東京地方裁判所 昭和54年(ワ)4428号 判決 1981年1月30日
原告 橋本広次
右訴訟代理人弁護士 若山正彦
被告 菊地彌六
右訴訟代理人弁護士 山田正明
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一四一万円及びこれに対する昭和五四年五月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、不動産仲介業者である被告の仲介により、昭和四八年一〇月八日、訴外東南商事株式会社(以下、訴外会社という。)に対し、別紙物件目録(一)(二)記載の建物二棟(土地所有者高田一徳ほか六名からの宅地面積九九・五七平方メートルの借地権付)を、次の約定で売渡す旨の契約を締結した。
(一) 売買代金 四五〇〇万円
(二) 手付金 九〇〇万円、契約成立と同時に支払う。
(三) 買主は、昭和四八年一二月一五日、売主に対して中間金五〇〇万円を支払う。
(四) 売主は、昭和四九年一月二一日までに、借地権譲渡に関し、自己の負担をもって、地主より借地人名義の変更承諾を得て、買主又は買主の指定する者に対し、借地権の引継ぎ及び本件建物の引渡手続を完了して、完全な所有権の移転登記申請手続を完了しなければならない。
(五) 買主は、売主が一切の手続を完了すると同時に売主に対して、残代金を支払わなければならない。
(六) 契約当事者の一方が本契約の一たりとも違反した場合、相手方は催告なしで契約を解除することができる。
ただし、売主の債務不履行に基づくときは、売主は、買主に対して、右手付金の倍額を支払わなければならない。
(七) 特約
売主は、別紙目録(一)の建物の一部(訴外宮路書店が賃借し、営業中の延一〇坪部分)の敷地(借地権五坪)を買主に渡すため、次のとおり履行すべきものとした。
(1) 売主は、右宮路書店が占有使用する借地権五坪の権利を買主のために放棄する。
(2) 立会人菊地事務所は、売主に代って、宮路書店と合意のうえ立退料を支払う。
(3) 右立退料は、買主の負担とする。
(4) 売主は、本件建物二棟を、残代金支払のときまでに撤去し、更地として買主に引渡すものとする。
明渡後、右建物が存する場合、その所有権は買主に帰属する。
ただし、建物の取毀撤去に要する費用は、売主及び買主が折半して負担する。
2(一) 原告は、被告に対し、右契約の仲介手数料として、契約締結と同時に規定の手数料の半額を、売買残代金授受のときにその残額を支払う旨を約した。
(二) 原告は、被告に対し、右約定に従い、昭和四八年一〇月一三日、手数料の半額七〇万五〇〇〇円を支払った。
(三) 原告は、右同日、手数料の残額七〇万五〇〇〇円を被告に預託した。
3 訴外会社は、原告に対し、契約締結時に手付金九〇〇万円、同年一二月二一日中間金五〇〇万円を支払ったが、残代金の支払をしなかった。
4 原告は、訴外会社に対し、昭和五〇年八月一三日、残代金の支払がないことを理由に、右売買契約を解除する旨の意思表示をした。
これに対し、訴外会社は、宮路書店を立退かせる業務を原告が怠ったことを理由に右売買契約を解除する旨の意思表示をし、支払ずみの手付金及び中間金合計一四〇〇万円の返還を求めて、昭和五一年に調停を申立てたが、調停は不成立となったので、訴外会社は、昭和五三年六月七日、東京地方裁判所に訴訟を提起した。右訴訟は、昭和五三年一二月一五日、原告が訴外会社に八〇〇万円を支払うとの和解が成立して終了した。
5 右のように、売買契約は解除されたから、売買残代金が訴外会社から支払われる余地はなくなった。
前記2(一)の手数料支払の約定は、契約の目的が到達したとき残額報酬請求権が発生する旨の約定であり、契約が解除され残代金支払の余地がなくなった以上、残額の報酬請求権は発生しない。
