東京地方裁判所 昭和57年(ワ)13668号 判決
【事実】
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、国士館大学武徳研究所の教授で、江戸時代の思想家三浦梅園を専門的に研究している者である。被告山田は京都大学教授であり、被告江阪及び同岩田は書籍出版業者である株式会社中央公論社に勤務する者である。
2 債務不履行について
(一) 契約に至る経緯
原告は、被告山田から、昭和四七年三月一七日付けの書簡によつて、中央公論社が企画する「日本の名著」シリーズ第二〇巻の「三浦梅園」の巻を執筆するための「玄語」の共訳方の申し入れを受け、相前後して、中央公論社書籍第二部に所属し、「日本の名著」シリーズの担当者であつた訴外福士季夫からも三浦梅園著作物について被告山田と共同で翻訳して欲しい旨の申入れを受けた。原告は、これら申入れに対し、共訳期間一年、調査研究費出版社負担との条件で引き受ける旨回答し、福士もこれを了承した。
(二) 右のような経緯の下で、原告は、同年四月ころ、被告山田及び福士季夫との間に、次の内容の契約を締結した。
(1) 原告及び被告山田は、「日本の名著」シリーズの第二〇巻「三浦梅園」を共同で著作する。
(2) 右(1)のため、原告及び被告山田は、三浦梅園の第一主著である「玄語」の全訳及び「多賀墨卿君にこたふる書」その他原告の推薦する三浦梅園著作物の部分訳を共同で行う。
(3) 福士季夫は、中央公論社に勤務する者として、右(1)(2)のため必要な出版社側の責務を果す。
(三) 被告江阪及び同岩田は、中央公論社に勤務する者として、福士季夫の「日本の名著」シリーズに関する業務を引き継き、前記契約による債務も引き継いだ。
(四) 原告は、被告山田らと前記契約を締結した当時、大分県別府市内に存する別府大学の助教授であつて講義を担当していたため、一週間の半分を同大学での勤務に充て、残る半分を京都市内に存する京都大学人文科学研究所での研究に充て、毎週瀬戸内海を海路往復するハードスケジュールで、約二年の間被告山田との共訳体制を整えた。ところが、被告らは前記契約に基づく債務を何ら履行せず、日本の名著「三浦梅園」は昭和五七年八月中央公論社から突如として刊行された。
3 著作権侵害について
(一) 原告は、前記のとおり、三浦梅園の研究者であり、同人の思想、哲学等に関する種々の論文を著作し発表していたが、「三浦梅園の思想」との表題でこれらを集録し(以下「原告著作物」という)、昭和五六年五月、書籍出版業者である株式会社ペリカン社からこれを発行した。右の原告著作物には別表下欄のとおりの記述部分がある。
(二) 被告山田は、日本の名著「三浦梅園」のうち「黒い言葉の空間 三浦梅園の自然哲学」と題する部分(以下「被告書」という。)を執筆した。右の被告書には別表上欄のとおりの記述部分がある。
(三) 別表の対応する上欄と下欄とを対比検討すれば明らかなように、被告山田は、原告著作物に表わされた学説ないし思想を盗用し、原告著作物に触れず、いかにも自己の独創的知見であるかのように装つて、被告書の該当記述部分を作成した。
4 原告は、被告らの右債務不履行及び著作権侵害行為により多大の精神的苦痛を受けたが、これに対する慰藉料と被告らの債務不履行により被つた資料代相当額及び原告自身の人件費相当額の損害を加えると、九五万円になる。
5 よつて、原告は、被告らに対し、債務不履行及び著作権侵害に基づく損害賠償請求として、被告らが各自九五万円及び本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月一一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の(一)の事実は認める。同(二)の事実は否認する。同(三)のうち、被告江阪及び同岩田が中央公論社に勤務する者であつて、福士季夫の「日本の名著」シリーズに関する業務を引き継いだことは認めるが、その余の事実は否認する。同(四)のうち、日本の名著「三浦梅園」が昭和五七年八月中央公論社から刊行されたことは認めるが、その余の事実は不知。
3 同3のうち、(一)(二)の事実は認めるが、(三)の事実は否認する。
4 同4の事実は否認する。
【理由】
