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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)1381号 判決 1988年9月14日

原告 羽成一郎

<ほか五名>

原告ら訴訟代理人弁護士 植木敬夫

同 川名照美

同 藤本齊

被告 帝都高速度交通営団

右代表者総裁 中村四郎

右訴訟代理人弁護士 河村貞二

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告らに対し、昭和五六年一二月二八日付を以ってなした別紙(7)記載の各懲戒処分は無効であることを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らはいずれも被告の職員であり、上野検車区検車掛に所属している。

2  被告は、昭和五六年一二月二八日、原告羽成に対しては別紙(1)記載の、同関根に対しては別紙(2)記載の、同金子に対しては別紙(3)記載の、同小川に対しては別紙(4)記載の、同木村に対しては別紙(5)記載の、同斉藤に対しては別紙(6)記載の各処分理由をもって別紙(7)記載の各懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)を発令した。

3  しかしながら、原告らが本件懲戒処分を受けるべき理由はないから右処分は無効である。

二  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の各事実はいずれも認める。

三  抗弁

1  被告の組織と業務内容

(一) 被告は、東京都の区の存する区域及びその付近における交通機関の整備拡充をはかるため地下高速度交通事業を営むことを目的として、帝都高速度交通営団法によって昭和一六年七月に設立された公法上の法人である。

(二) 業務組織として本社部門の一つに車両部があり、車両部のもとに工場と並んで一一の検車区があって、原告らの所属する上野検車区もその一つである。

(三) 検車区の業務は、検査及びこれに伴う修繕であり、検査は、概ね、列車検査、月検査、臨時検査の三つに分けられる。列車検査は運行状況等に応じて四八時間または走行距離が一、六〇〇キロメートルを越えない期間のいずれか短い期間を基準として、車両の要部について外部から行う検査を、月検査は電車の使用状況に応じて二ヵ月を越えない期間毎に、集電装置、主電動機等各種装置の状態及び作用について行う検査を、臨時検査は、車両を制作または購入したとき、車両に衝突または脱線その他重大な事故の生じたとき等に車両の一部または全部にわたって、その状態及び作用について臨時に行う検査をいう。

(四) 上野検車区は、昭和五六年一一月当時、天沼検車区長以下九二名の職員を有して、銀座線の全車両の月検査の全部と、列車検査の半分、臨時検査の大半を担当し、他に、事故等の緊急事態が発生した場合、これに対応した処理をすることになっていた。

(五) 上野検車区における職員の勤務は、日勤勤務と循環交替勤務とに分かれる。日勤勤務は、主として月検査を担当する者の勤務形態で八時五〇分から一七時一五分が勤務時間である。循環交代勤務は、主として列車検査・修繕等を担当する者の勤務形態で全泊(八時五〇分から翌朝の八時三〇分)又は半泊(一七時から翌朝の八時五〇分)、明番(全泊又は半泊の勤務の明後当日の二四時までの休み)、公休又は日勤、日勤の組合わせを二八日間の周期で勤務する。日勤と循環交替勤務は、二八日間の周期毎に業務上の必要と職員の事情とを勘案して適宜その勤務者を交替させている。

(六) 被告は、地下高速度交通事業を営む者としてその施設及び業務の運営全般に亘って保安保全と災害防止、事故防止に万全の配慮を要求され、非常災害や事故が発生した場合可及的速かに運行の回復に努める等の義務を有するものである。したがって、被告は、平素より事故復旧のための教育訓練についても十分に配慮すべき責務を有している。そこで、被告は作業の繁閑等の状況を勘案しながら、年間の計画に即して各種の教育訓練を行ってきており、その主なものは、運転事故復旧訓練、車両退避訓練、車両故障発見訓練であり、さらには、車両・機器類・検車区施設等の構造・作用・取扱いに関する安全、技術教育等である。

ちなみに、上野検車区は、運転事故復旧訓練として昭和五二年一月から昭和五六年末までの間に、脱線復旧訓練を二五回、緊急自動車行路訓練を四四回、非常招集訓練を三三回、踏切事故関係の訓練を四三回に亘って行っている。

2  昭和五六年一一月の事故復旧訓練について

(一) 計画の策定

上野検車区は、昭和五六年一〇月二八日、大沼検車区長(以下「天沼区長」という。)以下副掛長までのいわゆる指導職による合同会議で、昭和五六年度の年間計画に基づき、翌一一月の作業計画を検討し、同月の重点目標として予定していた運転事故復旧訓練を、地下車庫一七B番線において、車輪の一つに軸折れが生じて脱線事故が起きたので、これを三点支持法(脱線により使用不能となった車輪の軸をつり上げ、その余の一軸と他の台車の二軸の車輪で車両を移動させる方法)によって復旧させるという想定のもとに、日勤者(循環交替勤務の日勤者を含む)を対象として実施することを決定し、勤務番等を検討した結果、一一月七日、一九日及び二〇日の三班に分けて右訓練(以下「一一月訓練」という。)を実施することにした。

(二) 一一月訓練の目的

右訓練を地下車庫で実施することにしたのは、銀座線のほとんどが隧道であるところから、現実の事故を想定した訓練としては、隧道内の事故に類似した環境条件のもとで行うことが、最大の効果をあげうるものと判断したからである。即ち、上野検車区の地下車庫は、地上の車庫部分の道床がバラストであるのに対し営業線と同様にコンクリート道床であり、車両持ち上げ用ジャッキの据え付け方法の会得がより具体的になること、照明器具の使用方法についても隧道内の照度の変化に対応した訓練ができること、さらに、隧道内の周囲の壁と天井と事故想定車両との間の作業空間について、現実の事故の場合にほぼ近い経験を体得しうること等である。

3  訓練の実施

(一) 昭和五六年一一月七日、計画どおり一回目の脱線復旧訓練が実施された。右復旧訓練の作業内容は予備車両を使用して車両の第一軸軸折れによる脱線という想定のもとに、三点支持法による復旧作業を行うというものであり、午前中は、まず検査詰所においてミーティングを行い、訓練を実施する意義の説明と訓練上の注意事項、各参加者に対する作業分担の指示をしたうえ、地下車庫へ機材を搬入して準備を整え、午後から地下車庫一七B番線を使用して脱線復旧訓練を実施した。このとき訓練を受けたのは八名の検車掛であったが、野口助役指揮のもとに遠藤掛長、竹内副掛長の指示に従って、当日の訓練作業を終えている。

