東京地方裁判所 昭和57年(特わ)2970号 判決 1984年4月27日
本店所在地地
東京都台東区上野一丁目二番三号
株式会社犬塚信夫商店
(右代表者代表取締役 犬塚康雄)
本籍
東京都台東区上野一丁目六番地
住居
東京都台東区上野一丁目二番三号
会社員
犬塚敏子
昭和一〇年九月二五日生
右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官五十嵐紀男及び弁護人古川太三郎、同佐藤充宏各出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人株式会社犬塚信夫商店を罰金二七〇〇万円に被告人犬塚敏子を懲役一年二月にそれぞれ処する。
被告人犬塚敏子に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人株式会社犬塚信夫商店(以下「被告会社」という。)は、東京都台東区上野一丁目二番三号に本店を置き、魚介類の小売りを業としている資本金一〇〇万円の株式会社であり、被告人犬塚敏子(以下「被告人敏子」ということがある。)は、被告会社の実質経営者として販売、経理及び現金・預金の管理等の業務に従事している者であるが、被告人敏子は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、
第一 昭和五三年七月一日から昭和五四年六月三〇日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が四七二四万五五六六円(別紙(一)修正貸借対照表参照)あったのにかかわらず、昭和五四年八月三一日、東京都台東区上野五丁目五番一五号所在の所轄下谷税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が四三八万〇三三九円でこれに対する法人税額が一二二万六四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書(昭和五七年押第一八三〇号の1)を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額一八〇五万八〇〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額一六八三万一六〇〇円を免れ
第二 昭和五四年七月一日から昭和五五年六月三〇日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一億九三〇八万七五六二円(別紙(二)修正貸借対照表参照)あったのにかかわらず、昭和五五年九月一日、前記下谷税務署において、同税務署長に対し、その欠損金額が一一四万七一四〇円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書(前同号の2)を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額七六三九万四八〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)を免れ
たものである。
(証拠の標目)
一 被告人犬塚敏子の当公判廷における供述
一 被告人犬塚敏子の検察官に対する昭和五七年八月一二日付供述調書(乙四号証、第二項冒頭の五行を除く。)
一 被告人犬塚敏子の検察官に対する昭和五七年八月一二日付(乙三号証)及び同月一七日付各供述調書
一 収税官吏の被告人犬塚敏子に対する昭和五六年五月二〇日付、同月二五日付及び同年七月三一日付質問てん末書
一 収税官吏の被告人犬塚敏子に対する昭和五六年九月三日付、同月二四日付、同年一一月四日付及び同月一九日付質問てん末書(被告人犬塚敏子の関係で)
一 被告会社代表取締役犬塚康雄の当公判廷における供述
一 被告会社代表取締役犬塚康雄の検察官に対する供述調書
一 収税官吏の被告会社代表取締役犬塚康雄に対する質問てん末書三通
一 証人森川誠、同吉田勇(第四回及び第一二回の各公判、以下第一、二回という。)、同遠藤文夫及び同浜田理の当公判廷における各供述
一 井上善之及び遠藤文夫の検察官に対する各供述調書
一 収税官吏の石山幸雄、市川信義、下田隆夫、斉藤史郎、安岡一生、石井久子、金井ユウ、中澤潔及び吉田修(但し、昭和五六年五月二〇日付)に対する各質問てん末書
一 収税官吏作成の現金、当座預金、定期預金、未収入金、預け金、差入保証金、有価証券、未収利息、仮払源泉税、信用配当未収金、代表者勘定、借入金、未払源泉税、信用配当前受金、損金不算入役員賞与、貸付金、有価証券売却益、信用損益及び株式取引に関する各調査書各一通
