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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14735号 判決 1989年4月27日

主文

一  原告らの請求はいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  主位的及び予備的請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、各金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1(主位的請求に対し)

主文同旨

2(予備的請求に対し)

(一)  本案前の答弁

原告の訴の予備的追加的変更を許さない。

(二)  本案に対する答弁

(1) 原告らの予備的請求をいずれも棄却する。

(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

原告冨浦冨男(以下、「原告冨男」という。)は、冨浦比呂志(以下、「比呂志」という。)の父であり、原告冨浦昭子(以下、「原告昭子」という。)は、比呂志の母である。

また、被告は、九州大学歯学部及び同医学部を設置している。

2(傷害の発生)

比呂志は、昭和五五年三月、長崎県立高校を卒業して陸上自衛隊に入隊し、第四師団司令部付として勤務していたが、昭和五七年一月一五日の成人式の後、帰隊を急いだ際に転倒し、右下顎骨折等の傷害を被った。

比呂志は、右当日は痛みを感じず、発声にも不自由はなかったが、翌一六日の演習に参加するに際して班長から下顎のはれを指摘され、自衛隊内の医務室にて検査を受けたところ、右下顎を骨折していることが判明した。

3(診療契約の成立)

比呂志は、陸上自衛隊福岡地区病院(以下、「地区病院」という。)から九州大学歯学部付属病院(以下、「九大病院」という。)第二口腔外科を紹介されて、同月二〇日に九大病院に入院し、被告との間で、右下顎骨折治療を目的とする準委任契約(以下、「本件診療契約」という。)を締結した。

4(医療事故の発生)

九大病院の医師ら(以下、「担当医師ら」という。)は、同月二二日、比呂志に全身麻酔を施し、筋弛緩剤を併用して、右骨折部位の整復固定手術(以下、「本件手術」という。)を開始したが、比呂志は、全身麻酔をされた直後に危篤の状態となって心停止をおこし、心蘇生後も意識を回復しない重篤な状態のまま、翌二三日午後九時三三分、九州大学医学部付属病院(以下、「九大病院」という。)集中治療部にて死亡した(この事故を以下、「本件医療事故」という。)。

被告は、比呂志の直接の死因をDIC(汎発性血管内凝固症候群)、呼吸不全による急性心不全とし、更にその原因を悪性過高熱(以下、「MH」という。)であるとする死亡診断書を原告らに交付した。

5(被告の責任)

比呂志と被告との間には前記のとおりの本件診療契約が成立しており、本件手術は担当医師らが本件診療契約の当事者たる被告の履行補助者として実施したものであるところ、右医師らには次のとおりの注意義務違反が存し、これによって比呂志にMHを発症させ、あるいは、MHを増悪させて比呂志を死亡せしめるに至ったのであって、これは右準委任契約上の債務不履行(不完全履行)に該当するから、被告は、比呂志の死亡により同人ないし原告らが被った損害を賠償する責任を負う。

(一)  九大病院は被告が設置する我が国有数の大学病院であるから、麻酔を実施する前には患者を注意深く問診し、cpk(血液中の筋肉代謝に関係する酵素)値の検査を行ってMHの発症を予見し、これを回避する義務があったというべきである。比呂志は、昭和三六年七月一七日生まれの身体頑健な男子で、九大病院入院前には入院歴もなく、心臓ないし血液に関する疾患もなかったのであり、転倒して右下顎骨折の傷害を負ったものの、頭部外傷や意識障害等の合併症も全くなかったのであるから、右の傷害について特に手術を急ぐ理由は存せず、右問診等を行う時間的余裕は十分あったのである。しかも、九大病院は、比呂志につき入院時に血液検査等の一般検査を行っており、cpk値の検査も可能であったと考えられる。にもかかわらず、担当医師らは、十分な準備を行わずに漫然と全身麻酔を実施し、合わせて筋弛緩剤を使用したため比呂志にMHを発症させた。

(二)  仮に、担当医師らがMHの発症を予見し回避することが当時の医療水準に照らして困難であったとしても、本件医療事故の当時においては、MHの治療法は広く知られており、早期発見・早期治療がMHの治療の決め手とされていた。

(1) ところが、比呂志のMHは、静脈麻酔剤を入れた直後に発症しており、このために筋強直が生じて気管内挿管が困難となったり、原因不明の頻脈が発生したりしてMHの随伴症状が生じていたにもかかわらず、右医師らはこれを看過し、漫然とそのまま全身麻酔を実施して、MHを増悪せしめた。

(2) 仮に右医師らが右時点では比呂志のMHの発症を看過したことがやむを得なかったとしても、少なくとも、午前九時一五分に本件手術を開始して一五分が経過した午前九時三〇分の時点でも頻脈が持続していたことからすれば、右の時点ですでにMHが発症していたことは明らかであるにもかかわらず、右医師らはこれを看過し、そのまま漫然と全身麻酔を続行して、MHを増悪せしめた。

(三)  更に、担当医師らは、次のとおり、本件手術を開始して一五分が経過した午前九時三〇分の時点以降の治療行為を誤り、比呂志のMHを増悪せしめた。

(1) まず、午前一〇時ころには比呂志に著名なアシドーシス(酸性血症)が生じていることからすれば、右医師らは、遅くとも午前九時三〇分の時点では比呂志に対する調節呼吸を開始すべきであったにもかかわらず、これを実施していない。右の時点では、そもそも呼吸状態に問題があって、頻脈が持続していたのであるから、直ちに血液ガス分析の検査を行うべきであった。

(2) ひどいアシドーシスがあるときに急激に強制換気を行うと心臓への負担が過大になり、心停止を起こす危険があることは明らかであるにもかかわらず、強制換気を行って、比呂志に心停止を生じさせた。

(3) MHに対する特効薬はダントロレンしかないし、注射薬がない場合にはその内服ということを考えるべきであったにもかかわらず、これをしなかった。

(4) 重症の状態にあった比呂志を敢えて転院させて大きな負担を与え、症状を悪化させた。

6(損害)

(一)  逸失利益

(1) 比呂志は、昭和三六年七月一七日生まれで、死亡当時は自衛隊に入隊していたが、近く除隊して民間の運送会社に勤務する予定であったので、本件の医療事故がなければ六七歳まで就労可能であったというべきである。

昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計男子労働者の全年齢平均賃金は年額金三六三万三四〇〇円であるから、ライプニッツ式により中間利息を控除し、生活費を四〇パーセント控除すると、比呂志の逸失利益は金三九〇〇万円となる。

(363万3400円×17.98×(1-0.4)=(約)3900万円)

(2) 原告らは、比呂志が死亡したことによって、各自が右比呂志の損害賠償請求権を各金一九五〇万円宛相続した。

(二)  慰謝料

原告らは、五人の子供の中でも身体が頑健であった比呂志が、成人式を終えた直後に九大病院が軽率に施した全身麻酔によって危篤状態になり、看護する間もなく死亡したため、その悲しみは大きく、その慰謝料としては各自金七五〇万円が相当である。

(三)  葬儀費用

原告冨男が出捐した葬儀費用のうち金六〇万円については本件医療事故との間に因果関係が存するものというべきである。

(四)  弁護士費用

原告らは、比呂志の死後、その死因について九大病院に説明を求め、カルテ等の謄写の申請も行ったが、九大病院がこれに対して納得のいく説明をせず、カルテ等の謄写も認めないため、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起を依頼し、東京弁護士会所定の着手金及び報酬の支払を約した。

