東京地方裁判所 昭和55年(ワ)7545号 判決 1984年8月27日
原告
兼田末廣
右訴訟代理人弁護士
森谷和馬
被告
東京土建一般労働組合
右代表者中央執行委員長
石黒義雄
右訴訟代理人弁護士
寺村恒郎
同
木村晋介
同
渡部照子
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立
一 原告
1 原告が被告の組合員であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被告組合は、建設産業に従事し、主として東京都内に居住する労働者をもって組織されている労働組合であり、原告は、その組合員である。
2 被告組合は、原告に対し、昭和五五年五月一九日付の「除名処分の決定通知」と題するその中央執行委員長石黒義雄名義の書面をもって、原告を被告組合から除名する旨の意思表示をした(以下「本件除名処分」という。)。その理由として右書面に記載されているのは次のとおりである。
「貴殿が群機関紙『職人群』および外部新聞を利用しての反組合的行為にたいして、東京土建一般労働組合第三十三回定期大会は、練馬支部からの除名申請にもとづく中央執行委員会の議をへて、組合規約第四十条の規定により除名処分に決定したので通知します。」
3(一) 被告組合の規約四〇条は、組合員に対する統制処分について、次のとおり定めている。
「組合員が規約に違反して統制を乱し、組合の名誉を損じ、また、組合に損害を与えたときは、中央執行委員会の議をへて、除名、権利停止または勧告の処分を中央委員会または大会で決定する。」
(二) しかし、原告には右規約に定めるような事由が全く存しないばかりでなく、手続的にも原告の言い分を全く聞いていない本件除名処分は無効である。
4 よって、原告が被告組合の組合員であることの確認を求める。
二 請求の原因に対する答弁
1 請求の原因1のうち、原告が現在も被告組合の組合員であるとの点は否認し、その余の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3(一)の事実は認める。
同(二)の事実は否認し、その主張は争う。
三 被告の主張
1 原告は、昭和五四年三月頃、被告組合の組合員であり、被告組合練馬支部南田中分会の第五群と称する被告組合の基礎組織に所属し、同群の機関紙「職人群」の編集責任者であった。
2 原告は、「職人群」三三号ないし三五号に被告組合練馬支部の財政問題を中心とした被告組合練馬支部や被告組合に対する中傷と誹謗の記事を掲載した。特に「職人群」三五号には、「株式会社東京土建練馬支部の研究」と題する組合費問題を特集し、そこでは「利ざやかせぎも、組合実務のひとつなンじゃないの」、「月々の三九〇〇円全部が捨て金みたいなもンなのかな」、「初めっから捨て金って言うか、付き合い料だよ」、「東京土建ってのは、たたかう組合だから、運動するから金がかかるって話だけどよオ」、「支部大会の経過を分析してみますと運動方針は言葉のアヤで……マアいいでしょうという形で決められます。……」、「支部大会の最大の眼目は、組合費値上げ案を大会で承認することと言わざるを得ません。」等の記事および労金の生活資金借受け手続に対して「サラ金から借りた方が良かったかなって、後悔もあったし、ヨ」、「助け合いってナ、人の足元を見て、相談料って言うか、手数料(リベート)をかせぐことなンかな」等の記事を掲載した。
そして、「株式会社東京土建練馬支部……」なる大見出しや、右に摘出した記事からも明らかなように、右「職人群」の特集記事は、全体の基調が被告組合や練馬支部に対するやゆや嘲笑で貫かれているばかりでなく、事実にも反しており、組合機関紙として全く相応しくないものであった。
3 右の「株式会社東京土建練馬支部の研究」という「職人群」三五号は、当然のことながら被告組合練馬支部を中心に被告組合内に衝撃を巻き起こした。これに対する非難と批判が被告組合練馬支部の執行部に多数、寄せられた。被告組合練馬支部執行部はとりあえず、原告に対して自重を求めた。ところが、原告は、これを無視して次号の「職人群」三六号に再び「(株)東京土建練馬支部の研究<2>」という特集を連載し「(株)東京土建……」とした理由を「前号の見出し『株式会社』にクレームがついたので熟慮の上、『(株)』とした」旨の編集者としての註を加えているにすぎない。
4 被告組合練馬支部の執行部は、原告が反省もなく、あえて「職人群」三六号を発行した事実を重視し、直ちに南田中分会および同分会第五群に対し指導にはいった。どのような団体の機関紙であれ、その構成員の生活と要求、活動実態を正しく報道せず、団体の方針から離れた編集をしたとき、その機関紙は機関紙としての価値を失うものであるからである。被告組合練馬支部の執行部は「職人群」三三ないし三六号(なかんずく三五号と三六号)の記事内容と表現が被告組合や被告組合練馬支部の方針から逸脱していることを南田中分会や同分会第五群の組合員と話し合って理解してもらおうとしたのである。さらに被告組合練馬支部の執行部は「職人群」の編集責任者であり一連の問題記事の執筆者である原告との話合を求め、昭和五四年三月二三日、同年四月一〇日の被告組合練馬支部の執行委員会に原告に出席を求めて、この問題に対する原告の意見などを聴取した。なお、原告は、この間の四月一日、二日に開催された被告組合練馬支部定期大会へも出席し、組合費値上げ問題などについて発言をしている。これらの諸会議では当然のことながら原告に対する批判が出た。被告組合練馬支部執行部は、この問題に対する討論を通じ、原告が逸脱を認め自己批判してくれることを期待していたのである。ところが、原告は、かたくなに自説を主張し誤りを認めなかった。このため、前記四月一〇日の執行委員会は、出席した二五人の執行委員全員の賛成で「『職人群』に掲載された問題の記事は組合方針から逸脱していて正しくない。原告の反省を求める。」旨を決定した。
5 さらに、同年五月八日、被告組合練馬支部執行委員会は、「原告が文書による謝罪文を執行委員会に出席して提出する。」ことを決定し、同支部執行部より原告宛、同月二〇日付の「謝罪文提出のおねがい」と題する文書を発送した。このことからも明らかなとおり、同支部執行部は、この段階では、この問題を懲戒処分としてではなく、原告の自己批判で解決しようとしていたのである。「職人群」は創刊当時、独特な紙面構成で多くの仲間から注目をあび、機関紙活動に積極的役割りを果したことがあった。しかし、原告ただ一人の手によって編集、発行されてきた点に欠陥があり、原告の「我流」の機関紙となってしまった。この誤りを認め集団活動による機関紙発行、統一と団結を強める自己批判と相互批判による機関紙活動とはずれたコースを復元してもらいたかったのである。
6 ところが、原告は、被告組合練馬支部の自己批判を求める説得にも全く応ぜず、逆に開き直り、三八号で終刊したはずの「職人群」の名称をそのまま使用し、その四三号では「一部の労働組合幹部の腹いせに新聞をつぶされてたまるか。」という記事を掲載するなどその反組合的活動は一層明確になってきた。
7 原告は、また被告組合練馬支部の前記「謝罪文提出のおねがい」という要請にも応じなかった。しかし、同支部は、あくまでも原告の自己批判でこの問題を解決しようと考えて、昭和五四年六月一三日、今度は内容証明郵便で、六月三〇日までに謝罪文提出をおねがいしますという文書を発送したが、六月三〇日になっても原告から謝罪文は提出されなかった。
