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東京地方裁判所 昭和56年(刑わ)3815号 判決 1985年4月08日

《判決目次》

主文

理由

第一部 認定事実

第一節被告人両名の身上経歴等

一被告人神田侑晃の身上経歴

二カンダアンドカンパニーの経営及び営業状況等

三被告人海野義雄の身上経歴等

第二節被告人両名の間柄、被告人海野とカンダアンドカンパニーとの取引状況等

第三節益田吾郎購入のバイオリン関係

一被告人海野の東京芸大音楽学部教授としての職務行為の範囲

二益田吾郎がカンダアンドカンパニーからヨハネス・フランチェスコ・プレスセンダー製作のバイオリンを購入した経緯、被告人神田から被告人海野に支払つた謝礼等

三罪となるべき事実その一

第四節東京芸大購入のバイオリン関係

一被告人海野の職務権限

二東京芸大がヨアンネス・バプティスタ・ガダニーニ製作と称せられているバイオリンを購入した経緯等

三罪となるべき事実その二

1の事実

2の事実

第五節有印私文書偽造、同行使、詐欺関係

一犯行に至る経緯

二罪となるべき事実その三

1ジャンバティスタ・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

2J・B・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

3中村光太郎との共謀に基づく鑑定書偽造

(一)の冒頭部分

(1)の事実

(2)の事実

(3)の事実

(二)の事実

(三)の事実

(四)の事実

4ピエトロ・ガルネリウス作と偽つた鑑定書関係

5マティオ・ゴフリラー作と偽つた鑑定書関係

6ジョゼフ・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

7ジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

第二部 証拠の標目<省略>

第三部 法令の適用

一被告人神田侑晃に対し

二被告人海野義雄に対し

第四部 弁護人らの主張等に対する判断(証拠説明を含む。)

第一節弁護人らの主張等

一弁護人らの主張

1益田吾郎購入のバイオリン関係

2東京芸大購入のバイオリン関係

(一)

(二)

二証拠能力に関する総括的判断

第二節被告人両名の従前からの関係等

第三節益田吾郎購入のバイオリン関係

一事実関係

二東京芸大音楽学部教授の職務行為の範囲―学生らの使用する弦楽器に関する助言指導ないし弦楽器購入の勧告・斡旋と賄賂罪の成否について

1バイオリン専攻の学生らに対する主たる教授内容

2使用する楽器に関する助言指導の実情について

3使用する楽器に関する助言指導などと演奏技術の指導との関係等について

4楽器の選定に関する助言指導と東京芸大音楽学部教授としての職務行為

5楽器の購入の勧告・斡旋と楽器商からの利益の供与―賄賂罪の成否について

三請託の有無及び収賄罪の成否について

1被告人神田の認識、意図など

2請託の有無―推認可能な事実と自白

3現金一〇〇万円が供与された趣旨について

四結 論

第四節東京芸大購入のバイオリン関係

一事実関係

1被告人神田側の事情等

2東京芸大においてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを選定し購入するに至つた経過等

3証拠上食い違いのある部分についての検討

(一) 被告人神田が東京芸大においてバイオリンを購入する予定であることを知つた経緯について

(二) 弦楽部会が全員一致の結論でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することを決定した日などについて

(三) 被告人神田がビネロン製作のバイオリン用弓を被告人海野に供与した日にちについて

二被告人海野の職務権限

1東京芸大における楽器購入手続

(一) 東京芸大における楽器購入のための予算の配分とその執行手続について

(二) 東京芸大音楽学部における楽器購入予算の配分及び執行について

2被告人海野の職務権限

三請託の有無について

1J・B・ガダニーニ作のバイオリンの選定における被告人海野の役割

2被告人神田側の事情、意図等

3推認可能な事実と自白

4結 論

四被告人神田から被告人海野にバイオリン用弓一本が供与された時期及び趣旨について

1バイオリン用弓一本が供与された時期について

2バイオリン用弓一本が供与された趣旨について

3本件バイオリン用弓の供与・収受がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入について弦楽部会で最終的な決定を出した日以前に行なわれたことと賄賂罪の成否等について

五結 論

第五部 量刑の理由

別紙 訴訟費用負担表<省略>

主文

被告人神田侑晃を懲役二年に、被告人海野義雄を懲役一年六月に処する。

被告人海野義雄に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

被告人神田侑晃から、押収してあるバイオリン鑑定書(登録番号S―六一七。証拠等関係カード上の表示「ガダニーニの偽造鑑定書」)一通(昭和五七年押第七七一号の五)、バイオリン鑑定書(登録番号八〇一〇。証拠等関係カード上の表示「ジャンバティスタ・ガダニーニの偽造鑑定書」)一通(同押号の六)、バイオリン鑑定書(登録番号P―九八九。証拠等関係カード上の表示「ピエトロ・ガルネリウスの偽造鑑定書」)一通(封筒入り。同押号の七)、バイオリン鑑定書(登録番号S―八四三。証拠等関係カード上の表示「マティオ・ゴフリラーの偽造鑑定書」)一通(同押号の八)、バイオリン鑑定書(登録番号S―八七八。証拠等関係カード上の表示「ジョゼフ・ガダニーニの偽造鑑定書」)一通(同押号の九)及びバイオリン鑑定書(登録番号三一六五。証拠等関係カード上の表示「ジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニの偽造鑑定書」)一通(封筒入り。同押号の一〇)の各偽造部分を没収し、被告人海野義雄から、押収してあるビネロン製作のバイオリン用弓一本(同押号の一の一)を没収する。

被告人海野義雄から金一〇〇万円を追徴する。

訴訟費用は、別紙訴訟費用負担表記載のとおり各被告人の負担とする。

理由

第一部  認定事実

第一節被告人両名の身上経歴等

一被告人神田侑晃の身上経歴

被告人神田侑晃は、昭和四三年三月に東洋大学工学部応用化学科を卒業し、同年四月に同大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程に進学したが、そのころ後記二記載のとおり両親の経営する神田楽器店が倒産状態に立ち至つたことから、その後始末などの関係もあつて、一年ばかり休学して右神田楽器店の再起を図るべく自らも努力し、その後復学したものの、かたわら両親の手伝いを続け、昭和四四年一〇月右神田楽器店を法人化して株式会社カンダアンドカンパニーを設立した際には同会社の取締役となつた。そして、同被告人は、昭和四六年三月に右大学院修士課程を修了したのちは、それ以上専門分野での研究など続けることを断念して、楽器商としての仕事に専念し、次第に右会社の経営が両親の手を離れて同被告人に委ねられるようになり、昭和四八年四月ころ主として経理面を担当する母神田總子とともに右会社の代表取締役に就任し、その後は右会社の営業面については一手に取り仕切つていた者である。

二カンダアンドカンパニーの経営及び営業状況等

被告人神田の父神田平四郎は、昭和一四年ころから長野県松本市において楽器商「神田楽器店」を営んでいたが、昭和二七年ころ投資先のバイオリン製作工場が倒産したことから同店も経営困難となつて閉店するに至つた。ところが、同被告人の母神田總子は、昭和三一年ころ同被告人ら子供を連れて東京に出て、右平四郎と別居生活を続けながら楽器の訪問販売を始め、昭和三二年ころには右平四郎も上京して来たため、同人とともに再び「神田楽器店」を再開し、初めはバイオリンの訪問販売を中心に営業を行なつていたが、同店の営業は、次第に軌道に乗り、昭和四〇年ころから楽器を輸入して販売したり、更に昭和四一年ころからエレキギターの製造と輸出を始めたりするに至つた。そして、神田楽器店は、昭和四三年六月ころ、関連して始めたエレキギターの製造などの事業が行き詰まつたりしたことから、同店自身も再び倒産状態に立ち至つたが、前記一記載のとおり被告人神田も加わつて同店の再起を図り、営業資金を援助してくれる人がいたことから、昭和四四年一〇月ころ個人営業を会社組織に改め、楽器の販売、楽器の輸出及び輸入等を営業目的とする株式会社カンダアンドカンパニー(以下「カンダアンドカンパニー」という。なお、設立時の代表取締役は神田總子及び倉持俊。当時の本店及び店舗所在地は東京都目黒区目黒一丁目五番一五号倉持ビル、昭和四九年四月ころに同区目黒一丁目五番一六号国際商事ビルに移転、昭和五六年五月ころに同都品川区上大崎三丁目一番四号小杉ビルに移転。ただし、昭和五七年二月に株式会社ミュージックプラザと商号変更)を設立した。そして、カンダアンドカンパニーにおいては、昭和四七年一一月ころ、東京都内のデパートにおいて、株式会社白川総業との共同主催でバイオリンなど楽器の展示販売会を開き、更に昭和四八年六月ころ楽器の展示販売会に加え、演奏会を盛り込んだ「クレモナ栄光展」を開催したりして、主としてバイオリン等の弦楽器類の販売などを中心に営業実績を上げていき、昭和五二年九月ころ名古屋支店を開設するまでに至り、順調に会社の業績を進展させていた。とりわけ、カンダアンドカンパニーにおいては海外の業者との直接的な取引も次第に頻繁に行なうようになり、輸入する弦楽器などが量的に増加するとともに、俗にオールドバイオリンと呼ばれる高価な楽器の輸入、販売など増えて来ていた。また、国内における販売にあたつても、音楽教室を開いている街の音楽教師のほか、音楽関係の大学や高校の教師らがかなり多数固定客となり、また、これらの者の紹介を通じて学生生徒らも客になることが多く、更には音楽関係の大学、高校などとも次第に取引が行なえるようになり、職業的な演奏家や一般の顧客との間でも、次第に信用のおける楽器店という評判を高めていつていた。

三被告人海野義雄の身上経歴等

被告人海野義雄は、満四歳のころからバイオリンを習い始め、昭和二九年四月に東京芸術大学(以下「東京芸大」という。)音楽学部器楽科にバイオリン専攻の学生として入学し昭和三三年三月に同大学を卒業後、まもなくNHK交響楽団にバイオリン奏者として入団し、昭和三四年四月には右楽団のコンサートマスターとなり、更に昭和三八年ころから一年半ばかり右楽団から留学生としてヨーロッパへ派遣され、ドイツやスイスなどでいわゆるバイオリンの修業を重ねたのち、帰国後も右楽団のコンサートマスターをしていたが、昭和四五年四月右楽団を退団し、その後は独立して演奏活動を続けていた。また、同被告人は、右NHK交響楽団在団当時から国立音楽大学や桐朋学園の非常勤講師などとしてバイオリン専攻の学生らの教育に携わるようになつていたが、昭和四五年六月に東京芸大音楽学部の非常勤講師となり、更に昭和四七年五月には同大学助教授(文部教官)に採用され、昭和五〇年四月に同大学教授に昇任し(なお、昭和四八年四月からは同大学音楽学部附属音楽高等学校も兼担)、同大学音楽学部器学科(教科としては弦楽科の第二講座担当)や同大学大学院音楽研究科においてバイオリン専攻の学生らの教育指導等にあたつていた者である。

第二節被告人両名の間柄、被告人海野とカンダアンドカンパニーとの取引状況等

カンダアンドカンパニーにおいては、昭和四七年一一月ころ、前記第一節二記載のように東京都内のデパートでバイオリンなど楽器の展示販売会を開いた際、それまで被告人海野と親密な取引関係はなかつたものの、宣伝効果を狙つて、右展示会の筆頭商品であつたストラディバリウス製作のバイオリンを演奏家として名声の高い同被告人に購入させることを図り、被告人神田の父親らが被告人海野の当時の自宅を訪ねるなどして売り込み、同被告人に右バイオリンを買わせることに成功した。また、被告人海野においては、それまでカンダアンドカンパニーの店舗にはいわゆる通りがかりの客のような形で立ち寄つたりしたことはあつたものの、継続的な取引もなく被告人神田や従業員らと個人的な知合い関係もなかつたが、右ストラディバリウス製作のバイオリンを購入して取引関係が生じたのちは、カンダアンドカンパニーで弦その他の部品を買つたり楽器の修理をさせたりするようになり、昭和五〇年六月ころいわゆるセカンドバイオリン一丁をカンダアンドカンパニーで購入したころから、被告人神田が被告人海野方にバイオリンや弓などを持つて来て、同被告人に見せたり弾いてみてくれと頼んだりするようにもなり、同年一一月ころに同被告人の妻の使用するチェロ一丁を購入したりしたことなどもあつて、カンダアンドカンパニーのよい顧客の一人となり、被告人神田と個人的にもかなり親しい間柄となつて来ていた。

更に、被告人両名は、もともと被告人神田においてはカンダアンドカンパニーの営業方策として、被告人海野のように大学、高校などで学生生徒らに楽器の演奏技術等を教えたり、あるいは個人的な音楽教室など開いたりしている者(以下「教師」という。)に対しては、その教える学生生徒等にカンダアンドカンパニーで楽器を購入するよう勧告ないし斡旋をして貰うことや、学生生徒等を紹介して貰うことなどを当て込み、右学生生徒等が楽器を購入したときは教師らに斡旋などの謝礼として売上額の一〇パーセント程度の金を支払う等の措置をとることにしていたところ、昭和五一年ころから被告人海野がその指導中の学生や生徒などにカンダアンドカンパニーでの楽器の購入を斡旋したりすることが多くなつて来たこともあつて、そのころ被告人神田が被告人海野に対し、楽器商としての慣例に従い被告人海野の紹介や斡旋などで同被告人のいわゆる弟子らがカンダアンドカンパニーで楽器を購入したときは他の教師らに対すると同様の相当額の謝礼を進呈するという趣旨のことを申し出て、被告人海野もこれを了承した。そして、被告人両名は、同年五月ころから、被告人海野の指導中の学生生徒等が同被告人の紹介などでカンダアンドカンパニーからバイオリンなど楽器類を購入したときは、被告人神田がその謝礼として当該楽器の売上額の一〇パーセント前後にあたる額の現金を被告人海野のもとに持参したり、あるいはカンダアンドカンパニーから同被告人の購入した楽器等の代金の一部に充当(帳簿上は売掛金の「消込み」)という措置をとつたりし始め、被告人海野もその趣旨を了解して被告人神田の持参する現金を受け取り、また、売掛金の消込みにも応じるようになり、その後昭和五三年暮ごろまで学生生徒等にカンダアンドカンパニーの楽器の紹介や斡旋などを続け、次第に紹介や斡旋などを行なつたときはカンダアンドカンパニーから謝礼の来るのを当然のこととして予期するようになつていた。

右のほか、被告人海野は、後記第四節一記載のとおり東京芸大音楽学部器楽科の教授として、同大学における教育研究用の弦楽器類の購入に際してはその選定に参画していたが、右のように被告人神田と親しい間柄になつたのち、カンダアンドカンパニーの保有する弓やバイオリンを同大学で購入する楽器の候補として同大学に紹介するなどし、被告人海野の紹介などがきつかけになつて、同大学においてはカンダアンドカンパニーから昭和五一年三月にドミニコ・ペカット製作のバイオリン用弓一本(代金二〇〇万円)を、昭和五二年一〇月ころエミール・オッシャール製作のバイオリン用弓一本(代金三二万八〇〇〇円)及びT・カルカッシー製作のバイオリン一丁(代金三一〇万円)を購入している(ただし、カンダアンドカンパニーにおいては、右バイオリンなどのほか、他の教官らの紹介等を介して、他にも楽器類を東京芸大に売り込んでいる。)。

なお、東京芸大音楽学部の所在地は、東京都台東区上野公園一二番八号である。

第三節益田吾郎購入のバイオリン関係

一被告人海野の東京芸大音楽学部教授としての職務行為の範囲

被告人海野は、昭和五三年当時、前記第一節三記載のように東京芸大音楽学部器楽科(教科としては弦楽科の第二講座担当)の教授(文部教官)として、同大学音楽学部バイオリン専攻の学生らを教授し、その研究を指導するという職務に従事していたが、その主たる教授内容は、バイオリンの演奏法とりわけ演奏技術の指導及び楽曲の解釈の教育指導であつた。

ところで、バイオリンの演奏技術や楽曲の解釈などについて教育指導にあたる者らは、演奏技術を指導中の学生生徒らの使用するバイオリンに関しても、演奏や練習に使用する楽器の適否に直接かかわる問題として助言指導にあたることが必要的な場合もあり、また、使用するバイオリンの選定に関しても、買替えの相談を受けた場合も含め、演奏技術を指導する教師の立場でその助言指導にあたるのが一般である。助言指導の内容は、教師が異なることによつても違いがあり、助言指導にあたる際の学生生徒らの演奏技術の習得の程度、相談の内容などにより異なるものとはいえ、学生生徒らに対し、使用するバイオリンの選定に際しての一般的注意を与える場合もあり、また、その者の現在使用中のバイオリンの程度や練習状況などからいわゆる買替えを断念するよう勧告したり、あるいは、使用中のバイオリンの程度の悪さなどから取替えを指導したりする場合もある。また、教師は、学生生徒らから買替えの相談を受けたような場合には、学生の持参などしたバイオリンを試奏するなどして、その音色、音量、音の通り方、健康状態などについて判断し、その判断を前提に当該学生の相談内容に対する具体的な助言指導を行なうのが一般である。すなわち、指導中の学生生徒らの使用するバイオリンに関し助言指導することは、その選定に関するものを含め演奏技術の指導に伴う教師の教授内容の一部である。一方、学生生徒らの側においても、バイオリンの買替えなどに関し、教師のもとに相談に来るのは、教師が演奏技術の指導にあたる立場にある者として、楽器の音色、音量、音の通り方のよしあし、あるいは健康状態など判断できるのは当然のこととして、特定のバイオリンに関する場合でも、教師から右判断を前提に今後自己の使用する楽器として選定することが適当かどうかなどについて助言指導を受けられることを期待してのことであり、また、教師から助言指導を受けたときは、教師に習得度など成績評価される立場にあることもあつて、その助言指導に従うのが一般である。

被告人海野は、東京芸大音楽学部教授として、バイオリン専攻の学生に対し、演奏技術の指導などに伴い、右のような趣旨で学生らの使用するバイオリンの選定に関しても助言指導する職務を有していた。また、国立大学音楽学部の教授が右助言指導に際し、学生に対し、特定の楽器商の保有する特定の楽器の購入を勧告ないし斡旋することは、教授としての職務の域を越えるものであるが、右勧告ないし斡旋も使用する楽器の選定についての助言指導ひいては演奏技術の指導と相関連し、これら職務行為に密接な関係を有する行為である。

二益田吾郎がカンダアンドカンパニーからヨハネス・フランチェスコ・プレスセンダー製作のバイオリンを購入した経緯、被告人神田から被告人海野に支払つた謝礼等

益田吾郎は、満五歳のころからバイオリンを習い始め、昭和四九年四月東京芸大音楽学部附属音楽高等学校(以下「附属高校」という。)に進み、更に昭和五二年四月からは東京芸大音楽学部器楽科に入学し、同大学においてバイオリン専攻の学生としてその演奏技術の習得などに励んでいた者である。また、同人は、中学校に入学する直前の昭和四六年春ころから中学校を卒業するまでの間、被告人海野のもとに通つていわゆるプライベートレッスンを受けていたが、附属高校においても同被告人から実技の授業を受け、また、東京芸大においても担任の教授である同被告人から直接にバイオリンの演奏技術などの指導を受けていた。

ところで、右益田は、附属高校入学後、被告人海野の紹介により、ガダニーニスクールと称するバイオリンをカンダアンドカンパニーから代金二七〇万円位で購入して使用していたところ、低弦が鳴らないように感じられて次第に物足りなさを覚え、東京芸大に入学してまもなくから同被告人に買替えの相談をしていたが、同被告人からは「もつと練習して音を出しなさい」などという助言を受けて、その時点での買替えは断念したものの、その後、次第にいわゆる強いバイオリンが欲しいという気持が強くなり、繰り返し同被告人に右のような希望を申し述べていた。

そのうち、被告人海野も、右益田の希望を適えてやつてもよいと判断し、同人に対し自分でそのようなバイオリンを捜してみるよう指示するとともに同被告人も捜すのを手伝つてやるという趣旨のことを告げ、これに伴い、昭和五三年四月ごろ、被告人神田に対し、いわゆる強いバイオリンという観点からプレスセンダー製作あるいはロッカー製作にかかるバイオリンを捜して欲しい旨依頼した。被告人神田は、同年五月下旬に仕入れのため外国に出かけた際、被告人海野の依頼に従い、ロンドンのイーリング・ストリングス社でヨハネス・フランチェスコ・プレスセンダー製作のバイオリン(以下「プレスセンダー作のバイオリン」という。)一丁を二万五〇〇〇ドル(邦貨換算五七五万円)で購入するに至つた。そこで、被告人神田は、プレスセンダー製作にかかるバイオリンを入手した旨被告人海野に電話で連絡したうえ、同年六月二日ころ、他の二、三のバイオリンとともにプレスセンダー作のバイオリンを当時の同被告人方(東京都世田谷区成城五丁目二一番一八号所在)に持参したが、その際右バイオリンを欲しがつている者が同被告人から教育指導を受けている東京芸大音楽学部学生の益田吾郎と知つた。

そして、被告人海野は、同被告人方で早速にプレスセンダー作のバイオリンを試奏などした結果、同被告人の好みにも合つたよい楽器のように思え、また、右益田の希望にも合致するようなバイオリンと考えられたことから、被告人神田に対し「益田君のレッスンが近いうちにあるから、そのときにこのプレスセンダーを益田君に勧めてみましよう」「益田君に弾かせてみましよう」などと告げ、右バイオリンを置いて帰ることを求めた。これに対し、被告人神田も、右バイオリンを右益田に売却できる見込みが強くなつたことを知り、右益田に対する勧誘に関し、被告人海野に対しよろしく頼むという趣旨のことを述べ、右バイオリンを右益田に試奏させることも了承して、これを同被告人に預けた。続いて、被告人海野は、同月上旬、東京芸大音楽学部のレッスン室において右益田にレッスンを行なつた際、同人に対し「とてもいい楽器が一つ来たから、お父さんと相談してうちに来て弾いてみなさい」などと話し、その数日後の夜同被告人方において、同人の父親とともに訪ねて来た右益田にプレスセンダー作のバイオリンを見せ、これがプレスセンダー製作のものであつて右益田の希望するような強い音の出るバイオリンであるという趣旨のことを告げたうえ、同人に試奏させたり、同被告人が試奏してやつたりし、更に、同人に対し「益田君、これをうちに持つて帰つて、しばらくの間弾いてみなさい」などと助言し、また、よいと思えば買うのがいいのではないかという趣旨のことを申し向けながら、同人に右バイオリンを持ち帰らせた。

右益田は、当初は、右バイオリンについて張りの極めて強い、同人にとつて「かなわない」楽器という印象を受けていたものの、その後一週間位同人方でこれを弾いてみているうち、自分の希望していたような楽器と思えたこともあつて、同人の父親とも相談したうえ、被告人海野の勧めに従い右バイオリンを購入することにほぼその意を固め、その直後、同被告人のもとに赴いてその旨報告したところ、同被告人から「あれを持つたら一生使える。とても素晴らしい楽器だと思うから、よかつた」などという言葉で賛同の意を表明されたうえ、買うことに決めた旨早速にカンダアンドカンパニーに連絡するようにという指図を受けた。そこで、右益田は、同月一五日、カンダアンドカンパニーの事務所(東京都目黒区目黒一丁目五番一六号所在の国際商事ビル内)に右益田の父親とともに赴き、カンダアンドカンパニーとの間でプレスセンダー作のバイオリンを代金八八〇万円で購入するという売買契約を締結し、同年七月二六日に三〇〇万円、同年八月一九日に五八〇万円を支払つた。

ところで、被告人神田は、前記第二節記載のとおり被告人海野との間で、同被告人の斡旋ないし紹介により学生生徒らが楽器を購入したときは同被告人に一定範囲の謝礼を提供することが相互の了解事項となつていたことから、右のように同被告人の斡旋によりプレスセンダー作のバイオリンを右益田に代金八八〇万円で売却できることになつたことに伴い、同被告人に対し謝礼を払わなければならないと考えていたが、同年七月二六日に右益田から三〇〇万円が入金されたこともあつて、右バイオリンについては手元に六五〇万円が残れば十分採算が合うものと計算し、八八〇万円との差額分二三〇万円を同被告人に謝礼として供与できると考えるに至つた。そして、被告人神田は、その直後ころ、被告人海野に電話をかけ、右バイオリンが右益田に売却できた謝礼として二三〇万円を供与したい旨申し入れたところ、同被告人から多額すぎるなどと言われ、右電話で話し合つた結果、同被告人の納得できる金額ということで、結局一〇〇万円位を同被告人に供与することになり、同被告人においてもこれを了承した。また、被告人海野は、当時自動車を購入する計画があつたところ、右電話後まもなく、割賦で支払うその代金のいわゆる頭金にあてる金員を早急に調達する必要を生じ、右のように被告人神田から一〇〇万円位の供与の申入れを受けていたことから、これを利用しようと考え、同年八月一〇日ころ、同被告人に電話をかけ、右謝礼の支払を早急に受けたい旨告げ、同被告人においてもこれを一両日中に被告人海野方に持参することを約した。

三罪となるべき事実その一

被告人海野は、前記一記載のとおり、東京芸大音楽学部器楽科(教科としては弦楽科の第二講座担当)の教授(文部教官)として、同大学音楽学部バイオリン専攻の学生らに対し、バイオリンの演奏技術の指導に伴い同学生らの使用するバイオリンの選定に関しても助言指導する職務に従事していた者であるが、昭和五三年六月二日ころ、東京都世田谷区成城五丁目二一番一八号所在の当時の被告人海野方において、前記二記載のように被告人神田から、被告人海野において教育指導中の同大学音楽学部バイオリン専攻の学生益田吾郎に対し同人の使用するバイオリンの選定に関し助言指導を行なうにあたつてはカンダアンドカンパニーの保有するプレスセンダー作のバイオリン一丁(価格八八〇万円相当)を選定購入するよう勧められたいという趣旨の請託を受け、同年八月一一日ころ、右被告人海野方において、右請託の趣旨に従つた尽力に対する謝礼として供与されるものであることを知りながら、被告人神田から現金一〇〇万円の供与を受け、もつて、公務員たる自己の前記職務に関し賄賂を収受した。

第四節東京芸大購入のバイオリン関係

一被告人海野の職務権限

被告人海野は、昭和五三年ないし同五四年当時、前記第三節一記載のとおり東京芸大音楽学部器楽科(教科としては弦楽科の第二講座担当)の教授(文部教官)であつた。

ところで、東京芸大においては、右当時、学長が毎年度同大学に示達のあつた予算全体について、評議会に諮問したうえ、学内の配分を決定し、次いで各学部の教授会が当該学部内における具体的配分を決定し執行することとされていたところ、音楽学部(同学部には、器楽科など六学科が置かれているが、各学科に一又は二以上の教科((合計一三))が置かれ、更に一般教育教科がある。)における楽器類購入費については、教授会の下部機構である楽器購入委員会(学部長、各教科の主任教授計一四名、事務長ほか事務職員三名で構成)が年度初めに各教科から提出された楽器購入の希望を調整して、その総枠及び各教科に対する配分案すなわち楽器購入計画案を作成し、教授会が右委員会の案どおり決定するのが通例であつた。

