東京地方裁判所 昭和53年(行ケ)183号 判決
一 請求の原因一、二の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、審決の取消事由の存否について検討する。
1 取消事由の1の点について
(一) まず、原明細書中、この点に直接関連する記載についてみるに、成立に争いのない甲第二号証(本願発明の公開特許公報)によると、原明細書の「発明の詳細な説明」欄における従来技術ないし背景的技術を叙述した部分には、
<1> 「従来、極めてしなやかなソフトタツチを有する立毛製品は種々研究されているが、いまだ十分なものはない。唯一の例外は、本発明者らに係る高分子配列体と称する海島型繊維を用い、不織物+高分子弾性体+バフイングなる手法によるスウエード調人造皮革がある。」(第二頁)
<2> 「……機械植毛方式……により、該高分子配列体繊維を機械植毛し、しかる後、その海島型構成成分の中の海成分を除去することは公知である。」(第二頁、第三頁)
<3> 「本発明者らもこれを実験してみた。すなわち、前述の極細機械植毛品(海成分除去後)に裏面から高分子弾性体を塗布した。これにより、確かに立毛は固定されることは確かめられた。」(第四頁)との各記載があり、また、本願発明そのものが直接説明されている部分には、
<4> 「ところが、高分子配列体などの海島型繊維においては、本発明のような使用の仕方をすると、事情は一変する。第二図は、海島型繊維とバインダーとの関係を示す本発明のモデル断面図である。第二図において、海島型繊維3には、島成分4と海成分5が存在し、第二図―Cのような断面構造をとるものである。」(第七頁、第八頁)
<5> 「このことからして、明らかに立毛繊維はこの島成分4と海成分5から成立している訳であるから、島成分4は海成分5の除去後、高分子弾性体2と接着しておらず、予想としてこの島成分4からなる立毛は抜けて、所期の目的は全く果されないと考えられた。というのは、機械植毛においては、特にV型、W型においては、抜け毛しやすく、特にV型に著しいからである。そのうえ、繊維の『脱海』により繊維がやせて、保持力が弱まると、一層抜けやすいことが予想された。しかしながら、全く予想外の驚くべき優れた結果を得たのである。」(第八頁、第九頁)
<6> 「いずれにせよ、立毛の根元の部分に高分子弾性体が先に付与され、しかる後、本発明でいう脱海が行われるか否かによつて決まつてくるのである。」(第一二頁)
<7> 「本発明の島成分は、ポリエチレンテレフタレート又はその変性(共重合添加など)重合体が特に好ましく用いられ……」(第一三頁)
との各記載があり、本願発明の実施例に関する叙述部分には、
<8> 「次いでこのものをトリクロルエチレンで五回十分洗浄し、パイルに用いた海島型繊維の海成分を除去し、しかる後、サーキユラー加圧染色機にて分散染料を用い紺色に染め、仕上油剤を付与した後乾燥した。」(第一七頁)
との記載があり、更に、本願発明に対する比較例の説明部分においても、
<9> 「……パイルを形成する繊維としては、海島型繊維で島成分がポリエチレンテレフタレート、海成分がポリスチレンを主体とするポリマからなる繊維(実施例1に同じ)を用い……」 (第二一頁)
<10> 「比較例1と同様の糸使いの表面に海島型繊維からなるパイルを有する立毛織物を、トリクロルエチレンで五回洗浄し、パイルを形成している海島型繊維の海成分を除去し、立毛(パイル)がベタベタにたおれたものとなつた。」(第二二頁)
との各記載のあることが認められ、これらの記載は、その記載自体からも明らかなとおり、すべて、海島型繊維に関する記載にほかならない。
そして、右に掲げた各記載部分をはじめ、審決の引用した(a)ないし(c)の記載及び原明細書のその他の記載部分(審決が摘示するこれらの各記載の存することは、原告の自認するところである。)を併せ検討すると、本願発明に関する背景的技術や従来例をはじめ、本願発明の目的、手段、効果並びにその実施例、比較例にわたるすべての記載は、終始一貫して海島型繊維に関するものであつて、剥離型繊維について、これを直接叙述した部分はもとよりのこと、出願人においてこれをも包含させたものと解しうべき記載部分は見当らない。
(二) なるほど、原告が主張するとおり、原明細書の特許請求の範囲第一項には、「極細繊維」との用語が、また、その発明の詳細な説明中には、「極細繊維発生型高分子配列体」との用語があり(この事実は当事者間に争いがない。)、一方、極細繊維を発生させうる繊維ないし高分子配列体には、海島型繊維のほか、剥離型繊維が包含されるものと解される。
