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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)13125号 判決 1990年4月17日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三〇二四万円及びこれに対する昭和五九年九月一七日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五九年九月一二日ころ、「鈴木邦夫」と名乗る者(以下「鈴木」という。)から、その所有する鎌倉市七里ガ浜東二丁目二二四七番一〇の宅地二九七・九八平方メートル(以下「本件土地」という。)を担保に提供するという条件で、金員の借用方の申込みを受けた。鈴木は、右申込みをするに当たり、原告に本件土地の登記簿謄本(以下「本件登記簿謄本」という。)を示したが、その甲区欄には、前所有者近藤眞佐子の所有権移転登記に続き、「四付壱 所有権移転 昭和五四年壱壱月弐六日受付第弐壱七六参号 原因 昭和五四年壱壱月弐六日売買 所有者 鎌倉市雪ノ下四丁目弐番壱壱号 鈴木邦夫」及び「四付記壱号 四番登記名義人表示変更 昭和五九年七月壱参日受付第九六弐五号 原因昭和五九年七月五日住所移転 住所平塚市菫平壱五番壱-参-八壱壱号パレ平塚すみれ平」なる記載(以下これらを「本件記載」という。)があったので、原告は、鈴木が本件土地の所有者であると信じ、三二〇〇万円を返済期限一箇月の約定で貸し渡すこととし、昭和五九年九月一七日、鈴木に対し、前払利息一七六万円を差し引いた三〇二四万円を交付した(以下これを「本件貸付」という。)。

2  ところが、後日判明したところによれば、右近藤と鈴木との間には何ら所有権移転の原因事実がなく、本件登記簿謄本の本件記載は不実のものである。

3  右不実記載のある本件登記簿謄本は、何者かが、横浜地方法務局鎌倉出張所(以下「本件登記所」という。)備付の土地登記簿の閲覧に際し、本件土地の登記簿原本(以下「本件登記簿」という。)の一部をひそかに盗み出し、不実の記載をし、登記官名義の偽造印を押印した後、右同様の閲覧の機会を利用して、この登記用紙をひそかに本件登記簿に戻しておいた(以下これを「本件不正行為」という。)ため、その後、右偽造後の本件登記簿に基づき登記官によって作成、交付されたものである。

4  本件登記所の登記官は、被告の公権力の行使に当たる公務員として、登記簿の閲覧者による登記簿原本の抜取り及び改ざんを防止するために監視する義務(以下「閲覧監視義務」という。)を負っていた。しかし、本件不正行為が行われた当時の本件登記所の閲覧監視態勢は、次のとおり不十分なものであり、閲覧監視義務を尽くしていなかった。

(一) 閲覧者の閲覧終了後に登記簿の登記用紙の枚数の確認をしていなかった。

(二) 閲覧監視に専従する職員を配置していなかった。

(三) 閲覧者の閲覧室への所持品持込みを厳しく規制すべきであったのに、これをしていなかった。

(四) 本件のような不正行為を心理的に抑制するための効果的手段である監視カメラの設置をしていなかった。

(五) 本件登記所においては、閲覧者が多数の登記簿を閲覧机の前又は横に置き、監視者からは閲覧者の手元が見えないという状況が見られたのであるから、このような場合は、一度に多数の登記簿を貸し出すことを制限したり、あるいは閲覧者の手元が見える方法で登記簿を閲覧させる等の措置を採るべきであったのに、このような措置を採っていなかった。

(六) 本件不正行為は、複数人による犯行と推測されるが、このように複数の者が共同して不正行為を働くことを防ぐための効果的な手段である閲覧座席の指定制を採っていなかった。

(七) 短期間の間に同一登記簿を何回も閲覧する人間がいれば、これに疑いを持ち、特にその者の動静を注視すべきであったのに、そのようなことをしていなかった。

(八) 閲覧申請物件の登記簿のみを閲覧させるようにし、閲覧終了時に原本の返却を確認する等の方法により、登記簿原本の偽造を防ぐべきであったのに、これらの措置を採っていなかった。仮に、事務処理上の制約のため、右措置を採ることが困難であるのならば、登記簿原本の閲覧ではなく、閲覧用の写しを作成して写しのみを閲覧させるということも考えられたのに、これも実施していなかった。

(九) なお、これらの措置を採るために現行人員では足りないというのであれば、職員を増員配置すべきであったのに、そのようなことをしていなかった。

右に指摘したところに従い、本件登記所の登記官が十分な閲覧監視をしておれば、本件登記所において、閲覧の機会に、何者かが登記簿の簿冊から本件登記簿の用紙を抜き取った際及び偽造後元の位置に挿入した際にこれを発見できたはずであったから、本件登記所の登記官には、本件不正行為を看過した過失がある。

5  また、本件登記所の登記官には、不実な登記簿謄本を作成、交付しないように注意すべき義務があったのにこれを怠り、不実記載がある本件登記簿謄本を作成、交付した過失がある。

6  以上の登記官の過失により、原告は、鈴木から三〇二四万円を騙取され、同額の損害を受けた。

7  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づく損害賠償として三〇二四万円及びこれに対する損害発生の日である昭和五九年九月一七日から右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は知らない。なお、本件貸付の事実については、借用証書の記載、その資金の調達先及び現金交付の状況等に不自然な点が多く認められ、また、本件不正行為が発覚した前後の状況にも、原告には当初からこれを予知していたとも思われる行動があるので、本件貸付の事実の存在は極めて疑わしいというべきである。

2  同2の事実は知らない。

3  同3のうち、何者かにより本件登記所備付の登記簿原本の登記用紙の甲区欄に本件記載が不正記入されたこと、登記官が不実な登記簿謄本を作成、交付したことは認めるが、その余は知らない。

4  同4のうち、一般論として、登記簿を閲覧させる際に、登記官が、登記用紙の抜取りや改ざんを防止するために監視する義務を負っていることは認めるが、本件記載がされた当時の本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であり、右義務を尽くしていなかったこと、十分な閲覧監視態勢をとっておれば本件不正行為を発見できたこと及び本件登記所の登記官に本件不正行為を看過した過失があったことは、いずれも否認する。

5  同5は否認する。

6  同6の事実は知らない。

三  被告の主張

1  注意義務及び過失について

(一) 閲覧監視義務違反の主張に対して

(1) 本件不正行為は、実行者、時期及び方法等の重要な事実関係がいずれも判明しておらず、したがって、本件不正行為がされた際の具体的事実関係の下での登記官に課された具体的な注意義務の内容及びその違反の内容を特定することができないというべきである。