そして、各教科に配分された楽器類購入費に基づく実際の楽器の購入についても、予算の執行として、同学部の教授会にその最終的な決定権限があつたが、楽器類が各教科における教育研究用の備品であり、しかも実際上も教育研究の任にあたる当該教科の教官以外にその選定をなしえないことから、個々具体的な購入楽器を選定することは、教授会の事実上の委任により、当該教科の常勤教官から構成される会議(弦楽科ではこれを「弦楽部会」又は「弦部会」と呼んでいる。以下「弦楽部会」という。)がこれを行なうことになつており、同会議で特定の楽器を選定購入することにしたときは、楽器購入計画に基づいている限り、直ちに実際の購入のための事務手続が進められるのが常であつた。

被告人海野は、右のとおり、東京芸大音楽学部教授の職にあつて、同学部教授会の一員として、かつ、同教授会の下部機関である弦楽部会の構成員として、同学部で教育研究用の弦楽器類を購入するにあたつては、自ら候補となりうる楽器を捜し、また、候補となつた個々具体的な楽器についてその性能や健康状態などを検分、調査し、評価し、弦楽部会における審議や最終的な評決などに加わることも同被告人の職務であつた。すなわち、同被告人は、東京芸大(音楽学部)の購入する教育研究用の弦楽器類を選定する職務権限を有していた者である。

二東京芸大がヨアンネス・バプティスタ・ガダニーニ製作と称せられているバイオリンを購入した経緯等

被告人神田は、昭和五三年九月ころ、前記イーリング・ストリングス社でヨアンネス・バプティスタ・ガダニーニ(Joannes Baptista Guadagnini。なお、名前の呼び方としては、ラテン語で綴つた場合ヨアンネス((Joannes))となり、イタリア語で綴つた場合はジョバンニ((Giovanni))となる。被告人神田は、帳簿等においてはジョバンニと記載している。)製作と称せられているバイオリン(以下「J・B・ガダニーニ作のバイオリン」という。)一丁を三万七〇〇〇ポンド(邦貨換算約一五〇〇万円)で仕入れて来たことから、なお委託販売の形はとつていたものの、右バイオリンを一八〇〇万円位で早く売却したいものと考え、右バイオリンにかかる鑑定書が未着であつたため、後記第五節二の2認定のとおりランバート・ウォリツアー社作成名義の鑑定書(ただし、バイオリンの製作者名として「ジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニ」と記載したもの)を偽造するなどして、同年一一月中旬ころ、福岡市在住の音楽家のもとに出かけて右バイオリンの売込みを図つたが、結局売れずに返品されるに至つた。

ところで、東京芸大音楽学部では、昭和五三年度においては楽器類購入費の予算として七五〇〇万円を計上し、楽器購入委員会が年度当初に立てた楽器購入計画に従つて現実の楽器購入を進めていたところ、予定と異なり適当な楽器が見つからないなどということから、同年一二月五日現在において、一八〇〇万円余りの予算執行残の生じることが確実となり、不確実なものを含めると四六〇〇万円余りの楽器類購入費が予算未消化のまま残るおそれのあることが判明した。そのため、同学部では、二〇〇〇万円の枠内で第二次の楽器購入計画を立てることになり、各教科から改めて購入希望を出させることとなつて、その一つである弦楽科に対しても事務関係職員から同教科の主任教授である堀江泰(以下「堀江教授」という。)にその旨の連絡があつた。

そこで、東京芸大音楽学部器楽科弦楽科(以下「弦楽科」という。)においては、堀江教授が直ちに弦楽部会を招集し、同月七日ころ、堀江教授はじめ、副主任教授である被告人海野、更に岩﨑吉三教授、福元裕教授、多久興教授、山岡耕筰助教授、日高毅助教授、浅妻文樹助教授、三木敬之助教授及び江口朝彦助教授の全教官の出席した同部会で協議した結果、もともと右教官らの間では年度初めから教官が授業の際などに用いることのできる相当程度高級のバイオリンを購入したいという希望が強く、年度当初の楽器購入計画に繰り入れられなかつたものの、その後折にふれ堀江教授らが学部長等に要望し続けていたこともあつて、右二〇〇〇万円という枠内であればバイオリンの購入が第二次の購入計画に組み入れられることが確実な状況にあつたことから、急ぎ適当なバイオリンを選定しその購入を希望しようということになり、そのため、まず教官らにおいて手分けしてその候補となるバイオリンを捜すことにした。そして、堀江教授は、右協議の結果に基づき、同月中旬ころ、二、三知合いの楽器店に電話して在庫の有無を尋ねたほか、カンダアンドカンパニーの事務所にも電話し、被告人神田に対し、東京芸大でバイオリンを購入できることになつたので適当なバイオリンを捜しているという趣旨のことを話し、当初同被告人が価格二五〇〇万円位のストラディバリウス製作のバイオリンがあると言つたのに対しては、高額すぎる旨告げたが、続いて同被告人が次の価格帯のものとして千七、八百万円位のJ・B・ガダニーニ製作のバイオリンがあると申し出たことから、同被告人に対し右バイオリンを被告人海野のもとに持参して下見して貰うようにという指示を与えた。

一方、被告人神田は、前記のとおりJ・B・ガダニーニ作のバイオリンについては高額なものでもあつて、早く売却先を見つけたいという気持が強かつたところ、堀江教授から右のような電話を受けたことから、右バイオリンを東京芸大に売り込む好機と考え、右電話の直後ごろ、被告人海野方(所在地は、前記第三節三記載のとおり)に電話して、同被告人に対し、カンダアンドカンパニーで保有しているJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを同被告人のもとに持参して東京芸大(音楽学部)で購入する楽器の候補になりうるかどうか下見して貰うようにという指示を堀江教授から受けた旨伝えるとともに、右バイオリンは東京芸大の今回の予算に見合うよい楽器であるという趣旨のことを話して暗に同被告人の尽力を求め、更に同被告人と同被告人方を訪れる日時を打ち合わせたうえ、同月中旬の右打ち合わせた日時に、右バイオリンを持参して同被告人方を訪れた。そこで、被告人海野は、同被告人自身堀江教授から被告人神田と連絡をとつてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを下見として検分試奏などしておいて欲しいという要請を受けていたこともあつて、その際直ちに右バイオリンを手に取りその健康状態などを調べたり、これを試奏したりし、また、試奏にあたつては被告人海野の所有するストラディバリウス製作のバイオリンと弾き比べるなどしたが、被告人神田の持参した右バイオリンが東京芸大において今回購入する楽器の候補の一つになりうると思えたことから、同被告人に右バイオリンを持ち帰らせるにあたり、同被告人に対し「なかなかいい音なので、候補の一つになるから芸大の方へ連絡して持つて行きなさい」などと告げた。これに対し、被告人神田は、被告人海野の右のような態度から右バイオリンを東京芸大に売却できる見込みの生じたことを知り、これを喜ぶとともにその実現を図るため、すでに同被告人においては自己の意図を十分に察知してくれているものと考えながら、なおも右言葉に対する応答などを通じ、被告人海野に対し、東京芸大での右バイオリンの購入方についてこれからも尽力して貰えることを望んでいるという自己の気持を伝えた。

堀江教授は、その後まもなく、被告人海野から右下見の結果について、被告人神田の持参したJ・B・ガダニーニ作のバイオリンは弦楽部会で審査するだけの価値のある楽器であるという趣旨の報告を受けたことから、同月二〇日ころ被告人神田に電話で東京芸大のために取つておいて欲しいという趣旨の連絡をし、更に昭和五四年一月上旬、同被告人に対し同じく電話でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを東京芸大に持参するよう指示し、同月一一日ころ同被告人をして右バイオリンを同大学音楽学部事務部会計係のもとに届けさせた(その際、被告人神田は、後記第五節二の2記載のとおり、右バイオリンがジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明する趣旨のランバート・ウォリツアー社作成名義の偽造鑑定書を右バイオリンとともに同会計係に提出した。)。

弦楽科においては、右一月一一日、東京芸大音楽学部構内の弦楽教官室において、全教官が出席して購入楽器選定のための弦楽部会を開き、J・B・ガダニーニ作のバイオリンのほか、他の楽器商らから持ち込まれていたバイオリン数丁についても選定作業を始めたが、J・B・ガダニーニ作のバイオリン以外のバイオリンは価格的にも非常に安く、程度の低いものであつたことから直ちに選定の対象外となり、対象としてはJ・B・ガダニーニ作のバイオリン一丁にしぼることになつた。そして、同部会においては、被告人神田が前記のように音楽学部事務部会計係に持参した右バイオリン自体がすでにその席上に届けられていたので、各教官がそれぞれに右バイオリンを手に取つて健康状態などを調べたり、また、被告人海野が堀江教授の指示に従い右弦楽教官室や右音楽学部構内の第六ホールで右バイオリンを試奏し、その際、東京芸大保有のストラディバリウス製作のバイオリンと弾き比べたりし、かなりの時間をかけて検討したが、一〇名の教官中九名が購入に賛成の意思を表明したにもかかわらず、前記山岡助教授が右バイオリンを見た印象としてあまりよい感じがしない、感覚的に製作年代が多少新しいもののように思えるという趣旨の難色を示したため、当時弦楽部会としては楽器の購入の決定については全員一致の結論を原則としていたところから、引き続き慎重に検討することになつた。

そのようなことから、弦楽科として、同月一八日に音楽学部教授会が開かれた際、主任教授である堀江教授が学部長や評議員らに対し右バイオリンの試奏を聴いて購入の当否について意見を聞かせて欲しいという趣旨の依頼をし、右教授会が終わつたのち、右教授会の開かれた会議室で、学部長及び評議員三名のほか弦楽科常勤教官らが聴く中で、被告人海野が堀江教授の指示に従い右バイオリンを試奏し、その際東京芸大保有のストラディバリウス製作のバイオリンや、同被告人が自ら携えて来ていた同被告人所有の前記ストラディバリウス製作のバイオリンと弾き比べるなどということも行なつたうえ、堀江教授が学部長や評議員らの意見を聞いたところ、右の者らはいずれもJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入に好意的な意見を述べた。また、前記一月一一日の弦楽部会において、弦楽器について技術的に詳しい第三者に右バイオリンを見せ、その者の意見も聞こうという話も出ていたことから、その後、前記日高助教授が同助教授の知合いで、バイオリンの鑑識にかけては有名な、自らもバイオリンの製作にもあたつている楽器商のもとにJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを持参し、推定される製作者、製作年代などについて意見を求め、右楽器商から「右バイオリンがJ・B・ガダニーニ製作のものかどうかは断定できないが、相応の価値のあるよい楽器と思われる」旨の回答を得て、同月下旬ころ、その旨堀江教授に報告していた。

一方、被告人神田は、同月一八日過ぎころ、堀江教授から電話で、J・B・ガダニーニ作のバイオリンについて本物かどうか疑念を抱いている教官がいるという趣旨の連絡を受け、同被告人としてはこれを具体的には右バイオリンのスクロール部分がJ・B・ガダニーニ製作のものではないという疑いを抱かれたものと受け取り、堀江教授に対し右バイオリンがJ・B・ガダニーニ製作のものであることを科学的に明らかにしたい旨申し出て、同月下旬あるいは同年二月一日ころ、フルオーテストと呼ばれる検査機械(バイオリンのボデー部分等に紫外線を照射してニスの塗布状態などを調べることのできる機械)を前記弦楽教官室に持ち込み、弦楽科の常勤教官らの前で右機械を用いて、J・B・ガダニーニ作のバイオリンのボデーに塗られたニスがスクロール部分を含めすべて同一時期に塗布されたものであることを示すなどした。

そして、弦楽科においては、同年二月一日、弦楽部会を開き、以上の検討の過程で前記山岡助教授も購入に反対しないという態度をとるようになつていたこともあつて、弦楽科の常勤教官全員一致の意見で、J・B・ガダニーニ作のバイオリンを授業などの際教官の用いる楽器として選定し、購入手続を進めることを最終的に決定した。そこで、東京芸大においては、音楽学部としてもすでに前記第二次の楽器購入計画の中に弦楽科の希望するバイオリンの購入を組み入れることにしていたこともあり、同日ころ、堀江教授から同学部事務部へ弦楽科で右決定をした旨の連絡があつたことに基づき、以後、右事務部及び同大学事務局の担当職員らがJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するための事務手続を進め、かたわら右事務部の職員らが被告人神田と交渉して右バイオリンの購入価格を一六〇〇万円とすることに話を決め、また、弦楽科常勤教官らが同月一五日付で右バイオリンにかかる選定理由書及び評価書(評価額一六〇〇万円)を作成し、その後同大学内の所定の決裁手続を経て、同月二一日付で最終的に右バイオリンを購入することを決定し、そのころ、同大学支出負担行為担当官である同大学事務局長とカンダアンドカンパニーの代表取締役である被告人神田との間で、右バイオリンを代金一六〇〇万円で購入することを内容とする正規の物品供給契約(契約書は右二月二一日付)を締結した。

三罪となるべき事実その二

被告人神田は、昭和五三年ないし同五四年当時、前記第一節一記載のとおりカンダアンドカンパニーの代表取締役であつた者、また、被告人海野は、前記一記載のとおり、右当時、東京芸大音楽学部器楽科(教科としては弦楽科の第二講座担当)の教授(文部教官)の職にあつて、同学部の教授会の一員として、かつ、同教授会の下部機関である弦楽部会の構成員として、同大学(音楽学部)の購入する教育研究用の弦楽器類を選定する職務権限を有していた者である。

1被告人神田は、昭和五三年一二月中旬、前記二記載のように東京都世田谷区成城五丁目二一番一八号所在の被告人海野方に電話して、カンダアンドカンパニーの保有するJ・B・ガダニーニ作のバイオリン一丁(価格一六〇〇万円相当)を東京芸大(音楽学部)の購入する楽器の候補として同被告人に下見して貰うため右被告人海野方に持参することなどについて同被告人と打ち合わせた際、前記職務権限を有する同被告人に対し、右バイオリンを同大学(音楽学部)が教育研究用の弦楽器として購入するようその選定に尽力されたいという趣旨の請託をし、更に、その数日後ころ、右打合せに従い、前記二記載のように右バイオリンを右被告人海野方に持参した際、同所において、引き続き同被告人に対し右同様の趣旨の請託をし、昭和五四年一月下旬ころ、右被告人海野方において、同被告人に対し、右請託の趣旨に添つた尽力に対する謝礼の趣旨でビネロン製作のバイオリン用弓一本(価格約八〇万円相当。昭和五七年押第七七一号の一の一)を供与し、もつて、公務員たる同被告人の前記職務に関して賄賂を供与した。

2被告人海野は、昭和五三年一二月中旬、右被告人海野方において、右1記載のように被告人神田から電話で同記載のような趣旨の請託を受け、引き続いて、その数日後ころ、右1記載のように同被告人がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを右被告人海野方に持参した際、同所において、被告人神田から右同様の趣旨の請託を受け、昭和五四年一月下旬ころ、右被告人海野方において、右請託の趣旨に添つた尽力に対する謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら、被告人神田から右1記載のバイオリン用弓一本の供与を受け、もつて、公務員たる自己の前記職務に関し賄賂を収受した。

第五節有印私文書偽造、同行使、詐欺関係

一犯行に至る経緯

被告人神田は、前記第一節一及び二記載のとおり、昭和四六年四月ころからはカンダアンドカンパニーの経営に専念し、昭和四八年四月ころ経理面を担当する母神田總子とともに右会社の代表取締役に就任し、その後は右会社の営業面については一手に取り仕切つていた者であるが、カンダアンドカンパニーにおいては設立後しばらくするうち、海外の業者との直接的な取引も次第に頻繁となり、被告人神田自身昭和四七年五月ころヨーロッパ各国に赴いて業者のもとを巡り歩いたのを最初として、自ら外国の業者のもとに出かけて仕入れる品物を選定するということをしばしば行なうようになり、輸入する弦楽器などが量的にもかなり増加するとともに、俗にオールドバイオリンと呼ばれる高価な楽器の輸入、販売なども増えて来ていた。このような折から、被告人神田は、バイオリンの輸入にあたつては、ロットバイオリンと呼ばれるオールドバイオリンに属しながらも安価で、いわゆる名器でないバイオリンを数十丁ひとまとめで仕入れ輸入するということもしばしば行なつていたところ、ひとまとめの中には壊れたものもある一方、若干は高級なものも入り混じつているのが通常であつたことから、ロットバイオリンについてはカンダアンドカンパニーで楽器の修理、調整などを担当していた番場順に指示して、ひとまとめの中から高級なものを選び出させて調整させたり、あるいは一部壊れたり補修を必要とするものについては他のバイオリンから取りはずした部品を修理材料にして手を加えさせたりし、こうして再生したものをオールドバイオリンとして客に販売するのが常であつた。

ところで、被告人神田は、いわゆる手造りのバイオリンに通常貼つてある製作者の名前、製作年代、製作場所等を表示したラベルについて、これが本来ならば製作者などを示すものとして当該バイオリンが高級なものかどうかを判定する手がかりとなるものであるにもかかわらず、オールドバイオリンの製作された地例えばイタリーなどにおいてすら、古くから、名器と呼ばれるバイオリンを真似て作つたいわゆるコピーなどにその名器と同じラベルを貼るなどということも行なわれており、また、もともと貼つてあつたラベルが修理の際にはがれたりすることもあつて、偽物に名器のラベルなどの貼られている例がかなり多く、わが国の業界においてもラベルを勝手にはがしたり異なる製作者のラベルを貼りつけたりということがかなり野放図に行なわれているなどと聞き知つていたところ、右のようにロットバイオリンに手を加えたものなどを販売するについて、さほど専門家でない客などにおいては右のような業界の事情など知らず、貼られたラベルを見て著名な製作者の作つたオールドバイオリンなどと喜んで買つていくと思われたことから、右番場と相談して、名器の製作者の名などを書いた偽のラベルを作り、これを右再生バイオリンに貼りつけるなどして、その販売に利用していた。更に、被告人神田は、カンダアンドカンパニーを訪れた客らにおいてもオールドバイオリンを購入した場合など製作者や製作年代などを記載した証明書や鑑定書の添付を求めることが多いことから、仕入先から権威ある鑑定人作成の鑑定書などを入手できない場合や、客から催促されているにもかかわらず仕入先からは鑑定書や証明書をなかなか送つて来ない場合など、これに代わるものが欲しいと思うことも多く、また逆に、著名な製作者の作つたバイオリンを真似て作つたいわゆるコピーなどに本物であるという趣旨の偽りの鑑定書などが添付してあれば、客らがこれを本物と考えて購入することも見込まれたため、右番場との間で鑑定書を偽造することなども時折話題にのせていたが、昭和四九年ころ、鑑定書の作成者としては権威があるとされていたアメリカの楽器商ランバート・ウォリツアー社が閉鎖されたという話を聞いたのを機に、右番場との間でランバート・ウォリツアー社名義の偽の鑑定書を作ろうなどと話し合い、被告人神田が同社作成の真正な鑑定書を二通所持していたことから、とりあえずこれをモデルに偽造に用いる鑑定書用紙を調達することにし、右番場が知合いの印刷業者に頼んで右真正な鑑定書に似た用紙二〇〇枚位を印刷させた。

ところが、被告人神田は、右印刷した鑑定書用紙が印刷の粗悪なものであつたため、これを用いて鑑定書を偽造などするには至らなかつたところ、昭和五〇年四月ころ、カンダアンドカンパニーの客の一人でかねてから個人的にも親しい交際をしていた中村光太郎から、同人の所持していた外国の楽器商名義の偽の鑑定書用紙を見せられたりしたことから、同人との間で偽の鑑定書を作ることなど話し合つているうち、同人には印刷業者の知合いがいるということであつたため、再度ランバート・ウォリツアー社の鑑定書用紙を印刷することにし、同被告人の所持していた前記真正な鑑定書二通を預けるなどして同人に右鑑定書用紙の印刷を依頼した。そして、被告人神田は、同年七月ころ、右中村から、レターヘッド用紙に右真正な鑑定書に似た地紋を刷り込み、また、その頭部にランバート・ウォリツアー社の社名や所在地が英字で印刷され、その下方に横罫を引き、英文で定型的な証明文言のほか、登録番号欄、日付欄、バイオリンの寸法欄などが印刷されている鑑定書用紙(以下「偽ウォリツアー鑑定書用紙」という。)五〇〇枚位を受け取り、その後しばらくの間、鎌倉市今泉所在の当時の被告人神田の住居にこれを保管していた。

二罪となるべき事実その三

1ジャンバティスタ・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

被告人神田は、昭和五一年九月初めにカンダアンドカンパニーで仕入れたカミリオ・カミーリ製作のバイオリン一丁にJ・B・ガダニーニ製作というラベルが貼つてあつたことなどから、販売にあたつてはこれをジャンバティスタ・ガダニーニ製作のバイオリンであるように装うことにし、そのためにランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造しようと企て、同月中ごろ知合いの者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、同年一〇月初めころ、東京都目黒区目黒一丁目五番一六号所在の国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を被告人神田の妹神田久子(カンダアンドカンパニーの経理担当、昭和五五年五月に婚姻により「松澤」と改姓)に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「8010」と、日付欄に作成年月日として一九六六年五月一〇日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてニューヨークのJ・K・ハッターに我々が売り渡したバイオリンは一七五七年にジャンバティスタ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記知合いの者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通(前記押号の六)の偽造を遂げた。次いで、被告人神田は、昭和五一年一〇月五日ころ、右カンダアンドカンパニー事務所内において、東京芸大音楽学部学生深沢いさ子に対し、あたかも右バイオリンがジャンバティスタ・ガダニーニ製作のバイオリンであるように装つてその購入方を勧めるとともに、右偽造したバイオリン鑑定書一通を真正に作成されたもののように装い提示して行使し、右深沢をして右バイオリンが真実ジャンバティスタ・ガダニーニ製作のものと誤信させ、よつて、同日同事務所内において、右バイオリンの売買代金名下に右深沢から現金八二〇万円の、同年一二月二五日ころ同事務所内において、同女の母深沢久子を介し右深沢いさ子から同じく売買代金名下に現金九二万五〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取した。

2J・B・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

被告人神田は、前記第四節記載のJ・B・ガダニーニ作のバイオリン一丁について、委託販売の形はとつていたものの仕入代金の極めて高額のものであつたことから、早く販売先を見つけたいと考えていたところ、仕入先のイギリスの楽器商から当該楽器商の作成した鑑定書は貰つていたものの、知名度の低いものであつたためいわば権威のある鑑定書をもう一通送つて貰う約束になつていたが、仕入後一か月ばかり経つた昭和五三年一〇月半ばに至つてもこれを送つて来なかつたため、客などに見せるものとしてランバート・ウォリツアー社作成名義の鑑定書を偽造することにし、そのころ知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、同月下旬、前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を被告人神田の妻神田順子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「S―617」と、日付欄に作成年月日として一九六四年五月一日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてロンドンのオリーブ・メード夫人の所有するバイオリンは一七六二年にジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田順子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通(前記押号の五)の偽造を遂げ、次いで、昭和五四年一月一一日ころ、同都台東区上野公園一二番八号所在の東京芸術大学音楽学部事務部事務室において、前記第四節二記載のとおり右バイオリンが同大学で購入する楽器の候補になつたことに伴い、これを同大学関係職員らに検分などして貰うため同大学に持参した際、右事務部会計係主任濵陽明に対し、右偽造した鑑定書一通を真正に作成されたもののように装い提出して行使した。

3中村光太郎との共謀に基づく鑑定書偽造

(一) 被告人神田は、昭和五三年五月ころ、前記中村光太郎から、同人が音楽学校を設立するための資金を金融機関から借りるに際し、同人の所有するバイオリン三丁をそれぞれガルネリウス、ゴフリラーあるいはマジーニ製作のバイオリンであるように装うなどして有利に金融を得たいのでランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書三通を偽造するのに協力して欲しい旨依頼されてこれを承諾し、こうして被告人神田と右中村との間で、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書三通を偽造することの共謀を遂げた。

(1) 被告人神田は、右中村とともに、右共謀に基づき、右三丁のバイオリンのうちマテオ・ゴフリラー製作というラベルの貼つてあつた一丁について、これをマテオ・ゴフリラー製作のバイオリンであるように装うことにし、同月中旬ころ、右中村が同人の知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、被告人神田が前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田久子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「4851」と、日付欄に作成年月日として一九七三年四月一四日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてニューヨークのピーター・コムロス氏の所有するバイオリンは一七三九年にマテオ・ゴフリラーによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、そのころ、右中村が東京都内の同人の住居において、ありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通の偽造を遂げた。

(2) 被告人神田は、右中村とともに、右共謀に基づき、右三丁のバイオリンのうちパオロ・マジーニ製作というラベルの貼つてあつた一丁について、これをパオロ・マジーニ製作のバイオリンであるように装うことにし、昭和五三年五月中旬ころ、右中村が同人の知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、被告人神田が前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田久子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「5135」と、日付欄に作成年月日として一九七三年四月二〇日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてフロリダ州マイアミのウイリアム・テイラー氏の所有するバイオリンは一六三九年にG・パオロ・マジーニによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、そのころ、右中村が東京都内の同人の住居において、ありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通の偽造を遂げた。

(3) 被告人神田は、右中村とともに、右共謀に基づき、右三丁のバイオリンのうちヨゼフ・ガルネリウス製作というラベルの貼つてあつた一丁について、これをヨゼフ・ガルネリウス製作のバイオリンであるように装うことにし、昭和五三年五月中旬ころ、右中村が同人の知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、被告人神田が前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田久子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「2351」と、日付欄に作成年月日として一九七三年一〇月五日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてロンドンのA・T・ホーソン氏の所有するバイオリンは一七四〇年にヨゼフ・ガルネリウスによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、そのころ、右中村が東京都内の同人の住居において、ありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通の偽造を遂げた。

(二) 被告人神田は、昭和五四年三月下旬ころ、前記中村光太郎に対し、カンダアンドカンパニーの仕入れていたロットバイオリンの中からイギリスのトンプソン製作というラベルの貼つてあつたバイオリン一丁を売り渡していたが、同年四月上旬ころ、右中村から、右バイオリンがガダニーニ製作のバイオリンに似ていたことなどから、これをJ・A・ガダニーニ製作のバイオリンであるように装いたいのでランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造するのに協力して欲しい旨依頼されてこれを承諾し、こうして被告人神田と右中村との間で、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書一通を偽造することの共謀を遂げた。そして、被告人神田は、右中村との共謀に基づき、同年四月上旬ころ、知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田久子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「S―845」と、日付欄に作成年月日として一九七三年一〇月二四日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてマサチューセッツ州ボストンのブライアン・パーキンソンの所有するバイオリンは一七五〇年にヨアネス・アントニオ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通の偽造を遂げた。

