東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2243号 判決 1982年11月12日
原告 伊藤須美
右訴訟代理人弁護士 上條義昭
同 奥川貴弥
被告 全日本酒類販売株式会社
右代表者代表取締役 酒井宏侑
<ほか三名>
右被告ら四名訴訟代理人弁護士 藤本勝哉
主文
一 被告らは原告に対し、各自金一九五万三、〇〇〇円及びこれに対する被告全日本酒類販売株式会社においては昭和五三年一〇月三一日以降支払済みまで年六分、被告酒井宏侑においては昭和五四年四月八日以降、被告岡部栄においては同年四月一日以降、被告大澤壮吉においては同年同月二〇日以降各支払済みまで年五分の各割合による金員を支払え。
二 原告の被告酒井宏侑、同岡部栄及び同大澤壮吉に対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項及び第三項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自金一九五万三、〇〇〇円及びこれに対する昭和五三年一〇月三一日以降支払済みまで被告全日本酒類販売株式会社(以下「被告会社」という。)においては年六分、その余の被告らにおいては年五分の各割合による金員を支払え。
2 主文第三項と同旨。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (手形金請求)
(一) 原告は、別紙手形目録記載の約束手形一通(以下「本件手形」という。)を所持している。
(二) 被告会社は、本件手形を振り出した。
(三) 本件手形の裏面には、第一裏書人訴外伊藤順一(以下「訴外順一」という。)、第二裏書人被告岡部、第二被裏書人原告との記載があり、第一被裏書人欄は白地である。
(四) 原告は、本件手形を満期に支払場所に呈示した。
(五) よって、原告は被告会社に対し、本件手形金一九五万三、〇〇〇円及びこれに対する満期の日である昭和五三年一〇月三一日以降支払済みまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める。
2 (損害金請求)
(一) 本件手形は、原告の夫である訴外順一が訴外佐藤雄四郎から賃借し、原告とともに居住していた居室の明渡の対価として、同居室を含む別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の所有権を譲り受けた訴外株式会社鳳商事(以下「訴外会社」という。)が支払うべき立退料金二三五万三、〇〇〇円から、既に支払を了した内金四〇万円を控除した残金一九五万三、〇〇〇円の支払のために、被告会社が昭和五三年一〇月一八日訴外順一に対し振り出したものである。
(二) 被告会社は、原告夫婦が約束どおり本件建物のうち賃借部分の明渡を了したにもかかわらず、昭和五三年一〇月三一日、原告の本件手形の支払呈示に対して債務不履行を理由として手形金の支払を拒絶し、同年一二月一二日、不渡処分を免れるため支払銀行に預託していた本件手形金相当額の預託金を払い戻した結果、無資力状態になった。
(三) 被告酒井、同岡部及び同大澤は、いずれも当時被告会社の代表取締役であったところ、原告夫婦をその居室から容易に立ち退かせようと計画し、共謀の上、当初から支払の意思がないにもかかわらず本件手形を振り出し、正当な理由がないのに手形金の支払を拒絶した上、預託金の払戻しをして被告会社を無資力状態にしたものであるから、被告会社の代表取締役としての職務を執行するに当り悪意があったというべきである。
(四) これにより、被告会社の原告に対する本件手形金債務の履行は不能となり、原告は、同金額に相当する金一九五万三、〇〇〇円の損害を被った。
(五) よって、原告は被告酒井、同岡部及び同大澤に対し、商法二六六条ノ三第一項又は民法七〇九条の規定に基づき、右損害金一九五万三、〇〇〇円及びこれに対する本件手形が不渡となった日である昭和五三年一〇月三一日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1項(一)ないし(四)の各事実は、いずれも認める。
2(一) 請求原因2項(一)の事実は否認する。
本件手形は、後出抗弁1項記載のとおり、債権譲渡の代金の支払のために振り出されたものである。
(二) 同項(二)の事実は認める。
(三) 同項(三)の事実中、被告酒井、同岡部及び同大澤がいずれも当時被告会社の代表取締役であったことは認め、その余は否認する。
(四) 同項(四)の事実は否認する。
三 抗弁
1 (悪意の抗弁)
(一) 本件手形は、被告会社が訴外順一から、同訴外人の訴外佐藤雄四郎及び同木村みすに対する約金二〇〇万円の貸金債権を譲り受けるに際し、その代金支払のために振り出されたものである。
