東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)140号 判決 1996年2月28日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
小林雄三
同
岡田優
被告
株式会社朝日新聞社
右代表者代表取締役
中江利忠
右訴訟代理人弁護士
久保恭孝
同
秋山幹男
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、「朝日」「読売」「日本経済」「毎日」「サンケイ」の各新聞全国版紙上に、「朝日新聞の富士見病院事件に関する報道(被告の昭和五五年九月一二日付朝刊に掲載した『富士見病院は健康なのに開腹手術』『でたらめ診療、被害者数百人か』『次々子宮など摘出』等)の内容、主旨は事実に反し、被害者同盟擁護に偏り正確な報道でなかったことについて謝罪する」との趣旨を各朝刊に広告掲載(縦七糎以上、横七糎以上の大きさ)せよ。
2 被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一一月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、その発行する昭和五五年九月一二日付朝日新聞朝刊社会面に、「健康なのに開腹手術」「無免許経営者が診断」「次々と子宮などを摘出さす」「でたらめ診療 被害者数百人か」「恨み残して自殺も」「『入院して手遅れ』と遺書」等の見出しのもとに、当時原告が院長を勤めていた芙蓉会富士見産婦人科病院(以下「富士見病院」という。)が病院ぐるみで、多数の健康な患者に対し開腹手術を行ったと大々的に報じる別紙のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。
本件記事は、数百人もの健康で手術の必要のない患者が、でたらめな診療の結果、次々と子宮等を摘出された、即ち、原告が医療行為の名の下に傷害罪に該当する行為を行ったという趣旨の記事である。
2 右記事が掲載されたことで、原告の名誉は回復しがたいダメージを与えられ富士見病院は閉鎖に追い込まれ、原告は職を失い永年築き上げた医師としての信用を失った。その結果、原告は平成六年一月浦和地方裁判所川越支部において破産宣告を受け、所沢医師会はまだ原告を除名したままであり、そのために原告は日本産婦人科学会の認定医でありながら優生保護法指定医の資格を得られていない。これらの原告の精神的・財産的損害の合計は金銭に換算して少なくとも金五〇〇〇万円を下らない。
3 よって、原告は、被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告の掲載並びに損害賠償金五〇〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和五八年一一月一二日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1(一) 請求原因1の事実のうち、被告が昭和五五年九月一二日付朝刊に本件記事を掲載した事実は認める。
(二) 本件記事の趣旨内容については争う。本件記事は、富士見病院理事長甲野太郎(以下「太郎」という。)が医師の免許がないのに超音波断層診断装置を操作してその結果を患者に直接告げる等の診療行為を続けていた医師法違反容疑で逮捕されたこと、それに付随して太郎が実際には健康体ないし手術の必要のない軽症の者に「直ちに手術しなくては危ない」等の診断を下し、病院内で開腹手術を行っていたとの記載であり、原告の行為についての報道ではなく原告の氏名は本件記事中に掲載されていない。
(三) 本件記事は「同県警では医師たちがどういう判断の下に手術をしたか事情を聴くことにしている」「手術そのものは、同病院に勤務する医師らが執刀していたが(中略)今後の捜査によっては、同病院の医師らが、甲野(太郎)の医師法違反の共犯になる可能性もあるとみられる」「甲野(太郎)の診断によって開腹手術を受けた女性のうち、健康体または手術の必要のなかった者は、かなりの数にのぼるとみられる」と記載しているが、原告が手術を行ったとは記載しておらず、原告に医師法違反の共犯の容疑があるとも記載していない。
(四) また、原告は本件病院の院長ではあるが経営者ではなく、病院ぐるみで健康な者に対し開腹手術を行ったと記載したものでもない。
本件記事は、原告自身が手術の必要のない患者の子宮等を摘出したとは記載していないし、傷害罪に該当する行為を行ったとも記載しておらず、一般読者をしてそのように読ませる記事内容でもない。
(五) したがって、本件記事は、原告の名誉を毀損するものではない。
2 請求原因2の事実のうち、富士見病院が閉鎖された事実は認め、その余の事実はいずれも否認ないし不知。
3 請求原因3の主張は争う。
三 抗弁
1 本件記事の真実性
(一) 本件記事は、医療法人の理事長が医師免許がないのに超音波断層診断装置を操作して診断を下していたとして医師法違反で逮捕されたことを報道するとともに、同理事長の診断によって開腹手術を受けた患者のうち、健康体または手術の必要がなかった者は、かなりの数にのぼるとみられることを報じたものであり、公共の利害に関する事実について、専ら公益を図る目的で掲載されたものであることは明らかである。
(二)(1) 新聞記事について、名誉毀損の不法行為責任が免責されるための真実証明は、記事の主要部分についてなされれば足りるとされているが、本件記事の見出し及び本文の趣旨、内容からすれば本件記事の主要部分は次のとおりであると考えられる。
a 富士見病院の理事長太郎は、医師の免許がないのに超音波断層診断装置を操作し診断を下していたとして医師法違反で逮捕された(以下「a部分」という。)。
b 右医師法違反(でたらめ)診療の摘発で直接の「被害者」とされる患者は十数人と見られるが、地元保健所や医師会のこれまでの調査では、「被害者」数はこの数年間で数百人にものぼるとみられる(以下「b部分」という。)。
