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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)12283号 判決 1986年9月25日

原告

岩崎博

被告

加藤泰明

ほか二名

主文

被告加藤泰明及び被告加藤安代は、原告に対し、各自三九一万三四九八円及びこれに対する昭和五五年一二月二九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告加藤泰明及び被告加藤安代に対するその余の請求並びに被告都民交通株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告と被告加藤泰明及び被告加藤安代との間で生じたものは、これを五分し、その一を被告加藤泰明及び加藤安代の、その余を原告の各負担とし、原告と被告都民交通株式会社との間で生じたものは、原告の負担とする。

この判決は、第一項につき、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告加藤泰明(以下「被告泰明」という。)及び被告加藤安代(以下「被告安代」という。)は、原告に対し、各自一八八九万二五〇四円及びこれに対する昭和五五年一二月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告都民交通株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告に対し、八七六万九七八七円及びこれに対する昭和五五年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五五年一二月二八日午後六時五〇分ころ

(二) 場所 東京都渋谷区東三丁目二一番一三号先路上(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(品川五八と三九八四)

(四) 右運転者 被告泰明

(五) 被害車 普通乗用自動車(品川五五え七四一)

(六) 被害者 原告

(七) 事故の態様 原告が被害車を運転して本件交差点に進入したところ、被告泰明運転の加害車が、交差道路を被害車の左側から進入し、被害車の左側面に衝突したため、原告は後記傷害を受けた(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告泰明

被告泰明は、本件交差点を赤信号を無視して無灯火で指定最高速度時速四〇キロメートルのところを時速七八キロメートルで本件交差点に進入してきたものであり、本件事故は、同人の信号無視、指定最高速度超過の過失により発生したものであるから、同人は、民法七〇九条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

(二) 被告安代

被告安代は、加害車を所有し自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

(三) 被告会社

(1) 主位的請求

被告会社は、原告の本件事故当時の使用者であり、本件事故は、原告がタクシー運転手として業務に従事中の業務上の災害であるから、労働基準法(以下「労基法」という。)七六条による休業補償、七七条による障害補償の支払義務がある。

(2) 予備的請求

被告会社は、原告が何回懇願しても原告の救済に非協力な態度であつたため、原告は日々の生活費にも事欠き、治療を打ち切つてまで、仕事を捜したのであり、その後、被告会社に連絡しなかつたのは、被告会社が原告に全く協力してくれなかつたからである。被告会社は、以上のように原告の労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償保険金の受給に協力せず、そのため、原告は、右受給権を喪失したのであるから、被告会社は、民法七〇九条により右と同額の損害を賠償する責任がある。

3  原告の受傷状況

原告は、本件事故により左膝及び前額部を強打し、頸椎捻挫の傷害を受け、昭和五五年一二月二九日から治療を受けていたが、被告会社が給与を支払わないため、昭和五七年一〇月二八日まで入院四三日、通院一九四日の治療をしたものの、生活苦のため前同日に治療を中止した。しかし、実際には昭和五八年四月三日まで治療が必要であつた(要治療期間八二六日間)。そして、原告は、前同日症状固定し、本件事故による傷害による右眼調節不全麻痺、眼精疲労の後遺障害が残つたが、右は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級一号に該当する。

4  損害

原告は、次のとおり損害を被つた。

(被告泰明及び被告安代関係)

(一) 治療費 一八六万五〇〇〇円

(二) 交通費 二二万九〇〇〇円

(三) 入通院雑費 一二万一一七〇円

(四) 休業損害 七四八万六八五一円

原告は、本件事故による傷害のため、昭和五五年一二月二八日から昭和五八年四月三日まで全く就業不能の状態であつた。原告の本件事故前の昭和五五年一〇、一一、一二月の収入は各二五万一一二四円、二七万九五七八円、二九万四〇四三円であり、その平均は一ケ月二七万四九一五円である。したがつて、原告の本件事故による休業損害は、次の計算式のとおり右金額となる。

