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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)12799号 判決 1985年9月24日

原告 コーポランド建設株式会社

被告 国

代理人 窪田守雄 吉村剛久 川井一治

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一億〇五一四万四五〇〇円及びこれに対する昭和五八年一二月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨及び担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の損害

(一) 原告は、昭和五六年八月四日、千葉市中央所在保科修吉司法書士事務所において、別紙物件目録記載の土地(訴外倉石昇、同倉石幸子、同倉石容子及び同酒井慶子共有持分各四分の一、以下「本件土地」という。)の共有持分権者である倉石昇本人であり、かつその余の共有持分権者三名の代理人であると称する年齢四〇才位の男(以下同人を特定するための呼称として便宜上「自称倉石昇」ということにする。)との間において、左記のとおり金銭消費貸借契約及び譲渡担保権設定契約を締結し、自称倉石昇から本件土地の登記済証、右各共有持分権者名義の委任状及び印鑑証明書の交付を受け、それと引き換えに、同人に対し、利息二か月分を天引して現金一〇四〇万円及び別紙小切手目録記載の小切手八通(金額合計一億八〇〇〇万円)を交付した。

(1) 貸金    二億円

(2) 利息    月二・四パーセント

(3) 弁済期   昭和五七年二月三日

(4) 担保の約定 倉石昇外三名は、原告に対し、右債務を担保するため、本件土地の共有持分全部を移転し、その旨の登記手続をする。倉石昇らが返済を遅滞したときは、原告は当然に本件土地の完全な所有権を取得する。

(二) 原告は、前同日、同事務所において、保科司法書士に対し、本件土地についての同日売買を原因とする原告名義への共有者全員持分全部移転登記(以下「本件登記」という。)の申請手続を委託し、同司法書士に前記登記済証、委任状及び印鑑証明書を交付した。同司法書士は、翌八月五日、千葉地方法務局に対し右登記を申請し、同法務局は即日これを受付け、受付第三八六九五号をもつて本件登記を了した。

(三) ところがその後、前記登記済証、委任状及び印鑑証明書がいずれも何者かによつて偽造されたものであることが判明した。そのため、本件土地の共有持分権者である倉石昇外三名は、昭和五六年一〇月、原告を相手方として本件登記の抹消登記手続請求訴訟を提起し、原告は、第一審及び控訴審ともに敗訴し、右敗訴判決の確定に伴つて本件登記は抹消されるに至つた。

(四) 原告は、自称倉石昇に交付した前記八通の小切手を、別紙小切手目録記載のとおりそれぞれ決済した。そして、本件登記を有効なものであると信頼して、自称倉石昇に支払つた金員(合計一億九〇四〇万円)の早期回収措置を講じないでいたところ、右(三)のとおり本件登記が抹消されるに至つたため、原告は右支払済金員を回収することができなくなるとともに、原告が納付した登録免許税五一四万四五〇〇円の還付を受けることができなくなり、右支払済金員及び登録免許税相当額合計金一億九五五四万四五〇〇円の損害を被つた。

2  被告の責任

(一) 登記官は、登記義務者の意思に基づかない登記申請がなされることを防止するため、登記申請に際し、登記申請書に添付される登記済証の真偽について調査し、もし偽造の登記済証が添付されている場合には、これを看破してその申請を却下しなければならない職責を有しており、従つて、偽造の登記済証を看過した登記官は、職務上の審査義務に違反していることは論を俟たない。もとより、登記官の審査権の消極的性格及び大量の登記申請に迅速に対応しなければならない事務の実情などからして、右の審査義務違反が直ちに国家賠償法一条一項にいう過失と評価されるものではないが、登記官としては、登記申請書に添付されている登記済証に顕出されている登記済印等の各印影と真正な印影とを肉眼により近接照合してその彼此同一性を判別し、疑わしい場合にはさらに拡大鏡を使用し、あるいは両者を重ね合わせたうえ照明透視する等のより確度の高い精密な方法を用いて検査を尽くす義務があり、両印影を肉眼により近接照合したとき、その登記済証が偽造されたものではないかと疑うべき相違があると認められるにもかかわらず、これを看過した場合、登記官に過失があるというべきである。