c 「被害」にあったと訴えている女性たちの話によると、太郎は「子宮がん」「子宮筋腫」「卵巣腫瘍」などの病名をあげ、「子宮が腐っている」「あなたの卵巣は腐りかけている」「ただちに手術しなければあぶない」等と患者に告げて、入院させ、医師の手で子宮や卵巣の摘出手術(開腹手術)をさせていたケースも相当数あった(以下「c部分」という。)。
d 太郎から手術を受けるように指示された患者が別の病院で診断を受けてみると「異常なし」と診断されるケースが多発した(以下「d部分」という。)。
e 太郎の診断によって開腹手術を受けた女性のうち健康体または手術の必要のなかった者が、かなりの数にのぼるとみられる(以下「e部分」という。)。
(2) a部分は真実であり、本件でも争点ではない。
(3) b部分については、太郎は、昭和四八年六月から同五五年九月に逮捕されるまで超音波断層診断装置を操作して患者に対する超音波検査を継続して行ってきたもので、同四八年一〇月以降は医師の監督を受けず単独で検査を行い、独自に患者の具体的症状・病名を診断し、入院・手術を勧めていた。この間、太郎の超音波検査を受けた患者は約八〇〇〇人に及ぶところ、病名を告知し入院・手術を勧めるいわゆる「コンサル」を受けた患者はその約八割であった。
したがって、太郎の無資格診療の被害者は数百人以上であったことは明らかで、b部分は真実である。
(4) c部分についても、太郎が超音波検査を行った上で、多数の患者らに対し「子宮がん」「子宮筋腫」「卵巣腫瘍」等の病名を次げ、「子宮が腐っている」「あなたの卵巣は腐りかけている」「ただちに手術しなければ危ない」等と言い、入院手術を勧め、子宮や卵巣の摘出手術を受けさせていたことは、太郎に対する医師法違反被告事件判決(確定)の認定事実及び富士見産婦人科の元患者らの各陳述書、本人調書から明らかである。
(5) d部分については、太郎から子宮筋腫や卵巣嚢腫の疾患があると診断され、入院・手術を受けるように指示された患者が、他の医療機関で診察を受けたところ「異常なし」あるいは「手術の必要なし」とされたケースが多発していたことは次のとおり明らかである。
① 太郎に対する医師法違反被告事件判決によると、訴因番号1ないし66の患者六六名は、太郎から子宮筋腫や卵巣嚢腫等があると診断され、入院・手術等を告知されているが、うち四三名の患者は別の医療機関で「異常なし」「手術の必要なし」と診断されている。
② 富士見病院で診察を受けた後に防衛医科大学校(医科「防衛医大」という。)を受診した患者の資料によれば、富士見病院で子宮筋腫か卵巣嚢腫のいずれかまたは両方があり、手術の必要があると言われたが、防衛医大での内診・超音波検査では異常なしと診断されたものは四七名、富士見病院で子宮筋腫か卵巣嚢腫のいずれかまたは両方があるといわれたが、防衛医大での内診・超音波検査では異常なしと診断されたものは四二名であった。この資料からは右患者らが太郎の超音波検査を受けたかは明らかではないが、富士見病院ではこの時期太郎のみが超音波検査を行っていたことから、右患者のほぼ全員が太郎から超音波検査を受け、病名や手術の必要性を告げられていたものといえる。
したがってd部分も真実である。
(6) e部分について
富士見病院で子宮や卵巣の摘出手術を受けた患者のうち、健康体または手術の必要がないのに開腹手術を受けた者がなかりの数いたことは以下のとおりである。
イ 臓器が残されていた四〇例の鑑定結果
① 病理学の専門家であり産婦人科領域においても研究歴の長い東京都監察医務院副院長である乾道夫博士は、富士見病院に保管されていた四〇例の摘出臓器(子宮・卵巣)について、肉眼的所見及び組織学的所見から病変の有無について鑑定した。その鑑定結果は、右四〇例は富士見病院ではいずれも子宮筋腫との診断を下されていたものであるが、実際に筋腫を認めたのはそのうちの九例であり、さらに実際に手術の必要と考えられるものは一例のみであるというものであった。卵巣については摘出された卵巣の全てが摘出の必要はなかったと判断された。
② 防衛医大法医学教室の井出一三教授は、肉眼的所見及び乾博士の病理組織学的所見並びに富士見病院の診療録記載内容から、富士見病院の診断と所見が一致するか否か、手術の適応の有無を鑑定した。その鑑定結果によれば、同様の四〇例の臓器の摘出手術の適応につき、適応三例、不適当二〇例、卵巣摘出不適当四例、医師の裁量権を尊重すれば不適当と断言できない一三例であった。
③ 慶応大学医学部産婦人科教室(飯塚理八教授・筒井章夫助教授・諸橋侃助教授)は、右と同様の四〇例において、臓器の重量、肉眼的観察及び病理組織学的検索による所見のほか、富士見病院の診療録、検査結果等から、手術の適否について鑑定した。その鑑定結果によれば、右四〇例について、絶対的手術適応二例、相対的手術適応(一般的には手術適応ではないが、刑事責任を問うという観点から、小さな病変でもあれば一応適応したもの)二四例、不適当一四例であり、付属器摘出については不適当三四例、相対的適応六例であった。
ロ 前記飯塚教授、筒井助教授、諸橋助教授は富士見病院らを告訴している元患者三二名について、診療録、摘出臓器の写真、子宮卵管造影レントゲン写真、超音波断層写真等を資料として異常の有無、手術の妥当性につき鑑定したが、その鑑定結果によれば、子宮摘出が三一例中二七例が不適当、四例が相対的適応であり、付属器摘出が三二例中不適当三一例、絶対的適応一例であった。
ハ 防衛医大小林充尚教授によれば、富士見病院で診断あるいは手術を受けた後に防衛医大を受診した患者が多数おり、そのうちの一二二例について分析した結果、そのうち八九例が実際には異常がない健康体なのに富士見病院では子宮筋腫、卵巣嚢腫のいずれかまたは一方があると診断され、うち四七例は手術の必要があると診断されていた。
以上のとおり、富士見病院では昭和四九年ころから同五五年九月までの間において健康体または手術の必要がないのに子宮卵巣摘出の開腹手術を受けた患者が多数いたことは明らかである。そして、これらの患者はほぼ例外なく超音波診断装置による検査を受けており、右機関においてはもっぱら太郎が超音波検査を担当して診断していた。
