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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)9340号 判決 1983年6月10日

原告

株式会社 大丸

右代表者

福島徳男

右訴訟代理人

田利治

山田齊

被告

ハイウエイ・トール・システム株式会社

右代表者

板倉創造

右訴訟代理人

渡辺修

冨田武夫

主文

一  被告は、原告に対し、金八四六万六五四〇円及びこれに対する昭和五五年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)(主位的請求)

被告は、原告に対し、金一四一一万〇九〇〇円及びこれに対する昭和五五年九月二三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)(予備的請求)

被告は、原告に対し、金一四一一万〇九〇〇円及びこれに対する昭和五五年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(主位的請求関係)

一  請求原因

1 原告は百貨店業を営む会社であり、被告は高速道路の料金収受機械の保守業務を主たる業務とする会社である。

2(一) 今村昭夫(以下「今村」という。)は、原告との間において、被告のためにすることを示した上、別紙記載のとおり、五回にわたり合計三万八〇〇〇枚のビール券を代金合計一九一一万〇九〇〇円、右支払期限は当該ビール券引渡しの日の二か月後という約定で被告が原告から買い受ける旨の売買契約(以下まとめて「本件売買契約」といい、各売買契約を契約締結の順序により「第一回売買」ないし「第五回売買」という。)を締結し、原告から右ビール券の引渡しを受けた。

(二)(1) 今村は、被告の総務部総務課課長代理(以下単に「総務課長代理」という。)として本件売買契約締結の権限を有しており、本件売買契約は右権限に基づいて締結されたものである。

(2) 仮に、今村が本件売買契約を締結する権限を有していなかつたとしても、次の事由が存する本件においては、商法四二条が類推適用される結果、本件売買契約締結の法律効果は被告に及ぶと解すべきである。

(ア) 今村は、本件売買契約締結当時、被告の被用者で総務課長代理の地位にあつた。

(イ) 被告は、大企業に準ずる企業規模の一流企業であつて、確固たる組織体制と職員研修システムを有すると考えられる会社であり、その総務部総務課は、用度品、渉外用物品等を購入する職務を分掌していた。そして総務課長の地位は空席で前田総務部長がこれを兼務していたため、総務課長代理である今村は総務部において同部長に次ぐ地位にあつたのであるから、被告における総務課長代理の名称は、番頭・手代等一般に営業に関して一定の代理権を有することを示す名称に該当するものであつた。

(ウ) 今村は、本件売買契約締結の際、原告の外商二課の課長鈴木哲夫(以下「鈴木」という。)及び同課員宍戸龍夫(以下「宍戸」という。)に対し、被告の総務課長代理として契約する旨を述べ、その肩書の記載された名刺を交付した。

(三) 仮に、右(二)の事実及び主張が認められないとしても、

(1) 被告は、今村に対し、被告の総務課長代理の名称の使用を許諾し、もつて原告に対し、今村に本件売買契約を締結する代理権を与えた旨表示したのであるから、被告は、民法一〇九条により、同人の無権代理行為につき本人としての責に任ずべきものである。

(2) 仮にそうでないとしても、

(ア) 原告は、本件売買契約を締結した当時、今村にその代理権があると信じた。

(イ) 原告が今村に本件売買契約を締結する代理権があると信じるについては、次のとおり正当の理由がある。

(A) 今村は、昭和五五年三月一二日第一回売買の契約締結に先だち、被告の本社事務所内の応接場所において、宍戸に対し、被告の総務課長代理という職位を記載した名刺及び被告の会社案内を交付した上、被告の総務課ではビール券等の贈答品その他の物品購入事務を担当しており、物品購入の話が具体化したら原告にも発注する旨を述べた。

(B) 本件売買契約のうち、第一ないし第四回売買は、今村からの注文の電話に対し、宍戸が被告の本社事務所内の今村に折り返し電話をして注文に応じる旨を述べたものであり、第五回売買の契約締結は、被告の本社事務所においてされたものである。また、第一、二回売買によるビール券引渡しは、同事務所内の応接場所においてされた。

(C) 今村は、宍戸に対し、第一回売買によるビール券の引渡しを受けるのと引換えに被告に記名印を押捺した代用受領書を交付し、更に第一ないし第四回売買においては被告の会社印及び代表者印を押捺した注文書を交付した。

(ウ)(A) 被告は、今村に対し、本件売買契約に先だつて、用度品若しくは渉外用物品の購入又は運送契約締結の代理権を与えた。

(B) 仮にそうでないとしても、被告は、本件売買契約に先だつて、今村に総務課長代理の名称の使用を許諾し、もつて原告に対し、今村に用度品又は渉外用物品の購入その他の法律行為についての代理権を与えた旨表示した。

(四) 仮に、右(二)及び(三)の事実及び主張が認められないとしても、被告の専務取締役横山宏は、鈴木及び宍戸に対し、昭和五五年七月九日、被告としても代金を支払わざるを得ないだろうと述べ、かつ、原告が同年六月一九日に今村から支払を受けた五〇〇万円の領収証を異議なく収受し、もつて、今村の無権代理行為を追認した。

