東京地方裁判所 昭和57年(ワ)9369号 判決 1989年11月13日
主文
一 被告らは、各原告に対し、連帯してそれぞれ金五四七六万八四三一円及びこれに対する昭和五七年八月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告両名に対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限りこれを仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各原告に対し、連帯してそれぞれ金六二七七万二二八六円及びこれに対する昭和五七年八月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告齋藤マリ(以下「原告マリ」という。)は、齋藤弘(昭和五六年六月一九日死亡、以下「亡弘」という。)の妻であり、原告齋藤晶子(昭和五二年五月四日生まれ、以下「原告晶子」という。)は、亡弘及び原告マリの長女である。
(二) 被告灰田茂生(以下「被告茂生」という。)は、昭和五六年四月二四日以前から東京都千代田区麹町一丁目一〇番地五号において半蔵門病院を開設・運営している。
(三) 被告三浦健(以下「被告三浦」という。)は、昭和五六年四月二四日以前から半蔵門病院において被用者として診療業務に従事していた医師である。
2 亡弘の症状と診療経過
(一) 既往歴
亡弘は、昭和五五年一〇月一八日、急性腹症に罹患して古川橋病院へ入院し、同病院において虫垂炎と診断されて虫垂の切除手術を受け、退院したが、退院一週間後に腹痛により同病院へ再入院し、保存的療法を受け、腹痛等の症状の軽快後に退院した。
(二) 林医師による診療経過
(1) 亡弘は、昭和五六年四月二〇日ころ、機械的腸閉塞を原因とする右下腹部の痛み、食欲減退感及び嘔気を感じるとともに便秘状態となり、特に、右下腹部の痛みの増強のため、同月二三日、林敬民医師(以下「林医師」という。)の開設・運営する林内科クリニック(<住所省略>)において同医師の診察を受けた。
(2) 林医師は、同日、問診及び諸検査の結果、右腹痛に加え、腸管に多量なガスの貯溜を認め、翌日(二四日)に再診したときに亡弘の右腸閉塞症状が軽快していなかったことから急性腹症と診断した。
(三) 半蔵門病院への入院、本件第一次手術及び術後管理の経過
(1) そこで、林医師は、昭和五六年四月二四日午後、亡弘を半蔵門病院の被告三浦に紹介して同病院に入院させるとともに、被告三浦に対し、亡弘の前記(二)の診療経過を連絡した。
(2) 被告三浦は、同日、右の診療経過を参考としつつ亡弘を診察し、問診、視診及び触診により、亡弘の回腸横行結腸(以下「本件結腸部分」という。)に腫瘍(以下「本件腫瘍」という。)を発見し、それが亡弘の腸閉塞症状の原因であるものの、保存的療法によって亡弘の腸閉塞症状を軽快させることができ、かつ、本件腫瘍が悪性腫瘍である可能性よりも前記(一)の虫垂摘出手術後に発生した炎症性腫瘤である可能性の方が高く、必ずしも直ちに本件腫瘍の切除手術を要するものではないものと診断したが、他方、本件腫瘍を放置する限り亡弘の腸閉塞症状が将来再発する危険があること及び本件腫瘍が悪性腫瘤である疑いを否定できないことから、亡弘の腸閉塞症状の解除及び再発予防並びに本件腫瘍の本件結腸部分からの切除及びその生物学的組織検査(以下「生検」という。)を目的とする開腹手術(以下「本件第一次手術」という。)をする必要があるものと判断し、同年四月二七日に本件第一次手術を施術することを決定した。
(3) 亡弘は、同年四月二五日から二六日の間に、症状が軽快して腹満感及び嘔気もなく、逆に食欲が沸いて食物を経口摂取し、糞便が少量あって排便・排ガスが良好となり、入浴するなど体力を回復し、同年四月二七日(本件第一次手術当日)には亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失したが、予定通り同日午後二時ころから同日午後一〇時までの間、被告三浦の執刀により本件第一次手術を受け、被告三浦の視診及び触診による本件腫瘍の手術時診断がボールマン[6]型ステージ[6]の結腸進行癌であったことから本件結腸部分の右半分を含めてその周辺部分を切除・廓清され、かつ、同日以降同年六月一七日までの間、継続的に動脈注射(以下「動注」という。)又は腹腔内注入の方法により抗癌剤であるマイトマイシンC(以下「MMC」という。)又は5-FUを投与された。
(4) 亡弘は、同月三〇日に腸内のガスを排出したことから水分・流動食の経口摂取を許可され、同年五月一日に立位のままレントゲン撮影を受けるなど徐々に体力を回復しつつあった。
(四) 病状の悪化及び本件第二次手術の経過
(1) 病状の悪化
ところが、亡弘は、同月二日以降、右季肋痛(疼痛)及び左側腹痛を訴え始め、体温が徐々に上昇し、脈拍も増加するなど全身状態に異変が生じ、同月五日には鼓腸が増強し、腸内ガスが充満し、ニボーが認められ、麻痺性腸閉塞の所見を呈するようになるなど急速に全身状態が悪化した。
(2) 本件第二次手術の経過
そこで、亡弘は、昭和五六年五月五日午後九時ころ、被告三浦の執刀により再度開腹手術を受けたところ、本件結腸部分の吻合部から約五ミリメートル盲腸側の位置に直径約五ミリメートルの穿孔(以下「本件穿孔」という。)が生じていること並びに腸内容物が本件穿孔から腹腔内に漏出するのに伴い細菌が侵入した結果罹患したと推定される汎発性の急性化膿性腹膜炎(以下「汎発性腹膜炎」という。)及び麻痺性腸閉塞が確認されたため、同月六日午前三時ころまでの間、本件第一次手術の縫合部及び本件穿孔の周辺を切除したうえで右切除部分を再吻合するための緊急手術(以下「本件第二次手術」という。)を受け、腹部両横に腸内容物・糞便排出用の合計五箇所一〇本のドレーン(以下「腹部ドレーン」という。)を装着された。
(五) 本件第二次手術の診療経過
(1) 亡弘は、本件第二次手術後、微熱を発し、吻合部付近の腹部ドレーンから昭和五六年五月六日に淡黄色の滲出液が、同月八日に便臭のある滲出物がそれぞれ出たうえ、同月一〇日には被告三浦から流動食の経口摂取を指示されたものの食欲不振が強く、しかも、同月一一日以降、多量の糞便様の滲出物が出るに至り、特に同月一六日以降は吻合部付近に置いた両側腹部ドレーンから血性膿及び腸内容物の多量の漏出が続き、更に、腹壁切開創(正中創)の一部に感染症が及んでこれが吻開して血性膿が流出し、他方、同月一二日朝から経口摂取を一時的に禁止され、中心静脈栄養(以下「IVH」という。)の輸液による栄養補給を受け始めた後、同月一五日には氷片の、同月一八日からは流動食の各経口摂取を再度指示されてこれを経口摂取し続けた。
(2) 亡弘は、同月二〇日、手術創(正中創)が多開した部位から糞便等の腸内容物を流出し、同日以降、咳に伴い血痰を多量に吐くようになる一方、突然三九度一分の高熱を発しそれが三ないし四時間続く身体状態となり、同月二三日から同月末までの間、ほぼ二日に一度の間隔で正午から午後二時ころまで三八度二分ないし四〇度三分の高熱を発し続ける一方、原告マリに「むかむかする。」等といって不快な身体症状を訴えていた。
(3) 亡弘は、同月九日ころから時々興奮状態を呈するようになり、同月一三日には食物の摂取を促すために覚醒させようとしても一時的に瞼を開くだけでまもなく眠りに落ちるという状態に至り、同月一五日には昏睡状態となった。
(4) 亡弘は、同月一九日午前六時二〇分に重篤な感染症の合併(汎発性又は吻合部の限局性の急性化膿性腹膜炎)を原因とする複合臓器不全によって死亡した。
3 被告らの不法行為責任
(一) 被告三浦の責任
(1) 不要・不急の本件第一次手術の実施
ア 被告三浦は、外科手術が人体の侵襲による体力減退を招き、これに起因する感染症を惹起させる危険性を常に孕んでいることを医師として十分に留意し、患者の身体状態を正確に把握したうえで本件第一次手術の緊急度ないし必要度と手術に伴う生命身体の危険とを総合考慮して前者が後者に優先する場合にのみこれを実施すべき一般的注意義務がある。
イ ところで、被告三浦は、亡弘の腸閉塞症状が、初診当時には即時に手術を要する程度に重篤な完全腸閉塞症又は亜腸閉塞症ではなく、しかも、本件第一次手術当時には、将来再発する危険性があるものの右時点までの対症療法が奏功してほぼ消失し、かつ、更に保存的療法を継続することによって完全に解除されうる状態となっており、かつ、本件腫瘍が悪性腫瘍であるか否かの診断は既に実施していた保存的療法を一定期間継続して亡弘の腸閉塞症状を緩解させたうえ本件腫瘍の存在と亡弘の腸閉塞症状に伴う本件結腸部分の細胞組織に対する侵襲の影響を相当程度に緩和した後にバリウム注腸造影レントゲン検査又は大腸ファイバースコープ生検等の予備検査を実施することにより代替できたこと、診療当初から本件腫瘍が悪性腫瘍である可能性よりも前記(一)の古川橋病院における虫垂摘出手術に伴い発生した炎症性腫瘍である蓋然性が高いものと判断しており右の代替手段を採用せずに本件第一次手術により本件腫瘍を切除してこれを生検に回すべき特段の所見を認めていなかったこと、したがって、本件第一次手術実施の緊急性に欠け、かつ、右必要性が著しく乏しかったこと、他方、本件第一次手術を実施すれば消化管吻合手術につきまとう縫合不全の危険があること、もし本件切除部分が縫合不全となれば、腸内容物が漏出するなどの経路で細菌が腹腔内に侵入して致命的な感染症の合併を招く危険があることを総合考慮し、右の致命的な感染症合併の危険を重視して本件第一次手術を中止すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、同日、右注意義務に違反し、本件第一次手術の緊急性・必要性の欠如及び感染症合併の危険を看過し、本件第一次手術を漫然と実施したものである。よって、被告三浦は、不法行為による損害賠償責任を免れない。
ウ 被告三浦は、本件第一次手術当時、右イのとおり、本件第一次手術実施の緊急性に欠け、その必要性も著しく乏しかったこと、他方、仮に亡弘が糖尿病に罹患していたために血糖値が異常に増大していたとすれば、より一層感染症を合併し易く、本件切除部分が縫合不全となった場合にはその重症度が高まることから、致命的な感染症合併の危険を前記イの場合以上に重視し、本件第一次手術の実施を中止すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、同日、右注意義務に違反し、本件第一次手術の緊急性・必要性の欠如、糖尿病の影響下での縫合不全を原因とする感染症合併の高度な危険を看過し、本件第一次手術を漫然と実施したものである。よって、被告三浦は、不法行為による損害賠償責任を免れない。
(2) 本件第一次手術に際しての血糖値管理の懈怠
仮に、右(1)イ又はウの過失が認められないとしても、被告三浦は、本件第一次手術当時、亡弘が仮に糖尿病であったとすれば、本件第一次手術直前に血糖値の検査を実施し、インシュリンの術前・術中・術後の投与等の方法により血糖値の異常な増大を終始抑制し、本件第一次手術の実施による高度な感染症合併の危険及び縫合不全の危険を抑制すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、本件第一次手術直前に血糖値を検査せず、右以降、血糖値の異常な増大を抑制すべき何らの処置もしなかった。よって、被告三浦は、不法行為による損害賠償責任を免れない。
(3) 本件第一次手術時の手技の過誤
被告三浦は、本件第一次手術当時、不十分な手技によって縫合部周辺に穿孔を生じさせるなどして縫合不全となれば、縫合不全部から腸内容物が漏出するのに伴い細菌が腹腔内へ侵入し、致命的な感染症合併の危険が生じることを予見していたのであるから、開腹手技から閉腹手技までの間、いずれかの手技を原因として手技終了後に穿孔を生ぜしめることのないように十分な手技を施術すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、本件第一次手術当時、右の注意義務に違反し、吻合部の周辺に傷をつけ又は強い緊張を加えるなど不十分な手技をしたために本件穿孔を生じさせたものである。よって、被告三浦は、不法行為による損害賠償責任を免れない。
(4) 本件第二次手術方法の選択の過誤
被告三浦は、本件第二次手術当時、亡弘が本件穿孔を原因とする汎発性腹膜炎及び麻痺性腸閉塞に罹患したために著しく衰弱し、かつ、本件穿孔の周囲の腸管には腹膜炎による種々の顕著な局所的病変があったこと及び腹膜炎の影響下にある消化管の縫合不全部分を再切除・再吻合しても再縫合不全を惹き起こす高度の蓋然性があり、再切除・再吻合せずに腸瘻を増設し、かつ、有効なドレナージをすることが最も安全であることを外科医の一般的知見として十分に認識し又は認識しえたのであるから、ア 再切除・再吻合せずに腸瘻を増設し、かつ、ドレーン設置して腸内容物に伴い細菌が腹腔内へ侵入することを抑制しつつ、抗生物質を投与して急性化膿性腹膜炎の緩解、本件穿孔の自然閉鎖及び亡弘の体力の回復をまつ処置を選択・実施すべき注意義務及びイ 仮に再切除・再吻合手術を選択する場合には、本件穿孔付近の腸管には長さの余裕が相当程度有ったのであるから再切除範囲を腸管に負担がかからない限度で可能な限り広範にして再吻合したうえ抗生物質を投与して急性化膿性腹膜炎の緩解及び亡弘の体力の回復をまつ処置を選択・実施すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、本件第二次手術に際し、まず、右アの注意義務に違反し、本件穿孔の周辺部分を再切除・再吻合(端々吻合)をし、かつ、右イの注意義務に違反し、本件穿孔の空腸側及び結腸側を僅か約二センチメートルずつしか再切除せず、再吻合(端々吻合)したものである。よって、被告三浦は、不法行為による損害賠償責任を免れない。