したがって、e部分も真実である。
2 相当な理由
(一) 抗弁1(一)と同じ。
(二) 本件記事記載に至る取材は以下のとおりであるので、本件記事記載の事実は仮に真実でないにせよ、被告には真実と信じるについて相当性がある。
(1) 富士見病院の太郎理事長は、昭和五五年九月一〇日、医師の免許がないのに超音波断層診断装置を操作して診断を行いその結果を患者に告知する等医業を行ったとして医師法違反の容疑で埼玉県警に逮捕された。
(2) ところが、それ以前から、富士見病院では同規模の他の病院に比べ開腹手術件数が異常に多く、富士見病院では「子宮筋腫」「卵巣嚢腫」で手術必要と診断された患者が他の病院で異常なし、手術不要と診断される例があいつぎ、埼玉県警も傷害の容疑で内偵を進めていた。
(3) これらの事実を知った被告の記者らは、埼玉県警、所沢保健所、患者が再診断を求め訪れた他の病院である防衛医大、所沢医師会関係者、富士見病院の元患者にそれぞれ取材した。
(4) その結果、埼玉県警の傷害の嫌疑ありとする捜査状況、富士見病院の医療監視を行った所沢保健所長の「他の病院に比較して開腹手術が異常に多い」という説明、防衛医大の医師の「富士見病院で要手術とされた患者を診察したところ多くは異常なしまたは手術不要と判断した。摘出臓器のポラロイド写真を精査し手術の必要はないと判断した」旨の発言、富士見病院で診察または手術を受けた患者への裏付け調査の結果に基づき、本件記事記載の事実は真実であると信じた。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1について
(一) 抗弁1(一)記載の事実は、医療問題は公共の利害に大きく関わるという限度で認める。その余の事実は否認する。
本件記事は、所沢医師会と癒着した被告の記者らが、医師会の富士見病院つぶしの陰謀に一役買うべく、意図的に社会問題化する目的で掲載したものである。
(二) 抗弁2(二)記載の事実のうち、太郎が医師法違反容疑で逮捕されたことは認める。
また各鑑定がなされたことは認めるが、その信用性はいずれも争い、その余の事実は全て否認ないし不知である。
本件記事が真実に反するものであることは、昭和五八年八月、原告ほか富士見病院医師らの傷害被疑事件がすべて不起訴処分で終結し、原告らの潔白が証明されたことからも明らかである。
2 抗弁2について
太郎が医師法違反の容疑で逮捕されたこと、埼玉県警が以前から内偵を進めていたことは認める。被告が聞知していたとする事実は不知である。その余の事実は全て否認ないし争う。
医師の診療が適切であったか、手術が医療上相当であったかなどということは、専門的分野に属する事項であり、短絡的に結論を出すことはできず、個々の患者につき詳細にカルテを検討し担当医師から十分に事情を聴取し、他の複数の権威ある専門家の判断を仰いで初めて判断しうるものであるし、また診療当時の患者の状態は実際に診察した担当医師以外には分からないものであるから、被告は事前に富士見病院の医師から詳細に事情を聞くべきであった。
本件記事が掲載された当時、捜査当局が公表している事実は医師法違反の事実のみであり、傷害罪の容疑については公表していない。さらに、被告が他の医療機関に確認している事実は、富士見病院の手術数が他の病院に比較して多いことのみであり、富士見病院が数百人の健康な患者から次々と子宮等を摘出した事実の存否については確認していない。本件記事掲載により原告に生じる被害の大きさは記事掲載以前から予測可能であったのだから、被告は、原告へ確認の上で本件記事を掲載すべきであり、それを怠った被告には過失があるというべきである。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 請求原因について
1 本件記事が朝日新聞昭和五五年九月一二日付朝刊に掲載されたことについては当事者間に争いがない。
2 被害者の特定の有無
名誉毀損の不法行為における被害者の特定については、必ずしも問題となる記事中に実名を表示しなくとも、記事の全趣旨及びその他の事情を総合してそれが誰であるかが相当多数人に推知される場合であれば足りると考えられる。
これを本件についてみると、本件記事中では原告の実名は明らかにされておらず、「現在同病院(富士見病院)の院長で当時独身だった甲野の妻」という表現が用いられているが、甲第一号証の四、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告が、本件記事掲載当時富士見病院の院長であり、太郎と婚姻関係にあることは、原告や富士見病院を知る者のうち相当多数人に了知されていたものであり、「甲野」という姓が記事中で既に判明していることが明らかであるから、本件記事中の前記表現は原告を特定するのに十分であるというべきである。
3 本件記事による名誉毀損の成否
(一) 新聞記事による名誉毀損の成否は、一般読者の普通の注意と読み方を基準にして、当該記事が読者に与える印象によって判断するのが相当である。
これを本件記事について見るに、甲第一号証の四によれば、本件記事は、朝日新聞社会面のトップに大きな扱いをもって掲載され、「健康なのに開腹手術」という極めて衝撃的な大見出し(カット見出し)を掲げ、以下「無免許経営者が診断」「次々子宮など摘出さす」「でたらめ診療被害者数百人か」「恨み残して自殺も」「入院して手遅れと遺書」との見出しのもと、太郎が医師の資格がないのに超音波断層診断装置を使用しその結果を患者に次げる等の医療行為を行っていたという医師法違反の容疑で逮捕されたという内容とともに、これまでの調べの中では太郎が実際には異常のない妊産婦に対し、「子宮が腐っている」等のでたらめな“診断”を下して脅かし入院させた上、「同病院の医師らの手で子宮や卵巣の摘出手術をさせたケースも相当数あったことがわかっている」、更に「手術そのものは同病院に勤務する医師らが執刀していたが、(中略)今後の捜査によっては同病院の医師らが甲野(太郎)の医師法違反の共犯になる可能性もあるとみられる」等の記載がある。