訓練終了後、反省会が開かれたが、参加者から地下車庫での訓練についてなんらの異論もでなかった。

(二) 同月一九日、二回目の訓練が、筒井助役の総指揮のもとに勝間田、杉野の両掛長、樽見副掛長ほか一〇名の検車掛が参加して実施された。

ところが、この日一部の職員から地下車庫で訓練を行うことについて異論がでた。即ち、九時三〇分ころ、その日は検査・修繕業務を担当し、右訓練には参加していなかった原告羽成、同小川、同金子、同関根のほか高木正晴、高橋忠が、当日の一般修繕作業につき指示を行っていた竹内副掛長を取り囲んで、先ず、高橋が脱線事故復旧訓練をあたかも単なる修繕作業であるかのように取り上げ、昭和四三年に地下車庫ができたとき、当時の区長と組合役員との約束で、地下車庫では修繕作業をやらないことになっている旨の全く事実に反することを述べると、右原告らもこれに同調して、竹内副掛長の作業指示を約一五分にわたって中断させた。さらに、同日一〇時三六分ころから四五分ころまでの休息時間において、原告羽成ら約一四名が検車区事務所におしかけ、榎本首席助役に対し、原告羽成において「地下で脱線復旧訓練をしているが止めさせてくれ」と切り出し、同助役がこれを肯んぜず、右訓練の必要な所以を説明するなどしたところ、「あんた、あんまりなめるなよ、組合と本部でしかものが決まらないと言うが、何かあったらあんたの首はすっとんでしまうよ」等脅迫的言辞を弄し、他の者も同趣旨の発言を繰り返して、事務所内を騒然とさせた。

なお、訓練は一回目と同じ要領で実施されたが、参加者からは、訓練が地下車庫で行われたことについて異をとなえたものはいなかった。

(三) 天沼区長は、同月二〇日石川助役ほか四名の役職者と原告ら六名を含む一〇名の検車掛以上合計一五名に対し、前記と同内容の訓練(以下「本件訓練」という。)に参加するよう命じた(以下「本件業務命令」という。)。

4  原告らの訓練拒否について

(一) 一一月二〇日九時三〇分から検車詰所において訓練参加者に対するミーティングが行われた。

ところが、天沼区長が事故復旧訓練の意義と安全作業についての訓示をしていると、突然、原告羽成が「今日の復旧訓練を地下でやるということだが、地下で修繕作業はやらないという組合と業務との間の取決めがある。これを無視してやるのか」と申し向け、高木もこれに同調して共に当日の訓練を阻止する態度を示した。これに対して天沼区長、石川助役が、交々、そのような約束の存しないことを説明したが原告羽成らは納得せず、訓示を続けることができなかった。

(二) かくして、石川助役は、ミーティング開始後五〇分を経過した一〇時二〇分ころ、鳩貝掛長に対し、ミーティングを打ち切って作業に入るように指示した。訓練は参加者を二班に分け、大久保、小塚の両副掛長が班員に具体的な作業を命じながら、進めていくことになっていたので、まず、第一班の大久保副掛長が原告関根に、第二班の小塚副掛長が原告金子に、訓練に使う車両を列車から離すために連結部の幌を切る作業を命じたところ、両名共に、労働慣行に反して、地下で訓練をするのは納得できない旨の発言を繰り返し、作業に就かなかった。そこで、止むなく、鳩貝掛長が、幌切り作業を別の参加者に命じ、その他の参加者には機材の搬出作業に就くように命じたところ、原告羽成、同金子、同関根、同小川、同木村、同斉藤、および高木の七名は、本件訓練の必要性につきさらに詳細な説明を要求する旨の発言を繰り返し、地下車庫での訓練の中止を執拗に要求して作業には就かなかった。

そこで、天沼区長が一〇時五〇分ころ、改めて、口頭で作業に就くように命じ、原告ら一人ずつに就業の意思の有無を尋ねたところ、原告らはいずれも本件訓練に参加する意思のないことを明らかにしたが、結局原告木村、同斉藤においては一一時一三分に至って、原告羽成、同金子、同関根、同小川においては一三時八分に至って本件訓練に参加したので、原告らは右の時刻に至るまでの間、本件業務命令に従わないで作業を拒否していたことになる。

5  懲戒処分の根拠

原告らの右4(二)の業務命令に違反して就業しなかった行為は、就業規則第四九条第一号及び第三号に該当するので、被告は原告らに対し本件懲戒処分をしたものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁2(一)の事実は不知。同(二)の事実を争う。

2  同3(一)の事実については不知。同(二)の事実中、原告らが修繕担当副掛長の竹内に対し、被告主張と同旨の意見を述べたことは認めるが、その余の事実を争う。同(三)の事実は認める。

3  同4(一)の事実中、原告羽成が被告主張と同趣旨の発言をしたこと、原告らが天沼区長、石川助役の説明に納得しなかったことは認めるが、その余の事実を争う。同(二)事実中、原告らが被告主張の時刻まで作業に就かなかったことは認めるが、その余の事実を争う。

4  同5の事実は争う。

五  再抗弁

1  懲戒処分の無効

本件業務命令は、後記合意又は慣行に反しその効力を有しないものであり、したがって本件懲戒処分も無効である。

(一) 地下車庫の労働環境

昭和四三年四月一日に完成した銀座線地下車庫は日本で初めての地下車庫であったが、もともと留置線として使用する目的で設計され、作業場としての配慮に欠けていたため労働環境が悪かった。即ち、第三軌条に防護板が施されておらず感電等の危険が極めて大きいこと、更に、照明が暗すぎて作業に不向きであること、埃が多くまた水がたまりやすく換気設備、排水設備ともに不十分であること、風通しが悪く、冷房設備もないため、夏は暑すぎて作業をするのに耐えられないこと等である。

しかも営団地下鉄の労働者は、大部分が夜間交代制の不規則労働に従事しており、日中労働だけの職種と比べると労働条件は悪く、生体リズムが乱されて睡眠不足、食欲不振、胃腸障害など不健康な状態に陥りやすく、前記のような劣悪な作業環境の下では健康障害ことに労働災害をひき起しやすいのである。

(二) 昭和四三年の職場総点検運動の経過

(1) 原告らの所属する帝都高速度交通営団労働組合(以下「営団労組」という。)は、所属組合員の権利を拡大し、かつ被告と隔年毎に行う労働協約の改定に対応するため、私鉄総連が統一闘争の一環として実施する職場総点検運動(以下「職点運動」という。)に昭和三五年以降参加してきた。