(計算式)

二七万四九一五円×二七ケ月七日=七四二万二七〇五円+六万四一四六円=七四八万六八五一円

(五) 逸失利益

原告は、昭和一九年一月一日生まれで、本件事故当時満三九歳であつたから就労可能年数を二八年とし、本件事故当時の年収額は前記の事故前平均月収額の一二カ月分である三二九万八九八〇円、前記後遺障害は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級に該当するから労働能力喪失率を一四パーセントとし、年五分の割合による中間利息控除をライプニツツ式計算法で行い、原告の逸失利益を次のとおりの計算式により算出した。

(計算式)

三二九万八九八〇円×〇・一四×一四・八九八=六八八万〇七四〇円(円未満切捨て)

(六) 傷害慰藉料

前記傷害により、原告が入通院したことにより受けた精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

(七) 後遺障害慰藉料 一六七万円

原告は、本件事故により、前記後遺障害が残つた。原告の受けた精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

(八) 弁護士費用 二〇〇万円

(九) 損害のてん補

原告は、治療費一一六万五一一〇円、その他一六九万五一五五円、合計二八六万〇二六五円の支払いを受けた。

合計 一八八九万二五〇四円

(被告会社関係)

(一) 休業補償 七四八万六八五一円

(四)の休業損害と同額

(二) 障害補償 一二八万二九三六円

(計算式)二七万四九一五÷三〇×一四〇=一二八万二九三六円

合計 八七六万九七八七円

よつて、原告は、被告泰明及び被告安代に対し、各自右損害金一八八九万二五〇四円、被告会社に対し、八七六万九七八七円及びこれらに対する本件事故の日の後である昭和五五年一二月二九日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実につき、被告泰明及び被告安代は認め、被告会社は、事故態様を除き認める。

2  同2(責任原因)の事実につき、

(一)及び(二)中、被告安代が加害車の所有者であることは認め、その余は否認する。

(三)中、被告会社は、原告の本件事故当時の使用者であり、本件事故は、原告がタクシー運転手として業務に従事中に発生したものであることは認め、その余は争う。

原告の被告会社に対する主位的請求は、労基法上の休業補償請求に関するものであるところ、右は、労災保険法上の給付によつて行われるべきものであるから、被告会社は、原告の本訴請求に対し、被告適格を有しない。

3  同3(原告の受傷状況)の事実は知らない。

原告は、本件事故による頸椎捻挫による後遺障害として、右眼調節不全麻痺、眼精疲労の障害(自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級一号相当)の主張をするが失当である。仮に、原告主張の後遺障害があつたとしても、本件事故により発生したものではない。すなわち、右後遺障害は、いずれも自動車事故による頸椎捻挫、眼球打撲(本件事故で原告が右眼球を打撲した事実もない。)等では発生しない。原告の後遺障害中、右眼調節不全麻痺は、一般的に中枢性・末梢神経等の変化によつて生じうると言われているが、中枢性の変化であれば、両眼に障害を及ぼすのが一般的であり、また、末梢神経障害であれば、動眼神経支配の動向・眼球運動・眼瞼等の障害を生じるが、原告の愁訴は右眼のみであるのみならず、末梢神経障害による動眼神経支配の動向・眼球運動・眼瞼等の障害は、全く存しないものである。更に、原告主張の後遺障害中、眼精疲労の点について言えば、本件事故と全く因果関係はなく、原告の罹患した調節力低下眼(右眼)の中心性網膜症に起因している。中心性網膜症は、本件事故と全く因果関係のないものである。