6 本件売買契約が解除されたのは、被告が不動産仲介業者としての注意義務を怠って、事実は、宮路書店を立退かせる義務を売主である原告が負担する約定はなかったのに、被告が、契約書に前記1(七)(4)の条項を記載し、この文言は、契約書第三条の「本物件に抵当権、質権、先取特権又は賃借権其の他一切の権利及び本建物の所有権並びに借地権行使を阻害する負担ある時は売主は所有権移転登記申請のとき迄に完全に抹消しなければならない」との条項とあいまって、あたかも宮路書店を立退かせる義務を売主である原告が負うかのように読める不明確なものとなっていたため、宮路書店を立退せる義務を売主買主のいずれが負担するかをめぐって抗争を生じたためであり、また、前記調停における事情聴取に際し、宮路書店を立退かせる義務を原告が負担していないことを、被告が明確に説明することなく、あいまいな説明をしたためであり、加えて、被告は、自ら宮路書店の立退交渉を担当し、昭和四八年一一月一〇日までに宮路書店の明渡を完了するよう最善の努力を傾けることを約束しながら、その努力を怠ったためである。
このように、被告が不動産仲介業者としての注意義務を怠って不明確な契約書を作成し、加えて右明渡の努力を怠ったことによって、被告は、原告に対し、前記2(二)記載の手数料相当額七〇万五〇〇〇円の損害を与えた。
7 よって、原告は、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき七〇万五〇〇〇円、債務不履行による損害賠償請求権に基づき七〇万五〇〇〇円合計一四〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年五月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1中、本文及び(一)ないし(六)、(七)(1)(3)(4)の約定のあったことは認める。その余の事実は否認する。
2 同2(一)(二)の事実は認める。同(三)の事実中、被告が手数料の残額七〇万五〇〇〇円を預ったことは認めるが、その日は昭和四八年一〇月二一日である。
3 同3、4の事実は認める。
4 同5中、売買契約が解除されたことは認めるが、その余は否認する。
請求の原因2(一)の約定は、手数料支払の時期についての定めであり、被告の仲介手数料請求権は売買契約が成立したことにより発生している。原告が売買契約の履行を求めず、売買契約を解除して手付金没収の方策を選んだことにより、発生した仲介手数料請求権が消滅することはない。
5 同6の事実は否認する。
三 債務不履行に基づく損害賠償請求に対する抗弁
1 消滅時効
原告が主張する被告の債務不履行の事実は、被告が契約解除の原因となるような契約書を作成したことにあるから、本件売買契約書が作成された昭和四八年一〇月八日に原告は損害と加害者を知っていたことになる。従って、その日から五年の経過によって、商事債務である被告の債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は完成した。被告は、右消滅時効を援用する。
2 損益相殺
原告は、本件売買契約に基づき、手付金九〇〇万円及び中間金五〇〇万円を受領し、その後、本件売買契約を解除し、八〇〇万円を訴外会社に返還するとの裁判上の和解を成立させた。これにより、原告は、売買目的物件の引渡を免れたうえで、差引六〇〇万円の利益を得た。
従って、原告の主張する被告の債務不履行は、原告に七〇万五〇〇〇円の損害を与えたとしても、同時に、六〇〇万円の利益を与えたのであるから、原告の請求は理由がない。
四 抗弁に対する認否
抗弁1につき、消滅時効の期間は一〇年である。
抗弁2につき、原告は、本件売買契約の解除により、次のとおり、六〇〇万円を超える損害を被っており、被告の損益相殺の主張は理由がない。
(一) 本件売買物件を賃借していた理髪店坂口に対し、立退料二三〇万円、引越料・造作買取代金七〇万円を支払った。
(二) 右坂口から受けるべきであった昭和四八年一〇月分から昭和五三年一二月分まで合計二〇〇万円の賃料を受けることができなくなった。
(三) 原告は本件建物から退去したが、その引越料として七〇万円を支払った。
(四) その他、前記調停・訴訟に要した弁護士費用その他の経費として三〇万円を超える出費をした。
第三証拠《省略》
理由