(二) 自称倉石昇の持参した偽造にかかる本件土地の登記済証(以下「偽造登記済証」という。)に顕出されている登記済印、契印、受付日付印及び受付番号印の各印影と、真正の登記済証(以下「真正登記済証」という。)が作成された昭和五四年一二月二二日当時千葉地方法務局登記部門で使用されていた真正の登記済印及び契印並びに右真正登記済証に顕出されている受付日付印及び受付番号印の各印影とを対比すると、左の諸点において相違が存する。

(1) 登記済印について

(イ) 全般的状態

偽造登記済証の登記済印の印影は、赤錆びたような特異な色を呈しているうえ、全体的に極めて不鮮明に顕出され、しかも「済」の字の周辺、「受付」の二字の間及び「登」の字の上方の周辺等字画線の周辺をはじめ随所に汚れの状態が存在し、印判を押捺したのではなく原紙を刷り込んだような状態が認められるのに対し、真正登記済印の印影は、鮮やかな朱色で極めて鮮明に顕出されて汚れの状態は存在せず、朱肉を使用して印判を押捺し顕出されたものであることが明らかに認められる。

(ロ) 個別的状態

偽造の印影は、「受付」の文字が小さく表現され、下部の横線と離隔しているのに対し、真正の印影は、「受付」の文字が大きく表現され、「受」の字が下部の横線に接触している。

(2) 契印について

(イ) 全般的状態

偽造の印影は、赤錆びたような極めて特異な色を呈しているうえ、全体がぼけて極めて不鮮明に顕出され、しかも全面にわたつて随所に汚れの状態が存在し、印判を押捺したのではなく原紙を刷り込んだような状態が認められるのに対し、真正の印影は、鮮やかな朱色で極めて鮮明に顕出されて汚れの状態は存在せず、朱肉を使用して印判を押捺し顕出されたものであることが明らかに認められる。

(ロ) 個別的状態

偽造の印影と真正の印影との間には、次の諸点において相違が存する。

a 「葉」字の草冠の第一画線

偽造の印影は、「葉」字の草冠の第一画線が「」の状態で中間が離れているのに対し、真正の印影は、「」の状態で連続しているか、又は「」の状態で中間が離れている。

b 「葉」字の「木」部の「十」と「八」の関係

偽造の印影は、「葉」字の「木」部の「十」と「八」が「ホ」の状態で「一」と「八」の上部が離れているのに対し、真正の印影は「木」の状態又は「」の状態でいずれも「一」と「八」の上部が接着している。

c 「地」字の「也」の第三画線

偽造の印影は、「地」字の「也」の部分の第三画線が「」の状態で横線が右下に下がつたままになつているのに対し、真正の印影は、いずれも「」の状態で横線がほぼ直角に描かれて末尾が跳ねている。

(3) 受付日付印について

偽造登記済証の受付日付印の印影は、全体的に大きく、かつ「拾弐月」となつているのに対し、真正登記済証の受付日付印の印影は、それより小さく、かつ「壱弐月」となつている。

(4) 受付番号印について

偽造登記済証に押捺されている受付番号表示の数字は番号印のゴム印を用いているのに対し、真正登記済証の数字はナンバリングの印字である。

(三) 本件偽造登記済証に顕出されている登記済印、契印、受付日付印及び受付番号印の各印影と、真正の登記済印及び契印並びに本件真正登記済証に顕出されている受付日付印及び受付番号印の各印影との間に存する右(二)(1)ないし(4)記載の各相違点は、いずれも一見して偽造の疑いを生じさせる程度に明瞭な相違であつて、登記官が肉眼による近接照合を行いさえすれば、直ちに右相違点に気付いて本件登記済証が偽造されたものではないかとの疑念を抱いたはずであるにもかかわらず、本件登記申請の受理に際してその調査を担当した登記官(以下「本件登記官」という。)は、肉眼による近接照合を行わなかつた結果右各相違の存在を看過し、真正に成立した登記済証であると判断して本件登記申請を受理したものであるから、本件登記官には過失があるというべきである。

