東京地方裁判所 昭和54年(合わ)245号 判決 1979年9月03日
主文
被告人を懲役三年以上四年以下に処する。
未決勾留日数中二九〇日を本刑に算入する。
中華包丁一丁、牛刀一丁及び薄刃包丁一丁を没収する。
理由
(認定した事実)
被告人はラオス生まれの中国人で、東京都新宿区内の飲食店(パブ)「国恋会議室」でコックをしていたものであり、後記犯行の共犯者農寛養(当時二三歳。以下、「農」という。)、甲一郎(当時一九歳。以下、「甲」という。)、陳森波(当時二四歳。以下、「陳」という。)、乙二郎(当時一七歳。農の従弟。以下、「乙」という。)もいずれもラオス生まれの中国人で、東京都内または近郊の飲食店で雑役などをしていたもの、また、後記被害者姜為元(通称「小虫」。当時二〇歳。以下、「姜」という。)はベトナム生まれの中国人で、東京都新宿区内の飲食店(パブ)のボーイをしていたものであって、以上の者らは、いずれもラオスの内戦により台湾に渡り、その後生活の資を得るために観光査証等により来日し、許可なく、または在留期限を超えて滞在し稼働していたものである。
第一犯行に至る経緯
陳及び乙は、昭和五三年九月一六日午前二時ごろ、東京都新宿区歌舞伎町一丁目一七番一三号所在のピックペックビル二階の喫茶店「ノンノン」で、顔見知りのベトナム出身の中国人ギャウジョイこと李樹權(以下、「李」という。)と飲酒し、被告人もその場に居合わせたが、その際、乙が小虫こと姜とボクシングをしても負けない等と発言したところ、姜の親しい友人である李がこれに怒って乙との間で口論となり、陳らの仲裁でその場は一応収ったが、李から乙の右発言の内容を伝え聞かされて立腹した姜が同日午後一一時ごろラオス出身の中国人で姜の友人である葉楚傑とともにピックペックビル四階の「船弁慶」で働いていた乙のもとに赴き、同店入口付近で乙に対し所携のナイフを向けて脅かしたうえ、同ビル一階のゲームセンター「カジノ・スターダスト」の従業員楊徳福ことタオ・リーフーを介して乙に対し、「食事をおごれ。明日午後一一時に『カジノ・スターダスト』へ来い。遅れたら殺す。」旨を申し向けるに至った。
乙は、姜が日頃から乱暴者で、ラオス出身の中国人の仲間からも恐れられている人物であるためやむなく一旦は右要求を承諾したが、このように屈服を強いられることに堪え難い気持を抱くとともに、右の要求に応じてもなお危害を加えられるものと恐怖心を抱き、被告人や陳に事情を打ち明け、その結果、被告人、乙及び陳は、翌一七日午前五時ごろ前記ピックペックビルの近くにある喫茶店「王城」に赴き、同所で乙の友人でラオス生まれの中国人甯開政(以下、「甯」という。)及び陳から連絡を受けた甲も加わって対策を話し合ったが、結局農と相談することにし、同人の当時の住居に近い東京都北区赤羽一丁目一〇番二号所在赤羽パレスビル二階の喫茶店「マイアミ」に全員が集り協議することにした。
第二罪となるべき事実
このようにして前同日午前一一時ごろ前記喫茶店「マイアミ」に被告人、農、甲、陳、乙及び甯らが集ったが、その席上乙らから事情を聞いた農は激昂して「小虫のやり方は余りにも汚い。あいつらはこれまでにも二、三回同じようなことをやっている。今度は俺の従弟に喧嘩を売って馬鹿にしている。死んでもかまわない。二度と刃物を持てないように両手首を切り落して片輪にしてやる。」などと発言し、甲に対し「お前がうしろから小虫を抱えてしまえ。俺が動けない小虫に切りつけてやる。」旨申し向け、同人はこれを承諾し、さらに陳は興奮して「ギャウジョイは俺が口止めをしたのに小虫に告げ口をした。俺はあいつを殺してやる。」