右弁護士費用のうち金六〇〇万円(原告各自につき金三〇〇万円)については本件医療事故との間に因果関係が存するものというべきである。

7(無過失責任)-予備的請求

仮に本件において、担当医師らに何の過失もなく、比呂志の死亡は、極めて低い確率で発生する麻酔薬の副作用によるものであったとしても、原告らは、被告に対し、憲法二九条三項に基づく損失補償として右同額の支払請求権を有するものというべきである。

すなわち、本件医療事故の当時には麻酔薬の使用によってMHが発症することはよく知られていたことなのであって、医師が万全の注意義務を尽くしてもMHの発症を防ぎ切れない場合があるにもかかわらず広く麻酔薬の使用を認めるというのは、一定の確率のもとに発生する特定の少数の国民の被害のうえに大多数の一般国民の生命・健康又は公衆衛生上の利益を擁護しようというものであるから、当然その犠牲となる国民に対しては損失の補償がなされるべきであって、本件における右補償は、生命の喪失に伴うのであるから主位的請求における請求額と同額であるべきである。

よって、原告らは、被告に対し、主位的には債務不履行による損害賠償請求権に基づき、予備的には損失補償請求権に基づき、原告冨男においては金三〇六〇万円の、原告昭子においては金三〇〇〇万円の各請求権を有するところ、その内金として各金一〇〇〇万円及びこれに対する比呂志が死亡した日の翌日である昭和五七年一月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は知らない。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実のうち、九大病院の医師らが昭和五七年一月二二日に比呂志に全身麻酔を施し、筋弛緩剤を併用して本件手術を開始したが、比呂志は、翌二三日午後九時三三分、九大医院集中治療部にて死亡したこと、比呂志の直接の死因はDIC、呼吸不全による急性心不全であり、その原因がMHであることは認める。

5  同5の事実のうち、九大病院が入院時に血液検査等の一般検査を行っていることは認めるが、その余の事実は否認し、担当医らに注意義務違反があったとする主張は争う。

6  同6の事実は知らない。

7(一)  原告らの予備的請求は、平成元年三月二日の第二三回本件口頭弁論期日においてなされた予備的追加的訴の変更に基づくものであり、右訴の変更が許されるためには両者が同種の手続を前提とするものであることが必要であるところ、右予備的請求は憲法上の損失補償請求権という公法上の請求権に基づくものであって、右請求権を訴訟物とする損失補償請求訴訟は行政事件訴訟法四条後段にいう実質的当事者訴訟に該当すると解されるから、結局、本件は異種の手続にかかる訴の追加的変更であって許されないものというべきである。

(二)  仮に、右訴の予備的追加的訴の変更が許されるとしても、原告らが被告に対して損失補償請求権を有するとの主張は争う。

(1) 原告らが損失補償を求める根拠とする憲法二九条三項は、その位置付けからみて、二項が許容する私有財産に対する制約の範囲を越えて公共のためにこれを制限する必要がある場合には当該財産権を金銭的に保障する意味で正当な補償をすべきものとしているのであり、あくまでも私有財産制度のあり方を規定しているものである。このような同条項の趣旨、目的に照らし、そもそも生命、身体について被害が発生した場合にこれを損失補償の法理で律しようとすること自体に多大な疑問が存する。

(2) 仮に、憲法二九条三項が生命、身体の被害にも類推適用されるとの見解にたったとしても、比呂志を死に至らしめたMHの発症が原告らが主張するような麻酔薬の使用を原因とするものと断定することはできないというべきである。すなわち、MHについては、その発生機序も未だ解明されていないのであり、麻酔薬の投与とMHの発症との因果関係は医学的にも肯定されていないのである。

したがって、麻酔薬の使用によりMHが発症することを前提にして、MHの罹患者は特別犠牲者にあたるから、それによって受けた損失は補償されるべきであるとする原告らの主張は、その前提において誤っているというべきである。

(3) また、憲法二九条三項に基づく損失補償が考えられるのは、公共のために財産権に制限を加えたことによって生じた損失についてであるから、これを生命、身体の被害にまで拡大して適用する場合であっても、その適用対象は公共のために当初から意図された結果としての犠牲もしくはこれと同視し得るものに限られると解さなければならないところ、本件の場合は、比呂志の骨折治療のために麻酔薬が使用されたものであって、公益上の必要のためにこれが使用されたものでないことは明らかであるから、仮に麻酔薬投与の結果MHが発症したとしても、これを公共のためにとられた処置により発生した特別犠牲にあたるといえないことは明らかである。

三  被告の主張

比呂志の死亡は、次に述べるとおり、MH発症という不可抗力による偶発的な事故であって、本件手術に関与した担当医らには何ら注意義務違反行為も存しなかったというべきである。

1  MHに関しては、内外の医学界で昭和三九年ころより全身麻酔中に突然に高熱を出し非常に早い経過で死亡(死亡率は六〇ないし七〇パーセント)する患者がいるという報告がなされたことによってその究明が進められているが、五〇〇〇件ないし一〇万件に一例の割合で発症する希有な症例であることもあってその機序は現在に至るも全く解明されておらず、したがって、その予見方法もなく、治療方法も対症療法によるしかない状態となっている。

2  比呂志は、昭和五七年一月一五日に成人式が終わって泥酔して帰る途中で転倒し受傷したとして、地区病院の紹介で同月一八日に九大病院に入院したが、診察の結果、右下顎関節突起部の脱臼骨折、左側上顎側切歯及び犬歯脱落、同側側切歯、犬歯、第一小臼歯部の歯槽骨骨折と認められた。

そして、比呂志に対する本件手術は、同月二二日、九州大学教授兼九大病院第二口腔外科科長歯科医師である岡増一郎(以下、「岡」という。)が責任者を務める九大病院第二口腔外科において、総括者篠原正徳歯科医師(以下、「篠原」という。)、手術者竹之下康治歯科医師(九州大学助教授兼九大病院第二口腔外科副科長で地区病院の非常勤講師をも務めていた。以下、「竹之下」という。)、手術助手岡本学歯科医師(以下、「岡本」という。)他一名、麻酔担当医黒田知香夫歯科医師(以下、「黒田」という。)、看護婦二名の態勢で行われた。

3  原告らは、まず、被告が比呂志に本件手術を実施するに際して十分な問診、検査を行わなかった旨主張する。

しかしながら、右岡らは、本件手術を実施する前に比呂志の問診を行い、比呂志には入院歴がなく、アレルギーも出血傾向もないこと、家族等にも全身麻酔の既往歴がなく、急死例もないことを確認しているし、さらに、血液検査、尿検査、出血時間検査、抗生物質の過敏反応の皮内テスト等の諸検査を実施しており、これらの検査結果によっても比呂志に全身麻酔を施して本件手術を行うことに何らの障害も存しないと認められたため、本件手術を実施したものである。

なお、原告らは、比呂志に対してcpk検査を行うべきであったと主張するが、cpk値は同一人についてもその置かれた状況によって極めて変化しやすいものであるし、筋肉労働者等にあっては高い値を示すのが一般であるのみならず、そもそも筋ジストロフィー及び心疾患の診断と経過観察のために定められた基準であって、右検査はMHを予見する検査としては全く無価値であるというのが医学上の支配的見解であるから、原告らの右主張は理由がないというべきである。

