東京地方裁判所 昭和59年(ワ)4224号 判決 1988年3月16日
原告 ナイアガラ・フォールス・ガイドサービス・リミテッド
右代表者取締役 タカシスズキ
右訴訟代理人弁護士 外山興三
同 細谷義徳
同 仲谷栄一郎
同 小谷ゆり子
同 根岸隆
被告 ティ・シィ・アイ・オペレーションセンターこと トラベラーズ・カウンセル・インターナショナル株式会社
右代表者代表取締役 沖中繁男
右訴訟代理人弁護士 山崎源三
同 新井弘治
同 新居和夫
主文
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1. 被告は原告に対し、金一〇三二万五五九九円及びこれに対する昭和五九年四月二六日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2. 訴訟費用は被告の負担とする。
3. 仮執行の宣言。
二、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
1. (当事者)
(一) 原告は、通称ナイアガラ・ガイド・サービス・リミテッドの名のもとに、カナダ国オンタリオ州ナイアガラフォールス市において、観光業を営むカナダ法人である。
(二) 被告は、日本において、海外旅行の際に現地のホテル、交通機関、観光案内等の手配を行う旅行手配代行者(いわゆるツァーオペレーター)としてティシィアイオペレーションセンターの略称で旅行業を営む株式会社である。
2. (旅行サービス提供契約)
(一) アメリカ法人の訴外ティシィアイ・アメリカ・ツァーズ・インク(以下「TCIアメリカ」という。)は、昭和五七年八月ころ、原告に対して、被告が旅行手配を行うアメリカ、カナダ方面の海外旅行客に対して、ナイアガラ滝及びトロント市において、バス、リムジン、観光船、昼食、夜食その他のサービスを原告が代わって手配し、旅行客に提供し、当該サービスを提供した関係業者にその費用を立替払いをするよう依頼し、これを承諾した原告との間でサービス提供契約を締結した。
(二) 右契約に基づき、原告は、昭和五七年八月一二日から昭和五八年八月二〇日までの間、別表のとおり、主としてトロント市、ナイアガラフォールス市において、バス、ガイド、通訳、レストラン等の手配代行を行い、合計五万二二二七・九七カナダドルの旅行サービス費用(以下「本件サービス費用」という。)をサービス提供者に立替払いした。
3. (被告の支払義務)
(一) TCIアメリカの法人格否認
(1) TCIアメリカは、アメリカ法人で被告とは形式上別会社であるが、実質は、被告の北米における連絡事務所または手配代行業務の実施事務所にすぎず、実質上被告と同一会社である。それ故、TCIアメリカの法人格は、少なくとも本件では否認されるべきであり、被告は、TCIアメリカが原告に依頼し、これによって原告が立替払いした本件サービス費用を原告に支払うべきである。TCIアメリカが被告と実質上同一会社であることは、以下の事実から明かである。
(2) TCIアメリカは、昭和三八年ころ、加藤和彦らによって「トラベラーズ・カウンセル・インターナショナルインク(英字頭文字をとってTCIと略称されていた。)」の社名で米国ニューヨーク州法人として設立され、米国における日本人旅行客の地上手配(ランドオペレーション)を業務としていた。その後、昭和五一年ころ、社名を「TCIアメリカツアーズインク」と改め、事務所もロスアンゼルスに移転した。
一方、昭和五〇年一〇月ころ、脇次郎らが中心となって、日本で訴外ティシィアイジャパン株式会社(以下「TCIジャパン」という。)が設立され、その直後、同社は、TCIアメリカの全株式を約三〇〇〇万円で買取り、全株式を保有し、完全な子会社とした。TCIジャパンは、日本のランドオペレーターとしての業務とともに、一般旅行業者としての登録を行い、一般旅行業も行っていた。当時のオペレーター部門の責任者は、社長の加藤和彦で、同人は、TCIアメリカの社長も兼任し、一般旅行業部門の責任者は会長の脇次郎であった。次いで昭和五一年五月、TCIジャパンが中心となってロンドンに訴外ティシィアイ・ヨーロッパ・リミテッド(以下「TCIヨーロッパ」という。)が設立され、沖中繁男を社長として、ヨーロッパ方面のオペレーションの実行組織とした。すなわち、一般旅行業者とはTCIジャパンが契約し、そこで旅行客の日程等の旅行条件・手配代行代金一切が決定され、同社の指示により、その指示通りにTCIアメリカが手配代行を現実に行うだけであった。
(3) 被告会社は、昭和五七年七月ころ、設立されたものであるが、その設立は、TCIジャパンのオペレーター部門の全部、従業員の殆ど全部、顧客の全部を継承してなされた。また、被告会社は、TCIジャパンの大阪事務所の借室、電話、ファックスなど一切を継承して、被告の大阪事務所とした。
そして、社外に対しては、被告とTCIアメリカとの関係は、TCIジャパンとTCIアメリカとの関係と全く同じである旨表明した。
(4) 被告の社名は、前述したように、TCIアメリカの設立当初の商号と全く同一である。そのうえ、被告は、TCIオペレーションセンターなる異称を一般に使用しているが、右異称は、明らかにTCIグループのオペレーション業務の中心を意味しているのであり、被告自身がTCIグループの中心を自称していることにほかならない。
