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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)1077号 判決 1981年9月28日

原告

市田ロク

原告訴訟代理人弁護士

堂野達也

山本博

斎藤驍

萩原健二

堂野尚志

播磨源二

福岡清

清水芳江

秋山幹男

川端和治

久保田康史

中井真一郎

弘中惇一郎

大嶋芳樹

小口恭道

間辺大午

清水徹

須藤英章

藍谷邦雄

浅野憲一

小沼清敬

小沢徹夫

金田英一

広瀬哲夫

塩味達次郎

遠藤直哉

森谷和馬

土方邦男

金子光邦

秋田瑞枝

安養寺龍彦

石田省三郎

池田桂一

村上愛三

戸谷豊

植村泰男

西村國彦

萩原冨保

浅野元広

被告

日本化学工業株式会社

右代表者代表取締役

棚橋幹一

被告訴訟代理人弁護士

和田良一

福井富男

田中隆

後藤明史

原寿

青山周

美勢晃一

宇野美喜子

山本孝宏

宇田川昌敏

狩野祐光

牛嶋勉

主文

一被告は、「認容金額一覧表」(一)、(二)記載の原告らに対し、それぞれ「認容金額」欄記載の金員及び「慰謝料」欄記載の金員に対する昭和五六年二月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二原告らのその余の請求を棄却する。

三訴訟費用中、別紙「認容金額一覧表」(一)、(二)記載の原告らと被告との間に生じた分は、被告の負担とし、その余の原告らと被告との間に生じた分は、右原告らの負担とする。

四この判決は、第一項記載の認容金額につき各三分の一の限度において、仮に執行することができる。

認容金額一覧表

(一)

被害者番号

原告

認容金額(円)

内訳(円)

慰謝料

弁護士費用

2宇田川耕治

宇田川マサ

九二三万八五一六

八五九万三九六九

六四万四五四七

宇田川憲雄

各 六一五万九〇一〇

各五七二万九三一二

各 四二万九六九八

宇田川哲也

新保禮子

3梅澤政義

梅澤テル子

九七四万七五六八

九〇六万七五〇六

六八万〇〇六二

梅澤文雄

各 四八七万三七八四

各四五三万三七五三

各 三四万〇〇三一

梅澤幸雄

梅澤利之

梅澤まゆみ

4古滝秋治

古滝継男

各 七一六万六六六五

各六六六万六六六六

各 四九万九九九九

古滝正義

古滝伸行

古滝芳雄

古滝秀夫

5古瀧要作

古瀧つ

一二九三万二七四七

一二〇三万〇四六三

九〇万二二八四

古瀧喜一郎

各 五一七万三〇九八

各四八一万二一八五

各 三六万〇九一三

山田富美枝

山田光江

浅野ヨシエ

岡安末子

7斉藤儀助

斉藤ハナヨ

一二九九万五三二五

一二〇八万八六七五

九〇万六六五〇

斉藤幸子

二五九九万〇六五一

二四一七万七三五〇

一八一万三三〇一

9椎名丑蔵

椎名キチ

二二三万一一〇六

二〇七万五四四八

一五万五六五八

椎名喜代

各 二四万七九〇〇

各 二三万〇六〇五

各 一万七二九五

椎名隆一

椎名和子

椎名貞夫

七四万三七〇二

六九万一八一六

五万一八八六

11島崎喜一

島崎きくの

一一二六万五六九九

一〇四七万九七二〇

七八万五九七九

島崎正明

各 四五〇万六二七九

各四一九万一八八八

各 三一万四三九一

島崎松男

柳田喜代子

山本登喜江

13嶋田嶋蔵

嶋田ミヨノ

一一七七万〇〇八〇

一〇九四万八九一二

八二万一一六八

嶋田章重

各 七八四万六七二〇

各七二九万九二七五

各 五四万七四四五

嶋田クニエ

嶋田義男

14下タ村重蔵

下タ村ミエ

二六四万八二七二

二四六万三五〇九

一八万四七六三

下タ村勇

各 一七六万五五一四

各一六四万二三三九

各 一二万三一七五

下タ村道夫

下タ村隆

15瀬尾昭司

瀬尾玲子

九〇八万八四八八

八四五万四四〇八

六三万四〇八〇

瀬尾裕司

一八一七万六九七七

一六九〇万八八一六

一二六万八一六一

16瀬尾理三郎

瀬尾瀧代

一三二三万一〇一五

一二三〇万七九二一

九二万三〇九四

石塚律子

各 四四一万〇三三八

各四一〇万二六四〇

各 三〇万七六九八

瀬尾幸子

姫野敏子

瀬尾和夫

16瀬尾理三郎

瀬尾喜美子

各 四四一万〇三三八

各 四一〇万二六四〇

各 三〇万七六九八

瀬尾義明

18関口勇治

関口すゞ子

八〇八万三二三一

七五一万九二八五

五六万三九四六

関口博

各 五三八万八八二〇

各 五〇一万二八五六

各 三七万五九六四

関口均

関口透

19高田一男

高田キヨカ

各 一二一〇万一五五二

各 一二五万七二五八

各 八四万四二九四

高田義博

高田哲雄

20高橋良三

高橋政江

各 一〇五七万八四五五

各 九八四万〇四二四

各 七三万八〇三一

高橋智恵子

高橋厚司

22豊田正之介

豊田ふく

一一〇九万四九〇一

一〇三二万〇八三九

七七万四〇六二

豊田博之

各  七三九万六六〇〇

各 六八八万〇五五九

各 五一万六〇四一

豊田喜代志

豊田幾雄

23中里錦三

中里きみ

六三〇万九六二三

五八六万九四一七

四四万〇二〇六

中里利一

各 四二〇万六四一四

各 三九一万二九四四

各 二九万三四七〇

中里実

中里文明

25古谷竹次郎

古谷まさ

一三〇三万四六四四

一二一二万五二五一

九〇万九三九三

板山悦子

二六〇六万九二八九

二四二五万〇五〇二

一八一万八七八七

27水沢音松

水沢る

九七六万六〇五三

九〇八万四七〇一

六八万一三五二

水沢弘一

各 三九〇万六四二一

各 三六三万三八八〇

各 二七万二五四一

出光京子

27水沢音松

黒田イサヲ

各 三九〇万六四二一

各 三六三万三八八〇

各 二七万二五四一

山道礼子

水沢千鶴子

29八木松太郎

八木すえ

各 六八一万七二六三

各 六三四万一六四〇

各 四七万五六二三

関口スミヨ

八木伊佐代

30横須賀政次

横須賀トク

一〇四九万一二二〇

九七五万九二七五

七三万一九四五

横須賀政江

各 五二四万五六〇九

各 四八七万九六三七

各 三六万五九七二

横須賀あや子

横須賀とよ子

横須賀くに子

31伊藤信也

伊藤八重子

各 二三五九万二五九一

各 二一九四万六五九七

各 一六四万五九九四

伊藤まつえ

34高橋元眞

高橋ハルミ

一七九万一六六五

一六六万六六六六

一二万四九九九

高橋照一

各 一一九万四四四四

各 一一一万一一一一

各 八万三三三三

中村元子

高橋昭次

35向井始

岩瀬節子

各 三五八万三三三二

各 三三三万三三三三

各 二四万九九九九

星野妙子

向井英男

36上田留太郎

上田まさ

一〇四六万一〇〇七

九七三万一一七〇

七二万九八三七

岡田タミ子

各 五二三万〇五〇三

各 四八六万五五八五

各 三六万四九一八

上田文男

上田邦夫

上田昇

37加藤光吉

仲亀千代子

各 二〇一万五六二五

各 一八七万五〇〇〇

各 一四万〇六二五

加藤養太郎

加藤忠治郎

三浦キエ子

後藤ヒデ子

加藤礼蔵

加藤良

五〇万三九〇六

四六万八七五〇

三万五一五六

39佐藤巳代治

佐藤ナツエ

九二万六九六八

八六万二二九六

六万四六七二

佐藤忠

各 六一万七九七八

各 五七万四八六四

各 四万三一一四

竹村仁之

石川光子

認容金額一覧表 (二)

番号

原告

認容金額(円)

内訳(円)

慰謝料

弁護士費用

1

塩井芳造

二三八七万八六三五

二二二一万二六八四

一六六万五九五一

4

川野正

四四三万九四〇一

四一二万九六七六

三〇万九七二五

5

佐藤晋太郎

三八四万二五五七

三五七万四四七二

二六万八〇八五

6

内山作蔵

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

7

漆間義政

二一九万四四八三

二〇四万一三八〇

一五万三一〇三

8

奥山武

五〇八万四七七五

四七三万〇〇二四

三五万四七五一

9

朝見敏夫

四五四万七九〇三

四二三万〇六〇八

三一万七二九五

10

飯塚光雄

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

11

須賀六太郎

一〇七五万

一〇〇〇万

七五万

12

榎本留六

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

13

安藤長次

二八五万七七八〇

二六五万八四〇〇

一九万九三八〇

14

佐藤隆司

三九二万三〇五三

三六四万九三五二

二七万三七〇一

15

穐本広司

四五〇万六四八一

四一九万二〇七六

三一万四四〇五

16

曽我銀蔵

五三七万五〇〇〇

五〇〇万

三七万五〇〇〇

17

須賀忠吉

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

18

増田三蔵

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

19

牧野清

四四三万〇八四九

四一二万一七二〇

三〇万九一二九

20

兼平吉三郎

二九一万六一七四

二七一万二七二〇

二〇万三四五四

22

加藤礼蔵

二八〇万九七四〇

二六一万三七一二

一九万六〇二八

23

海老原一男

八七五万七二七六

八一四万六三〇四

六一万〇九七二

24

福田年男

一八二六万五〇九二

一六九九万〇七八四

一二七万四三〇八

25

石毛藤吉

一八三六万二三四三

一七〇八万一二五〇

一二八万一〇九三

26

高橋一二

三〇〇万二四七五

二七九万三〇〇〇

二〇万九四七五

27

服部春千

一〇七五万

一〇〇〇万

七五万

28

増田金蔵

一六一万二五〇〇

一五〇万

一一万二五〇〇

29

松島三治郎

二九〇万五九四〇

二七〇万三二〇〇

二〇万二七四〇

30

石島千次郎

四二二万三四〇四

三九二万八七四八

二九万四六五六

31

梅原弥吉

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

32

松林喜通

四九六万五三九九

四六一万八九七六

三四万六四二三

33

真鍋正治

二〇六三万三六四二

一九一九万四〇八六

一四三万九五五六

35

梶一郎

一三八万七九五四

一二九万一一二〇

九万六八三四

36

花釜久芳

二九一万七〇一六

二七一万三五〇四

二〇万三五一二

37

富沢菊蔵

五三七万五〇〇〇

五〇〇万

三七万五〇〇〇

38

高橋友棋

二九五万三五五八

二七四万七四九六

二〇万六〇六二

39

長沢喜三郎

五〇六万五八一二

四七一万二三八四

三五万三四二八

40

須賀善五郎

一〇七五万

一〇〇〇万

七五万

41

堀江光寿

二六一万九二〇七

二四三万六四七二

一八万二七三五

42

田中信義

四七七万一九五〇

四四三万九〇二四

三三万二九二六

43

松沢肇

四九二万一一五二

四五七万七八一六

三四万三三三六

45

伊藤照夫

二八八万四九三〇

二六八万三六五六

二〇万一二七四

46

小平完一

四六二万〇一八二

四二九万七八四四

三二万二三三八

47

井上泰助

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

48

石田秀止

四八九万七六一四

四五五万五九二〇

三四万一六九四

49

佐藤武男

二五三万二三九九

二三五万五七二〇

一七万六六七九

50

石田春吉

四一七万三二六一

三八八万二一〇四

二九万一一五七

51

佐藤広男

二九三万四七七五

二七三万〇〇二四

二〇万四七五一

54

彦田威男

二八二万七四三九

二六三万〇一七六

一九万七二六三

55

福田貢

三六四万九八七〇

三三九万五二二八

二五万四六四二

56

古沼傳吉

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

57

松野清一

二九三万七六六五

二七三万二七一二

二〇万四九五三

58

高井米吉

二七四〇万九八五五

二五四九万七五四〇

一九一万二三一五

59

高橋清

一二五万五五一四

一一六万七九二〇

八万七五九四

60

山崎信芳

二七八万八七九〇

二五九万四二二四

一九万四五六六

61

西野新吉

二四五万九六一七

二二八万八〇一六

一七万一六〇一

64

伊藤攻二

一二八万五二五二

一一九万五五八四

八万九六六八

66

小松崎正夫

一三九万七五〇〇

一三〇万

九万七五〇〇

68

木村武

一〇七万五〇〇〇

一〇〇万

七万五〇〇〇

70

高橋健司

四三二万一〇〇五

四〇一万九五四〇

三〇万一四六五

71

山崎順朗

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

72

石島敏二

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

73

中根文二郎

一三二万五八七〇

一二三万三三六八

九万二五〇二

74

畠山孝男

四六二万〇一八二

四二九万七八四四

三二万二三三八

75

石島満

三〇〇万〇四五四

二七九万一一二〇

二〇万九三三四

77

大村武

二五六万九九六三

二三九万〇六六四

一七万九二九九

79

清水千年

一六一万二五〇〇

一五〇万

一一万二五〇〇

80

近藤作平

一六一万二五〇〇

一五〇万

一一万二五〇〇

81

高橋留夫

一六一万二五〇〇

一五〇万

一一万二五〇〇

82

中島正司

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

83

清田倉之助

二九四万二三六一

二七三万七〇八〇

二〇万五二八一

84

青山卓

二九六万〇五四一

二七五万三九九二

二〇万六五四九

85

水野健司

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

86

泉水梅吉

二八一万八三四九

二六二万一七二〇

一九万六六二九

90

富沢常作

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

92

鈴木國松

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

93

高橋次郎

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

94

沢栗博司

三二二万五〇〇〇

三〇〇万

二二万五〇〇〇

原告(遺族)目録(一) <省略>

原告(生存者)目録(二) <省略>

事実《省略》

理由

第一章  当事者及び認定に供した書証の成立について

第一原告ら<省略>

第二被告<省略>

第三認定に供した書証の成立について<省略>

第二章  加害行為

第一被告各工場におけるクロム化合物等の製造

一各工場の製品と製造期間

請求の原因第二章第一のうち、次に認定する事実を除き、当事者間に争いがない。

1<証拠>によれば、小松川南工場における重クロム酸ソーダ製造の終期は、昭和四五年八月であることが認められる。

2また<証拠>によれば、西淀川工場は、昭和二三年一月から同二八年四月まで、重クロム酸ソーダを小規模に製造していたことが認められる。

二クロム化合物の製造工程の概要<省略>

第二  被告工場におけるクロム粉塵・ミストの発生及び被暴の状況

一  はじめに

本件生存原告及び死亡被害者らの被告各工場における勤務期間は、別紙「勤務関係等一覧表」、「認定勤務関係一覧表」(一)、(二)のとおり、戦前から戦後の約半世紀以上の長きにわたり、また配属工場も小松川南、同北、同第二工場、西淀川、亀戸の各工場にまたがり、作業場所は各工場の殆んど全ての部門に分れ、作業内容も多岐多様であり、クロム粉塵・ミストの被暴状況もそれぞれ異なるので、以下、戦前の小松川南工場と戦後の小松川南、同北、同第二工場、西淀川、亀戸工場に大別し、争いのない事実に、できるだけ客観的な調査資料をもとに、各工場の各工程ごとに作業内容と併せてクロム粉塵・ミストの発生及び被暴の状況について考察する。

二  戦前の小松川南工場における粉塵・ミストの発生及び被暴の状況

<中略>

3まとめ

以上の事実に戦前南工場の作業に従事していた生存原告本人の各供述、及び同原告らの後記鼻中隔穿孔の発生状況などを総合すると、戦前の南工場の作業環境は、開放型の装置で発塵の激しい反射炉が使用された焙焼部の乾燥及び焙焼工程、いわゆるバッグ掘りが行われた浸出工程、蓋のない遠心分離機が使用されていた酸性及び結晶工程を中心に、クロム粉塵・ミストの発生が著しく、作業員らのクロムによる被暴が激しかつたことは明らかである。

被告は、昭和の初期からロータリーキルン、ロータリードライヤー、二段キルンを開発設置し、これら大型連続式設備の操業による環境変化に対応するため、昭和九年には、最新のサイクロン集塵機とコットレル集塵機を設置し、焙焼、乾燥工程における設備を機械化、密閉化したため、労働負荷は大巾に削減され、作業環境も向上した旨主張し、乙六〇三号証の二、六二七号証など右各機械、装置の設置についてこれに沿うごとき証拠もあるが、これらの機械、装置が十分に機能し、良好な作業環境が保持されていたとは到底認めがたい。

のみならず、アメリカでは、粉塵の発生源として悪名高い反射炉の使用を、一九三〇年代初めにはすでに使用をやめていた(マックルらの報告)のに対し、被告の小松川南工場では、昭和一〇年頃四対八基あつた反射炉のうち一対を残して解体撤去し、その後昭和二〇年頃までロータリーキルンとこれを併用し、昭和二二年頃ようやく最後の一対も撤去したが、後記のとおり西淀川工場では、昭和二七年まで反射炉の操業をしていたというのであるから、反射炉一つ取り上げても、実に約二〇年以上アメリカの工場より遅れており、戦前の南工場においてクロム粉塵の暴露が著しかつたことは容易に推認できる。

三  戦後の小松川南工場における粉塵・ミストの発生及び被暴の状況

<中略>

6まとめ

以上の事実に、戦後南工場で作業していた生存原告本人の各供述及び同原告らの後記鼻中隔穿孔の発生状況などを総合して考察すると、戦後の南工場においては、戦前の発塵の原因であつた反射炉は比較的早期に撤去されたものの、北工場に比し設備の密閉化は著しく遅れていたこと、またミストの被暴が著しい、いわゆるバッグ掘り作業も昭和三九年頃まで行われていたこと、粉塵・ミストの排出、除塵装置が不完全であつたため、修理や掃除の回数が多く、各工程全般にわたつてクロム粉塵・ミスト等の発生が激しかつたこと、したがつて、作業員らは大量にこれに被暴していたことが認められる。

被告は、戦後南工場において密閉構造の輸送機、ホッパー及びタンクを新設し、機械設備の連続化を図るとともに、局所排気装置及び除塵装置を整備改造し、さらに新しい耐蝕材料を採用することにより修理作業を大幅に軽減させ、その後昭和三二年の国立公衆衛生院による調査に基づき、さらに機械設備の密閉化、自動化、環境保全の向上を図り、昭和三九年以後は労働衛生サービスセンター指導の下に、作業の遠隔操作及び自動化を推進する一方、環境保全設備の増強を図つたなどと縷々主張する。

しかし、前記認定のとおり、南工場では、最盛時においても、なおかつ気中クロム酸(CrO3)濃度の恕限度0.1mg/m3を超える職場があり、作業環境が改善されたものとはいえない。昭和三〇年代以降経済の高度成長に伴い、被告のクロム生産量も飛躍的に増加し、局所排気装置及び除塵装置等も増設されたことは窺われるけれども、右装置が生産量に追いつくほど十分にその機能を発揮していたものとは認められない。

しかも、被告の主張によれば、昭和四四年秋、小松川工場の敷地が、東京都の「亀戸・大島・小松川地区防災再開発計画」の対象地域に指定されたため、小松川工場の撤去、徳山移転の計画がたてられ、翌昭和四五年三月には徳山工場建設事務所が開設され、同年八月徳山工場の建設に着工するに至つたことを併せ考えると、被告会社では昭和四四年以前から、新工場建設のため、小松川工場における機械、設備の増設、環境の整備改善は、会社の経営上余り期待できない状況にあつたものといわざるを得ない。

四  小松川北工場における粉塵・ミストの発生及び被暴の状況

<中略>

4まとめ

小松川北工場において、クロム化合物の生産が開始されたのは昭和三八年八月であることは当事者間に争いがなく、前記のとおり、被告は、北工場にクロム化合物製造工場を新設する際、密閉化、自動化、遠隔操作化及び環境の保全を図つた旨主張し、<証拠>中にはこれに沿う記載並びに供述部分もあるが、前記のような事実に、北工場において勤務した原告本人らの各供述を総合すると、にわかに措信しがたい。却つて、前掲各証拠によると、被告会社が新工場の建設により生産の増強を図つたことはもちろんであるが、右環境保全の目的等は必ずしも達成されなかつたこと、また南工場に比べれば、仕込作業が自動化し、焼成物の運搬がなくなつた点、台車式浸出機の導入により、バッグ掘り作業がなくなつた点等生産も能率的になり、作業も合理化されたこと、しかし、北工場においてもクロムの粉塵・ミストが発生し、作業員らがかなり大量にこれに被暴していたことは容易に推認できる。

五  小松川第二工場における粉塵・ミストの発生及び被暴の状況

<中略>

4まとめ

被告は、第二工場においても、昭和三六年に酸化部(無水クロム酸及び酸化クロム)の新工場を建設するに際し、作業環境面で十分配慮し、生産開始後も除塵装置を増設する等して環境の保全につとめた旨主張し、<証拠>にはこれに沿う記載部分もあるが、前記のような事実に、第二工場に勤務したことのある原告本人らの各供述を総合すると、にわかに措信できない。むしろ、右証拠によると、第二工場の作業環境も完全に保持されていたとは認められず、南工場ほど劣悪な環境ではないが、同様にクロム粉塵・ミストが発生し、作業員はこれに被暴していたことは明らかである。

六  西淀川工場における粉塵・ミストの発生及び被暴の状況

<中略>

3まとめ

右1、2の事実に乙三七号証の三、西淀川工場に勤務した原告本人らの供述を総合すると、西淀川工場の焙焼工程において、小松川南工場では既に撤去されていた反射炉の使用を続け、昭和二六年四月以降ロータリーキルンを導入した後も、なお昭和二七年四月まで併用していたため、西淀川工場におけるクロム粉塵・ミストの発生は、戦前の小松川南工場に匹敵するほど激しく、作業員は大量にこれを被暴していたことは明らかである。

七  亀戸工場における中性無水芒硝の製造

亀戸工場については、原告佐藤正(No.78)が原料の運搬等に従事していたという中性無水芒硝の製造関係についてのみしらべる。

原告らは、被告が亀戸工場において、昭和四〇年一一月から同四四年一二月までの間、中性無水芒硝を製造していた旨主張し、被告はこれを明らかに争わないから自白したものとみなす。しかして、<証拠>によれば、亀戸工場で製造される中性無水芒硝の原料は、小松川工場の精製部で得られた芒硝の撤品(副産粗芒硝)であり、これを亀戸工場に運搬して同工場で精製し、中性無水芒硝の製品としたことが認められる。また、<証拠>によれば、中性無水芒硝の原料である副産粗芒硝の中に含まれる六価クロムの含有率は、0.5ないし0.7%であり、製品である中性無水芒硝には、三価クロムが微量入つているのみで、六価クロムは入つていないことが認められる。

八  下請工及び修理工の粉塵・ミストの被暴状況

前記認定のとおり、死亡被害者及び生存原告らの中には、直接被告会社と雇用契約がなく、被告の下請会社や個人経営の組(戦前)の従業員として、専属的に被告工場において雑役工又は職工代用として作業に従事してきたものや、特定の工場、工程に限らず各所において機械設備の修理を専門に行つていた下請工及び修理工が多数存するので、これらのもののクロム粉塵・ミストの被暴の実態について、さらに検討を加えることとする。

1下請工の被暴の実態

(一) 雑役工

(1) 前記のとおり下請の組の雑役人夫が戦前の小松川南工場焙焼部において、反射炉の上へクロム鉱石及び浸出滓を運搬し、右原料をならす作業を行つていたこと、また共立運保の従業員が戦後の南工場において、リヤカーで焼成物を焙焼工場から浸出工場に運搬し浸出槽へ投入していたこと、さらに松渕組の作業員が北工場において、浸出工場の一階土間及び土間掛液槽のヘドロ状鉱滓の掃除をしたり、煮詰槽の掃除をしていたことは当事者間に争いがない。

しかして、右の事実に<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(2) 戦前の南工場における下請工の被暴状況

戦前の南工場は、殆んど全ての工程において、本工(職工)の他に下請工(組に属する人夫)が勤務していた。時期により組の名称には変遷があるが、増田組、町山組(後の杉山組)、黒田組(後の池田組)などがあり、増田組には一時、一四〇名ないし一五〇名の人夫が所属していた。

下請工は、直傭工である本工と同じ職場で働く職工代用と呼ばれた作業員と、運搬、清掃を中心とする単純な作業等を行う雑役部の作業員に分れていた。雑役部の職場は、いずれもクロム粉塵・ミストの被暴が激しい工程が多かつた。なかでも、焙焼部において、反射炉の上にクロム鉱石、浸出滓等の原料を運び上げ、翌朝乾燥したものを運び下ろす作業とか、調合された原料の反射炉への仕込み、仕込みならし、矢入れ、焼上げ出しの作業をする際は、下請工は、クロムの粉塵にまみれて高熱下で粉塵等を吸引して作業をしていた。また、同部浸出工程においては、半裸体で浸出槽に入つて浸出滓を掘り出す、いわゆるバッグ掘りの重労働やバッグの清掃、鉱滓運搬の作業をなし、直接汗でよごれた体に黄色いクロムの粉塵・ミスト等が付着し、皮膚潰瘍等を起こしていた。そのため下請工から賃金の低い本工になるものもいた。

(3) 戦後の南工場における下請工の被暴状況

戦後の南工場においては、下請会社の共立運保の従業員や伊藤組、松渕組(昭和二四年頃、被告会社の南工場焙焼雑役部に編入されたが、その後も伊藤組又は松渕組と呼称され、作業内容に変更はなかつた)の作業員が、乾燥、粉砕、調合、焙焼、浸出工程その他工場内の最も労働の厳しい職場を受持たされていた。とくに共立運保の二番鉱粕堀荷扱夫は、前記バッグ掘りの作業を専門に昭和四七年頃焙焼雑役部の仕事がなくなるまで続けられ、右作業員は高熱作業のため全裸に近い姿で粉塵・ミスト、鉱滓を大量に浴び、夏期には体力の弱い作業員の欠勤が多いため、残業のうえ請負仕事をしていたので被暴時間もそれだけ長くなつた。

また松渕組の作業員は、精製部酸性工程において、反応槽(五十(ごとう)のバッグ)に元液と硫酸を入れ、反応後の芒硝を掘り上げたり、芒硝の袋詰をする作業を昭和三七年頃まで行つていたが、右作業員は、大量のミストが飛散、充満する反応槽の中に入り、上半身裸になつてスコップで芒硝を槽外へ掘り出す作業をしていたので、クロムミストの被暴が著しかつた。

なお、右作業の際には、いずれも作業場の熱気や湿気、作業時の発汗等により、作業員はマスクや眼鏡等保護具を着用すると、却つて、息苦しくなつたり、皮膚に傷ができたりするので、事実上保護具の着用は困難な状態であつた。

(4) 小松川北、第二工場における下請工の被暴状況

共立運保の作業員は、小松川北工場において、原料仕込み、原料ならしの作業や、浸出後の台車の滓落とし、金網交換などの作業を担当し、松渕組の作業員は、煮詰槽、元液槽などタンクの清掃作業を担当し、いずれも粉塵・ミストを浴びていた。

また松渕組の作業員は、第二工場においても、結晶化した無水クロム酸の入つたドラム缶を逆さにして乾燥機のホッパーに入れる作業や、乾燥した無水クロム酸の袋詰、計量等の作業を行い、無水クロム酸の粉塵等を浴びていた。

(二) 修理工

(1) 株式会社前田電気酸素工業所の作業員の被暴状況

<証拠>によると、次の事実が認められる。

株式会社前田電気酸素工業所の作業員は、戦後南工場内の鉛ホモゲン加工、溶接の仕事をする専用作業所における作業のほか、小松川各工場に赴き、無水蒸発缶の故障した時には、クロムミストが充満している缶の中に入つて修理作業を行い、酸性、結晶の各職場に出向いて結晶缶の故障を修理するなど、修理作業中、クロムミストに暴露していた。さらに焙焼工場等クロム粉塵・ミストの発生する職場に出向いて機械の溶接、修理の作業に従事することが多く、同社の修理工であつた近藤作平(No.80)は鼻中隔穿孔になつていた(同人の鼻中隔穿孔については争いがない)。

(2) 合資会社栗原工業所の作業員の被暴状況

<証拠>によれば、合資会社栗原工業所の作業員(製缶工)は、戦後南工場の調合、焙焼、浸出、結晶などの各職場において、各種機械の組立、修理の作業に当り、修理中粉塵・ミストを浴びて鼻中隔穿孔になつた。とくに運転中の遠心分離機の側で、他の遠心分離機の組立や修理をしたり、ロータリーキルンの中に入つて部品の取替作業をしたり、また浸出槽の内部の修理作業のとき等は、クロム粉塵・ミストの被暴が激しかつた(なお、同社の修理工であつた小松崎正夫(No.66)に鼻中隔穿孔がある点は、当事者間に争いがない)。

(3) 東京鉛工有限会社及び松本鉛工業所の作業員の被暴状況

<証拠>によると、東京鉛工有限会社の修理工(鉛管工)は、戦前南工場の各クロム粉塵・ミストの発生現場に出向いて、機械設備の修理のため溶接、配管の作業をした。右作業時間は、一か所で一時間半ないし一日以上にわたることもあつた。戦後の松本鉛工業所修理工の作業状況も右と同様で、小松川南、北、第二の各工場に赴き、右の修理に当つたが、とくに鉛管修理の場合は、操業を続けながら作業を行うことがあつたので、この場合の被暴はさらに激しかつた。

2本工である修理工の被暴の実態

被告は、南工場設備管理部はクロム製造職場ではない旨主張し、クロム暴露の点を争つているので、とくにこの点について検討する。

<証拠>によると、次の事実が認められる。

本工である修理工は、設備管理部(PM班と称していた)に所属し、南工場では、昭和二七年頃まで、重クロム酸ソーダ及び重クロム酸カリの乾燥工場と棟続きで、十分な仕切りのない職場で旋盤等修理の仕事をしていた。その後修理工場ができた後も、発塵のひどかつた焙焼部調合工場等各職場に出向いて機械の点検修理をする仕事が全体の半分位あり、一たん現場へ赴くと二時間ないし一日中クロムの粉塵・ミストに被暴して作業をしていた(なお、南工場において戦後一貫して修理を担当していた本工の原告海老原一男(No.23)に鼻中隔穿孔があることは、当事者間に争いがない)。

第三章  因果関係

第一  因果関係総論

一  序説

1昭和五〇年八月、被告会社小松川工場におけるクロムによる肺がん発生の報告がなされたことを契機に、労働省は、急拠、クロムによる肺がん、上気道がんのほか、鼻、皮膚及び呼吸器の各疾病について、労災認定の取扱基準を設定し、速やかにクロムにより被災した労働者の疾病につき労災認定のうえ障害補償等の措置を講ずるように通達した(昭和五〇年基発第五〇二号)。その後、労働省において、「クロム障害に関する専門家会議」を設け、国内及び諸外国におけるクロムによる健康障害全般について、主として文献上の検討がされたうえ、昭和五一年一月、「中間報告」がなされたので、労働省はこれに基づき、同年一月三一日付基発第一二四号をもつて、さきに通達したクロムによる疾病の業務上外の認定基準を、肺がんの業務上認定の要件についてクロム酸塩製造作業の従事歴を「九年以上」から「四年以上」に改めるなどその一部を改訂した。しかし、右中間報告は、きわめて短期間内に取纏められたものであるので、例えば、クロム酸塩製造作業に従事する労働者の肺がんと上気道がん以外の消化器及びその他の部位のがんとか、肝、腎、消化管の障害など、文献報告の少ない疾病については、なお検討が必要である旨報告したままその後の検討結果については何ら報告がなされていない。また、東京都関連機関がクロム鉱滓による住民の健康障害に関して、調査研究した結果についても同様であつて、東京都公害局の報告も、昭和五三年一一月ころまでに関連機関より知り得た中間報告にすぎない。

2本訴において、原告らは、クロム被害の特徴として、クロムによつて人体にひき起こされた障害は、全身的な障害である旨主張している。そして、佐野、海老原らは、「原告らクロム被害者の会の会員の自主検診及びクロム酸塩労働者の剖検例について研究の結果、慢性的にクロムを主体とした重金属の暴露をうけることによつて生ずる障害は、全身的なものであり、それは災症とがんとをひき起こすとの結論に達したが、右の結論は、従来からいわれてきたクロムの障害が限局した場での病変であるとの通説と真向うから対立し、慢性クロム身体障害として位置づけるべきものである」旨、原告らの主張に沿う報告並びに供述をしている。

3もとより、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、事実と結果の間に高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる(最高裁昭和五〇年一〇月二四日判決、民集二九巻九号一四一七頁参照)。

とくに、がん発生のメカニズムは、今日未だ完全に解明されているわけではないから、疫学調査の報告、臨床と病理の報告、動物実験の結果、変異原性試験の結果など、内外の知見を証拠上総合して、原因と結果の間に高度の蓋然性があれば因果関係を肯定することができる。したがつて、疫学調査の利用は、訴訟上因果関係を認定する一つの手法に過ぎないから、疫学調査の結果、統計学的有意差(エクセス・リスク)が認められなくとも、平均値よりかなり高率であれば、他の事情と相まつて積極的認定の一資料とするを妨げないものと解するのが相当である。

そこで、以上のような観点から、原告ら主張のクロムによる健康障害について、逐一検討することとする。

二  クロム及びクロム化合物

<中略>

以上のように、その他のクロム工業では、主として三価クロムによる暴露であつたり、他の発がん性物質や有害な化学薬品などが存在し、労働者はその混合粉塵等に暴露され、クロム酸塩製造工業とは被暴の態様や化合物の形態が異なつている。したがつて、本件のように被告クロム酸塩製造工場に勤務した元従業員らの健康障害について、クロムとの因果関係を検討するに当つては、主として被告会社と同業のクロム酸塩製造工業に関する内外の調査報告等を取り上げ、その他のクロム工業に関する証拠資料は、できるだけこれを参考資料として使用することにする。

三  クロムの毒性

クロムは糖代謝におけるインシュリンの作用に関係すると考えられ、人にとつて必須微量金属の一つであるといわれる。しかし、その過剰摂取は有害であり、クロムの人に対する毒性についての知見は、主として次のとおりである。

1催炎症性・腐食性

水に可溶性の六価クロムには激しい酸化力があるため、これが人体組織に接触すると、当該部位を刺激して炎症を起こし(刺激性、催炎症性)、さらに腐食させる(腐食性)。職業上の暴露では、皮膚や鼻粘膜の潰瘍、鼻中隔穿孔、呼吸器系症患などをひき起こすことが知られている。体内では六価クロムは急速に還元されて三価クロムの形になるといわれる。一般に六価クロムが有毒であるとされているのは、おもにクロム酸塩の強い酸化作用に関係しているようである。さらに、六価クロムは非常に活性であり、容易に細胞表面の生体膜を通過するため、右の毒性がより強く現われる。この性質は六価クロムにみられ、毒性の低い三価クロムは、きわめて不活性であり細胞膜を容易に通過しないといわれる(ベイチャーの供述)。

2感作性

水に可溶性の六価クロムは、人体にアレルギー反応をひき起こす感作性物質であり、このアレルギー反応によつて湿疹性、非湿疹性のアレルギー性接触皮膚災等をひき起こす(この点は当事者間に争いがない)。

3発がん性

可溶性六価クロムは非常に活性であり、細胞膜を通過して細胞の中に入り、核酸と反応し、また細胞に突然変異を起こし、がんを発生させる金属発がん物質の一つである。実験的には、難溶性の三価クロムで発がんに成功しているものもある。呼吸器(肺)に対する発がん性については多数の疫学的研究や動物実験の結果報告があり、クロムに暴露した後、長年月経過してから肺がんが発現している旨の報告がある(NAS「クロム」、鑑定人兼証人アンナ・エム・ベイチャーの供述など)。なお、クロムによる発がんの機序については未だ解明されていないが、更に三価及び六価クロムの発がん性について、後に詳しく述べることとする。

4毒性の程度

わが国では、大気中クロム濃度の基準設定は行われていない。最大の原因は、クロムによる肺がん発生についてのdoseresponse relationがわかつていないことであろうといわれる(吉川博「クロム化合物」、一九七五年)。わが国の水質基準(一九七〇年)も、アメリカでの水質基準(PHS、一九六二年)でも、六価クロムは0.05ppm(0.05mg/l)で三価クロムに対する規制はない。六価クロムは三価クロムの一〇〇倍も毒性があり、飲料水中に0.1ppm含有されても有害であるといわれる。しかし、一家族において、一〜二五ppm含有の飲料水を数年間飲んでいて中毒症状が認められなかつた報告(シュレーダーら、米、一九六二年)、また、わが国においても、約一ppm前後の六価クロムを含む井戸水を五年三か月にわたつて飲用に供していた家族に健康障害が認められなかつた旨の報告がある。これらの報告及び動物実験の結果から、

(a) クロムはカドミウムなどと比べ排泄され易く

(b) クロムの毒性は低い

(c) クロムは体内に蓄積しがたい

との報告(和田攻「環境汚染物質と人、クロム<2>」、一九七五年)がある。

しかし、右は、いずれも六価クロム等を含有する水を誤つて経口摂取した事例であつて、本件のような高濃度のクロム粉塵等に、長期間職業性暴露を受け、主として気道を経て吸入摂取した労働者の場合と同様に論ずることはできない。

一般に工業用毒物は、侵入方法の差異等で障害の部位、症状が異なり、呼吸器からの侵入が全身的障害を最も速やかに、かつ最も著しく起こし、普通消化器から侵入するものの数倍ないし数十倍の毒性を示すといわれる。また経口摂取のときは、ホメオスタシスという恒常状態が働くのに対し、呼吸によつて肺から体内に吸収されるときは、バイパスを通過することによつて、右の調節機構が働かないため有害なレベルに達し、クロム中毒がおこることがある、といわれる。

したがつて、被告援用の経口摂取にかかる文献から、直ちにクロムの毒性が低いとはいえない。

四  クロムの代謝

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1吸収

(一) 呼吸器からの吸収

大気中に浮遊するクロム化合物の粉塵・ミスト・蒸気は、空気とともに鼻と口から吸入される。大気中クロムの吸収機構はよくわかつていないが、次の三つがある。

(1) クロム粒子の直径が一ないし二ミクロンを超える大きなものは気管または気管支内に付着する。これらのクロム粒子は、繊毛運動によつて喉頭から除去され、嚥下される。このクロムは消化管への摂取量として加算される。

(2) それより小さいクロム粒子は肺胞内に侵入する。肺胞に到達したクロム化合物のうち、不溶性のものは肺組織に滞留するであろうが、粒子の小さいものは肺の喰細胞の喰作用をうけてリンパ管に入り、リンパ節に蓄積されるか、あるいは最終的に循環系に入る。

(3) 肺胞に到達したクロムのうち、水溶性のものは、循環血流中に浸透し、全身に分布される。

なお、クロムにより気管内の繊毛運動が障害されると、クロム粉塵は肺胞に入り易くなる。肺組織に見出されるクロムの濃度は、他の臓器と異なり年令とともに下降せずむしろ増加の傾向にある。人体の各臓器中に存在するクロムは三価クロム化合物であるとされているが、それが人体各組織に及ぼす影響、その存在状態の詳細については必ずしも明らかにされていない。六価クロムは、より可溶性であるという事実から、三価の化合物より容易に組織に吸収されることが仮定されるかもしれない。

(二) 消化器からの吸収

(1) 空気とともに鼻や口から吸入されたクロム化合物の粉塵のうち、気管や気管支に付着したものは、粘膜上皮の繊毛運動により咽喉頭へ運ばれ、一部は痰となつて喀出されるが、一部は唾液、痰とともに嚥下されて消化管に入る。また、クロム作業中、誤つて経口的に消化管に入る可能性もある。