4  次に、原告らは、本件手術中に比呂志にMHが発症してその症状が生じていたにもかかわらず漫然とこれを看過し、あるいは、MHに対する治療方法についても誤りがあった旨主張するが、次に述べるように、本件手術に関与した医師らがなした診断及び治療は全てに配慮を尽くしたものであって、いかなる場面においても遺漏のないものであった。

(一) 本件手術当日の比呂志に対する全身麻酔の施用状況は次のとおりである。

(1) 午前六時、病室における体温三五・九度、最高血庄一三八、最低血圧六〇、脈拍数七二でいずれも正常であり、麻酔前投薬であるラボナ錠及びセルシン錠を投薬した。

(2) 午前七時、麻酔前投薬である硫酸アトロピンを筋注した。

(3) 午前七時三〇分、体温三五・九度、最高血庄一一〇、最低血圧が五八、脈拍数七二でいずれも正常であった。

(4) 午前八時一五分、比呂志を手術室に搬入した。

(5) 午前八時二五分、イソゾール及びレラキシンを静注し、経鼻気管内挿管を行った。意識喪失して全身の筋弛緩が得られ、開口制限や全身の筋強直は全くなかった。なお、経鼻気管内挿管が成功するまでに四回かかっており、原告らはこれを理由にして比呂志に筋強直が生じていたものと主張するが、これは、口から口頭鏡を入れて気管内チューブを導入する際に口頭蓋を反転させることがうまくいかなかったことによるものであって、筋強直が生じていたことによるものではない。

(6) 午前八時四〇分、笑気二リットル、酸素二リットル、ペントレン一パーセントで全身麻酔の維持に入った。

(7) 午前八時四五分、最高血庄一五五、最低血圧九〇、脈拍数一一二、呼吸数二四でいずれも異常はなかった。

なお、原告らは、この時点でMHの随伴症状である原因不明の頻脈が発現していたと主張するが、手術を前提とした全身麻酔中に頻脈が出現することはよくあり、しかも、これはMHに限らず種々の原因によって発生するものであって、この時点で脈拍数が多いのは麻酔前投薬である硫酸アトロピン等の影響によるものである。

(8) 午前九時一〇分、体温三六・五度で異常はなかった。

(二) 以上の全身麻酔の結果を前提として、比呂志に対する本件手術は前記のとおりの態勢で次のとおり行われた。

(1) 午前九時一五分、メスを用いて右顎下部の切開を行い、次いで右耳前部の切開を行うという順序で手術を開始した。最高血庄一三二、最低血圧五五、脈拍数一一六で異常はなかった。手術操作の刺激にもかかわらず体動がなかったことから、全身麻酔の維持が良好と認められたため、ペントレンの濃度を〇・五パーセントに降下させた。

(2) 午前九時三〇分、体温三六・五度、最高血庄一二〇、最低血圧六〇でいずれも異常はなかった。

しかし、脈拍数一一二及び呼吸数二六はいずれもやや増加傾向と認められたので、前記の経鼻気管内挿管を行ったチューブの狭窄等の障害を疑って、直ちに手術を中断し、右チューブの点検等を実施したが、何の障害も存しなかったことから、全身麻酔の深度不十分によるものと判断し、補助呼吸を増強して手術を継続した。

(3) 午前九時四五分、体温三六・五度、最高血庄一三五、最低血圧七五でいずれも異常はなかった。脈拍数一一六は依然としてやや増加傾向にあるものの異常とは認められないことから、補助呼吸の増強を維持して手術を継続した。

(4) 午前九時五〇分、最高血圧一三二、最低血圧七〇で異常はないものの、脈拍数一二〇で増加傾向が進行し、午前九時五五分ころに至ると同傾向はなお進行した。そこで、篠原が外来記録室で執務中であった岡に経過を説明したところ、先例に照らせば全身麻酔施用後の原因不明の脈拍数増加は極めて稀ではあるものの、急激な体温の上昇を来すことがあり得るので注意するように指示された。そして、篠原が手術室に戻ったところ、体温の上昇傾向が認められたため、即座にペントレンを切り、手術を中止させ、一〇〇パーセント酸素による陽圧調節人工呼吸を開始し、以後これを継続した。

なお、午前九時五〇分ころ、黒田が麻酔回路の間に装着されているキャニスターの異常発熱に気が付いた。

(5) 体温の急激な上昇傾向は進行して午前一〇時には三七度となり、午前一〇時には体温三八度、脈拍数一三二という異常な所見が認められたので、アルコールスポンジングによる低体温療法をはじめとして、冷却輸液療法、重曹水、副腎皮質ホルモン、利尿剤等の投与を集中継続した。

(6) 右によれば、比呂志にMHの随伴症状としての原因不明の頻脈が出現したのは午前九時四五分以後であると考えられるところ、午前九時三〇分の時点では直ちに血液ガスの測定を実施しなければならないような状況にはなく、しかも、頻脈のみの所見でMHと決定することはできないものであることを考慮すれば、比呂志にMHが発症したことを強く疑わせる時刻は午前九時五五分以後といわざるを得ない。

また、原告らは、比呂志に対してダントロレンを経口投与すべきであったと主張するが、担当医師らは、比呂志が非筋強直型のMHであったこと及び冷却法が効果的に作用し順調に解熱したことから、これを経口投与しなかったものであって、そもそも筋弛緩薬であるダントロレンの投与のみでは解熱はできないのである。

(三) その後の状況は次のとおりであった。

(1) 午前一〇時五分から強力な低体温療法等を開始したが、比呂志の体温はなおも上昇を続け、午前一〇時二〇分には三九度、午前一〇時三〇分には四〇度、午前一〇時四〇分には四一度となり、午前一〇時四〇分ころには心室細動に移行して比呂志に心停止が起こった。そこで、低体温療法を続けながら閉胸式マッサージを開始したが、比呂志の体温は心停止後も上昇を続け、午前一〇時四五分には四二度になった。

さらに、閉胸式マッサージ等を継続するとともに、午前一一時ころ、アドレナリン、インシュリン、高張ブドウ糖液等の投与を行って心室細動を促したところ、心停止から心室細動に移行したので、更に午前一一時一五分、同三五分及び午後〇時二五分に直流型除細動器を使用して除細動を行った結果、午後一時四五分ころ、比呂志の心蘇生に成功した。

(2) 心蘇生時は、最高血圧八〇、呼吸数二四、脈拍数七二、体温三二・七度で、瞳孔は縮瞳して中央に固定しており、体温及び最高血圧が低い以外は経過は良好なものと認められた。

午後四時ころ、血液ガス検査及び心電図からして呼吸循環器系が安定したと認められたので、冷却法を終了した。

(3) 比呂志の状態は、この後もこのような安定状態が続いたので、午後七時三〇分ころ、九大病院病室(三号室)に比呂志を移すことに決定し、午後七時五〇分、比呂志を右病室へ移した。

(4) ところが、午後九時ころ、突然心室細動に移行し、その直後に心停止が起こったが、直ちに閉胸式マッサージを行った結果、午後九時三〇分には正常調律に復帰した。しかし、このころから比呂志の出血傾向が強くなって血圧の上昇も不順となっており、線維素溶解能等の検査結果からもDICが発症したものと認められたので、午後一〇時から輸血を開始した。この間の最高血圧は八〇ないし六〇、最低血圧は五五ないし四〇、脈拍数は八〇ないし一〇〇、体温は三一度ないし三五度であった。