右記事の内容、配列、文言に照らすと、本件記事には「傷害」という字句は一言も使用されておらず、しかも直接には太郎に関する報道であり、原告の行為を報道したものではないが、故意の傷害行為を疑わせるに十分な表現が散見され、更に富士見病院に勤務する医師らが太郎の“診断”に基づき手術を実際に行っていたことが明示されているのであるから、前記の衝撃的な大見出しともあいまって、通常の読者は、本件記事から、太郎及び富士見病院に勤務する原告ら医師が、健康体ないし手術の必要のない患者の子宮や卵巣を摘出するという、刑法上の傷害罪に該当する行為を病院ぐるみで行っていたとの印象を受けるのが一般的であるというべきである。
したがって、本件記事は、富士見病院に勤務する医師らの一人である原告の社会的評価を低下させる内容であると評することができるから、その名誉が毀損されたものというべきである。
二 抗弁について
1 民事上の不法行為である名誉毀損については、その行為が公共の利益に関する事実に係り、かつ、専ら公益を図る目的であった場合、摘示された事実が真実であると証明されたときに、右行為には違法性がなく、また、その事実が真実であることが証明されなくとも、当該行為者においてその事実が真実であると信じたことにつき相当の理由があると認められるときに、右行為には故意または過失がなく、不法行為は成立しないと解される。以下、本件につきこれを検討する。
2 本件記事は、前記認定のとおり、太郎の医師法違反の事実及び太郎や原告を始めとする富士見病院の医師らが傷害罪に該当する行為をしていた旨の事実を報道したものであり、これは公訴の提起されていない犯罪行為に関するものであるから、公共の利害に関する事実であることは明らかである。
また、甲第一号証の四、証人高橋和志及び同竹信悦夫の各証言によれば、本件記事掲載の意図は犯罪報道ないし医療キャンペーンにあると認めることができるから、専ら公益を図る目的が存在したということができる。
3 本件記事の主要な内容は、太郎がでたらめな超音波検査を行った上、実際には健康ないし手術の必要のない患者に対し、故意に「子宮が腐っている」等の“診断”を下しておどかし、これを受けて原告を始めとする富士見病院の医師らが異常のない子宮や卵巣を摘出する手術をしていた事例が数百件あったというものであるから、真実性証明の対象は右事実である。
そこで、右事実が真実であるかどうかの点は暫くおき、被告において当該記事が真実であると判断したことについて、相当の理由があったか否かについて検討する。
4 取材経過等
甲第一一ないし第一三号証、乙第一、第二、第四ないし七号証、並びに証人小島哲雄、同荻野光男、同小林充尚、同高橋和志及び同竹信悦夫の各証言を総合すれば、本件記事掲載に至るまでの被告の記者らの取材経過は、以下のとおりであったことが認定できる。
(一) 昭和五四年五月ころ、被告の所沢通信局長岡本米高記者(以下「岡本記者」という。肩書は当時のものであり、以下同様である。)が、所沢保健所長小島哲雄(以下「小島」という。)及び所沢市医師会長荻野光男(以下「荻野」という。)に対する取材により、富士見病院の手術数が他の病院に比較し異常に多い等の噂の存在を知り、本件記事の端緒をつかんだ。
(二) 同五五年二月の土曜日の午後、岡本記者、被告の西埼玉支局記者高橋和志(以下「高橋記者」という。)、同浦和支局記者竹信悦夫(以下「竹信記者」という。)の三名は、所沢保健所所長室に小島を訪ね、富士見病院をめぐる疑惑について取材した。
この取材に対し、小島は、三名の記者に対し医師会の荻野会長から富士見病院は不要な手術を行っている疑いがあるので調査してもらいたい旨依頼され、また、元患者の富士見病院に関する苦情の投書があり、富士見病院に対し疑惑を持ったこと、防衛医大に医療監視に行った際に富士見病院を受診したことのある患者のカルテ二〇例を調べたところ、その大部分が富士見病院では直ちに手術の必要があると診断されているのに、防衛医大で診察したら異常なしというものであったこと、防衛医大の医師の話によれば他にも同様の事例は多いということであったこと等を説明した。
さらに小島は富士見病院に医療監視に行った際に調べた同病院の手術件数を書いたメモ(以下「小島メモ」という。)を記者らに手渡した。そのメモの内容は昭和五三年一月から同五五年二月にかけての毎月の手術の数で、同五三年が五五〇件、同五四年が六〇二件というものであった。小島は、右手術の内訳はよくわからないとしたうえ、手術件数の中には子宮卵巣全摘等の問題になっている開腹手術の他に、縫縮手術等の手術も含まれていること、手術簿の一定の時期を調べたところ、一二例のうち七例が子宮筋腫の手術であったことを説明し、それを受けて高橋記者は小島メモの余白に「毎月の手術件数 ほうしゅく手術も含む」「一二例子宮筋腫七件」「内訳不明」等と書き込みをした(乙第一号証)。
その上で、小島は、富士見病院では他の病院にくらべて非常に手術件数が多く、その件数には縫縮手術等も含まれているが、手術簿の一定の時期から判断すると、子宮の手術が大変多く行われていること、この数値から考えると、これまでに固く見積もっても数百人が必要のない手術をされたこと、また富士見病院では若い女性の卵巣全摘が大変多く、これらの女性に摘出後定期的にホルモン注射をさせているということは富士見病院は金儲けのために非常に積極的に手術を行っていること等が考えられる旨を記者らに伝えている。
(三) 右三名の記者は同日の夜、荻野医師会長の自宅を訪ね、約一時間にわたって富士見病院に関する取材を行った。
荻野の話の内容は、医師会の会員の中から、富士見病院の手術には問題があるという指摘があり、また患者からも同趣旨の投書があったことから、富士見病院を受診後に患者が一番再検査を受けていると思われる防衛医大に行って話を聞いたが、富士見病院で手術を勧められた患者の大半は異常がなく、手術の中身も若い女性の両側卵巣摘出が多いなど非常に問題点があること、荻野の経営する医院にも富士見病院で手術を勧められた患者が来院したので診察してみたところやはり健康体であったこと等、小島の説明と大筋で一致する内容であった。
