東京地方裁判所 昭和55年(ワ)4299号 判決 1981年9月04日
原告
宮崎信三
外四名
右原告ら訴訟代理人
谷村正太郎
被告
桑野キヨ
右訴訟代理人
名波倉四郎
同
熊谷隆司
主文
一 被告は、原告らに対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して、同目録(一)記載の土地を明け渡せ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一、二、三<省略>
四(抗弁2について)
1 抗弁2の事実は、当事者間に争いがない。
(再抗弁について)
2 <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。
(一) 和地弥十八(原告らの兄)は、東京都杉並区天沼一丁目一四〇番三及び四並びに一四一番、四及び六の土地を所有していた。
(二) 和地婦志え(原告らの母親)は、昭和二二年四月ごろ、豆生田太市及び山寺杉一との間で、婦志えが前記土地のうち約三〇〇坪を提供し、豆生田及び山寺が建設費を負担して、三名が共同で右土地上に荻窪中央商店街と称するマーケットを建設し、これを賃貸して収益を上げることを計画し、そのころ、右土地に六棟の建物を建築した。右六棟の建物は、いわゆる長屋形式の平家建であり、三坪ほどの店舗兼住居が全部で四四戸できた。右建物に便所は備え付けられていなかつた。
(三) そのため、右マーケットの居住者及び買物客が利用する共同便所として、本件建物が、そのころ、作られた。
(四) 昭和二八年五月二三日、和地弥十八は、前記土地のうち一四〇番の四、一四一番の四及び六の三筆の土地を原告外二名に売却した。
(五) 和地弥十八は、昭和二八年一〇月二七日、死亡し、原告らが弥十八の地位を相続した。
(六) ところが、前記和地弥十八が売却した土地の範囲等に争いを生じ、原告らは、被告外二名を相手方に和解を申し立てた(東京中野簡易裁判所昭和三一年(イ)第八号境界線確定和解事件)。昭和三一年二月一八日、原告らと被告外二名との間において、境界を確定するとともに、本件土地上に現存する便所及び便所への通路を存置する旨の裁判上の和解が成立した。
(七) ところで、前記マーケットの戸数は、次第に減少し、昭和五四年ごろまでに一〇戸余りになつた。残つた居住者は、空いた部屋を買い受けて改装したり、二階を増築したりしたほか、便所も設置した。しかし、居住者のうち大堀と金子が、個人の便所を持つておらず、現在も本件建物を利用している。
また、右マーケットは、現在、商店街としての性格を失つてきている(マーケットには、食料品店、八百屋、不動産屋、印刷屋、ペンキ屋、クリーニング店、建具屋が入つているが、他へ働きに行く居住者もいる。)。
(八) 本件土地は、荻窪駅から歩いて二、三分の位置にある。周辺の便所はすべて水洗化しており、本件建物だけがくみ取り式である。特に夏には、悪息やはえが発生し、衛生上も問題がある。
(九) 原告らは、本件建物に替えて、面積を縮少した水洗便所を提供する用意がある旨表明している。
3 前記2で認定した事実によれば、なお本件建物を利用する居住者が存在するから、本件使用貸借契約の目的に従つた使用収益を終えたとまで認めることは困難である。しかし、前記認定事実判旨によれば、(一) 本件土地の使用が始まつてから告知まですでに三〇年以上経過し、本件使用貸借契約締結からでも二三年余り経過している、(二) 本件建物の利用状況も変化し、二世帯の居住者が利用するだけになつている、と認められるから、本件使用貸借契約に定めた目的に従つた使用収益をなすに足るべき期間を経過した、と認めるのが相当である。少なくとも、右(一)及び(二)の事情に、前記2(八)の衛生上の問題及び2(九)の事情(原告らは和解でも同様の提案を行つている。)を総合すれば、民法五九七条二項但書を類推適用して、原告らは、本件使用貸借契約を解約できる、と解するのが相当である。
4、5 <省略>
五してみると、原告らの本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言の申立てについては、相当でないから、却下する。
(小林正明)
物件目録<省略>