(5) 本件第二次手術後の不適切な患者管理
ア 再縫合不全の疑いによる経口摂取禁止義務の違反
被告三浦は、亡弘が本件第二次手術後に微熱を発して次第に血痰を多量に吐くようになる一方、吻合部付近の腹部ドレーンから、昭和五六年五月六日に淡黄色の滲出物を、同月八日に悪臭のある滲出物をそれぞれ排出し、同月一〇日に流動食の経口摂取を指示しても食欲減退によりこれを十分に摂取できない状態となり、しかも、同月一一日以降、多量の糞便様の滲出物を出し続けるに至ったのであるから、再縫合不全による腸内容物の漏出に伴って細菌が腹腔内へ侵入し続け、本件第二次手術前に罹患した汎発性腹膜炎を亢進させ又は吻合部の限局性の急性化膿性腹膜炎(以下「限局性腹膜炎」という。)を悪化させる危険性に留意し、同月一二日から再縫合不全部に完全な腸瘻が形成されるまでの間、十分なドレナージを継続すると同時に栄養補給については経口摂取を禁止しIVHの輸液を開始すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、同月一一日に一時的に翌日からの経口摂取禁止の指示をし、同月一二日から経口摂取に替えてIVHの輸液による栄養補給を開始したが、右注意義務に違反し、再縫合不全部に完全な腸瘻が形成されていないのに同月一五日に氷片の、同月一八日以降は流動食の経口摂取を再度指示してこれらを継続的に経口摂取させる一方、本件第二次手術時に挿入した一〇本のドレーンのうち八本(右横隔膜下、左横隔膜下、左側腹部及び右ダグラス窩の各二本のドレーン)をそれぞれ抜去し、最後まで存置された吻合部ドレーン二本によるドレナージ、腸瘻又は糞瘻の形成も不十分であり、再縫合不全部から腹腔内へ漏出した腸内容物を完全に体外に排出する程度には機能しなかったため、腸内容物の流出に伴い再縫合部から腹腔内へ細菌を大量かつ継続的に侵入させる結果となり、本件第二次手術前に罹患した汎発性腹膜炎又は限局性腹膜炎を悪化させたものである。よって、被告三浦は不法行為による損害賠償責任を免れない。
イ 誤診による抗癌剤投与中止の遅滞
被告三浦は、抗癌剤が細胞組織の癒合を阻害して創傷治癒を遅らせること(以下「抗癌剤の副作用」という。)を認識し、かつ、本件腫瘍は悪性腫瘍ではなかったのであるから、本件第一次手術後の無用な抗癌剤の投与によって縫合不全を招く危険性が徒に増大することのないように、本件腫瘍等につき生検を迅速に実施・回答できる内外の検査機関に依頼し、遅くとも昭和五六年四月末には本件腫瘍が悪性腫瘍ではない旨の検査結果を得て直ちに抗癌剤の投与を中止すべき注意義務があった。しかるに、被告三浦は、本件第一次手術以降亡弘が死亡するまでの間、終始亡弘が結腸癌である旨誤診していたため、本件第一次手術後一五日目である昭和五六年五月一三日に漸やく、右検査を委託検査業務が渋滞していることを知りつつ東京大学法医学教室に依頼したに止まり、亡弘が死亡するまでに右検査結果を入手できず、同年四月二七、二九日両日に既に投与されていたMMC合計六ミリグラム及び5-FU合計七五〇ミリグラムに加え、同年五月三日から同年六月一七日までの間に動注又は腹腔内注入の方法によってMMCを七回合計一七ミリグラム、5-FUを一一回合計二七五〇ミリグラム投与し(同年四月二七日に動注でMMC二ミリグラム・5-FU二五〇ミリグラムを、腹腔内注入の方法で各薬剤それぞれ同量を、同月二九日に動注でMMC二ミリグラム・5-FU二五〇ミリグラムを、同年五月三日に動注でMMC五ミリグラム・5-FU二五〇ミリグラムを、同月四日に動注で5-FU二五〇ミリグラムを、同月五日に動注で5-FU二五〇ミリグラムを、同月六日に動注及び腹腔内注入の方法でそれぞれMMC二ミリグラム・5-FU二五〇ミリグラムを、同月一〇日に動注でMMC五ミリグラム・5-FU七五〇ミリグラムを、同年六月七日に動注でMMC二ミリグラム・5-FU二五〇ミリグラムを、同月一七日に動注でMMC二ミリグラム・5-FU二五〇ミリグラムを投与した。)、再縫合部の細胞組織の癒合を徒に阻害したものである。よって、被告三浦は、不法行為による損害賠償責任を免れない。
(二) 被告茂生の責任
被告三浦は、亡弘を診察し、本件第一次及び本件第二次手術の執刀並びに両手術後の患者管理をした医師であり、被告茂生が開設し運営している半蔵門病院の被用者であったところ、前記(一)の(1)ないし(5)の注意義務に違反した。したがって、被告茂生は、被告三浦の使用者としての責任を免れない。
4 因果関係
(一) 亡弘は、本件第一次手術後に発生した縫合不全(本件穿孔)による汎発性腹膜炎に起因する本件第二次手術後の汎発性腹膜炎の亢進又はその残滓である限局性腹膜炎の悪化を原因とする複合臓器不全によって死亡したものである。
(二) 前記3(一)の(1)ないし(5)の義務違反と右(一)との因果関係
(1) 被告三浦が、前記3(一)(1)のイ又はウの注意義務を履行していれば、本件穿孔の発生及び汎発性腹膜炎を避けることができたから、本件第二次手術後、再縫合不全による右の汎発性腹膜炎の亢進又はその残滓である限局性腹膜炎の悪化を原因とする複合臓器不全による亡弘死亡の結果を招くことなかった。したがって、被告三浦の前記3(一)(1)のイ又はウの各注意義務違反と亡弘の死亡との間に因果関係があることは明らかである。
(2) 被告三浦が、前記3(一)(2)の注意義務を履行していれば、血糖値の異常な増大によって本件切除部分の創癒合に支障を来し縫合不全となること及び感染症合併の亢進はなく、本件第一次手術後の縫合不全及び汎発性腹膜炎の発生を避けえる高度の蓋然性があったから、本件第二次手術後、再縫合不全による右の汎発性腹膜炎の亢進又は限局性腹膜炎の悪化を原因とする複合臓器不全による亡弘死亡の結果を招くことはなかった。したがって、被告三浦の前記3(一)(2)の注意義務違反と亡弘の死亡との間に因果関係があることは明らかである。
(3) 被告三浦が、前記3(一)(3)の注意義務を履行していれば、本件第一次手術後の汎発性腹膜炎の発生を避けえたから、本件第二次手術後、右の汎発性腹膜炎の亢進又はその残滓である限局性腹膜炎の悪化を原因とする複合臓器不全による亡弘死亡の結果を招くことはなかった。したがって、被告三浦の前記3(一)(3)の注意義務違反と亡弘死亡との間に因果関係があることは明らかである。
(4) 被告三浦が、前記3(一)(4)の注意義務を履行していれば、本件第二次手術後、再縫合不全による本件第一次手術後に発生した汎発性腹膜炎の亢進又はその残滓である限局性腹膜炎の悪化を原因とする複合臓器不全による亡弘死亡の結果を避けえる高度の蓋然性があった。したがって、被告三浦の前記3(一)(4)の注意義務違反と亡弘死亡との間に因果関係があることは明らかである。
(6)ア 被告三浦が前記3(一)(5)アの注意義務を履行していれば、本件第一次手術後に発生した汎発性腹膜炎の亢進又はその残滓である限局性腹膜炎の悪化を原因とする複合臓器不全による亡弘死亡の結果を招くことは避け得た高度の蓋然性がある。したがって、被告三浦の前記3(一)(5)アの注意義務違反と亡弘の死亡との間に因果関係があることは明らかである。
イ 被告三浦が、前記3(一)(5)イの注意義務を履行していれば、抗癌剤の副作用による亡弘の身体に対する侵襲に起因する再縫合部分の癒合不全を避けえたから、本件第二次手術後、再縫合不全による腸内容物の大量かつ継続的な漏出に伴う細菌の腹腔内への持続的侵入を原因とする汎発性腹膜炎又は限局性腹膜炎の悪化を亢進させて複合臓器不全を招くことを避けえた高度の蓋然性があった。したがって、被告三浦の前記3(一)(5)イの注意義務違反と亡弘の死亡との間に因果関係があることは明らかである。
5 損害
(一) 逸失利益 九六五四万九五七三円
亡弘は、昭和五六年六月一九日に死亡した当時、三四才(昭和二一年七月三一日生まれ)であったが、オ・エス毛皮株式会社及び有限会社草加毛皮の取締役として稼働しており、昭和五五年中に右各会社からそれぞれ三四四万一〇〇〇円及び四三〇万二二〇〇円、合計七七四万三二〇〇円の報酬を得ていたものであり、被告三浦に前記3(一)の注意義務違反が無ければ亡弘の残存就労可能年数である三三年間は右同程度の報酬を得ることができたから、右報酬額を基礎とし、三五パーセントの生活費控除をしたうえ、新ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除するために残存就労可能年数三三年に適用される新ホフマン係数一九・一八三四を乗じて、同人の死亡による逸失利益の現価を算定すると、右現価額は、九六五五万一五八六円となる。本訴では右現価額の内金九六五四万九五七三円を請求する。
(二) 慰謝料 二〇〇〇万円
原告マリは、昭和五〇年三月に亡弘と婚姻し、昭和五二年に長女である原告晶子を出産し、親子三人の健康で幸福な家庭を築いてきたにもかかわらず、被告三浦の前記3(一)の注意義務違反のために最愛の亡弘を失い、原告晶子は、幼くして父親を失うというそれぞれ人生最大の不幸に見舞われたものであり、原告両名が受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、各々一〇〇〇万円を下回ることはない。
(三) 原告らの弁護士費用 八九九万五〇〇〇円
被告らは、原告らに対する損害賠償債務の任意の履行に応じないので、原告らは、やむなく原告ら訴訟代理人弁護士に本件訴訟の提起・追行を委託し、第二東京弁護士会報酬規定に基づき、手数料として既に三七〇万円を支払い、報酬として五二九万五〇〇〇円を支払うことを約し、合計八九九万五〇〇〇円の出捐を強いられた。
よって、原告らは、被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、連帯してそれぞれ損害金六二七七万二二八六円及びこれに対する不法行為以後の日である昭和五七年八月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1(一) 請求原因1(一)の事実のうち、亡弘が昭和五六年六月一九日に死亡したことは認め、その余の事実は知らない。
(二) 同1の(二)及び(三)の事実は認める。
2(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)の(1)及び(2)の事実は認める。
(三)(1) 同2(三)(1)の事実は認める。
(2) 同(三)(2)の事実のうち、亡弘の腸閉塞症状が保存的療法によって軽快させうるものであり、ただ、軽快後将来再発する可能性があるに過ぎない状態であったこと、本件腫瘍が必ずしも直ちに切除を要するものではなかった旨診断したこと及び本件腫瘍が癌である疑いがあったことが本件第一次手術決定に不可欠な要素であったことは否認し、その余の事実は認める。被告三浦は、受診当時の亡弘の腸閉塞症状が回腸横行結腸に生じた鶏卵大の腫瘤(以下「本件腫瘤」という。)を原因とする亜腸閉塞症であり、これを放置すればまもなく完全腸閉塞症に進行し、しかも、亡弘が切除手術に耐えられない全身状態となる恐れがあり、もし、昭和五六年四月二七日当時に本件腫瘤を直ちに切除しなければ、これを根治する機会を失い、亡弘を致命的な状況に陥らせる恐れがあることから本件第一次手術の実施を決定したものである。なお、本件腫瘤が悪性腫瘍であるとの疑いがあったことは、本件第一次手術決定の二次的な要素であり、これを欠いていても本件第一次手術の実施を決定しなかったものとはいえない。
(3) 同2(三)(3)の事実のうち、昭和五六年四月二七日当時亡弘の排便・排ガスが良好となり亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失していたことは否認し、その余の事実は認める。被告三浦は、同月二七日、本件腫瘤が本件結腸部分周辺の腹壁腹膜、腹部筋肉及び結腸間膜に浸潤していたので、丁寧に剥離を進めたうえ結腸右半切除を実施した。
(4) 同2(三)(4)の事実は認める。
(四) 同2(四)の(1)(病状の悪化)及び(2)(本件第二次手術の経過)の事実はいずれも認める。
(五)(1) 同2(五)(1)の事実のうち、亡弘が昭和五六年五月八日に腹部ドレーンから便臭のある滲出物を排出したことは否認し、その余の事実は認める。同月六日及び八日の滲出物は、いずれも本件第二次手術の際に腹腔内洗浄を行ったときに使用された洗浄液の残滓である。