8 この間の同年六月一九日頃、原告は、外部の機関紙協会にこの問題を持ち出して被告組合練馬支部の執行部批判をしていることが明らかとなった。また、前記のように謝罪文を提出することなく、逆に開き直った態度で「規約のどこに記事がふれるのか文書で答えてもらいたい。」などと繰り返していた。
9 この段階に至って、被告組合練馬支部執行部は、この問題を広く支部組合員を中心に訴えて行く方針を決め、この問題に関する機関紙「けんせつ北部」号外を発刊した。そして、このような批判を通じて原告の自己批判を期待したのである。しかし、原告は自己批判どころか「すずしろ市民通信」なる地域新聞の一九七九年一一月一八日号に同支部を名指して「組合民主主義の荒廃」と題する文を発表し、被告組合の外でも公然と被告組合の名誉を損ずる行動をはじめた。
10(一) 被告組合の規約四〇条は、「組合員が規約に違反して統制を乱し、組合の名誉を損じ、組合に損害を与えたときは、中央執行委員会の議を経て除名、権利停止、または、勧告の処分を中央委員会または大会で決定する。」と定めている。
(二) 以上のような経過で、被告組合練馬支部執行委員会は、同支部内で批判、自己批判の手段を通じてこの問題を解決することはもはや不可能であると判断し、昭和五四年一二月八日付文書で、中央執行委員長宛「原告の規約違反疑義にかゝわる練馬支部の態度」を報告した。右報告内容は、問題が発端した経過、そして原告が誤りを一切認めず、対外的に本問題を発表して、組合攻撃をしている現状を述べた後、原告に対する統制処分の内容として原告の除名を求める意見が、投票総数二八票中一八票であった旨具体的に記載するものであった。右の練馬支部の態度報告をうけて、昭和五五年四月一日の第四七回拡大中央執行委員会において、同委員会としては、原告の除名を決定し、同年五月一四日より開かれた第三三回定期大会において、原告の除名処分の承認がなされたのである。もちろん、本部段階においても、ことは除名問題であるので慎重に審議された。すなわち、被告組合は、練馬支部より申請はあったものの、直ちに取り上げることはせず、数か月間、なお、事態の好転を期待して推移を見守ったものである。その後、四役会議、専門部長会議、教育宣伝部会、組織部会など各機関の慎重な論議がなされたことはもちうんであった。なお、原告は、除名が決定されるまで、一組合員として、いかなる会議にも出席して発言する権利があったにもかかわらず、原告はこの権利を行使しなかった。
11 本件問題の発端は機関紙として組合費の値上げに関する組合員の意見の取りあげ方にあった。そして原告は、被告組合練馬支部の執行部が値上げの根拠を示さないことを理由に、「職人群」三五号等において、取りあげた旨弁明する。しかし、「職人群」三五号に掲載してある組合費項目および数字は「けんせつ北部」において公表されたそのままであり、それ自体、極めて詳細な資料にほかならない。また、被告組合の会計処理は、印刷配布されている「会計処理規則」「書記局規定」にもとづき処理されていて、まったく秘密の取扱いではなかった。原告は、それを十分に承知しながら、いかにも被告組合練馬支部が一般組合員に秘密にしているとの印象を与えんとしていたのである。原告が問題にしていた常任書記の給与は、被告組合本部にある給与規定委員会において各種の資料に基づき、十分討議されて決定されているものであり、かつ、公表されているので、原告は、右委員会の存在等を知りながら、いかにも常任書記らの給与が不明との言いがかりをつけていたものである。さらに各会計年度毎、税理士による会計監査が実施され、その結果は各定期大会に報告書が提出されているので、組合費の使途について何ら不明朗な点はない。それにもかかわらず、原告は、これらの問題につき、誠意ある機関紙編集者としての対応を示さず、被告組合に対する一般組合員の信頼を破壊することを狙っているかのような「株式会社東京土建練馬支部の研究」と題する大見出しをつけたうえ、その記事内容においても、被告組合の名誉を毀損した。そして前記のとおりの原告のその後のかたくなな対応をみれば、組合破壊をねらった意図的な編集ではなかったかとの感さえ覚えるものである。
労働者は、組合に加入することにより、組合員としての権利を取得し、義務を負うものである。そして、その権利、義務の具体的内容は、基本的に組合規約の定めるところである。原告は、組合員としての道義に反し、組合員相互の信頼関係を破壊し、組合の弱体化を図る言動をし、組合の名誉を著しく損じた。そして、原告の右諸行動について「謝罪をすること」との機関決定にも従わなかったものである。かくして、被告組合は、原告に対して本件除名処分決定をしたものであり、右決定は適正であった。
四 被告の主張に対する原告の認否、反論
(認否)
1 被告の主張1のうち、「職人群」が被告組合練馬支部南田中分会第五群の機関紙であるとの点を否認し、その余の事実は認める。
2 同2のうち、「職人群」の記事が被告組合を中傷、誹謗しているとの点、記事全体の基調が同じく被告組合に対するやゆ、嘲笑であるとの点および記事が事実に反するとの点は否認し、その余の事実は認める。なお、記事内容が機関紙として相応しくないとの点については、「職人群」はそもそも機関紙ではないのである。
3 同3のうち、「職人群」三六号に「(株)東京土建練馬支部の研究<2>」として特集を連載したことは認めるが、その余の事実は否認する。
4 同4のうち、原告が「職人群」の編集責任者で、その執筆者であること、原告が、昭和五四年三月二三日、同年四月一〇日の被告組合練馬支部の執行委員会に出席したこと、同年四月一日、二日の同支部定期大会にも出席したことおよび原告が問題とされた「職人群」の発行につきそれが誤りであるとは認めなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。
5 同5のうち、被告組合練馬支部から原告に対し、昭和五四年五月二〇日付の「謝罪文提出のおねがい」と題する書面が郵送されてきたが、原告はこれに応じなかったことおよび「職人群」が原告一人の手によって編集、発行されてきたことは認めるが、その余の事実は否認する。
6 同6のうち、原告が被告組合練馬支部の求めに応ぜず、自己批判をしなかったことは認めるが、原告がさらに反組合的活動をしたとの点は否認する。
7 同7のうち、昭和五四年六月八日付の「謝罪文提出の再度のおねがい」と題する書面が郵送されてきたが、これに応じなかったことは認める。
8 同8の事実は否認する。
9 同9のうち、被告組合練馬支部が「職人群」問題につき機関紙「けんせつ北部」号外を発刊したこと、原告が「すずしろ市民通信」の一九七九年一一月一八日号に「組合民主主義の荒廃」と題する文を発表したことは認めるが、その余の事実は否認する。
10 同10の(一)の事実は認める。
同(二)のうち、被告主張のように、原告に対する本件除名処分が決定、承認されたことは認めるが、その余の事実は否認する。
11 同11のうち、原告に対する本件除名処分がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(反論)
1 「職人群」は、被告組合練馬支部南田中分会第五群の機関紙ではない。すなわち、
