東京地方裁判所 昭和58年(ワ)8721号 判決 1985年12月18日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
斎藤栄治
被告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
仲田信範
森井利和
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明け渡せ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二 当時者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和五四年一一月三〇日、本件建物を福島義江(以下「福島」という。)から、期間昭和五五年一月一日から三年、賃料一か月一七万円保証金一五〇〇万円を差し入れるとの約定で賃借し(以下「本件賃貸借契約」という。)右建物の引渡しを受けた。
2 被告は、昭和五六年七月下旬ころから、本件建物を占有している。
3 よつて、原告は被告に対し、賃借権(右1の事実によれば排他性のあるものである。)に基づく妨害排除請求として、被告に対し、本件建物の明渡しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。ただし、後記のとおり、原、被告間においては、本件建物の賃借権は両者の準共有に属するものである。
2 同2の事実は認める。
三 抗弁
1 原告と被告は、昭和三五年三月二九日結婚式を挙げ、昭和三八年一二月一一日婚姻の届出を了した夫婦であつて、本件建物の賃借権は、原、被告が婚姻中に協力して取得し、原、被告は本件建物において喫茶店「○○○○」(以下「本件喫茶店」という。)を経営してきたものであつて、右賃借権は、原、被告間においては、原、被告が準共有するものである。
すなわち、本件建物の名義上の借主は原告であるが、本件建物を賃借するに当たつて出費した保証金、本件喫茶店の内装費用等は、原、被告の婚姻中に形成した財産から支出され、原、被告間の婚姻関係が破綻した後は、被告が本件建物の賃料を支払い、昭和五八年一月一日からの更新に当たつての更新料も被告において支払つた。右のように夫婦が婚姻中にその協力によつて形成した財産は、夫婦の一方名義であつても、少なくとも対内的関係においては夫婦の共有財産であるから、本件建物の賃借権は、原、被告間においては準共有関係にある。
したがつて被告は本件建物について占有権原を有するものである。
2 原告は、昭和五四年一一月、被告に対し、本件建物の賃借権を贈与した。
3 被告は、本件建物において本件喫茶店を経営し、その売上げによつて生活を支えており、本件建物を明け渡すと生活に困窮する。
原告の本件訴えは、被告を財政面から困窮させ、原、被告間の離婚訴訟(現在東京高等裁判所に係属中)の遂行を被告をして断念せしめる意図をもつてなされたものである。
このような意図をもつてなされた原告の本件建物明渡請求は、権利の濫用であつて許されない。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実中、原、被告が、それぞれ原告主張の日に、結婚式を挙げ、婚姻の届出を了した夫婦であることは認めるが、その余の事実は否認する。本件建物の賃借人は原告のみであり、被告は本件建物の賃借権について持分をもつものではない。被告のいう持分とは末だ顕在化しない潜在的持分にすぎず、離婚成立の場合の財産分与等によりはじめて顕在化するものであり、このような末だ権利とはいえない潜在的持分に基づき本件建物について占有権原を主張することは許されない。本件建物を賃借後、原告は、本件喫茶店を開店したが、時計修理の仕事を続ける必要があつたため、本件建物における喫茶店経営の事務処理を被告に委ねていたものであるが、被告は、昭和五六年七月三日原告から深夜帰宅したことを注意されたのを契機として原告と別居し、同月下旬ころ本件建物の鍵を取り替え、原告が本件建物に出入りできないようにするなど不信行為をなしたので、原告は被告に対し、昭和五八年九月三日到達の本件訴状をもつて、右委任を解除する旨の意思表示をした。