(2) 職点運動は、組合本部が当該年度の方針及び重点を定め、各分会が右方針に基づき分会員の意見を徴し職場の要求を集約して各分会の要求を決定し、これを文書化して区長に伝え、組合側(本部専従役員一名、分会長外一名)と営団側(現場長、助役各一名)とが職場交渉を行い、右交渉において現場長が分会の要求を容れた場合、右問題は解決済となり、分会の要求が容れられなかった項目については選別の上、組合本部等に解決方を求め、本部において先ず部課長と事務折衝を行い、なお未解決の事項については被告と営団労組とが両者間の紛議を予防調整する目的で設置した経営協議会において団体交渉を行い解決に至るという経過を経るものである。

(3) 昭和四三年度の職点運動は、昭和四三年一一月二六日の営団労組の第一二五回定期大会で決議された一九六九年度運動方針に基づくものであるが、点検の主たる項目は労働災害、事故の防止等であり、そこで目指す闘いの方法は、今日の各職種、職場間で行われてきた様々な形の所属長との話し合いの慣行を守り高め、合わせて新たに部門別懇談会を活用しながら、職場を基礎に反合理化の闘いを強化するというものである。

(4) この運動方針を受けて、各分会で点検運動が行われ、分会と現場長限りで解決しなかった事項につき昭和四四年二月二一日の第六回組合委員会において職場総点検運動に伴う要求としてまとめられ、営団労組はこれを被告に対する要求とした。被告は、昭和四四年八月二六日及び二八日に右要求に対する回答を行ったが、営団労組がこの回答を第二〇回組合委員会において了承したことによって、昭和四三年度の職点運動は終了した。

(三) 地下車庫での作業及び訓練に関する合意の成立

(1) 営団労組上野車両分会(以下「分会」という。)も、右方針を受けて職点運動を進め、昭和四三年一二月二四日、同月二七日、昭和四四年一月一四日の三回にわたって組合側から石川分会長、高橋組合委員、小倉銀座支部長、筒井同副支部長の四名、上野検車区側から野口検車区長(以下「野口区長」という。)、辻助役の二名が出席して行われたが、地下車庫での労働環境が、(一)で述べたとおり極めて悪いものであったから、分会は昭和四三年の職点運動においても地下車庫での労働環境の改善と勤務のあり方に関係して、換気装置及び照明装置の改善、防護板の完全設置等一一項目にわたる要求と共に地下車庫における修繕作業の中止を求めたところ、野口区長は「できるだけ避ける。配車の関係でやむを得ぬ場合は、現状どおり。」と回答したが、その趣旨とするところが、地下車庫へ入った電車が動けない状態になり、どうしてもそこで作業しなければならない場合以外には、地下車庫で作業させないというものであったから、分会はこの説明を了承し右問題は了解ずみ事項となったものである。

(2) なお検車区の作業は、検査と修繕の二つに大別されるが、車両検査以外のすべての作業を修繕作業に含ませて呼ぶのが、上野検車区の習慣である。例えば、車両の一般修繕のほかに、検車区内の草取り、風呂掃除、建物のペンキ塗りなど、日常の用語では修繕という言葉に含まれないものまでも、修繕作業のなかに含めているのである。このような習慣があるために、脱線復旧訓練も修繕作業に含めて理解されており、その作業報告書は修繕報告書として作成されるのである。

したがって、昭和四三年一二月の「地下では原則として修繕作業を行わない。」という労使の了解のなかには当然に脱線復旧訓練が含まれることは明らかである。

(3) 前記の経緯から明らかなとおり、職場交渉は団体交渉そのものでないにしても、団体交渉権に裏付けられた労使交渉の一方法である。しかも、そこでの現場長の発言は実行されることを前提にしているから、交渉の過程で現場長が分会の要求項目について肯定的な回答をし、分会がこれを了承すると、被告と営団労組との間の合意として有効なものとなる。また、仮に、右現場長に労働協約締結の交渉権限が与えられていないとしても、右合意を遵守すべき労働慣行が存在する。したがって、地下車庫での修繕はできるだけやらない旨の現場長たる区長の前記回答及び分会のこれを了承する旨の意思表示は右に述べた意味での合意であり、上野電車区を規律するものとなる。

(四) 地下車庫での作業及び訓練に関する労働慣行の成立

(1) 地下車庫における修繕作業に関する労使の前記合意は、その後、被告によって遵守され、一日を要する作業(水洗い、油掃除は除く)と床下作業は地上で行われてきた。脱線復旧訓練についてみれば、昭和四三年より本件の昭和五六年一一月に至るまでの間、昭和四七年を除いて、すべて地上で行われてきた。なお、右の間、脱線復旧訓練が一時地下で行われたことがあるが、その期間も短く、回数も少なく、例外的であるというべきである。したがって、本件訓練当時、脱線復旧訓練は地下車庫で行わない旨の労働慣行が成立していたものである。

(2) なお、本件地下車庫一七B番線は、地下隧道とは全く異なる構造で、車両の左右両側には壁は存在せず隧道とは異なる状況にあるから本件訓練において現実の作業空間を体得経験することは不可能である。さらに本件訓練は、隧道内に存しない蛍光灯を点灯したまま行われ、隧道内に存しないコンセントを用いて投光機の電源とするなど隧道とは異なった条件下で行われており、訓練の実を挙げ得ないのであり、また、本件訓練の目的は脱線復旧作業にあたる際の機具の使用方法を習得することにほぼ尽きるから地下車庫で行う必要はない。現に昭和四三年以来本件に至るまで数十回に亘り地上において脱線復旧訓練が行われ、その効果を挙げているのに反し地下での訓練は僅か五回にすぎず、このことは地下訓練を行わないことの慣行の存在及び地下訓練の必要性の欠如を裏付けるものである。

(五) したがって、本件業務命令は右合意又は慣行に反するものであり無効である。よって右命令が正当であることを前提とする本件懲戒処分は無効である。

2  懲戒権の濫用

本件懲戒処分は、次の事情に照らし懲戒権の濫用に当たる。

(一) 仮に、原告ら主張の合意が成立していなかったとしても、少なくとも、野口区長と分会との間で地下車庫では修繕作業を行わない旨の了解があり、右の「修繕」は訓練をも含む意味で用いられていたので原告らは職制に対し、本件業務命令が出された前日の昭和五六年一一月一九日にこのことを指摘して地下車庫での訓練を行わないように求めたが、天沼区長は右了解等の存在を無視又は看過して強引に本件業務命令を発したものである。したがって被告主張のごとく、原告らがこれに従わなかったとしてもそれは無理からぬものであり、かかる事情を無視してなされた本件懲戒処分はなお権利の濫用であり無効といわざるを得ない。

(二) また、本件懲戒処分は、原告らが共産党員であり、本件業務命令拒否が反企業闘争の一環としてなされたものであること即ち原告らの思想信条を理由としてなされたものであり違法なものである。よって本件懲戒処分はこの点からも権利の濫用であり、無効である。