なお、証人兼鑑定人鷲津好昭は、咽喉頭へ運ばれたクロム化合物の大部分は痰として吐き出されるため、消化管へ入る確率は無視することができる旨供述しているが、<証拠>に照らして、にわかに採用できない。<証拠>によると、レーマンは、吸入せられた粉塵の三分の一は、むしろ肺に入らないで胃に侵入すべきことを動物実験により立証した旨、鈴木孔三らの論文に記述されている。

(2) 胃や腸などの消化管内に入つたクロム化合物の一部は、腸管から吸収されて血流中に入る。消化管内におけるクロムの吸収率は、化合物の形態により異なるが、三価のクロムで0.1ないし1.2%、クロム酸ソーダ(六価)で約一〇%という報告がある。腸管吸収に関する正確な数値はわかつていない。また、胃腸管と接触したクロムが吸収される機構も未だ解明されていない。

(三) 皮膚からの吸収

水溶性の六価クロムが溶液の形で皮膚に接触すると、ごく一部はそこから直接体内に吸収される可能性がある。大部分は接触部位に潰瘍ができ、潰瘍面を通して体内に吸収され、血流中に入ると想像されるが、吸収率は低い。

2分布

以上のようにして、体内に取りこまれたクロム化合物の大部分は、血流中に移行する。このうち、三価クロムは、血流中に入ると直ちに、血漿蛋白(アルブミン及びグロブリンなど)と結合し、六価クロムは赤血球内に進入し、速やかに還元されたのちヘモグロビンと結合する。こうしてそれぞれ結合したクロム(三価)は、血流により体内を循環して全身の各臓器に拡散し、大部分は屎尿中に排泄され、残りは組織に取り込まれる。血中クロムの消失の速度に比べ、尿中への排泄の速度が遅いことはクロムが特定の臓器に蓄積されることを示している。

なお、<甲号証>(ポクロフスカヤら、ソ連)及び前掲相沢力の供述中には、体内に入つた六価クロムが酸化還元して三価クロムに変るけれども、酵素の反応によつて三価が六価になる、相互移行の可能性もありうる旨の記載並びに供述があるけれども、右の部分は、前掲ベイチャーの供述等に照らしてにわかに採用できない。したがつて、六価クロムは血流中に移行しても速やかに三価に還元され、六価クロムの形で肝臓や腎臓に到達することはないものと考える。

3蓄積

右のように血液中のクロムは、体内を循環して全身の各臓器に到達するとともに、血流中から急速に消失し、各臓器中に蓄積され、臓器組織中のクロム濃度は、血液中の一〇〜一〇〇倍になる。

クロムの代謝をしらべるため多くの動物実験がなされているが、これらの動物実験での所見は、人間での結果とは対照的である。人ではクロムの体内分布は、表1、2<省略>の示すとおり肺・気管にもつとも多く、ついで小腸・大腸・膵臓などに多い。この肺中のクロムは大気暴露によるもので、消化管からのクロムによるものではない。アメリカ人での多くの組織中のクロム濃渡は年令の増加に伴つて下降する傾向が示されている(表3<省略>)。しかし、肺中クロムのみは年令に伴つて増加する。こうした金属の挙動はクロムだけにみられるものである。

アメリカにおける標準的な人間の各組織中のクロム濃度は、ばらつきが非常に大きく、個人差がかなり認められる(テイプトンら、一九六三年)。喜田村正次は、正常の成人男女について、臓器別に微量重金属濃度を分析した結果、平均値の五倍や一〇倍の微量重金属が含有されていても健康になんら影響を与えない旨述べている(一九七六年)が、吉川博やメルツは、微量クロムの生体影響についての知識は不完全なものであるといつている。

クロム酸塩労働者の肺組織におけるクロム濃度は、クロムの被暴歴がない対照群の肺組織に比較すると、もつとも低いもので約五〇倍、高いものでは一〇〇〇倍以上の高濃度のクロムが蓄積しており、さらに肺に比べれば少量であるが、喉頭部、食道、気管、甲状腺、肝臓、腎臓、副腎、脾臓、心臓においても、対照群に比して多量のクロムが測定された。さらにクロム酸塩製造工場に戦前七年勤務した後退職し、三〇年を経過して食道がんで死亡したクロム製錬工(高橋元眞)について、定量的発光分光分析(エミッションスペクトログラフ、岡山大、寺岡、小林)の結果、肺上葉に五八ppm、肺門リンパ腺に二二〇ppmと高濃度(対照値の三八倍ないし五二倍)に残存し、クロムの体内における移動や半減が緩慢で、長期にわたつて体内にクロムが残留しつづけることを示している。右のものの食道粘膜(非がん部)のクロムは3.0ppmで、やや高濃度(通常0.3ppm)に検出された。

また、戦後一四年間、同工場のクロム職場に勤務し、在職中肝がんで死亡したクロム製錬工(真壁清)の各臓器中の金属量は、表4<省略>に示すとおり、肺には高濃度のクロムが残存するが、肝臓は通常の約三倍のクロムが検出されている。クロム作業者の肝、腎臓中のクロム濃度は、一般人の平均値の二ないし三倍程度で、大差はない。

右のように、クロム酸塩労働者の肺中組織に滞留するクロム量は、様々であつて死亡原因とは直接関係がない(ビッドストラップ、英、一九七四年)。ベイチャーは、肺が他の組織よりクロムに対する高い親和力をもつているからではないが、それが肺がん発生の一つの原因かもしれないと述べている。

4排泄

体内に取りこまれたクロムの主要な排泄経路は、腎臓から尿中への排泄である。そのほか少量は、胆汁、消化酵素などを通じて糞便中にも排泄される。

血液中の高分子量の蛋白質と結合しているクロムは、腎臓の糸球体においても殆んど濾過されず体内に残存するが、低分子量の蛋白質やアミノ酸等の分子量の小さいものと結合し、低分子量の錯体の形で存在するクロムは、糸球体で濾過され、濾過量の約六〇%までが近位尿細管によつて再び吸収されることを示している。この場合も、体外に排出されるクロムはわずかで、右の機序をくり返しているうちに、結局三日間で約五〇%が体外に排出される(ラットに塩化クロムを静注した動物実験の結果)。しかし、人におけるクロムの生物学的半減期に関する正確なデータには限界がある。クロムの排泄は、クロム化合物の種類によつても、また同一化合物であつても、その存在様式によつて異なるといわれる。

なお、フランチーニらは、動物実験の結果、クロム作業者のクロムクリヤランスと暴露年数との間に相関があり、暴露年数の増加とともにクロムクリヤランス、即ちクロムの排泄率が高くなり、クロムクリヤランスの増加は腎皮質中のクロム量と相関している旨を報告した(伊、一九七八年)。前掲相沢は、右報告がクロムによる腎障害を示すものであるというのに対し、鷲津は、生体の適応現象(防衛機序の一環)を示すにほかならないという。

五  クロムによる身体障害

1皮膚の障害

(一) 一次刺激性接触皮膚炎及び皮膚潰瘍

可溶性の六価クロムは、酸化力による腐食作用のため強い一次刺激性を有し、皮膚や粘膜に付着すると潰瘍を生じる(一次刺激性接触皮膚炎)。クロム酸塩労働者にみられる接触皮膚炎の好発部位は、手指の関節背部のしわや爪の付根の部分、手指の背面等であるが、露出している前腕、下肢、足背、顔面、陰部等にも生じる。そして発赤、丘疹等炎症症状を呈するほか、しばしば湿疹化し、治癒は遷延する。潰瘍が治癒した後もその瘢痕が残る。とくに、皮膚にかき傷、擦過傷等の外傷がある場合には、直径二ないし八ミリメートル程度の辺縁の隆起した深い小円形の潰瘍(クロム・ホールという)ができ、疼痛は少ないが経過は緩慢であつて、これが骨膜にまで達することがあり、その場合には激痛を伴う。本件原告らの中にも皮膚潰瘍の瘢痕を有するものが多数存在する(以上の事実は当事者間に争いがない)。

また、原告らの皮膚潰瘍の瘢痕は、クロム酸塩製造作業をやめた現在においても掻痒感等があり、更に瘢痕部分から膿が出ることも多く、事情を知らない者がみると梅毒等と思われることもあり、これらの生存原告が外出する際には多大の精神的苦痛を受けている。

クロムによる皮膚潰瘍については、すでに一八二七年、最初にカミン(英)が、重クロム酸カリ溶液による作業者の手や腕のひどい潰瘍の発生を報告しているほか、一八三三年には、アメリカのボルチモアにおけるクロム酸塩製造工場で働いている作業者の手と前膊に皮膚潰瘍の起こることが報告され(Ducatel)、今世紀初めに各国から同様の多くの報告がなされ、クロム化合物と皮膚潰瘍との間の因果関係は確立されている。

相沢医師らが原告らを検診した結果、皮膚潰瘍の瘢痕が有るものは八七名中七一名(疑わしい一名を除く、約81.6%)に認められた。

(二) アレルギー性接触皮膚炎

可溶性の六価クロムは感作性を有するため、人体が一度クロムに感作されると体内に抗体ができ、再度六価クロムに暴露すると、抗原抗体反応により掻痒感を伴うアレルギー性接触皮膚炎をひき起こす(この点は当事者間に争いがない)。

三価のクロム化合物は感作性がないからアレルギー性接触皮膚炎を起こさない旨の報告(コラルスら、一九七四年)と、三価クロムにも感作性があるとの報告がある。(Morris)。クロムにとくに過敏な者では蕁麻疹様の皮疹をみることがあり、一般に皮膚パッチテストを実施してしらべることができる。原告らに皮膚パッチテストによるクロムアレルギー感作テストを行つた結果、四〇名中一六名(四〇%)が陽性であつた。

(三) 化学傷

六価のクロム化合物の高濃度溶液が皮膚に付着すると、炎症を生じ火傷様の傷害になる(この点は当事者間に争いがない)。なお鷲津は、クロム酸塩労働者がいわゆる化学傷を生ずる可能性はきわめて少ない旨述べている。

2上気道の障害

(一) 鼻の障害

(1) 鼻炎・鼻粘膜潰瘍

可溶性の六価クロムは、鼻から吸入されると、直接的に鼻腔や鼻粘膜に対して刺激作用と腐食作用を及ぼし、初めはくしやみ発作、鼻閉及び水様性鼻漏の症状が現われ、以後鼻出血を繰返して鼻腔に炎症が生じるとともに、鼻粘膜の発赤、腫脹、充血が起こり、痂皮が形成されて糜爛、潰瘍が発生する(この点は当事者間に争いがない)。

クロムによる鼻炎は、風邪などによる場合と異なり、時間の経過によつて治癒することがなく、鼻粘膜潰瘍も病変の進行がとまることはあるが、粘膜の表面が萎縮化し、繊毛がなくなつたものが元の正常な粘膜に戻ることはなく、たんに、潰瘍部分が削れた状態がいつまでも続く。鼻炎は多分に体質に関係があるとされている。

(2) 鼻中隔穿孔・鞍鼻

右のようなクロム化合物による鼻粘膜の炎症や潰瘍が継続すると、鼻中隔(左右の鼻腔をわけている隔壁)の軟骨膜が消失して軟骨が露出し、鼻中隔の前下部(キーゼルバッハ部位)に小さな穿孔が生じ、左右の鼻腔が一部でつながる(鼻中隔穿孔)。クロム化合物の被暴が継続するとこれが次第に拡大して、鼻中隔のほぼ全域から更に鼻中隔骨部に及ぶことがあり、まれには鼻背軟骨の変形を生じ、鞍形に落ちて顔面の醜形を呈する(鞍鼻)。鼻中隔穿孔は、クロム酸塩作業に従事したもののうち、早いものは就業後一、二か月で発生する。生存原告のうち多数の者に鼻中隔穿孔があり、鞍鼻になつているものも二名いる(以上の事実は当事者間に争いがない)。

この鼻中隔穿孔は、無自覚のうちにまた疼痛を伴いつつ起こる。すでに一九〇二年にイングランドで、一七六名のクロム作業中七二%のものが鼻中隔穿孔になり、一二%のものに鼻中隔潰瘍を起こしていたことが報告されている(Legge)。また一九五五年には、Viglianiらが0.11〜0.15mg/m3の濃度のクロム酸塩及びクロム酸に暴露した作業者中に、鼻中隔穿孔が見出された旨報告し、CrO3の許容濃度は0.05mg/m3以下であるべきだと述べていることは、さきに認定したとおりである。

被告会社のクロム酸塩製造作業に従事していた労働者について調査した結果は、すでに述べた昭和三年の小此木らの調査(鼻中隔穿孔五五%)、同二八年の堀内らの調査(同四〇%)、同三二年の鈴木らの調査(同37.3%)のほか同五一年の浅賀らの調査(二三六名中鼻中隔穿孔一一三例、47.8%)、同五四年の水谷の調査(生存原告ら八五名中同五四名、63.52%内鞍鼻二名)があり、被告工場における鼻中隔穿孔の発生率は、きわめて高い。浅賀らは、作業年数と鼻中隔穿孔の有無との相関を求めたところ、その有意性を認めた旨を報告している。また水谷らは、戦前に就労を開始したものを一群とし、戦後被告工場において環境対策が実施される以前の一九五八年までに就労を開始したものを二群とし、一九五九年以降のものを三群に分け、一群、二群においては、クロム取り扱い年数の短いものでも鼻中隔穿孔が高率に発生し、穿孔の大きさも直径二〇mm以上のものが二七人(三一%)に及ぶことを実証した。

鼻中隔の潰瘍に、穿孔や皮膚潰瘍の瘢痕は、最も典型的なクロム酸塩の作用による形態学的損傷であり、穿孔が自然に治癒したとの報告はない。

ベイチャーは、鼻中隔穿孔の存在自体は、肺がん発生の確率がより大きいことを示すものではない旨述べているが、ヒューパー(久保田補筆)は、クロムによる鼻中隔潰瘍・穿孔をじん肺とともに、前がん性の徴候として挙げている。また、ゾーベル(一九七九年、独)も、「クロム酸塩労働者の鼻中隔穿孔が殆んど(気管支がんの)病理の金言として述べられねばならない。鼻中隔穿孔は鼻咽頭の気道上にかなりのクロム酸塩を吸入したことを示すものであり、又それによつて、気管支肺部域にもまた損傷を与えているに違いないのである」と述べており、佐野もこれを引用して同様に供述している。

なお、マックルとグレゴリウス(一九四八年、米)は、「クロム酸塩暴露が、しばしば鼻中隔穿孔をもたらすことは常識である。したがつて、罹患率と最初に仕事についた時から鼻中隔穿孔出現までの期間は、分析データが得られない年月についての暴露量の激しさの概算に役に立つと考えられた」旨述べている。

(3) 慢性副鼻腔炎

<証拠>によると、次の事実が認められる。

クロム化合物により鼻腔内粘膜に障害が生じると、二次的に副鼻腔に慢性的な炎症が生じる。この場合、副鼻腔内に膿がたまることが多いため、一般には蓄膿症と呼ばれるが、膿がたまるほか、水様性鼻漏や副鼻腔内の腫脹の場合もあり治療は困難である。また手術をしても完全には治らず、かなりの苦痛を伴う。原告らの中には慢性副鼻腔炎を併発しているものが多く、手術したものもいる。慢性副鼻腔炎は多分に体質と関係がある旨述べられている。

(4) 嗅覚障害

六価のクロム化合物を取扱う者には嗅覚障害が発生することがある(この点は当事者間に争いがない)。<証拠>によると、次の事実が認められる。

嗅覚障害は、クロム化合物に起因する鼻腔の炎症から二次的に嗅域及び鼻腔内の嗅粘膜がおかされることにより生ずるものである。嗅覚障害と鼻中隔穿孔の有無、大きさとの間には相関関係が認められる。しかし、穿孔があれば必ず嗅覚障害があるわけではなく、また穿孔がなくとも嗅覚障害のみられる症例もある。浅賀らは、かつてクロム酸塩作業に従事したもの二三六名について、T&Tオルファクトメーターにより嗅力検査をした結果、嗅覚脱失(Anosmie)六〇名、嗅覚減退(Hyposmie)一一九名を認めた旨を報告している。またクロム作業者の経験年数と嗅覚についてみると、年数が増えるに従つて、嗅覚障害を呈するものが多い傾向にあつた。嗅粘膜は神経の一部であるため、一度障害をうけると再生されることは殆んどなく、嗅覚障害を治癒させることは困難である。嗅覚は人間のいわゆる五感の一つであり、これに障害をうけると、ガス漏れ等を感知できないなど、生命に危険な状態がひき起こされるのみならず、腐敗したものを食べたり、焦げる嗅いに気付かなかつたり、香りを楽しむことができなくなるなど、日常生活や職業上においても重大な不便を強いられる。

もつとも<証拠>によると、オルファクトメーターによる嗅覚障害の診断方法自体、自覚的検査であり、被検者の主観的意思の入る余地があること(本件においては、或程度医師の方でチェックされている)、嗅覚は、本人の体質(血行状態)、年令、栄養、その他生活環境により個人差が大きいこと、嗅力は年令とともに低下することが認められる。

なお、労働省は、鼻中隔穿孔にかかる障害補償について、嗅覚脱失又は鼻呼吸困難があるものを第一二級に、嗅覚減退があるものを第一四級に分類し、嗅覚脱失の有無については、医師のアリナミン静脈注射による検査所見により確認のうえ取扱うこととし、本件原告らの中にはすでに前記障害等級により労災認定を受けているものがいる。

(二) 咽喉頭の障害

六価のクロム化合物が口及び鼻から吸入されると、上気道の粘膜を刺激し、慢性の咽頭炎、喉頭炎、喉頭うつ血、上気道のポリープ等の症状を発生させる。原告の中には、軟口蓋、硬口蓋の瘢痕、糜爛のあるものがあり、喉頭蓋の形態異常が半数以上いる。また喉頭部の痛み、痰による日常的不快感を訴えるものが多いが、水谷は、喫煙グループとの対比で有意な差はないので、煙草による影響は認められないという。

もつとも、<証拠>によると、咽喉頭炎も感冒など種々の刺激や原因で起こるとされている。

(三) 原告らの所見

<証拠>により昭和五〇年から五年間の検診結果を総合すると、生存原告らに対する鼻腔所見、咽喉頭所見は、次のとおりである。

検診を受けたもの九二名中

鼻中隔穿孔  五七名 (六二%)

鼻炎  九〇名 (九七%)

嗅覚脱失  二八名 (三〇%)

嗅覚減退  三〇名 (三三%)

慢性副鼻腔炎 七四名 (八〇%)

上咽頭炎  四五名 (四九%)

咽頭炎  五二名 (五七%)

喉頭炎  五六名 (六一%)

但し、クロムとの起因性について疑いがあるもの若干名を含む。

3気管及び肺の障害

(一) じん肺症・肺機能障害

じん肺とは、「粉塵の吸入によつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とし、これに気道の慢性炎症性変化、気腫性変化を伴つた疾病をいい、一般に不可逆性のものである」

(昭和五三年四月二八日労働省労働基準局長通達) 佐野の臨床病理学的定義によれば、じん肺とは、「不溶、難溶の粉塵の吸入によつて胸部エックス線写真に粒状、線状、不整形など各種の異常陰影が現われ、進行に伴つて肺機能障害をおこし、肺性心にまでいたる。剖検すると粉塵性線維化巣、気管支炎、肺気腫をみとめ、血管変化を伴う肺疾患である」とされる。

大気中に浮遊する粒子の小さい不溶性のクロム化合物が、口や鼻から吸入されると、肺胞に到達して付着することは前記クロムの代謝において述べたとおりである。とくにクロム酸塩労働者の場合は、吸入した六価のクロム化合物の酸化力によつて、気管や気管支の繊毛上皮が侵されて炎症をおこし、吸入されたクロム粉塵の喀出が困難になるので、きわめて多量に肺胞に付着することになる。

クロム酸塩の製造に従事していた労働者にじん肺症が発生することは、多くの医学文献において報告され、承認されている。

たとえば、マンクーソーとヒューパーは、アメリカのクロム酸塩製造工場における労働者三名の剖検例のいずれにおいても、肺にクロム粉塵が蓄積し、肺組織が線維化し、じん肺症が認められた旨報告している(一九五一年)。ベイチャーらも動物実験の報告において、クロム酸塩の粉塵を気管に投与したラットは、対照群に比して、肺炎、無気肺のほか肺線維症の発生率が、統計的に有意といえないまでも明らかに高率であつたことを示している(一九五九年。もつとも、<乙号証>及びベイチャーの供述においては、クロム酸塩労働者に肺線維症などのじん肺性変化を生ずることはない旨否定している)。

また、昭和五〇年八月被告小松川工場のクロム禍問題が重大な社会問題になつた直後、いわゆる緊急健診が実施されたが、レントゲン撮影の結果、じん肺有所見者は約四〇〇名中数名であり、原告五三名については、じん肺所見がなかつた旨、証人兼鑑定人古屋統、同勝野直周らは供述している。しかし、右緊急健診は、かつて右工場に勤務したことのある労働者の職業性肺がんを短期間に早期発見し、労働者らの不安を除去することを主目的とした検診であり、じん肺の有無を判定することが目的ではなかつたから、中央じん肺診査医の千葉医師がレントゲンフィルムを読影したからといつて、じん肺に罹患したものがいなかつたとは断定できない。

(二) 原告らの検診結果

クロム被害研究会の医師佐野、海老原らは、昭和五〇年秋、原告らを含む被告会社の元従業員八八名について、いわゆる自主検診を行つた。その結果、八一名(九二%)にX線所見上Ⅰ型又はⅡ型のじん肺を認めた。佐野は、クロムじん肺は、強い線維化はみられないが、異状線状影を主体とする陰影で、気道や肺胞の炎症性変化がきわめて強いじん肺であり、気管支系変化が著しい点を特徴として挙げられる旨述べている。

そして肺機能検査の結果、スパイログラムでは、拘束性障害6.8%、閉塞性障害9.1%、混合性障害2.3%であつた。また最大換気量では、軽度障害20.5%、中等度以上障害15.9%で、肺機能障害を示す者が高率であつた。更にフローボリューム曲線(FVC)による検査の結果では、正常者47.7%に対し、50(肺活量の五〇%を呼出した時点での呼出速度)、25(肺活量の七五%を呼出した時点での呼出速度)の、いずれか一方が標準値に達しないもの一七%、双方が標準値以下のもの35.2%であり(判定基準は一九七五年の東北大の基準による)、事務職と対比し危険率五%で有意な差があつた。フローボリューム曲線の型は、慢性気管支炎型が27.3%、肺気腫型が2.3%であつた。また、著しい肺機能障害があると判定されるパーセント肺活量や一秒率の常異者も若干名いた。じん肺による労災の障害基準によると、心肺機能に中等度又は軽度の障害があり、X線写真の像がⅡ型のものは第一、一級に該当する。じん肺法は、X線写真の像がⅠ型ないしⅣ型で、じん肺による著しい肺機能の障害があるもの(25/身長mの数値が基準値未満で、呼吸困難の程度が第Ⅲ度以上のもの)は、管理四とし、要療養としている。

もつとも、フローボリュームやスパイロメトリーによる検査方法は、被検者の十分な協力が必要であり、吹き方とかその他の因子によつて影響をうけるので、検査結果について問題がある旨指摘されている。またじん肺及び肺機能障害の原因としては、大気汚染や老人性変化、喫煙の影響なども因子として考慮しなければならない。

昭和五三年に労働省がじん肺の新標準写真を作成したので、佐野は、さきの胸部レントゲン写真をこれに従つて読影し直した。そして昭和五四年一一月、同五五年一月、更に原告ら六五名についてX線直接撮影、肺機能検査を実施した結果、五〇年の検診結果と比較し、X線所見上、またフローボリューム曲線において、じん肺症、肺機能とも悪化の傾向があることが認められた。すなわち、X線所見のうえでは、四九例中二一例(四二%)が一区分以上進展し、フローボリューム曲線では、三型(慢性気管支炎型)への移行が五〇例中二八例(五六%)あつた。右は、四年間において、じん肺による病変が進展したことを示すほか、多分に原告らの高令化現象などが影響しているものと推測される。

(三) じん肺結核

じん肺の合併症として活動性肺結核を伴うものがある(じん肺結核)。クロム等の粉塵を多量に肺に吸入すると、肺の防衛機構が粉塵に対して働くため、細菌に対する抵抗力が落ちて肺結核に罹患しやすくなる。とくにじん肺結核は、肺に粉塵性の線維増殖があるため抗結核療法の効果が悪く、なり、治りにくくなつて病巣が広がりやすい。

なお、じん肺法は、じん肺の合併症として肺結核をあげ(二条一項二号)、労災補償の対象とされ、亡斉藤儀助は、じん肺結核により労災認定をうけている。

(四) 慢性気管支炎・肺炎・肺気腫・肺性心

(1) クロム酸塩の製造作業に従事したものが六価のクロム化合物の粉塵・ミスト又は蒸気を、長期間口や鼻から吸入すると、クロムの刺激作用によつて気管や気管支粘膜に炎症が生じ、咳や痰が出て呼吸機能の低下をもたらし慢性気管支炎になる。慢性気管支炎の臨床的な定義として、フレッチャーの定義が一般に多く用いられているが、それによれば、「二冬連続的に少なくとも三か月間、ほとんど毎日喀痰を伴なう慢性かつ持続性の咳嗽が存在するもの」という。更に前記のとおり吸入されたクロム粉塵のうち、直径約二ミクロン以下のものは肺胞にまで到達するため、肺胞に炎症が生じて肺炎となる。肺に粉塵が蓄積し続けると肺胞が破壊的な変化をうけ、そのためこの部分が異常に大きくなつて空気が多量に蓄積される。また自覚的には強い呼吸困難を伴うようになる(肺気腫)。

更に、じん肺、肺結核、気管支喘息、その他肺や肺血管の慢性疾患により、肺血管抵抗の増大、したがつて肺高血圧を生じ、右心室の負荷を増大させて心臓に著しい影響を及ぼし肺性心になる。一般に慢性気管支炎など呼吸器疾患の原因としては、種々の刺激や感染のほかに個体の素因も挙げられ、喫煙や大気汚染、細菌やウイルス等の原因により起こりやすいとされている。クロム酸塩作業の労働者に慢性気管支炎や肺炎などの発生率が対照群よりもきわめて高いことは、多くの疫学調査や医学文献において報告されているし、死亡労働者の剖検例においても、気管支炎、肺炎の所見が確認されている。

なお、労働省は、クロム化合物取扱作業従事労働者に発生した気管炎、慢性気管支炎、肺気腫、肺の慢性炎症、気管支肺炎等の慢性の呼吸器疾患について業務起因性を認めている(昭和五一年基発第一二四号労働基準局長通達)。

(2) 昭和五〇年秋に実施された前記自主検診の結果によると、慢性気管支炎は八八名中四三名(48.9%)であり、対照群と比べてかなり高率である。フレッチャーの基準に該当するものは六〇名(68.2%)にのぼつたが、作業年数との相関に乏しかつた。また高年令になるほど異常所見の出現頻度が高く、障害程度の強いものが多くなる傾向がみられた。

佐野は、昭和五四年一一月に、原告らを検診し、問診、聴打診、レントゲン所見及び肺機能検査の結果を総合して、慢性気管支炎の判定をしたが、他覚所見を認めたものは六五例中四〇例(六一%)に達した。佐野らは、慢性気管支炎の危険性、早期治療の必要性を強調しているが、実際には放置されている点から考えて、患者らの自覚症状がとぼしく、老人性変化その他の原因が影響しているものと思われる。

(五) 気管支喘息

気管支喘息は呼吸による空気の肺胞への出入りが障害されて発作的におこる呼吸困難のことであり、その原因の多くは抗原抗体反応によるといわれている。

六価のクロム化合物は感作性物質であり、クロムの粉塵・ミスト・蒸気を口や鼻から吸入するとアレルギー性の気管支喘息が発生することは明らかであり、内外の多くの報告例がある。なお、こうした喘息症例におけるアレルギー性起因の確定のためには、クロム暴露中止後症状が軽快するかどうかの観察が現実的であるとされている。労働省の前記通達においても、クロム化合物を含む各種製品の粉末等を吸入することによつて生じたアレルギー性の喘息について業務起因性を認めている。しかし、原告らのうち、気管支喘息又は喘息様慢性気管支炎の症状があると主張されるものについては、アレルギーをひき起こす抗原(アレルゲン)の調査をしていないので、クロムによるかどうか疑わしい。

勝野らが、被告会社の元従業員について行つた疫学調査の結果、慢性気管支炎、気管支喘息などにエクセス・リスクがなかつた旨の乙二三五号証は、未だ前記認定を左右するに足りない。

4胃腸の障害

(一) クロムの胃腸への到達

空気とともに鼻や口から吸入されたクロムのうち、気管や気管支に付着したものは粘膜上皮の繊毛運動により咽喉頭に運ばれ、その一部が唾液や痰とともに嚥下されて胃に入ることは前記クロムの代謝において述べたとおりであり、クロムに被暴した労働者の胃にクロムが到達することは明らかである。とくに被告工場内の作業場は高温のところが多く、作業も重労働であつたので、マスクを着用していると息苦しくなり、鼻呼吸のみならず口でも呼吸をするため、口から吸入されたクロム粉塵等が口内に付着し、そのまま嚥下されるものがかなりあつたことが容易に推認される。

(二) クロムの胃に対する刺激性

胃に到達したクロムのうち、六価のクロム化合物は酸化力による催炎症性、腐食性を有することは前記クロムの毒性において述べたとおりであるから、胃に炎症を起こすことが明らかである。六価のクロム化合物は、胃壁等を酸化させて炎症を起こすと、自ら還元されて三価のクロム化合物となり、十二指腸へ移動するものと解される。

被告は、可溶性の六価のクロム化合物が胃腸管内に到達した場合においても、胃液などによつて希釈され、胃腸管内の胃液や有機物等により迅速に還元されて刺激性も腐食性もない三価のクロム化合物になり、大部分は速やかに屎尿中に排泄されるので炎症をひき起こすことはない旨主張するが、クロムにより生活用水の汚染を受けた住民の健康を調査した結果、クロム含有の生活用水を飲用して下痢、腹痛など胃腸症状を訴える者が多かつた旨の症例報告がある点などに照らして、被告の主張はにわかに採用できない。

(三) 原告らの臨床所見

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

クロム被害研究会の医師相沢力らは、昭和五〇年秋、被告工場でクロム作業に従事した経験を有する原告ら八七名につき、いわゆる自主健診を行つた。右八七名の平均年令は五二歳(三〇〜八二歳)であり、平均クロム関係の作業年数は一五(一〜四〇年)、平均離職後年数は九年(一〜四二年)であつた。右健診の結果、胃潰瘍の既往のあつたものは、八七名中二三名(二六%)に達した。内訳は三〇〜三九歳が三名(一八%)、四〇〜四九歳が七名(二九%)、五〇〜五九歳が六名(三五%)、六〇〜六九歳が六名(二五%)、七〇歳以上が一名(二〇%)であつた。右のとおり、相沢らは、クロム作業に従事中、胃腸症状を訴えるものが多く、胃潰瘍の既往を有しているものが二六%の高率になり、術後胃を確認できたもの七名にのぼつていることから、右の胃潰瘍はクロム暴露による可能性があると指摘し、クロムによる胃腸障害はもはや常識である旨述べている。

なお、原告らは、クロム作業を離れてから生じた胃腸障害についてもクロム暴露と因果関係がある旨主張する。後出<甲号証>(スチェレホヴァらの論文)には、クロムとの接触を停止した後一八年間も経過した離職者の胃内に6μg/%のクロムが残存していたことから進行性の胃炎を認めることができるような記載があるけれども、相沢の供述に照らしてもにわかに措信することができない。また、膵臓腫瘍に伴つて胃が切除された疑いのある原告田中信義(No.42)についても、クロムとの因果関係を肯認できない。したがつて、離職後相当年数経過後に胃腸障害に罹患したものについては、仮りに胃潰瘍の既往があつても直ちにクロム暴露との因果関係を肯定することはできない。<反証排斥略>。

(四) 胃腸障害に関する文献報告

(1) クロムによる胃腸障害に関しては、内外の多くの文献報告がある。例えば、ジスリンらは、「職業性慢性クロム中毒の臨床」において、後記スチェレホヴァらの論文を引用し、クロム暴露により最も早く病的変化を示すのは胃であり、クロムによる胃の病変は、その病名からいえば、内因性と外因性胃炎の症状を伴なう広汎な胃炎と定義されること、高濃度のクロムが作用すると、労働者の四分の一に胃と十二指腸の潰瘍性疾患の臨床症状が現われること、その過程で頑固な痛みと軽度の症状の緩和が交替し、しばしば長期の病勢の悪化、潰瘍の穿孔の傾向があるのがその特徴であることを報告している(ソ連、一九七八年)。

(2) マンクーソーの研究(米、一九五一年)

マンクーソーは、クロム酸塩労働者から無作為抽出した九七名について、胃腸のX線撮影を行つた結果、九七名中一〇名(10.3%)に潰瘍形成(十二指腸潰瘍の者八名、胃及び十二指腸潰瘍の者二名)、六名(6.1%)に肥大性胃炎及び腫瘍一名を見出した。

右の報告の中でマンクーソーは、ヨークが胃について苦痛を訴えた臨床歴を有する、この工場の現役のクロム酸塩労働者三一名についてX線検査を行つた結果、九例の現在症状のある、或は治癒した胃潰瘍または十二指腸潰瘍と、過去の胃腸管手術の跡一例を見出した(但し、潰瘍患者四例は前述の九七名に含まれている)ことについても触れている。

そして、マンクーソーは、右クロム酸塩工場から一一〇〇フィートの近距離に位置し、右クロム酸塩労働者と人種的、社会的、経済的特徴が同一なセメント工場の従業員五四名中四一名を対照群として、胃腸についてX線検査を行つた。右セメント工場は風向によつてはクロム酸塩工場のクロムに汚染を受けるため、クロムの影響が全くないとはいいきれない対照群であるが、右四一名中、胃潰瘍、十二指腸潰瘍は各一例、胃炎は二例にすぎなかつた(但し、ベイチャーは、マンクーソーが対照群として、クロム暴露のあるセメント工場を選んだのは適切でない旨述べている)。

更にマンクーソーは、現在及び過去両方のクロム酸塩労働者が、食欲の欠如、悪心、悪臭便及び顕著な疲労を伴う体重減少をしばしば訴えていたこと、クロム酸塩工場を辞めたあと、一〇〜四五ポンドの体重増加をみることは稀なことではなかつたこと、胃腸の病変が従前から存在していたものにおいては、クロム酸塩工場に雇用されている間に、はつきり悪化したことを示したこと、その他胃腸の不調の訴えが異常に頻繁であつたことなどを指摘している。

以上の事実から、マンクーソーは結論として、クロム酸塩工場の労働者はクロム酸塩を摂取したことにより、胃腸管に炎症性、潰瘍性変化をうけやすくなつていると思われる旨職業上の暴露と胃腸障害との間に高度の蓋然性があることを報告している。

(3) スチェレホヴァらの研究(ソ連、一九七八年)

スチェレホヴァらは、クロム化合物の生産に従事する労働者九〇名を次の三グループにわけて、胃の機能について詳細な調査をした。

第一グループは、クロム酸の濃度が0.1mg/m3ないしそれ以下に減少した労働条件の下で、引き続き仕事を続けたもの四六名で、平均勤務期間は一九年であつた。

第二グループは、右の条件になつてから労働に従事したもの二七名で、平均勤務期間は一一年であつた。

第三グループは、高濃度の六価クロムの影響がまだあつた時期に、工場で働いていた労働者六三名中、職業病のために休業しているもの一七名、平均勤務期間は一五年であつた。

各グループ別の検討結果によれば、第一グループ四六名には、レントゲン検査により二九人に慢性胃炎、九人に胃及び十二指腸潰瘍が認められた。第二グループ二七名については、レントゲン検査の所見で潰瘍過程のもの七名が認められ、生産環境におけるクロム濃度の著しい低下にもかかわらず、労働者に胃粘膜の糜爛や、慢性の胃炎から潰瘍やポリープに至るまでの症状が生じていた。

また、第三グループ一七名については、労働をやめてクロムとの接触を断つた後においても、身体の調子がよくならず、継続的な治療にもかかわらず、上腹部の痛みがあり、消化不良性胃腸障害が続いていた。レントゲン検査では、慢性胃炎の種々の段階が確認され、五人は十二指腸潰瘍、一人は同部のポリープがあつた。

右のほか、スチェレホヴァらは、胃の病的状態として示される徴候は、クロム酸塩と接触を始めてから三ないし五年を経て出現すると指摘し、胃及び十二指腸の病理像は、クロムの職業中毒の症状と一致していると結論づけている。そして、右の結果をふまえ、クロムの発がん作用に関連して、胃・十二指腸組織は、悪性疾患の発展をもたらす可能性があるので、患者に対しては公共保健指導所の監視が必要であり、また、治療処置全体の中で、胃からクロムを除却するための適応処置を施しながら、胃の定期的洗浄を実施するのが合目的的であると警告している。

(五) まとめ

以上によれば、六価クロムの粉塵等の暴露と、クロム酸塩労働者がその在職中に罹患した胃潰瘍等胃腸障害の発生との間には、相当因果関係が認められる。

なお、相沢力は、胃潰瘍の原因は多因的であり、原因を診断するのは複雑困難であり、一般に最も多いのは精神的ストレスであろう。そのため右の一般的な場合と、クロムを消化管内に燕下したことにより発生した胃潰瘍との識別は不能である旨供述している。しかし、右は相沢自身、一般論としてクロムによる胃潰瘍の識別困難性を述べたにすぎず、クロムと胃腸障害との因果関係を否定したものでないことは明らかである。

5肝臓の障害

(一) クロムの肝臓への到達

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

肝臓は人体内における最大の実質臓器で身体の代謝の中心であり、消化液である胆汁を生成し、さらに解毒排出作用を司り、また、体液・血流の調整を行うため血流が非常に多く、いわば、血液のプールの中に存在するという特徴を有している。そして肝臓は、肺からは大動脈を経由して肝動脈によつて血流を受け、消化器からは腸間膜静脈、胃の動脈血を経由し、門脈によつて血流を受ける。

したがつて、前記のとおり肺及び消化器から吸収された六価クロムは、還元された三価クロムの状態で血流によつて肝臓に到達する。さらに、消化管からはリンパ管を介し、リンパ液中に存在する三価クロムも肝臓に到達する。

原告らは、肝臓にクロムが到達する結果多量にクロムが蓄積することになる旨主張するが、クロム作業者の剖検肝臓中のクロム濃度は、一般人の平均値に比して二ないし三倍程度で、大差がないことは前記認定のとおりであるから、肝臓に到達するクロムが大量に蓄積することはありえない

(表2、3<省略>参照)。

(二) 病理所見

(1) <証拠>によれば、佐野らは、クロム酸塩作業者五例(No.11島崎喜一、No.16瀬尾理三郎、No.26真壁清、No.33畑山文治、No.34高橋元真)の肝臓について病理的検索を行つた結果、次のような三点の特徴的な病理所見が認められた旨報告している(表1<省略>参照)。

a グリソン氏鞘周囲の線維増殖

肝臓組織の肝細胞を支持する組織で、中に肝動脈、門脈、胆管が通つているグリソン氏鞘には、右五例中高橋元真を除く四例に強い線維増殖がみられた。高橋については、GOT、GPT、r―GPTがわずかに高く、剖検では肝細胞に脂肪変性が起こつて肝細胞中に脂肪がたまる脂肪肝の状態が肝臓全面に出ており、アルコールによる影響が十分に考えられた。

b 肝細胞索の解離

肝細胞は通常放射状に整然と並んでおり、肝細胞索と呼ばれているが、右五例中、島崎と瀬尾の肝細胞は萎縮変性して肝細胞索が細くなり、肝細胞との間が著明に解離している所見がみられた。

c クツファーの星細胞の動員(増加)

