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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)13583号 判決 1982年1月25日

原告

財団法人書道博物館

右代表者

中村丙午郎

右訴訟代理人

中村稔

熊倉禎男

被告

有限会社書芸文化新社

右代表者

飯島稲太郎

被告

飯島稲太郎

右被告両名訴訟代理人

田宮甫

堤義成

齋喜要

濱崎正己

坂口公一

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、昭和五五年八月三〇日発行に係る編集兼発行者被告飯島稲太郎、発行所被告有限会社書芸文化新社の和漢墨宝選集第二四巻「顔真卿楷書と王〓臨書」を販売してはならない。

2  被告らは、前項の書籍中「顔真卿自書建中告身帖」の部分を廃棄せよ。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1(一)  原告は、東洋文字を識せる碑本法帖経巻名家の真蹟等を収集、分類、整理し、もつて東洋文字の研究に資することを目的としており、画家、書家として知られた元芸術院会員故中村不折(以下「故中村」という。)の収集にかかる貴重な墨蹟類等(重要文化財一一点、重要美術品五点を含む。)を多数所蔵し、その展示及び複製の許可等を行つている財団法人である。

(二)  被告有限会社書芸文化新社(以下「被告会社」という。)は、主として書道関係の図書を出版・販売している出版社であり、被告飯島稲太郎(以下「被告飯島」という。)は、被告会社の代表者で、飯島春敬の号を有する書家である。

2(一)  原告は、顔真卿真蹟の「顔真卿自書建中告身帖」(以下「自書告身帖」という。)を所有している。

(二)  顔身卿は、中国唐代(八世紀)の著名な書家であり、中国書道史上王義之と並び称される屈指の名筆家であるが、現存するその真蹟は二、三点を数えるのみで、その中の一点が本件の「自書告身帖」である。

この「自書告身帖」は、宋王朝の御物であり、清朝の乾隆帝をはじめ、これを見た各時代の名書家が跋などを付し、巻物のかたちで今日に伝えられて、故中村の収集品に加えられ、原告が所蔵するにいたっている。原告の所蔵品の中でも殊に貴重なものの一つである。

3  被告会社は、昭和五五年八月三〇日、請求の趣旨記載の刊行物(以下「本件刊行物」という。)を定価金六六〇〇円で五〇〇部印刷・発行した。

右刊行物は、第一部「顔真卿自書建中告身帖」及び第二部「王〓臨書・顔真卿建中告身帖」から成り、右第一部は原告所有の「自書告身帖」を複製したものである。

被告飯島は、右刊行物の編集者兼発行者と称している。

4(一)  被告らによる右複製は、原告の許諾なくなされたもので、原告の所有権を侵害するものである。

一般に、物の所有者は、その所有権の範囲を逸脱し又は他人の権利・利益を侵害する結果となるような場合を除き、その所有物を如何なる手段・方法によつても使用収益することができ、第三者は所有者から使用収益を承認されている場合を除いては、直接にせよ間接にせよ、他人の所有物を利用することによつて所有者の使用収益を阻害してはならない関係にあるものといわなければならない。

したがつて、ある物について、その所有者の許諾なしにその複製及び影像の製作・販売等を行えば、所有者がその物について有する使用収益権能を侵害することになる。

右の理は、具体的には個々の事案について所有者の使用収益権能の実質的な侵害の有無を判断すべきであるが、その物がありふれた物ではなく個別性ないし独自性を有しており、さらに公然と展示されたり、公衆が自由に複製したり写真撮影したりすることができないものである場合に、その複製、影像の製作等が営利の目的をもつてなされたときには、通常これを肯定すべきであろう。

本件では、原告所有の「自書告身帖」及び被告らによるその複製が右の要件を満たしていることは明らかであるから、被告らの行為は原告が「自書告身帖」について有する使用収益権能を侵害するものである。