3 よつて、原告は、被告に対し、本件売買契約に基づき、売掛代金合計一九一一万〇九〇〇円から弁済を受けた五〇〇万円を差し引いた残代金一四一一万〇九〇〇円及びこれに対する弁済期の後である昭和五五年九月二三日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2について、(一)の事実のうち、第二回売買の契約締結及びビール券引渡しの日は否認し(それぞれ、昭和五五年三月二八日、同月三〇日頃である。)、その余は認める。(二)の(1)の事実は否認する。今村が担当していた職務は、社規及び社則の立案、制定、改廃等に関すること、社報の作成、不動産台帳の作成、寮及び社宅の管理、株主総会の事務、部課長会議の招集事務、事業所長会議招集事務並びに引越しの手配のみであり、被告を代理して取引を行う権限は一切なかつた。(二)の(2)は、原告の故意又は重大なる過失により時機に遅れて提出した攻撃方法であり、訴訟の完結を遅延せしめることが明らかであるから、民事訴訟法一三九条により却下されるべきである。また、その主張は争う。(三)の(1)の事実のうち、被告が今村に対し、被告の総務課長代理の名称の使用を許諾していたことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。(三)の(2)の(ア)の事実は認める。三の(2)の(イ)について、冒頭柱書の主張は争う。(A)の事実は不知。(B)の事実のうち第二回売買によるビール券の引渡しが原告主張の場所でされたことは認め、第一回売買によるビール券の引渡しが同場所でされたことは否認し、その余の事実は不知。(C)の事実は認める。ただし、第一、二回売買の各注文書は昭和五五年四月三日に、第三、四回売買の各注文書は同年五月一二日にそれぞれ交付されたものであり、右各注文書に押捺された会社印及び代表者印は、これを保管していた前田総務部長に無断で今村が盗捺したものである。(三)の(2)の(ウ)の(A)の事実は否認する。同(B)の事実のうち、被告が本件売買契約に先だつて、今村に総務課長代理の名称の使用を許諾したことは認め、その余の事実は否認する。(四)の事実のうち、被告の専務取締役横山宏が昭和五五年七月九日原告主張の領収証を収受したことは認め、その余の事実は否認する。

なお、本件売買契約の締結については、次のとおり不自然な点があり、今村に被告を代理して本件売買契約を締結する権限のないことを疑わしめる事由があつたのであるから、原告において、百貨店業者として通常なすべき調査を尽くして今村の言動を慎重に観察していれば、今村が無権限であることを容易に知り得た筈であるにもかかわらず、原告は、右調査及び観察を怠り、今村の虚言を軽信して本件売買契約を締結するに至つたものである。

(D) 宍戸は、被告とは無関係のブローカー河西進一(以下「河西」という。)から三井紘一を通じて今村を紹介され、その際酒食の接待を受けたが、その後本件売買契約締結に当たり、今村の上司に会うなどして今村の権限に関する調査及び確認をすることをしなかつた。

(E) 今村は宍戸に対し、昭和五五年三月二一日午後一時頃、商品購入の話はまだ具体化していない旨を述べていたが、同日午後四時頃、被告がビール券を購入する話を聞いたが今村と連絡をとつたらどうかという河西からの電話を受けた宍戸が今村に電話したところ、同人は第一回売買のビール券合計九〇〇〇枚の注文をしたものであり、契約締結に至る経緯が極めて不自然であつた。

(F) 本件売買契約は、五〇余日という短期間に、五回にわたり全く計画性なく思いついたように次々とビール券の発注が繰り返されたものであつた。

(G) 今村は宍戸に対し、役員の異動に伴う挨拶回りなどのためにビール券が必要であると説明していたが、本件売買契約により購入されたビール券の数量及び代金額は、被告の規模及び業務内容に照らせば、右目的に使用するためとしては過大であることが明白であつた。

(H) 今村が第一ないし第四回売買の注文書を作成交付したのは、いずれも当該売買契約の締結及びビール券引渡しの後であり、第五回売買の注文書及び第三ないし第五回売買に係るビール券の受領証は作成されなかつた。

(1) 今村は、宍戸に対し、本件売買契約に関する連絡は今村と直接とり、かつ、ビール券引渡しも直接同人にするよう指示する一方、宍戸及び鈴木に対し、本件売買契約によるビール券購入が上司の承諾を得た正規の取引ではないことをうかがわせる発言をし、同人らが今村の上司に面会することを妨げるように行動した。

(右事実及び主張に対する原告の認否)

冒頭柱書の主張は争う。(D)の事実のうち、宍戸が本件売買契約締結に当たり今村の上司に会わなかつたことは認め、その余の事実は否認する。(E)のうち、宍戸が昭和五五年三月二一日午後四時頃河西から被告主張の内容の電話を受けて今村に電話したこと、そしてその際第一回売買のビール券九〇〇〇枚の注文を受けたことは認め、その余の事実は否認する。(F)の事実は否認する。(G)の事実のうち、今村が宍戸に対し被告主張のように説明していたことは認め、その余の事実は否認する。(H)の事実は認める。(I)の事実のうち、今村が宍戸に対し、被告主張のとおり指示したことは認め、その余の事実は否認する。

