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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)13244号 判決 1988年2月29日

原告 亡A訴訟承継人 X1

原告 亡A訴訟承継人 X2

原告 亡A訴訟承継人 X3

原告 亡A訴訟承継人 X4

原告 亡A訴訟承継人 X5

原告 X6

原告 X7

原告 X8

原告 X9

右原告ら訴訟代理人弁護士 石井成一

同 桜井修一

同 阿部正史

同 水谷直樹

同 加藤美智子

同 森脇純夫

右石井成一訴訟復代理人弁護士 佐藤りえ子

被告 Y1

右訴訟代理人弁護士 二階堂信一

被告 Y2

右訴訟代理人弁護士 伊集院實

主文

一、被告Y2は原告らに対し、別紙物件目録記載の不動産につき、昭和五五年一月二五日遺留分減殺を原因とする、原告X6、同X7、同X8及び同X9については各持分五分の一、原告X1については持分の一〇分の一、原告X2、同X3、同X4及び同X5については各持分四〇分の一の割合による所有権移転登記手続をし、かつ原告X6、同X7、同X8及び同X9に対し各金二八二万九〇〇〇円、原告X1に対し金一四一万四五〇〇円、原告X2、同X3、同X4及び同X5に対し各金三五万三六二五円及びこれらに対する昭和五六年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの被告Y2に対するその余の請求並びに被告Y1に対する請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は、原告らと被告Y2との間においては、原告らに生じた費用の五分の三を被告Y2の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告Y1との間においては、全部原告らの負担とする。

四、この判決は第一項中の金員の支払部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1. 被告Y1は原告らに対し、別紙物件目録(一)記載の不動産につき、昭和五五年一月二五日遺留分減殺を原因とする、原告X6、同X7、同X8及び同X9については各持分五分の一、原告X1については持分一〇分の一、原告X2、X3、同X4及び同X5については各持分四〇分の一の割合による所有権移転登記手続をし、かつ原告X6、同X7、同X8及び同X9に対し各金三八六七万七八一二円、原告X1に対し金一九三三万八九〇六円、原告X2、同X3、同X4及び同X5に対し各金四八三万四七二六円及びこれらに対する昭和五六年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2. 被告Y2は原告らに対し、別紙物件目録(二)記載の不動産につき、昭和五五年一月二五日遺留分減殺を原因とする、原告X6、同X7、同X8及び同X9については各持分五分の一、原告X1については持分一〇分の一、原告X2、同X3、同X4及び同X5については各持分四〇分の一の割合による所有権移転登記手続をし、かつ原告X6、同X7、同X8及び同X9に対し各金一三六二万八四〇〇円、原告X1に対し金六八一万四二〇〇円、原告X2、同X3、同X4及び同X5に対し各金一七〇万三五五〇円及びこれらに対する昭和五六年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3. 訴訟費用は被告らの負担とする。

4. 1項及び2項のうち金銭の支払請求部分につき仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1. 原告らの請求を棄却する。

2. 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. A、原告X6、同X7、同X8及び同X9と被告らの父B(以下「B」という。)は昭和五四年一月三〇日死亡し、同人の相続人は別紙相続関係図記載のとおりA、原告X6、同X7、同X8及びX9と被告らの一一人の子であり、A、原告X6、同X7、同X8及び同X9はそれぞれBの相続財産の二二分の一にあたる遺留分を有している。

2. Bの相続財産

(一)  Bは、死亡時に別級遺産目録記載の不動産を所有していた。

(二)  Bは別紙特別受益財産目録記載の不動産を同目録記載のとおり被告ら及び訴外Cに対し生計の資本として贈与した。

3. 前項(二)の不動産が生前贈与された事情は次のとおりである。

(一)(1)  Bの家は足立区の古くからの農業であるが、戦前は農地を所有しない小作農であった。しかし、Bは、戦後の農地解放により農地の取得が可能になったため、昭和二二年から二三年にかけて自作農創設特別措置法により取得可能な限りの農地を購入した。

(2) 当時Bは妻D及び同人らの子供たちと同居、生計を共にし、一家で農業に従事していた。Bには資産が全くなかったため、前記の農地購入資金は一家全員が必死に働き生活費を切り詰めて生み出したものである。

(3) 昭和二七年自作農創設特別措置法が廃止され、代わって農地法が施行され、農地の売買には農業委員会の許可を要することとなったが、Bはすでに旧法下での制限いっぱいの広さの農地を取得していたため、同人名義では農地取得につき農業委員会の許可を得ることが困難な状態であった。

そこで、Bは長男である被告Y1(以下「被告Y1」という。)の名義を借りることを考えたが、農地を取得するには農業委員会で耕作者と認定されることが必要なため、昭和二八、九年頃被告Y1に対して数筆の土地(別紙特別受益財産目録No.5ないしNo.15、別紙交換物件目録No.101記載の土地)を贈与した。