(一) 「職人群」を発行すること自体が原告の発案であり、原告としては、群の中での仕事や暮しの話、様々な意見を載せるもの、仲間の生の生活、姿を伝える新聞を作りたいと考えたのであって、組織の決定を一方的に伝えたり、あるいは行動を呼びかけたりすることを第一の目的とする機関紙とは性格を異にするものを作ろうとしたのである。そして実際にも、発行されている「職人群」の記事は働く仲間達の様々な生きざまを描くということが主体となっているのである。もちろん記事の中には組合からの「お知らせ」的なものも含まれているが、これらはあくまでも付随的なものであって、「職人群」の中心的な記事とはいえないのである。
(二) 原告が第五群の中で「職人群」の発刊を提起したのは昭和五一年の春であるが、群内の空気はあまり積極的ではなく、同年六月一六日の第一号発行以来すべて原告が一人で編集、印刷、配布、郵送等をせざるを得なかったのである。そして、当時、新聞の内容と組合規約との関連が論議されたこともなく、発行に要する費用についても何ら取り決められることもなかった。「職人群」が被告のいうとおり機関紙であれば、それは組織としての組合自身がその組合員に対して発行するものであり、その内容が組合自身に対する誹謗、中傷になるかも知れないと心配すること自体極めて不自然な発想であるといわなければならない。
発行に要する費用は原告個人が負担していたが、第五群から全部で二万三〇〇〇円を受け取ったことはある。しかしこれは金額自体僅少であって実際に「職人群」の発行に要した費用を賄うことは到底できないし、第五群の会計から機関紙の発行費用として正式に支出されたものでもない。単に第五群の茶菓子代の積立金の中から「紙代の足しに」ということで不定期に受け取ったにすぎないのである。したがってこれを以て「職人群」を機関紙とする根拠とはなし得ないのである。
(三) 「職人群」が機関紙コンクールで企画編集賞を受賞したことをもって、これが機関紙であるとする根拠にはならない。
まず、この機関紙コンクールなるものに応募することは被告組合練馬支部の教宣部会で原告以外の者から発案されたことであり、原告自身は、「職人群」は被告組合練馬支部南田中分会第五群の新聞ではあるが、機関紙とは異なるので機関紙コンクールに応募する筋合いのものではないと考え、応募することを断ったのである。しかし、練馬支部の教宣部長や教宣担当書記が「自分達に任せてくれ」というので、原告自身の「職人群」と機関紙の関係についての主張は最後まで変えないまま、同支部の教宣部として応募することに不本意ながら応じたにすぎない。原告自身が「職人群」を被告組合練馬支部南田中分会第五群の機関紙と考え、それにより機関紙コンクールに応募したものではないのである。
(四) 以上のとおりで、「職人群」は第五群の新聞ではあるが、その機関紙ではない。
2 組合費値上げ問題に関する「職人群」の記事内容について
(一) 本件で問題となっている「職人群」の記事は、組合費の値上げに関するものである。原告がこの問題を取り上げたのは、次のような理由によるものである。
まず、被告組合では毎年四月の初め頃に行われる練馬支部の支部大会で組合費の値上げが決められるが、その一ないし二か月前頃には第五群の中で値上げが話題となっていた。組合費は三ないし四年続けて値上げされており、第五群の中では値上げは嫌だ、困るという意見が殆んどであった。したがって、原告はこのような値上げに反対する組合員の意見を踏まえ、本件で問題となっている以前の昭和五二年の「職人群」八号、九号、同五三年の二三号、二六号などにも組合費に関する記事を掲載していた。すなわち、組合費値上げに関する記事は問題となっている三五号に突然掲載したものではない。三五号を発行した昭和五四年の分としては、三三号に「組合費値上げ、役員選出で紛糾」という表題の記事を載せ、さらに三四号では「すっきりしない組合費値上げの内実」という表題の記事を載せ、組合費値上げの理由や根拠となる資料を巡って第五群内で活発に議論がかわされたことを報じ、さらに、こうした群内での議論を踏まえて問題の所在を指摘しているのである。
このように第五群の中では、「組合費の値上げは必要でありやむを得ない」という組合の主張に対して、値上げは本当に必要なのか、予算の使われ方は妥当なのかといった疑問が強く、それらのことについて群の中でさらに考えるために、特に人件費の詳細な内訳等の資料を検討したいというのが原告をはじめとする組合員の大勢であった。しかし組合側(練馬支部)の方では組合員に対して組合費に関する詳しい資料を配布することには消極的であり、例えば昭和五三年の練馬支部の定期大会前には原告が練馬支部事務所を訪れ同支部の関書記次長に対し該資料の配布を提案したが、同書記次長は「そういうことはやっても仕方がない」という返事であった。
そして昭和五四年の支部大会前も第五群内の意見は組合費の値上げはして欲しくないということであり、「群で話し合っても上の方で決めているのだから結局は通してしまうのではないか」「書記の給与はどうなっているのか」といった疑問が提起されていた。そのため原告は昭和五四年三月三日に関書記次長に電話で組合費値上げの根拠について尋ねている。この際関書記次長は、値上げ額の内訳を明らかにすることはできる、そのことを原告の方で分会の執行委員会に提案するように話してみたらどうかと答えたので、原告は同年三月六日の練馬支部南田中分会の総会で右の関書記次長とのやりとりを報告したところ、分会選出の執行委員は「何を今さらそんなことを言うのか」と激怒した。
このように第五群組合員の中に根強い組合費値上げ反対の意見や組合予算の使われ方の明細が明らかでないことに対する不満、そしてこれに対する組合(練馬支部)側の消極的な姿勢などを考え合わせて同年三月一〇日付の「職人群」三五号の中で組合費値上げの問題を大きく取り上げたのである。
(二) この特集記事の見出しは「株式会社東京土建練馬支部の研究」となっているが、これは組合費の値上げや使い方について組合員同志が話合いをするための材料(資料)の提供を拒むというのはおかしい、労働組合らしからぬという考えから用いたものであり、この言葉自体を考えたのは同じ第五群の組合員である佐藤誠であった。そして「熊さん」「八っつぁん」の対話形式を採ったのは、問題が財政や予算に関することであり、書き方を工夫しないと読みにくくなるという配慮からであった。その会話の内容は日頃話し合われていることを基にして原告が構成したものであって、原告一人の考えを適当に書き連ねたものではない。
また、掲載されている表の内容は支部定期大会の議案書中の予算案を転記したものである。
(三) このようにして発行した三五号であったが、これに対して群の中で異を唱えたのは常盤千久子のみであり、その他の組合員からは非難めいた反応は全く出なかった。常盤は「組合をどういう形で考えているのか」と言ってきたので原告は三五号の記事の由来を説明し、反論を書かせて欲しいという同人の申し入れも了承した。三五号を発行した当時の原告の気持ちとしてはこれが被告組合の規約に触れるとか処分の対象になるとかいうことは一切考えていなかったし、常盤のような積極的な反応も議論を深化発展させるために望ましいと考えていたのである。
