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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)13192号 判決 1986年6月30日

原告

阿部昭二

原告

阿部ミドリ

右原告両名訴訟代理人弁護士

栃木義宏

町田正男

伊東正勝

林千春

渡辺千吉

寺崎昭義

武田博孝

南木武輝

北沢孜

被告

医療法人社団明芳会

右代表者理事

中村哲夫

被告

医療法人財団明理会

右代表者理事

中村哲夫

右被告両名訴訟代理人弁護士

熊本典道

主文

一  被告医療法人社団明芳会は原告阿部昭二に対して、金二一四一万一四二五円及びこれに対する昭和五四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合の金員を、原告阿部ミドリに対して金二〇九四万六四二五円及びこれに対する昭和五四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合の金員を各支払え。

二  原告らの被告医療法人社団明芳会に対するその余の請求及び原告らの被告医療法人財団明理会に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告医療法人社団明芳会と原告らの間で生じたものはこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告医療法人社団明芳会の負担とし、原告らと医療法人財団明理会との間で生じたものは原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告阿部昭二に対して、各自金三〇九六万四五八三円及び内金二八一八万四五八三円に対する昭和五四年一〇月三〇日から、内金二七八万円に対する被告医療法人財団明理会については昭和五七年一二月一二日から、被告医療法人社団明芳会については昭和五七年一二月一三日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは原告阿部ミドリに対して、金三〇三九万二七二四円及び内金二七六一万二七二四円に対する昭和五四年一〇月三〇日から、内金二七八万円に対する被告医療法人財団明理会については昭和五七年一二月一二日から、被告医療法人社団明芳会については昭和五七年一二月一三日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告阿部昭二は、訴外亡阿部英知(昭和三〇年二月二二日生まれ、昭和五四年一〇月二九日死亡・以下「訴外人」という。)の父であり、原告阿部ミドリはその母である。

(二)  被告医療法人社団明芳会(旧名称 医療法人社団米寿会。以下名称変更の前後を通じて「被告明芳会」という。)は、肩書地において板橋中央病院を開設しているものであり、訴外増田宏(以下「増田医師」という。)及び同渡辺哲也(以下「渡辺医師」という。)は被告明芳会の被用者である。また、被告医療法人財団明理会(以下「被告明理会」という。)は、肩書き地において大和病院を開設しているものであり、訴外鶴田幸男(以下「鶴田医師」という。)は被告明理会の被用者である。

2(一)  訴外人は被告明芳会との間で、昭和五四年一〇月二二日(以下、昭和五四年一〇月については、年月を省略する。)訴外人の虫垂切除等の診療、看護の事務の処理を目的とする診療契約を締結して板橋中央病院に入院し、同日虫垂切除のための外科手術を受け、その後も血液透析を要するとして二八日午前八時過ぎに大和病院に転院するまでの間、同病院に入院していた。<以下省略>

3(一)  訴外人は被告明理会との間で、昭和五四年一〇月二八日訴外人の腎不全等の診療、看護の事務の処理を目的とする診療契約を締結し、大和病院に入院し、同日午前九時から四時間にわたつて、人工透析治療を受け、一三〇〇ミリリットル程度の水分が訴外人の体内から除かれた。<以下省略>

理由

一請求原因1の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そして、請求原因2、3のうち各(一)の事実は当事者間に争いがなく、また、この事実に<証拠>を総合すれば、板橋中央病院及び大和病院に入院していた間の訴外人の状況並びに被告明芳会及び同明理会医師らの処置について以下の各事実を認めることができる。

1(一)  訴外人には一八日午後八時頃から腹痛があり、二二日午前一〇時診察を受けたうえ板橋中央病院に入院し、同日虫垂切除、排液管挿入の手術を受けた。その当時訴外人は、急性壊疸性虫垂炎及び汎発性腹膜炎を起こしており、虫垂は壊疸の状態にあつたが、これを切除して手術は終了した。

(二)  この汎発性腹膜炎の発症個所は虫垂部に限局しており、増田医師は訴外人の術後処置として板橋中央病院の院内約束処方である「PPその2」にしたがつて輸液の投与を行うようにとの指示をし、また二二日についてはクリニザルツS五〇〇ミリリットルの投与を指示した。

(三)  訴外人は一八日から二二日までの間、プリン一個とカルピス一杯を摂取した他は、飲食をしていなかつた。

(四)  尿の回数は、二三日が二回、二四日が三回のみという乏尿状態であつたが、尿量の測定はされていなかつた。また、二三日から二四日にかけて、下痢及び緑色吐物の嘔吐が継続した。