(4) そのうえで、Bは昭和二八年から昭和三二年にかけて農地を取得し、被告Y1名義で所有権移転登記をした(別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.40、別紙交換物件目録No.97ないしNo.100、No.102、No.103記載の土地)。

(5) ところが、母Dが他の兄弟にも土地を与えるよう望んだことから争いとなり、被告Y1はDが死亡した昭和三四年には家を継ぐことを拒否して家を出てしまった。

そして、昭和三五年Bと被告Y1との間で、それぞれの名義の土地を住所地の近くにまとめるため、土地の交換が行われた(別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の土地)。

(二)  被告Y1が家を出、二男、三男、四男はすでに他家の養子となっていたため、五男である被告Y2(以下「被告Y2」という。)が家を継ぐことになった。そのため、昭和三四、五年頃Bから被告Y2に対し、相当数の農地が贈与された(別紙特別受益財産目録No.41ないしNo.58、No.66ないしNo.70記載の土地)。

(三)  Bは昭和四〇年末子の訴外Cに対し、その結婚独立にそなえて宅地二筆を贈与した(別紙特別受益財産目録No.71及びNo.72記載の土地)。

(四)  Bは昭和四五年頃まで一家の家計を握っていたが、その頃から病気がちになり寝込むことが多くなった。

そして、B名義で残っていた土地の殆どが昭和四五、六年頃贈与を原因として被告Y2名義にかえられた(別紙特別受益財産目録No.73ないしNo.96記載の土地)。

(五)  右のとおり特別受益財産のうち同目録No.16ないしNo.40記載の不動産は、登記簿上第三者から被告Y1が売買により取得したものとされているが、真実はBが買い受けた土地を被告Y1に贈与したものである。

また同じく同目録No.59ないしNo.65記載の不動産は、被告Y1がBから交換により取得したものであるが、このとき被告Y1からBに対し譲渡された土地(別紙交換物件目録No.97ないしNo.103記載の土地)は、それ以前に被告Y1がBから贈与されていた土地であり、この交換は実質的には以前になされた贈与の合意解除と新たな贈与にほかならない。

したがって、このときBに対し返還された不動産を被告Y1の特別受益財産から控除して、被告Y1が交換を原因としてBから取得した不動産(別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産)を贈与物件として特別受益財産に算入するのが相当である。

4. 遺留分算定の基礎となる財産

遺留分算定の基礎となる財産は、少なくとも現実の遺産(別紙遺産目録記載の不動産)に特別受益財産(別紙特別受益財産目録No.1ないしNo.96の不動産)を加えたものであるが、その大部分は被告らの特別受益財産であって、被告らに対する生前贈与が原告らの遺留分を侵害することは明らかである。

なお訴外Cも特別受益者であるが、同人の特別受益財産の評価額は金二七八二万三二七〇円で、同人の遺留分額二八二四万八九四五円を下回る。したがって、訴外Cは遺留分権利者と考えられるので、同人の特別受益財産を減殺請求の対象から外した。

5. 具体的な遺留分額

原告らの遺留分を保全するに必要な限度は、原告らの遺留分の合計(総相続財産の二二分の五)から現実の相続利益(現実の遺産に対する原告らの取得分)を控除したものであり、鑑定人E作成の鑑定書に基づいて計算すると、別紙計算書(1)記載のとおり相続開始時において合計金五億七六〇八万七三二五円の不動産である。

6. 遺留分減殺の対象物件

前項の限度で被告らになされた生前贈与に対し、後の贈与から順次、同時になされた贈与のうちでは目的物が第三者に譲渡され、もしくは第三者の権利が設定されていないものから順に減殺を行うと、減殺請求の対象となる贈与の目的物は別紙減殺請求対象物件目録記載の不動産となる。

ただし、同目録5記載の不動産(別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産、以下同目録の番号で表示する。)は同時に被告Y1に贈与されたもので、しかもNo.59、No.60は第三者にすでに譲渡され、No.61ないしNo.64にはそれぞれ担保権が設定されているため(No.65は相続時からすでに道路の一部になっていた。)、これら不動産については減殺請求に順序がつけられない。

またNo.61ないしNo.64に設定された抵当権は、すべて相続開始前に設定されたもので、しかもすべて巨額の債務を担保しており、別紙計算書(2)記載のとおり右不動産の相続時における時価は原告らが右不動産について減殺すべき限度を大幅に下回るものとしか考えられない。

したがって、原告らは、別紙計算書(2)記載のとおり右不動産の全部について減殺請求する権利を有するものである。

7. 金銭弁償を求める範囲

(一)  減殺請求を受けるべき受贈者が贈与の目的物を第三者に譲渡したとき、及び贈与の目的物の上に権利を設定した場合には、遺留分権利者は受贈者に対し、その価格または権利設定による価額の減少分の弁償を求めることができる。