(5) TCIアメリカの取締役は、昭和五七年二月以来、社長村上健男、副社長若林哲史、取締役佐藤和良、同脇次郎、同山本和明であったが、同社の経営には脇次郎、山本和明の両名は全く関与しておらず、村上健男も昭和五八年一月に辞任しているのであって、実際に経営に関与していた取締役は、佐藤和良、若林哲史、村上健男(一時期)の三名である。
ところで、右佐藤和良は、被告会社の営業本部長であり、その上司は被告会社の沖中社長である。すなわち、TCIアメリカは、沖中社長、即ち被告会社が支配していた会社なのである。
(6) 被告とTCIアメリカとの関係は、単に資本や人的な関係に留まらず、実際の業務の執行の面においても、両社の支配、混同は著しい。例えば、TCIアメリカの一般旅行業者に対する請求書には、TCIアメリカの社長として被告の沖中社長の名前が記載されていたり、請求書に記載されたTCIアメリカの東京事務所、大阪事務所の電話番号、ファックス番号、テレックス番号は、いずれも被告の事務所のものである。また、TCIアメリカ名義の日本におけるドル建預金口座としては、第一勧業銀行虎ノ門支店、協和銀行新橋支店が明かとなっているが、右各銀行口座は、TCIアメリカが所在するアメリカでは引出しが不可能で、日本でのみ可能であるところ、第一勧業銀行虎ノ門支店の口座の預金引出権者は、村上健男、中山和則、佐藤和良の三名であり、協和銀行新橋支店の口座のそれは、若林哲史、中山和則、森内憲の三名である。そして、右の者のうち、中山、森内の両名は、被告会社の従業員で、TCIアメリカとはなんらの関係もない。若林と村上は、預金の引出しができないアメリカに居住していたのである。これはTCIアメリカの預金口座が現実には、被告会社によって支配、管理されていたことを意味するものである。また、被告やTCIアメリカが扱った手配旅行代金は、TCIアメリカ名義の預金口座にすべて送金されていたのではなく、一般旅行業者からは被告の預金口座にも送金されていた。
(7) 実際の業務についても、TCIジャパンのときと同様に、旅行条件は、一般旅行業者と被告との間で決定され、TCIアメリカは、被告の指示した通りに手配を実施するのみであった。すなわち、TCIアメリカは、被告に対し、現地の旅行サービス料金に基づく手配代行の料金表を提出していたが、被告にとっては、右は単なる参考資料として扱われたにすぎず、被告は、料金表以下の金額で価格を決定することも稀ではなかったのである。そして、被告が手配代行を引き受けたツアーの名称は、「TCI***ツアー」と称され、その冒頭にTCIとつけられていた。このツアー名のつけかたは、単にTCIアメリカから原告らへの連絡に関してだけでなく、被告と一般旅行業者との間でも時には同様だったのである。この表示は、TCIグループが手配代行したツアーであることを示すものであり、そのグループの中心は被告なのである。
(8) 前記のようにTCIアメリカの日本における代金の請求、集金は被告のもとに管理され、支配されていたのであって、被告からの送金が停止されれば、TCIアメリカは、現地の責任者の意向にかかわりなく閉鎖するよりほかはないという状況にあり、実際そのとおりになったのである。すなわち、被告の営業本部長佐藤和良は、昭和五八年五月、TCIアメリカの若林副社長に対し、同社を八月末で閉鎖することを指示したが、右は、佐藤の上司である沖中社長の意思であることは容易に推認される。また、被告は、TCIアメリカ閉鎖直後、被告が手配代行を引き受けたツアーのうち、北米方面については、スカイパックインクなる会社を通じて手配する旨旅行業界に通知したが、右通知は、被告、TCIアメリカ、TCIヨーロッパ三社名で出された。TCIアメリカ閉鎖後も、同社名義の預金口座には一般旅行業者からの送金があったが、その預金残高から佐藤和良は、任意のものに対して、勝手に支払をしていた。
(9) 以上のように、TCIアメリカは、被告によって、業務の代金も決定され、収入も送金も完全に支配され、被告の沖中社長によって、TCIアメリカの社長のように名前を使われ、更に意識的に被告と一体の会社であると宣伝され、その旨旅行業界で公認され、手配業務も被告の指示通り実施してきたにすぎないものであり、したがって、TCIアメリカは、被告が引き受けた手配代行業務に関しては、北・中米及びカナダ方面の被告の連絡窓口かまたは手配実施事務所にすぎない。TCIアメリカは、被告と同一の法人格とみなされるべきである。
(二) TCIアメリカの代理依頼
(1) 被告は、昭和五七年七月、TCIアメリカに対し、被告が一般旅行業者より手配代行を受けたツアーに関し、北米方面において、被告を代理して、現地のランドオペレーターに対し、手配代行を依頼する権限を与えた。
(2) TCIアメリカは、右代理権に基づき、被告を代理して、原告に本件手配代行を依頼した。
(3) よって、被告は本件サービス費用を原告に支払うべきである。
(三) 旅行業者としての代払義務
(1) 一般旅行業者は、旅行者のために、旅行サービスの提供業者と契約するものであり(手配契約)、右契約の法律的効果は、旅行者と旅行サービス提供者との間に生ずる。したがって、サービス費用の支払義務者は原則として旅行者であるが、一般旅行業者は、旅行サービス費用を旅行者に代わって、自ら代払する義務がある。これがあるからこそ旅行者は旅行出発前に旅行代金全額を一般旅行業者に支払うのであり、旅行サービス業者も、一般旅行業者による手配を受諾し、外国人旅行者である日本人旅行者にその支払能力も確認せずに旅行サービスを提供するのである。即ち、右一般旅行業者の代払義務は、一般旅行業者と旅行者との間の特約であるとともに、それにとどまらず、海外を含めた旅行業全体に周知の慣習法である。