(四) 原告は、昭和五四年三月一六日、被告組合練馬支部の高畠書記に対し、組合の会計処理規定や決算報告書などをもらいたい旨申し出たところ、同書記から「そういう資料はあるにはあるが」と言葉を濁されたうえ、資料の交付を受けることができなかった。また、この際、同書記は「職人群」三五号について「株式会社という見出しはまずいのではないかという声がある」と言ったが、それはそういう声もあるというニュアンスであって、非難するという調子のものではなかった。原告としては、そういう意見もあるのかという受け止め方をしたが、この組合費値上げの問題については五回くらいの連載で書きたいと思い、二回目以降の見出しは簡略でよいとの考えから、三六号では「(株)東京土建練馬支部の研究」としたものである。
3 「職人群」の記事を巡る原告と被告組合練馬支部とのやりとり
(一) 原告が被告組合練馬支部として「職人群」の記事を問題にしていることを知ったのは、昭和五四年三月一七日の夜のことであった。この夜遅く、南田中分会所属で同支部の専門部長をしている坂下から原告に電話があり、その内容は「職人群の問題で一八日の夜に臨時の三役専門部長会議が開かれるという連絡を受けたが一体どういうことなのか」というものであった。原告は、右坂下に対し「職人群」の記事を書いた趣旨を説明するとともに、臨時に開かれるという三役専門部長会議の席で当事者である原告本人のいない所で議論がなされることをおそれて一八日に関書記次長に電話して「職人群の件で話し合うということを聞いたので、当事者の自分の言い分も是非聞いて貰いたい」と申し入れたが、同書記次長からは「その件は議題になっていない」との答えであった(然し実際にはこの会議で「職人群」のことが議論されたのであった。)。
原告はこの問題の当事者である自分の言い分を聞く場が与えられないのかという不安を抱き、さらにこの問題について本部の田川教宣部長の意見を聞くために同月一九日に被告組合本部を訪れたが、田川教宣部長は不在であり、組織担当の赤間書記が応対した。しかし右赤間の方から原告に対し「職人群」の記事に関して指導や助言がなされることもなく、同書記が単に原告の説明を一方的に聞くという形で終わった。同月一九日、原告は練馬支部の関書記次長に対し電話で面談を申し入れ、いったんは承諾の返事を貰ったが後になって「必要がない」との理由で断わられた。
(二) 同年三月二〇日には南田中分会の緊急の臨時会議が開かれ、「職人群」について議論された。当時、原告は、同分会の教宣部長の地位にあり、右の会議に出席する立場にあったにかかわらず、原告には何らの連絡もなかった。
この間、原告は「職人群」の記事が同年三月二三日の支部執行委員会の議題に取り上げられる可能性が強いと考え、「職人群」の二五ないし二七号および三三ないし三六号を参考資料として練馬支部の三役、専門部長、支部執行委員に送付したところ、四人ほどの面識もない支部執行委員から「よく書いてくれた」と記事の内容を支持する電話を受けた。
同年三月二〇日分会の臨時会議の後に緊急の第五群の会議が開かれた。これは練馬支部としては「職人群」については休刊にするか編集長を替えるかペンを折るかいずれかにすべしという結論を既に出しており、この結論を南田中分会に押し付けたため、これを受けた同分会としては群の問題を分会レベルでは決めかねるとの判断から夜半になって急拠第五群の会議が招集されたものである。第五群の会議では支部より「職人群」を休刊にせよあるいは編集長を替えよといった指示がいきなりなされたことに驚き、随分ひどいではないかという空気であり、問題のタイトルや記事の中味については「今までの群会議や日常の付き合いの中で出ている話を載せて何が悪いのか」というのが大勢の意見であった。しかし、この時も常盤千久子一人は「組合をどう考えているのか」と批判的な意見を述べていた。そして結局のところ、「職人群」は従来から原告一人で編集発行してきたものであるから群としてどうこうすることはできない、今後は「五群発行」という文字を削って原告個人の新聞として出して行く、組合費値上げの問題については支部大会の財政部会で代議員となっている原告が質疑あるいは態度表明するということで連載を打ち切るということに落ち着いた。
(三) 原告は、同年三月二三日に開かれた被告組合練馬支部の執行委員会に出席した。席上、三役専門部の数名の者から原告に対し、「職人群」の内容について「表現に行き過ぎがある、どうしてこういうことを書いたのか」と詰問し、謝罪を要求してきた。これに対し、原告はそれぞれの表現や内容について編集発行者としての意図を説明し、「組合の群会議や分会などで日常出ている組合員の声を掲載したものだから、謝るということはできない」と答えた。こうしたやりとりの中で丸山執行委員が発言し、「ここに書いてあるようなことはうちの分会でもいつも出ている話だ、これを書いたのが何で悪いのか」と原告の立場を擁護した。しかしこの日の支部執行委員会では謝罪するかどうかは平行線のまま、支部大会後にこの議論を持ち越すということで終わった。
(四) 同年四月一日から二日にかけて被告組合練馬支部の大会が開かれ、原告は代議員としてこれに参加した。特に財政分科会では組合費値上げの理由やその根拠となる資料の提供などについて執行部に質問したが、執行部側は財政部長が単にメモに書いた数字を読み上げただけで終ってしまった。そして、財政分科会としては二五、六人の出席者のうち原告を含めて四、五名の反対意見のほかは執行部案に賛成という形で承認してしまった。
この支部大会の終了後、練馬支部の昭和五四年度の会計監査を担当していた者二人から別々に原告のところに電話があり、「支部の会計監査を担当して非常に腹が立つ、是非自宅へ来て話を聞いてくれ」との申し入れがあったが、原告は「職人群」の記事が組合で問題とされている折でもあるので、「個人として話を聞くことはできない、話がしたければ分会に来て話をして欲しい」と答えて個人的な接触は断わった。
(五) その後、同年四月一〇日、再び練馬支部執行委員会が開かれたが、支部役員は原告に対し「悪いと思わないか」、「謝れ」と要求するだけであった。これに対し原告の方では「値上げについての組合員の声を掲載したものである、値上げについての資料の提供を組合に求めて来たといういきさつもある」、「それぞれについて説明をしたのにただ謝れ反省しろというのはどういうことか」と答えたが、議論は平行線で、執行委員会としては「職人群の記事は組合の方針を逸脱していて正しくない、反省を求める」旨の結論を出してしまった。
その後、練馬支部より昭和五四年五月二〇日付の「謝罪文提出のおねがい」、さらに同年六月八日付の「謝罪文提出の再度のおねがい」が原告に郵送されて来たので、原告はそれぞれ同年五月二二日付と六月二九日付の書面によって回答した。原告としては「職人群」の記事のどの箇所が被告組合の規約や運動方針にどのように牴触するのか明らかにされないまま練馬支部から反省や謝罪文を要求されたことに対し、組合の規約や方針に反しているという記事がどれであるというのかを具体的に指摘するよう求めていたのである。
(六) ところが、練馬支部は原告の前記のような要求に応えようとせず、それどころか「職人群」を送付した者に対し、「職人群は書記局に持って来い、それを書記局で全部兼田に送り返す」という呼びかけを行ったり、あるいは教宣部会で「職人群を送らないで下さい」というガリ版刷りの葉書を配布したり、さらには原告が前任者から編集を引き継ぐことになっていた分会の新聞について「問題の人物にやらせるのはけしからん」ということで原告の関与を辞めさせたり、練馬支部の機関紙である「けんせつ北部」に、原告と「職人群」を一方的に非難するキャンペーン記事を関係者への取材もなしに連載したりした。このような状況の中で原告は「職人群」の記事を巡る練馬支部の対応について地域の「すずしろ市民通信」の「すずしろ論壇」に投稿した。これに対して練馬支部は書記局名で反論を「すずしろ市民通信」に投稿し掲載された。