(五)  増田医師及び渡辺医師は、二三日及び二四日当時においては、訴外人の乏尿の原因を右(三)及び(四)の事実から脱水と考え、右「PPその2」の処方に基づく輸液を行わせたが、腎不全の可能性については、尿の出ない場合にあり得る一つの原因という以上の認識を持たず、訴外人に対して具体的に腎不全を考慮した検査は実施しなかつた。

2(一)  二五日の訴外人の尿の回数は五回であつて、いぜん乏尿と下痢の状態は続いていたが、午前四時を最後に嘔吐は治まり、午前六時には吐気も消えた。

(二)  訴外人には、顔がカサカサになっているなど、いかにも脱水であることを示すような徴候はなく、いわゆる栄養失調ではないかと感じさせる状況があった。

3(一)  渡辺医師は、二六日訴外人を診察し、浮腫が見られないと診断して、訴外人の無尿ないし乏尿の原因として、脱水の可能性とともに、腎不全の可能性をも多少考え、合わせて尿道炎や膀胱炎による尿閉をも考慮し、尿蛋白、血沈検査を内容とするいわゆる尿A検査の実施、細菌の培養、同定、感受性検査を内容とする細菌学検査の実施、尿道炎に対する抗菌剤の投与、立位及び仰臥位による膀胱部X線の撮影、BUN値、CR値、ナトリウム値、カリウム値、塩素値(以下、ナトリウム、カリウム、塩素については、各元素記号「N」、「K」、「CL」をもつて表示する。)の検査を内容とするいわゆる血液Bの検査の実施及びラシックス二アンプルの投与を指示し、これらの処置が行われた。

(二)  この検査結果は尿蛋白がプラス四、BUN値が仮報告では一デシリットル当り七五ミリグラム以上、本報告では同七九・九ミリグラム、CR値が一デシリットル当り一二・七、一〇〇〇分の一当量(以下一〇〇〇分の一当量を「mEq」として表示する。)、Na値が一リットル当り一三〇mEq、K値が一リットル当り三・三mEq、CL値が一リットル当り九一mEq(以下、検査結果については特に示さない限り右示した単位によることとする。)というものであり、この血液B検査の結果は、本報告の値も含めて、同日中には明らかになつていた。

(三)  同日導尿、膀胱洗浄、バルンカテーテル挿入が行われたが、膀胱洗浄によつて七〇ミリリットルが吸引されたにとどまり、いずれの方法によつても尿の流出はなかつた。

(四)  この日から輸液が「PPその1」という院内処方に切り替わつた。

4(一)  二七日午前六時頃訴外人は、吐気や嘔吐はないが、倦怠感があり尿排出も五〇ミリリットルと悪く、肉眼で視認できる血尿のある状況であつた。

(二)  午前一〇時渡辺医師は、訴外人が、尿量八〇ミリリットルという無尿状態であること、前日に実施した検査の結果によれば尿蛋白がプラス四の状態であつたことを確認し、腎不全の可能性についても考えはしたが、いぜんとして従来の脱水との診断に基づいて、クリニザルツ及びEL三号各五〇〇ミリリットル合計一〇〇〇ミリリットルの追加投与を指示した。その際に、前日の血液B検査の結果を聞かず、また特にその結果について照会することをしなかつた。

(三)  午前一一時三〇分頃回診したが、右クリニザルツ及びEL三号の追加実施が行われ、訴外人は顔面腫脹の状態になつていた。

(四)  この日午後七時までの間に訴外人に対し、経口で八七〇ミリリットルの水分が投与された。

(五)  午後八時一五分当直医は訴外人に対し、マニトール五〇〇ミリリットル及びラシックス二アンプルを投与し、その結果一〇ミリリットルの尿が排出された。

(六)  午後九時四五分右の点滴が終了したが、この当時、顔色腫脹が認められ、午後一〇時一〇分に当直医の指示により、ラシックス一アンプルが投与されたが尿の流出はなく、午後一一時一五分に至り尿一五ミリリットルの流出が確認された。

5(一)  二八日午前零時当時は尿の流出はなく、午前二時に尿二〇ミリリットルの流出があり、顔面浮腫が認められた。

(二)  午前二時五〇分ナースコールがあり、看護婦がかけつけたところ、喀痰喀出が困難な状態にあつた。

(三)  午前三時四〇分医師が診察したところ、訴外人は呼吸困難な状態にあり、医師はこれを喘息ではなく、肺水腫であると診断しマニトール一五〇ミリリットル、ラシックス八〇ミリグラム、ソルコテース五〇〇ミリグラムを投与した。