(2) 一般旅行業者が旅行サービス費用全額を、第一次の手配代行者であるランドオペレーターに支払った場合には、その支払の効果として、第一次の手配代行者も旅行サービス費用の代払義務を負担する。これは、旅行サービス提供業者ではない第一次手配代行者に対して、旅行費用全額を支払う一般旅行業者と第一次手配代行者間の特約である。また、同様に第一次手配代行者が旅行サービス費用全額を第二次手配代行者に支払った場合は、第二次手配代行者も代払義務を負担する。第三次、第四次の手配代行業者が存在する場合も同様である。
(3) そうして、右一般旅行業者、第一次手配代行者、第二次手配代行者などの旅行サービス提供業者に対する代払義務は、すべて重畳的に負担されるものであって、仮に一般旅行業者が第一次手配代行者に旅行サービス費用全額を支払っても、旅行サービス提供業者に対する弁済がなされない以上、一般旅行業者は、自己の危険負担において第一次手配代行者に支払をしたものとして、代払義務が免除されるものではない。
(4) 本件において、第一次手配業者である被告は、一般旅行業者から本件にかかる旅行サービス費用全額の支払を受けており、したがって、原告が立て替えた本件サービス費用を代行する義務がある。
4. (被告の不払いによる損害)
原告は、被告が支払義務があるのに本件立替金の支払をしないため、やむなく、担当者二名を日本に派遣し、左記の費用を支弁し、同額の損害を受けた。右は、被告の債務不履行による損害であって、被告が賠償すべきものである。
記
(一) 往復航空運賃 一五〇五・五カナダドル及び一一四八合衆国ドル(以下単にドルと表示したときは合衆国ドルを指す。)
(二) ホテル代、電話代その他雑費 五二万円
5. (結論)
よって、原告は被告に対し、本件立替金五万二二二七・九七カナダドル、即ち邦貨にして九二七万八二九八円(換算レート一カナダドル=一七七・六五円)、損害賠償として一五〇五・五カナダドル、即ち邦貨にして二六万七四五二円、一一四八ドル、即ち邦貨にして二五万九八四九円(換算レート一ドル=二二六・三五円)、及び五二万円の合計一〇三二万五五九九円並びにこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五九年四月二六日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因に対する否認
1. 請求原因1の各事実は認める。
2. 同2の各事実は否認する。
3. 同3の(一)の各事実は否認する。被告は、TCIアメリカの日本における代理店である。被告は、同社の承諾を得て、日本の旅行業者と手配代行契約を締結し、代行費用もTCIアメリカの管理下にある銀行口座に送金依頼していた。そしてこれらの銀行口座の預金の出し入れは、TCIアメリカの指示のもとに行われ、口座の管理台帳の原本は毎月TCIアメリカに送付してチェックされている。原告は、TCIアメリカの銀行口座のサイン権者に被告の社員がなっていることや一般旅行業者への請求書などのサインが被告の代表者名でなされていることをあげて、被告とTCIアメリカが同一会社であると主張するが、代理店として非居住者の銀行口座からの送金事務を担当する以上、代理店の社員がサイン権をもつのは当然であるし、請求書に代理店の社長がサインしても相手方が了解している以上問題になることではない。また、被告は、TCIジャパンのランドオペレーター部門を引き継いで別会社になったものではない。被告の設立は、TCIジャパンが昭和五七年五月ころ、代理業をやめることを検討していることを聞いた沖中が、TCIヨーロッパの日本における営業代理店として開設したことによるのである。したがって、株主も沖中自身の知人とTCIジャパンの社員のうち沖中の計画に賛同した者が主体となって構成されている。TCIジャパンのオペレーター部門の社員の一部が被告に入社したのも廃業に伴い不要になる社員を雇用したためである。TCIジャパンの一部財産をTCIヨーロッパが債権の代物弁済として譲り受けたものを更に被告が譲り受けているが、これとても不要の什器備品や解約になれば大幅に減価する保険掛金、返還するとすれば原状回復に多額の費用を要する事務所の保証金等を簿価のまま引き取ったのであり、TCIジャパンにとってメリットのある処分であった。原告の主張は失当である。
同3の(二)の各事実は否認する。被告は、TCIアメリカの代理店であったのであり、TCIアメリカが被告の代理をすることはない。
同3の(三)の主張は争う。原告の主張は独自の見解に立つものであって到底賛同することはできない。なお、被告は、旅行費用として集金した金員はすべてTCIアメリカに送金しており、被告は、同社に対し、貸付金約四万ドル、代理店手数料として約七万五〇〇〇ドルの債権を有している。
4. 同4のうち、被告が本件立替金の支払をしないことは認めるが、賠償責任があるとの主張は争う。
第三、証拠<省略>
理由
一、請求原因1の事実(当事者)は当事者間に争いがない。
二、<証拠>によると、原告は、TCIアメリカの依頼により、別表記載の年月日に、同表ツアー名欄記載の日本人団体旅行がカナダ国のナイアガラフォールス市やトロント市を中心とした観光旅行に伴うホテル、レストラン、バス、ガイドなどの旅行手配を行い、各サービス提供業者に対して、料金を支払い、TCIアメリカに対し、別表金額欄記載の旅行手配契約に基づく債権合計五万二二二七・九七カナダドルを取得したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