一 請求の原因1中、本文及び(一)ないし(六)、(七)(1)(3)(4)の約定のあったこと、同2(一)(二)の事実、同2(三)中、被告が手数料の残額七〇万五〇〇〇円を昭和四八年一〇月中に預った事実、同3、4の各事実は、当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》によると、原告と訴外会社間の本件借地権付建物二棟の売買は、訴外会社がその敷地をビル建設用地として利用するため買受けたものであって、敷地の借地権の譲受けを主眼とし、売買物件中の建物二棟は将来取毀しが予定されていたこと、売買物件中の店舗の一部床面積一、二階延一〇坪(敷地面積五坪)を宮路書店が原告から賃借しており、原告は、本件売買契約締結以前に宮路書店に対し立退きを求めたことがあったが立退きが得られなかったことがあったので、本件売買に際しても、仲介人の被告に対し、宮路書店を立退かせた上での物件の引渡しを前提とする売買はできない旨を当初から述べており、このことは、被告を通じて買主である訴外会社も承知していたこと、被告は、本件売買の仲介の実際を担当した訴外橋本道夫から、宮路書店は相当額の立退料を得られれば立退くとの感触を得ている旨報告を受けていたので、訴外会社に対し、その旨を連絡し、訴外会社も相当額の立退料を負担することに同意していたこと、訴外会社としては、宮路書店に対する明渡しの交渉を自らが建物の新所有者兼賃貸人として行うよりは、従前からの賃貸人である原告に交渉してもらう方が得策であると考え、売買契約を仲介した被告がその衝に当たることを望んでいたこと、これらの事実を踏まえて、売買代金の算定に当たっては、三〇坪の借地のうちから宮路書店が賃借中の店舗部分の敷地五坪を除いた二五坪を基準とすることとし、これに坪当たりの借地権譲渡対価一八〇万円を乗じて得た四五〇〇万円をもって代金額と決定されたこと、被告は、右の売買当事者の希望を参酌して、宮路書店が賃借中の店舗部分及びその敷地の引渡についての特約を文章化し、売買契約締結に先立ちあらかじめ、原告及び訴外会社に検討してもらい、その各同意を得て、右特約条項を売買契約書中に、次のとおり、記載したことが認められる。
「(特約事項)売主を甲、買主を乙とする。
一 甲は末尾記載の建物(家屋番号壱参弐五番壱の弐の一部弐階建延拾坪を宮路書店に賃貸し営業中)の敷地(借地権五坪)を乙に引渡すため左記の通り、甲乙協議の上履行すべき事項を定める。
(イ) 甲は自己の借地権参拾坪の内、宮路書店の占有使用する借地権五坪につき、一切の権利を乙のために放棄する。
(ロ) 立会人菊地事務所は甲に代って宮路書店に対し借家明渡し交渉をなし、宮路書店と合意の上は左記立退料を宮路書店に支払う。
(ハ) 宮路書店の立退明渡に要する費用は乙に於て負担し、甲に対し一切請求しない。
(ニ) 甲は乙の代理人として宮路書店と明渡し交渉に当るための立会人菊地事務所に対し、明渡交渉に関する甲の委任状を交付する。
(ホ) 乙が右の目的を果すため書類上、甲の名儀又は捺印その他手続上必要とする場合、甲は積極的に協力する。
二 甲は末尾記載の木造弐階建弐棟を第参条の残金支払いの時迄に撤去し、更地として乙に引渡すものとする。明渡後建物が現存する場合は乙の所有に帰属する。但し建物の取毀撤去に要する費用は、甲・乙折半して負担する。」
以上の事実によれば、右特約条項一(イ)は、売買物件のうちに宮路書店が賃借している店舗部分の敷地五坪があることを前提に、売買代金がこの敷地部分五坪を除いて算出されたこととの関係で誤解が生じないように、右の敷地部分も売渡されるべき借地権の範囲に含まれていることを明らかにした条項であり、同(ロ)ないし(ホ)は、宮路書店に対する立退交渉につき売主である原告が買主である訴外会社の代理人となること、実際の交渉に当たるのは被告であり、原告はその交渉に必要な委任状その他の書類を交付し協力すること、交渉が成功し宮路書店に立退料を支払う場合、その負担者は買主である訴外会社であることを定めたものであり、特約条項の二は、右の立退交渉が行われることを前提に、立退交渉が残代金支払時期までに成功したときは更地引渡とし、地上建物の撤去作業は原告が行うが、立退交渉が右期日までに成功しないときは建物存続のまま引渡されるものとし、地上建物の撤去作業は訴外会社が行うが、いずれの場合も撤去費用は売主買主の折半とすることを定めたものであることが明らかであり、右の約定を特約条項として明記することによって、売買契約書本文第三条の「本物件に抵当権、質権、先取特権又は賃借権其の他一切の権利及び本建物の所有権並に借地権行使を阻害する負担ある時は売主は所有権移転登記申請のとき迄に完全に抹消しなければならない」との一般条項は特約条項により変更されていること、そして、右特約条項の記載が以上の意味に解されるべきことは、原告及び訴外会社が納得のうえ合意し、売買契約書に署名ないし記名押印したことが認められる。