(四)  午前六時三〇分に四〇〇ミリリットルの瀉血が実施され、また、血液B検査が行われた。

(五)  その後訴外人はカルテなどとともに大和病院に送られた。

6(一)  二八日午前九時から四時間にわたつて、訴外人に対する人工透析が行われたが、透析開始約二時間後には呼吸困難が軽快し、喘鳴も消失し、四時間後には家族との会話を希望する程になった。腎透析前後の体重の比較からこの透析による除水量は一三〇〇ミリリットル程度と推定された。

(二)  透析前は、BUN値が九七・七、クレアチニン値が一四・八、透析後がそれぞれ九〇・九、一三・二であり、透析終了直後に体重測定を受けた際には、訴外人は再び喘鳴、チアノーゼ、血性痰の症状を起こしており、このため五〇ミリリットルの瀉血が行われた。なお、当時の心電図の状況、血圧はともに安定していた。

(三)  午後六時及び八時の回診の際、訴外人は、起座呼吸で、血性痰があり、いたるところで湿性ラッセル音がするという状況で、呼吸困難な状態であつた。

(四)  二九日午前二時四〇分頃、訴外人に便意があり、看護婦が便器介助したが排便せず、自ら約一〇歩歩行を要するところにある便所に赴いて排便した。この頃訴外人には呼吸困難や喘鳴が認められたので、看護婦が吸引を施行した。

(五)  午前二時五〇分訴外人の容態が急変し、ナースコールがなされ、午前五時五分急性腎不全、肺水腫により死亡した。

7  当時の板橋中央病院の検査態勢では、血液B検査については、二時間程度で検査結果を知ることが可能であつたが、大至急の指示の無いものについては個数が一定程度まとまつてから検査を行なうことになつていた。

以上の事実を認めることができ、証人増田浩及び同渡辺哲也の各証言中血液B検査の検査結果は二六日中には出ていないということであつたとある部分は、同検査報告書(乙第一号証)の報告の日付欄には、その用紙の検査結果欄を印字したのと同一の字体の機械印字によつて、「54 10 26」と印字されていて、この検査報告書は二六日中に作成されていたものと認められることに照らして到底措信できないといわざるをえない。なお、原告らは看護記録の二七日午前六時の欄に記載されている「水分一〇〇〇cc」との記述の趣旨について、水分経口摂取の指示の記載であると主張するが、同記録中にこれと前後して記載されている事項は、吐気、倦怠感、創痛の有無などという、看護婦が訴外人から聴取し、又は自ら認識した事項であり、この記載の文脈にもかかわらずこの「水分一〇〇〇cc」との記述のみを、医師の指示を記載したものと認めることは困難であつて、この意味において、この記述は訴外人が飲んだ水量を記載したものであるとする証人渡辺の証言の方が措信しうるというべきである。また、原告らは訴外人には心不全症状はあつても心不全はなかつた旨主張するが、前示の事実に鑑定人越川昭三の鑑定の結果を総合すれば、本件において訴外人が透析終了後にベッドから降り、体重測定をしたときに喘鳴、チアノーゼ、血性痰の症状が見られたが、この症状は心不全を示すものであること、死亡に至るまでの呼吸困難、喘鳴、血性痰などの大量排出などの症状は心不全による肺水腫の徴候であり、これが持続したため心不全が進展して死亡したものと考えるのが最も妥当であること、また、鶴田医師自らも、二八日訴外人がピンク色の痰を排出したことから急性左心不全があると診断していたこと、が認められるのであつて、これらによれば訴外人には二八日当時急性心不全があつたものというべきである。

三そこで、被告らの過失の有無について検討する。

1  鑑定人越川昭三の鑑定の結果によれば、次のようにいうことができると認められる。

(一)  一日の尿量が一〇〇ミリリットル以下の状態を無尿といい、このような高度の尿量減少は単なる脱水では起こらず、急性腎不全の場合であつても、重症の腎皮質破壊に陥らないかぎり、少なくとも一〇〇ないし四〇〇ミリリットル程度の尿は出るのが普通であるから、一日の尿量が一〇〇ミリリットル以下である場合(これを無尿状態という。)には、重症の腎皮質破壊死を疑うか、又は、尿閉塞、尿閉を考えなくてはならないとされている。