一 収税官吏作成の「資金繰資料」と題する書面
一 収税官吏作成の検査てん末書三通
一 収税官吏作成の差押てん末書二通
一 検察事務官作成の未払事業税、繰越利益剰余金及び未処分利益に関する各捜査報告書一通
一 野村証券株式会社上野支店総務課長椿谷誠郎作成の証明書二通
一 山一証券株式会社上野支店次長仁科照見作成の証明書
一 山一証券株式会社赤羽支店鈴木三郎作成の証明書四通
一 山一証券株式会社赤羽支店鈴木一雄作成の証明書
一 小柳証券株式会社上野支店事務主任田中章夫作成の証明書四通
一 小柳証券株式会社大泉支店支店長斉藤史郎作成の申述書
一 新日本証券株式会社上野支店総務課長鮫島邦弘作成の証明書
一 株式会社富士銀行上野支店支店長増田和二作成の捜査関係事項照会回答書二通
一 下谷税務署長作成の証明書
一 東京法務局登記官作成の登記簿謄本
一 押収してある法人税確定申告書二袋(昭和五七年押第一八三〇号の1及び2)、仕入帳一綴(同号の3)、税務申告書等綴二綴(同号の4)、犬塚氏証券関係書類一袋(同号の5)、所得税確定申告書控一綴(同号の6)、富士総合口座通帳(犬塚康雄名義)一〇冊(同号の7及び8)、総勘定元帳二綴(同号の9)、所得税源泉徴収簿一綴(同号の10)、給料台帳一袋及び一綴(同号の11及び12)、仕入帳一綴及び一袋(同号の13及び14)、仕入メモ一装(同号の15)、売上帳一装(同号の16)、売上メモ一冊(同号の17)、売上仕入メモ一装(同号の18)及び当座勘定照合表一袋(同号の19)
(弁護人の主張に対する判断)
一 弁護人は、概ね次のように主張する。
1 被告人敏子は、被告会社の実質経営者ではない。
2 検察官が被告会社の簿外資産であると主張する昭和五四年六月期及び昭和五五年六月期の定期預金、預け金、差入保証金、有価証券等の大部分は、被告人敏子、その夫で被告会社の代表者である犬塚康雄(以下「康雄」という。)及びその家族などの個人に帰属するもので、被告会社に帰属するものではない。すなわち、被告人敏子は、昭和三八年ころから株式取引を自己又は他人名義で行っていた。また、康雄の父犬塚信夫(以下「信夫」という。)は、昭和四六年四月三〇日に死亡したが、生前株式取引や穀物相場を行い、多額の現金や有価証券を保有していた。ところが、これらが遺産分割の協議の対象とされないまま昭和五〇年に被告会社に対する税務調査が行われ、その際、八八〇〇万円の株式を含む一億三~四〇〇〇万円の出所不明金があり、これらは被告会社の売上除外や仕入れの過大計上によるものと指摘された。被告人敏子や康雄はこれを争い、結局、「株式取引はすべて個人(康雄又は被告人敏子)に帰属するが、信夫の遺産として現金二〇〇〇万円が存在し、同人の負債八〇〇万円を控除した一二〇〇万円につき、相続税の修正申告を行うほか、被告会社から被告人敏子に対し一二〇〇万円及び一三八三万八〇〇〇円の各貸付金が、また、康雄に対し四一六万二〇〇〇円の賞与がある」ものとして修正申告を行い、税務当局もこれを受け入れて妥協が成立した。以後、康雄と被告人敏子の夫婦は、この妥協の上に個人資産を増加させ、確定申告をしてきたもので、今回何の証拠、調査もなく、この妥協を一切排除するが如き国税、検察当局の措置は納税者の当局に対する通常の信頼を裏切る行為であって、極言すれば、憲法三一条にいう法定手続の保障に反する行為である。のみならず、康雄において、右の資産増加に資すべきものとして、昭和五〇年約九三五万円、昭和五一年約一〇〇〇万円、昭和五二年約一二七二万円、昭和五三年約一三九四万円の合計約四六〇五万円の可処分所得が認められるのであって、検察官が被告会社の昭和五二~五四年の各六月期における増加資産として指摘するものも、主として右の個人資産として形成されたものにほかならない。更に、検察官は、昭和五四年六月期五五〇〇万円余、昭和五五年六月期六六〇〇万円余の各売上除外の存在を主張しているが、売上除外は無制限にできるものではなく限度があり、せいぜい売上の一割程度しかできないのが実情である。被告会社のような一坪程度の店舗においては、売上除外は年間五〇〇万円程度しかできず、それらも従業員に対する裏給与などの簿外経費に使用されているのであり、本件当該年度における株式取得に要したと推定される売上除外金が検察官主張のような多額になることは到底あり得ないことである。検察官が右のような誤った主張をするに至ったのは、本来、被告人敏子、康雄及びその家族に帰属する前記個人資産を、被告会社の資産に不当に組み入れたことに基づくものである。
