東京地方裁判所 昭和58年(ワ)5980号 判決 1986年5月12日
原告 遠藤保雄
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 須網隆夫
同 宮原哲朗
同 松井茂樹
同 横山哲夫
被告 医療法人 財団明理会
右代表者理事 石井淳一
右訴訟代理人弁護士 熊本典道
主文
一 被告は、原告遠藤保雄に対し金一二八三万五八七〇円、原告遠藤誉子に対し金一二三三万五八七〇円及び右各金員に対する昭和五四年一二月二九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告遠藤保雄に対し金二一五七万八二三四円、同遠藤誉子に対し金二一〇七万八二三四円及び右各金員に対する昭和五四年一二月二九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
(一) 原告遠藤保雄(以下「保雄」という。)は、亡遠藤美保(以下「美保」という。)の父親であり、原告遠藤誉子(以下「誉子」という。)は、美保の母親である。
(二) 被告は、千葉県松戸市新松戸一丁目三八〇番地において新松戸中央病院(以下「被告病院」という。)を開設しているものであり、昭和五四年一二月二九日美保の診療に従事した医師金武成(以下「金医師」という。)は、当時被告病院との雇傭契約に基づき同病院での診療に従事していた者である。
2 美保の死亡に至る経緯
(一) 美保(昭和五三年八月一一日生、当時一歳四か月)は、昭和五四年一二月二九日午後六時ごろ発熱したため、原告誉子は、同日午後七時ごろ被告病院へ美保を連れて行ったが、被告病院待合室で診療の順番を待っていた午後七時三〇分ころ、美保は、突然けいれんを起こし意識を消失した。
(二) 午後七時三五分ころ、金医師が美保を診察したが、同医師は、原告誉子に対する問診、美保に対する検温、聴診のいずれも行わず、ただ腹部をつまんで脱水状態か否かを調べただけで、フェノバールを筋肉注射し、解熱剤イルビコ坐薬を肛門内に挿入した上、美保を三階病室に入院させた。
この間美保は意識を消失したまま、けいれんが続いていた。
(三) 美保は午後七時四〇分ころ病室へ入り、以後准看護婦西下敏美(以下「西下」という。)、准看護学校学生馬込良子(以下「馬込」という。)により、あおむけに寝かされたまま舌圧子の口腔内への挿入、酸素吸入などの措置を受けたが、依然意識を消失したままけいれんが続き、呼吸困難の徴候も見せたため、原告誉子の要請に基づき午後八時四〇分ころから馬込により鼻腔吸引の措置を受けた。金医師は、右吸引中の午後八時三五分ころ、ようやく病室へ現われたがはげしいけいれんが続いている美保を見守るのみで何らの措置も講じなかったところ、午後八時四〇分ころ、馬込が美保の口腔内に吸引のためカテーテルを挿入した直後、美保は多量に嘔吐し、その吐物等を誤飲して気道閉塞を起こし、これに基因する窒息により呼吸が停止し、次いで心停止に至った。
(四) 美保の呼吸停止、心停止後、金医師は美保に対して心臓マッサージをまず行ない、その後美保を逆さにして背中をたたき、さらに人工呼吸器を装着して空気を送りこんだり、カウンターショック、ノルアドレナリン筋注などの措置をとったが、以上の措置によっても美保は蘇生せず、午後一〇時一五分最終的に死亡が確認された。
3 被告の責任
(一) 薬剤選択を誤り、けいれんを抑止しなかった過失
けいれんはそれ自体生命の危険があり、また、不可逆的な脳損傷を残す可能性があり、更にけいれんが重積状態に至れば心循環系及び呼吸器系の破綻の結果、全身特に中枢神経系の低酸素血症をもたらすため死につながる十分な危険がある。