(5) 翌二三日の朝になっても比呂志の意識の回復は見られず、血圧も低く、ほとんど無尿の状態が継続し、午前九時ころには高カリウム血症も認められ、急性腎不全を合併していると診断されたが、午前一〇時の時点でなお脳の状態は回復の可能性があると判断されたため、血液透析等の治療を実施するために比呂志を九大医院集中治療部に転院させて治療を継続することに決定し、午前一一時三〇分に比呂志を九大医院集中治療部に移した。

(6) 比呂志が九大医院集中治療部に移された後は、九大医院第二内科の方渕律子医師が比呂志の主治医として診察にあたったが、比呂志は、午前一一時五八分ころに心停止を起こし、閉胸式マッサージ等の心蘇生術によって直ちに心蘇生したものの、その後の治療もむなしく午後九時一五分に再び心停止を起こし、同三三分に死亡するに至った。

(7) 比呂志の死亡後、MHの発症機序を解明するための病理解剖が行われたが、MHの要因のひとつではないかと論じられている筋疾患を疑わしめるような病理所見は全く認められなかった。

(8) 右によれば、比呂志に発症したMHは、最高体温及び体温の上昇率とも当時の国内の報告例のなかでは最高の値を示すものであって、各種の合併症を併発しており、極めて重篤なものであったと認めることができるのであり、このために、担当医師らが可能な限り早期にMHの発症に気付いて迅速かつ周到な治療計画のもとに治療に万全を期したにもかかわらず不幸にも死亡するに至ったものというべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一(主位的請求について)

1(当事者について)

請求原因1の事実のうち、原告冨男が比呂志の父であり、原告昭子が比呂志の母であること、被告が九州大学歯学部及び同医学部を設置していることは当事者間に争いがない。

2(本件医療事故発生に至る経緯等について)

請求原因3の事実、すなわち、比呂志が地区病院から九大病院を紹介されて、昭和五七年一月二〇日に九大病院に入院し、被告との間で右下顎骨折治療を目的とする本件診療契約を締結したこと、同4の事実のうち、九大病院の医師らが同月二二日に比呂志に全身麻酔を施し、筋弛緩剤を併用して本件手術を開始したが、比呂志が翌二三日午後九時三三分に九大医院集中治療部にて死亡したこと、比呂志の直接の死因はDIC、呼吸不全による急性心不全であり、その原因がMHであったことはいずれも当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>によれば、次のとおりの事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。

(一)  比呂志は、本件事故当時陸上自衛隊に入隊していたが、昭和五七年一月一五日、成人式が終わって泥酔して隊に帰る途中で転倒し、受傷した。

そこで、比呂志は、翌一六日に自衛隊内の医務室にて受診し、抗生物質等の投与を受け、さらに同月一八日には福岡歯科大学病院にて受診したところ、右下顎関節突起の骨折と診断されたため、同日、地区病院に入院した。

(二)  九州大学助教授兼九大病院第二口腔外科副科長歯科医師で地区病院の非常勤講師をしていた竹之下は、右同日、右地区病院歯科部長歯科医師星野直樹からの電話連絡を受け、比呂志の対診を要請されたため、翌一九日に、比呂志を診察したところ、右下顎関節突起部の脱臼骨折、左側上顎側切歯及び犬歯脱落、同側側切歯、犬歯、第一小臼歯部の歯槽骨骨折を認め、比呂志の右顎関節突起部の骨折に関しては、そのままの状態で放置しておくと、筋肉等が癒着して変形のまま固定してしまい、噛み合わせが悪くなったり、顔面の変形や強直症を生じるおそれがあったため、速やかに九大病院に転院させ、全身麻酔を施したうえで整復固定手術を施すことが必要であるものと判断した。そこで、竹之下がその旨比呂志に説明したところ、同人はこれを了承し、手術の実施を希望した。

なお、竹之下は、右診察に際して問診し、比呂志がこれまで大きな病気をしたことがないこと、アレルギーはないこと、家族にも特異な疾患はないことを聴取しており、比呂志に関してなされた血液検査、尿検査等の結果によっても格別の異常もなかったことを合わせて考慮して、比呂志に全身麻酔を施すについて何らの障害もないものと判断した。

また、竹之下は、右同日、比呂志に対し、キシロカインを用いて左側上顎中切歯から同側第一小臼歯までの部位に局所麻酔を施したうえで、同部の粉砕歯槽骨片の除去洗浄を行い、同小臼歯が保存不可能な状態であったことからこれを抜去してその傷を縫合し、次いで、板状シーネを装着し、ゴムを用いて顎間牽引を施し、咬合の応急的整復固定術を行ったが、その間比呂志には何らの異常所見も認められなかった。

(三)  比呂志が翌二〇日午前九時過ぎころに九大病院を訪れたところ、九大病院の外来主治医である栗山寛二歯科医師(以下、「栗山」という。)、竹之下及び同人らの上司にあたる九州大学教授兼九大病院第二口腔外科科長歯科医師である岡がこれを診察したが、受傷後すでに五日も経過していることから、できるだけ早い時期に全身麻酔を施したうえ本件手術を行う必要があり、比呂志が大きな病気をしたことはなくアレルギーもないとの問診の結果及び地区病院での前記のとおりの検査結果等からして、比呂志には全身麻酔によって右手術を行うについて何らの障害もないものと認められたため、比呂志について九大病院第二口腔外科への即時入院の措置がとられ、病棟主治医として岡本が決定された。

なお、本件手術を行うに際して全身麻酔が必要であると判断されたのは、本件の手術の部位が深くて狭い所にあるのみならず、顎関節部の骨折手術は耳珠の下付近に顔面神経が走っていることから困難で時間もかかるため、局所麻酔では不可能と考えられたからである。

(四)  竹之下及び栗山から申し送りを受けた病棟主治医の岡本は、右同日昼ころ、比呂志に関して検尿検査を行ったところ何らの異常も認められなかったが、さらに全身麻酔下での手術を施行するについて障害が存しないかどうかを判断するため、出血時間検査、抗生物質の過敏反応の皮内テスト、梅毒検査、血液・膵液検査、血圧検査等を行うように同僚の田中陽一歯科医師に依頼した。

岡本は、同日夕刻、右各検査の結果を確認したうえで比呂志を問診し、比呂志が大きな病気をしたことはなく、アレルギーもないことを確認するとともに、家族にも全身麻酔の既往歴はなく、急死例もないことを確認し、さらに触診、聴診をしたところ、全身麻酔を実施するについて障害と認められるようなものが存しなかったので、改めて比呂志に対して本件手術の必要性、方法等について説明を行った。

(五)  翌二一日、比呂志に対する本件手術は、総括者篠原、手術者竹之下、手術助手岡本及び高島歯科医員、麻酔担当医黒田、看護婦二名の態勢で翌二二日に行われることが予定された。

そこで、岡は、比呂志に対する竹之下らの診察結果や右各検査結果を見て、比呂志に特に異常が存しないことを確認したうえで、改めて比呂志の問診及び聴診を行ったが、何らの異常をも認めなかった。

さらに、夕刻になって、黒田が比呂志に対する竹之下らの診察結果や右各検査結果を見て、比呂志に特に異常が存しないことを確認したうえで、自ら比呂志に対して問診し、全身麻酔に対する既往歴、家族歴等を確認したが、何らの異常も認められなかったので、比呂志に対して全身麻酔等の説明を行った。