3  因果関係

(一) 登録免許税相当額の損害

本件登記官が本件登記の申請書に添付された登記済証が偽造されたものであることを看破して本件登記申請を却下していれば、原告が納付した登録免許税相当額は所定の手続を経て原告に還付されるはずであつたところ、前記1及び2のとおり登記官の過失により本件登記申請が受理されて無効の登記がなされたため、原告は右登録免許税相当額の還付を受けることができなくなつたものであるから、登記官の過失と登録免許税相当額の損害との間には相当因果関係が存在する。

(二) 支払済金員相当額の損害

本件登記官が本件登記の申請書に添付された登記済証が偽造されたものであることを看破して本件登記申請を却下していれば、原告は、自称倉石昇に交付した前記小切手の各受取人の取立銀行における預金(昭和五六年八月一二日現在少くとも合計約二六〇〇万円の預金残高が存在した。)を直ちに差押えるなどして支払済金員を回収することができたことは明らかであるところ、前記1及び2のとおり登記官の過失により本件登記申請が受理されて無効の登記がなされたため、原告は右登記を信頼して支払済金員の回収措置を講じないで放置し、その結果これを回収することができなくなつたものであるから、登記官の過失と支払済金員相当額の損害との間には相当因果関係が存在する。

4  よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、原告の被つた前記1(四)の損害の内金一億〇五一四万四五〇〇円及びこれに対する昭和五八年一二月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

(一) 同1(一)の事実は不知。

(二) 同1(二)のうち、千葉地方法務局において、本件土地につき昭和五六年八月五日受付第三八六九五号をもつて、同月四日売買を原因とする原告名義への共有者全員持分全部移転登記が経由された事実は認め、その余の事実は不知。

(三) 同1(三)の事実は認める。

(四) 同1(四)の事実は不知。

2  請求原因2について

(一) 同2(一)の主張は争う。

(二) 同2(二)のうち、(1)(2)の事実は不知。(3)(4)の事実は認める。

(三) 同2(三)のうち、本件登記官が登記済印について肉眼による近接照合を行わなかつた事実は認め、その余の事実及び主張は争う。

3  請求原因3について

同3の主張は争う。

三  被告の主張

1  過失の不存在

(一) 登記官は、登記申請の受理に当たり登記申請書の形式的適法性の審査を行うべきところ、右審査に当たつては、添付された書面の形式的真否を、添付書類、登記簿、印影の相互対照などによつて判定し、これによつて判定しうる不真正な書類に基づく登記申請を却下すべき注意義務を負うが、右審査の程度については、その方法が原則として書面審理に限定されていること、及びそもそも登記官は大量の登記申請を迅速に処理しなければならない上、殆どの登記申請が当事者の真意に基づいてなされていることに照らすと、登記官において真正なることの積極的心証を得るまでの必要はなく、ただ明白に偽造の疑いが持たれるようなものは見逃さないだけの注意が払われることをもつて足りるというべきである。従つて、右のような意味での注意義務を前提とし、かつ登記済証に押捺されている登記済印等の印影が委任状における委任者名義の印影と印鑑証明書の印影のように当該添付書類のみから容易に近接照合し得るものとは異なることなどを考慮すれば、登記官が登記申請人の提出した登記義務者の登記済証に押捺されている登記済印等の各印影の真否を判断するについては、常に右登記済印等の各印影と真正な登記済印等の各印影とを近接照合すべき義務があるものではなく、通常は提出された当該登記済証の各印影自体から、その様式、形態及び刻印文言等を総合的に観察し、登記官としての職務上の経験に基づいて右印影の真否を判断すれば足りるものであり、その際に何らかの疑義が生じた場合にのみ近接照合をし、それでもなお判然としない場合に更に拡大鏡等を用いる等のより確度の高い精密な方法により彼此同一性を審査すべきことをもつて足りるというべきである。