クツファーの星細胞とは、肝臓に炎症がある場合にそれを防御するための細胞であるが、軽度ないし中等度に増加している所見がみられた。

佐野、海老原らは、こうした肝病変は、長い間作用しつづけたクロム等の重金属によつて発生し、長期間持続した、主に肝内細胆管系の障害を中心とした中毒性肝炎によつて形成された一種の肝硬変であり、エミッションスペクトログラフによる重金属分析によれば、Cr、Ni、Mh、V、Co、時にBeなどが過剰に存在する。これらの重金属の細胞毒性からすれば、肝臓にみられる慢性の細胞の変性機転とその結果である線維増殖は、これら重金属の協同作用によるものと考えられる、という。

(2) 竹本和夫らは、被告会社のクロム酸塩労働者肺がん五例(剖検例2例、手術例3例)について、病理組織学的所見と肺内重金属量を原子吸光法により分析した。その結果、肺においては、きわめて高濃度のクロム含有量がみられたが、肺以外の臓器、肝・腎・脾などについては、クロム量も一般剖検例に比べると、肺ほど差がなく、また病理組織学的に見てクロムによる慢性疾患の病変はみられないこと、なお、クロムは他の金属よりも肺内滞留性が強く、可溶性の六価クロムも肺内では不溶性のもの(恐らく三価)となり、肺内に沈着して、この機点が肺がん発生と何らかの関係をもつものと推定される旨の報告をした。

そこで、日本産業衛生学会(第五一回、一九七八年)において、クロムによる肺がん以外の他臓器の慢性病変の判定について、佐野との間で、その慢性病変がクロムに起因するかどうかで論争があつた。

(三) 臨床所見

<証拠>によると、次の事実が認められる。

昭和五〇年一〇月から同五二年一一月まで四回(内一回は精密検査)にわたり、クロム被害研究会の医師らが原告ら八七名についていわゆる自主検診を行つた。肝機能検査としては、GOT、GPT、アルカリフォスファターゼ(Al―P)、r―GTP、LDH、ZTT等多項目の血清化学検査を実施し、精密検査では更にビリルビン、LAP、ICGクリアランス等の検査を追加して行つたが、その結果について次のとおり報告している。

肝細胞の酵素の変化を調べるGOT、GPT、及び胆汁のうつ滞があるときに異常値を示しやすいアルカリフォスファターゼ(Al―P)について、軽度に上昇しているものが多く、また肝臓の解毒機能等を調べるICGクリアランスの異常者もみられた。

肝機能検査の結果、異常値が出たものは、右八七名中三六名(四一%)にのぼり、その内訳は、三〇〜三九歳が四名(二四%)、四〇〜四九歳が一四名(五八%)、五〇〜五九歳が六名(三五%)、六〇〜六九歳が一〇名(四二%)、七〇歳以上が二名(四〇%)であり、血清蛋白を除いて、すべての項目について異常値出現率が高く、他の比較対照群よりも高率であつた。検診においては、OMI(岡山メディカルインデックス)を基礎とした問診票を作成し、医師により職歴、既往歴等を問診し、聴打診等のうえ、右肝機能検査結果を総合して、相沢は、右三六名について肝機能障害が有るものと診断した。また、肝機能障害の発現率は、鼻中隔穿孔(P)の有無と相関しないが、FVC異常群では有意に高く(危険率一%以下)、強いじん肺X線所見を示す者の割合は、肝障害群で高い傾向がみられた。相沢らは、殆んど全員について多少とも飲酒の習慣がみられたが、他に肝障害の原因が考えられないし、病理所見と肝機能検査の結果とも一致し、クロム障害としての呼吸器異常との相関がみられたことは、この肝障害が慢性のクロム障害であることを強く示唆するものと考えられる旨報告している。

勝野らは、被告小松川工場や西淀川工場において、かつてクロムの製造作業に従事したものの肝機能検査の成績を調査し、異常値出現率において比較対照群との間に有意差はなく、肝障害のものはいなかつた旨供述している。

しかし、血清生化学検査は、数ミリリットルの血液から微量物質の量、酵素の働きなどを測定し、診断、経過観察の一助としようとするものであるが、検査機関、検査技術による誤差がありとくに一回だけの検査成績で直ちに肝機能障害の有無を判定するのは疑わしい場合が多いといわれるので、右検査結果と本件原告らの検査結果とを比較検討すること自体正しい結論を導くものとはいえない。この点は、腎機能検査についても同様と考える。

そして、GOT、GPT等肝機能検査の結果は、肝臓炎症のバロメーターであつても、その数値の評価は難しい検査の一つであるとされ、肝機能検査により異常値が出たからといつて、直ちに肝機能障害有りと診断できるかどうかきわめて疑わしい。ところで、原告らにおいて肝障害について自覚症状を訴えたり、医師の治療を受けているものは殆んどいない。一般に肝障害の臨床所見は顕在化しにくいものではあるが、右の診断結果から、原告らにクロムによる肝障害があるものとはにわかに断定できない。

(四) 肝障害に関する文献報告

(1) エトマノーヴァの報告(ソ連、一九六四年)

エトマノーヴァは、クロム化合物生産労働者のうち、年令が二〇〜四〇歳、経験年数一〜一〇年の一七五人について、血中ビリルビン等肝機能検査等の結果、肝肥大と肝障害が三三人において認められ、進行した肝障害を示すプロトロンビン時間の延長が被検者六六人中一六人にみられた旨報告している。

しかし、ベイチャーが指摘しているとおりエトマノーヴァ自身、「個々の肝機能検査は同一人が常に相似した結果を示したものではない」と述べており、右報告には、労働者の検査値及び比較に用いた標準値が示されていないし、暴露に関するデータも不明な点などから、この報告書は、クロム酸塩労働者に肝障害があるとする証拠として受入れることはできないと批判し、ヘイズの報告、USPHSの研究では、クロム酸塩労働者の消化器疾患は、一般市民に比しても、他の工業に比しても、ほぼ同率である旨述べている(ベイチャー「クロム化学薬品の健康上の影響」、一九七九年)。

(2) パスカルの報告(米、一九五二年)

パスカルは、クロムメッキ工場の従業員に黄疸の患者一人を発見し、当該患者と同僚四人の全員について肝機能検査を行い、四人について肝生検をも実施した。

その結果、肝生検では、二人について明白な異常を、他の二人には軽度の異常を認め、中毒性肝炎でみられる組織学的変化に類似の変化であるとし、肝機能検査においては、軽度ないし中程度の障害が認められた旨報告している。

しかし、パスカルの右報告も、ベイチャーが前記論文で指摘しているように、クロムメッキ工に関するものであつて、クロム酸塩労働者に関するものではなく、メッキ工場においては、塩素化炭化水素脱脂剤など他の化学薬品の暴露による影響を考慮しなければならないことは前記のとおりであるところ、パスカルの述べているような型の肝障害がこの種の化学薬品の特徴をなす旨指摘されているので、この報告をそのまま本件のクロム酸塩労働者にあてはめることはできない。

(3) その他の文献報告

その他の文献報告としては、鈴木俊次の家兎に対するクロムメッキのガス吸入実験による病理所見の報告(一九三二年)があるが、この実験もメッキガスを二日間、延三時間にわたつて家兎に大量暴露した実験であるため、本件には適切でない。

館正知ら(一九六一年)は、クロム精錬加工作業に従事する労働者の尿中ウロビリノーゲンを検査して、陽性者が62.4%にのぼつたことから、看過できぬ数値である旨の報告をしているが、右は直ちにクロムとの結びつきを断定しているものではない。

また、ジスリンら(ソ連、一九七八年)は、肝臓もクロムの標的となる器官であるとし、その病変も段階的に現われ、許容濃度を二〜八倍超えるクロムを一〇〜一五年間接触すると、肝臓の解毒、蛋白合成機能等が障害され、後には色素機能が障害され、普通は、胃炎の自覚症状よりも先に現われる。クロムによる肝炎は持続的で比較的良性ではあるが、作業を続けていると生体内に侵入し、特にアルカリフォスファターゼ等の中等度の活性上昇が起きるが、この段階では、肝硬変や肝腫までには達しない慢性の活動性肝炎(国際分類、一九七四年)に入れることができる旨述べている。

右のアルカリフォスファターゼの上昇については、相沢、海老原らも指摘しているところであるが、本件では、ジスリンらが報告しているような、胃炎の自覚症状より先に現われるという肝臓の障害は、肝機能検査の結果以外顕著に出現していない。

(五) まとめ

以上みたところからすると、肝臓は、大量の血流を有する臓器であるが、血液中に酸化力のある六価クロムが存在するものとは認められず、文献上もクロム酸塩労働者に特有の肝臓障害を明確に指摘するものはきわめて乏しい。

相沢らの肝臓機能検査等による臨床所見及び佐野、海老原らの病理所見によるも、未だ原告らにクロムに起因する肝障害があるものとは断定できない。

6腎臓の障害

(一) クロムの腎臓への到達

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

腎臓は代謝終産物(老廃物)の排泄器官であるとともに、体液や電解質の調節、血圧調節等の重要な働きをしており、心臓の血流の五分の一ないし四分の一が流れる。腎臓の血流は、肺から大動脈を経由し、腎動脈によつて到達する。したがつて、肺で吸収された六価クロムは、血流中で還元され、三価クロムの形で腎臓に到達するものと考えられる。

ところで原告らは、腎臓が常にクロムにさらされている結果、腎臓にはクロムが蓄積することになる旨主張しているが、クロム作業者の腎臓(剖検例)におけるクロム濃度は非取扱者の平均値の二ないし三倍程度で、肺ほど差のないことは前記認定のとおりであるから、この点に関する原告の主張はにわかに採用できない(表2、3<省略>参照)。

(二) 病理所見

(1) <証拠>及び佐野辰雄、海老原勇の各供述によると、佐野、海老原らはクロム酸塩作業者三例、クロムメッキ作業者二例の剖検例をしらべた結果、腎臓について次のような共通の病理所見が認められた旨の報告をしている(表1<省略>参照)。

腎臓は、通常一一〇ないし一二〇グラムの重さであるところ、右五例については二倍近くの二〇〇グラム前後に大きくなつており、腎臓の腫大が認められた。また腎臓は、血液の濾過装置である腎小体と、これに引続いて濾過液から生体にとつて有用な物質を回収するための尿細管からなつているが、病変の主なものとして、近位(主部)尿細管の上皮の変性が認められた。この上皮細胞の核は全面的に萎縮・消失し、或はグリコーゲン変性に陥つていて空胞状のものがみられる。細胞質も強い硝子滴変性におちいり、変化の強いものでは、上皮細胞は基底膜から脱落したり、腫脹して管腔を閉塞する所見があつた。

更に、腎小体は、濾過される血液を通す糸球体と、ここから出てきた濾液を尿細管に送るために受ける部分とからなる。壊死部のボウマン氏嚢は反応性に増殖する像もみられた。糸球体の変化は、近位尿細管ほど著明ではないが、広範に腫大し、核が増え(富核)、メザンギム(毛細血管の網を支える支持組織)の上皮細胞の増殖などがあつて、糸球体の炎症が認められた。

佐野らは、以上の病理所見を要約して、クロム作業者の腎臓には、近位尿細管の強い変性、軽度の糸球体炎、糸球体の液化壊死の像がみられたと報告している。なお、腎臓においてもCr、Co、Ni、Beなどの発がん物質やMn、Vなどの催炎症性物質が相当量検出されている(表3<省略>参照)ことから腎における発がんの可能性が高いことを示唆している旨述べている。

もつとも、鷲津は、右の病理所見は、抗がん剤などの薬品により、或はがん末期の悪疫質によつて病理変化が起こつた可能性が大きく、糸球体の液化壊死については、佐野、海老原以外は一般に認められていない旨供述している。

(2) 竹本らは、前記「クロムと肺疾患、肺がんの研究(Ⅲ)―肺がん例のクロム含有量」において、被告会社の元クロム酸塩労働者の剖検結果から、肺以外の臓器には、病理組織学的に見て著変はみられなかつた旨報告し、学会において、佐野との間で、他臓器の慢性病変(腎)がクロムに起因するかどうかについて論争した。

(三) 臨床所見

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

前記のとおり昭和五〇年一〇月から同五二年一一月まで四回にわたり(内一回は精密検査)、クロム被害研究会の医師らが被告工場で作業をした経験を有する原告ら八七名についていわゆる自主検診を行つた。そして、腎機能検査としては、尿一般(尿蛋白、糖ウロビリノーゲン、潜血反応)の試験、血液生化学はBUN、クレアチニン、尿酸の検査、二四時間クレアチニンクリアランスなどを、精密検査としてPSP、フィッシュバーグ濃縮テストを行つた。

その結果、腎機能検査における異常値が認められたもののうち、三四名(三九%)について、相沢は腎障害が有るものと診断した。その内訳は、三〇〜三九歳五名(二九%)、四〇〜四九歳八名(三三%)、五〇〜五九歳八名(四七%)、六〇〜六九歳九名(三八%)、七〇歳以上四名(八〇%)であつた。また、右三四名中一四名に蛋白尿が認められ、PSP、フィッシュバーグ濃縮試験の異常者もあつたが、とくにクレアチニンクリアランスの値が七〇mg/min以下の異常者は八五名中三一名(36.5%)に達し、対照群である事務職及び金属職に比較して六〜七倍以上の出現率を示した旨、海老原は報告している。また海老原らは、病理所見上の近位尿細管の病変と右臨床所見とも一致する旨述べている。

しかし、腎機能検査の結果についても、肝機能検査におけると同様、検査機関、検査方法によりかなりの誤差があるので、一、二回異常値が出たからといつて直ちに腎障害があるものとはいえないし、また腎障害の一般的原因も多様であるので、仮に腎障害があつても、クロムに起因するものと断定するのは困難である。

なお、相沢が昭和五三年九月、原告らのうち腎障害有りと診断した二九名のうち、一名は慢性腎不全(透析中)、三名は糖尿病、二名は肺結核であり、ほかに糖尿病に罹つているものが二名いた。

(四) 腎障害に関する文献報告

(1) 武谷凱三の報告(一九二五年)

武谷は、「クローム」腎炎の場合の腎上皮抵抗に関する文献が乏しいため、動物実験を試みた。武谷は家兎に対し、毎週一回体重一kgにつき一mgのクロム酸カリを、背部皮下に一〇ないし一五回注射しても、何ら尿に異常がなく体重も減少しなかつたことを確認したうえ、健康な家兎においては、尿の異常を起こさない最大量である体重一kgにつき六mgのクロム酸カリを注射したところ、クロム酸カリの注射を受けていなかつた対照群には何ら尿に変化が生じなかつたのに、前記背部皮下注射を受けていた家兎の大部分に尿所見上明らかに腎炎を認めたと述べている。そして、この実験により武谷は、微量のクロム酸カリの反復皮下注射によつて、腎の上皮細胞は絶えず刺激され、漸次疲労し、健康体では何ら異常を起こさない程度の毒物の侵入に対しても、ついに耐えられなくなり、健康腎より早く腎炎に罹患したものであると結論づけている。

しかしながら、右実験は、家兎に対する注入実験の結果、尿所見上腎炎を認めたにすぎず、同文献によれば、剖検上腎及び他の臓器には肉眼上著変を認めず、更に腎を一〇%のフォルマリン水に固定し、ヘマトキシリン、エオジン標本を作り検鏡したが、特記すべき変化を認めなかつたことを報告している。

(2) フランチーニらの報告(伊、一九七八年)

フランチーニらは、「クロムの腎毒性―実験的及び疫学的研究についての論評」において、ラット六〇匹に六%重クロム酸カリ水溶液を、多量に皮下注射する動物実験により、クロムクリアランスの増加を認め、これは腎皮質内のクロム濃度が増加し、腎障害を起こす腎臓毒であることを立証したものである旨報告している。

しかし、フランチーニらは、右研究の中で、クロムの腎毒性は尿細管上皮に対する直接的・選択的作用によるものであり、機能上の変化は、まずベータ・グルクロニダーゼと蛋白尿の増加としてあらわれるが、この変化には可逆性があり、上皮の損傷がクロムによる暴露が停止されている間に修復される可能性があること、クロム労働者群における腎機能因子は労働停止時期にはしばしば元のレベルに戻りうること、クロム中毒による急性腎障害の症例については多くの報告があるが、慢性中毒による腎障害の記載は文献上みあたらない旨述べて、このようなクロムの大量投与による動物実験をしたものである。

さきにクロムの代謝(排泄)の項で指摘したとおり、動物実験の結果をいきなり人間にあてはめることはできない。

(3) その他の文献報告

その他の文献報告としては、まず、太田文雄の報告(一九四〇年)がある。太田は、肝臓の解毒ホルモンである「ヤクリトン」が腎臓炎に効果があるか否かを調べるため動物実験をした。右実験において、太田は、重クロム酸カリが主として腎尿細管を損傷するところの腎毒物として確認されていることから、ラビットに少量の重クロム酸カリを皮下注射し、その結果腎臓炎を起こさせて、ヤクリトンの治療効果を調査したというものである。右の点から明らかなように、太田の実験目的は、ヤクリトンが重クロム酸カリによつて作り出された実験的腎臓炎に対して治療上効果があつたことを実証したものであつて、クロム暴露による慢性腎障害発生の有無とは関係がない。

また、鈴木俊次の実験報告については、肝障害の文献の項において指摘したとおり、クロムメッキガスの家兎に対する大量かつ急激な吸入実験であつて、これもまた、クロム酸塩製造作業における腎炎発生を認めるべき文献としては適切でない。

また、小此木修三が動物実験において、クロムによる腎機能障害を認めた旨の報告(一九三一年)もにわかに原告ら主張の資料にはできない。

(4) ベイチャーは、前記論文において、クロムの腎臓への作用について次のように述べている。

クロム薬品工業における疫学的研究で、腎臓疾患に関するデータを含むものは二〜三しかない。マックルとグレゴリウスは、クロム酸塩製造の五工場についての研究で、腎炎及び尿毒症による男子一〇〇〇人当りの年間死亡数を計算した。四工場には該当例がなく、一つの工場だけが対照値を超える死亡率を示した。USPHSの報告には、腎臓疾患による死亡率の記載はなかつたが、罹病率(症例数/男子一〇〇〇人)については、クロム酸塩工業での率(二症例の計算値)は0.6であり、これに対し、各種工業(四〇五症例)については0.4であり、有意差はなかつたこと、また、ヘイズによると、あるクロム酸塩工場における一九四五年から一九七七年までの腎炎及びネフローゼによる死亡は九名であり、これに対して、ボルチモア市民についての期待死亡数は4.95であつた。内八例の期待死亡数は3.18であつたから、これらの結果は統計的に有意でなかつた。テイラーも、エンターラインも、この件については何らのデータも示していない。ベイチャーは、これらの乏しいデータからクロムによる腎障害について結論を出すことは不可能である、と述べている。

(五) まとめ

以上の次第で、腎臓は重要な代謝器官であつて血流を大量に受ける臓器であるが、血液中に酸化力を有する六価クロムが存在するものとは認められないことは肝臓の場合と同様であり、文献上も前記佐野、海老原らの報告以外、クロム酸塩労働者に特有の腎障害を指摘するものは存在しない。

<証拠>によれば、元クロム作業者の腎機能検査上の異常値出現率において、またレセプト調査上腎疾患について、比較対照群との間に有意差がなかつたことが報告されている。相沢自身、原告らを三年間診た結果、肝、腎、消化管障害は慢性的、不可逆的であり、自覚症状がない旨供述しているとおり、本件原告らに腎臓疾患に関する自覚症を有するものや、腎障害について治療中のものは、殆んどない。

なお、<証拠>によると、原告花釜久芳(No.36)は、慢性腎不全により週三回人工透析を受けていることが認められるが、本件原告の中には、他に腎障害により現に治療を受けているものは殆んどいない。そして、前記認定にかかる原告花釜の勤務期間、配属工場及び作業内容に照らしても、同人のクロム暴露歴は戦後約一二年間であるので、同人がとくに大量にクロムの吸入・暴露を受けていたものとは認められない。その他原告花釜の腎不全とクロム暴露との間に因果関係を肯認するに足る確証は存しない。

してみると、前記認定のような病理所見を考慮してみても、本件原告らが、クロム暴露により腎障害を受けているものとは未だ認定できない。

7心臓管系の障害

(一) 原告らは、クロムがクロム酸塩労働者の血管壁の細胞に障害を与え、高血圧、心臓変形、脳出血等の疾病をひき起こす旨主張する。

しかしながら、血管の中の血液は、酸化力による刺激性のある六価クロムではなく、それが還元された三価の状態で存在していると考えられることは前記認定のとおりである。

(二) テイラー(米)は、アメリカの一八九〇年以降に生まれた男性のクロム酸塩労働者について、年令別及び累計クロム作業年数別にコーホート(群)を作り、死亡率、生存率等について、アメリカの一般市民男性を対照群として疫学調査を行つた(一九六六年)。その結果、各年令層において、心臓血管系の疾病による死亡率は、クロム酸塩の作業歴が増すに従つて、呼吸器系のがんほどに顕著ではないが増加する傾向が明らかであり、やや高率であつたと報告している。ところが、テイラーは、右の疫学調査の中で、心臓血管系の疾患による全年令層における期待死亡数は99.468であるのに対し、クロム酸塩労働者の実際の死亡数は八九で、SMR(標準化死率比)は0.89にすぎず、対照群に比べて死亡率が低いことを示している。

(三) ベイチャーは、前記論文において、クロムの盾環器系への作用として、次のとおり述べている。

USPHSのクロム酸塩についての研究によると、心臓疾患または血圧と就業年数との間には相関関係はなかつた。ヘイズは、クロム酸塩労働者の循環器系疾患のSMRの値は、ボルチモア市民の率を対照にとって計算すると、0.70となり、米国民の率を対照にとると0.76となると報告している。

エンターラインも循環器疾患についてのSMRの値は、1.00以下であることを見いだした。したがつて、クロム酸塩薬品への暴露がもとで循環器障害が起こるという論拠はないと思われる、旨述べている。

(四) 昭和五〇年秋、クロム被害研究会の医師が原告ら八七名を対象として検診した際の心電図異常者は四〇名(四六%)であつた。そのうち五五%がhigh voltage又は左室肥大であるが、ST、Tの変化を持つものは12.5%、刺激伝導系に異常のあるものは二五%であつた。

また昭和五四年一一月二五日、佐野は、原告六五名についてじん肺等の検診を行つたところ、X線所見上二七名(41.5%)のものに心臓変形(CO)の異常が認められた旨述べている。しかし右佐野は、心臓変形は注意すべき所見ではあるが、直ちにクロム暴露との因果関係が認められるものではないこと、更に関口七之助(No.17)の死因に関連して、脳出血をクロム暴露と直接関係づけることはできないが、クロムその他の重金属の影響を否定することはできない旨述べ、クロム作業者は脳出血の危険性が大きく、ソ連の論文(ジスリンら)は、クロムによる心臓血管系障害のリスクを読みとらせる旨述べているが、右供述部分はにわかに採用できない。

また、佐野は、クロム酸塩労働者の剖検例では、大動脈や心臓、脳の神経繊維にもクロムが過剰に蓄積していることが証明されている旨供述するが、<甲号証>(ヒューパー「クロム」、米、一九六六年)表46<省略>のクロム酸塩労働者の組織中のクロム濃度は、肺や気管支リンパ腺のクロム濃度と比較の対照になり得ないほど微量であつて採るに足りない。

(五) ところで、一般に高血圧症の原因としては、遺伝、寒冷、食塩の多い食餌などの他、種々の点が誘因となり、心臓の変化は高血圧などにより起こるとされ、さらに脳出血は、年令による影響が最も大きく、とくに五〇歳を超える人に多く、高血圧、糖尿病、飲酒などの間接原因や、遺伝的素因も重要視される。

本件被害者のうち右関口七之助、亡森永武盛が脳出血のため死亡したのも、高血圧症等によるものと推認され、クロムに起因する心臓血管系障害とはにわかに認めがたい。

なお、<証拠>によると、佐藤らが、疫学調査を行つた結果、クロム酸塩労働者の心臓疾患について、期待死亡数12.955に対して観察死亡数が八であり、脳血管疾患について、期待死亡数24.951に対して観察死亡数が二四であつて、日本人一般男子と比べると、同等か、またはより少ない旨供述している。

以上検討してきたところからすると、クロム暴露によつて心臓血管系の疾患が発生するものとはにわかに認められない。

8眼の障害

可溶性の六価クロムが眼に直接付着した場合、その部位に刺激を与えて炎症を生じさせること、クロム酸塩を取扱う作業者に結膜炎、結膜充血、角膜混濁、角膜白斑、流涙症及び涙のう炎の症状が見られることがあることは当事者間に争いがない。被告は、右症状はクロム酸塩を取扱う作業者に限らず一般的に見られるものである旨主張するので、以下この点につき検討を加える。

<証拠>によれば、クロム酸塩の眼に及ぼす影響は、動物実験において刺激症状が強く、結膜、眼瞼炎症を示すことが古くから明らかにされており、人間においてもクロム酸塩の急性症状として、その強い刺激による結膜炎症状、結膜分泌量増加等は普通に見られ、時には角膜炎を示すこと、さらに慢性症状としては結膜充血、潰瘍を起こすことが認められる。

そして、<証拠>によれば、増田を含む東大病院の眼科外来医師一一名は、昭和五四年一一月から同五五年六月にかけて、本件原告二一名の眼を検診し、五名に慢性結膜炎(球結膜、眼瞼結膜の充血と時々起こる眼脂(目やに)、かゆみの症状)、三名に角膜白斑(角膜の混濁が白い状態で固定した症状)、一名に涙のう炎(眼から鼻へ抜ける涙の流れの途中に障害を起こし、涙が貯留して細菌が着くために起こる慢性の炎症)が認められた。増田らは、診断の結果、これらの眼の症状は、原告らがクロム酸塩製造作業に従事していた間における作業場の環境、作業内容からして、作業当時に眼の充血などを訴え、点眼薬を使用していたものが大勢いたこと、また作業中に化学薬品が目に入つて眼科医の治療を受けたが、視力障害のあるものがいることなどから考えて、いずれもクロムの粉塵・ミスト等に暴露したため眼の障害が発生したものである旨述べている。

なお、増田は、慢性結膜炎の罹患率は一般人において一〇%前後である旨供述し、証人兼鑑定人藤井良治も、同人の勤務する第一病院の眼科外来患者の一〇%ないし二〇%が慢性結膜炎である旨述べている。また<証拠>によれば、慢性結膜炎は罹患率が高く、その原因は多岐にわたる旨記述されている。しかし、右増田らの検診においては、原告らの作業環境等を十分検討のうえ、他に格別の原因がなかつたので、クロム暴露と慢性結膜炎との因果関係を肯定したものであることが認められる。

また、<証拠>によれば、藤井は昭和五五年八月、被告会社西淀川工場に在籍するクロム作業経験者一七名について眼の検診を実施したところ、クロム化合物による結膜、角膜、涙器の障害はなかつた旨供述している。

更に、<証拠>によれば、神吉・八木医師は、昭和五五年九月、被告会社の亀戸工場及び小松川工場に在籍するクロム作業経験者九二名について検診した結果、一名の角膜白斑を除いて、クロム化合物による眼の障害はなかつた旨供述している。しかし、前掲藤井の供述によるも、右の一名は、昭和四七年七月、右眼に無水クロム酸が入り、約一か月の加療により症状が固定したものであつて、その症状は眼前手動(広義の失明)であり、クロム暴露によることは明白であつた。

したがつて、前掲乙二四六、二四八号証の記載及び藤井の供述は、未だ、甲六四九号証及び増田の鑑定結果を覆えすに足りない。

以上検討したところによれば、クロム酸塩製造作業に従事中に発生した原告らの慢性結膜炎、角膜白斑及び涙のう炎等の眼疾患は、クロムの暴露と相当因果関係があるものというべきである。

六  クロムの発がん性

1はじめに

(一) クロム酸塩製造工場の労働者に発生する肺がんに関する最初の症例報告は、一九三二年にレーマン(独)によつてなされた二例がある。この二例は、ドイツのクロム酸塩製造工場で働いていた労働者が一九一一年と一二年に、続いて肺がんで死亡したものである。工場医プファイルは当時としてはまだ珍らしかつた肺がんの患者を二例続いて診断し、二例とも働き盛りの年令で、しかもクロム酸塩を取扱う同じ工場の労働者であつたことから、職業性肺がんの疑いをもつた(一九一一年(明治四四年)ドイツにおいてクロム酸塩製造工場の労働者に肺がんが発生したとの症例報告のあつたことは当事者間に争いがない)。ところが、この症例を鑑定したレーマン自身は、当初クロムと肺がんとの因果関係について否定的であつた。しかし、一九三〇年代になつて、プファイルは、右と同じ工場で働いた経験のある労働者五名(右工場自体は一九二三年に閉鎖された)が、次々と肺がんで死亡したことを発見し、クロムによる職業病であることを確信し、一九三五年に「クロム酸塩工場における職業病としての肺腫瘍」として、これを報告した。彼はこの論文の中で、「クロム酸塩粉塵が発がん性を示すという事実は、……何か特別の発がん物質が存在するに違いない。われわれにとつて重要なのは、クロム酸塩粉塵の危険をどのように避けるのかが問題だ。」とし、クロム粉塵を吸入しないようにする衛生対策が必要であり、クロム酸塩取扱者の健康管理の中に、肺がんの早期発見のための処置を追加し、発見されたものには職業病としての補償が適用されるよう、法の改正を提言している。ドイツにおいて、作業環境の悪い時代にクロム酸塩製造工場で働いていた労働者に遅発性の(潜伏期間の長い)肺がんが発生することがあることは定説となつた。なお、当時、ドイツでは、すでに大巾にクロム酸塩製造工場の作業環境の改善を実施し、新しい工場に勤務した労働者について肺がんの発生は指摘されていない。その後アルウェンスら(独)が更にクロム酸塩労働者の肺がん症例二〇例を報告し、そして、一九三七年(昭和一二年)には、ドイツ保険当局は、公式に肺がんをクロム酸塩の粉塵暴露との関連で起こり得る職業病として認め、労災補償の対象疾患として取扱うようになつた(この点については当事者間に争いがない)。

このように、ドイツではクロムによる肺がんの職業病補償が早かつたためか、クロム酸塩労働者の肺がん発生に関する疫学的研究は殆んど行われなかつた。肺がん多発に関する統計的研究は主にアメリカなどで実施された。

(二) アメリカでは、最初に一九四六年、クロム酸塩製造工場における肺がんが訴訟の結果として認められた。そこでヒューパーの示唆に基づき、一九四八年にマックルとグレゴリウスによつて大規模な疫学調査が行われたのを始め、一九五〇年にベイチャーが、一九五一年にはマンクーソーとヒューパーが疫学的研究を発表し、一九五三年にはガファファーの指導の下にUSPHS(米国公衆衛生局)が調査を行つた。また一九六六年にはテイラーが追跡調査の結果を発表し、いずれもクロム酸塩製造工場において、肺がんがきわめて高率に発生していることを発表したが、その内容については後に考察することにする。

更にイギリスでは、一九五六年にビッドストラップとケイスがクロム暴露と肺がん発生の因果関係を認める疫学的報告をしているし、ソ連では、一九七四年にジスリンらがクロム酸塩製造工場に働く労働者について疫学調査を行い、肺がん等の多発を報告している。

(三) わが国においては、一九七三年(昭和四八年)に、渡部真也らが日本電工栗山工場で疫学調査を行い、肺がんの多発を立証し、その後昭和五〇年八月以後、被告会社小松川工場における職業性肺がんの発生と鉱滓による産業公害の問題が大きく報道されるに及んで漸く注目されるに及んだ。そして、同年八月二三日、労働省は右疫学調査に基づいて認定基準を通達し、さらに前記のとおりクロム障害に関する専門家会議を設け、急拠クロムによる健康障害全般について検討を行わせ、翌五一年一月には、右専門家会議の中間報告に基づいて、前記認定基準を改訂した。

専門家会議は中間報告の中で、各国におけるクロム酸塩製造工場において、クロム製造作業に携わる労働者には明らかに肺がんのエクセス・リスクがあること、上気道のがんについても、疫学的報告を総合評価すると、その発生の蓄然性は必ずしも低いとは考えられないこと、なお、消化器及びその他の部位のがんについては、なお検討を要するものと思われる旨報告している。

労働省はその結果、同年一月三一日付基発第一二四号をもつて、労災の認定基準を改訂し、クロム酸塩製造作業歴が四年以上の者の肺(気管及び気管支を含む)、上気道(鼻腔、副鼻腔、鼻咽腔及び喉頭をいい、上顎洞はこれらの器官に含まれる)のがんに業務起因性を認め、他臓器のがんについては、現時点ではその発生とクロム化合物の暴露との関連性が必ずしも明らかでなく、個々の事案について慎重な検討を要するという理由で、作業内容、従事期間、暴露化合物の種類、暴露の程度、症状(X線検査、病理組織学的検査、剖検等の所見を含む。)等具体的資料を添えて本省にりん伺するよう通達した。そして、<証拠>によれば、他臓器がんによる死者については、昭和五〇年に労災認定の請求をして以来五年以上も本省と協議中ということで業務上外の認定が保留されたままになつていることが認められる。

なお、被告会社の佐藤邦弘らは、本件訴訟中、一九八〇年九月に「クロム化合物の製造に従事した作業者のがん及び他の疾患に関する疫学調査」を、ベイチャーらの助言を受けて完成させ、これをアメリカの「クロム酸塩シンポジウム80」に報告した。右疫学報告では、呼吸器がんについては自ら有意差を認めたが、他臓器がんについてはこれを否定した。

(四) 以上のとおり、クロム酸塩労働者の呼吸器系がん及び他臓器がんとクロムとの因果関係については、前者についてのみこれを肯定する多くの疫学的研究及び労働省の通達がある。しかし、後者についてもクロムとの因果関係が疑われているものがあるので、以下この点をふまえて、疫学調査の成果、動物実験の報告及び遺伝毒性実験の結果等について、順次検討を加えて総括的に考察することにする。

2呼吸器系のがんに関する疫学的研究

(一) 各国の報告例

(1) マックルとグレゴリウスの報告(米、一九四八年)

マックルとグレゴリウスは、前述のように、始めてアメリカにおけるクロム酸塩製造作業に従事する労働者の呼吸器系がんについて調べた。彼らはアメリカにおける六つのクロム酸塩製造工場に勤務していた労働者のグループ生命保険の記録から死亡率を得、これを生命保険会社の産業保険契約者からのデータと比較した。一九三七年〜四七年の間における死亡総数は一九三名で、そのうち六六例(34.2%)ががんであり、更に呼吸器系がんは四二名で、総死亡の21.8%を占めた。対照群である他の工場における全がんは15.7%、呼吸器系がんはわずかに1.4%にすぎなかつた(次表<省略>)。また、五工場中三工場で口腔部分、鼻、咽頭のがんが高率の発生を示したが、症例数は少なく、比率は決定的でないとしている。

また、彼らはクロム酸塩製造工場と石油精製工場との肺がん発生率を比較し、クロム酸塩製造工の肺がん発生率は、石油精製工に比して、五〇歳以下では四〇倍、五〇歳以上では二〇倍高かつた。

このようにクロム酸塩労働者に呼吸器系のがんの死亡率が異常に高いことを見出し、クロム暴露と呼吸器系がんとの間に疫学的因果関係を認める旨の報告をした。

(2) マンクーソーの報告(米、一九四九年)

マンクーソーは、オハイオ州にあるクロム酸塩製造工場において、一九三一年〜四九年の間に一年以上作業に従事していた全労働者の記録を調査し、死亡者数と、死亡診断書に記入されている死因を確認した。その結果、死亡した三三名のうち六名(18.2%)は肺がんと診断されていた。一方、右工場のある地域に住んでいて、一九三七〜四七年の間に死亡した全男子によつて構成された対照群では、全死亡者の1.2%だけが呼吸器系のがんによるものであつた。

更にマンクーソーは、米国科学アカデミー(NAS)への私信において次のように記載している。小さなクロム酸塩工場の従業員について、引続いて調査を行い、一六〇の死亡例について次のような死因を見いだした。すなわち、呼吸器系のがん三八例、副鼻腔がん二例、鼻咽腔がん、腎臓がん、骨髄腫各一例、しかし、比較対照群のデータは入手していない。

(3) ベイチャーの報告(米、一九五〇年)

ベイチャーは、クロム酸塩製造工場の近くにあるボルチモアの病院二箇所の記録からケース・コントロール研究を行つた。一九二六年〜四六年の間に確認された肺がん患者の中に占めるクロム酸塩労働者数の比率と、対照群として選ばれた他の疾患による入院患者群のそれとを比較した結果、統計分析によれば、クロム酸塩労働者の肺がんは、比較対照群で予期された値より有意に高かつた。

なお、ベイチャーは、右報告の中で、一部のがんは、クロム酸塩に僅か四年暴露したもので起こつていること、また一部の症例では、勤務を止めてから罹患初期までの間に多くの年数が経過していることも併せ報告している。

(4) USPHS(米国公衆衛生局)の報告(一九五三年)

USPHSは、数箇所のクロム酸塩製造工場における医療共済組合の男子組合員の発病と死亡について報告している。その結果、次表<省略>に示されるように一九四〇年〜四八年の九年間において、肺がんによる死亡例はアメリカの全男子の死亡例から予想される数のほぼ二九倍であつた。

また、公衆衛生局は八九七名のクロム酸塩労働者につき臨床検査に関する報告をまとめている。平均暴露年数22.8年の一〇名は、気管支原性がんとされた。この比較的少人数で、多くの症例が見出されたことは、極端に高い発生率を表わしている、と報告している。

(5) テイラーの報告(米、一九六六年)

テイラーは、アメリカのクロム酸塩製造工場三箇所におけるクロム労働者のうち、一八九〇年以後に出生し、暴露期間の十分長い労働者をもつてコーホートを編成し(表1<省略>)、一九三七年〜六〇年の二四年間にわたり保険記録を利用して死因を追跡した(表2<省略>参照)、このコーホート全体における呼吸器がんの発生は期待値8.344に対し発生数七一であり(表3<省略>)、更に年令別、暴露期間別に調べると、平均年令52.5歳の男子グループにおける呼吸器がんによる年間死亡率は五年〜九年間暴露で人口一〇万人あたり106.2であるが、二〇年〜二四年間暴露では四〇〇〇であつたのに対し、対照群では54.61であつた。右の期間における五年間ごとの呼吸器がんについて、米国男性を比較対照として標準化死亡率比(SMR)を求めると、4から18倍の値を示した(表4、5<省略>)。

ベイチャーは、テイラーの研究は方法論に関する研究であり、彼自身、研究の目的は方法の開発であり、表自体からクロム作業従事期間と各死因との関係を推定できるものではないと述べている旨供述しているが、高い死亡率の数値が記載してあることは表自体から明らかである。なお、テイラー論文より佐野らが作図した「クロム酸塩作業者の年令別、作業年数別死亡率比」は、作図者の主観的意図が入つているので、これを採用しない。

エンターライン(米、一九七四年)は、期待値としてアメリカの数値を用いて、テイラーのデータを再計算した。その結果、クロム酸塩労働者の死亡率は呼吸器疾患について高く、特に呼吸器がんでは九倍となつていること、呼吸器がん死亡は全死亡の二八%を占めていることを報告した。

(6) ヒューパーの報告(米、一九六六年)