(七) その後、原告と練馬支部三役と非公式に会談する機会があったが、三役側は見出しの表現に行き過ぎがあるのでその点を口頭で謝罪するように求め、原告の方では従来からの要求とともに五群の会議に出て事情を聞いて欲しいと要望し、やはり解決に至らなかった。そして、昭和五五年五月一九日付で本件除名処分となり、これに対して原告は異議の申立てをしたがこれも翌五六年五月一五日付で却下された。なお、この除名を決定した昭和五五年五月の第三三回定期大会では当事者である原告には何の連絡も通知もなされず除名決定後にその旨を文書で通知してきただけであったし、次の第三四回大会では原告の方から出席を望んだにもかかわらず参加する資格はないと出席を拒絶された。
4 本件除名処分の無効
(一) 本件で問題とされている「職人群」の記事は前記のとおり組合費値上げの問題をその対象としたものである。組合員にとって組合費の金額自体やその使途というのは重大な関心事であるから、これを群の新聞のテーマとして取り上げること自体が正当であることはいうまでもない。すなわち、組合費値上げの問題を取り上げたことには何ら問題はない。
(二) 次に、原告の所属している第五群においては、毎年のように繰り返される組合費の値上げに対して反対する声が圧倒的であった。「職人群」で値上げに批判的な記事を繰り返し載せたのもこうした群内での意見を反映させたものにほかならない。被告組合が特に問題としている三五号の対話の内容も実際の組合員の声であって原告が勝手に創作したものではないし、「株式会社」という見出しさえ同じ五群の組合員の発案であることは前記のとおりである。また、そこに掲載した組合費支出の数字は組合発行の資料の正確な引用であって意図的な改変などはもとよりなされていない。すなわち、「職人群」の記事内容は実際の組合員の意見であるかあるいは客観的な数字であり、原告だけの個人的な考えを載せたものではないということである。
(三) このように、「職人群」の値上げに関する記事は実際の組合員の声を正しく反映したものであるが故に、三五号が出された後、第五群内でこれに異を唱えたのは常盤一人だけであるし、昭和五四年三月二〇日夜の第五群会議でも常盤以外は「職人群」の記事を支持し、支部の圧力に反発したのである。また、原告から「職人群」の送付を受けた支部執行委員の数名は「よく書いてくれた」と原告に賛意を表したし、同年三月二三日の支部執行委員会の席上では一執行委員が「ここに書いてあるようなことはうちの分会でもいつも出ている話だ、これを書いたのが何で悪いのか」と公然と原告を擁護する発言をしている。すなわち、被告が口を極めて非難する「職人群」の記事は少なくとも一般組合員の間では支持と共感を呼んでいたのであり、これを全組合員が非難、反対しているかのようにいうのは全く事実に反するものである。
(四) また、原告がその三五号より「職人群」の紙上で組合費値上げの問題を取り上げようとしたのには首肯すべき理由がある。それは、支部大会の前に群内で組合費値上げについて話し合う際、値上げの詳しい理由やその根拠となる資料が一般組合員に示されないために充分な論議ができないという状態であり、この点について原告が練馬支部に改善を求めても消極的な返事しか受けることができなかったので、そのような組合側の対応自体も、問題点として「職人群」で取り上げたのである。
原告自身は分会の教宣部長をつとめたこともあり、そのような立場では組合費の値上げについても一般組合員に説明しなければならないこともあるが、十分な資料が手元になければそのような説明をすること自体が困難である。
もし、組合側が組合費値上げについて一般組合員に対し事前に詳しい説明や資料の配布を行っていれば原告としても、「職人群」にあれほどまで大きなスペースを割いて値上げの問題を取り上げる必要もなかったであろう。すなわち、あのような記事を書かざるを得なかった原因の一つは組合側の消極的な姿勢なのである。
(五) 原告が支部の謝罪要求に応じなかったことにも相当の理由がある。「職人群」の記事に対する支部の側の姿勢は当初から「職人群」の記事は悪い、反省すべきであるということで固まっており、この立場から原告を非難し「反省」や「謝罪」を要求した。これに対し、原告の側ではどこが組合の方針や規約に反するのかを具体的に説明することを求め続けたが組合側からは遂にその点の説明はなされなかった。したがって原告としては具体的な説明もないまま「組合の方針や規約に反する」という非難を受け入れるわけには行かなかったし、謝罪するかどうかは個人の良心の問題であるので、それを組舎が一方的に決定し要求することは許されないと考えて謝罪要求には応じなかった。
(六) 被告組合による本件除名処分の理由は、組合規約四〇条に違反するとのことであるが、その対象は「反組合的行為」というだけで行為としての特定が十分でない。特に「職人群」三五号の記事については記事の当該箇所と組合規約四〇条の各構成要件との具体的関係が(本件審理の中においてさえ)明らかにされていない。すなわち本件除名処分およびその前提となる練馬支部の処分はそれ自体甚だ漠然としたものであり特定性・明確性に欠けるといわなければならない。また、除名処分を決定する際には当事者である原告から意見を聞こうとせず、かつ、原告に何らの事前連絡もせず、原告が意見を述べる機会を事実上失わせたし、異議申立についても原告に意見を述べる機会を全く与えないなど、その手続自体の適正さに多大の疑問がある。このように、原告自身の意見を全く聞こうとしなかったのは、そもそも、被告組合において当初から原告を除名処分にしようとの考えであり、原告の言い分をも十分に聞いた上で慎重にこの問題を処理しようという考えがなかったことを物語るものである。
5 結論
以上に述べてきたように原告が群の新聞である「職人群」に被告組合の組合費値上げの記事を掲載したことはその動機・内容においていずれも正当であり、これに対する謝罪要求に応じなかったことにも相当の理由が存するのであるから、これを組合方針・組合規約からの逸脱であると決めつけて一方的に謝罪を要求し、さらに、これに応じない原告を除名処分するに至った被告組合の本件除名処分は合理性をもたず、その効力は否定されるべきである。
五 原告の反論に対する被告の認否
原告の反論のうち、前記三における被告の主張に反する部分は否認し、争う。なお、本件除名処分に対する原告からの異議申立に対し、被告組合の大会において、昭和五六年五月一五日付で、これが却下されたことは認める。
第三証拠関係
本件記録中の書証目録および証人等目録記載のとおりである。
理由
一 次の事実は当事者間に争いがない。
1 被告組合は、建設産業に従事し、主として東京都内に居住する労働者をもって組織されている労働組合であり、原告は、本件除名処分を受けた昭和五五年五月一九日当時その組合員であった。
2 被告組合が原告に対し、昭和五五年五月一九日付の「除名処分の決定通知」と題するその中央執行委員長石黒義雄名義の書面をもって本件除名処分をし、その理由として同書面に記載されているのは次のとおりである。
「貴殿が群機関紙『職人群』および外部新聞を利用しての反組合的行為にたいして、東京土建一般労働組合第三十三回定期大会は、練馬支部からの除名申請にもとづく中央執行委員会の議をへて、組合規約第四十条の規定により除名処分に決定したので通知します。」