(2) 仮に、本件不正行為が登記簿閲覧の機会を利用してされたものであるとした場合、登記簿を閲覧させるに当たっての登記官の遵守すべき職務上の義務ないし心構えについては、不動産登記法施行細則(明治三二年五月一二日司法省第一一号、以下「細則」という。)九条及び三七条並びに不動産登記事務取扱準則(昭和五二年九月三日法務省民三第四四七三号民事局長通達。以下「準則」という。)二一二条が規定しているが、このうち、準則二一二条は、

「登記簿を閲覧させる場合には、次の各号に留意しなければならない

一  登記用紙又は図面の枚数を確認する等その抜取、脱落の防止に努めること」

としている。しかし、ここでいう登記用紙の枚数確認は、抜取り防止のための手段の一例示にすぎず、必ずしもその方法による必要はなく、各登記所の実情に応じて可能な範囲で、抜取り防止のための有効適切な措置を講ずれば足りると解される。

(3) そこで、これを本件についてみると、本件登記所における昭和五八年五月以降の閲覧監視態勢は、次のようなものであり、これは、当時の限られた財政状況の中で最善のものであった。

(物的態勢)

<1> 閲覧者が同一方向を向いて座るように、閲覧者用の机を横長の三人掛けのものに取り替え、これを職員の執務机で囲む位置とし、閲覧者全員の手元が職員の目にさらされるようにした。

<2> 閲覧者の背後からその動静を監視するため、電動可変式の監視ミラーを設置した。

<3> 閲覧者全員に向けて、閲覧に当たっての注意事項を記載した警告用ボードを設置した。

<4> 閲覧者の鞄等の所持品を別の机に置かせ、これを閲覧机に持ち込ませないように規制した。

<5> 登記簿の閲覧と公図の閲覧とを分離し、それぞれ別の場所で行わせることとし、公図を広げてその陰で登記原簿を抜き取るような不正行為の防止に努めた。

<6> 来庁者が待合室からあふれて職員の執務場所に立ち入りそこに滞留するような事態を解消するため、待合室のスペースを広げていすを増やし、また、登記簿の閲覧と公図の閲覧を分離してそれぞれの用件を短時間で済ませるようにし、さらに、登記原簿の粗悪用紙の破棄・取替えを行い、一冊の原簿を簡素なものにして短時間で閲覧することができるようにし、不正行為の素地を取り除いた。

<7> 登記用紙の抜取り防止のために、爪の多い一〇穴のバインダーを用い、両手を用いて一定の操作を加えなければ開閉できない構造のものとしている。

(人的態勢)

<1> 繁忙時には、臨時職員を導入して監視態勢の維持に努めた。

<2> 所長は、他の職員に対し、ことあるごとに閲覧場所に注意を払い、不審な挙動を示す者には警告を発する等の措置を講じることを周知徹底させ、また、自らも、閲覧場所を巡回して閲覧者の動静に注意していた。

(4) ところで、本件不正行為は、タイプの印字や登記官印が真正なものと酷似していること等から判断して、不動産登記実務について相当高度の知識を有する者による周到に準備された巧妙な犯行であったと考えられ、仮に、本件不正行為をした者が登記簿閲覧の機会に登記簿原本の一部の持ち出しを図ったものであるとしても、右行為は、登記官において、容易に気付くことができるようなものでなかったことは明らかであり、本件不正行為を発見しこれを回避することは不可能であって、登記官の閲覧者に対する監視義務違反はないというべきである。

(5) なお、本件不正行為が行われた当時の本件登記所の閲覧監視態勢が不十分である旨の原告の主張は、以下のとおりいずれも理由がない。

<1> 枚数確認について

昭和五九年九月当時の本件登記所の職員配置は、所長以下職員一〇名と臨時職員一名であったが、本件登記所の同年度の事件数は、不動産登記に関する甲号事件及び登記簿の閲覧、謄抄本の認証交付等に関する乙号事件とも前年度と比べて急増しており、さらに、商業法人登記事件や供託事件も多数に及んでいて、各職員とも繁忙を極めている状況にあった。そして、昭和五九年九月中の登記簿及び公図の閲覧件数に照らすと、閲覧の前後に枚数を確認するとすれば、一日平均五万一〇〇〇枚の登記用紙を数えなければならないことになる。しかし、このような膨大な数の枚数確認を毎日繰り返し行うことは、現行人員をもってしては、到底実行不可能である。しかも、本件不正行為は、仮にそれが登記簿閲覧の機会にされたものであるとしても、犯人側において登記簿原本を抜き取った後に登記用紙と良く似た紙質の用紙を同数だけ差し入れる等の手段を講じるならば容易に発覚を免れることができるのであって、枚数確認をしていたら必ず不正を発見できたともいえないから、いずれにしろ、枚数確認をしていなかったことが原告の損害と因果関係のある過失であるとはいえない。

<2> 閲覧監視専従職員の配置について

前記のとおり、本件登記所においては、監視についての態勢は十分とられていたのであり、原告が主張するように閲覧監視専従職員を置くまでの義務はなかったというべきである。また、本件登記所の前記<1>のとおりの職員の配置態勢と繁忙な事務処理状況からすれば、仮に閲覧監視のための職員を増員配置したとしても、その者の職務分担を閲覧監視のみに固定してこれに専従させるというのは現実的には極めて困難であり、さらに、本件登記所の職員のうちから閲覧監視のために順次要員を割いてこれに充てるという態勢をとることも、同様の理由で、現実には極めて困難である。

<3> 所持品規制について

本件登記所においては所持品の持込みの規制をしており、原告が主張するような義務違反はない。仮に、この規制が十分でなかったとしても、そもそも、本件不正行為が所持品の持込みによりされたものであるかどうかは明らかでないから、これと原告の損害との間に因果関係があるかどうかも不明であるというべきである。

<4> 監視カメラの導入について

本件登記所には閲覧監視ミラーが設置されていたのであるから、更に監視カメラまでも導入する義務はないというべきである。

<5> 登記簿の閲覧方法について

本件登記所の閲覧机の幅員は狭いので、閲覧者が自席の正面机上に登記簿の簿冊を立てた場合は机上に場所的余裕がなくなり、別の簿冊を机上に広げて見るのは困難となる。また、閲覧者の机上斜め前に登記簿の簿冊が置かれているとしても、それだけでは閲覧者の手元が登記官から見えなくなるということはない。本件登記所においてこのような幅の狭い閲覧机を採用したのは、閲覧者の不正行為を防止するためであり、したがって、原告が主張するような過失はない。