三、原告は、TCIアメリカは、被告の北米における連絡事務所または手配代行業務の実施事務所にすぎず、被告会社と実質上同一会社であって、TCIアメリカの法人格は否認されるべきであると主張する。
そこで以下検討するに、<証拠>によると、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。
1. (旅行手配代行業者)
(一) 海外旅行を扱う日本の一般旅行業者が、旅行者との間で結ぷ契約には、旅行業者自らが予め旅行の目的地及び日程、旅行者が受けることができる運送又は宿泊のサービスの内容並びに旅行者が旅行業者に支払うべき対価に関する事項を定めた旅行計画を作成し、これに参加する旅行者を募集して実施する、いわゆる主催旅行契約と、旅行業者が旅行者の求めに応じて、旅行者が運送又は宿泊のサービスを旅行先で受けられるように手配する、いわゆる手配旅行契約とがあるが、いずれの場合も、旅行業者は、旅行に伴う宿泊や運送などの、いわゆる旅行サービスを提供する業者に対し、旅行サービスの提供について手配することが主要な業務となるところ、日本の旅行業者が海外における旅行サービスの手配を行うについては、時差の問題や言語の問題などから種々の困難があり、このため、日本の旅行業者に代わって、海外で現地の旅行サービス提供者を調査し、これと交渉し、予約したりチケット等を購入したりして、旅行サービスの提供を確保することや現地の旅行に関する情報を提供することを業務とする旅行手配代行業の需要が起こった。
(二) そのため、旅行業者に代わって、旅行手配をすることを業とする業者が旅行業者との間で手配代行契約を締結し、海外各地に拠点をもって活動するようになった。これらの業者は、旅行業界にあっては一般にツアーオペレーターと呼ばれ、外国において設立された外国法人であって、日本に支店、支社等を設けている場合もあれば、日本法人であって、外国に支店、支社を設けている場合もある。また、これらの業者の中には、直接旅行者と旅行契約をすることができる旅行業も兼ねて行っているものもある。旅行手配をするについては、自ら直接サービス提供業者に手配することもあれば、更に別の手配代行業者に再依頼して行うこともある。
(三) 原告会社も右のような手配代行を主たる業務とする会社であって、日本人がカナダにおいて、昭和五一年に設立した会社であり、後述のTCIアメリカ、TCIヨーロッパも同様の会社である。
2. (TCIアメリカの設立)
(一) TCIアメリカは、昭和三八年三月一五日、加藤和彦、宮野昌彦らが中心となって、アメリカ合衆国ニューヨーク州において資本金一〇万ドルで設立された旅行会社であり、当初の商号は、トラベラーズ・カウンセル・インターナショナル・インクであり、略してTCIとも称していた。TCIアメリカは、主に日本人旅行者が北アメリカを旅行するにつき、その必要とするサービスの提供を、日本の旅行業者に代わって手配することを業務とすることを目的に設立された会社であるが、その設立時期が早かったことなどから、日本の旅行業界にあってはかなり知られた存在であった。日本におけるセールス活動(日本の旅行業者にTCIアメリカを利用して貰うための活動)は、特に日本に支店、支社を設けず、加藤らが年に数回訪れることによってなされていた。
(二) その後、TCIアメリカは、本店をカルフォルニア州のロスアンゼルスに移転し、商号もTCIアメリカツアーズインクと変更した。
3. (TCIジャパンとTCIヨーロッパの設立)
(一) TCIジャパンは、昭和五〇年一〇月二一日、東京都港区虎ノ門において、旅行業を主たる目的として設立された。資本金は、一億四三〇〇万円でこの約半分は、脇次郎の出資によるものであり、設立当初の取締役は、脇次郎、服部恒一郎、河合良紀、佐藤和良、新妻和昭の五名で、代表者は、脇次郎と服部恒一郎の二名であった。当初は、TCIアメリカの日本における営業活動をすることを主たる業務としていたが、まもなく、日本における一般旅行業の登録も行い、自ら企画したパック旅行(主催旅行)の販売もするようになった。しかし、主力は旅行手配の代行であったところ、TCIアメリカの活動区域である北アメリカへの旅行客が冬季においては少ないため、冬季においても旅行客の多いヨーロッパに手配代行をしてくれる提携会社が必要と考えるようになった。
(二) TCIジャパンの取締役であった佐藤和良は、かつて、ロンドンを中心にヨーロッパ全域を対象にして旅行業と手配代行を行っているミキツーリスト・カンパニイ・リミテッド(イギリス法人。以下「ミキツーリスト」という。)に勤務していたことから、かつての上司であったミキツーリストの営業部長沖中繁男にTCIジャパンと提携する会社をロンドンで作ることを勧めた。もともと自分で旅行会社を経営したいと考えていた沖中は、右佐藤の話をミキツーリストの社員である角田制司、井上誠らにして相談した結果、ミキツーリストの他の社員も誘って新会社を作ることにし、昭和五一年五月三一日、ロンドンにおいて、資本金五万一六一〇ポンドのTCIヨーロッパを設立した。右資本金のうち、約四割をTCIジャパンが負担し、残りの大半は沖中繁男と井上誠の両名が負担し、残りの部分はミキツーリストからTCIヨーロッパに移った社員が保有した。TCIヨーロッパの当初の役員は、TCIジャパン側の脇次郎、服部恒一郎、佐藤和良、旧ミキツーリスト側の沖中繁男、角田制司、井上誠、大場直哉の七名であり、代表者には沖中がなり、社員はミキツーリストを退社した者が殆どであった。