三 抗弁

(請求原因2の(三)の(1)の民法一〇九条に基づく表見代理の主張に対して)

原告は、請求原因に対する認否2後段の(D)ないし(I)記載のとおり、今村の代理権を疑わしめる事情があり容易にその無権限であることを知り得たにもかかわらず、同人の虚言を軽信して本件売買契約を締結したのであるから、今村に代理権ありと信ずるにつき過失があつた。

四 抗弁に対する認否

否認する(ただし、請求原因に対する認否2後段の(D)ないし(I)記載の事実に対する認否は前記のとおりである。)。

(予備的請求関係)

一  請求原因

1 今村は、被告の被用者の総務課長代理の地位にあつたことを利用して原告からビール券を騙取しようと企て、事実は被告が購入するものではないのにそうであるように装つてビール券の購入を申し入れ、原告をしてその旨誤信させ、よつて、別表記載のとおり、五回にわたり合計三万八〇〇〇枚のビール券(代金合計一九一一万〇九〇〇円)の納入を受けてこれを騙取した上、その頃これを他に売却処分し、原告をしてその所有権を喪失させ、その結果、原告に対し、今村から後に支払を受けた五〇〇万円を右代金額から差し引いた未払代金額一四一一万〇九〇〇円に相当する損害を与えた。

2 今村の右1記載の不法行為は、被告の事業の執行につきされたものである。

3 よつて、原告は、被告に対し、民法七一五条所定の不法行為による損害賠償請求権に基づき、一四一一万〇九〇〇円及びこれに対する最終の不法行為である第五回売買によるビール券騙取の日である昭和五五年五月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の主張

原告は、昭和五五年九月二日に本訴を提起して以来、今村の権限の存在、表見代理又は無権代理行為の追認による本件売買契約の成立を主張してその売買代金の支払を求め、被告はこれを争つてきたところ、契約責任の存否に関する証拠調べが完了した後である昭和五七年五月一二日に至つて初めて民法七一五条の使用者責任による損害賠償請求を追加したものである。しかし、被告は使用者責任についても全面的に争うものであり、かくては新たな事実主張及びそれに関する証拠調べをすることが必要となるから、右訴えの追加的変更は著しく訴訟手続を遅滞させるものであり、これを許すべきではない。

三  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実のうち、今村が被告の使用者で総務課長代理の地位にあつたこと、同人が原告主張の態様の欺罔行為により原告から合計三万八〇〇〇枚のビール券を騙取したこと(ただし、第二回売買によるビール券納入の日は否認する。)は認め、その余の事実は否認する。本件売買契約については、宍戸と今村との間でビール券一枚当たり約二〇円の値引きをする旨の合意が成立していたので、値引き額合計は七六万円となり、ビール券代金合計は一八三五万〇九〇〇円、未払代金額は一三三五万〇九〇〇円である。

2 同2の事実は否認する。

四  抗弁

1 重大な過失の存在

主位的請求原因に対する認否2後段の(D)ないし(I)に記載のとおり、本件売買契約及び今村の言動には不自然な点があり、原告において、わずかな注意を払いさえすれば、今村の行為がその職務権限内において適法にされたものではないことを知ることができたのに、これを怠り、同人の虚言を軽信したものであるから、右信頼は原告の重大な過失に基づくものである。

2 過失相殺

仮に右1の主張が認められないとしても、原告に過失があつたことは明らかであるから、賠償額の算定上当然斟酌されるべきである。

五  抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認する(ただし、主位的請求の請求原因に対する認否2後段の(D)ないし(I)記載の事実に対する原告の認否は前記のとおりである。)。

第三  証拠<省略>

理由

第一主位的請求について

一請求原因1の事実(当事者)は当事者間に争いがない。

二請求原因2の(一)の事実(本件売買契約締結及びビール券引渡し)は、第二回売買の契約締結の日及びビール券引渡しの日の点を除き、当事者間に争いがなく、右の日は、後記五の2の(五)において詳述するとおり、それぞれ、昭和五五年三月二八日、同年同月末日頃であることが認められる。

三そこで、請求原因2の(二)(商業使用人としての職務権限)の事実及び主張について判断する。

1  請求原因2の(二)の(1)の事実(今村が商法四三条の商業使用人としてその権限に基づき本件売買契約を締結したこと)は、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。

