東京地方裁判所 昭和56年(ワ)3510号 判決 1985年7月05日
原告
大和田幸子
右訴訟代理人
小林元
右訴訟復代理人
藤井範弘
被告
日本国有鉄道
右代表者総裁
杉浦喬也
右訴訟代理人
山内喜明
右指定代理人
小川登
同
永島隆
同
鈴木昇
同
大逸和夫
同
吉谷清
主文
一 被告は、原告に対し、金四一一万五六三六円及び内金三七〇万六七五九円に対する昭和五二年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一一六六万九〇一九円及び内金一〇八七万〇八九一円に対する昭和五二年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。。
3 担保を条件とする仮執行の免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
原告は、昭和五二年九月一九日午前八時五五分ころ、東京都豊島区南大塚三―三三国鉄山手線大塚駅において、同線外回り電車(巣鴨方面行き電車)に乗車するため、同駅改札口を入り、巣鴨駅寄り階段を上つてホームへ出たところ、同線外回り第八二五電車(以下「本件電車」という。)が停車中で扉が開いていたため、同電車の前から二両目の車両の前から三番目の扉から乗車しようとしたものの、同電車が原告が右の階段を上つているころから停車中であつたため、間もなく扉が閉まるものと考えて乗車するのを数秒間逡巡したのち、同電車に乗車することを決め、傘を持つていた右手を身体の前に差し出すような姿勢で乗車動作を行なつた瞬間、扉が閉まつたため、傘の柄の部分を握つていた右手の甲の中央より約一センチメートル程手首に寄つた部分を扉に挾まれ、そのまま本件電車が発車したため、同電車と併走することを余儀なくされ、約4.5メートル同電車と併走したのち、ようやく傘を離して右手を扉から引き抜くことができた(右事故を以下「本件事故」という。)
2 原告の傷害及び後遺障害
原告は、本件事故により右母指MP関節尺側側副靱帯断裂の傷害を被り、その診察・治療のため別表のとおり病院等に通院したが治癒せず、右母指MP関節尺側側副靱帯陳旧性断裂により右母指MP関節の背屈が制限され、右手握力が左手と比較して約三分の二に減弱し、右手指のピッチパワー(つまみ力)が約三割に減弱し、右手母指を全く使用することができないという後遺障害が残つた。右障害は「一手のおや指の用を廃したもの」として自動車損害賠償保障法施行令第二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)第一〇級第七号に該当する。
3 責任
(一) ホームの運輸係及び電車の車掌は、ともに乗客の乗降時の安全を確認したうえ出発合図をすべき注意義務があり、また、乗客の身体が電車の扉に挾まれた場合は、電車の起動前にこれを発見するとともに、運輸係においては所携の赤旗を開いて車掌に目立つように大きく振つて危険を車掌に知らせ、車掌においては直ちに起動停止及び扉の開放の措置をとる等の各注意義務がある。
(二) しかるに、本件事故当時、大塚駅ホームの運輸係であつた森田利之及び本件電車の車掌は右注意義務をいずれも怠り、右森田は原告が扉に手を挾まれたのを現認したにもかかわらず、何ら車掌に対して危険を知らせる措置をとらず、また、本件電車の車掌は乗客の安全を確認しないまま運転手に対して出発合図を送つた結果、本件電車を発車させたもので、本件事故は、右森田及び車掌の過失によつて発生したものであるから、右両名は民法第七〇九条の規定に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任を負い、被告は、右両名の使用者であり、本件事故は右両名が被告の業務従事中に右の過失により惹起したものであるから、被告は、同法第七一五条の規定に基づき、本件事故によつて原告が被つた損害を賠償すべき責任がある。
4 損害
(一) 治療関係費
金九万八一二八円
原告は、別表記載の東京慈恵会医科大学附属病院における治療費として金七万六七〇八円を、同病院への通院交通費として金二万一四二円をそれぞれ支出し、合計金九万八一二八円の損害を被つた。
