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東京地方裁判所 昭和56年(行ウ)24号

原告

マイクロ精機株式会社

右代表者代表取締役

小宮孝作

右訴訟代理人弁護士

成富安信

中山慈夫

被告

東京都地方労働委員会

右代表者会長

古山宏

右訴訟代理人弁護士

鬼倉典正

右指定代理人

大橋貞夫

谷原隆之

参加人

総評全国一般労働組合東京地方本部

右代表者中央執行委員長

倉持米一

参加人

総評全国一般労働組合東京地方本部北部地域支部マイクロ精機分会

右代表者分会長

高田克之

右参加人両名訴訟代理人弁護士

西村昭

井上幸夫

前田茂

渡辺正雄

上条貞夫

坂本修

高橋融

大森鋼三郎

田中敏夫

小林亮淳

秋山信彦

永盛敦郎

山本眞一

柳沢尚武

岡田和樹

小木和男

斉藤健児

牛久保秀樹

今野久子

小部正治

志村新

橋本佳子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が都労委昭和五四年(不)第六九号事件について昭和五六年二月三日付でした命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告及び参加人ら

主文と同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  救済命令の成立

参加人らは、被告に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立てをしたところ、被告は、都労委昭和五四年(不)第六九号事件の一部として、昭和五六年二月三日付をもって別紙(略)命令書記載のとおりの救済命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令書は同月二五日原告に交付された。

2  本件命令の違法

しかしながら、本件命令には、次のとおり、参加人らによる暴力行為の事実を看過した事実誤認の違法及び労働組合法七条二号の解釈、適用を誤った違法がある。

(一) 参加人らの組合員による暴力行為

参加人らの組合員は、以下に述べるとおり、原告会社職制らに暴力行為を繰り返してきている。

(1) 昭和五四年四月九日の事件

参加人総評全国一般労働組合東京地方本部北部地域支部マイクロ精機分会(以下「参加人分会」という。)の岩島副分会長及び伊藤書記長が、同日午後一時ころ原告会社の桜井総務部長常務取締役(以下「桜井部長」という。)に一〇分間の会談を要求し、同人がこれに応じたところ、会談途中から参加人総評全国一般労働組合東京地方本部(以下「参加人地本」という。)の役員である訴外金田重弘及び参加人分会執行委員五、六名が加わり、同部長を取り囲んで退席させず午後五時ころまで会談を強要し、業務を妨害した。

(2) 同年四月一一日の事件

参加人分会及び参加人地本の組合員ら約五〇名が、原告会社の責任者との会談を強要し、西川技術課長らの職制一〇名を同日午後三時三〇分ころから午後一一時ころまで約七時間半の間、原告会社食堂において、食事も取らせず、トイレにも見張りをつけるという状態で軟禁し、参加人ら作成の文書に署名することを強要した。

(3) 同年五月二二日の事件

参加人分会の伊藤書記長、岩島副分会長ら三五名の分会員が、同日午前八時四〇分ころ、突然原告会社技術部の部屋へ乱入し、業務を妨害した。

(4) 同年五月二四日の事件

参加人分会は、同日午前一〇時半まで原告と団体交渉をしていたが、その終了直後に、原告の代表取締役小宮孝作(以下「小宮社長」という。)が外出しようとしたところ、参加人分会の組合員全員が、午後の団体交渉の再開を求めて、同人を取り囲み、原告会社建物の玄関、裏口のすべてに棒をかって同人の外出を阻んだ。このため、同人及び桜井部長は食事もとれないような状態になった。

(5) 同年五月二九日の事件

原告会社は、同日午前九時半ころ、参加人分会の役員から、参加人地本の役員らが春闘早期解決の申入れのため同日原告会社を訪問する予定である旨の連絡を受けたので、業務上の支障を理由に右役員らとの面会を拒絶すると回答した。ところが、同日午前一〇時三〇分ころ、参加人地本の役員ら組合員約四〇名が原告会社を訪れ、そのうち四名が小宮社長との面会を求めたので、原告会社は、樋口課長をして再び面会要求を拒否させた。これに対し、約四〇名の参加人地本組合員らは会社事務所内に押し入ろうとし、これを阻止しようとして急きょ集まって来た原告会社の職制らに対し、玄関付近で暴行を加えた。これと同時に、それまで職場で仕事に従事していた参加人分会の組合員らもこの外部からの押入りに呼応して一斉に職場放棄を行い、参加人地本の組合員らと合流しようとし、職場へ戻るよう求めた小宮社長や職制ら原告会社従業員に暴力を振るい、小宮社長ら四名に加療一週間から三週間までの傷害を負わせた。更に、原告会社の古矢係長は、玄関付近において、参加人地本の組合員のたたき割った金網入りガラスにより左側頭部を強打され、側頭部打撲、脳挫傷の重傷を負い、一八日間入院し、その後も通院加療を受けた。

(二) 団体交渉拒否の正当性

参加人らの組合員は、前記のようにたびたび多数による暴力的行動を繰り返してきており、五月二九日の事件はその極点を示すものといえ、決して偶発的なものではない。そこで、原告は、五月二九日の事件の行為の悪質性、結果の重大性及び従業員の生命に対する危険性を理由に、参加人らに対し、<1>五月二九日の事件について謝罪すること、及び、<2>今後二度と暴力的行為を行わないことの保証を求め、これを参加人らが履行しない限り団交に応じられない、とした。ところが、参加人らは、右<1><2>の要求に応じないばかりか、五月二九日の暴行事件自体を否定し続けている。同人らのこのような態度は、暴力的言動について何ら反省していないことを示すものであって、今後も同人らが団体交渉その他の場で暴力的言動を繰り返す蓋然性が極めて高い。このような場合には、原告において、団体交渉を開く条件として前記<1>及び<2>を参加人らに要求し、その履行があるまで団体交渉を拒否することができるのである。

従って、本件の団体交渉拒否には正当な理由がある。

3  本件命令書理由欄記載の認定事実に対する認否並びに判断に対する反論

(一) 「第1 認定した事実」に対する認否

(1) 「1 当事者」について

(1)の事実は知らない。(2)の事実は認める。

(2) 「2 分会結成とその後の団体交渉の経過」について

(1)のうち、昭和五三年一二月二二日に行われた団体交渉の組合側の出席者数及びその後同五四年二月一九日までの間に行われた団体交渉の回数を除き、その余の事実は認める。昭和五三年一二月二二日の団体交渉における組合側の出席者は、当初(午前一〇時半頃)には七名であったが、その後参加人地本の役員一名が加わり、午後五時半頃には二八名となった。また、右の期間の団体交渉の回数は八回である。