<6> 座席指定制について

座席指定制は、不正の手口によっては、必ずしも有効な防止策とはなり得ないし、制度としてもこれを実効的に運用するためには相応の人的及び物的措置が伴う必要があり、本件登記所のような小規模庁でこれを実施することは困難である。したがって、座席指定制を実施していなかったからといって直ちに過失があるとはいえない。

<7> 要注意人物の監視について

複数の者が同一の登記簿を短期間に閲覧したからといって、そのことをもって直ちに不審の念を抱く根拠となるわけではない。したがって、本件においてこのような者がいたとしても、登記官の閲覧監視義務違反があったということはできない。

<8> 閲覧登記簿の管理について

閲覧申請の都度登記簿を簿冊からはずして閲覧に供する方法は、登記用紙が毀損し、散逸し、あるいは順序が入れ替わるおそれがあるばかりではなく、時間を要し職員の負担増となるので、現実的な方策とはなり得ない。

また、不動産登記法二一条一項は、登記簿の原簿を閲覧させることを要求しているから、写しのみを閲覧させるような措置を講じなかったことを理由に登記官に過失がある旨の原告の主張は失当である。

(二) 登記簿謄本の作成、交付に当たっての注意義務違反の主張に対して

本件記載は、活字の大きさ、字画等本件登記所において使用されているものと酷似したタイプ活字をもって記載され、文字の配列、段落及び間隔も従前のものと一致し、また、偽造登記官印も横浜地方法務局長訓令所定の形式、寸法に合致している。このため、本件記載は、一見して不実の記載であると発見できるようなものとはいえず、本件登記所の登記官が、これを看過して本件登記簿謄本を作成、交付したとしても、登記官に過失はないというべきである。

また、登記官は、登記簿原本の記載をそのまま謄写して登記簿謄本を作成すべきであるので、本件登記簿謄本を作成、交付したことに過失があるとはいえない。

2 因果関係について

原告の損害は、以下のとおり、原告が鈴木及び本件土地に関する調査を十分せず、自ら危険を覚悟で鈴木に対し金員の貸付を行った結果であり、登記官の閲覧監視等の義務違反との間には相当因果関係がない。

(一) 原告は、金融業者であるから、それまで一面識もなかった鈴木に大金を貸し渡すに当たり、その職業、経歴、資産状態及び取引銀行等を調査して、身元及び返済能力に問題がないことを確認した上、金員を交付すべきであったのに、住所、電話番号及び職業を尋ねる程度の不十分な調査しか行わなかった。鈴木が登記簿上の住所に居住していたのは、昭和五九年三月一六日から同年六月末日までであり、その後、同所には、鈴木とは異なる者が出入りしていたのであって、このことは調査すれば容易に判明することであった。また、鈴木が原告に対し提出した住民票謄本には、鈴木の住所移転を理由とする本件登記簿上の表示変更登記とは矛盾する内容の記載があり、原告において両者を照合すれば、容易にこれに気付いたはずであった。

(二) 鈴木は、担保物件となる本件土地に関し保証書を持参しており、本件土地の登記済権利証は離婚して間がない元妻に持ち出されてしまったと述べていたが、登記には公信力がないのであるから、原告においては、十分な現地調査を行い、前所有者に連絡をとるなどして鈴木が真実本件土地の所有者であるか否かを確かめるべきであったのに、極めて不十分な調査しかしなかった。

(三) 原告は、鈴木に対し、本件土地についての根抵当権設定登記がされるのと引換えに金員を交付したのではなく、右登記が受け付けられる前日に金員を交付しており、したがって、本件土地を担保としないで、右金員の交付をしたとみるべきである。

(四) 鈴木は、自ら不動産ブローカーと称していたが、三〇〇〇万円の不動産購入資金全額を他から調達しなければならないとは通常考えられず、また、担保価値のある本件土地を所有していながら、銀行から融資を受けようとしないばかりか、転売を目的とした取引であるのに三〇〇〇万円もの大金を現金で要望しており、融資を極めて急いでいる等不審な点が認められたのであるから、金融業者としては融資を行う前にこの点の調査をすべきであったのに、原告はこれをせず、あえて融資を実行した。

3 過失相殺

仮に、被告の損害賠償責任が肯定されるとしても、右2のとおり、原告には、本件損害の発生につき、金融業者としての注意義務を怠った過失があることが明らかであるから、損害賠償の額を定めるについては、原告の右過失を斟酌すべきである。

四  「被告の主張」に対する原告の反論

1  注意義務及び過失について

本件登記所の閲覧監視態勢が不十分なものである以上、本件不正行為を看過した登記官に過失があるといわざるを得ない。

2  相当因果関係及び過失相殺について

(一) 金融を希望する者が、自らが所有名義となっている登記簿謄本及び保証書を持参し、登記済権利証を持参できない合理的理由を述べれば、通常、与信する側としては一応満足できるものであって、更に前所有者に確認することまで要求するのは、円滑、迅速を理念とし、競争の激しい商取引界において、無理を強いる机上の空論である。

(二) いわゆる街の金融業者においては、融資依頼があった場合、登記簿謄本の所有者の住所、氏名及び住民票や印鑑証明書の住所、氏名の確認はするが、住所の変更についての市への届出や表示変更登記手続のためにどのような書類を添付するかの知識を有しないことも多いので、彼らにこのような書類の記載内容を照合することまで要求するのは酷である。

(三) 鈴木については、運転免許証で本人であることの確認をしている。

(四) 不動産ブローカーが、転売により利ざやを稼ごうとする場合に、売主への代金支払時期と転買人からの代金入金時期との関係で、短期資金の導入を図ることがあるのは常識であり、不動産の購入資金に充てるために、現金の融資を望むことも世間によくある例であるし、自ら不動産を所有していても、一般の銀行が相手にしない者である場合もあり、さもなくも、迅速な資金調達を意図して、機動力のあるいわゆる街の融資業者に依頼してくるのもよく見受けられる例であって、いずれにしろ、本件取引には、原告が主張するような不審な点はない。

(五) 原告は、鈴木から融資の依頼を受けた後、直ちに現地調査を行っており、また、鈴木に会い、同人が持参した資料を見て本人から事情聴取しており、調査は十分に行っている。