そして荻野は前記の元患者の投書(A、B、Cのもの)を三名の記者に示し、投書の写しないしは事例を書いたメモを記者らに手渡した。
(四) 前記三名の記者は、一週間後再び小島に会い、防衛医大で小島が入手した富士見病院の元患者の名簿(約四〇人分)を受け取り、また防衛医大で小島が見たという前記二〇例のカルテの内容の説明を受けた。カルテの内容は、二〇例中一四例が富士見病院で手術を勧められたが防衛医大での診断では異常はなく、また一例は子宮筋腫はあるが手術の必要はないというもので、二〇例中一五例が富士見病院で手術の必要ありと診断されながら防衛医大では不要と診断されたというものであった。このほか記者らは、小島から実際に富士見で手術をされた元患者のカルテも見せられ、医学用語の説明も受けた。
(五) 高橋記者と竹信記者は、小島から入手した前記患者名簿のうち、一一名の患者に面接し、聞き取り調査を行った。その結果、一一名の患者全員が太郎の手で超音波検査を受けたうえ、太郎から診断内容を告げられており、大半は子宮筋腫、卵巣嚢腫という病名で、太郎に「子宮がぐちゃぐちゃである」「子宮が腐っている」「直ちに入院しないと命が危ない」等とショッキングな診断結果を告知され手術を勧められていた旨の回答を得た。
また、右一一名中五名は富士見病院で実際に手術を受けており、そのうち二名が子宮卵巣の摘出手術であったこと、後に受診した防衛医大の医師に富士見病院でもらった摘出物のポラロイド写真を見せるなどして手術の話を詳しくしたところ、「その程度なら手術の必要はなかった」と言われたこと、手術後の体調が不調であること、手術を受けなかった者は、その後防衛医大、東京の逓信病院、国立西埼玉病院等の他の病院で診察を受けたが、いずれも手術の必要はないといわれたこと等を知った。
そこで、高橋記者らは、各患者の言い分はほぼ同じでパターン化されているので、すでに患者らの実態はつかめたと判断し、名簿に名前のある患者はまだ多数残っているがこれ以上の面接取材は不要であると判断し、面接を打ち切った。
(六) 前記三名の記者は同五五年二月二〇日過ぎに防衛医大を訪れ、約一時間弱をかけて学校長、病院長、事務長及び産婦人科学教室小林充尚教授(以下「小林」という。)らから、富士見病院で手術の必要があると言われたが、防衛医大では手術の必要がないと診断されることが非常に多く困っているという話を聞いた。
その後、高橋記者は本件記事掲載に至るまでの間に二、三回にわたり単独で小林に会い、更に詳しい話を聞いた。
小林の話の内容は、通常は超音波検査は患者の膀胱に尿を貯めた状態で行う(膀胱充満法)が、富士見病院では逆に事前に患者に排尿させており、それでは空気は超音波を通さないため、腸内の空気が超音波を乱反射し、正確な検査結果が得られるか疑問であること、富士見病院で子宮筋腫と卵巣嚢腫の手術を恫喝的な言い方で勧められたが実際には健康であるとか手術の必要はないとかいうことが大半で問題であること、富士見病院で既に摘出手術を受けた患者についても、同病院で患者に渡された摘出標本のポラロイド写真や患者の話から手術の必要はなかったと判断される例が多数存在したこと等であった。
(七) 竹信記者は同年二月以降、数回にわたり、県警の防犯部の幹部ほか複数の捜査員に非公式に取材し、県警も富士見病院に関心を持ち、内偵中であることを知った。また、高橋記者も、ほぼ同じ頃、小島から県警が動いている旨を聞いた。
しかし、記者らは、警察から病院への接触がないうちにマスコミが直接富士見病院の医師らに取材することは捜査妨害になる危険性があると判断し、あえて富士見病院関係者に対する取材を控えた。
(八) その後、同年九月一一日、太郎が医師法違反容疑で逮捕されたことから、竹信記者は直ちに県警に非公式な取材を行い、富士見病院の手術を傷害罪として立件する方針の有無を確認したところ、取材に応じた県警の幹部(氏名・役職は不明)は、「まずは医師法違反を固める必要があり、医師からも事情を聞く必要があるので、今の段階で傷害罪という結論に走るのは時期尚早である」旨の回答であったが、幹部以外の複数の捜査員(氏名・役職は不明)からは同人らが富士見病院の手術は非常に問題があるという認識を持つに至っていることを知った。
そこで、記者らは右の各取材の結果、県警は現段階では慎重な姿勢ではあるが、医師法違反容疑で太郎を逮捕したことを契機として、最終的には傷害罪として立件する積極方針であろうとの印象を得た。
(九) 太郎が医師法違反容疑で逮捕されたため、県警が強制捜査に着手した以上もはや捜査妨害の危険は去ったという判断のもと、本件記事掲載の前日である同年九月一一日に被告の安西広記者が富士見病院に対して取材を試みた。
しかし、富士見病院の清水理事に取材を拒絶されたため、医師らの話を全く聞くことはできず、結局、本件記事掲載に至るまで、原告を始め富士見病院関係者に対する取材は全く行うことはできなかった。
(一〇) 以上の取材結果に照らし、高橋記者及び竹信記者は、右同日、本件の実態は通常の医療ミスではなく、より異常な事態であり、富士見病院は故意に健康な患者や手術の必要のない患者の子宮や卵巣の摘出手術を行っていた、すなわち傷害罪に該当する行為を行っており、その被害者数は数百人に及ぶ可能性が極めて高いという心証に達し、高橋記者において本件記事中「婦人科医療の近代兵器」から「遺書があった」の部分を、竹信記者においてリード部分の「埼玉県所沢市内の」から「調査に乗り出す」及び右側の「逮捕された病院経営者は」から「約一万人といわれる」の各部分の原稿をそれぞれ執筆した。
その際、竹信記者は、社会部から実際の被害者数を具体的に示してほしいとの指示を受け、小島に対し、最終的に被害者数の確認を電話で行い、同人から「数百人」であるという回答を得たため、当該数字が本件記事に掲載されることとなった。
そして右記事の原稿に加えて、社会部が厚生省の談話を取り、整理部の担当者が「健康なのに開腹手術」等の各見出しを付して、最終的に本件記事を完成し、同年九月一二日付の社会面に大々的にとりあげるに至った。