また、竹之下も、前記の各検査結果を検討し、比呂志に全身麻酔を施して本件手術を実施するについて障害はないことを確認した。

このような経過を経て、同日午後七時ころ、岡は、翌二二日に前記のとおりの態勢で比呂志に対する本件手術を行うことを最終的に決定した。

なお、当時、麻酔薬としてはフローセンかペントレンが使用されていたが、本件手術においては、麻酔作用が強く筋弛緩作用があり、止血剤であるアドレナリンとの併用も可能で合併症がないことから、ペントレンを使用することが決定された。

(六)  翌二二日、本件手術が実施されることとなったが、次のとおり比呂志に全身麻酔が施された。

(1) 午前六時、病室において麻酔前投薬であるラボナ錠及びセルシン錠を投薬した。なお、この時点では、体温が三五・九度、最高血圧が一三八で最低血圧が六〇、脈拍数が七二であった。

(2) 午前七時、麻酔前投薬である硫酸アトロピンを筋注した。

(3) 午前七時三〇分の時点では、体温が三五・九度、最高血圧が一一〇で最低血圧が五八、脈拍数が七二であり、特に変化は見られなかった。

(4) 午前八時一五分、比呂志を手術室に搬入した。

(5) 午前八時二五分から、イソゾール及びレラキシンを静注し、経鼻気管内挿管を行った。この時点で、全身の筋肉の弛緩は十分であって、筋強直は生じていなかった。

なお、九大病院では、経鼻気管内挿管を行うにあたっては、研修の意味もあって最初は咽頭鏡を使わずにいわゆるブラインドで行うのが通常とされており、本件の場合も、黒田は最初の二回はブラインドで行ったがうまく行かず、次に咽頭鏡を使用したが咽頭蓋を回転させることがうまく行かなかったため、結局成功するまでに四回かかった。

(6) 午前八時四〇分、笑気二リットル、酸素二リットル、ペントレン一パーセントで全身麻酔の維持に入った。

(7) 午前八時四五分の時点では、最高血圧が一五五で最低血圧が九〇、脈拍数が一一二で、呼吸数が二四であった。

なお、脈拍数及び呼吸数ともにやや多めであるが、本件手術の執刀者である竹之下や麻酔担当医である黒田らは、これを硫酸アトロピンの筋注や気管内挿管の影響、周囲に対するストレスの影響によるものであり、いずれも異常がないものと判断した。

(8) 午前九時一〇分の時点では、体温が三六・五度、最高血圧が一三五で最低血圧が五〇、脈拍数が一一五であり、特に異常は認められなかった。

(七)  以上の全身麻酔の結果を前提として、比呂志に対する本件手術は次のとおり行われた。

(1) 午前九時一五分、竹之下らは、メスを用いて右顎下部の切開を行い、次いで右耳前部の切開を行う順序で手術を開始した。

この時点では、最高血圧が一三二で最低血圧が五五、脈拍数が一一五であった。そして、手術操作の刺激にもかかわらず体動がなかったことから、全身麻酔の維持が良好と認められたため、ペントレン濃度を〇・五パーセントに降下させた。

(2) 午前九時三〇分の時点では、体温が三六・五度、最高血圧が一二〇で最低血圧が六〇、脈拍数が一一二で、呼吸数が二六であった。

右によれば、脈拍数も呼吸数もなかなか低下しないと認められたので、竹之下らは、麻酔が浅いか低酸素状態にあるのではないかと考え、前記の経鼻気管内挿管を入ったチューブの狭窄等の障害を疑って、直ちに手術を中断し、右チューブの点検等を実施したが、何の障害も存しなかった。そこで、脈拍数及び呼吸数がなかなか少なくならないのは、前投薬である硫酸アトロピンや手術前の午前九時一五分ころに投与した止血剤であるアドレナリンの影響、あるいは手術の刺激による影響によるものであって、特に異常は存しないものと判断して、手術を続行した。

(3) ところが、その後も脈拍数は少なくならず、午前九時四五分ころになって黒田が比呂志の呼吸が荒くなってきたことに気付いたため、再度右麻酔回路を点検したが、その過程で、午前九時五〇分ころに麻酔回路中のキャニスターが発熱していることに気がついた。

そこで、竹之下らは、手術室の外にいた篠原を呼んで来て、比呂志の呼吸が荒くなってきたこと、頻脈が続いていること及びキャニスターが熱いことを伝えてその指示を仰いだところ、篠原は、口腔外科の外来診察室にいた第二口腔外科の責任者である岡に相談に行った。岡は、篠原から右のとおりの比呂志の状態等を聞いて比呂志にMHが発症したのではないかと判断し、篠原に対し、直ちに麻酔薬の投与を中止して一〇〇パーセント酸素による陽圧調節人工呼吸を開始し、冷却の準備をするように指示した。篠原は、手術室に戻って岡からの右指示を竹之下らに伝えたところ、竹之下らは、午前九時五五分ころ、直ちにペントレン及び笑気ガスの投与を中止し、また、未だ比呂志の自発呼吸が残っていたため、午前一〇時一〇分ころに黒田が一〇〇パーセント酸素による陽圧調節人工呼吸を開始し、以後これを継続した。

そして、午前一〇時前後ころに手術室に来た岡を中心として比呂志に対する治療を行うこととなったが、その間に比呂志の体温が急激に上昇し始め、午前一〇時には三七度になり、更に午前一〇時五分には三八度になったため、まず、氷のうを使用したり、体温調節用のマットを冷却用にしたりして体温の下降を図り、さらに、アルコールスポンジングによる低体温療法(具体的には、タオルを用いて比呂志の体表面に消毒用アルコールを塗布し、扇風機で体表面に送風し、気化熱により比呂志の体温を奪う方法で行われた。)及び冷却輸液療法の実施を開始するとともに、重曹水(メイロン)、副腎皮質ホルモン(デカドン)、利尿剤(ラシックス)等の投与を開始した。なお、右重曹水(メイロン)は血液の酸性化の改善の、副腎皮質ホルモン(デカドン)は腎不全の予防と末梢血管の血流の改善の、利尿剤(ラシックス)は腎不全の予防のためにも投与したものである。

また、午前一〇時ころ、比呂志の血液ガス分析を行った(ただし、右検査の結果が判明したのは午前一〇時三〇分ころであった。)ところ、比呂志にかなりひどい呼吸性あるいは代謝性のアシドーシスが生じていたことが判明した。なお、竹之下らは、午前一〇時ころになるまで右検査を行ってはいなかったが、これは、比呂志の術前の状態及び検査結果等からして格別の異常所見を認めなかったことによるものであった。

(4) しかしながら、比呂志の体温はなおも上昇を続け、午前一〇時二〇分には三九度、午前一〇時三〇分には四〇度、午前一〇時四〇分には四一度となり、午前一〇時四〇分ころには心室細動に移行して比呂志に心停止が起こった。

そこで、岡らは、低体温療法を続けながら閉胸式マッサージを開始したが、比呂志の体温は心停止後も上昇を続け、午前一〇時四五分には四二度になった。

さらに、岡らが閉胸式マッサージ等を継続するとともに、午前一一時ころ、アドレナリン、インシュリン、高張ブドウ糖液等の投与を行って心室細動を促したところ、心停止から心室細動に移行したので、更に午前一一時一五分、同三五分及び午後〇時二五分に直流型除細動器を使用して除細動を行った結果、午後一時四五分ころ、比呂志の心蘇生に成功した。

