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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)3283号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

「一 請求原因

1(一) 原告会社は、昭和五四年五月、訴外稲葉静子(以下「亡静子」という。)との間で、原告会社が同女に対して別紙物件目録記載の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を賃貸する旨の契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を結び、同年六月一日、同女にこれを引き渡した。

(二) 被告稲葉重春(以下「被告重春」という。)は、昭和五四年五月、原告会社に対し、亡静子が原告会社に対して本件賃貸借契約によつて負担する債務(損害賠償債務も含む。)を同女と連帯して保証する旨約束した。

2 亡静子は、昭和五五年七月三〇日ごろ、本件建物部分内において死亡し、同年八月九日まで同室内に放置されたため腐爛死体となり(死体は、同月八日に発見された。)、同死体から本件建物部分の床面に流出した悪臭に満ちた汚物・体液が床コンクリートまで浸みこんだ。これによつて、屍臭が同室内の天井・畳・建具その他に浸透すると同時に、同室に隣接する建物部分にまで悪臭がただよつた。

3 被告らの責任原因(その一)<省略>

4 被告らの責任原因(その二)

(一) 善管注意義務違反

(1) 亡静子は、心臓病疾患のため入院し、同女が死亡する二、三日前に退院して、その後本件建物部分において独りで生活していたのであるから、原告会社に対して、同女にとつてあり得べき予見可能な病死に備えて原告会社に損害を与えないように配慮すべき本件賃貸借契約上の注意義務を負つていた。

(2) しかし、亡静子は、何ら配慮することなく死亡し、本件建物部分を2記載の状況にした。

(3) したがつて、亡静子は、原告会社に対し、本件賃貸借契約上の注意義務違反に基づく損害賠償の責任を負うに至つた。

なお、亡静子の行為は、不法行為にも該当するから、同女は、原告会社に対し、不法行為に基づく損害賠償責任も負う。

(4) 被告らは、亡静子と別紙系図記載のとおりの関係にあるところ、昭和五五年七月三〇日ごろ、同女の死亡によりそれぞれ同女の原告会社に対する前記損害賠償責任を後記相続分に応じて相続した。

(二) 原状回復返還義務不履行

(1) 被告らは、昭和五五年七月三〇日ころ、亡静子の死亡により同女の本件賃貸借契約上賃借人の地位を相続したが、被告重春と同石黒やえ子は、被告らから代理権を与えられ、同年八月一六日、原告会社との間で本件賃貸借契約を解約する旨の合意をした。

(2) この合意解約により、被告らは、原告会社に対して本件建物部分を原状回復して返還する義務を負うに至つた。

(3) 仮に被告らが不可抗力によつて生じた変更について原状回復返還義務を負わないとしても、本件賃貸借契約上、賃借人が契約終了時に原状回復する義務を負う旨の約定があるから、被告らは、これによつて原状回復返還義務を負つている。

(4) しかし、被告らは、原告会社に対し、亡静子の死亡によつて本件建物部分が2のとおりになつたのにもかかわらず、この原状回復返還義務を履行しなかつた。

5 原告会社の損害

(一)、(二)<省略>

(三) 逸失利益 四〇万円

(1) 本件建物部分の逸失賃料一九万二五〇〇円<中略>

(2) 本件建物部分の減額賃料

四万二五〇〇円

原告会社は、昭和五六年二月一日、本件建物部分を賃貸するにあたり、本件建物部分が死亡事故発生の部屋であることから、賃料を従前の月額三万五〇〇〇円から一〇〇〇円あて減額せざるを得なかつた。したがつて、原告会社は、昭和五六年二月一日から相当期間、この減額分だけ賃料が得られないことになる。

(3) 本件建物部分の隣室(四〇二号室)の逸失賃料

一六万五〇〇〇円

本件死亡事故により、本件建物部分から隣室(四〇二号室)まで異臭が浸透してきたため、同室の賃借人品川正子は、昭和五五年一一月三〇日、同室から転居し(原告会社は、同女に対する同月分の賃料債権を放棄した。)、同室は、同年一二月一日から昭和五六年三月三一日まで空室となり、原告会社は、その間、同室の五か月分の賃料(月額三万三〇〇〇円)が得られなかつた。」