3 被告組合の規約四〇条は、組合員に対する統制処分について、次のとおり定めている。
「組合員が規約に違反して統制を乱し、組合の名誉を損じ、また、組合に損害を与えたときは、中央執行委員会の議をへて、除名、権利停止または勧告の処分を中央委員会または大会で決定する。」
二1 次の事実も当事者間に争いがない。
(一) 原告は、昭和五四年三月頃においても被告組合の組合員であり、被告組合練馬支部南田中分会の第五群と称する被告組合の基礎組織に所属し、「職人群」の編集責任者であった。
(二) 原告は、「職人群」三三号ないし三五号に被告組合練馬支部の財政問題を中心とした記事を掲載した。その三五号において、「株式会社東京土建練馬支部の研究」と題する組合費問題を特集し、その中に「利ざやかせぎも、組合実務のひとつなンじゃないの」、「月々の三九〇〇円全部が捨て金みたいなもンなのかな」、「初めっから捨て金って言うか、付き合い料だよ」、「東京土建ってのは、たたかう組合だから、運動するから金がかかるって話だけどよオ」、「支部大会の経過を分析してみますと運動方針は言葉のアヤで……マアいいでしょうという形で決められます。……」、「支部大会の最大の眼目は、組合費値上げ案を大会で承認することと言わざるを得ません。」等の記事および労金の生活資金借受け手続に対して「サラ金から借りた方が良かったかなって、後悔もあったしヨ」、「助け合いってナ、人の足元を見て、相談料って言うか、手数料(リベート)をかせぐことなンかな」等の記事を掲載した。
(三) 原告は、「職人群」三六号に再び「(株)東京土建練馬支部の研究<2>」とする特集記事を掲載した。
2 (証拠略)によれば、原告は、「職人群」三五号の「株式会社……」なる見出しに対し、被告組合練馬支部の高畠書記からその表現が不適当であるとの指摘を受けたこともあって、その三六号の「(株)東京土建練馬支部の研究<2>」なる見出しに続けて〔編注〕として「前号の見出し『株式会社東京土建練馬支部の研究』について書記さんからクレームがつきましたので、『株式会社』を削除、熟慮の上、『(株)』とすることにしました。」とわざわざ掲載したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
3 右1の(二)、(三)、2の事実に(証拠略)を併せ検討すると、
(一) いやしくも、労働組合に対し、「株式会社」あるいは「(株)」なる名称を冠して、これを新聞の「見出し」として公表するようなことは、そのことに特別の意味があるのであれば格別(かかる特別の意味のあることは殆んど考えられない。)、そうでない限り、一般的には当該労働組合の労働組合性を否定し去るだけでなく、本来労働組合と対峙し、相容れない関係にある営利を目的とする「株式会社」性を当該労働組合に印象づけ、そのことによって当該労働組合の存立の基礎をも否定することにもなりかねない重大事であって、何人もかかることをなすことは許されず、ましてや当該労働組合の組合員がかかることをなすことなどおよそ考えられないところであり、決して許されないものというべきであり、かかる見出しの発案それ自体が原告ではないとしても、前記のとおり、「職人群」の編集責任者である原告がそれを容れてかかる見出しとしたことはすべて原告の責任においてであるといわざるを得ないものというべく、
(二) 次いで、「職人群」三五号の記事内容は前記のとおりであるが、これによると、被告組合あるいは練馬支部およびそれらの執行部に対する中傷、誹謗さらにはその全体の基調がやゆ、嘲笑となっているものと認めざるを得ず(読者にかかる印象を与えるおそれのある部分のあることは、原告本人もその供述中において認めている。)、もとより組合費の値上げ問題や組合執行部の態度を取り上げて批判することは自由であり、これが十分に保障されなければならないものというべきである(詳細は後に述べる。)が、それはもとより無制限なものではなく、それが正当な批判の範囲を超えて単に他人に対する中傷、誹謗であってはならず、「職人群」三五号の右のような記事内容であっては、原告のいう第五群の組合員の生の声を伝え、生の姿を見せて正当な批判をするにしては余りにその表現方法等が不適切であり、真に原告にかかる意図があってのことか大いに疑問の存するところであり、
(三) (証拠略)によれば、「職人群」三五号の前記記事中には事実に反する部分があるばかりでなく、原告がかかる記事をあえて掲載して被告組合の内外に訴えなければ、第五群の組合員の声が被告組合や練馬支部に届かないような状況ではなく、また、被告組合や練馬支部において決定された事項が同組合員に伝達されないような状況にもなかったことが認められ、右の認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は前掲各証拠と対比すると信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そうだとすれば、原告が前記「職人群」三五号を発行した意図がさらに疑問とならざるを得ないものということができる。
4(一) 被告の「東京土建一般労働組合規約」である成立に争いのない甲第二号証によると、被告の組織としては、本部、支部、分会、群があり、本部の下に行政区を基礎に支部が、支部の下に地域を基礎に分会が、分会の下に居住地を基礎に群がそれぞれおかれ、群は組合の基礎組織で、組合員はすべて群に所属するものとされており(一二条)、群は、分会執行委員会の指導のもとに毎月一回以上群の組合員全員で群会議を開き、組合の日常活動を自主的積極的に行うものであって(二七条)、群には、役員として、群長一名、副群長一名、群会計一名のほか担当として、専門部担当がおかれ(三五条)、群長は群を代表し、副群長は群長を助け、群長に事故のあるときにはこれを代理し、群会計は組合費等を取り扱い、群の会計事務を行い、専門部担当は各々専門部を担当することとなっており、右の役員および担当は、群の組合員の直接無記名投票により選出し、その任期が一年であって、再選を妨げない(三六条)ものとされていることが認められ、また、(人証略)および原告本人尋問の結果によれば、被告組合の実態、その運営が右の組合規約どおりであることが認められ、右の認定に反する証拠はない。
(二) (証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。
被告組合練馬支部南田中分会第五群は以前から同支部より群の機関紙を作るよう指導を受けていたが、昭和五一年四月頃、当時同群の群長であった常盤千久子に対し、同群に所属する被告組合の組合員であった原告から、職人の生きた姿を記録するような新聞を発行したい旨の申出があり、原告が優れた印刷の技術を身につけていたところから、早速に同群の群会議に提案された結果、同年六月の群会議において正式にこれを発行することが決定され、その題字も原告が決めた「職人群」とし、編集委員をおく意見等も述べられたが、結局原告の希望どおり編集等一切を原告に一任することとし、間もなくその一号が発行され、以後原告一人の手によって順次発行されたが、その費用については特にその負担が決められておらず、結局において同群から約二万三〇〇〇円が紙代として原告に支給されたほかはすべて原告の負担によって発行されていた。そして、その発行部数も問題の三五、三六号については少なくとも二〇〇部を超え、同群の内外、さらには被告組合外へも配布されていた。