(2)の<1>のうち、昭和五四年四月九日組合役員二名が団体交渉を翌一〇日に行うよう申し入れたことは否認し、その余の事実は認める。

(2)の<2>の事実は認める。

(2)の<3>の事実は否認する。昭和五四年四月一一日午後三時ころ、組合員約二五名が長昌信技術部長常務取締役(以下「長部長」という。)を取り囲み会談を強要したため、同人らはやむなく食堂内での話合いに応じた。同部長が話合いの途中仕事の電話があったため中座したことはあったが、同部長が私服警官を連れて来たのではなく、私服警官は他の者の通報により独自に食堂入口付近まで来たものである。同部長及び長沢営業企画部長(以下「長沢部長」という。)が午後八時ころ退席したのは事実であるが、その後正木生産管理部長ら一〇名の職制は午後一一時ころまで軟禁状態に置かれ、やむなく確認書に署名した。

(3)のうち、四月一九日及び二四日に団体交渉が行われたこと及びこれらの団体交渉に小宮社長が出席しなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。原告が賃上げを回答したのは四月一八日である。一九日の団体交渉に加わった参加人地本の役員は二名である。四月一九日及び二四日の団体交渉に小宮社長は出席しなかったが、長部長及び桜井部長が交渉権限を与えられて出席しており、両日の団体交渉は支障なく行われた。

(3) 「3 本件団体交渉の拒否」について

(1)の<1>のうち、五月八日参加人分会が桜井部長に対し交渉員名を口頭で伝えようとしたが、同人が口頭では受け付けないと拒んだことは否認し、その余の事実は認める。

(1)の<2>の事実は認める。

(1)の<3>のうち、五月二三日に原告と組合の間で話し合いが行われたことは認めるが、その内容は否認する。組合が原告に口頭で説明する旨申し入れた事実はなく、参加人分会の協約締結能力等についての文書を団体交渉ないし東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)の席上で明らかにしたい旨の申入れがあったのみであり、この申入れを受けて、原告が都労委の斡旋申請の提案を検討する旨約したのである。

(1)の<4>及び<5>の事実は認める。

(2)の事実は認める。

(3)のうち、会社を訪れた代表団が約三〇名であったこと、職制が玄関付近で待機していたこと、ストライキが午前一〇時半に予定されていたこと、社外へ出ようとする分会員を職制らと小宮社長が阻んだこと、及び古矢の負傷がいかなる状態で生じたのかは本件にあらわれた疎明の程度では明らかにしえないことは否認し、その余の事実は認める。

(4)の事実は認める。

(二) 「第2 判断」の「2 (3)当委員会の判断」に対する反論

(1) 被告は、<1>のアにおいて、昭和五四年五月二二日に行われた労使間の交渉は労使立会のもとに脱退工作の有無を明らかにする場であり、また五月二三日、二四日及び二八日の交渉は中断状態にあった団体交渉の再開の前提条件についての事務折衝であるとして、いずれも団体交渉ではないと判断している。

しかし、まず五月二二日の交渉は、単なる事実調査の場ではなく、脱退工作に関する原告の調査内容とその対応について参加人らと話し合ったものであり、また労使双方の出席者、交渉場所、議題等の客観的形態及び労使双方の意思に照らしても、当日の交渉が団体交渉であったことは明らかである。

また、五月二三日、二四日及び二八日の交渉も、交渉形態から見て団体交渉であったといえるのであり、春闘要求に関する団体交渉再開の前提条件の話し合いであるから団体交渉ではないと判断することはできない。

(2) 被告は、<1>のイにおいて、原告が、参加人分会の協約締結能力につき疑問があるとして分会規約の提出及び上部団体との関係等についての文書による回答を参加人分会に要求し、これらの履行なきことを理由に春闘要求に関する団体交渉を一か月余りも中断し、その再開を遅延させた原告の態度は非難されるべきであると判断しており、その理由として、原告と参加人らは従前から団体交渉の条件について格別争うことなく団体交渉を行い協定を締結してきたこと、及び原告の文書回答への固執が合理的理由を欠くことを挙げている。

しかし、協約が締結されたのは参加人分会が公然化した昭和五三年一二月二二日当日の一回だけであるが、この日の団体交渉は、当日いきなり申入れがあり、原告は突然の事態に対応する準備もないまま即日応ぜざるを得ない状況下で行われたものであった。原告会社にはそれまで労働組合がなかったので、原告は、当初、労働組合との対応に不慣れな点や無知の点があったが、その後、上部団体と分会との関係、特に分会規約の提出等により分会の協約締結能力を確認するべく、参加人分会に回答を要求したのは当然である。また、流動的、継続的な労使間の交渉過程において内容の明確性、後日の紛争予防を担保するため、文書による回答を参加人分会に求めたのは合理的な行動である。これに対し、参加人分会が文書による回答をしないことこそ不可解である。

更に、参加人らの不誠実な交渉態度につき指摘すれば、以下のとおりである。<1>原告は当時、再建途上で多忙を極めていたため、昭和五四年四月一六日、団体交渉申入れは七労働日前にしてもらいたい旨申し入れたが、それにもかかわらず参加人らはこれを無視した。<2>同年四月一四日の参加人分会申入れに係る団体交渉の議題は、単に「権利侵害」という抽象的なものであったため、原告は議題を明確にするよう求めたが、参加人分会はこれに全く回答していない。<3>原告の同年五月一日付団体交渉申入れに対し、参加人分会は、原告側出席者については社長及び取締役を指定しながら、自らは「上部団体、地域共闘の役員を参加させることは組合の自由であり、今後とも必要に応じて交渉を委任しますし、又人数の制限も受けません」と回答してきた。このため原告は、混乱や不測の事態を避け平穏に団体交渉を行うために同年五月八日、参加人らの側の出席者名を明らかにするよう申し入れたが、参加人分会はこれを拒否したため、同年五月九日に予定されていた団体交渉は開催されなかった。<4>同年五月一一日、一四日及び一八日に参加人分会からされた団体交渉申入れは、具体的団体交渉事項、日時さえ明らかにしないものであった。

