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東京地方裁判所 昭和54年(刑わ)3598号 判決 1980年2月14日

被告人 神村寅夫

大一五・九・四生 会社員

主文

被告人を懲役八月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五三年三月四日午後〇時三〇分ころ、東京都新宿区新宿一丁目七番一二号株式会社建設調査会総務部業務係事務室において、業務係柚村弘子、永井信吾の両名が管理する事務机引出内から、同社が機密資料として所有する調査資料購読会員名簿四冊を窃取したものである。

(証拠の標目)(略)

(争点に対する判断)

弁護人において、被告人は、本件購読会員名簿をコピーした後直ちに返還する意思で、これを持ち出し、約二時間でコピーを了し元の場所に戻しておいたものであるから、被告人には不法領得の意思がなく、窃盗罪は成立しない。と主張するので、この点につき判断を示しておく。

窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思とは、権利者を排除し、他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思をいい、永久的にその物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないと解するを相当とする(最高裁判所昭和二六年七月一三日判決、最高裁判所刑事判例集五巻八号一四三七頁)。

しかして、前掲各証拠によると、本件購読会員名簿は、株式会社建設調査会が会員制度により発刊する建設工事業者の業態調査、統計資料等を掲載する建設調査週報の購読会員名簿で、その会員の維持、獲得が同社の経営を左右することから、同社では、右購読会員名簿を機密資料として取扱つていること。同社員が購読会員名簿を社内において閲読することは自由に許されているが、その内容を社外に漏らしたり、購読会員名簿自体を他に貸与したりすることはもちろん、これを社外に持ち出すことも堅く禁じられ、その取扱いも判示業務係員らが退社時に事務机引出内に右名簿を入れ、施錠して保管するなどしていたものであること。被告人は、同会社の業務部長の職にあつて、購読会員名簿が右の如き内容の書類であることを十分知悉していたこと。ところで、被告人は、同会社の経営者と対立したため同社を退職し、同社と営業が競走関係に立つ他会社に就職しようとし、その際本件購読会員名簿のコピーを作成し、これを転職先会社に譲り渡すことを企てるに至つたこと。そして、昭和五三年三月四日(土曜日)退社時刻になり社員が帰り始めたころ、被告人は、本件購読会員名簿保管の事務机引出が少しあいていて、その引出が施錠されていない状況を目撃するや、右企てを実行すべく決意し、他の社員と共に一旦退社した後、独り同社内に戻り、午後〇時三〇分ころ、右事務机引出内から本件購読会員名簿四冊を取り出し、これを携帯して同社を出、同社の近くにある東京都新宿区新宿一丁目一四番五号御苑コピーサービスに持参して同所で右名簿の全頁のコピーを依頼し、約二時間後にコピーができたので、右購読会員名簿四冊を受取つて同社内に持ち帰り、右名簿を元の保管場所に戻したことの各事実が認められる。

してみると、本件購読会員名簿の経済的価値は、それに記載された内容自体にあるものというべく、この内容をコピーし、それを自社と競走関係に立つ会社に譲り渡す手段として、本件購読会員名簿を右認定事実の如き態様により利用することの意思は、権利者を排除し、右名簿を自己の所有物と同様にその経済的用法に従い利用する意思であつたものと認めるのが相当である。そして、被告人がその不法領得の意思をもつて、右認定事実記載のとおりの状況下で、事務机引出内から本件購読会員名簿を取り出し、これを社外に持ち出したものであるから、まさに本件購読会員名簿の占有は被告人の占有に移つたものというべきであり、従つて被告人の右行為については窃盗罪が成立することになる。しかして、右のとおり不法領得の意思が具現されて窃盗罪が成立すると解する以上、その利用後これを返還する意思でかつ返還されたとしても、それは、窃盗犯人による事後処分と評価すべきものであつて、それによつて窃盗罪の成立を免かれるものではない。なお、返還するまでの時間が短時間であつても、その理を異にするものでない。

よつて、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

罰条   刑法二三五条

執行猶予 刑法二五条一項

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 天野耕一)

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