4  同4(損害)の事実中、(八)(損害のてん補)は認め、その余は争う。原告の本件事故による損害額は、次の金額を超えるものではない。

(一) 治療費 七九万〇六〇〇円

内訳 横関医院分 七七万三〇〇〇円

大島耳鼻科分 一万七六〇〇円

原告は、遅くとも昭和五六年七月七日横関医院の治療をやめた時点において症状固定しているから、右期間までの治療費が本件事故と相当因果関係にたつ治療費である。

(二) 通院費 一万五九六〇円

八王子、長房間の五七日間の通院費のみ認める。

(計算式)一四〇円×二×五七=一万五九六〇円

(三) 入院雑費 四万三〇〇〇円

一日一〇〇〇円として四三日間

(四) 文書料 五〇〇円

(五) 休業損害 一七五万〇三二四円

本件事故による原告の傷害の程度は、極めて軽微であり、原告の症状固定は、前述のとおり横関医院で治療を打ち切つた。昭和五六年七月七日であるから、休業損害算定の期間は、一応事故日である昭和五五年一二月二九日から昭和五六年七月七日までの一九一日間であり、右期間が本件事故に相当因果関係にたつ期間である。もつとも、その間全休しなければならないほどの重傷とは到底解されないが、原告の利益に右期間をベースとすると、原告の本件事故当時の収入は、日額九一六四円であるから、原告の休業損害は右金額となる。

(六) 後遺障害による逸失利益 四四万九一六四円

原告の本件事故による後遺障害としては、眼については、前記のように本件事故とは相当因果関係がなく、他の症状については他覚的所見は全くなく、心因的要素に基づくもののみであり、しかも右愁訴は、本件事故以前の変形性頸椎症によるものであるから、以上を総合的に考慮すれば、原告の後遺障害は全くないが、仮に、万一あつたとしてもせいぜい自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級一〇号程度にとどまるものである。そうすると、原告の後遺障害に基づく逸失利益は、損害の継続期間を三年、労働能力喪失率を五パーセントとみてライプニツツ方式により中間利息を控除すると、被告らの計算によれば右金額となる。

(七) 入通院慰藉料 一〇〇万円

原告の本件事故による前記入通院日数からみて入通院慰藉料は、一〇〇万円が限度である。

(八) 後遺障害慰藉料 七五万円

前記のとおり、原告の後遺障害は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級一〇号にとどまるものであるから、七五万円が限度である。

小計 四七九万九五四八円

(九) 損害のてん補 二八六万〇二六五円

合計 一九三万九二八三円

したがつて、右金額を超える原告の主張は失当である。

三  抗弁

1  弁済(被告会社)

被告会社は、原告に対し、次のとおりの金額を支払い済みである。

(1) 横関医院治療費 三万二三〇〇円

(2) 頸椎装具代 五四五〇円

(3) 休業損害立替金 一五万円

(4) 原告の第一生命保険料二月分 一万二一一〇円

(5) 原告の住民税四カ月分 一四〇〇円

(6) 社会保険料本人負担分二五カ月分 五四万一四二〇円

合計 七四万二六八〇円

2  消滅時効(被告会社)

被告会社は、原告の本訴請求にかかる労災保険給付請求権につき、仮に被告適格を有するとしても、本訴提起は、本件事故発生日から二年以上を経過しているので、労災保険法四二条により請求期間を経過しており、本訴において消滅時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

いずれも争う。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は、原告と被告泰明及び被告安代間においては争いがなく、原告と被告会社間においては、事故態様を除いて争いがなく、成立に争いのない乙一号証の一、二、原告本人尋問の結果及び被告泰明本人尋問の結果によれば、原告主張のとおりの事故態様であると認められる。

二  同2(責任原因)の事実について判断する。

1  被告泰明

成立に争いのない乙一号証の一、二、原告本人尋問の結果及び被告泰明本人尋問の結果によれば、被告泰明は、本件交差点を赤信号を無視して本件交差点に進入してきたものであり、本件事故は、同人の信号無視の過失により発生したものであることが認められる。したがつて、同人は、民法七〇九条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

2  被告安代

被告安代が加害車の所有者であることは当事者間に争いがなく、被告安代には他に特段の主張、立証はないから、被告安代は、加害車を自己のために運行の用に供していたものというべきであり、被告安代は、自賠法三条の運行供用者責任により、原告の後記損害を賠償する責任がある。