以上の事実を認めることができ、右の認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は前掲各証拠と対比すると信用できず、他に右の認定を左右するに足りる証拠はない。
(三) (証拠略)によれば、「職人群」一号および二号は「東京土建一般労働組合練馬支部南田中分会第五群」発行となっており、その昭和五二年八月一三日発行の一三号は「発行・東京土建練馬支部南田中分会5群(南田中団地内)群長代田和雄……編集・兼田末広……」となっており、そして、その昭和五四年二月発行の三三号から同年三月二〇日発行の三七号に至るまでは右一三号と群長が「内藤治良」となったほかは同一であり、同年三月二四日発行の三八号に至って、「編集・兼田末廣……」、「終刊」、「……5群会議が開かれ、議論の上、5群発行を削除することになりました。……」となり、同年四月七日発行の三九号からは「編集発行・東京都練馬区高野台一―一―十一―五一〇兼田末廣…本号より個人新聞として発行いたします。」となっていて、その三七号までと三八号以降とでは新聞としての性格が明らかに違う旨記載されていることおよび程度の差はあるものの、その一号から三七号までは明らかに、三八号以降においても、被告組合、練馬支部、南田中分会、そして第五群の機関決定の告知、行動の提起、行動への参加呼びかけ等の記事がそれぞれ掲載されていることが認められ、右の認定に反する証拠はない。
(四) (証拠略)によれば、被告組合やその練馬支部においては、「職人群」を同組合練馬支部南田中分会第五群の機関紙として取り扱っており、そのユニークな編集等が注目されていて、昭和五三年五月一二日には被告組合の機関紙コンクールにおいて、右第五群が「職人群」について企画編集賞を受賞していることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(五) (証拠略)によれば、昭和四一年から同四三年頃にかけては、被告組合の基礎組織である一、二の群において機関紙が発行されていたことが認められ、原告本人の供述も右認定に反する趣旨のものではなく、他に右認定に反する証拠はない。
(六) 以上(一)ないし(五)の事実を総合すると、原告が労働組合の機関紙をどのように理解し、「職人群」をどのようなものとして認識していたかはともかくとして、少なくとも一号ないし三七号までの「職人群」は、その発行の経緯、その形式および内容からみて、客観的には被告組合練馬支部南田中分会第五群の機関紙であったものと認めるを相当とし、右認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は以上のところから採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三1 次の事実は当事者間に争いがない。
(一) 原告は、「職人群」の編集責任者で、その執筆者であり、昭和五四年三月二三日、翌四月一〇日の被告組合練馬支部の執行委員会および同年四月一日、二日の同支部の定期大会に出席したが、問題とされた「職人群」の発行につき、それが誤りであるとは認めなかった。
(二) 被告組合練馬支部から原告に対し、昭和五四年五月二〇日付の「謝罪文提出のおねがい」と題する書面を郵送してきたが、原告はこれに応じなかった。
「職人群」は原告一人の手によって編集、発行されてきたものである。
(三) 原告は、被告組合練馬支部の要請に応ぜず、問題とされた「職人群」の発行につき自己批判をしなかった。
(四) 原告は、被告組合練馬支部から昭和五四年六月八日付の「謝罪文提出の再度のおねがい」と題する書面が郵送されてきたが、これにも応ぜず謝罪文を提出しなかった。
(五) 被告組合練馬支部は、「職人群」問題につき機関紙「けんせつ北部」の号外を発刊した。他方、原告は、「すずしろ市民通信」の一九七九年一一月一八日号に「組合民主主義の荒廃」と題する文を発表した。
(六) 被告組合の規約四〇条は、前記一3のとおりの規定を設けている。
2 (証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 「職人群」三五号が発行されて間もなく、これにより「株式会社」と指摘された被告組合練馬支部を中心として被告組合内において、同号の発行が問題化し、これに対する非難と批判が数多く生じた。練馬支部としては、とりあえず原告に対して自重を求めたが、原告の容れるところとならず、原告は続いて「職人群」三六号を発行した。
(二) 練馬支部執行部は、原告が同支部の要請を容れることなく「職人群」三六号を発行したことを重視し、直ちに南田中分会および第五群に対し、「職人群」三五号と三六号の内容、表現が被告組合や練馬支部の方針から著しく逸脱しているものであることを、同分会や同群の組合員の話合いによって理解してもらうことを目的とする指導を行った。
これを請けて、同分会、同群において話合いが行われ、同群の話合いには原告も参加したが、原告において「職人群」三五、三六号の発行が被告組合や練馬支部の方針から逸脱しているということが理解できないとして解決をみるに至らなかった。
さらに、練馬支部の執行部は、「職人群」の編集責任者であり、問題の記事の執筆者である原告(この点は前記のとおり当事者間に争いがない。)との話合いを求め、昭和五四年三月二三日、同年四月一〇日の同支部執行委員会に原告の出席を求め(これに原告が出席したことは前記のとおり当事者間に争いがない。)、右の問題に対する原告の意見を聴取した。
なお、原告は、同年四月一日、二日に開催された同支部の定期大会にも出席し(このことも前記のとおり当事者間に争いがない。)、組合費値上げ問題等について発言している。なお、被告組合の規約八条は、組合員は、組合のすべての会議に出席して発言する権利を有している旨規定している。
右の執行委員会および定期大会においては、原告の「職人群」発行に対する批判が出たが、同支部執行部としては、その討論を通じて原告が被告組合の方針からの逸脱を認め、自己批判をすることを期待したが、原告が誤りであることを認めず、これをしなかったこと前記のとおりである。
かくして、同年四月一〇日の前記同支部の執行委員会は、出席した二五人の執行委員全員一致で「『職人群』に掲載された問題の記事は組合方針から逸脱していて正しくない。原告の反省を求める。」旨決定した。
(三) さらに、練馬支部執行委員会は、同年五月八日、「原告が文書による謝罪文を執行委員会に出席して提出する。」ことによりこの問題を解決することとし、前記のとおり、同支部執行部から原告宛、同月二〇日付の「謝罪文提出のおねがい」と題する文書を発送し、原告はこれを受領した。なお、その際には「新聞『職人群』掲載の記事にかかはる謝罪文提出のおねがい要旨」と題する文書も発送、送達され、これには練馬支部が原告に対し自己批判を求める詳細な理由が記載されていた。
(四) 右に対して原告が全く応じようとしなかったことは前記のとおりであるが、原告は、さらに前認定のように三八号で「終刊」としたにもかかわらず、同じ「職人群」として同年六月七日発行の四三号において、「三役専門部長会への回答」として「一部の労働組合幹部の腹いせに新聞をつぶされてたまるか!」と題する記事を掲載し、「職人群」三五、三六号に対する練馬支部の対応に不満を表明し、これに対抗して行く姿勢をより鮮明なものとした。