(六) したがって、登記官の過失と原告の損害との間には相当因果関係があるというべきであり、また、原告の本件貸付には、過失相殺の対象となるような取引上の過失はない。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因1の事実について

1  原告が鈴木に金員を貸し付けるに至った経緯

まず、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

原告は、ダイイチ信用の名称で金融業を営んでいる者であるが、昭和五九年九月一二日午後五時ころ、鈴木邦夫と称し従前取引の全くなかった者から、三〇〇〇万円程度の融資の申込みがあった。そこで、同月一四日午前九時ころ、ダイイチ信用の店長として営業を任されていた中村剛(以下「中村」という。)は、鈴木に架電して、その希望する融資金額、日時及び担保物件の内容を聞き、同日夕方に鈴木と面談する約束をするとともに、従業員小山清一(以下「小山」という。)に対し、鈴木が担保として提供する旨述べた本件土地の登記簿を閲覧する等して本件土地の調査をするように命じた。

小山は、同日、本件登記所において本件登記簿を閲覧して登記簿上鈴木が所有者となっていることを確認し、鎌倉駅周辺の不動産屋に本件土地の坪単価を尋ね、さらに、現地に赴いて本件土地の形状、位置等を確認した上、本件土地の価値が坪当たり八〇万円程度で担保として問題がない旨を中村に報告した。

同日、中村が鈴木と面談したところ、鈴木は、自分は不動産ブローカーで、茅ケ崎にある物件を購入の上転売したいが、同月一七日が取引日なので、本件土地を担保として緊急に三〇〇〇万円ほど融資して欲しい旨述べ、同月一二日付の本件登記簿謄本(<証拠>)、保証書(<証拠>)及び保証人の印鑑登録証明書(<証拠>)等を示し、鈴木本人の住民票と印鑑登録証明書を中村に交付した。本件登記簿謄本には、前所有者近藤眞佐子の登記に続き、本件記載があった。そして、鈴木は、本件土地についての登記済権利証を持参しなかったことについて、登記済権利証は離婚した妻に持ち逃げされてしまったので持っていないと説明した。そこで、中村は、鈴木が取引相手であると述べた不動産業者に連絡して、茅ケ崎にある物件の購入・転売の点につき確認をとろうとしたが、鈴木から足元を見られるから困ると言われたので、鈴木から聞いたその業者の名前を事務所備付の業者名鑑により確認するだけにとどめた、また、中村は、鈴木に対し、運転免許証の呈示を求めて鈴木本人であることを確認したほか、保証書の保証人は司法書士とその妻であるとの説明を鈴木から受けて、その場で電話帳で確認をした。

中村は、これらの調査及び面談の結果、鈴木を信用し、同人に対しその希望どおり貸付をすることとし、原告にその旨報告して了承を得た。

2  原告が鈴木に現金を交付した状況

次に、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

連休明けの同月一七日午前九時過ぎころ、鈴木から、ダイイチ信用の事務所に、融資金は小切手でよいから早くしたい旨の連絡があり、その後、融資金は小切手ではなく現金に変更された。中村は、同日昼ころ、本件土地に関しその後の権利移転等がないことを確かめるため、小沢司法書士に対し、本件土地の登記簿原本を閲覧調査するよう依頼し、同日午後、ダイイチ信用の従業員富山幸男(以下「富山」という。)と一緒に現金三二〇〇万円を持参して鎌倉駅に赴き、同所で鈴木と待ち合わせた上、同駅前の喫茶店において、借用証書、領収書、約束手形及び委任状等の必要書類の作成等を行った。

その後、同日午後三時すぎころ、中村、富山及び鈴木の三者は、小沢司法書士の事務所に赴き、同司法書士に対し、本件登記簿上権利関係が変更していないということを確認した後、登記必要書類を交付して極度額四〇〇〇万円の根抵当権設定登記申請手続を依頼した。そして、同司法書士から申請書類に不備がないとの説明を受けた後、同所において、中村が鈴木に対し、持参した現金三二〇〇万円のうちから利息分を差し引いた残額である三〇二四万円を交付した。

3  ところで、右1及び2の点に関し、被告は、借用証書の記載、資金の調達先及び現金交付の状況等に不自然な点が多く認められ、また、本件不正行為が発覚した前後の状況にも、原告が当初からこれを予知していたとも思われる行動があり、鈴木に対する金員交付の事実の存在は極めて疑わしいというべきであると主張するので、これらの点を検討する。

(一)  まず、鈴木が作成・交付した借用証書(<証拠>)については、市販の定型用紙であり、その記載も返済期限が記載されていない等、極めて簡略なものではあるが、借用証書としての必要最小限度の記載はされているのであり、物的担保を取り、早期の返済が確実であると判断した場合に、この程度の記載にとどめることが不合理であるとはいえず、これを不自然であるとまでいうことはできない。

(二)  また、資金の調達先については、原告は、その本人尋問において、鈴木に貸し付ける三〇〇〇万円の一部を調達するため、同業者である平山幸次に額面二三〇〇万円の預金小切手の現金化を依頼し、その後、本件の貸付時までに、右平山から現金二三〇〇万円の交付を受けた旨供述し、証人平山幸次もこれに沿う供述をしており、右各供述は、<証拠>の朝銀東京信用組合の平山幸次名義の預金通帳に昭和五九年九月一七日付で現金二三〇〇万円が払い戻されている旨の記載があることにも照合している。そして、<証拠>の預金通帳には、九月一七日付で平山の普通預金口座から払い戻された二三〇〇万円に関する記帳が、九月一八日付の一五〇三万円の入金の記帳の直後に記帳されており、その日時が前後しているが、これも<証拠>によれば、右記帳の日時が前後しているのは、平山が入金した二三〇〇万円の小切手の資金化の日が九月一九日であるため、九月一七日の入金直後にその払戻しの記帳をした場合は残高がマイナスになるので、金融機関側で平山のために便宜を図り、他に入金があり、残高がマイナスにならなくなった段階で二三〇〇万円の払戻しの記帳をしたためであることが認められる。そうすると、資金調達についても、格別不自然な点があったということはできない。