3  被告会社

(1)  主位的請求

被告会社は、原告の本件事故当時の使用者であり、本件事故は、原告がタクシーの運転手として業務に従事中に発生したものであることは当事者間に争いがない。ところで、労基法八四条一項によれば、「この法律に規定する災害補償の事由について、労働者災害補償保険法・・・に基づいてこの法律の災害補償に相当する給付が行われるべきものである場合においては、使用者は、補償の責を免れる。」と規定されており、本件事故による原告の傷害がこの規定に該当するものであることは明らかであり、弁論の全趣旨によれば、被告会社が労災保険に加入していることが認められるから、原告の主張する労基法七六条による休業補償、七七条による障害補償の支払義務は、被告会社が負うべきものではなく、労災保険により給付がなされるべきものであるから、原告の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(2)  予備的請求

証人岩崎厚子及び原告は、原告は、何回も被告会社に対し、労災保険の受給手続のための証明をするよう求めたが、被告会社に拒絶された旨供述しているが、確かに原告が被告会社に対し、労災保険の適用を求めたことはあるものの、成立に争いのない甲二、三号及び弁論の全趣旨に照らし、被告会社がそれを拒絶したということは措信できず、また、労災保険法施行規則二三条によれば、「保険給付を受けるべき者が、事故のため、自ら保険給付の請求その他の手続を行うことが困難である場合には、事業主は、その手続を行うことができるように助力しなければならない。(一項)事業主は、保険給付を受けるために必要な証明を求められたときは、すみやかに証明をしなければならない。(二項)」と規定されているものの、労働基準監督署に労災保険の支給請求をするためには、事業主を経由しなければならないとか、事業主の証明が必須であるとかいうことはなく、必ずしも事業主の協力が必要とはいえないことは当裁判所に顕著であり、成立に争いのない甲二七号証によれば、原告は、労災保険の受給の時効前である昭和五七年二月には、弁護士茨木茂を代理人として被告会社との間で原告の雇用をどう扱うかにつき交渉していることが認められるのであるから、原告において、被告会社の協力がなくとも労災保険の支給請求手続を行おうと思えばできないことはなかつたはずである。したがつて、本件においては、原告が労災保険の支給を受けられないことと、被告会社が本件事故につき原告の支給請求の手続につき証明しなかつたこととの間に相当因果関係があるとは到底認められないものであり、原告の予備的請求もまた、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(3)  以上のとおり、原告の被告会社に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  同3(原告の受傷状況)の事実について判断する。

(一)  原本の存在、成立ともに争いのない甲六号証、一二号証から一七号証まで、二〇号証、二二号証の二から五まで、成立に争いのない甲四、五、七号証、九号証から一一号証まで、一八、一九号証、二一号証から二三号証まで、乙二号証の一から四まで、三号証の一から八まで、四号証の一、二、第五号証の一から四まで、七号証の一から一五まで、八号証の一から一七まで、一三号証の一、二、第一四号証、二八号証、証人岩崎厚子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

原告は、本件事故により頸椎捻挫(外傷性頭頸部症候群)の傷害を受けたとして、昭和五五年一二月二九日から昭和五六年一月九日まで横関医院に通院し(実治療日数三日)同月一〇日から二月二一日まで四三日間同医院に入院し、同月二二日から七月七日まで同医院に通院(実通院日数五四日)し、同年二月二五日及び二六日に大島耳鼻咽喉科医院に通院し、三月四日から五月一三日まで倉田眼科医院に通院(実通院日数二九日)し、七月七日から一一月九日まで東京女子医科大学病院眼科に通院(実通院日数六日)し、七月一三日から昭和五七年一月五日まで菊池外科病院に通院(実通院日数七二日)し、同日頸椎捻挫についての症状が固定し、頸部痛及びめまいの後遺障害が残つた。原告は更に一〇月二八日まで菊池外科病院に通院(実通院日数症状固定前と合わせ一三九日)し、治療をしたが同日を最後に治療を中止したこと、原告は、眼科的には、右眼中心性網脈絡膜炎(中心性網膜炎)に罹患し、右調節不全麻痺による眼精疲労の障害が残つたとする診断を受けている(詳しい治療状況については、後に触れる。)。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  そこで、右傷害が本件事故によるものであるか否かにつき検討する。

