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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)8025号 判決 1980年9月29日

原告 李再傳

被告 国

代理人 石川達紘 金丸義雄 石戸忠 ほか三名

主文

被告は原告に対し金五、八二八円及びこれに対する昭和五四年四月一日から同年五月六日まで年二・四〇パーセントの、同年五月七日から同年八月一二日まで年二・八八パーセントの、同年八月一三日から同年九月五日まで年三・三六パーセントの、同年九月六日から支払ずみまで年五分の各割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを千分し、その七を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金九二万二、五五五円及びこれに対する昭和五四年九月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  敗訴の場合における担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、戦前、日本の統治時代の台湾において出生し、それ以来台湾に居住し、戦後、日本と連合国との間の平和条約の締結によつて日本国籍を失つた台湾住民である。

2  原告は、昭和一九年五月二九日から昭和二一年四月二七日までの間に前後一〇回にわたつて軍事郵便貯金として合計金一、八一八円(以下「本件貯金」という。)を預け入れたが、その後右貯金の払戻を受けることができないまま現在に至つている。

3  ところで、原告の本件貯金額金一、八一八円は、これを現在の貨幣価値に換算すると金三四万八、一三四円を下らない。

すなわち、貨幣価値の変動の指数は卸売物価指数によつて算定するのが公正かつ妥当な方法と考えられるところ、日本銀行統計局発行の昭和五二年経済統計年報所載の卸売物価指数の推移をみると、昭和九年から同一一年までの指標を一とすれば、昭和二〇年の指標は三・五〇三、昭和五二年の指標は六七〇・八であるから、昭和二〇年と昭和五二年とを対比すると、卸売物価の上昇率は一九一・四九三倍となるのであつて、原告が本件貯金を預け入れた昭和一九年ないし昭和二一年当時の金一、八一八円は、昭和五二年における金三四万八、一三四円の実質的価値を有していた。

戦後今日に至るまでインフレーシヨンが継続し、商品価値が騰貴した反面貨幣価値が著しく下落したことは、前記の物価指数の変動を一見しても理解されるとおり、何人も否定することのできない事実である。したがつて、本件貯金が単に預入当時の額面をもつて支払われるとするならば、原告にとつてはなはだしく公平を失する結果になることは誰の目にも明らかである。よつて、原告は被告に対し、条理によつて、右額面金額を現在の貨幣価値に引き直した金三四万八、一三四円の支払を求める権利を有するものである。

また、右金三四万八、一三四円に対する本件貯金の最終預入日である昭和二一年四月二七日から昭和五四年四月二六日まで三三年間の利息を民法所定の年五分の法定利率によつて計算すると、元金の一・六五倍として金五七万四、四二一円となる。

よつて原告は本訴において被告に対し、右元金及び利息を合計した金九二万二、五五五円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五四年九月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1については、原告が、戦前において日本国籍を有しており、戦後、平和条約の締結によつてこれを失つたことを認め、その余の事実は不知。

2  請求原因2の事実は認める。

台湾住民が有する軍事郵便貯金については、日台間における財産請求権問題として日華平和条約(昭和二七年条約第一〇号)三条により両国間において特別取極を結んで処理することとされていたが、右特別取極の締結をみないまま右条約が終了したため、これが支払については全般的な財産請求権問題が未解決であることとの関連で保留してきている。

3  請求原因3の原告の主張は争う。

原告は、いわゆる物価スライドによつて本件貯金の払戻を請求しているが、債権の目的物が金銭である場合には、特種の通貨の給付をもつて債権の目的とした場合を除き、債務者は弁済期において強制通用力を有する貨幣で契約に基づく債務額を支払えば足りるのであり、契約後に貨幣価値の変動があつたとしても、その変動にしたがつて法律上当然に金銭債権の額が修正変更されると解すべき根拠はない。

また、軍人郵便貯金は、その利用者が原則として軍人、軍属に限られているなど、内地の通常郵便貯金と異なつた種々の特色を有していたが、その利子の利率については内地の通常郵便貯金と同一であつた。したがつて、これについては郵便貯金法の規定が適用されるべきであつて、民法所定の年五分の法定利率によるべきものとする原告の主張は失当である。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1のうち、原告が戦前において日本国籍を有しており、戦後、日本と連合国との間の平和条約の締結によつてこれを失つたことは当事者間に争いがなく、同1のその余の事実も、<証拠略>によつて認めることができる。

