東京地方裁判所 昭和59年(ワ)3866号 判決 1987年9月25日
原告
甲町幸子
右訴訟代理人弁護士
池田眞規
同
牧野二郎
原告補助参加人
甲町次雄
右訴訟代理人弁護士
高橋勉
同
木ノ内建造
同
細野卓司
右訴訟復代理人弁護士
佐藤安信
被告
甲野一雄
右訴訟代理人弁護士
佐藤圭吾
同
小野寺昭夫
被告
乙川すみ子
被告
甲野道雄
被告
丙山規子
右訴訟代理人弁護士
畠山国重
右訴訟復代理人弁護士
永島正春
被告
丁田八重子
右訴訟代理人弁護士
岡田弘隆
被告
戊本秀行
主文
一 浦和地方法務局所属公証人富田孝三作成にかかる昭和五八年第二四九九号遺言者甲野太郎の公正証書による遺言は無効であることを確認する。
二 被告丁田八重子は別紙財産目録一記載の土地、建物について浦和地方法務局川口出張所昭和五九年五月一四日受付第二〇四九七号の所有権持分移転登記の抹消登記手続をせよ。
三 被告甲野一雄、同乙川すみ子、同甲野道雄及び同丙山規子はそれぞれ別紙財産目録一記載の土地、建物について浦和地方法務局川口出張所昭和五九年七月二五日受付第三二九四一号所有権持分移転登記の抹消登記手続をせよ。
四 原告が別紙財産目録二記載の株式及び同目録三記載の預貯金について二分の一の共有持分を有することを確認する。
五 原告のその余の請求を棄却する。
六 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一ないし第四項、第六項同旨
2 被告戊本秀行は別紙財産目録二、三記載の株式、預貯金につき、遺言の執行をしてはならない。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 甲野太郎(以下「太郎」という)は別紙財産目録記載の各土地、建物、株式及び預貯金を所有していた。
2 原告は太郎の妻であり、被告甲野一雄(以下「被告一雄」という)、同乙川すみ子(以下「被告すみ子」という)、同甲野道雄(以下「被告道雄」という)、同丙山規子(以下「被告規子」という)及び補助参加人はいずれも太郎の子である。
3 太郎は昭和五九年三月二六日死亡した。
4 太郎はこれに先立ち、昭和五七年一月二八日付公正証書により別紙財産目録第一記載の土地、建物(以下「本件土地、建物」という)を原告に相続させる旨の遺言をした。したがつて、原告は本件土地、建物の単独所有権を取得した。
5 ところが、被告らは太郎を遺言者とする別紙遺言目録記載内容の昭和五八年一〇月一九日付浦和地方法務局所属公証人富田孝三作成にかかる昭和五八年第二四九九号遺言公正証書(以下「本件公正証書」という)による遺言(以下「本件遺言」という)なるものが存在すると主張している。
6 また、本件遺言に基づき、本件土地、建物について、被告丁田八重子(以下「被告丁田」という)は浦和地方法務局川口出張所昭和五九年五月一四日受付第二〇四九七号の所有権持分移転登記を、同一雄、同すみ子、同道雄及び同規子は同出張所昭和五九年七月二五日受付第三二九四一号の所有権持分移転登記をそれぞれ経由している。
7 しかし、本件公正証書の作成過程において、太郎の遺言の趣旨の口授はなかつたものであるから、原告は、本件遺言が無効であることの確認を求めるとともに、被告らに対し、所有権に基づき本件土地建物について所有権持分移転登記の抹消登記手続を求め、また、法定相続により取得した別紙財産目録二記載の株式及び同目録三記載の預貯金の二分の一の共有持分を有することの確認を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実はいずれも認める。
2 同4の事実について
(被告規子)
不知。
(その他の被告ら)
否認する。
3 同5及び6の事実はいずれも認める。
4 同7は争う。
三 抗弁
本件公正証書は、太郎が昭和五八年一〇月一九日財団法人鳩ケ谷中央病院(以下鳩ケ谷中央病院」という)○○○号室において、証人岡田弘隆、同戊本秀行二名の立会いを得て本件公正証書の内容を公証人富田孝三に口授し、右公証人がこれを筆記して太郎及び証人二名に読み聞かせ、太郎及び同証人らが筆記の正確であることを承認したのち、各自これに署名、押印し、更に右公証人が本件公正証書が右記載方式にしたがつて作られたものである旨付記してこれに署名捺印して作成されたものである。
したがつて、本件遺言は有効である。