(2) 同2(五)(2)の事実は認める。
(3) 同2(五)(3)の事実のうち、亡弘が同月一五日に昏睡状態になったことは認め、その余の事実は明らかに争わない。
(4) 同2(五)(4)の事実のうち、複合臓器不全の原因が汎発性腹膜炎であることは否認し、その余の事実は認める。
3(一)(1)ア 同3(一)(1)イの事実のうち、亡弘の腸閉塞症状が診療当初には即時に手術を要する程度に重篤な完全腸閉塞症又は亜腸閉塞症ではなかったこと、被告三浦が、診療当初から本件腫瘍につき悪性腫瘍ではなく炎症性腫瘤である蓋然性が高いものと判断していたこと、本件第一次手術前に保存的療法を実施していたこと、消化管の吻合手術には縫合不全の危険がつきまとうこと、本件切除部分が縫合不全となれば腸内容物が漏出するなどの経路で細菌が腹腔内に侵入して致命的な感染症の合併を招く危険があること及び被告三浦が本件第一次手術を実施したことは認め、その余の事実は否認する。
被告三浦は、本件腫瘤が、五センチメートル×三センチメートル大の石よりも堅い腫瘤であり、回腸末端から大腸に移行するバウヒン弁の部位で狭窄を起こして亡弘の腸閉塞症状を生じさせた原因となっており、かつ、亡弘の腸閉塞症状が亜腸閉塞症の時期にあり、本件腫瘤を切除して根治しなければ早晩完全腸閉塞となり本件腫瘤の緊急切除手術必至の状況となり、その時期には亡弘の全身状態が悪化し術後感染症等によって死亡する恐れが大きいこと及び本件第一次手術当時には確かに体力の回復を目的とする対症療法によって臨床症状が軽快していたものの、右下腹部には依然としてガスの貯溜が認められ亜腸閉塞症の状態にあったのであるから、むしろ亡弘が手術に適応しうるこの時期に準救急的に本件第一次手術を実施する必要があるものと判断してこれを実施したものである。したがって、被告三浦が、本件第一次手術を昭和五六年四月二七日に実施したことは相当であった(なお、本件腫瘤が悪性腫瘍である疑いがあったことも本件第一次手術決定の二次的な要素ではあるが、右の疑いが無かったとしても本件第一次手術の実施は必要であった。また、本件腫瘤が悪性腫瘍か否かを判定するについては、一般的には本件腫瘤を切除・摘出して生検をする方法に代えてバリウム注腸造影レントゲン検査及び大腸ファイバースコープ生検をする場合があるが、右の両検査は、いずれも、その準備として低残渣食又は流動食の食事制限をし、検査前に経口摂取を禁止したうえで強い下剤を二日間投与して高圧浣腸を繰り返すことを必要とするものであり、腸閉塞を起こしている患者に対する侵襲は決して軽くないため、患部に穿孔を招く危険すらある他、バリウム注腸造影レントゲン検査では腫瘤の質、すなわち、悪性腫瘍か否かを判定することが困難であり、大腸ファイバースコープ生検でも必ずしも右の確定ができると限らないから、特に、当該腫瘤が腸閉塞を招いている場合には意識的に回避されるか又は省略されるのが通常であって、本件の場合には、本件第一次手術との代替性がなかったか、少なくともいずれを選択するかは医師の裁量に委ねられるべきものであった。)。
イ 同3(一)(1)ウの事実のうち、請求原因3(一)(1)イを引用した部分については右アのとおりであり、亡弘が糖尿病に罹患していたこと並びに糖尿病による血糖値の異常な増大が手術後の感染症を合併し易いこと及び吻合部が縫合不全となった場合にはその重症度が高まることは認め、その余の事実は否認する。
被告三浦は、亡弘の入院時の糖尿病が自覚症状を欠く程度の軽症なものであった(尿糖++であり一デシリットル当たり血糖値は二五〇ミリグラム以下であったと考えられる。)反面、その完全な治癒には右疾患の性質上相当期間を要すること、本件第一次手術が前記アのとおり不可欠かつ少なくとも準救急的に緊急性があったため糖尿病により感染症合併及び縫合不全の危険が多少増大していたとしてもあえて実施されるべきものであった。
したがって、被告三浦が本件第一次手術を実施したことは相当であった。
(2) 同3(一)(2)の事実のうち、亡弘が本件第一次手術当時に糖尿病に罹患していたこと及び被告三浦が本件第一次手術前に血糖値の術前管理をしなかったことは認め、その余の事実は否認する。
被告三浦は、亡弘の入院時の糖尿病が自覚症状を欠く程度の軽症なものであった(尿糖++であり、検査機関からの精密な分析結果の回答は受けていないが一デシリットル当たりの血糖値は二五〇ミリグラム以下であったと考えられる。)ことから手術前のインシュリンの投与は不必要であると判断したこと及び血糖管理の前提として経口摂取の中止を要する糖負荷試験を実施することは不適切であると判断したことからあえて術前の血糖値管理をしなかったが、感染症合併及び縫合不全の危険の増大に十分配慮し、本件手術に際しては無菌的処置に終始し、開腹に際しては腹腔内を十分に洗浄し、抗生物質セファメジン二グラムを腹腔内に注入し、腸管吻合にあたってアメリカ製の非化膿性合成ポリグリコール縫合糸を、腹膜、筋膜、筋肉の縫合にあたってアメリカ製の非化膿性合成ナイロン縒糸縫合糸をそれぞれ使用し、腹膜炎予防のために太いシリコンドレイン二本を右側腹部に、ペンローズドレイン七本を腹壁切開創にそれぞれ挿入するなどの感染症合併の防止のためのドレナージをとったものであり、右各処置は相当であった。
(3) 同3(一)(3)の事実のうち、被告三浦が本件第一次手術当時に不十分な手技によって縫合部周辺に穿孔を生ぜしめるなどして縫合不全となれば、縫合不全部から腸内容物が漏出するのに伴い細菌が腹腔内へ侵入し、致命的な感染症の合併の危険が生じることを予見していたこと、原告主張のとおりの注意義務を負っていたこと及び本件穿孔が本件第一次手術後に生じたことは認め、その余の事実は否認する。
被告三浦は、本件第一次手術の縫合手技に際して本件結腸部分が十分な長さを有しており、その吻合部に一部切除・縫合の結果、緊張が生じて縫合不全となる危険がないことを確認したうえ、デクソン無傷針による粘膜筋層縫合と絹糸無傷針による漿膜縫合との二層性側端吻合を実施し、更に、吻合終了時に吻合部の腸管の血行が良好であること、モスキート鉗子による探索と腸管の用手圧迫による空気漏れの検索で縫合不全のないこと及び吻合部に異常な緊張がないことを確認したものであって、原告主張のような縫合手技上の過失はなかった。本件穿孔は、患者側の高度の貧血、軽度の糖尿病、低蛋白及び肝疾患等の全体因子と手術前に生じていた本件腫瘤の周辺への浸潤を原因とする局部的な血行不良等の局部因子とが複雑に絡み合って発生した可能性が高い。
(4) 同3(一)(4)の事実のうち、亡弘が本件第二次手術当時に本件穿孔を原因とする汎発性腹膜炎及び麻痺性腸閉塞に罹患したために著しく衰弱していたこと、本件穿孔の周囲の腸管に粘膜の浮腫、充血及び軟弱化などの顕著な局所的病変があったこと、被告三浦が右各事実を認識していたこと、本件穿孔付近の腸管に相当程度の長さの余裕があったこと及び被告三浦が本件穿孔を含む縫合部を再切除・再吻合したことを認め、その余の事実は否認する。
被告三浦は、本件第二次手術当時、亡弘の本件穿孔付近の腸管全体としては顕著な病変がなかったこと及び吻合すべき回腸と横行結腸の両腸管壁が正常な色調で何らの病変も無い新鮮な健常腸管壁であったこと、本件第一次手術後に軟弱化して壊死状態となった本件穿孔付近の腸管を放置すると本件結腸部分の壊死範囲が更に拡大悪化する危険があること、腸瘻を増設しても本件穿孔が完全に自然閉鎖する保障はなく腸内容物の漏出が続いて汎発性腹膜炎の悪化に発展する危険性があること並びに仮に腸瘻が形成されて症状が軽快してもその後に腸瘻閉鎖目的の第三次手術が必要となることを総合考慮して、再切除・再吻合し、かつ、腹膜炎の予防のためにシリコンドレーン一〇本(右横隔膜下、左横隔膜下、左側腹部、右ダグラス窩及び腸吻合部にそれぞれ二本)等を挿入したうえ、抗生物質を効果的に投与するなどの相当な手術・処置を尽くした。
(5)ア 同3(一)(5)アの事実のうち、亡弘が本件第二次手術後に微熱を発し、かつ、血痰を吐いたこと、淡黄色の滲出物が昭和五六年五月六日に吻合部付近の腹部ドレーンから排出されたこと、悪臭のある滲出物が同月八日に右ドレーンから排出されたこと、亡弘が同月一〇日ころ食欲減退の状態にあったこと、腸内容物が同月一一日以降右ドレーンから流出し続けたこと、被告三浦が同月一二日から経口摂取を一時的に禁止したこと、同日にIVHの輸液を開始したこと及び同月一五日から氷片の、同月一八日から流動食の経口摂取を再度指示し、亡弘が右以降経口摂取を継続したこと、本件第二次手術時に挿入された一〇本のドレーンのうち八本(右横隔膜下、左横隔膜下、左側腹部及び右ダグラス窩の各二本のドレーン)がそれぞれ抜去されたこと及び限局性腹膜炎が悪化したことは認め、その余の事実は否認する。
被告三浦は、同月六日及び同月八日に排出された滲出液が本件第二次手術に際して腹腔内洗浄を行ったときの洗浄液の残滓であって縫合不全により漏出した腸内容物ではないことを確認している。また、被告三浦は、同月一一日、腸内容物の流出を確認したときには直ちに翌日からの経口摂取の中止を指示し、同月一二日から経口摂取に替えてIVHの輸液を開始したのに対し、同月一八日に経口摂取の再開を指示し、本件第二次手術後に挿入した吻合部ドレーン以外のドレーン八本(右横隔膜下、左横隔膜下、左側腹部及び右ダグラス窩の各ドレーン)を順次抜去したのは、本件のような下部消化管の縫合不全の場合には抗生物質の投与・ドレナージが有効に働いている限り積極的に経口摂取を進めて栄養状態の改善を図り腸瘻及び糞瘻の自然閉鎖を促進させることが適切な治療方法の一つであるところ、同月一三日から同月二〇日までの間に右の八本のドレーンからの滲出液が次第に減少して汎発性腹膜炎の所見も認められなくなり、限局性腹膜炎のみが残る状態となって、右以前の抗生物質(セファメジン五〇グラム、パンスポリン五〇グラム、リラシリン三五グラム及びゲンタシン五六〇ミリグラム)の投与及びIVHの輸液による栄養補給並びにドレナージによる腹腔内への細菌の侵入・拡散の予防が功を奏しつつあることが確認されたためである。また、被告三浦は、亡弘の同月一八日時点での低蛋白状態(一デシリットル当たり総蛋白五・四グラム、同量当たりアルブミン一・二グラム)についても、新鮮凍結血漿を同月二一日ないし二八日まで、同年六月二日ないし四日まで及び同月一七日ないし一八日までの毎日一〇単位ずつ合計一三〇単位を輸血することによってその改善ないし正常値の維持に努めた。しかるに、限局性腹膜炎が悪化して複合臓器不全を招いたのは、全身因子としての糖尿病及び貧血並びに局所因子としての吻合部の血行障害、感染及び炎症などが生じ、これらが複雑に競合したためではないかと推測され、被告三浦において右結果を予見してこれを回避することはできなかったものである。
イ 同3(一)(5)イの事実のうち、被告三浦が原告主張の日時・方法・量でMMC及び5-FUを投与したことは否認し、その余の事実は認める。
被告三浦は、同年四月二七日から五月三一日までの間、抗癌作用のみならず強い抗菌作用をも有するMMC合計五・六ミリグラムを、5-FU合計九五〇ミリグラムをそれぞれ投与したに止まり(被告三浦は、同月二七日、腹腔内注入用のMMC二ミリグラム及び5-FU二五〇ミリグラムの注入準備のため各アンプルを切ったものの注入しなかったのであるが、アンプルを切ってしまった以上これを他に転用することはできないので健康保険請求を可能とするためカルテにあたかもこれを亡弘の腹腔内に注入したかのような記載をし、同様に、同月二九日に右と同量の各抗癌剤のアンプルを切ったが、当日は本件第一次手術後二日しか経過していなかったので前者を〇・六ミリグラム後者を七五ミリグラムだけを、同月三日にMMC一ミリグラム及び5-FU一二五ミリグラムを、同月四日5-FU一二五ミリグラムをそれぞれ投与したが、カルテ上では各アンプル全量を使用したかのように記載したものである。また、被告三浦は、本件第二次手術前に5-FU一二五ミリグラムを投与したが、カルテ上に印刷されているその余の抗癌剤は投与していない。半蔵門病院では、カルテ記入の事務上の効率化と統一化を図るために統一様式のカルテに投与が予想される薬剤を予め列記し、実際に投与する予定のものについて丸印を付け、実際に投与された薬剤についてはアンプル数を記載するという方式で薬剤投与に関するカルテの記載を完成させているところ、本件第二次手術の際に動脈注射されたという各抗癌剤の欄には丸印がなく、腹腔内に投与されたという各抗癌剤については丸印があり投与が予定されていたが、開腹時に中止されたのでアンプル数が記載されていないのである。)、右の抗癌剤の投与量は急性毒性もしくは慢性毒性を来たし又は縫合不全の原因を招く量ではない。胃癌切除手術後の標準的な投与量(体表面積比を基準として定められている)は、一般に右の一〇倍以上の量が使用されており、体力及び抵抗力の低下を来すのは更に右の量を遙かに超過する大量の投与を行った場合である。
(二) 同3(二)の事実のうち、被告三浦が同3(一)の(1)ないし(5)の注意義務に違反したことは否認し、その余の事実は認める。