眼の症状について判断するに、前記認定の事実及び前掲各証拠に、原本の存在、成立ともに争いのない乙一一、一二号証、原本の存在につき争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙九号証の一、二、第一〇号証の一、二を総合すると、以下の事実が認められる。

原告の眼科関係の主な通院状況(立川病院、東京女子医大)は次のとおりである。

(1)  立川病院の病歴

初診昭和五六年五月一四日、最終受診昭和五六年七月一日、計五回受診、主訴は右眼の中心暗点、変視症を自覚している。発症は、同年三月、眼球運動、瞳孔、視力、眼圧、前眼部とう光体には異常が認められていない。右眼底黄色斑部への色素移動があるが浮腫はない。中心性網膜炎と診断されている。

眼底所見では、陳旧性で活動期のものではない。初診時の了診では眼が痛いとの訴えはないが、最終受診時には、ズキンズキンするとの自覚症状が記載されている。

(2)  東京女子医大病歴

初診昭和五六年七月二七日、最終受診昭和五七年七月二〇日、計八回受診、外傷後一、二週経過してから変視症、注視暗点ありとの現病歴で、立川病院の記載と異なつている。眼痛、頭痛もある。視力、前眼部、透光体、瞳孔、眼圧、眼球運動には、立川病院同様に異常を認めていない。また、右眼底、黄斑部に中心性網膜炎と考えられる変化が認められる。この変化は、経過観察中同じ状態である。右眼約五度の中心暗点が黒板視野計で二回測定されている。調節幅は、二回測定され、昭和五六年八月、右眼二・四D、左眼四・二D、昭和五七年七月、右眼二D、左眼四Dである(眼をピント合わせできる最も遠い点(調節遠点)と最も近い点(調節近点)の間を調節域というが、屈折の状態(遠視、近視、正視等)でその数値が異なる。それを共通化し比較できるようにジオプトリーの単位で表したものを調節幅という(調節幅=(一÷調節近点)-(一÷調節遠点)となる。*調節近点、遠点はメートルの単位で、調節幅の単位はジオプターになる。例えば、無限遠から、〇・二五メートルまで調節できれば、四ジオプター、二メートルから〇・五メートルまでできれば一・五ジオプターの値になる。)。調節幅は、水晶体が加齢とともに固くなるため、その値が年齢とともに減ずる。調節を行う神経系あるいは毛様筋に異常が起きるとこの調節幅の減退が起こる。)左眼は正常値と診断しても良いが、右眼は明らかに減弱している。

中心性網膜炎は、中年の男性の片目が罹患しやすい特発性の疾患で、頭部打撲とは無関係に生じ、黄斑部の網膜色素上皮異常により黄斑部網膜に浮腫を生じる。このため視力低下、中心暗点、物体が小さく見える小視症を自覚する。数カ月で治癒するが、再発もしばしばある。浮腫が長期間続くことが多く網膜が変性し、また凹凸ができるため、視力低下、中心暗点の永続化と物体が曲がつて見える変視症を生じる。この様な視力低下、中心暗点、小視症、変視症のため、眼精疲労や調節力の低下がしばしば起こるものである。