2  同(2)の主張(商法四二条の類推適用)について判断するに(なお、被告は、右主張は原告の故意又は重大な過失により時機に遅れて提出した攻撃方法であり、訴訟の完結を遅延させるものであるから却下されるべきであると主張するが、原告の右主張が故意又は重大な過失により時機に遅れて提出された攻撃方法であるとしても、右主張は、従前調べられた証拠によりその事実を立証しようとするものであり、この主張に関し更に証拠調べをしたり被告に反論を準備する機会を与えたりする必要も認められないから、訴訟の完結を遅延させるものであるとはいえない。)、商法は、同法上の支配人の地位にかんがみ、使用人に対し支配人類似の名称をつけた場合につき、民法の表見代理の規定の特別規定として商法四二条をもつて取引の相手方を特に保護しているのであるが、番頭・手代その他の、営業に関し部分的包括的代理権を有する使用人であることを示すべき名称を使用人に付した場合についてはこのような規定はなく、両者の取扱いにつき明確な区別をしているのであるから、後者につき商法四二条を類推適用して、表見支配人に類する表見番頭・手代なるものを認め、これについて本来の番頭・手代の有すべき部分的包括的代理権と同一の権限を有するものとみなすべきであるという原告の主張は、右商法の規定の趣旨に反して営業主の責任を拡大するものであり、到底採用することができない。したがつて、この点に関する原告の主張は、被告の総務課長代理の名称が商法四三条の番頭・手代として部分的包括的代理権を有する者であることを示すべき名称であるか否かを問題にするまでもなく、失当であるといわざるを得ない。

四次に、請求原因2の(三)の(1)(民法一〇九条に基づく表見代理)の事実について判断する。

被告が今村に対し、被告の総務課長代理の名称の使用を許諾していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、本件売買契約締結当時、被告には総務部、人事部、経理部、業務部、管理部及び売店部の各部があり、総務部内の課は総務課のみで、総務部長前田敏秀が総務課長を兼任しており、その下に総務課長代理の今村並びに一般課員の松尾秀章、岡本及び小泉がいたこと、そして、今村の上司として前田総務部長兼総務課長(以下単に「前田総務部長」という。)がいることは宍戸も知つていたこと、総務課は、秘書・受付及び本社内事務管理、文書、法務、用度品、動産・不動産管理並びに株式に関する業務並びに渉外用物品の購入その他部課の担当しない業務を分掌しており、渉外用物品の購入については、松尾秀章が前田総務部長の指示の下にこれを担当していたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、一般に、営業主は、その営業に関するある種類又は特定の事項について包括的代理権を有する商業使用人の呼称と解される職制上の名称を自己の使用人に付与したときは、不特定の第三者に対して右使用人にそのような代理権を授与した旨を表示したものというべきであるが、総務課長代理の名称は、客観的に上席の課長の存在を予定するものであり(現に今村の上司の課長として前田総務部長がおり、宍戸もその存在を知つていたことは前記認定のとおりである。)、社会通念上課長代理は、総務課長の代理人として総務課長と同じ権限を有するものではなく、むしろ代理権を伴わない職制上の名称として用いられることも多く、少なくとも総務課長がいる場合には、特段の事情のない限り、その指揮監督に服するものと考えられるものである。したがつて、前記認定のとおり渉外用物品の購入が総務課の分掌する事務であるとしても、その金額が極めて少額であるとか、慣行化した定型的取引となつているなど総務課長代理において総務課長の決裁を受けず単独で右事務を行うことができると考えられる特段の事情のない限り、総務課長代理の名称の使用を許諾することによつて、直ちに、その使用人に総務課長の決裁を受けることなく渉外用物品の購入をする代理権を授与した旨を表示したものであるとはいえないと解するのが相当であり、右のような特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

更に、仮に本件売買契約を締結する代理権授与の表示をうかがわせるものがあるとしても、次項五の2に説示するところよりして、結局原告には今村に右代理権があると信ずるにつき過失があるというべきであるから、抗弁事実が認められるものといわなければならず、いずれにしてもこの点に関する原告の主張は理由がない。

五次に、請求原因2の(三)の(2)(民法一一〇条又は同条及び同法一〇九条に基づく表見代理)の事実について判断する。

1  原告が、本件売買契約締結当時、今村に被告を代理して右契約を締結する権限があると信じたことは当事者間に争いがない。

2  そこで、まず、原告が右のように信ずるにつき正当な理由があつたかどうかについて検討する。

<証拠>により、印刷文言の記載された原告の注文書用紙に宍戸がペン書きの部分の記入をし、今村が被告のゴム印及び印鑑をもつて被告及びその代表取締役の記名並びに右各名下の印影を顕出したものであることが認められる甲第二ないし第五号証(右記名及び各印影がそれぞれ被告のゴム印及び各印鑑により顕出されたものであることは当事者間に争いがない。)、<証拠>により、今村の押印は真正に成立したものであり、被告の記名は印刷文言の記載された原告のお届け伝票用紙に今村が被告のゴム印をもつて顕出し、その余のペン書き部分は後に宍戸によつて記入されたものであることが認められる甲第一一号証(右記名が被告のゴム印により顕出されたものであることは当事者間に争いがない。)、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>

(一) 今村は、借金等の返済に窮したことから、被告の総務課長代理の地位にあつたことを利用し被告の取引であるように装つて、業者からビール券を騙取してこれを換金の上右返済にあてようと企て、かねて知り合いの不動産取引業等を営む河西に頼んで、同人の義弟で原告東京店の旅行用品売場の出入り業者である三井紘一を介し、昭和五五年三月一八日の夕方頃、新宿東口駅前のビルの地下にある小料理屋において、原告東京店の港区等の法人担当の外商第二課販売主任であつた宍戸を紹介してもらつた。従前、原、被告間に取引はなかつたものであり、今村と宍戸は、名刺を交換した上しばらく酒を飲みながら話をしたが、仕事の話は後日宍戸に被告の本社事務所に来てもらつてすることにして、当日は物品購入に関する具体的な話をすることなく別れた。このとき宍戸が今村から受け取つた同人の名刺には、被告の総務課長代理の肩書が印刷されていた。なお、このときの飲食代金は、今村又は河西が支払つた。