(二) 逸失利益
金七八五万〇八九一円
原告は、昭和五一年四月一日から昭和五二年三月三一日まで訴外清水食品株式会社(以下「清水食品」という。)に勤務し、その間合計金二四七万五二〇一円(一か月平均金二〇万六二六七円)の給与の支給を受け、その後同年五月から訴外理研軽金属工業株式会社(以下、「理研軽金属工業」という。)に勤務し、同年五月から同年七月までの三か月間に合計金七二万二六八八円(一か月平均金二四万〇八九六円)の給与の支給を受けていたから、本件事故により受傷しなければ、満五二歳から満六八歳までの一六年間、右清水食品及び右理研軽金属工業における各一か月平均の給与額を平均した月額金二二万三五八二円を下らない収入を得られたはずであるところ、前記のとおり等級表第一〇級第七号に該当する後遺障害を被り、その労働能力を二七パーセント喪失したから、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の受傷時における逸失利益の現価を算定すると、その合計額は次の計算式のとおり、金七八五万〇八九一円となる。
223,582×12×0.27×10.8377=
7,850,891
(三) 後遺障害慰藉料
金三〇二万円
原告が本件事故により等級表第一〇級に該当する後遺障害を被つたことは前記のとおりであり、これに、本件事故発生当時(昭和五二年九月当時)の自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の後遺障害第一〇級の保険金額が金三〇二万円であつたこと等の事情を考慮すると、原告が右障害によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、金三〇二万円が相当である。
(四) 弁護士費用
金七〇万円
原告は、被告から任意の弁済を受けられないため、弁護士である原告訴訟代理人らに対し、本訴の提起と追行を委任することを余儀なくされ、その報酬として金七〇万円を支払う旨約し、同額の損害を被つた。
5 結論
よつて、原告は、被告に対し、本件事故に基づく損害賠償金一一六六万九〇一九円及びそのうち逸失利益及び後遺障害慰藉料の合計金一〇八七万〇八九一円に対する本件事故発生の日である昭和五二年九月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実中、原告主張の日時・場所において、原告が、国鉄山手線外回り電車に乗車するため、大塚駅の巣鴨寄り階段を上り、本件電車に乗車しようとして同電車の前から二両目の車両の扉に傘を持つた右手を挾まれ、そのまま同電車が発車したが、その後、原告が傘を離して扉から右手を引き抜いたことは認めるが、その余は不知。
2 同2の事実中、原告が、その主張の日に山川病院に通院し、その後東京慈恵会医科大学附属病院に通院したこと、原告の右手のおや指の症状が既に固定していること、後遺障害として「一手のおや指の用を廃したもの」が等級表第一〇級に該当することは認めるが、その余は不知。
原告の右手母指には、現在多少の背屈障害があるのみであるから、仮に原告に後遺障害があるとしても、その程度は、たかだか等級表第一四級に該当する程度にすぎないものである。
3(一) 同3(一)の事実中、ホームの運輸係及び電車の車掌は、乗客の身体が電車の扉に挾まれた場合には、できる限り早期にこれを発見し、電車の起動の停止及び扉の開放の措置をとるべき注意義務があることは認めるが、その余は争う。
(二) 同(二)の事実中、本件事故当時、森田利之が大塚駅ホームの運輸係であつたこと、被告が、右森田及び本件電車の車掌の使用者であり、右両名が被告の業務に従事中であつたことは認めるが、その余は争う。
右森田及び本件電車の車掌には、以下述べるとおり何ら過失がないから、被告が民法第七一五条の規定に基づく損害賠償責任を負ういわれはない。すなわち、