(二)  一般にBUN値が七五以上を示す患者の場合は腎不全状態であることが多いが、脱水状態でもこの程度に達する可能性のあるところ、K値が三・三という低い値を示すことは、腎不全の場合通常ないものである。一方尿蛋白プラス三という値は、脱水の場合も出る可能性のある値であるが、クレアチニン一二・七という値は、およそ脱水の場合には出ることのありえない値であつて、K値の低いという事実にかかわらずこれは、明らかに腎障害が発生したことを示すものであつた。

(三)  一般に脱水であればたとえ五〇〇ミリリットルの輸液であつても、尿量の増加傾向が認められるはずであつて、輸液にかかわらず尿量の増加傾向が認められないときには、腎不全である可能性を考えて輸液を中止し、もつて水分の貯留を避けるべきであり、その見地から、一挙に多量の輸液を指示することは適切を欠くものである。したがつて、このような患者には、まず五〇〇ミリリットル程度の輸液を行い、尿量の変化を見てから次の輸液を指示するのが通例であるといえる。

(四)  急性腎不全の場合にはたとえ透析による除水量が一〇〇〇ないし一五〇〇ミリリットル程度にとどまっていたとしても、それだけ心臓に対する負担が軽減されたことになるので、当日に余分の水分負担をしない限りは次の透析を翌日まで延ばしても大事に至らないことが多い。

(五)  長時間の透析はかえつて心血管系に負担になり、血圧低下などの循環系合併症を来たす危険性がある。

2  そこで、以上のことを前提として、先に認定した被告明芳会の被用者の医療行為について検討する。

(一)  前認定事実によれば、渡辺医師が二七日の午前一〇時に診察した時、訴外人は尿量八〇ミリリットルという無尿状態であり、同医師は、前日の検査結果によれば、尿蛋白がプラス四、尿の回数が、二三日二回、二四日三回、二五日五回であつたことを知り、腎不全の可能性も考慮したが、いぜんとして訴外人を脱水であるとする従来の判断を変えることなく、その判断に基づいてクリニザルツ及びEL三号各五〇〇ミリリットル合計一〇〇〇ミリリットルの追加投与を指示しており、同医師はその投与につき、前日実施を指示した血液B検査については、その結果について照会もせず、もとよりその結果を知らなかつたのであるが、当時の板橋中央病院の検査態勢では、大至急との指示のないものについては個数がまとまつてから検査を行なうことになつてはいたものの、血液B検査については、二時間程度で検査結果を知ることも可能であり、現に訴外人の検査結果も検査指示の当日中に出ていたので、照会すれば、同医師が、その際その結果を知りえたことが明らかであつて、これに右1の(一)ないし(三)のようにいうことができることを考え合わせれば、医師としては本件のような状態にある者に対し、通常の投与量を上回る合計一〇〇〇ミリリットルもの輸液の指示を行なおうとする場合には、万一患者が腎不全であるときには、そのような輸液が決定的な影響を与えることもあるのであるから、その可能性を考慮し、腎不全であるか否かを判断する目的で実施させた検査があるときには、その結果について照会し、これを十分考慮して、患者が腎不全でないことを確認すべき注意義務があるというべきであつて、同医師は、右義務にもかかわらず、検査結果の照会を怠り、腎不全ではないことを確認しないまま輸液の指示を行つた点において過失があつたといわざるをえないのである。

(二)  そして、前記認定事実及び鑑定の結果によれば、訴外人は左心不全による肺水腫が持続し、心不全が進展して死亡したものであつて、この心不全は体液の過剰によつて生じたものであり、このような体液過剰の状態は急性腎不全による乏尿状態において、投与水分が過剰であつたことが原因となつて生じたものと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はなく、また、前説示にかかる輸液の経過、訴外人の年齢、更に六〇〇〇ミリリットルの貯留量であれば二四歳の者の心臓にはまだ余力があつたと見られるとの鑑定の結果を総合すれば、二七日午前一〇時の時点で渡辺医師が訴外人の血液B検査の結果について照会を行つておれば、訴外人の死の結果を避けえたものと認めることができる(渡辺医師も当法廷において、当時この検査結果を見ておれば、腎不全と診断し、直ちに透析を考慮したであろうことを、自認しているところである。)。したがつて渡辺医師の右過失行為と訴外人の死亡との間には因果関係が認められるというべきである。