六  再抗弁に対する認否と被告の主張

1  再抗弁1について

(一) 同(一)の事実中、昭和四三年四月一日に完成した銀座線地下車庫がわが国で初めての地下車庫であったこと、使用開始当時、埃が多く排水設備も不十分で水が溜まりやすかったこと及び冷房設備がなかったことは認めるが、その余の事実を否認する。

銀座線地下車庫は、車両の収容力を増加すると共に、単に車両の留置線としてではなく、車両の検査、修繕、車内清掃等の作業にも使用するために新設されたものである。

なお、第三軌条の防護板は、同地下車庫一七B・一八番線については列車検査線に指定されていたので、その使用開始当初から上面だけでなく背面にも設置されていた。他の留置線については、営業線と同様上面防護板だけしか設置されていなかったが、昭和四八年一一月までに背面の防護板の設置を完了した。照明設備は毎日検査線に指定されている一七B・一八番線については現在と同程度のものが設置されていたし、昭和五三年一二月の排水処理工事の完成により、床の水洗作業(夏冬の年二回)ができるようになり、埃はでなくなった。

(二) 同(二)(1)の事実は認める。(2)の事実は否認する。(3)、(4)の事実は認める。但し、営団労組が職場総点検闘争に関する方針を決定したのは昭和四三年一一月二二日の第三回組合委員会である。

(三) 同(三)(1)の事実中、原告ら主張の者が出席して懇談がなされたこと、懇談会の席上、分会が野口区長に対し、地下車庫での作業に関する要求として、換気装置及び照明装置の改善等を求めると共に、地下における修繕作業の中止方につき当時職制側が考えていた業務処理の内容、方法等の説明を求めたことは認めるが、その余はすべて否認する。野口区長は修繕作業につき「出来るだけ上でやるようにするが、配車の関係でやむを得ぬ場合は現状通り」と説明しているのであり、この点についての原告らの主張の「出来るだけさける。配車の関係でやむを得ぬ場合現状通り」という区長発言なるものは正確ではない。

同(2)の事実は否認する。同(3)は争う。

(四) 同(四)(1)の事実中、一日を要する作業と床下作業が地上で行われてきたことは認めるが、その余は否認する。右の各作業が地上で行われてきたのは、故障修理のために必要とする機械設備が地上にあるからにすぎない。地下車庫での脱線復旧訓練は、昭和四三年以降も、昭和四六年には一二月二四日、昭和四七年には二月四日、三月一四日、四月二〇日、八月二日に行われた。なお、昭和四七年八月二日の後、本件の昭和五六年一一月七日の訓練までの間、地下車庫での事故復旧訓練が中断していたのは、昭和四七年一一月二〇日に銀座線赤坂見附駅で台車の側枠の折損による脱線事故が発生し、その復旧には三点支持法によって、本線から新橋側の側線へ回送して退避させる方法がとられたが、途中虎ノ門駅付近で再び脱線し、復旧方法としての三点支持法の改善が課題として残され、復旧の遅れに対する世論の批判もあり、復旧の技術について運輸省の監査も特別に行われたため、爾来、当分の間は、復旧用機材の研究設備と方法(三点支持にしたうえで、つりあげた一軸の車輪の下にトロを入れる搬送トロ方式)についての技術教育が中心となり、地上で行われてきたという経緯によるものである。

同(2)の事実は否認する。

(五) 被告の職点運動に関する主張

(1) 営団労組は、昭和三六年一月一六日の第七回中央委員会において「職場総点検運動推進に関する件」を決定したが、それによると、同年一月中旬に各職場の要求を集約整理したうえで同年二月末には職場交渉を行い、同年三月から四月末にかけて中央交渉に臨むとしていた。

(2) このことを知った被告は、いわゆる職場交渉が職場の規律に抵触し、職制による規律秩序を混乱に陥れ、労働協約に基づき確立されてきている労使間の交渉ないし労使協議のルールに違反するおそれがあったので、各職制に対して、営団労組の下部組織との職場交渉と称する一切の交渉には応じないこと、また、そのような権限を職制に与えていないことを明確にして、誤りがないように指示した。この指示によって、現場の職制が職場交渉等に応じなかったので、職場からの要求なるものは労組の組織内において整理され中央に集約されて、本来のルールによる中央交渉によって解決されたのである。

(3) 次いで、昭和三七年二月七日営団労組の第一〇回組合委員会においても、再び「職場総点検運動推進に関する件」が決定せられ、総点検運動で掘り起こされた職場の要求なるものについて現場の職制に対して職場交渉あるいはそれに類似した闘争手段がとられることが危惧された。そこで、被告は、改めて、昭和三七年二月一三日各所属長あて文書をもって、被告は職場長に団体交渉、協議等について権限の委任を行っていないので、交渉、協議等に応ずることによって後日労働組合の職場闘争に口実を与えてはならない旨指示した。

(4) 営団労組は、その後、昭和三七年七月一八日に同日付の職場総点検運動に伴う要求書を被告に提出し、要求項目以外の職場要求事項については、職場交渉の権限を要求事項の程度、内容に応じて部課長ないし職場長に付与し、これらの者が被告を代表して営団労組の下部組織と交渉しうるようにしてもらいたい旨要求してきた。これに対し、被告は、昭和三八年六月三日の団体交渉において、書面によってこれを拒絶するとともに、職場長と営団労組との懇談を、各職場に組合執行委員が出向し職場長に懇談を申入れたとき、懇談の方法及び内容について職場長と執行委員との間に合意のあった場合、懇談が平和的で吊るし上げ、暴力、強制等を伴わないときに限り時間外にこれを行ってもよい旨回答した。営団労組は、この問題を協約改定の際に引き続き協議したいとし、それまでは被告の方針に従うことを明らかにした。ところが、その後、営団労組から、この問題についてはなんらの申入れもないまま今日に至っている。

したがって、職場総点検運動によって集約された要求について、職場交渉等をしたことはない。

なお、営団労組と懇談する場合でも、共同でなにかを決めるという趣旨のものではなく、組合のいう職場の要求項目について職場の職制が自らの業務処理のなかで、現在どのように処理すべきであると考えているかを説明するに止まるのである。したがって、そこで説明した内容が業務上の都合によっては将来変わることも勿論あり得ることである。