(二) 本件偽造登記済証に押捺されている登記済印等の各印影は、後記のとおり極めてかつ精緻かつ巧妙に偽造されていて、右各印影自体からは何らの疑義を差し挾む余地がなかつたため、本件登記官は、右各印影とそれらの真正な印影との近接照合を行わなかつたものであり仮に右近接照合を行つたとしても、そこにおける相違点は、右(一)で述べた意味での登記官に課せられた通常の注意義務を尽くしても明白に偽造の疑いが持たれるとまではいえないものであるから、本件登記官が偽造登記済証であることを看過して本件登記申請を受理したとしても、これをもつて本件登記官に過失があつたとはいえない。

(1) 登記済印について

本件偽造登記済証に顕出されている登記済印の印影と真正な登記済印の印影とを比較対照してみると、両印影は、写出された文字、配列が同一であり、印影全体の大きさ、形状、各文字の大きさ、形状、空間の取り具合等について顕著な差異は認められず、肉眼で識別する限り極めて酷似しているというべきであり、原告が主張する相違点(請求原因2(二)(1))は、偽造及び真正の両印影を慎重に重ね合わせるか、厳密に計測するかしない限りその差異を識別することが不可能なものであつて、更に、同一の印判であつても、押捺するときの印判についた朱肉の厚薄、押す力の強弱、印面へのごみの付着状況、その清掃状況、押捺する紙面の下にある物体の状況等によつて、印影は微妙に変化し、多少の相違は通常避けられないことをも考慮すれば、本件登記官が本件偽造登記済証に押捺されている登記済印の印影自体に何ら疑義を差し挾まず、従つてこれについての近接照合を行わなかつたとしてもやむを得なかつたもので、仮に右近接照合を行つたとしても、これによつて原告主張の相違点が一見して明白であるとはいえないものである。

(2) 契印について

本件偽造登記済証に押捺されている契印の印影について、その写出されている文字、配列、印影全体の大きさ、各文字の大きさ、形状、空間の取り具合等を全体として見た場合、何ら偽造を推認させる不自然さはなく、原告が主張する相違点(請求原因2(二)(2))も、それ自体極めて部分的かつごく些細な点における相違であつて、しかも本件真正登記済証が作成された昭和五四年一二月二二日当時千葉地方法務局登記部門においては、契印として使用し得る印判として四個の公印が存在しており、右公印の中には原告が指摘する点についても本件偽造登記済証に顕出されている契印の文字と同様の印影を写出するものもあつたのであるから、本件登記官が本件偽造登記済証に顕出されている契印の印影自体に何ら疑義を差し挾まず、従つてこれについての近接照合を行わなかつたとしてもやむを得なかつたもので、仮に右近接照合を行つたとしても、これによつて原告主張の相違点が一見して明白であるとはいえないものである。

(3) 受付日付印について

登記済証に押捺されている受付日付印は、公印として届出されているものではなく、登記所においては、一般に市販されている回転式日付印を常時数種類使用しているのであるから、右日付印を使用して「拾弐月」と表示することも「壱弐月」と表示することも可能であるうえ、本件偽造登記済証が作成された当時、千葉地方法務局登記部門においては、本件偽造登記済証に使用された日付印と類似の回転式日付印も使用されていたのであるから、本件登記官が右の点について何ら疑問視しなかつたとしても過失があるとはいえない。

(4) 受付番号印について

千葉地方法務局登記部門においては、本件登記申請を受理した当時、登記済証を作成するに当たつて、通常は受付係員が登記申請書を受付けると同時に登記済証となる申請書副本又は登記原因証書に受付番号をナンバリングで表示し、登記完了時に公印たる登記済印をその上から押捺する扱いにしていたものの、受付係員がナンバリングで受付番号を押捺するのを忘れた場合には、番号印のゴム印を用いて登記済印の受付番号を表示することもあつたのであるから、本件偽造登記済証の受付番号の表示がナンバリングの印字ではなく番号印のゴム印を用いて表示されていたからといつて、本件登記官にとつては特段疑問視すべき事情には当たらなかつたものである。