なお、被告人敏子も、当公判廷で右と同旨の弁解をしており、とりわけ、「信夫から裏金三億六〇〇〇万円位を預かり、同人死亡後も保管して、これを株式取引等の資金の一部に充てていた」旨供述している。
二1 そこで判断するに、まず検察官が、被告会社の簿外資産であると主張する定期預金、預け金、差入保証金、有価証券等(以下「本件資産」という。)の範囲については、これに関係した前掲調査書等に記載されているところであって、弁護人らも、その帰属を各個別に争おうとするものではない。弁護人が主張し被告人らが弁解するところの骨子は、本件資産ひいては本件該当事業年度におけるその増加は被告会社の売上除外金等によって構成されるものではないから、すべて被告会社に帰属するものとはいえない、というものと思われる。しかし、こうした主張や弁解は、以下に説明するとおり、いずれも採用することができず、本件資産はいずれも被告会社に帰属するものであり、本件該当事業年度における検察官主張の資産増加は十分に是認できる。
2 そこで、関係証拠によれば、本件犯行の前提ないし背景となる事実関係及び本件査察や捜査の経緯等について、以下の事実が認められる。
(一) 被告会社は、被告人敏子の夫で、現在被告会社の代表取締役である康雄の実父信夫により、昭和三二年二月一五日に設立され、上野のアメ横商店街に店舗を設けて、当初は落花生等雑穀類の販売をしていたが、昭和四二、三年ころから魚介類を取り扱うようになり、昭和四六年四月三〇日に信夫が死亡してからは康雄が代表取締役に就任し、現在は、雑穀類の取り扱いをやめて、サケ、カニ、身欠ニシン、タラコ、スジコ、メンタイなど主に魚介の塩干物類を取り扱うようになった。なお、信夫は、アメ横商店街の近代化を図り、昭和二六年に上野振興株式会社を設立して、その代表取締役に就任し、別に、アメ横商店街の店舗が組合員となって設立した上野食品企業組合の理事長でもあって、昭和三一年一二月にこれらの地位を辞任した。右の上野振興株式会社によるアメ横センタービルは、被告会社の元の店舗のあったところに昭和五八年一月一六日に竣工し、同月三〇日にオープンした。その工事期間中、一時仮店舗で営業していた被告会社は、オープンと同時に、右ビルの一階に店舗を構えて営業を継続している。被告人敏子は、結核療養所の看護婦をしていたとき、入院患者であった康雄と知り合って、昭和三二年に婚姻し、その後、被告会社の役員に就任したことはないが、その仕事をしながら現在に至っている。被告会社のアメ横での店舗は、当初から引き続き約一坪程度の広さであり、康雄、被告人敏子のほか、本件該当年度当時従業員は五、六名程度で、繁忙期にはアルバイトを雇ったりなどしていた。被告会社では、商品の仕入関係は康雄が受け持ち、値決めも康雄がしていたが、販売関係は被告人敏子が受け持ち、更に、被告人敏子は、売上金を管理、運用して、被告会社の経理面を担当していた。
(二) 被告会社の税務は、昭和四〇年ころから、税理士中沢綾太郎の経営する中沢税務会計事務所が顧問となって、信夫や康雄のほか家族個人の分を含めて処理していた。その実際の事務は、右綾太郎の息子の中沢潔のほか、事務員の吉田勇が息子の吉田修らに手伝わせて担当していた。なお、吉田勇は、昭和三二年に右会計事務所に入り、その間に信夫と知り合い、次第にその知遇を得て税務等の相談相手にもなっていた者で、別に有限会社吉田電算会計を経営し、ここで被告会社の会計事務を処理しているほか、前示上野振興株式会社の常務取締役にも就任している。
被告会社の法人税申告所得について、その確定申告状況等は、昭和四〇年、四一年(各六月期。以下同じ)が零円、同四二年欠損二一三万円余、四三年零円、四四年八五万円余、四五年四一八万円余、四六年四五六万円余、四七年四五六万円余と推移していた。ところが、所轄の下谷税務署長は、昭和四七年一二月二五日、同四六年六月期の所得を売上げ計上洩れを理由に五七六万円余に、同四七年六月期の所得を一一七二万円余にそれぞれ更正する旨等、また、売上金の一部を公表帳簿に記帳せず、売上を除外していたとして同四七年六月期以降の事業年度につき青色申告承認を取り消す旨の各決定をした。その後、昭和四八年九万円余、同四九年二〇九三万円余とする確定申告がなされていたところ、下谷税務署は、同四九年一〇月ころから翌五〇年二月ころにかけて被告会社に対する税務調査を実施した。この調査では、被告会社のみならず、康雄、被告人敏子の夫婦その他の家族の個人資産にも及ぶもので、被告会社の本店所在地でもある、康雄ら一家の住居についても、任意措置ではあるが立入り調査が行われ、これは押入れ内も対象とされ、前示吉田勇が立ち会った。