2 抗弁2の事実は否認する。
3 同3の事実及び主張は争う。
五 再抗弁
被告は、昭和五六年七月末ころ、原告に無断で本件建物の鍵を取り替え、原告の求めにもかかわらず、取替え後の鍵を原告に交付せず、原告の占有を排し独占して占有するに至つたものであつて、不法占有者と同視すべきものである。また、原告は、子供二人を抱えて生活費に窮し、生活を維持するためには早急に本件喫茶店の権利を売却する必要があり、そのためには被告の本件建物明渡しが不可欠であるところ、被告は、かつて昭和五五年一一月ころ本件店舗の売却に同意したこともあり、原告が本件喫茶店の権利を売却できた場合に売得金の一部を被告にも交付することを述べて、本件喫茶店の権利の売却や本件建物の明渡しに協力するよう求めているのに、被告はこれを拒否しているものであり、このような事情からすれば、被告が本件建物につき賃借権の準共有を主張して明渡しを拒むのは権利の濫用として許されない。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁の事実及び主張は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
二そこで被告の抗弁1について判断する。
1 原、被告が昭和三五年三月二九日結婚式を挙げ、同三八年一二月一一日婚姻の届出を了した夫婦であることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実並びに前記争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、<証拠>のうち、右認定に牴触する部分は措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。
(一) 原告と被告は、昭和三五年三月二九日、結婚式を挙げて事実上の婚姻をし、同三八年一二月一一日婚姻の届出を了した夫婦であり、その間に長男A(昭和四二年一月二日生)、二男B(同四四年六月八日生)の二子がある。
結婚当初、原告は、時計組立工として勤務していたが、昭和四一年原告肩書住所地に店舗と住居を借りて、同年七月一日、主として時計修理業を営む甲野時計店を開店し、間もなく勤務先も退職し、同時計店の経営に専念した。甲野時計店は、昭和四二年ころから、日栄社、東洋時計株式会社等から時計修理を比較的大量に下請するなどして、その経営は、昭和五二年ころまでは、きわめて順調に推移し、原告は、夜間や日曜日まで働くことが多く、被告も、家事、育児のほか、同時計店の店番をしたり、修理の注文の時計を取りに行つたり、修理のできた時計を届ける等の手伝いをし、昭和四七年七月ころからは乗用自動車で右時計の運搬をした。
しかし、昭和五二年ころからクオーツ時計が一般に普及し、そのころから時計修理の需要が急速に減少し、原告方でも修理の仕事が減少して経営が悪化し、原、被告は、将来の生活設計を話し合い、被告の発案により喫茶店を開くことになつた。
被告は、喫茶店を開店するための店舗である本件建物を見つけてきたし、近所の人にも、今度は自分が働く番だと言つたりしていた。
昭和五四年一一月三〇日、福島との間で、原告が本件建物の賃貸借契約を締結し、同五五年一月二三日、喫茶店「○○○○」(本件喫茶店)を開店したが、原告は、本件喫茶店開店後も引き続いて時計の修理に従事し、本件喫茶店は被告がその経営に当たることとなつた。
本件喫茶店の営業成績は赤字が続き、被告は当初は毎晩原告に伝票を渡し営業報告をしていたが、その後同年四月下旬ころからは営業報告をしなくなり、帰りも遅くなつた。同年五月ころ、原告が、帰りの遅いのをなじると、被告は「別れたい」と離婚の意思を表明するに至つた。同年一〇月ころには、被告は、アパートを賃借して家を出るための荷物の整理をはじめたが、叔母の乙川月子らの説得で思いとどまつた。その後も、原、被告間の夫婦仲はうまくいかず、昭和五六年五月ころからは、被告の帰宅が遅く、外泊することもあつた。同年七月三日ころ、被告の帰宅が遅いのを、原告が、どこに行つてきたかなどと詰問し、被告の応待に腹を立て、更に被告になぐりかかろうとしたところ、被告は原告方を逃げ去り、当夜は、妹の丙山雪子方に身を寄せ、その後は原告が電話等で戻るように説得したが、原告方へは戻らなかつた。そして同年八月ころには、本件喫茶店の鍵を作り変えて、原告の要求にもかかわらず、原告に対しては新しい鍵を渡さなかつた。