ヒューパーは、アメリカの中部大西洋岸の州で雇われていた一五四名のクロム酸塩製造工の前歴を有するものについて分析した結果、次のことを見出した。一五四名の労働者は、クロム酸塩の製造に少なくとも六か月従事し、この調査の四年前には右工場を去つていた。一五四名のうち死亡したものは二〇名であり、そのうち、四名は肺がんにより、一名は上顎洞がん、一名は結腸がん、そして一名は白血病により死亡したものであつた。この群の呼吸器がんの死亡率が全死亡の二五%に達したことは、クロムへの暴露が長年の間止つていた後も、各人に対して呼吸器系のがんに罹患しやすい傾向が持続していたことを、明らかに示していると報告している。

(7) ビッドストラップとケイスの報告(英、一九六五年)

ビッドストラップとケイスは、英国における三つのクロム酸塩製造工場の労働者七二三名について、一九四九年〜五五年の六年間追跡調査した。その結果、七二三人中二一七人は、その間に他の職業に転職し、クロム酸塩製造工場における労働者の定着率の悪さを示していた。

死亡者五九名のうち肺がんによる死亡は一二名であつたが(次表<省略>)、期待値は3.3であり、また右の他にも三名の肺がんの発生が認められ、肺がんによる死亡率は、期待値に対して実測値が統計的に有意に高かつた(P=0.005)ことを示した。

(8) 渡部真也らの報告(一九七五年)

渡部らは、北海道のクロム酸塩製造工場において、昭和三五年から四九年の一五年間にクロム作業年数九年以上の在籍者についてしらべた。その結果、直接工の肺がんによる死亡数は、期待値0.34に対して九名(人口一〇〇〇人あたり)であり、異常に高いとしている。

なお、渡部らは、従前になされたクロムによる肺がんの疫学調査につき、クロム酸塩製造工の死因構造の比較と、クロム酸塩製造工の肺がん死亡の相対危険度について表1、2<省略>のとおりまとめている。

本件は、まさに渡部らの右疫学調査が端緒となり、彼らの労働省に対する緊急対策の要請に基づいて、労働省が調査した結果、被告会社においても、昭和四五年以降同四九年までに八名(実際には一五名)の肺がん死亡者がいることが確認され、はじめて、わが国におけるクロムによる職業がんが大きくクローズアップされたのである。渡部らは、その後クロム暴露歴五年以上の者を含んだ疫学的検討をした結果、長期暴露群では、暴露年数が長いほど相対危険度が高まつている旨の報告をしている。

(9) ヘイズ、ヒルらの報告(米、一九七八年、一九七九年)

ベイチャーによると、アメリカにおける最も新しい疫学的研究(ヘイズ 一九七八年)では、ボルチモア市のクロム酸塩製造工場が一九五〇年に近代化を行つてからは、がんの危険性が無くなつたかどうかを調べる目的で調査された。この研究は未発表である。

また、ヒルら(一九七九年)は、右の工場についてのデータを別の方法で解析し、次の結論を出したが、この論文には、基礎となる人数が考慮されていないので、にわかに評価できない。すなわち、「クロム酸塩労働者の健康状態を過去四九年以上にわたつて追跡調査した。一九五一年と一九六一年に行われた主要な工場改善に関連して、気管支原性がん発生の報告頻度に統計的に有意な低下傾向が見られた。……一九五七年以後に雇用された従業員は一九七七年に至るまで右がんは一件も報告されていない」というのである。

(10) 佐藤邦弘らの報告(一九八〇年)

被告会社の佐藤邦弘らは、一九一八年から七五年までの間に、被告小松川工場のクロム酸塩作業に一年以上従事したことのある労働者のうち確認できたもの一〇六一名について、疫学調査した結果、次の事実が明らかになつた旨報告した。すなわち、死亡に関する疫学調査の結果、呼吸器以外の疾患については、クロム従事者にエクセス・リスクがあるとはいえないし、クロム作業年数八年未満の者については、肺がん死亡はなく、同じく八年未満の者については、呼吸器がんの観察死亡数と期待死亡数との間に有意差は認められず、いずれもエクセス・リスクがあるとはいえない。

しかし、<証拠>によると、右疫学調査に用いられた資料は、被告会社の労務課から一方的に提供を受けたものであつて、データ自体に制約があり、意図的な操作がなされた疑いもあつて、客観的にみて措信することはできない。

(二) 肺がん発生までの暴露、潜伏期間

(1) クロムと肺がん発生との間の量・反応関係はわかつていない。しかし、クロムの暴露により労働者は肺がんを発生する危険度がひどく増すが、暴露期間によりその危険度は左右される。テイラーの調査によれば、クロム酸塩製造工場における経験年数と肺がんによる死亡率との間には、一定の関係があるという。

そこで、肺がんにより死亡した本件被害者についてしらべてみると、クロムの暴露期間及び暴露開始時から発がんに至るまでの期間にはばらつきがあり、とくに暴露後長年月を経過した後に発がんした例が多く見られるため、ここで、クロムの暴露期間及びクロムに暴露してから肺がん発生に至るまでの潜伏期間について調べる。

(2) 渡部真也は、クロム肺がん患者のクロム暴露期間とがんの潜伏期間に関して内外の疫学報告から次のようにまとめている(表1<省略>)。

(3) ベイチャーは、クロム酸塩製造工場におけるクロム化合物への暴露期間別肺がん発生数について、表2<省略>のとおり報告し、この潜伏期間の長さはかなり異なるが、平均約二〇年である、といつている(一九五〇年)。

また、ベイチャーは、被暴をやめた最後の時と、がん発現の時との間には、二〇年ないし三〇年もあるということが公表されていると述べ、したがつて、クロム酸に対する被暴をやめたからといつて、明らかにそれは後の人生において肺がんが発生するのを防ぐことにはならない旨警告している(一九五六年)。

(4) 更にマンクーソーとヒューパーは、クロム酸塩製造工場における肺がんの発生例について、暴露期間、潜伏期間等に関して表3<省略>のとおり報告している(米一九五一年)。

マンクーソーは、アメリカのクロム酸塩製造工場の従業員グループ三三二人を一九七四年まで追跡調査した結果、肺がん死亡者は全がん死亡者の六二%で、二六年ないし三六年後の長い潜伏期間後に肺がんが多発している旨要約で述べている(一九七五年)。

(5) ビッドストラップとケイスは、平均潜伏期間を二一年とし、最初の暴露と発病との間の期間は、二例では一〇年以上、二例では三〇年以上であることを報告しているが、正確な平均潜伏期間を算出するには例数が少ない旨述べている。

彼らも、またベイチャーも述べているように、職業がんの特徴としてこのように長い潜伏期間がある場合には、対象となる症例数が多く、観察期間が長くなければ、はつきりした結論を出すには至らない。暴露期間はがん発生の一因子であることが窺えるが、これに対して暴露度についての比較からは、明白な結果は得られなかつた、と述べている。

(6) また、NIOSH(国立職業安全衛生研究所)の報告(米、一九七五年)では、一九三二年以前から働き始めたボルチモア市のクロム労働者は、肺がん発生前平均二四年間の暴露期間があつた旨のヒルの研究を引用し、前同様にクロムへの暴露による肺がん発生に関する長い潜伏期間を考えると、より長いデータを得るためには、少なくともさらに一〇年の観察が必要である、といつている。

(7) このように、暴露期間との相関関係を求めても、実際にクロムに暴露されていた作業環境がわからないのが一般である。更に個々の労働者についてみても、その人に対する暴露は、工程や作業の変更に伴つて常に変化するので一概にはいえない。

ちなみに、本件被害者らの勤務開始時から肺がんによる死亡までの期間は、九年以上四五年の長きにわたり一八名の平均潜伏期間は約二四年である。

(三) 喫煙等他の因子の影響

被告は、クロム酸塩労働者の肺がん多発に関する疫学報告について、肺がんの発生にはクロム以外の他の要因、とくに喫煙等の影響を無視できない旨強調するので、この点についても検討を加えておく。

(1) ビッドストラップとケイスは、「英国重クロム酸塩製造工業労働者における肺がん」において、肺がんの発生に関係する他の非職業的因子として、居住地、社会的階層、喫煙の習慣をあげ、その寄与度はわずかであると述べ、とくに喫煙の影響について、次のように記載している。調査の対象とした労働者グループを全部喫煙グループとしても、肺がん死亡率は対照群の3.6倍にもなる。したがつて、もしクロム酸塩労働者を皆ヘビースモーカーの中に入れても、その場合に期待される肺がんの増加では、われわれが実際に観察した増加を十分には説明しきれない。事実、クロム酸塩労働者の喫煙の習慣が一般の人々とさほど異なつているとも思えない。

(2) またランガードとノルセスは、「クロム」において、次のように記載している。クロム酸塩肺がんの最高発生は五〇歳から五二歳の年齢であつて、非常な愛煙家による肺がんの最高発生より約五年早い。

(3) マルトーニ(伊)の報告によれば、クロム産業労働者とヘビースモーカー(化学工場に勤務していないもので、一〇年以上一日二〇本以上、或は一五年以上一日一五本以上二〇本未満の紙巻きタバコを吸つていたもの)との喀痰細胞診の結果を比較したところ、細胞学的クラスⅢ―Ⅳ型はクロム労働者が25.9%、ヘビースモーカーが0.6%で、クロム労働者の方がはるかに細胞の異型度が高いことが判明した。

(4) さらにロイルは、「クロムメッキ工場におけるクロム酸の毒性(一)」において、次のように記述している。一九六九年から七二年まで三年余にわたり、クロムメッキ工一二三八名と対照群一二八四名について面接調査を含む詳細な疫学調査を行つた結果、がんによる死亡は合計三九名で対照群の約二倍にのぼり、五%の危険率で有意差を示した。内訳は、肺と胸膜のがんが一七例、胃腸のがんが九例、他の部位のがんが一三例であつた。ロイルは、右の疫学調査の中で喫煙については、とくに喫煙歴、煙を吸い込む習慣、喫煙の型、一日に喫う煙草の平均量についても質問をしたが、これら喫煙に関する全体的な情況は、クロムメッキ工群と対照群の両群とも同じであつたと報告している。

(5) ちなみに、昭和五〇年秋、原告らもとクロム酸塩労働者を対象として行われた自主検診の結果によると、八八名中殆んどの者に喫煙の習慣があり、二〇本〜二九本を二〇年間以上喫煙していたと答えたものが三四名(38.6%)いるが、肺がん患者五名のうち一名のみが右喫煙グループの中に入つているにすぎない。

以上の報告例からみれば、クロム酸塩労働者の肺がんの発生を考えるに際し、喫煙の要因は、クロム暴露に比較すれば無視できるほどに小さいものであることが認められる。

(6) ところで、喫煙制圧に関するWHO専門委員会の報告によると、一日に吸うタバコの本数が二〇本の場合、喫煙者の肺がんのリスクは非喫煙者の約一〇倍から二〇倍であり、その他慢性気管支炎、じん肺症の有症率が喫煙者により高いことを報告している(一九八〇年)。

(7) 土屋健三郎は、「職業とがん、特に肺がんとの関係」において、クロムと肺がんについては、危険率一%で有意差があるが、胃がん、肝がんについては有意差がない旨報告し、喫煙と肺がんとの関連については、USPHS委員会によつて調査され公式に確認されているので、肺がんの症例では、喫煙歴を調査することが重要であるとしている(一九六五年)。

(8) さらにベイチャーは、テイラー論文で、別の因子がある役割を果しているということに注意しなければならないとして、(a)人種、(b)民族的背景、(c)社会経済的状態、(d)タバコの消費などをあげている点を引用し、喫煙の因子について、喫煙は肺がんの最も重要な原因であり、上気道がんの発生に寄与すること、アメリカにおいては、肺がんの八〇%が喫煙によるものであるという相当はつきりした証拠が示されていること、実際、ある一つのがんの原因が化学薬品によるものか喫煙によるものかを決めることは、がんの形に差がないので不可能である旨供述している(ベイチャーの供述)。

(9) また、ランガードとノルセスは、「クロム酸塩顔料を製造する労働者における気管支性がん腫に関する集団別研究」において、クロム酸亜鉛製造工場に勤務する労働者に気管支性がん腫が三例発生したことに関連して、三人のうち二人の喫煙が彼等のがんの発生にどの程度まで寄与したかを判断することは難しい。この二つの異なつた発がん性被暴の効果の相互作用が考慮されねばならないと記載している。

(10) 平山雄は、肺がんの発生について、喫煙や遺伝的素因の影響が大きい旨述べている(一九七八年)。

以上のような喫煙の因子を重視する報告をもつてしても、前記クロムと肺がんに関する疫学的因果関係に関する認定をにわかに覆えすことはできない。

(四) まとめ

以上のとおり、クロム酸塩労働者の肺がん発生に関する疫学的研究は昭和二〇年代からアメリカを始め諸外国で多くの研究報告が行われ、肺がんの発生については統計的に有意差のあることが確認されているし、被告会社においても同様の疫学調査を実施している。また肺がん発生までの暴露期間、潜伏期間には巾があつて、暴露期間との相関関係については一概にいえないことは前記のとおりであり、肺がん発生についての他の非職業的因子とくに喫煙の要因は、クロム暴露に比較すれば、その寄与度はきわめてわずかであることが認められる。

次に上気道(鼻腔、副鼻腔、鼻咽腔及び喉頭)がんについてみると、上気道がん自体の発生について統計的な有意差を認めた報告例はないが、上気道がん発生の報告例に加えて、同じ呼吸器がんである肺がんについては、統計的有意差を認める多数の疫学調査があることを合わせ考えると、クロム暴露により上気道がんが発生する高度の蓋然性があり、前記のとおり、改訂された労災認定基準も上気道がんを追加して、クロムによる業務上の疾病として取り扱うように通達したことが認められる(もつとも、クロム酸塩等が、肺がん・上気道がんの原因物質であるとの疫学的報告がなされていることについては当事者間に争いがない)。

3他臓器のがんに関する疫学的研究

(一) 各国の報告例

(1) マックルとグレゴリウスの報告

マックルとグレゴリウスのアメリカにおけるクロム酸塩製造工場六箇所の調査において、男子一〇〇〇人あたりの消化管のがんによる年間死亡数をみると、全年令においては対照群(石油精製会社の男子従業員、佐野は、右従業員には各種発がん物質の被暴が考えられるため対照群として適当でなく、発がん物質への被暴がないものを対照群として選べば、さらに低い数値となることが推認される旨述べている)が0.59であるのに対して1.18であり、工場によつては、3.04、2.16の高率を示すところがあつた。これを五〇歳以下についてしらべてみると、対照群が0.28であるのに対して、クロム酸塩労働者は0.70であつた。しかし、彼らは右報告の中で肺以外の部位のがんの率には、十分説得力のある、有意な、あるいは一貫した異常はなかつた旨要約している。

(2) テイラーの報告

テイラーは、前記コーホート研究の中で、「クロム酸塩作業者の各種の死因による死亡率は、すべて作業年数が増すにしたがつて、合衆国一般市民と比較してかなり高率となつている。……心臓血管系の疾病による死亡や肺結核や肺がん以外の各種のがんによる死亡もやはり高率である」と結果を要約している。

佐野らは、テイラー論文を引用し、肺がんのみならず、他のがんもまた著明にクロム作業者が米人一般の同一年令者に比べて多いこと、心・血管病の死者もまた多いことを如実に示したものである旨述べているが、佐野らの見解はにわかに採用することができない。

(3) エンターラインの報告

エンターラインは、前記テイラーにより発表されたデータの再計算を試みた。テイラー論文では、他臓器がんの中で消化器がんについて特に論じられなかつたが、エンターラインはこれをも取りあげて調査している。それによれば、一八八九年以降に生まれ、一九三七年一月一日から一九四〇年一二月三一日までの間に就労したことのある年令二〇〜六四歳のクロム酸塩労働者一二〇〇名についての、一九六〇年一二月三一日までの追跡調査の結果、一九四一年から六〇年まで全期間の消化器がんによる死亡観察数は一六、期待数は10.4でSMRは153.8で、消化器がんにも若干期待値を上廻る死亡率があつたが、統計的に有意ではない旨回答している。

(4) テレキーの報告(独、一九三六年)

テレキーは、ある工場全体で確認された一二〇人の呼吸器がん死亡者について調査した結果、そのうち、かつてクロム酸塩製造工場で働いたことのある人は三名(2.5%)、消化器腫瘍死亡者四四人のうちでは五人(11.4%)であつた。このうち一名については作業期間等何も判らないが、他の一名は二年間クロム酸塩製造工場で働いて一三年後に死亡したものである。また三名は直接クロム作業にそれぞれ、二年、二三年九か月、二六年八か月の間従事した後に死亡した。テレキーは、調査の結果、クロム労働と肺がんの関係については明らかになつたが、消化器のがんについても、クロム労働者のがん全般についても注目しなければならないこと、更にはつきりさせるためには、クロム労働に従事した者の死亡者について剖検をすることが必要である旨報告している。

なお、アルウェンスら(独、一九三八年)は、テレキーの右消化器系に関するがんの警告に対し、アルウェンスらが観察した結果からは、クロム酸塩労働者においては肺がんのみであるといつている。

(5) ヒューパーの報告(米、一九六六年)

ヒューパーは、クロムがんの発生部位につき確認されたもの……肺・鼻腔、推測によるもの……胃・喉頭と記述したうえ、他臓器がんについて、次のとおり述べている。「多くの研究者は次の点に同意している。即ち、クロム酸塩労働者の間のがんへの過剰感受性は肺がんに限定され、クロム酸塩に暴露された他の器官(皮膚、消化管)に及ぶものではない。ただし、クロム酸塩労働者は、しばしばこれらの器官系に炎症性及び潰瘍性反応を示してはいる。テレキーは、クロム酸塩労働者の職業性がん障害は消化器系にまで及ぶかもしれないと示唆している。これまでのところ、胃及び腸の潰瘍性障害の発生だけが報告されてきた。クロム酸塩労働者における肺がんの発生が他のいかなる器官においても、がんに対するかかりやすさを低めるという見解を支持する証拠は存在していない。」。

(6) ランガードとノルセスの報告

ランガードとノルセスは、クロム酸塩顔料を製造する労働者について集団別の研究をした結果、一九五四年から五七年にかけて、四年間雇用されていた男子労働者に胃腸のがんが診断され、この症例は、臨床検査と細胞学的検査に基づいていたが、死体解剖は行われなかつたと記載している。

(7) ジスリン、テュシニヤコヴァらの研究(ソ連、一九七四年、一九七八年)

ジスリンらは、ソ連のある重クロム酸カリ製造工場に勤務する労働者の二一年間(一九五〇年〜七〇年)にわたる肺がん及び胃がんによる死亡率について調査した。その結果、肺がん及び胃がんによる死亡率は都市生活住民についてのソ連邦全体のレベルをはるかに超えていた。男性の全年令において、消化管のがんによる死亡率は隣接する都市住民のそれの二倍、胃がんは2.8倍(p=0.001)と有意に高く、六〇歳〜六九歳のグループでも消化管のがんが8.1倍、胃がんが8.5倍で危険率0.1%にて有意に高かつたと報告している。

また、彼らの最近の論文(一九七八年)では、二五年にわたる疫学研究によつて、クロム酸塩労働者の死因の中では、がんが一位を占め、都市住民のがんによる死亡率と比較し、有意な差(p<0.001)のあることがわかつた。特に最もしばしば、また早期にクロムで障害される気管支肺系と胃のがんの死亡率が、労働能力のある若年(三〇〜三九歳)において高く、更にまた性差のないところから、クロムによるがんの職業性の発生が分る、旨述べている。ベイチャーは、右論文では、いずれも調査対象群や比較対照群の大きさ、年令分布など、基礎データに関する記載がないので、疫学論文としては不備である旨批判している。

なお、前記スチェレホヴァら(ソ連、一九七六年)は、右の論文を引用して、クロム生産労働者の中に胃がん発生の頻度が上昇する事実がこのことを確認しているとし、クロム塩との接触停止後も胃災過程及びその全ての現われがクロム中毒の重症度に関連していることが明らかにされている旨報告している。

(8) ポクロフスカヤらの研究(ソ連、一九七三年)

彼らは、ソ連におけるクロム鉱山、フエロクロム合金工場及びクロム塩生産工場に働く労働者について疫学調査を行つた。その結果、男性の鉱山労働者では全部位のがんが都市住民の3.3倍(p=0.001)肺がんが一六倍、食道がんが7.7倍(いずれもp=0.05)とそれぞれ有意に高く発生することが明らかになつた。男性のフエロクロム合金工場の労働者では、がんによる全死亡例中胃がんが三七%、ついで肺がんが15.3%であつた。また五〇〜五九歳のグループで全部位のがんが3.3倍、肺がん6.6倍、食道がん2.0倍でいずれも都市住民より高く、六〇歳〜六九歳のグループでは食道がんが11.3倍と有意に(p=0.001)高かつた旨報告している。

しかし、ベイチャーが批判しているように、ポクロフスカヤらの論文は、主としてクロム鉱山、フエロクロム合金工場に関するもので、クロム酸塩工業と異なり、クロム暴露の態様が違うのみならず、フエロクロム工業には他の発がん性の高い3.4ベンツピレンや樹脂性の物質が存在するので、右の調査結果をそのまま本件のクロム酸塩労働者にあてはめることはできない。

(9) ベイチャーの報告

ベイチャーは、クロム酸塩労働者には呼吸器系以外の他臓器がんの発がんに関するエクセス・リスクがない旨供述し、消化管のがんについて、次のように述べている。

「クロム暴露労働者における数例の消化器管の悪性新生物がロイルによつて、又ランガードによつて報告されている。ロイルのデータには大きな疑問がある。ランガードは彼の結果はどのような最終結論も正当化しないと結論した。一方、ヘイズはボルチモアのクロム酸塩労働者において、がんの率がはるかに低いことを報告した。土屋は、胃がんの発生が日本の人口における発生と同様であることを見出した。マンクーソーのX線検査に基づいた報告によると、五五歳或いはそれ以上のクロム酸塩労働者中に一例の胃腸管腫瘍が見られた。マンクーソーの調査には対照グループが含まれていないので、この所見の有意性を決めることができない。したがつて、以上のデータから現時点では、クロム暴露と呼吸器系以外のがんとの関係については何ともいえない。」と結論づけている。

以上の次第で、労働者が呼吸器を通じてクロムを消化管内に吸入摂取すれば、消化管を刺激し、災症を起こすとともに、その濃度及び暴露期間によつては潰瘍形成も起こし得ることは、さきに胃腸障害のところで述べたとおりである。したがつて、肺と同様にクロムによる消化管がんの発生の可能性が推定できるが、消化管のがん自体きわめて多因的であるので、現在のところ、クロムに起因すると考えられる消化器がんに関する症例報告が少ないといえる。

(二) 疫学的研究の評価

(1) クロム酸塩労働者の呼吸器系以外の他臓器がんについては、消化管のがんについて有意差(p=0.001)を認めた旨の前記ジスリンらの報告を除いて、他に統計的な有意差を認めた報告は存在しない。したがつて、呼吸器系のがんに比べると、発がんのエクセス・リスクを認めたものはきわめて少数である。しかし、前記他臓器がんに関する症例報告を通覧すると、クロム暴露による消化管のがん発生のリスクを全く無視することはできない。

(2) 疫学的データの考察

これらの疫学的研究を評価するに際しては、ヒューパーやベイチャーも指摘しているように、調査方法それ自体に伴う制約や欠点があるため、結論のみを重視することは危険である。例えば、調査対照群の大きさが小さいか、或いは数値にふらつきが起こるような場合やよくコントロールされた比較対照群を選ばなかつたときには、はつきりした結論は言明できない。

またクロム酸塩労働者の移動率が高いので、中途退職した労働者の死亡について追跡調査を十分に行うことは不可能に近い。ヒルのコメントによれば、調査対象とされたボルチモア市のミューチュアル化学会社のごときは、専属医師の推測によると、労働者の入れ替え率が年間四〇〜五〇%もの高率にのぼつていたので、健康保険組合の組合員でないすべての被傭者や、がんが明白になる以前に工場を退職していつた労働者は全部疫学調査の分析から除外されていた(米、一九七九年)。またその疫病について信頼できる記録が保存されていることも少なく、死因が不明であつたり、死亡診断書の病名も単に病気の終末だけを記載しているかも知れないし、がんのような潜伏期間の長いものについては、昔うけた職業上の暴露と関連づけること自体困難であり、そのうえ本人や遺族は、医師からがんであることを告知されないままに終ることもある。そのために、確認された死亡者数が実数より少なくなり、がんの罹患率がかなり低目に見積られる傾向がある。

さらに疫学調査は、追跡期間が十分でないと真実と異つた結論を招くことがある。とくに、職業がんのように職業性暴露の開始と発がんまでに長い潜伏期間があるときは、きわめて長期間にわたつて観察し続けなければ、妥当な結果は得られない。

したがつて、疫学調査のインプット・データを十分に精査検討することなく、調査の結果である統計上の有意差についてのみこれを論じ、有意差がなければこれを無視するような評価をするべきではない。ベイチャー自身疫学的に有意な結果というのは決定的なものではない趣旨のことを述べている。

以上のような観点から、当裁判所は、疫学調査の結果、有意差がなくても、平均値より高率化の傾向を示しておれば、因果関係認定の一資料とするを妨げないと考えた。

4動物実験の報告

(一) 動物実験の目的と方法

六価クロムの発がん性については、すでに前項で述べたとおり、クロム酸塩労働者の職業性肺がんに関する多数の疫学的研究があり、明らかな発がん性物質といつてよいが、原告らは、主として人体組織に滞留する三価クロムについても発がん性がある旨主張するので、以下この点について考察する。

一九三〇年代に、クロム酸塩労働者に肺がんが認められて以来、いろいろなクロム化合物による動物での実験がんを起こさせる試みがされてきた。動物実験により、いかなるクロム化合物が人間にがんをもたらすか、そのメカニズムを解明する努力がされてきたが、余り成功していない。

動物実験の方法として、(a)経気道的投与法、(b)直接肺内注入法、(c)間接投与法など種々の方法がある。もつとも職業性暴露を再現させるのは吸入法であるが、これも後に指摘するように動物には粉塵などが体内に到達しにくいことや、多額の実験費用を要するため、直接気道より一定量を肺内に注入する方法などが行われている。しかし、その結果の評価については、実験動物、投与法、投与量など種々の問題がある。

(二) 報告例

(1) ヒューパーの報告(米、一九五八年)

ヒューパーは、「金属発がん性に関する実験的研究、ラットの筋組織と胸腔に貯留されたクロム鉄鉱焙焼物の発がんへの影響について」において、次のように報告している。

「羊脂肪と混合したクロム鉄鉱焙焼物(Chromium roast)をラットの胸腔内と大腿部の筋組織に包埋したところ、二年後には二五匹のうち、がん発生の時期まで生き続けたのは四匹だけであつたが、二匹に肺肉腫を合併した肺がんの発生をみた。また、三一匹のラットのうち、二九匹は最初の腫瘍発生時に生き残つていたが、三匹には大腿部に線維肉腫の発生をみた。

この観察所見は、クロム鉄鉱焙焼物が発がん性物質を含んでおり、それはおそらくクロム鉄鉱焙焼物の中にある、酸に溶解するが水に不溶性のクロム化合物であつて急性の腐食作用によつて壊死を起こすことはないが、それにさらされた組織に対して十分に強く長期にわたる作用を及ぼすクロム化合物である。

様々なクロム化合物によつて、がんを発生させるよう意図された過去の実験が失敗に帰したのは、使われた物質(金属クロム、クロム鉄鉱)から、それに暴露された組織に発がん反応が起こる程の十分量の生物学的に活性のあるクロムが遊離されなかつたためか、或はこの物質の過度の腐食作用や壊死作用によつて細胞のクロムに対するいかなる反応も妨げられてしまつたためであろう」。

(2) ヒューパーとペインの報告(米、一九六二年)

ヒューパーとペインは、「金属発がん性に関する実験的研究」において、次のような報告している。

「高度に水溶性で腐食性のクロム化合物の作用が基本的には一過性のものであるとしても、これらの化合物への中程度の暴露でもそれが繰り返えし、長期にわたつて行われるなら、これらの化合物は気道の組織に対して発がん作用をひき起こすか、或はその組織の発がんに寄与するであろう。このタイプの暴露はクロム酸塩生産工場やクロム酸を使用する工場の労働者の間でよくみられるものである。このことを研究するため、クロム酸塩労働者が受けているようなタイプの暴露にある程度似せて実験条件が作られた。ベセスダ黒系の生後三か月のラットの雄二〇匹と雌一九匹が、大腿部の筋肉と右胸腔内に、それぞれ0.05ccの一〇%ゼラチン液に溶かした二mgの重クロム酸ソーダの投与を一か月毎に受け、全部で一六回の注射を受けた。二四か月間の観察の後、生き残つてラットは殺された。

その結果、唯一の注入部にできたがんは左肺の腺がんで、心筋内にまで広がつていた。他の器管にあつたがんは、肝の細網細胞内腫二、回盲部リンパ節の円形細胞肉腫一、そして子宮体粘膜の上皮細胞がん一であつた。このようながんは、この系統の動物では実験にみられたのと同じ頻度で、自然発生的に起こるので、実験的に施された処置とは無関係であることは明らかである。

動物実験の結果から、重クロム酸ナトリウムは適当な暴露条件下で肺がんを起こすことができると結論された。このタイプのがん性反応の発生はただ一つみられただけであるが、同様のがん性反応は他のもつと強力な発がん性のあるクロム化合物を胸腔内投与したラットの肺にみられたことから上述の結論は正しいと考えられる。」

更にヒューパーらは、同論文において、三価クロム化合物の発がん性を検討するため、次のような動物実験を行い、その結果を報告している。

「二組のべセスダ黒色ラット、即ち、二五mgの酢酸クロム(三価)をゼラチンに包んで右胸腔に注入した四二匹と、もう一つは右大腿筋肉内に注入した三五匹からなる二組が使用された。一か月後同量の酢酸クロムの第二回目の注入がなされ、その後二か月毎に六回合計八回の注入がなされた。観察期間は二四か月まで延長され、最後に生き残つた動物は殺されて、それまでに死亡した動物と同じく剖検が行われた。筋肉内注入を受けたラットの筋肉組織の中に緑色の被膜におおわれた物質が見つけ出された。筋肉内に注入されたラットの中で注入場所に新生物が発生したものは一匹しかなかつた。この新生物は巨大細胞をもつた未分化紡錘細胞肉腫で、周囲筋組織へ浸潤していた。」

以上のような実験結果から、ヒューパーらは次のように論評している。

「実験の結果、中程度に水溶性のクロム塩が使われる時を最高とし、注入した場所から急速に除かれる水溶性の高い化合物(酢酸クロム、重クロム酸ナトリウム)が使われるか、或は水に不溶性か殆んど溶解しないクロムを含む物質(金属クロム、クロム酸バリウム、クロム鉄鉱石)が使われる時を最低として発がん反応の尺度を組立てることが可能である。ある特定のクロム化合物の原子価が何らか重要な或は基本的な役割を果たすとは思えない。この実験は、また腐食作用を起こさない程度に少量の水溶性の高いクロム化合物にしばしば繰り返えし暴露することもまた、接触した組織に悪性の反応をひき起こす効果があることを示している」。

(3) ラスキンらの報告(米、一九七〇年)

ラスキンらは、「肺の発がんにおける研究」において、次のように報告している。

「コレステロール担体中のクロム化合物の発がん性効果の研究が、気管支内ペレット技術を利用して完成した。研究対象の化合物は、クロム酸クロム、酸化クロム、三酸化クロム、クロム酸カルシウム及び生産工程残渣を含んでいた。ペレットは、試験物質を同量のコレステロール担体に分散させた溶融混合物から作られた。これらの研究には溶解性や原子価の異なつた物質が含まれていて、五〇〇匹以上のラットを使つて一三六週に及ぶ期間観察された。

人のがんの病理像に非常によく似た肺がんがこれらの実験で見出された。クロム酸カルシウムで八つのがんが、一〇〇匹の暴露動物に見出された。そのうち六個の扁平上皮がんは、三八六日から六七一日までに死んだ動物に見出された。これらの所見でみられた平均発がん期間は五四〇日であつた。四七四日で死んだ一匹の動物には、腎臓の転移が示された。クロム酸カルシウムで作られた腺がんは、三六六日と六〇九日に観察された。特に興味深かつたのは、クロム酸塩生産工程残渣に暴露された一匹の動物に五九四日で扁平上皮がんがみられたことであつた。この残渣は、可溶性の六価クロム化合物を含んだ中間生成物である。カルシウムは生産工程残渣中に約三%程度は存在していたかもしれない。化学物質がコレステロールで希釈されていた事実にたつて、何らかの陽性所見を見たことは注目すべきであつた。

興味ある付加的所見に、四つの肝細胞がん腫が含まれていた。一つはクロム酸クロムに暴露した一匹の動物に八七三日で見出されたものであり、右下部肺に転移がみられた。三酸化クロムに暴露した動物について二つが五七六日と六四七日で、生産工程残渣に暴露した動物に一つが六〇一日で見出された。」。

(4) ネットシャイムらの報告(米、一九七一年)

ネットシャイムらは、「クロム酸カルシウム粉塵に暴露したマウスの肺腫瘍」において、次のように報告している。

「一〇九〇匹のマウスに対し低濃度(一三mg/m3)のクロム酸カルシウム(CaCrO4)を長期間吸入暴露させる実験をした。その結果、暴露マウスは濾過空気を吸入した対照群のマウスに比べ、肺腫瘍が早期かつ高発生率で現われることを示した。」。

(5) ドヴイシュコフらの報告(ソ連、一九六七年)

ドヴイシュコフらは、「三二酸化クロムの真性腫瘍発生の性質について」において、次のように報告している。

「五〇mgの三二酸化クロム(Cr2O3)粉塵を一回だけラットの気管内に投与したところ、投与後二、三か月たつてから数匹のラットが気管支肺災、気管支拡張膿腫で死んだ。悪性腫瘍が七匹の動物に見つかつた(20.6%)。すなわち、肉腫が五匹に、汎化した多発性細網肉腫が一匹にみつかり、慢性潰瘍のまわりの大腸の腺がんが一匹に発見された。肉腫の位置が肺(投与場所)にあつたのが四匹、股の柔かい組織にあつたのが一匹である。肉腫をもつたラットは粉塵投与後一一か月ないし一九か月たつてから死んだものと、二〇か月たつてから殺したものとがある。腸に腺がんが発見されたラットは、九か月後に死んだ。」

更に、ドヴイシュコフらは、同報告において、次のような報告もしている。

「五mgの三二酸化クロムが溶けた0.6mlの生理食塩水をラットの胸膜内に二回投与したところ、肺の悪性腫瘍(肉腫)が三匹の動物に発見された(17.6%)。これ以外には一匹のラットについて顕微鏡を用いて調べた際に、睾丸において腫瘍がみつかつた。もう一匹のラットには白血症が発見された。」

(6) その他の報告

NASのレポートには、三価のクロム化合物五八mg/m3の濃度のCr2O(CO3)2の粉末の吸入では、ネコに四か月間繰返し暴露させても、肺に病理学的障害が生じなかつた旨報告されている。

また、戸田雅彦は、「職業がんの実験的研究」において、三二酸化クロムではラットに腫瘍が発生しなかつたことを報告している(一九五九年)。

更に、イヴァンコビッチら(ソ連、一九七五年)は、前記ドヴイシュコフらの報告をみて、酸化クロム(Cr2O3)をラットに大量投与したが、発がん作用及びその他の影響がなかつた旨報告している。

(三) 動物実験の評価

(1) ベイチャーは、クロムの発がん性に関する動物実験について、次のように評価している。

「クロム化学薬品を動物の皮下、筋肉内及び胸膜内に注射することによつて生じた腫瘍は、大部分、注射局所だけの肉腫であつた。このようにして腫瘍ができても、通常、発がん性を示すものと見做されてはいない。合衆国のがんの権威者達は、腫瘍が注入、或いは、埋込部位にだけ発生した場合、そのような注入、埋込みから得られたどのような腫瘍も、その物質が全身に分布しているか、何か他の特別な環境下における場合を除けば、職業暴露の結果に当てはめるのは不適切であるとする見解をとつている」。

また、前掲鷲津好昭は、比較薬理学なり毒物学の立場からいうと、動物実験の結果を人間に適用することは非常に危険であつて、限定条件を必らず考えないといけない。動物と人間とは機能が発達の系統発生学的に全く違い、器官、臓器によつて感受性が異なり、寿命も異なる旨供述している。

(2) マルトーニは、「職業性がん発生」(伊、一九七三年)において、動物実験について次のように論評している。

「動物に関する実験テストは人間に対するのよりも一層適切である。その実験テストが人間の被暴条件と似たようなものを作り出せば、結局それらが人間において誘発するのと同じ腫瘍を動物においても誘発することになる。この場合において、実験テストの結果は人間における疫学的所見と十分に等しいものであると考えられ得る。

他方、もしある因子が如何なる実験条件であれ、動物において如何なる種類の腫瘍であれ、腫瘍を発生せしめるならば、それは人間にとつて潜在的に発がん性があるものと考えるべきである。それに基づいてある因子が間違いなく発がん性があると考えることは行き過ぎである。……職業的被暴の条件を実験的に再現することはしばしば困難であり、コストのかかるものである。更にわれわれは、職業環境における因子の数が大きなものであり、そして増加しつつあるということを考慮せねばならない。……不完全なテストでも、例えば人間が主として呼吸気道で被暴する化合物をラットに皮下注射した場合、その潜在的な腫瘍発生の危険に関して何らかの考え方を与えることができるかもしれない」。

マルトーニは、その後クロム酸鉛や三価クロム化合物を幾つかの投与経路により実験動物に投与し、腫瘍を誘発することができることを示したようである。そして、IARC(国際がん研究機構)では、局所の肉腫も発がん性を示す実験と評価し、前記ヒューパー、ペインの実験と同様にマルトーニの実験もモノグラフに引用している。

佐野は、発がんに関する動物実験で人間と同様な発がんを期待すること自体が無理であること、第一に動物の個々の反応性及び寿命の差を考慮すべきであり、第二に化学物質の滞留期間の長さを動物で再現しているかどうかを検討すべきであること、したがつて、注入局所の肉腫、腺腫も動物実験では、がん化を起こした事例と評価できる旨供述している。

(3) 以上のように、動物実験において比較的難溶性の六価クロムは、肉腫やアデノーマを発生させることができたが、人間にみられる気管支の扁平上皮がんが動物で発生するかどうかは必ずしもはつきりしない。前記ラスキンの実験でクロム酸カルシウム(六価)を脂肪に混ぜて気管支内ペレット法で埋込んだり、胸腔内に注入して、肺に扁平上皮がんを発生させた旨の報告やリービー(英、一九七五年)がラスキンの方法を用いてクロム酸カルシウム、クロム酸亜鉛を作用させて多数の気管支原性がんを発生させたが、可溶性クロム酸塩や三価クロムでは発がんしなかつたとの報告があるが、量・反応関係はみられない。

ゾーベル(独)が述べているように、三価クロムが、潜在的に発がん性をもつているかも知れないことに関連して、更に一層資料が集められるべきであり、現在のところ、動物実験の結果によるも、三価クロムが発がん物質かどうかよくわからない。

5遺伝毒性実験の報告

(一) はじめに

クロム化合物の潜在的発がん性を調べる試験管内実験(invitro)において、最近では、突然変異誘発試験や細胞培養研究など新しい遺伝毒性実験が行われている。そこで、まず一般論として試験管内実験の意義について触れておく。

(1) 小川益男らは、「金属化合物の突然変異原性に関する研究」(一九七五年)において、次のように述べている。

「化学物質に対する慢性毒性試験は、動物実験に依存してきたが、緊急性の強い化学汚染物質の毒性を、長期間にわたる多大の困難性を伴う動物実験によつて、しかも有害性を疑われるすべての化学物質について検討することは、技術的にも経済的にも不可能に近い。