(五) 練馬支部はあくまでも原告の自己批判によってこの問題を解決しようと考え、前記のとおり、原告に対し、同年六月八日の「謝罪文提出の再度のおねがい」と題する書面を送付したが、その提出期限である同月三〇日を経過しても原告がこれに応じなかった。
(六) 原告は、他に、同年六月一九日頃、被告組合外の機関紙協会にこの問題を持ち出して、練馬支部執行部の対応を批判しているばかりでなく、練馬支部執行委員長に対し、文書で、「職人群」三五、三六号が被告組合の「規約のどこに記事がふれるのか文書で答えてもらいたい。」などと再三要求していた。
(七) また、前記のとおり、原告は「すずしろ市民通信」の昭和五四年一一月一八日号に「組合民主主義の荒廃」と題してこの問題に対する練馬支部執行部の対応を批判する文を投稿しているが、同新聞は住民運動をしている人々が地域新聞として発行しているもので、その部数は三〇〇〇ないし五〇〇〇部に及んでいるものである。
以上の事実を認めることができ、右の認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は前掲各証拠と対比すると信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
3(一) (証拠略)によると、被告組合練馬支部執行委員会は、以上のような経緯からみて、同支部内での原告の自己批判という手段を通じてのこの問題の解決はもはや不可能であると判断し、昭和五四年一二月八日付の「兼田末広君の規約違反疑義(新聞『職人群』問題)にかかはる練馬支部の態度報告」と題する文書を被告組合執行委員長宛提出し、同書には、この問題が発生した経緯、これに対する原告の態度等を詳細に報告した後、原告を統制処分として被告組合から除名すべきであるとの意見が、投票総数二八票中一八票である旨具体的に記載されていたことが認められ、右の認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) (人証略)によれば、右の練馬支部からの報告を受けた被告組合本部は、原告の除名という重要問題であることから、これを直ちに取り上げることなく、その後数か月間事態の推移を見守るとともに、四役会議、専門部長会議、教育宣伝部会、組織部会など各機関において慎重に論議を重ねていたが、事態は一向に好転することがなかったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(三) かくして、昭和五五年四月一日の被告組合第四七回拡大中央執行委員会において原告の除名が決定され、同年五月一四日より開催された被告組合第三三回定期大会において原告の除名処分が承認され、本件除名処分が行われたことは当事者間に争いがない。
そして、本件除名処分に対する原告からの異議申立に対し、被告組合の大会において、昭和五六年五月一五日付で、これが却下されたことも当事者間に争いがない。
四1 労働組合は憲法二八条による団結権保障の効果として、その目的を達成するために必要、かつ、合理的な範囲内において、組合員に対する統制権を有するものというべきであるが、他方、組合員の言論、出版その他一切の表現の自由も憲法二一条によって保障されている民主主義社会における重要な権利であるから、これに対する制約は特に慎重でなければならず、これに統制権を及ぼしうるか否かは、組合民主主義の観点(組合員の言論、批判の自由は、労働組合が民主的組織であろうとする限り、不可欠の基本的権利であるといえる。)から、統制の対象とされる組合員個人の言論等の性質、目的、態様等と組合の統制の必要性とを総合的に考量して決すべきものというべきである。同時に、労働組合のした統制処分の適否の判断においては、労働組合の自主的決定を尊重し、みだりにその自主性を損うことがないよう配慮すべきであって、当該処分がその前提とした事実の基礎を欠くとか、制裁手続に重大な違反があるとか、また、要制裁性の判断や程度に社会通念上容認できないほどの誤りがある場合に限って、その効力が否定されるものというべきである。
2 (証拠略)によれば、被告組合においては、さらに、その規約八条において、組合員の組合役員の行動を批判する権利、自由が保障されていることが認められ、右の認定に反する証拠はない。
3 以上1および2を前提として本件をみるに、
(一) それを必要とする合理的理由がないにもかかわらず、被告組合練馬支部南田中分会第五群の機関紙である「職人群」の編集、発行を一任されていた原告が、これを利用して、第五群の上部組織である被告組合練馬支部に対し、労働組合にとっては屈辱的であるともいえる「株式会社」なる名称を付した見出しのもとに、被告組合あるいは練馬支部およびそれらの執行部に対する中傷、誹謗あるいはやゆ、嘲笑にわたる記事を特集として掲載し、しかもその中には一部事実に反する部分もあるに及んでは、いかに表現等の自由が憲法で保障され、さらには規約によって組合執行部批判が認められているとしても、明らかにその範囲を逸脱しており、被告組合の組合員としては特に許されないことというべく、さらには、同支部から原告に対し、再三にわたって反省を求められたにもかかわらず、これを容れるどころか、かえって外部にまで問題を持ち出して同様の非を繰り返したことは、被告組合の規約四〇条に定める「規約に違反して統制を乱し、組合の名誉を損じ、また、組合に損害を与えたとき」に該当し、所定の統制処分のうち最も重い除名処分に付されてもやむを得ないものというべく、これにつき、社会通念上の客観的合理性があるものというべきであり、この点において本件除名処分を無効とすべき事由はないものというべく、
(二) また、本件除名処分に至るまでには、原告は、第五群の群会議において十分に意見を述べ、また、練馬支部の執行委員会においても二回にわたってその事情を聴取されており、さらに同支部の二日間にわたる定期大会においても問題の組合費値上げについて意見を述べているばかりでなく、被告組合のいかなる会議にも出席して意見を述べる権利を保障されていたものであるから、本件除名処分が原告の意見を全く無視して一方的に行われたというものではなく、したがって、本件除名処分には手続上も重大な瑕疵はなく、これを無効とすべき事由は存しないものというべきである。
さらに、本件除名処分に対する異議申立手続において、特に原告の意見を聴取していないとの点については、特にこれを必要とする旨の特別の定め等があるものと認めるに足りる証拠もなく、本件除名処分に至る以上の経緯からみて、これをもって本件除名処分が無効であるということはできないものというべきである。
なお、原告は、「職人群」三五、三六号の記事のうち、どの部分が被告組合の規約や運動方針のどの条項等に違反するか等明らかでなく、これに対し、被告組合も練馬支部も全く明らかにしていない、というが、これはおよそ常識をもってすれば容易に理解しうるところであるというべく、かかる原告の主張は採用し難い。
五 以上説示のとおり、被告組合の原告に対する本件除名処分にはこれを無効とすべき事由は存しないので、これが無効であることを前提として、原告が被告組合の組合員の地位を有することの確認を求める本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡邊昭)