(三) 被告人神田は、昭和五四年五月ころにカンダアンドカンパニーで仕入れたバイオリン一丁にストラディバリウス製作というラベルが貼つてあつたことなどから、同年七月上旬ころ、右バイオリンを前記中村光太郎に売り渡した際「ラベルは本物だ」などと話したところ、同人から、これをストラディバリウス製作のバイオリンであるように装いたいのでランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造するのに協力して欲しい旨依頼されてこれを承諾し、こうして被告人神田と右中村との間で、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書一通を偽造することの共謀を遂げた。そして、被告人神田は、右中村との共謀に基づき、そのころ、知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田久子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「S―860」と、日付欄に作成年月日として一九七三年一〇月三日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてニューヨークのW・M・ウイルソン氏の所有するバイオリンは一七一四年にアントニオ・ストラディバリによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通の偽造を遂げた。

(四) 被告人神田は、昭和五四年七月下旬ころ、前記中村光太郎から、同人の保有するバイオリン一丁を示されたうえ、これをアマティ製作のバイオリンであるように装いたいのでランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造するのに協力して欲しい旨依頼されてこれを承諾し、こうして被告人神田と右中村との間で、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書一通を偽造することの共謀を遂げた。そして、被告人神田は、右中村との共謀に基づき、そのころ、知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田順子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「S―323」と、日付欄に作成年月日として一九七一年四月四日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてニューヨークのブライアン・パーキンソン氏の所有するバイオリンは一六六三年にニコラ・アマティによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に前記神田久子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通の偽造を遂げた。

4ピエトロ・ガルネリウス作と偽つた鑑定書関係

被告人神田は、昭和五三年一二月ころカンダアンドカンパニーで森崎静子に売り渡したスカランペラ製作のバイオリン一丁(一般に「ピエトロ・ガルネリウスのコピー」と呼ばれるもの)について、これがピエトロ・ガルネリウス製作にかかるもので権威ある鑑定書もついているなどと偽つていたことから、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造しようと企て、昭和五四年八月下旬ころ、知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、東京都品川区上大崎三丁目一番三二―三〇四号所在の当時の同被告人方において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田順子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「P―989」と、日付欄に作成年月日として一九七三年一〇月二四日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてマサチューセッツ州ボストンのジョン・ブリッドソンの所有するバイオリンは一七二〇年にピエトロ・ガルネリウスによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田順子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通(前記押号の七)の偽造を遂げ、次いで、昭和五四年一〇月ころ、前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、右森崎がバイオリンの弦を購入するため同事務所を訪れた際、同女に対し、右偽造した鑑定書一通を真正に作成されたもののように装い交付して行使した。

5マティオ・ゴフリラー作と偽つた鑑定書関係

被告人神田は、昭和五四年八月ころカンダアンドカンパニーで佐藤勝夫に売り渡したバイオリン一丁(一般に「ゴフリラースクール」に属するといわれるもの)について、これがマティオ・ゴフリラー製作にかかるもので権威ある鑑定書もついているなどと偽つていたことから、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造しようと企て、同年九月中旬ころ、知合いの写真業者に頼んで右バイオリンの写真を撮影して貰うなどしたのち、前記被告人神田方において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田順子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「S―843」と、日付欄に作成年月日として一九七三年一〇月二〇日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてニューヨークのハーバート・A・ウイリアムス氏の所有するバイオリンは一七〇六年にマティオ・ゴフリラーによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田順子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、被告人神田自身がありあわせの糊を用いるなどして右用紙の裏面に前記写真業者の撮影にかかる右バイオリンの写真三枚を貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通(前記押号の八)の偽造を遂げ、次いで、そのころ、同都江東区大島四丁目七番一〇号所在の右佐藤方において、同人に対し、右偽造した鑑定書一通を真正に作成されたもののように装つて、郵送により交付して行使した。

6ジョゼフ・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

被告人神田は、カンダアンドカンパニーの保有物件であつたバイオリン一丁(一般に「ガダニーニスクール」に属するといわれるもの)について、これを昭和五四年一二月ころ藤田孝雄にジョゼフ・ガダニーニ製作にかかるもので権威ある鑑定書もついているなどと偽つて売り渡していたことから、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造しようと企て、昭和五五年三月下旬ころ、前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田順子に渡し、情を知らない同女に英文タイプライターを使わせて、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「S―878」と、日付欄に作成年月日として一九七三年一一月二八日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてマサチューセッツ州ボストンのW・グローチャルの所有するバイオリンは一七九六年にジョゼフ・ガダニーニ一世によつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をタイプ印字させ、更に右神田順子をして下方の作成者の署名欄にありあわせのペンで「Dario D'Attili」と冒書させ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通(前記押号の九)の偽造を遂げ、次いで、昭和五五年五月二六日ころ、右カンダアンドカンパニー事務所内において、右藤田が右バイオリンの代金の一部の支払い等をするため同事務所を訪れた際、同人に対し、右偽造した鑑定書一通を真正に作成されたもののように装い交付して行使した。

7ジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニ作と偽つた鑑定書関係

被告人神田は、先にカンダアンドカンパニーでアメリカの楽器商ジャック・フランセ社から仕入れたボラー製作のバイオリン一丁(一般に「J・B・ガダニーニのコピー」と呼ばれるもの)について、これを昭和五五年六月ころ金倉英男にJ・B・ガダニーニ製作にかかるもので権威ある鑑定書もついているなどと偽つて売り渡していたが、右ジャック・フランセ社からその後送付された同社作成の鑑定書にはJ・B・ガダニーニのコピーである旨記載されており、右部分を白クレヨンで消したうえ右鑑定書を右金倉に示したところ、抹消していることを見破られたことから、ランバート・ウォリツアー社作成名義の製作者名などを偽つた鑑定書を偽造しようと企て、昭和五六年一月上旬ころ、前記被告人神田方において、行使の目的をもつてほしいままに、偽ウォリツアー鑑定書用紙一枚を用い、あらかじめ準備していた原稿を前記神田順子に渡し、情を知らない同女にありあわせのペンで、いずれも英文で右用紙の登録番号欄に「3165」と、日付欄に作成年月日として一九七三年九月二七日と、また、定型的な証明文言の印刷されている横罫部分に鑑定内容としてマサチューセッツ州ボストンのダニエル・ノートンの所有するバイオリンは一七六三年にジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明するという趣旨の記載をさせ、更に下方の作成者の署名欄に「Rembert Wurlitzer, Inc.」と冒書させたうえ、引き続き前記国際商事ビル内のカンダアンドカンパニー事務所内において、被告人神田自身が右ジャック・フランセ社作成の鑑定書裏面に貼付されていた右バイオリンの写真三枚をはがし、これをありあわせの糊を用いるなどして右偽ウォリツアー鑑定書用紙の裏面に貼りつけ、もつて有印私文書であるランバート・ウォリツアー社作成名義のバイオリン鑑定書一通(前記押号の一〇)の偽造を遂げ、次いで、そのころ、同事務所内において、右金倉が被告人神田から鑑定書が来た旨の電話連絡を受けて同事務所を訪れた際、同人に対し、右偽造した鑑定書一通を真正に作成されたもののように装い交付して行使した。

第二部  証拠の標目<省略>

第三部  法令の適用

一被告人神田侑晃に対し

判示「罪となるべき事実その二」(第一部第四節三)1の所為

昭和五五年法律第三〇号による改正前の刑法一九八条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号(裁判時においては右改正後の刑法一九八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、刑の変更がないので、行為時法である右改正前の刑法一九八条一項を適用)

判示「罪となるべき事実その三」(第一部第五節二)1の所為のうち

有印私文書偽造の点 刑法一五九条一項

偽造有印私文書行使の点 同法一六一条一項、一五九条一項

詐欺の点 同法二四六条一項

判示「罪となるべき事実その三」(第一部第五節二)2、4、5、6、及び7の各所為のうち各有印私文書偽造の点 各同法一五九条一項

各偽造有印私文書行使の点 各同法一六一条一項、一五九条一項

判示「罪となるべき事実その三」(第一部第五節二)3の各所為 各同法六〇条、一五九条一項

科刑上一罪の処理

判示「罪となるべき事実その三」1の罪について

同法五四条一項後段、一〇条(有印私文書偽造とその行使と詐欺との間に順次手段結果の関係があるので、以上を一罪として最も重い詐欺罪の刑((ただし、短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。))で処断)

判示「罪となるべき事実その三」2、4、5、6及び7の各罪について

各同法五四条一項後段、一〇条(それぞれ有印私文書偽造とその行使との間に手段結果の関係があるので、それぞれに以上を一罪として犯情の重い各偽造有印私文書行使罪の刑で処断)

刑の選択 判示「罪となるべき事実その二」1の罪について、所定刑中懲役刑を選択

併合罪の加重 同法四五条前段、四七条本文、一〇条(最も重い判示「罪となるべき事実その三」1の罪の刑に法定の加重)

主刑 懲役二年

没収 各同法一九条一項一号、二項本文(押収してあるバイオリン鑑定書((登録番号S―六一七。証拠等関係カード上の表示「ガダニーニの偽造鑑定書」))一通((昭和五七年押第七七一号の五))、バイオリン鑑定書((登録番号八〇一〇。証拠等関係カード上の表示「ジャンバティスタ・ガダニーニの偽造鑑定書」))一通((同押号の六))、バイオリン鑑定書((登録番号P―九八九。証拠等関係カード上の表示「ピエトロ・ガルネリウスの偽造鑑定書」))一通((封筒入り。同押号の七))、バイオリン鑑定書((登録番号S―八四三。証拠等関係カード上の表示「マティオ・ゴフリラーの偽造鑑定書」))一通((同押号の八))、バイオリン鑑定書((登録番号S―八七八。証拠等関係カード上の表示「ジョゼフ・ガダニーニの偽造鑑定書」))一通((同押号の九))及びバイオリン鑑定書((登録番号三一六五。証拠等関係カード上の表示「ジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニの偽造鑑定書」))一通((封筒入り。同押号の一〇))の各偽造部分は、それぞれ判示「罪となるべき事実その三」2、1、4、5、6及び7の各偽造有印私文書行使の犯罪行為を組成した物件で、なんびとの所有をも許さないものであるから、右各偽造部分を被告人神田から没収)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文(別紙訴訟費用負担表中被告人神田の負担部分について負担)

二被告人海野義雄に対し

判示「罪となるべき事実その一」(第一部第三節三)及び「罪となるべき事実その二」(第一部第四節三)2の各所為

それぞれ昭和五五年法律第三〇号による改正前の刑法一九七条一項後段(それぞれ裁判時においては右改正後の刑法一九七条一項後段に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、各刑法六条、一〇条により、それぞれ軽い行為時法の刑による。)

併合罪の加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示「罪となるべき事実その二」2の罪の刑に法定の加重)

主刑 懲役一年六月

刑の執行猶予 同法二五条一項(三年間猶予)

没収 同法一九七条の五前段(押収してあるビネロン製作のバイオリン用弓一本((前記押号の一の一))は、判示「罪となるべき事実その二」2の犯行により収受した賄賂であるから、これを被告人海野から没収)

追徴 同法一九七条の五後段(判示「罪となるべき事実その一」の犯行により収受した賄賂はすでに費消して没収することができないので、その価額金一〇〇万円を被告人海野から追徴)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文(別紙訴訟費用負担表中被告人海野の負担部分について負担)

第四部  弁護人らの主張等に対する判断(証拠説明を含む。)

第一節弁護人らの主張等

一弁護人らの主張

1益田吾郎購入のバイオリン関係

被告人海野の弁護人らは、判示罪となるべき事実その一(第一部第三節三)について、

(1) 学生からの楽器買替えの相談に応じ楽器の選定について助言指導する行為は、被告人海野の東京芸大音楽学部教授として有する「学生を教授し、その研究を指導する」職務に含まれない、すなわち右のように学生に助言指導する行為は、被告人海野の東京芸大音楽学部教授としての職務行為あるいは職務に密接に関連した行為ではなく、同被告人が教授としての職務を離れ、私人としての立場においてその専門的知識と経験、すなわち楽器の識別に卓越した目と耳を頼られたことに応えてなす、鑑定人的性格をもつた私的行為であり、したがつて、本件においても同被告人になんの職務権限もない、

(2) 受託収賄罪に定める「請託」にあたる収賄者の職務行為に対する働きかけや依頼は、少なくとも職務行為を発動させるに足るものか、若しくは職務行為に対し一定以上の強度をもつて実質的な影響を与えうるものでなければならず、また、請託と受託との間には相当因果関係の存在することを要すると解すべきところ、本件においては、被告人海野が益田吾郎から一〇〇〇万円以内の予算でバイオリンを買い替えたいので捜して欲しいとの相談を受け、同人のため被告人神田に対しプレスセンダー作かロッカー作のような強い音のバイオリンを捜すよう依頼し、同被告人が右依頼に応じて本件プレスセンダー作のバイオリンを被告人海野のもとに持参して来たので、同被告人がこれを試奏などして、右バイオリンの音色・音量及び健康状態のよしあしに関し自らの判断で鑑別したうえ、右益田に対し自己の意見を伝えたというのであつて、その間被告人神田から被告人海野に対し特別の強い働きかけや依頼など全くなく、したがつて、被告人神田の「請託行為」もなければ、これを承諾した被告人海野の「受託行為」も存しない、

という趣旨の主張をしている。

2東京芸大購入のバイオリン関係

(一) 被告人神田の弁護人らは、判示罪となるべき事実その二(第一部第四節三)について、

(1) 被告人神田は、被告人海野に対し、東京芸大でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを東京芸大(音楽学部)が教育研究用の弦楽器として選定のうえ購入するよう尽力されたい旨の請託をしたことは、電話によつてしたこともないし、面談によつてしたこともない、

(2) 被告人海野は、被告人神田に対し、右のような請託に応ずる旨の意思表示をしたことはなく、また、東京芸大(音楽学部)が右バイオリンを購入するようカンダアンドカンパニーのためにその選定等において尽力したことはない、

(3) 被告人神田は、ビネロン製作のバイオリン用弓一本を被告人海野に贈与した事実はあるが、右贈与は、同被告人が右請託の趣旨に従つて東京芸大(音楽学部)において右バイオリンを購入するようカンダアンドカンパニーのためその選定等に尽力したことに対する謝礼として行なつたものではなく、そのころ、被告人神田と被告人海野との間の交際が弟子に対する楽器の紹介も含め疎遠になつて来ていたので、これを以前のように親密にして貰いたいという意図をもつて行なつたものである、

という趣旨の主張をしている。

(二) 被告人海野の弁護人らは、判示罪となるべき事実その二(第一部第四節三)について、

(1) 被告人海野は、昭和五四年一月下旬ころ、ビネロン製作のバイオリン用弓一本を自宅において被告人神田から受け取つたが、J・B・ガダニーニ作のバイオリンを東京芸大(音楽学部)が購入するよう尽力したことに対する謝礼として右バイオリン用弓を受け取つたものでは全くなく、被告人海野には右バイオリン用弓が賄賂であるとの認識が存在していない、

(2) 被告人海野が右バイオリン用弓を被告人神田から受け取つたのは、昭和五三年一二月中旬カンダアンドカンパニーから練習用として購入したサルトリー製作の弓が適当でないとして被告人神田に返却したことや、同じく同月ころ被告人海野に被告人神田との交際を非難あるいは忠告する趣旨の匿名の電話があつて以来、被告人海野が被告人神田に知人や弟子を紹介することを中止したことから、被告人神田が被告人海野の交誼を得ようという趣旨で練習用の弓をプレゼントとして持つて来たものと考えたからである、

(3) J・B・ガダニーニ作のバイオリンは被告人神田が東京芸大(音楽学部)に売込みを図つたものではなく、堀江主任教授の求めに応じて、被告人神田が試奏のため被告人海野宅に持参し、同被告人において検分試奏のうえ、東京芸大(音楽学部)の購入楽器の候補として適当であると判断して堀江主任教授に報告したものであるところ、被告人海野が右バイオリンを購入楽器の候補として推せんに値するとしたのは、被告人神田の働きかけを受けたからでは全くなく、通常の職務として右バイオリンを検分試奏した結果、音楽家としてその音色・音量及び健康状態を適当と認めたからであり、なお弦楽部会における選定においても被告人海野が積極的に購入すべき旨他の教官らに働きかけたりしたことなど全くなく、結局、被告人神田の「請託行為」も存在しないし、また、右のような全く通常の経緯に従つてなされた被告人海野の行為をもつて「受託」と評価するのは法の解釈を誤り不当である、

という趣旨の主張をしている。

二証拠能力に関する総括的判断

被告人神田の弁護人らは、(1)被告人神田の検察官に対する昭和五六年一二月一八日付、同月二〇日付、同月二一日付(二通)、同月二三日付、同月二四日付、同月二七日付(二通)及び同月二八日付各供述調書について任意性がなく、いずれも刑事訴訟法三二二条一項の書面に該当しない、(2)被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付及び同月二三日付各供述調書について特信性がなく、いずれも刑事訴訟法三二一条一項二号後段の書面に該当しないと主張し、被告人海野の弁護人らは、(1)被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付、同月二三日付、同月二五日付(二通。編綴箇所が証拠書類群二三〇八丁のもの及び二三一七丁のもの)、同月二六日付及び同月二七日付各供述調書について任意性がなく、いずれも刑事訴訟法三二二条一項の書面に該当しない、(2)被告人神田の検察官に対する昭和五六年一二月一八日付、同月二〇日付及び同月二三日付各供述調書について特信性がなく、いずれも刑事訴訟法三二一条一項二号後段の書面に該当しないと主張している。

しかし、被告人両名の弁護人らにおいて右のように証拠能力がないと主張する右各述調書がいずれも、任意性ないし特信性を有し、これを証拠とすることができることは、被告人両名の弁護人らからの右各供述調書の証拠調決定に対する各異議申立に対し、当裁判所が第四五回公判期日(昭和五九年六月一九日)になした各決定において判断を示したとおりであるから、被告人両名の弁護人らのこの点に関する主張はいずれも失当である。

第二節被告人両名の従前からの関係等

<証拠>によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

1カンダアンドカンパニーにおいては、昭和四七年一一月ころ、東京都内のデパートにおいて、株式会社白川総業との共同主催でバイオリンなど楽器の展示販売会を開いた際、それまで被告人海野と親密な取引関係はなかつたものの、宣伝効果を狙つて、右展示会の筆頭商品であつたストラディバリウス製作のバイオリン(予定販売価格二六〇〇万円)を演奏家として名声の高い同被告人に購入させることを図り、被告人神田の父親らが被告人海野の当時の自宅を訪ねるなどして売り込み、同被告人に右バイオリンを代金一五〇〇万円で買わせることに成功したこと

2被告人海野においては、それまでカンダアンドカンパニーの店舗にはいわゆる通りがかりの客のような形で立ち寄つたりしたことはあつたものの、継続的な取引もなく被告人神田や従業員らと個人的な知合い関係もなかつたが、右ストラディバリウス製作のバイオリンを購入して取引関係が生じたのちは、カンダアンドカンパニーで弦その他の部品を買つたり楽器の修理をさせたりするようになり、昭和四八年六月ころにはカンダアンドカンパニーにおいて開催した楽器の展示販売会などで被告人神田とも顔を合わせ互いに顔見知りとなつたこと

3被告人両名は、被告人海野が昭和五〇年六月ころいわゆるセカンドバイオリン一丁(モラッシー製作、代金三八万円)をカンダアンドカンパニーで購入したころから、被告人神田が被告人海野方にバイオリンやバイオリン用弓などを持つて来て、同被告人に見せたり弾いてみてくれと頼んだりするようにもなり、被告人海野が同年一〇月ころに同被告人の妻の使用するチェロ用弓一本(ボアラン製作、代金五二万円)、同年一一月ころに同じくチェロ一丁(ラベル・セラフィン製作、代金二四〇万円)を購入したりしたことなどもあつて、カンダアンドカンパニーのよい顧客の一人となり、被告人両名互いに個人的にもかなり親しい間柄になつて来ていたこと

4被告人神田は、カンダアンドカンパニーの営業方策として、被告人海野のように大学、高校などで学生生徒らを教えたり、あるいは個人的な教室など開いたりしている者に対しては、その教える学生生徒等にカンダアンドカンパニーで楽器を購入するよう勧告ないし斡旋して貰うことや、学生生徒等を紹介して貰うことなどを当て込み、右学生生徒等が楽器を購入したときは教師らに斡旋などの謝礼として売上額の一〇パーセント程度の金を支払う等の措置をとることにしていたこと、そして、被告人両名は、昭和五一年ころから被告人海野がその指導中の学生や生徒などにカンダアンドカンパニーでの楽器の購入を斡旋したりすることが多くなつて来たこともあつて、そのころ被告人神田が被告人海野に対し、楽器商としての慣例に従い被告人海野の紹介や幹旋などで同被告人のいわゆる弟子や知人らがカンダアンドカンパニーで楽器を購入したときは他の教師らに対すると同様の相当額の謝礼を進呈するという趣旨のことを申し出て、被告人海野もこれを了承したこと

5被告人神田は、同年五月ころから、被告人海野の指導中の学生生徒等が同被告人の紹介や斡旋などでカンダアンドカンパニーからバイオリンなど楽器を購入したときは、その謝礼として当該楽器の売上額の一〇パーセント前後にあたる額の現金を被告人海野のもとに持参したり、あるいはカンダアンドカンパニーから同被告人の購入した楽器等の代金の一部に充当(帳薄上は売掛金の「消込み」)という措置をとつたりし始めたこと、また、被告人海野も、その趣旨を了解して被告人神田の持参する現金を受け取り、あるいは売掛金の消込みにも応じるようになり、その後昭和五三年暮ごろまで学生生徒等にカンダアンドカンパニーの楽器の紹介や斡旋などを続け、次第に紹介や斡旋などを行なつたときはカンダアンドカンパニーから謝礼の来るのを当然のこととして予期するようになつていたこと

6被告人海野は、後記第四節二認定のとおり東京芸大音楽学部器楽科の教授として同大学(音楽学部)における教育研究用の弦楽器類の購入に際してはその選定にあたることも職務の一つであつたが、右のように被告人神田と親しい間柄になつたのち、カンダアンドカンパニーの保有する弓やバイオリンを同大学(音楽学部)で購入する楽器の候補として同大学(音楽学部)に紹介するなどし、同大学(音楽学部)においては被告人海野の紹介などがきつかけになつた場合として、カンダアンドカンパニーから昭和五一年三月にドミニコ・ペカット製作のバイオリン用弓一本(代金二〇〇万円)を、昭和五二年一一月にエミール・オッシャール製作のバイオリン用弓一本(代金三二万八〇〇〇円)及びT・カルカッシー製作のバイオリン一丁(代金三一〇万円)を購入している(なお、東京芸大においては、右のほかにも被告人神田の直接的な売込み、他の教官らの紹介などで、カンダアンドカンパニーから弦楽器類を相当数購入している。)ことが認められる。

第三節益田吾郎購入のバイオリン関係

一事実関係

<証拠>によれば、次のような事実が明らかである。すなわち、

1益田吾郎は、満五歳のころからバイオリンを習い始め、昭和四九年四月東京芸大音楽学部附属音楽高等学校(以下「附属高校」という。)に進み、昭和五二年四月からは東京芸大音楽学部器楽科に入学し、同大学においてバイオリン専攻の学生としてその演奏技術の習得などに励んでいた者であること

2右益田は、中学校に入学する直前の昭和四六年春ころから中学校を卒業するまでの間、被告人海野のもとに通つていわゆるプライベートレッスンを受けていたが、附属高校においても同被告人から実技の授業を受け、また、東京芸大においても担任の教授である同被告人から直接にバイオリンの演奏技術などの指導を受けていたこと

3右益田は、附属高校入学後、被告人海野の紹介により、ガダニーニスクールと称するバイオリンをカンダアンドカンパニーから代金二七〇万円位で購入して使用していたところ、低弦が鳴らないように感じられて次第に物足りなさを覚え、東京芸大に入学してまもなくから、同被告人に買替えの相談をしていたが、同被告人からは「もつと練習して音を出しなさい」などという助言を受けてその時点での買替えは断念したものの、その後、次第にいわゆる強いバイオリンが欲しいという気持が強くなり、繰り返し同被告人に右のような希望を申し述べていたこと

4そのうち、被告人海野においても、右益田の希望を適えてやつてもよいと判断し、同人に対し自分でそのようなバイオリンを捜してみるよう指示するとともに、同被告人も捜すのを手伝つてやるという趣旨のことを告げ、これに伴い、昭和五三年四月ころ、被告人神田に対し、強い音のする、音量の大きい、いわゆる強いバイオリンという観点かららプレスセンダー製作あるいはロッカー製作にかかるバイオリンを捜して欲しい旨依頼したこと

5被告人神田は、同年五月下旬、仕入れのため外国に出かけたが、その際被告人海野の依頼に従い、ロンドンのイーリング・ストリングス社でヨハネス・フランチェスコ・プレスセンダー製作のバイオリン(以下「プレスセンダー作のバイオリン」という。)一丁を二万五〇〇〇ドル(邦貨換算五七五万円)で購入したこと

6被告人神田は、プレスセンダー作のバイオリンを入手した旨被告人海野に電話で連絡したうえ、同年六月二日ころ、他の二、三のバイオリンとともにプレスセンダー作のバイオリンを同被告人方に持参したが、その際、同被告人から右バイオリンを欲しがつている者が益田吾郎であることを知らされたこと、なお、被告人神田は、その時点において、右益田という者について、右3記載のとおり前にカンダアンドカンパニーとして同人にガダニーニスクールのバイオリンを売つたこともあり、また、その後も時折カンダアンドカンパニーの店舗に訪れて来ていた同人と顔を合わせたりしたこともあつて、同人が現に被告人海野の直接的な指導を受けている東京芸大音楽学部学生であるということも十分に知つていたこと

7被告人海野は、同被告人方で早速にプレスセンダー作のバイオリンを試奏などした結果、同被告人の好みにもあつたよい楽器のように思え、また、右益田の希望にも合致するようなバイオリンと考えられたことから、被告人神田に対し「益田君のレッスンが近いうちにあるから、そのときにこのプレスセンダーを益田君に勧めてみましよう」「益田君に弾かせてみましよう」などと告げ、右バイオリンを置いて帰ることを求めたこと

8被告人神田は、被告人海野が右のように右益田に勧めてみよう、同人に弾かせてみようなどと述べたことから、右バイオリンを右益田に試奏などさせることを了承し、同被告人に対しよろしくお願いするという趣旨のことを述べて、これを同被告人に預けて同被告人方から帰つたこと

9次いで、被告人海野は、同月上旬、東京芸大音楽学部のレッスン室において右益田にレッスンを行なつた際、同人に対し「とてもいい楽器が一つ来たから、お父さんと相談してうちへ来て弾いてみなさい」などと話したこと

10右益田は、その数日後、同人の父親とともに被告人海野方を訪ねて来たこと、その際、被告人海野は、右益田にプレスセンダー作のバイオリンを見せ、これがプレスセンダー製作のものであつて右益田の希望するような強い音の出るバイオリンであるという趣旨のことを告げたうえ、同被告人が試奏してやつたり同人に試奏させたりしたこと、そして、同日、同人に対し「益田君、これをうちに持つて帰つて、しばらくの間弾いてみなさい」「よいと思えば買いなさい」などと話して、同人に右バイオリンを持ち帰らせたこと