5 検討
(一) 報道機関がどの程度の取材を尽くせば取材に係る事実が真実であると信じるにつき相当の理由があるといえるかについては、報道・表現の自由及び国民の知る権利と、取材を受ける側の名誉権との比較衡量において決定されるところ、被告のような全国紙の社会全般に対する影響力の大きさは測り知れず、ひとたび特定の人物、団体に対し否定的な報道を行った場合には、報道の対象となった人物、団体の名誉に対し、決定的な打撃を与えてしまうこともしばしば存在する。
してみれば、被告のような報道機関は、対象の人物、団体の社会的評価を低下させる恐れのある報道を行う場合は、その根拠が単なる風説、憶測の類であってはならず、対象者の名誉を損なうことのないように、入念な裏付け取材をなし、十分な資料を得てはじめて報道するべきである。
しかしながら、かかる強大な力を持った報道機関といえども、取材活動につき特別の調査権限が与えられているわけではなく、自己の意思で取材に応じない者から情報を入手する強制的な手段はないこと、民主主義社会において報道の自由は重要な価値を持つこと、報道機関には言論をもって社会の不正を告発し世論の批判にさらすという責務があること等に照らせば、個人の名誉侵害に対する責任を追及するに急なあまり、報道機関を萎縮させて報道の自由を損なうことのないよう配慮すべきであって、報道機関に対して、例えば検察官が被疑者を起訴する場合の如く合理的な疑いをいれる余地がないほど高度に確実な質、量の証拠を収集する義務を負わせるのは酷に失する。
したがって、結局のところ、報道機関が取材に係る事実が真実であると信じるについての相当な理由があるというためには、報道機関にとって可能な限りの取材を行い、報道機関をして一応真実と思わせるだけの合理的資料又は根拠があることをもって足りるというべきである。
(二) これを本件について見るに、被告の記者らが、本件記事を掲載するにあたり、富士見病院が意図的に多数の健康ないしは手術を要しない患者に対して開腹手術をしていたことが真実であると信じていたことは、前記認定の事実から認めることができる。
そこで、進んで、右見地に立って前記認定の事実から記者らが右のように信じたことにつき、相当な理由があったか否かについて判断する。
(1) まず、記者らの収集した資料又は根拠の情報源の信用性を検討する。
被告の記者らは、前記認定の取材を経て、本件記事の掲載以前に、①富士見病院は子宮や卵巣の摘出手術の件数が病院の規模に比較して異常に多いこと、②手術の内容も若い女性の両側卵巣摘出が多いという点で問題があること、③富士見病院で子宮や卵巣の摘出手術が必要との診断を受け、他の医療機関に行ったところ異常なしと診断された例や、摘出手術を受けたのち、他の医療機関において摘出臓器の写真や患者の話から手術は必要なかったと判断された例が相当数あること、④富士見病院では太郎が手術を勧める際に「子宮が腐っている」「命が危ない」等のショッキングで医学ではない言葉を用いていること、⑤警察も富士見病院の手術が犯罪を構成する可能性があると判断し内偵に乗り出していること等をそれぞれ把握していた。
右の諸事実のうち①②は、所沢保健所長であり市内の医療機関の内情に詳しい小島、同様に事情を把握していたと考えられる所沢医師会長の荻野がほぼ一致して述べていたことであり、特に手術件数に関しては小島は医療監視で実際に富士見病院の手術簿を調査し、具体的な数字を挙げてその多さを説明していることに照らせば、記者らが極めて信用性の高い情報であると理解したことには相当の理由がある。
確かに、実際に富士見病院程度の手術室や医師の数で、小島メモのような件数の開腹手術をこなせるであろうかという疑問も湧くかとも思われるが、前記認定のとおり、小島は、富士見病院の規模を知っており、同病院が年間五〇〇件以上の子宮や卵巣の摘出手術をすることが到底不可能なことを了解したうえで、記者らに対し年間五五〇件ないし六〇二件の全てが子宮や卵巣の摘出ではなく、縫縮手術等の無関係な手術も含む数字である旨を説明したところ、記者らも小島と同様の認識に至った(乙第一号証書き込み部分)のであるから、富士見病院の手術数の余りの多さに記者らが不審の念を抱いて小島らの言の信用性を疑うべきであるとするのは相当ではない。
③の事実については、前記小島と荻野の話の他に、最新の医療設備を備えた大学病院である防衛医科大学校の教授で、かつ超音波検査にも詳しい産婦人科の専門家である小林も、超音波検査の具体的な手法の説明も交え、右二名の言葉を裏付けるような事例を挙げ、そして小島により、記者らは防衛医大で異常なしと診断された元患者の具体的なカルテも多数見せられている。さらに記者らはその裏付け取材として、実際に富士見病院で診断を受けた元患者一一名の聞き取りをし、右聞き取りの結果及び荻野に見せられた三名の元患者の投書の内容が、いずれも他の医療機関で富士見病院と異なる診断を下されたというものであることを勘案すると、記者らにおいて、③の事実もまた複数の情報源から得られた信用性の高い情報であると理解したことは相当の理由がある。
また、④の事実についても、前記聞き取りの対象となった元患者らは、共通して太郎からショッキングな言葉を用いて診断結果を告げられたことを述べていたのみならず、当時は富士見病院に関する疑惑が表面化する以前の段階であり、まだ被害者同盟も結成される以前であったことから、これらの元患者が口裏を合わせる機会があろうはずもなく、複数の独立した情報源からそれぞれ得た取材結果が一致したという事実に照らすと、記者らにおいて信用性の高い情報であると理解したことに相当の理由がある。