金医師は、昭和五四年一二月二九日午後七時三五分美保を診察した時点で美保のけいれんが続いていたことを認識していたのであるから、これを速やかに抑止すべきであり、具体的には、速効性、抗けいれん作用に最も優れているジアゼパムを静注すべき注意義務があるのにこれを怠り、即効性にかけるフェノバールを筋注したに止めた過失により美保はけいれん重積状態に陥り、また、美保がけいれん重積状態に陥った段階においてはより一層強い理由で、速やかにけいれんを抑止すべく、ジアゼパムを静注すべき注意義務があるのにこれを怠った。
金医師の右過失により美保はけいれん重積状態による衰弱した状態の中で、多量に嘔吐した吐物等を誤飲して気道閉塞を起こし、これに基因する窒息により死亡したか、仮に窒息死でないとしても、けいれん重積状態によって生じた肺のうっ血水腫によって死亡した。
(二) 気道確保及び呼吸管理上の過失
幼児がけいれんを起こした場合には呼吸困難状態を惹起し、吐物の誤飲等により、窒息する可能性が高い。
金医師は、前記診察した時点で美保のけいれんが続いていたことを認識していたのであるから、美保に対して仰臥位を避けて側臥位をとらせ、頭を少し低くして、伸展位に置き下顎を挙上して口腔内分泌物や吐物の誤飲を防ぎつつ適宜吸引を行なって気道を確保し、かつ酸素吸入等を行なって呼吸管理をすべき注意義務があるのにこれを怠った。
金医師の右過失により、美保は、多量に嘔吐した吐物等を誤飲し気道閉塞を起こし、これに基因する窒息により死亡した。
4 損害
(一) 美保の逸失利益と原告らの相続
美保は死亡当時満一歳の女児であり、本件事故がなければ満一八歳から満六七歳までの四九年間就労可能であった。ところで昭和五九年の賃金センサス産業計、企業規模計の女子労働者学歴計の年間収入金額は二一八万七九〇〇円(給与月額一四万六六〇〇円、賞与等四二万八七〇〇円)であるので、生活費の控除を五〇パーセントとし、新ホフマン式計算によると、次のとおり、美保の逸失利益の現価は一八二八万六四六八円となる。
二一八万七九〇〇円×一六・七一六×(一-〇・五)=一八二八万六四六八円
原告らは美保の両親であり、これを各二分の一の九一四万三二三四円を相続した。
(二) 葬儀費用
原告保雄は、美保の葬儀関係費として五〇万円を支出した。
(三) 慰謝料
夕方まで元気であった美保が、わずか数時間後に病院にいながら殆んど治療らしい治療も受けずに死亡したことはその両親である原告らに筆舌に尽し難い悲しみと精神的苦痛をもたらした。これを慰謝するためには各原告にそれぞれ少なくとも一〇〇〇万円が必要である。
(四) 弁護士費用
原告らは、本件訴訟の提起と追行を弁護士宮原哲朗、同横山哲男、同須網隆夫、同松井茂樹に委任することを余儀なくされ、その報酬として請求金額の一割にあたる三八七万円を支払うことを約したから、原告らは各々一九三万五〇〇〇円を請求する。
5 よって、原告らはそれぞれ被告に対し、民法七一五条に基づき、原告保雄につき二一五七万八二三四円、原告誉子につき二一〇七万八二三四円及びこれらに対する不法行為の日である昭和五四年一二月二九日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1(一)、(二)の事実はいずれも認める。
2 請求の原因2について
(一) 同(一)の事実のうち、美保が昭和五四年一二月二九日午後六時ころ発熱したことは不知、午後七時三〇分ころ意識を消失したことは否認し、その余は認める。
(二) 同(二)の事実のうち、原告誉子に対する問診を行わなかったこと、美保が意識を消失したままけいれんを続けていたことは否認し、その余は認める。
(三) 同(三)の事実のうち、美保が入院後意識消失したままけいれんが続いていたこと、美保が吐物等を誤飲して気道閉塞を原因とする窒息により呼吸が停止したことは否認し、その余は認める。
(四) 同(四)の事実は認める。
3 請求の原因3について
(一) 同(一)の事実のうち、けいれん及びけいれん重積状態の危険性は認め、その余の事実は否認し、注意義務の存在は争う。
(二) 同(二)の事実は否認し、注意義務の存在は争う。
4 請求の原因4について