11右益田は、当初は右バイオリンについて張りの極めて強い、同人にとつて「かなわない」楽器という印象を受けていたものの、その後一週間位同人方で弾いてみているうち、自分の希望していたような楽器に思えたこともあつて、同人の父親とも相談したうえ、被告人海野の勧めに従いこれを購入することにほぼその意を固め、その直後、被告人海野のもとに赴いてその旨報告したこと

12被告人海野は、右益田から右のような報告を受けた際、同人に対し「あれを持つたら一生使える。とても素晴らしい楽器だと思うから、よかつた」などと、右益田の購入に賛同の意を表明し、かつ、早速にカンダアンドカンパニーに連絡するようにという指図をしたこと

13右益田は、同月一五日、カンダアンドカンパニーの事務所に同人の父親とともに赴き、カンダアンドカンパニーとの間で、プレスセンダー作のバイオリンを代金八八〇万円で購入するという売買契約を締結し、同年七月二六日に三〇〇万円、同年八月一九日に五八〇万円を支払つたこと

14被告人神田は、右のように同年七月二六日に右益田から三〇〇万円入金になるや、その直後ころ、被告人海野に電話をかけ、プレスセンダー作のバイオリンが益田吾郎に売却できた謝礼として、二三〇万円を供与したい旨申し入れたが、同被告人から多額すぎるなどと言われたため、右電話で話し合つた結果、同被告人の納得できる金額ということで、結局一〇〇万円位を同被告人に供与することになり、同被告人においてもこれを了承したこと

15そのころ、被告人海野は、自動車を購入する計画があつたところ、右電話後まもなくその支払代金のいわゆる頭金にあてる金員を早急に調達する必要を生じ、右のように被告人神田から一〇〇万円位の供与の申入れを受けていたことから、これを利用しようと考え、同年八月一〇日ころ、同被告人に電話をかけ、右謝礼の支払を早急に受けたい旨告げたこと

16被告人神田は、被告人海野から右電話を受けた際、同被告人に対し一両日中に右謝礼を持参する旨約し、翌一一日ころ、被告人神田の妹久子に指示して、株式会社富士銀行目黒支店のカンダアンドカンパニー名義の普通預金口座から現金一〇〇万円を引き出させ、同女から一〇〇万円を受領したうえ、同日夜、一〇〇万円を持参して被告人海野方を訪ね、同被告人に対し現金一〇〇万円を供与したこと

などの事実が疑いを容れる余地なく肯認できる。

二東京芸大音楽学部教授の職務行為の範囲――学生らの使用する弦楽器に関する助言指導ないし弦楽器購入の勧告・斡旋と賄賂罪の成否について

1バイオリン専攻の学生らに対する主たる教授内容

被告人海野が昭和五三年当時東京芸大音楽学部器楽科(教科としては弦楽科の第二講座担当)の教授として、同大学音楽学部のバイオリン専攻の学生らを教授し、その研究を指導するという職務(学校教育法五八条五項参照)に従事していたことは、第一回、第三五回及び第三七回各公判調書中の被告人海野の供述部分、被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付供述調書、辺見正雄及び浜野政雄の検察官に対する各供述調書並びに押収してある東京芸術大学規則集一冊(前記押号の二)によつて明らかである。

また、被告人両名の当公判廷における各供述、第三五回、第三六回及び第三七回各公判調書中の被告人海野の供述部分、被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付及び同月二五日付(編綴箇所が証拠書類群二三一七丁のもの)各供述調書、第八回及び第一五回各公判調書中の証人荒井佳子の供述部分、第九回公判調書中の証人阿部靖の供述部分並びに浜野政雄の検察官に対する供述調書によると、バイオリン専攻の学生らに対する主たる教授内容、いいかえるとバイオリン専攻の学生らに対する教育指導の基本的かつ主要な部分は、バイオリンの演奏法とりわけ演奏技術の指導と楽曲の解釈についての教育指導であることが明らかであり、実際的にはこれをいわゆる実技レッスン、すなわち教授の面前で個別的に学生らにバイオリンを弾かせ、直接その運指法、運弓法、表現などについて指導するという方法で教えていることが認められる。なお、右各証拠によれば、バイオリン専攻の学生生徒らに対する教育指導については、東京芸大音楽学部におけるものも、公立、私立を問わず他の音楽関係の大学や高校、更にはいわゆるプライベートレッスンなどにおけるものも共通に考えることができ、主たる教授内容や実際の指導方法なども右いずれの大学、高等学校においてもほぼ同一と認めることができる。

2使用する楽器に関する助言指導の実情について

バイオリン専攻の学生生徒らの使用する楽器に関する助言指導などについては、<証拠>によれば、わが国における実情として、次のような事実が認められる。すなわち、

(1) バイオリンを習い始めて初歩の段階にある者に対しては、物としてのバイオリンの性能自体はもとより、使用する弦の太さや付け方、駒や魂柱の位置などについても指導し、更にはバイオリンの健康維持についての注意なども与えるのが一般であること

(2) 年齢的に成長過程にある生徒らに対しては、分数バイオリンからフルサイズのバイオリンまでいわゆるサイズ替えについても指導するのが通例であること

(3) 東京芸大その他音楽関係の大学の学生、あるいは音楽高等学校の生徒などでもかなり高度の演奏技術を習得している者らに対しては、これらの者がすでにその使用するバイオリンの音色、音量、音の通り方などについても自ら判断する力を持つているとみられ、また、技術的意味でのバイオリンの使用方法などについても知識を持つているはずであることから、教師から積極的にこれらの点について指導したり、その使用するバイオリンを取り替えるよう勧めたりするのは一般でないこと

(4) しかし、右(3)記載のようなかなりの技量を有する学生らの場合であつても、非常に音の反応が鈍く演奏者の意思が音になつてほとんど出て来ないようなバイオリンを使用しているようなときには、教師として、その者に対し使用するバイオリンの取替えを指導する必要があること

(5) 被告人海野においても、個人的に教えていた音楽大学目指していわゆる浪人中の生徒に対し、その使用中のバイオリンの音が非常に暗いことを指摘して、より明るい音の出るバイオリンを使用することが望ましいという趣旨の指導を行ない、その結果、右生徒をしてバイオリンを買い替えさせるに至つたことがあること

(6) バイオリンは、一定限度以上の質のよいものの場合、とりわけオールド・バイオリンの場合は、音色、音量、音の通り方などにわずかずつながら違いがあり、したがつて一般的に個性があると言われていること

(7) バイオリンを演奏する者は、職業的な演奏家に限らず、学生生徒らであつても、常に自分の持つバイオリンよりも音色、音量、音の通り方などにおいてより優れたバイオリンを用いたいという志向を有するのが一般であること

(8) 右学生生徒らが経済的余裕を生じ、右志向を現実に移そうとして実際にバイオリンを買い替えるにあたつては、一般的にみて、まず自分の師事する教師に相談するということがほぼ慣例化するに至つていること(実際上、学生生徒らがバイオリンの買替えを現実問題として考えるようになつたときは、その大多数がまず第一に教師のもとに相談に来るという状況にあることが窺える。)

(9) 教師に対する相談形態としては、教師に対し自分の経済的な負担能力を前提に、音色や音量などについて希望を述べ、一般的な形でその希望に合致するバイオリンを捜して欲しいと依頼するという形のものと、自ら楽器商などで捜して来たバイオリンを教師のもとに持参し、その購入について相談するという形のものの二つがあること

(10) 教師は、バイオリンの演奏技術に優れている者として楽器の音色、音量、音の通り方のよしあしなど見極め判定できるのは当然のこととされ、また、物としてのバイオリンの健康状態等についてもこれまでに多くの種類のものを使い、あるいは見たり聞いたりして豊富な知識と経験を有しているものとみられ、学生生徒らはまさに教師からその技術や知識経験に基づく助言指導が得られることを期待して相談に来るものであること

(11) 教師らはそのほとんど全部が、学生生徒らから買替えの相談を受けたときは、例外的場合を除き、これに応じて助言指導を行なうのが常であること

(12) もつとも、その助言等の内容は、教師が異なることによつてもかなりの違いがあり、また相談する側の人や状況によつても、形だけの一般論から実際問題についての具体的指示まで程度、種類などさまざまなものに分かれるが、学生生徒らが買替えを希望するバイオリンを持参したようなときは、これを検分、試奏するなどして、その音色、音量、音の通り方、健康状態などについて判断を示したりすることも多く、相談形態が前記(9)前段に記載したような一般的な形でのバイオリンの選定依頼であるときは、その助言指導に際し特定の楽器商の保有する特定のバイオリン一丁ないしは二、三丁のうちからの選択を指示して、その購入を勧告ないし斡旋することもあること

(13) 被告人海野においても、昭和五三年暮ころまでの間、東京芸大音楽学部の学生、同大学音楽学部附属音楽高等学校の生徒、同被告人の教えていた他の大学等の学生生徒、いわゆる個人教授の弟子らのうちから、バイオリンの買替えの相談を受けたときはこれに応じて助言などを与えていること(なお、同被告人の助言指導の結果、相談に来た学生等が特定のバイオリンをカンダアンドカンパニーで購入するに至つた例も合計一二例あること)

などの事実が認定できる。

3使用する楽器に関する助言指導などと演奏技術の指導との関係等について

(一) そこで、バイオリン専攻の学生生徒らに対する主たる教授内容とりわけ演奏技術の指導と、使用するバイオリンに関する助言指導などとの関係等について検討するに、右2の(1)ないし(13)認定の各事実に照らし、使用するバイオリンそのものについての助言指導のうちに、明らかにバイオリンの演奏技術の指導と密接不可分の関係に立つとみられる部分があることは明らかである。すなわち、教師としては、演奏技術を習い始めた初期の段階にある生徒等に対しては使用するバイオリンの楽器としての性質やその技術的な取扱方法まで教えなければならないし、また、すでに技量のかなり上がつた学生らであつてもその使用するバイオリンがバイオリンとして最低限要求される音色も音量も出せないようなものである場合には、その学生らに対しその使用するバイオリンをある程度以上のものに取り替えるよう指導することがその教授内容の一つと認められる。ただ、一般的には、東京芸大その他音楽大学の学生等、すでにかなり高度の演奏技術を習得し技量も優れている者らにとつては、右のような初歩的な知識の教授など必要もなく、極めて程度の低いバイオリンを使用することも稀であることから、右のような意味でのバイオリンそのものに関する教育指導は、ほとんど表面化して来ないものと窺われる。いいかえると、教師において学生生徒らの使用するバイオリンについて助言指導する必要が生じるのは、通常、前記2の(8)ないし(13)認定の各事実からも明らかなように学生生徒らから買替えの相談を受けたときである。そこで問題は、右買替えの相談を受けた際に行なう助言指導、具体的には学生生徒らの購入するバイオリンの選定についての助言指導がバイオリンの演奏技術の指導と密接不可分の関係に立つかどうかである(なお、買替えの相談に対する助言指導を行なうに際し、特定の楽器商からの購入を勧誘・斡旋することについては、後記4(三)認定のとおり)。

(二) この点、助言指導を行なうにあたつての判断基準についてみるに、検察官は、学生生徒らが演奏技術を習得ないしその向上を図るには、それぞれが自らの技量更には性格、体型、腕力などに応じたバイオリンを用いて練習に励み、そのバイオリンの有する音色、音量、表現能力などをその限界まで発揮させ得る技量に達したときは、更に段階の高いバイオリンを用いて練習するということが重要であつて、そのため教師としては、学生生徒ら各人ごとにその技量等を十分に見極め、それぞれに相応したバイオリンを選定してやることが教育上必要的であるという趣旨の主張をしている。そして、前記2冒頭挙示の各証拠を仔細に検討するに、たしかに右各証拠中に、検察官の右主張に部分的に添うような趣旨の供述、すなわち、上級の楽器を使つて、これを弾きこなせるよう練習することが技量の向上につながるという趣旨の供述(第九回公判調書中の証人阿部靖の供述部分)、学生らによい楽器を使わせたほうがよりよい教育効果が上がるという趣旨の供述(第七回公判調書中の証人山岡耕筰の供述部分。なお、第一六回公判調書中の証人田中千香士の供述部分)などが存在し、また、被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付供述調書中にも検察官の右主張に符合する供述記載がある。しかしながら、第八回及び第一五回各公判調書中の証人荒井佳子の供述部分、第一九回公判調書中の証人浅妻文樹の供述部分、第二二回公判調書中の証人岩淵龍太郎の供述部分などにおいては、検察官の右主張に対する否定的な見解、すなわち、使用する楽器の良否と技量の向上とは全く関係がなく、よい演奏ができるかどうかについて楽器の良否が仮に影響するとしても一〇〇のうち二程度であり、あと九八は人間の問題であるなどという趣旨のことが述べられている。加えて、前記2冒頭挙示の各証拠を総合して判断すると、使用する楽器の良否とこれを使用する者の技量の向上との関係については、バイオリンの演奏家ないし教師の間でかなり見解の分かれていることが窺える。のみならず、よい楽器の使用が技量の向上に役立つという見解に立つ教師らにおいても、学生生徒らから買替えの相談を受けたときは、技量などとの対応のみがバイオリン選定の絶対的な判断基準ではなく、いわゆる上級のバイオリンになればなるほど高額のものであるため、相談した学生の経済的な負担能力がまずもつて判断の前提となり、また、その価格に相当する音色、音量、音の通り方、更には楽器としての健康状態なども判断のうえで大きな比重を占めることになることが明らかであり、また、その意味もあつて、多少程度の低いバイオリンを使用中の学生生徒らに対しても、前記2の(4)、(5)記載のような場合は別として、積極的に買替えを勧めたりしないのが一般と認められる。してみると結局、学生生徒らから買替えの相談を受けた際、教師の判断基準が技量との対応にあるとみることは一般的でないといわざるをえず、右にみたような実際の判断内容にも照らし、検察官主張のような意味で、学生生徒らの購入するバイオリンの選定についての助言指導がバイオリンの演奏技術の指導と直接的に密接不可分の関係にあることは肯定できない。

(三) しかし、前記2冒頭挙示の各証拠によれば、前記2の(6)、(7)認定のとおりバイオリンにはわずかながらも個性があり、また、学生生徒らに限らず職業的な演奏家であつても常に「よい」バイオリンを用いたいと望み、学生生徒らにおいてよりよいバイオリンを使用するに至つたときはそのよい音色や音量などを生かそうと練習に励むのが一般と認められるのであるから、楽器の良否と演奏技術の向上とは結びつくものではないという前提に立つても、使用するバイオリンの選択がその後の演奏や練習に実際上の影響を及ぼしていることは明らかである。のみならず、学生生徒らがバイオリン買替えについて教師のもとに相談に来るのは、教師を楽器商と同じ、あるいは弦楽器などの技術的意味での専門家とみて相談相手に選んだのでもなければ、その際教師にバイオリンの骨とう的価値や財産的評価の判定を求めてのことでもない。すなわち、前記2の(9)ないし(12)認定の各事実に照らしても明らかなように、バイオリンの買替えの相談及びこれに対する助言指導は、学生生徒らの側においても教師の側においても互いにバイオリンの演奏技術を教えられ、あるいは教えるという立場においてなされるものであり、学生生徒らにおいては、教師が演奏技術に優れ、またバイオリンそのものについても豊富な知識と経験を有しているのは当然のこととして、その相談形態にはいろいろのものがあるとはいえ、結局のところ教師に対し、特定ないし一定範囲のバイオリンの音色、音量、音の通り方、健康状態などについての判断と、右判断を前提に、更に自己の希望も考慮に入れて貰つたうえで、当該バイオリンを今後自己の使用する楽器として選定することが適当かどうかについての助言を求めているのが一般である。

また、前記2冒頭挙示の各証拠によれば、学生生徒らの買替えの相談に対する教師の助言指導も、前記2の(12)認定のように教師が異なることによつてもかなりの違いがあり、状況などに応じて違いの生ずることがあるものの、一般的に言えばあくまで教師の立場からなされているものと認められ、例えば、相談に来た学生(生徒)の希望内容、その者が現在使用中のバイオリンが何であるか、またその程度のよしあし、その者の練習の進み具合などを考慮した結果、その者の現に使用するバイオリンがかなり程度のよいものであつて、その者の練習状況に照らし、これをいまだ十分にいわゆる弾きこなせる状態に至つていないと判断したようなときには、その者にその時点での買替えをしないよう勧めることもあることが認められる。被告人海野においても、本節一の3認定のように前記益田吾郎から同人の東京芸大に入学後まもなくからバイオリンの買替えの相談を受けていたが、同人の使用するバイオリンが価格二〇〇万円以上のかなり上級なものであつたこともあつて、当初の段階では同人に対し「このままでいいじやないですか、もつと練習して音を出しなさい」などと言つて、同人にその時期での買替えを断念させた事実が認定できる。更に、教師が学生生徒らの持参したバイオリン自体について判断を示したりすることなく、別個の見地から助言を与えているような場合、例えば第二二回公判調書中の証人岩淵龍太郎の供述部分において、同証人は、京都市立芸術大学教授として、学生などから買替えの相談を受けた際通常は当該バイオリンについて評価などすることなく、その学生などに対し一般的な形で「できるだけ複数の楽器屋さんから同程度のプライスのものを借りて来て、それを比較して、その中で最善のものと思われるのを選びなさい」という注意を与えている旨述べているところ、助言内容が右のようなものであつても、同証人自ら右供述部分において「教育的配慮に基づく」旨述べていることにも表れているとおり、右助言がバイオリンの演奏技術を指導する教師の立場でなされたものであることは明らかである。

(四) してみれば結局、バイオリンの買替えに関する助言指導も、右のようにあくまで演奏技術の指導を行なう教師の立場でなすものであることや、その助言などの内容が一般的にみて相談に来た学生生徒らの今後の当該バイオリンの使用すなわち演奏や練習に直接間接に関連するものであることなどに照らし、前記(一)認定のような学生生徒らの使用するバイオリンについてその程度の悪さなどからその取替えを必要的に指導しなければならない場合以外の場合であつても、バイオリンの演奏技術の指導と密接に結びついたものであることが肯認できる。いいかえると、広く一般的に言つて、教師としては、バイオリンの演奏技術の教育指導に伴い、学生生徒らの使用するバイオリンに関し、とりわけその選定に関しても、買替えの相談を受けた場合も含め、当然にその助言指導にあたることを要し、広い意味では右助言指導も演奏技術の指導にあたる教師の教授内容に含まれると解することができる。なおこの点、バイオリンの選定とこれを用いる者の技量とが対応関係にあるとみることについては前記(二)記載のとおりこれを肯認することができないが、右は選定にあたつての判断基準であり、判断基準において選定と技量との対応関係が肯定できないことをもつて直ちに選定に関する助言指導と演奏技術との関連性が否定できないことはいうまでもない。また、バイオリンそのものについての判断や学生生徒らの経済的負担能力なども助言指導の内容に影響することは前記認定のとおりであるが、バイオリンの選定に関する助言指導いいかえると使用するバイオリンに関する助言指導が演奏技術の指導と形式的にも実質的にも密接に結びついたものであると認定することについて、右のような判断基準も積極的な根拠にこそなれ否定の根拠とならないことは前記(一)ないし(三)認定の各事実に照らし明らかである。また、前記2の(12)認定のように、教師においては買替えの相談に対する助言指導に際し、学生生徒らに対し特定の楽器商の保有する特定のバイオリンの購入を勧告ないし斡旋することもしばしばあると認められるが、バイオリンの選定に関する助言指導と購入の勧告・斡旋との関係等については、後記4及び5において検討する。

4楽器の選定に関する助言指導と東京芸大音楽学部教授としての職務行為

(一) 使用するバイオリンに関する助言指導一般、とりわけそのうちのバイオリンの選定に関する助言指導がバイオリンの演奏技術の教育指導にあたる教師の広い意味での教授内容に含まれることは、前記3認定のとおりであるところ、そのような助言指導を行なうことが教育公務員である東京芸大音楽学部教授の職務行為といえるかどうかについてはなお具体的な検討を要する。すなわち、教師の側からみても、実際の助言指導にあたつては、前記2及び3認定の各事実に照らし明らかなようにその教授内容にかなりの幅があり、また、学生生徒らの相談形態や相談事項によつても助言指導の具体的形態や内容にかなりの違いが生じることも一般である。

(二) この点まずもつて、国立大学音楽学部教授においても、学生らからバイオリンの買替えなどについて相談を受けた際、これに対し、一般にしばしば行なわれているように学生の持参などしたバイオリンを試奏するなどして、その音色、音量、音の通り方、健康状態などについて意見を述べたり、その判断を前提に当該学生の相談内容に対する具体的な助言を与えたりし、あるいは、第二二回公判調書中の証人岩淵龍太郎の供述部分において述べられているような内容の、バイオリンの選定にあたつての一般的注意を与えたり(前記3(三)参照)、その者の現在使用中のバイオリンやその練習状況などから買替えそのものを断念するよう勧告したりするのは、まさに前記3認定のとおり演奏技術を指導する教師という立場でなす助言指導であり、一方、右程度の助言指導を行なうにあたつては内容的に特別の調査研究など要せず、実際上も演奏技術の指導の場で助言指導ができることも明らかである。すなわち、バイオリン専攻の学生らを教育指導する教授において学生らの使用するバイオリンの選定などに関し行なう助言指導も、右のような範囲ないし内容のものであるときは、右記載のような実質に照らし、演奏技術の指導がその職務行為であると同じく、教授としての職務行為であることが明白である。なおこの場合、右助言指導が大学構内におけるいわゆるレッスン中に行なわれたものか、当該教授の自宅等に学生らが買替えの相談に訪ねて来た際行なわれたものか、あるいは電話を介して行なわれたものかなどによつて、その職務行為としての実質がとくに異なるものではない。

(三) しかし、前記2冒頭挙示の各証拠によれば、一般的にみて、教師らが学生生徒らの使用するバイオリンに関する助言指導を行なうにあたり、右(二)記載のような程度ないし範囲を越え、自ら積極的な行為に及んでいる場合もあることが認められる。すなわち、教師自ら楽器商に足を運ぶなどして学生生徒らの希望に適合するバイオリンを捜すなどしたり、更には、本件において本節一の3ないし12認定のように被告人海野が益田吾郎に対する助言指導に際し行なつたと同じく、買替えの相談に来た学生生徒らに対し特定の楽器商の保有する特定のバイオリンの購入を勧告ないし斡旋することもしばしば行なわれていることは前記2の(12)認定のとおりである。そして、これらの行為は、右(二)記載のような趣旨の、バイオリンの選定に関する教師の立場からの助言指導の存在を必然的な前提とし、場合によつては右助言指導と半ば一体となつて切り離すことができないものもあるとはいえ、右助言指導の域を越える部分に限つてみる限り、教師自身の私的な労力を費やすことになる場合もあり、基本的に考えて教育という本来の目的そのものからは外れたものと認められる。とりわけ、バイオリン購入の勧告・斡旋行為についてみると、もともと教師においてはバイオリンの演奏技術の指導にあたる者として自己が指導中の学生生徒らの使用するバイオリンの購入についてこれを斡旋などすべき職務上の義務のないことはいうまでもなく、また、バイオリンの購入自体は楽器商と学生生徒らとの間の経済的取引であつて、音楽教育に携わる教師としてそのような経済的行為に関与すべき必要など全くなく、なお後記5認定のように楽器商からのいわゆるリベートと結びつくときは当該斡旋行為が学生生徒らの教育指導という目的のためでなく楽器商の利益のために行なつているのではないかという社会的疑惑を招くおそれがあることにも照らし、結局、購入の勧告ないし斡旋自体は本来の助言指導の範囲からはみ出したものと認められる。

してみれば、国立大学音楽学部教授の職務行為としてみるとき、学生らの使用する楽器の選定に関し助言指導を行なうにあたり、右(二)記載のような程度ないし範囲を越え、特定の楽器商から特定の楽器の購入の勧告ないし斡旋などなしたときは、当該部分に関する限り、教育公務員として本来の職務行為の域を越えた行為に及んだものと認められる。すなわち、学生に対し特定の楽器商の保有するバイオリンを購入するよう仕向けないしはその購入を斡旋する行為は、それ自体としては、国立大学音楽学部教授の本来の職務行為のうちに含まれないと解される。

5楽器の購入の勧告・斡旋と楽器商からの利益の供与――賄賂罪の成否について

(一) <証拠>によれば、バイオリンなど弦楽器に関しては、教師が学生生徒らに対し特定の楽器商の保有する特定の楽器の購入方を勧告ないし斡旋した結果、その学生(生徒)が当該楽器を右特定の楽器商から購入したときは、右楽器商からその教師に対し右楽器の代金額の一〇パーセント前後の額の謝礼(俗に「リベート」という。)の支払の行なわれることが一般化ないし慣例化していると窺われる。また、被告人海野においても、第二節冒頭挙示の各証拠によれば、同節認定のとおり、昭和五一年五月ころから被告人海野の指導中の学生生徒等が同被告人の紹介、斡旋などでカンダアンドカンパニーからバイオリン等を購入したときは、被告人神田から当該楽器の売上額の一〇パーセント前後の額の謝礼をいろいろな形で受け取つていたことが認められる。すなわち、これらの各事実に照らし、教師の学生生徒らに対する楽器の購入方の勧告ないし斡旋という行為と楽器商から教師に支払われる謝礼との間には、いわゆる対価的関係のあることが明白である。

(二) ところで、刑法一九七条一項にいう「其職務ニ関シ」とは、当該公務員の職務執行行為ばかりでなく、これと密接な関係のある行為に関する場合をも含むと解されるところ(最高裁判所昭和二五年二月二八日第三小法廷判決、刑事判例集四巻二号二六八頁参照)、学生生徒らに対し特定の楽器の購入を勧告ないし斡旋する行為は、前記4(三)認定のとおりそれ自体としては教育公務員としての本来の職務行為にあたらないと解されるものの、右(一)認定のように右勧告ないし斡旋行為と楽器商からの謝礼の供与との間に対価的関係のあることに照らし、右勧告ないし斡旋行為についても、これが本来の職務と密接な関係のある行為かどうか検討することを要する。