四 抗弁に対する認否
太郎が本件公正証書の内容を口授したことは否認する。
太郎は後記の事情により、本件公正証書作成の当時、言語障害のため口述能力を完全に喪失しており、公証人に対し本件遺言の内容を口授することは不可能な状態にあつた。
五 再抗弁
仮に、本件公正証書が太郎の口授により作成されたものであつたとしても、本件遺言当時太郎には意思能力がなかつたから、本件遺言は無効である。すなわち、
(1) 太郎は、昭和五七年三月一八日心筋梗塞、脳動脈硬化症、急性肺炎の併発により鳩ケ谷中央病院に入院し、その二年後満八二歳で死亡したが、この間脳機能の障害が進行し、昭和五七年一〇月には脳梗塞となり、言語障害と意識障害がみられるようになつた。そして、その自主的判断能力の低下現象が日を追つて進行し、本件遺言がなされたという昭和五八年一〇月一九日当時、太郎はもはや遺言をなす精神能力を欠いていた。
(2) 更に、右のような太郎の精神機能障害の進行と併行して被告らは連日太郎の病室に追しかけて来ては、原告の同室への入室を実力をもつて阻止するとともに、太郎に対し、原告の中傷を吹き込み続け、原告との離婚や原告を相続人から廃除することを執拗に要求するなど外的圧力を加えるようになつた。そのため、太郎は物事を自主的に判断する意欲を失い、自発性や関心も低下して当時その人格水準の低下は痴呆状態にあつたものである。
六 再抗弁に対する認否
否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因について
1 請求原因1ないし3、5及び6の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
2 請求原因4(遺言による本件土地、建物の単独所有権の取得)について判断する。<証拠>によれば、太郎は昭和五七年一月二八日東京法務局所属公証人丸山武夫作成にかかる昭和五七年第〇〇五〇号遺言公正証書により「遺言者はその所有財産のうち左記物件を遺言者の妻甲野幸子に相続させる。」として、本件土地、建物を原告に相続させる旨の遺言をしていることが認められる。右認定の事実によれば原告は前記太郎の遺言により本件土地、建物の単独所有権を取得したものと認められる。
3 以上、請求原因事実は全て認められる。
二抗弁について
以下に述べるとおり、本件公正証書が存在することは認められるが、本件全証拠によつても同公正証書作成の過程で太郎が本件遺言の趣旨を口授したことはこれを認めるに足りない。
1 <証拠>によれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 原告(大正八年五月一六日生)は昭和四七年、○△運輸株式会社及び○△運輸倉庫株式会社の代表取締役であつた太郎(明治三四年一月一三日生)と婚姻した。被告一雄、同すみ子、同道雄及び補助参加人並びに被告規子はそれぞれ太郎と前妻との間の子であり、被告丁田は後記のとおり、昭和五七年四月から当時鳩ケ谷中央病院に入院していた太郎の付添婦をしていたものである。
(二) 原告と被告一雄、同すみ子、同道雄及び同規子とはこれまで疎遠な関係にあり、特に昭和五七年二月下旬以降太郎が心筋梗塞、脳動脈硬化症等のため入院治療や自宅療養を要するようになつてからは、同被告らが原告の看護のし方に不満をもらすなど必ずしも折り合いがよくなかつたところ、昭和五七年六月一九日鳩ケ谷中央病院において、太郎及び原告が○△運輸株式会社の各持株全部を当時同会社の専務取締役であつた補助参加人にそれぞれ金六〇〇万円、金約三〇〇万円で譲渡し、これにより後日補助参加人が右会社の代表取締役に就任したことを機に、被告丁田からの通報によりこのことを知つた被告一雄、同すみ子、同道雄らがこれを大きく問題にして太郎に働きかけるなどし、遂に太郎と補助参加人との間で右株の譲渡、代表取締役の地位の交替に関し紛争が生じるようになり、同年六月二三日には太郎名義で赤羽警察署に補助参加人に対する私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載罪の告訴がなされ、また、その後東京地方裁判所に太郎や被告一雄、同すみ子、同道雄を原告とし、補助参加人を被告とする取締役会決議無効確認等請求事件、株主権確認等請求事件、株主総会決議不存在確認等請求事件が相次いで係属するようになつた。