(1) 大塚駅運輸係森田利之は、本件事故当日午前八時五五分ころ、本件電車が定刻どおりの時間に同駅に到着したので、同電車の前から五両目の車両の付近のホーム上で、主として右車両より前部における乗降客の乗降を監視していたが、乗客の乗降が途切れたので、まず四両目付近より前方の車両につき、次いで、後方の車両につき、それぞれ、乗客の乗降が終了したことを確認したのち、手笛を吹鳴したうえ、本件電車最後部にいる車掌に対して客扱い終了の合図を行なつたところ、扉が閉まりはじめたので、後方から前方へと順次扉が閉まつたことを示す側灯の消灯を確認していつた際、まず自己より後方の車両の側灯が消灯していることを確認し、その後前方を確認すべく身体を電車前方の方向に向けた瞬間、前方の車両の側灯が消灯していることを確認したが、二両目の扉付近で、原告が後部車両の方向にやや開き加減の姿勢で車両に対面し、扉に挾まれた黒つぽい傘のようなものを引張るような動作をしているのを発見したため、危険を感じ、直ちに手笛を吹鳴したうえ、原告の方へ約六ないし七メートル走り寄つたところ、本件電車が発車し、これとほぼ同時に原告が傘から手を離すのを確認した。そして、そのまま本件電車は巣鴨駅に向つて進行していつた。
右のとおり、森田は、車掌に対して客扱い終了の合図を行うにあたり、乗客の乗降が完全に終了したことを確認したうえ右の合図を行つているから、右合図を行うについて同人には過失がないし、その後、森田は、後部車両から前部車両にかけて側灯の消灯による閉扉を確認した際、原告を発見したもので、原告を発見するまでの森田の行動には何ら注意義務違反が問題とされるようなところはない。また、原告を発見したのちの森田の行動をみても、同人は、原告が扉に手を挾まれている状況を現認したのでなく、原告が車両に対面して傘のようなものを引張つている状況を現認したにすぎないのであるから、電車の起動停止や扉の開放のための措置をとるべき義務はなく、手笛を吹鳴したうえ原告に走り寄るという森田の行動は相当であつて、同人に過失はない。
しかも、仮に、森田において原告を発見したのち直ちに車掌に対して扉の開放や電車の起動停止の合図をしたとしても、車掌が右の合図を確認して扉の開放措置をとり扉が実際に開くまでには、現に森田が原告を発見してから原告が扉に挾まれた傘から右手を離すまでの時間と少なくとも同程度の時間を要するし、更には、起動しはじめた電車が実際に停止するまでには、右の時間より遙かに多くの時間を要するから、森田において車掌に対し起動の停止及び扉の開放の合図をすると否とにかかわらず、原告は、扉が開く前あるいは電車が停止する前に、扉に挾まれている傘から右手を離していることになり、森田が、車掌に対する起動停止及び扉開放の合図をしなかつたことは過失にはあたらない。
(2) 大塚駅ホームの外回り線側は進行方向に向かい右に多少湾曲しているうえ、駅中央部より巣鴨側には階段の出入口があるため、外回り電車である本件電車の車掌からは、二両目付近における乗客の乗降状況を直接見通すことができず、このため、ホームの運輸係がホーム中央付近から右の階段付近の間において主として前方車両における乗降客の安全を確認し、その結果を車掌に知らせることとしており、本件電車の車掌は、運輸係の合図を介して間接的に安全の確認ができるにすぎないから、右車掌には、乗客の安全を直接確認しうることを前提とした注意義務違反はない。
4 (一) 同4(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実中、原告が、その主張のとおりの勤務先に勤務して、その主張のとおりの給与の支給を受けていた事実は認めるが、その余は争う。
(三) 同(三)の事実中、本件事故発生当時(昭和五二年九月当時)の自賠責保険の後遺障害第一〇級の保険金額が金三〇二万円であつたことは認めるが、その余は争う。
(四) 同(四)の事実は不知、弁護士費用の請求は争う。
5 同5の主張は争う。
三 被告の主張