(二) 宍戸は、同年同月二一日、あらかじめ今村に電話で了解をとつた上、同日午後一時頃本社事務所内の今村を訪問し、同事務所内の応接場所において、改めて同人に挨拶をして名刺を交換した。今村が宍戸に交付した名刺は前同様のものであつた。今村は、宍戸に対し、被告の会社案内を交付する一方、被告の総務課では御中元、御歳暮その他の進物などの調達事務も取り扱つており、三月には役員の異動などに伴う挨拶回りなどのためにビール券等を進物に用いることがあること、被告の総務部長は業者の選定にうるさく、初めて取引する業者には紹介状がなければなかなか会おうとしないこと、原告のことはまだ上司に話していないこと、原告から物品を購入する話が具体化したら宍戸に連絡すること、今後被告を訪問したり連絡をとつたりする場合は直接今村に連絡をしてほしいことなどの話をしたが(今村が宍戸に対し、今後被告と連絡をとる場合には直接今村と連絡をとつてほしい旨述べたことは、当事者間に争いがない。)、このときには、現在はまだ検討中ということでビール券購入に関する具体的な話は一切なかつたため、宍戸自身直ちに被告から原告に対しビール券購入の注文があるとは全く考えていなかつた。

(三) ところが、同日午後四時頃、河西から宍戸に対し、被告がビール券を購入するという話を聞いたが今村と連絡をとつたらどうかという趣旨の電話があり、これを受けた宍戸が今村に電話をしたところ、今村は宍戸に対し、贈答用のビール券九〇〇〇枚を被告として購人したいとの申込みをした(右事実は当事者間に争いがない。)。そこで、宍戸は、一旦電話を切つて原告のビール券売場と連絡をとりその価格等を確認した上、再び今村に電話をして翌日納入する旨を述べ、もつて第一回売買の契約を締結し、翌日ビール券九〇〇〇枚を被告本社事務所に持参して、同所において今村に引き渡した(第一回売買の契約が同年同月二一日に締結され、翌二二日ビール券九〇〇〇枚が宍戸から今村に引き渡されたことは、当事者間に争いがない。)。しかし、右契約締結及びビール券引渡しの際には、代金支払期限の定めが明確にはされなかつた上、注文書及び物品受取書は作成されず、ビール券引渡しのときにその場で御届け伝票の下にある受取人欄に今村が同人の保管していた被告名のゴム印と自己の認め印を押捺しただけであつた。また、右購入申込みの際、今村は、宍戸に対し、このビール券は被告の役員の異動に伴う挨拶回りに用いるもので、その購入については一部の役員しか知らないので、他の役員の手前、ビール券の引渡しは直接今村に対してするよう指示し(今村が宍戸に対し、ビール券引渡しは直接今村に対してするよう指示したことは当事者間に争いがない。)、宍戸はこれに従い、今村の上司に挨拶又は問い合わせをしたりして今村の代理権の有無を確認するなどの調査は一切しなかつた。

(四) 宍戸が、右のような経緯で取引を開始するに当たり、そのことを上司である鈴木に報告して許可を求めたのに対し、同人は、宍戸が今村から受け取つた被告の会社案内、原告の東京店に備付けの会社興信録、会社要録等の資料により、被告が、日本道路公団、三井物産株式会社及び三菱重工業株式会社の三者のみを株主とする会社で、役員もこれら公団及び大企業の関係者で占めており、一流企業が多く入つている三田国際ビル内に本社事務所を置いていることを確認の上、望ましい顧客として被告との取引を大いにやるように宍戸に指示を与えたが、今村の代理権の有無に関する格別の調査は行わなかつた。

(五) 第二回売買の申込みは、同年同月二八日、今村から宍戸への電話によつてされ、これを承諾した宍戸は、同月末日頃、右売買に係るビール券合計八三〇〇枚を被告本社事務所に持参し、同事務所内の応接場所においてこれを今村に引き渡した(右引渡しが同所においてされたことは当事者間に争いがない。)。

(六) 鈴木は、今村に挨拶をするために、あらかじめ宍戸から今村に電話で連絡させた上、同年四月一日、宍戸と一緒に被告本社事務所を訪れ、同事務所内の応接場所で今村と面会した。この際、鈴木と今村は名刺を交換したが、鈴木の受け取つた今村の名刺は前同様のものであつた。今村と鈴木及び宍戸は、売買代金の支払期限につき話し合い、代金支払は物品引渡しの二か月後に現金ですることを合意した。また、鈴木及び宍戸は、今村に対し、原、被告間の売買につき、物品受取書及び被告印の押捺された注文書を作成してほしい旨申し入れ、今村はこれを承諾した。