2  再抗弁2について

原告らの主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  原告らの身分関係と懲戒処分の存在

請求原因事実は当事者間に争いがない。

二1  被告の組織及び勤務態様

原告らは抗弁1の事実を明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

2  昭和五六年一一月の事故復旧訓練

(一)  本件訓練の計画の策定と目的及び必要性

(1) 《証拠省略》によると、被告は、予てから運転事故が発生した場合に備え「運転事故復旧対策規程」を制定していたが、そのなかで車両部長に対しては、応急処理及び復旧についての計画を策定し所属職員を指導訓練しなければならない旨を定め、これを承けた「車両関係運転事故復旧内規」では検車区長に対して、事故復旧訓練を年間四回施行し、すべての職員を年間一回以上参加させなければならない旨をそれぞれ指示していること、上野検車区でも、年間を通じて各種の教育訓練の実施を予定し、そのための計画を策定していたが、事故復旧訓練のうちの車両を用いる脱線事故復旧訓練については、一回の訓練に参加する人員が一〇人以上であることを必要とするところから、昭和五六年度の場合、年度初めに作られた計画ではこの訓練を五回、奇数の月に実施することにしていたこと、昭和五六年の脱線事故復旧訓練は、四月と九月に各一回実施され、このときはいずれも地上で行われたこと、本件訓練は、地下車庫一七B番線を使用し、車両の車軸四本の内の一本が折損し、これが原因で脱線事故が発生したため、車軸に応急処理をした後に、その車両を回送するとの想定のもとに、循環交替勤務の日勤者を含めた日勤者を対象としてこれを三班に分け、一一月七日、一九日及び二〇日の三日間に同一の訓練を実施するというものであったこと、本件訓練は一〇月二八日に検車区副掛長以上の職制が参加した合同会議において天沼検車区長の提案により異議なく決せられたが、本件訓練を地下車庫で行うことにした理由は、上野検車区が担当する銀座線の隧道内でかつて脱線事故があり、また右のような脱線事故が起こるとすれば隧道内であることが予想されるところから、地下車庫は照明が暗く、コンクリートの壁、天井、側壁等によって作業空間が仕切られ、また、道床が隧道内のそれと同じコンクリートであるため、隧道内と状況が全く同様であるとはいえないまでも地上に比べより実際の隧道内の状況に近似し、訓練の実を挙げることができると考えたからであること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) そして《証拠省略》によれば、本件地下車庫の状況が前記のとおりであることが認められる。《証拠判断省略》

(3) しかして、前記認定にかかる被告の営業目的等に照らすと、被告がその営業目的を完遂するためには平常より事故復旧訓練を実施する必要があったことは明らかであり、また前記認定のとおり上野検車区が担当する銀座線において脱線事故が起るとすれば隧道内であることが十分予想され、また本件地下車庫の状況が前記のとおりであって地上に比べより実際の隧道内の状況に近似していることに鑑みると、本件地下車庫において本件訓練を行う必要がありかつ大きかったことは首肯するに難くない。《証拠判断省略》

(二)  訓練の実施

《証拠省略》によると、昭和五六年一一月七日、地下車庫での一回目の脱線事故復旧訓練が実施され、これには三名の職制と八名の検車掛が参加し、訓練は当初の計画に従って進められたが、参加者或いは分会からは地下車庫でこのような訓練を行うことについての苦情等は全く出なかったこと、同月一九日、二回目の脱線事故復旧訓練が筒井助役、勝間田掛長ほか二名の職制と一〇名の検車掛が参加して行われたが、九時三〇分ころ、ミーティングを開始するため、勝間田掛長が修繕詰所で待機していた当日の訓練参加者に対し集合を命じ、参加者らがこれに応じて移動を始めると、折りから修繕詰所において、検査あるいは修繕作業に従事するため、待機していた原告羽成を含む約一〇名の者が、修繕班担当の竹内副掛長を取り囲み、先ず高橋忠が竹内に対し詰問するような調子で「地下車庫ができた昭和四三年に、当時の区長と組合役員との間で地下車庫では修繕作業をやらない旨の約束がある。」と主張するや、こもごも激しい口調で竹内に対し地下車庫での訓練を直ちに中止するように要求したため、報告を受けてその場に臨んだ筒井助役が、高橋らに対し、昭和四三年当時組合委員であった高橋は右のような約束が存在しなかった事実を十分承知しているはずである旨反論し、さらに、訓練を地下車庫ですることにした事情を説明して了解を求めたにもかかわらず、原告羽成らはこれに納得せず、通常は気吹き作業(車両の塵埃等を圧縮空気で清掃する作業)の終るのを待って直ちに作業にかかるのに、この日は竹内副掛長が作業に入るように命ずるまで、約一五分にわたって前記主張を繰り返したこと、更に同日の一〇時三〇分から四五分までの休息時間においても、榎本首席助役のもとに原告羽成を含む一四名の者が赴いて、主として原告羽成、高木、高橋において同様の主張を繰り返したこと、そこで、榎本は脱線復旧訓練の必要な所以を説いて説得を試みたけれども、原告らは納得せず口々に発言を繰り返し事務所内が騒然としたこと、しかしながら、この日も訓練の参加者あるいは分会からは、地下車庫での訓練について格別の苦情はなく、訓練そのものは予定どおり最後まで行われて終了していること、本件訓練は翌二〇日に、対象者を日勤の検査班に属する原告らを含む一〇名の検車掛とし、これに石川助役、鳩貝掛長、大久保、小塚、渡辺の各副掛長が加わって、一、二回目と同じ内容で実施されることが予定されていたこと、以上の事実が認められる。《証拠判断省略》