本件においては、別紙特別受益財産目録備考欄記載のとおり相当数の贈与の目的物が第三者に譲渡され、または第三者の権利が設定されている。したがって、原告らはこれらの物件について金銭による弁償を求めることができるのであるが、担保権設定による価額の減少についてはその算定が現時点では困難であるため、本件においてはひとまず、第三者に譲渡された物件についてのみ金銭による弁償を求める。

(二)  被告らは、相続開始前に贈与を受けた物件を第三者に譲渡しているが、原告らが被告らに対し、金銭による弁償を求めるにつき、その価額の評価は現時点直近の取引価格を基準にするのが相当である。けだし、遺留分減殺請求権を行使することによって贈与や遺贈はその効力を失い、移転した物権は当然相続人に復帰するのが原則であるから、たとえ減殺の対象となった当該財産が処分されていたとしても、それが存在するとしたら得られるべき利益を減殺請求権者に確保させることが遺留分制度の趣旨に合致し、衡平と考えられるからである。

そうすると、減殺請求対象物件のうち第三者に譲渡されている物件の現時点直近の取引価格は、鑑定書によれば、別紙第三者所有物件目録記載のとおりであり、原告らの取得分は別紙計算書(3)記載のとおりである。ただし、被告Y1に対しては、一部請求として合計金一億九三三八万九〇六〇円を限度として請求する。

8. A、原告X6、同X7、同X8及びX9は被告らに対し、昭和五五年一月二五日到達の内容証明郵便により遺留分減殺請求の意思表示をし、被告らの所有名義の別紙物件目録(一)及び(二)記載の不動産については、右原告ら各五分の一の持分とする所有権移転登記手続を、第三者に譲渡されている物件については取引価格による弁償をそれぞれ求める旨の請求をした。

9. Aは本訴提起後の昭和六〇年一二月九日死亡し、原告X1は夫として、原告X2、同X3、同X4及び同X5はそれぞれ子としてAの権利義務を相続により取得した。

そうすると、別紙物件目録(一)及び(二)記載の不動産については、原告X6、同X7、同X8及び同X9は各五分の一、原告X1は一〇分の一、原告X2、同X3、同X4及び同X5は各四〇分の一の共有持分を有する。

また、金銭弁償については、被告Y1が原告X6、同X7、同X8及び同X9に対し弁償すべき金額は各金三八六七万七八一二円、原告X1に対しては金一九三三万八九〇六円、原告X2、同X3、同X4及び同X5に対しては各金四八三万四七二六円(円未満切り捨て)、被告Y2が原告X6、同X7、同X8及び同X9に対して弁償すべき金額は各金一三六二万八四〇〇円、原告X1に対しては金六八一万四二〇〇円、原告X2、同X3、同X4及び同X5に対しては各金一七〇万三五五〇円となる。

よって、原告らは被告らに対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二、請求原因に対する認否

(被告Y1)

1. 請求原因1の事実は認める。

2. 同2(一)の事実は認める。

同2(二)の事実は否認する。別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.40、別紙交換物件目録No.97ないしNo.100、No.102、No.103記載の不動産は、被告Y1が自己の資金で原所有者から買ったもので、Bの財産ではない。したがって、特別受益財産に当たらない。

また別紙特別受益財産目録No.5ないしNo.15記載の不動産及び別紙交換物件目録No.101記載の不動産は、被告Y1が昭和二三年以来Y家の長男として農業に従事し、その対価として昭和二八、九年頃取得したものであるから、特別受益財産に当たらない。

3. 同3の事実のうち別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.40、別紙交換物件目録No.97ないしNo.100、No.102、No.103記載の不動産について、同目録記載のとおり被告Y1名義で売買を原因とする所有権移転登記がなされたこと、また別紙特別受益財産目録No.5ないしNo.15及び別紙交換物件目録No.101記載の不動産につき、同目録記載のとおり贈与を原因として被告Y1に所有権移転登記がなされたこと及びBと被告Y1との間で別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産と別紙交換物件目録No.97ないしNo.103記載の不動産が交換されたことは認めるが、その余は否認する。

4. 同4の事実は争う。

5. 同5の事実は争う。

6. 同6の事実は争う。

7. 同7の事実は争う。

8. 同8の事実は争う。

(被告Y2)

1. 請求原因1の事実は認める。

2. 同2(一)の事実は認める。

同2(二)の事実のうち被告Y2に対し別紙特別受益財産目録記載のとおり贈与を原因とする所有権移転登記がなされていること、訴外Cに対し生計の資本として生前贈与がなされたことは認めるが、その余の主張は争う。

被告Y2は母Dが死亡した直後の昭和三四年四月頃Y家の跡取りに選ばれ、それ以来Y家の実質的な責任者として家族の生計を支えて働くことになった。そして、昭和三四年から三五年にかけて被告Y2はBから相当数の農地の贈与を受けたが(別紙特別受益財産目録No.41ないしNo.58記載の土地、同目録No.66ないしNo.70記載の土地、同目録No.77ないしNo.83記載の土地)、右の贈与は被告Y2がY家の跡取りとなるについて、従前の被告Y2の労働とBに対する寄与の報酬としての意味と、年老いたBと弟妹を将来世話するについての対価としての性質を兼ねたものであって、生来の資本としての贈与ではない。