(三)  なお、原告らは大和病院における腎透析につき、これと被告明芳会の医師の過失行為との間に因果関係があるとして、その費用を損害であると主張するが、以上に説示したところによれば、右二七日の段階において既に腎透析が必要な状態に至つていたことが明らかであるから、仮に右過失行為がなかつたならば、腎透析が必要とならなかつたということは困難であり、それ以前の段階において訴外人が腎不全を起こしていたものとしても、その発症の時期及びその病状の推移については、これを認めるべき証拠がなく、板橋中央病院入院中の早期に発見していたとすれば腎透析が不必要であつたとまで認めるに足りないというほかないから、右過失行為と腎透析が必要になつたこととの間の因果関係を認めることはできないというべきである。

3  次に、被告明理会の被用者の医療行為について検討する。

(一)  二八日午前九時から四時間にわたつて、訴外人に対する人工透析が行われた結果、約二時間後には呼吸困難が軽快し、喘鳴も消失し、四時間後には家族との会話を希望する程になつたことは、前記認定のとおりであり、このことに右1の(四)及び(五)のようにいうことができることを考え合わせれば、訴外人が、透析終了直後体重測定を受けた際再び喘鳴、チアノーゼ、血性痰の症状を起しており、再度腎透析をすることが望ましく、当時の訴外人の心電図の状況や血圧の値はともに安定していたことが認められたのであるから、これを行なうことに必ずしも障害はなかつたといいうるのであるが、鶴田医師が長時間の透析がかえつて心血管系に負担を来たすことを考慮して、五〇ミリリットルの瀉血を行うにとどめ、透析を再開しなかつたことは当時の医学水準に照らして誠にやむをえなかつたところというほかなく、鶴田医師の過失を肯定することはできないというべきである。原告らは、腎不全患者が心不全ではなく、心不全様症状にあるに過ぎない場合には除水が最適であつたから、これをするべきであつたと主張するが、当時において訴外人が、心不全でなく心不全状態であつたとし、除水可能であつたと判断しえたとするのは、当時の状況からすれば疑問があるというほかはない。また、前記鑑定は前日の輸液量のみを念頭において判断したものではないことは鑑定書の記載自体から明らかなところであつて、原告らの主張するところはいずれも理由がないというべきである。

(二)  更に前記のとおり、看護婦は便所までの歩行を訴外人に許したものであるが、鑑定の結果によれば、本件のように水分過剰で肺水腫の状態にある者については、仮に本件のような歩行がなかつたとしても、心不全の悪化が起こるのは時間の問題であつたこと、歩行が心不全悪化の直接の要因であれば、その直後に呼吸不全になるはずであることを認めることができる。そして、前認定の事実ことに訴外人が歩行をしたのは午前二時四〇分頃で、当時呼吸困難及び喘鳴が認められたこと、その際吸引がなされたこと、午前二時五〇分頃にナースコールがなされたこと、便所までの距離が一〇歩歩行を要する程度であつたことからすれば、午前二時四〇分頃にみられた呼吸困難及び喘鳴は、その後一時落ち着いたため看護婦が引き上げたものと推認され、これに前記鑑定の結果を総合すれば、歩行許可と心不全悪化との間に因果関係を肯定することは困難であるといわざるをえないし、他にこれを認めるに足りる証拠はないというべきである。

4  以上によれば、渡辺医師の過失行為と訴外人の死の結果との間には因果関係があるということができるが、これと腎透析が必要になつたことについては因果関係を認めるに足りないというべきであるし、鶴田医師の行為には過失がなく、また、看護婦が訴外人に歩行を許可したことと死亡との間の因果関係は肯定できないこととなる。そして、被告明芳会が板橋中央病院の開設者であり、渡辺医師が被告明芳会の被用者であることは当事者間に争いがなく、前記説示事実によれば渡辺医師は被告明芳会の医療事業の執行として訴外人の診療に当つたことが認められる。したがつて、被告明芳会には民法七一五条により渡辺医師が訴外人の死亡によつて訴外人及び原告らに加えた損害を賠償する義務があるというべきである。これに対して、被告明芳会に対する損害賠償請求中腎透析が必要となつたことによる損害の賠償を求める部分及び被告明理会に対する損害賠償請求は不法行為を理由とするものも、債務不覆行を理由とするものも、いずれも理由がないことに帰する。