【判旨】

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二同2の事実中、亡静子が昭和五五年八月八日に本件建物部分で腐爛死体で発見されたことは、当事者間に争いがなく、その余の事実は、証人北村文男の証言と被告重春の本人尋問の結果によつて認められる。

三請求原因3について<省略>

四請求原因4(一)について

亡静子が入院しており、昭和五五年七月二九日ごろ退院し、その後本件建物部分で独りで生活していたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いがない乙第一号証によると、同女は、同月二日から同月二九日までレンズ核線條体動脈出血后右半身麻痺で入院したが、その後病状が軽快したため退院したものであることが認められる。

以上の事実によると、亡静子は、病状が軽快して退院して独りで生活を始めたものであるから、当時、自分が病気で死亡することを認識していたとは考えられず、また、このことを予見することができたとも認められない(予見することができたことが認められる証拠はない。)。したがつて、請求原因4(一)の善管注意義務違反の主張は、その前提事実が認められない以上、理由がない(また、原告会社は、亡静子の不法行為も主張するが、同様の理由により同女に過失がなく、不法行為責任をも負わない。)。

五請求原因4(二)について

1 亡静子と被告らの身分関係が別紙系図のとおりであることは、当事者間に争いがない。

ところで、賃貸借は、賃借人の死亡によつて終了するものではなく、賃借権も、一種の財産権であり、賃借人の一身に専属する権利ではないから、相続されるものである。したがつて、被告らは、亡静子の死亡によつて同女の本件賃借権を相殺したことになる(その持分は、相続分に従い、被告稲葉善治、同前島和恵、同稲葉泰則が各九分の一、同石黒やえ子、同稲葉あい子、同重春が各九分の二である。)。

2 <証拠>によると、被告重春は、昭和五五年八月一六日、北村の申入れによつて本件建物部分から亡静子の家財道具を運び出したこと、同被告が同月一八日に北村に電話した際、両者間で本件賃貸借契約を終了させる旨合意したこと、同被告は、原告会社に同月分の賃料を支払つていること、その後、同被告のほかの被告らは、被告重春がした措置について何の異議を述べなかつたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

以上の事実によると、本件賃貸借契約は、昭和五五年八月末日の経過によつて終了したことになり、被告らは、原告会社に対し、亡静子又は被告らの責に帰すべき事由の有無にかかわらず、本件建物部分を原状回復の上返還する義務を負うに至つた。そして、被告らは、この義務を履行しなかつたから(履行したことが認められる証拠はない。)、原告会社に対し、不履行によつて生じた損害を賠償すべきことになる。

六損害について

1 賃貸借終了に基づく賃借人の原状回復返還義務は、賃借人の責に帰すべき事由があるかどうかにかかわらず生じるものであるから、その義務の範囲は、特別の事情がない限り、当該賃借物に限られ、それ以外の部分には及ばないと解するのが相当である。したがつて、この不履行に基づく損害の範囲も、当該賃借物の原状回復の不履行と相当因果関係にあるものに限られることになる。そうすると、原告会社の損害は、本件建物部分の原状回復の不履行に基づくものに限られ、隣室について生じた損害は含まれないことになる(特別の事情は認められない。)。

そこで、以上を前提にして原告会社の具体的損害を検討する。

2  本件建物部分の修理工事費用

一八〇万五〇〇〇円

<証拠>によると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  亡静子の死体が発見された当時の本件建物部分の状況は、死体から汚物、体液が流出して床板やその下のコンクリートにまで浸み込み、悪臭が天井、壁、床など本件建物部分のすべてに浸みついていた。。