本件喫茶店の経営状態は、その後も赤字が続いていたが、昭和五九年七月から、それまで二人いた店員を一人減員して経費を減らしたため、一か月金一五万円ないし二〇万円の黒字に転じている。
その間、昭和五六年八月、被告から夫婦関係調整の調停申立てがされたが不調となり、昭和五七年四月には、被告から原告に対する離婚訴訟が当庁に提起され、裁判所は、昭和六〇年七月一九日、原、被告間の婚姻を継続するのはもはや困難なようにも思料されるが、被告の離婚意思自体が自己本位の生活態度に根差すものといわざるをえないものであり、原、被告間の婚姻が右のような状態に立ち至つた責任は主に被告にあるとの理由により、離婚請求を棄却し、右判決に対し被告が控訴し、右事件は現在東京高等裁判所に係属中である。また原告から被告に対し婚姻費用分担の調停申立てが東京家庭裁判所に対してなされ、昭和五八年一一月一四日、当事者間に、被告が原告に対し昭和五八年一一月から婚姻又は別居解消に至るまで月額三万円を支払う旨の調停が成立している。
別居後は本件建物の賃料は被告において支払つており、昭和五七年末に本件建物の賃貸借契約の期間が満了した際には、被告において更新料を出捐し、原告名義で賃貸借契約を更新した。
(二) 原告は、昭和四六年、東京都府中市内に約二〇坪の土地を代金七〇〇万円で買い入れたが、右買入資金は、被告の父丁田松男から金一〇〇万円の援助を受け、金融機関から金四〇〇万円を借り入れ、そのほかは、時計店の営業収益によつて形成された自己資金によつた。
その後、原告は、昭和四七年一二月一二日、原告肩書住所の建物(一階は甲野時計店の店舗と原告の住居、二階はアパート)及びその敷地を代金合計金二一八〇万円で購入した(所有権移転登記は原告名義。)が、右買受資金中金二〇〇〇万円は原告が金融機関から借り入れた。
原告は、右建物を取り壊して、昭和五〇年一二月、右土地上に新建物を建築し、原告持分四分の三、被告持分四分の一とする所有権保存登記が経由された。右建物は一階に賃貸店舗用の四部屋があり、二階は杉村時計店の仕事部屋や原告の住居とされた。右建物新築資金は、家具、調度品購入代金も含めると約金一八〇〇万円であり、内金一四〇〇万円を原告が金融機関(巣鴨信用金庫)から借り入れた。
前記のように原告が本件建物を借りて本件喫茶店を開店し、その資金として、右建物の賃借保証金一五〇〇万円、造作代等約金七〇〇万円合計金二二〇〇万円を要したが、そのうち金一六〇〇万円は、前記府中市の土地約二〇坪を売却した代金で、金五〇〇万円は巣鴨信用金庫から原告が借り入れ、残余は手持資金を用いた。
2 右認定の事実によれば、本件建物の賃借権取得及び本件喫茶店開店のために要した本件建物の賃借保証金一五〇〇万円、造作代等約金七〇〇万円合計金二二〇〇万円のうち、金一六〇〇万円は、府中市の土地約二〇坪を売却した代金でまかなわれたものであるが、右土地買い入れ資金は、被告の父からの援助、金融機関からの借入れと自己資金によつており、被告も原告の時計修理業を手伝つて、右自己資金の形成や右借入金の返済に貢献しているものとみられるのであり、このような事情からすれば、右土地は原告の名義で購入されたとはいえ、原被告間においては実質的に共有であると認められ、右土地の売却によつて得られた金員も両者に属するものと考えられ、また手持資金の形成については被告の貢献があるものと考えられる。したがつて、これらを資金として取得された本件建物の賃借権は、その賃貸借契約が貸主と原告との間で締結されているとはいうものの、原、被告が婚姻中に協力して取得した財産であつて、実質的には共有(準共有)に属するものとみるべきであり、右事実に前記認定の本件喫茶店を開店するに至つた事情を総合すれば、本件喫茶店も、原、被告の共同経営によるものとみるべきである。