(一) 同(一)の事実のうち、美保が死亡当時満一歳の女児であったことは認め、その余は不知。
(二) 同(二)ないし(四)の事実はいずれも不知。
三 被告の主張
1 美保に対する診療経過
金医師の美保に対する診療行為は以下に述べるとおりであって、当時における臨床医学の水準として要求されるところに照らし、何ら非難されるべきところはなく、したがって同医師に美保に対する診療上の過失はない。
(一) 昭和五四年一二月二九日の被告病院は、当直医師一名、自宅待機医師二名、当直看護婦五名及びその他の職員六名という夜間診療体制をとっていた。
当直医は、金医師で、金沢大学医学部卒業後の昭和五三年六月医師免許を取得し(第六五回・三〇八四号)、同大学医学部内科において一年の修練を経て、同五四年四月より東京大学医学部血清学教室に勤務の傍ら、週二日東京都都内の総合病院において診療に従事していた。本件以前に熱性けいれんの患者を診療したのは、五、六例である。
自宅待機医師の一名は、被告病院の常勤の小児科部長の近藤医師であった。
金医師は、同日勤務に就くにあたり、小児科の近藤部長から、入院患者の状態に関する引継ぎをうけるとともに、小児科の重症患者については、連絡があれば診療にかけつける旨告げられていた。
(二) 同日午後七時ころ、美保は来院し、待合室で順番を待っていた。当時五~六名の患者が診察の順番を待っていたが、午後七時二〇分過ぎころ美保が、ひきつけ、嘔吐したという報告をうけたので、金医師は順番を繰り上げて診察室に呼び入れて、診察を開始した。
診察開始時、すでに看護婦が舌圧子を挿入しており、美保のけいれんは治まっていた。金医師は、けいれん抑止、再発防止のため最も有効かつ副作用の少ない一〇%フェノバール(抗けいれん剤)〇・五Aを筋注し、イルビコ座薬(解熱剤)を肛門内に挿入し、母親である原告誉子に何時ころから発熱したのか、過去にけいれんしたことがあるか、その他過去の病歴等について問診した。その結果、同人より、二週間位前から風邪で病院に通院していたこと、同日夕刻急に発熱(三八・四度)したこと、過去に熱性けいれんを起したことはないこと等の事実を確認した。
検温は看護婦が行ない三九・〇度であったので、金医師は美保を裸にし、触診のうえ、聴診したところ、心雑音も、ラッセル音も聴えなかった。
同医師が美保を診ていたのは一五分位であるが、その間、数ないし数十秒のけいれん発作が二回程出現しただけであって、原告主張のように、けいれん発作が継続していたわけではない。
けいれん発作は治まったが、金医師は、けいれん発作が再発するか否かしばらく様子をみる必要があると判断し、入院させることに決め、酸素吸入を開始したうえで七時三五分ころ三階の病室に入院させた。
(三) その後金医師は、救急車で来院した腎不全の患者及びその他の患者の診療にあたっていたが、途中看護婦から美保の状態につき、けいれん発作は軽減するも間歇的に出現するとの報告を受けたので、午後八時三〇分ころ一〇%フェノバール〇・五Aの筋注を指示し実施させた。
金医師が他の患者の診療を終えて三階の美保のもとに行った八時四〇分ころには、看護婦が吸引を行なっていた。
同医師は、その直前にフェノバールの追加筋注を行なっているので、暫時その効果の発現如何を待つほかなく、看護婦の吸引が誤りなく行なわれるかを見守っていたのであって、何ら有効な措置をとらなかったわけではない。
美保は八時四七分ころ呼吸困難に陥ったので、テラプチク(呼吸促進剤)一A及びノルアドレナリン(血圧上昇剤)一Aの筋注を行ない、人工呼吸器装着、心臓マッサージ等の措置を講じ、さらにカウンターショックも実施した。
午後九時ころ、ノルアドレナリン一Aを筋注し、さらに九時一〇分ころ及び九時四〇分ころ、各々ノルアドレナリン一Aの心筋注を実施するも、状態は改善せず、午後一〇時一五分瞳孔散大し対光反射なく、心拍停止し、死亡するに至った。
2 美保の死亡原因について
