東京地方裁判所 昭和57年(刑わ)3600号 判決 1987年5月20日
判決目次
前文<省略>
主文
理由
(認定した事実)
第一被告人両名の身上、経歴等
一被告人横井英樹の身上、経歴
二被告人幡野政男の身上、経歴
第二ホテル・ニュージャパンの概要等
一沿革
二ホテル建物の概要
三会社組織
四運営状況
第三罪となるべき事実
(証拠の標目)<省略>
(当裁判所の判断)
第一弁護人の主張
第二ホテル・ニュージャパンの建物の概要
一建物の位置、周辺の状況等
二建物の構造等
三構造、設備上の問題点
1 内装等(四ないし一〇階)
(一) 廊下等の状況
(二) 客室等の状況
2 客室の区画等(五、六、八ないし一〇階)
3 廊下等の区画状況
4 防火区画
(一) 五、六、八ないし一〇階の状況
(1) 一五〇〇平方メートル区画
(2) 堅穴区画
(二) 四、七階の状況
5 空気調整設備等
(一) 空気調整設備の概要等
(二) 排気(換気)設備
四消防用設備等
1 消火設備
(一) 屋内消火栓
(二) 消火器
(三) スプリンクラー設備
(四) その他
2 警報設備
(一) 自動火災報知設備
(1) 感知器の構造、設置場所等
(2) 感知器の調整不良等
(3) 受信機の構造等
(二) 非常放送設備
(1) スピーカーの設置状況
(2) 放送室からの非常放送
(3) 防災センターからの非常放送
(4) 本件当時の状況
(三) その他の警報設備等
(四) 主要な警報設備の音量
3 避難設備等
(一) 屋内避難階段(非常階段)
(二) 避難所及び避難はしご
(三) 救助袋
(四) 誘導灯等
五まとめ
第三ホテル・ニュージャパンの防火管理体制等
一関係消防法令による規制
1 消防用設備等の設置・維持義務
(一) スプリンクラー設備及び代替防火区画の設置義務
(二) 消防用設備等の点検報告義務及び消防署長の措置命令権
2 防火管理等
(一) 管理権原者の一般的責務
(二) 防火管理者の一般的責務
(三) 消防計画
(四) 自衛消防隊
(五) 消火、通報及び避難訓練
二消防当局の指導等の状況
1 遡及工事等
(一) 改正消防法遡及適用前(被告人横井社長就任前)
(二) 改正消防法遡及適用後(被告人横井社長就任後)
(1) 立入検査等
(2) 消防署長と被告人横井との面談等
2 防火管理等
三ホテル・ニュージャパンの対応
1 遡及工事等
(一) 被告人横井社長就任前
(1) 遡及工事案の検討
(2) 遡及工事の施行
(3) 継続工事等
(二) 被告人横井社長就任後
2 既存設備の改修及び保守、点検等
(一) 防火戸等
(二) 自動火災報知設備
(三) 非常放送設備
(四) 防火区画等
(五) 点検結果報告
3 消防計画の作成、消防訓練の実施等
(一) 消防計画
(二) 自衛消防隊
(三) 消防訓練
四被告人横井の社長就任後の問題点
1 被告人横井の遡及工事への対応
(一) 遡及工事促進の進言等
(二) 遡及工事の金額、工期等
(三) 遡及工事の資金等
(1) 東洋郵船からの長期借入金の繰上げ返済
(2) 東京都の買収予定地についての対応
(3) 私道部分の売却代金
(4) 日本開発銀行への融資申込み
(四) その他の工事等
(五) 系列ホテルの遡及工事状況
(1) 船原ホテル
(2) パシフィックホテル茅ケ崎
2 被告人横井の営業政策等と防火管理への影響
(一) 支出の抑制
(二) 過度の配置転換等と大幅な人員削減
(三) 警備業務への影響
(四) ビル管理会社等への対応
五まとめ
第四本件火災の状況
一本件当時の在館者らの状況
1 宿泊客ら
2 宿直従業員ら
3 物的設備等の状況
二出火状況等
1 出火場所
2 出火の原因及び状況
3 再着火の状況
三火災の拡大状況
1 火炎の伝播状況
(一) 九階の延焼状況
(1) 西棟南東側(出火室周辺)の状況
(2) 中央ホールへの延焼
(3) 南棟への延焼
(4) 東棟への延焼
(5) 西棟南西側、北側への延焼
(二) 一〇階の延焼状況
(1) 南棟の火災拡大状況
(2) 一〇階南ホール、中央ホールへの延焼状況
(3) 東棟への延焼状況
(4) 西棟への延焼状況
(三) 他階への延焼
2 煙の伝播状況
(一) 九階の状況
(二) 一〇階の状況
(三) 他階への拡散
3 九、一〇階の避難可能時間
(一) 九、一〇階廊下等の通行可能時間
(1) 九階
(2) 一〇階
(二) 宿泊客の避難所要時間
四宿直従業員らの対応
1 フロント係員らの対応状況
(一) 出火発見状況等
(二) その後の対応状況
2 警備員の対応状況
(一) 窪貞男の対応
(二) 他の警備員の対応
(三) まとめ
3 他の従業員らの対応
(一) 宿直責任者ら
(二) 他の宿直従業員ら
(1) 宿直従業員
(2) その他の従業員
4 まとめ
五宿泊客らの火災覚知、避難状況
1 九階の宿泊者ら
(一) 火災覚知状況
(二) 避難、脱出状況
(1) 廊下からの避難
(2) 窓からの脱出
(3) その他
2 一〇階の宿泊者ら
(一) 火災覚知状況
(二) 避難、脱出状況
(1) 廊下からの避難
(2) 窓からの脱出
(3) その他
3 八階以下の宿泊客ら
4 その他の火災覚知状況
六消火活動状況等
1 一一九番通報受理
2 消火状況等
3 焼損等の状況
七被災状況
1 死亡状況
(一) 九階の宿泊客
(二) 一〇階の宿泊客
2 負傷状況
(一) 九階の宿泊客
(二) 一〇階及び七階の宿泊客
3 その他の被害
第五被告人両名の過失
一注意義務の内容
1 被告人横井の注意義務
2 被告人幡野の注意義務
二予見可能性及び結果回避義務
1 予見可能性
2 結果回避義務
三各注意義務違反と結果発生
1 スプリンクラー設備、代替防火区画等の有効性
(一) スプリンクラー設備
(二) 代替防火区画
2 防火管理体制確立の必要性及び有効性
(一) 防火管理体制確立の必要性
(二) 防火管理体制確立の有効性
(1) 消防計画の作成、実施等の有効性
(2) 消防訓練の実施等の有効性
(3) 既設防火戸の維持管理の有効性
3 因果関係不存在等の主張
(一) 従業員、警備員らの初動活動の不手際
(二) 消防用設備の維持管理等
(三) その余の主張
四結論
(法令の適用)
(量刑の事情)
後文
別紙訴訟費用目録<省略>
〃 死亡者一覧表<省略>
〃 負傷者一覧表<省略>
〃 図面等二九葉<一部省略>
主文
被告人横井英樹を禁錮三年に処する。
被告人幡野政男を禁錮一年六月に処する。
被告人幡野政男に対し、この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、別紙訴訟費用目録記載の証人に支給した分について、これを四分し、その三を被告人横井英樹の、その余を被告人幡野政男の各負担とする。
理由
(認定した事実)
第一被告人両名の身上、経歴等
一被告人横井英樹の身上、経歴
被告人横井は、昭和三年に愛知県内の尋常高等小学校高等科を卒業して上京し、中央区日本橋の繊維卸問屋の見習店員をした後、昭和五年ころ江東区深川で繊維卸業横井商店を開業し、戦時中は軍需工場を建て、約三〇〇〇名の従業員を雇傭して、主に軍服の縫製を行つた。
終戦後、同被告人は、昭和二二年一一月横井産業株式会社(以下、横井産業という。)を設立し、繊維関係の貿易などを手掛けたのをはじめとして、昭和二三年五月不動産売買等を目的とする東洋不動産株式会社を、昭和三一年三月ホテル事業や観光事業等を目的とする日本産業株式会社(以下、日本産業という。)を、また、昭和三二年一一月海上輸送やホテル、ボーリング場の経営等を目的とする東洋郵船株式会社(以下、東洋郵船という。)等を設立し、さらに、昭和四五年にはボルト、ナット類の製造、販売等を目的とする株式会社山科精工所の株式を買収して、その経営権を取得するなど、次々と事業活動を拡大し、本件当時における同被告人は、東洋郵船を中核とする関連十数社のいわゆる東洋郵船グループの総帥として、傘下各社に対する経営の実権を握り、関係各社の役員は、いずれもそのほとんどが被告人横井の縁故者で固められた。
この間、被告人横井は、昭和四五年ころ、保有していた船舶を売却してホテル経営に乗り出し、同年一一月、東洋郵船において、静岡県田方郡天城湯ケ島町所在の船原ホテル(地下二階、地上四階建の本館等三棟、延面積約一万三八四九平方メートル)を、昭和四七年九月、日本産業において、神奈川県茅ケ崎市所在のパシフィックホテル茅ケ崎(地下一階、地上一一階建、延面積約一万一三九〇平方メートル)をそれぞれ取得して、ホテル経営にあたつてきた。また、昭和五三年ころ、当時大日本製糖株式会社(以下、大日本製糖という。)の個人筆頭株主であつた被告人横井と同社との新株発行にからむ係争がきつかけとなつて、同年一〇月ころ同社が所有する株式会社ホテル・ニュージャパン(以下、ホテル・ニュージャパンという。)の株式を同被告人に譲渡する話がもちあがり、結局、ホテル・ニュージャパンが大日本製糖に対して負担する借入金債務約四八億円を同被告人側が肩代りすることなどの約束の下に、昭和五四年三月二九日、被告人横井個人、東洋郵船、日本産業及び横井産業が、あわせてホテル・ニュージャパンの発行済株式総数(一四四二万株)の約69.3パーセントにあたる一〇〇〇万株を一株五〇〇円、代金合計五〇億円で大日本製糖から買い受け、同年五月二八日、ホテル・ニュージャパンの臨時株主総会において、従前から取締役であつた西吾平を除き、被告人横井の長男横井邦彦、次男横井裕彦等いずれも同被告人の近親者が役員に選任され、引き続いて行われた取締役会の決議に基づき、同被告人が代表取締役社長に、邦彦が取締役副社長にそれぞれ就任し、本件火災時に至つている。
二被告人幡野政男の身上、経歴
被告人幡野は、都内の高校を卒業し、早稲田大学政経学部を経て、同大学大学院経済学研究科修士課程に進み、昭和三四年三月同課程修了後、同年四月、当時開業準備を進めていたホテル・ニュージャパンに入社し、総務部、経理部等を経て、昭和四三年四月総務課長となり、その後総務部用度課長、人事課長等を歴任したのち、昭和四九年一〇月総務部次長、昭和五〇年九月総務部長と昇進して、当時消防関係の事務等を担当していた同部営繕課などをも指揮監督するようになつた。
その後、昭和五四年五月被告人横井が代表取締役社長に就任したが、被告人幡野は、昭和五六年二月営業支配人を兼ねるようになつて、管理部門のほか営業部門にも関与するようになり、同年八月の組織改正に伴い、支配人兼総務部長として、社長である被告人横井、副社長横井邦彦(以下、邦彦または副社長ともいう。)の下で、ホテル経営全般にわたつて従業員を指揮監督することになつた。また、被告人幡野は、昭和四三年一〇月消防法の定める防火管理者の資格講習を受けてその資格を取得していたが、昭和五四年一〇月三一日、それまで防火管理者を務めていた西吾平の退任に伴い、消防法等により防火対象物とされているホテル・ニュージャパンの管理について権原を有する被告人横井から防火管理者に選任され、消防計画の作成、これに基づく避難訓練の実施、防火用、消防用設備等の維持管理等防災に関する業務を行なう責務を負つている。
第二ホテル・ニュージャパンの概要等
一沿革
ホテル・ニュージャパンは、昭和三三年一一月一五日大日本製糖の系列会社として設立(資本金三億円)され、昭和三五年三月二三日ホテル営業を開始し、同年四月増資して資本金を六億円とし、昭和三六年三月株式会社山王国際会館を吸収合併して資本金を七億二〇〇〇万円とし、さらに、昭和三八年一二月集成観光株式会社(資本金一〇〇万円)に吸収合併されたが、同時に会社の商号を株式会社ホテル・ニュージャパン(資本金七億二一〇〇万円)と変更した。その後、昭和四四年二月、当時大日本製糖の専務取締役であつた藤山覺一郎らが代表取締役となり、他の役員も西吾平ら藤山系で固めたが、親会社である大日本製糖は、砂糖業界の不況の中で苦しい経営を続けていたところ、前記のとおり、被告人横井との係争がきつかけで、ホテル・ニュージャパンの持株を処分することになり、被告人横井らがその株式を買い取つて、昭和五四年五月二八日、同被告人が代表取締役社長に就任し、前記のとおり西を除いて役員はすべて交替し、ホテル・ニュージャパンは横井体制へと移行していつた。
二ホテル建物の概要
ホテル・ニュージャパンの建物は、東京都千代田区永田町二丁目一三番八号に所在し、敷地面積約八七五二平方メートル、鉄骨、鉄筋コンクリート造り陸屋根、地下二階、地上一〇階、塔屋四階建の建物(延床面積約四万五八七六平方メートル)で、地下二階から地上三階までは宴会場、食堂、貸店舗、ボイラーその他の設備等が設けられ、地上四階から一〇階まではホテル客室、貸事務所等があり、本件当時におけるホテル客室は計約四二〇室、宿泊定員は約七八二名、ホテル従業員は約一三四名(他にパート約四〇名)であつた。同建物は、都心で立地条件に恵まれていたため、多数の内外国人が宿泊等で利用するほか、各種の会議その他催事等にも利用されており、同建物の構造、設備及び本件当夜の宿泊客等の詳細は、後述のとおりである。
三会社組織
被告人横井が代表取締役に就任した後のホテル・ニュージャパンの組織は、まず、役員構成として、代表取締役社長が被告人横井、取締役副社長が横井邦彦であるほか、専務取締役横井裕彦、同西吾平の二名を含む取締役四名及び監査役二名がいたが、前記のとおり、西専務以外はすべて被告人横井の縁故者であり、また、常勤役員は被告人横井のほか邦彦と西の二名に過ぎず、さらに、昭和五四年一〇月西が取締役を辞任したため、会社運営を実質的に担つていた役員は被告人横井と邦彦だけとなつた。
部・課等の組織、機構は、従業員の減少に伴い何度か改正を重ねたが、昭和五六年八月の改正以後本件火災に至るまでの間の組織は、前記役員の下に支配人がおり、支配人が総務(部長以下三名)、経理(部長以下四名)、資材(部長以下四名)、営業(副支配人以下一一三名)、セールス(部長以下八名)の五か部を統括し(括弧内はいずれも本件当時のもの。)、各部には部長、次長等がおり、その下にそれぞれ課が置かれ、課長、課長代理、主任等が配置されていた。
そして、消防署との連絡、折衝や防災設備の維持管理等消防に関する事務は、被告人横井の社長就任時は総務部営繕課の所管であつたが、昭和五四年九月の組織改正で同課と用度課とが統合されて資材課となり、さらに、昭和五五年五月の改正で新たに資材部が設けられると、同部資材課として消防関係の事務を処理することとなつた。
四運営状況
ホテル・ニュージャパンは、設立当初は年毎に業績を伸ばしていつたが、昭和三九年の東京オリンピックの際、都内に大規模なホテルが次々と開業したため、業績が次第に悪化し、被告人横井がこれを引き継ぐころには、約三〇億円の累積赤字があり、その後も毎年の売上高は漸減し、土地の売却益等で黒字を計上した年度もあつたが、経常収支では赤字経営が続いていた。
会社の運営状況をみると、藤山社長時代は、予算編成や経営上の諸問題を検討するための部長以上で構成する常務会、部長から主任までが参加する営業会議、稟議制度等があり、あらかじめ編成された予算に基づいて、会社の運営がなされ、指揮命令系統も職務分掌にのつとつていたが、被告人横井の社長就任後は、同被告人のワンマン経営の様相を呈した。すなわち、指揮命令系統を無視して、部課長を集め、あるいは、直接担当者に指示するなどしたため、常務会や営業会議等は間もなく立ち消えとなり、予算編成も行われず、支出の都度に稟議を上げるという場当たり的なものとなつた。また、その稟議についても、藤山社長時代は一〇万円以上の費用を伴うものなどについて稟議が必要とされ、稟議もほとんどそのまま承認されていたが、被告人横井は、一万円以上の支出を要するものについてすべて社長の決裁を要求したうえ、支出を極端に削減したりするため、日常の食料品の仕入れなどの支払いはもとより、消防設備の保守、点検の費用等の支出にもさしつかえるほどで、被告人幡野らは、副社長邦彦の了解を取りつけて、被告人横井の決裁なしに、なんとか日常的な費用の処理や要急の支出等をまかなう有様であつた。また、被告人横井は、合理化対策の一環として、大幅な人員削減を目論み、ホテル・ニュージャパンの労働組合に対し、強硬な姿勢で臨んだため、労使紛争も絶えず、さらに、極端な配置転換や懲戒処分等を頻繁に行なつたりしたため、嫌気のさした従業員が次々と退職(被告人幡野も昭和五六年六月に退職を申し出たが、同横井の反対でとりやめになつた経緯がある。)するなどして、被告人横井社長就任時にパートを含め約四一〇名(うち正規の従業員約三二〇名)いた従業員は、本件火災時には一八〇名足らず(うち正規の従業員一三四名)にまで激減し、別紙遡及工事状況等一覧表記載のとおり、都心の主要なホテルに比してかなり少ない状況となつていたうえ、従業員らの仕事に対する意欲も、仕事量の急激な増加、給料の遅配等からくる将来への不安などのため、著しく減退している状態であつた。
第三罪となるべき事実
被告人横井英樹は、株式会社ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長として、同会社が経営するホテル・ニュージャパンの経営、管理事務を統括するとともに、防火対象物である同ホテル建物について、消防法八条一項にいう「管理について権原を有」し、かつ、同法一七条一項の「関係者」として、同ホテル建物における消防用設備等を設置、維持し、防火管理者をして消防計画を作成させ、これに基づく消防訓練の実施、防火用、消防用設備等の点検、維持管理等、防火管理上必要な措置を講じさせるなどの業務に従事していたものであり、被告人幡野政男は、右会社の支配人兼総務部長として、ホテル業務全般にわたつて、被告人横井及び副社長邦彦の下で、従業員らの指揮、監督にあたるとともに、消防法上の防火管理者(同法施行令三条)として、同ホテル建物について、消防計画の作成、消防訓練の実施、防火用、消防用設備等の維持管理等の防火管理業務に従事していたものであるところ、同ホテルは、客室数約四二〇室、宿泊定員約七八二名を擁する建物で、その内部の天井、壁面の大部分にはベニヤ板に可燃性クロスを貼り、大半の客室等の出入口扉には木製のものを用い、客室壁面、パイプシャフトスペースなどの随所に間隙があるなど、いつたん出火すれば火煙が伝走、拡大し易い状態であり、主として客室、貸事務所として利用されていた四階以上の部分は、中央ホールを中心として約一二〇度の角度で三方向に棟が延び、その各棟が更に同様のY字三差型となつている複雑な構造であるうえ、五、六、八ないし一〇階にはスプリンクラー設備若しくはこれに替る防火区画(以下、代替防火区画という。)は全く設置されていないなど、同ホテル内から火災が発生した場合には、急速に火煙が同ホテル建物内を伝走して火災が拡大し、適切な通報、避難誘導等を欠けば、多数の宿泊客らを安全に避難させることが困難な状態となつて、その生命、身体に危険を及ぼすおそれのあることが十分予見されたのであるから、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保し、死傷者の発生を未然に防止するため
一 被告人横井は、同ホテル建物につき、消防法令上の設置基準に従い、スプリンクラー設備若しくは代替防火区画(客室階では、廊下を四〇〇平方メートル区画、客室等の部分を一〇〇平方メートル区画とするもの。)を設置するとともに、防火管理者である被告人幡野を指揮して、防火、消防上必要な諸設備等の点検、維持管理及び火災発生時における具体的対策その他同ホテルの防火管理に関し必要な事項を定めた消防計画を作成させて、従業員らに対しこれを周知徹底させ、これに基づく消火、通報及び避難訓練や右防火用、消防用設備の点検、維持管理等を実施させるなどして、出火に際しては、早期にこれを消火し、火煙の伝走、拡大を阻止するとともに、宿泊客らを適切に誘導して安全な場所へ避難させることができるよう万全の防火管理体制を確立し、もつて、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、前記スプリンクラー設備若しくは代替防火区画を設置せず、かつ、被告人幡野を指揮して、前記のような消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練、防火戸等の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行わせなかつた過失
二 被告人幡野は、前記のように同ホテルの実態に適合した消防計画を作成して、従業員らにこれを周知徹底させ、かつ、これに基づく適切な消火、通報及び避難訓練を実施するとともに、同ホテル内の防火戸等の防火用、消防用設備等が火災時正常に作動するように点検、維持管理するなどして、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、右のような消防計画を作成、消火、通報、避難訓練、防火戸等の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行わなかつた過失
の競合により、昭和五七年二月八日午前三時すぎころ、同ホテル九階九三八号室から出火した際、早期にこれを消火し、あるいはその延焼を防止することができず、同ホテル九、一〇階の大部分の範囲にわたり、廊下、天井裏、客室壁面やパイプシャフトスペースの間隙等を通じて、火煙を急速に伝走させて延焼を拡大させ、かつ、宿泊客らに対する適切な通報、避難誘導等をなさなかつたため、九、一〇階の宿泊客ら多数の者を早期に安全な場所へ避難させることができず、激しい火炎や多量の煙を浴びないし吸引させ、窓等から階下へ転落若しくは飛び降り、または狭い窓台を伝つて火煙に追われながら脱出するのやむなきに至らしめるなどし、よつて、別紙死亡者一覧表記載のとおり、ムツトフリヤほか三一名をそれぞれ死亡させ、かつ、別紙負傷者一覧表記載のとおり、シャロン・エイ・パフほか二三名にそれぞれ傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(当裁判所の判断)
第一弁護人の主張
被告人横井の弁護人は、同被告人には、ホテル・ニュージャパンのような近代的都市ホテルで火災が発生し、しかも、本件のように火煙がたやすく伝走、拡大し、多数の死傷者を出すに至ることを事前に予見することは不可能であつたうえ、本件火災による死傷者発生の直接的、具体的な原因は、従業員、警備員の初期消火その他の活動時における重大な不手際によるものであるから、スプリンクラー設備または防火区画等の未設置と右死傷者発生との間の因果関係は中断されるものであること、消防法上要求されていたスプリンクラー設備等の設置工事の未完了は、前経営者藤山覺一郎にその責任があり、被告人横井が、同ホテルの経営を引継いだ以降は、右工事を完了させるだけの十分な資金がなく、その調達も著しく困難な状況下にあつたから、本件火災発生前にこれを完成させることは事実上不可能であり期待可能性を欠くこと、同被告人においては、被告人幡野が防火管理者として、防火、消防について平素から適切な措置を講じ、また、消防当局も日頃、防災設備の保守点検等に関し、行政指導を十分に行つてくれているものと信頼していたことなどを挙げ、被告人横井は無罪である旨を主張し、また、被告人幡野の弁護人は、本件火災による多数の死傷者の発生は、被告人横井が営利第一主義の経営方針のもとに、防火・防災を無視した極端な支出の抑制、大幅な人員削減等を行つたため、消防用設備等の保守点検等を十分に行うことができなかつたばかりか、消防計画やこれに基づく消防訓練を行うことも事実上困難であつたことに基因するものであり、被告人幡野は、このような状況下で、防火管理者として可能な限りの努力を尽していたのであるから、同被告人に注意義務の懈怠はなく無罪である旨主張する。
そこで、当裁判所は、まず、右過失判断の前提となるホテル・ニュージャパンの建物、設備や防火管理体制等の問題点、本件火災の具体的状況等を、前記証拠の標目に挙示した各証拠により検討したうえ、被告人両名に対して過失責任を認めた理由を示す。
第二ホテル・ニュージャパンの建物の概要
一建物の位置、周辺の状況等
<証拠>によれば、ホテル・ニュージャパン(以下、本件建物またはホテル建物ともいう。)は、東京都心部の通称赤坂地区の一角(国会議事堂の西方約四七〇メートル、赤坂見附交差点の南南東約三三〇メートル。)に位置し、通称外堀通り(幅員約二八メートル)に面し、裏手は東京都立日比谷高等学校に、北西側は幅員約六メートルの道路を隔てて山王グランドビル(九階建)、メキシコ大使館等に、南側は元ロイヤル赤坂(三階建)に、南東側は幅員約9.4メートルの道路を隔てて日枝神社とそれぞれ接しているが、その周辺には、衆参両議院の各議長公邸があるほか、高層ビルが建ち並び、会社事務所、銀行、商店、ホテル、飲食店等が混在し、深夜まで自動車、歩行者等の通行が絶えない都心の大繁華街となつていたことが認められる(当時の周辺の状況は、別紙図面(一)参照。)。
二建物の構造等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
1 本件建物は、前記のとおり、防火地域である千代田区永田町二丁目一三番八号の約八七五二平方メートルの敷地内に、その一部を庭園、駐車場等として利用するほか、ほぼ一杯に築造され(建築面積約五二八七平方メートル、別紙図面(二)参照。)、鉄骨、鉄筋コンクリー卜造り、陸屋根、地下二階、地上一〇階、塔屋五棟(三階屋上に二階建一塔、屋上に四階建一塔、三階建三塔)建(延床面積約四万五八七六平方メートル)である。
2 建物の基本的な形態は、いわゆるY字三差型であり、別紙図面(三)のとおり、中心部からそれぞれ一二〇度の角度で三方向に棟が延び、各棟の先端が更に同様に分岐した形状のものに、正面側に三階建の建物、左右両側に二階建の建物がそれぞれ付設された形の複雑な構造となつており、その外観及び規模等の概要は、別紙図面(四)ないし(九)のとおりである。このため、建物内部は、地下二階から地上三階までは複雑な多角形状となり、四階から一〇階は前記のとおりY字三差型となつており、階段、エレベーター等はその各中心部(中央ホール、東、西、南ホール)に集中していた(別紙図面(一〇)ないし(二二)参照。)。そして、右各階の床面積は、地下二階約三七〇六平方メートル、地下一階約三一五八平方メートル、一階約四四三八平方メートル、二階約四七一一平方メートル、三階約三八一六平方メートル、四、六ないし一〇階各約三四八四平方メートル、五階約三五九三平方メートルである。