調査の結果、下谷税務署は、被告会社には多額の売上除外や架空仕入れの計上があり、また、残高にして六~七〇〇〇万円に達する株式取引があるとして、一億三~四〇〇〇万円にも及ぶ修正申告を慫慂した。これに対して、被告人敏子らは、多額の売上除外があることを否定するとともに、株式取引も、被告人敏子の実妹や実家など外部からのほか、被告人敏子及び康雄個人のもの、更には信夫の遺産等から資金が持ち込まれたものであるから被告会社に帰属するものでないなどと抗争した。その相談を受けた吉田勇は調査の結果、売上除外や架空仕入のあることを確認するとともに、被告人敏子の実妹や実家など外部から前示株式取引に資金の出ていないことを突き止めた。結局、昭和五〇年六月に税務当局との間で妥協することとし、「株式取引の口座は野村証券と山一証券のほかになく、同年五月現在の残高は合計して約八八〇〇万円相当で、これらは過半数が被告人敏子に、残りが康雄に帰属する。これら株式取引の資金の出所については、うち二〇〇〇万円は信夫が生前土地売買で受領し、押入れ内に残していたものを康雄が昭和四六年六月三〇日に現金で所持していたことにし、信夫の債務八〇〇万を控除したことにして、残り一二〇〇万円につき相続税の修正申告をする。昭和四七年六月期に中央卸売市場の不二徳商店ほか二店につき一二〇〇万円の仕入れ過大計上があり、これを被告人敏子が株式取引に流用したので、この一二〇〇万円は被告会社が被告人敏子に貸付けたことにして修正申告をする。昭和四七年六月期に被告人敏子が売上代金から株式取引に一八〇〇万円を流用し、うち四一六万二〇〇〇円は康雄名義になっているので同人に対する賞与として認定し、残る一三八三万八〇〇〇円は被告会社の被告人敏子に対する貸付金として修正申告する。昭和四九年六月期に期末棚卸商品に一八六万二〇〇〇円の誤算があるので、修正申告をする」ことにし、康雄や被告人敏子も、この処理に従うことにした。これに対し、税務当局は、株式取引につき一部調査を継続することにしたものの、その余の処理を了承した。そこで、昭和五〇年六月一九日、信夫の相続税と被告会社の昭和四七年、四八年、四九年の各六月期の法人税につき、右妥協の趣旨に沿った修正申告がなされた。これによれば、被告会社の申告所得は、昭和四七年二三七二万円余、同四八年一六六五万円余、同四九年二一〇〇万円余となる。更に、その後における被告会社の法人所得の申告状況は、昭和五〇年一一九九万円余、同五一年九六万円、同五二年六七八万円余、同五三年七一二万円余などとなっている。その間の昭和五二、三年ころ、株式会社富士銀行上野支店に預け入れの無記名定期預金について、その帰属が問題となり、下谷税務署は被告人敏子が預け入れたものと指摘したが、これに対して被告人敏子は、同支店役職者立会の調査の際にも、自分のものでないと否定して争い、役職者の説明も曖昧であったため、問題は十分に解明されないまま後日に持ち越された。その後、被告人敏子は吉田勇に対して、右の無記名定期預金が自分の預け入れたものであることを認めた。
(三) 他方、昭和五五年分までの所得税等の申告状況については、信夫の昭和三九年から同四六年分までの確定申告は給与所得と不動産所得についてのみなされている。信夫の死亡に伴い昭和四六年六月三〇日に相続税の申告がなされているが、被告人らの弁解を裏付けるようなものはない。そして、翌四七年一二月二七日これの第一回修正申告がなされているが、これについても同様である。康雄の昭和四六年から同五五年分までの確定申告も、給与所得と不動産所得のみで、僅かに昭和五二、五三の両年分につき、それぞれ二九万六〇〇〇円の配当所得がある旨の修正申告がなされている。被告人敏子については、昭和五五年分につき給与所得のみの確定申告がなされている。いずれにしても、本件で帰属が争われている株式取引等について、前示配当所得の修正申告以外に、相続税の申告、雑所得や配当所得の確定または修正申告がなされた事跡は見当らない。
(四) 東京国税局の被告会社に対する査察は、昭和五六年五月二〇日に着手された。その嫌疑は、被告会社が売上除外を源泉とする資金で株式の売買を行い、相当の利益を挙げているなどというものであった。これに対する弁解は、主に被告人敏子についてみられ、同女に対する収税官吏の昭和五六年五月二〇日付質問てん末書(乙10)では、「売上除外はない。私が結婚した昭和三一年以前から持っていた七万円を資金として株式取引を始め、課税を回避するため仮名口座を利用するようになった。この株式取引で得た資金等で仮名の定期預金をしている。」などというものであり、同月二五日付質問てん末書(乙11)でも、同様の供述で、「被告会社、康雄のほか、犬塚奈緒美、犬塚里花、岡村信子の各名義の口座は名義人が資金を出していて、名義人に帰属する。