4(一) 同4(一)の事実のうち、亡弘が本件第二次手術前に発生した本件穿孔及び汎発性腹膜炎に起因する本件第二次手術後の汎発性腹膜炎の亢進を原因とする複合臓器不全によって死亡したことは否認し、その余の事実は認める。
(二)(1) 同4(二)(1)の事実のうち、本件第二次手術前に発生した本件穿孔及び汎発性腹膜炎に起因する本件第二次手術後の複合臓器不全の原因が汎発性腹膜炎の亢進であること及び同3(一)(1)のイ又はウの注意義務違反と亡弘死亡との間に相当因果関係があることは否認し、その余の事実は認める。
(2) 同4(二)(2)の事実のうち、本件第一次手術後の血糖値の異常な増大によって本件切除部分の創癒合に支障を来して本件穿孔が発生し、感染症の合併が亢進したこと、被告三浦が同3(一)(2)の注意義務を履行していたならば本件第二次手術前の本件穿孔及び汎発性腹膜炎を避けえる高度の蓋然性があったこと、本件第二次手術後に複合臓器不全を招いた原因が本件第二次手術前に発生した汎発性腹膜炎の亢進であること並びに同3(一)(2)の注意義務違反と亡弘死亡の結果との間に事実的因果関係があることは否認し、その余の事実は認める。
(3) 同4(二)(3)の事実のうち、被告三浦が同3(一)(3)の注意義務を履行していたならば本件第二次手術前の本件穿孔及び汎発性腹膜炎を避けえる高度の蓋然性があったこと、本件第二次手術後に複合臓器不全を招いた原因が本件第二次手術前に発生した汎発性腹膜炎の亢進であること並びに同3(一)(3)の注意義務違反と亡弘死亡の結果との間に事実的因果関係があることは否認し、その余の事実は認める。
(4) 同4(二)(4)の事実のうち、被告三浦が同3(一)(4)の注意義務を履行していれば、本件第二次手術後の限局性腹膜炎の悪化を避けえる高度の蓋然性があったこと、本件第二次手術後に複合臓器不全を招いた原因が本件第二次手術前に発生した汎発性腹膜炎の亢進であること並びに同3(一)(4)の注意義務違反と亡弘死亡の結果との間に事実的因果関係があることは否認し、その余の事実は認める。
(5)ア 同4(二)(5)アの事実のうち、被告三浦が同3(一)(5)アの注意義務を履行していれば、亡弘の腹腔内への細菌の侵入を防止でき、本件第二次手術前に発生した汎発性腹膜炎の残滓である本件第二次手術後の限局性腹膜炎の悪化を避けえる高度の蓋然性があったこと、複合臓器不全を招いた原因が本件第一次手術後に発生した汎発性腹膜炎の亢進であること並びに同3(一)(4)の注意義務違反と亡弘死亡の結果との間に事実的因果関係があることは否認し、その余の事実は認める。
イ 同4(二)(5)イの事実のうち、亡弘の身体が抗癌剤の副作用によって侵襲されたことによって再縫合不全を招いたこと、被告三浦が同3(一)(5)イの注意義務を履行していれば再縫合不全を避けえたこと、複合臓器不全を招いた原因が本件第二次手術前に発生した汎発性腹膜炎の亢進であること並びに同3(一)(5)イの注意義務違反と亡弘死亡の結果との間に事実的因果関係があることは否認し、その余の事実は認める。
ウ 同4(一)(5)ウの事実は否認する。
5 同5の(一)ないし(三)の事実は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一 請求原因1(当事者)について
1 同1(一)の事実のうち、亡弘が昭和五六年六月一九日に死亡したことについては当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告マリが亡弘死亡当時同人の妻であったこと及び原告晶子が亡弘と原告マリの長女であったことが認められる。
2 同1の(二)(被告茂生による半蔵門病院開設・運営)及び(三)(被告三浦が昭和五六年以前から半蔵門病院の被用者として診療業務に従事していたこと)の事実は当事者間に争いがない。
二 同2(亡弘の症状と診療経過)について
1 同2の(一)(既往歴)及び(二)(林医師による診療経過)の事実はいずれも当事者間に争いがない。
2 同2(三)(半蔵門病院への入院、本件第一次手術及び術後管理の経過)の事実について
(一) 同2の(三)(1)の事実は当事者間に争いがない。
(二)(1) 同2(三)(2)の事実のうち、被告三浦が昭和五六年四月二四日に同2(三)(1)の報告内容を参考としつつ亡弘を診療し、問診、視診及び触診により、本件結腸部分に本件腫瘍を発見し、それが亡弘の腸閉塞症状の原因でありこれを放置する限り亡弘の腸閉塞症状が将来再発する危険があり、他方、本件腫瘍が悪性腫瘍である可能性よりも同2(一)の虫垂摘出手術後に発生した炎症性腫瘤である可能性の方が高いがそれが悪性腫瘍である可能性を否定できない旨の診断をしたこと及び亡弘の腸閉塞症状の解除及び再発予防並びに本件腫瘍の本件結腸部分からの切除及びその生検を目的とする開腹手術をする必要があるものと判断して同月二七日に本件第一次手術を施術することを決定したことは当事者間に争いがない。
(2) 以上に対し、同2(三)(2)の事実のうち、被告三浦が亡弘の腸閉塞症状が保存的療法によって、軽快させうる状態であり、必ずしも直ちに本件腫瘍の切除を要するものではないと診断したことについては、これを認めるに足りる証拠がない。
(三)(1) 同2(三)(3)の事実のうち、亡弘が昭和五六年四月二五日ないし二六日の間に症状が軽快して腹満感及び嘔気がなく、食欲が涌いて食物を経口摂取し、糞便が少量あり、入浴するなど体力を回復したこと、同月二七日午後二時ころから同日午後一〇時ころまでの間に被告三浦の執刀により本件第一次手術を受けたこと、同被告の視診及び触診による本件腫瘍の手術時診断がボールマン[6]型ステージ[6]の結腸進行癌であったため本件結腸部分の右半分を含めてその周辺部分を切除・廓清されたこと及び同日以降継続的に動注又は腹腔内注入の方法により抗癌剤であるMMC又は5-FUを投与されたことは、当事者間に争いがない。
(2)ア 同2(三)(3)の事実のうち、亡弘の排便・排ガスが昭和五六年四月二五日ないし二六日の間に良好となったことについては、<証拠>によりこれを認めることができる。
イ 同2(三)(3)の事実のうち、亡弘の腸閉塞症状が昭和五六年四月二七日当時にほぼ消失していたことについても、前示(1)の争いのない事実(亡弘が昭和五六年四月二五日ないし二六日の間に症状が軽快して腹満感及び嘔気がなく、食欲が涌いて食物を経口摂取し糞便が少量あり入浴するなど体力を回復したこと)、前示(2)の事実及び<証拠>によれば、亡弘の右下腹部痛もこの間に徐々に緩和して同月二七日午前七時には訴えなかったことが認められることを総合すれば、これを認めることができる。
ウ 同2(三)(3)の事実のうち、本件腫瘍が癌である疑いがあったことが本件第一次手術決定の不可欠な要素であったことについては、これを認めるに足りる証拠がない(亡弘の腸閉塞症状が保存的療法によって次第に軽快し本件第一次手術当時にはほぼ消失していたことは前示(1)ないし(3)のとおりであるが、他方、<証拠>によれば、虫垂切除に伴い発生した炎症性腫瘍の場合には一時的に症状が軽快しても再度症状が悪化する場合が多く、症状が悪化した場合には手術による根治の機会を逸する恐れがあることが認められ、前記事実から、本件腫瘍が癌である疑いを否定できないことが本件第一次手術決定の不可欠な要素であったことを推認するに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)。
エ 同2(三)(3)の事実のうち、本件腫瘍が癌である疑いがあったことが本件第一次手術決定の要素の一つであったことは、当事者間に争いがない。
(四) 同2(三)(4)(同月三〇日に腸内のガスを排出し、水分・流動食の経口摂取を許可され、同年五月一日に立位のままレントゲン撮影を受けるなど徐々に体力を回復しつつあったこと)の事実については、当事者間に争いがない。
3 同2(四)の(1)(同月二日ころから病状に異変が生じ、同月五日に全身状態が急速に悪化したこと)及び(2)(同日午後九時ころから翌日午前本件第一次手術を受けたこと)の事実については、当事者間に争いがない。
4(一)(1) 同2(五)(1)の事実のうち、亡弘が本件第二次手術後に微熱を発したこと、縫合部付近の腹部ドレーンから昭和五六年五月六日に淡黄色の滲出液が出たこと、同月一〇日に被告三浦から流動食の経口摂取を指示されたものの食欲不振が強かったこと、同月一一日以降には多量の糞便様の滲出物が出るに至ったこと、特に同月一六日以降は吻合部付近においた両側腹部ドレーンから血性膿及び腸内容物の多量の漏出が続き腹壁切開創(正中創)の一部に感染症が及んで吻開したこと、同月二〇日に正中創の多開があり、糞便様の滲出物が多量に排出されたこと及び同月一五日には氷片を、同月一八日には流動食をそれぞれ経口摂取するよう指示されてこれを経口摂取したこと、以上の事実については、当事者間に争いがない。
(2) 同2(五)(1)の事実のうち、<証拠>によれば、同月八日に便臭のある滲出物が出たことが認められる(被告らは、右の滲出物が手術時に使用された洗浄液の残滓であると主張するが、同日に少なくとも二人の看護婦及び亡弘が臭気ないし悪臭を感じたことが認められ、これを採用することはできない。)。
(二) 同2(五)(2)の事実については、当事者間に争いがない。
(三) 同2(五)(3)の事実のうち、亡弘が同月一五日に昏睡状態になったことについては、当事者間に争いがなく、被告らは、亡弘が同月九日ころから時々興奮状態を呈するようになったこと及び同月一三日には食物の摂取を促すために覚醒させようとしても一時的に瞼を開くだけでまもなく眠りに落ちるという状態に至ったことについては、いずれも明らかに争わないのでこれらの事実を自白したものとみなす。
(四)(1) 同2(五)(4)の事実のうち、亡弘が同月一九日午前六時二〇分に重篤な汎発性の急性化膿性腹膜炎を原因とする複合臓器不全によって死亡したことについては、これを認めるに足りる証拠がない。
(2) 同2(五)(4)の事実のうち、亡弘が同月一九日午前六時二〇分に重篤な吻合部の限局性の急性化膿性腹膜炎の合併を原因とする複合臓器不全によって死亡したことについては、当事者間に争いがない。
5 右各事実に、<証拠>を併せて考えれば、次の事実を認めることができる。
(一) 亡弘は、昭和五五年一〇月一八日、急性腹症に罹患して古川橋病院へ入院し、同病院において虫垂炎と診断されて虫垂の切除手術を受け、退院したが、退院一週間後に腹痛により同病院へ再入院し、保存的療法を受け、腹痛等の症状の軽快後に退院した。
(二) しかし、亡弘は、昭和五六年四月二〇日ころには、右(一)の虫垂切除手術に伴い発生した炎症性腫瘤を原因とする機械的腸閉塞による右下腹部の痛み、食欲減退感及び嘔気を感じるとともに便秘状態となり、特に右下腹部の痛みの増強のため、同月二三日、林医師の開設・運営する林内科クリニックにおいて同医師の診察を受けた。
林医師は、これに先立つ昭和五三年三月一六日に亡弘を診察し、同人が半蔵門病院でいわゆる人間ドックを受けた際のデータ及び当日実施した血糖値検査の結果等を根拠に肝炎及び糖尿病と診断したことがあったほか、昭和五五年一〇月下旬に亡弘の姉の依頼により当時古川橋病院に入院していた亡弘を診察し、その右下腹部のしこりと圧痛とを確認したことがあった。林医師は、昭和五六年四月二三日、亡弘に対し、問診、触診、腹部単純レントゲン撮影、血液学検査等の検査を実施し、その結果、右下腹部のしこりと圧痛とを確認するとともに亡弘の腸管に多量なガスの貯留を認めたため、亡弘の右下腹部の痛みが腸管内のガスによるものではないかとの疑いを持ち、まずガスを除去してから再度診察するとの方針を立て、ガスコン及びプリンペランを投与した。しかし、亡弘は、同日午後六時三〇分に三八・五度まで発熱して林医師から抗生物質の追加投与を受けることとなったうえ、翌日(昭和五六年四月二四日)になっても右下腹部の痛みが取れず、睡眠障害をきたすほどであった。林医師は、同月二四日に亡弘を再診したときに、右のとおり前日の腹部単純レントゲン撮影により腸管に多量なガスの貯留が認められたこと、ガスを除去するためガスコン及びプリンペランを投与したにもかかわらず右下腹部の痛みが軽快せず、睡眠障害をきたすほどであったこと、昭和五五年一〇月下旬にも亡弘の右下腹部のしこりと圧痛とを確認しており、そのときから半年経過しているにもかかわらず依然としてしこりと圧痛とが認められること、前日実施した血液学検査の結果貧血状態にあることが認められたこと(白血球が一立方ミリメートル当たり一万〇五〇〇、赤血球が同三八九万〔正常値は同四一〇万〕、ヘモグロビンが一デシリットル当たり九・五グラム〔正常値は同一四グラムであり、昭和五三年当時の同一五・一グラムより低下している。〕、ヘマトクリット三〇・四パーセント〔昭和五三年当時の四四・七パーセントより低下している。〕である。)、以上を根拠に、亡弘の右下腹部のしこりが何らかの病変によるものと判断して大腸癌の疑いを持ちつつ、急性腹症と診断し、早急に入院加療の必要があると考え、当日(昭和五六年四月二四日)午後、半蔵門病院の被告三浦に紹介して亡弘を同病院に入院させた。林医師は、その際被告三浦に対し、亡弘の病状及び検査データを連絡した。