(三) その後、TCIジャパンは、TCIアメリカの加藤和彦、宮野昌彦の両名から、TCIアメリカの全株式を一〇万ドルで買い取り、資本的にTCIアメリカとTCIヨーロッパは、TCIジャパンを中心にして結ばれることになり、昭和五二年六月には、TCIヨーロッパの沖中繁男、TCIアメリカの加藤和彦、宮野昌彦もTCIジャパンの取締役に就任し、加藤和彦がTCIジャパンの代表取締役社長になり、脇次郎は、代表取締役会長になった。また、営業活動の面においても、以上の三社は、TCIグループとして、宣伝し、旅行業界にも売り込んだ。
(四) 当時、TCIアメリカは、ロスアンゼルスに本社を置き、ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴ、ラスベガスなどに支社を持ち、TCIジャパンから流される日本の旅行業者からの依頼による旅行手配を、直接サービス提供者と交渉し、予約するなどして行い、あるいは原告のような地方の手配代行業者に再依頼することにより行っていた。その活動の中心は、アメリカに居住していた加藤和彦らであった。また、TCIヨーロッパもロンドンの本社のほか、パリ、ローマ、マドリッド、ベルリン、デュッセルドルフ、フランクフルト、ハンブルグ、アムステルダム、ジュネーブなどに支店、支社、代理店などを配置し、TCIアメリカと同様、TCIジャパンから流されてくる日本の旅行業者からの依頼による旅行手配を行っていた。
4. (北米ツアーズの設立とTCIアメリカ)
(一) 昭和五五年、TCIジャパンの社長は、加藤和彦から佐藤和良に代わったが、昭和五六年三月ころ、TCIジャパン、TCIアメリカから加藤和彦、宮野昌彦ら旧TCIアメリカの者が退職し、新たにアメリカにホクベイ・ツアーズ・インク(日本名北米ツアーズ)を設立した。右設立は、従来のTCIアメリカの現地における営業ネットワークと顧客を殆ど持って行く形でなされたため、TCIアメリカに打撃を与え、それまで順調だった営業状態も不振に陥り、昭和五七年ころより、TCIアメリカは、取引先への支払も遅れがちになった。
(二) 加藤らが退職後のTCIアメリカの取締役は、脇次郎、佐藤和良、山本和明、村上健男、若林哲史であり、村上健男が社長、若林哲史が副社長となり、右両名がアメリカに在住して、アメリカの業務を統括するようになった。
5. (TCIジャパンの解体)
(一) TCIジャパンは、当初は、TCIアメリカと提携して旅行手配の代行をすることを専らとしていたが、まもなく、日本において一般旅行業の登録も受け、脇次郎が中心となって、旅行者に対して、自ら企画したパック旅行(主催旅行)の販売もするようになった。ところが、昭和五六年ころより、TCIジャパンの中で、沖中繁男を中心とするオペレーター部門と脇次郎を中心とする旅行販売部門が対立するようになった。すなわち、TCIジャパンの経営は、設立後、黒字を出したこともあるが、多くは赤字であり、その経営不振の原因について、脇次郎らの見解と沖中繁男らの見解が相違し、互いに他の部門が会社不振の原因と見ていたことや、もともと脇次郎らは、旅行客を相手とする一般旅行業の出身であり、手配代行(オペレーター)を専らとしてきた沖中ら旧ミキツーリスト出身の者の行動や考え方になじめないところがあったうえ、主催旅行の販売と旅行業者の手配代行とではその業務に競合するところがあったため、互いに不信を抱くようになったのである。
(二) そこで、脇次郎らは、昭和五七年三月、トラベル・クラブ・インターナショナル株式会社を設立し、TCIジャパンの旅行販売部門を独立させた。右会社は、あくまでTCIジャパンと無関係に設立されたものではなく、TCIジャパンとの提携を前提としていたものであるが、このようにTCIジャパンの大株主である脇次郎の方が別会社を作って旅行販売業をするようになったのは、当時の各会社の経営状態が、TCIジャパン、TCIアメリカは赤字であり、黒字であったTCIヨーロッパからの借入で運営されている状況であったため、脇次郎、ひいてはTCIジャパンの、TCIヨーロッパに対する発言力は低下していたためであった。
(三) 脇次郎らと対立関係になった沖中は、TCIヨーロッパの営業を代理させる会社をTCIジャパンとは別に設立することにし、昭和五七年五月、TCIジャパンから沖中が退職し、同年八月三日、東京都港区麻布台に資本金二〇〇万円の被告会社を設立した。右会社の資本金は、沖中の知人の貝塚一男と川名誠の両名が出し、取締役には、右両名と沖中が就任し、沖中が代表者となった。また、佐藤和良も、沖中と同じ時期にTCIジャパンを退職し、被告会社の営業本部長となった。また、被告会社の社員は、TCIジャパンのオペレーター部門の者が殆ど退社して移り、TCIジャパンのオペレーター部門がそっくり独立したに等しいものであった。こうして設立された被告会社は、それまでTCIジャパンが行っていたTCIアメリカの営業代理業務も行うようになり、以後、TCIアメリカには被告会社を通じて日本の旅行業者から旅行手配の依頼がなされるようになった。また、被告会社は、TCIジャパンの大阪事務所の賃借権、電話加入権、その他の備品類もそのまま引き継いだ。