眼精疲労は、成因により次のように分類される。

(1)  調節性…遠視、近視、乱視、老視、調節衰弱等のため、網膜上のピント合わせが容易でない場合

(2)  筋性…斜位、輻湊不全、輻湊衰弱等、両眼で見るのが困難な眼位を示す場合

(3)  症状性…眼内、眼外に疾患がある場合

(4)  不等像性…左右眼の網膜像の大きさや形態が異なる。即ち左右眼の屈折度に差があるとき、変視症のあるときに生じる。

(5)  神経性…神経衰弱、ヒステリーなどで訴える。

交通事故による頭部外傷後遺症として調節障害が生じることは知られている。しかし、中枢の調節機構は、両側支配、即ち、調節中枢が調節命令を出すと、両眼の調節が同じように起こる。しかし、原告は、一眼のみの調節力低下である。したがつて、調節中枢の障害ではなく、それより末梢側の変化が考えられる。この症状が神経系で起きるとすると、動眼神経の異常が考えられるが瞳孔反応や眼球運動が全く正常なことから動眼神経の異常は考えられない。残る可能性は、眼内の変化によるものである。原告には中心性網膜炎による変視症があり、これによる調節力の低下と考えられる。

したがつて、中心性網膜炎が本件事故とは無関係であるから、それによる調節不全麻痺及び眼精疲労も本件事故とは無関係である。

以上の事実が認められ、前掲甲一、二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる二五号証の五、三三号証中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定の事実を覆すに足りる証拠はない。

(三)  頸椎の症状については、前記のような通院経過からみて、昭和五七年一月五日まで通院(実通院日数七二日)し、同日頸椎捻挫についての症状が固定し、項部痛等の障害が残つたとみるのが相当であり、その後遺障害の程度は、局部に神経症状を残すものとして、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級一〇号相当であると認めるのが相当である。

なお、前掲乙一〇号証の二及び鑑定証人丹羽信善の証言によれば、原告の症状は、昭和五六年二月二一日横関医院を退院するころには頸椎捻挫による症状、特に新鮮外傷による症状は消失し、眼の症状以外は、自覚的愁訴の残存のみであり、その後の横関医院での通院治療はリハビリテーシヨン治療であると考えられ、その後の菊池外科病院での治療も大部分は対症療法として用いられた内服薬とリハビリテーシヨン療法であること等から、原告の症状固定時は、昭和五六年七月七日横関医院の治療を打ち切つた時期またはそれ以前であるとし、後遺障害としての他覚所見はないが、右後頭下神経痛が残存し、その後もめまい、悪心、項部痛、項部緊張感、肩の緊張感等の訴えがあるので、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級一〇号相当の後遺障害が残つた可能性があるが、その症状は、本件事故以前から、頸部に変形性頸椎症の所見があつたとする横関医院の診断からみて、必ずしも本件事故の後遺障害ではないかも知れないとの指摘がなされている。しかしながら、頸椎捻挫は、新鮮外傷が消失した後は、自覚的愁訴のみが残存するのが通常の症状であり、その後の治療方法としても対症療法、理学療法が中心となるのが通常であつて、右のような治療しかしていないから、相当の時期に症状固定したはずであるとは必ずしも言い切れないものであり、本件における原告の症状についての前記指摘も、前認定の症状固定時期を覆すに足りない。ただ、右の指摘からみると、一旦症状固定とされた昭和五七年一月五日以降の原告の菊池外科病院に対する通院は、本件事故とは相当因果関係があるとは認められないものとするのが相当である。また、原告の変形性頸椎症の既往症については、これが、どの程度原告の頸椎捻挫の症状及び後遺障害に影響を与えているかは、必ずしも明確ではない(既往症については、損害算定の際に若干斟酌することとする。)。

以上の事実が認められ、前掲乙一〇号証の二及び鑑定証人丹羽信善の証言中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

四  同4(損害)の事実について判断する。

1  治療費 一二九万七〇五〇円

前記のような本件事故との相当因果関係からみて、昭和五七年一月五日までの、眼科を除く治療費についてのみ、被告泰明及び被告安代に請求できるものであり、前掲一二号証から一八号証まで、二〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、横関医院に七七万三〇〇〇円、大島耳鼻咽喉科医院に一万七六〇〇円、菊池外科病院に五〇万六四五〇円(昭和五七年一月五日までの分)の治療費を支出したものと認められる。