(二) 訴外順一は、右債権譲渡契約の際、訴外佐藤及び同木村には資力もあり、自分も回収に協力するので、被告会社には迷惑をかけない旨、また、訴外順一において本件手形を他で割引き、その割引金が譲渡債権の元利金を超過した場合は、その余剰分を被告会社に返還する旨約束した。
(三) しかるに、右譲渡債権の債務者訴外佐藤及び同木村には資力がなく、貸付金額も金二〇〇万円には到底達しない上、訴外順一は何ら債権の回収に協力しないのみか、本件手形を他で割引こうともしない。
(四) そこで、被告会社は訴外順一に対し、昭和五三年一一月四日、右債権譲渡契約を解除する旨の意思表示をした。
(五) 原告は、本件手形取得時、右の事情をすべて知悉していた。
2 (訴訟信託)
訴外順一から原告に対する本件手形の譲渡は、訴訟を主たる目的として信託したものであるから無効である。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1項中、(四)の事実は認め、その余の事実はいずれも否認する。
2 抗弁2項の事実は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 手形金請求について
1 請求原因1項(一)ないし(四)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
2 そこで、抗弁1項(悪意の抗弁)の主張について判断する。先ず、被告らは、本件手形は、被告会社が訴外順一から、同訴外人の訴外佐藤雄四郎及び同木村みすに対する約金二〇〇万円の貸金債権を譲り受けるに際し、その代金支払のために振り出されたものである旨主張し、被告本人兼被告会社代表者酒井宏侑、被告岡部栄本人及び同大澤壮吉本人はいずれも右主張にそう供述をするが、右各供述は次節1項掲記のその余の証拠に照らしてた易く措信し難い。もっとも、《証拠省略》によれば、訴外順一は訴外佐藤及び同木村に対する債権を被告会社に譲渡した旨の通知書を、昭和五三年一〇月一八日ころ訴外佐藤及び同木村にあてて各別に発送したことが認められるが、その経緯は後記認定のとおりであって、右の事実から直ちに、本件手形が右債権譲渡の代金支払のために振り出されたものとまで推認することはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
よって、その余の主張について判断するまでもなく、抗弁1項(悪意の抗弁)の主張は理由がない。
3 抗弁2項(訴訟信託)の主張について判断するに、手形は本来転々譲渡されることが予想される有価証券であるところ、これが裏書譲渡されたからといって、そのことから直ちに訴訟を主たる目的として信託したものと推認し得ないことはいうまでもなく、他に右主張事実を認めるに足りる証拠もない。
よって、抗弁2項(訴訟信託)の主張もまた失当である。
4 そうすると、原告の被告会社に対する本件手形金請求は理由がある。
二 損害金請求について
1 請求原因2項(一)の主張について判断するに、《証拠省略》によれば、次の各事実が認められる。すなわち、
(一) 原告の夫である訴外順一は、昭和三九年一二月、訴外佐藤雄四郎から同訴外人所有の本件建物内の一部の居室を賃借し、以来原告とともに居住していたところ、代表者が同じく被告酒井であり、本店所在地も同一場所である等被告会社と密接な関連を有する訴外会社において、昭和五二年一〇月、訴外佐藤から本件建物を買い受け、賃貸人の地位を承継するに至った。
(二) 訴外会社は、本件建物取得後、これが相当老朽化していることから改築することを計画し、訴外順一はじめそこに居住している賃借人らと種々折衝を重ねたが、その際訴外順一は賃借人らの中心となってその意見を調整し、訴外会社との衝に当った。そして、昭和五三年九月二三日、訴外会社側から被告酒井のほか同岡部及び同大澤らが出席し、訴外順一はじめ賃借人全員と一堂に会し、最終的に賃借人は全員立退料を受領して本件建物を明渡す旨の合意が成立するに至った。
(三) 訴外順一に対する立退料の額については、右最終合意の前後を通じて個別に折衝が重ねられた。ところで、訴外順一は、昭和四六年一二月三〇日、当時賃貸人であった訴外佐藤からの賃料増額の請求に対し、これを断る条件として、無利息の約束で金五〇万円を同訴外人に預託し、当時本件建物の管理人であった訴外木村みすが訴外佐藤の右預託金返還債務につき連帯保証していたが、訴外順一は訴外会社に対し、右預託金返還債務を引受けることを要求した。折衝の末結局、訴外会社もこの要求を容れることとなり、また、訴外順一が賃借人としては最も古く、その賃借部分が最も広いこと等が考慮された結果、立退料は金二三五万三、〇〇〇円とする旨の合意が両者間に成立した。そして、昭和五三年一〇月一八日、内金四〇万円については被告岡部において訴外順一の銀行口座あて振込送金して支払われ、残金一九五万三、〇〇〇円については、同日、訴外順一が被告酒井、同岡部及び同大澤と会見した際、被告酒井から、明渡の約束の日である同年同月二九日より後の日を満期とした被告会社振出に係る本件手形が交付された。その際、訴外順一は、本件手形金の支払を保証してもらう趣旨で、本件手形に被告岡部の裏書を得た。また、その席で、被告酒井らは訴外順一に対し、訴外佐藤及び同木村に対する金五〇万円の前記預託金返還請求権につきこれを被告会社に譲渡した旨右訴外人両名に対して通知することを要求し、予め作成準備していた債権譲渡通知書に訴外順一の押印を得て完成させた上、これを被告大澤において各別に発送したが、訴外木村に対する同通知書は翌一九日に送達されたものの、訴外佐藤に対するそれは送達されるに至らなかった。