(三)  次に、現金交付の状況については、中村らが小沢司法書士事務所を来訪した際、事務所内にいた証人小沢太兵衛、同蔵並澄子及び同今節子らは、同事務所において現金が交付された事実を見た記憶がない旨供述しているが、同証人らの証言によれば、同証人らは、当時、登記申請手続依頼者相互間の現金交付の事実の有無に関し、格別関心をもって観察していたわけではないことが認められ、これに証人中村剛及び同富山幸男が現金は目立たぬように渡した旨証言していること(目立たぬように交付する必要があったのかどうかはさておき、右証言内容が格別不自然であるとは認め難い。)を併せ考えるならば、小沢らが現金交付の事実を目撃していないからといって、それが現金交付の事実を否定するに足りる根拠になるものではない。

その他、交付された現金の帯封の形状や現金交付の状況等についての証人中村剛、同富山幸男らの各供述も格別不自然であるとは認められず、細部に多少の食い違いが認められるが、それが右供述の信用性を損なうようなものではない。

(四)  さらに、本件不正行為が発覚した前後の状況については、被告は、本件貸付を行ったわずか二日後に中村が鈴木に架電して転売の成否を確認したり、逆に、鈴木の失踪後二日も経ってからやっと鎌倉警察署に被害申告をしており、また、本件不正行為が発覚した後も本件土地の真実の所有者である近藤眞佐子に連絡をとり鈴木との関係等を調査する等の行動をしていない点等を問題にしている。

最初の点については、<証拠>によれば、鈴木は、本件融資は、九月一七日に茅ケ崎の土地の不動産を転売するための資金であり、その取引による利益を得て早期に本件貸付金の返済をする旨を述べていたので、中村は、取引が終了していると思われる九月一九日にさっそく確認の電話をしたというのであるから、これが不自然であると決め付けることはできない。

次に、鎌倉警察署への被害申告については、前掲各証拠によれば、原告は、鈴木の失踪を九月一九日に知ったが、本件登記簿の改ざんを知ったのは、本件土地に関する鈴木の所有権移転登記申請関係書類が存在していないことが確認できた九月二一日であり、直ちに警察に被害申告をしているのであるから、この点も不自然であるとはいえない。

さらに、原告は、本件不正行為発覚後、近藤眞佐子に連絡しており、鈴木とは一切関係ないという回答を得ているのであり、一応の調査をしているのであって、この点も不自然であるとはいえない。

そのほか、本件不正行為が発覚した前後の状況には、原告がこれを予知していたとまで判断し得るようなものはない。

以上のとおり、結局のところ、被告主張の点も、本件貸付の事実の存在を疑わせるに足りる事情とはなり得ず、そのほか、本件貸付の事実を疑わせるに足りる事情はないというべきである。

二  請求原因2の事実について

<証拠>によれば、請求原因2の事実(本件登記簿謄本の本件記載が不実のものであったこと)が認められ、右認定に反する証拠はない。

三  請求原因3の事実について

何者かにより本件登記所備付の本件土地の登記簿原本の甲区欄に本件記載が不正記入されたことは当事者間に争いがない。そして、弁論の全趣旨によれば、本件口頭弁論終結時においても、本件不正行為の実行者は不明であり、本件不正行為を現認した者はいないので、その時期、方法及び態様等に関する直接的な証拠は存在しない。

しかしながら、本件登記所内部の者が本件不正行為を行ったということは通常考えにくく、そのような事実を示す証拠は一切ないので、本件不正行為は外部の者による犯行と推認される。そして、<証拠>によれば、本件記載には、活字の大きさや字画等が本件登記所において使用されているものと酷似したタイプ活字が使用されており、また、文字の配列、段落及び間隔も、従前のものと一致しており、さらに、偽造の登記官の印も、横浜地方法務局長訓令所定の形式、寸法に合致していると認められる。したがって、本件記載は、その場で直ちに処理できるようなものではなく、その不正記入には一定の時間を必要とするものと考えられる。そうすると、外部の者が不正記入をするためには、登記簿閲覧の機会に登記用紙を簿冊から抜き取り、他で不正記入をした後、元に戻していく以外の手段は考えにくいといわざるを得ず、これに本件登記所以外の登記所において同種手段による登記簿の改ざん事件が発生した例があること(このことは、<証拠>によりこれを認める。)に照らすと、本件記載もまた、閲覧の機会を利用し、登記簿冊から登記用紙を抜き取る方法でされたものと推認すべきであり、また、右記載がされた時期は、不正記入が発覚した昭和五九年九月に近接した時期と推認するのが相当である。他に右推認を覆すに足りる証拠はない。

四  請求原因4の事実(閲覧監視についての登記官の過失)について

1  登記簿の閲覧監視に関する登記官の義務

登記事務は国家が行う公証行為であって、これを担当する登記官は国の公権力の行使に当たる公務員に該当する。そして、不動産登記制度は、国が不動産に関する実体的権利関係を公示して、国民の閲覧に供し、もって、不動産取引の安全に資することを目的とするものであり、不動産登記簿は、その基本となる重要な公簿である。したがって、一般に、国の登記事務の処理に当たる登記官は、その職務を遂行する上で、「登記官ハ登記用紙ノ脱落ノ防止其他登記簿ノ保管ニ付キ常時注意スヘシ」(細則九条)とされ、登記簿を閲覧させるに当たっても、「登記用紙又は図面の枚数を確認する等その抜取、脱落の防止に努めること」(準則二一二条一号)、「登記用紙又は図面の汚損、記入及び改ざんの防止に厳重に注意すること」(同二号)が要求されている。これに不動産登記が現実の不動産取引において果たしている重要な役割を併せ考えるならば、登記官には、国家賠償法上も、閲覧者が登記簿冊の登記用紙を抜き取り、持ち去って不正記入をするような事態が生じないよう登記簿の閲覧を監視すべき職務上の注意義務があるといわなければならない。

2  登記官に要求される具体的な閲覧監視義務の内容

前示のとおり、本件不正行為は、本件登記簿の閲覧の機会に登記用紙を抜き取る方法でされたものと推認されるが、その場合、本件登記簿の閲覧の機会に不正行為が行われたということだけから、登記官に具体的にどのような閲覧監視義務の違反があったのかを確定することなく、直ちに閲覧監視義務違反があり、過失があったと判断するべきでないことはいうまでもない。この点については、閲覧監視義務といっても、監視措置には各種のものが考えられるのであるから、あくまでも、本件不正行為の内容を前提として、それを防止するための監視措置が採られていたのか否かが問題とされるべきであり、これを基に、閲覧監視義務が尽くされていたのか(例えば、閲覧者に一見して不自然な行為があったのに、職員が私用で離席していてこれを見落した点に義務違反がある等)を個別に検討する必要がある。

