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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)4730号 判決 1988年2月19日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

高見澤昭治

水野邦夫

塚原英治

被告

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右訴訟代理人弁護士

井口廣通

右指定代理人

布村重成

山口仁士

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四二〇三万〇一九七円及びこれに対する昭和五九年五月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (無罪判決確定とそれに至る経緯)

(一) 原告は、昭和五一年三月一七日、賍物故買容疑で通常逮捕され、検察官事務取扱副検事長谷川晴雄(以下「長谷川検察官」という。)の取調べを受け、同人により、同年四月六日身柄を拘束されたまま、賍物故買被告事件の被告人として東京地方裁判所八王子支部に起訴され、同月三〇日賍物故買被告事件で追起訴された。

右検察官作成の起訴状及び追起訴状の公訴事実は別紙一及び二記載のとおりである。

(二) 原告は、捜査段階から一貫して賍物故買の事実を否認し、無罪を主張し続けた。

(三) 東京地方裁判所八王子支部は、原告に対し、昭和五三年三月一六日、右被告事件につき、所在が判明しない一部の物に関して無罪としたものの、本筋で訴因を認定して、実刑の有罪判決を言い渡した。

(四) 原告は右有罪判決に対して控訴したが、東京高等裁判所は、公判立会検察官が外形的事実を原告の一貫した供述に合わせた形で請求した別紙三記載のとおりの訴因の予備的追加(賍物寄蔵)を許可した上で、昭和五六年七月一四日、この予備的訴因を認定して、執行猶予付有罪判決を言い渡した。

(五) 原告は右有罪判決に対して上告し、最高裁判所は、口頭弁論を開いた後、昭和五八年二月二四日、原判決を破棄して、原告に対し無罪判決を言い渡し、右判決は同年三月八日確定した。

2  (検察官の違法な職務行為)

(一) (検察官の注意義務)

検察官は、刑事手続のあらゆる段階において、刑事司法の基本理念である「疑わしきは被告人の利益に」の大原則に則り、捜査、起訴及び公判維持をすべきであつて、公益の代表者として健全な常識を働かせて証拠を収集、吟味すべきはもちろんのこと、被疑者や被告人の弁明にも十分耳を傾けて、ときには起訴を見合わせ、あるいは公訴を取り消し、あるいは無罪の弁論をすべき場合もありうるのであり、したがつて、検察官が事実の性質上当然なすべき捜査を怠るなど、適切な証拠収集に努めず、不十分な証拠によつて安易に犯罪の嫌疑を認め、あるいは被疑者の弁解に耳を傾けず、被疑者に不利な証拠を過信するなどして、収集した証拠について合理性を肯定しえないような評価をなし、その結果、公訴事実について証拠上合理的な疑問点が存在し、無罪判決を下される蓋然性が高いにもかかわらず、あえて公訴を提起・追行した場合には、その公訴の提起・追行は違法となる。

(二) (不十分な捜査に基づく本件起訴の違法性)

(1) 原告は、前科・前歴もなく、昭和五〇年当時、特別国家公務員(自衛官)として真面目に勤務し、妻と子供二人からなる円満な家庭を営んでおり、生活も安定し、経済的に困窮している状況にもないなど、あえて危険を賭して本件のような犯罪を犯すような事情には全くなかつた。

(2) 原告の逮捕容疑は、A(以下「A」という。)という高校二年の少年から、同人が窃取してきた賍物を数回にわたつて買い取つたというものであるが、Aの供述によれば、友人の父親である原告に対し、その都度盗品であることを明示して買受けを申し込んだのに、原告は何らの抵抗もなしにこれを買い受け、ときには同人の窃盗の教唆、幇助に類したことを行い、さらにこれには原告の妻も息子も関与していたというのであり、このような供述内容は常識的に考えて通常ありえないおよそ非現実的なものといわざるを得ず、したがつて、検察官としては、常にも増して裏付け捜査を十分に行い、その信用性を検討し、それが真実であることを確認すべき義務を有していた。

(3) しかも、本件で唯一の証拠とされたAの供述は、

(ア) 最初に原告に売り渡したとする盗品についての供述が変遷している

(イ) ネックレスの売渡し状況が供述調書ごとに異なつている

(ウ) 盗品を一括原告に売却したといつたん述べながら後にイヤリングは除外したと供述している

(エ) 一方で盗品はその日かその翌日原告に売つたといいながら、他方ネックレスはしばらく自分が着用していたと供述している

(オ) 前田宅から盗まれたネックレスは、被害届には単に「ネックレス18K」としか記載されていないが、Aは「真珠のネックレス」ないし「真珠のついたネックレス」と供述している

(カ) カセットラジオにつき、盗んだ日のうちに指輪やネックレスとともに原告に売却したと供述していたにもかかわらず、後に盗んだ日のうちに売却したのはカセットラジオのみであつたと供述している

(キ) 右カセットラジオは、アンテナの先が折れており、テープが巻いてあり、巻き戻しのボタンの左側がとれているものであり、そのような物を原告が一万円も出して買うはずがない

など、単に不自然、不合理なばかりか、互いに矛盾した箇所が多数存在しており、さらに「虫めがねみたいなもの」といつたあいまいな表現をしている箇所も存在する。

(4) このように、Aの供述はそもそも非現実的なものであるから、検察官としては、矛盾点やあいまいな箇所を徹底的に指摘し追求すべきであつたにもかかわらず、

(ア) 本犯であるAの家宅捜索を行わなかつた

(イ) Aの交友関係者からは一切事情聴取をしなかつた

(ウ) 同人の両親に対する取調べもしなかつた

(エ) Aが質入れをもくろんで立ち寄つたと供述する質屋についても、裏付け捜査が不十分なのにこれを看過した

(オ) 原告宅の捜索によつて領置した物の保管状況について全く考慮しなかつたなど、当然行うべき捜査を怠り、よつてAの供述の信用性をテストする努力を全くしなかつた。

そして、長谷川検察官は、原告や原告の息子である甲野太郎(以下「太郎」という。)の弁解には一切耳を貸さず、Aの一方的な供述のみ信用して、あえて公訴を提起したのであるから、右起訴は違法な起訴である。