2  因果関係の不存在

本件登記申請が受理と決定されたのは、昭和五六年八月一一日又は一二日であるところ、原告は、右受理決定より前の同月四日のうちに自称倉石昇に対し現金及び小切手八通を交付し、右小切手八通についても、右受理決定より前の同月七日までにすべて決済しているのであるから、本件登記官が本件登記申請を却下しなかつたことと、原告が支払済金員を回収できなかつたことにより被つた損害との間には、因果関係がない。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張はいずれも争う。

第三証拠 <略>

理由

一  原告が損害を被つた経過

<証拠略>を総合すれば、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和五六年七月一八日、訴外伊藤健治から、本件土地及びその隣接土地に担保権を設定することにより金二億二五〇〇万円の融資を受けることを希望している者がいる旨の話を持ち込まれた。その後伊藤からの連絡により、右融資希望者の都合で本件土地のみを担保とする金二億円の融資の申込みとなつたが、伊藤の説明によれば、融資希望者は、海運会社の経理担当役員をしている訴外倉石昇であつて、北海道から魚を搬入してこれを販売するための事業資金を緊急に調達する必要があるため融資を希望するものであり、また、本件土地は倉石昇外三名の共有であるが、本件土地に譲渡担保権を設定することについては共有者全員が了解しているとのことであつた。そこで原告は、本件土地の現況調査及び登記簿の閲覧をして本件土地が伊藤の説明どおり倉石昇、倉石幸子、倉石容子及び酒井慶子四名の各持分四分の一ずつの共有となつていることを確認のうえ、倉石昇本人が本件土地の登記済証その他登記申請に必要な書類一切を持参するならば右融資に応じてもよいと考え、伊藤にその旨伝えたところ、同人は、同年八月三日、すべての必要書類の準備ができた旨連絡してきたので、原告は、翌八月四日に融資を実行することとし、融資金については、伊藤の希望により二億円から金利を天引した一億九〇四〇万円のうち、一〇四〇万円を登記費用等に充てるため現金で交付することとし、残金一億八〇〇〇万円は小切手八通で交付することを伊藤に伝えた。

2  翌八月四日、原告会社総務部長川部君平及び不動産管理担当前島浩三は、千葉地方法務局で伊藤及び三名の男と落ち合い、伊藤から、右三名の男のうちの一人の男を倉石昇であると紹介されたが、その際右倉石昇本人であると紹介された男(自称倉石昇)は、自分は他の三名の共有者から委任を受けて来ている旨述べた。そこで川部及び前島は、伊藤らと共に千葉市内所在の司法書士保科修吉の事務所へ赴き、同事務所において、自称倉石昇から本件土地の登記済証並びに各共有持分権者名義の委任状、住民票及び印鑑証明書の呈示を受け、同司法書士に右各書類により登記できることを確認してもらつたうえで、自称倉石昇との間において、請求原因1(一)の(1)ないし(4)記載の内容の消費貸借契約及び譲渡担保権設定契約を締結して金銭消費貸借契約書を作成するとともに、同事務所において、自称倉石昇に対し、右登記済証等の各書類及び領収証と引き換えに現金一〇四〇万円及び別紙小切手目録記載の小切手八通を交付し、伊藤が右現金の中から登録免許税相当額金五一四万四五〇〇円を自称倉石昇に代わつて同司法書士に交付した。

3  原告は、前同日、同事務所において、保科司法書士に対し、本件土地について原告名義への共有者全員持分全部移転登記の申請手続を委託して前記登記済証、委任状及び印鑑証明証等の書類を交付し、同司法書士は、翌八月五日、千葉地方法務局に右登記を申請したところ、同法務局は即日右申請を受付け、調査等をしたうえ、同月一一日か一二日ころ右登記申請の受理を決定し、同法務局昭和五六年八月五日受付第三八六九五号をもつて原告名義への共有者全員持分全部移転登記(本件登記)を了した(千葉地方法務局において本件土地につき昭和五六年八月五日受付第三八六九五号をもつて同月四日売買を原因とする原告名義への共有者全員持分全部移転登記が経由された事実は、当事者間に争いがない。)。

