東京地方裁判所 昭和55年(ワ)5198号 判決 1981年8月28日
原告 増田成千鶴
右訴訟代理人弁護士 小山明敏
被告 有限会社ホテル竹むら
右代表者代表取締役 竹村孝
右訴訟代理人弁護士 古屋俊仁
右訴訟復代理人弁護士 酒井昌男
主文
一 被告は、原告に対し、金一二一万六〇〇〇円及びこれに対する昭和五五年六月三日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
一 当事者の求める裁判
1 請求の趣旨
(一) 被告は、原告に対し、五〇〇万円及びこれに対する昭和五五年六月三日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は、被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。
二 当事者の主張
1 請求の原因
(一) 被告は、ホテル竹むらの屋号で旅館業を営む有限会社である。
(二) 原告は、昭和五三年一二月三一日から昭和五四年一月二日まで客として被告のホテルの二〇六号室に宿泊し、その部屋に備付けの洋服ダンスに原告所有にかかるサガミンクのロングコート一着を収納していたところ、その宿泊中に何者かに窃取され、後記損害を被った。
(三) 被告は、旅館業を営む以上、客を客室に宿泊させるときは、客に対し、その客室の出入口の鍵を交付して客が客室を空けるときは客室の出入口に施錠させるべき義務があり、また、使用人をして客室の盗難を防ぐためにホテル内を巡回させ、監視させるべき義務があるのにそれを怠ったため、原告が部屋を明けた隙に何者かが部屋に侵入し、右コートを窃取し、原告に損害を与えたものであり、右は、被告の過失によるものである。
(四) 本件コートは、時価五〇〇万円であり、その後見付け出すことができず、原告はコートの所有権を侵害されたため右価格相当額の損害を被った。
(五) よって、原告は被告に対し、右五〇〇万円及びこれに対する不法行為後の日である昭和五五年六月三日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求の原因に対する認否
(一) 請求の原因(一)の事実は、認める。
(二) 同(二)のうち原告が昭和五三年一二月三一日から昭和五四年一月二日まで客として被告のホテルの二〇六号室に宿泊したことは認めるが、その余の事実は知らない。
(三) 同(三)の事実は、否認する。
(四) 同(四)の事実は、争う。仮に、原告がその主張のミンクのコートを窃取されたとしても、原告は、それを五年以上も前に購入したというのであって、その価額を算定することはできず、結局、原告の損害額は、不明である。
(五) 仮に、原告がミンクのコートを窃取されたとしても、窃盗犯人がどのような経路で客室に侵入したか明らかではなく、被告が原告に客室の鍵を交付しなかったこととミンクのコートの盗難との間には因果関係がない。
3 抗弁(予備的主張)
(一) 原告が窃取されたというミンクのコートは、高価品であり、それにもかかわらず原告は、被告に対し、その価額を明告もせず、寄託もしなかったから、被告は、その滅失について責任を負わない。
(二) 被告は、原告がその主張にかかるような高価なコートを携帯しているとは、予見することができなかった。
(三) 被告が原告に対して客室の鍵を交付しなかったとしても、原告には、鍵の交付を求めず、かつ、高価品であるミンクのコートを被告の保管すべきところに預けずに鍵をかけない客室に置いたまま室外に出たために窃取せられたという過失があり、損害の額を定めるのに過失相殺されるべきである。
4 抗弁に対する認否
(一) 抗弁(一)のうち原告が被告に対し、本件ミンクのコートの価額を明告せず、寄託もしなかったことは認めるが、本件損害賠償請求は、不法行為の一般原則に基づいて行うものであるから、商法五九五条の規定の適用はない。
(二) 同(二)の事実は、否認する。
(三) 同(三)のうち原告が被告に対し、客室の鍵の交付を求めなかったこと、客室に施錠をしないまま客室を明けたことは、認めるが、原告に過失があることは、否認する。
三 証拠《省略》
理由
一 被告がホテル竹むらの屋号で旅館業を営む有限会社であり、原告が昭和五三年一二月三一日から昭和五四年一月二日まで客として被告のホテル二〇六号室に宿泊したことについては、当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
原告は、昭和五三年の大晦日と昭和五四年の正月をホテルで過すべく歯科医師をしている夫と長女及び夫の友人らと被告の経営するホテル竹むらへ向い、昭和五三年一二月三一日の午後、同ホテルへ到着した。原告は、その際、サガミンクのロングコート(以下「本件ミンクのコート」という。)を身にまとったままホテルの受付けに行って宿泊を申し込み、そこから従業員の案内に従って家族とともに二〇六号室に一たん落ち着いた。ホテル竹むらは、玄関で履物を脱ぎスリッパに履き替えるいわゆる純日本式の旅館ではなく、玄関、ロビー、受付けから靴を履いたまま直接、客室に行くことのできるホテル形式の構造を持つ旅館であり、二〇六号室には造付けの洋服ダンスが備え付けられており、原告は、夫と長女のコートと一緒に右ミンクのコートをハンガーに吊して洋服ダンスに納い込み、その戸を閉め、昭和五四年一月二日午前一〇時ごろ、ホテルを出立しようとした時までその戸を開けることはなかった。原告も、夫も、被告のホテルに到着した時も、その後も、被告の従業員が二〇六号室の出入口の戸の鍵を交付しようとしなかったために、自分の方からも鍵を交付して呉れるように求めることもなく、右宿泊中の三日間、食事をとるためなどで他の部屋に行ったときも、二〇六号室の出入口の戸に施錠することはなかった。原告と家族は、一二月三一日の夕食、一月一日の朝食、夕食一月二日の朝食を他の広間でとり、一月一日の夕食後、友人の客室で歓談したりしたため、二〇六号室を空けていたが、そのほかの時間は同客室を不在にすることはなかった。二〇六号室は、一階に在ってホテルの内庭園に面し、その庭に面するガラス戸を開ければ庭に直接、出入りすることができるような部屋の構造になってはいたが、原告とその家族は、右三日間にガラス戸を開けて庭に出入りすることはなかった。