(三) 被告三浦は、同日、林医師の右の報告を参考としつつ亡弘を診察し、問診、視診及び触診により、亡弘の回腸横行結腸(本件結腸部分)に本件腫瘍を発見し、それが亡弘の腸閉塞症状の原因であるものの、保存的療法によって亡弘の腸閉塞症状を軽快させることができ、かつ、本件腫瘍が悪性腫瘍である可能性よりも前記(一)の虫垂摘出手術後に発生した炎症性腫瘤である可能性の方が高く、必ずしも直ちに本件腫瘍の切除手術を要するものではないものと診断したが、他方、本件腫瘍を放置する限り亡弘の腸閉塞症状が将来再発する危険があり、もし再発すると全身状態の悪化により切除手術の機会を逸する危険性があること及び本件腫瘍が悪性腫瘤である疑いを否定できないことから、亡弘の腸閉塞症状の原因の除去及び再発予防並びに本件腫瘍の本件結腸部分からの切除及びその生物学的組織検査を目的とする開腹手術(本件第一次手術)をする必要があるものと判断し、同月二七日にこれを施術することを決定した。
(四) ところで、亡弘は、同月二五日ないし二六日の間に、症状が軽快して腹満感及び嘔気もなく、逆に食欲が沸いて食物を経口摂取し、糞便が少量あって排便・排ガスが良好となり、入浴するなど体力を回復し、同月二七日(手術当日)には亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失した。しかし、被告三浦は、同日午後一〇時までの間、右の亡弘の病状の好転を右(三)の判断を変えるべき事情とは考えず、むしろ全身状態の一時的な回復期こそ本件第一次手術を実施すべき好機であると考えて予定通りに同日午後二時ころから自ら本件第一次手術を執刀した。そして、被告三浦は、開腹後、視診及び触診によって本件腫瘍がボールマン[6]型ステージ[6]の結腸進行癌であると診断したうえ、本件結腸部分の右半分を含めてその周辺部分を切除・廓清した。また、被告三浦は、同日以降同年六月一七日までの間、継続的に動脈注射(以下「動注」という。)又は腹腔内注入の方法により抗癌剤であるマイトマイシンC(以下「MMC」という。)又は5-FUを投与した。そして、亡弘は、同月三〇日、腸内のガスを排出したことから水分・流動食の経口摂取を許可され、同年五月一日に立位のままレントゲン撮影を受けるなど徐々に体力を回復し、本件第一次手術が奏功したかに見受けられた。
(五) ところが、亡弘は、同月二日以降、右季肋痛(疼痛)及び左側腹痛を訴え始め、体温が徐々に上昇し(同月二日には三六・六ないし三八・四度、同月三日には三八・一ないし三八・九度、同月四日には三八・七ないし三八・九度であり、後二日間は座薬挿入後に多少解熱していた。)、脈拍も増加した(同月二日に一分当たり八八回、同月三日及び同五日には同一二〇回を記録している。)など全身状態に異変が生じ、同月五日には鼓腸が増強し、腸内ガスが充満してニボーが認められ、麻痺性腸閉塞の所見を呈するようになるなど急速に全身状態が悪化した。そこで、亡弘は、昭和五六年五月五日午後九時ころ、被告三浦の執刀により再度開腹手術を受けたところ、本件結腸部分の吻合部から約五ミリメートル盲腸側の位置に直径約五ミリメートルの本件穿孔が生じていること並びに腸内容物が本件穿孔から腹腔内に漏出するのに伴い細菌が侵入した結果罹患したと推定される汎発性の急性化膿性腹膜炎(汎発性腹膜炎)及び麻痺性腸閉塞が確認されたため、同月六日午前三時ころまでの間、本件第一次手術の縫合部及び本件穿孔の周辺を切除したうえで右切除部分を再吻合するための被告三浦の執刀による緊急手術(本件第二次手術)を受け、腹部両横に腸内容物・糞便排出用の合計五箇所一〇本のドレーン(腹部ドレーン)を装着された。
そして、亡弘は、本件第二次手術後同月一一日までの間、微熱を発し(三六・五度ないし三七・九度の間で上下していた。)、吻合部付近の腹部ドレーンから昭和五六年五月六日及び七日に淡黄色の滲出液が、同日八日に便臭のある滲出物がそれぞれ出たうえ、同月一〇日には被告三浦から亡弘に排ガスがあったために流動食の経口摂取を指示されたものの食欲不振が依然として強く、しかも、同月一一日以降、多量の糞便臭のある胆汁様の滲出物が出るに至るなど、再度縫合不全による腸内容物の腹腔内への流出が強く疑われる症状となり、同月一二日朝から経口摂取を禁止され、同日に中心静脈栄養(以下「IVH」という。)の輸液による栄養補給を受け始めるなど、感染症を抗生物質の投与、ドレナージ及び右の栄養補給措置によって抑制し、かつ、全身状態の改善を図ることに全力を尽くすべき容体となった。
ところが、被告三浦は、同月一五日には氷片の経口摂取を指示し、同月一六日以降、吻合部付近に置いた両側腹部ドレーンから血性膿及び腸内容物の多量の漏出が続き、かつ、腹壁切開部位である正中創の一部に感染症が及んでこれが吻開し血性膿及び緑色水様物等の流出があったにもかかわらず、同月一八日から流動食の経口摂取の再開を指示し、亡弘をして水分及び流動食の経口摂取を継続させた。そして、亡弘は、同月二〇日、正中創が多開した部位から強度の悪臭を伴う血性膿及び糞便等腸内容物を流出し、同日以降、咳に伴い血痰を吐くようになるとともに突然三九度前後の発熱をする身体状態となり、特に同月二三日から同月末までの間、ほぼ二日に一度の間隔で正午から午後二時ころまで三八度二分ないし四〇度三分の高熱を発し続ける一方、原告マリに「むかむかする。」等といって不快な身体症状を訴え、同年六月九日ころからは、時々興奮状態を呈するようになり、同月一三日には食物の摂取を促すために覚醒させようとしても一時的に瞼を開くだけでまもなく眠りに落ちるという状態に至り、同月一五日には昏睡状態となるなど、抗生物質(セファメジン、パンスポリン、リラシリン及びゲンタシン等)の投与、ドレナージ、IVHによる栄養補給及び同月一八日時の低蛋白状態(一デシリットル当たり総蛋白五・四グラム、同量当たりアルブミン一・二グラム)の新鮮凍結血漿輸血(同月二一日ないし同年六月一七日までの間に合計一三〇単位)による改善・正常値の維持にもかかわらず亡弘の全身状態は次第に悪化し、他の循環器・消化器等の機能が低下して行った。
しかして、亡弘は、同月一九日午前六時二〇分、重篤な感染症(本件第二次手術の際の吻合部付近に遷延・悪化していた限局性の急性化膿性腹膜炎)の合併を原因とする複合臓器不全によって死亡した(なお、被告三浦は、五月一三日から同月二〇日までの間に、右以前のセファメジン五〇グラム、パンスポリン五〇グラム、リラシリン三五グラム及びゲンタシン五六〇ミリグラム等の投与が奏功してか両側腹部ドレーン以外の八本のドレーンからの滲出液が次第に減少・消滅し、各ドレーンの挿入部位の腹膜炎が収束したことから、右の八本のドレーンを順次抜去しており、同日以降遷延・悪化し、亡弘死亡の要因となった症状は、吻合部付近の限局性の急性化膿性腹膜炎であった。)。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 請求原因3(一)(被告三浦の責任)について
1 同3(一)(1)(不要・不急の本件第一次手術の実施)について
(一) 弁論の全趣旨によれば、一般論として被告三浦が外科医として同3(一)(1)アの注意義務を負っていたことを認めることができる。
(二) 同3(一)(1)イの具体的注意義務の有無について
(1) 同3(一)(1)イの前提事実について
ア 被告三浦は、昭和五六年四月二四日、林医師の診療経過報告を参考としつつ亡弘を診察し、問診、視診及び触診により、亡弘の回腸横行結腸(以下「本件結腸部分」という。)に腫瘍(以下「本件腫瘍」という。)を発見したこと、それが亡弘の腸閉塞症状の原因であるが保存的療法によって亡弘の腸閉塞症状を軽快させることができ、かつ、本件腫瘍が悪性腫瘍である可能性よりも前記(一)の虫垂摘出手術後に発生した炎症腫瘤である可能性の方が高く、亡弘の腸閉塞症状が必ずしも直ちに本件腫瘍の切除手術を要する完全腸閉塞症ないし重篤な亜腸閉塞症ではないものと診断したこと、そこで、本件第一次手術前に保存的療法が実施されていたこと、他方、本件腫瘍を放置する限り亡弘の腸閉塞症状が将来再発する危険があり、もし再発すると全身状態の悪化により切除手術の機会を逸する危険性があること及び本件腫瘍が悪性腫瘤である疑いを否定できないことから、亡弘の腸閉塞症状の原因の除去及び再発予防並びに本件腫瘍の本件結腸部分からの切除及びその生物学的組織検査(以下「生検」という。)を目的とする開腹手術(以下「本件第一次手術」という。)を同月二七日に施術することを決定したこと、同月二五ないし二六日の間に亡弘が腹満感及び嘔気を催わさなくなり逆に食欲が沸いて食物を経口摂取し、少量の排便をし、排ガスが良好となり、自力で入浴するなど症状が軽快して体力を回復し、同月二七日(手術当日)には亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失していたこと、被告三浦が右の亡弘の病状の好転を右(三)の判断を変えるべき事情とは考えずにむしろ全身状態の一時的な回復期でありこれこそ本件第一次手術を実施すべき好機であると考えて予定通りに同日午後二時ころから自ら本件第一次手術を執刀したこと、開腹後、視診及び触診によって本件腫瘍がボールマン[6]型ステージ[6]の結腸進行癌であると診断したうえ、本件結腸部分の右半分を含めてその周辺部分を切除・廓清したことは、二5の(三)及び(四)のとおりである。
また、消化管の吻合手術には縫合不全の危険がつきまとうこと、本件切除部分が縫合不全となれば腸内容物が漏出するなどの経路で細菌が腹腔内に侵入して致命的な感染症の合併を招く危険があることは、後記4に詳しく認定するとおりである。
イ 以上に対し、亡弘の腸閉塞症状が従前の保存的療法を継続することによって完全に解除されうることを認めるに足りる証拠はない(本件第一次手術前に実施された保存的療法が奏功して亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失したことは既に認定したとおりであり、<証拠>によれば、本件腫瘍が虫垂切除に伴い発生したものと推定される線維芽細胞の増殖が強い疑肉腫様の慢性炎症性腫瘍であり、その炎症が進行すれば腸の内腔が狭窄して消化物の通過障害ないし腸閉塞が生じる危険があったが、本件第一次手術当時には、本件腫瘍の浸潤が腸の外壁に止まっている状態であったから発熱その他の不定愁訴が持続した可能性はあるとしても右のような致命的な身体症状を惹起するには相当時間を要したであろうことを認めることができるが、他方、<証拠>によれば、虫垂切除に伴い発生した炎症性腫瘍の場合には一時的に症状の軽快があっても再度悪化することが多いことが認められるのであり、この事実に照らして考えるときは右事実を根拠にして原告らの前記主張事実を認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。)。
また、本件腫瘍が悪性腫瘍であるか否かの診断につき保存的療法を一定期間継続して亡弘の腸閉塞症状を緩解させたうえ本件腫瘍の存在と亡弘の腸閉塞症状に伴う本件結腸部分の細胞組織に対する侵襲の影響を相当程度に緩和した後にバリウム注腸造影レントゲン検査又は大腸ファイバースコープ生検等の予備検査を実施することにより代替(本件第一次手術に)できたことについては、これを認めるに足りる証拠がない(亡弘の腸閉塞症状が本件第一次手術前の保存的療法が奏功してほぼ消失していたことは既に認定したとおりであり、<証拠>によれば、下部消化管の腫瘍が悪性腫瘍か否かを診断する方法としてバリウム注腸造影レントゲン検査又は大腸ファイバースコープ生検が有用であることが認められる。しかし、他方、亡弘が昭和五六年四月二〇日から同月二四日までの間に右下腹部激痛を伴う腸閉塞症状にさいなまれていたこと及びその原因が本件腫瘍であることについては当事者間に争いがなく、虫垂切除に伴い発生した炎症性腫瘍の場合には一時的に症状の軽快があっても再度悪化することが多いことは既に認定したとおりであるうえ、<証拠>によれば、右各検査が症状の悪化、腸管内圧の亢進による穿孔及び腹部膨満による苦痛の増強を招く恐れのあることが認められる。そこで、亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失していたこと及び下部消化管の腫瘍が悪性腫瘍か否かの診断に前記各検査が有用であることから、原告主張の前記事実を推認することはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。)。
(2) 本件第一次手術中止義務の有無
右(1)の前提事実を総合すれば、本件第一次手術当時には亡弘の腸閉塞症状がほぼ消失していたのであるから即時に手術を必要とするという意味での本件第一次手術実施の緊急性は認められないものの、近い将来に右の症状が本件腫瘍のために再発・悪化してその根治手術の機会を逸する恐れがあるうえ、仮に本件腫瘍が悪性腫瘍であったとすると致命的な結果を招く疑いがあり、かつ、単なる炎症性腫瘤か悪性腫瘍であるかの他の確定診断法を採用し得ない状況であったのであるから、原告主張のように文字どおりの緊急性を備えていたとは認めえないとしても、亡弘の前記疾患を根治し、その再発・悪化を未然に防止し、併せて本件腫瘍が悪性腫瘍であることによる生命の危険を払拭することが必要、かつ、急務であったことは明らかであって、本件第一次手術には手術による生命・身体の危険を顧みながらもあえてこれを実施すべき準緊急性・必要性があったものと認められる。したがって、被告三浦に本件第一次手術を中止すべき注意義務があったものと認めることはできない。