まずこの点、右勧告ないし斡旋行為は、その行為自体として、前記4(三)認定のように学生生徒らの使用する楽器の選定に関する教師の立場からの助言指導の存在を必然的な前提とし、また形の上でも、その助言指導が学生生徒らの買替えの相談を受けたような場合など、楽器の選定に関する助言指導と特定の楽器の購入の勧告ないし斡旋とは一体的なものとして学生生徒らの側に受けとめられるのが通常であり、結局、実質及び形式いずれにおいても教師の本来の職務行為である教育指導、とりわけ楽器の選定に関する助言指導と極めて密接に結びついていることは明らかである。更に、教師が現実に楽器の購入方の勧告ないし斡旋をした場合、その影響力についてみるに、たしかに教えを受ける立場にある学生生徒らにおいても、楽器の購入自体については、経済的負担能力の問題もあり、その勧告や斡旋などに従う法的な意味での義務のないことは明らかである。しかし学生生徒らとしては、教師から受けた勧告や斡旋にはその前提に今後自己の使用する楽器の選定に関する助言指導が存在するところから、教育的意味においてもこれに従いたいという心理的負担を感じるのが一般と認められ、また、実際問題としても、勧告や斡旋に従わなければ教師のいわば機嫌を損ね、自己の成績評価に悪く影響するのではないか、あるいは今後の演奏技術の指導などでも粗略に扱われるのではないかという不安や懸念を抱くおそれが十分あり、その事実上の影響力はかなり大きいものと認められる。したがつて、右のような意味においても、教師の行なう勧告ないし斡旋などの行為は、教師の職務である教育指導と密接に関係しているものと認められる。

加えて、楽器の購入の勧告ないし斡旋という行為は、右(一)認定のとおり一般的に楽器商からの謝礼と結びつくことが多いと認められるものの、これが謝礼と結びついている場合には、公立学校の教師であると私立学校の教師であるとを問わず、社会一般から、教師の行なう購入の勧告ないし斡旋ひいてはこれと実際上直接に関連する楽器選定に関する助言指導そのものが、学生生徒らの教育指導という見地からではなく、楽器商からの謝礼目当てないしは楽器商の利益のために行なわれているのではないかという疑いを受けるおそれのあることは明らかである。とりわけ、その教師が国立大学音楽学部教授など教育公務員である場合、右のように社会に疑惑の念が抱かれるということは、まさに学生らの教育指導という公務員としての職務――この場合直接的には学生生徒らに対するその使用する楽器の選定についての助言指導――そのものの公正さが疑われているということを意味する。してみると、職務との密接性について職務の公正さの保持という標準に照らし検討しても、国立大学音楽学部教授がその指導中の学生に対し特定の楽器を特定の楽器商から購入するよう勧告ないし斡旋する行為は、教育公務員としての職務に密接な関係を有する行為であることが十分肯認できるのである(なお、楽器の選定ないし購入に関し助言指導あるいは勧告を受けた学生生徒の側から謝礼として教師に金品の供与があつたような場合については、職務の公正さの保持という標準に照らし、その額が教師のいわば余分に費やした労力などに対する礼として社会的に見合うようなものであるときなど、謝礼の賄賂性が否定されると考える余地があろう。)。

(三) 以上から結局、東京芸大音楽学部器楽科担当の教授が自己の指導中のバイオリン専攻の学生に対し、その使用するバイオリンの選定に関する助言指導を行なうにあたり、特定の楽器商の保有する特定のバイオリンの購入方を勧告ないし斡旋することは、国立大学教授としての職務の執行に密接な関係を有する行為であつて、右行為に関し当該楽器商から利益の供与を受けたときは、刑法一九七条一項にいわゆるその職務に関するものとして収賄罪を構成するものと解するのを相当とする。

三請託の有無及び収賄罪の成否について

1被告人神田の認識、意図など

本節一認定の各事実及び第二節認定の各事実とを総合すれば、次のような事実が認定できる。すなわち、被告人神田は、被告人海野からいわゆる強いバイオリンという観点からプレスセンダー製作あるいはロッカー製作にかかるバイオリンなどを捜して来て欲しい旨依頼されたことから、本件プレスセンダー作のバイオリン一丁をイーリング・ストリングス社から仕入れて来たものであるところ、被告人神田としては、それまでの楽器商としての経験に基づき、被告人海野が右のような依頼をして来たということ自体、同被告人が知合いの学生などからこの種のバイオリンが欲しいという相談を受けていることを意味するものと理解し、その意味で、同被告人がよい楽器と考えてくれれば、同被告人からその相談に来た学生などに右バイオリンの購入方を勧告ないし斡旋して貰えるものと期待していたであろうことが十分推認可能である。そしてこの点、ひるがえつてみれば、右依頼は、本節一認定の各事実に照らし、被告人海野が当該バイオリンを自ら直接に引き取ることを前提にしての依頼ないし特定の者に必ずその購入方の斡旋をなすことを約しての依頼などでなかつたことも明らかであり、したがつて、同被告人にその知合いの者らに購入方の斡旋などして貰えないときは、被告人神田自身売却先を見つけなければならない状況にあつたこと、いいかえると、同被告人としては右バイオリンを仕入れた時からすでに、被告人海野に対し、同被告人が右相談に来た学生などに右バイオリンの購入方を勧告ないし斡旋してくれることを強く求める気持のあつたことも合理的に推認できる。

更に、本節一の6認定のとおり、被告人神田において右バイオリンを欲しがつている者が益田吾郎という者であることを知つたのは、右バイオリンを被告人海野方に持参した際同被告人から右益田の名前を聞かされたことによるものであることが認められ、また、被告人神田と右益田との関係に関しても、本節一の6認定のとおり、同被告人がすでに従前カンダアンドカンパニーとして右益田に対しガダニーニスクールのバイオリンを売つたこともあり、また、その後も時折カンダアンドカンパニーの店舗に訪れて来ていた同人と顔を合わせたりしていたこともあつて、同人が現に被告人海野から直接の指導を受けている東京芸大音楽学部のバイオリン専攻の学生であるということを知つていたことも認定できる。ところで、被告人海野から右益田にプレスセンダー作のバイオリンの購入方を斡旋して貰うことについて、被告人神田は、第二九回公判調書中の同被告人の供述部分において、「益田君に前に売つた楽器は音質はいいんですが、音量が欠ける楽器なんです。ということは、もし下取りした場合にあとで売りずらいということがわかつておりましたんで、益田君という言葉が出て来たときに、ちよつと困つたなということを内心思いました」などと若干ちゆうちよする気持のあつたことを述べているが、右供述に引き続き、「これはやつぱりちよつと言うわけにはいきませんので、お願いしますというか、そういう言葉を言つたかどうかわかりませんが、まあ益田君に紹介してもらうということを承諾したというんでしようか、という返事をしたと思います」と述べ、結局、公判期日における供述においても、被告人神田として、右バイオリンを欲しがつている者が右益田と分かつたのちも被告人海野に対し同人への右バイオリンの購入方の勧告ないし斡旋を依頼する意思のあつたこと自体は、自認している。加えて、被告人海野が右バイオリンについて、被告人神田に対し「益田君のレッスンが近いうちにあるから、そのときに勧めてみましよう」「益田君に弾かせてみましよう」などと言つて、右バイオリンを被告人海野方に置いて帰ることを求めたこと、また、被告人神田が被告人海野の右求めに応じ、右益田に試奏などさせることを了承して右バイオリンを同被告人方に置いて帰つたことも、本節一の7及び8認定のとおりであるところ、右各事実のみに照らしても、被告人神田においては、被告人海野から右益田に勧めてみようという趣旨の言葉を聞くに及ぶや、同被告人が右バイオリンを相談に来た者に勧めてくれることへの期待が具体的かつ現実的なものと化し、実際問題として右バイオリンを右益田に売却できるという見込みが強くなるとともに、同人に現実に購入させたいという強い意図を抱いたであろうことは、十分肯認できる。

なお、本節一の14ないし16認定のように被告人神田が被告人海野に対しプレスセンダー作のバイオリンを右益田に売却できたことにかかる謝礼として現金一〇〇万円を現実に供与している事実と、第二節4及び5認定のような被告人神田と被告人海野との間に同被告人の斡旋などで同被告人の教える学生等に弦楽器類を売却できたときは売上額の約一〇パーセントの謝礼を被告人神田から被告人海野に供与する旨の一般的な了解があつた事実とを合わせ考えれば、被告人神田及び被告人海野いずれにおいても、本件で右益田がプレスセンダー作のバイオリンを購入するに至れば被告人神田から被告人海野に相当額の謝礼を供与することが当然の前提になつていたことが明らかであり、とりわけ被告人神田においては常に損益の計算をすることを要する楽器商として、右認定のように右バイオリンを右益田に売却できるという見込みが現実化した時点で、すでに右謝礼の点もその意識するところであつたと窺える。また、本節一の14認定のとおり、被告人神田が右益田から代金の一部三〇〇万円が入金になつた直後ころ被告人海野に対し謝礼として二三〇万円を供与したい旨申し入れたことが認められるところ、二三〇万円という謝礼金額を算出した事情について、被告人神田は、第二九回及び第三三回各公判調書中の同被告人の供述部分において、プレスセンダー作のバイオリンが右益田に八八〇万円で売却でき、仕入価格が五七五万円であつたことから、早く売却できたことや下取りがないということで約一〇パーセントの儲けがあれば足りる、すなわち六五〇万円が店に残れば足りると計算し、二三〇万円を謝礼にあてようと考えたという趣旨の供述をしている。

2請託の有無――推認可能な事実と自白

本節一認定の各事実及び右1認定の被告人神田の認識、意図などを総合すれば、被告人神田が昭和五三年六月二日ころ、被告人海野方にプレスセンダー作のバイオリンを持参した際、同被告人に対し、同被告人の直接的な指導を受けている東京芸大音楽学部学生である右益田に右バイオリンの購入方を勧めることを依頼する趣旨の請託をなし、同被告人において右依頼を承諾したことが合理的に推認可能である。この点、まず、第二九回及び第三三回各公判調書中の被告人神田の供述部分並びに第三五回、第三六回及び第三八回各公判調書中の被告人海野の供述部分によつても、本節一の7認定のとおり、その際被告人海野がむしろ積極的に右バイオリンについて右益田の希望に合致したよい楽器であるという趣旨のことを告げ、更に被告人神田に対し「益田君のレッスンが近いうちにあるから、そのときにこのプレスセンダーを益田君に勧めてみましよう」「益田君に弾かせてみましよう」などと告げていることが認定できる。してみると、本節一の4ないし6認定のような被告人海野からの依頼がきつかけで被告人神田がプレスセンダー作のバイオリンを被告人海野方へ持参するに至つた経緯と合わせ考えれば、被告人神田が本節一の8認定のようにその際右バイオリンを右益田に試奏などさせるため被告人海野に預けたこと自体、同被告人の前記のような言葉に乗る形で、右益田にその購入方を勧めることを同被告人に依頼する意味を含んだ行動であることが明らかである。ただこの点に関し、被告人神田がその際右依頼内容を具体的かつ詳細に明示する発言をしたかどうかについては、被告人両名とも、第二九回及び第三一回各公判調書中の被告人神田の供述部分、第三五回公判調書中の被告人海野の供述部分などにおいて、ただ「よろしくお願いします」あるいは「それじや、お預けしていきましよう」などという外見的には社交儀礼的な言葉ないし簡単な応答文言を述べたにすぎない旨供述している。とはいえ、被告人神田がその際右程度の言葉を述べただけであつたとしても、それまでの経過及び右バイオリンを現実に被告人海野に預けたことと合わさつて、これにより、相手方である同被告人に対し十分に右依頼の趣旨を伝ええたことが客観的に肯認できる。すなわち、被告人神田が被告人海野に対し右益田への右バイオリンの購入方の勧告ないし斡旋を依頼する主観的意図を抱いていたことは前記1認定のとおりであるところ、客観的にも、被告人神田の右のような言葉を含めその際の言動全体ないしその態度は、被告人海野に対する右趣旨の依頼行為にあたることが明白である。一方、被告人海野においても、前記認定のとおり、被告人神田の現実的な言動に先行するものとはいえ、同被告人に対し右バイオリンを右益田に勧めてみようという趣旨のことを告げていることに加え、本節一の9ないし12認定のように実際に同人に対し「よいと思えば買いなさい」などと右バイオリンの購入方を勧める行為に出ていることに照らし、被告人海野がその際被告人神田の右依頼を承諾していたことも十分肯認できる。

加えて、被告人両名は、捜査段階においては、次のような供述をしている。すなわち、被告人神田は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付供述調書中で、「私は先生に益田君に勧めてみて下さいとお願いしたところ、先生は益田君のレッスンが近いうちにあるからそのときにこのプレスセンダーを益田君に勧めてみましようと言つた」などと供述し、被告人海野は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二〇日付供述調書中で、「神田さんは、このプレスセンダーを先生の方から益田君に勧めて下さいと言つた。私が、益田君に弾かせて、よければ勧めてみるよ。プレスセンダーを置いて行くようにと言つた」などと供述している。そして、このような被告人両名の捜査段階における供述は、細かい点は別として、大筋において相互に矛盾せず、かつ、内容的に右のような合理的に推認できる事実に符合しており、また、この点に関する被告人神田の供述が捜査段階、公判期日を通じおおむね大筋において一貫していることなどに照らし、その信用性も十分肯認できる。いいかえると、右合理的に推認できる事実は、被告人両名の右各供述によつても裏付けられているということができる(なお、被告人海野は、第三六回及び第三八回各公判調書中の同被告人の供述部分中では、「プレスセンダー作のバイオリンは自分の方から頼んだものなので、被告人神田の方から益田君に勧めてくださいなどと言うはずがない」「検察官に対する供述調書中の右のような供述は検察官が自分の説明を取り合わず強引に書いてしまつたものである」などと述べている部分もあるが、右部分はそれ自体としていわば理くつを述べるだけのものであり、右部分をさておけば、同被告人の公判期日における供述によつても、前記のように被告人神田の全体的な言動から被告人海野に対する依頼があつたと推認できることに照らし、右供述部分はこれを信用することができない。)。

ところで、請託とは、公務員に対し一定の職務行為を行なうことを依頼することであり、その公務員が依頼される以前にすでに当該行為に出る意思を有していた場合でも、あるいは公務員の方が先に一定の行為を行なうつもりであるという趣旨のことを告げていた場合でも、賄賂を供与する側から具体的な依頼行為が行なわれた以上は、請託があつたものと認められる。すなわち、具体的な依頼行為とこれに対する承諾の存在によつて賄賂と特定の職務行為との対価関係が肯認できるときは、その依頼に際し贈賄側と公務員のいずれが積極的に働きかけたか、あるいはその依頼のきつかけないし動機が何であつたかを問わず、また、その依頼の実質的内容が公務員の意図するところと一致する場合であつても、右依頼行為が請託行為にあたり、これに対する承諾が受託行為にあたると解すべきことは、刑法一九七条一項後段の法意に照らし明らかである。なお、請託にあたる依頼は少なくとも職務行為を発動させるに足るものか、又は職務行為に対し一定以上の強度をもつて実質的な影響を与え得るものでなければならないなどとする被告人海野の弁護人らの前記見解は、独自のものであつて、これを採用することができない。

してみれば、本件においては、たしかに前記のとおり被告人海野から被告人神田に対する一定のバイオリンを捜して欲しいという趣旨の依頼をしたことが始まりであり、また、被告人海野の方から積極的に前記益田吾郎に本件プレスセンダー作のバイオリンの購入方を勧めてみようという趣旨の発言を行なつたことも認定できるが、被告人神田が右バイオリンを被告人海野のもとに持参して来た際、同被告人に対し、右益田に右バイオリンの購入方を勧めて欲しいという趣旨の具体的な依頼をした事実及び被告人海野も右発言を含め被告人神田の右依頼を承諾していた事実も前記のとおり合理的な疑いを越えてこれを肯認でき、したがつて結局、被告人海野が被告人神田から「請託を受けた場合」にあたることは明らかである。

3現金一〇〇万円が供与された趣旨について

被告人神田が被告人海野に対し供与した現金一〇〇万円が、同被告人の勧告ないし斡旋によりプレスセンダー作のバイオリンを前記益田吾郎に代金八八〇万円で売却できたことにかかる謝礼であつたこと、及び被告人両名とも右趣旨の謝礼であるという十分な認識のあつたことは、前記1及び本節一の14ないし16認定のとおりである。してみると、なお本節二認定のような被告人海野の東京芸大音楽学部教授としての職務権限にも照らし、右一〇〇万円は、被告人海野の東京芸大音楽学部教授としての職務の執行に密接な関係を有する行為と直接具体的な対価関係に立つ賄賂であることが明らかである。

四結論

以上要するに、第二部「証拠の標目」のうち第一部第三節三「罪となるべき事実その一」の事実に関し挙示した各証拠を総合すれば、被告人海野は、東京芸大音楽学部教授として、バイオリン専攻の同学部学生らに対し、バイオリンの演奏技術の指導に伴い同学生らの使用するバイオリンの選定に関し助言指導する職務に従事していた者であること、被告人神田から被告人海野に対し、同被告人において教育指導中のバイオリン専攻の学生益田吾郎にプレスセンダー作のバイオリン一丁を選定購入するよう勧められたいという趣旨の依頼があり、同被告人が右依頼を承諾したこと、すなわち被告人海野は、被告人神田から右職務行為に関し請託を受けたこと、右バイオリンが右益田に売却できたのち被告人神田が被告人海野に対し同被告人の右請託の趣旨に従つた尽力に対する謝礼として現金一〇〇万円を供与し、同被告人においても右謝礼であることの趣旨を十分に認識して右一〇〇万円を収受したことなどを認めることができ、結局、判示罪となるべき事実その一は合理的な疑いを越えてこれを認定することができるのである。また、被告人海野の弁護人らの前記主張中、右認定に反する部分はいずれも失当である。

第四節東京芸大購入のバイオリン関係

一事実関係

1被告人神田側の事情等

<証拠>によれば、

(一) 被告人神田は、昭和五三年九月ころ、ロンドンのイーリング・ストリングス社でヨアンネス・バプティスタ・ガダニーニ(Joannes Baptista Guadagnini。なお、名前の呼び方としては、ラテン語で綴つた場合ヨアンネス((Joannes))となり、イタリア語で綴つた場合はジョバンニ((Giovanni))となる。被告人神田は帳簿等においてはジョバンニと記載している。)製作と称せられているバイオリン(以下「J・B・ガダニーニ作のバイオリン」という。)一丁を三万七〇〇〇ポンド(邦貨換算約一五〇〇万円)で仕入れた(ただし、委託販売の形)こと

(二) 被告人神田は、右イーリング・ストリングス社から送つて来ることとなつていた右バイオリンにかかるいわゆる権威のある鑑定書がなかなか到着しなかつたこともあつて、同年一〇月半ばころ、右バイオリンがジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明するという内容のランバート・ウォリツアー社作成名義の鑑定書一通を偽造したこと(なお、判示「罪となるべき事実その三」((第一部第五節二))2参照)

(三) 被告人神田は、同年一一月中旬ころ、自ら右バイオリンを持参して福岡市在住の音楽家岸辺百々雄のもとに出かけ、価格一八〇〇万円でその売込みを図つたが、不成功に終わつたこと

などが認定できる。

2東京芸大においてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを選定し購入するに至つた経過等

<証拠>によれば、次のような事実が明らかである。すなわち、

(一) 東京芸大音楽学部においては昭和五三年度の楽器類購入費として七五〇〇万円を計上し、楽器購入委員会が年度当初に立てた楽器購入計画に従つて現実の楽器購入を進めていたこと

(二) 弦楽科としては、同年度の楽器購入計画にコントラバス一本(一五〇〇万円相当)が購入予定の楽器として組み入れられていたこと

(三) ところで、実際の楽器購入にあたつては、予定と異なり適当な楽器が見つからないなどの理由で一部に予算執行残の生じることが確実となり、昭和五三年一二月五日現在において、ほぼ確実なものだけでも一八四一万六〇〇〇円、不確実なものを含めると合計四六一六万七一二七円の楽器類購入費が予算未消化のまま残ることが判明したこと

(四) そのため、音楽学部では、二〇〇〇万円の枠内で第二次の楽器購入計画を立てることになり、各教科から改めて購入希望を出させることとなつて、同学部事務部の職員から各教科の主任教授にその旨の連絡をしたこと

(五) 弦楽科においては主任教授である堀江泰が直ちに弦楽部会を招集し、同月七日ころ、堀江教授はじめ、副主任教授である被告人海野、更に岩﨑吉三教授、福元裕教授、多久興教授、山岡耕筰助教授、日高毅助教授、浅妻文樹助教授、三木敬之助教授、江口朝彦助教授の全教官の出席した同部会で協議した結果、もともと右教官らの間では年度初めから教官が授業の際などに用いることのできる相当程度上級のバイオリンを購入したいという希望が強く、年度当初の楽器購入計画に繰り入れられなかつたものの、その後折にふれ堀江教授らが学部長等に要望し続けていたこともあつて、右二〇〇〇万円という枠内であればバイオリンの購入が第二次の購入計画に組み入れられることが確実な状況にあつたことから、急ぎ適当なバイオリンを選定しその購入を希望しようということになり、そのためまず教官らにおいて手分けしてその候補となるバイオリンを捜すことにしたこと

(六) 堀江教授は、同月中旬ころ、二、三知合いの楽器店に電話して在庫の有無を尋ねたほか、カンダアンドカンパニーの事務所にも電話し、被告人神田に対し、東京芸大でバイオリンを購入できるようになつたので適当なバイオリンを捜しているという趣旨の話をしたこと

(七) その際、被告人神田は、始め価格二五〇〇万円位のストラディバリウス製作のバイオリンがある旨話したが、堀江教授に高額すぎる旨言われたことから、千七、八百万円位のJ・B・ガダニーニが製作したバイオリンがある旨申し出たところ、同教授から右バイオリンを被告人海野のもとに持参して下見として試奏などして貰うようにという指示を受けたこと、一方、被告人海野も、その直後ころ堀江教授から、被告人神田と連絡をとつてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを下見として試奏などしてみて欲しいという要請を受けたこと

(八) 被告人神田は、堀江教授から右のような電話を受けた直後ごろ、被告人海野方に電話して、同被告人に対し、カンダアンドカンパニーで保有しているJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを同被告人のもとに持参して東京芸大(音楽学部)で購入する楽器の候補になりうるかどうか下見して貰うようにという指示を堀江教授から受けた旨伝えるとともに、同被告人との間で同被告人方に右バイオリンを持参する日時等を打ち合わせたこと

(九) 被告人神田は、同月中旬の右打ち合わせた日時に、東京都世田谷区成城五丁目二一番一八号所在の当時の被告人海野方に右バイオリンを持参して訪れたこと

(一〇) 被告人海野は、その際直ちに右バイオリンを手に取りその健康状態などを調べたり、これを試奏したりし、また、自己の所有するストラディバリウス製作のバイオリンと弾き比べるなどしたが、J・B・ガダニーニ作のバイオリンが東京芸大において今回購入する楽器の候補の一つになりうると思えたことから、被告人神田に対し「なかなかいい音なので、候補の一つになるから芸大の方へ連絡して持つて行きなさい」などと告げ(なお、被告人神田からの被告人海野に対する依頼の有無、内容等については後記三認定のとおり)、右バイオリンを同被告人に持ち帰らせたこと

(一一) 被告人海野は、その後まもなく堀江教授に対し、J・B・ガダニーニ作のバイオリンは弦楽部会で審査するだけの価値のある楽器であるという趣旨の報告をしたこと

(一二) 被告人神田は、同月二〇日ころ、堀江教授から電話でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを東京芸大のために取つておいて欲しいという趣旨の連絡を受け、更に、昭和五四年一月上旬に同教授から電話で右バイオリンを東京芸大に持参するようにという指示を受け、同月一一日ころ、右バイオリンを同大学音楽学部事務部会計係に届けたこと、その際、同被告人は、判示「罪となるべき事実その三」(第一部第五節二)2認定のとおり、右バイオリンがジョバンニ・バプティスタ・ガダニーニによつて製作されたものであることを証明する趣旨のランバート・ウォリツアー社作成名義の偽造鑑定書を右バイオリンとともに同会計係に提出したこと

(一三) 弦楽科においては、右一月一一日、東京芸大音楽学部構内の弦楽教官室において、全教官が出席して購入楽器選定のための弦楽部会を開き、J・B・ガダニーニ作のバイオリンのほか、他の楽器商らから持ち込まれていたバイオリン数丁についても選定作業を始めたが、J・B・ガダニーニ作のバイオリン以外のバイオリンは価格的にも非常に安く、程度の低いものであつたことから直ちに選定の対象外となり、対象としてはJ・B・ガダニーニ作のバイオリン一丁にしぼることになつたこと、その際、各教官がそれぞれに右バイオリンを手に取つて健康状態などを調べたりしたほか、被告人海野が堀江教授の指示に従い右弦楽教官室や音楽学部構内の第六ホールで右バイオリンを試奏し、東京芸大保有のストラディバリウス製作のバイオリンと弾き比べたりしたこと

(一四) 弦楽科としては、当時、購入楽器の選定については全員一致の結論によるべきものとしていたところ、右弦楽部会において、一〇名の教官中九名がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することに賛成の考えを表明したが、前記山岡助教授が右バイオリンを見た印象としてあまりよい感じがしない、感覚的に製作年代が多少新しいもののように思えるなどという意見を述べたため、引き続き慎重に検討することになつたこと、なおその際、右検討にあたつては弦楽器について技術的に詳しい第三者から専門的な意見を聞こうという話が出て、前記日高助教授がその知合いの楽器業者に頼んでみることになつたこと

(一五) 同月一八日に音楽学部教授会が開かれた際、堀江教授が学部長や評議員らに対しJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの試奏を聴いて購入の当否について意見を聞かせて欲しいという趣旨の依頼をし、右教授会が終わつたのち、学部長及び評議員三名のほか弦楽科常勤教官らが聴く中で被告人海野が堀江教授の指示に従い右バイオリンの試奏を行ない、東京芸大保有のストラディバリウス製作のバイオリンや同被告人が自ら携えて来ていた同被告人所有のストラディバリウス製作のバイオリンと弾き比べるなどしたこと、その際、学部長や評議員らはいずれもJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入に好意的な意見を述べたこと

(一六) 前記日高助教授が同助教授の知合いで、バイオリンの鑑識にかけては有名な、自らもバイオリンの製作にもあたつている楽器商のもとにJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを持参し、推定される製作者、製作年代などについて意見を求め、右楽器商から「右バイオリンがJ・B・ガダニーニ製作のものかどうかは断定できないが、相応の価値のあるよい楽器と思われる」旨の回答を得て、同月下旬ころ、その旨堀江教授に報告したこと

(一七) 被告人神田は、同月一八日過ぎころ、堀江教授から電話で右バイオリンについてJ・B・ガダニーニ製作のものかどうか疑念を抱いている教官がいるという趣旨の連絡を受けたこと

(一八) そのため、同被告人は、右疑念を具体的には右バイオリンのスクロール部分がJ・B・ガダニーニ製作のものでないという疑念であるものと受け取り、堀江教授に対し右バイオリンがJ・B・ガダニーニ製作のものであることを科学的に明らかにしたい旨申し出て、同月下旬あるいは同年二月一日ころ、フルオーテストと呼ばれる検査機械(バイオリンのボデー部分等に紫外線を照射してニスの塗布状態などを調べることのできる機械)を自ら弦楽教官室に持ち込み、弦楽科の常勤教官らの前で右機械を用いて、右バイオリンのボデーに塗られたニスがスクロール部分を含めすべて同一時期に塗布されたものであることを示したこと(フルオーテストを用いてのニスの塗布状態の検分((以下「フルオーテスト」という。))の行なわれた日にちないし時期については、後記3(二)参照)