原告が一月二日の朝食を終り、午前一〇時ごろ、帰支度をすべく二〇六号室の前記洋服ダンスの戸を開いたところ、一二月三一日に納めておいた本件ミンクのコートが紛失していることが判明したため、原告は直ちに山梨県石和警察署に対して捜査を依頼し、警察も捜査を行ったが右ミンクのコートは発見されることがなかった。
《証拠判断省略》
右事実によれば、原告やその家族が二〇六号室を不在にした折りに何者かが施錠されていなかったその出入口の戸から右客室に入り込み、その洋服ダンスに収納されていた本件ミンクのコートを窃取したことを推認することができる。被告は、窃盗犯人がどのような経路で二〇六号室に侵入したかは不明であると主張する。なる程、二〇六号室にはホテルの内庭園からも出入りすることはできるが、前記認定のとおり原告やその家族は、三日間を通じて庭園に面したガラス戸から庭に出入りしたことがなかったのであり、また、宿泊客が客室に入る前からガラス戸の施錠がされていないことは、通常考えられないことに照らすと、窃盗犯人は、二〇六号室の出入口から侵入したものと推認したとしても、経験則に反するものということはできない。したがって、被告の右主張は、採用することができない。
三 ホテルには、通常、多数の者が出入りするのであり、特に被告のホテルは、前記認定のとおり玄関、受付け、ロビーから客室へ靴のまま行くことができる構造になっていることを考えると、宿泊客に紛れて窃盗犯人がホテル内に入り込むことは十分に予測されるところであるから、被告としては宿泊客に対し、その客室の出入口の戸の鍵を交付し、窃盗犯人が宿泊客が客室を明けたときに侵入することを防ぐべき義務があるというべきである。
すると、被告が原告に対して二〇六号室の出入口の戸の鍵を交付しなかった点に過失があることになり、そのために二〇六号室に侵入した窃盗犯人が本件ミンクのコートを窃取することによって原告に損害を与えたのであれば、被告は、原告に対して右損害を賠償すべき責任があるということとなる。
被告は、本件ミンクのコートは高価品であり、それにもかかわらず原告は被告に対してその価額を明告もせず、寄託もしなかったから、その滅失について責任を負わないと主張するが、本件は、被告の商法上の債務不履行責任ではなく、不法行為責任を追及するものであるから、被告の右主張は、理由がない。
四 また、被告は、原告がその主張にかかるような高価なコートを携帯していることを予見することができなかったと主張するが、ホテルの宿泊客がミンクのコートを携帯することは、通常あり得ることであるから、それを窃取されたことによって原告が被った損害は、通常の損害ということができ、被告の右主張は、理由がない。
五 次に、原告が本件ミンクのコートを窃取されたことによって被った損害額について判断すると証人門井清の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四八年八月ごろ、港区東麻布のミントグリーンという毛皮店で本件ミンクのコートを三六〇万円で購入したこと、ミンクのコートは、新品を購入して五年から八年ぐらい経過すると毛抜けが生じ、擦り切れるようになるが、手入れ次第では相当年数使用することができることが認められる。右事実によれば、本件ミンクのコートは、原告が購入して約五年半経過しているのであるから、その間の減価償却は六割とするのが相当であり、そうすると盗難時における本件ミンクのコートの価額は、一五二万円となる。
被告は、過失相殺を主張するので、その点について判断すると、ホテルの宿泊客としては、客室の出入口の戸に施錠しないまま、部屋を空けると客室に置いていた金品が盗難にあうことは十分に予見し得るのであるから、ホテルの方で客室の出入口の戸の鍵を交付しないときには、これを交付するように請求すべきところ、前記認定のように、原告は、被告に対し、二〇六号室の出入口の戸の鍵を交付するように請求したこともなく、そのため原告が施錠することなく二〇六号室を不在にしたときに本件ミンクのコートを盗取されたというのであるから、原告にも過失があったものということができ、その割合は、本件事案を考慮すると、二割とするのが相当である。
すると、原告が本件ミンクのコートを盗取せられ、それによって被告に対して請求し得る損害額は、一二一万六〇〇〇円となる。
六 よって、被告は、原告に対し、一二一万六〇〇〇円及びこれに対する不法行為後の日である昭和五五年六月三日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることになり、原告の本件請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余の部分は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条本文の規定を、仮執行の宣言については同法一九六条一項の規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 榎本恭博)