このような背景のもとに、近年、遺伝学者や公衆衛生学者等により、がん原性や変異原性探索のための方法論の開発と評価を目的とする研究熱が一段と高まり、種々のバクテリアの変異株を用いる微生物検定法や宿主仲介検定法などの新しい試みを含めて各種の方法が検討されている。微生物検定法は、それらの方法のうちで、近年特に注目されるにいたつたものの一つで、このなかではAmesのネズミチフス菌変異株系、Witkinの大腸菌変異菌B/r wp2 try-株やwp2 try-her-株、およびKadaの枯草菌変異菌M45rec-A株を用いる方法がよく知られており、わが国でも後二者は広く賞用されている。

微生物検定法は突然変異原性検出法としてそなえるべき条件をほぼ満しているばかりでなく、また、動物実験等従来の方法に比べれば、とにかく短期間内に比較的多数の検体を検定できるという長所をもつている。これらの方法は、たしかに、DNAの損傷や変異原性を検出するためのものであつて、人間の発がん性の検出とは理論的には直接重ならないものであろうが、しかし一方では、発がん性物質の八〇%以上が同時に突然変異原性陽性であるという事実は、論理をこえて認めざるを得ない重みをもつている。WHOの報告書も突然変異試験法は発がん試験のスクリーニング法として有用であろうと述べている」。

(2) 河内卓は、「発がん性と突然変異原性」(一九七七年)において、次のように述べている。

「われわれの研究室では四〇〇種にのぼる化学物質について突然変異原性を検索した。発がん性のある一四〇種の物質のなかで、突然変異原性のあつたものは一二一種(八六%)で、変然変異原性の検出できなかつた物質は一九種(一四%)であつた。動物実験によつて発がん性が陰性であると報告されている六八種の物質のうち、五〇種(七三%)は突然変異原性が検出できなかつた。一八種の物質(二七%)には変異原性がみられた。……これらのテストは、発がん物質と突然変異原物質がよくオーバーラップするという事実に基づいてスクリーニングに応用しているのである。染色体異常と発がん物質との相関についても、染色体異常を指標として発がん物質のスクリーニングが試みられている」。

(3) 長尾美奈子は、「突然変異原物質とがん原物質」(一九七八年)において、次のように述べている。

「筆者らの研究室でこれまでに約七〇〇の化合物について突然変異原性を検べたが、そのうちでがん原性のすでに報告されているものは二四一ある。突然変異原性とがん原性の一致するもの一九六で八二%の定性的相関関係があつた。このような高い相関関係はMcCannら、Purchaseらによつても報告されている。突然変異原性が陽性で、がん原性が陰性のものは、いわゆる偽陽性(false posi-tive)であり、第一次スクリーニングとしては当然存在してよい。しかし幸いに、その数は比較的少ない。がん原性が陽性で変異原性が陰性のもの(偽陰性、false negative)の割合もけつして高くない」。

(4) ベイチャーは、「突然変異誘発試験について、これらの研究を評価するに当つて心得ておかねばならないことは、化学的発がん物質はすべて変異原性誘発因子であるが、変異誘発剤のすべてが発がん物質であるとは限らない」と述べている。

(二) 報告例

(1) 小川益男らの報告

小川益男らは前記研究において、次のように報告している。

「わが国で最も広く用いられているDNA損傷に対する修復欠損株〔Bacillus subtillis M45(rec-)〕を利用したRec−Assay法と、栄養要求変異株〔E.Coli B/r WP2try-株およびWP2try-her-株〕を用いた突然変異誘発法(well-assayおよび変異頻発度算出法)を併用して、これまでの疫学調査において発がん性が指摘されてる(または疑われている)金属のなかから、クロムその他の三種を選びDNA損傷性と変異原性を検討するとともに、その結果に及ぼす化合物の種類や濃度の影響についても観察した。

表1<省略>はRec−Assay法によりDNA損傷性をしらべた成績を示したものである。クロム化合物は、六価のものはすべて陽性であつた。これをクロム金属量別にみると、最も低濃度で陽性になつたものは、K2Cr2O7でCrO3がこれにつぎ、以下Na2Cr2O7,Na2CrO4、CaCrO4の順となつており、CaCrO4は三価のCr(CH3COO)2と殆んど同じであつた。クロム鉱滓もクロム量に換算して二五〇ppmまでは陽性であつた。

表2<省略>は、Escherichia coli WP2try-her-株を用いて突然変異性を測定した成績であるが、Rec−Assayの結果とよく一致して、六価のクロムのすべて及び三価のCr(CH3COO)2でのみ陽性の結果が得られ、またクロム鉱滓は微妙な結果を示している。

表3<省略>は同様のことを、Escherichia Coli B/r WP2try-株で検討した結果である。her-株と殆んど同様の成績であるが、若干感度の低い傾向がみられるようである。

金属の発がん性については、金属精錬所等に関係する労働者のがん死亡率が一般のそれに比べて異常に高いという疫学調査の結果を根拠として疑われてきた。たとえば、表4<省略>に示す通り、マックルら(一九四八)、ビッドストラップら(一九五六)、ランガードら(一九七五)、エイラー(一九六六)、渡部ら(一九七五)は、クロム関係労働者に職業性肺がんの多いことを報告している。また疫学調査のデータをもとに発がん物質としてマックルはクロム酸塩との関係を示唆しているがはつきりした因果関係を証明するにはいたつていない。

この点、動物実験による発がん性の検討は直接原因物質を投与するという手法を用いることができるため、原因物質との因果関係も比較的明確につかむことが可能である。Roeら(一九六九)及びKushnerら(一九七一)はクロム酸カルシウム(8/100例)によりラットに、ラスキンら(一九七三)は同じくクロム酸カルシウムの吸入によりラット、ハムスターに発がん性を観察している。しかし、これらは一実験に一〇〇頭以上の動物を使用せざるを得ない事情もあつて、いずれもdoseとの関連を云々するところまではいたつていない。

さらに西岡は微生物検定法により、K2Cr2O7にDNA損傷能および変異原性のあることを報告している。

本研究は微生物検定法の成績が、これまでの疫学調査や動物実験の結果と何らかの相関性を有するかどうか今後金属の発がん性検索のスクリーニング法として使用できる可能性があるかどうかを探ることを主眼として行つたが、今回得られた成績をこれまでの報告(表4<省略>)と比較すると、クロムについては、大方これまでの疫学調査や動物実験の成績と一致しているようである。六価のクロム化合物のすべてと三価のCr(CH3COO)3のみがDNA損傷能および変異原性を有していたが、その作用は三価よりも六価の化合物のほうがはるかに強く、また同じ六価の化合物でも種類によつて若干異なるようである(表5<省略>)。

なお、クロム化合物の場合、Rec−as-sayと変異原性試験の結果は非常によく一致したが、Well−assayではいずれも陰性結果が得られ、他方法と平行した成績は得られなかつた」。

東京都公害研究所は、小川らに委託した前記実験の結果をまとめて、六価クロム及び三価クロム中酢酸クロム、クロム鉱滓等に関するRec−assay及び大腸菌利用度変異頻度算出法を用い陽性の結果を得たという。これらの結果については、クロム化合物及びクロム鉱滓による発がんのおそれが十分に考えられるとしている。

(2) レーヴィスらの報告

レーヴィスらは、「BHK線維芽細胞における核酸、蛋白合成及び前駆物質吸収に及ぼす重クロム酸カリの効果、影響」(伊、一九七八年)において、次のように報告している。

「クロムの細胞毒作用のメカニズムを解明することを目的とする研究は、多くのクロム化合物や人間や実験動物において発がん性のあるものであり、又、点突変異(Point mutations)や細胞変形を誘発することができるという観察に基づいている。六価クロム化合物の生物学的活性がその強い酸化傾向に関連しているということが一般に受け入れられている。このことは実際に突然変異をひき起こし、又発がん性の物質であり得るアルデヒドやエポオキシアルデヒドの形成という結果になることを示唆している。しかしながら、いくつかの三価クロムもまた、酸化力には欠けているけれども、動物において発がん性があり、高分子合成を妨害し、生体外において、精製した核酸に相互作用をし、染色体異常を誘発し、培養した哺乳動物の細胞における核酸の物理化学的性質をいくらか変える性質を持つている。他方三価クロムは、六価クロムに対する被暴の後でさえも、原子吸光分光度法によるのと同様に、標準比色反応により、細胞の内部において検出し得る唯一の安定したクロムの形である。バクテリアにおいて三価クロムに関して報告された突然変異をひき起こす作用が無いということは、三価クロムが原形質膜を通過する能力が低いということ及び三価クロムがバクテリアの細胞膜を通過する能力がさらに低いということのせいかもしれない。」。

さらにレーヴィスらは、「生体外の人間の細胞に及ぼす六価及び三価クロムの毒性効果」(一九七八年)において、次のように報告している。

「細胞遺伝学的効果に関しては、Cr6+及びCr3+化合物共に哺乳動物の細胞培養において、細胞形質変換を誘発することができるし、培養された植物の細胞において、また培養された動物の細胞において染色体異常を誘発することができるし、精製した核酸やヌクレオチドの物理化学的性質の変質を誘発することもできる。また生体外におけるDNA複製を精確に作り出せないようにすることもできる。

Cr6+のみが原形質膜を透過し、その細胞の内側でCr3+に還元し、そして細胞構成部分としつかりと結びつくということは一般に受け入れられている。クロム酸塩イオンの形におけるCr6+の移送は大変有効であり、その率および最終的な細胞内Cr蓄積量はその細胞外のクロム酸塩の濃度レベル次第である。Cr3+の移送に関する機構仕組みは現在の所はわかつていない。いずれにせよCr3+が細胞内に侵入することは全くないというわけではないにしても限られたものであると考えられる。」。

なお、ベニットとリヴィーの実験では、三価のクロムカリ明ばんは突然変異原性を示さなかつた。

(3) 金子哲也の報告(一九七六年)

金子哲也は、「塩化第二クロムおよび無水クロム酸による培養ヒト白血球の染色体障害」において、次のように述べている。

「発がん出との関連も深く、また突然変異誘発生や催奇性とも重要なかかわりをもつ染色体異常誘発性について、培養ヒト白血球を用いて細胞遺伝学的な立場からの実験的研究を行つた。

実験に用いるクロム化合物には、三価クロム化合物である塩化第二クロム(CrCl3・6H2O)、および六価クロム化合物である無水クロム酸(CrO3)を選んだ。いずれも水溶性を示す化合物であり、後者の水溶液は一般にクロム酸とよばれているものである。……

培養白血球の生存数は、塩化第二クロムおよび無水クロム酸の投与量の増加に従つて減少し、量−反応関係が見られた。……クロム酸および塩化第二クロムは化合物中の金属イオン、もしくは化合物そのものの毒性によつて、培養細胞の増殖、または生存に何らかの影響を与えていると考えられる。

染色体異常の観察結果において、無水クロム酸ではbreak, gapいずれかの異常を有する細胞の出現率が各濃度で対照に比して有意差を示した。……塩化第二クロムでは、異数性異常の出現率においては塩化水素投与の検体同様、有意差は得られていないが、break, gapいずれかをもつ細胞の出現率は、p<0.01の有意差を示した。それぞれの濃度に対応する塩化水素投与の検体では対照との間に有意差が認められない。したがつて、このような結果は塩化第二クロムもしくは三価クロムイオンの、細胞への作用に基づくものと考えられる。

クロムの発がんにおいて三価、六価いずれのクロム化合物が主要な発がん物質であるかについてはさまざまな見解があるが、生体内では酸化、還元反応による相互の移行が示唆されており、現在では三価、六価双方のクロムが発がん機構に関与すると考えられている。染色体異常の観察という観点からin vitroで行つた本実験では、塩化第二クロム(三価)、無水クロム酸(六価)において、break, gap−typeの染色体異常をもつ細胞の出現率に有意差を認め、またその濃度域が前者は後者の102倍高いことが示された」。

(4) ナカムロカツヒコらの報告(一九七八年)

ナカムロカツヒコらは、「三価及び六価クロムの染色体異常及び突然変異誘発性に関する比較研究」において、次のように述べている。

「三価クロムと六価クロムとの間の細胞遺伝学的、突然変異誘発性の効果が比較研究された。Cr6+を含有するK2Cr2O7及びK2CrO4並びにCr3+を含有するCr(CH3COO)3,Cr(NO3)3及びCrCl3が人間の白血球の培養において染色体の損傷を誘発する能力、レク効力検定システムによるDNAの反応性、及びE. Coli Hs3ORテスト・システムにおける突然変異誘発性に関して試験された。

染色体破壊活動は三価クロムより六価クロム化合物に関してより著しく高かつた。その効力は大きい方から順次、次の順に小さくなつて行く。すなわち、K2Cr2O7>K2CrO4≫Cr(CHCOO)3>Cr(NO3)3,CrCl3であつた。レク効力検定及び突為変異効力検定において、六価クロム(K2Cr2O7及びK2CrO4)及び三価クロム(Cr(CH3COO)3)化合物は陽性の結果を与えた。それらの突然変異誘発性のポテンシャルは染色体異常誘発の大きさと同じ順位(オーダー)で、染色体異常誘発性(染色体破壊活動)の高いものほど高かつた。すなわち、K2Cr2O7>K2CrO4≫Cr(CHCOO)3>Cr(NO3)3,CrCl3の順であつた」

(5) その他の報告

西岡一は、「バクテリアにおける金属化合物の突然変異誘発性の活性」(一九七五年)において、レック・アッセイ法で実験した結果、三価の塩化クロム(CrCl3)は陰性であり、突然変異原性を示さなかつたこと、また六価の重クロム酸カリ(K2Cr2O7)溶液を亜硫酸ソーダ(Na2SO3)で還元すると、突然変異性が認められなかつた旨述べている。

またタミノら(伊、一九七九年)は、六価クロムは細胞内で三価クロムに還元される際に作り出される酸化力のある分子に媒介されて細胞に影響するかもしれないこと、三価クロム化合物は、細胞内で高濃度で存在するとき或は蓄積したときは、発生学的に有毒な作用をもつことがありうるように思われる旨述べている。

サイロウバーとローブ(一九七六年)は、潜在的変異誘発性或は発がん性のスクリーニングとして、塩化クロムと三酸化クロムにつき、三重無作為盲目方式による新しいテストで、DNA合成の確度における変化を示し、陽性と判定された旨報告している。

その他にも、マジョーンらは、三価である塩化クロムにつき染色体異常を誘発することを明らかにしたとか、ラフエットら(一九七七年)は、六価のみならず三価クロムでも細胞形式変換が起こることを明らかにした旨のレファランスがあるが、その詳細については判らない。

なお、ゾーベル(独、一九七八年)は、人間の上皮細胞(HEP)関する新しい遺伝学的研究によれば、六価クロム酸塩のほかに三価クロムもまた……重大な核の損傷をひき起こすことができるということが想像され得る(Majone、一九七七年)旨述べている。

ヒューパーは、「金属の発がん物質、がんの歴史及び実験的探究に関する幾つかの論評」(一九七九年)において、六価及び三価クロム化合物共にバイオアッセイ(生物学的検定法)において、がん反応を作り出した旨報告している。

(三) 遺伝毒性実験の評価

(1) 佐野は、これらの遺伝毒性実験の結果について、次のように供述している。六価クロムに対する被暴後、細胞内部で検出し得る唯一の安定したクロムの形は三価クロムであることについては異論がない、レーヴィスらの実験は、三価クロムが原形質の中でも、核内でも必要な濃度が確保されれば生体に対する影響を与えることを明らかにした実験の一つであり、三価クロムについて変異原性を証明できなかつたのはバクテリアの細胞膜を通過する能力が低いからであること、しかし金子の実験において、三価クロム(塩化第二クロム)に染色体異常がみられないことは、三価クロムが細胞膜を通過して核酸と反応し、遺伝子の変異を起こす可能性があることを示すものであつて、三価クロムにも細胞通過能力があり、がん化につながることを実証したものであり、三価クロムについて変異原性が検出されなくても発がん性がないとはいえない旨コメントしている。

(2) ベイチャーは、発がん性についての試験管内実験(突然変異誘発試験と組織培養研究)の各報告例を検討のうえ、次のように述べている。「これらの研究で用いられた試験管内突然変異誘発テストによると、六価のクロム酸塩は変異誘発物質として有効であるが、三価のクロムは無効であることが示された。これら六価のクロム酸塩は培養胚子細胞も影響を与えたが、ここにテストされた三価の化合物は作用を及ぼさなかつた。培養における代謝的合成に及ぼす影響は明らかではない」。

そして、ベイチャーは、化学的発がん物質は、すべて変異誘発因子であるが、変異誘発因子のすべてが発がん物質でないこと、三価クロムが染色体異常をひき起こした旨の金子らの報告も三価クロムについて発がん性を示すものとはいえないし、三価クロムが細胞膜を通過することを実証したことにはならない旨供述している。

(3) 労働者も、新規化学物質の有害性調査の方法として、がん原性のための第一次スクリーングとして、まず変異原性試験等をすることを義務づけているようにその有用性を認めている(労働安全衛生法五七条の二、同規則三四条の三)。

しかし、兼松宣武も金属化合物の変異原性について検索した結果、疫学的にがん原性が確認されているものについて、追試的に発がん性を確認したり、発がん性を裏付けるものが多く、発がん性のある金属元素のうち、レック・アッセイ法で陽性となつたものは約14.6%にすぎず、特別に高い相関関係はみられない。このことは、発がんに至る過程が、DNA損傷も含めて他の多くの機構の存在が示唆される旨述べている(一九七七年)。

以上のように、遺伝毒性実験の結果については、試験方法が開発途上にあつて多くの問題があり、三価クロムの一つである塩化クロムや酢酸クロムについてテストしたところ、陽性の結果が出ても、右のようなクロムは被告工場では取り扱つていないし、すでに述べたとおり、ヒトの組織内に滞留する三価クロムの存在及びその形体移行自体、何もわかつていないのであるから、右の実験結果をそのまま体内に三価クロムに当てはめて変異原性・発がん性の有無について積極的に考えることはできない。

6クロム作業者のがんに関する佐野らの所見

原告らは、被告工場においてクロムに暴露した結果発生したがんの特徴として、がんによる死亡の多発、肺がんの早発と他臓器がんの遅発、同時重複がんの多発及び全身各臓器におけるクロムの蓄積をあげられる旨主張し、佐野辰雄らは、原告らの主張に沿う供述及び論文を発表しているので、以下この点について考察する。

(一) がんによる死亡の多発性

原告らは、死亡被害者の死因のうち、がんによるものは三二例であり、全死亡例三九例のうち82.1%の高率を占めており、本訴係属中がんで死亡したもの二例、その他三例の発病がみられた点は異常である旨主張しているが、三二例の中には後記認定のとおり被告工場においてクロムに被暴した結果がんが発生したものとは認められないもの約一〇名が含まれている。

また、佐藤邦弘らの疫学調査によると、被告工場において、一九一八年から七五年までの間、クロム酸塩製造作業に一年以上従事し、被告会社に在籍したことがある一二〇名の死亡者を含む八九六名の対象者中、呼吸器がんで死亡したものは三一名(期待死亡数3.361、SMR9.22)、その他のがんで死亡したものは一八名(期待死亡数21.596、SMR0.83)で、前者にはエクセス・リスクが認められたが、後者にはエクセス・リスクは認められなかつた旨報告している。

しかし、右の疫学調査は、被告会社で把握した在籍者の死亡診断書(八五%)及びその他の書証からのみ死因を判定しており、多くの下請工は疫学調査の対象から除外されているし、右死亡診断書記載の死因を必ずしも信用できないことはすでに述べたとおりである。結局、被告工場でクロム酸塩の製造に従事した全労働者について、がんによる死亡者が高率であつたかどうかは、呼吸器系のがんによる死亡率以外わからない。

肺がんについて、従前は適切な治療方法がなく、予防こそ最善の治療であるといわれており(三浦豊彦ほか「新労働衛生ハンドブック」、昭和四九年)、死亡率が高かつたが、最近では、早期発見、早期治療により、新しい手術の方法も開発されて生存率が高くなつている。

(二) 肺がんの早発性と他臓器がんの遅発性

佐野は、「クロム塩作業者の呼吸器がんと他臓器がん」について、次のような報告をしている(一九八〇年)。

被告クロム酸塩製造工場のもと労働者で正確な調査ができた三〇名のがんによる死亡例について、クロム作業暴露年数、クロム作業に入職以後死亡に至るまでの経過年数、重複がんの頻度等について検討を加えた結果、肺がんの早発性と他臓器がんの遅発性及び同時重複がんの多発していることが認められたことから、難溶性の三価クロムが組織に長期にわたつて滞留することにより発がん性を生じ、クロムが肺に限らず全身の各臓器に滞留することにより、他臓器にもがんが発生することになる旨述べて、その研究結果を発表している。

「重複がん四例を除く単独がん二六例(肺がん一五、他がん一一―胃三、食道一、肝二、腎一、頸部肉腫一、細網細胞肉腫一、リンパ性白血病一)の死亡までの経過年数の関係は、一五年以下で肺がん二、他がん〇、一六〜二五年では肺がん七、他がん三(三〇%)、二六〜三五年では肺がん四、他がん三(42.9%)、三六〜四五年では肺がん二、他がん五(71.4%)を示した。四、他がん三(42.9%)、三六〜四五年では肺がん一五例の平均暴露年数は18.9年、経過年数は24.6年、他がん一一の平均暴露年数は16.6年、経過年数は32.4年であり、がんによる死亡年齢は肺がん50.8歳、他がん56.8歳である。

クロム塩作業者及びクロムメッキ作業者の剖検後の肺、肝、腎、心等の各種臓器の金属分析の結果は、例外なく肺における多量のクロムと、各臓器の対照群に比べて二〜一〇倍量のクロムが検出された。肺がんがより早期に発生し、他がんの発生に、より長期を要し、平均的には肺がん24.6年、他がん32.4年と約八年の差がある。他がん臓器のクロム濃度は肺に比してはるかに低く発がんまでにより長い滞留期間を必要とする。これはがん発生における量×時間×反応関係の具体的表現である」。

(三) 同時重複がんの多発

更に佐野は、右報告及び同旨の論文(一九八〇年)において大要次のように述べている。

「同時あるいは一年以内の発生を同時重複がん(多重がん)、一年以上の間隔をおくものを異時重複がんと規定されているが、クロム塩作業者の肺がん一九例に対する重複がんは四例(21.1%)に及び、胃二、上顎一、後腹膜悪性リンパ腫一である。このほかシンチグラムで腎の悪性腫瘍が疑われたもの一例があり、また、食道がんのほか胃、十二指腸に広範な乳嘴腫が認められたもの一例あつた。これらはすべて同時重複である。

財団法人癌研究会付属病院の一九五五〜一九七八年の二四年間の男子肺がんは四八七例(切除一九三、非切除二九四)中、同時重複は胃六、肺一、喉頭一、直腸一、食道・胃一、計一〇(2.1%)、異時重複中、肺がん先行は肺一、食道一、直腸一の計三、他がん先行は、喉頭六、胃二、直腸二、食道一、舌一の計一二、総計二五例(5.1%)である(癌研付属病院中川健調査参照)。。

クロム塩作業者一九例中四例(21.1%)と癌研四八七例中二五例(5.1%)の比較は、カイ二乗(イエーツ修正)=5.779で2.5%(5.02)以下の危険率でクロム塩作業者に高頻度であつた(その後フィッチャーの直接確率法で検定すると、0.3%以下の危険率で有意であつた、と訂正した)同時がんのクロム例四/一九(21.1%)と癌研例一〇/四八七(2.1%)の比較は、カイ二乗=17.754で0.1%以下の危険率でこの差も有意である(前同様に、その差は0.04%以下の危険率で有意であると訂正した)。

重複がんの発生には、他がん先行による免疫障害が他がんの発生を容易にするという説と、同一発がん原因が複数臓器に作用するという説とがある。一般肺がんの重複がん発生率とクロム塩作業者との比較においては前記のとおり有意差を示し、同時重複がんのみの比較では0.1%以下の危険率で有意差はさらに増大した。このことは病理組織所見の事実とも併せて、クロムという同一原因が複数臓器に作用した結果である」と述べ、後説を採用している。

そして、「がん原物質の溶解度と標的臓器に関連して、難溶のがん原物質によるがん化は単純な量・反応関係ではなく、量・時間・反応関係であり、難溶の三価クロムによる発がんはその好例である。ある物質は、ある臓器にのみ発がんする(標的臓器Target Organ)という思想が存在するが、各種のがん原物質は、経気道、経消化管、経皮のいずれか、あるいは複合した経路から体内に侵入するが、侵入局所以外にも全身諸臓器の代謝に影響を与えざるをえない。これらの外的因子と各種の内因条件の組合せによつて、全身のどの臓器にも発がんの可能性がある」旨警告している。

(四) 全身各臓器におけるクロムの蓄積

佐野は、クロムによる身体障害につき、臨床、病理学的なまとめとして、前記論文で次のように要約している。

(a) クロム身体障害とは、クロム作業によつて発生するCr及びNi、Co、Be、Mh、V等のがん元素、催炎症元素の体内侵入によつて発生する全身的障害である。この障害性の主体はCrであるが、他元素の作用は無視できない。

(b) したがつて、皮膚の炎症、呼吸粘膜の炎症、がんのみでなく、消化管、消化器、腎、その他の内臓の炎症、がんはCr等の重金属により発生する。

(c) Cr6は有機物を酸化して急性炎症を起こす主役であるが、体内長期滞留するものはCr3になつたものである。Cr3は慢性炎症と発がんの主役を演ずる。

(d) がんの高率発生は、Crなどの金属じんによる慢性炎症による組織素因の形成と、これらの物質が細胞内核遺伝子の変異(がん化)への引き金をひく点にある。

(e) 六価クロム以外難溶の三価クロムが有力な発がん因子であるという結論は、一九六〇年代までの文献の中では有力に主張されるということはなかつたが、米、ソ・英・伊の一九七〇年代、殊に七五年以後の研究報告について肯定的主張が現われるようになつた」。

以上のように、クロム作業者のがん及び身体障害、発がんの機序等について研究結果の要約をしている。

(五) 佐野らの所見の問題点

佐野らの所見及び論文には、被告も指摘するように次のようなデーター処理・有意差検定上の誤りや文献的考察上の問題点がある。

(a) 佐野は、前記三〇例中四例が重複がんであるとして、同時重複がんの多発の結論を導いているが、例えば、四例中の一例(No.6)児玉伝については、死亡診断書及び医師の意見書によれば、胃がんから肺がんへの転移がんの疑が強いこと、佐野自身も、遺族からの事情聴取、医証などを総合して作成したメモに、「重複がんがかどうかもう一つ不明」と記載しているほどである。この点に関し、第五三回日本産業衛生学会(昭和五五年)において、佐野が右演題につき講演した際に、被告会社の産業医である勝野直周から、病理専門の学者として科学的根拠に欠ける旨指摘されて、佐野は遺族に当時の話を聞き、重複がんと推定したものである旨回答している。

したがつて、右の症例を重複がんでなく、他臓器がん(胃がん)とすると、経過年数一五年以下の他臓器がんが〇から一になり、この点でも訂正を必要とする。のみならず、原告らの主張によると、児玉伝は、クロム酸塩の製造に従事する以前に北工場において製品の運搬・清掃等の雑用に従事しており、クロム暴露の存否についても疑問がある。その他、右論文に記載されている、がんで死亡したクロム作業者のクロム暴露年数についても、各被害者の勤務時間、作業内容に照合してみると、正確性を欠いている点が見出される。

また佐野は、右の報告において、死亡までの経過年数一五年以下の肺がん死亡者は二例であると計上しているが、当法廷では、これが一例の誤りである旨供述しているから、論文の基礎たる数値を訂正すると、肺がんの早発性、他臓器がんの遅発性の根拠が疑わしくなる。

更に、学会において、出席者から本調査の有意差検定についてカイ二乗検定をすべきではなく、この場合はフィッシャーの直接確率法(大橋純著「公衆衛生における実践統計学」参照)によるべきである旨の指摘を受け、前記のように、佐野は後日、有意差検定をフィッシャーの直接確率法で検定のうえ訂正している。

また佐野らは、クロム作業者の剖検例を病理学的に検索した結果、体内の組織中にクロムのほか各種の重金属が検出されたところから、これら重金属の共同作用による慢性炎症が発がんの組織素因を形成し、体内に滞留する難溶性の三価クロムは組織融解性を有し、慢性障害及び発がんの主役を演ずる旨の仮説を述べている。

しかし、各臓器における重金属の過剰蓄積が健康上よい結果をもたらすとは思われないが、佐野がいうように重金属の共同作用(加算性、相乗性)により、がんを誘発する素地を形成するかどうかについては、実験的に未だ解明されていない。また、慢性炎症、病的器質的変化が発がんに促進的作用をもたらすとの説もかつて有力であつたが、炎症と発がんとは直接関係がないとの説もあり、発がんのメカについては医学上各種の学説があつて、今日なお定説をみない。

更に三価クロムの発がん性については、前記のとおり変異原性試験の結果、一部に陽性を示したものがあつたが、今までの研究ではその発がん性について結論を下すことはできない。ベイチャーも、当初は肺中組織に滞留するクロムが肺がんの原因かもしれない旨述べたことがあるが(一九五九年)、当法廷の供述では、組織中のクロムは三価クロムであることが後に判明し、これが徐々に人体各組織に悪影響を及ぼし、発がんの要因になるとは信じられない旨明白に否定している。そして、前記クロムの代謝において認定したところからしても、にわかに佐野らの説には賛成できない。

また佐野の援用するマンクーソーの報告(米、一九七五年)も、クロム酸塩労働者が被暴をやめた後、長年経過後に剖検例の肺中からクロムの蓄積が見出されたとする点は本件と同じであつて、それから直ちに不溶出の三価クロムを含む全クロムが発がんとなることが結論づけられた旨の要約部分は、にわかに採用できない。また、ジスリンらの報告(ソ連、一九七四年、一九七八年)もやや粗雑であり、クロム作業者に慢性の全身障害をひき起こすものとはたやすく認めがたい。

佐野らの所見は、傾聴に値いする点がないわけではないが、これをサポートする文献はきわめて少なく、結局のところ未だ仮説の域を出ない。

七  一般的因果関係についての結論

1六価のクロム化合物の被暴と発がんとの関係について、以上検討してきたところをまとめてみると、次のようになる。

クロム酸塩製造工場においてクロム作業に従事した労働者の肺がんの発生についてみると、各国における疫学調査の結果、すでに統計学的に有意差が確認されているうえ、動物実験及び遺伝毒性実験によつても、六価クロム化合物の多くに発がん性の存することが認められているので、発がん物質と断定してよい。してみると、六価クロムによる職業上の暴露と肺がんの発生との間に訴訟上の因果関係が存在することは明らかである。なお、肺がんの発生に要する暴露期間については、その程度により一律に決めることはできないが、すでに認定したとおり、戦前、戦後(昭和三〇年代まで)の被告工場におけるきわめて高濃度のクロム暴露の状況に照らして考えると、少なくともベイチャーの報告している最短期間である四年をもつて相当とし、暴露から発がんまでの潜伏期間についても、同報告にあるように数年から数十年にわたることが認められる。

六価クロムが体内に入つた場合、肺内では六価のクロム粉塵が細胞の蛋白と結合して三価になると、余り体内を循環せず、したがつて、尿中への排泄は緩慢であるから、肺がんの発生の危険性につき長時間にわたつて経過を観察する必要がある(竹本和夫、一九七六年)といわれている。しかも、体内に入つた六価クロムが還元されて難溶性の三価クロムとなり、肺に滞留している間に、肺組織にどのような作用効果を及ぼすかについては未だ解明されていないけれども、このことは序説で述べたとおり、訴訟上の因果関係の存否を判断するうえで何ら妨げとなるものではない。

次に肺がんと同じく呼吸器系のがんである上気道がんについてみると、統計的に有者差を認めた疫学的所見は存在しないが、多くの疫学的報告を総合して考えると、クロム酸塩労働者における上気道のがんの発生については、高度の蓋然性が認められ、労働省もいち早く上気道のがんを追加して肺がんの場合と同様に労災認定の取り扱いをしている。

2更に他臓器がんのうち胃がんについて検討する。胃がんの発生について、統計的有意差を指摘した疫学的報告はソ連のジスリンらの報告のほか存在しないし、右報告は疫学論文として不備な点が指摘されていることは前記のとおりである。しかし、統計的に有意差がなくとも、平均値よりかなり高率であれば、他の資料と併せて因果関係を肯認できないわけではないところ、胃がんについては、比較対照群と比べて統計的に有意といえないまでもかなり高率の発生を示した旨の疫学報告(テレキー、マックル・グレゴリウス、テイラーら)があり、また胃がんについての症例報告も多い。前述した代謝の面から考えて、胃は強い刺激性のある六価クロムを継続的に吸入嚥下し、接触を受けやすい器官であるので、すでに因果関係の確立している肺と類似している点があること、しかも、被告工場のクロム酸塩製造工程の中には、クロム粉塵等の暴露及び作業程度の激しかつた箇所が多く、労働者は長時間の高熱作業等に従事させられ、マスクの着用や鼻呼吸の障害などのため、作業中、口で呼吸することが多くなり、そのために、六価クロムの粉塵・ミスト等を多量に胃の内部に摂取していたことは容易に推認できる。

このように労働者らは、被告工場の劣悪な作業環境の下で、高濃度のクロム粉塵等に長時間暴露していたものであり、現に被害者の中には、胃がんにより死亡したものや、胃がんの切除手術を受けたものが数名いる。胃がんの罹患率は日本人に非常に多く、がんの部位別でも第一位を占めていることは公知の事実である。そして胃がんの原因は、食生活と密接な関係があるといわれているが、その他がん誘発物質の摂取などきわめて多因的であつて、発がんの原因を一概に決められない。してみると、発がん物質である六価クロムの職業上の暴露が胃がん発生の誘因になつていたことは否定できない。そこで、因果関係を肯定したうえ、損害賠償責任の関係では、クロムによる発がんの寄与率は肺がんに比してかなり低いことなどを勘案すると、その四分の一以下の限度をもつて相当と考える。

3次に食道がんについて検討する。クロム酸塩労働者につき食道がんの発生が多いとする疫学的報告は存しない。ソ連のポクロフスカヤらがフェロクロム合金工場における食道がんの発生について統計的に有意差があつたことを報告しているが、右は主として三価クロムの暴露によるものであつて、これをそのままクロム酸塩労働者に適用できないことは、すでに述べたとおりである。食道の位置は、肺や胃と同じく六価クロムの刺激を直接受けやすい器官ではあるが、肺や胃と異なり単に六価クロムが通過する際に短時間接触するにすぎず、食道がんで死亡した原告(No.34高橋元真)の食道組織内のクロムは三ppm(非暴露者の約一〇倍)で、肺野、肺門リンパ線のクロム量と比べれば問題とすべき量に達していない。その他食道がんについて、六価クロムの暴露との因果関係を認めるべき証拠は存しない。

4最後にその他の臓器のがんについて考える。前記のとおりこの点について統計的な有意差を認める疫学的報告は一例も存しない。そして、経気道、経口摂取された六価クロムは血液中に入り、赤血球の中に進入して還元され、三価の状態で各臓器に到達するものと推測されるので、肝・腎などの臓器は、直接六価クロムに接触して障害を受けやすい呼吸器や胃のような組織と比べると、大きな違いがある。しかも、すでに述べたとおり、三価のクロム化合物の生体に対する作用は、六価クロムに比してきわめて低く、未だ完全に解明されていないのみならず、肝・腎など他臓器の各組織におけるクロム蓄積量も肺に比較すると、きわめて少量しか検出されていない。また、ラスキンらの動物実験の報告中、ラットに肺がんの発生をみた旨の所見があることは前記認定のとおりであるが、右の実験例は、三価及び六価のクロム化合物により肺がん発現のための実験中、たまたま発生した肺がんについて記述したものであつて、これをもつて肺がん発生の動物実験例の一つにあげることは早計に失する。海老原らは、病理所見の結果、肝変化を基盤として、さらにクロムを中心とした各種の催炎症性、発がん性物質の存在とあいまつてヘパトームや胆道系のがんが高率に発生することが充分にあるといえる旨述べている。ヘパトームの一例(No.26真壁清)は肉眼所見のみで検索し、肝臓のグリソン鞘の線維増殖がみられたというにすぎず、その後前記四の表4<省略>で示したとおり発光分光分析法で各臓器についてほぼ二〇種の元素を分析し、金属量を検出している。しかし、すでに説示したとおり、これらクロムと重金属の共同作用により肝臓の病変を起こし発がんした旨の佐野らの仮説は証明されていない。その他ヒューパーの症例報告で元クロム酸塩工に白血病一例があつた旨の報告ドヴイシュコフらの動物実験において、大腸腺がん、白血症の発現をみた報告例やネットシャイムの動物実験で白血病をみた報告例などごくわずかにあるのみで、六価クロムと他臓器がんとの因果関係を認めるに足る証拠は他に存しない。

5以上認定説示したとおり、原告ら主張にかかるクロムによる身体障害のうち、がんを除く障害については、皮膚の障害(一次刺激性接触皮膚炎、皮膚潰瘍、アレルギー性接触皮膚炎、化学傷)、上気道の障害(鼻炎、鼻粘膜潰瘍、鼻中隔穿孔、鞍鼻、慢性副鼻腔炎、嗅覚障害、慢性の咽頭炎、喉頭炎、喉頭うつ血、上気道のポリープ)、気管及び肺の障害(じん肺症、肺機能障害、じん肺結核、慢性気管支炎、肺炎、肺気腫、肺性心、気管支喘息)胃腸障害(胃炎、胃潰瘍)、眼の障害(結膜炎、結膜充血、角膜混濁、角膜白斑、流涙症、涙のう炎)については、相当因果関係が認められる。しかし、肝臓及び腎臓の障害、心臓血管系の障害(高血圧、心臓変形、脳出血)については、未だ相当因果関係を認めることができない。

また、クロムの被暴と発がんとの関係については、肺、上気道の呼吸器系がんのほか胃がんの一部について(寄与率の限度で)相当因果関係を認めることができるが、その他の各臓器のがんについては未だ因果関係を認めるに足る証拠がない。

したがつて、クロムによる身体障害が原告らの主張するような慢性の全身疾患をひきおこし、その結果、全身各臓器にがんを発生させて死に至らせるものとは認められない。

第二  因果関係各論

一  当事者間に争いのない事実<省略>

二  個別的に因果関係の認められるもの

右当事者間に争いのない事実に前記因果関係総論で認定した事実、「勤務関係等一覧表」(一)、(二)、「認定勤務関係一覧表」(一)、(二)記載の被害者及び原告らの勤務状況、左記<次頁>「認定被害一覧表」(一)、(二)の「認定に供した証拠」欄記載の各証拠及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

死亡被害者のうち、認定被害一覧表(一)記載のものが、同表記載の期間クロム作業に従事した後、記載の年月日に、右記載のような死因によつて死亡したこと、及び原告らのうち、同表(二)記載のものが同表記載の各身体障害を受けていること、右死亡及び身体障害は、いずれも被告工場におけるクロム暴露と因果関係のあることが認められる(原告らは、訴訟中に死亡した高橋元真、向井始、上田留太郎について、生前の疾患をも併せ主張しているので、認定被害一覧表(二)においてこれを認定したが、総合ランク欄の判定は、死亡による因果関係の認められない高橋元真についてのみこれを記入した)。

なお、原告らは、向井始の死因について、胃がん及びじん肺結核を主張しているので、この点につき検討する。佐野は剖検の結果、同人の肺野に高濃度のクロムが検出されたことから、病理学的所見としては、胃がんのほか、最終的にはクロムに起因するじん肺結核が悪化し、心臓死に至つたものである旨供述し、<証拠>にその旨記載しているが、右供述及び記載部分は、<甲号証>(死亡診断書)の記載に対比してにわかに採用できない。結局、向井始の直接死因は胃がんで、生前疾患としてじん肺結核等の症状があつたものと認められる。