しかしながら、本件不正行為については、前示のとおり、実行者、時期、方法及び態様が具体的に明らかになっていないのであるから、ここで、具体的に登記官のどのような閲覧監視義務をとらえてその違反の有無を検討すべきか、が問題になる。

ところで、本件不正行為が、厳しい監視態勢の下においても容易に発見し難いような巧妙な方法・態様で行われたのか、あるいは、ずさんな監視態勢下においてかなり人目に付くような方法・態様で行われたのかは、不明である。しかし、当時、本件登記所において現実にとられていた閲覧監視態勢が、当時の状況下で、不正行為の防止という観点から一般に要求される程度に達しない不十分なものであった場合は、本件不正行為が後者の方法・態様で行われても成功する可能性があり、しかも、閲覧監視態勢がずさんなものであればある程、その可能性もまた高くなるわけである。

そうすると、右不十分の程度が全体的にはなはだしい場合は、本件不正行為が堂々と行われた可能性が高く、そうではないという事情が主張、立証されない限り、それだけで、本件登記所において一般に要求される程度に達する閲覧監視態勢をとってさえおけば本件不正行為を発見し防止できたはずであったと推認しても誤りではないといってよく、したがって、登記官に閲覧監視義務の違反があったと評価することができる。

これに対し、逆に、一般に要求される程度に達する閲覧監視態勢をとっていた場合であれば、そのような推認はそもそもできないのであるから、原則に戻って、他に本件不正行為を現実に防止し得たはずの具体的な閲覧監視義務の違反を主張、立証しない限り、登記官に閲覧監視義務の違反があるとはいえないということになる。

そして、本件登記所の閲覧監視態勢が、不正行為の防止という観点から一般に要求される程度に達しているか否かについては、不正行為が行われる頻度、不正行為防止措置の有効性の程度、その措置を実施することによるデメリット、実施のために必要な人的・物的手当の内容、当時の本件登記所における事務の繁忙の程度、人的・物的状況、増員の現実的な可能性等を総合的に考慮し、社会通念に従って判断すべき事柄である。

3  本件登記所における閲覧監視態勢

<証拠>によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  昭和五九年九月当時、本件登記所には、所長以下一〇名の正規職員と一名の臨時職員が配置されており、そのうち不動産登記に関する甲号事件には七名、登記簿の閲覧、謄抄本の認証交付に関する乙号事件には二名の各職員が配置され、残る一名は供託事件を担当していた。臨時職員は、粗悪用紙の移記作業を担当していたが、繁忙期には乙号事件の事務処理の補助をすることもあった。

他方、本件登記所の昭和五九年度の事件数は、全体に昭和五八年度に比べて増加しており、甲号事件が二万二二一七件、乙号事件が五六万三〇八九件(謄本申請が三二万四二四八件、抄本申請が一万八四五〇件、閲覧申請が二〇万八一二三件、証明申請が一万二二六八件)であり、甲号事件担当職員七名の一人当たり事件数は三一七三件、乙号事件担当職員二名の一人当たり事件数は二八万一五四四件であった。また、昭和五九年九月当時の来庁者の数は、一日平均して三〇〇名にのぼった。

本件登記所は、このような限られた数の職員で、増加する事件数を処理しなければならないという状況にあり、各職員らも繁忙を極めており、したがって、閲覧監視専従の職員を配置することは不可能であり、また、職員が輪番で一定時間だけ閲覧監視義務に専従する態勢をとることも現実には困難な状況にあった。

(二)  しかし、昭和五八年五月以降、本件登記所においては、登記簿閲覧の際の不正行為を防止するため、次の各措置を採っており、右各措置は、本件記載がされたと推認される昭和五九年九月当時も、継続して実施されていた。

(1) 昭和五八年五月以前は、閲覧場所には、卓球台のような大きな机が二台配置され、閲覧者が登記官に背を向けて座ることもあり、その場合は、閲覧者の手元が見えにくいという状況にあったが、昭和五八年五月以降は、閲覧机を三人掛けの幅の狭い横長の机六台に入れ替え、しかも、閲覧者の席が登記官と向い合い、閲覧者が背を向けて座ることがないように閲覧机をすべて同一方向に配置し、閲覧者が登記官の面前で閲覧をし、その手元が登記官から見通せるようにした。

(2) レイアウトを変更し、閲覧場所の周囲を登記官や本件登記所職員の執務机で囲み、しかも、所長席を閲覧机に近付け、所長席に座る登記官からは横方向から、いわゆる権利登記官の机に座る登記官からは正面方向から、それぞれ閲覧者を監視できるように各執務机を配置し、周囲の職員から常に閲覧者を監視できるようにした。

(3) 閲覧者が着席したときに背後からその動静を監視することができるようにするため、電動可変式の監視ミラーを閲覧机の後部上方に設置した。

(4) いわゆる権利登記官と向き合って着席する閲覧者全員に向けて、閲覧に当たり注意すべき事項を記載した警告用のプラスチックボードを設置した。

(5) 閲覧者が所持品を閲覧机の上に置いて、その陰で不正行為に及ぶことを防止するため、閲覧者の鞄などの所持品を置くための専用の台を設置し、閲覧机には大きい荷物を置かせないようにした。

(6) 公図を広げ、その陰で登記用紙を抜き取る態様の不正行為を防ぐため、登記簿の閲覧と公図の閲覧とを分離し、登記簿の閲覧は、公図を広げにくい前記の横長の机で行わせ、公図の閲覧は、別に設けた専用の図面台を二台設置し、この図面台で閲覧させるようにした。そして、コインコピー機を設置して、図面の閲覧者の便宜を図った。これらの措置は、同時に、閲覧の効率を上げ、閲覧場所に閲覧者が長時間滞留しないようにすることも目的とするものであった。

(7) 同様に閲覧者が閲覧場所に滞留しないようにするため、待合室の空間を広げていすを増やし、閲覧場所に閲覧者が座れる状況になったら待合室から呼び入れるようにした。

(8) 登記原簿の粗悪用紙の破棄・取替えを行い、一冊の原簿を簡素なものにし、短時間で登記簿の閲覧ができるようにし、不正行為が行われる素地を取り除いた。

(9) 登記用紙の抜取り防止のために、登記簿の簿冊をバインダーで挟み、そのバインダーに爪を一〇穴設け、両手で押さえて力を入れないとスプリングが効いていて容易に開閉できない構造のものにし、これをはずすときには金属的なスプリングの音が出るように工夫している。