そして、右紛争の発生と同時に、原告も同被告らから補助参加人に加担した者と見られ、同被告及びその配偶者らが同月下旬ころから連日太郎の病室に待機していては、原告が太郎のもとに近づくことを阻止するなどし、そのため原告と太郎との夫婦としての交流が次第に遠のく結果となつてしまい、このような状況のもとで、右被告らからの強い働きかけもあつて、同年一〇月ころ浦和家庭裁判所に太郎を申立人とする原告との離婚調停が係属して、その後これが離婚訴訟に移行し、また、昭和五八年二月三日には遺言者を太郎とする原告及び補助参加人を相続人廃除する旨の遺言公正証書が作成されるに至つた。
(三) 更に、このようななかにあつて、当時付添婦として太郎の食事や排泄等身の回りの世話一切を担当していた被告丁田と太郎との関係が急速に緊密化するようになり、昭和五七年八月には太郎は同被告と一時右鳩ケ谷中央病院を脱け出して、約三週間にわたり福島県いわき市内の同被告方に滞在するなどした。また、右旅行から帰つた後からは、太郎において右いわき市内の被告丁田の郷里に新居を購入し、余生を同被告とともに送りたいとしているとの名目で、被告丁田の遠縁に当たる被告戊本秀行(以下「被告戊本」という)がその代理人となり、右新居用にいわき市内の土地、建物を探すなどし、更にその購入代金の手当てとして同年一一月下旬、太郎名義の同人の自宅である本件土地、建物の売却方を被告戊本に委任する旨の委任状が作成されたり、同月二二日には、太郎から被告丁田に対する合計金三〇〇〇万円の預金債権贈与契約の公正証書が作成されたりするに至つた。
2 しかし、他方、前掲各証拠及び録音テープの検証の結果によれば、以下の事実が認められる。
(一) 太郎はかねてから心筋梗塞、脳動脈硬化症の持病を有していたが、昭和五七年二月二一日風邪による発熱を呈したことから東京都北区内の赤羽中央病院に入院し、同年三月二日同病院を退院後、自宅療養中更に急性肺炎をも併発したため同月一八日鳩ケ谷中央病院に入院した。そして右鳩ケ谷中央病院入院中にも太郎の右脳循環器系の疾患が次第に進行し、同年九月初頃脳軟化症と診断されるとともに、同月末には脳梗塞の発作を起こすに至り、このため右発作を機に、左半身不随等の運動機能障害及び著しい言語機能障害を呈するようになつた。特にその言語機能障害の程度については、本件検証の対象テープが録音された時である昭和五八年三月一一日前記原告、太郎間の離婚調停事件に関連して、同事件の太郎側代理人弁護士も立合いの上、原告側代理人弁護士から太郎に対し同調停申立の意思確認の事情聴取が行われた際には、太郎は右両代理人の質問に対し、何か応答らしき発声をするものの、すぐにその声がのどに詰まつたようになつて言葉にならず、発言としては極めて不明瞭で、到底日頃から同人の発言を聞き慣れない第三者にとつてその意味内容が理解できる程のものではなかつたことが認められる。そして、この事実に、そもそも脳梗塞とは脳血管の梗塞に基づく虚血状態により当該部位の脳組織の破壊、変性を生じさせるというその病気の特質や右発作後太郎において、特に言語機能回復のための専門的治療を受けていないことが本件証拠上明らかであること等の諸事情をも併わせ考えれば、本件公正証書作成当時においても、太郎の言語能力は右と同程度のものであつたものと推認される。
なお、証人富田孝三、被告戊本及び同丁田は本件公正証書作成の当時、太郎が「はい」とか「そうです。」「結構です。」「ご苦労さま。」等の語を第三者にも聞き取れる程かなり明瞭に発言していた旨供述している。しかしながら、右両被告のこの点に関する供述はいずれもあいまいな点が多い上、先に行われた次の証人富田孝三の証言に迎合した供述をしているものとも認められ、これらをにわかに採用することはできない。証人富田孝三の右証言については、同証人は同一証言中において、太郎が右のようにかなり明確な返答をしていたとする部分もあるものの、一方においては、当時の太郎の言語能力は到底一定の長さの応答に耐え切れる状態ではなく、単に肯定、否定を表わす単語を受働的に発するのみで言語として不十分という印象を受ける点もあつたとする部分もあり、また、前記乙第五号証の二の記載内容に照らせば、当時同証人の注意意識としては本件で問題となつている太郎の具体的発声、発言状況いかんという点よりはむしろ同人の精神状態が正常か否かという点に重点が置かれていたものと認められるところ、当時同証人において太郎の病状にしては比較的同人の意識がはつきりしていた感を受けたことから、その印象が鮮明なあまり本件訴訟において前記のような証言をするに至つたとも推察され、その時間的経過による記憶の変様をも考慮すれば、同証人の右証言をさほど重視することはできない。