認定被害一覧表

(一)

番号

氏名

死亡年月日

(昭和)

死亡時年令

(歳)

死   因

クロム作業従事期間

(年・月)

暴露開始後の経過年数

(年・月)

労災認定の有無

損害額の算定

(若年加算・寄与率等)

認定に供した証拠

肺がん

上気道がん

その他の呼吸器疾患

胃がん

2

宇田川耕治

45.9.10

41

20.5

20.5

12.5%加算

甲802の1、2、628の2

3

梅沢政義

46.9.19

49

18.8

20.3

12.5%加算

甲803の1、2、628の3

4

古滝秋治

41.3.8

57

約15.0

37.0

甲804の1、2、628の4

5

古瀧要作

40.12.24

62

18.8

26.5

甲805の1、2、628の5

7

斉藤儀助

40.5.23

57

じん肺結核

5.0

36.2

甲807の1、628の7、1107の2

9

椎名丑蔵

41.8.22

65

31.9

32.2

1/4

甲809の1、628の9

11

島崎喜一

50.8.26

64

32.1

42.6

甲811の1、628の11

13

嶋田嶋蔵

50.8.9

61

27.6

30.3

甲813の1、628の13

14

下タ村重蔵

33.8.20

43

11.9

19.0

1/4,12.5%加算

甲814の1、628の14

15

瀬尾昭司

49.7.23

45

22.9

22.9

12.5%加算

甲815の1、628の15

16

瀬尾理三郎

50.9.7

61

13.11

43.2

甲816の1、2、628の16

18

関口勇治

47.8.15

46

24.4

24.4

12.5%加算

甲818の1、628の18

19

高田一男

49.1.9

51

9.8

18.3

甲819の1、628の19

20

高橋良三

45.12.31

39

19.4

19.4

25%加算

甲820の1、628の20

22

豊田正之介

46.5.1

58

約20

約24

甲822の1?3、628の22

23

中里錦三

46.10.31

53

30.7

30.7

甲823の1、628の23

25

古谷竹治郎

42.2.24

55

約7

約33

甲825の1、628の25

27

水沢音松

46.10.31

62

約15

43.2

甲827の1、628の27

29

八木松太郎

48.2.14

55

25.6

25.7

甲829の1、628の29

30

横須賀政次

45.1.20

55

約23

約23

甲830の1,2、628の30

31

伊藤信也

49.1.26

35

9.6

13.7

25%加算

甲831の1、628の31

35

向井始

54.3.18

65

約9

約42

1/4(但し生前疾患を含む)

甲835の1

36

上田留太郎

55.3.11

70

肺気腫を伴うじん肺症

22.0

31.1

生前疾患を含む

甲72の2、3、203の1、2、836の1

37

加藤光吉

54.10.7

57

16.7

28.5

甲837

認定被害一覧表

(二)

番号

氏名

じん肺(型)

慢性気管支炎

その他の呼吸器の症状

肺機能障害

鼻中隔穿孔

鼻炎

慢性副鼻腔炎

上咽頭炎

咽頭炎

喉頭炎

嗅覚障害

その他の鼻咽喉の症状

皮膚潰瘍の瘢痕

胃潰瘍等

眼の症状

労災認定の有無・等級

総合ランク

認定に供した証拠

1

塩井芳造

1

肺がん

(左・右)

有 12

A

甲101、201の1~3、1001の2

2

向井始

2

じん肺結核

胃がん

3

上田留太郎

1

肺気腫

じん肺症

有 14

甲203の1、2

4

川野正

2

有 12

B

甲104、204の1、2

5

佐野晋太郎

1

有 12

B

甲105、205の1、2

6

内山作蔵

2

C

甲206の1、2

7

漆間義政

1

有 12

C

甲107、207の1、2

8

奥山武

2

有 14

B

甲108、208の1、2

9

朝見敏夫

2

喘息様

有 12

B

甲109、209の1、2

10

飯塚光雄

2

C

甲210の1、2

11

須賀六太郎

2

肺気腫

(自然気胸)

B

甲111、211の1~4

12

榎本留六

2

C

甲112、212の1、2

13

安藤長次

2

有 14

C

甲113、213の1、2

14

佐藤隆司

2

有 12

B

甲114、214の1、2

15

穐本広司

2

有 12

B

甲115、215の1、2

16

曽我銀蔵

2

軟口蓋に瘢痕

B

甲216の1、2

17

須賀忠吉

2

C

甲117

18

増田三蔵

1

C

甲118

19

牧野清

2

有 12

B

甲119、219の1、2

20

兼平吉三郎

1

有 14

C

甲120

21

高橋元真

2

B

甲121

22

加藤礼蔵

1

有 14

C

甲122、222の1、2

23

海老原一男

1

肺性心

慢性結膜炎

有 12

B

甲123、223の1、2

24

福田年男

1

肺がん(左)

有 12

A

甲124、224の1、2、1024の2

25

石毛藤吉

2

肺がん(右)

有 14

A

甲125、225の1、2、1025の2

26

高橋一二

2

有 14

C

甲126、226の1、2

27

服部春千

2

肺気腫

B

甲127、227の1、2、1027の2、3

28

増田金蔵

1

C

甲228の1、2

29

松島三治郎

2

有 14

C

甲129、229の1、2

30

石島千次郎

2

鞍鼻

有 12

B

甲130、230の1、2

31

梅原弥吉

2

鞍鼻

C

甲131、231の1、2

32

松林喜通

2

術後胃

角膜白斑

有 14

B

甲132、232の1、2

33

真鍋正治

2

肺がん(左)

有 14

A

甲233の1、2、1033の2

35

梶一郎

1

有 14

C

甲235の1、2

36

花釜久芳

2

有 14

C

甲136、236の1、2

37

富沢菊蔵

2

術後胃

B

甲137、237の1、2

38

高橋友棋

2

有 14

C

甲138、238の1、2

39

長沢喜三郎

1

術後胃

角膜白斑

有 14

B

甲239の1、2

40

須賀善五郎

1

じん肺結核

B

甲240の1、2

41

堀江光寿

2

慢性結膜炎

有 14

C

甲141、241の1、2

42

田中信義

2

有 12

B

甲142、242の1、2

43

松沢肇

2

涙のう炎

有 14

B

甲143、243の1、2、1043の2

45

伊藤照夫

1

術後胃

有 14

C

甲245の1、2

46

小平完一

2

慢性結膜炎

有 12

B

甲146、246の1、2

47

井上泰助

2

上咽頭に瘢痕

C

甲147

48

石田秀止

2

軟口蓋に瘢痕

胃潰瘍

有 14

B

甲148、248の1、2、1048の2

49

佐藤武男

2

有 12

C

甲249の1、2

50

石田春吉

2

術後胃

有 12

B

甲150、250の1、2

51

佐藤広男

2

有 14

C

甲151、251の1、2

54

彦田威男

1

昭41年手術

有 14

C

甲154、254の1、2

55

福田貢

2

有 12

B

甲155、255の1、2

56

古沼伝吉

C

甲156

57

松野清一

2

有 14

C

甲157、257の1、2

58

高井米吉

1

肺がん

(左・右)

軟口蓋に瘢痕

角膜白斑

有 12

A

甲158、258の1~3、1058の2、3

59

高橋清

2

有 14

C

甲259の1、2

60

山崎信芳

1

有 14

C

甲260の1、2

61

西野新吉

2

有 12

C

甲161

64

伊藤攻二

1

有 14

C

甲264の1、2

66

小松崎正夫

1

有 14

C

68

木村武

1

慢性結膜炎

C

甲268の1、2

69

佐藤巳代治

1

有 14

C

70

高橋健司

2

有 12

B

甲170、270の1、2

71

山崎順朗

1

C

甲171、271の1、2

72

石島敏二

2

C

甲172、272の1、2

73

中根文二郎

1

有 14

C

甲273の1、2

74

畠山孝男

2

慢性胃炎

有 12

B

甲174、274の1、2

75

石島満

2

有 14

C

甲175、275の1、2

77

大村武

1

胃潰瘍

有 12

C

甲177、277の1、2

79

清水千年

2

硬口蓋に糜爛がよくできる

C

甲279の1、2

80

近藤作平

1

C

甲280の1、2

81

高橋留夫

C

甲181、281の1、2

82

中島正司

2

C

甲182、282の1、2

83

清田倉之助

2

有 14

C

甲283の1、2

84

青山卓

1

有 14

C

甲631の2

85

水野健司

2

C

甲185、285の1、2

86

泉水梅吉

2

胃潰瘍

有 14

C

甲286の1、2

90

富沢常作

1

術後胃

C

甲190、290の1、2

92

鈴木国松

2

C

甲192、292の1、2

93

高橋次郎

1

不活動性結核

C

甲293の1、2、302

94

沢栗博司

C

甲194

認定に供した証拠

甲200、642

甲53の1、2、200

甲200

甲53の1、2、200

甲302、631の1、2

甲100

甲631の1

甲300

甲300、301の1

甲649

甲1200

(注) 肺機能障害の◎は著しい肺機能障害のあるもの、○は肺機能障害のあるものを示す。   嗅覚障害の◎は嗅覚脱失、○は嗅覚減退を示す。

認定被害一覧表(二)の各障害欄のうち、じん肺は、1/0型が新標準写真の最下限であるのでこれを除き、佐野が読影した結果、1/1型以上に判定されたものをじん肺症に認めた。慢性気管支炎については、問診の結果、咳痰が年に三か月以上続くと答え、自覚症状のあるものに限り、これを認めた。

肺機能障害については、V25/身長mの数値が基準値未満で呼吸困難度3度(平地も健康者なみに歩行できないもの)以上またはこれに準ずるもの(換気指数F3)を著しい肺機能障害があるものと認めた。肺活量(Vc)その他検査値が良好のものは肺機能障害なしとした。

鼻中隔穿孔の±(原告ら主張の穿孔には至つていないが、鼻中隔に穴があきかけているもの)は、これを障害から除いた。

嗅覚障害は、脱失と減退との両方の診断又は労災認定があるもの、及び高令のものについては、症度の低い減退を認定した。

三  個別的因果関係の認められないもの

1死亡者

(一) クロム暴露等原因関係が認められないもの

(1) 児玉伝(No.6)

児玉伝の被告会社における勤務期間、配属工場及び作業内容が別紙「勤務関係等一覧表」(一)記載のとおりであることは当事者間に争いがない。それによれば、児玉伝は、小松川北工場以外に勤務したことはなく、作業内容も昭和二四年六月から同二五年一月までは雑用(下請の池田組)、その後三七年二月までは容器塗装、製品運搬(同二八年一〇月までは下請の共立回漕店、その後は共立運保)であつた。しかも、北工場においてクロム化合物の生産を開始したのは、昭和三八年八月以降であることは当事者間に争いがない。

ところで、昭和二五年一〇月から同三二年七月まで、北工場において運搬等(共立運保)の作業に従事していた原告富沢菊蔵(No.37)は、当時の北工場における共立運保の従業員は、児玉伝を含めて大要次のような仕事をしていた旨陳述している。すなわち、

① 南工場から北工場へ重クロム酸ソーダ等を運搬すること

② 北工場等の倉庫の掃除など

そして右①について、当時重クロム酸ソーダを船で南工場から北工場へ運搬するには、粉塵の立ちこめる南工場内の仕上工場に入ることがあり、重クロム酸ソーダの結晶を詰めたドラム缶に付着した粉塵をボロ布で落とす作業をした。②の北工場内の倉庫の清掃時には、こぼれ落ちている重クロム酸の粉塵を浴びたと述べている。

しかし、右富沢本人尋問の結果によるも、北工場から南工場へ出かけるのは週に一、二回であつたことが認められ、ドラム缶運搬の際及び倉庫内清掃の際にクロムの粉塵を浴びたという供述部分も、当時倉庫係として倉庫管理の業務に従事していた八木忠雄の陳述書の記載に照らしてにわかに措信できない。

したがつて、児玉伝については、被告工場においてクロムに暴露する機会は殆んどなかつたものであり、被告会社において疫学調査した際にもクロムの暴露歴なしとして調査の対象外にしている。なお、児玉の死因は、胃がんから肺への転移による心臓麻痺が直接死因となつているが、転移した肺がんの点は死亡診断書を作成した諸橋医師の推断に基づくものであることが窺われ、重複がんでないことは、さきに指摘したとおりであり、<証拠>中、この点に関する記載並びに供述部分はにわかに採用できない。

以上の次第で、児玉伝の死亡がクロム暴露によるものと認めるべき証拠は他に存しない。

(2) 時雨寛蔵(No.10)

時雨寛蔵の被告会社における勤務期間は、配属工場及び作業内容が別紙「勤務関係一覧表」(一)記載のとおりであることは当事者間に争いがない。それによれば、時雨寛蔵がクロムに暴露する機会があつたのは、昭和一八年八月から同二〇年八月まで小松川南工場の結晶部に勤務していたわずか二年間にすぎないこと、その他の昭和六年一二月から同一八年八月まで、同二〇年八月から同三七年一月までの間は、いずれも北工場の芒硝部、マンガン部等において勤務していたことが認められ、他にクロムに暴露する作業に従事していたことを認めるべき証拠はない。なお、同人の妻原告時雨マサは、亡夫寛蔵が、戦前工場に勤務していた当時、南工場へ手伝いに行つていたことがある旨陳述書に記載しているが、原告マサ本人尋問の結果によると、右は亡夫が南工場に勤務していた二年間のことを述べている疑いもある。被告会社では、従業員に過不足が生じたときは正式に辞令を交付して配置換の手続をしていたところ、時雨寛蔵に対し、そのような辞令が交付されたと認めるべき証拠はない。

以上のとおり、時雨寛蔵が被告工場においてクロムに暴露した期間は、戦前の南工場における二年間にすぎない。

なお、時雨寛蔵の直接死因は脳出血であり、生前骨がん及び腎臓がんに罹患していたことが認められるが、結局、同人の死亡がクロム暴露によるものと認めるに足る証拠は他に存しない(<反証排斥略>)。

(3) 田中孝(No.21)

田中孝の被告会社における勤務期間、配属工場及び作業内容は、別紙「認定勤務関係一覧表」(一)のとおりである。それによれば、田中孝は昭和二三年六月から同三八年一月まで小松川北工場において、珪酸ソーダの製造作業に従事し(昭和二五年一月までは池田組、同二八年一〇月までは共立回漕店、同三〇年一〇月までは共立運保に属し、以後本工となつた)、その後同四四年一〇月までは亀戸工場において同じく珪酸ソーダの製造作業に従事していたことが認められる。

ところで、訴外松戸勘市は、田中孝が下請会社に属している間、雑役夫として職場は一定しておらず、南工場におけるクロムの袋詰や滓掘り作業もしていた旨陳述しているが、右の記載は、北工場において田中孝と一緒に勤務していた子安靖夫及び伊藤忠雄の陳述書の記載に照らしてにわかに措信することができない。

また、同人の妻原告田中しげは本人尋問において、亡夫孝が昭和三五、六年頃南工場へ手伝いに行つたことがあると聞いている旨供述しているが、前記のとおり、田中孝は昭和三〇年以後本工になつており、本工が南工場の手伝いに行くことはないので、この点からしても、原告しげ本人の供述はにわかに措信できない。

したがつて、田中孝は、被告会社における疫学調査の対象にもされていない。

なお、田中孝は、急性リンパ性白血病及び急性肺炎により死亡したことが認められ、結局、同人の死亡がクロム暴露によるものと認めるに足る証拠は存しない(<反証排斥略>)。

(4) 中里文次(No.24)

中里文次の被告会社における勤務期間、配属工場及び作業内容が別紙「勤務関係等一覧表」(一)記載のとおりであることは当事者間に争いがない。それによれば、中里文次は昭和七年五月から同一三年一月まで小松川南工場結晶部に勤務した(町山組)ほか、同一三年一月から同四五年一月まで第二工場において硫酸の製造に従事し、その後同四七年一月まで同工場の修理部に嘱託として勤務していたものである。その間、昭和四二年五月二四日には硫酸協会から硫酸一筋の模範労働者として表彰されたほどであり、これについて中里自身、日化ニュース第五八号(昭和四二年六月二一日付)誌上において、昭和一二年に第二工場硫酸部に配属されて以来三〇年間硫酸製造作業に従事し、硫酸職場における数々の問題点解決のために努力してきた旨述べている。そして昭和四五年部職長を定年退職後、嘱託として修理部に勤務したが、その間も硫酸部の修理を専門にしていたことが認められる。なお、原告水野健司は、中里文次が硫酸部にいた当時、五年間クロムカリ明ばんの製造作業に従事し、その間クロム粉塵を浴びていた旨陳述しているが、前掲証拠に照らしてにわかに措信することができない。してみると、中里文次は、戦前約五年九か月間、クロムの製造作業に従事し、その間クロムの暴露を受けていたにすぎない。

ところで、中里文次の死因が胃がんであることについては当事者間に争いがない。しかし、胃がんとクロムとの関係については、因果関係総論で説示したとおり、相当長期間クロムの暴露があつた者についても、多数の発がん因子が考えられるので、クロムはその一つとして、肺がんに比べ四分の一以下の寄与率の限度で、因果関係を認めているにすぎない。中里文次は、大正四年一月四日に出生したものであるから、クロムに暴露した期間は、一〇代後半から二〇代前半に至る約五年九か月間ということになり、その後三四年間にわたり硫酸の製造等に従事してきたものである。

したがつて、戦前約五年九か月間のクロム暴露が、右暴露終了後三五年経過後に発生した胃がんの原因に寄与していたものとは認められない(<反証排斥略>)。

(二) クロム暴露と死亡との因果関係が認められないもの

(1) 市田晴(No.1)

市田晴が昭和四年六月から同二二年二月まで被告小松川南工場の結晶部に、その後三六年八月まで同工場のメッキ部に勤務していたこと、同四四年二月二八日に頸部肉腫兼悪液質で死亡したことは当事者間に争いがない。

ところで、佐野は、市田晴の頸部肉腫について、がんが上皮性細胞の悪性化であるのに対し、肉腫は結合織(非上皮性)細胞が悪性化したものであつて、クロムのような金属のがん原物質は、しばしば結合識細胞を侵すのでクロム暴露との因果関係を肯定できる旨供述し、<証拠>にはその旨記載している。

しかし、呼吸器系及び胃がん以外の他臓器のがんについては、一般的にクロム暴露が起因しているものと認められないことは、すでに因果関係総論において詳述したとおりであつて、右クロム暴露との因果関係を肯定する佐野の見解は、にわかに採用することができない。

したがつて、他に証拠のない以上、市田晴の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(2) 笹川順治(No.8)

笹川順治が昭和一五年九月から同二〇年一〇日まで被告小松川南工場において焙焼関係の作業に従事し(増田組)、その後同四六年九月まで北工場において雑用、製品運搬等の作業に従事(共立運保等)していたこと、同四六年九月一八日に細網細胞肉腫で死亡したことは当事者間に争いがない。

佐野は、細網細胞肉腫は一般的には少ない病気であり、笹川の場合、原発巣は不明であるが、全身に転移していたこと、一般に細網細胞系統はリンパ腺、骨髄等にあり、クロムに限らず各種の有害物を抑留しやすい箇所であるので、クロム暴露が細網細胞系に悪性肉腫を起こし得ることは十分に考えられる旨供述し、<証拠>にその旨記載している。しかし、呼吸器系以外のがんとクロム暴露との関係についてはすでに因果関係総論において詳述したとおりであつて、クロムと他臓器がん(細網肉腫を含む)との因果関係を肯定する佐野の見解は、にわかに採用することができない。

したがつて、他に証拠のない以上、笹川順治の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(3) 嶋田兼太郎(No.12)

嶋田兼太郎の勤務期間、配属工場及び作業内容は、別紙「認定勤務関係一覧表」(一)のとおりであり、それによれば、嶋田は、被告小松川南工場において、昭和一二年四月から同二〇年一〇月までは結晶関係(増田組)、同二三年六月までは焙焼関係(伊藤組)、同三〇年一一月までは鉱滓雑役部、同三九年三月までは焙焼雑役部のクロム作業に従事していたものであることが認められる。同人が、その後昭和四二年一一月二三日、肝臓がんで死亡したことは当事者間に争いがない。

佐野は、嶋田兼太郎の場合、飲酒癖がなかつたので、本死亡例は飲酒の習慣がなくともクロム暴露により肝臓がんが発生した明解な事例である旨供述し、<証拠>にその旨記載している。しかし、一般的にクロム暴露と肝臓がんとの間に因果関係が認められないことは、すでに因果関係総論において詳述したところであり、右佐野の見解はにわかに採用することができない。

なお、嶋田兼太郎の妻原告嶋田つねは、兼太郎の死亡に至る経緯及び症状が、同人の実弟で、被告南工場のクロム暴露により昭和五〇年八月九日肺がんで死亡した嶋田嶋蔵(No.13)と非常によく似ていた旨供述(陳述書を含む)しているが、兼太郎については、嶋蔵のような剖検記録その他適確な医証も保存されていないので、右の供述から直ちに、兼太郎の肝臓がんとクロム暴露とを結びつけて考えることはできない。

しかも、<証拠>によれば、兼太郎は、昭和四一年三月頃三角診療所で気管支炎の診断治療を受け、その後昭和四二年一一月頃肝がんの診断を受けて、檜垣医院へ転院したが、間もなく同月二三日死亡したものであることが認められる。

したがつて、他に証拠のない以上、嶋田兼太郎の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(4) 関口七之助(No.17)

関口七之助が昭和一七年から同二一年一二月まで被告小松川南工場の結晶部に、その後同二二年四月までは第二工場C・S部に、同四四年一月までは再び南工場結晶部に、同四六年五月までは南工場設備管理部に勤務して、クロム等の製造作業に従事していたところ、同年五月二日在職中に死亡したことは当事者間に争いがない。

原告らは、関口七之助の死因について、じん肺性の肺結核により死亡したものである旨主張するが、死亡診断書及び佐野作成のメモ記載の死因は、いずれも脳出血であること、脳出血の原因の多くは高血圧によるところ、関口は、昭和三二年四月から同三三年五月まで本態性高血圧症により一盛病院に入院し休業していること、同四三年一月当時も血圧が高く(一九二―一二四)、医師から降圧剤の投与を受けこれを服用していたので、一時的に血圧が降下したことが認められる。

なお、<証拠>によると、関口は、昭和四四年一一月から同四六年四月まで、小松川大橋診療所において肺結核症の治療を受けていたものであるが、化学療法の経過が良好で、同四五年八月には著明改善し、同四六年二月五日胸部レントゲン直接撮影及び断層撮影の結果、病巣が更に縮少し、病型も硬化安定型となつたので治癒したものと認められ、同年四月三〇日には二週間分の投薬を受けて治療中止になつたことが認められる。

してみると、関口の死因は肺結核ではなく、高血圧症による脳出血であることは明らかである。

ところで、佐野は、関口七之助には、クロムによるじん肺の所見があつたので、同人の脳出血について、クロムその他の重金属の影響を否定することはむずかしく、クロムの血管或は心臓に対する影響下において、脳出血を起こしやすくした可能性がある旨供述し、<証拠>にその旨記載している。

しかし、クロム暴露と高血圧、脳出血等の心臓血管系の障害との間に因果関係が認められないことは、さきに因果関係総論において詳述したとおりであつて、佐野の見解はにわかに採用できない。

したがつて、他に証拠のない以上、関口七之助の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(5) 真壁清(No.26)

真壁清が昭和三〇年二月から同四二年二月までの被告人小松川南工場結晶部に、その後四四年八月まで同北工場精製部においてクロム製造作業に従事していたこと(非クロム職場は省略)、その後同四九年二月二日在職中に肝臓がんで死亡したことは当事者間に争いがない。

ところで、佐野、海老原らは、真壁清の肝臓がんについて、クロムによる肝変化を基盤として、クロムその他各種の催炎症性、発がん性の重金属があいまつて、肝臓がんを発生させたものである旨供述し、その旨の報告及び記載をしている。

しかし、真壁清ら他臓器がんで死亡したものの、各臓器中のクロムその他の金属量を分析した結果については、さきに「クロムの蓄積」で述べたとおり、肺野、肺門部リンパ腺で高濃度のクロムが検出されたほか、その他の臓器中のクロム量については一般人と比べて大差がない。そして、因果関係総論において詳述したとおり、右クロムと肝臓がんとの因果関係を肯定する佐野らの見解は、にわかに採用することができない。

したがつて、他にクロムの起因性を認めるべき証拠のない以上、真壁清の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(6) 森永武盛(No.28)

森永武盛が、昭和二三年九月から同四四年四月まで被告小松川南工場において、クロムの精製・焙焼の作業に従事していたところ、同年四月二〇日死亡したことは当事者間に争いがない。

原告らは、森永の死因について、肺炎等により死亡したものである旨主張し、<証拠>にはその旨の記載がある。しかし、死亡診断書記載の死因は、脳出血に基づく心不全であり、高血圧が脳出血の原因となることは前記(4)で述べたとおりであるところ、<証拠>によると、森永が昭和四二年一一月、城東病院に入院した際のカルテ及び同病院の梅村喜夫医師のメモには、同人が昭和四二年二月に高血圧症で薬を内服したことがあり、入院時の血圧は一四八〜八二であること、ワ氏反応陽性のため大動脈に変化をきたしていたと思われる旨記入されていること、その後同年一一月一七日から翌四三年四月一三日まで、急性肺炎、肺浸潤にて同病院で入院治療を受けたこと、昭和四二年一一月二八日の血圧は一二四〜七〇で異常は認められなかつたこと、その後昭和四三年一〇月一八日発病後、葛飾病院へ入院し、翌四四年四月二〇日脳出血による心不全で死亡したことが認められる。

してみると、森永の死因は、肺炎等ではなく、脳出血による心不全と認められる。

ところで、佐野は、森永について、胸部レントゲン写真を読影した結果、じん肺症(2/2型)があり、肺の変化のため心臓が肥大していたこと、クロム暴露が心臓血管系に強い影響を与えていること、したがつて、脳出血とクロムとの因果関係はかなりあり得ることを供述し、前記メモにその旨の記載をしている。

しかし、前記(4)で触れたように、クロム暴露が心臓血管系に障害を起こすものと認められないことは、因果関係総論において詳述したとおりであり、右佐野の見解はにわかに採用することができない。

したがつて、他に証拠のない以上、森永武盛の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(7) 加藤祐治郎(No.32)

加藤祐治郎が昭和二六年四月から同三四年四月まで被告小松川南工場の焙焼雑役部において、クロム製造作業に従事していたところ、同年四月二九日敗血症及びリウマチ熱で死亡したことは当事者間に争いがない。

ところで、佐野は、加藤祐治郎が昭和三〇年九月二〇日、被告小松川南工場内でクロム作業中に、焼き上げ鉱滓を身体に浴びて全身火傷を負つたこと、クロムによる火傷の特質から非常に治癒しがたいこと、そのため火傷部位に細菌感染したことが原因である旨、供述し、<証拠>にその旨の記載をしている。

しかし、<証拠>によれば、右火傷は昭和三一年四月一一日治癒し、当時、労災補償の障害等級一一級に認定されたことが認められる。しかも、原告本人加藤良の供述(陳述書を含む)によれば、加藤良が昭和五〇年九月二六日、原告訴訟代理人の弁護士とともに、父祐治郎が死亡するまで入院していた墨田病院(現在の墨東病院)へ赴き、主治医塩川英二から事情を聴取していること、塩川医師の説明によると、一般的に火傷から敗血症を起こすことはありうるが、普通は敗血症に感染して一年以上も続くことはなく、(本件は火傷後三年以上経過)感染時及び火傷の治癒時は不明であること、完治していなければ、相当時間経過後に細菌感染して敗血症になることも考えられるが、本件の場合、細菌培養が成功しなかつたため、敗血症の起因菌が特定できず、感染時期、侵入門戸及び病原細菌の種類は判明しないことが認められる。

なお、原告本人加藤良、同加藤札蔵の各供述によれば、祐治郎は、昭和三一年四月加藤病院退院後も包帯をし、関節痛のため内野医院へ通院していたが、欠勤が多く社宅に居づらくなつて転居したことが窺える。

してみると、加藤祐治郎は、昭和三〇年九月二〇日に負傷した火傷の部位が完治せず、その結果細菌に感染して同三四年四月二九日に敗血症等で死亡した疑いもあるけれども、前記塩川医師の説明のとおり、治癒時や起因菌等も特定できないので、全身火傷に起因して敗血症が発症した旨の右佐野の見解は推測の域を出ず、にわかに採用できない。

したがつて、他に証拠のない以上、加藤祐治郎の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(8) 畑山文治(No.33)

畑山文治が昭和二二年六月から同三八年五月まで被告小松川南工場結晶部に、同四五年五月までは北工場精製部に勤務し、クロム製造作業に従事していたこと、同四八年二月一一日第二工場バンド部に在籍中、気管支炎で死亡したことは当事者間に争いがない。

ところで、佐野は、畑山につき、松沢病院で解剖した顕微鏡標本を精査した結果、激しい気管支肺炎があつて、気管支上皮の異常な増殖が至るところにあつたこと、これはクロム作業者に共通な症状であり、肺の中に高濃度のクロム(53.12μg/gが検出されたこと、以上の点から直接の死因はクロムじん肺による気管支炎の悪化であると供述し、<証拠>にその旨の記載をしている。

しかし、原告本人畑山隆子の供述によると、亡夫文治は、脳障害により都立松沢病院に入院中、気管支肺炎に罹患したものであるところ、畑山は生前、昭和四四年頃から初老期痴呆症になり、職業病に罹患した旨強く訴えていたことが認められる。

そこで、昭和五〇年夏、六価クロムによる身体障害が社会問題化したため、東京都は急拠、同年九月、精神医学総合研究所研究部長の石井毅をリーダーとし、他に九名のメンバーによつて、「六価クロム等による脳神経系への影響の調査研究」のためのプロジェクトチームを編成し、脳障害で入院死亡した畑山の問題を契機として、総合的な検討がなされ、昭和五一年六月、その結果が発表された。

右の報告書によると、昭和四八年二月当時、松沢病院の病棟内で感冒が流行しており、畑山も同月一〇日に38.3度の発熱があり、その治療として抗生物質、ピリン系下熱剤の投与を受けたが、翌一一日夕食後急変して処置の効なく死亡したこと、右報告書は結論として、①臨床病理学的所見は、ピック病のそれに相当している。②本症例の臓器内には高い値のクロムの沈着が認められるが、脳内クロム含量の一部または全部はホルマリン固定中の汚染による可能性が大きい。③以上の病理所見及び動物実験(投与クロムのラット脳及びその他の臓器内への取込み実験)の結果から考えると、本症例の脳の病理所見がクロム中毒により惹起された可能性は今日までの学問的知識からは考え難い。しかし、我々はその可能性を全面的に否定する根拠をも持たない、と報告している。

なお、ピック病とは、右報告書によれば、プラハ大学のピック教授によつて、一八九二年に失語症として報告され、その後類似症例が相ついで、一九二六年、大成及びSpatzによつて、ピック病と総称された疾患で、臨床的には、初老期に発病し、特有の人格や情動の変化を示し、末期には高度の痴呆におちいり、神経病理学的には、大脳半球の限局性萎縮とくに好発部位として、前頭葉、側頭葉、頭頂葉の萎縮を示すのを特徴とする。その原因は明らかでなく、一般には遺伝性疾患の一つと考えられている旨記述されている。

してみると、畑山文治の直接の死因は、感冒による急性気管支肺炎であり、ほかにピック病に罹患していたものと認められるが、ピック病がクロム暴露によるものとは認められない。

したがつて、佐野の前記供述及び記載部分は、前掲各証拠に対比してにわかに採用しがたく、他に証拠がない以上、畑山文治の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

(9) 高橋元真(No.34)

高橋元真の勤務期間は、配属工場及び作業内容は、別紙「認定勤務関係一覧表」(一)のとおりであり、それによれば、昭和一〇年から同一六年まで被告小松川南工場において焙焼雑役夫(町山組)としてクロム製造作業に従事していたものであることが認められる。その後、昭和五二年三月一一日、高橋が食道がんで死亡したことは当事者間に争いがない。

佐野は、高橋元真の金属元素量の分析結果に基づく病理解剖学的所見として、直接死因は食道がんであるが、肺の広汎な肺炎巣の発生もこれに拍車をかけたものと思われること、全身の諸臓器の変化も、クロム等重金属による慢性作用の結果であつて、明らかな業務上死亡である旨供述し、その旨<証拠>に記載している。しかし、高橋の食道組織内(食道粘膜非がん部)のクロム量(3.0ppm、通常人の約一〇倍)が、肺野等と比べればとくに問題とすべき量に達していないことは、前記「クロムの蓄積」において認定したとおりである。さらに、一般的にクロム暴露と食道がんとの間に因果関係が認められないことについても因果関係総論において詳述したとおりであつて、右佐野の見解はにわかに採用することができない。

したがつて、他に証拠のない以上、高橋元真の死因がクロム暴露によるものとは認められない(なお、高真元真については、生前の疾患について認定被害一覧表(2)No.21のとおり認定した)。

(10) 須賀一郎(No.39)

須賀一郎が昭和三二年二月から同四三年六月まで被告小松川南工場結晶部(同三四年八月まで共立運保)においてクロムの製造作業に従事していたところ、昭和四三年六月一九日在職中、ホジキン氏病(リンパがん)で死亡したことは当事者間に争いがない。

ホジキン氏病は、リンパ組織に原発する悪性腫瘍と定義されているが、病因についてなお不明であるといわれ、悪性リンパ腫の一つであり、多核巨細胞を有する点で、リンパ肉腫、細網肉腫などの悪性リンパ腫と区別される。

ところで、一般的にリンパがんがクロム暴露により発生するものと認められないことは、因果関係総論において詳述したところから明らかである。

したがつて、他に証拠のない以上、須賀一郎の死因がクロム暴露によるものとは認められない。

2生存者

(一) クロム暴露等原因関係が認められないもの

(1) 東城緑(No.34)

東城緑が昭和二二年一〇月から同二四年一〇月まで被告亀戸工場の製丹部に勤務していたことは当事者間に争いがない。右職場がクロムに暴露する職場であることについては、原告らにおいて何ら主張、立証がない。

したがつて、他にクロム製造作業に従事した事実の認められない以上、東城緑に身体障害があつたとしても、クロム暴露によるものとは到底認められない。

(2) 佐藤正(No.78)

佐藤正が被告の下請である中川運輸株式会社の従業員として、昭和四〇年一二月から同四四年九月まで被告亀戸工場において運搬作業に従事していたことは当事者間に争いがない。

ところで佐藤正は、陳述書及び原告本人尋問において、亀戸工場における作業の具体的内容について次のように述べている。

小松川工場からトラックで亀戸工場内の倉庫に運ばれた副産粗芒硝を、同工場内の無水芒硝工場へ運搬するとき及び精製された中性無水芒硝の製品をトラックで得意先へ届ける際に、運転助手として右原料及び製品の運搬作業に従事した。中性無水芒硝の製品をフォークリフトでトラックに積込む際、製品の袋が破れることがあり、芒硝がこぼれたり、そのために倉庫の掃除をした際などに、芒硝を含んだ粉塵に暴露した。

しかし、佐藤正が副産粗芒硝を亀戸工場内の倉庫から無水芒硝工場へ運搬したとの点については<証拠>に照らしてにわかに措信できない。しかも、原料として使用されていた副産粗芒硝に含まれる六価クロムの含有率は0.5ないし0.7%であり、また中性無水芒硝の製品中には、三価クロムが微量入つているのみで六価クロムが入つていないことはすでに認定したとおりである。

してみると、仮に佐藤正が亀戸工場において約四年間、トラックの助手をしながら、原料運搬の際に粗芒硝に含まれる六価クロムの粉塵に暴露したとしても、その量はきわめてわずかであるといわざるを得ない。

したがつて、他に証拠のない以上、原告佐藤正に身体障害があつても、それがクロム暴露によるものとはたやすく認められない。

(3) 金小植(No.89)

原告らは、金小植が昭和一三年から同二七年まで主に被告小松川南工場において、焙焼関係の雑役として勤務していた(昭和一八年から二〇年までは軍の徴用)旨主張し、原告本人金は、一部右主張に沿うごとき供述(陳述書を含む)をしているけれども、右供述自体きわめてあいまいであつて、勤務期間、勤務場所を特定することができないのみならず、金は下請の町山組人夫として所属していたというが、被告工場以外の工場で働くこともあり、一か月のうちどの程度被告工場に勤務していたのかその勤務日数さえ明確でなく、右供述はにわかに措信できない。そして右原告本人の供述以外、金が被告工場でクロムに暴露する作業に従事していたことを認めるに足る同僚等第三者の供述或は被告会社において在籍、勤務を確認するに足る客観的な資料は存しない。

結局、原告金小植については、被告工場のクロム製造作業に従事していた勤務歴自体が特定できず、クロム暴露を受けたことがあるかどうか判明しない(なお、同原告にはクロムの典型症状である鼻中隔穿孔や皮膚潰瘍後の瘢痕は認められない)。

(4) 渡辺幸一(No.91)

原告らは、渡辺幸一が昭和五年六月から同六年五月まで被告小松川南工場の焙焼に、同年六月から同八年一〇月まで同工場の浸出作業に従事していた旨主張し、原告本人渡辺は、右期間、被告工場に勤務していた旨右主張に沿うごとき供述(陳述書を含む)をしているが、この点について本人の記憶も明白でなく、確かな根拠をもつているものとは窺えない。

しかも渡辺は、被告工場で働いていた同僚として、原告須賀六太郎の名をあげ、同人に誘われて本件訴訟の原告の一人となつた旨供述しているが、前記認定のとおり、須賀六太郎が被告小松川南工場に勤務するようになつたのは昭和九年七月であり、これは原告渡辺の主張する退職年月である昭和八年一〇月の後のことであるから、須賀六太郎と一緒に勤務していたとする事実はなく、この点からしても渡辺本人の供述はにわかに措信することができない。

他に被告会社において、原告渡辺の在籍、勤務を確認するに足る資料もなく、結局、原告渡辺幸一については、被告工場においてクロム製造作業に従事していたという勤務歴自体これを認めるに足る証拠がない(なお、前同様同人についてもクロムの典型症状は認められない)。

(二) 損害賠償の対象となるべきクロムによる身体障害の認められないもの

(1) 左記九名の原告については、損害賠償の対象となるべきクロムによる身体障害があるものとは認められない。

小野寺敏郎(No.44)、足立寛道(No.52)、水田豊作(No.53)、伊藤鉦三(No.62)、竹部誠四郎(No.63)、下タ村勇(No.65)、渡辺庸二郎(No.67)、神保秀雄(No.87)、吉田嘉夫(No.88)

(2) <証拠>の各嗅覚外来記録、<甲号証>の各診断書及び<甲号証>の報告書を纒めると、後記表<省略>のような記載になる(<甲号証>の肝障害、腎障害の記載は、肝・腎の機能検査における結果の異常値を示すのみであるので、これを障害と認めなかつた)。

右九名のうち、クロムによる典型症状である鼻中隔穿孔のあるものは原告伊藤鉦三のみであり、同人は、一四級の労災認定を受けているが、<証拠>によると、労働省は単に穿孔があるのみで障害補償の対象として取り扱つているのではなく、鼻中隔穿孔で嗅覚減退のあるものについて、一四級の格付けをしたようである。ところが原告伊藤本人の供述によると、嗅覚障害はその後自然回復し、嗅覚検査の結果も正常であり、その他の診断結果も同人の喫煙の影響等が考えられるほか異常がなく、同人は朝六時半から夜一一時半まで自営業等で働き、スポーツをするなど通常人以上に健康であることが認められる。