(5) この間の午前一一時三〇分ころから比呂志の体温が下降し始めたが、岡は、右時刻ころ、九大医院中央手術部副部長である高橋成輔医師に電話連絡をとって比呂志の治療方法等について相談した。このとき、岡は、比呂志にダントロレンを使用することを考え、高橋医師にダントロレンの在庫があるかどうかについて確認したところ、注射薬については厚生省の認可がおりていなかったことから存在しないが、内服薬の在庫はあるとの答えを得たが、ダントロレンの経口投与ではあまり効果がないとの報告が多くなされていたことや比呂志の熱が既に下がり始めていたこともあって、ダントロレンの経口投与は行わなかった。

(6) 比呂志の心蘇生に成功した午後一時四五分の時点における比呂志の体温は三二・七度、最高血圧が八〇、呼吸数が二四、脈拍数が七〇で、瞳孔は縮瞳して中央に固定していた。比呂志の状態は、体温及び最高血圧が低いものの小康状態に戻ったと判断されたので、岡らは、この時点で、アルコールスポンジングによる低体温療法を中止した。

さらに、午後四時ころには、血液ガス検査及び心電図からして比呂志の状態が安定したと認められたので、その余の冷却法も中止した。

(7) 比呂志の状態は、この後も右のような安定状態が続いたので、岡は、午後七時三〇分ころ、長時間の室温の調節ができ、自動心電図計、自動血圧計等の装置も完備しており、テレビによる監視装置もあって集中管理を容易に行うことが可能な九大病院病室(三号室)に比呂志を移すことに決定し、午後七時五〇分、比呂志に余計な負担がかからないように配慮し、手術台のまま比呂志を右病室へ移した。

なお、右の移動の前後で比呂志の状態に格別の変化は起こらなかった。

そして、その後は自動心電図計及び自動血圧計等による全身状態の観察を行うとともに、輸液及び投薬等を行った。

(8) ところが、午後九時ころ、突然心室細動に移行し、その直後に心停止が起こったが、直ちに閉胸式マッサージを行った結果、午後九時三〇分には正常調律に復帰した。

しかし、このころから比呂志の出血傾向が強くなって血圧の上昇も不順となり、全身に浮腫がでていて、線維素溶解能等の検査結果からもDICが発症したものと認められたので、午後一〇時から輸血を開始するとともに、DICに対してはヘパリン療法を行い、血漿製剤や副腎皮質ホルモンの投与を行った。

(9) 翌二三日の朝になっても比呂志の意識の回復は見られず、血圧も低く、ほとんど無尿の状態が継続し、午前九時ころには血液の中のカリウムの値が高く、しかも全身に浮腫が認められ、顔面及び頚部に皮下出血斑が認められたため、急性腎不全を合併していると診断されたが、午前一〇時に九大医院神経内科の細川医師が診断した結果脳の状態はなお回復の可能性があると判断された。

そこで、岡は、血液透析等の治療を実施するために比呂志を九大医院集中治療部に転院させて治療を継続することに決定し、既に九大病院に来ていた原告らの了解を得たうえで、九大医院の医師らの協力をも仰ぎ、特殊な移動用ベッド等を利用して比呂志に余計な負担がかからないように配慮して午前一一時三〇分に比呂志を九大医院集中治療部に移した。

なお、右の移動の前後で比呂志の状態に格別の変化は起こらなかった。

(10) 比呂志が九大医院集中治療部に移された後は、九大医院第二内科の方渕律子医師が比呂志の主治医として診察にあたったが、比呂志は、午前一一時五八分ころに心停止を起こし、閉胸式マッサージ等の心蘇生術によって直ちに心蘇生したものの、その後の治療もむなしく午後九時一五分に再び心停止を起こし、同三三分に死亡するに至った。

なお、比呂志は、MHに伴って生じたDICによって急性の腎不全や呼吸不全を起こし、その結果急性心不全を起こして死亡したものと判断された。

(11) 岡らは、比呂志の死亡の原因となったMHの発症機序が明らかでなかったため、原告らの承諾を得たうえで比呂志の病理解剖を行うこととしたが、その結果によっても、MH発症を疑わしめるような病理所見は全く認められず、MHの発症機序は何ら明らかにされなかった。

3(MHの発症及び岡らのMHに関する知見の程度について)

そこで、比呂志の死亡の要因となったMHとはいかなる症例であるか、また、岡らはMHに関してどの程度の知見を有していたかについて見るに、<証拠>によれば、次のとおりの事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。

(一)  MHは、昭和三五年にオーストラリアのデンボローによって報告されたのを初めとして、多くの症例が報告されているところ、極めて稀にしか発症しないものの、そのほとんどの場合に吸入麻酔剤及び筋弛緩薬の投与によって四〇度を越える急激な体温の上昇が引き起こされ、更に重篤な結果に至るため、内外の研究者によってその究明が進められているが、今日に至るまで、その原因は明らかにされていない。

(二)  MHの診断基準としては、未だ明確なものは確立されてはいないが、日本における本症の研究の第一人者の一人である広島大学の盛生倫夫教授によって、<1>麻酔薬あるいは麻酔補助薬によって発症し、<2>体温が麻酔中に四〇度以上となるか、あるいは、体温の上昇速度が一五分で〇・五度もしくは一時間で二度以上となり、<3>筋強直、原因不明の頻脈、血圧の上昇または低下、自発呼吸の発現、呼吸性あるいは代謝性のアシドーシスの出現等の随伴症状を伴っているものについてはMHと診断できるとの診断基準が提唱され、本症の随伴症状のうちで主要なものは筋強直と原因不明の頻脈であるとされている。

もっとも、MHの中には、筋強直もしくは原因不明の頻脈が全過程に渡って見られない場合も存するし、随伴症状がほとんど見られずにいきなり高熱が発生する場合も存するとされている。

(三)  MH発症の危険を事前に予知する方法についても決定的なものはないが、本件医療事故が発生した昭和五七年以前から遺伝性が疑われており、<1>本症の既往歴がある、<2>血族者の中に本症の既往歴を持つ者がいる、<3>関連疾患と考えられる疾患の既往歴がある、<4>血族者の中に関連疾患と考えられる疾患の既往歴を持つ者がいる場合には注意を要するとされている。

なお、MH発症の危険を事前に予知する方法の一つとしてcpk値の検査(血漿の特定の酵素の数値を測定する検査)が挙げられることがあるが、昭和五七年当時においてすでに右検査の有効性について疑問を差し挟む報告がなされていたのであって、右検査がMH発症の有効な事前予知法として一般に確立されていたわけではなく、現在においては、事前予知法としての右検査の有効性は一般に否定されているに至っている。

(四)  MHに対する有効な治療法も未だ確立されてはおらず、したがって対症療法によるほかはないが、早期診断・早期治療が極めて重要であり、強くMHの発症が疑われた場合には、直ちに治療を開始すべきであるとされている。

そして、その治療方法としては、直ちに吸入麻酔薬及び筋弛緩剤の投与を中止し、一〇〇パーセント酸素による過換気を行うとともに、体温上昇に対しては積極的かつ強力な冷却法を実施し、その他アシドーシスに対する補正等の個々の症状に応じての薬物投与をすることとされている。