本件建物の基本的な構造は、二階宴会場の改装等小改造を除き、本件火災に至るまで、ほとんど昭和三五年三月の竣工時のままであり、建物中央ホールより正面側(南西側・外堀通り側)は本館(ホテル側)と、裏側(北東側・日比谷高校側)は新館(アパート側)と、また、四階から一〇階については、中央ホールから北東側Y字型部分(新館)が東棟、北西側Y字型部分(本館北西側)が西棟、南側Y字型部分(本館南側)が南側ともそれぞれ呼ばれていた。
3 建物の使用状況等の概要は、別紙図面(一〇)ないし(二二)記載のとおりであり(なお防災設備については後述する。)、その主なものとして、地下二階には電気室、機械室(ボイラー、給排水等)、従業員用食堂、東京電力山王変電所等が、地下一階には、調理室、機械室(空調等)、資材課事務所、倉庫等のほか、北西部分には、ショッピングアーケード街として、飲食店、理容室等が貸店舗としてあり、また、一階には、外堀通りに面して正面玄関があり、フロント、ロビー、主食堂、喫茶室、厨房やホテル事務室(経理部、総務部、セールス部等)、会議室、郵便局等のほか、花屋、宝石店、バー等の貸店舗が、また、北西側には幅約四メートルの通路を隔ててホテル建物とは独立して警備室が設けられていた。二階には、大小宴会場、厨房、結婚式場、役員室等のほか、バー(貸店舗)、貸事務所等が、三階には、小宴会場、食堂、厨房、ホテル客室三室のほか、結婚式場、貸事務所、マッサージ室等があり、四階から一〇階までは、ほぼ共通の構造で、ホテル客室及び貸事務所、貸倉庫等があり、主として、客室は本館側に、貸事務所は新館側に配置され、右各階中央ホール横にサービスステーションが設けられ、なお、九、一〇階には、個人として区分所有している藤山事務所及び藤山勝彦邸があつた。また、屋上には、中央塔屋(四階建)と東、西、南の各塔屋(三階建)が設置され、塔屋は貯水槽、機械室、空調機室等とされているが、屋上自体は格別営業等には使用されていない。
4 以上のとおり、本件建物には、その四階以上を中心に客室計四一一室、貸事務所等計一一一室があり(もつとも、本件火災当時フロント課が管理していた宿泊可能な客室数は約四二〇室、宿泊客の収容定員は約七八二名であつた。)、外国人の宿泊客や、宿泊以外の利用者も少なくなかつた。そして、前記のとおりの構造の複雑さと、建物の使用状況からみれば、本件建物では、火災等の緊急時に、高層階の利用者、特に宿泊客が、深夜に自力で迷うことなく速やかに避難することは困難な状況にあつた。
三構造、設備上の問題点
1 内装等(四ないし一〇階)
(一) 廊下等の状況 <証拠>によれば、幅約二メートル、高さ約2.2メートルの廊下が中央ホールを中心に各棟に延び、各棟のホールから更に約一二〇度の角度でその先に延びている(別紙図面(一五)等参照。)。そして、廊下及びホールの床面は、コンクリート上にフエルトを敷き、その上に可燃性のじゆうたんが敷かれていた。西棟、南棟及び中央ホール(本館)の壁面は、コンクリートまたはブロック造りで、これに角材(数センチメートル角)を縦横直角に組んで打ちつけた上に、ベニヤ板(九階では厚さ約六ミリメートル)を張りつけ吹付塗装されている。東棟(新館)廊下の壁面は、コンクリート壁に、寒冷紗を貼りつけ、あるいは直接、塗装したもの(ただし、九階中央ホールと東ホールの間は本館同様のベニヤ板張り。)であり、東ホールは、コンクリート壁にビニール様クロス(一〇階は一部布製クロス貼り、四ないし七階は直接塗装。)となつており、四、七階のみ、準不燃化(防火薬液塗料使用)されている。廊下上方の天井は、コンクリートまたはコンクリート縦梁、横梁に吊り木が取りつけられ、これに角材(数センチメートル角)を縦横直角に組み、さらに石膏ボードを取りつけクロスを貼つたものとなつていた(四、七階のみ準不燃材のビニールクロス貼り。)ことが認められる。
(二) 客室等の状況<証拠>によれば、各階の客室、貸事務所は、約二〇ないし八〇平方メートルの床面積で、その大半は奥に長い長方形をなし、その廊下側に出入口ドアが、その反対側に窓がある造りとなつていた。そして、床面は、和室に畳敷きの部分があることなどを除けば、前記廊下と同様に可燃性のフエルト、じゆうたんがコンクリート床上に敷かれており、壁面は、コンクリートブロック、モルタル造りの間仕切り壁に一定間隔で木煉瓦、タル栓をはめ込み、これに角材(数センチメートル角)を縦横直角に組んで打ちつけ、その上にベニヤ板(厚さ約六ミリメートル)が取りつけられてクロスが貼られていた(右ベニヤ板の上に石綿板若しくは保温材とベニヤ板等が取りつけられ、その上に可燃性のクロスで仕上げられている部分もあつた。)。また、天井は、前記廊下と同様に、天井コンクリートからの吊り木、角材に、約2.2メートルの高さの位置で石膏ボードを取りつけ、これにクロスを貼つてあつた。
出入口は、片開きドアで、東棟(ただし、九階の八室は木製。)と四、七階が鉄製ドアであるほかは、木製太鼓張りのドア(芯材に厚さ約六ミリメートルのベニヤ板を両面から張り合わせたもの。)で、厚さ約四センチメートル、高さ約二メートル、幅約0.9メートルのものとなつていた。窓部は、床上約0.7メートルの高さからの腰高窓(縦約1.24メートル)となり、外側に鉄製枠のガラス引戸があり、また、大半の室内には、その内側に木製枠のガラス引戸があつて、二重窓(普通ガラス入り)となつており、窓の外側には幅約二四ないし25.5センチメートルの窓台が各窓の下側にそつて横にのびており(別紙図面(二四)参照。)、窓の室内側には、木製板(約0.3ないし0.4メートル幅)が窓の下辺にそつて水平に取り付けられ、その下は地袋等となつており、天井部には木製のカーテンボックスがあり、可燃性のカーテンが二重に取りつけられていた。また、室内の廊下側に浴室兼便所があり、窓側が寝室、居間となつており、大半の客室には、木製クローゼット(洋服ダンス)、ベッド、木製ヘッドステット(上方には電話器、魔法ビン等が置かれ、中にはラジオ共聴子機がはめ込まれている。)、木製の椅子、テーブル、ライティングデスクなどが置かれていた。なお、本件火災の出火室となつた九三八号室は、間口約2.25メートル、奥行き約8.1メートルで、同室内の状況は別紙図面(二三)とほぼ同様であつたことが認められる。
以上のとおり、内装面については、四、七階廊下の天井及び壁面が準不燃化されているほかは、可燃性のものとなつているうえ、各客室等には、可燃性の調度、備品等が多数収納されており、容易に着火、災上する状態であつた。
2 客室の区画等(五、六、八ないし一〇階)<証拠>によれば、客室内には、前記のように浴室等があり、天井までタイル張りの壁で一応区切られているものの、天井裏には間仕切り等はなく、客室内の天井裏は連続した空間となつていた。隣室とは、前記のような間仕切り壁により区画されていたが、その窓側部分(縦約1.4メートル、横約0.3メートル)は木製板等で仕切られていたうえ、ブロック、モルタルの間仕切り壁自体にブロック積みの不完全な部分や、配管のためにあけた穴で埋戻しのされていない部分等大小多数の貫通孔があり、前記の木煉瓦、タル栓の部分も、その埋め込みが不十分のため、ブロックの穴が貫通しているものもあつた。
廊下との区画についてみると、四、七階を除く各室の出入口ドア上部と天井(石膏ボード)との間には木製板(厚さ約4.5センチメートル、縦約26.5センチメートル、横約八五センチメートル)が取り付けられているが、右板と上部のコンクリート梁との間(約18.5センチメートル)には空調配管が通り、その周囲の埋戻しが不完全で空隙となつているため、廊下と客室の天井裏が素通しの状態になつていた。また、ドアの上下にも空隙があり、廊下と室内との空気が流通する状態であつたことが認められる。
3 廊下等の区画状況<証拠>によれば、廊下、ホールの天井裏には、ほぼ二、三室に一か所の割合でコンクリート製横梁がもうけられ、これをくり抜いて空調等の配管が通つており、廊下天井裏は右横梁によつてほぼ仕切られた形となつていたが、前記のとおり、この梁の下面に角材が組まれ、その下側に石膏ボードが張られていたため、右角材の周囲には高さ数センチメートルの空隙ができていた。また、客室出入口上方の壁面と天井(石膏ボード)とは密着しておらず、クロスで覆われているだけであつたことが認められる。
4 防火区画
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 五、六、八ないし一〇階の状況 各階とも、中央ホールから三方向に通じる廊下との境界部分に設置されている二か所の防火戸を閉鎖することにより、建築基準法上の一五〇〇平方メートルの防火区画(同法施行令一一二条一項参照。)となるような構造になつており、また、各階とも、階段室、エレベータースペース、パイプシャフトスペース(空調、電気、給湯、給排水等の各縦配管等。)等は他の部分と区画(堅穴区画)されていた。しかしながら、これらの区画には、それぞれ次のような欠陥があり、十分には機能し得ない状況にあつた。
(1) 一五〇〇平方メートル区画
各階とも中央ホールから北東側と南側に通じる各廊下との境界部分にそれぞれ防火戸が設けられ(別紙図面(二〇)参照。)、これが閉鎖することにより、これに接続するコンクリートまたはブロックの耐火壁と一体化して防火区画が形成され、中央ホールと西棟の部分、南棟の部分、東棟の部分の三つの区域に各階が区分され(一区画約九一〇平方メートルから約一四〇七平方メートル。)、延焼拡大等を防止する仕組みとなつていた。
(ア) 耐火壁 本件建物では、防火戸が閉鎖しても(九、一〇階については後記のとおり本件火災時不閉鎖。)、九階では南棟と中央ホールとの境の壁(防火戸上部コンクリート梁上端西側の配管を貫通させた部分。)に埋戻しがなく、一〇階でもほぼ同様の部位に、配管のない穴と配管の周囲の埋戻しのない穴が貫通し、空隙を生じており、四ないし八階についてもほぼ同様の空隙が生じていた。
(イ) 防火戸 前記の防火戸は、二枚の鉄扉(厚さ約1.6ミリメートルの鋼板を太鼓張りにしたもので、厚さ約四センチメートル、縦約2.1メートル、横約一メートル。)をコンクリート壁に取り付け、温度ヒューズ装置(約七〇度で溶融)とフロアヒンジ(床面に埋め込んだスプリングによる閉鎖装置。)等を組み合わせたもの(ただし、四ないし八階中央ホール北東側はドアチェック付。)で、火災時には、温度ヒューズが溶融し、ドアを開放状態に維持している装置が働かなくなり、フロアヒンジ等によつて右両扉が双方から自動的に閉鎖する仕組みになつていたが、本件火災当時には、温度ヒューズ装置の調整不良やフロアヒンジの機能低下に加えて、床面のじゆうたんが防火戸下部に当たり、閉鎖の妨げとなつていたことなどから、九、一〇階の計四か所の防火戸は、いずれも正常には作動せず、閉鎖しなかつた。また、八階以下の各階の中央ホールの防火戸も、同様に調整不良やじゆうたん、天井材との接触等で、正常に閉鎖しないものが多数あつた。
(2) 堅穴区画(パイプシャフトスペース等)空調、給排水等のパイプが上下階を貫通して各室まで配管されているため、その縦管設置場所は、コンクリートブロック、モルタルにより縦直方体に区画(パイプシャフトスペース)されているが、本件建物では各室前廊下側と各ホール脇等に設置されており、各室前廊下側のものはおおむね二部屋共用として設けられ、上下に通じる幅約三メートル、奥行約六〇センチメートルほどの空間の中に数本のパイプが設置され、廊下側に約五〇センチメートル四方の鉄製扉付点検口がある。また、各ホール脇には、ほぼ台形状の断面(約1.8メートル×約2.6メートル)の大型のパイプシャフトスペースがあり、十数本の大小各配管が設置されて上下に通じていたが、この大型パイプシャフトスペースの廊下側壁面に、九、一〇階(西ホール、中央ホール)ともに大きな穴が開いていたのをはじめ、各廊下側点検口付近等に大小多数の穴があり、また、九〇七、一〇〇七号室をはじめ各室への引込み配管の部分にも、大小の空隙が多数存在していた。これらの部分は、前記のとおり、ベニヤ板等の可燃性の内装材(四、七階のみ一部準不燃化。)で覆われ、あるいは天井裏に通じるなどしており、このため、火災が発生すれば、その火煙が右区画内に及び、同所内の配管や周囲の空間を伝走して、上下階まで火災が拡大する危険性が高かつた。
そのほか、階段室はドアチェック付の常時閉鎖防火戸(片開き鉄扉)で区画されていたが、エレベータースペースはその乗降扉周囲の鉄製枠上部と壁の間の埋戻しが不充分で空隙が生じていた。
(二) 四、七階の状況 両階の廊下、ホール等については、前記のとおり、内装等を準不燃化したうえ、各室扉を鉄製防火戸とし、また、中央ホールの鉄製防火戸により廊下部分が四〇〇平方メートル以内に防火区画され、各棟客室等の部分も一〇〇平方メートル以内の区画とされていたが、一部一〇〇平方メートルを超える部分もあるうえ、東棟の客室の扉等には自動閉鎖装置が設置されておらず、扉が開放状態のままとなるおそれがあり、また、中央ホールの二か所の防火戸が温度ヒューズ式のままで、煙感知器と連動して閉鎖するものに改造されておらず、また、西ホール脇にある大型パイプシャフトスペースの壁面に空隙があり、東棟空調機室(ファンルーム)扉が木製であるなど不十分な点も残つていた。
5 空気調整設備等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 空気調整設備の概要等 客室等に温、冷風を送るため、各棟塔屋に外気取入口が設けられ、外気処理空気調整機各一基、各棟四階(東棟は三階)から一〇階の各階ホール脇の空調機室に空気調整機各一基がそれぞれ設置され、空調は全外気方式、すなわち、各室等への給気は、右外気処理機から取入れた空気を、同機で除塵、加温、冷却、加湿(水を噴霧)などしたうえ、送風機で各棟ホール脇のパイプシャフトスペースを経て各階の空調機に送り、そこで更に加温ないし冷却し、各階各棟の廊下、ホールの天井裏のダクトを経て、各室内の吹出口から適温、適湿の状態で供給する方式がとられていた。ところが、東棟については、四、七階を除いて、各階ホール空調機室扉に廊下からの空気取入口(吸気口)を設け、前記外気処理機からの送風取入口に設けられたダンパーをほとんど閉鎖して、同ホールの空調機を運転するという変則的な内気循環方式に改造されていた。
そして、右設備の運転状況をみると、東棟については右改造に伴い外気処理空調機が停止され、西、南棟についても同空調機が停止されることが多かつた。このため、本件建物内には、加湿されない外気や内気が循環することとなり、これによつて異常な乾燥状態が生じ、同建物内の可燃物は着火、炎上し易く、かつ、いつたん着火すれば、急速に燃え広がり易い状態となつていた。また、内気循環のための吸気口や前記パイプシャフトスペース壁面に空隙があつたため、火災発生時には、発生した煙等がダクトなどを伝走して、他室、他階へ及ぶ危険性もあつた。
(二) 排気(換気)設備 四階以上の客室には、浴室兼便所の天井部に排気口が設けられ(東棟の三階以上の客室及び貸事務所には、各室厨房の天井にも設置。)、各室内からの排気は、一〇階まで垂直に貫通しているパイプシャフトスペース内の排気ダクトを経て、各塔屋の排風機で外部へ放出される仕組となつていた。このため、各室は排気ダクトを通じて上下階と接続しているのに、防火ダンパー(熱、煙を感知して当該ダクトを閉鎖するもの。)は、客室、貸事務所については四、七階だけにしか設置されておらず、火災時にはこのダクトを通じて火煙が伝走し、延焼拡大するおそれもあつた。
四消防用設備等
1 消火設備
(一) 屋内消火栓 <証拠>によれば、本件建物には、合計七〇か所に消火栓付総合盤(消火栓箱)が設置されており、うち四ないし一〇階は、各棟ホールと中央ホールの脇、東棟廊下北側突当たりの計五か所の壁面にそれぞれ設置され、右消火栓箱内には、金属製ノズルの付いた消火用ホース(長さ約一五メートル、直径約四センチメートルのものを二本継いだもの。)が放水口に接続されたまま折畳まれて収納され、上部に消火栓起動ボタンがあり、同箱扉裏には使用法の簡単な説明書が貼付されていた。右消火栓への送水は、屋上中央塔屋高架水槽と地下二階床下の貯水槽から行われ、後者は、右起動ボタン操作により消火栓ポンプが作動し、加圧水として送られてくる仕組になつていたことが認められる。
(二) 消火器 <証拠>によれば、本件建物内に合計二〇一本の消火器(ABC粉末一〇型一九六本、大型車載式五本)が設置され、うち四ないし八階には、右一〇型(薬剤重量三ないし3.5キログラム)が、各廊下突当たり付近、中央ホール、東ホール等に計八ないし九本設置されていた。九階には、右一〇型が、各棟廊下突当たり付近(九一七、九二七、九四七、九五五、九六二、九八一号各室前)と東ホール消火栓脇、九六五号室前、貸倉庫内に各一本、中央ホールサービスステーション側と同ステーション内に各二本、東ホール階段室内に三本(合計一六本)設置されていた。一〇階には、右一〇型が西、南各棟廊下突当たり付近(一〇一七、一〇一八、一〇二三、一〇二五、一〇二六、一〇四七、一〇五三、一〇六〇号各室前)、一〇四三号室前、西ホール階段横、東ホール消火栓脇、一〇六二号室前に各一本、中央ホールサービスステーション側に二本(合計一四本)設置されていたことが認められる。
(三) スプリンクラー設備 <証拠>によれば、本件建物におけるスプリンクラー設備は、水源として地下二階床下部分にある貯水槽とホテル正面側屋上塔屋にある高架水槽、加圧送水装置として加圧ポンプ等(地下二階)があつて、主配管(三階までの縦管)で接続されていたが、スプリンクラーヘッド(閉鎖型・温度ヒューズの溶融により自動的に圧力水の散水を開始するもの。)は、一階のクラブ・ファイブレース第四店舗と二階中央ホール南側廊下、同エクセレントクラブにしか設置されていなかつたうえ、一階のものは、前記の主配管と接続されておらず、散水不能の状態にあつた。また、その起動装置電源についても、非常電源設備は設置されていなかつたことが認められる。
(四) その他 <証拠>によれば、前記消火栓箱のうち五二か所には連結送水管が併設され、地下二階ボイラー室等には二酸化炭素消火設備が設置されていたことが認められる。
2 警報設備
(一) 自動火災報知設備 <証拠>によれば、本件建物には、感知器及び受信機、副受信機等で構成された自動火災報知設備があり、次のような構造、配置となつていたことが認められる。
(1) 感知器の構造、設置場所等
本件建物には次の種類の感知器が設置され、火災信号を受信機へ送る(発報)仕組となつていた。
(ア) 差動式分布型感知器(空気管式感知器)空気管を室内の天井に張りめぐらし、空気管の端末(銅管端子)を検出器に取りつけ、火災による急激な温度上昇で空気管内の空気が膨張するのを利用して、圧力スイッチを作動させて発報させるもので、空気管(内径約1.5ミリメートル、外径約2.1ミリメートルの銅管。)は、客室等の天井に張られ、五ないし一二室を一区域として、その各区域の銅管端子が、前記消火栓箱内に設置されている検出器(各盤に二個ないし三個設置)に接続される仕組みになつていた。空気管の配管場所は、三ないし一〇階の客室、貸事務所のほか、食堂、二、三階の厨房、倉庫、役員室、ホテル事務所等であつた。
(イ) 差動式スポット型感知器
同じく温度上昇率によるが、局所的熱効果によつて感知するもので、合計三一七個設置され、その設置箇所は、四ないし一〇階の空調機室(ファンルーム)、サービスステーションのほか、大小宴会場、屋内駐車場、喫茶ルーム、空調室等であつた。
(ウ) イオン式感知器 煙を感知して発報する機能を有しているもので、各階廊下、ホールのほか、階段室、大小宴会場、結婚式場、ロビー、貸店舗、高圧ガス製造室等に計三一七個設置されていた。
(エ) 定温式スポット型感知器
設定された温度以上になると発報するもので、ボイラー室、厨房、調理室等に計一〇九個(防水型七三個、防爆型一〇個、普通型二六個)が設置されていた。
(オ) 押ボタン式発信機 手動操作により発報するものであり、前記消火栓起動ボタン(計七〇個)がこれを兼ねていたほか、二階エクセレントクラブや一階屋内駐車場等に計四か所設置されていた。
(2) 感知器の調整不良等 右(イ)ないし(オ)については本件当時正常に作動しうる状態にあつたものと認められるが、(ア)の空気管式感知器については、次のような不備があつた。まず、四八二、九三二、一〇四三号各室前の消火栓箱内の検出器(各一個)に接続されるべき銅管端子が外れていた。八六一号室の空気管には端末がなく、検出部に通じておらず、また、一〇四五室と一〇四六号室との間の空気管の両端が接続されていなかつた。さらに、四一四、六四三、七四三号各室前の同検出器(各一個)の調整ダイヤルが発報しない位置に設定されていた。このため、九三八号室(九三二号室と同一区域)を含む前記八か所の感知区域の客室等については、右感知器は発報しない状態となつていた。
(3) 受信機の構造等 本件建物においては、一階北側屋内駐車場脇にある警備室に受信機が、一階フロント事務所裏防災センターに副受信機がそれぞれ設置されていた。右受信機は、P型一級火災報知機受信機(二〇〇回線、非常電源自動切換装置装備、高さ約1.8メートル、幅1.2メートル、奥行約0.3メートルの鉄製箱型据置式)で、前面(観音開扉)上部に火災表示灯、種別表示灯、地区表示灯(二〇〇区域)、その左下側に操作盤、その下に主音警装置(主ベル)の音響孔があり、前面右下側には送受話器が備付けられており、前記各感知器の発報を受けると、地区表示灯、火災表示灯が点灯し、同時に主ベルが鳴動する仕組となつていた。しかし、この型の本来の回路にあつた出火階及びその直上階の地区音響装置(地区ベル・各階の前記消火栓箱内に設置。)の機構が改造されていたため、各階の地区ベルを鳴動させるには、前面の扉を開けたうえ、同機内左側中央部に設置された階別警報電鍵(地下二階から屋上塔屋までの一三個。)の該当階のものを鳴動位置に操作し、保持する(右電鍵が自動復帰装置付のため。)必要があり、また、全館の地区ベルを一斉に鳴動させるには、前記前面の操作盤に設置された操作電鍵(警報停止警報スイッチ)を「警報」の位置に操作し、保持する(前同)必要がある仕組となつていた。
副受信機の大きさ及び構造は、右操作盤がない点以外はほぼ受信機と同様であり、受信機からの配線により、受信機の前記各表示灯点灯、主ベル鳴動と同時に副受信機の音響装置(副ベル)も鳴動し、受信機と同箇所の表示灯が点灯する仕組となつており、また相互に設置された送受話器を用いて交信することが可能となつていた。
ところが、本件火災当時には、受信機の副ベル用端子が誤接続されていたため、主ベルが鳴動しても副ベルは全く鳴動せず、また、地区表示灯のうち受信機の地階一地区及び副受信機の二階以下の二地区のものは、球切れ、接続不良等により点灯しない状態であつた。このため、前記各感知器の発報あるいは押しボタン発信機が操作されても、受信機の前記各電鍵を適確に操作しない限り、館内の地区ベルは鳴動しない状態にあつた。
(二) 非常放送設備<証拠>によれば、本件建物には、三階南ホール北西側の放送室に、防災放送設備の操作盤(調整卓)、ラジオ受信機架、電力増幅器架等が設置されているほか、一階フロント事務所裏防災センター内に右調整卓を遠隔操作して防災放送ができる防災放送盤が設置され(同センター内に取扱説明書備付。)、また、館内各客室等にラジオ共聴子機があるほか、館内各所に各種のスピーカーが設備されていたことがそれぞれ認められる。
(1) スピーカーの設置状況 三階のホテル客室に壁掛型スピーカーが設置されているほかは、九、一〇階を含めほぼ全客室にラジオ共聴子機がヘッドステット内等に設置され、また、三ないし一〇階の貸事務所のほぼ全室に壁掛型スピーカーが設置されていた。廊下、ホール、地下二階から一〇階の廊下に埋込み型スピーカーが設置されていたほか、九階の各ホールと九六六号室、九八五号室前廊下に各一個、一〇階の各ホールと一〇八五号室前廊下に各一個設置されていた。その他、貸店舗、大小宴会場、食堂、喫茶室、従業員仮眠室、電話交換機室、ロビー等に埋込み型スピーカー、調理室、厨房、ボイラー室等にトランペット型スピーカーがそれぞれ設置されており、三階以上の各東ホール、中央ホールにはトークバック放送用スピーカー各三個が設置されていた。
(2) 放送室からの非常放送 非常放送の方法は、前記放送室内にある調整卓の防災起動ボタンをまず押し、次いでホテル西、南棟の地下二階から一〇階、東棟の一階から一〇階の各階別あるいは右全階一斉スイッチのいずれかにより、放送場所を選定したうえ、サイレンボタンによるサイレンの鳴動、エンドレステープによる非常放送、非常用マイクによる肉声放送が、前記の客室ラジオ共聴子機、廊下スピーカー等を通じて行える仕組となつていた。
(3) 防災センターからの非常放送 一階フロント裏防災センターでは、防災放送盤(前記副受信機左隣に設置。)により右調整卓の遠隔操作ができ、ほぼ同様の手順で非常放送ができるほか、右放送盤の下側に設置された非常トークバック盤の各階別スイッチと非常用マイクを操作すれば、館内の三ないし一〇階の全階一斉、あるいは各階別等に防災センターから前記トークバック放送用スピーカーを通じて放送ができ、同時に各階ホールからの音声も同スピーカーを通じて聴取でき、相互に通話する形での非常放送が可能な仕組となつていた。