なお、原告伊藤及びその他の原告に、前記表<省略>のとおり皮膚潰瘍の瘢痕のあるものがいるが、右の形態学的損傷については、とくに著しい醜痕のあるもの以外、損害賠償の対象とならないと考えるところ、右原告らにそのような醜痕は認められない。

(3) また<証拠>の検診結果表によると、原告足立は、咳、痰、呼吸困難度がいずれも3、同水田は痰が3、同竹部は痰、呼吸困難度がいずれも3と答えているが、肺機能検査の結果は、きわめて良好であつて、右問診の結果は措信できない。

さらに、佐野は、原告小野寺、同足立に慢性気管支炎の診断を下し、要観察(C)と判定しているが、他覚所見もない(足立につき甲二五二号証の一)ので、右に関する供述部分はにわかに採用できない。

原告渡辺の胃潰瘍は、同人が昭和四二年一二月被告小松川工場を退職し、その後約一〇年経過した昭和五二年八月に罹患したもので、クロム暴露(八か月)によるものとは認められない。

その他、右原告らの上気道の症状は、原告吉田を除き全員がヘビースモーカー(喫煙数一日二〇本以上、喫煙期間一〇年以上)であるので、喫煙の影響がかなりあるところ、弁論の全趣旨によるも、右症状について現に治療を受けたり、日常生活に支障を生じているものは認められない。右原告ら本人の供述(陳述書を含む)中、右認定に反する部分はたやすく措信できない。

したがつて、他に証拠のない以上、前記九名の原告について、損害賠償の対象となるべきクロムによる身体障害があるものとは認められない。

四  まとめ

死亡被害者の各死因及び生存原告らの各障害とクロムとの因果関係につき、全部又は一部これを認めたものを要約すると、次のとおりになる。

1死亡被害者(三八名)

肺がん 一九名、じん肺合併症 二名、胃がん 三名  合計 二四名

2生存原告ら(九一名、但し、訴訟中の死者、高橋元真、佐藤巳代治を含む)

Aランク(肺がん等

重度健康障害) 五名

Bランク(肺気腫等

中等度健康障害)二五名

Cランク(嗅覚減退等

軽度健康障害) 四八名

合計 七八名

第四章  責任

第一  故意責任

原告らは、被告がクロム酸塩の製造開始当時からクロムの粉塵・ミスト・蒸気などの暴露・吸入により、皮膚潰瘍、鼻炎、鼻粘膜潰瘍、鼻中隔穿孔、喘息、気管支炎、肺炎及び咽喉頭の急性・慢性炎症などをひき起こし、更に人体の各器官・臓器に障害をもたらし、ついに発がんに至るいわゆるクロム身体障害に罹患することを十分認識しながらこれを認容し、右障害の発生を防止するための措置を怠り、劣悪な作業環境を改善せず、あえて原告ら労働者を危険な作業に従事させて、業界第一位の生産と利益を追求したものであるから、被告は、民法七〇九条に基づく故意責任があると主張する。

民法七〇九条の故意の内容は、被害の発生を認識し、かつこれを認容することである、と解するを相当とする。ところで、被告が障害の発生を認識していた鼻中隔穿孔等については、後記のとおり、最善の措置、適切な対策を講じたものとはいえないが、右被害発生防止のため環境改善や安全衛生措置を行つていたことが認められる。現場の労働者の間では、鼻中隔穿孔等の障害の発生を当然視されていたとしても、右一事をもつて、被告会社において右障害の発生を認容していたものとは認めがたいし、その他本件における全証拠に徴しても、被害の発生を認容していたものとは認められない。

また肺がんなど重篤な疾患の発生についても、被告会社の創立者である棚橋寅五郎が応用化学者であり、現代表者及び役員の大半は大学の応用化学出身者で占められ、しかも、被告会社がクロムによる肺がん症例報告があつたドイツのI・G社とカルテルを締結していたからといつて、当然にクロムの発がん性に関する情報を入手し知悉していたものとは認めがたい。その他本件全証拠に照らしても被告会社がこれを認識したうえで結果の発生を認容していたとは、到底認められない。

なお、被告会社が労働基準法等取締法規に違反して有害業務を行わせたからといつて、直ちに民事上の故意責任を構成するものではない。逆に、被告会社が労働省の規則、通達に定める作業環境基準(クロム濃度)、その他の法令に定める規制(労働時間等)を遵守していたからといつて、民事上違法性がないとはいえない。

結局被告が本件クロムによる身体障害の発生について、認識・認容していたことを認めるに足りる証拠はないので、被告に故意責任があるものとはいえない。

第二  過失責任

一  はじめに

次に原告らは、被告はクロム化合物という危険な物質を製造するのであるから、クロム製造に従事する労働者の生命・健康を確保するために、クロムの有害性について具体的に知る義務を負つており、その調査もきわめて容易であつたにもかかわらずこれを怠り、肺がん発生にまで至るクロムの有害性を認識・予見せず、被害発生を防止するための措置を一切行わなかつたのであるから、民法七〇九条に基づく過失責任を免れないと主張する。

これに対し、被告は、肺がんについては予見可能性の存在を否定して結果回避義務の不存在を主張し、皮膚潰瘍、鼻炎、鼻粘膜潰瘍及び鼻中隔穿孔については、結果回避義務の履行を主張し、その他の障害についても予見義務或は結果回避義務の不存在を主張して過失責任はない旨抗争しているので、以下この点について検討する。

ところで、民法七〇九条にいう過失の本質的な内容は、違法な結果の発生を防止すべき注意義務に違反することであると解されるが、結果発生を認識していないものについては、結果発生の予見可能性を検討し、これが肯定されれば予見義務違反を介して結果回避義務違反として過失が認められる。これに対し、結果発生を認識している場合は、結果回避義務の履行の有無を検討し、その不履行が肯定されれば結果回避義務違反として過失が認められる。

そこでまず、肺がん等重篤な疾患について被告の予見義務及び結果回避義務の有無を検討し、次いで鼻中隔穿孔等の障害に対する結果回避義務の履行について考察することとする。

二  予見義務及び結果回避義務違反(肺がん等)

1被告の予見義務の内容・基準時

六価クロム化合物が発がん性を有する有毒物質であることは、因果関係総論において詳細に述べたところである。被告会社が大正四年九月以降、小松川工場等において、六価クロムを取扱う工場を稼動させていたことは当事者間に争いがない。

およそ、化学企業が労働者を使用して有害な化学物質の製造及び取扱いを開始し、これを継続する場合には、まず当該化学物質の人体への影響等その有害性について、内外の文献等によつて調査・研究を行い、その毒性に対応して職場環境の整備改善等、労働者の生命・健康の保持に努めるべき義務を負うことはいうまでもない。また予見すべき毒性の内容は、肺がん等の発生という重篤な健康被害の発生が指摘されている事実で十分であり、個々の具体的症状の内容や発症機序、原因物質の特定、統計的なエクセス・リスクの確認等まで要するものではない。

2ドイツにおけるクロムの発がん性に関する研究

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

クロムによるがんが最初に報告されたのは、一八九〇年、スコットランドのニューマンによる鼻のがん(クロム色素製造労働者)であるが、その後、ドイツのクロム酸塩工場の工場医であつたプファイルが、一九一一年よ一二年に続けて同一のクロム酸塩工場において、男子労働者に各一例の肺腫瘍を発見し、その職業性について疑問を抱いた。その後、右二例の肺がん患者が発生した工場と同じ工場において、更に五人の労働者が肺がんで死亡するに至つた。そのため、プファイルはクロム酸塩の粉塵が肺がん発生の特殊要因であることにつき確証を得て、これを一九三五年七月、「クロム酸塩工場における職業病としての肺腫瘍」として発表した。

プファイルは、この論文の中でクロム酸塩製造工場に対し、次のような肺がん予防措置を求めている。「肺がん発生防止のための義務として、基本的には工場を完璧な衛生環境にすること、埃の出ないような完全に閉鎖された設備器具、充分な吸塵装置の設置、可能な限り呼吸マスクをつけること、更に、鼻中隔穿孔が発生している工場においては、三年で全労働者の配置転換をする必要があり、クロム工場労働者の健康状態の看視については、潰瘍や鼻中隔穿孔を記録するだけでなく肺についても診察を行い、毎年X線撮影を行うのが理想である」としている。

更にプファイルは、右論文の中で、「ドイツにおいてクロム酸塩工場における肺がんの多発が確実となつたのを契機に、クロム酸塩工場の環境調査が行われたところ、操業から一〇年しかたつていない工場において、肺がん発生を示唆するものはなかつたが、これはこの一〇年(一九二五年〜一九三五年)で技術面や衛生面で条件が全く異つたからであり、新しい肺がん患者の発生があるのは、古い工場で働いていた労働者の遅発例である」としている。なお、プファイルによつて肺がんの発生を指摘された工場はすでに一九二三年に閉鎖されていた。

続いて一九三六年八月、テレキーが、クロム酸塩工場において、二名の肺がんを確認し、更に消化器腫瘍の発生率も高率であることを認めた。

そして、一九三七年、プファイルの指摘からわずか二年後にドイツにおいて、原因物質不明のままクロム酸塩労働者の肺がんが労災補償の対象となつた(この点については当事者間に争いがない)。

その後も、一九三八年、アルウェンスらがクロム酸塩労働者における肺がんの発生を指摘する論文を発表している。

以上のように、ドイツにおいては、一九三五年ころ、クロム暴露による肺がん発生に関する研究が急速に進み、すでに因果関係の存在が確証され、一九三七年には、立法上も被害者の救済措置がとられるようになつた。

3わが国におけるクロムによる発がん等に関する知見

(一) 昭和七年にはすでに、慶応義塾大学医学部小此木教室の鈴木俊次が「クローム工業中毒の実験的研究に就て」と題する論文を発表し、その中で前記ニューマンがクロム工場従業員の鼻前庭部にがん腫が発生したことを報告している旨紹介している。

(二) そして昭和一二年、名古屋医科大学教授鯉沼茆吾は、「衛生学」の中で、最近ドイツのクロム酸工場の長期勤続者中に気管支がんが十数例発見された旨記載している。

(三) また、同年、八幡製鉄所病院の黒田静が「原発性肺臓がんの業務上発生に就て」(「労働科学」一四巻三号、第九回日本産業衛生協会の学会報告)の中で、職業性肺がんの存在に関して、ドイツで近年葉巻煙草、クローム塩、硫酸及び塩酸を取扱う職工、戦時用毒ガスの中毒患者にして肺臓がんを認めたりという報告を散見する旨記載している。

(四) 昭和一三年三月、前記鯉沼茆吾は、「職業病と工業中毒」の中で、ドイツ災害保険法に規定された職業病の中に、肺がんが発生する工業及び職業としているクロム酸塩製造工場が明記されていること、ドイツのグリースハイム(Griesheim)の化学工場で、一九二九〜三四年の間に一五名の原発性気管支がんが発生したことを紹介している。

(五) また同年、林與吉郎らは、「某くろーむ、まぐねしあ煉瓦工場従業員の健康状態」と題する論文(九州医学専門学校医学会雑誌第三巻)において、一九三二年レーマンがクロム酸塩工場における肺がんの最初の二例を報告し、次で一九三五年にプファイルが、更に、一九三六年アルウェンスらが、それぞれ肺がんの症例を報告してから俄然学会の注目を惹き、職業がんとして地歩を占めるに至つた旨記載している。

(六) 結び

以上みてきたとおり、すでに昭和一二、三年頃、当時クロムと肺がんとの因果関係を確証し、立法上も被害者救済の措置をとつていたドイツの状況が逐一わが国に伝わり紹介されており、これによつて、わが国でも、クロム暴露により肺がんが起こりうることを知ることはきわめて容易であつた。渡部真也も「クロム化合物による職業がん」において、前記林らが昭和一三年に発表した論文に、プファイルらの報告を引用しているところから、ドイツにおける前記状況を、昭和一三年の時点で、わが国でも知り得た旨述べている。

してみると、ドイツにおいてクロムによる肺がんが多発し、労災補償の対象疾病の措置がとられた旨の記述は、単なる衛生学者らの文献紹介として看過しうるものではなく、同種の化学工業を営む被告会社にとつて、先進工業国であるドイツにおける職業病の発生、その補償措置等に関するきわめて重大な情報であり、被告会社の幹部や工場医がこれを入手して認識することは容易であつたと窺える。

原告ら被害労働者のうち、クロム暴露の終期が最も早いものは、生存被害者で昭和一五年(須賀忠吉)、死亡被害者で昭和一六年(古谷竹次郎)であるから、これらの被害者らがクロム暴露を受けていた時期に、被告会社はクロム暴露による肺がん等重篤な身体障害をもたらす危険性について予見可能であつたこと、したがつて、結果発生を回避すべき義務があつたものというべきである。

ところが被告は、昭和四五、六年に始めて、クロムの製造に従事した従業員の中に、肺がんに罹患した者がいたので、クロム暴露と肺がんの関係について調査・研究を開始した旨主張するけれども、後記認定のとおり、戦後はクロムによる肺がんについてより予見可能であり、結果回避の措置もとりえたことが認められるので、その事実経過について、概観することにする。

4戦後のクロムによる肺がんの発生と予防措置に関する内外の報告

(一) わが国においては、昭和二三年に久保田重孝が「業務上疾患の管理(職業病)」の中で、クロムによるじん肺及び気管支がんについて、「クロムは深部呼吸道粘膜にも作用を及ぼし、ある人はじん肺がおこつたとも云う。ドイツのある化学工場での報告によると、クロム酸製造に従事していたものに於て一〇年間に一五名の原発性気管支がんが発生し、このうち一一名は解剖してたしかめられた。その就業年数は二二年から四〇年に及ぶ者であつたと云う」と戦後いち早くこれを紹介している。

(二) 同年(一九四八年)には、アメリカでマツクルとグレゴリウスが大規模な疫学調査に基づいて、クロム暴露と呼吸器系がんとの因果関係を明らかにする論文を発表したことはすでに因果関係総論において述べたとおりである。この中でマツクルらは、多数の熟練した監督者 及び専門技術者に対するインタビューの結果、この一五〜二〇年の間にクロムの暴露量は漸減したとの答えが得られたが、これは換気設備の据付、人体保護のための装置を増やして備えたこと、作業工程の分離及び暴露抵下のためのその他の諸設備の記録で裏付けられ、とくに一九三〇年代の初めに悪名高い暴露源の反射炉の使用をやめたことであるなどと報告している。

(三) アメリカにおいては一九四六年、ボルチモアのミューチュアル・ケミカル会社のクロム酸塩工場で肺がんが一例発見された。その後、マツクルらによつてドイツの肺がん患者の発生状況や文献報告の調査がなされ、その結果、従前の工場を取り壊して新工場を建築しなければ労働者の安全を確保できないとの助言がなされた。そこで同社は、一九四九年から五一年まで、安全確保に要する費用として無制限の支出をしたうえ新工場を建築した。この新工場が旧工場と最も異つた点は、工場内においてクロム労働者がクロム化合物に直接被暴することを予防するため、機械設備を完全密閉の方式にしたことである。当時、同会社は、すでに発生した肺がん患者に対し、金銭補償を行つた(べイチャーの供述)。

(四) その後、ベイチャーは、一九五六年に「クロミウムの健康に対する関係」において、クロムによる発がんには二〇年ないし三〇年の長い潜伏期間があることを警告するとともに、肺がんを早期に発見することは非常に難しいが、定期的に胸部レントゲン写真と螢光透視鏡検査を行わなければならないこと、合衆国公衆衛生局は、クロム酸塩工場に五年以上働いている労働者は全て、三か月毎にX線検査を受けなければならないと勧告していること、疑わしいケースでは、気管支鏡検査や喀痰細胞診を行うことが望ましいことを報告している。

(五) その後、昭和三二年には、国立公衆衛生院の鈴木武夫らによつて、被告小松川南工場の作業環境及び労働者の健康調査がなされたことは、すでに詳しく述べたとおりである。同三四年に発表された調査報告には、一九一二年以後プファイルらがクロム取扱作業者の肺がんについて報告していることを前提に、定期健診の撮影した間接撮影の写真二〇六枚を読影した結果、二三名の要直接撮影者が選出されたこと、この中の四名はすでに結核患者として管理され、肺がんの疑わしいものも一名あつたことが記載されている。したがつて、右鈴木らの調査の目的の一つが肺がん患者の発見であつたことは明らかであり、右調査には被告会社の嘱託医一盛弥医師も参加している。

(六) 結び

以上のように、戦後アメリカにおいては大規模な疫学調査を実施して、クロム暴露と肺がんとの因果関係を究明し、労働者の安全確保のためには費用を惜しまず、思いきつた改善措置がとられ、一九五〇年代前半には疫学研究も完了し、業務上疾病として認められていた。わが国においても、昭和二三年以後クロムによる肺がんの発生を指摘する文献が次々に発表されているうえ、昭和三二年の国立公衆衛生院が行つた調査も、肺がん等クロムによる身体障害の防止対策につき基礎資料をうるため、作業環境及び労働者の胸部X線所見について観察を行つたものであることは明らかである。

このように、戦後も内外の文献等において、クロムによる肺がん等の発生が指摘され、その予防対策に関して次々に報告されていた。

5肺がん以外の疾患に関する文献的考察

肺がんのようなきわめて重篤な疾患の発生について予見可能であり、これを回避すべき義務があるとすれば、胃がん等肺がんと同視しうる疾患や、肺炎、じん肺等の呼吸器疾患の発生についても、結果回避義務を負うことはいうまでもない。しかも、肺がん以外の呼吸器疾患等については早くから指摘があつた。

すでに大正八年に発行された農商務省工務局の「金属中毒の予防注意書」及び大正九年に発表された鈴木孔三らの「主要なる工業毒物に関する研究の総説」には、クロム吸入による慢性気管支炎、小葉性肺炎、胃症状の発生が記載されている。

また昭和五年には、友成安夫が「印刷局工場の衛生状態に就て」(産業福利第五巻第四号)において、クロムによる症状として皮膚潰瘍、鼻中隔穿孔等のほか、結膜炎、角膜炎等の眼疾患、気管支喘息、胃障害、クロム悪液質を記載している。

更に、前記鯉沼茆吾の「職業病と工業中毒」(昭和一三年)においては、一般に粉塵の吸入、肺内沈着によつて起こる肺疾患として、じん肺についても詳述している。

6まとめ

(一)右認定のとおり、ドイツにおける肺がんの研究や労災補償措置の状況、及びこれらが時を移さずわが国に伝えられていた経緯からすると、遅くとも昭和一三年頃には、被告会社(当時の商号は日本製錬株式会社)において、クロム酸塩の製造に従事する労働者に、肺がん等の重篤な疾病が発生する可能性があることを予見することは、きわめて容易であつたと推認できる。

しかも、当時の被告会社の社長で創業者である棚橋寅五郎は、応用化学者として重クロム酸ソーダ等に関して深い学識を有していたものであり、六価クロムが強烈な刺激性を有する化学物質であり、鼻中隔穿孔等の障害を発生することについて熟知していた。そして、昭和一〇年、被告工場の雇員であつた大橋豊吉が鼻のがんで死亡したのであるから(この点については当事者間に争いがない)、クロムによる被害が鼻中隔穿孔等典型症状にとどまらず、呼吸器系のがん等に至る危険性があることについて、調査研究すべきことは至極当然のことである。

したがつて、この点において、被告に予見義務違反があることは明らかである。

(二) 更に、右の調査義務を尽くしておれば、一九三五年のプファイルの前記論文には、肺がんの発生を予防するための具体的対策について勧告がなされており、これに従つて工場を完全密閉化し、吸塵装置をつけ、鼻中隔穿孔が発生する工場においては三年で配置転換を図るとともに毎年胸部X線撮影などを実施すれば、肺がんの発生を防止できたことは、ドイツにおける新工場でその後肺がん患者が発生していないことからしても明らかである。

してみると、被告会社は、昭和一三年ころにはクロム酸塩工場における肺がん発生の事実を予見し、当時すでにドイツで指摘されていた程度の予防措置をとる義務があつたことは明らかである。また十分な予防措置が完了するまでは、労働時間の短縮、早期の配置転換、労働者の健康管理、予防措置の励行、発がんの危険があるものに対しては退職の機会を与えることなどにより肺がん等の発生を未然に防止する義務があつた。

そのうえ、戦後アメリカでも、クロム酸塩工場の肺がんの発生が指摘され、直ちに徹底的な改善措置がとられた事実について、容易に知り得たはずであるところ、昭和四五、六年ころ、自らの工場で現実に犠牲者が出るまで調査を開始せず、その間、肺がん等の防止を目的とした適切な対策も行われなかつたし、すでに遅きに失した。それゆえに、本件被害者の一人伊藤信也のごときは、国立公衆衛生院が調査勧告した後である昭和三五年七月、南工場結晶部に勤務してクロムの製造に従事し、その後わずか九年余り勤務して退職したあと、同四九年一月、三五歳の若さで肺がんにより死亡した。被告会社のクロムによる職業がんに関する認識は、実にドイツに比べれば三〇年以上、アメリカと比べても二〇年以上遅れていたことになる。

したがつて、この点において、被告に結果回避義務違反があることも明らかである。

(三) 以上のとおり、昭和一三年当時、被告は、クロム暴露により肺がん等の重篤な疾患をはじめ、その他より軽度な疾病が発生する危険性があることを予見しえたにかかわらず、その予見義務に違反し、肺がん等の発生がわかるまで適切な予防対策をとることなく、その結果、前記被害を招いたのであるから、過失責任があることは明らかである。

三  結果回避義務違反(鼻中隔穿孔等)

1はじめに

被告は、以前から原告ら労働者に皮膚潰瘍、鼻中隔穿孔等の発生する可能性があることを認識していたが、これに対しては予防・治療措置を十分に講じてきたから、右障害の発生につき過失がない旨主張するので、以下この点について検討する。

皮膚潰瘍や鼻中隔穿孔を防止するため、最も効果的な対策は、クロムの暴露量をできるだけ減少させることであることはいうまでもない。

すでに昭和三年、小此木修三らによつて、被告小松川工場の作業環境及び従業員の鼻腔変化の状況が調査され、劣悪な作業環境と鼻中隔穿孔の多発が指摘されたことは加害行為の章において述べたとおりである。昭和六年、小此木は、右調査に基づき、クロム中毒の予防法として、有毒化合物の飛散又は放散等を防ぐ工場設備をつくることが第一であり、未だ完全な工場設備を期待できない現在においては、各従業員の注意並びに予防設備が重要である。またマスクの着用は、マスクと皮膚との接する顔面に潰瘍を生ずることがあり、むしろ不適当である。そして、従業員ができるだけクロムの吸入を防止することが重要であることはもちろんのこと、一度吸入した場合は鼻腔洗浄が最も重要であり、これを実施している工場において、鼻腔中毒症の予防並びに治療に頗る好結果を得ていると記述している。

したがつて、被告の結果回避義務の履行として、第一に求められるのは、作業環境の保持について、労働者の健康、人命尊重の観点から、その時代にできうる最高度の環境改善に努力することであり、それとともに労働者の健康保持のため、あらゆる対策を講ずることが要求されなければならない。

この点について、企業は営利を目的としているのであるから、労働者の健康保持の義務も、企業利益との調和の範囲内で、作業環境の改善費を投じれば履行される、という考え方は到底採用できない。

2作業環境保持義務の不履行

(一) 被告は、戦前から作業環境の改善に努めてきた旨るる詳細に主張している。しかし、被告の主張によるも、被告会社は、すべて技術開発と内外のクロムの著しい需要の増加に対応した生産体制を確立するため、北工場、第二工場などに順次新工場を建設し、①機械、設備の密閉化、②自動化、遠隔操作化、③環境保全を図つたというが、これらはまず生産の増強を目的としたものであつて、作業環境の改善は第二次的にしか実施されていなかつた。

(二) しかも、すでに認定したとおり、戦前の小松川南工場は、開放設備である反射炉の使用をはじめ、蓋のない遠心分離機の使用やいわゆるバック堀り作業等きわめてクロム暴露の著しい作業が多く、ロータリーキルンは量産化を目的としたものであつて、サイクロン及びコットレル集塵機の設置も作業環境の改善に役立つていたものとは認められない。

また戦後の小松川南工場においては、反射炉が比較的早期に撤去されたものの、各工程における機械設備の密閉化が不完全のため、各所で粉塵が発生していたうえ、バック掘り作業や修理、掃除の際に労働者は大量にクロムに暴露していた。そして機械設備の密閉化、自動化等、作業環境の改善措置は著しく遅れ、クロム生産量の飛躍的な増加に対し全く相応していなかつた。とくに南工場の作業環境が劣悪であつたことは、昭和三二年の国立公衆衛生院の調査報告においても明らかである。

なお、西淀川工場においては、昭和二七年四月頃まで発塵の著しい反射炉を使用し、きわめて劣悪な作業環境であつたことは、すでに述べたとおりであつて、原告高橋一二が昭和二六年五月焙焼作業に従事し、わずか二か月後鼻中隔穿孔になつたことからして明らかである。

戦前からクロム職場の労働者は、皮膚潰瘍を「クロムにくわれる」と表現し、また「鼻に穴があかなければ一人前の工員とはいえない」などと上司から言われて、右障害の発生を当然視していた。被告会社も、皮膚潰瘍の瘢痕や鼻中隔穿孔などは単なる障害の治癒痕であるとして、これを軽視し完全に防止しようと努力した形跡はみられない。更に昭和三二年国立公衆衛生院が小松川南工場を調査し、環境改善措置の勧告をしたにもかかわらず、現実には、一向に作業環境が改善されなかつた。のみならず、右調査報告書において、クロムの作業環境基準(恕限度)を0.1mg/m3(国際基準、鼻中隔穿孔予防のための基準値)として、測定値の算術平均において10.9mg/m3であつた旨報告しているのにかかわらず、被告会社は、昭和四四年九月までは0.5mg/m3(昭和二三年基発第一一七八号)、それ以降は、0.1mg/m3(昭和四三年基発第四七二号)の行政上の規制を遵守すれば、健康上特に有害な業務に就かせたことにならないと主張するが、右主張自体、被告会社がいかに劣悪な作業環境を放置していたかを窺い知ることができる。被告会社は、昭和三九年に至りようやく労働衛生サービスセンターに依頼し、作業環境の改善について指導をうけ、気中クロム酸濃度を0.1mg/m3以下にするように指導されたが、南工場においては昭和四六年六月まで、北工場においては同五〇年二月まで、右の数値を超える測定箇所があつたことはすでに認定したとおりである。

そして、被告会社の産業医勝野直周も、昭和三〇年代は、増大する生産量を吸収して環境を維持する能力がなかつたことを卒直に認めている。また被告会社の代表取締役棚橋幹一は、昭和五〇年九月九日に開かれた国会の公害対策並びに環境保全特別委員会に参考人として出席し、クロム化合物製造現場における鼻炎とか鼻中隔穿孔の発生については、相当、以前からわかつていたことで、昭和三二年には国立公衆衛生院に依頼し、この点の調査をした結果、改善すべき点は相当手を入れてきたが、当時一般産業界の環境改善技術が未熟で水準が抵かつたため、思うように効果を上げられず、時間が経過したこと、このような職場内の環境改善の努力が、次第に実を結んできたのは昭和四〇年以降のことで職場環境も、このころから格段とよくなり、そのため鼻中隔穿孔の発生も非常に少なくなつたが、結局、企業努力が足りなかつたため被害が発生したことを認め、これを陳謝していることが認められる(なお、乙一二四号証は、元被告会社従業員の企業擁護の弁解にすぎないので、採用の限りでない)。

(三) 右のとおり、被告会社は、クロム製造に従事する労働者の皮膚潰瘍や鼻炎等障害の発生を防止するため、必要な作業環境の整備・改善について最善の努力をしたものとは到底認められない。

3健康保持義務の不履行

クロム暴露による鼻中隔穿孔等障害の発生を防止するためには、作業環境の改善とともに、労働者の健康を保持するため、有効適切な措置を講ずる義務があることはいうまでもない。

この点についても、被告は時代の変遷に応じて健康管理、労働時間の短縮、従業員教育、マスク等保護具の支給など、できる限り安全衛生対策を講じてきており、結果回避義務を履行している旨主張している。

しかして、<証拠>によれば、被告会社が戦前戦後を通じて安全衛生のための組織を作り、工場医の委嘱や、その他鼻洗浄励行の指導、マスク等保護具の支給、労働時間の短縮、健康診断等、安全衛生対策を講じてきた旨被告の主張に沿う記載並びに供述をしている。

しかし、前記のとおり被告小松川工場では、昭和三〇年末まで鼻中隔穿孔者が続出していたことからしても、右の対策がきわめて不十分であつたことは容易に推認できる。

しかも原告らの供述によれば、右の対策は主に本工を対象としていたものであつて、とくに本件原告らに多い下請工に対する安全対策は殆んど放置され、マスク等保護具の支給もされなかつたことが認められる。

したがつて、被告会社が、原告ら労働者の健康保持の義務を尽くしたものとは到底認められない。

4まとめ

以上のとおり、被告会社が皮膚潰瘍、鼻中隔穿孔等障害の発生を未然に防止すべき義務を履行したものとは認められない。したがつて、右の障害及びこれに付随する上気道炎、嗅覚障害、慢性副鼻腔炎等の障害についても結果回避義務を尽くしたものとはいえないので、被告は過失責任を免れない。

第五章  損害賠償請求権の放棄及び時効の抗弁

第一  損害賠償請求権の放棄

一被告は、本件死亡被害者のうち、宇田川耕治(No.2)、梅沢政義(No.3)、瀬尾昭司(No.15)、関口勇治(No.18)、高橋良三(No.20)、中里錦三(No.23)、八木松太郎(No.29)について、右被害者らは、被告会社に在職中、合化労連日本化学工業労働組合(以下、労組という)の組合員であり、被告と右労組とは昭和四五年一〇月二七日以降「労働災害死亡、障害補償特別一時金に関する協定」(以下、協定という)を締結していたところ、右七名の遺族(原告)らは、昭和四九年一二月二三日又は同月二四日に、右協定に基づき、被告から死亡特別一時金等の金員の支払いを受けるとともに、被告に対するその余の損害賠償請求を放棄した旨主張するので、この点について検討する。

二<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1昭和四八年六月、日本電工栗山工場のクロムによる肺がんの多発について通知を受けた労働省は、被告会社に肺がん症例の実情について報告を求めた。被告は、同四九年八月、肺がんの病名が確認できた八名(右死亡被害者七名のほか訴外及川昭吾)について、所轄の江戸川労働基準監督署に報告した。そして同監督署の指導に基づき、被告は、右八名の遺族の了承の下に、労災保険の受給申請を行い、同四九年一二月二〇日右労災認定を受けた。

2被告は、右八名の遺族に対し、前記協定(いわゆる企業内労災の上積協定)に基づき、一時金等の支払を行うこととした。

そこで、同月二三日及び二四日の両日、被告会社の取締役労務部長安西英夫、小松川工場長(当時)山崎林造の両名が会社の代表として、中山労務課長の案内により右八名の遺族宅を訪ねた。安西らは、各遺族に弔意を述べたあと、クロムと肺がんの関係につき、医学上の証明を待つていたのではなお相当の日時を要する見込みであり、遺族の救済が遅れてしまうことになるので、労災申請に踏み切つた旨、あたかも被告が恩恵的な立場で労災の認定を受けたごとき説明をした。ついで、中山課長が業務上認定に基づき、労災保険法による補償とは別に、右協定による死亡特別一時金、及び業務上取扱いによる退職金を含む各種給付額と、すでに給付された業務外の取扱いによる給付額との精算関係を、項目別に計算した明細表について説明をした。右の計算関係は多項目にわたり、遺族らは十分に理解することができず、遺族の中には、労災給付と右協定に基づく給付金との区別さえ、明確に理解することができないものもいた。そして安西らは、右協定に基づく死亡特別一時金その他右精算金を支払うにつき(八木すえについては銀行送金)、領収証等に署名又は記名押印を求めた。右領収証には、受領金額のほか内訳として、被告会社が記入した「貴社の労働災害死亡、障害補償特別一時金規定(S48・11・1施行)による一時金……を含む。詳細は別紙内訳表の通り」という文言が記載されているにすぎない。安西らは右領収証と引き換えに、内訳明細表及び右協定書(昭和四八年一一月一日付)の写しに精算金を添えて遺族らに手渡した。

3右協定書は、「労働災害死亡、障害補償特別一時金規定」(以下、規定という)及び「議事録確認事項」(以下、確認事項という)から成り立つている。そして右規定の第七条(損害賠償請求権の放棄)には、「死亡特別一時金、障害補償特別一時金の支給を受けたときは、この事故に関し本人の有する損害賠償請求権につき、これを放棄するものとする。」と定められ、右確認事項の〔第七条関係〕には、「①民法上の「和解」(いわゆる示談)を約した上で一時の給付を行なうこととするもので、将来の粉争を防止するための確認事項であること」と記されている。(なお、右高橋、梅沢、中里に適用されるべき昭和四五年一〇月二六日付協定書等、関口、八木に適用されるべき昭和四七年七月一日付協定等では、第六条に損害賠償請求権の放棄条項が定められている。)しかし安西らは、右協定書の写しを遺族らに手渡す際、協定書の右条項に関しては何らの説明もしなかつたし、遺族らの損害賠償請求権放棄の意思も確認しなかつた。

三右の事実によれば、被告会社の安西労務部長らが昭和四九年一二月下旬、右死亡被害者七名の遺族原告宅に訪れたのは、労災認定がされたことを通知するとともに、業務上死亡の取扱いをすることによる精算金と右協定に基づく死亡特別一時金の支払をすることが目的であつたこと、しかし、この点についてさえ遺族が十分に理解できるような説明がなく、また右精算金等受領の領収証にも、本件損害賠償請求権放棄の意思表示を窺わせるような文言は一切記入されていないこと、安西らは、帰りがけに遺族宅に右協定書の写しを置いていつたが、その中に損害賠償請求権の放棄条項が定められていたにすぎないことが認められる。

右のような事実関係の下において、右七名の遺族原告らが協定書の条項のとおり、損害賠償請求権放棄の意思表示をしたものとは到底認められない。

四被告は、労働協約の規範的効力により七名の遺族にも損害賠償請求権放棄の条項が適用される旨主張する。

しかし、宇田川のごときは、昭和四五年九月一〇日死亡当時は協定が締結されていなかつたところ、他の六名と同時期に業務上認定を受けたので、公平に扱うため恩恵的給付として、昭和四八年一一月一日付協定の上積金額を支給した旨主張するので、主張自体、本来適用されるべき協定がないことになり失当というべきである。

しかして、<証拠>によると、その余のものについては、昭和五〇年一〇月二一日、被告は、労組を含むいわゆる共斗会議に対し、協定書七条の削除を回答し、右損害賠償請求権放棄条項を破棄したことが明らかである。

被告は、右削除を回答した協定は、昭和五〇年四月から同五三年三月まで適用された協定である旨主張するけれども、<証拠>によると、もともと右協定は、昭和四五年一〇月二七日締結以降、上積金額につき数次の増額改訂を経て今日に至つたもので、実質上同一の協定であること、被告は、右七名の遺族に対し、支給時に適用された昭和四八年一一月一日付の協定書写しを支給額の根拠として手渡したものであること、そして、被告は、右共斗会議との交渉を円滑にするため、右条項を遡つて破棄したうえ、前記七名と同時に上積金の支給を受けた及川昭吾(昭和四九年五月死亡)の遺族に対し、その後昭和五二年一〇月三一日成立した調停に基づき、和解金名義で損害金を支払つていることが認められる。

したがつて、損害賠償請求権放棄の条項は、すでに破棄されていることが明らかであり、この点からしても、被告の右主張は採用の限りでない。

第二  消滅時効

一はじめに

被告は、別紙「時効一覧表」(一)記載の「死亡被害者」の死亡による損害賠償請求権及び別紙「時効一覧表」(二)記載の原告らの鼻中隔穿孔、鼻炎、嗅覚障害、皮膚潰瘍の瘢痕、角膜混濁(白斑)による損害賠償請求権は、いずれも三年の短期消滅時効又は二〇年の除斥期間の経過によつて消滅した旨主張するので、この点について判断する。

被告は、民法七二四条後段の二〇年の期間については「除斥期間」である旨主張する。ところで、右二〇年の期間の法的性質について、近時これを除斥期間と解する有力な学説があるけれども、同条前段には「時効ニ因リテ消滅ス」と規定し、後段二〇年の期間も「亦同シ」と規定されていること、及び立法の経緯からしても、これが一般時効の規定であることは明らかであり、これを強いて除斥期間と解すべき理由はないので、前段と同様に時効期間と解するを相当とする。しかして、被告は、二〇年の時効についても訴訟上これを援用しているものと解する。

次に時効の起算点について考える。民法七二四条前段にいわゆる「損害を知つた時」とは、単に損害の発生を知つた時ではなく、加害行為が違法であつて、不法行為を原因として損害賠償を訴求しうるものであることを知つた時をいうものと解すべきところ、右加害行為と損害との因果関係について争いがあるときは、その結論が行政庁などによつて公的に示された時から時効期間が進行するものと解するを相当とする。

なお、本件被害のように鼻中隔穿孔から呼吸器疾患、肺がん等の疾病に至る進行性かつ広範な被害については、損害を個々の損害として捉えるのではなく、各被害者の健康障害を全体的に一個の損害として捉える方がより合理的である。したがつて、個々の症状ごとに時効を判断すること自体適当ではない。

また同条後段の二〇年の時効の起算点である「不法行為ノ時」は、不法行為が終つた時、本件でいえばクロム暴露が終了した退職時又は死亡時或は非クロム職場への配転時ということになるけれども、本件のように、クロムによる職業がんが暴露終了後二〇年以上の長い潜伏期間を経て結果が発生するような場合には、右損害について実質上救済されなくなる。したがつて、被害者が通常予想しえなかつた右のような損害については、顕在化した時、すなわち結果発生の時から時効期間の進行を始めるものと解するのが相当である(鉱業法一一五条参照)。

以上の観点から、被告主張の時効について検討する。

二遺族原告の損害賠償請求権の消滅時効

被告は、死亡被害者について、別紙「時効一覧表」(一)記載の「罹患したことを知つた時期」に、死亡者が同表の「疾病名」欄記載の疾病に罹患したことを知り、かつ、右疾病が会社における作業によつて発病したものと認識したものであるから、消滅時効は右時期から進行する旨主張する。しかし、仮に右被害者らが被告主張の時期に疾病名を罹患した時に知つたとしても、右疾病が被告会社の作業により発病したことの認識まで有していたものと認めるに足る証拠はない。また被告は、遺族原告らは、右のように認識していたから、右別表(一)の「死亡年月日」から時効が進行する旨主張しているけれども、前同様遺族原告の一人でも右のような認識を有していたことを認めるべき証拠はない。むしろ、<証拠>によると、労働省がクロムによる肺がんを業務上認定の対象とするようになつたのは、昭和五〇年八月二三日以降(基発第五〇二号)のことであり、その余の疾病も、同年八月クロム禍問題がマスコミに大きく取り上げられてからであること、斉藤儀助のじん肺症兼肺結核のごときは、本件訴訟係属中、昭和五五年一二月一日ようやく労災認定になつていることが認められる。してみると、右遺族原告らは、その頃被告主張のような認識をもつたものというべきところ、その後三年以内には本訴が提起されていることは訴訟上明らかである。また被告主張の「罹患したことを知つた時期」に死亡被害者の疾病が顕在化したとしても、それから二〇年以内には本訴が提起されていることも明らかである。