1 本件事故は、原告が既に本件電車の扉が閉まりはじめているにもかかわらず、閉まりかけた扉に右手を差し入れて無理に乗車しようとしたために発生したものである。すなわち、本件電車の扉は、閉扉の開始から終了までに約三ないし四秒の時間を要するばかりでなく、まず、全開時の約半分が閉じ、次いで閉扉速度を減じたうえ残りの約半分が閉じ、最後に更に閉扉速度を減じたうえ完全に閉扉する構造になつているから、仮に、原告が、閉扉しはじめる前に乗車しようとしたのであれば、完全に乗車できたはずであり、万一完全に乗車できなかつた場合であつても、扉に挾まれるのは、身体の前部に差し出した右手ではなく、頭部その他の身体部分のはずである。したがつて、原告が扉に右手を挾まれたことは、原告が既に閉まりかけている扉に右手を差し入れて無理に乗車しようとしたことの証左というべきである。
2 右のとおり、原告には、本件事故の発生につき、閉まりかけている扉に右手を差し入れて無理に乗車しようとした重大な過失があるうえ、本件事故後、医師の指示に反して右手の手術を受けなかつたという損害の発生ないし拡大についての過失もあるから、仮に、被告の責任が認められるとしても、原告の右の過失を斟酌し、少なくとも八割の過失相殺がなされるべきである。
四 被告の主張に対する認否
<省略>
理由
一請求原因1(事故の発生)の事実中、原告主張の日時・場所において、原告が、国鉄山手線外回り電車に乗車するため、大塚駅ホームの巣鴨寄り階段を上り、本件電車に乗車しようとした際、同電車の前から二両目の車両の扉に傘を持つた右手を挾まれ、そのまま電車が発車したが、その後、原告が傘を離して扉から右手を引き抜いたことは、当事者間に争いがない。
二そこで、本件事故発生の状況及び被告の責任について判断する。
1ホームの運輸係及び電車の車掌は乗客の身体が電車の扉に挾まれた場合には、できる限り早期にこれを発見し、電車の起動の停止及び扉の開放の措置をとるべき注意義務があること、本件事故当時、森田利之が大塚駅ホームの運輸係であつたこと、被告が右森田及び本件電車の車掌の使用者であり、右両名が被告の業務に従事中であつたことは、いずれも当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、
(一) 大塚駅ホームは、全長約255.8メートルで、一方が山手線外回り線用ホーム、他方が内回り線用ホームとなつており、外回り線側は、その両端付近が進行方向すなわち巣鴨方向に向つて右に若干湾曲していて、本件電車のように一〇両編成の電車が定位置に停車した場合、前から二両目付近より前方及び一〇両目付近より後方の部分がそれぞれ若干右に湾曲して停止することとなるため、電車最後部の車掌の位置からは、ホームにある柱に妨げられて、二両目付近より前方における乗客の乗降の状況を十分に見通すことができないこと、このため、大塚駅においては、運輸係がホーム中央付近から巣鴨寄りの位置にある階段付近までの間において立哨し、主として電車前部における乗客の安全を確認することとされており、車掌は、運輸係の安全確認の合図にしたがつて扉の開扉、運転手への発進合図等の措置をとることとされていること、
(二) 大塚駅においては、昭和五二年四月一日塚駅達第一号により運転作業内規が定められており、その第二条には、運転事故が発生したとき又は発生するおそれのあることを発見したときは、場内信号機又は出発信号機による停止信号の現示、信号えん管による停止信号の現示、赤色旗、赤色灯、その他あらゆる方法で緊急停止手配をとるべき旨規定されていること、
(三) 本件事故当日の午前八時五五分ころ、運輸係森田利之は、大塚駅ホーム中央よりやや巣鴨寄りの位置で立哨中、本件電車が定刻どおりの時間に到着したので、同電車の前から五両目の車両の付近のホーム上で、主として同車両より前部における乗降客の乗降を監視していたが、同時刻ころは同駅におけるいわゆるラッシュアワーの時間帯を過ぎており、乗降客が比較的少なく、乗客の乗降が途切れたので、まず四両目付近より前方の車両につき、次いで後方の車両につき、それぞれ乗客の乗降が終了し本件電車の付近には乗降客がいないことを確認したのち、乗客に間もなく扉が閉まることを警告する趣旨の手笛を吹鳴したうえ、所携の赤旗を絞つて掲げ、本件電車最後部にいる車掌に対して客扱い終了の合図を行つたところ、扉が閉まりはじめたので、後部から前部へと順次扉が閉まつたことを示す側灯の消灯を確認していつた際、まず自己より後方の車両の側灯が消灯していることを確認し、後前方を確認すべく身体を電車前方の方に向けた瞬間、前方車両の側灯が消灯していることを確認したが、自己から約五〇メートル離れた二両目の扉付近で原告が右手を扉に挾まれているのを発見したので、危険を感じて手笛を吹鳴したうえ、原告の方に約六ないし七メートル駆け寄つたが、車掌に対して危険を知らせる措置をとらなかつたため、本件電車が発進進行したこと、