美保の病理解剖の結果、気道閉塞、窒息の所見は認められず、美保の死亡原因は、病理学的にはクモ膜下出血であり、その原因はビールス又は細菌感染による出血性髄膜炎と考えるのが妥当であるから、美保は気道閉塞により窒息したものではない。
3 抗けいれん剤の選択について
ジアゼパムもフェノバールも、抗けいれん作用を有し、けいれん発作の制止及び再発防止のため投与される抗けいれん剤であるが、昭和五四年一二月当時における臨床医家の知見の水準に照らすと、抗けいれん剤としてジアゼパムを第一に選択すべきであったとはいい難い。
また、今日の臨床医学の水準としても、けいれんの制止、再発防止のための第一選択薬がジアゼパムであるとはいえない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1について
(一) 同(一)の事実のうち、被告病院の当直医師が一名であったこと、当直医が金医師であったことは認め、その余は不知。
(二) 同(二)の事実のうち、同日午後七時ころ美保が被告病院に行き、待合室で順番を待っていたこと、金医師が順番を繰りあげ診察室に呼び入れて診察を開始したこと、診察開始時すでに看護婦が舌圧子を挿入していたこと、金医師がフェノバールの筋注、イルビコ坐薬を肚門内に挿入したことは認め、その余は否認する。
(三) 同(三)の事実のうち、美保が午後一〇時一五分死亡したことは認め、その余は否認する。
2 被告の主張2の事実は否認する。
3 同3の事実は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 請求の原因1(一)及び(二)の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 請求の原因2について
1 美保が診察を受けるまで
(一) 美保が昭和五二年八月一一日に生まれたこと、原告誉子が昭和五四年一二月二九日午後七時ころ被告病院へ美保を連れて行ったこと、待合室で診療の順番を待っていた午後七時三〇分ころ美保がけいれんを起こしたことは当事者間に争いがない。
(二) 右争いのない事実及び《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められる。
美保は、昭和五三年八月一一日、原告両名の長女として正常分娩で出生した。以後本件に至る同五四年一二月まで順調に成長した。この間けいれんを起こしたことはない。
昭和五四年一二月二九日、美保は午前八時すぎに起床した。少し前からひいていたかぜが完治せず鼻はつまっていたが発熱はなく食欲もあった。午後まで遊びその後昼寝をし、午後六時ころ起床した。その際発熱しているようなので検温すると三八・四度になっていたため、原告誉子が美保を被告病院に連れて行った。
同日午後七時ころ、被告病院に到着した美保は活発に動きまわり意識も明瞭であった。ところが午後七時三〇分ころ、突然ひきつけ、けいれんをおこすと同時に意識を消失した。間もなく看護婦がガーゼをまいた舌圧子を美保の口腔に挿入し、その直後に美保は来院前に飲んだ牛乳を吐いた。
2 受診から入院に至るまで
(一) 金医師が午後七時三五分ころ美保を診察したこと、美保に対する検温、聴診を行わなかったこと、フェノバールを筋注し解熱剤イルビコ坐薬を肛門内に挿入したこと、美保を三階病室へ入院させたことは当事者間に争いがない。
(二) 右争いのない事実及び《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められる。
美保は、午後七時三五分ころ、金医師の診察を受けた。金医師は、美保を診察台にねかせ、原告誉子から、当日の美保の状況をききながら、腹部をつまんで脱水の有無を調べたが、他に問診、聴診は行なわず、熱性けいれんの可能性が高いと判断し、抗けいれん剤としてフェノバール1Aを筋注し、看護婦に指示して解熱剤イルビコ坐薬を美保の肛門内に挿入させた。