2  交通費 一〇万八三八〇円

成立に争いのない甲二四号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲二六号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件事故による傷害の治療のため支出した交通費は右金額と認めるのが相当である。

3  入通院雑費 四万三五〇〇円

原告が前記横関医院での四三日間の入院により一日当たり一〇〇〇円の入院雑費を支出したことは当事者間に争いがなく、通院雑費については、特に必要とされる事情は認められないが、被告らの自認する文書料五〇〇円を右入院雑費に加算することとする。

4  休業損害 二七六万五六四四円

前記のような受傷状況及び成立に争いのない甲一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故による傷害のため、本件事故発生の日である昭和五五年一二月二八日から症状固定の日である昭和五七年一月五日まで就業せず(実際はその後も就業していない。)、原告の本件事故前の昭和五五年一〇、一一、一二月の収入は各二五万一一二四円、二七万九五七八円、二九万四〇四三円であり、その平均は一ケ月二七万四九一五円であることが認められるが、前記の諸事情に鑑み、原告が横関医院への通院を終えた昭和五六年七月七日までは一〇〇パーセント、それ以降は六〇パーセントの部分が本件事故と相当因果関係があると認めるのが相当である。したがつて、原告の本件事故による休業損害は、次の計算式のとおり右金額となる。

(計算式)

二七万四九一五円÷三〇×(一九二+一八三×〇・六)=二七六万五六四四円(円未満切捨て)

5  逸失利益 四四万九一八九円

前記後遺障害の内容、程度その他本件訴訟に顕れた諸般の事情を総合すると、原告は、本件事故と相当因果関係がある前記後遺障害により、症状固定の日から三年間に互り、五パーセントの労働能力喪失があるものと認めるのが相当である。原告の月収は、前記のように二七万四九一五円であつたから、これを基礎とし、年五分の割合による中間利息控除をライプニツツ式計算法で行うと、原告の逸失利益は、右金額となる。

(計算式)

二七万四九一五円×一二×〇・〇五×二・七二三二=四四万九一八九円(円未満切捨て)

6  傷害慰藉料 一〇〇万円

本件に顕れた諸般の事情に鑑みると、原告が、前記傷害により受けた精神的苦痛を慰藉するためには被告ら主張の右金額が相当であると認められる。

7  後遺障害慰藉料 七五万円

本件に顕れた諸般の事情に鑑みると、原告が、前記後遺障害により受けた精神的苦痛を慰藉するためには被告ら主張の右金額が相当であると認められる。

小計 六四一万三七六三円

8  損害のてん補

原告が、治療費として一一六万五一一〇円、その他の費用として一六九万五一五五円、合計二八六万〇二六五円の支払いを受けたことは当事者間に争いがないから前記損害額から右金額を控除することとする。

なお、弁済の抗弁については、休業損害立替金の他の費目は、原告が本件訴訟において請求していないものであり、休業損害立替金については、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙二一号証及び弁論の全趣旨によれば、被告会社は、原告に対し、休業損害立替金として一五万円を交付したことが認められるが、右立替金は、損害がてん補されたときに返還を要求する筋合いのものであるから、被告泰明及び被告安代に対する関係で弁済としての効力を有するとはいえないから、弁済の抗弁は理由がない。

小計 三五五万三四九八円

9  弁護士費用 三六万円

弁論の全趣旨によれば、原告は被告泰明及び被告安代が任意に右損害の支払いをしないので、その賠償請求をするため、原告代理人に対し、本件訴訟の提起及びその遂行を依頼したことが認められ、本件事案の内容、訴訟の経過及び請求認容額に照らせば、弁護士費用として被告泰明及び被告安代に損害賠償を求めうる額は、右金額が相当である。

合計 三九一万三四九八円

五  以上のとおり、原告の被告泰明及び被告安代に対する本訴請求は、右損害金三九一万三四九八円及びこれに対する本件事故の日の後である昭和五五年一二月二九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、被告会社に対する本訴請求は、理由がないので棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮川博史)

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