従って、会社の態度のみをとらえて非難する被告の判断は失当であり、むしろ、原告の前記のような当然の要求に対して何ら正当の理由なく応答を拒絶する参加人分会の態度こそ責められるべきである。

(3) 被告は、<2>のア前半において、四月九日、同月一一日、五月二二日及び同月二四日の組合員らの行為は、職制による脱退工作あるいは団体交渉の遅延に対する抗議、団体交渉の早期開催に関する要請の類であり、四月一一日の抗議が長時間に及んだのも原告会社が私服警官を連れてきたり、会社側責任者が無断で退席したこと等の事情があったからであると判断している。

しかし、まず原告会社の職制による脱退工作が行われた事実はないし、春闘要求に関する団体交渉が遅延したのも、その責任は前記(2)のとおり専ら参加人らにあるのである。更に、四月一一日に原告会社が私服警官を連れて来た事実はなく、また、原告会社責任者が退席したことは事実であるが、そもそも四月一一日の事件は参加人ら組合員が突然会社に押し入って会談を強要し、職制らを軟禁したものであるから、原告会社に会談に応ずる義務はないのであって、会社責任者が中途退席した点のみをとらえて非難するのは失当である。

また、仮に被告判断のとおりの事情があったとしても、組合員らによる暴力的言動が許されるわけではない。参加人ら組合員による暴力的言動の反覆があった以上、それが参加人らの暴力的体質に根ざすものであるか否かは問題ではない。

(4) 被告は、<2>のア後半において、五月二九日の事件について、参加人地本の四名程度の代表者さえも会社の玄関から一歩も入れまいとした原告の硬直した姿勢が端緒となってもみ合いが生じたこと、及び古矢係長の負傷がいかなる状態で生じたか明らかでないことを理由に、この事件は一概に参加人らだけの責に帰すべきものとはいえないとして、参加人らの暴力的体質否定の理由の一つとしている。

しかし、原告には参加人地本の統一行動申入れを受諾する義務はないし、参加人地本の統一行動団は原告会社の拒否にもかかわらず、原告会社施設内に押し入ろうとしたのであるから、これを制止しようとした原告会社の職制らの行動は当然である。また古矢係長の受傷原因は前記(一)の(5)記載のとおり明らかであり、仮にそうでないとしても、参加人地本の組合員の行為に起因することは明らかなのであるから、同日の事件が一概に参加人らのみに帰責しえない、とする被告の判断は失当である。

(5) 被告は、<2>のイにおいて、四月九日、同月一一日、五月二二日、同月二四日及び同月二九日の事件がいずれも団体交渉の場で生じたものではなく、また従前の団体交渉が平穏に行われていたことを考え合わせると、原告が五月二九日の事件の陳謝と再発防止の保証がないことを理由として団体交渉を拒否することは正当でないと判断している。

しかし、右の各事件は参加人らの団体交渉申入れないし会談強要の際に生じたのであるから、平穏な団体交渉の阻害、原告側交渉担当者の身体の危険を招来する点では何ら本質は異らない。また、団体交渉が平穏に行われるべきことは当然のことであるから、従来の団体交渉が平穏に行われていたということによって、その後の参加人らの暴力的言動を理由とする原告の団体交渉拒否の正当性を否定することはできない。

4  よって、原告は、本件命令の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1の事実は認め、同2の主張は争う。

2  本件命令の理由は、別紙命令書理由欄記載のとおりであり、その事実認定及び判断に誤りはない。

三  請求原因に対する参加人らの答弁

1  請求原因1の事実は認め、同2の主張は争う。

2  本件命令書理由欄第1の2の(3)において、被告は、「この交渉の前日に行われた事務折衝においては、組合側交渉員は分会役員のみとする旨を分会も同意していた」と認定しているが、そのような事実はない。

また、同3の(3)において、ストライキが「午前一〇時半に予定されていた」と被告は認定しているが、参加人地本代表団四人を実力で外へ押し出すという小宮社長らの異常な行動に抗議するため、阿部参加人分会長が午前一〇時三五分ころスト指令を発したものである。

更に被告は、同3の(3)において、「この事件で、古矢係長は負傷した」と認定しているが、そのような事実はない。

四  参加人らの主張

1  本件は、原告が昭和五四年五月初めから、突然参加人らとの団体交渉に条件をつけ、団体交渉出席者の文書による事前通告、参加人分会規約の提出・参加人分会の協約締結能力・権限についての質問に対する文書による回答を要求し、これらの要求に応じなければ団体交渉にも応じないとの態度に出、遂には、五月二九日のいわゆる「暴行事件」を口実として一切の団体交渉を拒否するに至ったものである。

2  組合結成後の労使関係の経過

参加人分会は昭和五三年一二月二二日結成され、当日原告に対して結成通知がされ、直ちに団体交渉が行われ、その後二か月間位は、円滑に団体交渉が行われてきた。ところが、昭和五四年二月ころから、原告の参加人分会に対する攻撃が開始された。

(一) 小宮社長は、昭和五四年二月九日の臨時朝礼において、参加人らを非難、中傷する発言を行った。

(二) 同年三月以降、原告会社の職制による参加人分会の組合員に対する脱退工作が行われた。

(三) 参加人らは、同年四月九日、桜井部長に対し、脱退工作を議題とする団体交渉を申し入れたところ、同部長は一たんこれを承諾したが、その後これを取り消し、既に文書で回答ずみであるとか、議題が不明確であるとかとの理由で団体交渉を拒否した。

(四) 参加人地本の金田重弘北部地域支部書記長ら代表団約二〇名は、同年四月一一日午後三時ころ、右のような原告の不誠実な態度に対し、抗議の申入れをするため、原告会社を訪れた。これに対し、原告会社の長部長は、代表団を食堂に招き入れ、長沢部長らの職制を呼び集めて、話合いが始まった。長部長は、話合い開始後五分位して電話がかかってきたとして中座し、約一時間後に私服警察官を連れて帰ってきて、話合いを一方的に打ち切ろうとした。参加人らの組合員は、長部長が警察を介入させたことに抗議したが会社側は無責任な対応に終始した。そこで、組合側は、事実関係を明らかにしておくため確認書の作成を提案したが、長部長と長沢部長は、打合せの時間がほしいとして、午後八時ころ食堂から退席した。組合側と職制らは食堂で長部長らの帰りを待ったが、午後九時半ころになって長部長らが帰宅してしまったことが判明した。そこで、残された組合側と職制らが当日の事実関係についての確認書を作成した。以上が四月一一日の事実経過であって、組合側が原告会社の職制を食堂に軟禁した事実はない。