(このように、婚姻中夫婦の協力により取得されたが、名義上は夫婦の一方のものになつている不動産等の財産については、対外的には、経済取引の形式的画一性等の要請から形式的名義が尊重されなければならず、その名義者が当該権利を有するものとすべきであるが、対内的には実質的に共有として扱うべきものと解される。)
3 ところで、不動産の共有者の一人が右不動産を占有する場合には、自己の持分によつて共有物を使用収益する権原に基づいて占有しているものであるから、他の共有者は(たといそれが多数持分権者であつても)当然には、右不動産の明渡しを求めることができないものであり(最高裁判所昭和四一年五月一九日判決、民集二〇巻五号九四七頁)、この理は、不動産の賃借権が準共有されている場合に、右不動産を現実に支配占有している準共有者に対して他の準共有者が明渡しを求める場合にも同様に妥当するものと解される。本件についてこれをみるに、本件建物の賃借権は、原、被告間においては(すなわち、賃貸人等第三者に対する関係については別として)、実質的に共有であると解されること前記のとおりであるから、右賃借権の準共有者の一人である原告が他の準共有者である被告に対し、賃借権に基づいて本件建物の明渡しを求めることはできないものというべきである。
なお、原告は、本件喫茶店開店当初から本件喫茶店経営事務処理を被告に委任していたところ昭和五八年九月三日到達の本件訴状をもつて右委任を解除したと主張するけれども、前記のように本件建物の賃借権が原、被告の準共有に属し、本件喫茶店の経営も原、被告の共同経営であるというべきであるから、本件喫茶店の経営の事務処理につき、原告がその委任を解除したものとしても、そのことによつて被告が賃借権を準共有する本件建物の明渡しを求めることはできないものというべきである。
三次に原告の再抗弁について検討する。
被告が、昭和五六年七月末ころ、原告に無断で本件建物の鍵を取り替え、その後原告の求めにもかかわらず、取替え後の鍵を原告に交付しないことは、前記認定のとおりである。しかし、本件建物(喫茶店)賃借当時は、原、被告の婚姻生活は一応平穏に行われていたところ、その後円滑さを欠くようになり、昭和五六年七月上旬には、被告が別居するまでに至り、被告が本件建物の鍵をとりかえたのはその後であつて、原告との紛争を前提として被告の生計のよりどころとなる本件喫茶店の占有を確保するためであると推認されるのであり、前記認定のように本件建物の賃借権が単に原告にのみ属するのではなく、原、被告の準共有に属することを考慮すると、右のように本件建物の鍵を取り替え、その後本件建物を事実上単独で占有していることをもつて、不法占有者と同視すべきであるとの原告の主張は肯認しがたい。また、<証拠>によれば、原告は、時計修理の仕事が少なくなり、賃貸店舗も空室があるなどの理由から、金融機関に対する借金や生活費など支出を上回るだけの収入が得られず、生活に困窮していることが窺われるが、他方、<証拠>によれば、被告も本件店舗からの収入が唯一の生活の糧となつていることが認められるので、右のように生活に困窮している原告が本件店舗を他に売却するため被告に対し本件建物の明渡しを求めるのを被告が実質上賃借権の準共有者であることを理由として拒否しているとしても、それが権利の濫用であるとまでいうことはできないものと考えられる。(なお、<証拠>によれば、被告は、昭和五五年ころ、一旦は本件喫茶店の権利の売却に同意したことが認められるが、これは原、被告が別居する以前のことであり、しかも、<証拠>によると、当時本件建物での喫茶店経営による収入が上がらず、被告は、原告からその点を再三指摘されたうえで売却の同意を求められたのでやむなく同意したものであり、その後事情も変化し、前記のとおり、本件喫茶店は、原告と別居した被告が生活の資を得るために必要不可欠となつているものであることなどを考慮すると、かつて本件喫茶店の権利の売却に同意したとの事実を考慮しても、右結論を左右するものではない。また原告は、本訴において、本件喫茶店の権利の売却代金の一部を被告にも分け与える旨を述べているが、このことを考慮しても前記結論は異ならない。)。
四よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官岡﨑彰夫)