原告は、被告が作成した本件売買契約書の文言が、あたかも宮路書店を立退かせる義務を原告が負うかのように読める不明確なものとなっていたと主張するけれども、以上認定の事実によれば、右売買契約書の文言は、ほぼ正確に売買当事者間の合意内容を表現しており、訴外会社も、売買契約締結当時には、原告に宮路書店を立退かせる義務があるとは考えていなかったことが明らかであり、従って、後日、訴外会社が右義務を原告が怠ったことを理由に売買契約を解除する旨の意思表示をし、支払ずみの中間金と手付金の返還を求める調停及び訴訟を提起したのは、原告が訴外会社の残代金支払義務の不履行を理由としてした売買契約の解除の結果手付金九〇〇万円の没収を甘受しなければならない不利益を回復せんとするの余り、あえて当初の合意と異る主張をしたものと推認できるのであって、このことが、被告の作成した本件売買契約書の条項の不完全さに基因するものと認めることはできない。
次に、《証拠省略》によると、被告は、売買契約成立後宮路書店に対し立退きの交渉を行うに当たって、立退料として一四〇〇万円ないし一五〇〇万円が必要と判断し、訴外会社からその程度の立退料は負担する旨の内諾を得て、宮路書店に対し、立退先の店舗を提案する等して交渉に当たったのが、同書店は、売買残代金の支払時期に至っても立退きに応じなかったことが認められる。右立退料額の判断や交渉の仕方は、それ自体不適切であるということはできず、他に被告が立退き交渉の努力を怠ったと評価できる事実は本件証拠上認めることができず、また、原告の主張するところの被告が調停における事情聴取に際し、宮路書店を立退かせる義務を原告が負担していないことを被告が明確に説明しなかったとの点は、原告主張の損害の発生と法律上の因果関係はない事柄であるばかりでなく、これを認めるに足る証拠もない。
以上のとおり、被告が不動産仲介業者としての注意義務を怠ったことにより原告が損害を被ったとする原告の主張はこれを認めることができないから、これを原因とする本訴損害賠償の請求は理由がない。
三 原告は、請求原因2(一)の手数料支払の約定は、契約の目的が到達したとき残額報酬請求権が発生する旨の約定であると主張するけれども、一般に、不動産仲介業者のなすべき売買契約締結についての仲立行為は、売買契約の締結によって完了し、これによって仲立行為の対価としての報酬請求権は発生するものであって、売買契約の目的到達によって発生するものでないことは明らかであり、本件手数料支払の約定がこれと異なる約定を含むものと認めるに足る特段の事由は、本件証拠上認定できない。従って、本件手数料支払の約定中、売買残代金授受のときに手数料の残額(半額)を支払う旨の約定は、売買契約締結により発生した手数料の半額についての支払期の約定であり、その趣旨は、売買契約の効力が残代金の支払い、登記義務の履行等双方当事者の履行の完了によって契約の目的が達成されたことにより消滅する場合はその時、もし売買契約の効力が契約の解除等目的の到達以外の事由によって消滅する場合はその時とする内容であると解される。もっとも、契約の目的達成以外の事由によって契約の効力が消滅する場合において、その原因が仲立行為の瑕疵にあるときには、これをもって、手数料残額の請求権の消滅事由とする旨の合意があると解するのが相当であるが、本件においては、このような事由がないこと前示のとおりであり、以上の説示に照らし、いずれにしても、原告が手数料の残額をその約定の支払期前に給付したことに、法律上の原因がないということはできず、これをもって、被告の不当利得とすることはできない。
従って、本件不当利得返還請求もまた理由がない。
四 よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 牧野利秋)
<以下省略>