東京地方裁判所 昭和59年(ワ)13254号
原告
外川由郎
右訴訟代理人弁護士
斉藤誠
被告
フクダ電子東京南販売株式会社
右代表者代表取締役
安立和夫
右訴訟代理人弁護士
寺西昭
主文
一 原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有することを確認する。
二 被告は、原告に対し、昭和五八年六月以降毎月二五日限り一か月金三〇万八一一〇円の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、被告の負担とする。
四 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文同旨の判決及び仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和四三年一月二一日フクダエレクトロに入社し、会社の組織変更にともない、昭和五四年一月被告設立とともに被告に雇用された。
2 原告の被告における賃金は、毎月二五日限り支払われてきており、昭和五八年五月当時は、月額三〇万八一一〇円であった。
3 被告は、昭和五八年五月二八日に原告を解雇(以下「本件解雇」という。)したとして、原告と被告との間の雇用契約の存在を争っている。
4 よって原告は、被告に対し、雇用契約上の権利を有することの確認及び昭和五八年六月以降毎月二五日限り一か月金三〇万八一一〇円の割合による賃金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
すべて認める。
三 抗弁
1 被告は、原告に対し、昭和五八年五月二八日本件解雇の意思表示をした。
2 本件解雇の理由は、次のとおりである。
(一) 原告は、被告の社員であった益本雅樹(以下「益本」という。)及び大関潔(以下「大関」という。)並びに被告の嘱託であった葛西宏治(以下「葛西」という。)と共謀して、昭和五七年一二月半ばころ被告の親会社であるフクダ電子株式会社(以下「本社」という。)の代表取締役社長福田孝(以下「福田社長」という。)に対し、被告の代表取締役専務坪井弘(以下「坪井専務」という。)に関して虚偽の事実を列挙して同人の処置を求める匿名の書面を作成し、これを福田社長宅に投函した。
(二) 匿名投書という方法で、事実無根の虚偽の事実を並べたて自己の上司である坪井専務を誹謗し、事実上人事権を掌握している福田社長にその処置を求めた原告の右行為は、被告の従業員の懲戒基準を定めた就業規則九〇条一号「正当な理由なく、業務上の指示命令に従わず職場の秩序を乱し又は業務の正常な運営を阻害する行為のあった時」、同条四号「職場の内外を問わず、会社の名誉、信用を害するような行為をしたとき」及び同条五号「風紀を乱し又は素行不良で業務上悪影響を及ぼす行為をしたとき」に該当し、被告の従業員の論(ママ)旨解雇及び解雇の基準を定めた賞罰規定一八条四項に該当する。
3 被告は、昭和五八年五月二三日に賞罰委員会を開催し、原告を就業規則九一条七項に基づき論旨解雇にすることを決定し、同月二四日その旨を原告に通知し、三日以内の退職願の提出を求めたが、退職願の提出がなかったので同月二八日解雇の通知を行った。
4 被告は、同月三〇日東京都民銀行立川支店の原告の口座に三〇日分の解雇予告手当を振込んだ。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は認める。
2 (一) 抗弁2(一)の事実は否認する。
(二) 抗弁2(二)の事実は争う。
3 抗弁3の事実のうち、被告が論旨解雇を原告に通知し三日以内の退職願の提出を求めたこと(ただし、その日は昭和五八年五月二三日である。)、退職があるのを待ったが依然として名乗り出る者がいなかったため、被告は、本件投書の関与者の調査を興信所に依頼した。
興信所の筆跡鑑定により、昭和五八年二月ころ本件投書は被告のある社員の妻が書いたものであるとの結論が出されたが、坪井専務がその社員から事情を聞いたところその社員は本件投書への関与を強く否定し、興信所の調査によっても本件投書の関与者の特定には至らなかった。
昭和五八年三月一六日に、東京都文京区に所在する湯島神社の近くの飲食店「大将」(以下「大将」という。)で原告、益本、大関、葛西及び被告の社員であった戸塚孝一(以下「戸塚」という。)の五人が、被告と同様に本社の子会社であるフクダ電子東京販売株式会社社長槌井善治(以下「槌井社長」という。)及び同社営業部次長小沢莞爾(以下「小沢次長」という。)の二人に会って話をするということがあった。
坪井専務は、槌井社長から右の大将での会合についての話を聞いて、原告、益本、大関及び葛西の四人が大将での会合において本件投書への関与を認めたものと理解し、大将での会合の出席者等から事情を聞いたうえで右四人が本件投書の関与者であると判断した。