(4) 本件当時の状況 三階放送室内の放送装置(調整卓下部)には、メインヒューズに五アンペアのものが用いられ、ラジオ共聴子機等の端末がショートしても、その回路のヒューズが溶断するにとどまり、廊下等のスピーカーを通じての非常放送は可能な機構となつていたが、本件当時には、これが四アンペアのヒューズと取り替えられていたため、火災時に右共聴子機、コード等が焼けついてショートするとメインヒューズも溶断し、非常トークバック放送以外の非常放送は不能の状況にあつた。また、本件当時、廊下スピーカー(トークバック放送用を除く。)に接続されたパワーアンプがコンデンサーの劣化により故障しており、一ないし一〇階の廊下放送は不可能な状況にあつた(もつとも、右放送室には予備のアンプが備付けられており、これを接続すれば放送は可能であつた。)。そして、防災放送用のエンドレステープには、サイレン音と火災発生、係員の指示による避難等を告げる日、英二か国語の放送内容が録音され、前記のとおり、エンドレステープスイッチにより放送できる仕組となつていたが、本件当時は、二台あつたエンドレステープ再生機のうち一台にしかテープが装填されておらず、しかも、その一台も伝達ベルトの破損等で故障していたため、エンドレステープによる放送は不能の状態であつた。
(三) その他の警報設備等 <証拠>によれば、前記各消火栓箱内に、送受話器(非常電話)が備えつけられており、前記の押しボタン発信機による発報と合わせて、出火場所、出火状況等を前記警備室の受信機と交信して通報することができるようになつていた。また、前記スプリンクラー設備にも、地下二階から三階までに警報ベルの装置があり、警備室に主受信機、地下二階中央監視室に副受信機が設置されていたが、これは四階以上には設置されておらず、しかも、右スプリンクラー設備は、前記第二、四、1、(三)のとおり、主配管が一部にしか接続されておらず、所定の機能を発揮しえない状況にあつた。このほか、前記二酸化炭素消火設備にも警報設備は設置されていたが、地下二階の消火用のものであつたことが認められる。
(四) 主要な警報設備の音量 <証拠>によれば、前記地区ベルと防災放送のサイレン音(廊下スピーカー)は、装置の中心から一メートルの位置で、ほぼ九〇ホン以上あり、おおむね、消防法上の基準を満たしていた。その廊下での平均音量は、サイレンが約八〇ホン、同地区ベルが約七〇ホンであり、双方同時に鳴動した場合の平均音量は約八〇ホンであつた(六階廊下四か所での測定結果。)。また、ドアを閉めた室内での各平均音量は、サイレンが約四六ホン、地区ベルが約四四ホン、双方同時鳴動が約四八ホンであつた(六階の一〇室での測定結果。)。客室内共聴子機による防災放送のサイレンの音量は、同機から一メートルの距離で平均約七四ホンであつた(五階二室での測定結果。)ことが認められる。
3 避難設備等
本件建物には、次のような避難設備が設置されていた。
(一) 屋内避難階段(非常階段)
<証拠>によれば、西、南、東各ホールに屋上塔屋から地下二階まで通じるものが各一か所、東棟廊下北端に屋上から二階まで通じるものが一か所、それぞれ設けられていた。各階避難階段入口は、いずれも鉄製片開き自動閉鎖式扉(高さ約二メートル、幅約0.87メートル、厚さ約四センチメートル。)で廊下等と区画され、各階扉の廊下側には「非常口」「FIRE EXIT」の表示があり、その上部壁面には、緑地に白字で「非常口EXIT」と表示した避難口誘導灯が取付けられていた。右各階段室内部はコンクリート造りで、前記各鉄扉により廊下等と区画されており、入口から入ると階段室ホールとなつており、階段の幅は約1.2メートルで、屋上から二階までは各階中間の踊り場で一八〇度折返す形となつていた。右各階階段室ホール壁面には階数表示灯、階段室誘導灯(二〇ないし四〇ワット)が、各階踊り場壁面には同様の誘導灯が、それぞれ一個設置されていた。右各階段からの出口の状況は、東棟北側階段は二階で終り、そこの出口から駐車場を経て道路に至る。東棟階段からは、二階から右北側出口へ、あるいは一階非常口から東ホール、ホテル事務所脇を通つて、西非常出口から一階屋内駐車場に至る。西棟階段からは一階非常口から西ホールへ下り、ブライダルサロンとこだま宝石店の間を抜けフロントロビーへ至る。南棟階段からは、三階及び二階の非常口から、中央階段を経てフロントロビーへ至り、二階非常口から宴会場階段を経て宴会場出入口へ、あるいは、一階非常口から南ホールを経てフロントロビーへ至ることのできたことがそれぞれ認められる。
(二) 避難所及び避難はしご
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(1) 四ないし一〇階の各階西棟北側廊下突当たりと、三ないし一〇階の各階南棟東南東側廊下突当たりに避難所が設けられており、広さは間口約二メートル、奥行約1.92メートル、床面、天井、左右の側面はコンクリートで、館内の廊下とは、避難所側に開く鉄製観音開扉(高さ約2.15メートル、幅約1メートル)で区画され、各避難所の床面(西棟四階、南棟三階を除く。)に約六九センチメートル×約五三センチメートルに切り開かれた避難口が設けられ、避難口には鉄製蓋が取付けられているが、その壁面(高さ約2.15メートル)に、鉄製固定式はしごが一〇階から四階(西棟)あるいは三階(南棟)まで垂直に、各階の右避難口を貫通し、連続して取付けられており、右蓋を開けばその上下階を昇降できるようになつている。そして、右扉の廊下側には「非常口」「FIREEXIT」と記載があるほか、扉の上方には緑地に白字で「避難タラップEXIT」と表示された避難口誘導灯が取付けられていた。
(2) 南棟三階の避難所には、下へ降りる避難口はないが、赤色鉄製箱内に鉄製つり下げ式避難はしご(チェーン式)が収納されており、これを利用して同所直下の二階梅の間ベランダへ下り、更に同ベランダに設置されている鉄製の避難橋で地上へ下りることができる(別紙図面(九)、(一三)参照。)。したがつて、上階から同避難所まで至つた場合には、右の方法によるか、三階廊下へ出て、南棟非常階段を下りて地上へ避難することになる。この他に地下一、二階にも避難はしご等が設置されていた。西棟四階避難所にも床面に避難口はなく、上階から同所へ下りた者は、四階廊下へ出て西棟非常階段で避難するか、同避難所に設置された救助袋(後記)によつて避難することになる。各避難所天井中央付近には、はめ込み式照明灯(二〇ワット一個、二CP・約五ワット一個)があり、停電時には二CP一個のみが点灯する。
(3) 右の設置状況からみると、各避難所は、狭い避難口に長い垂直はしご(地上までは至らない。)というもので、しかも照明も暗いため迅速に多数人が避難することは困難であり、さらに、その扉には自動閉鎖装置がないため、戸を閉めないと避難者が館内の火煙から守られないだけでなく、大きな通気口となり、延焼拡大の一因ともなりうる危険性があつた。
(三) 救助袋 <証拠>によれば、前記四ないし一〇階の西棟の各避難所及び各東ホール北東にある貸倉庫内には、各一基の救助袋が置かれていた。右各救助袋は、布製で入口金具(縦約六三センチメートル、横約六二センチメートル)が上端部に、把持用取手一二個、砂袋付誘導綱が下端部にそれぞれ取付けられている斜降式救助袋である。西棟各避難所においては、その床面西南隅の鉄製格納箱(高さ1.3メートル、幅約0.85メートル、奥行約0.6メートル)の中に折畳んで収納され、前記各貸倉庫内では、窓際に二本の鉄棒を立て、フックを付けた救助袋固定設備に、折畳まれて取付けられている。右各救助袋を投下すると、右各避難所のものは、ホテル建物二階部分に相当する二階駐車場(別紙図面(八)参照。)コンクリート床面に落下し、右各貸倉庫内設置のものは、東側(日比谷高校側)駐車場奥(別紙図面(二)参照。)コンクリート床面に落下するが、右の各床面には救助袋固定用のフック等の設備(下部支持装置)はいずれも設置されていない。右各救助袋は投下するのに大人約三人、投下された救助袋を地上で支持するのに数人を要するものであり、また、右各貸倉庫に設置されたもののうち、九階のものは、穴があくなど損傷して取りはずされていた。以上のとおり、右救助袋は、使用可能なものでも、少なくとも一〇名程度の者が、地上と投下場所とで適切に連係し、組織的に活動しなければ有効に利用し得ない状況であつたことが認められる。
(四) 誘導灯等 <証拠>によれば、本件建物には、非常電源設備(地下二階の蓄電池または各灯内蔵充電池。)により、停電時にも点灯する誘導灯、非常灯があり、四階以上のホテル客室、貸事務所のほぼ各室の窓寄りの天井に、約二〇ワットのダウンライト(直流電源付)の非常灯が取付けられていた。また、四ないし一〇階の前記各避難階段入口、避難所扉廊下側、東棟貸倉庫前の各廊下天井には、それぞれ横長箱型の避難口誘導灯(二〇ないし二五ワットの照明、階段入口のものは長さ約六〇センチメートルの大型で充電池付。)が各一個取付けられており、前記のとおりそれぞれ日、英二か国語で、「非常口」、「避難タラップ」、「救助袋」、「EXIT」等と表示されていた。各ホール天井には、前同様のダウンライトと横長箱型の通路誘導灯(一〇ワット螢光灯、充電池付)が非常口の方向を表示するように取付けられており、中央ホールから直接延びる三方向の廊下及び東棟北側廊下のほぼ中間部の片側壁面上部にも、前同様の通路誘導灯各一個が取付けられ、ほぼ数部屋ごとに廊下中央部の天井に前同様のダウンライトが各一灯取付られていたことが認められる。
五まとめ
以上認定の各事実によれば、本件建物は、これまでみたとおり、外観上は近代的な都市型ホテルで、防災諸設備も一応設置されていたものの、スプリンクラー設備やこれに代る防火区画は一部分にしかも不完全な形でしか備えられていなかつたうえ、建物の構造の複雑さ、利用状況の多様性、特に多数の内外国人の高層階の宿泊利用、内装材、家具等可燃物が多く、これに館内の異常乾燥、客室、廊下、パイプシャフトスペース等の区画の不十分さ、既設の防火区画、消防用諸設備の機能、管理上の欠陥等々が相俟つて、出火の危険性を高めているだけでなく、着火炎上した場合、火勢が急速に拡大し、その火煙によつて宿泊客ら多数の人身に重大な危険を生ぜしめる可能性が高かつたものと認められる。
第三ホテル・ニュージャパンの防火管理体制等
一関係消防法令による規制
1 消防用設備等の設置・維持義務
本件建物は、前記のとおり、多数の収容人員を有する大規模な高層ホテルであるため、従前から、政令で定める防火対象物として、所有者、管理者等の関係者は、消防用設備等を設置、維持する義務が課されていた(消防法二条四項、一七条一項、同法施行令六条等)。そして、右の消防用設備等のうち、屋内消火栓、消火器、自動火災報知設備、非常放送設備、避難はしご等の避難用設備等の設置状況は、前記のとおりであり、おおむね消防法令に合致して設置されていた。しかし、昭和四九年の消防法の一部改正によつて、スプリンクラー設備、屋内消火栓の非常電源等の設置が新たに義務付けられ、この設置義務は、既存建物であるホテル等についても、昭和五四年四月一日から遡及適用されることとなつた(同法一七条の二、二項四号、同改正法附則一項四号等)。
(一) スプリンクラー設備及び代替防火区画の設置義務 右改正により、ホテル・ニュージャパンにおいても、地下二階電気室等を除くほぼ全館に、前記スプリンクラー設備等を昭和五四年三月末日までに設置しなければならなかつたが(同法施行令一二条一項三号、二項一号等)、次のような代替防火区画を設けることによつて、右スプリンクラー設備設置義務の規定は、その適用を免れることとされていた(同法施行令三二条、昭和五〇年七月一〇日消防安第七七号消防庁安全救急課長通達・以下、七七号通達という。)。
(1) 本件ホテルの客室、貸事務所及びこれらに面した廊下の部分(ほぼ四ないし一〇階の部分が該当する。)については、後記(ア)ないし(オ)の各要件を満たし、その区画面積を四〇〇平方メートル以内としたもの(四〇〇平方メートル区画)、または、同(ア)、(ウ)、(エ)、(オ)の各要件を満たし、その区画面積を一〇〇平方メートル以内としたもの(一〇〇平方メートル区画)が代替防火区画とされていた(七七号通達第一、1、(2)等)。
(ア) 耐火構造の床、壁または防火戸で区画すること
(イ) 壁及び天井の室内に面する部分は、準不燃材料等で仕上げられていること
(ウ) 右区画の開口部は、原則として合計八平方メートル以下(一開口部四平方メートル以下)とすること
(エ) 右開口部には、自動閉鎖式甲種防火戸(常閉部分、客室扉等)、または、煙感知器連動式甲種防火戸(常開部分、廊下等)が原則として取りつけられていること
(オ) 階段、エレベーター、パイプシャフトスペース(ダクトスペース)等を竪穴区画とし、前記防火区画の壁等を貫通する給排水管等と壁等のすき間は不燃材料で埋戻しされていること
(2) 本件建物の宴会場、ロビー、食堂(厨房、配膳室等を除く。)及びこれらに面した廊下の部分(ほぼ一ないし三階の部分が該当する。)については、前記(1)、(ア)、(イ)、(エ)、(オ)に該当するほか、二方向避難が確保され、感知器は煙感知器とされ、カーテン等に防炎処理がなされ、夜間の見回りなどの防火管理を徹底したうえ、区画面積を一五〇〇平方メートル以内としたものが代替防火区画(広間等区画)とされていた(七七号通達第一、1、(3)、建築基準法施行令一一二条一項)。
結局、本件建物については、昭和五四年三月三一日までに、前記消防法令にのつとつてスプリンクラー設備、または代替防火区画等を設置しなければならなかつたものである(右改正法による消防用設備等の設置工事を、以下、遡及工事という。)。
(二) 消防用設備等の点検報告義務及び消防署長の措置命令権 本件建物の既設の消防用設備等については、おおむね年二回以上外観・機能点検を、年一回以上総合点検を、それぞれ消防設備士又は消防設備点検資格者により実施し、右点検結果を年一回消防署長に報告しなければならないものとされ、右報告をしない場合には罰則が適用されることとされていた(消防法一七条の三の三、四四条、同法施行規則三一条の四等)。そして、消防署長は、本件建物の関係者で権原を有する者に対して、消防用設備等が法令で定めた技術基準に従つて設置、維持されていないと認めるときは、右基準に従つて設置すべきこと、または、その維持のため必要な措置をなすことを命ずることができ、これに従わない場合にも、罰則が適用されることとされていた(消防法一七条の四、四二条七号、四四条八号等)。
2 防火管理等
本件建物は、政令で定める多数の者が出入りする防火対象物として、その管理について権原を有する被告人横井(管理権原者)によつて、被告人幡野が防火管理者(防火管理者資格講習修了者)に選任されていたが、右管理権原者及び防火管理者には、消防法上次のような義務が定められていた。
(一) 管理権原者の一般的責務 管理権原者は、防火管理者を指揮して、当該防火対象物について、後記のような消防計画を作成させるとともに、同計画に基づいて、消火、通報、避難訓練の実施、消防用設備等の点検、整備、避難及び防火上必要な構造、設備の維持管理、収容人員の管理等防火管理上必要な業務を行わせなければならないものとされていた(消防法八条一項)。
(二) 防火管理者の一般的責務 防火管理者は、必要に応じて、管理権原者の指示を求め、防火管理の業務に従事する者に必要な指示を与えるなどして、誠実にその職務を遂行し、かつ、その防火管理業務の大綱となる次のような消防計画を作成し、後記の訓練を実施しなければならないものとされていた(同法施行令四条)。
(三) 消防計画 右消防計画は、自衛消防の組織、防火対象物の自主検査、消防用設備等の点検、整備、避難通路、避難口等の避難施設の維持、管理及びその案内、防火壁、内装その他の防火上の構造の維持、管理、消火、通報及び避難訓練の実施、火災等の災害が発生した場合における消火活動、通報連絡及び避難誘導、その他防火管理等に関する必要な事項等についてこれを作成し、消防署長に届け出なければならないものとされていた(消防法施行規則三条一項)。
(四) 自衛消防隊 防火対象物の管理権原者は、火災発生の際に、初期消火及び避難誘導等の活動を効果的に行うために必要な人員(本件建物では二二名以上。)及び装備(防火衣、消防用ヘルメット、携帯照明具、消火器、携帯用拡声器等。)を有する自衛消防隊を編成し、その訓練を行うとともに、その隊長及び隊員に、消防技術についての後記の講習(消防長が定めるもの)を受けさせなければならないものとされていた(東京都火災予防条例五五条の四、同条の五、同条例施行規則一一条の五、同条の六)。
(五) 消火、通報及び避難訓練 防火対象物の管理権原者は、前記の自衛消防隊を組織し、消火、避難、消防隊との連絡等について、訓練を行うよう努めねばならないものとされ(同条例五五条の四、同条の五)、また、防火管理者は、前記消防計画に基づき、右訓練を定期的に実施しなければならず、特に、避難訓練については、その実施を消防署に事前に通報したうえ、年二回以上実施しなければならないものとされていた(消防法施行規則三条四項、五項)。
二消防当局の指導等の状況
1 遡及工事等
<証拠>によれば、ホテル・ニュージャパンに対しては、その所轄署である麹町消防署が中心となつて、前記消防法改正後の昭和五〇年三月に右法改正の説明会を開催し、同年一二月一七日遡及適用となる設備、法解釈等について、同ホテルに出向いて指導したのをはじめとして、次のような指導を行つて遡及工事の促進を図つていたことが認められる。
(一) 改正消防法遡及適用前(被告人横井社長就任前)
昭和五一年六月二八日、昭和五二年七月五日、昭和五三年六月二日にそれぞれホテル・ニュージャパンへの立入検査を実施し、即存設備の問題点や要改善箇所を指摘して改善を求めるとともに、遡及工事の対象となる未設置部分を指摘して、昭和五四年三月三一日までに、スプリンクラー設備等の遡及工事を完了するように指導した。
昭和五二年三月初め、指導書(同年二月二八日付)を交付して、法改正の趣旨、改修期限、代替防火区画等を説明し、同年四月一九日同ホテルに赴いて、遡及工事についての具体的な工事内容等の指導を行い、昭和五三年二月一七日遡及工事の進捗状況を、防火管理者の西吾平、総務部長の被告人幡野らから聴取したうえ、同年四月二五日には、同被告人らに、期限までに工事完了できないならば用途変更すること(ホテルの廃業)も示唆するなどして、強力に遡及工事の推進を指導したが、結局、スプリンクラー設備等の設置は、後記のとおり一部しか行われず、そのため、昭和五四年三月三一日付指導書で、改正消防法遡及適用(昭和五四年四月一日)後は消防法一七条一項違反の状態となるので、早期に遡及工事を完了するとともに、継続工事期間中の防火管理を後記のように特に強化するよう指導した。
(二) 改正消防法遡及適用後(被告人横井社長就任後)
(1) 立入検査等 消防当局としては、昭和五四年五月二二日、昭和五五年六月二三日、同年一二月九日、昭和五六年五月七日、同年八月二八日にそれぞれ同ホテルへの立入検査を実施し、各査察後の講評で、遡及工事の未了部分を含めた違反箇所(防火戸機能不良、パイプシャフトや防火区画の配管貫通部周囲の埋戻し不完全、感知器の感知障害等。)等を指摘したうえ、当該立入検査からおおむね数日以内にその結果通知書を同ホテルに交付し、各違反箇所の改修状況及び改修計画について、報告を求める指導を実施した。
右各立入検査の際などに遡及工事の促進を指導していたほか、同ホテルに赴き、あるいは消防署に出頭を求めるなどして、ホテル側に対し、昭和五四年七月以降、毎月のように遡及工事の具体的な施行方法や工事の早期実施、促進を指導し、特に、昭和五六年に入つてからは、同年九月に後記命令書を交付するまでの間だけでも、十数回同様の指導を繰り返し、被告人幡野らに遡及工事の促進方を督励していた。
(2) 消防署長と被告人横井との面談等 消防当局としては、遡及工事未了のまま経営者が交代したので、被告人横井に対し、既に消防法違反の防火対象物となつている本件ホテルの遡及工事を、早急に完了させるよう要請するため、昭和五四年六月初めから、麹町消防署長との面談を再三にわたり申し入れていたが、被告人横井がこれに応じなかつたため実現の機会がなく、昭和五五年二月一四日ようやく副社長の邦彦と同署予防係長らが面会して、遡及工事の進捗状況を聴取するとともに、同工事の早期完了を指導したほか、その直後及び同年八月の二度にわたり、防災改修工事の促進等を求める指導書をホテル側に交付し、昭和五六年七月には同署予防課長らが、再度、同副社長と面会し、遡及工事の促進を指導するとともに、被告人横井との面談を強く求め、ようやく、同年八月二〇日同署長と被告人横井との面談が実現した。
右面談の際、同署長において、既に改正消防法施行後二年五か月近く経過しており、本件ホテルが同署管内の大規模事業所として、唯一遡及工事未完了の防火対象物であり、表示公表制度施行により、公表されることにもなることなどを指摘して、強く遡及工事の早期完了を求めたが、被告人横井において、具体的な着工、完了日時を明示するなど積極的な姿勢がみられなかつたため、前記措置命令を発することとなり、同年九月一一日、東京消防庁麹町署長名で同日付の命令書(スプリンクラー設備を未設置部分に昭和五七年九月一一日までに設置することを命ずるもの。)が交付された。右命令書交付後も、消防当局としては、本件ホテルの担当者に、それ以前よりも一層頻繁に連絡をとり、邦彦副社長との面談も求めるなどして、遡及工事の早期着工、完了をより促進させるよう指導していた。
2 防火管理等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 消防当局は、平素から防火管理等について、次のような指導、要請を行つていた。
防火管理者資格講習において、消防計画の作成にあたつて、ホテル側としては、客の人命安全を最重点とした避難誘導体制を確立すること、特に営業時間が終夜に及び、宿泊客を多数収容しているため、自衛消防隊も夜間の活動に重点をおいて編成すべきであること、、宿泊客が就寝し、客室が細分化されているため、出火しても発見、通報が遅れやすいため、消防用設備等(特に自動火災報知設備、放送設備等)の維持管理、点検整備を徹底する必要があること、災害時の従業員各自の任務を明確化し、火災予防のための組織を充実することなどを重点とし、消防計画案が作成されたら、これに基づき実際に消防訓練を実施して改善すべき点を改め、実情に即したより具体的で妥当な消防計画を作成するように指導していた。
また、自衛消防隊の隊員(隊長)講習において、自衛消防活動としては、人命救助を第一とし、十分可能であれば初期消火を実施し、困難であれば、直ちに防火区画を有効利用し、一一九番通報、避難誘導を実施すること、有効な避難誘導を実施するには、事前に行動内容を定め、任務分担等を隊員に周知徹底することが必要であること、そのためには、実態に即した消防計画を樹立し、消防訓練を実施することが肝要であること、消防訓練には建物配置図等で各自の任務を確認させる図上訓練、各隊員に担当任務のための必要行動をとらせる配置訓練、屋内消火栓操作等の基礎動作を習熟させる基礎訓練、消火、通報、避難等を個別に実施する部分訓練と部分訓練を連携して実施する総合訓練があり、法令上は避難訓練を年二回以上実施する義務があるが、ホテルにおいては総合訓練を年三回以上、部分訓練を年六回以上、基礎、配置、図上訓練は随時実施するように指導していた。また、右講習においては、実技として、自動火災報知設備、屋内消火栓等の一般的な構造、操作方法、救助袋等の避難器具の使用方法等の指導のほか、隊長に対しては、これらに加えて各地の火災例を挙げ、実際の火災時の指揮方法等も指導していた。
そして、前記1の各立入検査時に、ほとんど毎回、消防計画の未修正、自衛消防隊編成の現状不適合、消火、通報、避難訓練の不十分ないし不実施、従業員への教育訓練不適等を指摘し、立入検査結果通知書で改修報告を求めていた。
(二) また、消防当局は、昭和五四年三月三一日付指導書において、遡及工事未了のため、同年四月一日以降消防法違反となるので、継続工事中、未改修設備の補完となるように、大略次のとおり、防火管理等の強化を指導した。
(1) 出火防止のため、各階等に火元責任者を置くほか、巡視の回数を増加して監視体制を強化し、また、人命安全確保のため、通報連絡、避難誘導、初期消火等の具体的かつ実効ある体制を確立する。
(2) 延焼拡大防止のため、一五〇〇平方メートル区画の機能保持、出火時における防火扉の確実な閉鎖、出火時における空調設備の停止等を確実に行えるようにする。
(3) 工事期間中における防火管理をより一層充実強化するため、新たな消防計画を作成し届出るとともに、自衛消防隊員及び全従業員に対する消防教育訓練等を実施する。
(4) 消防用設備の保守、点検、整備の徹底を図るため、自主点検を毎週実施して機能保持を確保し、消防用設備等の補充強化として消化器等を増設する。
三ホテル・ニュージャパンの対応
1 遡及工事等
(一) 被告人横井社長就任前
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(1) 遡及工事案の検討 ホテル・ニュージャパンにおいては、前記のように消防法改正に伴い、昭和五〇年ころから、総務部(部長被告人幡野)営繕課が中心となつて、遡及工事について検討を始め、本件建物の施行業者である大成建設株式会社(建築関係)、三菱電機株式会社(設備関係)にも検討を依頼し、消防当局の指導も仰いだうえ、昭和五二年五月に次の三案が作成された。
A案(概算見積額約六億円) スプリンクラー設備を地下階(機械室を除く。)及び一ないし三階のフロントロビー、店舗、厨房、配膳室等に設置し、一ないし三階の残りの部分は四〇〇平方メートル区画等とし、四ないし一〇階の客室、貸事務所等の部分は一〇〇平方メートル区画、その各廊下部分は四〇〇平方メートル区画とするもの。
B案(右同約一三億円) 必要箇所に全館スプリンクラー設備を設置するもの。
C案(右同約八億円) 三階以下はスプリンクラー設備を設置し、四階ないし一〇階はA案と同様の代替防火区画とするもの。
(2) 遡及工事の施行 ホテル・ニュージャパンでは、右三案を役員会において検討した結果、A案に基づいて施行することとなり、昭和五二年五月二七日、その旨の改善報告書を麹町消防署長宛に提出した。同報告書によれば、昭和五三年二月着工、昭和五四年三月末には工事完了の予定となつていたが、資金不足等のため、現実には次の程度の施行となつた。
代替防火区画工事については、四階が昭和五三年八月一七日、七階が同年一一月二〇日にそれぞれ着工され、四階は同年九月二二日、七階は同年一二月一九日一応完了した(消防当局からは、少なくとも四階層分づつ同時着工するように指導されていたうえ、右二階層部分についても前記のとおり一部不備が残つていた。)。