これは、TCIジャパンがTCIヨーロッパに約一億円の債務を負っていたため、TCIヨーロッパが代物弁済の形でTCIジャパンから取得し、TCIヨーロッパがこれを被告会社に移転した形で処理されている。
(四) また、TCIヨーロッパは、そのころ資本金を七万五七六〇ポンドに増資し、増資した二万四一五〇ポンドは、沖中繁男と井上誠の両名が出資したため、沖中繁男がTCIジャパンに代わって、TCIヨーロッパの筆頭株主になった。
(五) TCIジャパンのオペレーター部門が右のように被告会社に引き抜かれると、一時はトラベル・クラブ・インターナショナル株式会社で旅行業を行っていた脇次郎らがTCIジャパンに復帰し、以後は、同人が中心となってTCIジャパンを運営するようになったが、右会社は、まもなく経営不振に陥り、現在は旅行業の登録も取り消され、休眠状態になっている。
6. (TCIアメリカの倒産)
(一) TCIアメリカは、昭和五八年になると、一層経営状態が悪くなり、二月には、社長の村上健男が辞任して帰国してしまい、副社長の若林哲史が副社長のまま現地を統括していたが、同年五月には、小切手の不渡りを出し、同年八月には、全面的に活動を停止して事務所を閉鎖し、事実上倒産した。TCIアメリカの倒産については、法的な整理がなされていないため、負債の正確な額は不明であるが、TCIジャパンやTCIヨーロッパの分を除いても二五万ないし三〇万ドルの未払債務を負っているとみられている。
(二) TCIアメリカ倒産後、被告会社は、北米方面の旅行手配をアメリカ法人のスカイパック・インクに依頼した。右会社の副社長は、かつてTCIジャパンの取締役をしていたことがある服部恒一郎であるが、被告会社との資本的な関連は全くない会社である。
7. (TCIアメリカとTCIジャパン、被告との業務関係)
(一) 被告会社が設立されるまでTCIジャパンは、TCIアメリカと提携して日本の旅行業者からの依頼によって旅行手配の代行をしていたことは前記のとおりであるが、実際の業務は以下のようになされていた。すなわち、TCIアメリカは、アメリカの旅行サービス提供者の価格を調査し、これにTCIアメリカが取得すべき手数料を加算した料金表(タリフ)を、年に二回、TCIジャパンに送付していた。TCIジャパンは、右料金表をもとに、海外旅行の企画を立てる日本の一般旅行業者から旅行手配の代行の注文を取り、これをTCIアメリカに手配させるが、形式は、TCIジャパンはTCIアメリカの代理店の立場で、TCIアメリカのために交渉し、日本の旅行業者との手配代行契約は、日本の旅行業者とTCIアメリカとの間に締結される形を取った。この業務の方法は、被告がTCIアメリカの営業代理行為をするようになっても同様であった。
(二) ところで、旅行手配業者が入る海外旅行については、一般に旅行者は、旅行出発前に旅行代金全額を旅行業者に支払い、一方、旅行サービス業者にサービスの提供を手配した手配代行業者は、旅行者が現地で旅行サービスの提供を受けるとその代金をサービス提供業者に支払い、この支払ったサービス代金に自らの手数料分を加算した金額(この合計額は旅行者が旅行に出発する前に旅行業者との間で合意されている。)を旅行業者に請求し、旅行業者から支払いを受けることになっており、この関係は本件のように手配代行業者が更に別の業者に再依頼したときも同様である。したがって、末端の手配代行業者がサービス提供業者にサービス代金を支払ってから、これを旅行業者や上位の手配代行業者から回収するには、ある程度の期間がかかるのが実情であった。
(三) TCIアメリカは、昭和五二年一一月一日、日本の第一勧業銀行虎ノ門支店にドル建ての非居住者口座を開設しており、後に被告会社と取り引きするようになった昭和五七年八月二日には、協和銀行新橋支店にも同様の非居住者口座を開設した。第一勧業銀行虎ノ門支店の口座の預金引出権者(サイン権者)は、村上健男、佐藤和良、中山和則の三名で、協和銀行新橋支店の口座の預金引出権者は、若林哲史、中山和則、森内憲の三名であった。
TCIジャパンは、TCIアメリカの代理店として、旅行業者に対する代金の請求、集金業務をTCIアメリカに代わって行っていたが、代金の送金先としては、TCIアメリカの口座を指定しており、TCIアメリカが手配した代金の殆どは、TCIアメリカの口座に入金されたが、一部は、TCIジャパンに支払われたものもあった。そうして、前記口座は、日本においてしか預金を引き出せなかったため、実際には日本で業務をするTCIジャパンや被告会社の人間(第一勧業銀行のものについては佐藤和良、中山和則、協和銀行のものについては中山和則、森内憲)が、アメリカからの求めにより預金をアメリカに送金していた。もっとも、TCIアメリカは、TCIジャパンや被告会社を通さずに直接日本の旅行業者から手配の代行を受けることもあり、その場合には、代金は大和銀行ロスアンゼルス支店のTCIアメリカの口座に送金された。TCIアメリカは、その債権者に対しては小切手を渡し日本から送金されてくる金などで決済していた。
四、ところで、原告が主張するように、被告会社との関係においてTCIアメリカの法人格を否認しうるには、TCIアメリカが被告会社の単なる一部門にすぎない場合等その法人格が全くの形骸にすぎない場合か、TCIアメリカの法人格が法律の適用を回避するために濫用される場合かのいずれかに該当することを要するものと解すべきである。