そこで、被告は、昭和五八年五月二三日に賞罰委員会を開催し、原告及び益本は論旨解雇(被告の就業規則には、諭旨解雇ではなく論旨解雇と規定されている。)、大関は降格処分、葛西については嘱託契約を解除することとし、同日ころ論旨解雇を原告に通知して三日以内の退職願の提出を求めた(被告が原告に対し論旨解雇を通知し三日以内の退職願の提出を求めたことは日付の点を除き当事者間に争いがない。)が、退職願の提出がなかったため同月二八日本職(ママ)願の提出がなかったので同月二八日解雇の通知を行ったことは認め、その余の事実は知らない。
4 抗弁4の事実は認める。
第三証拠(略)
理由
一 請求の原因事実は、すべて当事者間に争いがない。
二 そこで、本件解雇の効力について判断する。
1 本件解雇に至る経緯
(証拠略)、被告代表者及び原告本人の各尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件解雇に至る経緯について、以下の事実が認められる。
昭和五七年一二月ころ、被告の社名入りの封筒に入れられた手紙(以下「本件投書」という。)が、福田社長の自宅に投函された。本件投書は、不良長期在庫、架空売上等七項目の具体例をあげ、いずれも坪井専務の責任にかかるものであるとして、福田社長に坪井専務の処置を求める内容のものであった。
坪井専務は本件投書を見せられ、その数日後に、被告の社員全員を集め本件投書の内容を読みあげたうえで、身に覚えのある者は申し出るように話したが名乗り出る者はいなかった。その後本件投書のコピーを社内に掲示し、申出で件(ママ)解雇の通知を行った(この点は当事者間に争いがない。)。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 原告が本件投書に関与したことが認められるかについて、判断する。
(一) 原告が本件投書に関与したことを裏付ける方向で作用すると考えられる証拠としては、以下のものがある。
(1) 証人葛西宏治の証言
同人の証言の要旨は、次のとおりである。
被告の社員は、目黒の「ニース」や世田谷の「すえひろファイブ」という飲食店に毎日のように集まっており、その場で昭和五七年一月に被告の専務に就任した坪井専務に対する不満が出され、同年一〇月ころには原告益(ママ)本、大関及び葛西を中心にして福田社長に対して投書をしようという話が持ち上がった。投書に記載する具体的内容の資料集めは、主に原告と大関が行い、同年一一月末か一二月初めには右の四人で投書の文案をまとめ益本の友人の奥さんに清書をしてもらい本件投書を作成した。その後同年一二月のうちに葛西と益本の二人で福田社長の自宅まで行って本件投書を投函した。被告が依頼した興信所の調査によりある社員の奥さんが本件投書を書いたという結論になってしまったので、槌井社長に相談しようということになり、昭和五八年三月ころに大将で原告、益本、大関、戸塚及び葛西の五人が槌井社長及び小沢次長に会い、原告も同席していたときに本件投書の関与者は原告、益本、大関及び葛西の四人であることを打ち明けたうえで善後策を話合った。
(2) 証人戸塚孝一の証言
同人の証言の要旨は、次のとおりである。
槌井社長から戸塚のところに、興信所の調査により本件投書は被告のある社員の奥さんが書いたものであるとの結論が出て困っているのだがという話があったりしたので、槌井社長と本件投書の件で話をしてみようと思い、昭和五八年三月に原告、益本、大関及び葛西に連絡をとり五人で槌井社長及び小沢次長の二人と大将で会った。その席では原告もいるときに、葛西が槌井社長らに対して自分と原告、益本及び大関の四人が本件投書の関与者であると打ち明けていた。本件投書の内容のうち、4NHKという項目の半田先生に対する心電図判読料の支払いについて原告から聞かれたことがあり、支払申請書と領収書を原告に見せたところ、原告はそのコピーをとっていたようだったので、この点に関しては結果的に自分が資料を提供してしまったことになると思うし、本件投書の内容のうちその他のいくつかの点についても、本件投書がある前に原告から問い質されたことがあった。
(3) 被告代表者坪井弘の供述
同人の供述の要旨は、次のとおりである。
昭和五八年三月に槌井社長から大将での会合の内容についての話を聞いたところ、原告、益本、大関及び葛西の四人が自分たちが本件投書に関与したことを認め、戸塚は原告からいろいろな点について聞かれてそれに答えたにすぎないということだった。その後、各人から事情を聞いたところ原告及び益本は本件投書に関与したことを認めなかったものの、葛西は本社の次長に対して本件投書に関与したことを認め、戸塚は大将での会合の内容について槌井社長とほぼ同一のことを話したので、原告、益本、大関及び葛西の四人が本件投書の関与者であると判断した。