またBは昭和四三年から四四年にかけて足立農業協同組合など金融機関から多額の貸出を受けて、岩槻市、浦和市で多くの農地を買い受けた。しかし、Bは老齢で病気であったため実際の買受けと、その資金の調達は全て被告Y2が行った。また被告Y2は金融機関に対するBの借受金の利息を支払ったほか、元金の相当部分をも自己の手持資金及び事業で得た収入から支払って金融機関に返済した。したがって、Bがその名義で買い受けた岩槻市、浦和市の農地の相当部分は、実質的には被告Y2の所有であった。

そして、昭和四四年から四五年にかけて、原告らはBに対し同人名義の財産を生前に原告らに贈与するように強く要求した。そのためBは、被告Y2が購入代金を出捐した岩槻市と浦和市の農地の名義がB名義となっていることが紛争のもとになっていると考え、昭和四五年から四六年にかけて右土地を買受資金の相当部分を実質的に負担し、かつBのために多大の出捐をした被告Y2に贈与したものである。したがって、被告Y2は岩槻市、浦和市の農地(別紙特別受益財産目録No.73ないしNo.76、No.84ないしNo.96記載の不動産)に関しては、その相当部分について自己の出捐で購入した土地を被告Y2の所有名義に戻してもらった関係にある。

このように別紙特別受益財産目録No.73ないしNo.76、No.84ないしNo.96記載の各土地は被告Y2が自ら買い受けたものであり、したがって右各土地は被告Y2の土地であって、原告らの遺留分算定のための基礎となる財産として持ち戻されることはない。

3. 同3(一)(1)の事実のうちBの家が足立区の古くからの農家であり、戦前小作農であったこと、Bが自作農創設特別措置法によって相当の農地を取得したことは認めるが、その余は不知。

同3(一)(2)の事実のうちBが妻、子らと同居し生計を共にし農業に従事していたことは認めるが、その余は争う。

同3(一)(3)の事実のうち昭和二七年自作農創設特別措置法が廃止され、農地法が施行され、農地の売買について許可が必要になったことは認めるが、その余は争う。

同3(一)(4)は争う。

同3(一)(5)の事実のうち母Dが昭和三四年死亡したこと、被告Y1が別居したことは認めるが、その余は争う。

同3(二)の事実のうち長男である被告Y1が家を出、二男三男四男が他家に行ったこと、昭和三四、五年頃相当数の農地につきBから被告Y2に対し贈与を原因とする所有権移転登記手続がなされたことは認めるが、その余は争う。

同3(三)の事実は認める。

同3(四)の事実のうちBが少なくとも昭和四五年頃まで一家の生計を握っていたこと、B名義の土地の相当部分が昭和四五、六年頃被告Y2名義に変えられたことは認めるが、その余は争う。

同3(五)の事実は争う。

4. 同4の事実のうち訴外Cが特別受益者であることは認めるが、その余は争う。

訴外Cの特別受益財産はその遺留分額を大きく上回るのであるから、同人に対する贈与を遺留分減殺の対象から外す理由はない。

5. 同5の事実のうち原告らがその主張する法的見解に基づいて計算した結果が原告ら主張の金額となることは認めるが、その余は否認する。

6. 同6の事実のうち別紙特別受益財産目録No.59、No.60記載の土地が第三者に譲渡されていることは認めるが、その余は否認する。

共同相続人である被告ら及びCの間では、贈与の前後にかかわらず、贈与を受けた目的物の価額の割合に応じて減殺がなされるべきである。

仮に右のように解せないとしても、贈与の減殺は、後の贈与から始め、順次前の贈与に及ぶのであり、贈与の前後は登記の日の前後ではなく、贈与のなされた日の前後による。したがって、原告らが別紙特別受益財産目録No.66ないしNo.70記載の土地(以下「本件土地」という。)につき仮にそれが被告Y2に対する贈与であるとして減殺するとしても、そのためには、次の(1)ないし(4)の順序によらなければならない。

(1) 別紙特別受益財産目録No.71及びNo.72の贈与のうち訴外Cの遺留分を超える部分についての減殺

(2) 同目録No.59ないしNo.65記載の交換についての減殺

(3) 同目録No.41ないしNo.58について仮にそれが贈与であるとすれば、その土地についての減殺

(4) 本件土地についての減殺

しかも原告らの主張するところによっても、本件土地の価格は右(1)、(3)の価格を下回る。減殺の順序は強行規定であるところ、前記(1)、(3)の減殺をなさずして行われた本件土地についての遺留分減殺は許されない。