スプリンクラー設備については、右三案検討中一階貸店舗の改装があつたため、昭和五一年三月までにその店舗(本件当時は「サンタマリア」、「エミエール」)にスプリンクラーヘッドと枝管を設置したほか、昭和五四年三月地下二階から地上三階までのスプリンクラー用主管(縦管)とスプリンクラー用ポンプ等の設置工事に着工した(麹町消防署長には、同年三月一六日付で三階以下のスプリンクラー設備工事全部を行う旨の工事実施計画書を提出した。)。右工事の際に、併せて一階貸店舗(宝石店「こだま」)のスプリンクラーヘッドと枝管も設置した。
(3) 継続工事等 ホテル・ニュージャパンでは、改正消防法の遡及適用(昭和五四年四月一日)までには、以上の程度の工事しか実施しなかつたため、同年三月二八日に、「消防法遡及改修工事の継続工事願い」と題する書面を麹町消防署長宛に提出した。同書面によれば、累積赤字が多く資金不足のため、昭和五六年三月末までに、残余の遡及工事を前記A案のとおり完了させるとしていた(当時資金予定としては、外堀通り側敷地の一部が東京都の道路用地として、後記のとおり買収が見込まれていたため、その買収金を充てるものとしていた。)。
そこで、麹町消防署においては、右継続工事願い書について、現にスプリンクラー設備の工事中であり、その管理権原者が、その後も工事を継続して二年以内に完了させる旨約束している文書として、これを受理したうえ、遡及工事の促進を図ることとし、前記指導書(同年三月三一日付)を交付して、同年四月一日以降消防法違反の防火対象物となることを指摘するとともに、消防用設備等の未設置を補完するために、防火管理を特に強化するように指導した。
(二) 被告人横井社長就任後 <証拠>によれば、次の各事実が認められる。すなわち、前記スプリンクラー設備の主管等の工事は、被告人横井の社長就任直後の昭和五四年六月末ころ完了したが、その後一階のファイブレース(昭和五五年三月)及び二階のエクセレントクラブ(同年一〇月)が店内を改装した際、各店の自費でスプリンクラーヘッドと枝管(エクセレントクラブは主管と接続)を設置したのみで、前記の「遡及改修工事継続工事願い」書で申し出た昭和五六年三月に至つたため、同月二〇日被告人幡野が、「再延期願い」書を麹町消防署に届けたものの受理されず、また、同年五月三〇日付の「スプリンクラー設備工事延期願い」と題する書面を同年六月二日提出したが、完成予定期限が昭和五九年三月となつていたため、これも受理されず、結局、昭和五七年三月末を完了期限とする工事工程表(九階は昭和五六年八月初旬着工、同年一〇月初旬完了。)を付した防災工事の現状報告の形にして、昭和五六年六月四日ようやく受理された。
その間、昭和五四年五月ころから、邦彦を中心として、消防用設備等をも含めた同ホテルの後記第三、四、1、(一)、(3)の大改装計画が検討され、同年九月に総額約一六八億円の概算見積りが出されたが、その後右計画は進展せず、また、昭和五五年一月ころから、ヤマト消火器販売商事株式会社に遡及工事の見積りを依頼し、同年七月ころ全体の見積書が提出されたものの、これに基づく工事の発注は行われなかつた。
ホテル・ニュージャパンは、その後も前記のような消防当局の指導を受けながら、スプリンクラー設備等の遡及工事を再開せず、昭和五六年一〇月の邦彦副社長の婚礼に間に合わせるため、同年八月から同年九月末ころまでの間に、約二億円の費用をかけて、二階大宴会場の改装工事を実施し、同宴会場の内装を不燃化し、壁を補修するなどしたほか、右工事に引続いて同宴会場前の中央ホール南側廊下等にスプリンクラーヘッドと枝管を設置し、これを主管と接続する工事を実施したのみであつた。
昭和五六年八月二〇日、前記のとおり被告人横井が麹町消防署長らと面談し、同年九月一一日には前記命令書が交付されたが、同年八月下旬能美防災工業株式会社に地下一階部分のスプリンクラー設備等の防災工事の見積りを依頼し、同年一〇月初めにその見積書(総額約五〇〇〇万円)が提出されたものの、結局、発注せず、また、トーヨー建装株式会社には、右命令書受領後の同年九月中旬ころ、同様の防災工事の見積りを依頼し、同年一〇月末ころその見積書(見積額六〇〇〇万円)が提出された。そして、早期着工を督促する消防当局の指導もあつて、昭和五七年一月九日一応契約書を作成したが、被告人横井が代金額を三五〇〇万円に値切つたため、工事代金額、支払方法等の合意ができず、同年二月六日、前渡金一五〇〇万円を支払うことで、ようやく同社において着工準備にかかつたものの、着工するまでには至らず、また、その他の階については、野田資材部長が昭和五六年一二月一一日ころ、五、六、八ないし一〇階の代替防火区画工事の見積りを大成建設に依頼し、昭和五七年二月一二日にその打合せをする予定が組まれたのみで、結局、本件火災が発生するに至つた。
2 既存設備の改修及び保守、点検等
(一) 防火戸等 <証拠>によれば、前記のとおり、防火戸、防火シャッター等は、消防当局による立入検査の都度、その機能不良(閉鎖不全)等が指摘されていたものの、本件ホテル建設当初に設置されて以来、三階以下に追加工事等がなされたほか、格別改造、改修等はなされず、本来の機能保持のために必要な専門業者による定期点検、整備(外観点検三月に一回以上、機能点検一年に一回以上、精密点検三年に以上一回)も、次のとおり甚だ不十分な状況であつたことが認められる。
すなわち、三階以下は、防火戸、防火シャッター等の定期点検が昭和五〇年四月から実施されていたものの、被告人横井の支出削減の方針によつて、その点検費用支出の決裁が下りないおそれが生じたことなどから、右定期点検は、昭和五五年五月を最後に、以後実施されなくなつてしまつた。また、四階以上の防火戸については、専門業者による定期点検を全く行つておらず、各階中央ホールの防火戸と、立入検査で指摘された防火戸等について、一度だけ専門業者に点検、整備させたが、その際、一〇階中央ホール南棟側防火戸のフロアヒンジの出力不足など部品交換を要するものや、天井、じゆうたんなどが当たつて防火戸の閉鎖しないものについて改修せず、さらに、防火戸の閉鎖障害となる九、一〇階廊下のじゆうたん敷替え工事(昭和五六年七月)の際にも、十分な監督、点検を行わず、じゆうたんに防火戸が当たる部分の補修等も行わせなかつた。
(二) 自動火災報知設備 <証拠>によれば、昭和四六年九月に設置された自動火災報知設備は、館内地区ベルの自動鳴動の機構のままでは、パニックを起すおそれがあるとして、その後各階別の警報電鍵を付けるように改造されたが、受信機の表側には取付ける余地がなかつたため、扉内部に右階別電報電鍵を取付け、前記(第二、四、2、(一)、(3))のような形となつていた。この保守点検については、社団法人東京火災報知設備保守協会と契約して、同協会派遣業者によつて、毎年ほぼ一、四、七月に外観、機能点検を、一〇月に総合点検を実施しており(この点検費用の支払いも昭和五五年一〇月以降滞り、本件火災直前右契約は解約されている。)、昭和五七年一月一二、一三日にも外観、機能点検が実施され、形式的には消防法上の要請を満していたが、前記のとおり、銅管端子の外れなどの感知器の調整不良や副ベルの誤配線(昭和五四年八月ころの検査時誤接続)等は看過され、、改修されないままとなつていたことが認められる。
(三) 非常放送設備 <証拠>によれば、昭和四六年六月ころ、前記(第二、四、2、(二))のとおりの非常放送設備が設置され、昭和四九年から昭和五四年七月ころまで、専門業者による定期点検を実施していたが、その後は点検費用を被告人横井が大幅に削減するなど、同費用を支払える見込みがなくなつたため、専門業者による点検は実施されず、このため、本件当時には前記のとおり(同2、(二)、(4))メインヒューズが取替えられ(昭和五六年一月三〇日に応急的に替えられたもの。)、パワーアンプ等が故障したまま放置されていたことが認められる。
(四) 防火区画等 <証拠>によれば、パイプシャフト周囲の埋戻し不完全、防火ダンパー未設置については、遡及工事の際に併せて改修することとされていたため、四階、七階については前記(第三、三、1、(一)、(2))のとおりほぼ改修されたものの、九、一〇階を含むその余の部分については、前記立入検査での指摘箇所も含めて、ほとんど改修されていなかつた。ただ、消火器、避難器具等については、費用が少額であつたため、専門業者による点検が実施されていたことが認められる。
(五) 点検結果報告 <証拠>によれば、前記(第三、一、1、(二))のとおり、改正消防法の施行により、昭和五〇月四月一日から、消防用設備等の点検報告義務が課されていたが、ホテル・ニュージャパンでは、昭和五五年七月に昭和五四年度分の報告をしたのを最後に、その後報告は実施していなかつたことが認められる。
3 消防計画の作成、消防訓練の実施等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 消防計画 ホテル・ニュージャパンでは、昭和三八年四月に消防計画書を作成して消防当局に提出し、内部的には二三条からなる防火管理規程において、防火管理組織、自衛消防組織、消防用設備点検、防火教育、消防訓練等の事項が定められており、昭和四八年一部変更された以後、本件当時まで変更されていなかつた。右規程では、ホテル・ニュージャパンへの出入請負業者、館内に事業所をおく団体、会社にも適用することとされ、警備会社、本件建物の保守管理業者等にも伝えて、夜間の自衛消防隊編成にその従業員らを組み込み、消防訓練にも参加させることとされていた。
(二) 自衛消防隊 当初編成された自衛消防隊は、従業員の変動に伴つて変更したうえ、麹町消防署に届出、内部的には各課に改正した編成表写をその都度配付していた。しかし、昭和五一年一〇月に自衛消防隊の編成替えが行われたのを最後に、昭和五五年六月以降は、前記立入検査でほとんど毎回指摘されていながら、その再編成は全く行われなかつた。
最後に組織された自衛消防隊においては、昼間は、警備員、保守管理会社従業員、テナント従業員をも組み込み、宿泊部長を隊長、料飲部長を副隊長とし、前記講習受講隊員四一名を中核とする総員一三九名で編成され、夜間は、専任のナイトマネージャーを隊長とし、警備員(四名)、保守管理会社従業員(一四名)を加えた夜間勤務者全員約四五名(フロント一〇名)で編成されていた。
夜間の右編成内容は、その編成表において、宿泊客全員の安全確保を第一目標とする基本方針の下に、消火活動、各方面への連絡、通報、宿泊客等の避難誘導、救護活動その他の任務分担が細かく定められていたほか、ヘルメット、懐中電灯等ほぼ前記火災予防条例で定めるものが各課に配備されていた。
(三) 消防訓練 昭和四四年ころから昭和五四年三月までは、年間訓練計画表を総務部営繕課で毎年作成し、警備会社、保守管理会社の従業員らも含め、三〇名ないし五〇名程度参加して、総合訓練または部分訓練を年に三、四回実施し、その際、点検業者も立会い、自動火災報知設備、非常放送設備の点検も併せて実施していた。そして、右総合訓練では、訓練参加者が第一発見者、消火班、避難誘導班等に分かれ、火災発生時を想定して、通報、消火、避難等に関する具体的訓練を総合的、統一的に行い、右部分訓練は、右のうち一部を個別的に行うものであつた。
被告人横井が社長に就任した後は、年間訓練計画の作成も実際の訓練も全く行われていなかつたが、前記のように立入検査等で毎回指摘され、厳しく指導を受けたため、昭和五六年一〇月二〇日被告人幡野の指示で通報、避難訓練を実施したが、前提となる自衛消防隊の再編、消防計画の修正が行われていなかつたばかりか、営利に直結しないこの種の行事に消極的な被告人横井にはこれを知らせず、実施の際にも同被告人の叱責を気にかけながら、参加人員も二〇名程度でこれを行い、後記のように警備員はほとんど参加せず、非常電話を使用した以外は、地区ベルはもちろん、主ベル、副ベルも鳴らさず、非常放送も行わず、参加者も真剣味に欠けるといつた誠に形式的なものであつた。そのため、立会つた消防係官から非常ベルや非常放送を用いて実効性のある訓練を実施するように指摘されたほどであり、その後も本件火災に至るまで全く消防訓練は実施されなかつた。
四被告人横井の社長就任後の問題点
1 被告人横井の遡及工事への対応
(一) 遡及工事促進の進言等
<証拠>によれば、被告人横井に対しては、消防当局から前記のような働きかけがあつたほか、ホテル・ニュージャパンの関係者らからも、次のような進言等がなされていたことが認められる。
(1) 昭和五四年四月二五日、ホテル・ニュージャパンの労働組合執行委員長が、社長就任予定の同被告人と話合った際、スプリンクラー設備等を設置してほしい旨の要望を出し、同席していた西専務からも遡及工事の施工が一部のみで、法定期限が昭和五四年三月末に切れている旨説明を受け、同被告人は空調関係等他の工事と総合的に検討する旨回答した。
(2) 同被告人は、昭和五四年五月二八日社長に選任された当日、西専務の案内で館内を巡視した際、同専務から、四、七階の防火区画工事とスプリンクラー主管工事がなされただけで、遡及工事の期限を徒過している旨の説明を受け、また、そのころ、部長以上の者を集め、各部門の報告をさせた際も、被告人幡野からスプリンクラー設備の工事を促進してほしい旨の説明を受けているほか、提出させた同ホテル改造のための懸案工事実施計画(案)(第一項に消防法改正遡及工事三億九七〇〇万円、現状・既存設備の大半が消防法による不適、改修案・三階以下スプリンクラー設備と四〇〇平方メートル区画、客室階一〇〇平方メートル区画のうち四、七階完了、三階までのスプリンクラー用縦管配管工事着工、他は未着工という旨の記載のあるもの。)にも目を通している。
(3) 被告人横井は、社長就任直後から、ホテル・ニュージャパンの増収を図るため、同ホテルの大改装を計画(三階までをショッピング・レストラン街とし、赤坂東急ホテル前の高架歩道を延長して接続させ、四階以上をホテルとするなどというもの。)し、邦彦副社長を中心として検討させていた際、同年六月中旬ころ、右邦彦から、消防署に遡及工事を督促されており、改装するには全館にスプリンクラー設備設置の必要があることがきかされ、右改装計画の検討を依頼した設計業者からも、同年八月ころに、消防署からの本件建物の改善猶予期間は二年であり、同計画実現には概算総額約一六八億円を要すること、ホテル建物が老朽化しているため、給排水、電気関係等の全面的な改修のほか、設置期限が三月末に切れているスプリンクラー設備、代替防火区画の設置が必要である旨説明され、被告人横井も消防署の遡及工事の督促に対しては、大改装計画の中で検討して一括して実施する旨回答するよう邦彦に指示していた。
(4) 大阪銀行からホテル・ニュージャパンの経理部次長として出向してきていた木村讃からも、同年八月以降、法令上防災設備設置義務があり、客の安全を保障するためには財産処分等を検討する必要がある旨たびたび進言されていたほか、同年暮には、ヤマト消火器販売商事株式会社社長山戸善弘からも、同ホテルのスプリンクラー設備、代替防火区画の設置期限が同年三月末で切れている旨説明を受けていた。また、西専務や被告人幡野からも、遡及工事を早期に実施するようつねづね進言されていたほか、昭和五五年六月以降は、前記立入検査結果通知書、指導書等が同ホテルに交付される都度、その写しを被告人幡野から手渡されていたうえ、その内容の要旨の説明とともに、遡及工事の早期実施の上申を受けていたが、被告人横井は、スプリンクラー設備設置義務違反で消防当局から告発されながら裁判でこれを争つていた渋谷東口会館の事例を持ち出し、既存建物に改正後の設備義務を遡及適用する改正消防法の批判を繰り返すなど、右進言や上申に耳を傾けようとしなかつた。
(5) 昭和五五年一一月末ころ、被告人幡野から川治プリンスホテル火災に関連して、万一の出火に備え、スプリンクラー設備等の工事を早期に実施するよう進言されたのに対しても、既に法定基準に見合う数だけ備え付けられている消火器を更に買い増すよう指示したのみでこれに応じようとはせず、また、昭和五六年八月ころ、前記大宴会場改装工事を請負つたトーヨー建装株式会社社長臼井淳からも、間仕切り壁が不完全なうえ、破損箇所や配管穴の埋戻し不完全箇所等があることを指摘されていた。
(二) 遡及工事の金額、工期等
<証拠>によれば、大成建設、三菱電機は、被告人横井が社長就任前、既に前記A案に従つて遡及工事を一部施工しており、この残工事の見積額は合計約五億円、工事期間は、ホテル営業を継続し二階層づつ施工する方式で約一年六か月、全館休業して施工すれば約九か月あれば足りるものであつた。なお、東京都内における同規模のホテルが行つた遡及工事の施工内容、工事期間、完了時期等は、別紙遡及工事状況等一覧表記載のとおりであることが認められる。
(三) 遡及工事の資金等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(1) 東洋郵船からの長期借入金の繰上げ返済
ホテル・ニュージャパンは、大日本製糖への合計約四八億円の債務返済資金として、東洋郵船から、昭和五四年三月三一日、約九億九〇〇〇万円を、利息年八分、昭和五四年六月から昭和六二年八月までの九九回の分割払(毎月約一〇〇〇万円宛)の約定で借入れていたが、株式取得によつて同ホテルの実質的な経営者となつた被告人横井は、昭和五四年四月四日に同ホテルの売上金等から二億円を東洋郵船に繰上げ返済させたほか、社長就任後には、一方では同年六月に同ホテルの諸支払を一時停止し、同年七月に銀行から約一億五〇〇〇万円、同年九月二六日には生命保険会社から四億円(利息年八分五厘)の借入れをさせるなどしながら、木村経理部次長らの反対を押し切つて、同年末までに、前記元金残額全部を東洋郵船に繰上げ返済した(その内訳は、同年六月一三日約二億四〇〇〇万円、同年八月一日二〇〇〇万円、同年九月二七日二億八〇〇〇万円、同年一一月二九日六〇〇〇万円、同年一二月三一日一億九〇〇〇万円)。なお、右繰上げ返済の理由について、被告人横井は、木村次長に対して、親会社依存の体質を断ち切る必要があると当時述べていただけであり、右返済金もその大半は、東洋郵船で格別緊急に処理する必要性の認められないものに用いられていた。
(2) 東京都の買収予定地についての対応
ホテル・ニュージャパン正面の道路(外堀通り)に面した玄関前の土地は、東京都における同道路の拡幅計画の収用対象土地とされ、その買収金を遡及工事資金に充てるべく、その買取請求書を都に提出済であつたところ、昭和五四年七月その評定価格として総額約七億七〇〇〇万円が呈示されたが、ホテル・ニュージャパンとしては、右買収に応じて着工に至れば、正面前の車寄庇の撤去を要し、駐車場の減少(約二五台分)は生じるものの、それ以外に営業上格別の支障はなく、契約の約一月後に約七億七〇〇〇万円が都から支払われるものとされていた(ただし、大阪銀行、紀陽銀行の抵当権設定があるため、入手額は各抵当権者との話合いの結果による。)。ところが、被告人横井は、右評定価格の倍近い価格を主張し、あるいは日比谷高校の土地を代替地として要求するなどして買収に応じようとせず、その後も、同年八月ころからは、木村経理部次長に、遡及工事資金等の調達のために、右買収に積極的に応じるように進言されるなどしたものの、東京都に対して右土地売却について何らの働きかけも行わなかつた。なお、当時右土地と同様に買収の対象とされた赤坂東急プラザ前の土地等については、東急不動産株式会社をはじめとする各土地所有者が各評定価格による買収に応じ、順調に買収計画は進行していた。
(3) 私道部分の売却代金
昭和五六年四月三〇日、ホテル・ニュージャパンは、その敷地の山王グランドビルと隣接する私道部分(209.55平方メートル)を同ビル所有者の菱進不動産株式会社へ五億五〇〇〇万円で売却しておきながら、被告人横井は、三億五〇〇〇万円で売却したとして、同額のみを同ホテルに入金し、残り二億円は、同年四月三〇日自己の個人名義の銀行口座に入金したうえ、その大半を東洋郵船の支払等に充ててしまつた(ただし、約二二五〇万円は本件火災後、その被害関係者への支払に充てられ、約四七〇〇万円は使途不明となつている。)。
(4) 日本開発銀行への融資申込み
昭和五五年三月ころから、ホテル・ニュージャパンの経理部長井原弘以下で、日本開発銀行に対して、遡及工事資金等約一二億円の融資申込みをし、折衝を重ねた結果、同年末ころ右開銀側から、東洋郵船からの援助や他行からの協調融資が得られれば、総額の四割程度は融資が可能な旨の意向を示されたが、被告人横井は、東洋郵船からの援助は実施せずに、昭和五六年四月ころになつて、総額約一〇〇億円の同ホテル全面改装案を作成させて、その融資を申し入れ、結局、いずれの融資も実現するに至らなかつた。
(四) その他の工事等 <証拠>によれば、被告人横井は、前記のように、スプリンクラー設備等消防当局から督促されていたものについては、いつこうに着工しなかつたが、昭和五六年八月からの前記大宴会場改装工事や、ロビーにシャンデリアを取りつけるなどの営業に直結する内装工事等は積極的に実施しており、また、同年初めから新館裏側に立体駐車場の設備を計画し、野田資材部長を督励して石川島播磨重工業から工事見積り(三基九〇台で約一億円)をとらせ、大成建設には前記消防署長の命令後の同年一〇月二〇日に、同様の工事設計依頼をさせるなどしていたことが認められる。
(五) 系列ホテルの遡及工事状況
<証拠>によれば、前記のように、被告人横井は、船原ホテル、パシフィックホテル茅ケ崎についても、その実質的な社主となつていたが、前記の改正消防法により、右両ホテルもホテル・ニュージャパンと同様にスプリンクラー設備等の遡及工事が義務づけられ、消防当局から指導を受けていながら、これを実施していなかつたところ、本件火災が発生するや、次のとおり、極めて短期間にいずれもその設備工事等を完了させていたことが認められる。
(1) 船原ホテルについては、改正消防法による遡及改修工事の期限は昭和五四年三月末であり、所轄の田方地区消防本部から昭和五四年四月以降再三にわたり勧告書、召喚状、警告書等の交付を受けるなど遡及工事(スプリンクラー設備設置、一部代替防火区画)の早期着工、促進等をたびたび指導されながら、右遡及工事に全く着工しなかつたのみならず、既設の一五〇〇平方メートル区画等も不完全なうえ、消火器、誘導灯、自動火災報知設備等にも不備があり、その点検結果報告すらなされていないという状況であつた。ところが、本件火災発生直後、被告人横井は、建設業者に直接遡及工事を依頼し、工事代金総額六五〇〇万円で昭和五七年五月上旬から突貫工事を行い、同年六月末には遡及工事としてスプリンクラー設備(一部代替防火区画)の設置を完了したほか、自動火災報知設備等他の法令上要求されている消防用設備等をも完備させた。
(2) また、パシフィックホテル茅ケ崎については、改正消防法の遡及改修期限は昭和五二年三月末日(複合用途防火対象物)までであり、所轄消防署から立入り検査時等にたびたび指導を受けたほか、昭和五五年一一月以降勧告書、警告書等を交付されるなどの指導を再三受けながら、スプリンクラー設備、代替防火区画等の工事は全く行わず、自動火災報知設備、非常放送設備、屋内消火栓等にも不備な点があり、また、消防訓練もほとんど実施されておらず、消防計画も昭和五六年九月にようやく一応作成提出されたという状態であつた。ところが、本件火災直後、被告人横井は、業者に遡及工事の見積りを直接依頼して、総額二億五〇〇〇万円で契約し、同年七月末、追加工事(代金約五〇〇〇万円)を含めて遡及工事(全館にスプリンクラー設備設置)を完了し、他の消防用設備等も完備させた。
2 被告人横井の営業政策等と防火管理への影響
同被告人は、社長就任後累積赤字の解消を目指して従前の経営方針を転換し、強力に独自の政策を推進してきたが、その結果、防火管理面にも次のような問題点を生じさせた。
(一) 支出の抑制 <証拠>によれば、前経営者藤山社長時代に行われていた年間予算を編成して支出する制度を、少額のもの以外ほとんど被告人横井の決裁により支出する方式(特に昭和五五年一二月以降は一万円以上の支出を伴うもの全件)に変更し、その決裁に当たつても、大幅にその金額を削減することが多かったため、消防用設備等の保守、点検費用等についても、それまで年間予算によつて確保されていたものが支出できなくなるなどして、前記のように、専門業者に保守点検等を委託することができなくなるものが生じた。
また、出入り業者に対する支払代金の減額や、支払いをホテル利用券で行うことを従業員に交渉させるなどしたため、業者とのトラブルが生じ、消防関係事務とともに仕入業務等を担当していた資材課に負担増を強いる結果となり、また、従業員の賞与、給与等の支払についても、これを遅らせたり、手形で支払うなどしたこともあつたため、生活不安等から従業員の士気を低下させ、防火管理業務に関しての意欲をも減退させる一因となつていたことが認められる。
(二) 過度の配置転換等と大幅な人員削減
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(1) 被告人横井は、前記のように合理化対策の一環として配置転換を頻繁に行い、昭和五四年九月から昭和五七年一月までの間に一六回延べ一七四名が配置転換され(平均して二月に一回)、その内容も一七、八年もフロントに勤務していた者を新入社員のやるルームサービスに、一五年客室関係の仕事をしていた者を宴会事務所に、一六年間宴会関係の仕事をしていた者を宿泊ページ係に、八年間宿泊関係の仕事をしている労働組合幹部を食堂のウエイターに出すなどというもので、資材課においても、永年営繕関係を担当し消防設備士等の資格をもつていた米野邦雄を宿泊部客室課へ回すなどという各従業員の勤労意欲を著しく減退させるような無差別、無方針のものが多かつた。