(五)  MHの発症によって死亡するに至ることは稀ではなく、最高体温が高くなり、また、体温上昇率が高くなるにつれて死亡率も高くなり、さらに、DIC等の合併症を起こした場合には死亡率は高くなるものとされている。

(六)  九大病院においては、本件医療事故が発生するまではMHが発症した例はなく、岡らはいずれも自らが直接MHに対する治療を経験したことはなかったが、岡は、昭和五七年当時においては、本症に関する研究会や論文等を通じて本症に関する基本的な知識(主要な症状やその対症療法等)を習得しており、また、竹之下、黒田、岡本らも本症に関する論文や大学内のセミナー等を通じて、本症に関する一応の知見を有していた。

4(被告の責任)

以上の各事実を前提として、被告の債務不履行責任の有無について判断することとするが、比呂志と被告との間に本件診療契約が成立したことは当事者間に争いがないから、被告は、右診療契約に基づいて麻酔及び手術を施行するに当っては、九大病院に一般に期待され要求される水準の知識及び技術を駆使して、被術者の生命及び身体に危険な結果を招来することのないように留意すべき義務を負うものであり、岡を始めとする前記担当医師らは、被告の履行補助者として本件手術の施行に当たったものであって、各自が右のような注意義務を負っていたものというべきである。

そして、原告らは、被告の履行補助者として本件手術の施行に当たった右各医師らに右注意義務違反があったと主張するので、以下において順次これを検討することとする。

(一)  原告らは、まず、九大病院は被告が設置する我が国有数の大学病院であるから、担当医師らには、麻酔を実施する前には患者を注意深く問診し、cpk値の検査を行い、筋弛緩剤の投与による異常を観察して、MHの発症を予見し、これを回避する義務があったというべきであるにもかかわらず、これを怠った旨主張する。

確かに現代医学の最高水準の医療技術が期待される国立大学歯学部付属病院の歯科医師である担当医師らは、全身麻酔を施行することにより患者の生命及び身体に重大なショックないし副作用の発現が予知できる場合においては、このような危険を防止するため万全の措置を講ずべき高度の注意義務を負うものと解するのが相当である。

そして、本件医療事故が発生した当時において、原因は明らかではないものの、吸入麻酔剤あるいは筋弛緩薬の投与によって四〇度を越える急激な体温の上昇が引き起こされ更に重篤な結果に至るMHなる症例が存在することが多数報告されており、しかも、右MH発症の危険を事前に予知する決定的な方法はないものの、MHに関しては遺伝性が疑われており、<1>本症の既往歴がある、<2>血族者の中に本症の既往歴を持つ者がいる、<3>関連疾患と考えられる疾患の既往歴がある、<4>血族者の中に関連疾患と考えられる疾患の既往歴を持つ者がいる場合には注意を要するとされていたことからすれば、吸入麻酔剤あるいは筋弛緩薬を投与して手術を実施しようとする医師としては、患者に対して相当な問診を実施し、患者及びその血族者のアレルギー体質、既往における使用薬剤の異常反応の有無、麻酔使用の有無等の麻酔事故の判断資料を収集し、適正な麻酔計画を立てる義務があるというべきである。

なお、原告らはcpk値の検査をも行うべきであった旨主張するが、MH発症の事前予知法としての右検査の有効性については、本件医療事故当時においてすでに疑問が差し挟まれており、右検査が有効なMHの事前予知法として一般に確立されていたものではないというのであるから、被告に右検査を実施すべき注意義務があったとはいえないものというべきである。

そこで、本件において、九大病院の前記医師らが右問診義務を尽くしたと認められるか否かについて判断するに、先に認定した事実によれば、竹之下、栗山及び岡は、比呂志に対して術前に問診し、比呂志がこれまで大きな病気をしたことがないこと、アレルギーはないこと、家族にも特異な疾患はないことを聴取しており、岡本も比呂志を問診し、同人が大きな病気をしたことはなく、アレルギーもないことを確認するとともに、家族にも全身麻酔の既往歴はなく、急死例もないことを確認しており、本件手術において麻酔を担当した黒田も比呂志を問診して、全身麻酔に対する既往歴、家族歴等を確認したが何らの異常も認められなかったというのであり、右竹之下らは、比呂志に関して血液検査等の検査を行い、これらの諸検査の結果によっても格別の異常もないことを確認したうえで比呂志に全身麻酔を施したことが認められるから、右医師らは、右問診義務を尽くしたものと解するのが相当である。

そして、比呂志本人はもとより家族にも全身麻酔の既往歴はなく、急死例もないというのであり、また、比呂志の病理解剖の結果によっても、MH発症を疑わしめるような病理所見は全く認められず、本件におけるMHの発症機序が何ら明らかにされなかったということを考慮すれば、本件にあって比呂志に全身麻酔を施した場合にMHが発症することを担当医師らが術前に予見することは不可能であったと認めざるを得ないものというべきである。

(二)  次に、原告は、仮に担当医師らがMHの発症を予見し回避することが当時の医療水準に照らして困難であったとしても、本件医療事故の当時においては、MHの治療法は広く知られており、早期発見・早期治療がMHの治療の決め手とされていたところ、本件において比呂志のMHは静脈麻酔剤を入れた直後に発症しており、このためにMHの随伴症状とされる症状がかなり早い時点から発現していたのであるから、担当医師らは、より早い時点でMHの発症を疑い、これに対する治療を開始すべきであった旨主張する。

確かに、先に認定したとおり、本件手術を開始する以前の午前八時四五分の時点における比呂志の脈拍数及び呼吸数はともにやや多めであり、また、本件手術が開始された後である午前九時三〇分の時点においても、本来低下し始めてよいはずの脈拍数及び呼吸数が低下せずにやや多めのまま推移しており、担当医師らがこれに疑問をもって麻酔回路の点検を行っていることが認められる(なお、原告らは、比呂志に筋強直が生じており、このために比呂志に対する気管内挿管が困難となったのであるから、この点からもMHの発症を疑って然るべきであったと主張するが、比呂志に筋強直が生じていないことは先に認定したとおりであって、右気管内挿管が容易ではなく成功するまでに四回もかかったのも筋強直によるものではなく前記認定したとおりの事情に基づくものであると考えられるのであり、他に右認定を覆すに足りる証拠も、また、比呂志に筋強直が生じていたと認めるに足る証拠も存しない。)。

これらの事実によれば、あるいは比呂志に静脈麻酔剤を入れた直後にMHが発症したものであり、右に見た比呂志に生じた症状は、MHの随伴症状であったのではないかとの疑いもないではないように考えられるが、これは、後に比呂志にMHが発症したことが確定されたことを前提として一連の経過を事後的に省みた場合に初めていえることであって、当該症状が発現した時点において担当医師らがMHの発症を診断し得たかどうかはこれとはまた別個の問題であるといわなければならない。