(10) その他、職員に対する閲覧監視についての注意の徹底については、本件登記所の所長は、閲覧監視の業務を、乙号事件の担当者のみではなく他の職員も自己の職務の傍ら適宜従事させることにし、全員が協力、分担してこれを行う態勢を作り、また、全体会議その他の機会をとらえて、部下職員に対し、常に閲覧場所の様子に注意を払い、不審な挙動を示す者には警告を発する等の措置を講じるよう周知徹底させ、毎週月曜日に役付きの職員を集めて先週一週間の経過を反省する等のことを行っており、さらに、所長自身も、日に何回となく、閲覧場所の周囲を巡視し、閲覧者の動静に注意を払っていた。

そして、以上の閲覧監視態勢の下で、実際に、閲覧者が登記簿を閲覧場所の外に持ち出そうとするところを本件登記所の職員が発見し、未然にこれを防止したことがあったほか、閲覧者が閲覧机の下にある棚に登記簿を置いていたり、閲覧申請物件以外の物件を多数閲覧していた事実を発見したこともあり、職員の閲覧監視は一定の効果を上げている。

(三)  以上によれば、昭和五八年五月以降の本件登記所の閲覧監視態勢は、当時の人的、物的条件下で、様々な工夫と努力がされていることが窺われ、十分に機能し、所期の目的を達成しているものと評価すべきである。

4  原告が指摘する本件登記所の閲覧監視態勢の問題点

(一)  まず、原告は、登記官は、閲覧終了後に登記簿冊の枚数の確認をするべきであったと主張する。そして、<証拠>によれば、本件登記所においては、閲覧の前後に登記簿冊の枚数の確認をすることまではしていなかったことが認められる。

確かに、右枚数確認をすれば、本件登記簿の登記用紙の抜取りを発見し、本件記載がされることを防止できた可能性が高いとも考えられ、前示の準則二一二条一号も、登記用紙の抜取り、脱落を防止するための方法の一つとして、枚数を確認するやり方を挙げている。

しかしながら、閲覧の度に登記用紙の枚数を確認することは、相当の時間と労力を要するものであり、閲覧申請が極めて少ない登記所であれば格別、閲覧申請の件数が多いところでは、職員の負担が一気に増大するばかりか、それによる事務の停滞が閲覧の迅速処理を妨げ、閲覧申請者の利便を大きく損うことにもなりかねないのである。<証拠>によれば、本件登記所において枚数確認を実施するためには、それだけのために最低でも二名の増員を必要とするし、区分所有建物の登記簿の場合は、登記用紙の枚数は膨大なものになり、その確認にはより多くの時間を費やすことになって、そのため、長時間、閲覧申請者を閲覧終了後も登記所に留め置くことになることが認められる。

もっとも、本件のような不正行為が多発し、これを防ぐために他に有効な方法がないというような場合であれば、格別であろうが、不正行為を目的とする閲覧者は、極めて少数であると考えられ、また、犯人側において、登記簿原本の一部を抜き取った後に登記用紙に良く似た紙質の用紙を同数だけ差し入れる等の手段を講じるならば、容易に発覚を免れることができるのであり、枚数の確認が常に必ずしも有効な不正行為防止策ともいえないのであって、そうであれば、このような多大な負担を覚悟で、必ずしも常に有効とはいえない枚数確認を実施することが適切な措置であるといえるかは、極めて疑問であるというべきである。

したがって、本件登記所において、前示の閲覧監視態勢をとることに加えて枚数確認を実施することは、登記簿閲覧の円滑な実施を無視する結果につながり、これが現実的な措置であるとは到底考えられない。

そうすると、枚数確認の措置を採っていなかったからといって、本件登記所の閲覧監視態勢が一般に要求される程度に達しない不十分なものであったとはいえないというべきである。

(二)  次に、原告は、閲覧監視専従職員を配置するべきであった旨主張する。

確かに、本件のような不正行為を防止するためには、閲覧監視専従の職員を配置することが望ましいことはいうまでもない。しかしながら、登記所の限られた職員をどのような業務に何人配置するは、当該登記所の繁忙状況等を前提にして、個別、具体的に決めるべきものであり、閲覧監視専従の職員を配置していないことから、直ちに、そのような閲覧監視態勢は不十分なものであると評価すべきものではない。すなわち、専従の職員が配置されていなくても、他の人的、物的措置により閲覧監視が十分可能な状態になっているのであれば、その態勢が不十分であるとされるいわれはないというべきである。

そうすると、前示のとおり、本件登記所において閲覧監視専従の職員を配置することは、現実には不可能な状態にあったが、当時の人的、物的条件下で、様々な工夫と努力がされており、登記簿を持ち出そうとする者等を発見する等一定の効果を上げているのであって、専従者を配置していないことから、本件登記所の閲覧監視態勢が一般に要求される程度に達していないということはできない。

(三)  また、原告は、閲覧者の所持品持込みを厳しく規制すべきであった旨主張するが、前示のとおり、本件登記所においては、昭和五九年九月当時には、所持品を置くための専用の台を設けて、大きな荷物は閲覧机の上に置かせないように配慮していたことが認められるから、所持品規制はされていたものというべきであり、このことを根拠に本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。

(四)  また、原告は、監視カメラを設置すべきであったとも主張する。しかし、前示のとおり、本件登記所においては、昭和五九年九月当時、既に監視ミラーが設置されており、不正行為を行おうとする者に対する心理的抑制という見地からは監視ミラーの場合も相当の効果を期待できるというべきであるから、それ以上に監視カメラまで設置していなかったことをもって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。

(五)  また、原告は、本件登記所においては、閲覧者が多数の登記簿冊を閲覧机の前又は横に置き、監視者からは閲覧者の手元が見えないという状況が見られたのに登記官はこれを規制していない旨主張する。