(四) 一方、本件電車の車掌は、本件電車の最後部にある車掌室の付近において、直接確認できる範囲における乗客の乗降の安全を確認し、森田の前記客扱い終了の合図を確認したのち、本件電車の扉を閉扉させ、すべての扉が閉扉したことを車掌室内のランプによつて確認したうえ、運転手に対しブザーによつて発車の合図を送つたこと、
(五) 他方、原告は、大塚駅の巣鴨寄り階段を上つてホームに出た際、右の階段から最も近い本件電車二両目の前から三番目の扉から乗車しようとしたが、既に他に乗降客がなく扉が閉まりはじめているにもかかわらず敢えて乗車しようとしたため、傘の柄の部分を握つていた右手の甲の中央より約一センチメートル程手首に近い部分を閉まる扉に挾まれ、そのまま本件電車が発進進行したため、右手を扉に挾まれたまま本件電車と併走することを余儀なくされ、本件電車と約四メートル併走したのち、ようやく傘を離して右手を扉から引き抜くことができたこと、
(六) 本件電車の扉は、閉扉の開始から終了までに約二ないし三秒の時間を要し、かつ、その閉まり方は、まず全開の状態から約二分の一までが閉じ、次いで閉扉速度を減じたうえ残りのうち約二分の一が閉じ、最後に更に閉扉速度を減じたうえ完全に閉扉する構造になつていること、
以上の事実が認められる。なお、証人森田利之は、原告が扉に挾まれた黒い棒のような物を引つ張つている状況を現認したが、原告が右手を扉に挾まれた状況は現認していない旨証言するが、右証言部分は、叙上認定に供した各証拠、なかんずく、森田利之作成の昭和五六年五月一〇日付陳述書である乙第七号証には、女性客(原告を示す。)が電車の扉から手を抜いて離れた旨の記載があること、森田の立哨位置と原告との距離は約五〇メートルであつて、この距離は必ずしも原告の状況を十分確認することができない距離とは解されないうえ、当時本件電車の付近には原告のほかに乗降客がいたとか、森田から原告に対する見通しを妨げるような事情があつたとか窺われるような証拠が見当らないこと等に照らしてたやすく措信することができない。また、原告本人は、原告がホームに出る階段を上つている時から本件電車が停止していたので、間もなく扉が閉まるものと考えて扉の手前の白線のところで約一分間待つていたが、依然として扉が閉まらないため本件電車に乗車しようと考え、傘を持つた右手を前に差し出すような姿勢で乗車しようとしたとき扉が閉まり、右手を挾まれた旨供述するが、右供述部分は、前記認定に供した各証拠、ことに前示の扉の閉扉に要する時間、閉扉の状況、森田において乗客の乗降が終了し本件電車の付近に乗降客がいないことを確認したうえ車掌に対し客扱い終了の合図を行つていること等に照らしてにわかに信用することができない。他に右認定を左右するに足りる確実な証拠はない。
2右認定の事実によれば、本件電車の車掌は、原告が扉に右手を挾まれた状況を直接確認することはできなかつたものとみられるから、運輸係である森田利之の客扱い終了の合図にしたがつて閉扉の措置をとつたのち、全車両の側灯が消灯して扉が閉じたことを示す車掌室内のランプにしたがつて発車の合図を運転手に送り、その後起動停止や非常制動あるいは開扉の措置をとらなかつたことにつき直ちに過失があるものということはできないが、森田は、原告が扉に右手を挾まれた状況を現認したのであるから、直ちに所携の赤旗を広げてこれを車掌に見えるように大きく振り、危険を車掌に知らせることによつて電車の起動を停止させ、扉を開かせたうえ原告の右手を解放させる等の措置を講じさせるべき義務があつたものというべきであり、もし、森田において右の義務を尽していれば、森田が扉に右手を挾まれている原告を発見した時点では、いまだ本件電車は発車していなかつたのであるから、車掌において、運転手に対して発車の合図をせず、あるいは運転手に対して起動停止の連絡を送り、もしくは非常制動の措置を講じたうえ、扉を開けて原告の右手を解放するなどの方法によつて、原告が電車と併走しながら右手を引き抜くという結果を回避することができたものというべく、森田には運輸係としての注意義務を怠つた過失があるものといわざるをえない。