右面会の際、鈴木は今村に対し、同人の上司にも挨拶したいと申し出たが、今村は、原告からの贈答品購入はまだ正規の取引ではないし、被告は他の百貨店とも取引があり、前回総務部長は原告との取引をまだ好ましく思わないかもしれないので、徐々に取引の実績がついてから自分がうまく話しておくから幾日改めて来てほしい旨述べ、結局、鈴木及び宍戸を前田総務部長に会わせなかつた。なお、これ以後第五回売買に係るビール券引渡し後まで、鈴木及び宍戸は、今村の上司との面会を、今村又は直接上司に対し申し入れたことはなかつた。

(七) 今村は、宍戸が必要事項を記入して持参した第一、二回売買の各注文書用紙に、前田総務部長の机のひき出しから同人に無断で持ち出した被告の会社印及び代表者印を押捺し、また、第二回売買の物品受取書に受領印として自己の認め印を押捺し、同年同月三日、右各書類を被告本社事務所において宍戸に交付した。また、第三、四回売買の各注文書については、宍戸は、注文書用紙に必要事項を記入した上、同年五月一日第四回売買に係るビール券引渡しの際、納品書及び物品受取書用紙と一緒に今村に交付し、同人において前同様の方法で右各注文書用紙に被告の会社印及び代表者印を押捺した上、同月一二日、被告本社事務所内でこれを宍戸に交付したものである。なお、第五回売買の注文書及び第三ないし第五回売買の各物品受取書については、宍戸は、必要事項を記入した用紙を今村に交付し、調印を再三要請したが、今村は、多忙であるとか、役員の出張のため注文書に押捺すべき会社印がもらえないなどの理由により言を左右にしてこれをしなかつた。

(八) 宍戸は、前記のとおり今村から被告を訪問する場合には同人に直接連絡をとるように指示されたため、ビール券引渡しのときには、被告本社事務所のある三田国際ビルの一階から今村に電話をした上その指示により指定された場所で同人にビール券を引き渡したものであるところ、第三回及び第五回売買に係るビール券引渡しはいずれも同ビル二階の喫茶店内で、第四回売買に係るビール券引渡しは同ビル地下駐車場内でされた。

右事実及び前記1記載の争いのない事実によると、宍戸及び鈴木は、信用調査の結果、被告が確固たる背景と組織を有し信用力のある会社であると考え、他方、今村は、被告の総務課長代理の地位にあつて、その権限に基づき本件売買契約を締結する旨述べてそのように装つて行動し、被告の勤務時間中に、その本社事務所内の応接場所において本件取引につき宍戸らと面会し、その後の連絡も同事務所から行い、第一ないし第四回売買については被告の記名印、会社印及び代表者印の押捺された注文書を宍戸に交付していることなどから、原告は今村には被告を代理して本件売買契約を締結する権限があると信じたものであり、そのように信ずるにつき一応の理由はあつたものということができる。

3  しかしながら、代理人と称する者が、本人である会社の総務課長代理の地位にあり、総務課長代理として会社の社印、代表者印等の押捺された注文書をもつて契約を締結したとしても、本件がそうであるように、代理人と称する者が実際には代理権をもたずもつぱら代理人自身のために物品購入を申し込むという事例が世上ないわけではないのであるから、右のような事情の存する場合であつても、その者に会社を代理して法律行為をする権限があるかどうかについて疑念を生じさせるに足りる事情が存する場合には、百貨店業者である原告としては、自称代理人の代理権の有無につきさらに確認手段をとるべき義務があり、その調査を怠つてその者に代理権があると信じたにすぎないときは、そのように信じたことに過失がないとはいえず、いまだ民法一一〇条にいう代理権ありと信ずべき正当な理由があつたということはできない。

これを本件についてみるに、前記のとおり、原、被告間には本件売買契約以前に取引関係はなく、今村が宍戸に紹介されたのは、今村の方から知人等を介して働きかけた結果であつて、しかも、右紹介は、夕刻に小料理屋でされ、その飲食代金は今村又はその知人である河西が負担したこと、第一回売買は、ビール券九〇〇〇枚(代金合計四二六万円)という贈答品としては大量の注文であるが、電話による契約締結の約三時間前の面会の際には、今村から具体的な購入の話は全くなく、直ちに注文があるような状況ではなかつたにもかかわらず、いかにも唐突に、しかも不動産取引業等を営み被告とは関係のない河西からの連絡を契機に注文がされた上、右購入申込みに当たり、今村は宍戸に対し、このビール券購入については一部の役員しか知らないので他の役員の手前引渡しは直接自分にするように述べており、注文書及び正式の物品受取書も作成されなかつたことなどの事情が存したのであるから、第一回売買に関し、すでに原告において今村の代理権の有無につき疑問を抱いてしかるべき事情があつたものというべきである。更に、第二回売買は、やはりビール券八三〇〇枚(代金合計三九六万二一〇〇円)という大量の注文であるにもかかわらず、第一回売買からわずか約一週間後の同月二八日に契約が締結され、右契約締結及びそれに基づくビール券引渡しの際にも注文書及び物品受取書が作成されなかつたこと、また、同年四月一日鈴木及び宍戸が今村に面会した際、同人は、原告との取引が正規のものではなく、まだ上司である前田総務部長が原告との取引について知らないことをうかがわせる発言をした上、鈴木及び宍戸を同部長に面会させなかつたこと、これに加えて、第三ないし第五回売買は、それぞれ同月二八日、三〇日、翌五月一二日と短期間に続けざまに大量のビール券を購入したものであり(その代金は合計一〇六八万八八〇〇円に及ぶ。)、これらビール券の引渡しは、今村の指示により、被告本社事務所内ではなく、同じビルの二階の喫茶店又は地下駐車場でされたことなどの事情が存したのであるから、結局、本件売買契約の第一回から第五回の各売買を通じて、今村が被告を代理して各契約を締結する権限を有しているか否かにつき疑念を生じさせるに足りる事情が存したものというべきであり、百貨店業者である原告としては、前記2において述べたように今村に代理権ありと信じたことにつき一応の理由があつてもなお、今村の上司に挨拶に出向くなど(今村にそのみちをうまく封じられたうらみはあるとしても)しかるべき方法で今村の代理権を確認すべく必要な調査をすべき取引上の義務があつたといわなければならない。