右診察は、約五分間であったが、この間美保は目を見開いたままけいれんが続き、意識を消失した状態であった。そのため金医師は経過観察の必要があると考え、美保を三階病室に入院させた。この際金医師は担当の准看護婦らに対し、特に指示はしていない。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
3 入院から容態急変に至るまで
(一) 美保が午後七時四〇分ころ病室に入り、以後西下、馬込により、あおむけにねかされたまま舌圧子の口腔内への挿入、酸素吸入などの措置が行われたこと、西下が准看護婦であり、馬込が准看護学校の学生であること午後八時三〇分ころから原告誉子の要請で馬込により鼻腔吸引が行われたこと、右吸引中の午後八時三五分ころ金医師が初めて病室へ現れたが、吸引を見守っていたこと、
美保は金医師が病室に到着した後はげしいけいれんが続いていたこと、午後八時四〇分ころ馬込が口腔内に吸引のためカテーテルを挿入した直後美保が多量に嘔吐したことは当事者間に争いがない。
(二) 右争いのない事実と《証拠省略》を総合すれば次の事実を認めることができる。
美保は午後七時四〇分ころ病室に入院した。入院時美保は両手を上へあげ、意識消失のままけいれんが続いていた。また、手の指先に緑色がかったチアノーゼが認められ、軽度の呼吸困難の状態にあった。
三階病室では西下と馬込が美保を担当した。西下は昭和五二年に准看護婦の資格を取得し、当時正看護婦の資格をとるべく看護学校に通っていた者で、当日被告病院にはアルバイトで来ていた。馬込は被告病院に正職員として勤務するかたわら、准看護学校の二年目に通っていた学生であった。なお、原告誉子は、看護婦及び保健婦の資格を取得していた。
美保は病室のベットにあおむけに寝かされ、まず西下が美保を聴診し、酸素吸入の準備をし、後は馬込が美保のベットにつきそうこととなった。馬込は舌圧子とガーゼを美保の口腔内に挿入してこれを手で支え、その上から酸素マスクを口にあてがい、原告誉子がこれを手で支えて酸素吸入がなされた。午後七時四五分ころ、原告保雄が病室に到着し、同五〇分ころ、原告誉子は問診のためナースセンターへ呼ばれ、原告保雄がかわって酸素マスクを支えてつきそった。
美保は依然意識を消失したまま、けいれんが続いており、午後八時一〇分ころ、一旦けいれんがやや軽くなったが、午後八時二五分ころ、再びけいれんが強くなり、手足に強いチアノーゼがあらわれ、鼻がつまっていた上口腔にガーゼと舌圧子が挿入されていたため、口のわずかな間際から異常な呼吸音を出す状態となった。午後八時三〇分ころ、金医師の電話による指示により、西下が抗けいれん剤フェノバール〇・五CCを再び筋注した。
このころ、看護婦の資格のある原告誉子が問診を受け終ってナースセンターから病室に戻ったが、美保の前記状態を見て驚き、馬込に対し、直ちに吸引を依頼した。吸引器具は病室に用意されておらず、馬込が他に取りに行き、同人により鼻腔からの吸引が開始された。同人は、鼻汁が余りにも多く異様なため、悲鳴をあげ、カテーテルを落すほどであった。
右吸引中、金医師がようやく美保の病室に現れたが、同医師は美保の診察及び容態について馬込らに報告を求めることなく、馬込の吸引を見ているにすぎなかった。
金医師が病室に来てから間もない午後八時四五分ころ、馬込が鼻腔からの吸引を一応終えて、口腔内吸引のためカテーテルを口腔内に深く挿入したところ、美保は大量に嘔吐し、多量の吐物が吹きあげるように出てあおむきの美保の口に逆流して誤飲し、その直後美保は呼吸停止し、次いで心停止に及んだ。
