東京地方裁判所 昭和57年(特わ)3137号 判決 1982年12月14日
裁判所書記官
萩原房男
本店所在地
東京都北区十条仲原一丁目二八番一二号
常盤商事株式会社
(右代表者代表取締役関口静夫)
本店所在地
東京都板橋区南常盤台一丁目二二番一〇号
有限会社関口商事
(右代表者代表取締役関口静夫)
本籍
東京都板橋区常盤台一丁目二三番地
住居
東京都板橋区常盤台一丁目二三番二号
関口静夫
昭和一六年二月五日生
右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官江川功出席のうえ審理し、次のとおり、判決する。
主文
被告人常盤商事株式会社を罰金二六〇〇万円に、被告人有限会社関口商事を罰金六〇〇万円に、被告人関口静夫を懲役一年六月にそれぞれ処する。
被告人関口静夫に対し、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人常盤商事株式会社(以下「被告会社常盤商事」という。)は、東京都北区十条仲原一丁目二八番一二号に本店を置き、パチンコ娯楽遊技場の経営等を目的とする資本金五〇〇万円の株式会社、被告人有限会社関口商事(以下「被告会社関口商事」という。)は、同都板橋区南常盤台一丁目二二番一〇号に本店を置き、パチンコ娯楽遊技場の経営等を目的とする資本金五〇〇万円の有限会社であり、被告人関口静夫(以下「被告人関口」という。)は、右各被告会社の代表取締役(但し、被告会社関口商事の関係では、昭和五六年三月二八日に代表取締役に就任し、それ以前は、同会社の取締役で、実質経営者であった。)として、右各会社の業務全般を統括しているものであるが、被告人関口は、右各被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、
第一 昭和五三年八月一日から昭和五四年七月三一日までの事業年度における被告会社常盤商事の実際所得金額が七〇八六万五〇七一円(別紙(一)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五四年一〇月一日、東京都北区王子三丁目二二番一五号所在の所轄王子税務署において、同税務署長に対し、その欠損金額が六二七万六四九二円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書(昭和五七年押第一六七二号の1)を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額二七五〇万六〇〇〇円(別紙(五)税額計算書参照)を免れ、
第二 昭和五四年八月一日から昭和五五年七月三一日までの事業年度における被告会社常盤商事の実際所得金額が五七三八万〇五九二円(別紙(二)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五五年九月三〇日、前記王子税務署において、同税務署長に対し、その欠損金額が八三八万七六〇九円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書(前同号の2)を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額二二一一万二〇〇〇円(別紙(五)税額計算書参照)を免れ、
第三 昭和五五年八月一日から昭和五六年七月三一日までの事業年度における被告会社常盤商事の実際所得金額が八六五四万〇八七八円(別紙(三)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五六年九月三〇日、前記王子税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が三四七万一二八八円でこれに対する法人税額が九六万九六〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書(前同号の3)を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額三五二七万八八〇〇円(別紙(五)税額計算書参照)と右申告税額との差額三四三〇万九二〇〇円を免れ、
第四 昭和五五年四月一日から昭和五六年三月三一日までの事業年度における被告会社関口商事の実際所得金額が五八八二万五九六五円(別紙(四)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五六年五月三〇日、東京都板橋区大山東町三五番一号所在の所轄板橋税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が零円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の法人税確定申告書(前同号の4)を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額二二六九万〇〇〇〇円(別紙(六)税額計算書参照)を免れ
たものである。
(証拠の標目)
一 被告人関口静夫の当公判廷における供述
一 被告人関口静夫の検察官に対する供述調書二通
一 収税官史の被告人関口静夫に対する質問てん末書五通
一 中田晃及び丸山雅宏の検察官に対する各供述調書