かかる見地に立ち、前項で認定したところによって判断するに、TCIアメリカは、昭和五二年ころには、TCIジャパンに株式全部を取得され、資本的には、TCIジャパンの完全な子会社となったこと、また、TCIジャパンは、TCIヨーロッパにも出資し、当初はその株式の約四割を保有し、資本の面でみると、TCIアメリカとTCIヨーロッパは、TCIジャパンを中心に連絡されていたこと、また、これらの三社は、一体として宣伝し、外部に対しては一つのTCIグループとして行動していたこと、被告は、TCIジャパンのオペレーター部門の人間が殆ど移行して設立されたものであり、TCIオペレーションセンターの異称を用いて、従前TCIジャパンが行っていたTCIアメリカとTCIヨーロッパの日本における営業業務を行っていることなどからみると、TCIという共通の名称を使用した旅行業に関係する企業のグループが存在し、被告もその一員として外部に表明し、業務を行っていたと認めることができる。また、人的なつながりの点においても、被告の代表者沖中繁男は、かつてTCIジャパンの取締役であり、営業本部長の佐藤和良は、かつてTCIジャパンの代表取締役社長だったこともあり、TCIアメリカの取締役でもあったのであるから、被告会社はTCIジャパンを介してTCIアメリカと密控なつながりがあったということができる。
しかしながら、TCIアメリカは、資本金一〇万ドルでアメリカ法人として昭和三八年に設立され、以来二〇年余アメリカで旅行手配の代行をしてきた会社であって、少なくともTCIジャパンに全株式が保有されるまでは、独立した存在であったことは明かであり、むしろ歴史的な経過からみれば、TCIジャパンは、TCIアメリカの存在を前提に設立されたものであって、この関係はTCIジャパンがTCIアメリカの株式を買収した後も変わらなかったものと考えられる。すなわち、海外旅行の手配代行は、実際に現地の旅行サービスの提供業者に接触して旅行手配する業務であるため、現地のサービス提供業者に対する信用力と旅行手配の知識、経験を持った人材が必要であり、TCIジャパンもTCIアメリカの存在を抜きにしては業務の円滑な遂行を期し難いからである。その意味では、TCIジャパンは、資本の面ではTCIアメリカを完全な子会社としたということができるが、その業務の実際の面ではTCIアメリカは独自性を有していたということができるのであり、このことは、設立者である加藤和彦らがTCIアメリカから独立して別会社を作ることにより、TCIアメリカの経営が困難になり、それに次いでTCIジャパンも解体に至っていることからみても推認されるのである。したがって、TCIアメリカがその株式を一〇〇パーセントTCIジャパンに保有されていたことをもって、それだけでTCIジャパンに一〇〇パーセント支配され、法人格が形骸化していたということはできない。
そのうえ、被告会社はTCIアメリカの出資者ではなく、被告会社とTCIアメリカとの間にも互いに資本的なつながりはないのであって、資本の面で被告会社がTCIアメリカを支配していたとは認められない。また、TCIジャパンと被告会社との間にも資本的なつながりはないのである。そうだとすると、被告会社が資本の面でTCIアメリカを支配していたとは認め難いものといわざるをえない。
ちなみに、いわゆるTCIグループは、加藤和彦らの旧TCIアメリカの出身者達とTCIジャパンを設立し、TCIアメリカを加藤らから買収した脇次郎らのグループ、それに沖中繁男、佐藤和良らの旧ミキツーリスト出身者達の三つグループが一時寄り集まって、構成されていたものであるが、後にそれぞれが別々の行動をとるようになって、現在TCIの名前で営業を続けているのは旧ミキツーリスト出身者グループの沖中らのみになってしまったのである。
原告は、一般旅行業者との間で旅行条件、手配代行代金一切を決定していたのはTCIジャパンや被告会社であり、TCIアメリカはTCIジャパンや被告の指示によって、その指示通りに手配代行を行うだけであったと主張し、これをもって、TCIアメリカがTCIジャパンや被告会社の一部門にすぎないというが、前記認定したところによれば、手配代行業者は、もともとは時差の問題や言語の問題から必要に応じて発生したのであって、海外の手配代行業者は、日本からの依頼により旅行手配をするものであるから、取引において旅行業者側の意向が重きをなすか、現地の手配業者側の意向が重視されるかは、経済的な需給関係によるものであり、旅行業者の意向に従わざるをえないTCIジャパン側が旅行条件についてTCIアメリカに指示をしていたとしても、それをもって、TCIアメリカが独立性を失っているということはできない。日本の旅行業者との間で交渉し、契約条件を決めていたのがTCIジャパンや被告会社であったとしても、これらの会社がTCIアメリカやTCIヨーロッパの手配代行業についてその営業の面の代理店であってみれば、なんら疑問とするところではないし、しかも実際には契約は、TCIジャパンや被告会社が入った取引でも日本の旅行業者とTCIアメリカとの間になされていたのであって、TCIアメリカと手配契約をする日本の旅行業者にしてみれば、TCIアメリカはTCIジャパンや被告会社とは別の会社と認識されていたことは明かである。