したがつて、被告の消滅時効の抗弁は理由がない。

三  生存原告の損害賠償請求権の消滅時効

1被告は、生存被害者の被害のうち、鼻中隔穿孔・鼻炎・嗅覚障害・皮膚潰瘍の瘢痕及び角膜混濁(白斑)については、別紙「時効一覧表」(二)の各「障害の存在を知つた時期」に右障害が生じたことを知り、かつ、それが会社における作業によつて生じたものと認識したものであるから、右時期又は遅くとも原告らの会社退職時から消滅時効が進行する旨主張する。

しかし、仮に被告主張の時期に生存被害者らが右障害の事実を知つたとしても、右障害につき加害行為が違法であつて、不法行為による損害賠償を訴求しうるものと認識したのは、昭和五〇年八月以降のことであることは明らかである。すなわち前掲各証拠によれば、労働省は、昭和五〇年八月二三日基発第五〇二号をもつて始めて、クロム作業者の鼻中隔穿孔にかかる嗅覚障害及び鼻呼吸機能障害について業務上認定の取扱いをするよう通達し、その後、同五一年一月三一日基発第一二四号をもつて、クロムによる鼻の疾病、鼻以外の呼吸器の疾病、皮膚の疾病についても労災補償上の取扱いをすることを明らかにしたことが認められる。してみると、生存被害者らが右のような認識をもつに至つたのは、少なくとも右認定の時期以降というべきであり、その余の障害についても、昭和五〇年八月以降に認識したものというべきである。そこで障害を全体的に一個の損害として捉え、もつとも早い時期から、起算しても後記五名の原告を除き三年以内に本訴が提起されていることは訴訟上明らかである。なお、前記のとおり個々の症状ごとにその発現時から二〇年の時効について判断すること自体適当ではない。

したがつて、被告の右消滅時効の抗弁もまた理由がない。

2そこで、昭和五〇年八月から三年を経過して本訴を提起した原告泉水梅吉(No.86)、同富沢常作(No.90)、同鈴木国松(No.92)、同高橋次郎(No.93)、同沢栗博司(No.94)につき、時効の抗弁に対する再抗弁について検討する。

原告らは、被告が「クロム退職者の会」等との交渉の席上、クロム被害者に対し損害賠償の責めを負つていることを認めたうえ、昭和五二年二月一八日東京地裁の調停に付することに同意したので、同日、クロム被害者に対する債務の承認又は時効利益の放棄がなされたものである旨主張する。

しかして、右原告らのうち、泉水梅吉が「クロム退職者の会」に属していたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、「クロム退職者の会」の会員は、いわゆる共斗会議とともに、昭和五一年二月二〇日以降被告会社に対し、クロム暴露による労災について損害賠償の要求をして団体交渉をしていたこと、被告は、昭和五一年五月二七日には、労災認定を受けた嗅覚障害者に対して補償金を支払う旨回答したが、「退職者の会」の会員らは右回答額を不満とし、被告の同意を得て、昭和五二年二月二八日東京地裁に調停の申立をしたこと、その後も自主交渉が続き、同年一〇月一九日には損害額につき合意に達し同月三一日に右調停が成立したこと、それによれば、被告は労災の障害認定一二級のものに対し金三〇〇万円、同一四級のものに対し金一四〇万円から、いずれも労災保険による給付金等を控除した金額を、それぞれ支払う旨約したことが認められる。

右認定の事実からすると、被告が「クロム退職者の会」に属していた泉水梅吉に対しても、調停申立の時点で本件損害賠償債務を承認していたことは明らかである。したがつて、昭和五二年二月一八日債務承認により時効中断したところ、泉水が本訴を提起したのは昭和五三年一〇月一一日であることは記録上明らかであるから、原告泉水に対する消滅時効の主張は理由がない。

しかし、泉水以外の右四名の原告らに対しては、「クロム退職者の会」の会員と同様に、被告による債務の承認又は時効利益の放棄がなされたものと認めるに足る証拠がない。

3原告らは、被告が「退職者の会」に属するクロム被害者に対しては消滅時効を主張せずすでに損害金の支払をしているのに対し、「クロム被害者の会」に属する原告に対しては、本訴において時効の抗弁を主張している。このような被告の態度を考慮すると、右消滅時効の援用は、法の目的とする正義と公平の理念に反し、権利の濫用又は信義則違反として許されない旨主張する。

しかして、被告と「クロム退職者の会」との損害賠償に関する交渉の概要は、すでに認定したとおりであるところ、被告は、昭和五二年一〇月三一日の調停成立以後も、新たに業務上の疾病として労災認定がされた者及び死亡した者については、弁護士立会のもとに、その都度調停に準じて和解契約を締結し、和解金名義で損害金を支払つている。

しかも、被告は、本訴において昭和五五年一〇月二〇日付準備書面(三八)で消滅時効の抗弁として、きわめて概括的に、かつ、原告名も特定明示することなく主張し、その後同五六年二月一六日の弁論終結の日に、最終準備書面において始めて原告名を特定したうえ具体的な主張をしたものである。

右のとおり被告は、本訴原告以外の被害者に対しては、消滅時効の点を不問にしたまま損害金の支払いに応じているのに右原告四名に対しては、右の原告らが「退職者の会」の会員と同様にクロムによる被害で苦しんでいるに拘らず、「クロム被害者の会」に属していることを理由に消滅時効を主張して、損害金の支払いを拒絶しているものである。

以上のような本件訴訟の経過などに照らして考えると、右原告四名は昭和五〇年八月から三年経過した後に本訴を提起したものであるが、右原告についてのみ、被告に消滅時効の援用を認めることは、著しく正義公平の理念に反し、時効援用権行使の濫用として許されないものというべきである。

したがつて、右原告四名に対する消滅時効の抗弁は採用することができない。

第六章  損害

第一  損害総論

一  クロム被害者の特質

1本件は、被告小松川工場から出たクロム鉱滓による環境汚染という産業公害の問題から端を発し、工場内における労働者のクロムによる鼻中隔穿孔、肺がん等が明るみに出るに及んで、地域住民らの不安を招き、まさに公害と労災が一体になつて始まつた事件である。工場の塀の外と中の違いはあるが、公害事件と同じく、原告ら労働者は、被告工場内で有害なクロム製造作業に従事し、生命、身体に対する被害を被つたもので、一方的に被告企業の加害行為を受け、加害者と被害者の間には力関係に圧倒的な差があり、地位、立場の互換性は全くない。

2クロムによる職業がんその他の健康障害についての知見は、かなり古くから知られており、クロムを取扱う企業の職業衛生上の常識であるといわれている。したがつて、本件は偶発的な事故ではない。従前から、多数の労働者に見られた鼻中隔穿孔は、全く看過され、何らの措置もとられなかつた。しかし、穿孔がクロムに対する危険性を理解しないことに基づき発生するもので、設備及び予防法の不完全に帰着することは、わが国でもすでに昭和二年に指摘されているところである(大西清治「クロム中毒とその予防法」)。しかるに被告工場では、約半世紀にわたる長い間、予防対策も完備しないまま放置され、昭和三〇年代後半に至るまで穿孔者が続出していた。そのため原告ら被害者は、他に転職する以外、クロム被害を回避することは困難であつた。とくに下請工のごときは、クロムに対する予防措置について何らの教育を受けず、保護具等も支給されなかつたので、自ら手拭等で鼻や口をおおつてクロム粉塵などを防ぎ、皮膚潰瘍に保護クリーム等を塗つて予防、治療の方法を講ずるほかなかつた。

3原告ら被害者の中には、多数の親子、兄弟、その他親族関係にある者がおり、被告会社の雇用関係が主として縁故採用による閉鎖的な雇用構造をとつてきたことが、却つて被害を大きくしている。例えば、死亡被害者である嶋田嶋蔵のごとく兄弟三名が被告工場で長期間働き、ともに肺がん等で全員死亡するに至つているものがいる。被告会社の創立者である棚橋寅五郎は、工員の多くは数十年前から養成した徒弟である旨述べているが、そうだとすれば、とくに工員の健康保持・安全配慮の義務を尽くすべきであつた。この点、アメリカなどで、クロム製造工場は、工員の転職頻度が高く、きわめて定着率の悪い職場であるといわれているのと比べると、大きな差異がある。そのため、原告ら労働者の多くは、鼻中隔穿孔などが当然視されているような劣悪な作業の下で、被告小松川工場が閉鎖になる直前までかなり長期間、工場に勤務してクロムによる被害を被つたものである。

4被告会社は、昭和一二、三年ころには世界第三位の規模をもつクロム化合物製造工場を有するようになり、わが国では常に業界第一位のシェアを維持してきた。したがつて、被告会社は戦前戦後を通じてクロム化合物の製造により多大の利益をあげ、とくに戦後の高度経済成長期には設備拡張を繰り返して利潤を追求し続けたにもかかわらず、労働者の健康保持のためには、費用を惜しみ、生活活動のスローダウンは思いもよらず、この点につき著しく配慮に欠けていた。その結果が、昭和四五年以降肺がんの多発という最悪の形で、にわかに顕在化するに至つたことは否定できない。クロムによる肺がんが発見されたドイツやアメリカのクロム製造工場が、戦前、戦後に労働者の安全を考慮し、多額の費用を投じて全工程を改善し、完全密閉式の新工場を建設するなど、思いきつた対策をたて、クロムによる職業がんを根絶したのと比べると、被告会社の職業病に対する対応は、まさに対照的である。

5被告会社は、クロムによる肺がんの発生に対し、労災補償がされながらこれを内部的に処理し、従業員、退職者らの不安を招くことをおそれ、これを隠して公表しなかつた。そのため、肺がんは予防こそ最善の治療であるといわれながら、学者の中に、日本では、民族的にクロム肺がんを起こしにくいのかもしれない、などと誤つた説をとなえるものが出た。

クロム労働者の健康障害は、肺がんなど重篤な疾患にかかつたもの以外、外見上は一見健康そうであるので、その損害を評価しにくい面がある。しかし、昭和五〇年一〇月以降、クロム被害者の自主検診の結果、五名の肺がん患者が発見され現に治療を受けている。肺がん患者は、本件死亡被害者のうち一九名、生存被害者のうち五名で異常に多い。この中には、比較的健康であつたCランク相当のグループにいた者もいる。今後も引続き検診のうえ、がんの早期発見、早期治療により最悪の事態を避けなければならない。クロム労働者の肺の中には、高濃度のクロム(三価クロム)が蓄積されているが、これを取り出すことは不可能であり、その存在状態、作用効果も未だ完全にわかつていない。

原告ら生存被害者は、同僚が次々とがんにかかるのを見て、高令化するとともに、いつそう将来的な健康状態、とくにがんなど重篤な疾病に罹患する危険におびえ、日夜不安な生活を送つており、その心情は容易に推察できる。したがつて、このようなクロムによる深刻かつ広範な被害につき、過去長年にわたる経済的、精神的な生活上の苦しみを慰謝し、要治療者に対しては、将来の医療、生活を十分に補償しうる金額が支払われなければならない。

二  損害斟酌の主張

ところで被告は、会社が支給したマスク等の着用を怠つた原告に対しては、そのために発生した障害について損害額の算定にあたり、十分に斟酌されるべきである(民法七二二条)旨主張する。しかし、すでに認定したとおり、被告クロム製造工場における大部分の作業場は、きわめて高温多湿であり、動きの激しい重労働であるため、マスクを着用して作業すると息苦しくなり、又作業時の発汗等によりマスクを着用すると、かえつて顔面に潰瘍が発生しやすくなり、完全に着用することは事実上不可能に近かつた。この点につき、小此木修三は、昭和六年に発表した「クローム中毒並にその療法」において、クロム酸工場においてはマスクの着用が不適当である旨記述している。

してみると、右のような事情の下で、マスク等保護具を完全に着用しなかつた原告らにその責任を転嫁することは到底できない。その他原告ら自身に結果回避に対する注意義務違反があつたことを認めるに足る証拠はない。

したがつて、被告の損害斟酌の主張は採用することができない。

三  損害額の算定基準

以上クロム被害の特質で述べた諸点と、因果関係各論の項で認定した原告の症状、その程度、被告工場における作業内容、勤務時期、勤務期間、その後の生活事情、年令(死亡被害者については死亡時の年令)、生計をともにした遺族の有無など、被害者個々の事情を総合考慮のうえ、死亡被害者及び生存原告らの被つた全損害に対する慰謝料額は、本件口頭弁論終結時現在において、左記の基準によつて算定すべきである。

1死亡による慰謝料

(一) 基準慰謝料   金四〇〇〇万円

但し、死亡に対する寄与率を認定したものは、右金額に寄与率を乗じた金額。

(二) 生計を一にした遺族のいないもの

金一五〇〇万円

(三) 若年令加算

死亡時四〇歳未満 二五%加算

同  五〇歳未満 12.5%加算

2疾病・障害による慰謝料

Aランク(重度健康障害)

金二〇〇〇万円〜三〇〇〇万円

Bランク(中等度健康障害)

金五〇〇万円〜一〇〇〇万円

Cランク(軽度健康障害)

金一〇〇万円〜三〇〇万円

第二  損害各論

一  個別損害額の算定

以上説示してきたところによれば、各死亡被害者及び生存原告らの慰謝料は、前記個別事情を斟酌のうえ、別紙「損害額計算表」(一)、(二)の各「損害額」欄記載の金員をもつて相当と認められる。そこで以下、被告が一部弁済等により右損害額から控除すべきであると主張する金額について検討を加える。

二  被告の一部弁済

被告が別紙「損害額計算表」(一)、(二)の「会社既払額」欄記載の金員を当該死亡被害者の遺族ら及び生存原告らに支払つたことは、当事者間に争いがない。

なお、被告は、死亡被害者七名の遺族に対する会社既払額について、既払金及びこれに対する法定利息の限度で弁済の主張をしているが、本件慰謝料額は、前記のとおり口頭弁論終結時現在においてこれを算定し、過去の遅延損害金は付さないことにしたので、右法定利息相当額は控除の対象にしない。

三  損害の填補

1各種保険給付金による損害填補

(一) はじめに

被告は、労働者災害補償保険法(以下労災保険法という)並びに厚生年金保険法によつてすでに受給した保険給付の金額及び将来受給すべき保険給付の金額は、各損害額から控除すべきである旨主張する。

しかし、労災保険法又は厚生年金保険法に基づき政府が将来にわたり継続して保険金を給付することが確定していても、いまだ現実の給付がない以上、将来の給付額を受給権者の使用者に対する損害賠償債権から控除することを要しないと解するのが相当である(最高裁昭和五二年一〇月二五日判決、民集三一巻六号八三六頁参照)。したがつて、各種保険給付金は既払額についてのみ損害額から控除することとする。

なお、労災保険法を一部改正する法律(昭和五五年法律第一〇四号)により新設された同法六七条の規定は、昭和五六年一一月一日以後に発生した事故に起因する損害について適用され(附則第二条一一項)、本訴には何らの影響を及ぼさないので、未だ前記判例と異なる解釈をすべき理由は見出せない。

原告らは、厚生年金について、既払額を控除すべきであるとしても、労働者(被保険者)が右保険料の二分の一を負担しているので、控除額は既払額の二分の一とすべきである(最高裁昭和三九年九月二五日判決、民集一八巻七号一五二八頁参照)と主張する。しかし、厚生年金と生命保険はその性質を異にし、厚生年金の給付金は、労働者の負担する保険料と対価性を有しないので、控除を二分の一に止める理由はないと解する。原告挙示の判例は本件に適切でない。

次に被告は、右保険給付金は、受給権者のみならず、遺族原告全員から相続分に応じて控除されるべきである旨主張する。本件において、死亡被害者の損害額を算定するにあたり、当裁判所は死者の財産的損害をも含めた趣旨で、一個の損害として慰謝料額を認定した。このような損害額算定方法をとる場合においては、労災保険等の既払給付額を受給名義人に限定せず、全遺族に対する関係で民事損害賠償額と調整すべきものと考える方が実質上合理的であり、かつ公平である。そこで右既払給付金を、死亡被害者の損害額全体から控除し、遺族は残額について法定相続分に従いこれを相続取得するものと解するのが相当である。

(二) 労災保険法による給付金の控除

(1) 遺族原告

遺族原告らが別表4「遺族の労災保険金受給額一覧表」の「既に受給した労災保険金(受給開始〜五六年二月)」欄記載の金員を受領したこと、死亡被害者のうち、上田留太郎(No.36)が嗅覚障害に対する障害補償給付金三六万一七〇四円、同特別支給金五万円、じん肺症による休業補償給付金二九三万〇〇一三円、傷病補償金五二〇万二一八五円、同特別年金九九万七九五九円、以上合計金九五四万一八六一円を、佐藤巳代治(No.39)が嗅覚障害に対する障害補償給付として金四一万三一一二円、同特別支給金五万円、合計金四六万三一一二円を、それぞれ生前に受領していることは当事者間に争いがない。

ところで原告らが受領を認める右給付金のうち、遺族特別支給金、遺族特別年金、遺族特別一時金、障害特別支給金、傷病特別年金の支給は、政府の遺族や被害者らに対する労働福祉事業(労災保険法二三条)として支給されるものであり、補償の性質を有しないから、これを損害の填補として控除すべきでないと解する(この点は後述する生存原告についても同様である)。

そこで<証拠>に基づいて、遺族原告らがすでに受給した遺族補償年金、遺族補償一時金及び死亡被害者が生前受領した障害補償給付金、休業補償給付金、傷病補償年金の合計額を計算すると、別紙「損害額計算表」(一)の「労災保険金既受領額」欄記載の金額となる(なお、昭和五六年二月の支給額は、同五五年一一月の支給額と同額であるが、上田留太郎に関する遺族補償年金の同五六年二月支給額については、乙七三五号証からは不明であるので、同月分は控除しない)。

(2) 生存原告

生存原告らが別表6「生存被害者の補償額一覧表」(一)の「労災保険金受給額」欄のうち、「障害補償給付」、「休業補償給付」欄記載の金員を受領したことは当事者間に争いがない。乙七三五号証によれば、塩井芳造の傷病補償年金の受給開始から昭和五五年一一月までの既受領額は、計算上金四八五万九二四五円となる(被告は、塩井につき昭和五六年二月支給分について控除を主張していない)。したがつて、控除すべき労災既払分の金員合計額は、別紙「損害額計算表」(二)の「労災保険金既受領額」欄記載の金額となる。

(三) 厚生年金保険法による給付金の控除

(1) 遺族原告

遺族原告らが別表5「厚生年金保険金受給額一覧表」(一)の「昭和五四年一〇月までの遺族年金受給額」欄記載の金員のうち、別表7「遺族年金の最低保証額合計一覧表」記載の金額の限度で右給付金を受領したことは、当事者間に争いがないところ(但し、古滝要作、向井始については控除の主張がない)、その余の同欄記載の金員については、受領の事実を認めるべき証拠がない。次に同表の「同五四年一一月〜同五五年一〇月の遺族年金受給額」欄記載の金員のうち、高田一男、伊藤信也を除く、その余のものについて右金員を受領したことは当事者間に争いがないところ、右両名については被告主張の給付金を受領したことを認めるべき証拠がない。また、同表の「同五五年一一月〜五六年二月の遺族年金受給額」欄記載の金員のうち、嶋田嶋蔵、上田留太郎を除くその余のものが右金員を受領したこと、右嶋田は金五一万四一一〇円、上田は金二一万九五一六円の限度で受領したことは、いずれも当事者間に争いがないところ、右嶋田、上田両名につき、被告主張のその余の金員を受領したことを認めるべき証拠はない。更に同表の「同五六年二月までの寡婦加算受給額」欄記載の金員を受領したことは当事者間に争いがない。

以上、控除すべき厚生年金受給額の計算関係は、別紙「厚生年金保険金受給一覧表」記載のとおりである。なお、高橋元真、佐藤巳代治は、生前の被害のみを認定したので、厚生年金保険法による給付金の控除をしない。

(2) 生存原告

榎本留六及び花釜久芳が別表6「生存被害者の補償額一覧表」(二)の「厚生年金受給額」欄のうち、「昭和五六年二月まで」欄記載の障害年金を受領したことは当事者間に争いがない。しかし、<証拠>によると、榎本は、希硫酸が目に入つたことにより発生した両眼の視力障害に対する障害年金として受給されていることが認められ、右障害は、本件クロム暴露による眼の障害として主張されていない。花釜についても、<証拠>によれば、腎障害(人工透析)に対する補償であるところ、右障害がクロム暴露によるものでないことはすでに認定したとおりである。したがつて、右両名の受給した障害年金については、受給原因が本件損害金とは関係がないので、損害額控除の対象とすることはできない。

更に、被告が厚生年金控除を主張するその余の原告らについては、右受領額の中に老令年金が含まれていることは原告らの年令からして明らかであるところ、老令年金については控除するのが相当でない。老令年金を除く障害年金の受領額については、これを確定すべき証拠がないので、結局、右原告らについては厚生年金の控除をしない。

2公害健康被害補償法による補償給付金の控除

被告は、原告らが本件において主張するのと同一の障害に対して、公害健康被害補償法により受給した補償給付の金員は、各原告の損害額から控除されるべきである旨主張する。

同法に基づく補償は、公害による健康被害に係る損害を填補することを目的とするものであり、<証拠>によれば、本件原告らのうち、後記三名のものは、本件で認定した被害と同一の被害について、同法に基づく補償給付を受けたものと認められるから、すでに受給した補償額の限度において、実質上損害が填補されていることになる。したがつて、右受給額については、本件損害額から控除の対象となるものと解するのが相当である。

しかして、同法に基づき亡上田留太郎が昭和五〇年四月から同五一年三月まで、障害補償費及び療養手当として合計金一二〇万八六〇〇円を、原告海老原一男が昭和五三年一〇月から同五六年二月まで、療養手当として金三九万六五〇〇円を、同石毛藤吉が昭和五二年七月から同五六年二月まで、障害補償費として金二三六万二三五〇円、昭和五四年八月から同五六年二月まで、療養手当として金二一万九〇〇〇円、以上合計金二五八万一三五〇円を、それぞれ補償給付を受けたことは当事者間に争いがないので、右各金員はいずれも、各原告の損害額から控除すべきものというべきである。

四  給付金等控除後の慰謝料額

すでに認定した個別損害額から、右に算定した被告の一部弁済額及び各損害填補額を控除すると、死亡被害者については別表「損害額計算表」(一)の「慰謝料」欄記載の金額に、生存原告については同表(二)の「慰謝料」欄記載の金額になる。

五  相続

死亡被害者と遺族原告らの身分関係及び遺族原告らの法定相続分が、「請求金額一覧表」(一)で示されるとおりであることは当事者間に争いがない。したがつて、各遺族原告ら一人当りの損害額は、前記慰謝料額を法定相続分に従つて計算すると、「認容金額一覧表」(一)の「慰謝料」欄記載の金額となる(円未満切捨)。

六  弁護士費用

弁護士費用は、以上認定の各原告の慰謝料額に対する7.5%の額が本件不法行為と相当因果関係のある損害と認められる。したがつて、各原告の弁護士費用分は、「認容金額一覧表」(一)、(二)の各「弁護士費用」欄記載の金額となる(円未満切捨)。

第七章  結論

以上によれば、「認容金額一覧表」(一)、(二)記載の原告らの被告に対する請求は、同表の「認容金額」欄記載の金員及び「慰謝料」欄記載の金員に対する口頭弁論終結日である昭和五六年二月一六日からそれぞれ完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、右原告らのその請求及びその余の原告らの本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言は各認容金額の三分の一の限度において相当と認め、同法一九六条一項を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(土田勇 横山匡輝 六車明)

認定勤務関係一覧表 (一)

番号

氏名

勤務期間

(昭和・年・月)

配属工場

作業内容

認定に供した証拠<略>

12

嶋田兼太郎

12.4~20.10

結晶関係(増田組)

20.10~23.6

焙焼関係(伊藤組)

23.6~30.11

鉱滓雑役

30.11~39.3

焙焼雑役

13

嶋田嶋蔵

20.6~23.6

焙焼関係(伊藤組)

23.6~30.11

鉱滓雑役

30.11~47.11

焙焼雑役

47.11~49.3

S・R

49.3~49.5

西淀川

珪曹

21

田中孝

23.6~25.1

珪曹(池田組)

25.1~28.10

同右(共立回漕店)

28.10~30.10

同右(共立運保)

30.10~38.1

珪曹

38.2~44.10

亀戸

珪曹

25

古谷竹治郎

9~16

(13より一年間兵役)

焙焼雑役(増田組)

30

横須賀政次

21~23.6

雑役(伊藤組、松渕組)

23.6~30.11

鉱滓雑役

30.11~45.1

焙焼雑役

34

高橋元真

10~16

焙焼雑役(町山組)

35

向井始

12~20

修理(前田電気酸素工業所)

注 1 配属工場欄の南、北、第二は、それぞれ小松川南、同北、同第二工場を示す。

2 作業内容欄のカッコ内は下請関係を示す。

共立運保株式会社は共立運保と略称。

認定勤務関係一覧表 (二)

原告番号

氏名

勤務期間

(昭和・年・月)

配属工場

作業内容

認定に供した証拠<略>

4

川野正

26.10~38頃

鉱滓雑役

38頃~46頃

乾燥

酸性

第二

無水・酸化クロム

46頃~49.4

S・R

6

内山作蔵

18.8~22.4

修理

22.4~28.10

南・北・第二

同右(個人下請)

28.10~40.8

南・北・第二

同右(前田電気酸素工業所)

7

漆間義政

24.1~25

焙焼雑役(松渕組)

26.7~34

焙焼雑役

34~40

酸性雑役

40~45.8

酸性雑役

第二

無水

8

奥山武

29.2~30.5

雑役(共立運保)

30.5~32

焙焼雑役(同右)

32 ~39.4

浸出(同右)

9

朝見敏夫

26.10~27.10頃

無水

27.10頃~32.4

結晶

10

飯塚光雄

21.4~23.6

調合(松渕組)

23.6~38

調合

38~44.8

酸性・結晶

44.8~46.8

休職

11

須賀六太郎

9.7~14.3

焙焼(増田組)

14.3~17後半

焙焼

17後半~20

休業

原告番号

氏名

勤務期間

(昭和・年・月)

配属工場

作業内容

認定に供した証拠<略>

12

榎本留六

(旧姓 布施)

21.9~25.5

西淀川

硫酸アルミニウム

25.5~28.4

西淀川

調合、浸出の雑役

28.5~28.8

村上

雑役

14

佐藤隆司

23.9~30.11

鉱滓雑役

焙焼雑役

30.11~43.3

浸出

第二

無水

15

穐本広司

36~39

浸出(共立運保)

41.2~47.10

同右

16

曽我銀蔵

9.1~14.8

(14.8~15.3兵役)

結晶(町山組)

15.3~16.12

乾燥(増田組)

17

須賀忠吉

8.春~12.9

(12.9~14.9兵役)

結晶雑役(町山組)

14.9~15.夏

キルン(増田組)

18

増田三蔵

14.秋~17.6

焙焼等雑役(町山組)

19

牧野清

36.7~47.6頃

浸出(共立運保)

47.6頃~48.1

同右

22

加藤礼蔵

26.10~47.10

焙焼雑役

47.11~49.3

S・R

27

服部春千

9頃~17頃

南、第二

配管修理(松本鉛工業所)

35頃~44頃

第二、北

同右

28

増田金蔵

4頃~20.8

(6.1~7.11兵役)

(14.6~15.1同)

(16.6~18.6同)

焙焼等雑役(増田組)

原告番号

氏名

勤務期間

(昭和・年・月)

配属工場

作業内容

認定に供した証拠<略>

29

松島三治郎

23.6~33.6

(33.6~33.10入院)

酸性・結晶

33.11~36.9

乾燥・調合

31

梅原弥吉

10.10~12.10

(12.10~14.12兵役)

焙焼雑役(増田組)

14.12~16.6

(16.6~18.11兵役)

焙焼(15.6まで増田組)

18.11~19

無水

19 ~21.1

キルン

36

花釜久芳

24.2~30.11

鉱滓雑役

30.11~36.5

焙焼関係(共立運保)

37

富沢菊蔵

6.5~14.10

酸性等雑役(増田組)

25.10~32.7

運搬等(共立運保)

40

須賀善五郎

11頃 ~14.7

(14.7~17.4兵役)

鉱滓等運搬(増田組)

17.4~18.6

浸出(増田組)

18.6~20.9

(20.4~20.6兵役)

浸出

41

堀江光寿

3.9~16

無水芒硝・結晶

16 ~19.9

無水

19.9~43.6

北、第二

業務課

42

田中信義

24.10~30.10

結晶

50

石田春吉

大正  昭和

8.12~14.9

酸性・反射炉等

14.9~29.5

第二

酸化クロム

原告番号

氏名

勤務期間

(昭和・年・月)

配属工場

作業内容

認定に供した証拠<略>

51

佐藤広男

25.6~30.11

鉱滓雑役

30.11~39.4

焙焼雑役(共立運保)

55

福田貢

24.10~25.8

浸出

25.8~45.3

結晶

56

古沼伝吉

9.1~20.9

調合

(町山組、増田組、杉山組、松渕組)

57

松野清一

24.7~30.11

焙焼雑役

30.11~47.6

焙焼関係(共立運保)

47.7~48.1

亀戸

沈・炭バリ(共立運保)

58

高井米吉

10 ~14

浸出(増田組)

29.5~30.11

鉱滓雑役

30.11~47.6

焙焼関係(共立運保)

47.6~49.3

同右

61

西野新吉

14.6~25.1

南、北

雑役・珪曹(池田組)

25.1~28.10

乾燥(共立回漕店)

28.10~39

乾燥(共立運保)

39 ~49.12

浸出・無水(同)

64

伊藤攻二

36.8~37.8

乾燥(共立運保)

37.8~39.4

乾燥

39.4~46.12

焙焼

47.1~47.3

浸出

66

小松崎正夫

26.4~27.10

機械の組立・修理

(個人下請の猪狩清の手子)

28.3~29.2

同(栗原工業所)

67

渡辺庸二郎

40.6~41.4

マンガン

41.4~42.5

無水

42.5~42.12

入院

原告番号

氏名

勤務期間

(昭和・年・月)

配属工場

作業内容

認定に供した証拠<略>

74

畠山孝男

(旧姓 佐藤)

30.4~37.2

浸出(共立運保)

37.3~39.8

結晶

75

石島満

20.12頃~26.7

調合等雑役(松渕組)

92

鈴木国松

11.5頃~16.7頃

運搬等(増田組)

93

高橋次郎

12.5~12.10

調合等(宇田川組)

13.1~25.1

珪曹(池田組)

25.1~46

珪曹、乾燥

(共立回漕店、後に共立運保)

46 ~48.5

調合等雑役(同)

94

沢栗博司

37.8~38.12

結晶

38.12~43.12

精製

損害額計算表

(一)

番号

氏名

損害額

(円)

会社既払額

(円)

労災保険金

既受領額(円)

厚生年金保険金

既受領額(円)

公害健康被害

補償法に基づく

受給金(円)

慰謝料(円)

2

宇田川耕治

45,000,000

8,964,564

7,084,555

3,168,974

25,781,907

3

梅澤政義

45,000,000

8,994,538

5,729,968

3,072,974

27,202,520

4

古滝秋治

40,000,000

40,000,000

5

古瀧要作

40,000,000

3,908,609

36,091,391

7

斉藤儀助

40,000,000

3,733,974

36,266,026

9

椎名丑蔵

10,000,000

3,773,656

6,226,344

11

島崎喜一

40,000,000

5,780,233

2,780,606

31,439,161

13

嶋田嶋蔵

40,000,000

4,214,931

2,938,331

32,846,738

14

下タ村重蔵

11,250,000

3,859,472

7,390,528

15

瀬尾昭司

45,000,000

10,576,976

6,340,534

2,719,266

25,363,224

16

瀬尾理三郎

40,000,000

3,076,236

36,923,764

18

関口勇治

45,000,000

10,177,069

8,873,019

3,392,056

22,557,856

19

高田一男

40,000,000

3,860,195

2,368,030

33,771,775

20

高橋良三

50,000,000

9,029,303

8,098,250

3,351,174

29,521,273

22

豊田正之介

40,000,000

5,565,924

3,471,558

30,962,518

23

中里錦三

40,000,000

11,580,297

7,314,359

3,497,093

17,608,251

25

古谷竹治郎

40,000,000

3,624,246

36,375,754

27

水沢音松

40,000,000

9,351,088

3,394,807

27,254,105

29

八木松太郎

40,000,000

10,618,871

6,393,741

3,962,468

19,024,920

30

横須賀政次

40,000,000

7,427,855

3,294,318

29,277,827

31

伊藤信也

50,000,000

3,738,775

2,368,030

43,893,195

34

高橋元真

5,000,000

5,000,000

35

向井始

10,000,000

10,000,000

36

上田留太郎

40,000,000

9,127,577

470,312

1,208,600

29,193,511

37

加藤光吉

15,000,000

15,000,000

39

佐藤巳代治

3,000,000

413,112

2,586,888

損害額計算表

(二)

番号

氏名

損害額(円)

会社既払額

(円)

労災保険金

既受領額(円)

公害健康被害

補償法に基づく

受給金 (円)

慰謝料(円)

1

塩井芳造

30,000,000

7,787,316

22,212,684

4

川野正

5,000,000

870,324

4,129,676

5

佐藤晋太郎

5,000,000

1,425,528

3,574,472

6

内山作蔵

3,000,000

3,000,000

7

漆間義政

3,000,000

958,620

2,041,380

8

奥山武

5,000,000

269,976

4,730,024

9

朝見敏夫

5,000,000

769,392

4,230,608

10

飯塚光雄

3,000,000

3,000,000

11

須賀六太郎

10,000,000

10,000,000

12

榎本留六

3,000,000

3,000,000

13

安藤長次

3,000,000

341,600

2,658,400

14

佐藤隆司

5,000,000

1,350,648

3,649,352

15

穐本広司

5,000,000

807,924

4,192,076

16

曽我銀蔵

5,000,000

5,000,000

17

須賀忠吉

3,000,000

3,000,000

18

増田三蔵

3,000,000

3,000,000

19

牧野清

5,000,000

878,280

4,121,720

20

兼平吉三郎

3,000,000

287,280

2,712,720

22

加藤礼蔵

3,000,000

386,288

2,613,712

23

海老原一男

10,000,000

1,457,196

396,500

8,146,304

24

福田年男

20,000,000

349,760

2,659,456

16,990,784

25

石毛藤吉

20,000,000

337,400

2,581,350

17,081,250

26

高橋一二

3,000,000

207,000

2,793,000

27

服部春千

10,000,000

10,000,000

28

増田金蔵

1,500,000

1,500,000

29

松島三治郎

3,000,000

296,800

2,703,200

30

石島千次郎

5,000,000

1,071,252

3,928,748

31

梅原弥吉

3,000,000

3,000,000

32

松林喜通

5,000,000

381,024

4,618,976

33

真鍋正治

20,000,000

334,730

471,184

19,194,086

35

梶一郎

1,500,000

208,880

1,291,120

36

花釜久芳

3,000,000

286,496

2,713,504

37

富沢菊蔵

5,000,000

5,000,000

38

高橋友棋

3,000,000

252,504

2,747,496

39

長沢喜三郎

5,000,000

287,616

4,712,384

40

須賀善五郎

10,000,000

10,000,000

41

堀江光寿

3,000,000

563,528

2,436,472

42

田中信義

5,000,000

560,976

4,439,024

43

松沢肇

5,000,000

422,184

4,577,816

45

伊藤照夫

3,000,000

316,344

2,683,656

46

小平完一

5,000,000

702,156

4,297,844

47

井上泰助

3,000,000

3,000,000

48

石田秀止

5,000,000

444,080

4,555,920

49

佐藤武男

3,000,000

644,280

2,355,720

50

石田春吉

5,000,000

1,117,896

3,882,104

51

佐藤広男

3,000,000

269,976

2,730,024

54

彦田威男

3,000,000

369,824

2,630,176

55

福田貢

5,000,000

1,604,772

3,395,228

56

古沼伝吉

3,000,000

3,000,000

57

松野清一

3,000,000

267,288

2,732,712

58

高井米吉

30,000,000

119,800

4,382,660

25,497,540

59

高橋清

1,500,000

332,080

1,167,920

60

山崎信芳

3,000,000

405,776

2,594,224

61

西野新吉

3,000,000

711,984

2,288,016

64

伊藤攻二

1,500,000

304,416

1,195,584

66

小松崎正夫

1,500,000

200,000

1,300,000

68

木村武

1,000,000

1,000,000

70

高橋健司

5,000,000

980,460

4,019,540

71

山崎順朗

3,000,000

3,000,000

72

石島敏二

3,000,000

3,000,000

73

中根文二郎

1,500,000

266,632

1,233,368

74

畠山孝男

5,000,000

702,156

4,297,844

75

石島満

3,000,000

208,880

2,791,120

77

大村武

3,000,000

609,336

2,390,664

79

清水千年

1,500,000

1,500,000

80

近藤作平

1,500,000

1,500,000

81

高橋留夫

1,500,000

1,500,000

82

中島正司

3,000,000

3,000,000

83

清田倉之助

3,000,000

262,920

2,737,080

84

青山卓

3,000,000

246,008

2,753,992

85

水野健司

3,000,000

3,000,000

86

泉水梅吉

3,000,000

378,280

2,621,720

90

富沢常作

3,000,000

3,000,000

92

鈴木国松

3,000,000

3,000,000

93

高橋次郎

3,000,000

3,000,000

94

沢栗博司

3,000,000

3,000,000

注) 労災保険金既受領額は以下のものを除き障害補償給付である。

1No.1塩井芳造は障害補償給付、休業補償給付及び傷病補償年金の合計額

2No.24福田年男、No.58高井米吉は障害補償給付と休業補償給付の合計額

厚生年金保険金受給額一覧表

番号

氏名

既に受給した厚生年金保険金(受給開始~昭和56年2月)

昭和54年10月までの遺族年金受給額 (円)

同54年11月~同55年10月の遺族年金受給額 (円)

同55年11月~同56年2月の遺族年金受給額 (円)

同56年2月までの寡婦加算受給額 (円)

受給済合計(円)

2

宇田川耕治

2,307,058

501,600

360,316

――

3,168,974

3

梅澤政義

2,211,058

501,600

360,316

――

3,072,974

4

古滝秋治

――

――

――

――

――

5

古瀧要作

2,619,058

623,600

447,951

218,000

3,908,609

7

斉藤儀助

2,654,058

501,600

360,316

218,000

3,733,974

9

椎名丑蔵

2,579,058

568,341

408,257

218,000

3,773,656

11

島崎喜一

1,537,522

596,558

428,526

218,000

2,780,606

13

嶋田嶋蔵

1,537,522

715,699

514,110

171,000

2,938,331

14

下タ村重蔵

2,766,458

533,666

383,348

176,000

3,859,472

15

瀬尾昭司

1,835,858

514,108

369,300

――

2,719,266

16

瀬尾理三郎

1,512,731

785,358

564,147

214,000

3,076,236

18

関口勇治

2,433,458

557,866

400,732

――

3,392,056

19

高田一男

1,955,858

412,172

――

2,368,030

20

高橋良三

2,283,058

621,600

446,516

――

3,351,174

22

豊田正之介

2,243,058

604,366

434,134

190,000

3,471,558

23

中里錦三

2,203,058

700,700

503,335

90,000

3,497,093

25

古谷竹治郎

2,549,058

505,833

363,355

206,000

3,624,246

27

水沢音松

2,203,058

566,683

407,066

218,000

3,394,807

29

八木松太郎

2,855,858

603,266

433,344

70,000

3,962,468

30

横須賀政次

2,371,058

537,300

385,960

――

3,294,318

31

伊藤信也

1,955,858

412,172

――

2,368,030

35

向井始

――

――

――

――

――

36

上田留太郎

――

152,796

219,516

98,000

470,312

37

加藤光吉

――

――

――

――

――

注)各欄のうち、一の印のあるものは控除の主張のないもの、空欄となっているところは証拠上認定できなかったものである。

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