一請求の原因1及び2(一)の事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によると、昭和四七年三月ころ、当時中央公論社が刊行中の「日本の名著」シリーズの編集担当者であつた福士季夫及び同シリーズ第二〇巻「三浦梅園」の編集を中央公論社から委嘱されこれを引き受けていた被告山田から、原告に対し、同書に収録予定の三浦梅園の著作物「玄語」その他の翻訳について被告山田との協力方の依頼があつたこと、これに対し原告は福士宛て、協力期間一年、調査費出版社負担との条件で引き受ける旨回答し、福士は概ねこれを了承したこと、これを受けて、原告、被告山田及び福士は、同年四月ころ、京都市内のホテルで前記翻訳の協力等に関して話し合つたが、その話合いは、原告と被告山田の意見が一致せずに終つたこと、原告は、昭和四七年四月から昭和四八年二月まで、当時勤務していた別府大学で講義その他の職務を行うとともに、国内研修員として京都大学人文科学研究所で研究していたが、その間被告山田との間で前記「玄語」等の翻訳についての具体的な話はなかつたこと、昭和四八年八月に、原告は、福士から、三浦梅園に関する資料複写の件について依頼を受け、その所属する資料を福士宛てに送付する等し、これに対し、中央公論社は、資料収集のための交通宿泊費及びコピー代等を調査費として原告に支払つたこと、その後昭和五〇年一〇月ころ、中央公論社においては福士に代わつて被告岩田が「三浦梅園」の巻の編集担当者となり、被告江阪は昭和五五年三月ころ同社書籍編集局書籍第三部長となつたのであるが、右両被告には右職務を担当する以前には、原告と何らの交渉も持つたことはないこと、日本の名著「三浦梅園」は、中央公論社から、昭和五七年八月、被告山田の責任編集の下に、同被告執筆の「黒い言葉の空間 三浦梅園の自然哲学」、同被告訳の「玄語」(抄)、吉田忠執筆の「三浦梅園と自然科学」、同人訳の「贅語」(抄)、同「造物餘譚」を収め、これに補注、年譜、人名解説・索引、口絵を付した内容のものとして刊行された、との事実を認めることができる。
以上の事実に照らせば、昭和四七年四月ころ、原告と被告らもしくは福士季夫との間に原告主張の法的義務を被告各個人に発生させるような内容の契約が締結されたということはできず、本件全証拠によつてもこれを認めることはできない。
二請求の原因3の(一)(二)の事実は当事者間に争いがなく、別表下欄の原告著作物の表現形式と同表上欄の被告書のそれとを対比すれば明らかなように、両者の間に表現形式の同一性ないし近似性は全く認められず、原告の著作権侵害の主張は理由がない。
原告は、別表上欄の被告書の記述部分は、同表下欄の原告著作物の記述部分に表わされた原告の学説ないし思想を盗用したものであり、これは原告の著作権を侵害するものである旨主張するが、学説ないし思想それ自体の保護が著作権法の保護の範ちゆうに属するものでないことはいうまでもなく、原告の右主張は主張自体失当というべきである。
(牧野利秋 野崎悦宏 一宮和夫)
『三浦梅園』(中央公論社)
1 「玄」はもともと中国哲学の言葉で「根源的存在」を意味する。だから、『玄語』は『根源的存在の探究』あるいは『根源的存在について』とでも訳すべきであろう。(p14)
2 かれは『浦子手記』とよばれる厖大な読書ノートを残しているがそこには二十二歳から六十三歳にいたる四十二年間にかれが読んだ書物の名と、その書物からの抜粋が記されている。(p18)
3 すべての範を中国にとろうとする一部の儒者を批判し、日本が中国であることを願わぬという梅園には、まごうかたないナショナリズムがある。うたがいもなく天皇崇拝において時代に先駆けているそのナショナリズムは(p20)
4 『天経或問』(p25,p26,p30,p31,p79)
5 梅園がはじめて西洋の学問に触れたのはすでに述べたように『天経或問』をとおしてである。
6 梅園が(『玄語』)第一稿を『玄論』第二稿から『元論』と名づけたことは、かれの意図が気の哲学の立場からする根源的存在の探究にあったことをしめす。(p42)
『三浦梅園の思相心』(ペリカン社)
1 玄なる一元気の研究ともいうべき『玄語』の構想とその展開に際して。(p186)
2 それは田口正治博士に発見され、『浦子手記』と命名された梅園の読書ノートである。これは二十二歳から六十三歳の晩年に至るまで美事な毛筆で丹念に書き抜かれたもので、『大分県資料』第二十二巻に発表されたものによれば、詩文集を含めて七十七巻、詩文集を除外した純粋に読書ノートと思われるものだけでも五十三巻になる大部なものである。(p172〜p190)昭和四十五年
3 私は今のところ、この思想的視座の相違は、実は易姓革命を是認する中国の風土と、万世一系の天皇制を頭の先では否定する人でさえいかんともしがたい血の是認を抱懐する日本の風土にねざすものだと考えている。(p79)
4 梅園研究に『天経或問』を導入したのは私である。本書第二部第三章「三浦梅園と明清の自然科学」参照。
5 対照文章ナシ
6 『玄論』・『元論』・『垂綸子』と、玄なる一元気の研究ともいうべき『玄語』の構想と展開に(p186)
初稿の『玄論酉一』と第二稿の『元論酉二』についてみれば、その書き出しの部分はもともと、
一元気上いひやすからざる事あり。いひやすくば玄としもいはんや。名づけやすからざる事<者・物>あり。名づけやすくば豈玄ならんや。(p13)
《以下、省略》