(2) また、管理職に対しては、昭和五六年一月二七日からは一日おきにホテルに泊り込み勤務を命じ、同年春からはこれを週五日に増やし、同年九月一日からは社長の許可を得た場合を除いて、休日も二か月に一回とする旨命じたり、被告人横井の命に反して使用したパート従業員の給与分を支配人(被告人幡野)以下数名の管理職に支払わせたりしたほか、被告人横井の泊り込みの命に反した管理職を即刻解雇するなど、命令違反には厳しい制裁を課した。従業員に対しても、些細なことでも命に従わない者等には、減給等の厳しい処分を行うように命じ、被告人横井のやり方に反対する労働組合に対しては、昭和五四年一一月に、日本同盟(右翼団体)の構成員数名を、社長室勤務として駐在させてその対応に当たらせるなど、強硬な姿勢で臨んだため、労使紛争が激化し、昭和五六年五月二六日には、東京都地方労働委員会から救済命令を受けるなどしていた。
(3) 右のような被告人横井の経営政策、労務対策等に嫌気がさすなどして退職者が相次ぎ、同被告人の社長就任時でも開業当初(約七〇〇名)に比し半減していた約三二〇名(他にパート約九〇名)の従業員数が、毎月平均約六名(計一九七名)も退職しながら、ほとんど補充されなかつたため、本件火災当時には約一三四名(他にパート約四〇名)となり、都内の主要な同規模のホテル(各人員は別紙遡及工事状況等一覧表参照。)と比較しても、かなり少ないところまで激減し(その内、藤山社長時代から部長以上だつた者は、被告人幡野以外すべて退職。)、残つた従業員らも、労働量の増加と先き行きの不安等から士気が低下するとともに、被告人横井の厳しい叱責や処分をおそれて畏縮するなどして、本来の業務に対する熱意も防火管理に対する意欲もともに減退していつた。
(4) 右配置転換、人員削減等が行われたため、消防関係事務を担当していた資材部においてもその影響を免れず、被告人横井の社長就任時(当時は総務部営繕課)においては、野田営繕課長(用度課長兼務)の下に、高橋、市川、米野といつた建築、電気、消防設備等の専門知識のあるものなど計六名が配置されていたが、昭和五四年九月営繕課が用度課と統合されて資材課となつても人員は増えず、同年一二月には、前記のとおり消防設備士の資格もある米野が宿泊部客室課へ転出させられ、その後退職者の補充もされず、昭和五五年五月には、資材部(野田部長)として独立するとともに、警備会社の監督業務が付加されたものの人員増はなく、昭和五五年八月に高橋課長、昭和五六年一二月に市川課長代理がそれぞれ退職し、その後は、野田部長の下に塚田主任、米野(同年一一月に復帰)と事務員の四名だけとなり、消防関係事務の知識があるのは米野のみであつたが、同人も仕入れ等の日常業務の担当とされ、消防関係事務を担当する同課従業員は皆無となり、やむなく下請業者の後記サンレイ産業の長沼光社長に、ホテル・ニュージャパン設備保守所長の名称を用いさせて、消防当局との連絡窓口とする有様であつた。
また、自衛消防隊の中核となるべきフロント課においても、右配置転換、人員削減の影響は深刻で、被告人横井社長就任時には約三三名いた課員が、本件火災当時には約一六名に激減し、これに伴い、フロントの夜勤者も六名から三名に半減したうえ、フロント業務のベテランも減り、さらに、他部門のサービス低下による苦情が集中するため、その関係の事務量も増加し、しかも、フロントと共に夜勤をするページ(ベルボーイ)やルームサービス係等もほとんど半減している状態であつた。
(三) 警備業務への影響 <証拠>によれば、被告人横井は、増収策の一環として、それまで行われていなかつた駐車料金徴収を行うこととし、その業務を警備員に行わせることとなり、本来の警備業務に次のような影響を与えていたことが認められる。
(1) 本来の警備業務としては、防火、防犯等のため、巡回業務が重要とされており、ホテル・ニュージャパンにおいても、藤山社長時代から契約を継続していた日本産業警備保障株式会社がこれに当たり、派遣警備員は、午後一一時ころと午前三時三〇分ころから各刻時巡回(全館四〇筒所以上を巡回するもの。)を行い、その他午後九時三〇分ころ、午前一時過ぎころ、同六時過ぎころにも補足的に灯火や火気等の点検巡回を実施して警備していたが、昭和五五年夏ころ、ホテル側から駐車料金徴収を依頼され、当初は難色を示していたものの、同年一一月ころ、被告人横井が直接派遣隊員にこれを申入れるなどしたため、午前八時三〇分から午後九時三〇分ころまでの間、四名の派遣隊員の内ほぼ二名をさいて、これに当たらせたところ、昭和五六年二月になつて、さらに深夜巡回や警備室待機をはずしても、駐車料金徴収を午前零時まで延長するよう再三申入れを受けた。そこで、右警備会社が、責任ある警備業務を遂行するための増員を求めたところ、これを不満とした被告人横井は、同社との契約を同年五月末日で解約した。
(2) 昭和五六年六月一日から中央警備保障株式会社が代つて警備業務を引き継ぐことになり、警備実施要領書も作成されたが、実情は、その記載内容とは異なり、主として駐車料金徴収を行うとの合意の下に業務が実施されたため、業務の引継ぎも駐車場管理が中心であつた。そして、夜間の刻時巡回も、当初は午前一時から一回実施していたものの、同年八月ころからは、深夜の料金徴収を優先させるため、右刻時巡回も廃止され、一応四階ないし一〇階の巡回だけは実施することにしたが、同年一〇月からは、午前三時ころまで駐車料金徴収を行うようになつたため、深夜巡回はほとんど行われなくなつてしまつた。また、アパート側駐車場の料金徴収を図るため、同年九月からは、アパート側駐車場管理のために、午後八時まで一名増員もしたが、結局、実質的な館内の巡回はほとんど行われず、警備員の中には館内の構造等についてすら熟知していない者がおり、前記自動火災報知設備の受信機の階別警報電鍵操作等の説明も十分にはなされていない状況であつた。
また、火災予防対策として、ホテル側の定めた「防災計画」に基づく措置や、「自衛消防隊との合同消防訓練」への参加、火災発生の場合における緊急連絡の実施や、「消防計画」に基づく被害拡大防止活動等についても、昭和五六年一〇月の合同消防訓練の際、警備室で待機し電話で出火地点の連絡を受け、インターホンでフロントへ通報する役割に参加しただけで、ほかには全く実施されず、結局、ホテル側から、警備員の火災発生時の役割分担、対処方法等については、何ら実効的な指示はなされていない状態にあつた。
(四) ビル管理会社等への対応
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(1) ホテル・ニュージャパンのビル管理のうち、電気設備、冷暖房空調衛生設備、弱電設備等の保守管理については、千代田ビルサービス株式会社と契約して実施させていたが、被告人横井社長の就任後、管理料支払の遅滞等から、昭和五六年六月右契約は解約され、その後はビル清掃等を行つていた三研工営株式会社がこれを請負い、その下請としてサンレイ産業株式会社に右保守管理を実施させることとなつた。
(2) 右サンレイ産業には、千代田ビルサービスと異なり、弱電関係の技術者や消防設備士等がいないため、放送設備の保守管理も防火戸等の点検も有効には実施できない状態であつた。また、同社においては、被告人横井の徹底した経費削減策に対応するため、昭和五七年一月末ころ、前記のように、東棟の空調設備を循環方式に改造し、また、他棟においても外気処理装置を停止するなどした結果、本件火災当時のホテル館内の空気は異常な乾燥状態となつていた。
(3) 前記のように、藤山社長時代には、千代田ビルサービス等の管理会社の従業員をホテル側の自衛消防隊に組み入れて編成し、消防訓練に参加させていたが、下請会社交替後は、ホテル側従業員を含めて自衛消防隊の編成や訓練実施がなされていなかつただけでなく、火災発生時の対応等についても、下請従業員らに対し全く指示等はなされていなかつた。
五まとめ 以上のとおり、被告人横井及び同幡野は、ホテル・ニュージャパンの管理権原者ないし防火管理者として、関係消防法令等により、スプリンクラー設備若しくは代替防火区画の設置、消防用設備等の点検、報告及び消防計画の作成とこれに基づく消火、通報、避難訓練等の実施が義務づけられており、消防当局から立入検査の結果等をふまえ、これらの履行について、何回となく指導、督促を受け、昭和五六年九月には所轄消防署長から措置命令が発せられるまでに至つていた。
そして、被告人横井は、捜査段階においておおむね認めているとおり、同ホテルには消防法令上義務づけられているスプリンクラー設備等が設置されておらず、その遡及工事の早期実施が懸案事項となつていたことのほか、同ホテルの構造等からも、火災発生による宿泊客の生命等への危険性があり、その安全確保のため、前記スプリンクラーの設備等の設置、充実の必要性があることを、社長就任当初から十分認識しており、しかも右設備等を本件火災発生前に設置、完備させることは、同被告人が決意し、熱意をもつて努力しさえすれば、その実現は可能であつたものということができる。
しかるに、同被告人は、営利の追求を重視するあまり、消防当局のたび重なる右指導、督促等にもかかわらず、営業利益に直結する設備や東洋郵船グループの利益等を優先させ、防火管理等には消極的な姿勢に終始した結果、懸案事項として専門業者により検討、立案され、その実施が十分可能であつたと認められる遡及工事を履行しなかつたばかりか、既設消防用設備等の保守管理状態を悪化させ、さらに、人的組織の面においても、人員の大幅な減少、残留従業員の業務知識の不足、士気の低下等を招くに至つていた。
また、被告人幡野は、このような防火管理状況を十分認識していながら、実情に即した消防計画の作成やこれに基づく消防訓練を実施せず、単に形式的な訓練を一度行つたに過ぎなかつたほか、遡及工事の実施について、被告人横井に進言はしていたものの、フロント課や資材部等の充実、保守点検費用の支出等に関する上申は被告人横井はおろか邦彦副社長に対しても行わず、実施可能であつた防火戸等の点検も指示していなかつた。
このように、本件火災直前におけるホテル・ニュージャパンは、関係消防法令に照らしてみた場合、人的物的いずれの面においてもその基準に程遠く、同ホテルの防火管理体制はまさに危殆に瀕していたといつても過言ではない状況であつた。
第四本件火災の状況
一本件当時の在館者らの状況
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
1 宿泊客ら
前記のとおり、ホテル・ニュージャパンの本件当時のフロント管理の客室数は約四二〇室(収容人員数七八二名)、利用中の貸事務所等は約一〇〇室であり、本件火災当夜には、宿泊客三五五名(日本人一六三名・内六名外出中、外国人一九二名)、居住者及び貸事務所等の利用者一九名が宿泊しており、その内訳は、別紙在館者一覧表記載のとおりであるが、九階には、日本人宿泊客一九名、外国人宿泊客五七名のほかに、貸事務所利用者一名、従業員一名(臨時宿泊者)がおり、一〇階には、日本人宿泊客一二名、外国人宿泊客一七名のほかに、居住者四名が在館し、八階以下の宿泊客等は、八階七一名、七階六九名、六階六九名、五階二一名、四階二七名であつた。
2 宿直従業員ら
本件出火当時、同ホテルには、従業員二二名(資材部長野田英男以下一四名の宿直者、八名の臨時宿泊者)、下請会社従業員一三名(警備員五名、機械等担当者五名、清掃担当者三名)が別紙宿直従業員等一覧表記載のとおり在館していたほか、フロント課長平井秀一が私用で五階五二一号室に宿泊していた。
そして、夜間勤務の宿直従業員等は、前記(第三、三、3、(二))のように、ナイトマネージャーの下に、自衛消防隊として組織されていることに建前上はなつていたものの、実態に即した再編成はなされておらず、訓練等もほとんど行われていなかつたうえ、ナイトマネージャーも従前は専任の担当者がいたが、昭和五六年初めころからは、被告人横井の管理職泊り込みの命を受けて、数名の管理職が輪番制で泊り込んでナイトマネージャーに当てられたため、本件当夜も、前記のように野田資材部長、野間口フロント課長、宮下宴会課長代理が一応ナイトマネージャーとして宿直していたものの、その職務内容、任務分担、火災時の対応等については、右交代制となつた後もほとんど指示されていなかつた。本件当夜も、右野田が当日の宿泊者数、宿直従業員数等の報告を受けてはいたものの、宿直従業員の仮眠場所すら十分には把握しておらず、野間口も当夜初めてのナイトマネージャー勤務で宿泊者数も知らなかつたほか、宮下に至つては自らの仮眠場所すらフロント等に連絡していない有様であつた。
また、前記のように、右三名も含めた宿直従業員等は、いずれも火災発生時の任務分担、対応措置等について全く指示を受けておらず、宮下が前記昭和五六年一〇月の訓練に参加し、福永が同年三月に自衛消防隊員講習を受けたほかは、廣田(昭和五三年ころ消火器使用)、梶原が消火訓練を、河原(同年ころ、救助袋使用)、小野が避難訓練を、いずれも藤山社長時代に受けたのみで、消火栓、消火器の所在すら正確には知らず、フロント課員でさえ緊急時の通報、連絡の要領や非常放送設備の操作法等を習得していない状況であつた。下請従業員等も前記のように訓練に参加しておらず、火災時の対応措置について、ホテル側から協議、指導等一切なく、警備員でさえ通報要領や非常ベルの鳴らし方も含めて、自動火災報知設備の操作方法等もホテル側からほとんど説明されておらず、これらを習得してはいなかつた。
3 物的設備等の状況
前記(第二、三、四)のように、九、一〇階にはスプリンクラー設備の代替防火区画も全く設置されていなかつたうえ、一五〇〇平方メートル区画も不完全で、防火戸にも問題があり、自動火災報知設備、非常放送設備にも欠陥があつたほか、前記の空調設備の改造、運転状況の結果、エレベーターボタンを押す際や、ドアノブに触れる際はもちろん、硬貨の受渡しの際にすら静電気に悩まされるなど、館内は異常な乾燥状態にあつた。
なお、本件火災時の気象状況は、晴天であり、強風その他格別異常な気象状況にはなかつた。
二出火状況等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
1 出火場所
本件火災の出火場所は九階九三八号室であり、同室は、前記(第二、三、1、(二))のとおり、西棟中央ホール寄りの北側にあるシングルルームで、他の部屋同様に出入口ドア及びその上部は木製、壁面及び天井面は可燃性クロス貼り、両隣りの九三六号室、九四〇号室との間仕切りは、窓側の一部が木製板、その他はコンクリート・ブロック壁に木錬瓦が埋込まれ、配管周辺の埋戻されていない穴が九三六号室側の天井付近にあいており、同室内には、その中央部に九三六号室側壁面にほぼ接するようにベッドが置かれていた(別紙図面(二三)参照。)。
2 出火の原因及び状況
九三八号室には、商用(ステッカー等のセールス)で来日した英国人スティーブン・フレデリック・アーネスト・ディッカー(当時二四歳・男。以下、ディッカーという。)が昭和五七年二月五日から宿泊していた。同人は、同月八日午前一時四〇分ころ、外出先から酩酊して帰館し、九三八号室に入り喫煙したが、火の付いたタバコをベッドの枕元付近に放置したまま寝入るなどしたため、右タバコの火がベッドに移り、次第にその内部を燻焼し、やがてベッドの表面部分から小炎を発し、その燃焼による白煙が次第に同室出入口ドアの隙間から廊下に漏れ、同日午前三時一五、六分ころ(後記福永発見時、以下、この時点を煙発見時刻という。)には、同室前廊下出入口ドア上部付近に薄い煙が層をなし、三時一六、七分(以下、同日午前の記載は省略する。)ころには、同ベッド上の小炎が明らかに視認可能な程度に発炎していた(以下、この時点を出火時刻という。)。
3 再着火の状況
右炎は、三時一九ないし二〇分ころ(煙発見時刻の約四分後)には、ほぼ天井をなめる程度にまで発達していたが、後記廣田の消火器噴射により、ベッド表層ではいつたん火炎が消失したものの、ベッド内部に火が残つていたため、約一分後(三時二〇ないし二一分ころ)には再燃し、壁面、天井等に燃え広がり、後記のように、同室のドアが開放されたままとなつていたため、廊下からの給気により火勢が拡大して、三時二四ないし二六分ころ(煙発見時刻から約九、一〇分後)には、同室及びその前面廊下でのフラッシュオーバー(火炎の発生に伴い発生した未燃ガスを含む熱気層が一定空間に滞留し、その熱気層に炎が入り、十分な空気の補給と相まつて爆発的に燃え上る現象。)を起した。
三火災の拡大状況
<証拠>によれば、本件火災が出火場所の九三八号室(以下、出火室ともいう。)から館内に拡大延焼した状況は、大略次のとおりであることが認められる。
1 火炎の伝播状況
(一) 九階の延焼状況
(1) 西棟南東側(出火室周辺)の状況
九三八号室の前記フラッシュオーバー(第一次フラッシュオーバー)により、同室出入口から廊下へ炎が噴出し、異常に乾燥していた廊下天井表面(クロス貼り)に着火してその炎が走り、西棟廊下ほぼ全域と中央ホールから東棟、南棟の各中央ホール寄り廊下中程までに至り、それ自体は第一次フラッシュオーバーの終束とともに立ち消えたものの、九三八号室ドア上部とその上方の木製板、同ドア前部廊下天井付近の炎は燃え続け、また、第一次フラッシュオーバーの炎と輻射熱により九三五号室の出入口ドア(木製)とその上部の木製板が加熱されて着火炎上し、天井板(石膏ボード)が熱損脱落した。そして、三時二六ないし二九分ころ(第一次フラッシュオーバーの約二、三分後)、九階西棟北側避難所の鉄扉開口部からの外気の供給によつて、九三八号室と同室前廊下で本格的なフラッシュオーバー(第二次フラッシュオーバー)が起り、右第一次フラッシュオーバーの約四分後(三時二八ないし三〇分ころ)に九三五号室のドアが燃え抜け、炎が右ドア部と天井裏から同室内に侵入し、同室窓の開口部からの外気の供給により、その約一、二分後(三時二九ないし三二分ころ)、同室にフラッシュオーバーが起り、炎が激しく外部へ噴出した。
右九三五号室ドアに続いて九三七号室ドア部(ドアは開)、九三五、九三三号室間の廊下壁面(ベニア板等)が燃え抜けて炎上し、これらの炎の輻射熱により九三六、九三八号室間の同壁面、九四〇号室ドア部を炎上させ、その輻射熱等が九三七、九三九号室間の同壁面を炎上させ、さらにその輻射熱等により九四〇、九四二号室間の同壁面が炎上し、九三五号室ドア、九三三、九三五号室間の同壁面、九三七号室ドア部等からの輻射熱が九三四号室ドアを炎上させるというように、廊下を隔てて対向するドア、壁面等が交互に着火炎上し、ドアの燃え抜けた各室に炎が侵入していつた。
そして、延焼拡大は、後記のとおり、西ホール側が遅れ、中央ホール、南棟が先行したが、西棟南西側廊下突当たりに位置し、ドア、窓の開いていた九五七号室には、第二次フラッシュオーバー、九三五号室フラッシュオーバーの際の高熱気流が、黒煙を含んで直接侵入し、また、天井裏の高熱気流は、横梁と天井板取付用の角材の間隙を縫つて九五七号室天井裏へ流入した。
また、第二次フラッシュオーバーの際、東棟、南棟各中央ホール寄り廊下、西棟北側、西南側各廊下の天井表面クロス上を炎が走り、中央ホール以遠では、そのクロス貼りを燃やしたのみで炎は立ち消えたが、西棟では南東側廊下(出火室前)、西ホール、北側廊下と南西側廊下西ホール入口付近に炎が残り、九三八、九三五号各室の炎上か所とともに、前記避難所開口部と九三五号室窓開口部からの外気の供給により、その燃焼が継続され、西棟南東側廊下内装材の炎上から天井石膏ボードの焼損欠落、壁面ベニヤ板裏面燃え抜けによる炎上等が進み、同廊下に沿つて中央ホール、西ホール方向へ炎が伝播していつた。
(2) 中央ホールへの延焼
出火室ドア前の天井欠落部から天井に流入した高熱気流は、天井裏の角材、空調配管等のパイプの保温材を加熱して炎上させ、その炎や高熱気流が前記天井裏横梁と天井板取付用角材との間隙を通つて、その角材等を焦がしながら伝播して行き、やがて、中央ホール天井裏を経て東棟南西側廊下、南棟北側廊下の各天井裏に達した。中央ホール天井裏にはそれまでの燃焼等による未燃性の分解ガス等が充満していたが、前記のように九三四号室のドアが燃え抜けて炎が侵入し、第一次フラッシュオーバーの約一一ないし一二分後(三時三五ないし三八分ころ)、同室にフラッシュオーバーを起こし、その炎が欠落していた天井部分を通つて廊下天井裏に噴出し、さらに中央ホール西棟側横梁下の角材の間隙(第二次フラッシュオーバーの焼損で拡大)を通つて中央ホール天井裏へ侵入し、その下側の天井表面を伝播してきた火炎とともに同ホール天井の一部を脱落させ、右九三四号室フラッシュオーバーに引続いて、その約一分後(三時三六ないし三九分ころ)中央ホールがフラッシュオーバーを起こし、同ホール天井の全面的な脱落と同ホール壁面の炎上を生じさせた。
(3) 南棟への延焼
中央ホールにおけるフラッシュオーバーの際の炎と高熱気流は、同ホールから南棟北側廊下、東棟南西側廊下等に噴出し、窓、ドアともに開放されていた九〇八号室にその炎が侵入して、同室内に約一、二分後(三時三七ないし四一分ころ)軽度のフラッシュオーバーを起こし、この炎が窓、廊下に噴出して、廊下を隔てた九〇九号室や九〇七号室のドア、その上部の板、ドア内側の同室内天井等を炎上させて、右ドア前の天井石膏ボードを欠落させた後、三時三九ないし四三分ころ、九〇八号室が再度フラッシュオーバーを起こし、その炎と高熱気流のため、九〇七号室で約二分後(三時四一ないし四五分ころ)に軽いフラッシュオーバーを起こし、その災及び高熱気流が同室入口脇のパイプシャフトスペース上部の埋戻しのなされていなかつた間隙を通つて同スペース内に入り、パイプ保温材の被覆に着火しながら、その真上の一〇〇七号室脇のパイプシャフトスペース上部の埋戻し不良箇所から同室天井裏に噴出し、これが後記のように一〇階への延焼の主経路となつた。
九〇八号室における再度のフラッシュオーバーの災が天井裏に入り、縦梁直下の乾燥し切つていた角材を燃やしながら、九〇六号室天井裏に侵入し、窓に開口部のあつた同室に、三時四三ないし四八分ころフラッシュオーバーを起こさせ、また、九〇四、九〇二、九〇三、九〇五号各室も、三時四七分ころから四時一三分ころにかけて、その炎と高熱気流等のため順次フラッシュオーバーを起こして炎上し、九〇一号室も前記九〇二号室のフラッシュオーバー後炎上した。他方、南棟の南東側、南西側各客室(九一三ないし九二八号室)は、いずれもドアが閉鎖され酸素の供給が不十分であつたこと、同棟北側廊下が独立の対流を起こして高熱気流が同廊下内で循環していたことなどから延焼が遅れ、その各室前廊下壁面、天井を焼損したのみで、炎の侵入を免れた。
(4) 東棟への延焼
前記中央ホールのフラッシュオーバーの際の炎、高熱気流の輻射が、東棟南西側廊下壁面や木製ドアに着火、炎上させるなどして、三時四〇ないし四三分ころ、九六八号室に炎が入つたのを初めとして、同廊下南側各室は、その木製ドアの燃え抜けや隣室等の天井裏からの炎の侵入等により、三時五一ないし五四分ころ、いずれも炎上したほか、同廊下壁面の炎上により天井石膏ボードが欠落するなどして、三時四八ないし五一分ころ、東ホールでもフラッシュオーバーを起こした。このフラッシュオーバーの炎で九六一ないし九六三号室の各ドアが着火して燃え抜け、三時五二ないし五六分ころ右各室内が燃焼した。しかし、九七〇ないし九八七号各室は、出入口ドアが鉄製であつたため、ドアの開いていた九七〇号室を除いて、炎の侵入が阻まれ、また、東棟北側廊下、東ホールは壁面がベニア板張りでなかつたため、廊下天井等を除いてほぼ延焼を免れた。
(5) 西棟南西側、北側への延焼
前記のように第二次フラッシュオーバーによる炎が西棟北側避難所廊下側壁面上部に着火し、同所扉開口部からの外気の流入等により炎上し、九四七号室脇壁面(ベニヤ板等)と同室ドアに燃え移り、その輻射熱により対向する壁面や九四八号室ドアが着火炎上し、九四五、九四六号室各ドア、廊下壁面、九四三号室ドアを交互に順次炎上させたうえ、九四四号室ドアを燃え抜けさせて、窓の開いていた同室に三時四四ないし四六分ころフラッシュオーバーを起こし、その噴出した炎が、天井裏横梁下の角材を燃やして、周辺の天井石膏ボードを欠落させるなどして、西ホール天井裏に侵入し、前記西棟南東側廊下(出火室側)からの高熱気流により、天井欠落部のあつた西ホールに三時四五ないし四七分ころフラッシュオーバーを起した。そして、その炎の輻射等により、九四二号室や九三九号室も順次ドアが燃え抜けるなどして火が入つた。
西ホールのフラッシュオーバーの際の炎と高熱気流は、天井石膏ボードの欠落を起こし、天井表面と天井裏の両側から西棟南西側廊下へ噴出し、その天井下のものは、同廊下壁面に着火して炎上させるとともに、窓、ドアいずれもが開いていたため、前記のように既に熱気の流入していた九五七号室にドア部から流入し、同室天井と壁面上部を炎上させ、また、同廊下天井裏の炎と高熱気流は、横梁周辺の天井石膏ボードを欠落させて九五七、九五八号両室の天井裏に入り、空調吹出口やその周囲のベニヤ板を燃え抜いて室内に噴出して各天井に着火し、窓の開いていた右両室に、三時五一ないし五三分ころ、フラッシュオーバーを起こした。九五三号室のドアも周囲で炎上している壁面等の輻射により着火して燃え抜け、三時五五ないし五七分ころ、同室もフラッシュオーバーを起こし、九五四号室も四時三ないし五分ころにはフラッシュオーバーを起こすなどして、西棟のほぼ全域が炎上するに至つた。
(二) 一〇階の延焼状況
(1) 南棟の火災拡大状況
前記のように、九〇七号室のフラッシュオーバーにより、パイプシャフトスペースの間隙を通つて、一〇階一〇〇七号室天井裏に炎が噴出し、同室の空調吹出口周囲のベニヤ板を燃え抜き、その周囲の天井クロス貼りと壁面上部に着火し、乾燥し切つていたクロス貼り上部を伝播し、出入口ドアと窓が開いていた同室及びその前面廊下天井にかけて、三時四六ないし五〇分ころフラッシュオーバーを起こし、その炎が対面する一〇〇六号室ドアを燃え抜いて同室内に流入した。また、既に炎上していた九〇六、九〇八号室の各パイプシャフトスペース等の間隙から直上の一〇〇六、一〇〇八号各室天井裏を経て、一〇〇七号室前廊下天井裏に流入してきた熱気と、九三五号室脇パイプシャフトスペースの間隙から一〇三五号室の間隙を通じて噴出し、一〇階西棟廊下天井裏から中央ホールを経て、南棟廊下天井裏に充満していた熱気とが、一〇一〇及び一〇一一号室(いずれも窓、ドア開)等からの外気の流入と相まつて、三時四八ないし五三分ころ、同所廊下中央部(一〇〇六ないし一〇〇九号室前)で同各室ともども、激しいフラッシュオーバーを起こした。