(五) 参加人らの春闘要求について、同年四月一九日及び二四日の二回にわたって団体交渉が行われたが、原告会社側は回答書どおりというのみで進展せず、引き続いて交渉することとなった。

(六) 未解決の春闘問題についての次回の団体交渉は同年五月九日に予定されていたところ、原告会社は、前日の五月八日になって、分会側出席者名簿を書面で提出してほしいこと、名簿の提出がない場合には翌日の団体交渉は行わないことを申し入れて、団体交渉を拒否した。

(七) 原告会社は、同月一一日、参加人分会に対し、組合規約の提出及び参加人分会の協約締結能力、権限について文書で回答すること、右回答のないかぎり団体交渉に応じないことを申し入れた。これに対し、参加人分会は、同月一八日、桜井部長に対し、参加人地本の綱領、規約及び参加人分会の運営規則を提出し、参加人分会には規約がなく、運営規則がこれに代わるものであると説明した。しかし、原告会社は、依然として文書による回答を要求して団体交渉を拒否し続けた。

(八) 原告は、同年五月二二日、二三日、二四日及び二八日に団体交渉が行われたと主張しているが、到底団体交渉といえるものではなかった。

(1) 五月二二日の経過について

同日は、参加人分会の伊藤書記長、岩島副分会長が、桜井部長、長部長に対して、技術部の引田課長と木邨課長が梅津分会員に脱退工作を行った事実の確認方を申し入れ、同日午後三時から五時ころまでの間、会社食堂において、木邨、引田両課長と梅津分会員とを対決させた。これは、団体交渉ではなく、脱退工作の事実を確認するための話合いである。

(2) 五月二三日の経過について

同日は、午後一時から約二時間にわたって、会社食堂において、原告側は、桜井部長、長部長、西川課長、樋口課長の四名、参加人らの側は、参加人分会の伊藤書記長、岩島副分会長、中筋会計及び参加人地本北部地域支部の金田書記長が出席して話合いが行われたが、参加人らは、原告に対して、原告が参加人分会の協約締結能力等を問題にするのであれば、両者で労働委員会に赴き、その点の判断を受けようとの提案をし、原告が検討する旨約したものである。

(3) 五月二四日の経過について

桜井部長は、同日午前九時三〇分ころ、参加人分会の阿部分会長及び伊藤書記長に対し、前日の労働委員会へ両者で行こうとの参加人らの提案を拒否する旨回答し、あくまでも文書回答を求めた。これに対し、参加人分会が強く抗議したこともあって、午後三時から団体交渉のルールについての話合いが行われたが、団体交渉再開の目途をつけることはできなかった。

(4) 五月二八日の経過について

同日午前九時から一一時五〇分までの間、原告側は、長部長、前田部長、樋口課長及び西川課長の四名、参加人らの側は、前記阿部、伊藤、岩島、中筋、金田の五名が出席して、団体交渉のルールの問題について話合いがされた。話合いの席上、右ルールについての原告側の案とこれに対する参加人らの対案が提出され、若干の質問がされた。

3  五月二九日の事件について

参加人地本は、春闘未解決組合を支援するため、同日を統一行動日として設定し、未解決の経営者に対して、早期解決を申し入れることとした。参加人地本は、事前に参加人分会を通じて原告に申入れを行う旨伝えたうえ、組合役員ら約三〇名が午前一〇時三〇分ころ原告会社の玄関前に赴いた。そして、春闘早期解決を求める等のため、参加人地本の佐藤北部地域支部長ら四名の役員が会社入口の受付へ行き、責任者と面会したい旨申し入れた。ところが、玄関内に待機していた約二〇名の職制ら従業員が右四名の役員を実力で会社建物外に押し出した。これに対し、参加人地本の役員らは、原告の不当な対応に抗議し、次の申入先に向った。一方、参加人分会の阿部分会長は、前記のような原告の対応に抗議するため、同日午前一〇時三五分ころスト指令を発した。そして、分会員がスト指令を受けて、集会を行うため、二階や三階から階下に出ようとしたところ、一階入口付近で七、八名の部課長らがピケを張り外へ出ることを阻止した。

五月二九日の経過は右のとおりであるが、原告は、参加人地本の申入れに対し、多数の職制らを待機させたうえ、警察に警備をさせ、予め救急車を待機させた。そして、参加人地本の代表四人が玄関を入ったとたん、数十人の職制らが四人を社外へ排除し、怪我人も出ていないのに古矢米蔵係長を怪我人に仕立てあげて救急車に乗せたのである。

第三証拠(略)

理由

一  救済命令の成立

請求原因第1項の事実は、当事者間に争いがない。

二  当事者

原告が東京都板橋区に本社及び工場を置き、主として音響機器の製造販売を営む株式会社であり、従業員数は約一〇〇名であることは、当事者間に争いがない。

また、(証拠略)を総合すると、参加人地本は、日本労働組合総評議会傘下の労働組合であり、東京地方で働く労働者約一万四〇〇〇名により組織されていること、参加人分会は、原告会社の従業員八二名により昭和五三年一二月二二日に結成された労働組合であり、参加人地本の傘下に属し、その組合員数は、本件命令が発せられた当時で一五名程度であったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

三  原告の団体交渉の拒否

参加人らが昭和五四年五月三〇日都労委に団体交渉促進に関するあっせんを申請したが、原告は同年六月一一日これを拒否したこと、及び、原告は、参加人らの同年六月四日を始めとするその後の団体交渉の申入れを、同年五月二九日の事件の陳謝と再発防止の保証がないことを理由として、一切拒否していることは、当事者間に争いがない。

原告は、参加人らの組合員は、原告との種々の交渉の過程においてたびたび多数による暴力的行動を繰り返してきており、今後も団体交渉の場で暴力的言動を繰り返す蓋然性が極めて高いので、暴力事件の陳謝と再発防止の保証がないかぎり、団体交渉に応じることはできないと主張している。そこで、まず、原告が右のように団体交渉を拒否するに至るまでの原告と参加人らとの間の交渉の経緯について検討することとする。