二  請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

三  請求原因3について

1  まず、原告の主張する条理に基づくいわゆる物価スライド請求の当否について判断する。

(一)  郵便貯金債権が金銭の支払を給付内容とする債権であることは明らかであるところ、金銭は全く個性を持たない単なる名目的な価値そのものにすぎず、その価値は、一定の貨幣単位の一定量という形式をもつて表現され、かつ、右貨幣単位もまたそれ自体として固定した価値を持つものではなく、その実質的価値は、社会の総財貨との相関関係によつて定まるものであつて、絶えず変動することが予想されているものである。

(二)  そこで、民法は、債権の目的が金銭である場合には、特種の通貨の給付をもつて債権の目的としたときは別として、債務者は弁済期において強制通用力を有する通貨をもつて本来の債務額を支払えば足りるものと定めているのである。

したがつて、郵便貯金債権の場合でも、預入時と弁済期の間に物価が上昇し反面金銭の価値が相対的に低下したとしても、特段の事情のない限り、郵便官署は預入時の金額に郵便貯金関係法令の定めるところにより相当額の利子を付して債権者に支払えばその責任を免れるものと解すべきであり、原告主張のように法律上当然に元金額が増額変更されるものと考えることはできない。

2  次に、本件貯金に対して付すべき利子の利率について判断する。

<証拠略>によつて明らかなとおり、軍事郵便貯金とは、戦時もしくは事変に際し野戦郵便局もしくは艦船郵便所において預入を取扱つた通常郵便貯金をいう(軍事郵便為替貯金規則(明治三七年逓信省令第七號)一条)のであつて、その本質においては郵便貯金法(明治三八年法律第二十三號)所定の郵便貯金と全く同一であり、ただ、野戦郵便局又は艦船郵便所における預入及び払戻等の手続につき郵便貯金規則の定める手続の特則が定められているにすぎない。したがつて、軍事郵便貯金に付すべき利子の利率については、もとより郵便貯金法及び同法に基づく命令の定めるところによるべきであり、これに対して民法所定の年五分の法定利率が適用されるべきであるとする原告の主張は理由がない。

そして、<証拠略>によると、本件貯金に郵便貯金関係法令(昭和一九年勅令第百七十九號による改正後の郵便貯金利率令(昭和一六年勅令第九百九十號)、昭和二二年政令第百八十七号による改正後の郵便貯金利率令、昭和一八年運輸通信省令第百五十八號による改正後の郵便貯金規則(明治三八年逓信省令東三十六號)、郵便貯金法(昭和二二年法律第百四十四號)、昭和二六年法律第百二十九号、昭和二七年法律第八号、昭和三六年法律第五十一号、昭和三八年法律第百三十九号による各改正後の郵便貯金法、郵便貯金利率令(昭和四五年政令第五十九号)、郵便貯金法施行令(昭和四六年政令第二百九十八号)、昭和四七年政令第二百六十七号、昭和四八年政令第八十二号、同年政令第三百九号、昭和四九年政令第七号、昭和五〇年政令第三百十五号、昭和五二年政令第百四十六号、同年政令第二百七十五号、昭和五三年政令第百三十五号による各改正後の郵便貯金法施行令)の規定を適用してこれに付すべき利子の額を計算した場合、昭和五四年三月三一日における元利合計額は金五、八二八円となることが認められる。また、昭和五三年政令第百三十五号による改正後の郵便貯金法施行令、昭和五四年政令第百三十号による改正後の同法施行令及び同年政令第二百二十四号による改正後の同法施行令によれば、右元利金に付すべき昭和五四年四月一日以降の利子の利率は、同年五月六日までは年二・四〇パーセント、同月七日から同年八月一二日までは年二・八八パーセント、同月一三日以降は年三・三六パーセントであることが明らかである。

3  次に、訴状送達後の遅延損害金請求について考える。

被告が台湾住民に対する軍事郵便貯金の支払を現在に至るまで保留してきたことは被告の自認するところであるから、原告が郵便貯金法三七条に定められた払戻金の払渡のための手続を踏むことなく、直ちに本件訴訟を提起して被告に対し本件貯金の元利合計の支払を請求しても、被告に対する本件訴状の送達によつて遅滞に付する効果が生ずるものと考えられる。したがつて、原告は被告に対し前認定の元利合計額に対する本訴状送達の日の翌日であることの記録上明らかな昭和五四年九月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

四  結論

以上に説示したところによれば、本訴請求は、昭和五四年三月三一日現在における本件貯金の元利合計金五、八二八円及びこれに対する昭和五四年四月一日から同年五月六日まで年二・四〇パーセントの、同年五月七日から同年八月一二日まで年二・八八パーセントの、同年八月一三日から同年九月五日まで年三・三六パーセントの割合による郵便貯金法施行令所定の利子の、同年九月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用し、なお、仮執行免脱宣言を付するのは不相当と認めて右宣言を求める申立てを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤浩武 大澤巖 瀬木比呂志)

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