しかるに、原告は、鈴木において前述のとおり前田総務部長に挨拶させてほしいと今村に申し出て断わられたほかは、今村の代理権につき何らの調査を行つていない。(なお、被告の会社印、代表者印等の押捺された注文書を提出させることは、今村の代理権の有無を確認する簡便な方法の一つということができるけれども、その交付の時期がすべて当該ビール券引渡しより後であり、今村がその作成に消極的であつたこと、総務課長代理の地位にある今村としてはそのような印を無断で押捺することのできる機会を得ることも不可能ではないと考えられることその他前述の本件売買契約に関する経緯に照らすと、右のような注文書を提出させたことのみをもつて、原告において今村の代理権の有無の確認に必要な調査を尽したものであるとは到底いえない。)

したがつて、今村に被告を代理して本件売買契約を締結する代理権があると信ずるにつき、原告には過失があり、右代理権ありと信ずべき正当の理由があつたものということはできないから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の民法一一〇条又は同条及び同法一〇九条に基づく表見代理の主張はいずれも理由がない。

六次いで、請求原因2の(四)(無権代理行為の追認)の事実につき判断するに、証人宍戸、同横山宏及び同鈴木の各証言によると、鈴木及び宍戸は、昭和五五年七月九日、本件売買契約に基づく残代金の支払を求めるため被告本社事務所を訪問し、被告の専務取締役で、代表取締役社長の補佐として被告の業務全般を統轄している横山宏に面会したこと、その際、同人は、鈴木及び宍戸が持参した本件売買契約に関する注文書、請求書控えその他の書類を示して残代金の支払を求めたのに対し、この件については自分の知るところでなく、その一存では決められないが、被告としても、事情を調査し、株主とも相談の上善処したいと述べ、右書類をコピーして受け取つたこと(なお、その際、今村が同年六月一九日に原告に支払つた五〇〇万円の領収証を横山宏が収受したことは、当事者間に争いがない。)を認めることができるが、他方、<証拠>によると、今村は、昭和五四年一一月から翌五五年六月までの間に、原告の外にも数か所から本件売買契約と同様のやり方で大量のビール券を騙取していたのであつて、被告の専務取締役横山宏としては、同年七月六日に初めて今村から右事情を打ち明けられ、同月九日に今村が丸の内警察署に自首した時点では、まだ事態を十分に把握することができないでいたこと、したがつて同日鈴木及び宍戸から被告の会社印、代表者印等の押捺された本件売買契約の注文書等を見せられて非常に驚き、まず事実関係を十分に調査した上で対応の仕方を決めるほかないと考えて前記書類等を受けとつたものであることを認めることができ、証人宍戸及び同鈴木の各証言のうち右認定に反し、横山が被告の債務を認めたとする部分はにわかに措信できない。

したがつて、横山宏の右言動をもつて、同人において被告を代理して今村の無権代理行為を追認したものと認めるのは相当でなく、以上のほか右追認に関する原告の主張を認めさせるに足りる証拠はない。

七以上のとおりであるから、原告の主位的請求は理由がない。

第二予備的請求について

一まず、訴えの変更の許否について判断する。

被告は、原告がした訴えの追加的変更は、著しく訴訟手続を遅滞させるから許されるべきではないと主張するところ、本件記録によれば、原告は、昭和五五年九月二日の訴え提起以来、被告の被用者である今村の締結した本件売買契約の効果が被告に及ぶことを前提としてその売買代金の支払を求める旨主張立証してきたが、昭和五七年八月一九日の第一五回口頭弁論において、右請求が認められない場合には、右契約締結が今村の欺罔行為に係るものであるとして民法七一五条に基づく損害賠償を予備的に求める旨準備書面に基づいて陳述するに至つたものであることが明らかである。