一 収税官史の中田晃(二通)、佐々木亘(二通)、丸山雅宏、小川勝男(二通)、伊藤静夫、森嘉和、小口郁男(二通)、片倉高文及び関口悦子に対する各質問てん末書
一 収税官史作成の事業税認定損・未納事業税(常盤商事株式会社に関するもの)、事業税認定損・未納事業税(有限会社関口商事に関するもの)に関する各調査書各一通
一 検察官、被告会社常盤商事、被告会社関口商事、被告人関口静夫及び被告人らの弁護人椎名啓一作成の合意書面
一 王子税務署長及び板橋税務署長作成の証明書各一通
一 東京法務局北出張所登記官及び同板橋出張所登記官作成の登記簿謄本各一通
一 押収してある法人税確定申告書四袋(昭和五七年押第一六七二号の1ないし4)
(法令の適用)
被告人関口静夫の判示第一及び第二の各所為は、いずれも、行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては右改正後の法人税法一五九条一項に該当するが、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、同第三及び第四の各所為は法人税法一五九条一項に該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、刑及び犯情の重い判示第三の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で同被告人を懲役一年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとする。
更に、被告人関口静夫の判示第一ないし第三の各所為は、いずれも被告会社常盤商事の業務に関してなされたものであるから、被告会社常盤商事については、判示第一及び第二の各罪につき、右昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項により、右改正前の法人税法一五九条一項の罰金刑に、同第三の罪につき、法人税法一六四条一項により、同法一五九条一項の罰金刑にそれぞれ処せられべきところ、いずれも情状により各同条二項を適用し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により、各罪の罰金額を合算し、その金額の範囲内で被告会社常盤商事を罰金二六〇〇万円に処することとする。
また、被告人関口静夫の判示第四の所為は、被告会社関口商事の業務に関してなされたものであるから、被告会社関口商事については、法人税法一六四条一項により、同法一五九条一項の罰金刑に処せられるべきところ、情状により同条二項を適用し、その金額の範囲内で被告会社関口商事を罰金六〇〇万円に処することとする。
(量刑の事情)
本研は、十条銀座通り等においてパチンコ店四店舗を経営する判示各被告会社の代表取締役である被告人関口静夫において、昭和五三年八月から昭和五六年七月までの間に、合計二億七〇〇〇万円余の所得を秘匿し、合計一億〇六〇〇万円余の法人税を免れた事案である。この間四回の確定申告のうち三回は、それぞれ多額の所得がありながら、欠損あるいは零申告を行い、残る一回も実際の所得金額の五パーセントにも満たない金額を申告したのみであって、甚だ芳しくない。本件犯行の動機について、被告人関口は、経営を安定させるためには駅前に大型店を持つ必要があり、その資金確保のためには脱税もやむを得なかった旨述べるが、経営の安定を目ざすこと自体は責められるべきことではないけれども、その資金確保のために、本件のような多額の脱税をしてよいとする理由はなく、右の動機を格別斟酌することはできない。更に、犯行の手段、方法について、被告人関口は、自ら売上除外、雑収入除外等を行い、景品仕入を簿外にするなどしたうえ、妻の関口悦子に指示して、公表計上分にあわせた内容虚偽の帳簿を作成させ、また、従業員に対しては、真実の売上を記載したメモ等は一切作成してはならない旨の指示をしていて、こうした手口が一部にしろ個人経営時代の昭和四〇年ころより引き続き行われてきたものであることは、被告人関口も自認しているところである。以上の事情に徴すると、顧問税理士の税務指導に問題があるとしても、被告人らの本件刑事責任は決して軽いとはいえないのである。
しかしながら、被告人関口静夫は、本件を反省し、修正申告のうえ本税及びこれに連動する諸税を完納しており、将来、二度とこのような脱税は行わない旨述べていること、被告人の供述によれば、交通違反による罰金刑以外には前科もないこと等有利な事情も認められるので、同人の経歴、家庭の事情、その他諸般の事情を総合勘案して、主文のとおり量刑する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 原田敏章 裁判官 原田卓)
別紙(一) 修正損益計算書
常盤商事株式会社
自 昭和53年8月1日
至 昭和54年7月31日
<省略>
<省略>
別紙(二) 修正損益計算書
常盤商事株式会社
自 昭和54年8月1日
至 昭和55年7月31日
<省略>
別紙(三) 修正損益計算書
常盤商事株式会社
自 昭和55年8月1日
至 昭和56年7月31日
<省略>
別紙(四) 修正損益計算書
有限会社 関口商事
自 昭和55年4月1日
至 昭和56年3月31日
<省略>
別紙(五) 税額計算書
常盤商事株式会社
<省略>
<省略>
<省略>
別紙(六) 税額計算書
有限会社関口商事
自 昭和55年4月1日
至 昭和56年3月31日
<省略>