四  原告と参加人らとの交渉の経緯

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

1  参加人らは、昭和五三年一二月二二日、原告に対し参加人分会が結成された旨通告するとともに、同日原告と団体交渉を行って、昭和五三年度年末一時金、参加人らに対する便宜供与その他の問題につき協定を締結した。この日の団体交渉には、参加人分会員の他、参加人地本の役員も出席していた。その後、昭和五四年二月一九日に至るまで、原告と参加人らとの間で、本社及び工場の移転統合問題、退職金問題、チェックオフ問題等に関して少なくとも六回以上の団体交渉が行われた。(以上の事実は、当事者間に争いがない。)

2  同年四月九日、参加人分会の伊藤書記長及び岩島副分会長が、原告会社の桜井部長に対し、原告会社の前田部長が参加人分会員二名を三月末から四月初めにかけて酒食に誘い分会からの脱退工作をしたとして抗議を申し入れ、併せてこれに関する団体交渉を翌一〇日に行うよう申し入れた。これに対し同部長は、脱退工作などするはずがないと答えたが、参加人らの側は納得せず、途中から参加人地本の北部地域支部の金田書記長や参加人分会の執行委員も加わるなどして押し問答が続き、結局、同部長は事実関係を調査して翌日返答する旨約してその場は別れた。この間の時間は午後三時ころから午後五時ころまでの約二時間であった。(以上の事実のうち、参加人分会の役員二名が脱退工作につき抗議を申し入れたこと及び桜井部長が脱退工作などするはずがないと答え、結局同部長が事実関係を調査して翌日返答する旨約したことは、当事者間に争いがない。)

3  同部長は、翌一〇日、業務で終日外出しているので右の回答は明日行う旨部下を通じて参加人分会に連絡した。原告は、翌一一日、参加人分会に対し、脱退工作はしたことはない旨文書で回答した。これに対し参加人分会は、「会社の不当労働行為および四月一〇日の団体交渉の約束を反古にしたことに抗議する」旨会社に通告した。(以上の事実は、当事者間に争いがない。)

4  また、同日午前中参加人らは、原告に対し、前記脱退工作の件につき抗議を申し入れ、これに対し原告の長部長らは午前一二時ころまで話合いに応じたが、更に同日午後三時ころ、参加人らの役員ら二〇ないし二五名程度が原告に対し同様の抗議申入れをしたため、同部長が他の職制らとともに会社食堂内でこれに応じた。

同部長は、話合いが始まると間もなく中座し、約一時間後に私服警官を連れて現われ、話合いの打切りを宣言したが、参加人側の抗議により話合いは再開された。再開後も同部長は再三中座していたが、午後八時ころ、長沢部長とともに退席したまま戻らず、その後残された原告会社の職制及び参加人らの組合員が捜したところ、既に社内から退出してしまったことがわかった。そこで、午後一〇時ないし一一時ころ、参加人らの組合員と取り残された職制との間で、当日のてん末を確認する文書が作成された。(以上の事実のうち、午後三時ころから食堂で話合いが行われたこと、長部長及び長沢部長が午後八時ころ退席したこと、及び、当日のてん末を確認する文書が作成されたことは、当事者間に争いがない。)

5  その後、四月一九日及び二四日には春闘要求に関する団体交渉が行われ、原告は四・九パーセントの賃上げを回答したが、妥結に至らなかった。右両日の団体交渉には参加人分会の役員のほか参加人地本の役員が出席したが、このことにつき、原告は別段異議を述べなかった(以上の事実のうち、右両日に団体交渉が行われたが、妥結に至らなかったことは、当事者間に争いがない。)。

6  原告は、同年五月一日付文書で、参加人分会に対し、春闘に関する団体交渉を五月九日行うこと、交渉員は双方六名以内とすることを通知した。これに対し参加人分会は、原告に対し、同月七日付文書で、団体交渉の日時等を了承すること、団体交渉への小宮社長の出席を要求すること、組合側出席者は参加人地本及び参加人分会双方の役員若干名であることを回答し、併せて、「団体交渉の席に、上部団体、地域共闘の役員を参加させることは組合の自由であり、今後とも必要に応じて交渉を委任しますし、また人数の制限も受けません」と付言した。これに対し原告は、同月八日付で、参加人分会に対し、交渉員が不明であるから交渉員名簿を同日午後三時までに書面をもって提出すること、提出なき場合は同月九日に予定されている団体交渉を行わない旨申し入れた。参加人分会は、同日、桜井部長に対し、口頭で交渉員名を伝えようとしたが、同部長は口頭では受け付けないと拒否し、結局、同月九日に予定されていた団体交渉は行われなかった。(以上の事実のうち、参加人分会が口頭で交渉員名を伝えようとしたが桜井部長が拒否したことを除くその余の事実は、当事者間に争いがない。)

7  原告は、同月一一日付文書で、参加人分会に対し、その協約締結能力に疑問があるとして、分会規約の提出及び分会役員の権限等に関する文書による説明を求めた。これに対し、参加人分会は、同月一四日付文書で、原告の右申入れについては団体交渉の席上で明らかにする旨通知し、すみやかに団体交渉を行うよう申し入れた。

原告は、同月一七日付文書で、前記原告の申入れに対し至急文書をもって回答せよと申し入れた。これに対し参加人分会は、翌一八日付文書で、再度、右の点は団体交渉の席上で明らかにする旨通知し、団体交渉をすみやかに行うよう申し入れるとともに、原告に対し、参加人地本の規約及び参加人分会の運営規則を提出し、その際、参加人分会には規約というものはなく、運営規則がこれに該当する旨説明した。(以上の事実のうち、参加人分会が、参加人分会には規約というものがなく運営規則がこれに該当する旨説明したことを除くその余の事実は、当事者間に争いがない。)

8  同月二二日午前八時四〇分ころ、参加人分会の組合員が技術部に来て、長部長に対し、原告の引田、木邨両課長が梅津分会員に対し脱退工作をしていると抗議した。そこで、同日午前一〇時から一一時まで、原告と参加人らとの間で話合いが行われ、その後、同日午後三時から五時まで、引田・木邨両課長と、工作を受けたとされる梅津分会員とを対決させて事実を明らかにすべく話合いが行われたが、もの別れに終わった。(以上の事実のうち、参加人分会の組合員が脱退工作につき抗議を申し入れたこと、及び、引田、木邨両課長と梅津分会員とを対決させて話合いが行われたことは、当事者間に争いがない。)