(4) 乙第五号証(戸塚孝一の坪井専務宛の報告書、昭和五八年 月 日との日付けの記載があり、月日欄は空欄となっているもの)
この報告書の記載の要旨は、次のとおりである。
本件投書の中で一か所だけある人に話をかけられて説明をしたことがある。昭和五八年三月一七日、原告、益本、大関、葛西及び戸塚の五人と槌井社長及び小沢次長の七人が大将で本件投書のことについて話をし、葛西がまだ同席していない原告及び大関の両名と益本と自分の四人が本件投書の関与者であり、本件投書は益本の友人に書かせたと話をした。
(5) 乙第六号証(戸塚孝一の坪井専務宛の昭和五八年二月二五日付供述書)
この供述書の記載の要旨は、次のとおりである。
昭和五七年一一月中旬ころに、原告からNHKに心電図判読料として売上げた分の心電図判読料の支払先がどこかを聞かれたことがあった。
(6) 乙第七号証(大関潔の坪井専務宛の始末書、昭和五八年七月一三日という日付のうち七月が六月と訂正されているもの)
この始末書の記載の要旨は、次のとおりである。
今般原告、益本両名と行動をともにし、会社組織上御迷惑をおかけして申し訳ありません。
(7) 乙第九号証(大関潔の坪井専務あての昭和五八年六月一三日付誓約書)
この誓約書の要旨は、次のとおりである。
以前に原告、益本両名と付き合っていましたが、今後個人として両名と付き合いません。
(二) まず、大将における会合について、会合が持たれるに至った経緯、会合において話された内容及び会合後の状況の点を検討する。
(1) 証人小沢莞爾、同槌井善治及び同大関潔の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、大将での会合が持たれるに至った経緯については、以下の事実が認められる。
昭和五八年三月一六日の夕方ころ、戸塚から小沢次長にこれから相談したいことがあるとの電話があり、大将で会合が持たれることになった。小沢次長は相談の内容は本件投書に関することであろうと考え、一人で行くのは荷が重いので槌井社長に頼んで一緒に行ってもらうことになり、午後八時ころ大将についた。原告及び当時被告の組合の副委員長であった大関は、同日午後五時すぎころ被告の事務所を出て本社の組合に行き、昭和五八年一月に原告が降格処分を受けた件で話合いをしていたところ、原告に何回か電話が入ったものの相談中であるとして出ないでいたが同組合に来てから約二時間たったころに原告が電話にでると戸塚からの電話であり、大将にきてほしいと言われ、原告と大関は何の用事かわからなかったが大将に向かい、午後九時か九時半ころに到着した。
これに対して、証人葛西宏治は、原告、益本、大関、葛西及び戸塚の間で本件投書について槌井社長に相談しようということになり、戸塚が槌井社長に連絡をとって大将で会うことになったと証言し、証人戸塚孝一は、戸塚の判断で本件投書の件で槌井社長に相談しようと考え昭和五八年三月一六日ころの午後四時ころ小沢次長に槌井社長の都合がよいかどうかを確認し、槌井社長と大将で会うことにし、原告と大関には被告の事務所でその旨を伝え、葛西には原告から連絡してもらったと証言しているが、槌井社長が大将での会合に出席することになったのは小沢次長の依頼によるものであり、戸塚が槌井社長に出席を求めた事実はないことは証人小沢莞爾及び同槌井善治の各証言により明らかであるが、証人葛西宏治及び同戸塚孝一の各証言はいずれもこれに反すること、証人葛西宏治が証言するように原告が本件投書の件について槌井社長に相談することを事前に了承していたのであればその会合の日取りとして原告が組合に相談に行く日が選ばれるのは不自然であり、証人戸塚が証言するように原告が組合に行く前にその日の夜本件投書の件で槌井社長に相談することになったことを知らされたのであれば、組合での話をどれくらいで切り上げるか、原告らが大将につくまで相談は始めないのか、組合での話が長引いた場合の連絡はどうするのかなどの点について原告と戸塚との間で話合いがあってしかるべきであるのにそのような話合いは全く行われていないのは不自然であることなどからすれば、証人葛西宏治及び同戸塚孝一の各証言のこの点に関する部分はいずれも信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上によれば、原告は大将に行くにあたっては、そこでの会合が何の目的で持たれたのか、戸塚以外には誰が出席しているのかについては全く知らなかったものと認められる。
(2) 証人小沢莞爾、同槌井善治(後記措信しない部分を除く。)及び同大関潔の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、大将での会合において話された内容については、以下の事実が認められる。