美保が入院するにあたって、西下は外来の看護婦から電話で、けいれんのある一歳四か月の子が入院すること、フェノバールを打ち、坐薬を入れたこと、熱性けいれんであることの連絡を受けたが、他に金医師、外来の看護婦からの指示はなかった。同人及び馬込が行った舌圧子及びガーゼの口腔内挿入、酸素吸入は、いずれも西下らの判断に基づく処置であり、西下は、美保のけいれんが続くことに不安を覚え、美保入院後間もないころから病院内の電話により再三にわたり医師の来室、診察を要請したが、金医師からは明確な回答はなく、前記フェノバール追加筋注の指示があったのみであった。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
被告は、美保に気道閉塞、窒息の所見はなく、美保の死因は病理学的にはビールス又は細菌感染による出血性髄膜に基因するクモ膜下出血であることを前提に、美保が吐物を誤飲した事実はないと主張する。しかし、美保の死因は、後記三2認定のとおり、クモ膜下出血ではなく、気道閉塞による窒息死と認められるから、右被告の主張は採用することができない。
4 容態急変から死亡確認に至るまで
美保の呼吸停止、心停止後、金医師が美保に対してまず心臓マッサージを行い、次いで美保を逆さにして背中をたたき、人工呼吸器を装着して空気を送りこんだり、カウンターショックなどの措置を行ったこと、以上の措置によっても美保は蘇生せず、午後一〇時一五分、死亡が確認されたことは当事者間に争いがない。
三 因果関係について
1 《証拠省略》によれば、一般に幼児がけいれんを起こした場合には呼吸困難の状態を惹起すること、口腔内分泌物や胃内容物の嘔吐による吐物の誤飲により窒息する恐れが高いこと、けいれんにより早期に死亡に至る主因はこれらによる窒息であることが認められ、右事実と前記二の事実、とりわけ美保が一時間余にも及ぶけいれんにより衰弱し切っていた状態にあり、そうした状況の中で大量に嘔吐した直後に容態が急変したことを総合すれば、美保は午後八時四五分ころの大量の嘔吐による吐物の誤飲により窒息死したものと認められる。
2 この点につき、被告は、美保に気道閉塞、窒息の所見は認められず、美保の死亡原因は、病理学的には、クモ膜下出血であり、その原因はビールス又は細菌感染による出血性髄膜炎と考えるのが妥当であるから、美保は窒息により死亡したものではないと主張する。
(一) 《証拠省略》(剖検診断書)によれば、美保の死体解剖を行った太田秀一医師はその剖検診断書の主病診断名の欄に「クモ膜下出血」と記載し、その説明として「髄膜に一部極く軽度のリンパ球浸潤がみられる」「気管内には窒息様の所見はない」旨記載したことが認められ、また、証人太田秀一の証言によれば、気道閉塞においては肺の表面に点状出血がみられることが特徴の一つであるところ、美保の肺の表面には点状出血がなかったことが認められ、右の諸事実は気道閉塞による窒息の事実に疑問を抱かせる要因といえる。
(二) しかしながら、《証拠省略》及び証人太田秀一の証言によれば、「主病診断」という語は病理学上、死亡した人の死亡にとって最も障害となった病気を意味するいわゆる「主病変」とほぼ同義であり、必ずしも直接死因とは一致しないものであるばかりか、美保についてはこの意味での主病変と断言できる所見すらなかったこと、そのため剖検診断書における記載も主病変、副病変を区別して記載したわけではなく単に比較的大きい病変から通し番号をつけて記載したにすぎないこと、美保にみられたクモ膜下出血は大脳のごく表面のほんの一部の非常に小さいもので、放置しても吸収されて回復し後遺症も残らない程度のもので、死に至るようなクモ膜下出血に比べて、比べものにならないほど小さく、病理上、クモ膜下出血で死亡したということはできないこと、右クモ膜下出血の原因は非常に細い血管の一部が切れたといえる程度であり、この原因となるような高度の髄膜炎はなかったことが認められる。
また、証人太田秀一の証言によれば、病理の立場から、窒息死と積極的に判断するためには気管内に異物がある必要があり、これがない場合には積極的に窒息と判断することはできないため、剖検診断書上窒息死と記載し得なかったに過ぎず、美保の場合、剖検当時気管内に異物が残存していたとすれば窒息と判断するのがむしろ合理的とみられる所見であることが認められるところ、美保の呼吸停止後、美保を逆さにして背中をたたいたりする等異物を除去して気道を確保するための諸措置がとられたことは前記二、4認定のとおりである。