9  同月二三日、原告と参加人らは、原告の同月一一日付の前記申入れについて話合いを行ったが、口頭説明をするという参加人らと文書回答を求める原告との対立は解消されなかった。そこで、参加人らから、参加人分会の協約締結能力等につき労働委員会の判断を求めてはどうかとの提案がされ、原告はこれを検討する旨答えてこの日の話合いは終わった。(以上の事実のうち、原告と参加人らが原告の同月一一日付の申入れについて話し合ったことは、当事者間に争いがない。)

10  しかし、翌二四日、原告は、右提案を拒否するとともに、「団体交渉は文書回答があり次第改めて回答する」、「会社は分会規約の提出を求めたものであり、地本規約や分会運営規則の提出を求めたものではない。」との文書を手渡した。これに対し参加人分会の組合員らは同日午前一〇時四五分ころ、小宮社長及び桜井部長に対し強く抗議するとともに、団体交渉の早期開催を求めた。抗議は午後二時ころまで続き、その後、午後三時ころから五時ころまで、団体交渉のルールに関する話合いが行われたが、どちらからも具体案がでることなく終了した。(以上の事実のうち、参加人分会の組合員らが抗議をした時間及び団体交渉のルールに関する話合いが行われた時間を除くその余の事実は、当事者間に争いがない。)

11  また同月二八日にも、原告と参加人らは、双方の案を出し合って団体交渉のルールに関する話合いを行ったが、若干の質疑応答ののち、この日の話合いは終った(このことは、当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ、《証拠判断略》他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

五  五月二九日の事件について

(証拠略)を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

参加人地本は、同年五月二九日を春闘の早期解決のための統一行動日と定め、春闘未解決の傘下組合に対応する使用者に対する早期解決の申入れを行うこととしていた。参加人地本は、その一環として、原告に対しても申入れを行うこととし、その旨を、当日午前九時三〇分ころ参加人分会の伊藤書記長を通じて、原告に通告した。これに対して、原告は、業務多忙を理由に面会を拒絶する旨を伊藤書記長に告げたが、伊藤書記長はこのことを参加人地本の責任者に連絡しなかった。

同日午前一〇時三〇分ころ、参加人地本の役員ら三〇ないし四〇名の代表団が春闘早期解決の申入れ行動のため原告の事務所を訪れ、そのうち四名の代表が玄関の受付で小宮社長との面会を求めた。原告は、前記のように予め面会を拒絶していたが、このときも樋口課長をして再度拒否させたところ、玄関付近で、小宮社長との面会をなおも求める前記四名と、これを玄関の外へ押し出そうとする原告会社の職制との間でもみ合いとなった。この様子を知った参加人分会の阿部分会長や伊藤書記長らは、面会要求をも拒絶しようとする原告の態度に抗議するためストライキを行うことを決定し、その旨を直ちに組合員に指令した。この指令を受けた組合員らは、事務所から外へ出るため、階上から一階へ下りようとしたところ、階段の下付近で小宮社長と職制らとがこれを阻み、そこでももみ合いが生じた。結局、参加人分会の組合員らは事務所の外へ出ることができず職場へ戻り、また代表団は玄関から外へ押し出されて引き上げた。これらの混乱の中で代表団の中の何者かが玄関扉の金網入りガラスをたたき割った。代表団が引き上げたころ、原告会社の古矢係長は、既に会社の近くにいた救急車で病院へ運ばれ、側頭部打撲・脳挫傷の傷害との診断を受け、六月一五日まで入院し、その後も通院した。

六  参加人らの組合員の暴力的言動の有無について

1  原告は、参加人らの組合員は、昭和五四年四月九日、四月一一日、五月二二日、五月二四日及び五月二九日に原告の職制らに対して暴力的言動をしたと主張するので、検討する。

2  四月九日の事件について

当日の参加人ら組合員と桜井部長との交渉の経緯は、前記四の2に記載のとおりであって、その際暴力的言動があったことを認めるに足りる証拠はない。原告は、参加人らの組合員らが桜井部長を取り囲んで退席させず、会談を強要し、業務を妨害したと主張するところ、(証拠略)によれば、同部長は二時間余会議室から外へ出ることができず、参加人らの組合員と交渉したことが認められるけれども、このことから直ちに参加人らの組合員が桜井部長の身体の自由を拘束したり、交渉を強要するなどの暴力的言動に及んだと認めることはできない。

3  四月一一日の事件について

四月一一日の事件の概要については、前記四の4で認定したとおりである。原告は、当日、参加人らの組合員は、原告会社の職制一〇名を、午後三時三〇分ころから一一時ころまで約七時間半にわたって、食堂に軟禁したと主張する。参加人らの組合員と原告会社の職制らとの話合いが食堂において約七時間程度の長時間にわたって行われたことは、前記四の4に記載したとおりである。しかし、(証拠略)を総合すると、当日の話合いがこのように長時間となったのは、主として、この話合いにおける原告側の最高責任者である長部長が再三中座したこと、同部長が話合いの途中に私服警官を食堂入口まで連れてきて話合いの打切りを宣言したため、参加人らの組合員がこのことに抗議したこと、長部長及び長沢部長が午後八時ころに一たん退席した後、何の連絡をすることもなく社内から退出してしまうという無責任な行動を採ったこと等原告側の長部長の責に帰すべき点が多いものと認められる。また、当日の話合いの態様をみると、前記各証拠によれば、長部長は再三中座することができ、帰宅することもできたこと、話合いの行われた食堂へは自由に出入りをすることができたこと、長部長及び長沢部長が退出した午後八時以降も、当日のてん末を確認する確認書の作成に関し、その内容につき原告会社の職制の側から訂正を要求して参加人らの組合員の側がこれに応じていることが認められるのであって、話合いの席上暴力が振われたとか、原告会社の職制らの身体の自由を拘束するいわゆる軟禁状態にまで至ったとは、認めることができない(<証拠略>には、参加人らの組合役員の金田重弘が話合いの席上「お前らの家族も安全と思ったら大間違いだぞ」とか「確認書に捺印するまでは帰さない。徹夜になってもやる。」といって、確認書への署名捺印を迫ったとの記載があるが、にわかに採用できない。)。