(二)  原告の右主張は、わが国において広く承認され、確立している実務慣行に合致するものである。

(1) すなわち、一般に博物館や美術館は、著作権により保護されている所蔵品であると否とにかかわらず、歴史学的、考古学的、美術的又は芸術的価値等を有する文化遺産を自ら所有し、場合によつては他人の所有物である寄託品を収蔵している。博物館や美術館は、かかる文化遺産を保存し、これを公衆に展示したり研究者の閲覧に供したりすることにより、その公益的役割を果たしている。

かかる所蔵品の多くはきわめて高い交換価値を有することが多い。そこで、博物館や美術館は、所蔵品を毀損しないように保存修理し、又随時展示し、かつ、これに必要な建物や人員を維持するのに多大な経費を要しており、このため所蔵品の観覧から生じる入場料等の収入と並び、所蔵品の写真撮影や写真掲載に対する許可から生じる収入を、重要な経費調達の手段としている。とりわけ、写真印刷の技術が高度になり、出版物の市場が大いに発達した現代においては、博物館、美術館への入場者数には限度があることもあつて、複製許可に伴う使用料収入は、博物館、美術館の維持の上できわめて重要な要素となつているのである。原告の場合についていえば、複製許可から生じる収入は、年間経費の約五分の一ないし六分の一を占めている。

(2) このため、原告のような私立の博物館、美術館はもとより、国公立の博物館、美術館においてさえも、所蔵品の写真撮影及びその写真の出版物等への掲載は、個別の許可申請及びこれに対する許可手続に基づいてのみ行われており、またかかる許可においては、使用目的、特に掲載する出版物ないしその発行部数を特定し、制限しているのが実情である。

これを詳述するに、まず国立の博物館、美術館等についえは、昭和四四年八月二三日付けで文化庁長官が「写真撮影に関する基準」と題する裁定を行い、同庁次長は同年九月一日付けで各国立博物館長、各国立近代美術館長及び国立西洋美術館長あてに「写真撮影等に関する基準について」と題する通知をした。この基準で注目すべきことは、

(ア) 所蔵品の写真撮影等は、許可を必要とすること

(イ) 許可する場合は、原則として有償であること

(ウ) 所蔵品が寄託品である場合は、事前に当該寄託者(所有者)の書面による同意を得ないかぎり許可しないこと

(エ) できるだけ所蔵品直接の写真撮影を避け、極力写真原板を整備し、これを使用させるという考え方に立っていること

(オ) 右写真原板の使用については、ほかに所蔵品の著作者若しくは所有者又は所蔵品の写真の著作権があるものについて、事前にそれぞれ当該著作権者又は所有者の書面による同意を得ていない場合には許可しないこととしていること

等が明確に打ち出されていることである。

右基準に基づいて、国立の博物館、美術館は、関係規程を整備している。公立の美術館における取扱いも同様である。また宮内庁所蔵の御物についても、その写真撮影及び複写を行うには許可が必要である。

つぎに私立の美術館、博物館の場合も、右と同様、所蔵品の撮影についてはこれを希望する者に許可を求めさせ、許否を決定し、許可に際しては何らかの条件を付している。取扱いの特徴を摘記すると、

(カ) 多くの美術館、博物館の場合、備付けのフィルムを貸し出すことを原則としている。

(キ) 新たな写真撮影を許可する場合、撮影したフィルムの所有権若しくは著作権又はその双方を美術館、博物館に帰属させることを条件とする事例が多い。

(ク) 新たな写真撮影を心要とする場合も、美術館、博物館が自ら撮影を行い、あくまでフィルムの貸出しのみを行う事例も少なくない。

(ケ) 写真使用の場合、掲載出版物に当該美術館、博物館の所蔵品であることの明記及び掲載出版物の提出を許可の条件とするのが通例である。

(コ) 許可申請においては、使用目的及び態様を明記させ、許可の際には、右目的・態様での使用に対する許可であることを明記するのが普通である。

(サ) すべて有償を原則としている。

(3) 以上のような国公私立の博物館、美術館における所蔵品の複製、影像の支配・管理は、法的にみれば、所蔵品の所有権に基づいて行われているのである。しかも右複製、影像の支配・管理は、利用者である出版社等もこれを承認しており、右権能はなんら疑われていない。