(三) 同3(一)(1)ウの具体的注意義務の有無について
(1) 同3(一)(1)ウの前提事実について
ア 糖尿病により血糖値が異常に増大している消化管疾患のある患者に対して一部切除・切除部分吻合の手術を実施する場合には、一般患者の場合よりも一層感染症の合併を惹き起こす危険性が高く、かつ、吻合部分が縫合不全となった場合にはその重症度が高まることについては、当事者間に争いがない。
イ しかし、亡弘が糖尿病に罹患していたため本件第一次手術当時に血糖値が異常に増大していたことは、これを認めるに足りる<証拠>がない(<証拠>によれば、亡弘が昭和五三年三月当時に半蔵門病院において診療を受け、同病院に勤務していた内科医小早川某により糖尿病と診断されたこと、昭和五六年四月二四日に半蔵門病院に入院したときに亡弘が糖尿病であることを林医師から口頭で報告されたこと並びに血糖値が一デシリットル当たり二五〇ミリグラム程度までは特別な医療処置を必要としないところ、入院時に血糖値が右数値以下と推定される(二プラス)の尿糖が出たこと及び本件第二次手術後である同年五月六日の血糖値が二五八であったこと、以上の事実が認められる。しかし、他方、<証拠>によれば、証人林及び被告三浦が同年四月二〇日ないし二七日の間に亡弘の血糖値を測定していないことが、<証拠>によれば、亡弘が同年五月六日の本件第二次手術後に一〇パーセントブドウ糖溶液五〇〇ミリリットルを含む高カロリー点滴を受けた後に右の血糖値二五八が測定されていることがそれぞれ認められる。そこで、右各事実を総合すると、亡弘が半蔵門病院入院時に二プラスの尿糖を出し、かつ、同月六日に血糖値二五八が測定されたことから、亡弘が本件第一次手術当時に軽度の糖尿病に罹患していたものと推認する余地があるが、他方、糖尿病に罹患していたために特別な医療措置を配慮すべき程度の糖尿病に罹患し又は血糖値が異常に増大していたことを推認するに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)。
(2) したがって、被告三浦に本件第一次手術を中止すべき注意義務が認められないことは、請求原因3(一)(1)イの場合と同様である。
2 請求原因3(一)(2)(本件第一次手術に際しての血糖値管理の懈怠)について
被告三浦が本件第一次手術の前後を通じて亡弘の血糖値を検査せず、かつ、血糖値の増大を抑制すべき何らの処置もしなかったことについては、当事者間に争いがないが、亡弘が特別な医療措置を配慮すべき程度の糖尿病に罹患し又は本件第一次手術当時に異常な血糖値であったことを認めるに足りる証拠がないことは前記1(三)(1)イのとおりであり、したがって、被告三浦の請求原因3(一)(2)の注意義務違反を認める余地はない。
3 請求原因3(一)(3)(本件第一次手術時の手技の過誤)について
(一) 被告三浦が本件第一次手術当時に不十分な手技によって縫合部周辺に穿孔を生ぜしめるなどして縫合不全となれば、縫合不全部から腸内容物が漏出するのに伴い細菌が腹腔内へ侵入して致命的な感染症の合併の危険が生じることを予見していたこと、開腹手技から閉腹手技までの間に手技終了後に穿孔を生ぜしめることのないように十分な手技を施術すべき注意義務があったこと及び本件穿孔が本件第一次手術後に生じたことについては、いずれも当事者間に争いがない。
(二) そこで、被告三浦が開腹手技から閉腹手技までの間に吻合部周辺に傷をつけ又は強い緊張を加えるなど不十分な手技をしたことが認められるか否かにつき判断を加える。
(1) 手術内容について
前記二で認定した事実に、<証拠>を併せて考えれば、ア 被告三浦が傍直腹筋切開によって開腹すると盲腸部に極めて硬く、しかも、腹壁、腹膜、腹横筋肉、結腸間膜内、回結腸動脈及び右尿管沿いにその浸潤が及んでいるために可動性に欠ける腫瘤(本件腫瘍)を発見してこれを結腸癌と診断したこと、イ 回盲部の上下から剥離を進め、回盲部の腹筋浸潤部位の腹壁の一部については盲腸部がついたままの状態で直径約三センチメートルの範囲を、回腸末端については約三〇センチメートルを、右結腸については全部を、横行結腸については右半分を、尿管周囲の浸潤については二センチメートル×四センチメートルの範囲をそれぞれ切除し、ウ 回結腸動脈及び右結腸動脈の根部からリンパ腺を洗浄し、エ 回腸横行結腸をいずれもアメリカ製非化膿性合成ポリグリコール糸を使用してデクソン無傷針による粘膜筋層吻合と絹糸無傷針による漿膜吻合との二層性側端吻合術を実施したうえ、オ 吻合部の腸管の血行が良好であること及びモスキート鉗子による探索と腸管の用手圧迫による空気漏れの検索を実施して縫合不全のないことを確認し、更に、カ 腹膜炎予防用の太いシリコンドレーン二本を挿入し、キ 最後に腹膜、筋膜及び筋肉をアメリカ製非化膿性合成ナイロン縒糸縫合糸を使用して縫合し閉腹したこと、以上の事実が認められる。
(2) 本件穿孔の発生頻度・部位
前記二、三3(一)及び(二)(1)で認定した事実に、<証拠>を併せて考えれば、吻合部には縫合不全が認められず、本件穿孔が貧血、糖尿病、低蛋白症又は肝疾患等の全身性因子の影響を受けたため発生したものではなく、その主因が局所性のものであること、吻合部から約五ミリメートル盲腸側に離れた部位に直径約五ミリメートルの本件穿孔を合併すること自体極めて稀で同種事例の報告がいまだになされていないこと、被告三浦が本件第一次手術時に本件腫瘍を悪性腫瘍であると診断した上で回腸約三〇センチメートルを、結腸側については横行結腸右半まで、それぞれ切除していること、本件結腸部分付近の腸管全体としては顕著な病変がなかったこと、右切除後吻合部周辺には局所的な血行不良がなかったこと、以上の事実が認められ<る>。<証拠判断省略>しかして、以上の事実に基づいて考えると、回腸側及び結腸側の切除断端の腸管並びに本件穿孔部の腸管が本件腫瘍による浸潤又は腸閉塞症による侵襲の影響を受けていない正常組織であるにもかかわらず、被告三浦の本件第一次手術時の何らかの手技上の過誤によりこれを損傷して本件穿孔が生じたものであること、以上のとおり推認することができるのであって、医学的にはその主因を厳密な意味で明確に特定することが不能であり、それが原因不明の事後的な限局性循環障害である可能性を完全には否定することができないとしても、訴訟上の証明の程度までには右推認を裏付ける蓋然性を肯定することができるものといわなければならない。<証拠判断省略>。
(三) 前記認定の本件の診療の経過、殊に被告三浦が本件第二次手術の際に本件穿孔の存在を発見してそれなりの措置を執っている事実(右措置自体に問題があることは後述するとおりである。)に照らして考えると、被告三浦に本件第一次手術時の手技上の過誤が存したとはいえ、同被告が本件穿孔の存在自体を看過し、あるいはこれを認識しながら放置したわけではなく、右過誤のみで直ちに同被告が本訴請求に係る損害賠償責任を負うものということはできない。しかし、被告三浦は、右のとおり本件第一次手術時の手技上の過誤により本件穿孔を発生させたものであるから、以後亡弘に対する診療行為を行うに当たっては、自らの過誤により危険な状態を生じさせてしまったことに十分留意し、右穿孔に起因する腹膜炎の悪化を防止する措置を執るなどして慎重にその最善の治療に努める義務を負ったものというべきである。
4 術後縫合不全について
<証拠>を併せて考えれば、次のとおりに認めることができる。
一般に、開腹手術の場合の術後の感染症は、手術操作と密接に関連して手術野に生じる腹壁手術創感染、縫合不全による腹膜炎・腹腔内膿瘍、術後胆道感染などと、手術野以外に生じる肺炎、尿路感染、耳下腺炎、菌血症などとに大別される。これらの感染症の中で重篤な病態に移行しやすい危険の最も高いのは術後縫合不全である。
術後縫合不全の原因としては、縫合技術・縫合材料をはじめとした手術手技の面での問題点も当然考えられ、この面での向上が必要なことはいうまでもない。しかし、手術手技が水準以上であっても、これのみで術後縫合不全の発生を完全に防止することはできない。消化管切除の手術後は、一般的に、好中球・遊走細胞の食作用、オプソニン活性など体液性並びに細胞性免疫がいずれも低下し、感染に対する防御能が弱くなる。手術侵襲に伴いこのような生体防御能低下により感染に対する抵抗力が弱まるうえ、特にもともと悪性疾患のため消化管切除の手術を受けた患者については、しばしば術前から低栄養、貧血、高齢、重要臓器予備能低下という状態にある。このような状態にある患者が感染したときは、抗生剤の威力のみでは十分制御できず、本来は病原性がないか、あっても極めて弱毒性の細菌で難治性の感染を生じる。最近の外科的感染症の起因菌はグラム陰性菌が著しく優位に立つのが特徴である。感染した場合において、もし早期に制御されていないときは、感染の影響が全身に及び、細菌やそのエンドトキシンが血中に入って敗血症を合併し、ショック、代謝障害、諸器官の機能不全などいろいろな問題を派生させるに至る。これは開腹術後多臓器障害と呼ばれ、治療に最も難渋する。開腹術後多臓器障害は症例としては癌に対する拡大手術や急性腹症の救急手術後に発生することが多い。開腹術後多臓器障害の背景因子は敗血症に限らずショック等もあるが、症例としては敗血症が目立つ。エンドトキシンは、細菌性ショックの重要な誘発因子であるばかりでなく、その細胞毒性、血管壁、因子活性化、末梢循環不全などで心、腎、肝、肺などの諸器官の細胞活性や機能を障害したり、消化器粘膜に急性潰瘍を発生させることが指摘されている。
術後縫合不全に対する対策としては、化学療法が著しく発達・普及した今日においては、むしろ手術侵襲により低下する生体防御能をいかに強化するかに重点がある。そこで、手術前後の一般栄養状態の改善が生体防御能の面から重要な意味を持つことになる。昭和四八年(一九七三年)以降普及するに至った高カロリー輸液療法や従量式人工呼吸器は縫合不全の治療に転機をもたらしたとされる。待期手術例の場合、縫合不全を起こすおそれがある一般状態の悪い患者に対してはあらかじめ三週間程度にわたってIVHを行って体重を三ないし四キログラム増加させ、成分輸血等で血漿蛋白も正常値以上にもっていった状態で根治手術を行うようにする等の措置が試みられている。前述の術後オプソニン活性の低下については凍結血漿の大量投与で明らかに軽減できることが実際の臨床例で確認されている。殊に開腹術後多臓器障害の治療は、背景因子の除去、特に敗血症を速やかに制御することが不可欠で、そのために膿瘍の有効なドレナージ、適切な化学療法とその補助療法、特に生体の栄養状態を改善し、非特異的な免疫能や防御能を高めるための新鮮血漿やグロブリン製剤投与などを積極的に行うこと、エンドトキシンの細胞障害作用はインドメサシンやステロイドなどで遮断を試み、細胞内皮系賦活、消化管出血防止などの措置を執ることが説かれている。開腹術後多臓器障害の発生を予防することこそ、難治性のこの病態に対する最も有効な対策であるとされる。
縫合不全の発生に栄養状態の良否が極めて重要な因子であるとはいっても、手術後に直ちに経口摂取を開始することを意味するわけではない。縫合部のドレナージと高カロ梶[栄養法の開発によって救命できる可能性が大になったことは、直ちに経口摂取を開始することができない患者に対してIVH等により高カロリーを供給することができるようになったことを示している。IVHは消化液の分泌を刺激しない優れた栄養法である。その裏として消化液の分泌を刺激する経口摂取の危険性も浮き彫りにされており、本件のように結腸吻合術その他の消化管切除の手術を行った場合には、経口摂取の開始にはあらかじめ安全性を吟味しておくことが不可欠である。すなわち、まず、結腸吻合術その他の消化管切除の手術を行った後に経口摂取を開始するには、あらかじめ縫合不全のないことの確認が必要である。縫合不全が生じているのに経口摂取を行うと、各種消化液が胃腸内に分泌されるために経口摂取を中止している場合に比較して飛躍的に腸内容物が増加し、したがって、再縫合部から漏出する腸内容物の量も増加し、その一部がドレーンからではなく腹腔内に流出・貯溜する恐れが大きくなり、引き続き細菌感染が起こるので腹膜炎が必至であるからである。そこで、右の場合において縫合不全の疑われるときには、経口摂取開始以前に造影剤(ガストログラフィン)を経口的に与え、X線造影による透視によって腸管内から腸管外への造影剤の漏出の有無、漏出のあるときは腸管外の膿瘍腔(造影剤のたまり)の大きさと拡がりなどを調べ、縫合不全のないことを確認する必要がある。縫合不全の存在が確認されればさらに絶食を続ける。次に、縫合不全の確認後に経口摂取を開始するときは、特に慎重な検討・吟味が必要である。すなわち、縫合不全部から体外までの経路が完全な腸瘻となり(腸瘻化)、縫合不全部から腸管外に出た腸内容が縫合不全部周辺に貯留することなく体外に排出されることを確認することを要する。仮に縫合不全部周辺に腸内容が貯留する腔があれば完全な腸瘻化とはいえず、限局性腹膜炎(膿瘍)の遺残があり化膿巣の持続を示していることになるから、経口摂取の開始を避ける必要がある。右腸瘻化の確認には、造影剤(ガストログラフィン)を経口投与するか又はドレーンから注入し、縫合不全部の大きさ、周囲の膿瘍腔の存在とその大きさ、縫合不全部から肛門側腸管への造影剤の進入状態などを検索するという検査方法で行う。右検査の結果、造影剤のたまりがほとんどなく、膿瘍腔がほとんど認められないときは腸瘻化していると判断して経口摂取を開始する。昭和五〇年代初めころまでは、腹痛、発熱、脈拍変化、ショックの発生、電解質異常、血液「ガス」の変化等のほか、ドレナージからの排液か色素剤を注入し、ドレーンの着色によって診断する方法がとられてきた。しかし、その後は右ガストログラフィンによる消化管透視撮影によってより正確に縫合不全の部位、大きさ等が診断できるようになり、この検査方法が普及した。