しかし、右の「極細繊維」の点についてみるに、当事者間に争いのない本願発明の要旨(特許請求の範囲の記載に同じ。)からも明らかなとおり、そこに用いられている「極細繊維」とは、ベース生地部分の繊維束の束が高分子弾性体によつてほぼ接着固定され、他方、立毛部分が接着固定されることなく、互いに極めて接近した状態にあるところの極細繊維にほかならないのでありこのように限定された極細繊維は、後記2の(二)において検討するところからも明らかなとおり、海島型繊維についてのみ考えられていることであつて、原明細書の記載、ことにその特許請求の範囲第二項及び前列挙の各記載に徴し、剥離型繊維については全く考えられていないものと解するのほかはない。また、右の「極細繊維発生型高分子配列体」についてみるに、前掲甲第二号証によると、右の語が用いられている部分の記載は、「織物の風合はとも角、たとえゴワゴワのゴム状であろうと、立毛を接着固定するということは、前述の極細繊維発生型高分子配列体の機械植毛海除去品に適用してみたらどうかと考えることを思いつかれるかも知れない。」(原明細書第四頁)というのであつて、海島型繊維についての記述にほかならない。
そうだとすると、右の各用語が、それ自体としては、いずれも海島型繊維のほか剥離型繊維を包含しうる上位概念であるとしても、これが用いられている記載内容を離れてその用語のみを取り出し、その記載があるからといつて原明細書又は添付図面(〔編註〕省略)に剥離型繊維に関する記載もあるとすることはできない。
よつて、取消事由の1の点の主張は採用できない。
2 取消事由の2の点について
(一) (発明の目的の同一性について)
(1) 特許法第四一条に基づいて補正が許されるのは、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載された事項、又は少なくとも出願時において当業者が右明細書に記載された技術内容に照らし、記載があると認識しうる程度に自明な事項でなければならないと解すべきであり、単に発明の目的が同一であれば足りるものでないことはいうまでもない。
(2) 前掲甲第二号証によると、本願発明の目的は、原告が主張するとおり、立毛の耐抜性、光沢のいずれもが優れた高度のしなやかなソフトタツチを有する織物及びその製造法を提供することにあると認められる。
しかし、前1に検討したとおり、原明細書は、本願発明について右目的達成のための具体的方法の説明(実施例、比較例を含む。)がすべて海島型繊維に関するものであるから、剥離型繊維を用い同じ目的を達しようとする場合に、これをいかに行うか、原明細書の記載からは当業者といえどもこれをたやすく理解し難いところであるというほかはない。
仮に、剥離型繊維についても、原明細書に記載された手段のうちのいくつかが選択適用できこれに他の手段を併用し、その結果前記のような目的が達せられるにいたることがあるとしても、後に述べるとおり、原明細書によると、本願発明は、織物のベース生地部に海島型繊維をV型又はW型に織り込んで立毛した後に、右ベース生地部の裏面から海島型繊維で構成された立毛部根元に高分子弾性体を付与して固定し、次いで、右繊維について脱海処理するという手段を用いることとされ、しかも、右の脱海処理が極めて重要であつて、本願発明の効果もこの手段方法に基づいて生ずるものである旨記載されているのである。このことからすると、当業者といえども原明細書及び添付図面に記載された技術内容から、本願発明を直ちに、脱海処理をせず他の処理を要する剥離型繊維に適用してたやすく同一の目的を達成できるものと断じえないことは明らかである。
(二) (作用効果の同一性について)
(1) 原明細書、特に審決の摘示した(c)の記載及び前1の(一)の<5>の記載によると、本願発明においては、極細化処理前の繊維は、繊維束を形成しているが、海成分が除去されることにより更に束ができ、半固定により根元の部分に対しては一次の束に対し更に二次の束がある構造になつているとされていることが認められる。これによれば、極細化された繊維は、添付図面第二図のEのように島成分4の一本一本が束となり、それを半固定しつつ、この束が更に二次の束を形成し、それらが、ベース生地部の経糸と緯糸とによつてV型又はW型構造を形成し、しかも、高分子弾性体2によつて、右経糸、緯糸とは接着固定的に、また右の束とは半固定的にその構造を形成していると解される。
(2) ところで、原明細書には、「半固定」の意味を直接定義づけた記述はないが、原明細書、ことに本願発明の特許請求の範囲の記載と前記(c)及び<5>の記載とからすると、半固定の状態とは、極細繊維束の束について、その海島型繊維が脱海処理されて島成分が一定の枠内で自由に動きうる状態、すなわち、島成分が、かつて海成分が介在していたことから、高分子弾性体に極めて接近はしているが接着していない構造を指すものと解される。