そのほかについては、税務署と夫の康雄に知られたくないので仮名口座にした。また、課税を回避するため名義を分散するようになった」などというものである。国税査察官の浜田理は、査察途中の昭和五六年七月からこれに関与し、昭和五一年ころからの関係預金口座について預金の増加状況を調査したところ、毎週二回位の割合いで、一回に一〇〇万円位の入金があり、一二月になると普通の月の三倍程度の入金があることを確認した。そして、銀行員等が右の入金は魚屋独特の紙幣であると説明したことから、売上げの金を逐次入金していたのではないかとの疑いを深め、売上除外に見合うべき裏仕入れの有無につき築地の中央卸売市場を調査して、裏仕入れのあることを突き止めた。また、贈答品の買主が判明したことから反面調査を実施し、公表の差益率に間違いがあることを発見した。そこで、昭和五六年七月三〇日に康雄の供述を求めたところ、「若干の現金仕入れにつき除外があるが、詳しいことは妻に聞いてもらいたい」などというものであった(同日付質問てん末書=甲36)。翌三一日に被告人敏子の供述を求めたところ、「現金仕入れの分は仕入帳に記載せず、これに見合う売上げを除外したが、その除外分は次の現金仕入れの資金や生活費等に充てていて、株式取引や銀行預金などの資金には絶対に使っていない。名前は忘れたが、信夫からある人を紹介され、現金七万円を預け、別に手数料を支払って運用を一任し、株式取引をしたところ、昭和四四年前後ころ大儲けし、信夫が死んだので打ち切ることにし、何回かに分けて精算したところ、一万円札で三~四億円以上となった。これをダンボール箱四箱に詰め、夫の康雄にも判らないようにして寝室の押入れ内に隠し、昭和四九年ころに自宅新築のため田端に仮住いしていたときも、また新築のビルに引越してからも寝室の押入れ内に隠し、これを少しずつ仮名の定期預金等にしていた。このダンボール箱は大分以前に捨てたが、現金は本件査察の直前まであった」などと供述して、弁解の一部を訂正・補充した(同日付質問てん末書=乙12)。翌八月中ごろ、原田敬三、谷口優子の二弁護士が東京国税局に来て、休暇中の浜田査察官に代って応対した市岡主査に対し、「事件を受任するに当たり本当のことを話してくれと追及したところ、被告人敏子は、これまで国税局に話したことは全部嘘で、売上除外分が預金や株に行っている旨話している」などと説明した。この連絡を受けた浜田査察官が翌九月三日に被告人敏子の供述を求めたところ、同女は、「これまでの供述には嘘があり、十年以上前の、信夫の生前から、私が売上金を任されていたので売上除外をして、これを定期預金や株式取引に充てていた。」などと供述した(同日付質問てん末書=乙8)。また、同月二四日にも同旨の供述をしている(同日付質問てん末書=乙9)。そして、この間に、関与税理士の福島武が再三東京国税局に出向いて、株式取引の帰属は個人でなく、被告会社のものにしてもらいたい旨申し入れて陳情した。その後も、被告人敏子は、収税官吏や検察官に同旨の供述をしているのであって、とりわけ検察官に対する昭和五七年八月一七日付供述調書(乙5)では、「一〇年位前から少しずつ売上を除外するようになって、その金などでかなり手広く株の取引をした。」、「商品売上げの都度、その代金を店舗内に吊り下げたザルの中に放り込み、閉店後、それらの売上金をまとめてビニール袋に入れて自宅に持ち帰るなどの方法で売上金を管理していた。日日の売上金等を記帳するにあたっては、康雄に頼んで仕入の一部を現金仕入にしてもらい、その分は記帳させず、その分仕入を除外したうえ、売上の一部を適当に除外して、除外後の売上金額を売上として大学ノートに記帳した。記帳した売上金相当分は、翌日、店舗に出る前に、富士銀行上野支店の被告会社の当座預金へ入金するなどしていたが、それ以外の除外した売上金は、朝日信用金庫上野支店等において仮名、無記名の定期預金にしたり、山一証券上野支店、新日本証券上野支店、小柳証券上野支店等で仮名で株式売買を行うなどしていた。」などと供述している。
(五) ところで、被告人敏子は、収税官吏に対し、前示のように自白的供述をしたものの、依然として、株式取引の資金に一部個人の金が入っている旨主張し、また、売上除外の規模や金額について具体的な説明をするに至らなかった。そこで、浜田査察官は、昭和五一年七月以降の預金や株式取引等につき、その具体的な入積状況を表にまとめ、相互の対応関係ないし、いわゆるひもつき(相互の移動等関連性)の有無等を明らかにした。また、右の入金状況から売上除外の金額を推計するなどして、これを被告人敏子に示したところ、同被告人も格別異議を述べなかった。
