東京地方裁判所 昭和58年(ワ)70675号 判決 1985年11月29日
原告
伊藤栄
右訴訟代理人弁護士
成田茂
被告
和泉産業株式会社
右代表者代表取締役
大岩根幹夫
右訴訟代理人弁護士
松崎勝一
石井正行
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は異議申立の前後を通じ原告の負担とする。
三 原、被告間の当庁昭和五八年(手ワ)第一八四〇号約束手形金請求事件の手形判決を取消す。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 原告
1 被告は原告に対し、金三八四万円とこれに対する昭和五七年一二月三一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 被告
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は別紙目録記載の約束手形(以下「本件手形」という)を所持している。
2 被告は本件手形を訴外セカイ物産株式会社(以下「セカイ物産」という)宛振出した。
3 セカイ物産は、割引のため、拒絶証書作成義務を免除して裏書しこれを訴外富士銀行に譲渡した。
4 本件手形は右富士銀行により呈示されたが、支払いを拒絶された。
5 原告は、セカイ物産の同銀行に対する債務の保証人となつており、セカイ物産が債務を履行できなくなつたため、保証債務を履行し、右銀行より本件手形の譲渡を受けたものである。
よつて、原告は被告に対し、約束手形金三八四万円と満期より完済まで、手形法所定年六分の割合による利息の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告が本件手形をセカイ物産宛振出し、原告が所持することは認める。
2 その余の事実は知らない。
三 抗弁
1 本件手形は、被告がセカイ物産に融通のため振出したものである。即ち、セカイ物産の代表取締役である原告と、その実子訴外伊藤操とが、事実上経営管理するに至つた訴外三輪産業株式会社(以下「三輪産業」という)の代表者成瀬進吉に対し、セカイ物産の資金繰りのため、被告に融通手形を求めることを指示し、被告は右成瀬進吉の求めに応じ、満期を三日前とする三輪産業の手形を見返り手形として受取り、セカイ物産のため振出した融通手形の内の一通である。
2 三輪産業の振出した本件手形の見返り手形が不渡りになつたので、被告は契約不履行を理由に本件手形金の支払いを拒絶した。
3 原告は、セカイ物産の代表取締役であり、右事情を知りながら取得したものである。
4 仮にセカイ物産と原告の間に、善意の第三者である富士銀行が介在しているとしても、セカイ物産は原告とその子である訴外伊藤操が実権を握つていた同族会社で、原告はその代表取締役の地位にあり、セカイ物産の富士銀行に対する手形取引等の債務を担保するため自己の不動産に多額の根抵当権を設定していたという関係にあつたので、セカイ物産と原告とは実質上も経済上も一体と認められるべきであるところ、本件手形は、セカイ物産が富士銀行に対し債務の履行をなし得ないため、原告が保証債務を履行して弁済をなし、富士銀行から譲り受けたものであつて、これはセカイ物産が本件手形を受戻し、戻裏書を受けたと同一に評価すべきである。
よつて、被告は原告に対し、セカイ物産に対する抗弁をもつて対抗しうるものである。
四 抗弁に対する原告の主張
抗弁事実はすべて否認する。
本件手形は、被告が原告より合成樹脂加工品を買受け、その代金支払いのため、振出したものである。
即ち、本件手形は、三輪産業が自己の信用を補完するために被告をセカイ物産に紹介し、セカイ物産と三輪産業との取引の間に被告を介入せしめたものであり、三輪産業倒産のリスクは被告が負担すべきものである。
第三 証拠<省略>
理由
一本件手形を、被告がセカイ物産宛に振出したこと、及び本件手形を原告が所持していることは当事者間に争いがない。
二<証拠>によれば、本件手形は、セカイ物産が割引きのため訴外富士銀行に裏書譲渡し、同銀行により、支払期日に呈示されたが、被告は契約不履行を理由に支払いを拒絶したので、セカイ物産が同銀行に対し、負担する債務の保証人となつていた原告は、セカイ物産に代位して本件手形買戻義務を履行し、同銀行より同銀行の裏書を受けないまゝ、受取つたものであることが認められる。
三本件手形振出の原因について。
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