槌井社長と小沢次長は午後八時ころ大将に着き、原告と大関が遅れて来る予定であると聞かされ両名を待っていたが、なかなか来ないので話を始めることとし、原告と大関が大将に到着する前に葛西が槌井社長に対し、本件投書は益本の友人に清書してもらったものであり、本件投書はわれわれが行ったものであると関与した者の具体的な名前は挙げずに話をし、これに対して槌井社長は、坪井専務にあやまるか福田社長にあやまるかしたらどうかとの提案をするなどした。その後午後九時か九時半ころ、原告と大関は大将に着いたが、その時点では本件投書に関することはほとんど話されず、原告と大関が来てから約三〇分後に大将での会合はお開きになった。
証人槌井善治の証言中の、原告と大関は葛西が本件投書に関する説明をしている最中に大将に来ており、大将をでる一時間か一時間半前には到着しているとの部分は、前掲各証拠に照らし措信できない。
さらに、証人葛西宏治及び同戸塚孝一は、原告と大関がいるときに葛西が槌井社長に対し原告、大関、益本及び葛西の四人が本件投書に関与したと話をしているとそれぞれ証言しているが、証人小沢莞爾及び同槌井善治が大将の席ではわれわれがやったという話が葛西からあっただけで具体的な名前は出なかったとそれぞれ証言していることに反すること、証人小沢莞爾が本件投書についての葛西の話があったのは原告と大関が大将に来る前であったと証言していることと矛盾すること、戸塚は乙第五号証においては「葛西氏がまだ同席してない外川、大関両名と益本と私(葛西氏)の四人で投書を作りましたと話しました。」と記載していることなどからすれば証人葛西宏治及び同戸塚孝一の各証言のこの点に関する部分はいずれも信用できない。
また被告代表者坪井弘は、大将での会合の数日後に槌井社長に会い、同人から大将での会合で原告、益本、大関及び葛西の四人が自分たちが本件投書に関与したことを槌井社長に対して認めたという話を聞いたと供述しているが、証人槌井善治は大将ではわれわれがやったという話が葛西からあっただけで具体的な名前は出ていないと証言していることからすると、この点は坪井専務の聞き間違いであると考えられ、被告代表者坪井弘の供述のこの点に関する部分は措信できない。
以上のとおりであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(3) 大将での会合後の状況については、証人大関潔の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告と大関は午後九時半か一〇時ころ大将を出て大関の車が止めてあった東京大学の構内に行き、車に乗って新宿方面に向かい、原告は新宿駅近くで車から降り大関と別れたことが認められる。
これに対して、証人葛西宏治及び同戸塚孝一は、大将の会合が終ってからは原告、益本、大関、葛西及び戸塚の五人は近くの旅館に泊まることにして、そこで以後の対応策について話合ったところ、原告が槌井社長に話をしたのはまずかったと言ったりしていたが、福田社長に話してみようということになり、翌朝は午前七時半ころ旅館を出て、原告、益本、大関及び戸塚の四人で大関の車に乗って被告の事務所に行ったとそれぞれ証言しているが、(証拠略)によれば、原告は大将の会合の翌朝は被告の事務所には出勤せず東京都杉並区内の医科器械店に直接営業に行っていることが認められ、両証人の各証言はこの事実に反することなどからすれば、証人葛西宏治及び同戸塚孝一の各証言のこの点に関する部分はいずれも信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(4) まとめ
以上によれば、原告は大将での会合で自分が本件投書の関与者であることを認めたとはいえないこと、原告は大将に到着するまではそこでの会合の目的を知らず、原告が大将に着いてからは本件投書の話はほとんど出なかったのであるから原告が大将での会合に出席したことを原告が本件投書に関与したことの間接事実であると考えることは相当でないことが明らかであり、結局大将での会合が持たれたことは、原告が本件投書に関与していることの証拠とはならないものといわなければならない。
(三) 証人葛西宏治の大将での会合に関する部分以外の証言について
証人葛西宏治の証言の要旨は前記二2(一)(1)のとおりであり、同証人は大将での会合に関する部分以外では、原告らと本件投書を作成しようとの相談をしたこと、原告と大関が本件投書に記載する具体的内容の資料集めを行ったこと、原告らとともに本件投書の文案をまとめたことなどを証言しているが葛西自身が直接に関与したことが明らかである福田社長宅への本件投書の投函についての証言が詳細で具体的であるのに対して原告の本件投書への関与についての右証言内容は具体性に欠けること、大将での会合についての同証人の証言から明らかなように同証人には殊更に原告の不利になるように証言しようとしている傾向が窺えることなどからすれば、証人葛西宏治の証言中の本件投書への原告の関与を述べる部分は信用できない。