4  五月二二日の事件について

五月二二日の事件の概要については、前記四の8で認定したとおりである。原告は、当日午前八時四〇分ころ、参加人分会の組合員らが原告会社技術部の部屋へ乱入し、業務を妨害したと主張するが、(証拠略)によると、当日午前八時四〇分ころ、多数の参加人分会の組合員らが原告会社の技術部の部屋へ行き、長部長に対し、同部の引田、木邨両課長が梅津分会員に対し組合を脱退するよう働きかけたとして抗議を申し入れたことが認められるが、その際に暴力的言動があったとまでは認められない。

5  五月二四日の事件について

五月二四日の事件の概要については、前記四の10で認定したとおりであって、参加人分会の組合員らが約三時間にわたって、小宮社長及び桜井部長に対し、団体交渉の早期開催を求めて抗議をしたものであるところ、抗議の時間が長時間にわたったものといえる。

しかし、参加人分会の組合員が会社の出入口に棒をかって小宮社長らの外出を阻止した、との(証拠略)の供述部分はにわかに採用できない。また、右の抗議がされるに至った経緯につき検討すると、前記四において認定したとおり、原告は、参加人分会の結成以来参加人分会の協約締結能力に何ら疑問を示さずこれと団体交渉を行ない、かつ、協約を締結し、あるいはその上部団体である参加人地本の役員の団体交渉への出席に対し何ら異議をさしはさんでこなかったのにかかわらず、昭和五四年五月に至って、参加人分会の協約締結能力に疑問があるとして分会規約の提出や分会役員の権限等についての文書による回答を要求し、これに対し、参加人分会が、分会規約というものはなく分会運営規則がこれに該当する旨説明して分会運営規則を提出し、更に分会役員の権限等に関する質問に対しては口頭で回答する旨申し出たにもかかわらず、なお分会規約の提出及び質問に対する文書による回答に固執し、この要求に応ずることを団体交渉の前提条件とし、そのため春闘要求に関する団体交渉が約一か月間にわたり中断していたのである。このような事情の下において、組合員が団体交渉の早期開催を求めて原告に抗議することは、無理からぬ点があり、それが相当程度の時間に及んでも、その一事をもって、組合活動として許容される範囲を超えたものと即断することはできない。

6  五月二九日の事件について

五月二九日の事件の概要については、前記五において認定したとおりである。原告は、参加人地本の組合員約四〇名が会社事務所内に押し入ろうとして、原告会社の職制らに対し暴行を加え、また、事務所にいた参加人分会の組合員らもこれに呼応して原告会社の職制らに対し暴行を加え、古矢係長が参加人地本の組合員のたたき割った金網入りガラスにより左側頭部を強打され、側頭部打撲、脳挫傷の重傷を負ったほか、小宮社長ら四名が加療一週間から三週間を要する傷害を負ったと主張する。

(証拠略)によれば、原告会社技術部技術係長の古矢米蔵は、側頭部打撲及び脳挫傷のため、昭和五四年五月二九日から同年六月一五日まで入院加療を要したこと、原告会社の小宮社長は同年五月二九日左前腕挫傷のため今後約三週間の通院加療を要する見込みとの診断を受けたこと、原告会社の生産部工程係長の上原英和は同日右上腕挫創のため約一週間の加療を要するとの診断を受けたこと、原告会社の技術部員清川一男は両前腕挫創のため同日から同年六月二日まで通院治療を受けたこと、原告会社の技術部員須藤次郎は左上腕挫傷のため同年五月二九日初診加療を受けたことが、それぞれ認められ、この認定に反する証拠はない。そして、古矢米蔵は、労働委員会における証言(<証拠略>)及び本件口頭弁論期日における証言において、参加人地本の役員の金田重弘に髪の毛を引っぱられそうになり、側頭部を強打されたこと、玄関の金網入りガラスがたたき割られ、そのガラスが頭に当たったこと、及びガラスの割れ目から参加人地本の役員の築樋鍵二の姿が見えたことを述べている。また、清川一男及び上原英和は、陳述書(<証拠略>)及び本件口頭弁論期日における証言において、参加人らの組合員から暴行を受けたことを陳述し、小宮孝作及び須藤次郎も参加人分会の組合員から暴行を受けた旨の陳述書(<証拠略>)を提出している。更に、原告の従業員である西川英章、引田明及び阿部政昭もこれらの事実を目撃した旨の陳述書(<証拠略>)を提出している。しかし、これらの陳述については、次に述べるように数多くの疑問があり、にわかに信用することはできないものといわなければならない。

まず、古矢の負傷の状況についてみると、同人は、玄関の金網入りガラスがたたき割られ、そのガラスが頭に当たったというけれども、五月二九日の事件の三日後の昭和五四年六月一日付で原告が参加人分会に交付した「回答並びに通知書」(乙第五七号証)には、「金田重弘が古矢の髪の毛を引っ張り右手でアッパーカットを食わせ引き続き首及び胸部を強打し、そのため、古矢はその場に転倒し失神した。」との記載があり、また、築樋がガラスを割った旨の記載があるが、ガラスが古矢の頭に当たった旨の記載はなく、同年六月五日付で原告が参加人分会に交付した「回答並びに通知書」(<証拠略>)の記載も同様であり、古矢の供述と矛盾している。この点について桜井教雄は、本件口頭弁論期日における証人として、乙第五七号証を書いた当時には古矢の病状が重いため同人から事情を聴くことができず、現場にいた原告の従業員の話を総合して乙第五七号証を書いたと証言し、古矢も原告会社に負傷の状況を報告したのは六月四日が初めてであると証言しているけれども、古矢の証言によれば、ガラスを割ったのが築樋であると分ったのは、同人が割れたガラスのすき間から築樋の姿を見たからであるということであって、乙第五七号証にガラスを割ったのは築樋であると明確に指摘してあることからみても、古矢の陳述や証言は信用し難い。更に、古矢が負傷したとされる現場には多数の原告会社の従業員がいたことが関係証拠上明らかであるにもかかわらず、割れたガラスが古矢の頭に当たったことを目撃した者が一人もいないことによっても、古矢の陳述、証言には疑問があるといわなければならない。

次に、前記乙第五七号証には、「金田が関根三喜雄に対し右手指で関根の右目をつきさし全治一週間の傷害(眼底出血)を負わせ、関根は堀井医院で治療を受け加療中である。」との記載があり、(証拠略)にも同様の記載がある。ところが、関根は、本件口頭弁論期日における証人として、「参加人地本の組合員と原告会社職制とのもみ合いの中で、前から二、三列目にいたところ、社長に命じられて事務室へ戻り警察へ一一〇番の電話をした。」と証言しており、右目を負傷したことをうかがわせる供述はしておらず、病院へ行った旨の供述もしていない。