7. 同7(一)の事実のうち被告Y2に対する贈与の登記がなされている不動産の一部につき他人に譲渡され、第三者の権利が設定されていることは認めるが、その余は争う。

同7(二)の事実のうち原告らが減殺対象物件として主張している物件のうち第三者に譲渡されているものについて鑑定書に鑑定評価額の記載があり、原告らがその主張する法的見解に基づいて計算した結果が原告らの主張の金額となることは認めるが、その余は否認する。

原告らは被告らに対する金銭請求について現時点直近の取引価格を基準としているが、本件では目的物が善意の第三者に処分された後に遺留分減殺請求がなされたのであるから、そもそも現物返還請求権が発生しない。したがって、この場合の基準時は目的物の譲渡時であり、仮にそうでないとしても相続開始時であると考えられる。

8. 同8の事実のうち原告らが被告Y2に対し遺留分減殺請求の通知をし、右通知が昭和五五年一月二五日被告Y2に到達したことは認めるが、その余は不知。

9. 同9の事実のうちAが昭和六〇年一二月九日死亡し、同女には相続人として夫である原告X1、子である原告X2、同X3、同X4及び同X5がそれぞれいることは認めるが、その余は不知。

第三、証拠<省略>

理由

一、請求原因1及び同2(一)の各事実は当事者間に争いがない。

そして、被告らが別紙特別受益財産目録記載の不動産につき、同目録記載のとおり贈与または売買若しくは交換を原因として所有権移転登記を経由していることは当事者間に争いがない。

二、被告Y1に対する生前贈与の成否について

そこで、まず原告らは被告Y1に対して、別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.40記載の不動産及び別紙交換物件目録No.97ないしNo.100、No.102及びNo.103記載の不動産はもともとBが購入し、被告Y1名義で売買を原因として所有権移転登記をした財産で、その実質はBから被告Y1への贈与であり(別紙交換物件目録No.101記載の不動産については当初から贈与)、別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産は、別紙交換物件目録No.97ないしNo.103記載の不動産と交換されたが、この交換は実質的には以前になされた贈与の合意解除と新たな贈与にほかならないから、被告Y1が交換を原因としてBから取得した別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産及び被告Y1が売買を原因として取得した同目録No.16ないしNo.40記載の不動産は、いずれも被告Y1の特別受益財産に算入されると主張するので、以下この点について判断する。

<証拠>によれば、Bは明治三一年○月○日農家の三男として生まれ、大正一一年八月一一日Dと婚姻し、大正一三年分家独立したこと、その間Bは父Fから大正五年に自宅敷地として足立区<以下省略>に宅地及び畑約八〇坪程度の贈与を受けていたが、農地解放直前に約一反三畝の農地を取得するまで自作農地を持たない小作農であったこと、そして、戦後の農地解放を契機に、Bも昭和二二年から二三年にかけて自作農創設特別措置法一六条に基づく売渡により自宅近隣に相当数の農地(約一町八反余り)を取得したこと、ところで、BはDとの間にAを始め原・被告らを含む合計一四人の子をもうけたが、うち三人は幼くして死亡し、Y家では残る一一人の子とともに一家で農業に従事していたこと、そして、長男である被告Y1は昭和一九年に出征し、戦後暫くの間シベリヤに抑留された後昭和二三年一二月に帰国し、昭和二五年四月結婚して夫婦で農業に従事したこと、二女Aは昭和二二年五月、三女である原告X6は昭和二七年九月、五女である原告X7は昭和三二年九月にそれぞれ他家に嫁ぎ、また二男Gは昭和二五年六月、三男Hは昭和二六年四月にそれぞれ他家の養子となり、四男正は昭和三〇年三月他家に婿入りして家を出たこと、Y家では戦中戦後の食糧難時代には都心からの買い出し等で相応の収入を得、またその後昭和三〇年頃までは、野菜などを市場に出荷して相当の現金収入を得ており、被告Y1らもBから月額一〇〇〇ないし二〇〇〇円程度の給料を貰っていたこと、以上の事実が認められる。

ところで、<証拠>及び前記争いのない事実によれば、別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.19記載の不動産は、昭和二九年四月一五日Jから、同様に同目録No.20ないしNo.31記載の不動産については、同年一一月三〇日Kから、同目録No.32ないしNo.35記載の不動産については、昭和三〇年三月二八日Lから、同目録No.36ないしNo.38記載の不動産については、同年七月一二日Mから、同目録No.39及びNo.40記載の不動産については、昭和三一年五月一日Nから、また別紙交換物件目録No.97ないしNo.100記載の不動産については、昭和二九年三月九日Oから、同目録No.102及びNo.103記載の不動産については、昭和三二年九月五日Pから、それぞれ売買を原因として被告Y1名義に所有権移転登記が経由されているところ、被告Y1は、右各不動産を反当たり六〇〇〇円位で購入したものであって(原本の存在と<証拠>によれば、東京における昭和二八年当時の普通田の売買価格は金四万一八八〇円、昭和三一年当時で金一二万九〇〇〇円であり、また東京における昭和二八年当時の普通畑の売買価格は金三万六四四〇円、昭和三一年当時で金一二万七五〇〇円であることが認められるけれども、右はいずれも平均値―中品等の田畑を対象としたもの―であり、これをもって本件当時の田畑の売買価格を推測するのは必ずしも当を得たものとはいえない)、その資金元は前認定のとおり農業の収益により毎月Bから支給される給料を貯えたものであることが認められ、右認定に反する証人Cの証言及び原告X9本人の供述並びに甲第二〇五号証(Aの陳述書)の記載部分はいずれも採用できない。