次に、TCIアメリカの日本における銀行口座(非居住者)については、原告が主張するように、その引出権者が、TCIジャパンや被告会社の社員も含まれており、実際にその口座からの送金等の実行をしていたのは、アメリカにいるTCIアメリカの役員ではなく、TCIジャパンや被告会社の社員であることは前記認定のとおりである。しかしながら、引出権者は、TCIアメリカの預金口座の金については、TCIアメリカのためにしか使えないはずであり、これを混同してTCIジャパンや被告会社が自己のために費消していたと認めるに足る証拠はない。すなわち、財産を混同させようとすれば、TCIアメリカから代金の請求や集金業務を一任されていたTCIジャパンや被告会社は、TCIアメリカの口座ではなく、自己の口座に振り込ませることも可能であったが、実際には請求にあたっては、TCIアメリカの口座に振り込むよう求め、実際にもTCIアメリカの旅行手配代金については殆どがTCIアメリカの口座に入金されていたのであるから、財産の混同がなされていたとは認め難いのである。なるほど、預金引出権者が日本の会社の社員であることは、TCIアメリカは日本の口座における預金の管理を、TCIジャパンや被告会社にされていると評価しうるものであるが、これによって、TCIアメリカが完全に支配されているとはいえない。原告は、被告がTCIアメリカの口座からTCIアメリカに送金しないことによって、TCIアメリカを意図的に倒産させたかのように主張するが、第一勧業銀行虎ノ門支店、協和銀行新橋支店のいずれの口座についても、実際に引き出したかどうかはともかく、TCIアメリカの役員も預金引出権者になっているのであるから、必要ならTCIアメリカ側で預金を引き出すことができたのであって、TCIアメリカが引き出せる預金がありながらことさらにこれを被告側でTCIアメリカに送金しなかったとは認め難いのである。
また、前掲甲第四〇号証の一ないし三によれば、TCIアメリカ倒産後もTCIアメリカの第一勧業銀行虎ノ門支店の口座には日本の旅行業者から入金があり、これらの金員がスカイパックなどの旅行会社に送金されていることが認められるが、証人中山和則の証言によれば、TCIアメリカ倒産後北米方面の旅行はスカイパックなどに手配して貰ったための送金であることが認められ、もともとTCIアメリカが受け取る金ではないのであるから、これをスカイパックに送金したとしても被告側においてTCIアメリカの金を自由にしていたとはいえない。
被告会社がTCIジャパンの大阪事務所を引き継いでいることは前記の認定のとおりであり、これについてはTCIジャパンのTCIヨーロッパに対する債務の代物弁済のような処理がなされているのであるが、右の処理の仕方についてはやや不明朗な点があることは否定し難い。しかしながら、右はTCIジャパンとの問題であり、これによって直ちに被告がTCIジャパンと同一会社ということはできない。
以上のように検討してきたところによれば、被告とTCIアメリカとはTCIのグループとして、人的にも、業務の面においても密接な関係があったということができるが、被告とTCIアメリカとの間には資本的なつながりはなく、業務や財産の面でも混同があったとはいい難いのであって、TCIアメリカが被告との関係において形骸化された存在であるとまでいうことはできず、また、TCIアメリカの法人格が法律の適用を回避するに濫用される場合にあたるということもできないというべきである。
したがって、TCIアメリカの法人格は否認されるべきであるとする原告の主張は採用できない。
五、次に原告は、TCIアメリカは被告の代理として原告に本件の旅行手配の代行を依頼した旨主張するので判断するに、TCIアメリカが被告の代理で本件の手配を原告に依頼したことを認めるに足る証拠はなく、かえって、証人斉藤朝江の証言によれば、原告は、昭和五一年に設立されて以来、TCIアメリカの注文によって旅行手配の代行を行い、その代金はTCIアメリカに対して行い、代金はTCIアメリカから受け取っていたこと、本件紛争になる以前は、TCIアメリカとのみ交渉し、TCIジャパンや被告と交渉したことはなかったことが認められるのであるから、原告は、本件の手配代行もTCIアメリカの注文によって行ったものと解されるのである。したがって、TCIアメリカが被告を代理して原告に本件の手配代行を依頼したとする原告の主張も採用できない。
六、原告は、更に旅行客から旅行代金を受け取った旅行業者、旅行業者から費用を受け取った第一次の手配業者は、旅行サービスの提供業者にサービス費用を代払する義務があり、したがって、第一次の手配業者である被告は、サービス提供業者に本件サービス費用を支払った原告にもこれを代払する義務があり、右の代払義務は、特約ないし慣習法によるものであると主張する。
しかしながら、被告が原告主張のような第一次の手配代行業者にあたるとしても、かかる特約や慣習法の存在については本件全証拠によっても窺うことはできないうえ、代払義務の法的な根拠が不明であり、何故に原告とTCIアメリカの契約に右契約外のものが拘束されるのか理解し難く(ある商品が最終需要家のもとに渡るまでに製造者から一次卸店、二次卸店、小売店と数次の取引が繰り返されることが稀ではないが、途中に代金不払いの事態が生じても売買契約当事者以外の者が代払義務を負うとは考えられない。)、原告の右主張は採用できない。
七、以上によれば、本件立替金の支払を被告に求める原告の主張はいずれも認め難いから、原告の本訴請求はその余について判断するまでもなく失当といわざるをえず、棄却を免れない。
よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 大橋弘)
<以下省略>