(四) 証人戸塚孝一の大将での会合に関する部分以外の証言について
証人戸塚孝一の証言の要旨は前記二2(一)(2)のとおりであり、同証人は大将での会合に関する部分以外では、本件投書が行われる前に本件投書のNHKという項目の半田先生に対する心電図判読料の支払いの点など何点かについて原告から問い質されたことがあること、心電図判読料の支払いの点に関しては原告に支払申請書と領収書を見せたことがあり原告はコピーをとっていたようだったことなどを証言しているが、乙第五号証では「投書の中で一箇所だけが、ある人に話しをかけられて説明をしたことがありました(この件については、供述書として坪井専務に提出してあります。)。」と記載されており、乙第六号証では「昭和五七年一一月中旬ころに外川由郎氏よりNHKに心電図判読料として売上げた分の心電図判読料の支払先名をどこへ支払いをしたか聞かれたことがありました。それについては、会社として理由があり操作上やむを得ず行ったことであると話をしたことがありました。」と記載されておりいずれも証言の内容とは異なるものであること、証人戸塚孝一についても大将での会合についての証言内容から明らかなように原告に殊更に不利になるような証言をしている傾向が窺えることなどからすれば、証人戸塚孝一のこの点に関する証言は信用できない。
(五) 被告代表者坪井弘の尋問の結果について
被告代表者坪井弘の供述の要旨は前記二2(一)(3)のとおりであり、槌井社長から大将での会合で原告、益本、大関及び葛西の四人が自分たちが本件投書に関与したことを認めたと聞いたと供述している点が措信できないことは前記二2(二)(2)のとおりであり、戸塚からもその旨を聞いたと供述している点については大将での会合で原告がいる時に葛西が原告、益本、大関及び葛西の四人で本件投書を行ったと話したとの戸塚の証言が信用できないことは前記二2(二)(2)のとおりであって坪井専務が戸塚からそのように聞いていることを根拠として原告が本件投書に関与していると認めることができないことはいうまでもない。
(六) 書証について
(1) 乙第五号証について
乙第五号証の記載の要旨は前記二2(一)(4)のとおりであり、このうち大将での会合で葛西が原告、大関、益本及び葛西の四人が本件投書に関与していると話したということが信用できないことは前記二2(二)(2)のとおりであり、その他の点はそこに記載されていることが事実であるか疑問もあり、仮に事実であるとしても原告が本件投書に関与したことを認めるに足りるものではない。
(2) 乙第六号証について
乙第六号証の記載の要旨は前記二2(一)(5)のとおりであり、記載されていることが事実であるか疑問があるが、仮に事実であるとしても原告が本件投書に関与したことを認めるに足りるものではない。
(3) 乙第七号証及び第九号証について
証人大関潔の証言によれば乙第七号証はこれを書かなければ大関自身も原告と同様に解雇になると坪井専務に言われたために書いたものであることが認められ、その真意に基づいているものとは認められず、また乙第七号証及び第九号証はその記載内容自体からしても原告が本件投書に関与したことを認めるに足りるものではない。
(七) 結論
以上のとおり、原告が本件投書に関与したことを裏付ける方向で作用すると考えられる証拠は、いずれも信用できないものかあるいは原告が本件投書に関与したことを認めるに足りるものではないものであり、原告が本件投書に関与した事実は認められず、本件投書については、葛西が関与したことは明らかであるものの、他に誰が関与したのかは不明確であるといわなければならない。
3 したがって、本件解雇は就業規則に定める懲戒事由が存在しないにもかかわらず行われたものであって無効であるというべきである(なお、本件においては、仮に原告が本件投書に関与した事実が認められるとしても、それが就業規則に定める懲戒事由に該当しかつ本件解雇を相当とするものであるか否かの点は、当事者間の争点とはなっていないが、この点からも本件解雇の効力には問題がなるといわなければならない。)。
三 原告は、昭和五八年五月二八日に被告の事務所において解雇通告を受け、翌日は日曜日であったので同月三〇日より本件提訴まで毎朝始業時間である午前九時までに被告に対して労務提供を欠かさず行ったものであり、これに対して被告は原告の労務提供を拒否し続けたと主張し、被告はこの事実を否認しているが、前記のとおり本件解雇は無効であり、原告の就労債務が履行不能となったのは被告の「責ニ帰スヘキ事由」によるものであるから、原告は本件解雇後に就労債務について履行の提供をすると否とにかかわらず民法五三六条二項本文の規定により賃金請求権を失わないと解すべきである。
四 以上によれば、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山本剛史)