4  ところがその後、前記登記済証、委任状及び印鑑証明書がいずれも何者かによつて偽造されたものであり、自称倉石昇は倉石昇本人とは全くの別人であることが判明した。そのため、本件土地の共有者である倉石昇外三名は、昭和五六年一〇月、原告を相手方として本件登記の抹消登記手続請求訴訟を提起し、原告は、第一審及び控訴審ともに敗訴し、右敗訴判決の確定に伴つて本件登記は抹消されるに至つた(以上の事実は、自称倉石昇が倉石昇本人とは全くの別人であることが判明した点を除き、当事者間に争いがない。)。

5  原告は、自称倉石昇に交付した小切手八通を別紙小切手目録記載のとおりそれぞれ決済し、その後本件登記が抹消されるまで支払済金員について何ら回収措置を講じなかつたため、未だ全く支払済金員の回収を受けておらず、登録免許税の還付も受けていない。

二  登記官の過失

原告は、原告が前記認定の経過で被つた支払済金員及び登録免許税相当額の損害は、本件登記申請の受理に際してその調査を担当した登記官(本件登記官)の過失に起因するものである旨主張するので、以下登記官の過失の有無について判断する。

1  登記官は、登記申請があつた場合には、右申請の形式的適否を調査する職務権限があり、申請者が適法な登記申請の権利・義務者又はその代理人であるかどうか、登記申請書及び添付書類が法定の形式を具備しているか否か等を審査しなければならず、その審査にあたつては、添付書面の形式的真否を添付書類、登記簿、登記済証に押捺された登記済印等の印影の相互対照等によつて判定し、これによつて判定しうる不真正な書類に基づく登記申請を却下する注意義務があることは明らかである。もつとも、右の印影の相互対照は、登記官の右審査が申請の実体的な適否に及ぶものでなく、また、後記認定のように法務局において登記済証に使用される印判が数種類にのぼり、かつ、公印の改正等のため、対照すべき真正な印影自体細部に至るまで常に同一であるとはいえないことから、その対照そのものが必ずしも容易ではなく、他面、登記事務における迅速処理の要請が高いことに鑑みると、登記官において常に右登記済印等の各印影と真正なそれとを相互対照すべき義務があるとはいえず、通常は提出された登記申請書及びその添付書類と登記簿の記載とを対照検討するとともに、当該登記済証の各印影自体についてその様式、形態及び刻印文言等を総合的に観察し、登記官として真正な各印影についての正確な認識を含む職務上の経験に基づいて右印影の真否を判断すれば足り、その際何らかの疑義が生じ又は疑義を持つべかりし場合に右印影の相互対照を行うべき義務があり、それをもつて足りるというべきである。そして、右印影の相互対照の方法としては、原則として、登記官が添付書類たる登記済証に押捺されている登記済印等の印影と真正な印影とを肉眼により近接照合してその彼此同一性を判別することが必要であるが、前記のとおり登記官が右近接照合を怠つたすべての場合について、過失が認められる性質のものではなく、提出された登記済証の各印影の観察等によりその真否に疑問の余地があり、肉眼による近接照合を行いさえすれば登記済証等の添付書類が不真正なものであることを容易に看取し得たにもかかわらず登記官がこれを怠り、不真正な書類に基づく登記申請を受理した場合に限つて登記官の過失を認めれば足りるものと解するのが相当である。

2  ところで、本件登記官が本件登記済証に顕出された登記済印の印影について肉眼による近接照合を行わなかつた事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、本件登記官は、本件登記済証の各印影について、その形式様式、大小、朱肉の状況等を真正な各印影の状況を念頭に置きながら観察したが、そこに何ら疑問の点を見出せなかつたため、契印、受付日付印及び受付番号印についても、真正な印影との近接照合を行わなかつた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そこで、本件登記官が、肉眼による近接照合を行わず、本件登記済証が偽造されたものであることを看過したことをもつて過失があるといいうるか否かについて、以下検討する。