このフラッシュオーバーの炎は、窓、ドアの開いていた一〇一一号室に流入し、その約一、二分後(三時四九ないし五五分ころ)に同室にもフラッシュオーバーを起こし、窓からその炎が噴出した。また、一〇一〇号室にも同様に炎が入り、天井、壁面のクロス貼りに瞬時に着火して火が回つたほか、一〇〇八号室も、前記のように九〇八号室からの熱気がパイプシャフトスペースの間隙等から流入して蓄積され、激しく燃えるなどして窓ガラスを破壊し、その開口部からの外気の流入と相まつてフラッシュオーバーを起こした。
前記廊下中央部のフラッシュオーバーの炎及び高熱気流は、廊下天井クロス貼り上を早い速度で伝播し、窓、ドアの開いていた一〇〇五室にも流入し、天井、壁面上部のクロス貼りに着火して炎上させ、約一、二分後(三時四九ないし五五分ころ)に、同室のフラッシュオーバーを起こすとともに、同室前廊下天井の欠落を起こし、天井裏に充満していた熱気が同廊下の空気と混合するなどして、三時五一ないし五七分ころ、一〇〇一ないし一〇〇四号室前廊下のフラッシュオーバーをも惹起した。右廊下のフラッシュオーバーの際の炎と高熱気流は、一〇〇一号室に流入し、天井、壁面上部のクロス貼りに着火して炎上させ、窓の開いていた同室に、その約一、二分後(三時五二ないし五九分ころ)フラッシュオーバーを起こさせ、その火炎が藤山邸側にも噴出した。
(2) 一〇階南ホール、中央ホールへの延焼状況
一〇一〇号室は、右廊下部のフラッシュオーバーにより延焼していたが、一〇一一号室のドア、窓が開放された後にフラッシュオーバーを起こし、その炎が約二分後南ホール入口横梁付近の天井を欠落させ、前記のように既に同ホール天井裏に充満していた前記九三五号室からの熱気と、天井下にそれまでの燃焼で蓄えられていた熱気とが混合して、一〇一〇号室からの給気と相まつて、同ホールを中心にフラッシュオーバーを起こした。その際の炎が約四分後に一〇一三、一〇一五号両室のドアをそれぞれ燃え抜き、両室にフラッシュオーバーを起こさせ、一〇一一、一〇一三、一〇一五号各室の窓から激しく炎が噴出する一方、一〇一〇号室は、その給気口となつて南ホール、南棟各廊下に外気を供給し、その延焼を拡大させた。しかし、一〇二一ないし一〇三〇号室は、すべて窓が閉つていたため、ドアの燃え抜け等による延焼は生じたものの、十分な外気が供給されず、フラッシュオーバーには至らなかつた。中央ホールは、一〇〇一号室のフラッシュオーバーの炎により天井が欠落し、その約二分後(三時五三ないし五九分ころ)フラッシュオーバーを起こした。
(3) 東棟への延焼状況
中央ホールのフラッシュオーバーの際の炎は、同ホール北東側防火扉の閉鎖していなかつた部分(片側半開き)を通つて藤山邸に侵入し、同邸内を全焼させたが、東ホールへの火炎の侵入は、同邸の東ホール側鉄扉が閉められていたため阻止され、同扉上部の空隙から炎が東ホールに噴出し、同ホールの照明灯を燃やすなどはしたものの、同ホールがコンクリート壁であつたこと、各室ドアが鉄製のうえ閉められていたことなどから、同棟各室や北側廊下の奥までは延焼が進まなかつた。
(4) 西棟への延焼状況
前記中央ホールのフラッシュオーバーの炎は、西棟南東側廊下天井を欠落させ、前記のように既にその天井裏に滞溜充満していた九三五号室等から熱気に引火して、軽度のフラッシュオーバーを起こさせ、合板壁の上部を燃やしながら西ホール、西棟北側、同南西側へ廊下沿いに拡大していつたが、同棟南東側の各室は、一〇三三、一〇三八号室(各窓閉)を除いては、ドアが閉まつていたため、フラッシュオーバーには至らず、また、同棟南西側、同北側の各室も一〇五一号室(ドアは閉)を除いて窓が閉まつていたため、外気の流入が乏しく、廊下合板壁の燃え下りなどによつて緩やかに延焼が進行したため、右各室のフラッシュオーバーには至らなかつた。
また、九三五号室のパイプシャフトスペースの間隙から、直上の一〇三五号室の同スペースの間隙への炎の噴出、同室前点検口上部からの炎の噴出、九五四号室のパイプシャフトから一〇五四号室への同様の炎の噴出による延焼も起こつたが、一〇三五、一〇五四号両室は、窓、ドアがいずれも閉まつていたために、右噴出によるフラッシュオーバーには至らなかつた。一〇六〇号室は、三時五一ないし五七分ころ、九階九五七、九五八号室窓から吹き上げる炎によつて、その窓付近に着火して炎上するに至つた。
(三) 他階への延焼
九、一〇階の前記のような各フラッシュオーバーにより、炎や高温濃煙がパイプシャフトスペース内に侵入し、その中の可燃物を焼燬させて燃え下り、その炎がパイプシャフトスペースの間隙を通じて下階の廊下、客室等をも延焼させた。その主たる経路は西ホール脇の大型パイプシャフトスペースであり、主要な焼損箇所は、八階から五階までの各西ホール壁面の一部、八階同ホール天井の一部のほか、七階では七四三号室壁面の貫通孔から同室内に火が入り、その一部を焼損した。また、パイプシャフトスペースから中央塔屋にも延焼し、その一階約八五平方メートルをほぼ全焼したほか、配線の中継端子盤、配線束、同塔屋階段部分等をも焼損した。
2 煙の伝播状況
本件出火後、火炎の拡大、延焼に際し、これに先行して煙が広範囲に伝播したが、その状況は大略次のとおりである。
(一) 九階の状況
出火室からの煙は、ベッド内での燻焼時から白煙として廊下へ流出したが、第一次フラッシュオーバーまでは、東棟北側、同棟南東側、南棟南西側、同棟南東側廊下にはほとんど達せず、西棟廊下、東棟、南棟各中央ホール廊下の中程にあつた煙も出火室前の高濃度の煙を除き、いずれも薄い白煙の層で、廊下の通行の妨げとなるほどのものではなかつた。
第一次フラッシュオーバー以降、黒煙が廊下を主経路として急速に伝播し、前記各フラッシュオーバーの発生に伴い、各廊下末端までの伝播とその折返しを繰り返し、西棟南東側(出火室前)から、同棟南西側、同北側、南棟北側、東棟南西側、南棟南東側、同南西側、東棟北側、同南東側という順で各廊下に充満し、各室のドア上部、ドア下端と床面との隙間等から各室内へ煙が侵入し、前記第一次フラッシュオーバーの約五分後(三時二九ないし三一分ころ)には、その濃度と厚さを増し、ほとんどの客室内に煙が侵入するに至つたものと認められる。
(二) 一〇階の状況
一〇階への煙の伝播は、炎の場合と異なり、主として九三五号室脇のパイプシャフトスペースの間隙から、その直上にある一〇三五号室脇のパイプシャフトスペースの間隙へ通じる経路をたどつた。九三五号室の前記フラッシュオーバー(三時二九ないし三二分ころ)以後、煙を含む熱気が一〇三五号室天井裏に充満し、その廊下側の縦梁と角材の間隙を通つて一〇階西棟南東側廊下天井裏へ入り、横梁と天井板取付用角材との間隙等を通つて、中央ホール、西、南棟の各天井裏を順次伝播し、これらの天井裏全体を充満させた後、天井等の小間隙から廊下、客室内にもれ出して拡散し、第二次フラッシュオーバー以降西棟南東側廊下では、他のパイプシャフトスペース等の間隙からも煙が運ばれ、右一〇三五号室前の点検口上辺の間隙から噴出した煙も加わつて、三時間四一ないし四五分過ぎごろには、視程五ないし七メートルくらいの煙濃度となつていた。また、前記九〇七号室のフラッシュオーバー以降(三時四一ないし四五分ころ)は、そのパイプシャフトスペースの間隙から一〇〇七号室の同スペース間隙を通る経路、前記九階西ホールフラッシュオーバー以後(三時四五ないし四七分ころ)は、西ホール大型パイプシャフトスペースの九、一〇階間隙部を通じる経路等からも、一〇階の廊下、客室へ、いずれも炎に先行して煙が噴出し、三時五四ないし四時一分ころには、東棟客室以外の部分はほぼ全域に煙が立ちこめる状況となつた。
(三) 他階への拡散
九、一〇階の煙は、パイプシャフトスペースの間隙、各室の空調配管等を通じて下階にも伝播した。その煙は、八階の各ホール、廊下ほぼ全域と二十数室、七階の各ホール、廊下全域と十数室、六階の南棟、西棟各ホール、廊下のほぼ全域、東棟北側廊下の一部と約十数室、五階の中央ホール及びその付近の南、西棟廊下と数室、四階の南棟廊下一部と数室等に及び、前記第一次フラッシュオーバー以後拡散してきたが、八階南棟の一部を除いて薄い煙にとどまつたため、宿泊客の避難等に格別支障をきたすことはなかつた。
3 九、一〇階の避難可能時間
前記のとおり、本件ホテルの九、一〇階には、それぞれ四か所に非常階段があり、火災発生の場合、避難方法としては、通常、右非常階段が利用されるものと認められるところ、本件火災時、右非常階段内には、ほとんど火煙は侵入していなかつたから、宿泊客らが各室から廊下、ホール等を通つて右階段内に至れば、あとは安全に避難することが可能であつたものとみることができる。そして、前記のような火煙の伝播、拡大状況からみると、宿泊客らが、右非常階段内に避難するため、廊下等を通行することができた時間(通行可能時間)、及び各室内で異常発生を覚知し、最寄りの各非常階段内へ避難するまでに要する時間(避難所要時間)は、次のとおりと認められる
(一) 九、一〇階廊下等の通行可能時間
(1) 九階
従業員等による避難誘導がない場合でも、前記煙発見時刻から約九分後(前記第一次フラッシュオーバーが三時二四ないし二六分ころ起こるまでの間)までは、出火室のある西棟を含め九階全域で、中央ホールでは右時間の約二分半後まで、南ホール、東ホールでは同約三分後、南棟、東棟の各中央ホール側が同約三分半後、その余の南棟、東棟部分では、同約四分後まで、宿泊客は更に廊下等を通行することが可能であつた。
また、同階で、従業員等による避難誘導が適切になされれば(宿泊客らが避難階段内に素早く到着できるので、火煙の強さ、濃さが若干増しても避難が可能である。)、出火室のある西棟南東側を除いて、右各時間より更に、西棟で約一分半、中央ホール、南棟、東棟部分で約三〇秒ないし約一分それぞれ通行可能時間が延びる。
(2) 一〇階
煙発見時刻から少なくとも約二十数分後(前記九〇八号室のフラッシュオーバーが起こり、一〇階廊下等に煙が噴出するまでの間。)までは、同階全域で宿泊客らの廊下等の通行が可能であり、従業員等による適切な避難誘導がなされれば、更に二ないし三分右時間が延長される。
(二) 宿泊客の避難所要時間
九、一〇階各室の宿泊客等が各室から廊下等を通つて最寄りの非常階段まで到達するのに要する時間は、最大限で二〇秒もあれば十分であるが、就寝中の者が、大半であるため、覚せい、火災発生覚知に要する時間や右覚知後身支度して非常階段に至るまでの時間を総計すると、ドア叩きによる火事ぶれ、非常放送及び誘導が適切になされた場合には、覚せいに要する時間を含めて、約二分強で三分を超えることはなく、右の情報伝達の仕方が不十分な場合でも約三分程度あれば足り、また、火事触れや非常放送等を欠く、自ら異常覚知した場合には、右覚知してから非常階段に到達するまで三、四分ぐらいを要するものと認められる。
四宿直従業員らの対応
1 フロント係員らの対応状況
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 出火発見状況等
前記のように、当日夜勤のフロント係福永進(昭和四五年入社、当時三三歳)が仮眠するため、三時少し過ぎころ、フロントを出てエレベーターで九階九六八号室へ向い、九階でエレベーターホールに出た際、きな臭さに気付き、中央ホールの灰皿を確認した後、三時一五、六分ころ、西棟廊下奥右側九三八号室前ドア上部付近に、同室から流出していた白煙が少しよどんでいるのを発見した。同人は、様子を確めるべく、同室に向おうとしたものの、前記のように火災発見時の具体的な対応措置等が身についていなかつたため、一人で対処することに不安を感じ、フロント等に電話連絡をすることすら思い浮ばぬまま、中央ホールエレベーターで一階に降りてフロントへかけ戻り、その場に居合わせた者に対し、三時一六、七分ころ、九階三〇番台の客室から煙が出ている旨を告げた。
(二) その後の対応状況
右福永が戻つた際、フロントには、フロント係星雅彦(昭和五四年入社、当時二六歳)、ページ係河原秀夫(昭和五三年四月入社、当時二七歳)、ルームサービス係廣田幸夫(昭和五二年入社、当時二八歳)が居たが、星らのその後の対応状況は次のとおりである。
(1) 右廣田は、直ちに一階中央ホールエレベーターで九階に向い、同階西棟へかけつけ、九三八号室ドア上部付近から白煙が出ているのを認め、同室ドアをノックしながら声をかけると、ドアは開かなかつたものの、ディッカーの「ファイアー、ヘルプミー」という叫び声がきこえたため、火事と気づいて中央ホールから消火器を持参し、河原がマスターキーで同室ドアを開けると、ディッカーが裸で同室内からよろけるように出てきて、出入口のところにうつ伏せに倒れた。廣田は、煙の立ちこめていた同室内に腰をかがめるようにして入り、三時一九ないし二〇分ころ、頭髪を焦がしながらも、ベッドの手前から燃え上つている炎の方向に消火器を噴射し、一応火炎を消しとめた。ところが三時二〇ないし二一分ころ、再び燃え上つたため、急きよ他の消火器をとりに行こうとしたけれども、その正確な所在を知らなかつたため、南棟ホールの方へ行くなどした後、中央ホール脇サービスステーションに入り、従業員用エレベーターで八階に降り、同階サービスステーション前の消火器を持つて、同エレベーターで九階サービスステーションへ戻つた。そして、九三八号室へ再び向おうとしてドアを開けたところ、同ステーション前の廊下上方を煙が南ホールの方に流れ、中央ホールの方向から灰色が煙が天井をはつて押し寄せてくる様子であり、後記のように、福永に制止されるなどしたため、同ステーションのドアを閉め、従業員用エレベーターで、福永とともに四階へ降りてしまつた。
その後、廣田は、四階のサービスステーションでガス栓を閉めるなどしたのち、三時二九分ころ、四六七号室で仮眠中の梶原に電話で火事を知らせ、また、九階サービスステーションのメイド控室で渡辺が仮眠中であるのを思い出して、三時三一分ころ、同人を起こしに行き、既に火災に気づいていた同人を伴つて同所の従業員用エレベーターで四階に降り、同人とともに四階南棟客室のドアをノックした後、非常階段で一階へ降り、その後五階西棟の客室のドアをノックして火事ぶれをして、顔見知りの客二名を西棟非常階段から一階へ誘導したが、一〇四三号室の顔見知りの宿泊客が避難していないことに気づき、西棟非常階段で一〇階へ上り、四時過ぎころ非常階段出入口から大声で呼び、懐中電灯で合図して、猛煙の中から西ホール北側の同室の宿泊客二名を同階段へ誘導し、同階段で一階まで避難させた。
(2) 前記河原は、九階客室のマスターキーを持参し、廣田より少し遅れて九階へ向い、前記のように九三八号室のドアを開けた後、火災発生を宿泊客に知らせるべく、九三八号室周辺の各室に火事ぶれをして回つたが、大事に至らなかつた場合、大騒ぎを起したとして、被告人横井から事後に叱責されることなどをおそれ、ドアを軽くノックして声をかけただけで大声も出さなかつたため、右各室の宿泊客にも火事ぶれとしては覚知されなかつた。その際、付近の廊下に出てきた九三七号室宿泊客滝野晃人等に避難するように声をかけ、九三二号室前の消化栓のところに福永がいるのを見かけたが、声もかけずに、フロントの星と仮眠中の小野に火災を知らせようと考えて、中央エレベーターで一階へ降りてしまつた。
そして、河原は、直ちにフロントへ行き、三時二四分ころ、電話中の星に一一九番通報と仮眠中の在館従業員を起こすように依頼したが、星が右通報等を実行するかどうかは確認しないまま、仮眠中の小野に火災発生の電話をした後、南棟非常階段を上り、九階出入口の扉を少し開いたところ、廊下に煙が充満していたため、同階へ出ることを断念し、そのまま八階へ下り、同階客室のドアを叩くなどして大声で火事ぶれをし、七階、五階でも同様に火事ぶれをした後一階へ下り、三時三〇分ころ、同階食堂事務所で仮眠中の久保田に火事を知らせて起こし、消防隊到着後は、同隊員の求めに応じて案内や手伝いをするなどした。
(3) 福永は、前記のように、煙発見後フロントに戻り、星に警備員への連絡を指示し、カウンターに入つて九三六、九三八号室の各宿泊者の有無、氏名を確認するなどしたものの、その後の対応策が思い浮ばず、星に適切な指示もできないまま、再び中央ホールエレベーターで九階へ上り、三時二〇ないし二一分ころ九三八号室へかけつけたところ、同室出入口のところにディッカーが倒れており、同室内に炎が上つているのを視認した。そこで福永は、九三二号室横にあつた消火栓箱からホースを取り出そうとしたが、不慣れのためこれに手間どつたうえ、水圧で持つていたノズルを取り落し、これを拾おうとしてかがんだ際に煙を吸いこんでめまいを感じ、急ぎ同階サービスステーションへ行き、濡れタオルで口元を覆うなどしたうえ、出火室へ向おうとしてドアを少し開いたところ、黒煙が流入してきたため、廊下全体の煙の状況もよく確認しないまま、ドアを閉めてしまつた。その後、前記のように消火器をもつて同ステーション内に戻つた廣田が消火に向おうとするのを危険だとして制止し、そのまま同人と同所にある従業員用エレベーターで四階へ降り、一階フロントへ戻つてしまつた。
福永は、三時二七分ころフロントに戻つて、星に一一九番通報を指示するとともに、九階客室へ電話で火災発生を通報しようとしたが、手がふるえてうまくダイヤルを回せず一室も通報できない状態だつたが、次第に落ち付きを取り戻して、防災放送をしようと思い至り、フロント事務所裏防災センターへ行き、前記防災放送盤を操作しようとしたが、取扱い経験がなく、使用説明書を捜すなどした後、三時三四分ころになつて、ようやく星とともに説明書どおり右放送盤を操作してみたが、既に、九階の火災によりその配線が焼燬、短絡するなどしていたため、防災放送は行なうことができず、また、使用可能であつた非常トークバック放送については思い至らず全く操作しなかつた。その後もフロントから電話で客室への連絡を試みるなどしたが、結局、奏功しないまま、フロントで従業員からの問合せに応じた程度で、消防隊到着後は、整理されていなかつた宿泊者名簿の作成等に当たつた。
(4) 星は、前記のように、福永の指示を受けて、三時一七分ころ警備室に電話し、九階客室から煙がでているので様子をみてくるよう警備員窪貞男に連絡した。しかし、副受信機の副ベルも鳴らぬため、真実火災が発生したか否か半信半疑であつたうえ、火災発生時の対応措置について、訓練はもとより指示等もほとんど受けたことがなく、空騒ぎとなつた場合の叱責をおそれて、ナイトマネージャー等には連絡せず、九階へ赴いた福永らからの連絡を漫然と待つていた。その後、九階から避難してきた前記滝野らに異常を告げられるなどして、三時二四分ころになつて、ようやく仮眠中のフロント課主任清水に電話で火災発生の事実を連絡し、順次野田らに電話連絡をとろうとしたが、気が動てんして、前記河原や福永、更には外部の目撃者や宿泊客等からも一一九番通報を指示されながら、これに対応できず、福永の防災放送盤操作を前記のように手伝つた後、三時三九分になつて、ようやく同ホテルから初めての一一九番通報をするに至つた。
その後、何とか宿泊客を避難させようと思い、非常階段で九階へ赴いたが、廣田らに制止されて同階へ出るのをあきらめ、一〇階へ行くことは思いつかぬまま、一階フロントへ引き返し、六階のマスターキーを持ち出して非常階段で上り、六階各室のドアをノックしあるいはマスターキーで開けるなどして火事ぶれをし、廊下や客室内にいた宿泊客らを非常階段へ誘導した後、到着した消防隊員の求めに応じて、館内を案内したり、八、九階のマスターキーを届けるなどした。
2 警備員の対応状況
<証拠>によれば、次のような各事実が認められる。
前記のように、本件出火当時、警備室で、窪貞男(当時五二歳、昭和五六年四月中央警備入社、同年七月から同ホテル派遣)が勤務中であつたほか、吉田力(当時一九歳、昭和五七年一月三一日同社にアルバイト入社)が仮眠しており、隣の休憩室で、白浜尚隆派遣隊長(当時四七歳、昭和五五年一月同社入社、昭和五六年一〇月同ホテル派遣、昭和五七年一月一六日から同隊長)、日下辺新(当時四〇歳、昭和五七年一月一五日同社アルバイト入社、同月二一日同ホテル派遣)、鶴田宗一(当時五一歳、昭和五七年一月五日同社入社、同月一六日から同ホテル派遣)が仮眠していたところ、三時一七分ころ、星から前記のように通報が入つた。
(一) 窪貞男の対応
窪は、右星から電話で前記のような通報を受けたものの、十分に事態の把握ができず、隣で仮眠していた吉田に九階の様子をみてくる旨告げたのみで、三時一八分ころ東ホールのエレベーターで九階に上つた。そして、九三八号室付近に至つたところ、同室出入口にディッカーが倒れており、付近にいた福永が「火事だ。」と言つたため、ようやく火災の発生に気づき、福永が消火栓箱からホースを取り出し、九三八号室の方に行くのを見て、窪も、消火栓の給水バルブを開いたが、それ以上に同人の消火活動を手伝うこともせず、そのまま九階サービスステーションに入り、三時二二、三分ころ警備室の吉田に、九階で火災が発生したため仮眠者全員に連絡するよう電話し、同室から廊下に出た。
その頃になると、九三八号室から漂つてくる煙の量も増え、その奥の方はよく見えないようになつてきたうえ、福永の姿も見当たらず、火災に際しての役割分担、対応措置等の指示、訓練も受けていなかつたこともあつて、一人で対応するのに不安を覚え、火事ぶれもせず、防火戸については存在すら知らなかつたため、閉鎖することなど思いも及ばず、とにかく警備室に戻つて他の警備員とともに対応しようと考え、九階東ホールエレベーターで八階に降り、八階からは非常階段を経由して、三時二七分ころ、警備室へ戻つた。しかし、窪は、同室付近に居合せた白浜らに、前記の火災状況等を報告することもせず、三時三九分ころになつて、ようやく警備会社の本部に本件火災の発生を電話連絡して応援派遣を要請し、ホテル内から警備室側に出てくる宿泊客等を誘導した後、三時四〇分ころ、再びホテル館内に入り、東棟非常階段から八階へ上り、消火栓操作を試みたり、火事ぶれをするなどし、同階廊下にいた宿泊客らを一階まで誘導したり、到着した消防隊員らの求めに応じて九階まで案内するなどして警備室へ戻つた。
(二) 他の警備員の対応
(1) 吉田は、前記のように窪に仮眠中起こされたものの、事態をのみこめないまままた眠つてしまい、三時二二、三分ころ、受信機の主ベルが鳴り出して目覚めたところ、同機の地区表示灯が点灯しており、その直後、前記窪からの電話が入り、九階で火災が発生したことを知り、窪の指示どおり、休憩室で仮眠中の白浜、日下辺、鶴田に九階で火災が発生した旨告げて、同人らを起こした。
(2) 白浜は、三時二二、三分ころ前記主ベルの鳴動で目覚めたところ、右のように吉田から告げられて警備室へ行き、受信機の地区表示灯の九階の辺りが点灯していること、吉田が復旧ボタンを操作しても主ベルが鳴りやまないこと、九階へ行つた窪から九階で火災発生の電話連絡があつたことなどを確認した。そこで、白浜は、同室前駐車場に出たところ、九三八号室辺りの窓から煙が出ているのを現認したため、慌てて警備室前に戻り、吉田らに一一九番通報と警備会社本部への電話連絡を指示し、再び山王グランドビル側の道路をかけ上つて、九三八号室窓から黒煙が噴出し、窓全体が赤くなつている状況を確認した後、警備室に戻ろうとした際、上階からの客の悲鳴を聞いて気が動てんし、非常階段で九階へ向つたものの、六階で避難客を発見したため、これを屋内駐車場まで誘導した。そして、同人は、付近にいた吉田とともに再び非常階段で九階まで行つたが、消防士に制止されたため、八階へ下り、居合わせた窪と屋内消火栓による消火を試みたがうまくいかず、八階各室のドアをノックし、声をかけて火事ぶれをし、七階、六階でも同様の火事ぶれを行うなどした。
(3) 吉田は、前記のように白浜から、一一九番通報と本社への連絡を指示されたにもかかわらず、鶴田、日下辺にこれを依頼しただけで自らは行わず、九階へ向かおうとしたが、ホテル事務所出入口の錠を開けるのに手間どり、三時四〇分ころ、日下辺とともに同出入口からホテル館内に入り、非常階段を上つて六階出入口の扉を開け、廊下にいた宿泊客らを同出入口へ誘導したほか、七階、八階でも宿泊客らを非常階段まで誘導したりした。その後、吉田らは、九階へも出ようとしたが、非常口扉に熱気を感じて入るのをあきらめ、一〇階東棟非常口付近で、煙が立ちこめる中を日下辺とともに大声で火事ぶれをし、廊下付近にいた二、三名の者を同階段まで誘導して、八階に下り、同階廊下の宿泊客等を非常階段まで誘導するなどし、その後消防隊員の求めに応じて消火器を捜したり、八階以下で宿泊客を誘導するなどした。
(4) 鶴田は、前記のように吉田に起こされたものの、すぐには目覚めず、もう一度吉田に起こされて三時二八分ころ警備室へ行き、受信機の表示灯をみたり、同室前から九階の炎を確認するなどした後、仮眠の際に脱いでいた制服を着たが、ホテル内の様子もよく知らず、一人残されたため警備室に残り、駐車場側へ出てきた宿泊客らを誘導したり、到着した消防隊を事務所入口へ案内するなどした。
(三) まとめ 以上のように、警備員らは、いずれも自動火災報知設備の受信機の地区ベル(非常ベル)の鳴らし方を知らなかつたため、これを鳴動させることができず、また、前記のように通報要領や火災発生時の対応措置、任務分担等についてホテル側からの指示、訓練等がなかつたうえ、駐車場管理が主業務とされるような状況であつたこともあつて、全く組織的な対応ができなかつたばかりか、一一九番通報すら行えず、本社への連絡も大幅に遅れたため、四時過ぎになつてようやく応援隊員らが到着するという状況であつた。
3 他の従業員らの対応
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 宿直責任者ら
(1) 野田英男は、当夜の宿直責任者で、四階四二一号室に仮眠していたが、梶原のドアノックと火事ぶれによつて三時四〇分ころ目覚め、急いで着替えてフロントに直行し、居合せた星に一一九番通報の有無等を確認した後、地下一階の資材部事務室へ赴き、被告人幡野、同横井に電話で火災発生を知らせ、フロントに管理職へ電話すること、交換手の清水、小野口に客室へ電話連絡すること、地下二階の機械室へ行き下請従業員らに上階へ手伝いに行くことなどをそれぞれ指示したほか、自らは、非常階段から下りてきた宿泊客等を誘導するなどしたものの、宿直従業員等の活動状況もほとんど把握できない状態で、それ以上の指示はできなかつた。