⑤の事実に関しては、警察関係者の氏名が全く明らかにされておらず、かえって甲第二八、第二九、第三九号証によれば、警察は情報提供の事実を否定していることが認められる。しかし、警察担当記者によるいわゆる「夜討ち朝駆け」の非公式取材においては、警察の公式発表と異なり正式な記録は残らないことが通例であり、あくまでもオフレコという条件で取材に応じている捜査関係者は、報道機関にどのような情報を提供したのかを事後的に明らかにすることがないこともまた公知の事実である。また、当時埼玉県警が内偵を進めていたことは当事者間に争いがなく、またその後の警察の動きや、記者らが富士見病院の取材を控えるなど警察が内偵中であることを前提にした行動を取っていることに照らせば、県警より記者に何らかの情報提供があったものと推認することができる。問題は右情報提供の内容であるが、竹信記者の証言によると、捜査関係者の話の内容は、県警は傷害の容疑を持って内偵をしており、一線の捜査官は強い容疑を持っている者もいたが、県警としてはあくまで慎重な立場をとっているとのことであって、右内容は、必ずしも記者らにとって都合のいい情報ばかりではなく、実際のその後の県警の動きともよく整合していることに照らせば、右情報提供の存在を認めることができ、その内容の信用性も公式発表に比べれば格段に落ちるとはいえ、記者らが一般に信用するに足りるものと理解したことには相当の理由がある。
以上のように、記者らが、富士見病院では実際には健康又は手術の必要のない患者の子宮や卵巣の摘出手術が数年にわたって多数回行われてきたという確信を抱いたことの根拠となる各資料及び根拠は、半年以上という日刊新聞の取材としては異例の長期間にわたる取材により、複数のいずれも信用性の高い情報源からそれぞれ得られたものであり、相当程度に合理的な資料及び根拠であると受けとめたことには理由がある。
(2) ところで、報道機関が信用性の高いと思料される情報源から取材をしていても、その後の結論に至る推論過程が合理性を欠けば、全体として真実と信じた相当な理由は認められないと考えるべきであるから、右①ないし⑤及びその他の資料から、本件記事の結論に至った経緯を検討する。
イ まず、富士見病院で行われた子宮や卵巣の摘出手術の多くが不必要な手術であると信じるに至った推論過程は、富士見病院で手術の必要があると診断された患者が他の医療機関で健康ないし手術の必要はないと診断された例が相次いだことが根拠となっている。
確かに、本件記事の執筆以前には右手術の相当性についての鑑定は行われていないのであるから、本件記事の掲載時点で実際に富士見病院の行った摘出手術が不必要なものであったことを直接に証する資料は本件記録中には存在しない。しかし、実際には手術をされなかったが、富士見病院で手術を勧められ、その後他の医療機関で手術不要との診断を受けた患者も、他の医療機関の診断を受けることなくそのまま富士見病院に入院していれば確実に手術を受けたことは明らかであるから、実際に、他の医療機関であればなされなかったであろう手術が富士見病院で相当数行われていたことは疑いのないところである。
問題は、この抵触する診断のどちらが正しくどちらが誤っているのかという点であり、記者らが富士見病院の診断が誤りであると考えた根拠は、前記説示の取材経過によれば、記者らは基本的には他の病院の医師らの意見をもとに判断していると認められる。
むろん、一般に、ある医療措置が適当なものであったかを判断するには、他の医師の事後的な評価だけで決定できるものではなく、実際に治療に当たった医師の意見を十分に聞く必要があることはいうまでもないのであって、また、比較的軽度の子宮筋腫に摘出手術の適応があるかどうかの判断においては、医師の裁量権が認められ、手術の適応の判断にある一定の幅が存在することは事実であり、記者らもこのことを了知していたことが認められる。
しかし、前記認定のとおり元患者からの聞き取り及び小島、荻野、小林の説明によれば、複数の他の医療機関がいずれも富士見病院と矛盾、抵触する診断を下しており、複数の医療機関が揃って同様な誤診をする可能性は極めて低いこと、富士見病院では、無資格者である太郎が到底医学的とはいえないショッキングな表現で患者に診断結果を告知していること、小林は富士見病院の超音波検査の手法の問題点を超音波検査の原理の説明を交えて具体的かつ論理的に指摘していることを考慮すれば、記者らが、他の医療機関の診断が正当で、富士見病院の診断、手術の方が適当でなかったという判断に至ったことはけだし合理的である。
また医師の裁量権の問題についても、全く病変がなかったり明らかに手術の必要もないのに子宮や卵巣を摘出するのは、医師の広汎な裁量権を前提にしてもその埒外であることは明らかであるところ、本件において、小島、荻野、小林は、記者らに対し、いずれも全く病変のない事例も多数あるという内容の説明をしていることを考えれば、記者らが本件は医師の裁量権の問題が生じるような微妙な判断が必要とされるケースではなく、それ以前の根本的な問題であると考えるに至ったのも無理のないところである。
したがって、富士見病院で行われた子宮や卵巣の摘出手術の多くが不必要な手術であるとした推論は合理的であると評価できる。
ロ 右開腹手術は意図的なものであったと被告が信じるに至った推論過程について検討する。
前記の①ないし⑤の事実は、富士見病院では実際には不必要な手術が行われていたことの根拠にはなりうるが、直接には富士見病院が意図的に不正な手術をしていたことの根拠になるべき資料ではなく、小島が記者らに対し「富士見病院は金儲けのため非常に積極的に手術を行っている」旨の発言をしたことは認められるものの、これも結局は同人の推測であって直接的な根拠ではないので、要するに右事実が真実であると信じたことについての相当な理由の有無は、右①ないし⑤他の各資料又は根拠から、かかる結論を導く推論過程が相当であるか否かによる。
そこで、右結論に至るまでの記者らの推論過程を検討するに、前記認定のとおり記者らの認識では、富士見病院における必要のない開腹手術の件数は数年間にわたって少なくとも数百件に及んでいたのみならず、偶然のミスが数百件も重なるということは現実的ではないから、そこには数百件の開腹手術をするに至った何らかの必然性が存在したことは疑いないと判断したことには相当の理由がある。