また、桜井教雄の労働委員会における供述(<証拠略>)によると、救急車は古矢が負傷する前から現場付近に到着していたことが認められるが、その理由について、証人関根三喜雄は、「会社の玄関付近で参加人地本の役員らと原告会社の職制とがもみ合いをしている時に、自分が小宮社長から命じられて警察に一一〇番したところ、警察署の方で救急車も手配しようといわれた。」と証言しているが、一方、前記乙第五七号証には「古矢は会社が手配した救急車で入院した。」との記載があり、何故負傷者が出る前に救急車が到着していたのか、救急車は誰が手配したのかにつき疑問を解消することはできない。

更に、小宮社長の負傷についてみると、(証拠略)の診断書には「左前腕挫傷で三週間の通院加療を要する見込み」との記載があるが、一方、前記乙第五七号証には「社長は左前腕部挫傷を受け全治三週間の重傷を負った。またくすり指の爪がはく離して出血した。社長はすぐ堀井医院で治療を受けたがあまりにも重傷であってその病院では治療出来ず、直ちに専門医である常盤台外科病院で治療した。小宮社長はこのため左手を三角布で吊っており左手を動かすことすら出来ない状態である。」と、前記診断書の記載より著しく重い傷害を負ったかのような記載があり、乙第五七号証の記載は著しく誇張されているのではないかとの疑問がある。

加えて、当日の参加人地本の組合員と原告会社の職制らとのいわゆる「もみ合い」の態様についてみると、(証拠略)によると、参加人地本の代表者四名が小宮社長との面会を求めたところ、これを拒否し事務所外への退出を求める会社側職制一〇人近くが事務所にとどまろうと抵抗する右代表者四名を事務所の玄関の外へ押し戻したというもので、時間的にそれほどの長時間を要したとも考えられないし、原告の主張するような激しい暴行が行われたような状況であるとは思われない。参加人分会の組合員と原告会社職制との「もみ合い」についても、双方で負傷者が出るような身体の接触があったことを認めるべき十分な証拠はない。

以上のような点を総合して考えると、古矢が五月二九日に負傷をしたことは認められるものの、それが参加人らの組合員により加えられたものであるか否かをも含め、どのような状況の下に発生したのかは本件全証拠によるも明らかでないといわなければならないし、小宮社長ら四名の傷害についても同様である。

次に、右事件が発生した原因を考えてみると、前記認定のように、当日は参加人地本が春闘未解決の傘下組合に対応する使用者に対して早期解決の申入れを行うことを予定し、その一環として原告に対しても申入れを行おうとした機会に発生したものであって、参加人分会の伊藤書記長が原告の申入れに応じない旨の回答を予め聞いておりながら、これを参加人地本の代表団に伝えなかったという不手際があったものの、わずか四名の代表者さえも会社事務所から実力で排除しようとした原告の硬直した姿勢もその一因となっていると考えられる。

七  団体交渉拒否の正当性

団体交渉は、誠実に、平和的かつ秩序ある方法で行われなければならず、暴力の行使は団体交渉の場においても許容されないことは、「いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない」と定める労働組合法一条二項ただし書の規定を待つまでもなく明らかである。従って、労働者やその団体が、団体交渉の席上その他労使間の折衝の場において使用者側の者に対し暴力的言動を繰り返し、将来行われる団体交渉の場においてその代表者等が暴力を行使する蓋然性が高いと認められる場合には、過去の暴力行為の陳謝や将来において暴力を行使しない旨の保証のないかぎり、使用者が、その労働組合又はその団体との団体交渉を拒否することは、正当の理由があるものとして労働組合法七条二号の不当労働行為には該当しないものと解するのが相当である。そして、将来行われる団体交渉の場において暴力行使の蓋然性が高く団体交渉の拒否に正当の理由があるか否かは、使用者及び労働者双方の従前の団体交渉その他の折衝の場における態度等諸般の事情を考慮して決するのが相当である。

そこで、右の見地から本件の団体交渉拒否が正当であるか否かにつき検討する。

まず、参加人分会が結成された昭和五三年一二月二二日に行われた団体交渉や、その後昭和五四年二月一九日までの間に少なくとも六回行われた団体交渉、同年四月一九日及び二四日に行われた春闘要求についての団体交渉、更に同年五月二三日及び二八日に行われた話合い(それが原告の主張するように団体交渉であるか否かは別として)の場において、参加人らの組合員が暴力的言動をしたとは、原告も主張しないところであるし、本件全証拠によっても暴力的言動があったとは認められず、これらの交渉は平穏に行われたものと推認することができる。次に、原告が暴力的言動があったと主張する四月九日、四月一一日、五月二二日、五月二四日及び五月二九日の事件について検討すると、前記認定のように、<1>四月九日及び五月二二日については、暴力的言動があったとは認められないこと、<2>四月一一日については、話合いが長時間にわたったことは事実であるが、これについては原告の長部長の責に帰すべき点が多く、かつ、軟禁状態にまで至ったとは認められないこと、<3>五月二四日については、抗議の時間が長時間に及んだけれども、文書回答に固執する原告側の硬直した態度に対する抗議として許容される範囲を超えたものとは即断し難いこと、<4>原告が最も強調する五月二九日についても、参加人らの組合員のうちの何者かが原告事務所の玄関扉のガラスをたたき割ったことは、きびしく非難されなければならず、また、原告の退去を求める姿勢が明確になった後においても、あくまでも小宮社長との面会を求めて事務所内にとどまろうとした参加人地本の役員らにも責任がないとはいえないけれども、原告会社側の受傷者各人の負傷がいかなる状況で発生したのかは明らかでなく、かつ、原告の硬直した姿勢も事件発生の一因となっていることが指摘できる。

右のような事情を考え合わせると、将来の団体交渉において、参加人らの組合員が原告側出席者に対して暴力を行使する蓋然性が高いとは到底いうことができず、原告が五月二九日の事件の陳謝と今後の再発防止の保証がない限り団体交渉に応じないとすることは、正当の理由を欠くものであって、不当労働行為に該当するものといわなければならない。

八  以上のとおりであるから、本件命令に原告の主張するような違法はなく、原告の請求は理由がない。

よって、原告の請求を棄却し、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 矢崎博一 裁判官 原啓一郎)

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