腸吻合部の縫合不全を発生した場合、再切除を行い、十分健康な部位で再吻合をあらゆる注意の下に行ったとしても、再び縫合不全になることが少なくなく、むしろ吻合を行わないで腸瘻造設を行なった結果救命できた症例がより多数であることが報告されている。
5 請求原因3(一)(4)(本件第二次手術方法の選択の過誤)について
(一) 請求原因3(一)(4)ア(人工肛門又は腸瘻を増設するべき注意義務)の違反の有無について
(1) 前提事実について
ア 請求原因3(一)(4)アの事実のうち、亡弘が本件第二次手術当時に本件穿孔を原因とする汎発性腹膜炎及び麻痺性腸閉塞に罹患していたために著しく衰弱していたこと、本件穿孔の周囲の腸管に粘膜の浮腫、充血及び軟弱化などの顕著な局所的病変があったこと、被告三浦が右の各事実を認識していたことは、当事者間に争いがない。
イ 次に、<証拠>によれば、請求原因3(一)(4)アの事実のうち、汎発性腹膜炎(急性化膿性)の影響下にある消化管の縫合不全部を再切除、再吻合した場合には再縫合不全を惹き起こす高度の蓋然性があり、再切除・再吻合せずに腸瘻を増設し、かつ、有効なドレナージをすることが最も安全であることが消化器外科の一般的知見であること及び被告三浦が右知見のうち、少なくとも再縫合不全の高度の蓋然性について認識していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(なお、被告三浦の供述には、「再切除・再吻合した場合には再縫合不全を惹き起こす高度の蓋然性があることは消化器外科の一般的知見ではなく、自ら再切除・再吻合手術を実施して救命した経験が多数ある。」旨の供述部分があるが、他方、同被告には「縫合不全を経験したのは数例であり、そのうち三名の患者が死亡した。」旨の、前記供述部分と矛盾し、むしろ同被告が再縫合不全の高度の蓋然性について認識していたことを認めるに足りる供述部分があるなど、同被告の再縫合手術成功例に関する供述は一貫せず曖昧であるからこれを採用することはできず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。)。
(2) 前記注意義務の有無
右(1)の認定事実を前提とすると、被告三浦には、請求原因3(一)(4)アの注意義務があったものと認めることができる(以上に対し、亡弘の縫合不全部付近の腸管全体としては顕著な病変がなかったことについては当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件第一次手術後に軟弱化して壊死状態となった縫合不全部を放置すると本件結腸部分の壊死範囲が更に拡大悪化する危険があること、腸瘻を増設しても本件穿孔が完全に自然閉鎖する保障がなく腸内容物の漏出が続いて汎発性腹膜炎の悪化に発展する危険性があること及び仮に腸瘻が形成されて症状が軽快してもその後に腸瘻閉鎖目的の第三次手術を必要とすること、以上の事実が認められる。しかし、まず、急性化膿性腹膜炎の影響下で著しく全身状態が低下している消化器疾患の患者が再縫合不全を惹き起こす高度の蓋然性があることは既に認定したとおりであり、第三次手術は亡弘の回復をまって実施すべきものと考えられるから、後日に第三次手術をする必要のあることが再切除・再吻合手術の相当性を基礎付けるものではないと考えられる。次に、被告は、縫合不全部を放置すると縫合不全部の壊死範囲が拡大悪化するから再切除・再吻合手術をしないことが不相当であると主張するが、原告主張の注意義務の内容は、縫合不全部を徒に放置するというものではなく、大量の細菌を含む腸内容物を腹腔内に拡散させることなく腸管から直接体外に排出する機能を有する腸瘻の増設、万一縫合不全部から腹腔内に腸内容物が漏れた場合にこれを体外に排出する上で有用なドレナージ及び抗生物質の効果的な投与の重用を前提とするものであるから、再切除・再吻合をしないからといって縫合不全部の壊死範囲が拡大悪化する危険があるとの被告主張は当を得ないものといわざるをえない。更に、再縫合とドレナージとを併用した後再縫合不全となった場合よりも、腸瘻の増設とドレナージにより縫合不全部の自然閉鎖をまった方が細菌の腹腔内への拡散の危険が低く、より安全な術式であることは既に認定したとおりであって、縫合不全部の自然閉鎖の保障がないことを理由として再切除・再吻合手術の相当性を基礎付けることはできない。被告三浦が本件第一次手術時の手技上の過誤により本件穿孔を発生させたものであり、以後亡弘に対する診療行為を行うに当たって、自らの過誤により危険な状態を生じさせてしまったことに十分留意し、右穿孔に起因する腹膜炎の悪化を防止する措置を執るなどして慎重にその最善の治療に努める義務を負ったものであることは既に述べたとおりであり、前記の事実を根拠にして、被告三浦が医師に許された裁量権の範囲内の相当な処置として再切除・再縫合手術を選択したものということはできず、前記注意義務を負っていた旨の認定を覆すに足りず、他に右認定を覆すに足りる証拠は無い。)。
(3) ところで、被告三浦が再切除・再吻合手術をしたことについては当事者間に争いがないから、被告三浦は、前記注意義務の違反に基づく損害賠償責任を免れない。
(二) 請求原因3(一)(4)イ(病変の影響を回避するために可能な限り広範に腸管を切除すべき義務)について
(1) 本件穿孔付近の腸管には種々の顕著な病変があったこと及びそれには相当程度の長さの余裕があったことは、当事者間に争いがない。
(2) 右(1)の争いのない事実及び<証拠>によれば、病変の影響を回避するために可能な限り広範に腸管を切除すべきことは明らかである(被告らは、被告三浦が両端につき新鮮な細胞組織であることを確認していたからあえて腸管を広範に切除する必要はなかった旨主張するもののようであり、右主張に副う被告三浦の供述部分があるが、他方、弁論の全趣旨によれば、本件穿孔付近が「ぐにゃぐにゃに」軟弱化していたことが認められ、可視的・顕著な病変が広範囲に及んでいたか否かは別として不可視的な病変の影響を全く考慮する必要がなく腸管の切除範囲を広範囲にする義務はなかったとは考えられず、被告の右主張は採用できない。)。
(3) しかるに、<証拠>によれば、被告三浦が本件穿孔の空腸側及び結腸側をそれぞれ約二センチメートルずつ再切除しただけで再吻合したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(被告らは、鑑定人坂部孝が本件第二次手術の術式及び再切除範囲を誤認しているかのように主張するが、本件第二次手術が本件第一次手術の二層性側端吻合術とは異なり端々吻合術によることは右各証拠により明らかであり、被告らの右主張の真意を図りかね、到底これを採用することはできない。)。
6 請求原因3(一)(5)(本件第二次手術後の不適切な患者管理)について
(一) 請求原因3(一)(5)ア(再縫合不全の疑いによる飲食物の経口摂取禁止義務の違反)について
(1) 前提事実について
亡弘は、本件第二次手術後、微熱を発したこと、手術直後の昭和五六年五月六日及び同月七日に吻合部付近の腹部ドレーンから淡黄色の滲出液が出たこと、さらに、手術から二日後の同月八日には右ドレーンから便臭のある滲出物が出ており、これより以前のドレーンの排液が腸内容物ではないとしても、同月八日の右ドレーンからの便臭のある滲出物は腸内容物である可能性が高いこと、しかるに、被告三浦は右滲出物が本件第二次手術後に残留していた腹膜炎の際の分泌物ないし本件第二次手術の際の洗浄液にすぎないものと考え、同月一〇日に亡弘に排ガスがあったことを根拠に、亡弘の全身状態も良いものと診て、経口摂取を早期に再開することにより長い間の脱水状態、栄養障害及び低蛋白状態を回復することを企図し、流動食の経口摂取を指示したこと、しかし、翌日である同月一一日に亡弘の食欲不振が強く、腹部ドレーンからは多量の糞便臭のある胆汁様の滲出物が出るに至ったこと、これらの所見から被告三浦は縫合不全を疑い、同月一一日中に翌日からの経口摂取の一時中止を、翌日IVHの輸液による栄養補給を指示するなど、亡弘の感染症を抗生物質の投与、ドレナージ及び右の栄養補給措置によって抑制し、かつ、全身状態の改善を図ることに全力を尽くすべき容体となったこと、しかるに被告三浦が同月一五日に氷片の経口摂取を指示したこと、同一六日以降に吻合部付近に置いた二本のドレーンから血性膿及び腸内容物の多量の漏出が続き、かつ、腹壁切開部位である正中創の一部に感染症が及んでこれが吻開し緑色水様物等の流出があったこと、それにもかかわらず被告三浦が同月一八日から流動食の経口摂取を再度指示して亡弘にこれを継続させたこと、亡弘が同月二〇日に正中創が多開した部位から強度の悪臭を伴う血性膿及び糞便等腸内容物を流出したこと、同日以降に咳に伴い血痰を吐くようになるとともに三九度前後の発熱をする身体状態となり、特に同月二三日から同月末までの間、ほぼ二日に一度の間隔で正午から午後二時ころまで三八度二分ないし四〇度三分の高熱を発し続けるとともに原告マリに「むかむかする。」等といって不快な身体症状を訴えたこと、以上の事実が認められることは前記二5のとおりである。
右の事実に、<証拠>を併せて考えれば、被告三浦は、亡弘の腹部を触診し、第二次手術後に装着したシリコンドレーン一〇本のうちの右横隔膜下、左横隔膜下、左側腹部及び右ダグラス窩の各二本のドレーンから腸の内容物が出てこなくなり、これらのドレーンを次第に抜去できるような状況になったことから、汎発性腹膜炎が治癒しつつあり、その拡大の心配がなくなったものと判断し、右汎発性腹膜炎の所見が軽快したことを理由に、栄養状態を改善することを目的として経口摂取を開始することとしたこと、右経口摂取開始の判断に際し、吻合部のドレーンからは排泄が続いていたこと、しかし、被告三浦は、右排泄についても、腸瘻化に近い糞瘻となったものと考え、縫合不全部から腸管外に出た腸内容がおおむね縫合不全部周辺に貯留することなく順調に体外に排出されていくであろうと期待できるものと判断したこと、経口摂取再開後、吻合部のドレーンから糞便様・膿様のものが排泄されていたこと、以上の事実が認められ<る>。
(2) 同3(一)(5)アの注意義務(再縫合不全の疑いによる経口摂取禁止義務)違反について
ア 経口摂取を継続すれば各種消化液が胃腸内に分泌されるために経口摂取を中止している場合に比較して飛躍的に腸内容物が増加し、したがって、再縫合不全部から漏出する腸内容物の量が増加し、その一部がドレーンにではなく腹腔内に流出・貯留する恐れが大きいこと、そこで、縫合不全の確認後に経口摂取を開始するときは、縫合不全部から体外までの経路が完全な腸瘻となり(腸瘻化)、縫合不全部から腸管外に出た腸内容が縫合不全部周辺に貯留することなく体外に排出されることを確認することを要すること、右確認の際に注意すべき点としては、腸瘻化の外観を呈しているときでも、仮に縫合不全部周辺に腸内容が貯留する腔があれば完全な腸瘻化とはいえず、限局性腹膜炎(膿瘍)の遺残があり化膿巣の持続を示していることになるから、経口摂取の開始を禁止する必要があること、右腸瘻化の確認には、造影剤(ガストログラフィン)を経口投与するか又はドレーンから注入し、縫合不全部の大きさ、周囲の膿瘍腔の存在とその大きさ、縫合不全部から肛門側腸管への造影剤の進入状態などを検索するという検査方法で行うこと、右検査の結果、造影剤のたまりがほとんどなく、膿瘍腔がほとんど認められないときは腸瘻化していると判断して経口摂取を開始することとなること、昭和五〇年代の初めころまでは、腹痛、発熱、脈拍変化、ショックの発生、電解質異常、血液「ガス」の変化等の外、ドレナージからの排液か色素剤を注入し、ドレーンの着色によって診断する方法がとられてきたこと、しかし、その後は右ガストログラフィンによる消化管透視撮影によってより正確に縫合不全の部位、大きさ等が診断できるようになり、この検査方法が普及したこと、以上のとおり認めることができることは前記4のとおりである。そこで、縫合不全の確認後に経口摂取を開始するときは、縫合不全部から体外までの経路が完全な腸瘻となり、縫合不全部から腸管外に出た腸内容が縫合不全部周辺に貯留することなく体外に排出されること(完全な腸瘻化)を確認することを要するのであり、右確認の際には、腸瘻化の外観を呈しているときであっても、縫合不全部周辺に腸内容が貯留する腔があるか否かに殊に注意し、貯溜腔の存在が疑われるときには経口摂取を禁止すべき義務がある。