よつて原告は、被告らに対し、「自書告身帖」の所有権に基づき、本件刊行物の販売の差止め及び本件刊行物中の「自書告身帖」の複製部分の廃棄を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因第1項(一)の事実は不知、(二)の事実は認める。同第2項(一)及び(二)の事実並びに同第3項の事実は認める。同第4項(一)の主張は争う。物の所有者はその物を使用収益する権能を有するが、それゆえに当然にその物の影像をも排他的に支配できるものではない。たしかに、原告の所有する所蔵品(原本)に接近し、その写真撮影、複製を行う場合には、原告は右撮影及び複製を許諾するか否かの自由を有し、許諾に際しては対価の支払を求めることができる。しかしながら、これは原告が所蔵品を物理的に支配していることの反射的効果によるもので、事実上の利益享受にほかならないのである。(二)(1)の事実は不知。(3)は争う。

三  抗弁

「自書告身帖」の所有者である故中村は、昭和の初期、故七条憲三(以下「故七条」という。)に対し、「自書告身帖」の直接撮影による写真乾板の作成及びこれによる「自書告身帖」の複製物の製作・頒布を許諾した。故七条は右のとおり写真乾板を作成した。

被告会社は、昭和四三年九月、右「自書告身帖」の写真乾板を承継取得した訴外七条多美子から、右写真乾板を譲り受けた。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は認める。

五  再抗弁

故七条に対する「自書告身帖」の複製許可は、同人に専属的なもので、昭和初期に同人によつてなされた「自書告身帖」の複製物の製作・頒布をもつて消滅した。

被告会社は、故七条の作成した写真乾板の所有権を取得しただけで、故七条に対して与えられた右複製許可は承継していない。

六  再抗弁に対する認否

昭和初期に故七条によつて「自書告身帖」の複製物の製作・頒布がなされたことは認め、その余は否認ないし争う。仮に故七条に対する「自書告身帖」の複製許可が同人に専属的なものであつたとしても、それは故中村と故七条との間での債権的効力を有するに過ぎず、被告会社がその所有権を譲り受けた「自書告身帖」の写真乾板を使用収益すべく本件刊行物を刊行することははばむことはできない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求の原因第1項(二)、同第2項(一)及び(二)並びに同第3項の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二原告は、被告らによる本件刊行物の出版をもつて、原告がその所有する「自書告身帖」について有する使用収益権の侵害と主張し、本件刊行物の販売差止め及び「自書告身帖」の複製部分の廃棄を請求するので、判断する。

ある有体物が美術的価値を有する場合において、その美術的価値が思想又は感情を創作的に表現したものであつて、美術の範囲に属するものであれば、著作権法所定の美術の著作物として著作権の対象となる(著作権法第二条第一項第一号、第一〇条第一項第四号)から、著作権の保護期間中は、無体物である美術の著作物についての著作権の保護とそれを体現している有体物についての所有権の保護とが、保護の目的・内容、保護されるべき権利主体を異にするものとして競合することになる。

ところで、右著作権と所有権とでは、権利の対象が無体物である美術の著作物(美術的価値)なのかそれとも有体物なのかという点において根本的に違うため、目的物の使用収益の方法・内容、権利の排他性においても性質上の差異を来することは免れない。一般に、物の所有者は、その所有権の範囲を逸脱し又は他人の権利・利益を侵害する結果となるような場合を除き、その所有物をいかなる手段・方法によつても使用収益することができ、第三者は、所有者から使用収益を承認されている場合を除いては、直接にせよ間接にせよ、他人の所有物を利用することによつて所有者の使用収益を阻害してはならない法的関係にあるとはいえ、右は有体物についての使用収益にとどまり、所有者が、有体物を離れて無体物である美術の著作物(美術的価値)自体を排他的に支配し、使用収益することができる訳ではない。右美術の著作物の排他的な支配権は、法律の許容する範囲内で著作権者がこれを専有するのである。すなわち、美術的著作物の著作権者は、その著作物を複製する権利及び原作品により公に展示する権利を専有し(著作権法第二一条、第二五条)、その権利を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができ(同法第一一二条第一項)、その請求をするに際し、侵害の行為を組成した物、侵害の行為によつて作成された物等の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる(同法第二項)。