(一九) 弦楽科においては、弦楽部会を開き、前記山岡助教授も購入に反対しないという態度をとるようになつていたこともあつて、常勤教官全員一致の意見で、J・B・ガダニーニ作のバイオリンを授業などの際教官の用いる楽器として選定し、購入手続を進めることを最終的に決定したこと(弦楽部会の開かれた日にち、右バイオリンの購入が実質的にいつ決まつたかなどについては、後記3(二)参照)

(二〇) 音楽学部においては、第二次の楽器購入計画の中に弦楽科の希望するバイオリンの購入を組み入れることにしていたこともあり、同年二月一日ころ、堀江教授から同学部事務部へ弦楽科でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入する旨決定したことの連絡があつたことに基づき、以後、右事務部及び東京芸大事務局の担当職員らが右バイオリンを購入するための事務手続を進め、かたわら右事務部の職員らが被告人神田と交渉して右バイオリンの購入価格を一六〇〇万円とすることに話を決め、また、弦楽科常勤教官らが同月一五日付で右バイオリンにかかる選定理由書及び評価書(評価額一六〇〇万円)を作成したこと、次いで、同大学として同大学内の所定の決裁手続を経て、同月二一日付で最終的に右バイオリンを購入することを決定し、そのころ、同大学支出負担行為担当官である同大学事務局長と被告人神田との間で、右バイオリンを代金一六〇〇万円で購入することを内容とする正規の物品供給契約(契約書は右二月二一日付)を締結したこと

(二一) 被告人神田が、同年一月下旬、被告人海野方において、同被告人に対しビネロン製作のバイオリン用弓一本(価格約八〇万円相当。前記押号の一の一)を供与し、同被告人がこれを収受したこと(なお、右バイオリン用弓の受渡しがなされた日にちないし時期については、後記3(三)において更に検討する。)

などの事実が疑いを容れる余地なく肯認できる。

3証拠上食い違いのある部分についての検討

ところで、右2認定の各事実に関連して、種々内容的に食い違う証拠の存在する部分について次に検討を加える。

(一) 被告人神田が東京芸大においてバイオリンを購入する予定であることを知つた経緯について(前記2(六)ないし(八)認定の事実に関し)

被告人神田が誰から東京芸大(音楽学部)においてバイオリンを購入できるようになつたので適当なバイオリンを捜しているという趣旨の連絡を受けたかということについて、若干証拠の食い違いがみられる。

この点、堀江教授は、第一三回及び第一四回各公判調書中の証人堀江泰の供述部分において、「私の方からカンダアンドカンパニーに電話をかけ、何かいい楽器はないかと尋ねた。それで、神田さんが電話でJ・B・ガダニーニがあると連絡してくれた。私は、早速海野先生に下見をしてもらうようにと神田さんに頼んだ。その後に、海野先生に連絡し、J・B・ガダニーニのことを話し、下見をしておいて欲しいとお願いしたところ、引き受けてくれた」という趣旨の供述をしている。また、被告人海野は、捜査段階から一貫して堀江教授の右供述に符合する供述をしている。すなわち、被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書、第三四回及び第三六回各公判調書中の被告人海野の供述部分において、同被告人は、「自分が神田さんと電話で話をした際、神田さんは芸大がバイオリンを購入しようとしていることを堀江先生から聞いて知つていた。そして、神田さんは堀江先生からJ・B・ガダニーニを自分に弾いてもらうように言われたと話した」などと供述している。

これに対し、被告人神田は、公判期日(ただし、第一回公判期日を除く。)においては堀江教授の右供述及び被告人海野の右供述に沿う供述をしているが、捜査段階ではこれと異なる供述をしている。すなわち、被告人神田は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書中で、「本件のJ・B・ガダニーニの芸大への売り込みのきつかけとなつたのは、確か海野先生からの電話だつたという記憶である」「五三年一二月半ば近いころ店にいた私あてに海野先生から電話があつて、『今年度の予算でよいバイオリンが買えそうだ。何かよいバイオリンはないかな』と言われた」「私は『J・B・ガダニーニがありますがどうでしようか。一八〇〇万円位の楽器でウォリツアークラスの鑑定書付きのものです。是非芸大で買つてもらえるように先生からひとつよろしくお願いします』と言つた」「私は、そのあと堀江先生のお宅に電話をした」などと述べている。

そこで、果たして堀江教授と被告人海野のいずれが先に被告人神田に電話をしたか考えてみるに、堀江教授の右供述は、それ自体として信用性に疑念をさし挾む理由がなく、とりわけ堀江教授が被告人海野に対しJ・B・ガダニーニの下見として検分や試奏などするよう要請した旨の供述は、右2認定の各事実に照らし、誤りないものと認められるところ、被告人海野においては堀江教授から右のような要請を受けた際すでに自分が被告人神田と連絡をとり、同被告人のもとにJ・B・ガダニーニ作のバイオリンがあることを知つていたものとすれば、通常、被告人海野から堀江教授にその旨話をしているものと考えられるにもかかわらず、堀江教授の右供述中でも被告人海野から自分も被告人神田がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを持つていることを知つているという趣旨の話のあつたことは一切述べられておらず、その意味で堀江教授の右供述は、被告人海野がそのような話をしなかつた、いいかえると被告人海野は堀江教授から右要請のある以前に被告人神田と連絡をとつていなかつたことを窮わせる。

加えて、被告人神田は、被告事件に対する陳述中で、「昭和五三年一二月中旬ころと思いますが、海野先生と電話でお話をしたことがあるのは事実です。しかし、このときの電話はたしか海野先生の方から電話がかかつて来たのであつて、私の方から電話をかけたのではないと思います」と述べたが、その後、右陳述を変更し、第二七回及び第三一回公判調書中の被告人神田の供述部分においては、「芸大にガダニーニを売り込んだことはない。最初に堀江先生から電話があつた。海野先生からではない。私が見て下さいと海野先生に電話した」「第一回の認否後、実はあるきつかけがあつて思い出した。堀江先生から電話があつたということが、はつきり記憶に出てきた。第一回公判の『海野先生から電話があつたんであつて、私のほうから電話したのではありません』というのは、記憶ちがいでした」「堀江先生から最初電話があつて、海野先生に私が電話したのはまちがいない」などと供述するに至つている。すなわち、これらの供述を合わせ考えれば、被告人神田自身においては、第一回公判期日までは、まず最初に連絡を受けたのは被告人海野からであつたと思い込んでいたものと認めることもできる。

したがつて結局、堀江教授及び被告人海野の前記各供述と被告人神田の右供述とを総合して判断すれば、堀江教授がまず最初に被告人神田に電話して二〇〇〇万円の枠内で東京芸大の購入できる適当なバイオリンを捜している趣旨の話をしたものと認定するのが相当である。

(二) 弦楽部会が全員一致の結論でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することを決定した日などについて(前記2(一八)及び(一九)認定の事実に関し)

弦楽部会が全員一致の結論でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを教育研究用の楽器として選定し、購入手続を進めることを決定した日について、検察官は、弦楽部会が公式の決定をしたのは昭和五四年二月一日であろうとしながらも、購入するという結論を実質的に出したのは同年一月下旬であり、なお、被告人神田がフルオーテストを行なつたのは同月二六日ころであつて、教官らはその結果を見て最終的な結論を出した旨主張している。一方、被告人両名の弁護人らは、右フルオーテストを行なつた日も同年二月一日であり、また、同年一月下旬に弦楽部会が開かれたこともなく、実質的であると形式的であるとを問わず右バイオリンの購入を決定したのは右二月一日であると主張している。

この点、まず第一に、<証拠>によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

(1) 弦楽部会は、昭和五三年ないし同五四年当時、原則として毎月第一及び第三木曜日に開かれていたが、同年一月においては第一木曜日が御用始めの日である一月四日であつたことから同日は弦楽部会が開かれなかつたこと

(2) 前記2(一三)認定のとおり、昭和五四年一月一一日(木曜日)に弦楽部会が開かれたこと

(3) 被告人神田は、同月一三日アメリカに向け出発し、同月一八日に帰国したこと

(4) 前記2(一五)認定のとおり、同月一八日に音楽学部教授会が開かれ、これに引き続き学部長及び評議員のほか弦楽科常勤教官らが聴く中で被告人海野がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを試奏したが、同日正規の弦楽部会が開かれてはいなかつたこと

(5) 前記2(一七)認定のとおり、同月一八日過ぎころ堀江教授から被告人神田に対し電話で右バイオリンについて疑念を抱いている教官がいる旨連絡したこと

(6) 前記日高助教授が前記2(一六)認定のように知合いの楽器商のもとに右バイオリンを携えて訪れ、右楽器商から推定される製作者、製作年代などについて意見を聞いたのは、同月二四日であつたこと

(7) 被告人海野は、同月二三日から同月二五日まで、二泊三日の予定で京都に出かけており、同月二五日は東京芸大に出て来ていないこと

(8) 右日高助教授は、同月二五日及び翌二六日、東京芸大に出て来ていないこと

(9) 被告人神田は、同月三〇日、名古屋に出かけていること

(10) 昭和五四年二月一日昼に弦楽部会が開かれたこと、なお同日午前及び午後には弦楽科の教官らによる学生らの後期実技試験が行なわれていたこと

(11) 音楽学部事務部においては、同日又は遅くとも翌二日までに、堀江教授から弦楽教官ら全員の検討でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することを決定した旨の連絡を受けたこと、なお、その際合わせてバイオリン用弓三本、ビオラ用弓二本、チェロ用弓一本及びコントラバス用弓一本の購入を決定したことの連絡もあつたこと

(12) 学部長においては、右二月一日ころ、事務部職員から右購入に関する連絡のあつたことの連絡を受け、翌二日、東京芸大学長に報告して右バイオリンを購入することの「諒承」を得たこと

などの事実がほぼ疑いを容れる余地なく認定できる。

してみると、右各事実、とりわけ右二月一日に弦楽部会の開かれたことが客観的に明らかであること、同日又は遅くとも翌二日までに堀江教授から音楽学部事務部職員に弦楽科としてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することを決定した旨の連絡(教官全員の意見によるという趣旨のことも告げたと窺われる。)があつたことに照らし、弦楽科においては、右二月一日に開いた弦楽部会でいわば公式に常勤教官全員一致の意見で右バイオリンを授業などの際教官の用いる楽器として選定し、購入手続を進めることを決定したことが肯認できる。

そこで、右二月一日の弦楽部会の開かれる前の段階ですでに、弦楽科の常勤教官らの間で実質的に右バイオリンを購入するという全員一致の結論を出していたのかどうか検討するに、仮にそのような結論を出していたとすれば、前記2(一三)ないし(一九)認定のような右バイオリンの具体的な選定経過に照らし、時期的に前記2(一五)認定の音楽学部教授会の開かれた昭和五四年一月一八日以降であることはいうまでもなく、また、全員一致という点から、右日高助教授が知合いの楽器商から意見を聞いた日(右(6)認定のとおり一月二四日)以降で、かつ、被告人神田がフルオーテストを行なつた日又はそれ以後ということになるものと考えられる。一方、日程的にみると、常勤教官全員が集まり弦楽部会ないしこれに類するような協議を行ないえた日としては、右(8)認定のように楽器商の意見を報告する立場にある右日高助教授が同月二五日(木曜日)及び同月二六日(金曜日)には東京芸大に出て来ておらず(右(7)認定のとおり右一月二五日には被告人海野も東京芸大に出て来ていない。)、右両日が除かれ、土曜日及び日曜日を別とすれば、同月二九日(月曜日)ないし同月三一日(水曜日)がこれにあたることになる(ただし、弦楽部会又は協議の行なわれた日が被告人神田がフルオーテストを行なつた日と同じ日であるという前提に立つと、右(9)認定のように同月三〇日には同被告人が名古屋に出かけていると窺われることから、右一月三〇日に弦楽部会などの行なわれた可能性はないことになる。)。

そしてこの点、たしかに、弦楽科の常勤教官らの供述として、第一三回及び第一四回各公判調書中の証人堀江泰の供述部分並びに山岡耕筰の検察官に対する昭和五六年一二月一八日付供述調書(ただし、二丁裏一行目から三丁裏七行目までを除く。)中に、弦楽部会を昭和五四年一月下旬ないし一月末ころに開いたという趣旨の供述がある。しかし、右各供述は、ただ一月下旬ないし一月末ころ開いた旨述べたものであつて、日付として右一月二九日ないし一月三一日のうちの特定の日を述べるものではなく、また、いずれも当該弦楽部会においてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することが最終的に決定されたと述べるものであつて、この点において前記のとおり客観的状況から右バイオリンの購入の最終決定は二月一日の弦楽部会において行なわれたと認められることと矛盾し、したがつて、右各供述によつて直ちに同年一月二九日、同月三〇日又は同月三一日に弦楽部会ないし右バイオリンに関する協議が行なわれたと認定することは困難である。

ところで、被告人神田がフルオーテストを行なつた日について検討するに、この点、堀江教授及び前記山岡助教授は、第一三回及び第一四回各公判調書中の証人堀江泰の供述部分並びに山岡耕筰の検察官に対する昭和五六年一二月一八日付供述調書(ただし、二丁裏一行目から三丁裏七行目までを除く。)において、被告人神田がフルオーテストを行なつた日に弦楽部会が行なわれたという前提で、フルオーテストは一月下旬ないし一月末ころ行なわれた旨述べている。また、岩﨑教授は、岩﨑吉三の検察官に対する供述調書中で、フルオーテストが行なわれたのは一月一八日の教授会の数日後で、J・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することを決定した弦楽部会の一、二週間前ころという趣旨の供述をし、ただ、右フルオーテストには全教官が立会つたのではなく、大多数の教官が集まつたものなどとも述べている。なお、被告人両名とも、被告人神田の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書及び被告人海野の検察官に対する同日付供述調書中で、フルオーテストを行なつたのは一月下旬であるという趣旨の供述をしている。

また一方、弦楽科の常勤教官の供述中には、フルオーテストの行なわれたのは二月一日であると述べているものがある。すなわち、前記日高助教授は、日高毅の検察官に対する昭和五六年一二月九日付供述調書及び第四一回公判調書中の証人日高毅の供述部分において、一貫して、二月一日の昼休みに被告人神田が常勤教官全員の前でフルオーテストを行なつて見せ、引き続いて弦楽部会が開かれたという趣旨の供述をしている。また、被告人両名も、公判期日におけるそれぞれの供述において、前記各捜査段階の供述は取調検察官によつて強制的に誘導されたものであり、内容的に誤りであるとして、実際にフルオーテストを行なつたのは二月一日であつた旨述べている。

そこで、右のようにフルオーテストを行なつた日に関しいわば二つのグループに分かれる右各供述をグループごとに対比検討するに、いずれの方が信用できるかこれを客観的に明らかにするような事情を見出すことはできない。ただ、右各供述は、岩﨑吉三の検察官に対する供述調書を別として、いずれのグループに属するかを問わず、フルオーテストが行なわれた日と弦楽部会の開かれた日とは同一日であるということを前提にしての供述であるところ、右前提を誤りないものとすれば、前記認定のとおり昭和五四年二月一日に弦楽部会の開かれたことが客観的に明らかであることに照らし、フルオーテストも右二月一日に行なわれたとする各供述の方が一応は客観的な裏付けを持つているということができる。もつとも、この点についても、前記のとおり同年一月二九日又は同月三一日に弦楽部会の開かれた可能性のあることが認められ、したがつて、同一日という前提に立つて、フルオーテストが右一月二九日又は同月三一日に行なわれた可能性も肯定でき、フルオーテストが一月下旬ないし一月末ころ行なわれたと述べる前記各供述が客観的状況に全く相反するものと認めることはできない。また、前記(10)認定のとおり右二月一日には弦楽科の教官らも学生らの後期実技試験を行なつており、なお第四一回公判調書中の証人日高毅の供述部分を合わせ考えると、右二月一日に弦楽科の常勤教官全員が弦楽教官室に集まることができたのは、右試験の関係で、午前一二時ころから午後一時ころまでの昼休みの間に限られ、右時間的制約はかなり厳しいものであつたと窺われ、その意味で、右二月一日に弦楽部会を開いたほか、被告人神田にフルオーテストを行なわせる時間的余裕(なお、被告人神田は、第二八回及び第三一回各公判調書中の同被告人の供述部分において、フルオーテストには約三〇分を要した旨述べている。)があつたかどうか疑念を挾む余地があり、この点からも右二月一日にフルオーテストが行なわれたと述べる前記各供述の信用性に疑いが残る。加えて、実際に自らフルオーテストを実施した被告人神田の公判期日における供述について検討してみるに、フルオーテストを行なつた時刻に関しかなり供述の変遷をみせている。すなわち、第二八回公判調書中の同被告人の供述部分においては、「フルオーテストを持ち込んだ時間は、午前九時から一〇時の間だと思う。教官室に着いたのは九時から一〇時の間ころと思うが、はつきり覚えていない。午前中だという記憶は確かだが、フルオーテストにかかつた時間は、三〇分前後かそれ以内かもしれない。一〇時ころまでに搬入をして、フルオーテストとかいろいろやつて、芸大を出たのは早くて一一時ころと思う。フルオーテストを持ち込んだ時間が午前中であることは間違いない。しかし、正確な時間は分らない」などと述べている。次いで、第三一回公判調書中の同被告人の供述部分においては、「午前中に持つて行つた記憶はあるが、はつきりした時間の記憶はない。はつきり覚えているのは、フルオーテストが終わり、もう帰つていいよと言われて外に出たときが大体午後の一時すぎぐらいという記憶がある。それで、それからいろんな時間、フルオーテストに要した時間をおよそ推定逆算すると、おそらく午前中の一〇時半から一一時ごろに芸大に行つているのではないかと思う。フルオーテストが終わつたのは、学校中の喧騒が終わつた後という感じから一時すぎと思う。フルオーテストに要した時間は三〇分ぐらいと思う」などと供述を変え、更に、同被告人の当公判廷における供述中では「フルオーテストを終わつて校舎を出たときがちようど昼休みが終わつたような雰囲気の時間であつたというふうに記憶している。そうすると、出たのがおそらく午後一時前後ではないかと思う」「校舎から芸大の庭に出たときがちようど昼休みが終わつたような感じという記憶がある」などと述べている。そして、右のように供述の変遷があること自体、全体として被告人神田の右公判期日における供述には信用性がないことを窺わせるほか、同被告人は、当公判廷における供述中で右のように供述を変遷させたことについて若干の弁解をしているものの、それ自体あいまいで信用できず、むしろ同被告人の供述態度などに照らすと、同被告人が供述を変遷させたのは、被告人海野の供述に自己の供述を合わせ、あるいはそれまで取調べた証人らの供述中自己に有利なものに自らの供述を符合させようとした結果であることが窺われ、したがつて、時期的に後にした供述にはほとんど信用性が認められない。また、公判期日における供述として当初に述べたもの、すなわち第二八回公判調書中の被告人神田の供述部分についてみても、右供述によるとすると、フルオーテストは午前一〇時ころから午前一一時ころの間に行なわれたと認めるべきことになるところ、前記認定のとおり二月一日に常勤教官全員が弦楽教官室に集まつたのは午前一二時ころから午後一時ころまでの昼休みであつたことが明らかであり、したがつて、右供述中、フルオーテストの行なわれたのが二月一日であると述べる部分が真実であるとすると、これを行なつた時刻に関する部分が誤りであり、一方、時刻に関する部分を信用すべきものとすると、二月一日という日付の部分が信用できないこととなり、右供述の信用性はこうした矛盾に照らし、総体的に肯定できないことになる。

以上要するに、第二部「証拠の標目」のうち第一部第四節二の事実に関し挙示した各証拠を総合すれば、前記2(一八)認定のように被告人神田が昭和五四年一月一八日以降に弦楽教官室でフルオーテストを行なつたことは明らかであるものの、これを行なつた日がいつであつたかこれを特定することができず、同月下旬(同月末ころ)又は同年二月一日のいずれかであつたと認定できるにとどまる。そして、右のことからひるがえつて、右二月一日以前にも弦楽部会ないしこれに類する弦楽科常勤教官らの協議が行なわれていたかどうかについても、フルオーテストの行なわれた日であることを根拠にはこれを認定することができないこととなる。すなわち、フルオーテストの行なわれた日に引き続いて弦楽部会が開かれたという前提に立つと、フルオーテストが昭和五四年一月下旬(同月末ころ)に行なわれたと認められれば、弦楽部会も右一月下旬(同月末ころ)に開かれたと認めうるものの、逆に、右のようにフルオーテストについてこの点積極的に認定できないときは、弦楽部会についてもフルオーテストの開かれた日であることを根拠に右一月下旬(同月末ころ)に開かれたと認めることができないのはいうまでもない。なお、弦楽部会が同年二月一日のほかに同年一月下旬(同月末ころ)に開かれたことを認定できる積極的な根拠が他にないことは前記のとおりである。

したがつて結局、前記二月一日の弦楽部会の開かれる前の段階ですでに、弦楽科の常勤教官らの間で実質的にJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するという全員一致の結論を出していたかどうかについても、右二月一日以前に弦楽部会ないしこれに類する弦楽科常勤教官らの協議の行なわれたという前提事実が右のように肯認できない以上、右二月一日以前に結論を出していたという事実もこれを肯認することができないことは明らかである。すなわち、この点、検察官の前記主張のような事実は合理的な疑いを越えて証明されなかつたことに帰する。

(三) 被告人神田がビネロン製作のバイオリン用弓を被告人海野に供与した日にちについて(前記2(二一)認定の事実に関し)

被告人神田がビネロン製作のバイオリン用弓一本を被告人海野方に持参して同被告人に供与し、同被告人がこれを収受した事実は、前記2(二一)認定のとおりであるところ、右バイオリン用弓の受渡しの行なわれた日にちないし時期について更に検討するに、被告人海野の供述と被告人神田の供述との間に若干の食い違いがある。すなわち、被告人海野は、捜査段階においては、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書中で、「一月下旬に芸大がガダニーニを買うことを決めたが、私がその日か或いはその日の後まもなく被告人神田に電話で学校でガダニーニを買うことに決まつた旨連絡したところ、その後まもなくの一月下旬ころ、被告人神田から先生にプレゼントがあるという趣旨の電話があり、その日の夜ビネロンの弓を持つて来た」などと述べ、また、第三四回、第三七回及び第三八回各公判調書中の被告人海野の供述部分においては、「一月下旬、年が変わつてわりとまもなくという感じで、一月中旬の終わりから下旬ぐらいのころ、被告人神田から電話でプレゼントを持つて行くという話があり、その後まもなく被告人神田がビネロンの弓を持つて自宅にやつて来た」「ビネロンの弓を持つて来たのは正月の半ばという感じで、一月中旬から下旬にかけてであるが、何日かは特定できない」などと述べている。一方、被告人神田は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書においても、また、第二六回、第二八回、第三一回及び第三二回各公判調書中の同被告人の供述部分においても、ビネロンの弓を被告人海野に差し上げようと思い立つたのは、一月二七日ころ、アメリカで買いつけたバイオリンや弓が到着し、その整理をしたり記帳したりしていた際のことであり、その日ないし直後ころ被告人海野に電話して同被告人方を訪れることを約束し、その日のうちか少なくとも二、三日うちに被告人海野方にビネロンの弓を持つて行つたという趣旨の供述をしている(なお、被告人神田の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書においては、ビネロンの弓を持参する以前に、堀江教授及び被告人海野からそれぞれ電話で「ガダニーニが決まつた」という連絡を受けたという趣旨の供述をしている。)。

そして、被告人両名の右各供述に加え、前記2認定のようなJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの選定経過、更に前記(二)(3)認定のような被告人神田が昭和五四年一月一三日から同月一八日までアメリカへ出かけていたことなどを合わせ考えると、被告人神田と被告人海野との間で右バイオリン用弓の受渡しが行なわれたのは右一月一八日以降のことであること、すなわち同月下旬であることは認定できる。しかし、同月二〇日過ぎの早い段階であつたのかあるいは同月二七日ころであつたのかについては、被告人両名の供述のいずれを信用すべきか、客観的にこれを判断できる事情を見出すことは困難である(なお、被告人両名はいずれも、捜査段階における供述中では、まず被告人海野らから被告人神田に電話でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入が決定した旨の連絡があり、その後ビネロンの弓の受渡しをしたという趣旨の供述をしているが、前記(二)で検討したように昭和五四年一月下旬にすでに弦楽科の常勤教官らの間で右バイオリンを購入するという結論を出していたと認めるにはなお疑念が残ることに照らし、購入が決定した旨の連絡を受けたのが先とする点について被告人両名の右各供述の信用性には疑問が残る。)。ただ、被告人神田の前記各公判期日における供述は、ビネロン製作のバイオリン用弓を供与しようと思い立つた状況として述べる部分と合わせて、一月二七日ころと記憶する根拠が一応合理的と考えられるものの、同被告人の右供述自体においても少なくとも二、三日のずれのあることは認めており、結局、同被告人の右供述を根拠としても右バイオリン用弓の受渡しが行なわれたのが昭和五四年一月二七日ころと認定するにはなお疑問が残る。

以上から結局、被告人神田がビネロン製作のバイオリン用弓を被告人海野に供与し、同被告人がこれを収受したのは、前記のとおり同月下旬であつたと認定することはできるが、その具体的な日付を特定して認定することは困難である。

二被告人海野の職務権限

1東京芸大における楽器購入手続

(一) 東京芸大における楽器購入のための予算の配分とその執行手続について

荻原典昭(調書の表書は「荻原豊昭」(二通)、白井實、田中武、浜野政雄及び濵陽明(調書の表書は「濱陽明」)の検察官に対する各供述調書並びに押収してある東京芸術大学規則集一冊(前記押号の二)によれば、東京芸大においては、学長が毎年度同大学に示達のあつた予算について、各学部長、各学部の教授三名、附属図書館長及び芸術資料館長で構成される評議会(国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則二条、六条、東京芸術大学評議会規則二条、五条参照)に諮問したうえ、各学部及びその他の部局に対する配分を決定し(学校教育法五八条三項参照)、次いで、各学部で、当該学部の運営に関する重要事項について決定権限を有する教授会(音楽学部教授会は、同学部の教授、助教授及び常勤講師をもつて組織する。ただし、教授会が必要と認めるときは他の職員を教授会に出席せしめ意見を聴取することができる。)が右予算の学部内の具体的配分を決定したうえ、これを執行する(学校教育法五九条、東京芸術大学学則二〇条、東京芸術大学音楽学部教授会規則二条、三条参照)こととなつていたことが認められる。