(二)  そこで、太道土地の北村は、株式会社田島組(以下「田島組」という。)に対し、本件建物部分の修理工事をさせたところ、同社は、本件建物部分の汚損(悪臭も含む。)を修復するためには、単なる清掃だけでは足りず、天井板、壁板、床板、ふすま等を取り替える必要があるし、浴槽、便器等の住宅機器等も次の借主に対して嫌悪感を与えないために交換する必要があると判断し、この修理工事をした。そして、原告会社は、田島組に対し、修理工事代金一八〇万五〇〇〇円を支払つた。

以上の事実によると、田島組がした工事は、本件建物部分の原状回復として、やむを得ない工事であつたから、この工事費用は、損害と認めることができる。

3  事後処理費用 一〇万円

<証拠>によると、原告会社は、太道土地に対し、本件建物部分の修復に関する事後処理に要した費用として一〇万円を支払つたことが認められ、この認定に反する証拠はない。したがつて、これも損害と認めることができる。

4  逸失利益 三万三〇〇〇円

<証拠>によると、田島組の前記工事は、昭和五五年八月末日までに終了したが、本件建物部分に悪臭が残り、同年九月末日に悪臭が消えたこと、しかし、本件建物部分は、昭和五六年二月一日まで空屋であつたこと、本件建物部分の賃料は、月三万三〇〇〇円であつたこと、が認められ、この認定に反する証拠はない。

以上の事実によると、本件建物部分は、昭和五五年九月末日まで悪臭のため使用ができず、原告会社は、同月分の賃料三万三〇〇〇円を失つたことになる。しかし、それ以降は、使用が可能であつたのであるから、仮に第三者に賃貸することができなかつたとしても、それに伴う損害は、本件原状回復義務の不履行と相当因果関係にはない。

5  弁護士費用 二〇万円

原告会社が原告会社訴訟代理人に本件訴訟を委任したことは、当裁判所に顕著であり、本件訴訟の難易、訴訟代理人の訴訟活動の状況等を考慮して、弁護士費用の損害は、二〇万円とするのが相当である。

6 過失相殺について

<証拠>によると、原告会社又はその管理人太道土地は、本件建物管理上必要があるときはいつでも本件建物部分に立ち入り調査できる権限を有していたこと、亡静子が死亡した当時、本件建物部分の出入口は施錠されていなかつたこと、原告会社や太道土地は、昭和五五年八月九日まで亡静子が死亡したこととその遺体が腐乱していたことを知らなかつたこと、しかも原告会社や太道土地がこの事実を知ることができる顕著な徴候があつたとは認められなかつたこと、以上の事実が認められる。

そうすると、本件建物部分の出入口が施錠されていなかつた等の事情があるからといつて、直ちに原告会社に、亡静子の死体を早期に発見しなかつたことに過失があつたとは認めることができないし、ほかにこの点が認められる的確な証拠もない。したがつて、過失相殺の主張は理由がない。

8 以上によると、原告会社の損害は、合計二一三万八〇〇〇円である。

七被告らの責任の範囲について

被告らは、原告会社に対し、亡静子から相続した本件賃借権の持分に応じて損害賠償することになるので、その額は、次のとおりである。

1 被告稲葉善治、同前島和恵、同稲葉泰則 各二三万七五五五円

2 被告石黒やえ子、同稲葉あい子、同重春 各四七万五一一一円

八被告重春の連帯保証債務について

被告重春は、前記のとおり、本件賃貸借契約上の賃借人の債務を連帯保証したから、被告の前記原状回復返還義務についても連帯保証していることになる。

ところで、被告重春は、亡静子の死亡によつて、本件賃借人の地位も承継しているので、賃借人としての地位(主債務者)と連帯保証人としての地位を有することになる。しかし、主債務と連帯保証債務が同一人に帰属したからといつて、当然に保証債務が消滅するわけではなく(主債務と保証債務の範囲が同一のときは無意味ではある。)、しかも、被告重春が承継した賃借権は、持分九分の二だけであり、主債務の範囲と保証債務の範囲が同一ではないから、なおさらである。したがつて、被告重春は、賃借人として負担する前記損害賠償債務のほかに、連帯保証人として、他の被告らが負担する各損害賠償債務についても、当該被告と連帯して履行する義務があることになる。

(春日通良)

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