などと発言して暗に農に同調し、被告人、乙及び甯も農の右発言に賛成の意を示し、各自が刃物を携帯することにし、甲はこれより先前記喫茶店「王城」において被告人から受け取り所携のバッグの中に入れていた牛刀一丁(刃体の長さ約二七・五センチメートルを見せ、被告人はそのほかにも刃物を用意する旨発言し、このようにして姜に対する被告人らの憤激の情が高まった挙句、被告人、農、甲、陳、乙及び甯は、刃物を使用して姜に対し両手首を切断する等の攻撃を加えることを決意し、両手首切断に基づく出血多量によって姜を死に至らしめることがあるばかりでなく、姜及びその仲間の抵抗も当然予想されることや多数の者が右牛刀のような刃物を使用して姜を攻撃することから、その場の勢いや事態の推移によってはさらに重大な傷害を加えて姜を死に至らしめることがあることを予見しながら、いずれもそれも敢えて辞さないとの気持を抱くに至って、ここにその旨の共謀を遂げ、同日午後一一時に前記「カジノ・スターダスト」へ乙が姜から呼出しを受けていることから、そのころ同所において姜を襲撃することにし、「マイアミ」を出て、同日夕刻ごろ、被告人、農、甲、陳及び乙が東京都中野区野方二丁目二七番二〇号所在アパート「第三秋元荘」のラオス人ペンワンカムサン方居室に赴き、同所において被告人が農の求めに応じ同人に中華包丁(刃体の長さ約二一・三センチメートル、全重量約五〇二グラム)を渡すや同人がそれを振り回しながら「小虫の手を叩き切ってやる。」などと発言し、同日午後一〇時ごろ前記「カジノ・スターダスト」に向けて同所を出発し、途中、東京都新宿区新宿三丁目二八番一号所在国鉄新宿駅構内公衆便所内で被告人が陳の求めに応じ同人に短刀一本を手渡し、その後同区新宿三丁目二四番一号所在の住友管理ビル地階の階段踊場に集り、被告人が薄刃包丁一丁(刃体の長さ約二一・二センチメートル)を、乙が折りたたみ式果物ナイフ一丁を同区○○○×丁目×番×号所在のアパート「○○荘」の被告人方居室から持ち出して来て、ここに被告人、農、甲、陳及び乙は全員兇器を携帯するに至り、姜襲撃の後同都豊島区西池袋所在の喫茶店「上高地」に全員が集合する旨を約したうえ、同日午後一一時三〇分ごろ前記「カジノ・スターダスト」へ向けて出発し(なお、ラオス生まれの中国人で来日後被告人が住居提供等の世話をしたことのある廖筆舞及び同人の友人の趙光輝も姜襲撃を助勢するためそれぞれ金串、果物ナイフを携帯して同行した。)、途中同都新宿区歌舞伎町一丁目五番地所在岡三証券新宿支店前付近歩道上で登山ナイフ一丁を携帯して待ち合わせた甯と出会い、甯から姜が「カジノ・スターダスト」の靖国通りに面した正面入口付近にいる旨を聞き、同所付近で姜の退路を絶つため二手に分かれ、被告人、農及び甲が前記「カジノ・スターダスト」の靖国通りに面した正面入口へ、陳、乙及び甯らが中央通りに面した側面入口へ向った。
かくして同日午後一一時四五分ごろ被告人らが右「スターダスト」にほぼ同時に到着するや、被告人、農及び甲は「スターダスト」の正面入口から店内に入り、甲が素早く姜の背後に回ってその両腕を抱え込み、農が前記中華包丁を振り下すようにして姜の胸部あたりを二回切りつけ、甲の腕を振りほどいて逃げ出した姜のあとを被告人、農、乙、甲及び陳らが追いかけ、同区歌舞伎町一丁目一四番「カワノ・にいむら共同ビル」新築工事現場前路上で乙が姜に追いつき、まず同人が姜を路上に転倒させ、姜の顔面や頭部を手拳で数回殴打し、農がその場にうずくまり両手で頭を覆っている姜を目がけ、「思い知らせてやる。」、「死ね。」などと叫びながら前記中華包丁を約五回振り下して切りつけ、同人の左手首を切り落す等し、さらに隙を見て同所から必死に逃走しようとする姜を被告人、甲及び陳が追跡し、同所付近で、姜に対し、甲が前記牛刀で姜の頭部あたりを、陳が前記短刀で姜の背部あたりを、被告人が前記薄刃包丁で姜の背部ないし手のあたりをそれぞれ切りつけ、もって相次いで攻撃を加えたが、同人がこれを振り切って逃走したため、結局同人に安静加療約六か月を要する左手関節部切断、右前胸部、頭部、背部切創等の傷害を負わせたにとどまり、殺害するには至らなかったものである。
