東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2367号 判決 1980年1月28日
原告 森田貞一
被告 国
代理人 金沢正広 ほか一名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は、原告に対し、金三、三〇〇万円を支払え。
2 被告は、原告に対し、謝罪文を公表せよ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
(三二〇〇万円の請求について)
1 東京地方は、昭和二〇年三月九日夜半から翌一〇日未明にかけ、連合軍によるいわゆる東京大空襲に見舞われ、原告の妻森田八重子(当時三一歳)(以下「八重子」という。)及び原告の三男森田勝三(当時二歳)(以下「勝三」という。)は、右空襲に伴う爆撃により死亡した。
2 戦前の軍閥政府による被告は、その自らの権限と責任において、いわゆる大国アメリカ等を相手に無謀な太平洋戦争を開始し、右戦争を遂行、拡大し、戦争の終結時を誤まつた結果、前項に述べたような大空襲を招き、それによつて、原告の妻八重子と三男勝三を死亡するにいたらしめたものであり、原告の妻子は軍閥政府の不当な侵略戦争によつて直接殺害されたも同然である。従つて被告には右侵略戦争を惹起し遂行したことにより、原告の被つた後記3の損害を賠償すべき義務がある。
また、被告は、右戦争により災害を受けた国民に対し憲法二九条三項により正当な補償をなすべき義務があるところ、被告は旧軍人・公務員に対しては、恩給・年金を支給して右戦争災害に対する補償をなしているにかかわらず、原告を含む一般民間人たる戦争犠牲者に対しては、これまで何らの補償の措置を講じていないが、かかる扱いは、憲法一一条、一三条及び一四条に違反するものである。従つて原告は被告に対し、憲法二九条三項に基づき、原告の被つた前記の戦争災害につき、正当な補償を求める権利を有する。
3(一) 八重子の損害として、同女が生存しておれば、戦後三四年間、魚商である原告の妻として稼働できたものであるから、同女の逸失的利益は総額一五〇〇万円となる。
(二) 勝三は、生存しておれば昭和三八年には満二〇歳となり、以後現在まで一六年間にわたり実収入として年平均八七万五〇〇〇円があつたと考えられるから、同人の逸失的利益の総額は一四〇〇万円となる。
(三) 原告は、かけがえのない八重子及び勝三を同時に失い、長年にわたり精神的苦痛を受けてきた。
右原告の精神的損害を慰藉するには金三〇〇万円が相当である。
(一〇〇万円及び謝罪文公表の請求について)
4 次に被告代表者は本件訴訟の答弁書において、原告が「妻子死亡公文証明書」を所持しているにもかかわらず、原告の妻子死亡を「不知」と断定した。これは法律に精通し、いわゆる「憲法の番人」でもある法務大臣にあるまじき暴挙であつて、原告はかかる暴力的答弁により正義の信条、努力、プライバシーを著しく傷つけられ冒涜され、甚大な精神的打撃と苦痛を受けた。そこで原告は、被告に対し、右精神的損害を慰藉するものとして、金一〇〇万円の支払いと謝罪文の公表を要求する。
5 よつて原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。
二 請求原因に対する答弁及び主張
1 原告の主張する東京大空襲があつたことは認め、原告の妻八重子及び三男勝三が右空襲により死亡したことは知らない。
2 空襲による死亡は、一般の戦争災害であるところ、戦争という国家存亡にかかわる非常事態においては、国民のすべてが多かれ少なかれその生命・身体等の犠牲を余儀なくされるのであり、その損失を被告が当然に補償しなければならないというものではなく、その補償は憲法の全く予想しないところというべきである。
したがつて、立法政策は別論として、被告が、一般被災者に対して何らの補償をなさないことをもつて、旧軍人に比して不平等な取扱いであるということはできない。
以上のとおり、原告の本訴請求は実定法に根拠を有さないもので、主張自体失当である。
第三証拠 <略>
理由
一 (三二〇〇万円の請求について)
1 原告の右請求における請求原因の第一は、要するに「軍閥政府による被告が大国アメリカ等を相手に無謀な戦争を開始し、同戦争を遂行拡大した結果、昭和二〇年三月九日から翌一〇日にかけての東京大空襲を招き、同空襲により原告の妻子は死亡するに至つたものであつて、結局原告の妻子は軍閥政府の不当な侵略戦争のため直接殺害され、原告主張のとおりの損害を被つたものというべきであるから、被告は原告に対してその損害を賠償する義務がある。」旨主張して、被告に対し損害賠償金三二〇〇万円の支払いを求めるというにあるものと解せられる。