(一)  登記済印について

(1) <証拠略>によれば、本件偽造登記済証(<証拠略>)に顕出されている登記済印の印影と、真正登記済証が作成された昭和五四年一二月二二日当時千葉地方法務局登記部門で使用されていた真正の登記済印の印影(<証拠略>)とを対比すると、偽造の印影は、赤錆びたような鈍い色を呈し、全体的にかなり不鮮明な状態で顕出され、「済」の字の周辺、「受付」の二字の間及び「登」の字の上方の周辺等字画線の周辺をはじめ随所にごみが付着したような汚れた状態が存在しているのに対し、真正の印影は、鮮やかな朱色で鮮明に顕出され、汚れの状態は存在していないといつた相違が存することが認められる。しかしながら、<証拠略>によれば、印影は、印判を押捺する際のたんぼの肉の状態及びたんぼの表面へのごみの付着状況並びに登記済印の押捺回数によつて微妙に相違し、本件偽造登記済証の登記済印の印影の如き色及び状態を呈することもあり得ることが認められ、更に、<証拠略>によれば、真正登記済証の登記済印の印影自体色があせていてかなり不鮮明な状態で顕出されている事実が認められるから、仮に登記官が真正の印影との近接照合を行つた結果前記相違点に気付いたとしても、右相違は本件登記済証が偽造されたものであることを推知せしめる資料とはなりえないものというべきである。

(2) 次に、<証拠略>によれば、偽造の印影は、「受付」の文字がやや小さく表現され、下部の横線と離隔しているのに対し、真正の印影は、「受付」の文字がやや大きく表現され、「受」の字が下部の横線に接触しているといつた相違が存する事実が認められる。しかしながら、右各証拠によれば、右の点を除いては、右両印影は、印影全体の大きさ、形状、各文字の大きさ、形状及び空間の取り具合について微細な点に至るまで酷似しており、右相違は両印影を慎重に重ね合わせるか又は厳密に計測するかしてはじめて識別可能な程度のものというべく、肉眼による近接照合のみでは容易に看取することができないものであると認められる。

(二)  契印について

(1) <証拠略>によれば、偽造登記済証(<証拠略>)に顕出されている契印の印影と、真正登記済証が作成された昭和五四年一二月二二日当時千葉地方法務局登記部門において使用されていた契印(<証拠略>)の印影とを対比すれば、偽造の印影は、赤錆びたような鈍い色を呈し、かなり不鮮明に顕出され、字画線の周辺をはじめ随所にごみが付着したような汚れた状態が存在しているのに対し、真正の印影は、鮮やかな朱色で比較的鮮明に顕出され、汚れの状態は存在していないといつた相違が存する事実が認められる。しかしながら、<証拠略>によれば、契印は、元来用紙の落差のため各文字が鮮明に顕出されない場合があり、登記済証の各印影の観察においても、おのずから登記済印の観察に比べその重視の仕方に差がある上、たんぼの肉の状況やたんぼの表面へのごみの付着状況いかんによつては、本件偽造登記済証に顕出されている契印の印影の如き色及び状態が現出することもありうることが認められるから、仮に登記官が真正の印影との近接照合を行つた結果右相違に気付いたとしても、右相違は本件登記済証の偽造を推知せしめる資料とはなりえないものというべきである。