また、証人太田秀一の証言によれば、窒息死であっても嚥下性肺炎の場合には点状出血がみられない場合があること、急激に痰が詰まったような場合にも胸膜に点状出血が見られるとは必ずしもいえないこと、美保の肺のうっ血水腫、特に水腫は非常に強度であり、ここに異物が少し入れば直ちに窒息死する可能性は十分にあったことが認められる。
以上の事実によれば、剖検時に美保の気管内に異物が残存していなかったことをもって、美保が吐物等を誤飲した事実がないものとは到底いえないところであり、《証拠省略》(剖検診断書)の記載及び美保の肺の表面に点状出血が認められなかったことも、被告の主張を裏付けるものとは認め難い。むしろ、証人太田秀一の右一連の証言は全体としては窒息死の可能性が高いものの、剖検時に気管内に異物が残存していなかった事からそうとは断定し得なかった経緯を如実に示すものというべく、結局前記(一)の事実をもって、前記1の認定を覆えすことはできないものといわざるを得ず、他に叙上の認定を左右するに足りる証拠はない。
四 請求の原因3(二)気道確保及び呼吸管理上の過失について
1 前記二のとおり、金医師は、昭和五四年一二月二九日午後七時三〇分ころ美保を約五分間診察した結果熱性けいれんであると診断し、けいれんが継続しているため入院の措置はとったもののその後午後八時三五分ころになって自ら病室へ行くまでの間、午後八時三〇分ころ、フェノバール追加筋注の指示をした以外何らの診察、指示、処置をせず、また午後八時三五分ころようやく病室へ行った後も馬込の吸引を見守るのみで何らの診察、指示、処置をしなかったのである。
その結果、美保に対する処置は全て西下、馬込にそれも大部分は医療従事者として無資格である馬込に委ねられ、美保は午後七時四〇分ころにはけいれん重積状態に陥りながら、約一時間にわたり、あおむけに寝かされ、鼻腔がつまったまま、口腔内に舌圧子とガーゼが挿入され、その上から酸素マスクをあてて酸素吸入をされ、既に強度の呼吸困難を来たした後である午後八時三〇分すぎころ、鼻腔吸引が開始されたのみで、他の処置は何らなされず、放置されたのである。
2 ところで、前記三1の事実に《証拠省略》によれば次の事実が認められる。
けいれんは、種々の誘因によって中枢神経系の異常興奮が起った結果全身あるいは一部の筋群に強い攣縮がくるものであり、全身的あるいは局所的けいれん発作が頻発あるいは一〇分間以上持続し、その間意識障害を認める状態をけいれん重積状態という。けいれん発作、特にけいれん重積状態においては、必ず多少とも自律神経症状を伴い、口腔内分泌、顔面蒼白、呼吸困難が出現し、嘔吐による吐物及び口腔内分泌物の誤飲、誤嚥により、窒息し、早期に致死的経過をとる危険性が高い。また、抗けいれん剤フェノバールを投与した場合には、口腔内分泌物を増加させ、また呼吸抑制をきたすことが多い。
したがって、けいれんを起こしている患児に対しては、仰臥位を避けて側臥位にし、頭部を躯幹より下げ頸部を伸展させ下顎を挙上させた姿勢をとらせ、口鼻腔内分泌物を吸引し又はガーゼを取り除いて気道を確保し、栄養チューブ等を経鼻的に挿入し胃内容物を吸引して、口鼻腔内分泌物もしくは吐物の誤飲による窒息を防ぐことが必要である。更に前記措置によっても気道確保が困難な場合には、エアウェイを挿入する必要があり、また、気道が確保されていることを前提にして適宜酸素吸入等の措置を講ずる必要がある。そして、これらの措置を行なうにあたっては患者を刺激し、けいれん発作を誘発しないよう静かに丁寧に行なわなければならない。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