(六) 東京国税局では、以上にもみられるような調査の結果を参考にして、預金や株式取引等の帰属について検討したところ、部内でも両論が出たが、結局、資金源の大半は被告会社からのものであること、株券や資金が株式取引と預金の実名、仮名の各口座間を相互自由に移動し、渾然一体となっていること、代表者勘定を検討しても康雄や被告人敏子らの給料から株式取引の資金になっているものは殆んどないことなどのほか、本人も被告会社への帰属を主張していること、税率、損失が出た場合の処理など税負担の面でも法人帰属が被告人らに有利であることなども考慮して、昭和五〇年の前示税務処理は誤りで、被告会社に帰属すべきものと結論した。検察官の起訴も、右の処理に沿ったものといえる。
以上の事実が認められる。
3 以上認定の事実関係をふまえ、売上除外等の有無、その規模や本件資金の帰属の有無等につき更に関係証拠を検討すると、以下の事情が明らかとなる。
(一) 被告人敏子は、当公判廷において、査察及び捜査段階における自白を撤回し、最終的には前示にもあるように、「信夫が生前株式取引等で儲けた三億六千万円位の現金を同人から受け取り、夫の康雄に知られないように夫婦の寝室の押入れ内に隠し保管して、徐々に株式取引の資金に充てていた」旨弁解する。
しかし、被告人敏子の弁解は査察段階でもみられるのであるが、前示二・2・(四)に一部引用したところに照らしても明らかなように、一貫性がなく、主要部分において変転がみられ、とりわけ、同一公判期日(第一〇回公判)でも休憩の前後で異なるなど不自然な点が少なくない。しかも、右の弁解が事実であったとすれば、夫の康雄が全く知らなかったというのも甚だ不可解であり、昭和四九~五〇年の前示税務調査の立入検査で判明し得たはずのものといえる。そして、前示二・2・(二)で認定した立場の吉田勇までもが右の弁解に否定的な証言(第二回)をしている。その他、吉田勇の証言(一、二回)や前示二・2・(二)、(三)で認定した事実関係に照らすと、被告人敏子の右弁解はたやすく信用できず、信夫が生前において、その個人資金を運用して株式取引を行っていたとしても、被告人敏子の弁解にみられるような多額の現金を残したものとは到底認めることができない。
(二) もっとも、帰属の点は別論として、被告人敏子の手で相当以前から株式取引が行われていたことは、昭和四九~五〇年の税務調査で判明しただけでも前示二・2・(二)のとおりであることからも明らかであるように、証拠上否定し難いところである。それにもかかわらず、本件の査察や捜査が昭和五〇年以前にまで遡って株式取引や預金の具体的取引状況を個別に検討・解明していないことも事実である。そして、信夫はもとより、康雄や被告人敏子にも個人所得のあることが認められるので、本件該当年度はともかく、以前において、こうした個人所得が一部なりとも本件資産の口座に流入していて、それゆえに、本件資産の中には、被告人敏子、康雄及びその家族に帰属するものがあるのではないか、あるいは口座自体は被告会社に帰属するにしても、その中にこれら個人のものが混入しているのではないかとの疑いが残る。
しかし、信夫や康雄らの所得税等の申告状況は前示二・2・(三)で認定したとおりであり、大がかりな株式取引を想像させる雑所得等の事跡は、少なくとも申告上は窺い知ることができない。特に被告人敏子に至っては、昭和五五年分までは確定申告のなされた形跡もない。更に、本件該当年度における被告人敏子や康雄らの個人資産の状況をみると、昭和五四年六月期において、本件資産以外の資産取得金額(定期預金、積立預金、ファミリーファンド、ローンの支払等)から可処分所得金額を差し引いて算出した代表者勘定は、二五七万二九五三円のマイナス、昭和五五年六月期になって漸くプラスの六二万二〇五三円になっていることが認められる。
(三) 他方、被告会社の法人税確定申告や修正申告等の状況は前示二・2・(二)で認定したとおりであって、吉田勇の証言(第二回)等で認められる被告会社の差益率などを併せ考慮に入れると、被告会社の売上除外による資金が少なからず相当以前の昭和四〇年代ころから株式取引や簿外預金に流入していて、長年の間にわたる累積により相当多額に達していたことは疑いの余地がない。