(二) 東京芸大音楽学部における楽器購入予算の配分及び執行について

右(一)冒頭挙示の各証拠並びに<証拠>によれば、東京芸大音楽学部内においては、同学部の楽器購入予算(費目「楽器類購入費」)について、各教科(同学部には、器楽科など六学科が置かれているが、各学科には一又は二以上の教科((合計一三))が置かれ、更に一般教育教科がある。国立学校設置法三条、国立学校設置法施行規則七条、国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する省令一項、別表第二六、東京芸術大学学則二条参照)が学部長あてに書面で楽器購入希望を提出し、教授会の下部機構である楽器購入委員会(学部長、各教科の主任教授計一四名、事務長、事務長補佐、会計係長、楽器係長で構成)が各教科からの希望を調整して楽器類購入費の総枠及び各教科に対する配分案すなわち楽器購入計画案を作成し、教授会の審議を経て、右委員会の案どおり決定されるのが通例であつたこと、各教科に配分された楽器類購入費に基づく実際の楽器の購入についても、予算の執行として教授会にその最終的な決定権限があつたものの、楽器類が各教科における教育研究用の備品であり、しかも実際上も専門家である当該教科の教官以外にその選定をなしえないことから、個々具体的な購入楽器を選定することは、教授会の事実上の委任により、当該教科の常勤教官から構成される会議(弦楽科ではこれを「弦楽部会」又は「弦部会」と呼んでいる。)がこれを行なうことになつていたこと、そして、右会議においては、購入を希望し楽器購入計画に組み入れられた分については、教官らが楽器商に照会するなどして適当と思われる楽器を捜し、こうして候補となつた楽器について右会議の席上等で検分、試奏するなどして検討し、購入するかどうかを決定し、右会議において特定の楽器を選定購入することを決定したときは、音楽学部事務部会計係、同部楽器係及び同大学事務局会計課用度係が主になつて所定の事務手続を進め、最終的には支出負担行為担当官である同大学事務局長と楽器商との間で当該楽器を購入する契約が締結されることになるという仕組みであつたことが認められる。

2被告人海野の職務権限

右1認定の各事実に加え、右1(二)冒頭挙示の各証拠及び辺見正雄の検察官に対する供述調書を総合すれば、被告人海野は、昭和五三年ないし同五四年当時、東京芸大音楽学部器楽科(教科としては弦楽科の第二講座担当)の教授(文部教官)の職にあり、同学部教授会の一員として、かつ、弦楽部会の構成員として、同大学(音楽学部)が教育研究用の弦楽器類を購入するにあたつては、その選定作業に従事すること、すなわち、自ら候補となりうる楽器を捜し、また、候補となつた個々具体的な楽器についてその性能や健康状態などを検分、調査し、評価し、弦楽部会における審議や最終的な評決などに加わることが同被告人の職務であつたことが明らかである。

三請託の有無について

1J・B・ガダニーニ作のバイオリンの選定における被告人海野の役割

J・B・ガダニーニ作のバイオリンの具体的な選定経過は、本節一の2(一)ないし(二〇)(なお、本節一の3(一)及び(二))認定のとおりであり、また、被告人海野が東京芸大音楽学部器楽科の教授として、本節二の2認定のような職務権限に基づき、同被告人自身右バイオリンの選定作業に直接的に従事したことも、本節一の2(五)ないし(二〇)において詳細認定したとおりである。

そこで、被告人海野が右バイオリンの選定において実際に果たした役割についてなお具体的に検討するに、同被告人が弦楽科の第二講座担当の教授としてバイオリン専攻の学生らの教育指導にあたつていたことは第一部第一節三認定のとおりであり、したがつて、本件のように授業の際教官の用いるバイオリンの選定にあたつては、まさにバイオリン専攻の学生らを教授する者として、その選定に最も直接的かつ密接な係わり合いを持ち、また、その判断が弦楽科の他の教官らにとつても重要な意味を持つことは明らかである。なお、第一三回公判調書中の証人堀江泰の供述部分及び第三四回公判調書中の被告人海野の供述部分によれば、被告人海野は昭和五三年ないし同五四年当時弦楽科の教科副主任(主任教授を補佐する立場にある教授)であつて、その意味でも他の教官らに対し一般的に強い影響力を持つ立場にあつたことも客観的に明らかである。

更に、実際にも、J・B・ガダニーニ作のバイオリンの選定作業を進めるにあたり、被告人海野は、本節一の2(七)ないし(一〇)認定のとおり堀江教授から右バイオリンが候補となりうるかどうかいわゆる下見として検分試奏をしてみるよう指示を受け、同被告人の自宅で被告人神田の持つて来た右バイオリンについてまず最初に検分ないし試奏をし、また、本節一の2(一三)及び(一五)認定のように昭和五四年一月一一日に弦楽部会が開かれた際及び同月一八日の教授会に引き続いて学部長や評議員らの意見を聞いた際にもいずれも、堀江教授の指示に従い、右バイオリンの試奏を行なうなど、右バイオリンの選定作業を進めるうえで重要な部分を分担していることが明らかである。してみれば、右バイオリンにかかる被告人海野の判断は、前記のようにバイオリン専攻の学生らを教授する者ないしは教科副主任という立場にある者の判断として影響力を持つだけではなく、実際に自ら直接に右バイオリンを検分ないし試奏した者の判断としても、弦楽科の他の教官らから相当の重みをもつて受け取られるものであつたことが十分に窺える。とりわけ、右のような実際の選定作業の進展状況に照らし、仮に同被告人が自らの試奏によつて得た結論として右バイオリンの購入に否定的意見を述べたとすれば、弦楽部会において右バイオリンの購入について積極的な結論が出されるとは到底考えられず――この点、被告人海野も、当公判廷における供述中で、本件のような場合、候補となつた楽器について試奏した教官が購入するのに適しないという否定的判断を抱いたときは、「適しない」という度合によることはあれ、通常は当該楽器が候補から外れることになろうという趣旨の供述をしている――、結局、右のような意味では本件の場合も被告人海野の意見が東京芸大において右バイオリンを購入するかどうかということと直接に結びついていたものと認められる。

なお、被告人神田においても、第二節認定のような同被告人と被告人海野とのそれまでの間柄、同被告人とカンダアンドカンパニーとの取引状況、更にはそれまでの東京芸大への楽器類の売込みの経験などに照らし、右経験などに基づき、東京芸大でのバイオリンの選定等に関しては被告人海野の意見がかなり大きな比重を占めるであろうということを十分に認識していたものと窺え、とりわけ本件の場合、本節一の1及び2認定の事実経過に照らし、本節一の2(七)認定のように堀江教授からJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを被告人海野のもとに持参して下見として検分試奏をして貰うようにという指示を受けた際、直ちに、右下見の段階においても同被告人に適当でないと判断されれば右バイオリンを東京芸大に売り込むことができなくなるであろうと察知したことも十分推認可能である。

2被告人神田側の事情、意図等

<証拠>によれば、J・B・ガダニーニ作のバイオリンについて被告人神田としては次のような事情のあつたことが認定できる。すなわち、被告人神田は、本節一の1認定のように昭和五三年九月ころJ・B・ガタニーニ作のバイオリンをロンドンのイーリング・ストリングス社で仕入れ、委託販売の形はとつていたものの、仕入価格が約一五〇〇万円という高額なものであつたことから、その売込みに励んでいたものの、なかなか売込み先を見つけることができず、同年一一月中旬ころ、自ら右バイオリンを持参して福岡市まで出かけ、同市在住の音楽家に売りつけようとしたが、失敗に終わり、同年一二月当時、その販売にかなり焦つていたことが窺える。そしてまた、右のような状況にあつたことのほか、右イーリング・ストリングス社から送つて来ることになつていたいわゆる権威ある鑑定書の到着が遅れていたこともあつて、右バイオリンの売込みにあたりこれがJ・B・ガタニーニ製作のものであることを客に納得させる手段として用いるため、本節一の1(二)認定のとおりランバート・ウォリツアー社作成名義の鑑定書を偽造するという不正行為にまで及んでいたことも明らかである。

してみると、右のような事情に加え、本節一の2(六)ないし(八)認定のような被告人神田が同月中旬ころ堀江教授から電話で東京芸大で購入するバイオリンの適当な候補を捜しているという趣旨の連絡を受けた際の状況ないしその直後被告人神田が被告人海野と電話で同被告人方を訪れる日時を打ち合わせた際の状況、とりわけその際に被告人神田においてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの価格として予定しているところが東京芸大の予算の範囲内にあるということを知り、更に堀江教授からその電話の中で右バイオリンを被告人海野のもとに持参し、同被告人に下見として試奏などして貰うよう指示を受け、また、被告人海野からも下見のため右バイオリンを同被告人方に持参することを求められたなどということを合わせ考えれば、右当時、被告人神田が楽器商という立場で、右バイオリンを東京芸大に売り込む機会を得たことについて大いに喜び、是非この機会を生かして右バイオリンを東京芸大に購入させるよう努力する気持になつたことは当然に推認できる。

3推認可能な事実と自白

本節一の2(五)ないし(二一)及び3認定の各事実並びに右1及び2認定の各事実に加え、第二節認定のような被告人神田と被告人海野との間柄、わけても楽器の購入の斡旋などをめぐる被告人両名の親密な関係を総合して考えれば、次のような事実が合理的に推認可能である。まず、本節一の2(八)認定のように被告人神田が昭和五三年一二月中旬に堀江教授から電話を受けたのち、被告人海野方に電話して、同被告人とJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを同被告人方に持参する日時など打ち合わせた際の、右電話の内容についてみるに、もともと電話した目的がまさに同被告人に右バイオリンを下見して貰うことについての打合せであつたことに照らし、被告人神田としては、細かい言葉は別として、右バイオリンについて少なくとも若干の説明を加えたであろうことが明らかであり、これに加えて、右バイオリンを東京芸大(音楽学部)で購入して貰えることを望んでいるという趣旨のことを述べたであろうことも十分推認できる。次に、本節一の2(九)及び(一〇)認定のように被告人神田が右打合せに従い被告人海野方に右バイオリンを持参し、同被告人が下見として右バイオリンの試奏などした際の状況についてみても、まずもつて被告人神田が右バイオリンを被告人海野に下見して貰うため同被告人のもとに持参したということ自体、東京芸大(音楽学部)による右バイオリンの購入を希望していることを示すものであることは、通常の常識をもつて理解できることであり、その意味で被告人海野もそのように理解していたことが十分推認できる。そしてその際、被告人神田においても楽器商として、当然に被告人海野の右理解を前提としてその場の状況に合致する言葉を述べたものと窺われる。すなわち、被告人神田がその際どのような言葉を使つたかにかかわらず、被告人両名の間で、被告人神田が東京芸大(音楽学部)による右バイオリンの購入を求めているということを相互に理解し合つていたことは客観的に明らかであり、その結果本節一の2(一〇)認定のとおり被告人海野が被告人神田に対し「なかなかいい音なので、候補の一つになるから芸大の方へ連絡して持つて行きなさい」などと告げたものと認められる。いいかえると、被告人海野の右言葉は、被告人神田の意図を十分理解してこれに協力する態度を示したものであることが明らかである。

そして、右のような客観的に推認できる状況に加え、前記2認定のように被告人神田がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの販売を焦り、鑑定書の偽造という不正行為にまで及んでいた状況に照らせば、被告人神田が右電話及び被告人海野方での試奏などの際、被告人海野に対し、直接的な表現を用いたか間接的な表現にとどまつたかは別として、自らの態度や言動全体などを通じて、東京芸大(音楽学部)で右バイオリンを購入することに尽力して欲しいという自己の気持を伝えたこと、すなわち被告人海野に右趣旨の依頼をしたことが認定でき、また、被告人海野が右依頼のあつたことを理解し、これに協力する態度を示したことも右認定のとおりである。

加えて、被告人両名は、捜査段階においては、次のような供述をしている。すなわち、被告人神田は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書中で、「五三年一二月半ば近いころ店にいた私あてに海野先生から電話があつて、『今年度の予算でよいバイオリンが買えそうだ。何かよいバイオリンはないかな』と言われた。私は、始めストラディバリ製作のバイオリンがあるということを口にしたが、海野先生から高くても二〇〇〇万円が限度と言われたので、J・B・ガダニーニ作のバイオリンなら二〇〇〇万円の枠内なので、『J・B・ガダニーニがありますがどうでしようか。一八〇〇万円位の楽器でウォリツアークラスの鑑定書付きのものです。是非芸大で買つてもらえるように先生からひとつよろしくお願いします』と言つた。海野先生は『わかりました。よかつたら、芸大で買うよう勧めてあげましよう』などと言つて、私の願いを聞き入れてくれた」「私は、そのあと堀江先生に電話して、J・B・ガダニーニ作のバイオリンがあり、一八〇〇万円位なので芸大の予算に大体あうと思うなどと言つて、堀江先生にも芸大でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するようにして頂きたいとお願いしたところ、堀江先生は、承知したという感じの言い方で、『それじや海野君にみせておいてくれ』と言つた」「私は、また海野先生のお宅に電話して、『堀江先生からガダニーニを海野先生にみてもらつておくよう言われたのですが。いつ伺つたらよろしいでしようか』などと話したところ、海野先生からいついつあいているからうちの方へ来いなどと言われたので、『それでは楽器を持つて伺いますのでみて下さい。芸大の方にもお願いします』などとお願いした。海野先生は、『とにかく一度みてみましよう。できるだけ芸大で買うように勧めてあげましよう』などと言つてくれた」「その数日後、私は、海野先生のお宅に伺つた。海野先生に試奏などして貰つたのち、海野先生に対し『このガダニーニはよく鳴る良い楽器ですので、先生の方からよろしくお願いします』とお願いした」「海野先生は、『いずれにしても、このガダニーニは確かによい楽器だから堀江先生ともお話して、芸大で買うよう勧めてあげよう』などと言つて、このバイオリンを芸大で買うよう取りはからつてあげようと約束してくれた」という趣旨の供述をしている。また、被告人海野は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書中で、「どちらが電話をかけたか覚えていないが、神田さんと電話で話をした。私が神田さんに『今度芸大で高くていいバイオリンが買えるような予算が出たんですが、何かよく鳴るバイオリンはありませんか。予算は、一五〇〇万円から二〇〇〇万円位のようです』と言つたところ、神田さんは、『堀江先生からも電話があつたところなんですが、今家にガダニーニがあります。このガダニーニはとてもよく鳴る楽器ですが、これを芸大で買つたらどうですか』と言つた。神田さんに『堀江さんにもそういうガダニーニがあるということをよく説明しておいて下さい』と言つた。すると神田さんは『堀江先生からも海野先生にそのガダニーニを弾いてもらつてみてくれと言われています。それで近いうちにこれを持つて海野先生のお宅に伺いますが、先生が弾いてみてよかつたら弦楽の先生へこの楽器を推せんしてみて下さい』と言つた。私としても神田さんが持つているというガダニーニが自分で見た上でいいものなら部会に出して買うようにしてもいいと思い、神田さんに『それじやそのガダニーニを見せて貰いましよう』と言つた」「その後数日したころ、神田さんから連絡があり、そのころの日の夜、神田さんが私の家にそのガダニーニを持つて来た。私は、その場でそのガダニーニを試奏などしたが、音がいいので学校で買つてもいい楽器じやないかと思つた。それで、私も神田さんに『とても音がいいね』と言つた。神田さんも、『こんな健康状態がよくて音のいい楽器はそんなにありませんよ。弦楽の先生方に見てもらつてよければ、学校で買つてもらいたいと思います』と言つた。それで、私は、『それじや、先生方に見てもらおう。学校で買うよう推せんしてみるよ』と言つた。すると、神田さんは、『それじや、宜しくお願いします』『いつ学校へ持つて行きましようか』と言つたので、私は、『もう年内は、学校は休みで先生は誰も学校へ行かないので、来年の初めにでも学校へ持つて行つたらいいじやないですか。いつ持つて行つたらいいかは堀江先生と連絡をとつて下さい』と言つた」という趣旨の供述をしている。

そして、被告人両名の捜査段階における右各供述の信用性について検討するに、たしかに一部には記憶違いと窺われる部分や、細かい点では客観的状況と矛盾する部分も存在するとはいえ、被告人両名の右各供述いずれも、その大筋においては本節一の2(六)ないし(一〇)認定の各事実から窺われる状況と合致し、また、前記のように推認可能な事実に関し検討した結果と矛盾せず、とりわけ被告人神田と被告人海野との間の当初の電話の中でのやりとり及び被告人神田がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを被告人海野方に持参した際の被告人両名のそれぞれの発言内容などについては、前記のような合理的に推認できる事実とほぼ符合し、したがつて、被告人両名の右各供述は細かい点は別として全体的におおむね信用できるものと認められる。ただ、被告人神田の右供述中、被告人海野からまず最初に東京芸大でバイオリンを購入できるようになつたので適当なバイオリンを捜している趣旨の電話があつたと述べる部分は、本節一の2(六)ないし(八)認定の諸事実と対比して、客観的状況と食い違い、内容的に誤つたものと認められる。しかし、被告人神田が右のような供述をしたのは、本節一の3(一)において検討したとおり、同被告人が第一回公判期日に被告事件に対する陳述中でも同旨のことを述べていることなどに照らし、同被告人の記憶違いないし思込みによるものと認められる。すなわち、堀江教授との電話が先か被告人海野との電話が先かという点に関する被告人神田の供述の誤りは、同被告人の取調べにあたつた検察官の強制、誘導その他外的事由によつて供述が歪められた結果生じたものとは認められず、その意味で、右誤りの存在も、被告人神田の前記供述の全体的な信用性に影響を及ぼすものではないと考えられる。

なお、被告人両名はいずれも、それぞれの公判期日における供述(主として、第一回、第二六回、第二七回及び第三一回各公判調書中の被告人神田の供述部分並びに第一回、第三四回及び第三六回各公判調書中の被告人海野の供述部分)中で、被告人神田が被告人海野に対し東京芸大(音楽学部)でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するよう尽力して欲しい旨依頼したこともないし、被告人海野が右依頼に従い尽力する旨被告人神田に告げたこともないなどと述べている。しかし、被告人両名の右各供述は、前記のような合理的に推認できる事実と符合せず、更に右各供述中で客観的状況と合致させようとして弁解する部分もそれ自体としてあいまいで、かえつて客観的状況と矛盾する点が多く、全体としてその信用性は肯定できない。また、一般的に、被告人両名それぞれの公判期日における供述中、内容的に捜査段階における供述と相反する部分には、公訴提起後に得た資料などに基づいて述べた、いいかえると自己の記憶に基づいて述べたものでないところも多く、更には、被告人両名の公判期日における各供述によつても明らかな被告人両名の従前からの関係、本件審理の経過、争点の共通性などに照らし、各被告人それぞれに相被告人の利益を考慮して相被告人の供述に自己の供述を符合させたと窺わせるところもあり、その信用性に疑問のある場合が多い。そして、その意味でも、被告人神田と被告人海野との間でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの東京芸大への売込みに関し尽力の依頼及び承諾があつたかどうかについて、前記のような捜査段階の供述と相反する被告人両名の公判期日における各供述はいずれも、その信用性に乏しく、結局、前記のように合理的に推認できる事実に疑いをさし挟む根拠にはならないものと考えられる。

4結論

以上から結局、本節一の2(六)ないし(一〇)認定の各事実と右3記載のような合理的に推認できる事実及び被告人両名の捜査段階における前記各供述を総合すれば、被告人神田が被告人海野に電話をかけた際及び同被告人方にJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを持参した際、同被告人に対し、右バイオリンを東京芸大(音楽学部)が教育研究用の楽器として購入するようその選定に尽力して欲しいという趣旨の依頼をし、被告人海野が被告人神田の右依頼を承諾した事実が合理的な疑いを越えて認定できる。してみれば、本節二の2認定のような被告人海野の東京芸大音楽学部教授としての職務権限に照らし、右尽力の依頼が「請託」にあたること(第三節三の2参照)はいうまでもなく、被告人神田が右趣旨の請託をなしたこと及び被告人海野が右請託を受けたことは十分に肯認できるのである。

四被告人神田から被告人海野にバイオリン用弓一本が供与された時期及び趣旨について

1バイオリン用弓一本が供与された時期について

被告人神田が被告人海野にビネロン製作のバイオリン用弓一本を供与し、同被告人がこれを収受したことは、本節一の2(二一)認定のとおりであるところ、右供与・収受の行なわれた時期については、本節一の3(三)において検討したとおり、昭和五四年一月二七日ないしその前後ころと具体的に特定することは困難であるものの、これが同月下旬に行なわれたことは明らかである。

また右バイオリン用弓の供与と弦楽部会におけるJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入の決定との時期的な前後関係についてみるに、弦楽部会がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを授業などの際教官の用いる楽器として選定し、購入手続を進めることを公式かつ最終的に決定した日が同年二月一日であると認められること、一方、右二月一日に弦楽部会が開かれる以前の段階ですでに弦楽科の常勤教官らの間で実質的に右バイオリンを購入するという全員一致の結論を出していたということは合理的な疑いを越えてこれを積極的に肯認することができないことも、本節一の3(二)において検討したとおりである。してみれば、被告人両名の間の前記バイオリン用弓の供与・収受が前記のとおり同月下旬に行なわれたと認められることに照らし、前後関係としては、右供与・収受が弦楽部会における右バイオリンの購入の決定より前――かなり接近した時期ではあるが――であつたと認定すべきことも明らかである(後記3参照)。

2バイオリン用弓一本が供与された趣旨について

(一) 本件ビネロン製作のバイオリン用弓一本(価格約八〇万円相当)の供与が、外形上、被告人神田から被告人海野にいわゆるセカンドボーを贈るという形、いいかえると贈り物の進呈(被告人海野は、同被告人の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書、第三四回及び第三七回各公判調書中の同被告人の供述部分などにおいて、被告人神田が「プレゼント」を持つて来た旨言つたなどと供述している。)という形で行なわれたものであることは、被告人両名の公判期日におけるそれぞれの供述に照らしても明らかである。

(二) そこで、被告人両名の間で右のような「贈り物」の授受が行なわれた趣旨について検討するに、第一に、第二節認定のとおり被告人神田と被告人海野とはかなり親密な関係にあつたことは認められるものの、あくまで楽器商とそのよい顧客という間柄にあり、楽器の取引などと全く無関係な個人的付き合いがあつたものでもなく、私生活面まで互いによく知る親しい友人同士という間柄にあつたものでもないことが明らかであり、その意味で、右バイオリン用弓の授受が全くの私的意味合いにおけるものでなかつたことも明白である。ただ、この点、被告人両名は、第三二回公判調書中の被告人神田の供述部分並びに第三六回及び第三七回各公判調書中の被告人海野の供述部分において、ほゞ一致して、右バイオリン用弓以外にも、第二節認定のような被告人海野の紹介や斡旋などに対する謝礼という趣旨でなく、純粋な意味の「贈り物」として、被告人神田から被告人海野に対し、飾り物用の古楽器一本(価格三〇万円ないし五〇万円位)、フランス製のバイオリン用弓一本(価格二五万円位)及びストラディバリウス製作のバイオリン用の皮ケース一個(価格二〇万円ないし三〇万円位)を贈つたことがあり、また、バイオリン用の弦や付属品も時折無償で提供していたなどと述べている。もつとも、被告人両名の右各供述によつても、右古楽器は被告人海野がその住む家を新築した際の新築祝として贈つたもの、フランス製のバイオリン用弓はフランスのメーカーの作つたいわゆる新作で、被告人神田としては被告人海野にその性能を見て貰いたいと考えて引き渡したもの、また、ストラディバリウス製作のバイオリン用の皮ケースは第二節認定のように被告人海野がカンダアンドカンパニーからストラディバリウス製作のバイオリンを代金一五〇〇万円で購入していることが前提にあつて贈つたものと認められる。してみれば、右各場合いずれも、全くの私的な付き合いでの贈り物の交換などでなく、楽器商と顧客という間柄に基づく、そのような間柄にある者同士の贈り物として社会的に一応相当と認められる理由があつての贈り物の提供であつたことが認められる(バイオリンの弦や付属品の供与が楽器商の顧客に対するいわゆるサービスであることも、それ自体として明白である。)。

(三) 次いで、本件における具体的状況についてみるに、第二部「証拠の標目」のうち第一部第四節二及び三の各事実に関し挙示した各証拠によれば、本件ビネロン製作のバイオリン用弓が供与された当時ないしその前後ころ、被告人海野の紹介ないし斡旋によつて同被告人の教える学生又は生徒がカンダアンドカンパニーで特定の楽器を購入した事実がなく(後記(四)記載のとおり、被告人両名は、公判期日における各供述中で、昭和五三年一一月末ころないし同年一二月初めころ被告人海野のもとに、同被告人と被告人神田とが組んで楽器の紹介などということで金儲けをしているという趣旨の中傷((いやがらせ))電話がかかつて来たので、その後は、被告人海野は学生生徒らには楽器の紹介や斡旋を一切していない旨述べている。)、したがつて学生生徒らに紹介ないし斡旋したことに対する謝礼として右バイオリン用弓が供与されたものでないことも明白であり、一方、本節一ないし三認定の各事実を検討すれば、次のような状況が認められる。すなわち、まずもつて、右バイオリン用弓が供与された当時、東京芸大(音楽学部)においてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するか否かについてまさに弦楽部会での選考過程にあつたことが、本節一の2及び3認定の各事実(なお、前記1参照)に照らし客観的に明らかである。そして、右のような時期にあること自体、被告人神田が右バイオリン用弓を「贈り物」として被告人海野に供与した趣旨がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの選定に関連するものであることを強く窺わせることはいうまでもない。加えて、(1)本件バイオリン用弓が本節一の2(二一)認定のとおり価格約八〇万円相当という高価なものであつて、前記古楽器等被告人両名において被告人神田から被告人海野に社交的意味で贈つたと述べている「贈り物」に比べても相当に高額な物であり、単なる社交儀礼上の手土産などという範疇からは逸脱したものであること、(2)被告人神田においては、本節三の2認定のとおりJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの販売をかなり焦り、不正行為にまで及ぶという事情があつたところ、昭和五三年一二月中旬から翌五四年一月半ばにかけて、本節一の2(六)ないし(一三)認定のような経過で、右バイオリンを東京芸大(音楽学部)に教育研究用の楽器として売り込める見込みが極めて濃くなつて来たことから、同被告人自身非常に喜ぶという状況に至つていたものの、本節一の2(一七)及び(一八)認定のように同月一八日過ぎころ堀江教授から電話で弦楽教官らのうちに右バイオリンについてJ・B・ガダニーニ製作かどうか疑念を抱く者がいるという趣旨の連絡を受け、同月下旬には、弦楽教官らの前でフルオーテストをさせて欲しいという申出などするかたわら、東京芸大(音楽学部)に右バイオリンを買つて貰えることについてかなりの不安の念を生じていたこと、なお、本節一の3(二)及び前記1認定のように弦楽部会においては同年二月一日に右バイオリンの購入について最終的な決定をするに至つていること、(3)本節三の1認定のように被告人海野においてはバイオリン専攻の学生らを教授する者として、東京芸大(音楽学部)の購入する教育研究用のバイオリンの選定にあたり重要な役割を果たす立場にあつたこと、また、被告人神田においても右のような被告人海野の役割ないし立場等について十分認識していたことなども明らかである。