以上認定の事実によれば、別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.40記載の不動産及び別紙交換物件目録No.97ないしNo.100、No.102、No.103記載の不動産は、いずれも被告Y1が第三者から買い受けたものというべきである。

そうすると、別紙特別受益財産目録No.16ないしNo.40記載の不動産は被告Y1の固有財産であって、それら不動産が特別受益財産とする原告らの前記主張は採用できない。

また別紙交換物件目録No.97ないしNo.100、No.102、No.103記載の不動産についても、右と同様被告Y1の固有財産であり、したがって、少なくとも同目録No.101記載の不動産を除く右不動産につきなされた別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産との交換は、原告らの主張するような贈与の合意解除と新たな贈与とみることはできない。

次に別紙特別受益財産目録No.5ないしNo.15記載の不動産及び別紙交換物件目録No.101記載の不動産についてみるに、右についてはいずれも贈与を原因としてBから被告Y1に所有権移転登記がなされているところ、被告Y1は昭和二三年以来Y家の長男として農業に従事し、その対価として昭和二八、九年頃取得したものであるから、特別受益財産に当たらないと主張し、被告Y1本人もこれに沿う供述をする。しかしながら、確かに前認定のとおり被告Y1は昭和二三年以来Y家において農業に従事し、Bから月額一〇〇〇円から二〇〇〇円程度の給料を得ていたが、被告Y1がその対価としてBから前記不動産の贈与を受けたものとまでは認め難く、被告Y1の右供述及び主張は採用できない。

そうすると、別紙特別受益財産目録No.5ないしNo.15記載の不動産は、登記簿の記載どおりBが被告Y1に贈与したものというべきであり、Y家の家業、被告Y1のY家における地位及び贈与された不動産の種類等に照らせば、これらは生計の資本としての贈与といえるから、被告Y1の特別受益財産として、その価額は遺留分算定の基礎に算入される。

ところで、別紙交換物件目録No.101記載の不動産も右と同様Bから被告Y1に贈与されたものというべきであり、したがって、前記のとおり右不動産を含む同目録No.97ないしNo.103記載の不動産は別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産と交換されたので、右不動産について遺留分算定の基礎となる財産額を計算するに当たって、どのように解するかが問題となる。

右のように相続人が被相続人から生前贈与された物件をその後被相続人との間で新たに同人所有の物件と交換したような場合は、その交換は以前になされた贈与の合意解除と新たな贈与の合意とみることができるから、相続人が被相続人から交換により取得した物件を贈与物件として特別受益財産に算入するのが相当である。

これを本件についてみると、前記のとおり被告Y1がBとの間で交換した不動産の一部には、被告Y1がBから贈与を受けた不動産が含まれており、右交換は個々の不動産ごとになされたものではなく、一体としてなされたものであるから、特別受益財産として算定するについては、交換された不動産中における贈与不動産の割合を算定しなければならない。しかして、被告Y1がBに対し交換に供した別紙交換物件目録No.97ないしNo.103記載の不動産の合計面積は二九三九平方メートル(うち贈与不動産の面積は一九八平方メートル)であり、被告Y1がBから交換により取得した別紙特別受益財産目録No.59ないしNo.65記載の不動産の合計面積は四五九〇・九九平方メートルであるので、贈与不動産の交換目的不動産に対する面積比率は三〇九・二九平方メートルである。

三、被告Y2に対する生前贈与の成否について

前記のとおり登記簿上Bから被告Y2に対し別紙特別受益財産目録No.41ないしNo.58、No.66ないしNo.70、No.73ないしNo.96記載の不動産について、同目録記載のとおり贈与を原因として所有権移転登記が経由されていることは当事者間に争いがないところ、同目録No.41ないしNo.58、No.66ないしNo.70、No.77ないしNo.83記載の不動産について、被告Y2は、母Dが死亡した直後の昭和三四年四月頃Y家の跡取りに選ばれ、それ以来Y家の実質的な責任者として家族の生計を支えて働くことになり、右不動産の贈与は被告Y2がY家の跡取りとなるについて、従前の被告Y2の労働とBに対する寄与の報酬としての意味と、年老いたBと弟妹を将来世話するについての対価としての性質を兼ねたものであって、生計の資本としての贈与ではなく、また同目録No.73ないしNo.76、No.84ないしNo.96記載の不動産については、これら不動産は登記簿上Bが昭和四三年から四四年にかけて同人名義で購入したことになっているが、その買受資金は被告Y2が負担したものであって、実質的には被告Y2の所有するものであったところ、Bは昭和四五年から四六年にかけて右不動産を買受資金を実質的に負担した被告Y2に贈与したもので、したがって、被告Y2は自己の出捐で購入した不動産を自己の所有名義に戻してもらった関係にあり、以上いずれの不動産も被告Y2の特別受益財産に該当しないと主張する。