1 セカイ物産は、昭和五三年ころ訴外成瀬進吉が合成樹脂加工を業とする三輪産業を設立するに当り、資本金の一部を貸付け、加工機械二台を貸与し、加工原材料(塩ビシート)を卸すなど、かなり密接な関係を有していたところ、三輪産業は次第に、塩ビシート代金及び機械のリース料を滞納する状態となつたので、セカイ物産はこの債権を確実に回収すべく、三輪産業が加工した製品を自己が買受けることとし、第三者に売却することを禁止するなどして累積した債権とを逐次相殺し、三輪産業の人件費その他の必要経費のみ支払うといつたいわば経営管理の状態をとるようになつた。
2 このような状態に立ち至つた中で、昭和五七年春頃、三輪産業の代表者成瀬進吉は被告に対し、セカイ物産の資金繰りのため、三輪産業振出の交換手形(満期は三日前、金額は謝礼分を上乗せしたもの)を振出すとの条件で、被告がセカイ物産からの商品買入れ名下に、被告の手形を振出して融通してくれるよう申入れ、被告はその旨承諾した。そこで、右成瀬進吉が被告に対し、満期、金額を打合せた上、三輪産業の手形を交付すると、その翌日ころ、セカイ物産の事務員がセカイ物産作成、被告宛の代金請求書(金額は右成瀬進吉と打合せたとおり)を持参し、その都度被告振出の手形を持ち帰るといつた型式で、前後四回合計九通の約束手形を被告がセカイ物産宛振出すに及んだ。本件手形はその中の一通である。
3 三輪産業の右交換手形は、四枚目まで決済されたが、五枚目以降は、三輪産業及びセカイ物産が共に昭和五七年一二月一五日に事実上倒産したため、決済されなかつたので、被告は本件手形を含め、その後の支払期日の手形五枚については、契約不履行を理由にその支払いを拒絶した。
4 被告会社では、会計処理、税務申告上、単に手形だけ振出す操作が難かしいので、売買代金名下に振出す方が都合よく、前示のとおりの成瀬進吉の提案を承諾したにすぎなかつた。
以上認定の事実並に証人伊藤操の証言及び弁論の全趣旨によれば、次のことが推認される。
セカイ物産は、三輪産業から買入れた樹脂加工製品を、再び三輪産業に売ることとし、その間に被告を介入せしめて、三輪産業の低下した資力による危険を回避し、且、三輪産業に対する累積した売掛金、リース料を被告から回収することを意図し、三輪産業の代表者成瀬進吉を通じ、被告に対し、右取引の介入につき交渉させたのであるが、右成瀬進吉はセカイ物産の右意図を被告に伝えることができず、単に商品代金名下にセカイ物産に手形を融通してくれるよう申入れ、交換手形として三輪産業の手形を交付し、これはセカイ物産が決済する旨附言したので、被告はセカイ物産の資力を簡易にチェックしただけで、これに応じたものである。
以上によれば、セカイ物産と被告との売買契約は当事者に意思の合致がなく、更に被告と三輪産業との売買は、その外観すら認められない上、商品の流れについても殆ど証拠がないので、本件手形の原因関係としては、被告のセカイ物産に対する融通関係が残るのみであるといわざるを得ない。見返り手形がセカイ物産振出でなく三輪産業振出の手形であることは、融通手形の認定を妨げるものではない。けだし、融通手形というに必ずしも見返り手形の交換を要するものではないからである。
右認定に反する<証拠>はにわかに措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。
四次に、被告のセカイ物産に対する右融通手形の抗弁をもつて原告に対抗しうるかについて案ずる。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
1 セカイ物産は昭和四三年一月一一日、伊藤株式会社の商号で設立され、セカイ物産株式会社と商号を変更されて現在に至るまで、終始原告が代表取締役である。
2 取締役には、原告の息子伊藤操、原告の妻伊藤重子、原告の娘伊藤恵子、その他一名が登記簿に記載されており、セカイ物産の事務所には、原告と伊藤操の他には男子従業員、女子従業員各二、三名が出務し、営業する同族会社であり、実権は原告とその息子伊藤操が握つていた。
3 原告は右富士銀行に対するセカイ物産の債務の担保として、原告所有の埼玉県越谷市所在の宅地及び居宅、原告が他に代表取締役となつて経営する伊藤株式会社の中軸資産である台東区浅草橋所在の伊藤ビル(鉄筋コンクリート造陸屋根、屋上二階、地階付五階建)及びその敷地を共同担保として根抵当権を設定していた。
以上の事実並に前示認定の各事実を総合すれば、セカイ物産と原告とは実質上、経済上一体と認めることができる関係にあるほか、セカイ物産に代位して本件手形を受戻したものであり、また富士銀行の裏書もなく、同銀行は原告から遡求されず、また被告に対しても遡求し得ない関係にあることを併せ考察するに、原告の本件手形の取得は信義則上、右銀行からセカイ物産が受戻したと同一に評価すべきである。
結論
以上によれば、被告の抗弁は理由があり、本訴請求は棄却すべく、本件につき先になされた手形判決を取消すこととし、訴訟費用の負担につき、民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官矢部紀子)