ところで、被告三浦が昭和五六年五月一一日中に縫合不全の疑いに基づき翌日からの経口摂取の一時中止を、翌日IVHの輸液による栄養補給をそれぞれ指示するなど、亡弘の感染症を抗生物質の投与、ドレナージ及び右の栄養補給措置によって抑制し、かつ、全身状態の改善を図ることに全力を尽くすべき状況となったこと、同月一二日ないし同月一四日までの間は経口摂取を中止していたのに一六日以降も吻合部付近に置いた二本のドレーンから血性膿及び腸内容物の多量の漏出が続き、かつ、同日に腹壁切開部位である正中創の一部に感染症が及んでこれが吻開し緑色水様物等の流出があったこと、同月二〇日に正中創が多開した部位から強度の悪臭を伴う血性膿及び糞便等腸内容物が流出したこと、他方、被告三浦が同月一二日以降も抗生物質の投与、IVHの輸液及びドレナージを継続していること、以上の事実が認められることは前記6(一)(1)のとおりであり、以上の事実に基づいて考えると、吻合部に生じた縫合不全部から流出した腸内容物に対してドレナージが十分に機能していないことはもとより、縫合不全部の付近の限局性腹膜炎が改善せずむしろ悪化しつつあること及びその原因として吻合部付近に腸内容物の貯溜腔が形成されているものと考えられること、以上のとおり推認することができ<る>。
しかして、被告三浦は、同月一六日以降、吻合部付近に腸内容物の貯溜腔が形成されていることを疑うべき状況にあったのであり、右状況下においては経口摂取を禁止すべき注意義務があったというべきである。
なお、請求原因3(一)(5)アの事実のうち、本件第二次手術前に罹患した汎発性腹膜炎が同月一五日以降悪化したことを認めるに足りる証拠はない。亡弘が本件第二次手術当時に汎発性腹膜炎であったことは当事者間に争いがないが、他方、再吻合部付近の二本のドレーンを除く八本のドレーンからの滲出液が徐々に減少したために順次抜去されるなど汎発性腹膜炎の所見が消失して行ったことは前記6(一)(1)のとおりであることから、亡弘が本件第二次手術当時に汎発性腹膜炎であったことを根拠にして亡弘の汎発性腹膜炎が昭和五六年五月一五日以降悪化したことを推認するに足りない。
以上に対し、被告らは、「被告三浦が同月一八日に経口摂取の再開を指示し、本件第二次手術後に挿入した吻合部ドレーン以外のドレーン八本を順次抜去したのは、ア 本件のような下部消化管の縫合不全の場合には抗生物質の投与・ドレナージが有効に働いている限り積極的に経口摂取を進めて栄養状態の改善を図り腸瘻及び糞瘻の自然閉鎖を促進させることが適切な治療方法の一つであるところ、イ 同月一三日から同月二〇日までの間に右の八本のドレーンからの滲出液が次第に減少して汎発性腹膜炎の所見も認められなくなり、限局性腹膜炎のみが残る状態となって、右以前の抗生物質〔セファメジン五〇グラム、パンスポリン五〇グラム、リラシリン三五グラム及びゲンタシン五六〇ミリグラム〕の投与及びIVHの輸液による栄養補給並びにドレナージによる腹腔内への細菌の進入・拡散の予防が功を奏しつつあることが確認されたためである。ウ また、被告三浦は、同月二一日から新鮮凍結血漿の輸血を開始して蛋白質の正常値の回復・維持に努めていた。エ しかるに、限局性腹膜炎が悪化して複合臓器不全を招いたのは、全身因子としての糖尿病、低蛋白、肝疾患及び貧血並びに局所因子としての吻合部の血行障害、感染及び炎症などが生じ、これらが複雑に競合したためではないかと推測され、被告三浦において右結果を予見してこれを回避することはできなかったものである」旨主張する。
しかしながら、右アのような種々の危険を顧みずに行われる積極医療の在り方が消化器外科一般に承認されているとは考えられないうえ、被告三浦が本件第一次手術時の手技上の過誤により本件穿孔を発生させたものであり、以後亡弘に対する診療行為を行うに当たっては、自らの過誤により危険な状態を生じさせてしまったことに十分留意し、右穿孔に起因する腹膜炎の悪化を防止する措置を執るなどして慎重にその最善の治療に努める義務を負ったことは既に述べたとおりである。しかして、本件ではドレナージが十分に働いていなかったこと、吻合部の二本のドレーン及び正中創からは依然として腸内容物の他血性膿が流出し続けていて限局性腹膜炎が治癒する兆しがなく、むしろこれが悪化しつつあり、腸内容物の貯溜腔の形成を疑うべきであることは前記のとおりであること、右の状態が続く場合には多臓器不全へ発展する危険性が大きいことは前記4のとおりであること、仮にエの諸因子が存在するとすれば、一般患者にもまして経口摂取を控えて新鮮凍結血漿の輸血により蛋白質の補給を、IVHの輸液によりその他の栄養補給を継続する治療方針を採るべきものと考えられること、以上の各点に照らして考えるときは、被告らの主張は採用できず、他に前記注意義務の存在を否定するに足りる証拠はない。
ウ ところが、被告三浦は、亡弘の腹部を触診したほか、第二次手術後に装着したシリコンドレーン一〇本のうち、右横隔膜下、左横隔膜下、左側腹部及び右ダグラス窩の各二本のドレーンから腸内容物が出てこなくなったことから汎発性腹膜炎が治癒しつつあり、その拡大の心配がなくなったものと判断し、右汎発性腹膜炎の所見が軽快したことを根拠に、吻合部のドレーンからの排泄についても腸瘻化に近い糞瘻となったものと考え、縫合不全部から腸管外に出た腸内容がおおむね縫合不全部周辺に貯留することなく体外に排出されていくであろうと期待できるものと判断したのであって、造影剤(ガストログラフィン)の経口投与又はドレーンからの注入により、縫合不全部の大きさ、周囲の膿瘍腔の存在とその大きさ、縫合不全部から肛門側腸管への造影剤の進入状態などを検索する検査を行なわず、ドレナージからの排液か色素剤を注入し、ドレーンの着色によって診断する方法による検査すら行なわなかったことが明らかであるから、被告三浦の右判断は、必要な検査を行わず、合理的な根拠がないのにかかわらず、縫合不全部から腸管外に出た腸内容が縫合不全部周辺に貯留することなく体外に排出されていくものと速断したものというほかない。
そして、被告三浦は、亡弘をして昭和五六年五月一五日にまず氷片の、同月一八日以降流動食及び水分の経口摂取を指示・継続させたことは前記(1)のとおりであるから、請求原因3(一)(5)アの注意義務(再縫合不全の疑いによる経口摂取禁止義務)違反に基づく損害賠償責任を免れない。
(二) 請求原因3(一)(5)イ(誤診による抗癌剤投与中止の遅滞)について
(1) 抗癌剤が細胞組織の癒合を阻害して創傷治癒を遅らせることを被告三浦が認識していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件腫瘍が悪性腫瘍ではなかったことが認められる。
(2) しかしながら、右(1)の事実から、遅くとも昭和五六年四月末には本件腫瘍が悪性腫瘍ではない旨の検査結果を得て直ちに抗癌剤の投与を中止すべき注意義務(同3(一)(5)イ)があったものと認めることはできない(下部消化管の腫瘍が悪性か否かの判断が困難であることは前示1のとおりであり、被告三浦が仮に検査に長時間を要するとしても信頼できる検査機関に生検を依頼することが不相当であるとは考えられないところ、<証拠>によれば、被告三浦が信頼できる検査機関として選択していた東京大学法医学教室の検査業務が相当程度に渋滞しており、同月末から亡弘死亡までに検査結果の回答を得ることは不可能であったことが認められること、<証拠>によれば、MMCには抗菌活性が認められること及び相当量の抗癌剤の投与によって創傷癒合が初めて害されることが認められるところ、被告三浦が継続的に投与していたのは一日にMMCを二ミリグラムと5-FU二五〇ミリグラムであったことが認められ、創傷癒合を害する程度に至っていたとは考えられないこと、以上の事実から、同3(一)(5)イの注意義務があったものとは認められず、他に右の注意義務を認めるに足りる証拠はない。)。
(3) したがって、被告三浦は、同3(一)(5)イの注意義務の違反に基づく損害賠償責任を負わない。
6 同3(二)(被告茂生の責任)について
(一) 同3(二)の事実のうち、被告三浦が亡弘を診察し本件第一次及び本件第二次手術の執刀並びに両手術後の患者管理をした医師であり、この間、被告茂生が開設・運営している半蔵門病院の被用者であったことは、当事者間に争いがない。
(二) 同3(二)の事実のうち、被告三浦が同3(一)の(3)ないし(5)アの注意義務に違反したことは、前示3ないし5のとおりである。
(三) したがって、被告茂生は、被告三浦の使用者としての損害賠償責任を免れない。
四 請求原因4(因果関係)について
二及び三で認定した事実に、<証拠>を併せて考えれば、本件第一次手術後に本件穿孔が発生しなければ腸内容物の漏出に伴う細菌の腹腔内への侵入による汎発性腹膜炎及び麻痺性腸閉塞が惹き起こされることはなく、腹膜炎及び麻痺性腸閉塞の影響下にある腸管について小範囲での再切除・再吻合術を実施すると再縫合不全を惹き起こす蓋然性が高いこと、再縫合不全があれば腸内容物が再度流出しドレナージのみによりこれを体外に排出して再吻合部の限局性腹膜炎の継続・悪化を抑制することができなくなる危険性が高いこと、縫合不全発生下で経口摂取を継続すれば腸内容物が飛躍的に増加するために縫合不全部からの腸内容物の流出に伴う細菌の腹腔内へ侵入も著しく増加してドレナージではこれを体外に排出できなくなるとともに縫合不全部周辺に腸内容物の貯溜腔が形成されて限局性腹膜炎が悪化する蓋然性が増大すること及び限局性腹膜炎が悪化すると循環器等を媒介として細菌感染が多臓器に拡大し多臓器不全に発展して救命できなくなる蓋然性が高いこと、以上の事実が認められるにもかかわらず、被告三浦が本件第一次手術時に手技上の過誤により本件穿孔を生ぜしめ、本件第二次手術として結腸側及び空腸側を各々二センチメートルずつのみ再切除したうえ再吻合し、かつ、昭和五六年五月一五日以降水分ないし流動食の経口摂取を継続したために吻合部周辺の腹膜炎を遅くとも同年五月五日以降亡弘死亡までの間に維持ないし悪化させ続けたこと及び亡弘が多臓器不全により死亡したことが認められ、以上の事実に基づいて考えると、被告三浦の前記三3ないし5(一)の注意義務違反と亡弘が多臓器不全を原因として死亡したことの間には相当因果関係があるものと推認することができ、他に右推認を動揺させるに足りる証拠はない。
五 請求原因5(損害)について
1 逸失利益 八〇五四万一八六三円
前記二で認定した事実と、<証拠>によれば、亡弘は、半蔵門病院で死亡した当時(昭和五六年六月一九日)に三四才(昭和二一年七月三一日生)であったこと、その前年にはオ・エス毛皮株式会社及び有限会社草加毛皮の取締役としてそれぞれ三四四万一〇〇〇円及び四三〇万二二〇〇円、合計七七四万三二〇〇円の給与所得を得ていたこと並びに亡弘が右当時に死亡しなければ少なくとも六七才までの残り三三年間は就労可能であったことが認められ、また、若くして二つの会社の取締役に就任し右の給与所得を得ていた経営者としての労働能力からすれば、右の就労可能期間を通じて毎年右の給与所得額以上の収入が得られたことを推認することができる。そこで、右の給与所得額を基礎とし、三五パーセントの生活費控除をしたうえ、ライプニッツ式により(新ホフマン式は採用しない。)年五分の割合による中間利息を控除するために残存就労可能年数三三年に適用されるライプニッツ係数一六・〇〇二五を乗じて、同人の死亡による逸失利益の現価を算定すると、右現価額は、八〇五四万一八六二円(円未満切捨て)となる。
2 慰謝料
亡弘の死亡によって親子三人の幸福で経済的にも恵まれた家庭が奪われたこと及び三で認定した被告三浦の過失の競合、その他一切の事情を併せて考えると、原告各自が受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、それぞれ一〇〇〇万円と認めるのが相当である。
3 弁護士費用
本件訴訟の難易度、認容額その他の事情を考慮すると、原告各自が負担すべき弁護士費用のうち、本件との間に相当因果関係があり、被告らに請求することのできる金額は、原告各自についてそれぞれ四四九万七五〇〇円ずつと認めるのが相当である。
六 以上によれば、原告らの本訴請求は、各原告が被告らに対し連帯してそれぞれ五四七六万八四三一円及びこれに対する不法行為以後の日である昭和五八年八月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、原告らの被告らに対するその余の請求はいずれも理由がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高世三郎 裁判官 日下部克通 裁判長裁判官 平手勇治は、差し支えのため署名捺印することができない。裁判官 高世三郎)