<証拠>によれば、昭和三四年三月母Dが死亡し、その後長男である被告Y1は、本来Y家の跡取りとなるべきところ、昭和三四年頃には家を出て独立する意向を抱き、翌昭和三五年家を出たこと、このため当時Y家に残っていた男子は被告Y2とCであり、年長者であった五男の被告Y2がY家を継ぐことになったこと、それまで被告Y2は清掃会社に勤務していたが、昭和三五年頃からその傍ら産業廃棄物処理の仕事もするようになり、昭和三六年一二月には妻Qと婚姻し、それらによる給料の一部を毎月Bに生活費として渡していたこと、このように被告Y2は会社に勤務していた関係で、昭和三八年までの間農業はB、被告Y2の妻、原告X8、同X9及びCがやっていたこと、そして、昭和三七年頃からY家でも農業以外に産業廃棄物処理業の仕事も始め、右原告らやCも手伝ったこと、その後昭和三八年六月六女である原告X8は他家に嫁ぎ、七女である原告X9も昭和三九年四月嫁いで、Y家にはBのほか被告Y2夫婦とCだけが残り、そして昭和四五年四月にはCも婚姻して家を出たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、被告Y2は、別紙特別受益財産目録No.77ないしNo.83記載の不動産は、一家の生活をやってきたので、その見返りとして貰った旨供述するけれども、右認定のとおり被告Y2が昭和三五年以降Y家の跡取りとして稼働してきたことは確かであるが、Bが被告Y2に対し、その所有不動産を贈与するについて多少とも従前の労働やY家に対する寄与への感謝の念があるとしても、その労働や報酬の対価としての性質を有していると解することは困難であり、被告Y2の右供述は措信できず、その他同目録No.41ないしNo.58、No.66ないしNo.70記載の不動産が被告Y2主張のような対価としての性質を有し、その家質が贈与ではないと認めるに足りる証拠はない。

また別紙特別受益財産目録No.73ないしNo.76、No.84ないしNo.96記載の不動産について、被告Y2は、当時年も若く肩書もなかったので、農協の理事をしていたBの名義を借りて農協から借金をし、その資金で自身が購入したものであると供述するけれども、<証拠>によれば、被告Y2は昭和四三年一〇月から一一月にかけて足立農業協同組合から土地購入資金として合計金八七〇万円を借り受けているのに、被告Y2が一部にせよ自己名義で前記不動産を購入しなかったのは不自然、不合理であって、前記供述は措信し難く、他に被告Y2が右不動産を購入したものと認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、別紙特別受益財産目録No.41ないしNo.58、No.66ないしNo.70、No.73ないしNo.96記載の不動産は、いずれもBから被告Y2に対し生計の資本として贈与されたものというべきである。

四、別紙特別受益財産目録No.71及びNo.72記載の不動産が同目録記載のとおり昭和四〇年三月一九日BからCに対し生計の資本として贈与されたことは、<証拠>によりこれを認めることができる(原告らと被告Y2との間では争いがない。)。

五、遺留分算定の基礎となる財産

遺留分算定の基礎となる財産は、現実の遺産に特別受益財産を加えたものであるところ、前認定のとおりBの遺産は別紙遺産目録記載の不動産であり、特別受益財産は別紙特別受益財産目録No.5ないしNo.15、No.41ないしNo.96記載の不動産である(但し、No.59ないしNo.65記載の不動産については、前認定のとおり特別受益財産とみなし得るのはその全体の登記簿上の面積四五九〇・九九平方メートルうち三〇九・二九平方メートルの部分であるから、四五九〇・九九分の三〇九・二九である。)。

しかして、鑑定の結果によれば、右各財産の相続開始時における価額は、Bの遺産が金四七〇五万三〇〇〇円(但し、建物はその後滅失したので、土地の評価だけである。)、特別受益財産が金一四億八〇六五万八四八〇円である(但し、別紙特別受益財産目録No.11、No.15及びNo.65記載の不動産は、いずれも昭和四六年に東京都に道路用地として買収され、当時の買収価格が不明であるため、価額を算定できない。)。