そして、本件において、担当医師らは、右各症状に関し、午前八時四五分の時点ではこれを前投薬である硫酸アトロピンの筋注や気管内挿管の影響、周囲に対するストレスの影響によるものであると判断し、また、午前九時三〇分の時点ではこれを硫酸アトロピンや手術前の午前九時一五分ころに投与した止血剤であるアドレナリンの影響、あるいは手術の刺激による影響によるものであると判断したのであって、いずれの時点においても特に異常は存しないものと判断したものと認められるところ、<証拠>によれば、全身麻酔を施して手術を実施した場合に頻脈を生じ呼吸数が増加するということは通常認められる現象であって、しかも、これらの症状の原因としては種々のものが考えられるのであり、したがって、単にこのような症状のみから極めて稀にしか発症しないとされるMHの発症を疑うということは通常は考えられないことであるのみならず、先に認定した程度の比呂志に見られた脈拍数及び呼吸数の変動は麻酔の通常の経過の中で生じ得る範囲内のものであってそれ自体特に異常とするほどのものではないのであり、本件においては麻酔回路の点検の際にたまたまキャニスターの発熱に気が付いたため、これをきっかけにMHの発症を疑っているが、これに気が付かなければMHの発症を疑うのはさらに後のことになったであろうことを認めることができ、これらの事情からすれば、担当医師らが右のように判断し、右の時点においてMHの発症を疑い得なかったのもやむを得なかったというほかはない。

(三)  原告らは、更に、担当医師らが行った本件手術中の処置に種々の誤りがあった旨主張するので、この点について判断する。

(1) 原告らは、まず、午前九時三〇分の時点で血液ガス分析を行い、比呂志に対する調節呼吸を開始すべきであった旨主張するが、担当医師らが午前一〇時ころになるまで血液ガス分析を行わなかったのが比呂志の術前の状態及び検査結果等からして格別の異常所見を認めなかったことによるものであることは先に認定したとおりであるところ、<証拠>によれば、単に脈拍数や呼吸数がやや多いという程度では血液ガス分析を行わないのが通常であることが認められ、これらの事情及び比呂志にMHが発症したと認められたのが午前九時五五分ころであることを合わせ考慮すれば、担当医師らの右処置には誤りはなかったものと解することができる。

(2) 次に、原告らは、ひどいアシドーシスがあるときに急激に強制換気を行うと心臓への負担が過大になり、心停止を起こす危険があることは明らかであるにもかかわらず、強制換気を行って、比呂志に心停止を生じさせた旨主張する。

しかしながら、MHに対する治療法としては対症療法によるほかはないが、早期診断・早期治療が極めて重要であり、強くMHの発症が疑われた場合には、直ちに治療を開始すべきであるとされていること、その治療方法としては、直ちに吸入麻酔薬及び筋弛緩剤の投与を中止し、一〇〇パーセント酸素による過換気を行うとともに、体温上昇に対しては積極的かつ強力な冷却法を実施し、その他アシドーシスに対する補正等の個々の症状に応じての薬物投与をすべきこととされていることは先に見たとおりである。

そうであるとすれば、本件において、担当医師らは、右治療法に従った治療を行ったものと認めることができるのであって、この点に関して誤りがあったものと考えることはできない。

(3) 原告らは、比呂志に対する治療法としてダントロレンを経口投与しなかったことをもって担当医師らの過失である旨主張する。

確かに<証拠>によれば、かつてダントロレンの経口投与がMHに対する治療として有用であったとの報告がなされたことがあったことが認められるが、<証拠>によれば、現在においては、ダントロレンの経口投与がMHに対する治療として余り意味のあるものとは考えられていないことが認められ、本件医療事故が発生した当時においても、ダントロレンの経口投与が必ずしも決定的な意味を有する治療法とまで考えられていたわけではないのであって、MHに対する治療法の一つとして認識されていたにすぎないものであると認めることができるところ、本件で、岡が比呂志にダントロレンを使用することを考えたにもかかわらず、これをしなかったのは、ダントロレンの経口投与ではあまり効果がないとの報告が多くなされていたことや比呂志の熱が既に下がり始めていたことによるものであるというのであるから、岡の右判断に誤りがあったということはできない。

(4) 原告らは、更に、重症の状態にあった比呂志を敢えて転院させて大きな負担を与え、症状を悪化させた旨主張するが、先に認定したとおり、比呂志を九大医院集中治療部に転院させたのには、血液透析等の治療を実施するためという合理的な理由が存し、転院にあたっては比呂志に負担をかけないようにとの配慮もなされており、右の移動の前後で比呂志の状態に格別の変化は起こらなかったと認めることができるから、この点について担当医師らの過失があったものとは解されない。

(四)  以上の事実によれば、本件医療事故に関しては、本件手術に関与した担当医師らの過失を問うべき余地は見出し難く、結局、比呂志は、MHという、現代医学によってもその発生機序すら不明であり、その発生を事前に予知することは極めて困難で発症後の治療方法等も確立されてはおらず、専ら対症療法による結果に期待するほかのない極めて稀な疾患によって一命を失ったものであり、今日の医療水準の下において右のような結果を避けることは不可能であったものといわざるを得ない。

二(予備的請求について)

原告らの予備的請求は、平成元年三月二日の第二三回本件口頭弁論期日に主張されるに至ったものであることは本件記録上明らかであるところ、原告らの予備的請求が憲法上の損失補償請求権に基づく請求であり、これに対し主位的請求が債務不履行による損害賠償請求権に基づく請求であることもまた明らかであるから、両者は訴訟物を異にする請求であり、右の予備的請求の主張は訴の追加的変更に当たるものと解するのが相当である。

これに対して、被告は、右憲法上の損失補償請求権を訴訟物とする損失補償請求訴訟が行政事件訴訟法四条後段にいう実質的当事者訴訟に該当することを理由として右の訴の追加的変更に異議を述べるので、この点について判断するに、右予備的請求は、生命への侵害に対する損害の填補を求めるものであり、その請求額も主位的請求と同一であって、主張及び立証の対象となる基礎事実も比呂志に対する全身麻酔の施用による生命被害の発生という単一の事象であるのみならず、本件訴訟の経過に照らせば、右訴の追加的変更を許さないこととすることにより原告らに多大の時間的、経済的損失が生じるものと考えられるのに対し、この請求に対する審判が行政事件訴訟手続によらずに行われることによって被告に特段の不利益が生じるとも考えられないのであり、これらの事情を総合すれば、これまで行われてきた審理を無視し、損失補償にかかる予備的請求のみを別個の訴訟手続によって審判すべきものとすることは到底是認されるものではなく、この理は、損失補償請求訴訟が公法上の実質的当事者訴訟に該当すると解されることによって左右されるものではないと解するのが相当である。

そこで、被告の損失補償責任の有無について検討するに、原告らが請求する損失補償は直接に憲法二九条三項をその根拠とするものであるところ、右規定が本件のような生命、身体に対する被害が発生した場合にも適用があるといえるか否かについては議論の存するところであるが、仮にこれが肯定できるとしても、直接に右規定に基づいて損失補償を請求できるのは、受忍限度を越える生命、身体に対する被害(特別犠牲)を公共のために受忍すべきことが強いられるような場合に限られると解するが相当である。そうすると、被告によって一定の公益目的を実現するために個人の生命、身体に対する被害を受忍すべきことを法律上または事実上強制されたというのではなく、単に被告と比呂志との間で締結された通常の診療契約に基づいて行われた治療行為の過程で前記認定のような経緯で比呂志の死亡という結果が生じたにとどまる本件においては、被告に右規定に基づく損失補償責任の発生する余地はないものと解するのが相当である。

三 以上の事実によれば、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 涌井紀夫 裁判官 福田剛久 裁判官 土田昭彦)

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