ところで原告の妻子が原告主張の大空襲により死亡したことは弁論の全趣旨に照らし明らかであるが、いわゆる太平洋戦争が原告主張のように軍閥の力を背景にしていたか否かはさておき、我が国において右戦争を開始、遂行、拡大したことの当否及び終結時期の選択の当否等については、いずれも本来国家統治の基本に関する高度の政治・外交問題に属するから、いま当裁判所においてこれを論ずることはしないが、我が国が右太平洋戦争において、その相手国による空襲を受け、原告あるいはその妻子が原告主張のような損害を被つたとしても、それは、当時同戦争の非常事態下にあつた国との関係においては、いわゆる公法的受忍義務の範囲内のことと解するほかはないから、そのことによつて直ちに原告あるいはその妻子の死亡について原告主張のような国の損害賠償(あるいは損失補償)責任を招来するものとはいえない。従つて国が戦争を開始、遂行、拡大し、終結時期の選択を誤つた結果、原告主張の大空襲のためにその妻子が死亡したことを理由として、被告に対して損害賠償金三二〇〇万円の支払いを求める原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
2 原告の右請求における請求原因の第二は、要するに「いわゆる戦争災害については被告に憲法二九条三項による補償をなす義務がある。」旨主張して被告に対し補償金三二〇〇万円の支払いを求めるというにあるものと解せられるところ、原告の主張する本件損害・損失は、太平洋戦争における空襲による損害・損失であつて、戦争中という国家の存亡にかかわる非常事態のもとにおいて国民のすべてが多かれ少かれその生命、身体、財産に対する犠牲を余儀なくされて生じたいわゆる戦争犠牲または戦争損害であり、戦争遂行過程で生じた国民、全般の平等な負担による国家的存立のためへの寄与犠牲あるいはそのために生じた損害・損失とみられ、いわゆる「特別の犠牲」とは解されず、憲法二九条三項の全く予想しないところともいうべきであつて、同条項の補償を要する限りではないから、同条項を根拠とする原告の補償金の請求も理由がない。
3 なお、原告は、いわゆる戦争災害について、被告が旧軍人・公務員に対しては恩給、年金を支給してその補償をしているのに対し、一般民間人に対して何らの補償をなさないのは憲法一一条、一二条、及び一四条に違反する旨主張する。
しかしながら、原告主張のような一般民間人の被つた太平洋戦争に係る戦争犠牲・戦争損害等に関して国が何らかの支給をなすべきか否か、及びこれをなすべきものとして、旧軍人・公務員に対する恩給・年金の支給の例に準ずる等のこととするかどうかは、すべて立法政策の問題であるところ、原告主張の場合については、現在その主張に係る支給をなすべき旨の法律の規定はなく、又旧軍人・公務員に対する恩給・年金の支給に関する現在の制度は、必ずしも原告が本訴において主張するような損害賠償請求権ないしは損失補償請求権とかかわり合いを持つものとして、これと同列に対比して論ずるべき性質のものとは解し難いから、憲法一一条、一三条及び一四条違反についての原告の主張も理由がない。
二 (一〇〇万円及び謝罪文公表の請求について)
原告の右請求における請求原因は、要するに名誉毀損を理とする損害賠償の請求と解せられるところ、本件訴訟手続中において、被告が原告主張の点につき「不知」と述べたからといつて、直ちに原告主張のように、その名誉を毀損したものと即断することはできず、又原告の全立証その他本件全証拠によるも被告が原告の名誉を毀損したものとするに足りないから、原告の右請求も理由がない。
三 以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 仙田冨士夫 日野忠和 安間雅夫)
【参考】 第二審判決
(東京高裁昭和五五年(ネ)第三〇五号 昭和五五年五月一九日判決)
主文
本件控訴及び控訴人が当審で拡張した請求を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
一 控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、三三〇〇万円及びこれに対する昭和五五年一月二八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決(右附帯請求は当審での請求拡張分)並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の事実上、法律上の主張及び証拠関係は、原判決事実摘示と同一であり、また、当裁判所は、控訴人の本訴請求(当審での請求拡張分を含む。)を失当として棄却すべきものと考えるが、その理由は、原判決理由と同一(ただし原判決八枚目表三行目の「理」を「理由」と改める。)であるから、いずれもこれをここに引用する。
そうすると、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がなく、したがつて控訴人が当審で拡張した附帯の請求も理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法八九条、九五条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小林信次 鈴木弘 河本誠之)