(四) 特に、証人森川誠及び同遠藤文夫の証言によれば、検察官が被告会社の簿外資産であると主張する朝日信用金庫上野支店の定期預金は、その資金が、被告会社のアメ横の店舗において、被告人敏子から五〇万円を一束にして輪ゴムでとめた現金を、一回に一〇〇万円から三〇〇万円位の単位で、ビニール袋に入れる等して、右朝日信用金庫上野支店の担当者に直接手渡されていたが、預かる現金は魚臭く、塩や水を含んで湿っぽいという特色があったこと、そして、その際、被告人敏子の指示で仮名定期預金にするため、右担当者が、被告人敏子から別個に印鑑代として五〇〇円から一〇〇〇円を受け取って印鑑を買い求め、仮名定期預金を設定して、証書と印鑑、印鑑代のつり銭を渡していたこと、なお、年末年始に預る金額は他の場合と比べて多額であったことなどの事実が認められる。
(五) また、特に、収税官吏の斉藤史郎及び安岡一生に対する各質問てん末書によると、検察官が被告会社の簿外資産であると主張する小柳証券上野支店や新日本証券上野支店で取引された有価証券に係る現金の授受は、被告人敏子が、これらの証券会社の担当者と被告会社のアメ横の店舗において行っていたことが認められる。
(六) 更に、主として収税官吏作成の「資金繰資料」と題する書面(甲77)のほか、預金や株式取引の出入りに関する前挙示の証拠等を検討すると、前示二・2・(五)で浜田査察官が認定した事実関係は十分に肯認できる。なかんずく、昭和五三年一二月ころからは、株式取引資金への入金が増加して、預金への入金が減少しているが、これは、被告会社の売上除外による金が右(五)で認定したような経緯で、直接株式取引の口座へ入金されていたことを示すものともいえる。また、前示二・2・(六)で認定されたように、株式取引や簿外預金の各口座相互間に、一部にしろ株券や資金の移動が認められる。
4 以上の諸事情に照らすと、本件資産の口座については、本件該当年度に至る相当以前から、すでに、その資金の源泉は大部分が被告会社のものによって占められていたと認めざるを得ない。そして、右に認定した口座間の関連性に加えて、本件資産の口座を管理・運用しているのは、後記説示にもあるように、被告会社の実質経営者でもある被告人敏子ひとりであって、同人において各口座ごとに、また同一口座内の諸取引について、個人分と法人分とを分別管理していた形跡はなく、渾然不可分一体とした管理がなされていたものと認めざるを得ず、現実にこれを区別することも不可能であることや、被告会社自体、被告人敏子及びその夫康雄の、いわゆる個人会社とみられることなどを併せ考えると、遅くとも、本件該当の事業年度の段階に至っては、本件資産は、すべて被告会社に帰属するものとして認定処理するのが相当である。前示二・2・(四)で認定したように、本件査察の段階で税務当局に対し、被告会社ないし被告人敏子の意を受けたと思われる弁護士や税理士が、被告会社の資産である旨再三の申入れや陳情をしていたことも、課税負担の軽減を狙う全くの便宜に出たものとは思われず、被告会社の帰属を正当化する事情を示しているものといえないではない。
5 そして、被告人敏子の公判弁解等が信用できないことは前示のとおりであって、これに反し、同被告人の査察ないし捜査段階における前示自白は、これがなされるに至った前示二・2・(四)の経緯に照らしても、少なくとも判示認定に添う限度で十分に信用することができる。こうした自白(但し、被告会社については前示のように証拠となり得ないものは除外)や康雄の供述を含む関係証拠に加えて、以上認定の諸事情を綜合すると、本件資産の少なくとも本件該当年度におけるその増加は、被告会社の架空仕入の計上や売上除外等による資金が源泉となっているものと推認せざるを得ない。
6 なお、右のような認定処理は、昭和五〇年の前示税務処理と相容れないかのようにみえるが、昭和五〇年のものも、前示二・2・(二)で認定した事情を背景とするもので、任意調査に終始し、修正申告で終わっているのであるから、被告会社と康雄や被告人敏子との財産関係を固定するものと解することはできない。そのうえ、関係証拠によれば、昭和五〇年の税務処理から相応の年月が経過し、その間の取引数も少なくなく、本件が昭和五四年と同五五年各六月期における資産負債の帰属を決定するに過ぎないことなどの事情を勘案すると、本件の認定処理が憲法三一条の適正手続条項違反として問擬される余地は全くない。
7 なお、弁護人は簿外経費の存在を主張するが、右経費は、被告人敏子も当公判廷で認めているように、いずれも売上除外金から支出したものであるから、被告会社の本件当該年度における財産増減の計算には影響はなかったことが認められる。
その他、被告会社の財産の増減をきたすべき事由は認められない。