3 右事実によれば、金医師としては、午後七時三五分ころ美保を入院させる時点で、美保の気道を確保し吐物等の誤飲を防ぐ右2の諸処置を自らもしくは看護婦らに指示して講ずべきであったのであり、また、入院後美保が重積状態に陥ってからはより一層厳重に右処置を講ずべきだったにもかかわらず前記1のとおり、これをいずれも怠ったものである。この金医師の不作為は医師として当然行うべき注意義務を怠ったものといわざるを得ない。
4 金医師が本件事故当時、被告との雇傭契約に基づき診療に従事していたことは前記1のとおりであるから、被告は民法七一五条一項に基づき、原告らに生じた後記損害を賠償する責任がある。
五 請求の原因4(損害)について
1 美保の逸失利益と原告らの相続
美保が死亡当時満一歳の女児であったことは前記二1(二)の認定のとおりである。
ところで、美保は、本件医療過誤に遭遇しなければ満一八歳から満六七歳までの四七年間稼働することができたものと推認され、その間の得べかりし利益を昭和五九年度賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計、年齢計の女子労働者の年間平均給与額(二一八万七九〇〇円)を基準とし、生活費としてその五割を控除したうえライプニッツ式により現価を計算すると次のとおり八六七万一七四一円となる。
二一八七九〇〇円×七・九二七×(一-〇・五)=八六七万一七四一円
原告らが美保の両親であることは前記認定のとおりであるから原告らはそれぞれ各二分の一ずつ四三三万五八七〇円を相続したものと認められる。
2 葬儀費用
弁論の全趣旨によれば、原告保雄が、亡美保の葬儀関係費用として五〇万円を支出し、同額の損害を蒙ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
3 慰謝料
原告両名が美保の両親であることは前記一のとおりであり、前掲《証拠省略》によれば、美保は原告両名の唯一の子供であったところその死亡により原告両名は筆舌に尽し難い精神的打撃を受けたこと、美保の死因の解明、説明について被告は誠意をもって応答しなかったこと、その後昭和五六年一月七日に次女麻由美が誕生したことによって原告両名はようやく精神的に立ち直ることができたことが認められ、右事実並びに美保が被告病院に到着してから死亡に至るまでの被告病院のとった措置、殊に金医師の過失の態様・程度、逸失利益の算定において養育費を控除していないこと(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一五〇〇頁参照)など諸般の事情を総合勘案し、原告両名の慰謝料は、各々七〇〇万円をもって相当と認める。
4 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば原告らが本件訴訟の提起及び追行を弁護士宮原哲朗、同横山哲男、同須網隆夫、同松井茂樹に委任することを余儀なくされたこと、原告主張の報酬を支払うことを約したことが認められ、本件の事案の性質、難易度、審理の経過等を総合勘案し、本件と相当因果関係のある弁護士費用は二〇〇万円(原告らは各二分の一の一〇〇万円)をもって相当と認める。
5 よって、被告が原告保雄に賠償すべき損害額は一二八三万五八七〇円、原告誉子に賠償すべき損害額は一二三三万五八七〇円となる。
六 結論
以上の次第で原告らの本訴請求は、被告に対し、原告遠藤保雄につき金一二八三万五八七〇円、原告遠藤誉子につき金一二三三万五八七〇円及び右各金員に対する不法行為の日である昭和五四年一二月二九日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 篠田省二 裁判官倉吉敬、同草野真人は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 篠田省二)