(四) 原告夫婦が昭和五三年一〇月二九日、本件建物の賃借部分を明渡した後、被告酒井が同岡部及び同大澤を伴って訴外順一を訪ね、社内で問題が起きたとの理由で金六〇万円余の支払と引換に本件手形の返還を要求するに至り、訴外順一がこれを断るや、本件手形金の支払拒絶後の同年一一月二日、被告大澤において訴外順一に対し、被告会社は同年一〇月一八日付けの債権譲渡契約を債務不履行につき解約する旨の通知書を発し、同通知書は同年一一月四日訴外順一に送達された。その後も、被告酒井は同大澤とともに、訴外順一に対し、支払金額の減額を執拗に要求し、本件手形の返還を迫ったが、訴外順一はこれに応じなかった。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》もっとも、《証拠省略》には、訴外順一に対する立退料の額が金四〇数万円で合意されたかのような記載があるが、《証拠省略》によれば、右金額は他の賃借人との関係上表向きの数字として表示されたものであり、これ以外にいわゆる裏金の授受の合意があったことが認められるから(被告本人兼被告会社代表者酒井宏侑、被告岡部栄本人及び同大澤壮吉本人も、その金額の点はとも角、いわゆる裏金が存在したことはこれを認める供述をするところである。)、右の各書証が存在するからといって前記認定の妨げとなるものではなく、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
以上認定した事実によれば、本件手形は、訴外会社の訴外順一に対する本件建物の賃借部分からの立退料残金一九五万三、〇〇〇円の支払のために振り出されたものと認めることができる。
2 請求原因2項(二)の事実及び同項(三)の事実中被告酒井、同岡部及び同大澤がいずれも当時被告会社の代表取締役であったことは、当事者間に争いがないところ、右の争いのない事実及び先に認定した事実によれば、右被告ら三名は、訴外順一が本件建物の賃借部分からの立退料の減額及び本件手形の返還の要求に応じなかったことから、本件手形金の支払を免れようと企て、共謀の上、本件手形は立退料残金の支払のために振り出されたものであり、したがって、その支払呈示に対して支払を拒絶する正当な理由がないことを十分に知悉しながら、訴外佐藤雄四郎に対する債権譲渡通知書が送達されなかったことに藉口して、債務不履行を理由に支払を拒絶した上、その後、不渡処分を免れるため支払銀行に預託していた本件手形金相当額の預託金を払い戻し、被告会社を無資力状態にしたものと推認することができる。そうすると、被告酒井、同岡部及び同大澤は、いずれも被告会社の代表取締役としての職務を執行するに当り、悪意があったといわざるを得ない。そして、これにより、被告会社の原告に対する本件手形金債務の履行が不能となり、原告が同金額に相当する金一九五万三、〇〇〇円の損害を被ったことは明らかである。
よって、被告酒井、同岡部及び同大澤は原告に対し、商法二六六条ノ三第一項の規定に基づき原告が被った損害を連帯して賠償する責任がある。
なお、右損害賠償請求権は期限の定のない債権として、民法四一二条三項により請求したときから遅滞に陥ると解すべきところ、原告が被告酒井、同岡部及び同大澤に対して本訴提起前に本件損害金の請求をしたことの主張、立証がないから、これに対する遅延損害金は、本件訴状が右被告らに送達された日の翌日(その日は、被告酒井においては昭和五四年四月八日、被告岡部においては同年同月一日、被告大澤においては同年同月二〇日であることが、本件記録上明らかである。)以降発生するものと解される。
三 結論
以上のとおりであるから、原告の被告会社に対する請求は理由があるからこれを認容し、被告酒井、同岡部及び同大澤に対する請求は、損害金一九五万三、〇〇〇円及びこれに対する本件訴状各送達の日の翌日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度において理由があるからその範囲でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項、二項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 萩尾保繁)
<以下省略>