このことからすれば、原明細書にいうところの半固定の状態を形成するためには、海島型繊維を脱海処理することを必須の前提条件としているものと解するほかはない。更にいえば、高分子配列体を脱海という手段によつて海成分が介在していた分だけ容積的に縮少することが前提条件となるのであつて、高分子配列体を取囲む高分子弾性体側の対応、すなわち、高分子弾性体が凝縮し繊維との間に空隙が生じても、これをもつて半固定の状態が形成されたものということはできない。仮に、高分子弾性体が凝縮し繊維との間に空隙が生じた場合をも半固定と称しうるとしても、そこにいう半固定は、原明細書にいう半固定とは同一ではない。
(3) 原告は、極細繊維発生型高分子配列体(海島型繊維のほか、剥離型繊維を含む。)に高分子弾性体溶液を塗布し乾燥させたものの断面の顕微鏡写真(成立について争いのない甲第六号証、第八号証)をもつて、高分子弾性体溶液を繊維束に塗布して乾燥させたときは、これが凝固収縮して両者の間にいずれも空隙を生ずるから、剥離型繊維の場合も極細化処理によつて極細繊維の半固定状態が形成される旨主張する。
しかし、剥離型繊維の場合には、右の空隙は、単に高分子弾性体側の対応(凝縮)のみによつて生ずるに過ぎないから、これは、このような状態に加え更に海成分が除去される海島型繊維の場合において生ずる空隙と比較し、小さいものであると考えられる(これと別異に解すべき特段の事情を認めうべき証拠はない。)から、そのことだけでも、両者が同一の作用効果を奏しうるものとは認めえない。のみならず、右のとおり海島型繊維と剥離型繊維との間に空隙において差異があるとすると、剥離型繊維の場合前掲甲第六号証の第一図、同第八号証の第一図、第二図に示されているような空隙が、高分子配列体の長手方向に添つて相当の長さにわたつて連続して生じているものとはにわかに認め難く(右甲号証のものは、一断面の状態を示しているに過ぎない。)、他に、海島型繊維の場合と同一の空隙が生じているとしうべき資料はない。
(4) 以上(1)ないし(3)のとおりであるから、原明細書及び添付図面に記載の海島型繊維の場合の作用効果が、剥離型繊維においても同様に奏せられるものとはにわかにしえない。
(三) (置換の容易性について)
前1及び2の(一)、(二)に述べたところからすると、原明細書及び添付図面に記載の海島型繊維に関する技術を剥離型繊維で置換して同等の目的を達することは、当業者にとつて容易であるとはいえないとせざるをえない。
(四) 右のとおりであるから、本願発明において、その目的・作用効果及び置換の容易性のいずれの点からしても、剥離型繊維をもつて海島型繊維と実質的に同等ないし原明細書及び添付図面の記載に照らし記載があつたと認められる程度に自明な事項とはしえない。したがつて、この点の原告の主張も採用できない。
三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註〕 本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。
一 補正前の特許請求の範囲
(1) 織物のベース生地部にV型、またはW型を有するように立毛部をもつた極細繊維束の束が織り込まれ、かつ、該ベース生地部分の極細繊維束の束は高分子弾性体によつてほぼ接着固定され、他方、立毛部分は接着固定されることなく、互いに極細繊維が極めて接近した構造を有することを特徴とする極細植毛織物。
(2) 織物のベース生地部に海島型繊維をV型、またはW型に織り込んで立毛した後、該ベース生地部の裏面から海島極細繊維で構成された立毛部根元のみを高分子弾性体で付与して固定し、次いで脱海処理することを特徴とする極細植毛織物の製法。
二 補正後の特許請求の範囲
(1) ベース生地部に主として0.3デニール以下の極細繊維をV型またはW型に織り込んで形成された立毛を有し、高分子弾性体が含浸されている機械植毛織物であつて、織り込まれた極細繊維は、ベース生地部では、高分子弾性体によつて取り囲まれてほぼ固定された極細繊維の一次の束を形成し、更に該一次の束がいくつか集まつて二次の束を形成しており、しかもそれらの束は高分子弾性体によつてベース生地部のタテ糸、ヨコ糸と接着固定されており、他方、立毛部分では高分子弾性体によつて束として固定されていず、極細繊維が互いに極めて接近した一つの大きな房状構造となつていることを特徴とする機械植毛織物。
(2) 織物のベース生地部に、極細化処理すれば0.3デニール以下の極細繊維が束として得られる極細繊維発生型繊維を、V型またはW型に織り込んで立毛を形成した後、該ベース生地部の裏面から高分子弾性体を付与し、該ベース生地部と立毛の根元部分を固定し、次いで少なくとも立毛部分が0.3デニール以下の極細繊維となるまで該極細繊維発生型繊維の極細化処理をすることを特徴とする機械植毛織物の製法。