確かに、<証拠>によれば、本件登記所においては、閲覧机の上に登記簿冊を多数置いて閲覧している閲覧者も一部存在していることが認められる。

しかし、前示の事実及び検証の結果によれば、本件登記所においては、閲覧者の横及び正面の二方向に職員の執務机を配置して閲覧者の手元が見通せるようにレイアウトを工夫し、閲覧机の後部には電動の監視ミラーを設置して閲覧者の背後からも監視できるようになっていたことが認められ、登記簿冊が閲覧机上に存した場合でも、職員の席からの見通しが全く妨げられている状況にあったとは認められない上、<証拠>によれば、本件登記所においては、閲覧者が閲覧机上に登記簿冊を多数置いて閲覧している場合には、登記簿搬出用台車を机のわきに置いて、登記簿冊をそこに収めてもらうようにしたり、閲覧者に確認した上で閲覧済みの登記簿冊を速やかに回収するようにしていたことが認められるから、たまたま閲覧者が閲覧机の上に閲覧中の他の登記簿を多数置いている状況を規制していないことがあったからといって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。

(六)  また、原告は、本件登記所においては、閲覧者の座席指定制が採られていなかった旨主張し、<証拠>によれば、右事実が認められる。

しかし、閲覧者の座席指定制は、複数の者が協同して不正行為を行うことの防止を目的とするものであろうが、不正行為は、必ずしも複数の者により行われるとは限らない上、<証拠>によれば、本件登記所の六台の閲覧机に着席できる閲覧者の数は最大でも一八名に過ぎず、二列に置かれている閲覧机の正面の権利登記官の席及び横の所長席からの見通しを妨げるような柱等の障害物もない状況にあったから、各職員は、随時着席したままあるいは自席と書庫とを往復する際等において、適宜監視することが可能な状況にあったのである。これらのことを併せ考えると、座席指定制を採る必要性は大きくないというべきであり、また、繁忙時には適宜補助いすを入れる必要があり、座席指定制はこの障害になることもあるのであって、いずれにしろ、座席指定制を採っていなかったからといって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。

(七)  また、原告は、短期間の間に同一登記簿を何回か閲覧する者がいた場合、これに疑いを持ち、その動静を注視するべきであった旨主張するが、そもそも、同一登記簿を何回も閲覧する者がいたからといって、常に疑いを持つべきであるとはいえないから、右主張は採用することはできない。

(八)  さらに、原告は、閲覧申請のあった物件の登記簿のみを閲覧させるか、閲覧用の写しのみを閲覧させるべきであった旨主張する。

しかし、閲覧申請の度に、登記簿冊から登記用紙をはずして閲覧させることは、登記用紙が散逸又は毀損するおそれがあり、かえって、登記簿の機能を損ない、不動産登記制度に対する国民の信頼を害する結果になりかねない上、職員の負担も増大することになることは明らかであり、不正行為防止のための方策として適切なものとは認め難い。したがって、右の措置を採っていなかったことをもって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。また、不動産登記法二一条一項は、登記簿そのものを閲覧させることを要求しているものと解される(同法一五一条の二以下参照)から、閲覧用の写しを作成してこれを閲覧させる措置を採らなかったとしても、それをもって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。

(九)  最後に、原告は、職員を増員して、原告の主張するような各措置に当たらせるべきであった旨主張する。

なるほど、職員を増員して閲覧監視態勢を強化すれば、不正行為の防止はより容易になることはもちろんであるが、そうであるからといって、増員をしないことが当然に閲覧監視義務違反であるということになるわけではない。増員措置を採ることが必要とされるのは、現行の人員による本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であり、増員をして態勢を強化しなければ、不正行為の防止という観点から一般に要求される程度に達することができないというような場合である。ところで、本件登記所においては、前示のとおり、当時の人的及び物的態勢の下で相当の閲覧監視態勢がとられていたのであり、加えて、本件登記所において、職員の増員配置についての予算的措置が速やかに確保されるような状況はなかったのである(この点は、<証拠>により認められる。)。

そうすると、このような状況において、閲覧監視のみに専従する人員や枚数確認のための職員等を増員配置していなかったとしても、直ちに本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であるということはできない。

5  結論

以上によれば、本件登記所の閲覧監視態勢について原告が指摘する問題点は、いずれも、閲覧監視態勢が不十分であるとする根拠にはならないというべきである。

そして、前記3で判示したとおり、右閲覧監視態勢が十分に機能していた等の点を総合すると、本件登記所の閲覧監視態勢は、不正行為の防止という観点から一般に要求される程度には達していたというべきである。

そうすると、結果的に閲覧の機会に本件不正行為が行われたとしても、そのことから直ちに登記官に閲覧監視義務違反があったと推認・評価することはできないといわなければならない。そして、本件不正行為の具体的態様及び方法が明らかになっていない以上、本件において、進んで登記官に本件不正行為を現実に防止し得たはずの具体的な閲覧監視義務の違反があったことまでを認定することができるような事実関係の主張、立証もないといわざるを得ない。したがって、結局、本件登記所の登記官に閲覧監視義務違反の過失がある旨の原告の請求原因4の主張は理由がない。

五  請求原因5の事実(登記簿謄本の作成及び交付に当たっての登記官の過失)について

登記官の登記簿謄本の作成は、登記簿原本に記載されているところを全部遺漏なく写し取ることであり、登記簿原本に偽造の記載が含まれている場合は、登記官は、これを除いて謄本を作成するべきであって、準則二〇九条一号が、登記簿原本と謄本との間に相違がないということを確かめるよう要求しているのも、この趣旨を含んでいると解される。したがって、登記簿原本に不実記載があり、これが一見して判別できる態様のものであるのに、これを看過したような場合は、登記官に過失があるといわざるを得ない。しかし、この点の点検は、右不実の記載が行われること自体稀であることからいっても、肉眼により行えば足りると解すべきであるから、不実の記載が精巧に行われ、肉眼による通常の点検だけでは発見できないようなものである場合は、登記官に過失があるということはできないというべきである。

これを本件についてみると、前示のとおり、本件記載は、正規の記載例にのっとり、同種のタイプ活字をもって記載されており、その文字の配列、段落及び間隔も従前のものに一致しており、また、偽造登記官印の印影も横浜地方法務局長訓令所定の形式及び寸法に合致し、過去に本件登記所に在職していた元登記官麻生担志及び昭和五九年当時の本件登記所の登記官斉藤躋造の各登記官印と酷似しているのである(後者の点は、<証拠>により認めることができる。)。そうすると、本件登記簿上の本件記載は、登記簿謄本を作成、交付する登記官が、本件登記簿を肉眼で点検しても発見することができないようなものであると認められるから、それを看過して本件登記簿謄本を作成、交付したことにつき、登記官に過失はないというべきである。

六  以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千葉勝美 裁判官 小林昭彦 裁判官 清水 響)

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