8 以上の次第であるから、本件における検察官の税務処理は相当である。しからば、公表の被告人敏子に対する貸付金は、被告会社に帰属する株式売買の資金として使用されたものであるから、架空の貸付金として減額されるものであり、ひいて未収入金も、その限度で架空の利息として減額されるべきものである。また、公表借入金中、右税務処理に対応する康雄名義の銀行借入金、右借入金の支払利息額は、右同様、被告会社に帰属する株式売買の資金として使用されたものであるから、被告会社が康雄から借入れたものとして借入金に計上するのが相当である。
9 なお、関係証拠によれば、前示にもあるように、被告人敏子は、被告会社の取締役等の役員にはなっていないが、被告会社における売上金の管理、運用、売上除外額の決定、除外金の管理、運用は、すべて被告人敏子が行い、仮名、無記名の定期預金の作成、仮名での株式売買等を行っていたもので、しかも、これらは概ね被告人敏子の独断ともいうべきやり方で行われて来たものであることが認められる。また、被告会社の規模・内容、被告人敏子が被告会社代表取締役である康雄の妻であることなどを考慮すれば、被告人敏子は被告会社の実質経営者であり、法人税法一五九条一項にいう法人の「その他の従業者」に該当するのが相当である。
(法令の適用)
被告人敏子の判示各所為は、いずれも行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては改正後の法人税法一五九条一項に該当するが、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一年二月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。
さらに、被告人敏子の判示各所為は被告会社の業務に関してなされたものであるから、被告会社については右昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項により判示各罪につき同じく改正前の法人税法一五九条一項の罰金刑に処せられるべきところ、情状により同条二項を適用し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪の罰金額を合算した金額の範囲内で被告会社を罰金二七〇〇万円に処することとする。なお、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に対して連帯して負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、上野アメ横において魚介類の販売をしている被告会社の実質経営者である被告人敏子が、被告会社の業務に関し、売上を除外する方法等により、昭和五四年六月期及び昭和五五年六月期の二事業年度において合計二億三六〇〇万円余の所得を秘匿し、合計九三〇〇万円余の法人税を免れた事案である。この二度の確定申告のうち、一回は実際の所得金額の一割弱しか申告をせず、残る一回は一〇〇万円余の欠損である旨の申告を行ったものであって、悪質と言わねばならず、また、被告人敏子は、本件犯行に際して自ら売上除外額を決定し、虚偽の売上額を帳簿に記入し、代表者で夫の康雄に対しても現金仕入分を記帳しないようにさせるなど帳簿等の虚偽記入を図っているうえ、簿外にした売上除外金を多数の仮名、無記名預金あるいは多数の仮名口座における株式取引にまわし、これらの秘匿を行っている。加えて、昭和五〇年ころ、被告会社は税務調査を受け、修正申告を余儀なくされたことがあるのに、程なくして本件犯行に及んだものであり、また、被告人敏子は、捜査段階で本件犯行のすべてを認めておりながら、公判廷において弁解を構えて脱税はしていない旨供述するなどしていて、納税意識の希薄さは否定できない。
しかし、被告会社は、本件について修正申告を行い、本税、これに伴う諸税も納めており、経理体制を改善し、被告人敏子及び被告会社代表取締役康雄も、二度とかかる不祥事を起こさない旨述べていること、被告人敏子には、これまで前科前歴のないこと、その他諸般の事情を考慮して主文のとおり量刑する。
よって、主文のとおり判決する。
昭和五九年五月一五日
(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 原田敏章 裁判官 原田卓)
別紙(一) 修正貸借対照表
株式会社犬塚信夫商店
昭和54年6月30日現在
No.1
<省略>
別紙(二) 修正貸借対照表
株式会社犬塚信夫商店
昭和55年6月30日現在
No.2
<省略>
別紙(三)
ほ脱税額計算書(単位 円)
会社名 株式会社犬塚信夫商店
(1) 自 昭和53年7月1日
至 昭和54年6月30日
<省略>
(2) 自 昭和54年7月1日
至 昭和55年6月30日
<省略>