したがつて、被告は、右森田の使用者として、民法第七一五条一項の規定に基づき、本件事故によつて原告が被つた損害を賠償すべき責任があるというべきである。
三次に、原告の傷害及び後遺障害について判断する。
<証拠>によれば、原告は、本件事故により右母指MP関節尺側側副靱帯断裂の傷害を被り、その診察・治療のため別表のとおり病院等に通院したが治癒せず、現在、右母指MP関節の背屈が制限され、左手と比較して、右手握力が約三分の二に、右手指のピッチパワー(つまみ力)が約三割にそれぞれ減弱し、書字が困難で、右手で物をつかみあるいは持ち上げる等の日常作業にも支障がある状態にあること、原告は、昭和五六年一月に東京慈恵会医科大学附属病院において、前記靱帯の断裂を治療するためには手術が必要である旨診断されたが、その後現在に至るまで手術を受けていないこと、ただ、原告は、本件事故後約三年半の間は、前記靱帯の断裂があることが判明しないまま、「右手挫傷」あるいは「右母指MP開節痛」との病名により、湿布、装具の装着等の治療を受けてきたもので、昭和五六年一月に同病院において「右母指MP関節尺側側副靭帯断裂」との診断を受けてはじめて靱帯の断裂があることを知つたこと、同病院整形外科医師大久保康一は、昭和五六年一一月二日に、原告の病名を「右母指陳旧性尺側側副靱帯断裂」としたうえ、原告の右母指は、受傷後長期間を経過しているため、手術をしたとしても一〇〇パーセント機能が回復することは考えられない旨判断していること、が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右の事実によれば、原告の前記症状は既に固定した後遺障害というを妨げないものというべきであり、その症状固定日は昭和五六年一一月二日と認めるのが相当であり、またその後遺障害の程度は、等級表第一〇級第七号の「一手のおや指の用を廃したもの」にまでは至らないものの、等級表第一三級第六号の「一手のおや指の一部を失つたもの」よりは重いものとして、ほぼ等級表第一二級に相当するものと認めるのが相当である。
四進んで、損害について判断する。
1治療関係費
金九万八一二八円
原告が、東京慈恵会医科大学附属病院における治療費として金七万六七〇八円を、同病院への通院交通費として金二万一四二〇円をそれぞれ支出し、合計金九万八一二八円の損害を被つたことは当事者間に争いがない。
2逸失利益
金四八七万七九三三円
原告が昭和五一年四月一日から昭和五二年三月三一日まで清水食品に勤務し、その間合計金二四七万五二〇一円(一か月平均金二〇万六二六七円)の給与の支給を受け、その後同年五月から理研軽金属工業に勤務し、同年五月から同年七月までの三か月間に合計金七二万二六八八円(一か月平均金二四万〇八九六円)の給与の支給を受けていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告は、大正一五年一月二三日生れの女子で、本件事故当時満五一歳であつたこと、原告は、前記認定の受傷のため、昭和五二年一一月に理研軽金属工業を退職し、同年一二月から昭和五四年四月までサンヨー食品株式会社に勤務し、その間の一七か月間に合計金二〇九万九五三三円の給与の支給を受けていたが、受傷部位の痛みが回復しないため同会社を退職したこと、その後、原告は、出身地へ帰つたりアルバイトをするなどしたものの、右手に負担の少ない適職が見つからないことから、現在は無職であるが、将来適職を探して働く予定であること、が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右の事実によれば、原告は、本件事故により受傷しなければ、本件事故日以降も正常に稼働し、満六七歳に至るまでの間前記清水食品及び理研軽金属工業における各一か月平均の給与額を平均した月額金二二万三五八一円(年額金二六八万二九七二円。一円未満切り捨て。以下同様。)を下らない額の収入を得られたものと推認することができる(右推認を覆えすに足りる証拠はない。)。