3  原告らの訓練拒否について

《証拠省略》によると、昭和五六年一一月二〇日の月検査の第二班に属する原告らに対する本件訓練は九時三〇分からの検査詰所におけるミーティングから始まり、天沼区長から訓練の意義について一般的な訓示が行われた後、当日の責任者である石川助役が訓練内容の概略を、鳩貝掛長が作業の具体的な内容と手順をそれぞれ説明してから、引き続いて参加者は二班に分かれて訓練作業に入ることになっていたこと、ところが、天沼区長の訓示が終わると、職制との間に地下車庫では訓練をしない旨の約束があるとする原告羽成及び高木が同区長に対し、強い口調で地下車庫での訓練の中止を求めたこと、これに対し、天沼区長は右については一九日に筒井助役において説明ずみであり、原告らの右要求は殊更に本件訓練を阻止せんがための口実に過ぎないものと考え、右要求に応ぜず訓練の続行を命じて退席しようとしたところ、原告羽成らにおいて「区長逃げるのか」等の罵声をあびせたこと、そこで、石川助役が地下車庫で訓練を行う必要性等について職制側の見解を述べ、さらに鳩貝掛長が作業内容に関する説明を行い、石川助役がこれを補足したところ、原告羽成らは職場慣行を一方的に破るのはおかしい等の主張を執拗に繰り返し、地下車庫での訓練の中止を求めたが、石川助役はこれ以上右抗議にとりあっていても徒に時間を空費するだけであると考えて、鳩貝掛長にミーティングを打ち切って訓練作業に入るように指示したこと、そこで、予定より二〇分程遅れた一〇時二〇分ころ、鳩貝掛長の指示を受けて、班長の大久保、小塚両副掛長は訓練参加者の所属を示す腕章を配るとともに、一班の班長大久保が原告関根に対し、二班の班長小塚が原告金子に対し、それぞれ連結切離しのための先行作業として、第五車両と第六車両との間の幌を切る作業を指示したこと、ところが、原告関根、同金子は職制側の説明には納得できないし、職場慣行に反する指示には従えないといった趣旨の発言を繰り返し、再三に亘り作業に就くように指示する鳩貝、大久保、小塚等の指示を無視し、就業しようとはしなかったこと、結局、幌を切る作業は一〇時四五分、原告関根、同金子に代わって小堺、小西の両名が行ったので、鳩貝掛長が他の者に対しては機材の運搬と搬入を指示したところ、原告羽成において「一方的にやれやれというけれども、区長もちゃんとした説明もしないでいったのにできるかよ」等と口汚く罵り、その余の原告らと他の一名もこれに同調して、地上での作業になら就くが、地下での訓練には従えない旨の発言を強い口調で述べ、石川ら職制側からの再三に亘る説得を無視し、検査詰所から出ようとはしなかったこと、一〇時五〇分ころ原告らが地下車庫での訓練を拒否しているとの報告を受けた天沼区長は、右行為が業務拒否に当たると判断して、直ちに現場に臨み鳩貝掛長から事の顛末を聞いた後、原告羽成らに対し就労するように説得し、さらに、原告羽成、同金子、同斉藤、同木村、同小川、同関根に対し就労意思の有無について順次確認したところ、原告斉藤、同木村において、爾後地下訓練に対する自分達の要望が容れられるならば訓練に参加するつもりがあるなど多少躊躇する態度をみせたほかは、職制からのこれまでの説明では納得できないとして、その余の原告と高木がその場で強く就労を拒絶したこと、そこで、職制は、当日は訓練要員として予定していなかった中野、小泉の両技術掛と、杉野、遠藤の両掛長の四名を急遽訓練に参加させてこれを続行することにし、一〇時五〇分ころには機材の搬入搬出作業が開始されたこと、その後、天沼区長が原告木村、同斉藤に再度その意向を打診したところ、同人らは要望を聞いてもらえるならば訓練作業に就くと述べながら、一一時一五分頃作業の支度をして地下車庫に赴いたので石川助役は右両名が作業に就くものと判断し、大久保副掛長の指揮に従うように命じたところ、右両名はこれに従いそのときから事故復旧訓練に参加したこと、そこで杉野、遠藤の両掛長は午前だけの応援で終わり午後からの作業には加わっていないこと、右のように原告木村、同斉藤が翻意して訓練に参加したので、天沼区長はその余の原告らも翻意して訓練に参加するのではないかと考え、同人らに対し再度作業に就く意思があるか否かを確認したが、同人らは作業に就くことを拒絶し、結局原告羽成、同金子、同関根、同小川及び高木の五名は、午前中の訓練には参加しなかったこと、ところが、午後の訓練が開始されて間もない一三時八分ころ、先ず原告小川が、次いで原告金子、同関根が、少し遅れて原告羽成と高木が、作業の支度をして、折りから巻揚機を据付け作業中の地下車庫に来たため、石川助役は、その態度から原告らに訓練参加の意思があるものと判断し、全員を集合させて改めて班編成を指示し、以降の訓練の手順を説明した上、大久保、小塚の両副掛長の指揮に従うように命じたこと、その後の訓練は計画どおり行われ、応援に来ていた中野、小泉の両技術掛も、一三時三〇分には本来の職務に復帰していること、以上の事実が認められる。《証拠判断省略》

右認定の事実によると、原告らは、遅くとも、本件訓練が始まった後の一〇時二〇分ころから、鳩貝掛長ら職制による命令を無視し、地下車庫での作業に関する自己の主張に固執して、原告木村、同斉藤においては一一時一五分ころまで、同羽成、同金子、同関根、同小川においては一三時八分ころまで、いずれも本件訓練への参加を拒否していたものといわなければならない。

三  原告らは、昭和四三年の職点運動において、当時の野口検車区長が地下車庫での訓練を行わない旨約しており、本件脱線復旧訓練は右合意又は同旨の慣行に反するものであるから、本件業務命令は無効であり、したがって本件懲戒処分は無効である旨主張するので、先ず原告ら主張の合意及び慣行の存否について検討する。

1  地下車庫の労働環境

銀座線地下車庫が、昭和四三年四月一日に完成したこと、完成当時埃が多く排水設備も不十分で水が溜まりやすかったこと、冷房設備がなかったことについては、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、本件の地下車庫は地下二階で車両の収容力が七八両、主に留置線及び車両検査線として使用する目的で設けられたものであること、完成当時埃が多かったこと、その原因は、入出庫する電車が行うブレーキ・テストの際に噴出される空気によって床の塵埃が舞い上がるためであるが、昭和五三年ころ排水溝の設備が改められ、そのころから年に二回夏と冬に高圧の水を用いて床を洗うようになって事態が著しく改善されたこと、当初列車検査を行う一七B番線、一八番線以外に設置されていなかった第三軌条に対する防護板も昭和四八年に照明器具の増設されたのと同時にすべての線に設置され、感電のおそれはなくなったこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

しかして右事実によれば、本件地下車庫の諸設備は地下車庫が完成した昭和四三年四月当時こそかなり劣悪であったといわなければならないものの、遅くとも昭和四八年以降徐々に改善され、殊に昭和五三年以降は相当程度整備されており、その労働環境は地下車庫完成当時と対比し格段の改善がなされていたものといわなければならない。

2  原告ら主張にかかる合意の成立について

(一)(1)  再抗弁1(二)(1)の事実は当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》を総合すれば、原告らの所属する営団労組は、昭和三五年から私鉄総連が統一闘争として実施した職点運動に参加していたが、営団労組における職点運動は、組合本部が当該年度の方針及び重点項目を定め各分会が右方針に基づきアンケート等によって分会員の要望をまとめ職場の要望を集約して各分会の要求を決定し、これを文書化して現場長に伝え、その実現方を要求するが要求項目に対する現場長の説明いかんにより、分会において、その要求が実現可能と判断したものはこれを解決したものとし、要求が実現しなかったものについては組合で要求項目を選別の上組合本部の中央執行委員又は職場対策委員において先ず部課長と事務折衝を行い、なお解決に至らない事項については経営協議会において団体交渉を行うこととしていたこと、以上の事実が認められる。