右美術の著作物についての排他的な利用・支配権能は、原作品により公に展示する権利は別として、著作権者の利益を保護するため著作権法が特に創設したものであり、従前所有者の有していた権能を所有者の犠牲において著作権者に付与したものではない。前記のとおり、所有者は、有体物についての排他的な利用・支配権能を有するにとどまり、もともと無体物である美術の著作物(美術的価値)自体についてはなんら権能を有しないのである。

右の理は、著作権の保護期間が満了し、著作権が消滅した場合にも妥当するのであり、美術の著作物(美術的価値)を体現している有体物の所有者が、著作権の消滅を理由として、美術の著作物自体について右の排他的な利用・支配権能を取得できるいわれはない。

なるほど、右有体物について、その複製物を製作・頒布することに経済的価値が存するかぎり、右有体物の所有者は、右複製物の製作・頒布に際して、第三者から対価を徴することが可能であり、著作権者による複製許諾に類似の現象が生じることは否定できない。また、それゆえに請求の原因第4項(二)記載の慣行が確立している場合を想定すると、第三者により無断で複製物が製作・頒布されたために、新たな複製物を製作する経済的な意義が薄れ、所有者が収受しえたであろう対価が減少しあるいは無に帰することとなつたり、自己所有の右有体物について、複製物の製作を全く又は部分的な形でしか望まない所有者の願望がそこなわれる結果を招来するなどの場合に、所有権の侵害の有無が一個の法律問題として提起されることは無理からぬ面があると評することができよう。

しかしながら、右所有者が美術の著作物(美術的価値)について著作権者に認められるような排他的な利用・支配権能を持たず、有体物についての支配・管理権能を有するに過ぎないことは前記のとおりであつて、右所有者は、所有物に対する使用収益に基づいて、その物を自ら自由に鑑賞し又はいずれも対価を徴して、他人に賃貸し、公に展示し若しくは直接の写真撮影を許す等の行為を行うことができるのは当然とはいえ、有体物を直接撮影させるべく撮影者に開示して接触させるにとどまらず、右撮影による写真又は従前撮影済みの写真を利用して、美術の著作物(美術的価値)自体の複製物の製作・頒布を行うことを許諾して対価を収受する行為は、所有物の使用収益権の内容そのものとはなし難い。前記著作権類似の現象は、所有者が所有物を合理的に活用するために、所有物を支配・管理していることの反射的効果として行つているに過ぎず、事実上の利益享受に外ならないものというべきである。

翻つて本件を見るに、被告らによる本件刊行物の出版をもつて、原告がその所有する「自書告身帖」について有する使用収益権の侵害と解することができないことは以上述べたところから明らかであつて、原告が主張するように、有体物としての物が体現している美術的価値自体を、その物の所有権の使用収益権の効力として、第三者による無断の複製物の製作・頒布行為を差し止めるなどにより、排他的に支配しうる旨解することはできないといわざるを得ない。

もつとも、原告が請求の原因第4項(二)で主張するごとき実務上の慣行の確立を前提にすると、そのような慣行に従うことなく、所有者に無断で物の複製物を製作・頒布する行為は、その具体的な態様いかんによつては、所有者が複製許諾の対価として一定の経済的収益を得ることについて有する正当な利益を侵害するものとして、不法行為が成立し、損害賠償責任を負担すべき場合がないではないであろうし、所有者と所有物利用者との間で、著作物利用契約類似の合意がなされている場合に、契約当事者間において、特約に基づく差止請求権を認める余地を全く否定することもできないであろう。

しかし、原告の本訴請求は、所有権に基づく複製物の販売の差止め及び廃棄請求であるから、結局法的根拠を欠くに帰し、その余の点について判断するまでもなく失当たるを免れない。

三以上の次第であつて、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(伊藤博 宮崎公男 高世三郎)

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