(2) フロント課長の野間口正機は、ナイトマネージャーとして当夜六階六四七号室に仮眠していたが、星から電話をかけられたものの、出るのが遅く切れてしまい、そのまま眠つていたが、廊下の騒音、人声で目覚め、同階廊下の煙をみて火災発生を直感し、非常階段を下りてフロントへ行き、福永に九階での火災発生を確認した後、非常放送を試みたが、前記のとおり、既に実施不能となつていたため、ロビーの避難客の案内等をしただけで、自ら上階へ行かなかつたばかりか、従業員らに何の指示も与えなかつた。
(3) 宴会課長代理の宮下守は、当夜のナイトマネージャーとして、三階キャプテン室に仮眠していたが、仮眠場所を知らせていなかつたこともあつて、消防車のサイレンでようやく目覚め、騒々しいためロビーへ下りて初めて火災発生を知り、サービスステーションの従業員用エレベーターで七階へ上り、消防隊の怪我人運搬を手伝い、その後ロビーの避難客の世話をしただけで、フロント従業員の名前も知らず、平素から火災時の対応、役割分担等について指示を受けていなかつたため、他の従業員への指示、対応等は全くできなかつた。
(二) 他の宿直従業員ら
(1) 宿直従業員 フロント課主任清水不二は、仮眠中星に電話で起こされ、六階の宿泊客を誘導してロビーへ行き、防災放送を試みたが、既に実施不能となつていたので、ロビーの避難客の整理等に当たつたが、上階へは行かなかつた。ルームサービス係梶原は、前記のように廣田に起こされ、四階で同人と火事ぶれをして野田を起こすなどし、その後星とともに五、七階のマスターキーを持つて客の避難誘導等に努めたが、一〇階の避難誘導等は思い浮ばなかつた。アルバイトでルームサービス係をしていた渡辺和夫も、同様に、廣田に起こされ、四階客室のドアノックをしただけでそのまま避難した。ページ係小野は、河原に電話で起こされたが、冗談と思つてすぐには起きず、三時三七分ころ、騒音、煙臭、悲鳴等で火災を覚知し、着替えをしてフロントへ行き、九階出火を確認し、臨時宿泊者を起こし、非常階段を上つて八階以下の宿泊客等の誘導や消防隊の案内等を行うなどした。
仮眠中の交換台係清水アキ子は、三時三五分ころ、騒音や悲鳴、山王グランドビルの窓に映つた炎で火災発生に気付き、交換台業務をしていた小野口由利に知らせた後、三時四二分ころ一一九番通報し、その足でフロントに行き、在宅の管理職に電話連絡をしてから、再び交換台へ戻り、各客室に二人で電話連絡を試み、八八五号室の宿泊客を起こして火事を知らせ、避難するよう伝えるなどしたが、フロントやナイトマネージャー等からの連絡、指示はなく、早期の通報や宿泊客からの問合せに対する適切な対応はできなかつた。セレースの調理係久保田国彦は、三時三〇分ころ、河原に起こされて火事を知つたが、同係の福士に伝えただけで何らの指示もなかつたため、両名で駐車場側へ出てしまい、館内での活動は全く行わなかつた。
(2) その他の従業員 臨時宿泊者は、自らあるいは前記従業員らの火事ぶれで火災に気付いた後、各自の判断で八階以下の火事ぶれを行つたり、消防隊に協力したり、ロビーの避難客の世話をするなどしたが、ナイトマネージャーの指示連絡等はなく、早期に火災に気付いた者のうち、九、一〇階の避難誘導に赴いた者はほとんどなかつた。その他の下請従業員等は、地下二階で夜勤または仮眠、休憩していたが、三時三〇分ころ、宿泊客が避難の途中地下二階へ迷い込んできたため、火災発生を知り、同客らを一階まで誘導したほか、仮眠者を起こし、自主的に空調停止等の機械設備の保安措置をとつたりしたが、前記のように野田に指示されて数名が上階へ行き、消防隊の活動等を手伝うなどしたものの、役割分担も不明で十分な活動はできなかつた。
4 まとめ
以上のように、本件火災は早期に発見されており、しかも、当時のホテル館内には、相当数の活動可能な従業員等が在館していながら、自衛消防組織として編成されていなかつたうえ、責任者も含めて、火災発生時の心構えや対応措置をほとんど身につけておらなかつたため、組織的な活動が行われなかつたばかりか、各個人の対応としても、初期消火活動や出火階、直上階での火事ぶれ、避難誘導等もほとんど行えず、地区ベルの鳴動操作、防火戸の閉鎖に至つては全く思いつく者もなく、一一九番通報や関係者への通報連絡も極めて遅れるなど、従業員等の活動は、本件火災の拡大防止、被災者の救出にはほとんど有効に機能し得なかつた。
五宿泊客らの火災覚知、避難状況
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
1 九階の宿泊者ら
(一) 火災覚知状況
九階には、別紙在館者一覧表記載のように、全館内で最多の七七名(外国人も最多の五七名)の宿泊客等が在館し、そのほとんどが就寝していたが、従業員の火事ぶれで火災を覚知した者はなく、人の騒ぐ声や悲鳴、ガラスの割れる音、煙やその臭いなどで火災に気付き、あるいは気付いた同室者から知らされるなどして、はじめて火災の発生を知つた者が大半であつた。そのため、覚知時刻はほとんどが第一次フラッシュオーバー(九三八号室)以降であり、しかも、非常口の正確な位置等も知らなかつたため、廊下から自力だけで避難できた者はわずか四名に過ぎず、死傷を免れた者もそのほとんどが窓からの脱出を余儀なくされた(以下死傷者のみ氏名を掲げる。)。
(二) 避難、脱出状況
(1) 廊下からの避難
九三六、九三七、九一一号室の各一名が、出火室と近いことなどから早期に覚知して中央エレベーターで、また、九八二号室のテナント宿泊者一名が非常階段で、それぞれ自力により避難したほか、東棟九八四ないし九八六号室の六名の宿泊客が、消防隊の誘導により非常階段で避難した。
(2) 窓からの脱出 本件ホテル建物は、別紙図面(二四)のとおり、窓の外側に幅約二五センチメートルのやや下向きに傾斜したタイル張り窓台が各窓の下側にそつて横にのびていたため、逃げ場を失つた宿泊客らは、その窓台の上を外壁伝いに歩き、各棟外壁の屈曲部等の窓際に窓を仕切るように垂直に設置されている防火壁(別紙図面(二四)参照。)や下階に通じる配管、各室内のシーツ類を結び合わせたものなどを伝つて八階以下に下りるなどして脱出を図り、あるいは消防隊に救出されるなどした。その各棟の状況は次のとおりである。
東棟では、九八〇号室の李木火、九七九号室の翁藍春英、呂鄭如峰がはしご車で、九七一、九七二号室の各二名、九七四号室の一名が右窓台を伝つて窓から九七六号室へ逃げ込み、同室の二名とともに消防隊の救助ロープにより屋上あるいは八階へ脱出した。
西棟では、九三二号室の具河書、九三四号室の松田考師、九五三号室の林重圭、鄭德浩、九五四号室の李敦福ほか一名、九五八号室の方基奉がいずれもシーツ等で八階へ脱出し、九四四号室の金貞姫はカーテンで八階、更に七階へと下り、窓枠につかまつているところをはしご車で救出され、九四三号室の松田茂樹と九五二号室の一名は、窓台を伝つて九五六号室外壁の角に至つたところを同様に救出され、九三九号室の二名は同室窓横の防火壁を伝つて八階へ脱出した。
南棟では、九一三、九二一、九二三号室の各二名がいずれもシーツ等で七階まで脱出し、九〇一号室の村岡紀英は窓台を伝い九一七号室外壁角にある配管を伝つて地上まで脱出し、九〇五号室のマルカン・クラビットは、窓台を伝つて九一一号室と九一三号室の間の防火壁に至り、同所を伝い下りて南棟二階屋上へ脱出した。
九〇八号室の一名、九二四号室の二名は、窓台を伝つて九二六号室外壁角に至つたところをはしご車で救出され、九二七、九二八号室の各二名も、はしご車で同室窓から救出され、九〇一号室の村田千種は、窓台を伝つて同室と九六八号室の間の防火壁につかまつているところを、消防隊の救助ロープで屋上へ救出され、九〇二号室の荒木外喜雄は、窓台を伝つてサービスステーション外壁凹部の防火壁につかまつているところを消防隊のはしごで救助された。
(3) その他 九〇四号室の川淵純一、九〇六号室の瀧澤善明、九一〇号室の平井一成、神力恭子、九三一号室のシャロン・エイ・パフ、九三五号室の林紅希、九四〇号室の椙尾菊英、九四二号室の崔正、崔基、九四三号室の三浦壽子、九四四号室の金南順、九五八号室の趙淳、九七四号室の許榮瑞が階下へ飛び降りあるいは転落し、右シャロン・エイ・パフが五階の屋根、右神力恭子が三階の屋根にそれぞれ落下しながら一命をとりとめたほかは、全員後記のように死亡し、また、残りの一四名は、各宿泊室内または廊下で後記のように死亡し、脱出するに至らなかつた。
2 一〇階の宿泊者ら
(一) 火災覚知状況
一〇階には別紙在館者一覧表記載のように宿泊客二九名(外国人一七名)と居住者四名がいたが、従業員等の火事ぶれで火災を覚知した者はなく、九階とほぼ同様の経過で火災発生に気付いたため、覚知時刻はほとんど三時三〇分以降となり、前記のように九階に比べれば火煙の伝播が遅れてはいたものの、非常階段等から自力で避難できた者は半数に満たなかつた。
(二) 避難、脱出状況
(1) 廊下からの避難 藤山邸にいた三名、一〇七六号室の一名のほか、一〇〇三、一〇〇六、一〇三七、一〇三八、一〇四二、一〇四四号室の計一三名及び一〇三六号室の髙本憲治は自力で、一〇四三号室の二名は前記廣田の誘導でそれぞれ非常階段から避難し、一〇三三号室の一名は中央ホールのエレベーターで避難した。
(2) 窓からの脱出 脱出状況は九階の場合とほぼ同様であるが、東棟の脱出者はなく、西棟では一〇三九号室の金豪式と李相信が廊下を通つて一〇三二号室に入り、同室の窓台を伝つて同室と藤山邸との間の防火壁に至り、同壁をよじ登つて屋上に脱出し、一〇三二号室の金鐘赫は消防隊の救助ロープにより同室窓から屋上へ救出され、南棟では、一〇一〇号室の林恭一が廊下を経て一〇一一号室に入り、同室の窓外へ出、窓台、防火壁等を伝つて一〇一七号室外壁角にたどり着き、同所の配管を伝い下りて地上に脱出し、一〇一三号室の二名も同室窓外へ出、窓台を伝つて林と同様に地上へ脱出し、一〇一四号室の二名は窓からシーツ等を伝い下りて七階へ脱出し、一〇一六号室の杉野實も窓台を伝つて一〇一四号室前のシーツ等で同様に脱出した。
(3) その他 一〇〇一号室の西原邑作、古川富士枝、一〇〇五号室の品田久一は、窓外へ飛び降りあるいは転落して死亡し、一〇〇七号室の佃亘、一〇〇八号室の花岡武則、一〇一一号室の金東、一〇三二号室の李柱興は、いずれも客室内で後記のとおり死亡し、脱出するに至らなかつた。
3 八階以下の宿泊客ら
八階以下各階の宿泊者らは、主として九階と同様な経過で、煙、騒音等により火災を覚知したが、前記のような従業員等の火事ぶれ、通報によつて覚知した者もあつた。各階とも、前記のように一部では従業員による避難誘導も行われ、ほとんどの宿泊客は非常階段で避難したが、方向がよくわからず最寄りの階段ではないところを利用した者も少なくなかつた。エレベーターを利用して避難した者も数名おり、そのうちの七階七三三号室の趙容俊は、同階から一階へ向かおうとしたが、エレベーターが九階へ昇つて停止して閉じこめられ、ドアを押し開くなどしてようやく脱出し、消防隊により救助され、さらに、四階四三七号室の一名は窓から飛び降りて左踵骨骨折(全治約一か月)の傷害を負つた。
4 その他の火災覚知状況
本件ホテルの火災は、宿泊客の悲鳴や煙、炎の噴出等によつて、三時二六分ころ以降、ラテンクォーターの従業員、日枝神社関係者、衆議院職員宿舎居住者等のほか、外堀通りを通行中のタクシー運転手、通行人、喫茶店店員等によつて目撃され、第一報以下の一一九番通報が後記のとおりなされたり、フロント等への通報、自動車の警笛の吹鳴等がなされたりしたが、これに対するフロント等の従業員らの対応は、前記のとおり、誠に不適切、不十分のものであつた。
六消火活動状況等
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
1 一一九番通報受理
本件火災に関する一一九番通報は、火煙を目撃した通行人等により、付近の公衆電話から三時三九分一〇秒に第一報が、引続いて衆議院職員による第二報がなされ、前記フロント係星の通報は第三報(三時三九分五〇秒)、交換台清水アキ子の通報は第七報であつて、結局、本件ホテルからの通報は、いずれも煙発見時刻から約二十数分も経過していたことになる。
2 消火状況等
東京消防庁は、前記第一報を受理して本件火災発生を覚知し、直ちに火災指令が行われ、第一出場としてポンプ車隊一一隊、はしご車隊四隊、特別救助隊二隊、救急隊一隊、ボーリング放水塔車隊一隊、指揮隊二隊が出場して現場に急行し、赤坂消防署新町中隊のポンプ車が三時四四分に最先着したのをはじめ、各隊が続々到着して消火、救助活動に取りかかり、次いで第二出場、第三出場がなされ、さらに四時〇分には東京消防庁としてもほぼ一〇年ぶりの第四出場が実施され、結局、出場消防隊総数一二三小隊(ポンプ車四九台、化学車三台、はしご車一二台、特別救助車八台、空気補給車六台、照明車二台、燃料補給車三台、救急車二二台、指揮隊車一二台、その他四台、ヘリコプター二機。)が出動し、出動消防官六一八名が消火、救助活動等に当たつたが、通報が前記のように遅れたうえ、本件建物の構造、設備、内装の問題点や異常乾燥等のため、火煙の伝走が速く、各隊到着時には既に火災が拡大して、延焼面積が広く、火勢も強かつたうえ、要救助者が多数で、建物の構造も複雑であつたため、消防隊が九、一〇階に到達すること自体容易でなく、また、宿泊者名簿が整理されていなかつたことなどから、在館者の数、宿泊室等の状況を把握するのにも手間どるなど、救助活動も容易ではなかつたが、各隊員の活動の結果(救助者約六〇名余)、本件火災は、同日午前一〇時一五分ころ鎮圧され、同日午後零時三六分ころ鎮火した。
3 焼損等の状況
本件火災により、一〇階では東棟及び西棟の一部を残し、約二一五三平方メートルが焼失し、九階では東棟及び南棟の一部を残し、約一九二七平方メートルが焼失し、右各階で焼損を免れた部分もその大半に水損や汚損が生じた。その他、前記のように中央塔屋一階、五ないし八階にも一部の焼損や水損、ガラスの破損等が生じた。
七被災状況
1 死亡状況
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
前記のとおり、九、一〇階の宿泊客の多数は、急速に伝播した火煙と避難誘導の欠如等のため、煙にまかれ、あるいは激しい火炎を浴び、さらには、火煙に追われて窓から転落したり、いちるの望みを託して飛び降りるのやむなきに至らしめられたりなどして、九階二五名、一〇階七名の宿泊客が別紙死亡者一覧表記載のとおり死亡したほか、出火原因をつくつたディッカーも九階西棟避難所付近廊下(九四八号室前)で焼死した。右各宿泊客の死亡状況は次のとおりである。
(一) 九階の宿泊客
九〇三号室のムツト・フリヤは同室内で火煙を浴び、九〇四号室の川淵純一及び九〇六号室の瀧澤善明は、各室内でそれぞれ火煙を浴びたうえ、右各室窓から正面玄関側三階屋根にそれぞれ落下し、九一〇号室の平井一成、九三五号室の林江希は右各室窓付近からそれぞれ前同屋根に落下し、九四〇号室の椙尾菊英は西棟北側避難所から北西側駐車場に落下し、九四二号室の崔正、崔基及び九四四号室の金南順は同室窓付近から同駐車場側二階屋根に落下し、九四三号室の三浦壽子は同室窓付近からゴルフ練習所屋根に落下し、九五七号室の徐東金、安茂正及び九七〇号室の雷克定、雷陳幸美はいずれも各同室内で火煙を浴び、九五八号室の趙淳は同室窓付近から正面玄関側三階屋根に落下し、九六五室の張康寅及び九七五号室の金雪琴、朱餘錦はいずれも各同室内で煙等を吸引し、九七四号室の許榮瑞は同室窓付近から北西駐車場側二階屋根に落下し、九七七号室の李琢禮は同室内で、同室の李頼月雲は同室前廊下付近でそれぞれ煙等を吸引し、九八三号室の魏忠毅、張智恵はいずれも九八四号室前廊下付近で煙等を吸引し、九八七号室の陳啓南は同室前廊下付近で、同室の陳慧貞は同室内で、それぞれ煙等を吸引し、瀧澤善明が別紙死亡者一覧表記載の日時・場所で死亡したほか、いずれもそれぞれその付近で死亡した。
(二) 一〇階の宿泊客
一〇〇一号室の西原邑作、古川富士枝及び一〇〇五号室の品田久一は、いずれも右各室窓付近から南東側(日本庭園側)二階屋根に落下し、一〇〇七号室の佃亘及び一〇一一号室の金東はいずれも各同室内で火煙を浴び、一〇〇八号室の花岡式則及び一〇三二号室の李柱興はいずれも右同室内で煙を吸引し、古川富士枝が別紙死亡者一覧表記載の日時、場所で死亡したほか、いずれもそれぞれその付近で死亡した。
2 負傷状況
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
前記のような避難、脱出の際に、九階の宿泊客一七名、一〇階の宿泊客六名、七階の宿泊客一名が、それぞれ別紙負傷者一覧表記載のとおり負傷したほか、四階の宿泊客や消火活動中の消防官数名が傷害を負つた。右九、一〇、七階の宿泊客の負傷状況は次のとおりである。
(一) 九階の宿泊客
九〇一号室の村岡紀英及び九〇五号室のマルカン・クラビットは、前記窓台上を伝つて避難する際に火煙を浴び、九〇一号室の村田千種及び九〇二号室の荒木外喜雄は各同室窓外の防火壁につかまり救助を待つていた際に火煙を浴び、九一〇号室の神力恭子は同室窓付近から正面玄関側三階屋根に落下し、九三一号室のシャロン・エイ・パフは同室窓から正面玄関側五階(塔屋)屋根に飛び降り、九三二号室の具河書、九三四号室の松田考師、九四三号室の松田茂樹、九四四号室の金貞姫、九五三号室の林重圭、鄭德浩、九五四号室の李敦福及び九五八号室の方基奉は、前記のように、それぞれ、窓から脱出した際に火煙を浴びあるいはガラスの破片等で負傷するなどし、九七九号室の呂鄭如峰、翁藍春英はいずれも同室内で煙を吸引し、九八〇号室の李木火は同室のガラスを割るなどした際に負傷し、それぞれ別紙負傷者一覧表記載の各傷害を負つたが、特に、前記パフは一命をとりとめたものの、骨盤、左前腕、左大腿骨、左脛骨等を骨折して長期療養を余儀なくされたうえ、重大な後遺障害が残存し、また、神力恭子は本件火災当時の記憶を全く喪失してしまつた。
(二) 一〇階及び七階の宿泊客
一〇一〇号室の林恭一及び一〇一六号室の杉野實は、窓から脱出した際にいずれも煙を吸引するなどし、一〇三二号室の金鐘赫及び一〇三九号室の金豪式、李相信はいずれも各同室内で煙等を吸引し、一〇三六号室の髙本憲治は同室の窓ガラスを割つた際ガラスの破片等で、また、七階七三三号室の趙容俊は、避難の途中、中央ホールのエレベーター内に九階で閉じこめられ、同エレベーターから脱出し、火煙の中を逃げる際にそれぞれ前記一覧表記載の傷害を負つた。
(三) 以上のように、九、一〇階の負傷者らは、猛火、猛煙の中をからくも脱出し、その際、他の宿泊客が次々と落下しあるいは火に包まれて死亡する状況を目撃するなどして、激しい精神的衝撃を受け、相当期間不眠に悩まされるなどした者もあつた。
3 その他の被害
<証拠>によれば、本件火災により、同ホテルの建物、家具、藤山勝彦等の居住者、貸事務所等の等の利用者及び宿泊客らの私物等が焼損、水損等を蒙り、損害保険の査定額だけでも約七三億円に達する損害が生じたことが認められる。
第五被告人両名の過失
一注意義務の内容
1 被告人横井の注意義務
(一) 同被告人は、ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長として、対価を得て不特定、多数の宿泊者に客室等を提供し、安全かつ快適にこれを利用せしめることを業務内容とする、同ホテルの経営、管理事務を統括する地位にあつた者であり、前記のように、文字通り専権的に被告人幡野以下の従業員等を指揮し、同ホテルの営業はもとより、これに伴う宿泊客等の生命、身体の安全確保のため、防火、消防関係も含めた同ホテル建物の改修、諸設備の設置、維持管理及び従業員の配置、組織、管理等の業務を統轄掌理する権限及び職責を有していたものである。
(二) これを消防法令に徴してみると、同被告人は、本件ホテルの経営の最高責任者として、政令で定める防火対象物である同ホテル建物について、消防法八条一項にいう「管理について権原を有する者」及び同法一七条一項にいう「関係者」に該当するものであるから、同ホテル建物の客室等に、消防法令の定める基準に従つた消防用設備等を設置する義務を負い、かつ、防火管理者をして前記の消防計画を作成させ、同計画に基づく消火、通報、避難訓練の実施(以下、消防計画の作成、消防訓練の実施等という。)、消防用設備等の点検整備、防火上必要な構造及び設備の維持管理(以下、防火用、消防用設備等の点検、維持管理等という。)など防火管理上必要な業務を行わせる義務(以下、防火管理体制確立義務という。)を負つていたものである。
(三) そして、同ホテルは、前記のように、その建物の規模、利用状況、構造、設備等の問題点、欠陥等のため、出火の危険性が高いうえ、いつたん出火すれば急速に火煙が伝走、拡大し、早期の火災発見と適切な消火、通報、避難誘導等を欠くときには、多数の宿泊客らを死傷に至らしめる危険性が高く、このような危険を防止するためには、前記消防用設備等の設置及び防火管理体制の確立が有効かつ必要不可欠のものであつたというべく、したがつて、このようなホテルの経営者である被告人としては、宿泊者らの火災による死傷という結果の発生を予見し、かつ、これを未然に防止するため、右のような各措置を講ずべき業務上の注意義務を負つていたものといわなければならない。
2 被告人幡野の注意義務
(一) 同被告人は、ホテル・ニュージャパンの支配人兼総務部長として、被告人横井及び副社長邦彦の指揮監督の下に、同ホテルの業務全般にわたりその事務を掌握し、同ホテル従業員等を指揮監督して、宿泊客等の生命、身体の安全を確保する防火管理業務を行うべき権限と職責を有していたところ、同被告人は、前記のように、防火管理に関する講習会の課程を修了し、昭和五四年一〇月三一日本件ホテルの管理権原者たる被告人横井から、消防法八条の防火管理者として選定、届出され、消防法令上同ホテルについて、前記消防計画の作成、消防訓練の実施等及び防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行うべき義務を課されていた。
(二) そして、同ホテルには、前記のように、火災の高度の危険性があつたうえ、スプリンクラー設備等が一部にしか設置されていないなど防火用、消防用設備等が不備であつたから、同被告人としては、そのような設備等の不足を補い、宿泊客らの火災による死傷の危険を防止するため、消防計画の作成、消防訓練の実施等のほか、既存の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を実施することが一層必要不可欠であつたものというべく、同被告人としては、このような宿泊客らの火災による死傷という結果発生を予見し、かつ、これを未然に防止するため、右のような各措置を講ずべき業務上の注意義務を負つていたものというべきである。
二予見可能性及び結果回避義務
1 予見可能性
被告人横井の弁護人は、同被告人には、ホテル・ニュージャパンにおける火災発生及びそれに伴う死傷者発生のいずれの予見可能性もなかつた旨主張し、同被告人もこれに沿う公判供述を行つている。しかしながら、一般的に、ホテルは、その業務の性格上、昼夜を問わず不特定、多数の宿泊客等に宿泊その他の利便を提供することを業とするものであるから、火災発生の危険性を常に包蔵しているものといえ、いつたん火災が発生すれば、宿泊客らの大半はホテル建物の構造、避難経路等の不案内のため、火災発生の覚知の遅れ、初期消火の失敗、通報や避難誘導等の不手際、消防用設備の不備等から、火災が拡大し、逃げ遅れた客に死傷の結果が生じるおそれのあることは、本件以前における累次のホテル、旅館等の火災事例に徴しても明らかであつて、右はホテル経営に携わる者の等しく予見しうるところであるから、本件における結果発生に対する予見可能性も右の程度をもつて足りるものというべきである。
ことに、本件ホテルにおいては、前記認定のとおり、高層、大規模な国際的ホテルとして、多数の内外国人が宿泊等に利用し、その構造も複雑であつたにもかかわらず、防火用、消防用の設備や構造において、幾多の欠陥を包蔵する建物であつて、防火管理体制も極めて不備、不十分であつたのである。そして、被告人横井は、本件ホテルの社長就任以降、前記のとおり、部下職員の説明や進言、消防当局の指導等によつて、同ホテル建物の欠陥や従業員に対する消防訓練の不実施等の防火管理上の問題点も十分認識していたものと認められるから、同ホテルに火災が発生した場合、宿泊客等に死傷の結果が生じる蓋然性が高いことは、同被告人にとり、より具体的にこれを予見することが可能であつたものということができる。
2 結果回避義務
前記のように、既存ホテルにおいて、火災による死傷者の発生を防止するための措置として、一般的には、防火区画等の防火構造・設備、消防用設備等の設置、維持と防火管理体制の確立があげられるところ、本件ホテルにおけるその具体的措置を検討すると、前記のとおりの本件建物の規模、構造、利用状況、内装、区画、防災設備等の状況、従業員の数、組織、訓練状況等から認められる火災による高度の危険性に対応するため、(一)設備等の面では、客室階には、前記消防法令上の基準に従つたスプリンクラー設備若しくは同基準に従つた客室等の部分を一〇〇平方メートル区画、廊下を四〇〇平方メートル区画とした代替防火区画を設置すること、(二)防火管理面では、本件建物の構造、諸設備の状況、従業員の数、業務内容、経験の程度等の実情に即した火災発生時の消火、通報、避難等に関する行動準則及び防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を含めた防火管理を有効ならしめる事項を定めた消防計画を作成し、右計画に基づく消火、通報、避難訓練を定期的に実施するなどして、下請関係者を含めた従業員等に右消防計画等を周知徹底させ、火災発生時の役割分担、行動要領等を平素から習得させ、また、防火戸その他の防火用、消防用設備等の点検、維持管理を適切に実施して、火災時にこれらが有効に機能するような防火管理体制を確立することが、ホテル・ニュージャパンにおいては、要求されていたものと認められる
