彼はうまくやって所長にまでなった。自分もなって良い筈なのに冷遇されている。」「所長にしてくれれば一番良い。指定職になれば一年でやめる。」等述べ、また、同年一一月六日の技本総務課課長補佐との応対においては、「技本の技術者の人事はでたらめだ。技術的にでたらめをやっている者が指定職になる。四研長になった尾沢なんて技術的に何も分っていない。要領の良い者がうまくいっている。」「技術部長時代の中城は何もやっていないじゃないですか。要職に付く(ママ)ことがおかしい。」等述べている。
以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一、二回)中、これに反する部分は採用しない。
2 以上の認定事実から考えるに、原告は、土浦場長当時以来、職務遂行に対して熱意に欠け、管理能力について極めて低い評価しか受け得ず、技術指導、研究の分野においても殆ど実績を上げることなく推移したものであり、評価委員会、業務計画検討会議における討議に際しても、会議そのものに対する批判、上司に対する個人攻撃的な発言に終始し、建設的な議論への参加はみられなかったことが認められる。また、上司の業務上の命令にも素直に従うことなく、一研付時代においては、一研長から付与された研究課題の担当(当時においては、唯一の職務であったが)を一旦は拒否したうえ、再度の担当命令により、これに対する報告書を提出したものの、その内容は、前記のとおり、極めて簡略、杜撰で、個人攻撃的な事がらを主内容としたもので、研究課題付与の趣旨を逸脱したものとみられてもやむを得ないものであり、これに対する一研長の、再度報告書を提出し直すようにとの要請にも応じなかった。さらに、自発的に希望する研究テーマを申出る等のこともなく、特に、一研付を発令された昭和四九年一月一六日以降は勤務実績が皆無といえる。
原告は、また、一研主任研究官兼技術部付を発令された昭和四一年六月一日以降、自室において勤務時間の大部分をラジオの英語放送を聞いたり、新聞、雑誌を読んだりして過ごしていたものであり、その勤務態度は、真剣に職務を遂行しようとする熱意を全く欠き、むしろ投げやり的なものであったと言わざるを得ない。以上からすると、原告の勤務成績は極めて不良な状況にあったことが認められる。
また、前記認定事実、特に土浦場長当時の勤務態度、評価会議及び業務計画検討会議における原告の言動、研究課題付与に対する応対、右課題に対する報告書の内容、退職勧奨に対する原告の応対等から考えるに、原告は自我主張が極めて強く、上司の命に従順でなく、同僚、部下との協調性に欠け、特に人事についての不満が極めて強く、技術部長や所長になっている者は技術的な能力が劣るのに、要領が良いために登用されたものであり、自分もかような指定職に登用されるべきであるのに不当に冷遇されているとの考えに固執し、上司に対する個人攻撃にのみ急で、自己の職務を遂行することに熱意を持たず、そのため前記のような不良な勤務態度を惹起したものと考えられる。すなわち、原告の右記の如き性格的なものに基因して、その職務の円滑な遂行が妨げられていると認められるのであり、したがって原告は、その職務に必要な適格性をも欠くものと言わざるを得ない。
3 原告は、ラジオはF・E・N放送のみを聞いており、新聞もニューヨークタイムズの縮刷版を読んでいたのであり、これらによって英語の勉強をすると共に、米軍の情報やベトナム戦争の状況等を研究していたと主張するが、仮にそのとおりであったとしても、原告は、技術的分野における研究職の職員であり、主張のような事がらが原告の職務内容でないことは明らかである。
原告は、次に、免職の場合の適格性について、自衛隊法四二条三号の「職務に必要な適格性を欠く場合」とは、転職可能な他の職をも含めて、これら全てについての適格性を欠く場合を言うのであり、原告はこの意味の適格性を欠いていない旨主張する。しかし、これを本件について検討するに、前記の如く、原告は、原動機関係を専門とする研究職の職員であるところ、管理的業務、研究開発計画に対する評価業務、専門分野における技術指導、専門分野に関する研究課題担当のいずれの職務においても、職務遂行に対する意欲を欠き、期待さるべき成果を上げ得ず、かつ、それは原告の容易に矯正し得ない性格的なものに起因していると認められるのであるから、原告は、研究職の職員としての職務に必要な適格性を欠いていると言わざるを得ない。
原告は、また、原告が退職勧奨に応じなかったために免職処分に付されたものであると主張する。そこで検討するに、前記のとおり、原告に対しては、昭和四七年九月頃から退職勧奨が行われ、昭和四九年一月一六日付で退職準備の意味を持たせた一研付が発令され、その後もしばしば勧奨が行われたが、原告はこれを拒否していたところ、昭和五〇年末頃からは、勧奨に応じねば分限免職にもなし得る旨の発言が技本本部長等からなされ、結局、原告は本件免職処分に付された事実が認められる。しかし、(人証略)によると、技本としては、原告の従前からの勤務態度不良、特に研究課題担当命令に際しての原告の応答、提出された報告書の内容に照らして分限免職処分が相当であると考えるに至ったが、原告が勧奨に応じて退職すれば最も円満な解決が図れるとの考慮のもとに、退職勧奨を続行していたところ、結局、原告がこれに応じなかったために、やむなく本件免職処分に付したものであることが認められるから、この点に関する原告の主張も理由がない。
二 以上のとおりであるから、原告は、勤務成績不良で、かつ、その職務に必要な適格性をも欠くものと認められ、その内容、程度に照らすと、被告が、自衛隊法四二条一号、三号を適用して行った本件免職処分は相当なものであったといえ、その他に、被告が本件処分を行うに当って、裁量権限を濫用したことを窺うに足りる事情も認められない。
三 よって、原告の本件請求は、失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 赤西芳文)