四損害額について

1  逸失利益 各一三八四万六四二五円

(一)  訴外人が、死亡当時満二四歳であつたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>を総合すれば、訴外人は昭和四八年三月東京都立本所高等学校を卒業し、同年四月独協大学外国語学部英語学科に入学し、教養部の過程は修了したものの、昭和五四年三月に同大学を中退したこと及び原告阿部昭二は訴外人が退学していたことを全く知らなかつたことを認めることができ、また、右原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、訴外人は死亡のころいわゆるアルバイトに従事していたことが窺われるがその詳細については全く明らかではないと認められる。

(二)  右事実によれば、訴外人は六七歳に達するまでの四三年間、少なくとも昭和五四年賃金センサス、第一巻第一表、産業計、企業規模計、全学歴計、男子労働者の平均年収金三一六万六六〇〇円を下回らない所得を得られたものと推認することができ、この年収を基礎とし、生活費として収入の五割を控除し、将来分についてライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して訴外人の逸失利益の現価を計算すると後記計算式のとおり二七六九万二八五一円となる。

なお、原告らはこれを新大卒男子労働者の平均賃金に基づいて算定すべきであると主張する。しかしながら、六年間にわたつて大学に在学した場合には、卒業後直ちに就職する場合であつてもかなりの困難の伴うこと、教養課程終了段階で大学を中退した者は、教育制度上のたてまえはともかくとして現実には必ずしも短期大学卒業者と同様の社会的評価を受けているとはいいがたい面のあること及び高校進学率と大学進学率との間にはなお相当の隔たりのあることはいずれも公知の事実であり、本件のように親にも中退したことを知らせず、アルバイトに従事していたような場合を、中退後定職に従事していた場合と同列にみることも出来ないところであつて、訴外人の学歴を新制大学卒業者あるいは短期大学卒業者と同様に見ることは出来ないといわざるをえない。原告ら引用の判決は被害者の学歴及びその後の就労状況において本件と事案が異なり、これを本件にあてはめることは出来ないというべきである。

<計算式省略>

(三)  原告らが訴外人の父母であることは当事者間に争いがなく、原告らはそれぞれ前記逸失利益額の二分の一に当る一三八四万六四二五円(一円未満切捨)の損害賠償請求権を相続取得したものというべきである。

2  財産的損害 原告阿部昭二について四六万五〇〇〇円

(1)  <証拠>によれば、死後処置料一三〇〇〇円他合計六万九八五九円及び死亡診断書料として二〇〇〇円を原告阿部昭二が大和病院に対して支払つたことを認めることができるが、本件過失行為と透析が必要になつたこととの間に因果関係を認めることができないことは先に判断したとおりであつて、結局死後処置料一万三〇〇〇円及び死亡診断書料二〇〇〇円のみが相当因果関係のある損害であるというべきである。

(2)  <証拠>によれば、原告阿部昭二は訴外人の葬儀費用として丸山葬儀社に対して三四万一四〇〇円、訴外人の戒名料として一五万円をそれぞれ支出したことが認められる。このうち四五万円をもつて本件過失と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。なお、原告阿部昭二はこれらの他に香典返し費用として二〇万円程度を支出した旨供述するが、香典返しは香典に対する返礼の意味をもつて、香典の額を越えない範囲内において、喪主等が香典提供者に提供するのを常例とするものであるところ、香典が損害填補の趣旨を有せず、損益相殺にいう益の概念に該当しない以上は、香典返し費用についても、損害の観念をもつて律すべき性格のものではないというべきである。

3  慰謝料 各五五〇万円

<以下省略>

4  弁護士報酬 各一六〇万円

<以下省略>

5  なお、原告らは被告明芳会に対して不法行為に基づく損害賠償請求と選択的に、債務不履行に基づく損害賠償請求をしているが、腎透析費用との間の因果関係を認めるに足りないことは前説示のとおりであり、死亡によつて生じた損害についても、不法行為を理由として認定された右認定額を越える損害を被つたとは認めがたいのであつて、右認定額を越える損害賠償を認める理由とはならないというべきである。

五結論

よつて、原告らの被告明芳会に対する請求は、不法行為に基づき原告阿部昭二について二一四一万一四二五円及びこれに対する不法行為の後である昭和五四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合の、また原告阿部ミドリについて二〇九四万六四二五円及びこれに対する前同様の金員の、各支払いを求める限度で理由があるからこの限度でこれを認容し、被告明理会に対する請求は債務不履行に基づくものも、不法行為に基づくものもいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言については同法一九六条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官米里秀也 裁判官松井英隆)

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