そして、本件において、被告人横井には、右(一)のスプリンクラー設備若しくは代替防火区画の設置及び防火管理者である被告人幡野を指揮して右(二)の防火管理体制を確立すること、被告人幡野には、右(二)の措置として右消防計画の作成、同訓練実施等による同計画の従業員等への周知徹底、既設防火戸等の点検、維持管理をすることが、具体的な結果回避義務の内容となるものと解され、被告人両名には、前記のとおり、本件死傷の結果を回避するため、右各義務を尽すことが十分に可能であつたものといえる。
三各注意義務違反と結果発生
被告人両名が前記各注意義務を怠り、その結果、本件死傷者が発生するに至つたことは、前記第三、第四で詳細に認定説示したところから明らかというべきであるが、右各注意義務と本件死傷発生との因果関係について、以下補足的に説明を加える。
1 スプリンクラー設備、代替防火区画等の有効性
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
本件建物の九、一〇階には、前記のようにスプリンクラー設備、代替防火区画はいずれも設置されていなかつたが、これらが設置され、正常に作動していれば、本件死傷者の発生は回避できたものと認められる。
(一) スプリンクラー設備
これが消防法上の基準に従つて設置され、正常に機能すれば、スプリンクラーヘッドの温度が七二度に達すると、一平方センチメートル当たり一キログラム以上の圧力で、毎分八〇リットル以上の水が散水されるはずであるから、九三八号室内で前記のように出火したとしても、その炎が天井に沿つて伝播し始めたころには、スプリンクラーが作動し、その火を鎮圧してしまうはずであり、そうであれば、同室以外の区域に火災が拡大することは特段の事情がない限りなかつたものと認められる。このことは過去に発生した火災におけるスプリンクラー設備の奏効事例からみても優に肯認できる。
(二) 代替防火区画
前記のような代替防火区画が設置されていた場合には、九、一〇階客室は完全な一〇〇平方メートル以内の区画となり、出火室を含む三室程度が耐火構造で囲まれ、各室ドアは自動閉鎖式甲種防火戸(ドアチェック付鉄扉等)とされ、廊下との区画やパイプシャフト、配管引込み部等の埋戻しも完全になされ、また、廊下は四〇〇平方メートル以内の区画となつて、その内装には難燃措置が施され、区画部分には煙感知器連動式甲種防火戸が設置されることとなるので、本件火災時のように客室ドアが開放されたままとなつて室内にフラッシュオーバーが生じたり、ドアの燃え抜けにより火災が拡大することは原則としてあり得ず、窓の開放等によつて出火室内でフラッシュオーバーが生じたとしても、隣室には窓際木製間仕切り部等を通じて延焼する可能性があるだけで、その炎は一区画内の三室程度に閉じめられるうえ、その延焼時間が大幅に遅れるため、隣室の寝泊客等の自力避難は十分に可能であつたと認められる。
したがつて、右いずれかの設備が設置されていれば、本件のような火煙の急速な伝播、火災の拡大による多数の死傷者の発生は未然に防止することが可能であつたものということができる。
2 防火管理体制確立の必要性及び有効性
<証拠>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 防火管理体制確立の必要性
もつとも、スプリンクラー設備が設置されていたとしても、その点検、整備が十分でない場合には、ヘッドの機能不良による散水障害や、給水バルブの閉鎖、ポンプの電源切断等による給水遮断等が起ることもあり、また、正常に機能しても出火部分や火勢等によつては、炎の完全な鎮圧に失敗し、あるいは火災拡大を防止し得ない場合もあり得る。また、代替防火区画についても、本件火災時のように、維持、管理が不十分であれば、防火戸ないしドアが完全に閉鎖しない場合も考えられ、また、本件のディッカーのように、ドアのところに人が倒れ、あるいは物が置かれるなどすれば、出火室ドアは完全には閉鎖されず、窓にも開口部が生じるなどしてフラッシュオーバーが激しく生じる可能性もあり、本件火災時のように、適切な避難誘導や通報等が全く欠けていれば、九階西棟の一部の宿泊客が覚せいしないまま一酸化炭素中毒に至る可能性は否定できず、さらに、いずれかの設備が設置され正常に機能した場合であつても、火災発生時に、宿泊客等への適切な通報、誘導等を欠けば、混乱から負傷者等が生じる可能性も否定し得ないではない。
したがつて、これら個々の設備の設置は、結果回避措置としてはそれのみで足りるものではなく、これを点検整備、維持管理させるとともに、右のような異常事態や混乱などによる二次災害の発生等に対処するため、前記消防計画の作成及びその訓練実施等により、従業員等への周知徹底を図ることが必要不可欠のものということになる。
(二) 防火管理体制確立の有効性
(1) 消防計画の作成、実施等の有効性
前記のように、ホテル・ニュージャパンにおける消防計画は、本件出火当時の同ホテルの実情と全く合わないものとなつていたが、これが実態に即して適切に作成され、従業員らに周知徹底のうえ、実行されていれば、消火、通報、避難等に関する訓練や教育の際に、既設防火戸、防火壁等の維持管理、建物の自主検査、非常放送設備その他消防用設備等の点検整備も同時に実施されることになるので、そうなれば、防火戸や防火壁等は、法令に定められた基準に合致するものとなり、延焼防止のうえで多大の機能を発揮し、また、本件火災時に全く機能しなかつた非常放送設備等も、宿泊客らの火災覚知、避難のため、従業員等の消火、通報、避難活動等と相まつて、有効に活用されたものと認められる。
(2) 消防訓練の実施等の有効性
(ア) 煙発見時の対応 前記のように、福永は、煙を発見しながら、そのままエレベーターでフロントへ向つているが、適切な訓練がなされていれば、同室に赴いて発煙状況等を確認したうえ、直ちに、九三二号室前等の最寄りの屋内消火栓に設置されている発信機の発信ボタンを押すとともに、同消火栓内にある非常電話で、警備室に火災発生の事実を知らせることができ、これを受けた警備室の窪も、直ちにフロントに電話連絡するほか、自動火災報知設備受信機の階別警報電鍵を操作して、九、一〇階の非常ベル(地区ベル)を鳴らし、仮眠者全員を起したうえ、直ちに現場へ急行するなどの適切な措置をとることができたものと認められる。また、福永がフロントに通報し応援を求めるにしても、エレベーターで戻るのではなく、サービスステーション等からの電話で、より迅速に連絡することが可能であつた。このように、煙発見時の対応として、適切な訓練が平素実施されていれば、警備室やフロントに対する通報は、より的確、迅速に行われたはずである。
(イ) 初期消火 前記のように、煙発見時から九三八号室ベッド上の炎が同室天井に達するまでには約四分ぐらいの間隔があり、その時点では廣田の消火器噴射により、一応の消炎もできたのであるから、その際付近にいた河原、福永及び廣田らが協力して、屋内消火栓により適確な放水を行つていれば、その場で鎮火させることは可能であつたものと認められ、このような消火栓操作は、適切な訓練さえ実施されていれば、容易に実行することができたはずである。また、前記のように福永によつて各所への通報が的確、迅速になされていれば、廣田、河原、窪らが、本件出火時に要したよりも短時間で出火室に到着し、その応援、協力が可能であつたものといえるから、初期消火に成功する可能性は更に高かつたものというべきである。
(ウ) 火災発生の通報、避難誘導 前記のように、九階西棟においては、煙発見時刻から約九分間、同階南棟、東棟においては約一二分間、一〇階においては約二十数分以上それぞれ避難可能時間があつたものと認められるところ、宿泊客らが覚せいして各非常階段内踊り場まで避難するのに要する時間は、前記のとおり、非常放送、誘導等が適切になされていれば約二分強、これが若干不十分な場合でも三分程度で足りたものと認められるから、福永から連絡を受けたフロント等において、直ちに一一九番通報するとともに、非常放送設備を活用して、非常トークバック放送をも含めた防災放送を実施し、また、福永から連絡を受けた警備室においても、直ちに九、一〇階の地区ベル(非常ベル)を鳴動させ、九階においては、福永のほか、廣田、河原らが協力、分担して、まず、九階西棟から火事ぶれを実施するとともに、宿泊客らを順次、非常階段へ誘導する措置をとり、初期消火が困難であれば、中央ホールの各防火扉の閉鎖を確認し、閉鎖していないものは手で閉鎖するなどしたうえ、九階南棟、東棟、一〇階の宿泊客に対しても、順次、火事ぶれ、避難誘導等を協力分担して適切に実施すれば、前記のようには鎮火させることができず、放送や非常ベルが用いられない場合であつても、九、一〇階の宿泊客全員を無事避難させることは十分に可能であつたものと認められる(後記のような防火戸閉鎖の効果も加われば、右の安全避難はなお一層容易かつ確実となる。)。
(エ) その他適切な訓練が実施されていれば、本件火災発生時の一一九番通報、仮眠者等による消火、救助活動等が迅速、適確になされていたであろうことが期待できるほか、訓練の際に非常放送設備等が実際に使用されるため、その過程で、前記のような、自動火災報知設備の副ベルの誤配線、非常放送設備のパワーアンプの故障、エンドレステープ再生機の故障等は当然発見され、その他の不備、不良の箇所も容易に発見されることとなり、消防用設備等の保守、点検等の実効性も確保されたものと認められる。
(オ) 以上のように、本件ホテルにおいて、その実情に適した消防計画が作成されたうえ、これに基づいて、下請従業員等も含めた自衛消防隊が編成され、消火、通報、避難誘導等の任務分担やその手順、行動要領等が、各種の訓練実施等を通じて、各隊員に周知徹底されていれば、各所への早期の通報や従業員相互間での適切な連絡、協力が図られ、初期消火活動や、宿泊客に対する火事ぶれ、避難誘導等の適切な措置が迅速かつ有効になされ得たものと認められる。
(3) 既設防火戸の維持管理の有効性
前記(第二、三、4、(一)、第三、三、2、(一))のとおり、九、一〇階中央ホール東棟側、南棟側には、それぞれ温度ヒューズによる自動閉鎖式防火戸が設置されていたものの、その維持管理が悪く、機能不良のまま放置されていたため、本件火災時には一か所も防火戸として機能しなかつたが、これらが適切に保守管理されていれば、本件火災当時、温度ヒユーズ溶断による閉鎖までのわずかの間に煙の流入はあるものの、九階の東棟、南棟への右防火戸部分からの火煙の侵入は阻止され、右各棟の各宿泊客らの避難可能時間が本件火災時に比してはるかに長くなるため、その全員の避難がより可能かつ容易となる。また、一〇階においても、前記のとおり、九階南棟への延焼が阻止されるため、九階から一〇階への主要な延焼経路である九〇七号室から一〇〇七号室へのパイプシャフトスペースを通じての延焼が防止され、あるいは少なくとも大幅に遅れるため、西棟の九三五室から一〇三五室へのパイプシャフトスペースを通じた延焼が主たるものとなり、延焼時間は大幅に遅れ、さらに、一〇階の防火戸も閉鎖するため、その西棟から東棟、南棟への延焼は防止され、あるいは少なくとも大幅に遅れるため、一〇階の宿泊客の避難可能時間はより長くなり、全員の避難が一層可能かつ容易になつたものと認められる。たしかに、弁護人の指摘するとおり、右各防火戸が閉鎖された場合でも、適切な避難誘導、通報等が全くなされなければ、右各部分の宿泊客の中にも、死傷者発生の可能性があることは否定し得ないが、右各防火戸が閉鎖されれば、時間的な余裕が生じるので、従業員等による通報や避難誘導活動もより容易かつ有効になされることが期待でき、これと相まつて、右各棟の宿泊客らの死傷発生の防止は、より一層確実なものとなつたと認められる。
3 因果関係不存在等の主張
(一) 従業員、警備員らの初動活動の不手際
被告人横井の弁護人は、前記のような本件火災時における従業員、警備員らの対応は、とうてい予測しえない重大な不手際であつて、同被告人の行為と結果発生との間には因果関係が存在しない旨主張している。
しかしながら、ホテル従業員等のように、火災発生時に適切な活動が期待される立場の者であつても、十分な訓練等を積んでいない場合には、消火栓操作等のような技術、知識等の習得を要するものはもとより、そうでないものについても、火急の際に、驚愕、狼狽し、あるいは不安、恐怖にかられるなどして、平常時ではおよそ考えられないような拙劣な対応しかとれないことがあり得ることは、本件以前の累次の火災事例等に徴し、容易に予測できるところであつて、消防法令上、前記のような消防計画の作成、訓練実施等が義務づけられているのも、まさにそのような事態を予想し、これを訓練等の実施により防止し、適切な活動をなさしめようとするものにほかならない。そして、本件ホテルにおいては、前記のように、被告人横井の社長就任後、消防当局から消防計画、自衛消防隊編成、消防訓練等の不備、不実行がたびたび指摘され、被告人両名ともその事実を十分に認識していたこと、警備実施要領書で定められていた、火災発生時の対応の前提となる、ホテル側からの防火防災のための通報要領、消防計画の呈示、協議、訓練等が実行されていなかつたこと、同ホテルと契約していた警備会社の警備員は、駐車料金徴収の作業に追われて、人的にも時間的にも本来の警備業務を十分に行ない得ないような状況にあつたことなどの事情からみれば、被告人幡野のみに止まらず、被告人横井においても、従業員及び警備員らが火災発生時に適切な対応ができず、本件のような不手際の生じるおそれのあることは、十分予見することが可能であつたものというべく、被告人幡野は、このような不手際が生じることをも前提として、前記のような適切な消防計画の作成、訓練の実施等をなすべきであり、被告人横井は、右幡野を指揮して、これらを行わせるべき立場にあつたのである。右のような不手際等は、被告人両名が前記のような注意義務を尽すことによつて防止できたものというべきであるから、右の点に関する弁護人の主張は理由がない。
(二) 消防用設備の維持管理等
被告人横井の弁護人は、前記防火戸、自動火災報知設備、非常放送設備の不備、機能不良等は、点検業者や被告人幡野以下の従業員等、さらには、消防当局の手抜き査察に重大な責任があり、因果関係がない旨主張している。
しかしながら、消防当局の査察等の指導が熱意をもつて行われていたことは前記(第三、二)のとおりであるうえ、防火戸等の防火用設備、自動火災報知設備、非常放送設備等の消防用設備等の維持管理、点検整備は、消防当局の指摘の有無にかかわりなく、管理権原者たる被告人横井において、防火管理者である被告人幡野をして当然実施させるべきものであるから、消防当局にその責任を転嫁しようとする弁護人の主張は独自の見解にすぎず、採用できない。そして、右維持管理等の義務に加えて、自動火災報知設備、非常放送設備等については、その各点検結果の定期的な報告義務が課されていたにもかかわらず、被告人横井においては、これらの実施を命じなかつただけでなく、その実施の有無、状況等の報告を求めたことすら全くなかつたのである。したがつて、自ら尽すべき監督義務を全く怠つていながら、その支配下にある被告人幡野以下の従業員や下請業者らの不手際を責めること自体論外というべきであるうえ、本件における防火戸、非常放送設備の不備、欠陥等は、その維持管理、点検整備を実施しなかつたことに専ら基因するものであり、適切にこれが実施されてさえいれば、本件火災時これらはいずれも正常に機能し得たものと認められ、また、一応点検整備が実施されていた自動火災報知設備についても、副ベルの誤接続等については訓練実施により発見、改修が可能であつたうえ、前記福永による煙発見時刻の方が、空気管式熱感知器の正常作動による発報時刻より早かつたものと認められるから、訓練義務さえ尽されていれば、福永において適切、迅速に押しボタン式発信機及び非常電話等で正確な通報がなされたはずであり、そうなれば、前記のとおり、直ちに、警備員による地区ベル鳴動やフロントにおける防災放送の実施、従業員らによる実効的な火事ぶれなども可能であつたものと認められる。そして、出火時における従業員らの活動は、物的設備の不備等を補う趣旨もあるのであるから、右自動火災報知設備等の不備、欠陥は、同被告人に対する前記のとおりの注意義務を認定する妨げとなるものではない。
(三) その余の主張
以上のほか、被告人横井において、防火管理体制確立全般について、被告人幡野を全面的に信頼してこれを委せていたと主張する点は、前記のように、被告人横井は、防火、消防関係について全く指示、監督を怠つていたばかりでなく、人事、経理等の面において、むしろ、防火管理体制の確立を阻害するような行動にすら出ているのであつて、弁護人の主張は到底採用できず、また、遡及工事の遅延について、消防当局の指導等に責任を転嫁し、あるいは、猶予期間を得たなどとする主張は、前記のような消防当局の指導の実情等に照らせば理由のないものであることは明らかである。また、遡及工事の実施や実態に適合した消防計画の作成、実効的な消防訓練実施等が事実上不可能であつたとする点についても、被告人両名において、それぞれこれが実行可能であつたことは前記認定のとおりであり、さらに、前経営者の遡及工事不履行等の点については、被告人横井が本件ホテルの経営を承継後本件火災発生まで既に二年八か月余を経過しているのであるから、右の点も被告人横井の過失の存否の判断に何らの消長を及ぼすものではない。
四結論
以上の認定説示から明らかなように、被告人横井は、火災による死傷者の発生する危険性の高い本件高層ホテルの経営者として、スプリンクラー設備若しくはこれに代る防火区画を設置するとともに、被告人幡野を指揮して前記のような消防計画の作成、消防訓練実施、防火用設備等の維持管理等も含めた万全の防火管理体制を確立することによつて、火災による宿泊客等の死傷の発生を未然に防止すべき注意義務を負い、被告人幡野は、前記消防計画の作成、消防訓練の実施、防火戸等の点検、維持管理等の防火管理業務を適切に実施することによつて、右結果発生を防止すべき注意義務を負つていたものであるところ、被告人両名において、いずれも十分に実施可能であつたと認められる各自の右義務履行を怠つたため、その結果が相乗的に作用して、火災の拡大を防止できなかつたうえ、避難誘導等の適切な措置を欠き、九階出火室付近ばかりでなく、既設の防火区画外の九階南棟、東棟や時間的にかなり余裕のあつた一〇階の宿泊客らにまで、多数の死傷者を発生せしめたものであつて、被告人両名に本件死傷の結果に関する過失責任が存することは明らかである。
(法令の適用)
被告人両名の判示各所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右はいずれも一個の行為で五六個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、それぞれ一罪として犯罪の最も重い佃亘に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人横井を禁錮三年に、被告人幡野を禁錮一年六月にそれぞれ処し、被告人幡野については、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から五年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用目録記載の証人に支給した分について、これを四分し、その三を被告人横井の、その余を被告人幡野の各負担とする。
(量刑の事情)
本件は、判示のとおりの被告人両名の過失により、都心の近代的高層ホテルが厳寒期の未明に大火災を起し、九、一〇階の大半を焼燬して、宿泊客三二名(うち外国人二一名、火元となつた外国人死亡者一名を除く。)を死亡させたほか、二四名(うち外国人一五名)に重軽傷を負わせたという、誠に悲惨かつ衝撃的な事案である。
本件出火の直接の原因は、火元となつた九三八号室の外国人宿泊客の寝たばこによるものとはいえ、かかる大惨事を招くにまで至つた最大の原因は、ひとえにホテル・ニュージャパンの管理権原者ないし防火管理者の地位にあつた被告人両名の前記のとおりの任務懈怠によるものであつて、後述する過失の程度、内容及び結果の重大性等に鑑みれば、その刑責は誠に重いというほかはない。
すなわち、被告人両名とりわけ被告人横井は、昭和五四年五月ホテル・ニュージャパンの経営を承継して以来、同ホテルの管理権原者として、所轄消防署等から、防火、消防用設備等の不設置や不備、欠陥等について、たび重なる指導、勧告さらには命令までも受けながら、その責を前経営者に転嫁し、あるいは赤字経営による資金難を口実としたり、消防法令等の遡及的適用を非難することなどに終始して、法令に定める消防用設備等の設置や消防計画の作成、これに基づく消火、通報、避難等の訓練を怠つたばかりでなく、営利の追求に腐心するあまり、既設の消防用設備等の保守点検、整備費用やホテル維持費等の支出を極端に抑制し、かつ、従業員の大幅な削減を行うなどした結果、本件火災発生時における初期消火の不手際、非常ベルや放送設備、防火戸等消防用設備等の不作動、ホテル館内の異常乾燥等の事態を招き、消防隊員らの迅速、果敢な消火、救助活動にもかかわらず、本件大惨事にまでたち至つたものである。同被告人には、多数の人命を預るホテル経営者として不可欠な、宿泊客の生命、身体の安全確保という最も重要でかつ基本的な心構えに欠けていたものといわなければならない。
また、被告人幡野においても、ホテル・ニュージャパンの現場における実質的な最高責任者たるホテル支配人として、前記のような被告人横井の経営姿勢や消防署の指摘により、同ホテルの防火、消防設備の設置状況等の不備、欠陥を十分知悉していたのであるから、火急の場合に備えて、防火戸等の保守、点検、整備等のほか、消火、通報、避難訓練等万全の防火管理体制を確立する必要性がより一層大きく、しかも、自己の権限でこれを行うことが優に可能であつたとみられるのに、防火管理者として十分にその責務を果さなかつたことは基だ遺憾というべきである。
そして、本件火災により生じた結果は試に重大である。ホテル・ニュージャパンは、外観から見るかぎり、都心の国際的、近代的高層ホテルとして、内外国人が多数利用していたものであり、本件当夜も外国人宿泊客一九二名を含む三六八名もの宿泊客らが旅行その他で本件ホテルを利用し、そのほとんどの者が安んじて深い眠りについていた夜明け前の時刻に、夢想だにしない本件火災に遭遇したものである。
宿泊客らのうち特に、九、一〇階にいた一一〇名余りの者(うち外国人七四名)の多くは、猛火と黒煙に追われて逃げまどい、阿鼻叫喚のうちやむなく九、一〇階の窓から飛び降りて、二、三階の屋根や路上にたたきつけられたり、逃げ場のないまま激しい火炎を浴びあるいは煙に巻かれるなどして多数の者が無残に死亡し、その中には愛児を胎内に宿しながら絶命した者や原形を止どめぬほど焼燬、炭化し、目を覆うばかりの惨状を呈している者などもいる。
そして、負傷しながら一命を得た者も、地上約二十数メートルもの高さの九階の窓から飛び降りた者、九、一〇階の窓下のわずかに張り出している窓台を伝わり、あるいはシーツなどをロープ代りにするなど身を挺して難を逃れ、奇跡的に助かつた者が数多く存在する。
本件被害者らがその間に受けた苦痛と恐怖は想像を絶するものがあるというべく、また、一命をとりとめたとはいえ、負傷した者の中にいまだに全治の不明な者、火傷による瘢痕その他機能障害等重大な後遺症の残る者などもおり、多くの被害者や遺族の被害感情がいまだに厳しいのも無理からぬものといえる。
そして、本件火災は、出火後間もない早暁から、その惨状がテレビ等を通じて全国に報道され、ホテル火災の恐しさを目の当たりに示し、社会の耳目をしよう動させたものであつて、被害関係者はもとより一般社会に与えた衝撃、ホテル、旅館等の安全性に対する信頼の失墜等の社会的影響も無視することができない。また、被告人両名が当公判廷において、本件火災の責任を相互にあるいは他に転嫁して、自己の刑責を免れ若しくは軽減しようとしている態度の見受けられることは誠に遺憾というべきである。
しかしながら、他方、被告人横井は、負傷した一名を除くその余の被害者ないしはその遺族等との間で、現時点までに総額一三億円余をもつて示談を遂げ、被害者側に対する慰謝のため相応の努力を尽した跡がみられること、被告人両名は、少なくとも道義的には自己の行為について責任を感じて反省の態度を示しており、死亡した被害者らの冥福を祈るとともに慰霊のために種々の具体的方策を講じていること、本件火災がかかる大惨事に至つた一因として、初期消火活動や消防用設備等の保守、点検、整備などに関する業者のやり方にも問題がなかつたとはいえないこと、被告人横井においては、ホテル・ニュージャパンに終日常駐していた訳ではなく、防火設備に関する遡及工事等は、法の建て前からすれば、前経営者の時代に本来完了しておくべきものであつたこと、被告人幡野においては、被告人横井の行つた大幅な人員削減、予算縮小等の経営方針のため、防火管理者としての責務を十分に果すことが困難な状況にあつたともみうるほか、そのような被告人横井のやり方に同調できず、辞意を表明し、これを拒まれたといういきさつの存すること、被告人両名にはこれまで格別の前科、前歴はなく、その年齢、健康状態及び家庭の情況等に酌むべき事情も存することなど有利な情状も認められる。
したがつて、以上の諸事情にその他証拠上認められる一切の情状を総合考慮して、主文のとおり量刑した次第である。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮嶋英世 裁判官廣瀬健二、同石井浩は、いずれも転任のため、署名押印をすることができない。裁判長裁判官宮嶋英世)
別紙訴訟費用目録<省略>
死亡者一覧表<省略>
負傷者一覧表<省略>
在館者一覧表(出火時)<省略>
宿直従業員等一覧表<省略>
遡及工事状況等一覧表<省略>
図面(二)(三)(五)〜(一九)(二二)(二四)<省略>
別紙
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