そして、右認定の原告の本件事故後の稼働状況、前記認定の原告の受傷の内容、程度等に鑑みると、原告は、本件事故当日から後遺障害固定日の前日である昭和五六年一一月一日まで(合計一五〇五日間)の間において、右認定の推定収入額の少なくとも一四パーセントに相当する金額の休業損害を被つたものと認められるから、右期間における原告の休業損害は、次の計算式のとおり、金一五四万八七七三円となる(原告は、休業損害と後遺障害による逸失利益とを分別して主張していないが症状固定前における収入の減少については、これを休業損害として右のとおり算定するのが相当である。)。
2,682,972×1505÷365×0.14
=1,548,773
また、右認定の事実に、前記認定の原告の後遺障害の内容、程度、年齢等を総合すると、原告は、右の後遺障害により、その労働能力の一四パーセントを喪失したものと認めるのが相当であるから、右認定の推定収入額(年額)を基礎としてライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、症状固定時である満五五歳の時点における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は金三三二万九一六〇円となる。
2,682,972×0.14×8.8632
=3,329,160
3後遺障害慰藉料
金一三〇万円
原告が本件事故により被つた前記後遺障害の内容、程度、その他本件において認められる諸般の事情を総合すると、原告が本件事故によつて被つた後遺障害に対する慰藉料としては、金一三〇万円をもつて相当と認める。
4過失相殺
本件事故発生の状況は、前記理由二に判示したとおりであり、右の事実によれば、原告には、本件電車に乗車しようとする際、既に扉が閉まりはじめているにもかかわらず敢えて乗車しようとした過失があるものというべきであり、右原告の過失に前記認定の本件事故発生の状況等の事情を総合勘案すると、本件事故によつて原告が被つた損害については四割の過失相殺をするのが相当であると認められる。
よつて、前記認定にかかる原告の損害合計金六二七万六〇六一円に対し四割の過失相殺をすると、原告の損害は金三七六万五六三六円となる。
5弁護士費用
金三五万円
原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告から損害額の任意の弁済を受けられないため、原告訴訟代理人らに本訴の提起と追行を委任することを余儀なくされ、その報酬として金七〇万円を支払う旨約していることが認められる(右認定に反する証拠はない。)ところ、本件事案の難易、前記認容額、本件訴訟の経緯等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、金三五万円をもつて相当と認める。
五以上によれば、原告の被告に対する本訴請求は、本件事故による損害賠償として金四一一万五六三六円及びそのうち逸失利益及び後遺障害慰藉料の合計金三七〇万六七五九円に対する本件事故発生の日である昭和五二年九月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用し、なお、担保を条件とする仮執行の免脱宣言の申立については、相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。
(塩崎勤 福岡右武 小林和明)
別表
通院先
通院期間
実通院日数
山川病院
昭和五二年九月一九日
一日
東京慈恵会医科大学附属病院
形成外科
昭和五二年九月二〇日~
昭和五五年一二月一日
四六日
一心病院
昭和五六年一月八日
一日
川口医院
昭和五六年一月九日~
同月一四日
三日
東京慈恵会医科大学附属病院
整形外科
昭和五六年一月一二日~
同月二一日
二日
田端名倉堂
昭和五六年一月一九日~
同月二〇日
二日
高輪セソトラルクリニック
昭和五六年一月三〇日
一日
健光堂治療センター
昭和五六年二月二日~
同年五月一五日
一五日