してみると、これらの客観的状況、とりわけ本件バイオリン用弓の供与の時期が弦楽部会においてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入楽器として選定した直前の、被告人神田としては東京芸大(音楽学部)で右バイオリンを買つて貰える見込みが極めて強いと知りながらなお不安の念を抱かなければならない状況が生じた際であつたことなどに加え、本節三認定のとおり被告人神田が本件当初から被告人海野に対し右バイオリンを東京芸大(音楽学部)が教育研究用の楽器として購入するようその選定に尽力して欲しいという趣旨の請託をし、被告人海野が右請託を受けていたことを合わせ考えれば、被告人神田が本件バイオリン用弓を被告人海野に供与した趣旨のうちには、東京芸大(音楽学部)で右バイオリンを購入させることについて被告人海野がそれまでこれを支持する言動ないし態度をとつてくれたことに対する謝意を示し、かつ、同被告人になお尽力を頼むという被告人神田の意図が含まれていたことが合理的に推認可能である。また、右のような客観的状況、本件バイオリン用弓の供与された時期などから、被告人海野が右供与を受けた際被告人神田の右のような意図を理解しえたであろうことも十分推認できる。すなわち、被告人神田において被告人海野に対し、J・B・ガダニーニ作のバイオリンにかかる同被告人のなお今後の尽力を期待する趣旨を含めて、前記請託の趣旨に添つた同被告人の尽力に対する謝礼の趣旨で右バイオリン用弓を供与し、被告人海野においても右趣旨を認識して右バイオリン用弓を収受したものであることは、本件における客観的な事実経過ないし被告人両名の外形的行動から容易に推認できるのである。その意味で、右バイオリン用弓の供与と右バイオリンにかかる被告人海野の尽力とが対価関係に立つことも、十分肯認できる。

なお、被告人神田は、検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書中で、本件ビネロン製作のバイオリン用弓は、被告人海野が被告人神田の依頼を受け入れてJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを東京芸大で購入するよう尽力してくれたことに対するお礼として差し上げたものであるという供述をしている。ただし、被告人神田の右供述は、結論的には右客観的に推認できる事実と符合するものの、右供述中では前提事実として、昭和五四年一月二〇日過ぎに弦楽教官室でフルオーテストを行なつてみせたところ、その日の夜堀江教授及び被告人海野の双方から電話で「ガダニーニが決まつた。よかつたね」という連絡があり、そこで被告人海野に右バイオリン用弓を謝礼として供与することに決めたのだという趣旨のことを述べている。そして、右前提事実について述べる部分は、本節一の3(三)(なお、本節一の3(二)及び前記1認定の各事実参照)で検討したように客観的事実とも食い違い、その信用性が肯定できず、したがつて、被告人海野らからJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを買うことに決定した旨の連絡があつたということと結びつく形で、被告人海野の尽力に対する謝礼として右バイオリン用弓を供与したと述べる部分も、いわば前提を欠くという意味で、その信用性を肯定できないことになる。しかし、被告人神田は、公判期日における供述中で、右捜査段階における供述を内容的には完全に否定する趣旨の供述をしているが、捜査段階で右のような供述をしたことについて、取調べにあたつた検察官らの強制によるものなどとは述べておらず、むしろ、第二八回及び第二九回各公判調書中の被告人神田の供述部分などにおいては、右バイオリンの購入が決定した旨の連絡を受けた日と右バイオリン用弓を被告人海野に「差し上げよう」と思つた日の前後関係、更には右バイオリン用弓を何の礼として贈つたかなどについて、検察官から取調べを受けた際ほとんど記憶がなかつたものの、検察官から問われるまま「ガダニーニを芸大に売り込むことがほぼ決まつたので、ビネロンの弓を差し上げたのです」という趣旨の供述をしたものであつて、なお本件について逮捕された直後にも右趣旨の供述をしたことも認めるなどとも述べている。更に、第二九回公判調書中の被告人神田の供述部分においては、同被告人は、「取調べの時点では、あなたとしてはビネロンの弓を持つて行つた時にガダニーニのお礼を言つた、という記憶があつたんじやないんですか」という質問に対し、「そういう記憶はないと思いますが、ただ、はつきり覚えていたのは、ビネロンの弓を何かのお礼で差し上げたということは、はつきり覚えておりました」と答えている。してみれば、被告人神田の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書中の、本件バイオリン用弓は被告人海野の尽力に対する謝礼として贈つたものであるという趣旨の供述についても、右のような捜査段階での供述経過、更には何らかの「謝礼」であることは検察官による取調べを受けた当時憶えていた旨の右公判期日における供述に照らし、その信用性を全面的に否定すべきでなく、細かい点は別として、少なくとも前記客観的に推認できる事実を裏付ける供述とみることができる。

(四) ところで、被告人神田が被告人海野に対し昭和五四年一月下旬という時期に本件バイオリン用弓のような高額の贈り物をする合理的理由が他にも存在することが窺われれば、以上の認定に疑念を生じることになるのはいうまでもなく、この点、被告人両名はいずれも、種々弁解を述べているので、以下、被告人らの弁解について若干の検討を加える。

まず、被告人両名いずれも、その弁解に変遷がある。すなわち、被告人神田の当公判廷における供述、第一回、第二六回、第二八回、第二九回及び第三一回各公判調書中の被告人神田の供述部分(なお、被告人神田に対する裁判官の勾留質問調書)などを検討すると、同被告人は、勾留質問の際には、本件ビネロン製作のバイオリン用弓を渡す三か月位前に被告人海野にサルトリー製作のバイオリン用弓を渡してあつたところ、気に入らないということで返品になつてきたので、その代わりに右ビネロン製作のバイオリン用弓を渡したものという趣旨の弁解をし、第一回公判期日においては被告事件に対する陳述中で、「被告人海野には日ごろ客を紹介して貰うなど色々世話になつており、今後も付き合いを頼むという意味の挨拶がわりに手土産として右バイオリン用弓を渡した」という趣旨の陳述をし、次いで、その後の公判期日においては、勾留質問の際に述べたと同様、昭和五三年一二月に被告人海野のもとにサルトリー製作のバイオリン用弓を納品したところ気に入らないということで返品されたため、同被告人がいわゆるセカンドボーを捜していると思われたので本件ビネロン製作のバイオリン用弓を「差し上げる」ことにした旨述べるとともに、無償で贈ることにした理由として、同年一二月ころ被告人海野のもとに『被告人両名が組んで悪いことをしている』という趣旨の中傷の電話があつたことから、被告人海野から当分の間学生や生徒らに対する楽器の紹介ないし斡旋をやめるということを言われ、現実にもその後は一切紹介などして貰えなかつたのでいわば交際の復活を求める、すなわち今後とも学生生徒らの紹介を頼むという意味で「差し上げ」たものなどと述べている。一方、被告人海野の当公判廷における供述、第一回、第三三回、第三四回、第三六回、第三七回及び第四一回各公判調書中の被告人海野の供述部分(なお、被告人海野に対する裁判官の勾留質問調書)、被告人海野の検察官に対する昭和五六年一二月二三日付供述調書などを検討するに、同被告人は、捜査段階から公判期日まで一貫して、本件バイオリン用弓がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンにかかる同被告人の尽力に対する謝礼の趣旨で貰い受けたものであることを否定しているものの、捜査段階においても供述の変遷があり、本件について逮捕された直後の弁解の録取に際しては、被告人神田に客を紹介してやつたことに対するお礼として受け取つたものと述べ、裁判官の勾留質問に対しても、被告人神田の商品を客に紹介してやつたり宣伝してやつたりしたことに対する謝礼としてならやむをえないと思つて、本件バイオリン用弓を受け取つたものという趣旨の答をなし、その後の検察官の取調べにおいては、被告人神田が右バイオリン用弓を「プレゼントですよ」と言つて持つて来たので、「ガダニーニのお礼だと絶対に困りますよ。受け取れませんよ」と言つたところ、同被告人が「そういうことじやありませんよ。先生にはいつもお世話になつていますし、これからもお世話になりたいので、ガダニーニとは別にしてプレゼントとして受け取つて下さい」などと言うので、それならと考えて貰つた旨供述している。また、右各証拠上、被告人海野の公判期日における供述にも変遷がみられ、同被告人は、第一回公判期日においては被告事件に対する陳述中で、昭和五三年一二月初めに被告人神田がサルトリー製作のバイオリン用弓を持つて来たが、使つてみて適当でないので返還したところ、昭和五四年一月に同被告人が本件ビネロン製作のバイオリン用弓を持参し、「これはプレゼントです。練習用に使つて下さい」と勧めるので、そのまま受け取つた旨述べ、その後の公判期日においては、一応右被告事件に対する陳述を引き継いだ形で、被告人神田が前に何か変な弓を持つて来たのでもつといい弓をという気持で、まあ悪いと思つていたのであろうが、自分にくれるつもりで持つて来たものと思うなどと供述するとともに、昭和五三年一一月末ころないし同年一二月初めころ自分のもとに「被告人神田は海野にはよい楽器しか見せていないであろうが、他ではひどい楽器を売つている。二人で組んでうまく金儲けしている」という趣旨の中傷(いやがらせ)の匿名の電話がかかつて来たので、自分としては直ちに被告人神田に電話して、同被告人に対し右のような中傷電話のあつたことを話して、今後は学生生徒らに紹介するなどということはしない旨告げ、その後学生生徒らにカンダアンドカンパニーの楽器を紹介、斡旋などしないでいたところ、被告人神田がそのまま紹介などして貰えないということが長く続くと困ると考え、「ある意味で海野に少しゴマする」という気持もあつて、本件バイオリン用弓をプレゼントとして持つて来たものと思つた旨述べている。

してみると、被告人両名の各弁解については、右のように供述の変遷のあること自体その信用性に疑いを生じさせるし、また、被告人両名の弁解が捜査段階及び第一回公判期日に行なつた被告事件に対する陳述ではそれぞれに異なつていたにもかかわらず、その後の公判進行に伴い、双方の供述内容がほゞ一致するに至つていることをみると、互いに自己に有利になるよう供述を合わせるに至つたのではないかとも疑われ、結局、その信用性には大いに疑問がある。更に、被告人両名の右各弁解は、内容的に考えても、合理性が認められない。

まず昭和五三年一二月にカンダアンドカンパニーから被告人海野のもとにサルトリー製作のバイオリン用弓を納品していたところ、同被告人から気に入らないということで返品されたので、その代わりに本件ビネロン製作のバイオリン用弓を無償で供与したとする弁解についてみるに、たしかに、第三一回及び第三二回各公判調書中の被告人神田の供述部分、第三四回及び第三七回各公判調書中の被告人海野の供述部分並びに押収してある売掛帳一綴(前記押号の二五)によれば、サルトリー製作のバイオリン用弓は昭和五三年一二月二日ころカンダアンドカンパニーから被告人海野に価格六五万円で売り渡され、その後同被告人がこれを返品した事実が認められるが、右のようにサルトリー製作のバイオリン用弓の売買の行なわれたこと及び被告人海野がこれを返品したことが本件ビネロン製作のバイオリン用弓を無償で供与した合理的理由にならないことは、一方が有償の取引であり他方が無償の「贈り物」であることに照らしても明らかである(ただし、被告人神田が本件ビネロン製作のバイオリン用弓を「贈り物」として選択したのは、被告人海野のもとにサルトリー製作のバイオリン用弓を納品し、これが返品されたという状況があつたことから、被告人海野においてはセカンドボーを求めていると考えたことによるものと窺える。)。

次に、昭和五三年一一月末ころないし同年一二月初めに被告人海野のもとに前記のような中傷ないしいやがらせの電話があり、その結果被告人海野が学生生徒らにカンダアンドカンパニーの楽器を紹介ないし斡旋することを取り止めていたことから、その再開を求める趣旨で本件バイオリンを贈つたという弁解についても、それ自体として合理性がないと考えられる。すなわち、被告人両名の右弁解どおり被告人海野のもとに右弁解のような内容の中傷ないしいやがらせの匿名の電話があつたことから同被告人が学生生徒らにカンダアンドカンパニーの楽器を紹介したりすることを中断していたものとすれば、被告人神田がその再開を求めて価格約八〇万円相当という高額なバイオリン用弓を被告人海野に贈つたり同被告人がこれを貰い受けたりしたときは、右のような中傷ないしいやがらせの電話をかけた者に一層の激しい攻撃材料を与えることになり、実際に他に知られれば極めて激しい内容の電話などのかかつて来るおそれが高く、その意味で被告人神田においても時期その他に慎重であつたはずであり、被告人海野においても右バイオリン用弓を受け取るのをちゆうちよしたはずである。しかるに、被告人両名の公判期日における各供述を仔細に検討しても、被告人両名とも右のような点について慎重に配慮したことや、あるいは被告人両名の間で話し合つたりしたことを窺わせるような状況など一切見出せず、したがつてこの点からも、本件バイオリン用弓の供与が右のような趣旨のものと被告人両名が相互に認識し合つていたと認めることには大いに疑問が生じる。加えて、第三四回、第三六回及び第三七回各公判調書中の被告人海野の供述部分において、同被告人は、昭和五二年一一月ころ東京芸大において同被告人の紹介でカンダアンドカンパニーからカルカッシー製作のバイオリン一丁を購入した際(第二節参照)、被告人神田からお礼の気持を表わしたいという趣旨の申出があつたが、学校で買つた楽器の関係で謝礼など出されては大変困るなどと言つて断つたという趣旨の供述をしている(被告人神田も、当公判廷における供述中で、被告人海野から芸大関係で楽器を紹介したときはお礼がいらないと言われたことがあるという趣旨のことを述べている)。してみると、仮に被告人海野の右供述するように被告人両名の間で東京芸大(音楽学部)で購入した楽器に関しては、学生生徒らに対し紹介した場合と異なり謝礼の授受が社会的に許容されないという被告人両名の認識を前提に、被告人海野が紹介した場合でも一切謝礼をしないという了解があつたものとすると、前記(三)認定のとおり東京芸大でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するかどうかその選定過程にある時期、とりわけ選定されるかどうか微妙な問題の生じていた時期に、たとえ個人的な意味での「交際」の復活のためであれ、高額な本件バイオリン用弓を「贈り物」として供与・収受することは世間的に極めて激しい疑惑を受けるであろうということを被告人両名とも当然に認識していたものと認められる。すなわち、被告人両名の弁解するようにいつたん中断した学生生徒らに対する紹介ないし斡旋の再開を求めるために「贈り物」をしようというのであれば、常識上最も避ける時期であつたことが明らかである。とりわけ、被告人神田においては第一部第一節一及び二認定のとおりカンダアンドカンパニーの経営に力量を発揮していた者として、右のような常識的判断は当然になしえたはずであり、にもかかわらず、右のような危険を伴う時期に本件バイオリン用弓を被告人海野に供与するという挙に出たということは、「交際の復活」という被告人両名の弁解するような事情によるのではなく、むしろ当該時期に「贈り物」を贈る強い理由と必要性のあつたことを窺わせ、なお、第二九回公判調書中の被告人神田の供述部分中の右バイオリン用弓はなんらかの謝礼の趣旨で渡したと記憶しているという趣旨の供述を合わせ考えると、東京芸大でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの選考過程にあつたことが逆に右バイオリン用弓を供与する事情を示すものとみることもできる。いいかえると、被告人両名の右弁解もかえつて、前記(三)記載の客観的に推認できる事実を裏付ける資料にこそなれ、それ自体としては合理的に納得できるものを含んでいないことが明らかである。

以上要するに、被告人両名の前記各弁解はいずれも信用できず、前記(三)において検討したとおり、客観的状況などから、本件バイオリン用弓の供与は東京芸大(音楽学部)でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することに関し、被告人神田の請託の趣旨に添つた被告人海野の尽力に対する謝礼の趣旨で行なわれたものと認定できることについて、右各弁解をもつてしてはなんら疑念をさし挾む余地がない。

3本件バイオリン用弓の供与・収受がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入について弦楽部会で最終的な決定を出した日以前に行なわれたことと賄賂罪の成否等について

被告人両名の間における本件バイオリン用弓の供与・収受がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンの購入について弦楽部会で最終的な決定を出した日以前に行なわれたことは、前記1認定のとおりであり、また、被告人神田が被告人海野に対し右バイオリンを東京芸大(音楽学部)で教育研究用の楽器として購入するようその選定に尽力されたいという趣旨の請託をし、同被告人が右請託を受けたと認められることも、本節三認定のとおりである。

してみると、本節二認定のような被告人海野の職務権限に照らし、前記昭和五四年二月一日の弦楽部会における討議、評決などに加わることも同被告人の職務行為であるところ、同被告人が被告人神田から本件バイオリン用弓の供与を受けたのは、被告人海野が被告人神田の請託の趣旨に含まれる右職務行為に及ぶ前であつたことになる。しかしこの点、受託収賄罪は、職務に関し請託を受け賄賂を収受することによつて成立し、現実に依頼された職務行為をなしたか否か、また、賄賂の収受が職務行為の前に行なわれたか後に行なわれたかは同罪の成否に影響がなく、もとより本件においても、本件バイオリン用弓の供与・収受が被告人海野の右職務行為の前であつたことによつて受託収賄罪や贈賄罪の成否に影響を受けないのはいうまでもない(なお、本件においては、本節一の2(八)ないし(一九)認定の各事実及び本節二認定のような被告人海野の職務権限に照らし、右弦楽部会における討議、評決などに加わるほか、J・B・ガダニーニ作のバイオリンの健康状態を調査したり試奏したりすることも被告人海野の職務行為であることが明らかであり、同被告人が本件バイオリン用弓を収受する以前にすでに右バイオリンの検分ないし試奏など行なつていたことは本節一の2(八)ないし(一九)認定のとおりである。)。

右に関連し、検察官は、本節一の3(二)掲記のように弦楽部会でJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入するという実質的な決定をしたのは昭和五四年一月下旬のことであると主張し、右主張を前提に、被告人神田は右決定のあつたことを知つたのち、すなわち、自己の請託の趣旨に添つた被告人海野の尽力により右バイオリンの売込みという目的が適つたことに基づき、同被告人が尽力したことに対する謝礼として本件バイオリン用弓を同被告人に供与したものである旨主張しているところ、本件バイオリン用弓の供与・収受が東京芸大への右バイオリンの売込みという被告人神田の請託の趣旨に添つた目的実現後に行なわれたとする検察官の右主張が採用できないことは、本節一の3(二)、前記1及び右検討結果に照らし明らかである(ただし、右バイオリン用弓の供与が、目的実現には至らないまでも右請託の趣旨に添つたその時点までの被告人海野の尽力に対する謝礼の趣旨((同被告人の今後の尽力を期待する趣旨も含む。))でなされたものであることは、前記2で認定したとおりである。)。そこでこの点に関し、検察官の右主張と異なる事実を認定することが訴因と異なる事実を認定したことになるかどうか考えてみるに、右に検討した結果から明らかなように賄賂の供与・収受と依頼した職務行為との前後関係はもとより、依頼した職務行為の行なわれたことも受託収賄罪(贈賄罪)の構成要素でなく、まして、請託の趣旨に添つた目的の実現(結果の発生)することが犯罪構成要素でないことはいうまでもない。してみれば、本件においても東京芸大(音楽学部)がJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを購入することになつたという目的実現の事実は犯罪構成要件に該当する事実でなく、したがつて、右事実を訴因に掲げることを要しないのはもとより、本件バイオリン用弓の供与・収受が右目的実現後であるか否かについても訴因において特定する必要のないことが明白である(実際に、本件起訴状記載の公訴事実においても、検察官の右主張に対応する記載はなされていない。)。いいかえると、被告人神田の請託の趣旨に添つたバイオリンの売込みという目的実現後本件バイオリン用弓の供与・収受が行なわれたという検察官の右主張は、訴因に掲げられた主張ではなく、賄賂授受の動機ないし縁由に関する事実についての主張あるいは本件バイオリン用弓の賄賂性を裏付ける間接事実についての主張であるとみられるにすぎないから、訴因と同様の拘束力を持つものとは考えられず、結局、これと異なる事実を認定しても訴因と異なる事実を認定したことにならないのはもとより、被告人らの防禦権に実質的な不利益をもたらすものとも認められないのである。

五結 論

以上要するに、第二部「証拠の標目」のうち第一部第四節三「罪となるべき事実その二」の事実全部に関し挙示した各証拠を総合すれば、被告人海野は、東京芸大音楽学部教授として、同大学(音楽学部)の購入する教育研究用の弦楽器類を選定する職務権限を有していた者、被告人神田はカンダアンドカンパニーの代表取締役として、カンダアンドカンパニーの保有するJ・B・ガダニーニ作のバイオリンを東京芸大(音楽学部)へ売り込むことを図つたこと、被告人神田が被告人海野に対し右バイオリンを同大学(音楽学部)が教育研究用の弦楽器として購入するようその選定に尽力されたいという趣旨の請託をなし、同被告人が右請託を受けたこと、弦楽部会が右バイオリンを購入楽器として選定した直前の、被告人神田としては東京芸大(音楽学部)が右バイオリンを購入する見込みが強くなつたものの、なお不安の念を抱かなければならなかつた時期に、同被告人が被告人海野に対し右バイオリンにかかる同被告人のなお今後の尽力を期待する趣旨を含めて、前記請託の趣旨に添つた同被告人の尽力に対する謝礼の趣旨でビネロン製作のバイオリン用弓一本(価格約八〇万円相当)を供与し、被告人海野においても右謝礼であることの趣旨を十分認識して右バイオリン用弓を収受したことなどを認めることができ、結局、判示罪となるべき事実はすべて合理的な疑いを越えてこれを認定できるのである。また、被告人両名の弁護人らの前記各主張中、右認定に反する部分はいずれも失当である。

第五部  量刑の理由

被告人両名の間で行なわれた現金一〇〇万円の授受及びビネロン製作のバイオリン用弓一本(価格約八〇万円相当)の授受は、これらが行なわれた当時の被告人両名の結びつきを端的に表わしたものということができる。すなわち、被告人神田においては、楽器商として営業上の利潤の向上を目指して、被告人海野のように大学等で学生生徒らを教育指導している者に対しては、その教えている学生生徒らを紹介して貰うことや楽器の購入を斡旋して貰うことなどを当て込み、そのために右教師らに学生生徒らの購入した楽器の代金の一〇パーセント前後を謝礼として支払い、あるいは他の様々な利便を与えたりして来たが、被告人海野との結びつきはまさに右のようなものであり、更には同被告人の勤務先である東京芸大での地位立場まで自己の利益のために利用しようと図つていたことが認められる。一方、被告人海野においても自己が被告人神田から利用されていることを知りながら、物質的な利益が与えられることに慣れ、ついには右一〇〇万円の授受の状況にも表われているとおり自ら被告人神田に対し右金員の持参方を求めるような状態に立ち至つていたものである。してみれば、本件贈収賄の犯行に関し、被告人両名は、教育公務員の職務の公正さに対する社会の信頼を侵害したものとして厳しく咎められなければならないだけでなく、音楽教育の場において楽器の選定などは学生生徒らの教育指導という見地からではなく教師自らの利益や楽器商の利益のために行なわれているのではないかという社会的な疑惑を招いた意味でも、その責任を追及されるべきである。

更に、被告人両名について個別的にその刑責を考えるに、被告人神田は、まず被告人海野にビネロン製作のバイオリン用弓一本を賄賂として供与した犯行についてみても、東京芸大におけるガダニーニ作のバイオリン選定購入に関し同被告人の尽力を求めるにあたり、同被告人から謝礼の要求など一切出るような状況にもなかつたのにかかわらず、自己の利潤追求のためには手段を選ばず、自ら積極的に右犯行に及んだものであつて、被告人海野自身の非は別として、結果的に同被告人に多大の迷惑を及ぼしたという意味でもその責任は重大である。加えて、被告人神田は、同被告人から楽器商として教師らにいわゆる謝礼として物質的な利益を供与していることについて、公判廷においても、これはよき音楽家の養成に資することになるなどと自己の行為を正当化する弁解を述べており、本件についても、必ずしもその反省は十分でないと窺われる。また、判示有印私文書偽造、同行使、詐欺の各犯行についてみても、たしかに楽器業界では客らのいわゆる舶来名器崇拝の風潮を利用しさほど高級でないバイオリンなども舶来名器のように装つて客らに高く売りつけるということなどが行なわれていると窺えるが、権威ある外国の楽器商の名義を用いて鑑定書まで偽造し、これを使用してバイオリンの販売を自己に有利に導びき、更には職業的な専門家でない顧客らにおいては鑑定書を信用してバイオリンを買い求めるという心理状態にあることを利用し、安価なバイオリンを名器のように偽つて金員を騙取するなどしたことは、極めて悪質な犯行である。とりわけ、音楽家の養成機関である東京芸大音楽学部に対してまで偽造鑑定書を行使していることは専門家の目まで欺こうというものであり、楽器全般の正当な評価に疑惑をもたせ、楽器そのものに対する社会一般の価値判断にも混乱を招きかねない犯行というべく、その意味でも、同被告人の刑責が極めて重いものであることは明らかである。ただ他方、同被告人は、鑑定書の偽造などに関しては、一般に出回つている楽器の中に偽造されたラベルや鑑定書もあるということで安易に考えていたと窺われること、また、判示「罪となるべき事実その三」の3の各犯行の共犯者である中村光太郎に対しては、当初鑑定書用紙の印刷を同人に頼んでいるが、右時点で印刷を思い立つたことについては同人の言動に影響されたものと認めうること、偽造鑑定書を行使した相手方に対しては、右中村と共犯関係にある各犯行における相手方を除き、その財産的被害に関する部分について弁償の努力を重ね、大半の相手方と示談が成立していること、また、同被告人にはこれまで前科前歴がなく、善良な市民生活を送つて来たことなど同被告人に有利に斟酌すべき事情もいくつか見出すことができる。

次に、被告人海野は、前記のとおり学生らを紹介することなどを通じて被告人神田から物質的な利益の供与を受けることに慣れ親しみ、その公私の区別が鈍磨して、厳しく自らを律しなければならない教育公務員の地位にありながら、当然守るべき一線を踏み越えて、判示各犯行に至つたもので、この点厳しく非難されてもやむをえない。また、同被告人がビネロン製作のバイオリン用弓を被告人神田から貰い受けたことについては、これが東京芸大においてガダニーニ作と言われているバイオリンを選定購入したことと関連するため、同大学で行なつた右バイオリンの選定自体の当否にまで社会的な疑惑ないし不信を招き、音楽教育において極めて重要な役割を果たしている東京芸大自身の名誉をも傷つけた犯行ということができ、その意味でも被告人海野の責任は重い。ただ一方、被告人両名の供述などによると、楽器商がいわゆる弟子らを紹介してくれた教師等に対し謝礼など払うのは一般化した慣習のように窺われ、その意味では、被告人海野が被告人神田から物質的利益の供与されることについて安易に考えていたのも無理からぬことと認められ、その他、被告人海野のこれまでの音楽家としての業績、人柄、生活環境等、同被告人に有利に斟酌すべき事情もかなり多数見出すことができる。

そこで、これら被告人両名に有利、不利一切の事情を総合し、なお被告人両名の右のような犯情等を考慮して、被告人両名に対しそれぞれ前示のとおり刑の量定をし、被告人海野に対しては情状によりその刑の執行を猶予することとした次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松本時夫 裁判官佐藤 學 裁判官松並重雄)

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