そうすると、遺留分算定の基礎となる総財産の価額は、金一五億二七七一万一四八〇円となる。

六、具体的な遺留分額

Bの相続人はAの他被告らを含め一一人であり、その遺留分は各自二二分の一であるから、各自の遺留分額は六九四四万一四三〇円(円未満切り捨て)である。

そうすると、A、原告X6、同X7、同X8及び同X9の遺留分額は合計金三億四七二〇万七一五一円となる。

七、遺留分減殺の対象物件

A及び右原告らの遺留分を侵害するBの被告らに対する生前贈与について、その遺留分を保全するに必要な限度で減殺の対象となる物件は、別紙特別受益財産目録No.73ないしNo.96記載の不動産(その価額は合計金三億四二〇四万一〇〇〇円、以下「本件不動産」という。)、及びCに対する贈与物件である同目録No.71及びNo.72記載の不動産(同様に合計金二億三三六二万五〇〇〇円)であるところ、後者の不動産についての遺留分侵害割合は、両不動産につき二億三三六二万五〇〇〇分の五一六万六一五一である。

ところで、原告らは、Cが遺留分権利者であると主張するけれども、同人に対し生前贈与された不動産の相続開始時における評価額は、右のとおり合計金二億三三六二万五〇〇〇円であり、原告らの遺留分を侵害していることは明らかである。したがって、原告らの右主張は採用できない。

また被告Y2は、共同相続人に対する贈与については、贈与の前後にかかわらず、贈与を受けた目的物の価額の割合に応じて減殺されるべきであると主張するけれども、遺贈と異なり贈与に関しては、法律関係の安定・取引の安全をはかる趣旨で後になされた贈与から減殺されるべきことを定めている民法一〇三五条の規定に照らし、右主張は採用できない。

そうすると、原告らの遺留分を保全するに必要な限度で減殺の対象となる被告らに対する生前贈与は、被告Y2及びCに対する前記不動産の贈与であるから、この点において既に被告Y1に対する請求は理由がないといわざるをえない。

八、A及び前記原告らが昭和五五年一月二五日到達の内容証明郵便で被告Y2に対し遺留分減殺の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、右のとおり遺留分減殺請求の対象物件は、被告Y2に対する本件不動産であるところ、<証拠>によれば、被告Y2は右不動産のうち別紙特別受益財産目録No.82及びNo.83記載の不動産を原告らの右遺留分減殺の意思表示時である昭和五三年四月二六日第三者に売却処分したことが認められる。

ところで、原告らは、右処分不動産についての金銭による価額請求につき、その算定の基準時を現時点直近の取引価格を基準とすべきであるとして、本件不動産の鑑定時における鑑定評価額でもって請求している。

もとより、民法一〇四一条におけるような現物返還に代わる価額弁償の基準時は、現実に弁償がされる時であり、遺留分権利者において当該価額弁償を請求する訴訟にあっては現実に弁償がされる時に最も接着した時点としての事実審口頭弁論終結の時であると解するのが相当である(最判昭和五一年八月三〇日民集三〇巻七号七六八頁以下参照)けれども、本件のように既に受贈者が目的物を第三者に処分した後に遺留分減殺請求がなされたときの価額弁償の基準時をいつにするかとは、同一に論じることはできない。

けだし、後者の場合には、民法一〇四〇条一項の規定に照らし明らかなように、もはや遺留分権利者は現物返還請求権を有しないのであり、この場合の目的物の価額弁償の基準時を相続開始時と解することも考えられないではないが、そうすると特に値上がりが予想される土地の場合、相続開始前の譲渡処分については、その後の値上がり分を負担しなければならないし、相続開始後では、通常はその時点より評価額の安い相続時の価額で弁償すればよいとすると、却って受贈者に経済的な利益を与えたり、損失を与えたりすることになり、不当である。

したがって、このような場合には、むしろ当該譲渡がなされたときの目的物の価額を基準とするのが相当であり、原告らの前記主張は採用できない。

しかして、鑑定の結果によれば、相続開始時である昭和五四年一月三〇日の時点における前記不動産の評価額は合計金一四一四万五〇〇〇円であることが認められ、右価額は受贈者である被告Y2による当該不動産の譲渡処分時である昭和五三年四月二六日と近接した時点であるから、右時点においても前記不動産の価額は右の金一四一四万五〇〇〇円であったものと推認することができる。

九、Aは本訴提起後の昭和六〇年一二月九日死亡し、原告X1は夫であり、原告X2、同X3、同X4及び同X5はそれぞれ子であることは当事者間に争いがない。

そうすると、Aの権利につき原告X1は二分の一、原告X2、同X3、同X4及び同X5はそれぞれ八分の一を相続により取得したことになる。

一〇、以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告Y2に対し別紙物件目録記載の不動産につき、昭和五五年一月二五日遺留分減殺を原因として、原告X6、同X7、同X8及び同X9が各持分五分の一、原告X1が持分一〇分の一、原告X2、同X3、同X4及び同X5が各持分四〇分の一の割合による所有権移転登記手続を求め、かつ原告X6、同X7、同X8及び同X9が各金二八二万九〇〇〇円、原告X1が金一四一万四五〇〇円、原告X2、同X3、同X4及びX5が各金三五万三六二五円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五六年一一月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告Y2に対するその余の請求及び被告Y1に対する請求はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎勉)

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