(3) 《証拠省略》によると、上野検車区においても昭和四三年一二月二四日、二七日、翌四四年一月一四日の三日間にわたって、職制側からは野口区長、辻助役、組合側からは小倉支部長、筒井副支部長、石川、高橋の両組合委員がそれぞれ出席して、昭和四四年の職点運動に関連し、分会と現場長との懇談会が開催されたこと、この懇談会に先立って分会は職場の点検を行い、その結果を「職場総点検要求項目」としてまとめていたこと、右要求項目の内容は、いずれも職場の労働環境の改善を求めるものであったが、前記地下車庫の状況に鑑みこれに関する要求項目が最も多く、換気装置の改善他一一項目についてなされており、その中には照明が暗く換気も悪く、夏季は暑いことを理由として地下での修繕作業の取止めを求める旨の要求も含まれていたこと、懇談会の冒頭、石川分会長からは職制との懇談によって職点運動における要求の集約に臨みたい旨の、野口区長からの本会の趣旨が懇談であって諸要求の実施を約束するとか、協定を締結することはあり得ず、将来情勢の変化によって回答の内容が変更になる場合もあり得る旨の発言があって開始されたこと、懇談は分会の要求項目について職制側が見解を述べ、分会側がこれに対して質問するという形式で進められたが、地下での修繕作業の取止めを求める要求に対する職制側の見解は、「修繕についてはできるだけ避ける。配車の関係でやむを得ぬ場合は、現状通り」というものであったこと、この配車の関係でやむを得ぬ場合とは、例えば地下車庫に入った電車が動けない状態になった等の極めて例外の場合を指すというのが職制側の説明であったこと、なお分会の要求は修繕についての要望であって事故復旧訓練に関するものではなかったこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(二)  しかして右認定事実によれば、野口区長の前記説明は地下車庫においては修繕作業をできるだけ避けるという趣旨でなされたものであり、事故復旧訓練についてなされたものではないことが明らかである。

原告らは、修繕作業のなかには事故復旧訓練作業も含まれており、野口区長の前記発言もその趣旨でなされたものである旨主張し、《証拠省略》によると、被告で用いている作業報告書表題の冒頭には列検と修繕の文字が並列して印刷されていて、その日の作業内容によっていずれかに丸印を付するようになっていること、昭和五七年三月一一日に実施された避難訓練等についても、また本件脱線復旧訓練の報告についても右報告書が用いられ、その表題の修繕の項に丸印の付されていることが認められ、右事実によれば本件のような訓練も修繕作業の中に含まれ野口区長も右の意味で前記のように述べたと考えられなくもない。しかしながら、前掲証人天沼の証言によれば、右の作業報告書は作業頻度の高い定例の業務を報告させるのに都合のよいように作成され、特別な作業である事故復旧訓練のための用紙は作成されておらず、そのため右用紙が便宜訓練の結果報告に使用されていたにすぎないものであることが認められるから、訓練の結果報告に作業報告書が用いられていることをもって脱線復旧訓練が修繕に含まれるとすることはできない。のみならず、事故復旧訓練は明らかに、日常用語としての修繕に含まれる概念ではないし、前記二2(一)で認定したとおり、被告が事故復旧訓練を日常の業務と切り離して重視していたことが明らかであり、また、《証拠省略》によれば、上野検車区においては事故復旧訓練と修繕とはこれを明確に区別し、このことは職員も十分に認識していたところであることが認められ、かかる事実によれば、原告らの主張に副う前記各証拠は措信しえず、また前記認定の事実から直ちに原告らの主張に左袒することはできず、ほかに原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(三)  のみならず、仮に野口区長の前記発言が地下車庫での事故復旧訓練に関するものであったとしても、現場長と分会との合意が被告と営団労組の双方に対し拘束力を及ぼすためには、被告が当該現場長に対し、また営団労組が当該分会に対し交渉権限を付与していなければならないところ、《証拠省略》によれば、被告は、職点運動実施の方法等に労働組合法と労働協約に抵触するものがあると認識し、かつまた職点運動における分会の諸要求に対し現場長に交渉権を与えた場合、各現場において取扱が区々に分れて混乱が生じかつ組合側に言質をとられ、そのことから不都合等が生ずるおそれがあることを慮り、分会と現場長との折衝は分会方の要望を聞き被告側の意見を述べ又は説明をするためのいわば懇談にとどめることとし、昭和三七年二月一三日各所属長に対し文書をもって、被告は現場長に対し団体交渉、協議等について権限を与えていないこと、各職場においては名称の如何を問わず団体交渉、協議その他一切の類似行為を行ってはならないこと、なおこれとは別に、組合執行委員が出向いて来て現場長に懇談を申し入れた場合には、懇談の方法及び内容等について両者に合意があれば、執行委員との間で懇談を行ってもよいが、そのようなときでも、現場長が協定書、覚書等その他名称の如何を問わず懇談の結果を文書として交換してはならない旨を書面をもって通達し、現場長らも右通達に従って行動していたこと、さらに被告は昭和三八年六月三日にも現場長に交渉権限を付与するように求めた営団労組の要求を明確に拒絶し、結局営団労組も協約改定時までとの留保つきながらこれを了承したこと、なお現場長は懇談をはじめるに当たって常に被告と営団労組の話合いは懇談にすぎず、その結果は当事者を拘束するものではないことを明らかにしていたこと、そして昭和四三年度の職点運動における分会と野口区長らとの懇談も右の趣旨即ち野口区長において分会の要望事項を聞きこれに対し被告の方針等を説明する目的でなされており、野口区長の前記発言もその趣旨でなされたものであること、以上の事実が認められる。《証拠判断省略》

しかして、前記(一)(2)の事実によれば、営団労組は分会固有の労働条件にかかる事項については当該分会に対し交渉権限を付与していたものと解しうるが、さきに認定した事実によれば、被告は現場長に対し当該現場にかかる事実につき現場長において右事項に対する分会の主張ないし要望を聞きこれに対する被告の方針ないし見通しを説明することまでは許してはいたものの、当該事項についての交渉権限を現場長に付与していたものということはできない。そして昭和四三年度の職点運動における分会と野口区長らとの懇談も右の趣旨でなされたものと認めるのが相当であり、したがって野口区長の前記発言も同様の趣旨においてなされたものであり、何らの拘束力を有するものではない。