(2) 次に、<証拠略>によれば、偽造の印影は、「葉」字の草冠の第一画線が「」の状態で中間が離れているのに対し、真正の印影は、「」の状態で連続しているか又は「」の状態で中間が離れており、偽造の印影は、「葉」字の「木」部の「十」と「八」が「ホ」の状態で「一」と「八」の上部が離れているのに対し、真正の印影は「木」の状態又は「」の状態で「一」と「八」の上部が接着しているか、又は「ホ」の状態でも「一」と「八」の上部が殆ど接着せんばかりに接近しており、更に、偽造の印影は、「地」字の「也」の部分の第三画線が「」の状態で横線が右下に下がつたままになつているのに対し、真正の印影は、いずれも「」の状態で横線がほぼ直角に描かれて末尾が跳ねているといつた相違が存する事実が認められる。しかしながら、右各証拠及び<証拠略>によれば、本件真正登記済証が作成された昭和五四年一二月二二日当時、千葉地方法務局登記部門においては、公印として使用されていた契印が四個存在しており(<証拠略>は右四個の公印のうちの一個についての公印届の写しであると認められる。)、本件偽造の印影は、右四個の公印の印影のいずれとも、印影自体の大きさ、各文字の大きさ、形状及び空間の取り具合について酷似しているのみならず、右四個の公印の中の一個(<証拠略>)については、「葉」字の草冠の第一画線の中間が離れ、「葉」字の「木」部の「十」と「八」の関係についても「木」の状態ではなくてむしろ「ホ」の状態に近く、本件偽造の印影と各文字の形状の微細な点に至るまで酷似していて、相違部分はわずかに右「葉」字の草冠の第一画線の中間が「」の状態で離れているか「」の状態で離れているかという点、同じく「葉」字の「木」部の「一」と「八」の上部がやや離れているか殆ど接着せんばかりに接近しているかという点及び「地」字の「也」の部分の第三画線の横線が「」の状態で右下に下がつたままになつているか「」の状態でほぼ直角に描かれて末尾が跳ねているかという点のみであつて、右程度の相違は、肉眼による近接照合のみでは容易に看取することができないものであると認められる。

(三)  受付日付印について

本件偽造登記済証に顕出された受付日付印の印影と、本件真正登記済証に顕出された受付日付印の印影とを対比すると、偽造登記済証の印影は全体的に大きく、かつ「拾弐月」となつているのに対し、真正登記済証の印影はそれより小さく、かつ「壱弐月」となつているといつた相違が存する点については、当事者間に争いがないところであるが、<証拠略>によれば、受付日付印は、公印ではなく、千葉地方法務局登記部門においては市販の日付印を数種類購入して使用しており、本件偽造登記済証に押捺されている受付日付印と同じ字体の日付印を使用していたこともあり、受付日付印の表示については「拾弐月」と表示しても「壱弐月」と表示してもいずれでも差し支えない取扱であつた事実が認められ、右事実に照らすと、受付日付印に関する右相違は、およそ本件登記済証の偽造を推知せしめる資料となり得るものではないというべきである。

(四)  受付番号印について

本件偽造登記済証に顕出された受付番号印の印影と、本件真正登記済証に顕出された受付番号印の印影とを対比すると、偽造登記済証に押捺されている受付番号表示の数字は番号印のゴム印を用いているのに対し、真正登記済証の数字はナンバリングの印字であるといつた相違が存する点については、当事者間に争いがないところであるが、<証拠略>によれば、受付番号印は公印ではなく、登記所においては、通常は登記申請を受付ける際に登記済証となる申請書副本又は登記原因証書に受付番号をナンバリングで表示する扱いであるものの、受付段階でナンバリングを押し忘れたときはゴム印を押捺したり又は手書で受付番号を表示しており、本件登記申請当時においても受付番号がゴム印で表示された登記済証が添付されてくることも稀ではなかつたうえ、千葉地方法務局登記部門では本件偽造登記済証に押捺されたゴム印と同じゴム印を使用していたこともある事実が認められ、右事実に照らすと、受付番号印に関する右相違は、およそ本件登記済証の偽造を推知せしめる資料となり得るものではないというべきである。

以上検討したとおり、本件偽造登記済証に顕出された登記済印、契印、受付日付印及び受付番号印の各印影と真正な各印影との相違は、いずれも、仮に近接照合をしたとしても本件登記済証が偽造されたものであることを推知せしめる資料とはなり得ない性質の相違であるか、ないしは近接照合をしても容易に識別できない程度の相違であると認められるから、本件登記官が前記のとおり本件登記済証の観察によつてその真否に疑念を差し挾まず、そのため各印影の近接照合をも行わず、右相違を看過したとしても、これをもつて本件登記官に過失ありということはできない。

3  右のとおり、本件登記官に過失がある旨の原告の主張は理由がないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。

三  結論

以上のとおり、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井史男 小田泰機 西川知一郎)

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