(二) また、本件公正証書の作成経過としては、まず、本件公正証書の作成者である公証人富田孝三において、あらかじめ本件遺言の執行者兼証人の被告戊本が作成、提出していた本件遺言の内容を記したメモをもとにするなどして本件公正証書の原稿を起案、用意し、その上で鳩ケ谷中央病院において太郎と対面し、その際、同公証人の質問に対する前記(一)認定のような太郎の簡単かつ受働的な言動をもつて、その意思が右原稿の内容と相違ないものと認め、これをそのまま公正証書として作成するに至つたものであるところ、右本件公正証書の原稿の基調となつた被告戊本作成のメモなるものは、そもそも、昭和五七年一〇月二四日被告丁田において、太郎から遺言作成の依頼を受けたとの名目で同人の病室から本件遺言の対象財産である本件土地、建物の権利証や預金の通帳、株式のリストを被告戊本方まで持参した上、同被告との間で本件遺言の作成及び遺言の内容等について相談し、その際被告戊本が同丁田の話から録取して記したメモ(乙第七号証)等をもとにして作成されたものであつて、本件公正証書の基盤となつたその原稿の作成過程自体、はたして太郎の真意が反映されたものか疑わしい程、過度に本件遺言に深い利害関係を有する他人の介在があつたものと認められる。
これに対し、被告丁田及び同戊本はいずれも、同被告ら自身がそれぞれ直接太郎から本件遺言作成の依頼やその遺言内容の説明を受け、これを正確にメモして右公証人富田に伝えたのであつて、前記本件公正証書の原稿は太郎の真意がそのまま記されたものである旨供述する。しかしながら、右の点に関する同被告らの供述は結局抽象的であいまいな内容に終始している上、特に太郎から遺言作成の依頼を受けた経緯、状況についての供述等に不自然な点が多く、これらを採用することはできない。
3 右2で認定した各事実に照らすと、前記1で認定した事実によつては太郎において、本件遺言をする動機があつたことを肯定することができないわけではないが、しかし、それ以上に未だ本件遺言公正証書の作成過程で過度に本件遺言に深い利害関係を有する他人の介在によつて、民法九六九条が要求する「遺言の趣旨の口授」といえる程度の遺言者の言動があつたと認めることは困難であり、他に太郎が本件遺言の趣旨を口授したことを認めるに足りる証拠はない。
三以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、本件遺言は無効といわざるをえない。したがつて、原告の本訴請求は請求の趣旨第2項を除き、理由があるというべきであるが、被告戊本に対し、本件遺言の執行を差止める旨請求する部分については、現行法上このような差止請求権を定めた規定はなく、その実体法上の根拠を欠くといわざるをえないから、失当である。
四結論
以上、原告の本訴請求中遺言無効確認請求、抹消登記手続請求及び共有持分権確認請求はいずれも理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官村重慶一 裁判官武田聿弘 裁判官加々美光子)
別紙遺言目録
第一条 遺言者は、その有する別紙目録記載の不動産、株式及び預貯金を遺言者の長男甲野一雄(大正十五年九月四日生)遺言者の長女乙川すみ子(昭和三年十二月十六日生)遺言者の三男甲野道雄(昭和十年三月二五日生)及び遺言者の長女丙山規子(昭和二八年四月二五日生)の四名に相続させる。但し不動産の共有持分、株式、預貯金の取得割合は一雄、道雄、規子の三名が各一万分の二一二五宛、すみ子が一万分の一五〇〇とする。
前項に相続させるとあるのは、この遺言の効力発生と同時に遺産分割協議を要しないで右財産が右相続人等に帰属する趣旨である。
第二条 遺言者はその有する別紙目録記載の不動産の共有持分の一万分の二一二五及び別紙目録記載の株式、預貯金の取得割合一万分の二一二五を丁田八重子(昭和八年三月二四日生)に遺贈する。
第三条 遺言者は遺言執行者を左のとおり指定した
会社役員
遺言執行者 戊本秀行
昭和二一年六月生
別紙財産目録<省略>