ところで、民事訴訟法二三二条一項ただし書の「著ク訴訟手続ヲ遅滞セシムヘキ場合」とは、訴えの変更をしないまま訴訟手続を完結するに必要と考えられる時間と訴え変更後の訴訟手続を完結するに必要と考えられる時間とを、従前の訴訟経過に照らして対比したときに、後者が著しく長日時を要し別訴を提起させるのとあまり変わりがないような場合をいうと解するのが相当である。したがつて、口頭弁論の終結近くになつて訴えの変更があつても、変更された訴えの審理のため従前の訴訟資料を大部分利用することができ、新たに審理を要するとしても多少の日時を要する程度にすぎない場合は、著しく訴訟手続を遅滞させるものではないというべきである。

これを本件についてみるに、従前、原告は、今村の権限の存在、表見代理又は無権代理行為の追認を主張し、被告は、本件売買契約が今村の欺罔行為に係るものであることを事実上前提にして、同人の無権限、同人に代理権ありと信じた原告の重大な過失を主張して、それぞれ立証活動をしてきたこと、その結果、本件売買契約が締結されビール券が引き渡された経緯、今村の欺罔行為の態様、原告が今村に代理権ありと信じたことについての過失の有無に関連する諸事情等につき双方の主張立証活動がされてきたことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件の訴えの変更により追加された原告の請求に関しては、今村の欺罔行為とその被告の事業執行との関連性、原告の被つた損害等の請求原因事実の外、原告の重大な過失、過失相殺等の抗弁事実についても、従前の訴訟資料を利用して審理することが概ね可能であり、新たに主張立証の補充があり得るとしても、その審理はさほどの時日を要するものではなく、特に著しい訴訟手続の遅滞を来たすものということは当を得ない。したがつて、本件の訴訟手続の経過に徴すれば、原告のした訴えの追加的予備的変更は適法なものとして許容すべきものである。

二請求原因1の事実につき判断するに、今村が被告の被用者で総務課長代理の地位にあつたこと、同人が原告に対し、真実は被告が購入するものではないのにそうであるように装つてビール券の購入を申し入れ、原告をしてその旨誤信させ、よつて、別表記載のとおり(ただし、第二回売買に係るビール券引渡しの日は、前段認定のとおり三月末日頃である。)、五回にわたり合計三万八〇〇〇枚のビール券の納入を受けてこれを騙取したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、今村は、騙取したビール券をまもなく佐藤浩又は岡田精志に依頼して換金処分したことを認めることができる。なお、被告は、本件売買契約については、宍戸と今村との間で、ビール券一枚当たり約二〇円の値引きをする旨の合意が成立していたので、値引き額合計は七六万円であり、未払代金額は一三三五万〇九〇〇円であると主張し、証人宍戸の証言によると、宍戸と今村との間で、定価の五パーセント弱、一枚当たり約二〇円の値引きをする旨の合意が成立したことを認めることができるが、<証拠>によると、右値引きをした後の価格の合計額が一九一一万〇九〇〇円であり、未払代金額は一四一一万〇九〇〇円であることを認めることができ、原告は右未払代金額相当の損害を被つたものというべきである。

三請求原因2の事実につき判断するに、前記認定のとおり、右1記載の不法行為は、被告の渉外用物品購入の事務等を分掌する総務課において総務課長代理の地位にあつた今村が、その地位を悪用し、被告の総務課長代理として被告のために贈答用のビール券を購入するように装つて、主に被告本社事務所内において、勤務時間中にしたものであるから、その行為は、外形上、今村の職務と密接な関連性を有し被告の事業の範囲内に属するとみられるものであり、被告の事業の執行につきされたものというべきである。

四次に、抗弁1の事実(重大な過失の存在)について判断するに、被告が損害賠償の責任を免れる要件である原告の重大な過失とは、故意に準ずる程度の注意の欠缺があつて、公平の見地上、原告に全く保護を与えないことが相当と認められる状態をいうものと解すべきところ、前記認定のとおり、原告において、今村に被告を代理して本件売買契約を締結する権限があるものと信じたことには過失があつたというべきであるが、そのように信ずるにつき一応の理由があつたものであり、故意に準ずる程度の注意の欠缺があつたとはいえず、いまだ重大な過失があるものと認めるには足りない。したがつて、抗弁1は理由がない。

五続いて抗弁2の事実(過失相殺)について判断するに、原告が今村の不法行為により損害を被るについては、前記第一の五の2、3記載の経緯があり、右事実によると、原告にも、本件売買契約に際し今村の代理権の有無につき調査・確認すべきであつたのにこれを怠つた過失のあることは前判示のとおりであり、右過失が原告の損害発生の一要因となつたことは否定できない。

そこで、損害賠償額算定に当たり、原告の右過失を斟酌すべきであるところ、本件に現われた一切の事情に照らし、原告の現実の損害について四割の過失相殺をするのが相当である。

したがつて、原告の損害一四一一万〇九〇〇円のうち、被告において賠償すべき金額は八四六万六五四〇円となる。

六以上のとおりであるから、原告の予備的請求は、八四六万六五四〇円及びこれに対する最終の不法行為の日である昭和五五年五月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は失当である。

第三結論

よつて、原告の被告に対する本訴請求は、八四六万六五四〇円及びこれに対する昭和五五年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(三宅弘人 慶田康男 杉原則彦)

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