(証拠の標目)《省略》
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人の判示罪となるべき事実記載の所為は刑法二〇三条、一九九条、六〇条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、所定の刑期範囲内において、少年法五二条一項に従ったうえ、被告人を懲役三年以上四年以下に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中二九〇日を本刑に算入し、現在東京高等裁判所において押収中の中華包丁一丁、牛刀一丁及び薄刃包丁一丁は、いずれも判示犯行の用に供した物で犯人以外の者に属しないから(中華包丁はもと宋傑材の所有にかかる物であったが同人が昭和五三年四月ごろ台湾へ強制送還された際被告人のもとに遺棄していったものであり、その後被告人がこれを前記「第三秋元荘」のペンワンカムサン方居室に隠匿して支配していたもので、被告人が右中華包丁につき所有権を取得するに至ったものと認められ、また牛刀は所有者富沢政俊が所有権を放棄したものであり、さらに薄刃包丁は、被告人がその柄や刃の部分に宋傑材らに対する復讐を誓った趣旨の文字を書きこむなどしているもので被告人の所有に属するものと認められる((なお、《証拠省略》によれば、被告人は薄刃包丁は宋傑材が日本に残していったものである旨供述しているが、かりにそうであったとしても前記中華包丁について述べたのと同様の理由から薄刃包丁は被告人の所有に属したものと認められる。)))、刑法一九条一項二号、二項により被告人からこれらを没収し、なお、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に訴訟費用を負担させないことにする。
なお、未決勾留日数の本刑算入について付言すると、本件起訴にかかる事件についての未決勾留は昭和五四年六月一一日東京家庭裁判所裁判官がした観護措置決定の日からであるが、取調べ済みの証拠により明らかなとおり、被告人は、本件と同一事実により一九五六年(昭和三一年)八月一日生まれの者として昭和五三年一〇月一三日当裁判所に起訴され(以下、同事件を、「前件」という。)、審理の結果被告人が一九五九年(昭和三四年)一〇月生まれではないかとの疑いがあり、成年に達していることの証明がないとして昭和五四年六月一一日公訴棄却の判決を受け、同日同判決が確定し、東京家庭裁判所に送致され、その後同裁判所から東京地方検察庁検察官に逆送致されたうえ、同年七月七日再起訴されたものであり、被告人は、この間、前件の起訴前の昭和五三年九月二五日の勾留以来引き続き身柄を拘束されているものである。もとより前件の訴訟手続自体は本件のそれとは別個のものであるが、公訴事実は前後同一であって、前件につき公訴提起の手続きがその規定に違反したことを理由に公訴棄却の判決がなされ、その瑕疵が補正されて再び起訴されたというに過ぎず、また、刑事訴訟法三四五条によればこの場合においては勾留状はその効力を失わないとされており、すなわち、被告人の未決勾留は実質上前後継続しているものと解されるのであって、このような場合には、刑法二一条の法意に徴し、本件の判決において前件に関する未決勾留をも本刑に算入し得るものと解するのが正当である(横浜地方裁判所昭和三二年一二月一九日判決、裁判所時報第二四九号二〇頁、長崎地方裁判所島原支部昭和四二年一月二八日判決、下級裁判所刑事裁判例集第九巻第一号六四頁参照。)。
よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大久保太郎 裁判官 小出錞一 小川正持)