この点については、故意による傷害行為という仮説の他に、超音波検査方法の誤解に基づく誤診の連続発生という可能性も考えられないわけではない。しかし、超音波断層診断装置を操作しているのが医師の資格を有しない太郎であるにしても、実際に開腹手術を執刀しているのは、原告をはじめとする歴とした複数の医師であるから、医師が実際に反復継続して開腹手術を行い、健康体ないしは手術の必要のない患者の子宮や卵巣を多数その目で確認していたにもかかわらず、太郎の誤診に気がつかないまま数年間漫然と看過していたとは到底考えられないから、記者らが右可能性に思い至らなかったことは無理からぬところである。
そうすると、残る可能性は、執刀医も実際には健康体ないし手術の必要がない程度の疾病であり、摘出手術の必要がないことを少なくとも未必的に認識したうえで執刀していたとしか考えられず、富士見病院の規模や元患者から聞き取った同病院のシステム等に照らして、太郎と原告を始めとする医師らの間には不必要ないし理由のない開腹手術であることにつき、何らかの意思の連絡がなかったとは考えられないこと、太郎が患者に対し脅迫的な言葉で手術を勧めていること、富士見病院に対し傷害罪の容疑で県警の内偵が開始されていたこと、そして小島や荻野、小林の意見も右仮説と同旨であったことなどから、記者らが右のような思考経過を辿って前記本件記事の内容のような結論に至ったことは想像に難くなく、その推論に合理性はあるというべきであると認められる。
もっとも、前記認定のとおり記者らは富士見病院では患者に摘出標本のポラロイド写真を渡していた事実を本件記事掲載以前に把握していたのであるから、同病院がもし意図的に不正な手術を行っていたとすれば犯罪の有力な証拠ともなりうる写真を残すことは不自然であり、実際に高橋記者は小島、小林らとこの矛盾について話題にしたこともあるということが認められる。しかしながら、報道機関が何らかの報道をするにあたって、その裏付け取材の程度に、検察が起訴を決定したり裁判所が有罪を認定したりすることが可能な程度の証明を要求することは、報道機関の取材能力等を考慮すれば不可能を強いるものであって妥当ではないところ、不必要な手術が意図的なものではなかったとすれば、数年間も同様の手術が行われてきたことの説明は困難であり、結局のところ高橋記者らが前記ポラロイド写真の一事のみをもって富士見病院の手術が意図的なものでなかったと判断すべきであったと考えることは相当ではない。
したがって、結局のところ、記者らの推論の過程にも不合理な点は何ら見い出せず、本件記事の内容は、前記認定の信用性の高いと思料される資料または根拠から合理的に導かれた結論であるというべきである。
(3) 他方、本件記事は、その対象が医療行為に対する傷害罪の成否という医師の裁量の本質にかかわる微妙な問題であり、加えて、患者と深い信頼の絆で結ばれているべき医師がその信頼に背き患者を欺いて意図的に不必要な手術をしているというようなことは、断じてあってはならないことであり、かかる内容の記事を掲載すれば原告ら富士見病院の関係者の社会的評価に致命的な打撃を与えることは明白であるから、被告は、万一にも他の可能性があるならばその可能性を打ち消せるまで、例えば原告を始めとする富士見病院関係者にあたるなどして、さらに取材を尽くすべきであり、右取材をしていない以上、被告は捜査機関の傷害罪に関する公式発表(本件においては昭和五八年八月一九日、浦和地検は不起訴処分にした。)のある段階までは、慎重の上にも慎重を期して、医師法違反についての報道あるいは、少なくとも不必要な手術をした疑いがあるとの報道にとどめておくべきであったという見解もあり得るところである。
記者らは本件記事掲載に至るまで富士見病院関係者からの取材をしていないことは当事者間にも争いがない。しかし、仮に、記者らの推測どおりに富士見病院が病院ぐるみで組織的に不正な手術をしているとすれば、右は密室の犯罪であり、富士見病院に存在するカルテ等の診療記録が有力な物証になるであろうことは容易に推測がつくところであり、不用意に同病院へ取材をすることによって同病院関係者に事件の発覚を知られれば、隠蔽工作の機会を与えて捜査妨害につながる危険があるという記者らの考えは十分に首肯できるものである。
また、警察が太郎を医師法違反容疑で逮捕した後には、安西記者が病院へ取材の申し入れをしており、実際には病院側に拒否されて取材には至らなかったとはいえ取材の努力を全く怠っているわけではないこと、当時の状況から考えれば、太郎が逮捕された昭和五五年九月一一日以降、記者らがさらに病院へ取材を申し入れたとしても、病院が取材を受け入れた可能性は極めて低いと考えられることを考慮すれば、記者らがそれ以上同病院に対し取材申し入れをしなかったことも止むを得ないところである。
そして、医師が健康な患者に対して不必要な開腹手術をし、子宮や卵巣を摘出していたということが真実であったとすれば、それは刑法上の傷害罪が成立するばかりではなく、医療一般への国民の信頼を根本的に破壊する重大な背信行為であり、かつ人間の生命に対する極めて重大な冒〓であることを思えば、報道機関が、かかる事実を社会に対し緊急に公表することによって世論の批判にさらし、もってかかる事態を二度と生起させないことこそ自らに課せられた責務であると考えたとしても、何ら責められる理由はないというべきであり、本件において前記説示のような取材経過、判断を踏まえて、被告が捜査機関の公式発表を待たずに報道に踏み切ったことをもって、本件記事の掲載を軽率であるとして責任を問うことは相当ではない。
(三) 以上を総合すると、本件記事は、部分的には断定的に過ぎると思われる箇所も見受けられるものの、見出し、リード部分と本文を全体的に見れば、その主要な部分は合理的と思料される資料または根拠に基づいて構成されており、資料又は根拠から結論に至る推論過程も合理的であるということができ、結局、被告が本件記事の内容を真実であると信じることにつき相当な理由が認められるので、抗弁2は理由があり、被告の行為は責任が阻却され、不法行為は成立しない。
三 結論
以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官滿田忠彦 裁判官市村弘 裁判官中村心)
別紙<省略>