(四)  原告らは、交渉の過程で現場長が分会の要求項目について肯定的な回答をし、分会がこれを了承すると、分会と現場長との間で合意が成立したものとみなされ、この合意を営団労組と被告との間の合意として遵守すべき労働慣行が存在すると主張し、《証拠省略》中には右主張に副うかのような供述があるが、右各供述はいずれも憶測あるいは自己の意見を述べたものにすぎないから到底採用の限りではなく、他に右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

(五)  そうすると、営団労組と被告との間に地下車庫において事故復旧訓練を行わない旨の合意が成立していたとする原告らの主張は理由がない。

3  原告らの主張の労働慣行の存否について

原告らは、被告においては地下車庫での訓練を行わない旨の労働慣行が成立しており、本件脱線復旧訓練は右慣行に違反するものであり、本件業務命令は無効である旨主張するので検討する。

《証拠省略》中には、原告らの右主張に副う部分が存しないわけではない。しかしながら、《証拠省略》によれば、地下車庫での脱線復旧訓練は、回数こそさほど多くはないけれども昭和四三年度の職点運動による前記懇談の後の昭和四六年一二月四日、昭和四七年二月四日、三月一四日、四月二〇日、八月二日の五回に亘って行われており、また右期日以降本件訓練に至るまで地下車庫での事故復旧訓練が中断していたことが認められるが、《証拠省略》によると、右復旧訓練が中断した事情は、昭和四七年一一月二〇日に銀座線赤坂見附駅で台車の側枠の折損による脱線事故が発生し、その復旧には三点支持法によって、本線から新橋側の側線へ回送して退避させる方法がとられたが、途中虎ノ門駅付近で再脱線し、復旧方法としての三点支持法の改善が課題としてのこされ、復旧の遅れに対する世論の批判もあり、復旧の技術について運輸省の監査も特別に行われたため、爾来、当分の間は、復旧用機材の研究整備と方法(三点支持にしたうえで、つりあげた一軸の車輪の下にトロを入れる搬送トロ方式)についての技術教育が中心となり、地上で行われてきたという経緯によるものにすぎないことが認められる。

したがって、昭和四三年度の懇談以降地下車庫での事故復旧訓練を行わないとする労働慣行が成立していたということはできない。

四  本件懲戒処分の効力について

1  懲戒事由の存在

被告が原告らを本件懲戒処分にした事由が、原告羽成については別紙(1)の、同関根については別紙(2)の、同金子については別紙(3)の、同小川については別紙(4)の、同木村については別紙(5)の、同斉藤については別紙(6)のとおりであることは前示のとおり当事者間に争いがなく、原告らにより別紙(1)ないし(6)に記載された行為がなされたことは前示(二の3)認定のとおりである(もっとも別紙(3)記載の原告金子に対する懲戒処分事由は、同原告に対する幌切り作業の指示者を大久保副掛長と認定してなされているが、既に認定したとおり同原告に対する幌切り作業の指示者は小塚副掛長であるから、懲戒処分の事由はこの点において明らかに誤っているが、同原告は小塚副掛長の作業指示にも従っていないこと、前記のとおりであるから同原告に懲戒処分該当行為が存したことに変りはない。)。そして、原告らがいずれも、職制の説得に耳を貸さなかったばかりか、罵声をもってこれに応じ、地下車庫で事故復旧訓練を行わないという合意ないし労働慣行があるとの見解に固執して、職制の指示に従わず、就業時間中であるにもかかわらず、本件訓練を拒否したことは、《証拠省略》によって認められる被告の就業規則第四九条一号(「業務上の義務に違背し又は職務を怠ったとき」)、三号(「営団の秩序を紊乱する所為があったとき」)に各該当するというべきである。

2  懲戒権の濫用

(一)  原告らは、昭和四三年に当時の野口区長と分会役員との間で、地下車庫では修繕作業を行わない旨の了解がなされ、当時右の「修繕作業」は本件のような訓練作業を含む意味で用いられていたので、原告らはその旨を指摘して本件訓練の中止を求めたにもかかわらず、職制はこれを一顧だにせず本件業務命令を発したものであるから、これに従わなかったからといって原告らのみを責めるのは片手落ちであり、権利の濫用である旨主張する。しかしながら、当時野口区長が地下車庫では修繕作業をできるだけ避ける旨の説明をしたことは前記のとおりであるけれども、右の「修繕作業」が訓練を含まない趣旨で述べられたことは既に認定したとおりであり、しかも、本件訓練当時、上野検車区においては修繕と事故復旧訓練とは明確に区別され、同区に属する職員も十分この事実を認識していたこともまた前記のとおりであるから、原告らも右事実を認識していたものと推認されるし、仮に原告らが右認識を欠いていたとするならば、それは原告らの過失によるものであり、野口区長との間において地下車庫では訓練を行わない旨の了解があったとしてなした原告らの天沼区長ら職制に対する抗議が正当なもの、もしくはやむを得ないものということはできないから原告らの主張は理由がない。

(二)  さらに原告らは本件懲戒処分が原告らの政治信条等を理由としてなされたものであり懲戒権の濫用である旨主張するが、本件全証拠を検討するも右主張を認めるに足りる証拠はない。

(三)  なお、《証拠省略》によると、被告の就業規則第五〇条には、被告における懲戒処分として懲戒免職、諭旨解職、停職、減給、譴責の五種が定められているが、そのいずれを選択するかは、懲戒権者が懲戒事由に該当する行為の外部的態様のほか、動機、状況、行為の前後における態度等諸般の事情を斟酌して決すべきものと解すべきところ、その判断は先ず平素から職員の勤務状態を把握している者の合理的な裁量に委ねられていると解される。したがって、被告が裁量権の行使としてなした懲戒処分は、それが社会通念に照らして著しく妥当性を欠き裁量権を濫用したと認められるものでない限り、違法とはならないものと解すべきである。

右の見地に立って、本件懲戒処分が社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用してなされたか否かについて検討するに、本件懲戒処分の対象となった原告らの行為は前記認定のとおりであり、殊に右行為によって本件訓練の実施に混乱を生じたこと、さらに右の行為は単に訓練に参加しないというだけでなく、積極的な抗議行動にまで及んでいること等その行為の程度、態様等諸般の事情に鑑みると、本件懲戒処分が社会通念上著しく妥当性を欠くとも、裁量権の範囲を越えたものともいうことはできない。したがって、本件懲戒処分は正当である。

五  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福井厚士 裁判官 畔栁正義 酒井正史)

<以下省略>

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