(三) (本件公訴追行の違法性)

(1) (理由なき太郎の逮捕による証言妨害工作)

Aの供述によれば、本件公訴事実の犯行に際しては必ず太郎が立ち会い関与していることになつており、太郎は、昭和五一年三月二九日及び同年四月一八日に司法警察員による取調べを受けて供述調書を作成されたが、太郎は、「Aに頼まれて一度だけ原告に取り次いで指輪など六点を原告に受け取らせ、これと引き換えに原告がAに対し二万円を貸し付けた事実はあるが、原告が盗品であることの情を告げられて起訴状記載の物品を譲り受けたことはない」旨一貫して供述していたのであるが、検察官は、太郎について身柄拘束をしてまで取調べをする必要がなかつたにもかかわらず、原告に対する公訴提起とは矛盾する内容の容疑(本件二台のカセットラジオ、カセットテープレコーダーを太郎がAから直接寄蔵したとの被疑事実)で逮捕状を請求し(請求日昭和五一年九月一日)、逮捕状の発付を得ていつでも逮捕できる状態にありながら、あえて原告の刑事第一審第三回公判期日である同年九月六日の朝、太郎を逮捕し、さらに検察官は、太郎逮捕の後、太郎の母すなわち原告の妻である甲野花子(以下「花子」という。)に対し、「今後息子さんを主人の事件に巻き込ませないと約束してくれれば、今日午後家裁送りにします」などと申し向けて、太郎を原告の公判廷における証人として立たせないよう迫つた。

(2) (太郎の供述調書に対する検察官の不同意)

検察官杉下弘之(以下「杉下検察官」という。)は、前述の二通の司法警察員調書をはじめとして既存の手持ち証拠を総合すれば、原告が無罪になるとの心証に達していたはずであるにもかかわらず、刑事第一審第一三回公判において、原告から請求された太郎の司法警察員・検察官調書の取調べにつき同意せず、太郎の証言の陰蔽を図つた。

3  (被告の責任)

検察官は国家公務員であり、前記2記載の違法な行為は、検察官がそれぞれ公務員として職務を行うについてなしたものであり、その職務の遂行については、故意または過失があつたことは明らかであるから、被告は、国家賠償法一条一項により、右検察官の行為によつて被つた原告の後記損害について、賠償すべき責任がある。

4  (原告の損害)

(一) 逸失利益―三三九九万〇一九七円

(1) 原告は、昭和二〇年に熊本国民学校高等科を卒業後、昭和二八年三月五日自衛隊の前身である保安隊に入隊し、人事担当の自衛官として勤務態度もよく、昭和五一年三月一七日突然逮捕されるまでは、同時に入隊した他の職員同様、順調に昇給、昇進を重ねてきた。

したがつて、本件逮捕及び起訴がなければ、停年退職までの間、少なくとも規定どおりの昇給、昇格をし、昭和五三年七月一日には准尉に昇任したことは疑いないところである。

(2) 得べかりし給与―二六六八万〇三一七円

(ア) 原告は、本件違法な起訴により、昭和五一年四月六日起訴休職処分(自衛隊法四三条二号、四四条一項)を受けたため、同日から無罪判決が確定して休職処分が解かれた昭和五八年三月八日までの間の俸給四割分及び扶養、住居、期末並びに勤勉手当の支給を受けられなかつた(自衛隊法四四条三項、防衛庁職員給与法二三条四項)。

(イ) 起訴休職のため、起訴がなかつた場合に予定されていた昇給、昇格がなかつた。このため、昭和五八年三月七日までの給与について昇給、昇格があつた場合との差額の損害が発生している他、同月八日以降退職日までの賃金についても差額の損害が生じている。

(ウ) 起訴休職を受けず、准尉に昇任していた場合は、停年も一年延長されることから(自衛隊法四五条二項、同法施行令六〇条)、この一年間に得べかりし賃金も損害となる。

(エ) 以上の損害額の合計は、「休職がなかつた場合における給与支給内訳(昭和五一年四月一日から同六〇年一一月二三日まで)」の合計額五〇一一万三六三六円から「休職期間中における給与支給内訳(昭和五一年四月一日から同五八年三月七日まで)」の合計額一三四一万二五八八円と「復職日以降、停年退職日までにおける給与支給内訳(昭和五八年三月八日から同五九年一一月二三日まで)」の合計額一〇〇二万〇七三一円を控除した残額二六六八万〇三一七円である。

(3) 退職金減額分―四三三万六八九三円

原告は、満五二歳に達した昭和五九年一一月二三日に停年退職したが、休職期間七年間は退職金の算定上実在職年数三年半とみなされる(国家公務員等退職手当法七条四項)。また、起訴休職処分を受けず准尉に昇任していた場合は、停年も一年延長される(自衛隊法四五条二項。同法施行令六〇条)。このために受けえなかつた退職金差額は金四三三万六八九三円となる。

(4) 退職年金差額―二九七万二九八七円

原告は、退職金の他に満五五歳に達した日から死亡までの間退職年金を受ける権利を有している(国家公務員等共済組合法七六条、附則一二条の五第一項)。本件起訴により起訴休職処分を受けたため、当然なしえた昇任ができず、基礎額、勤続期間に差異を生じたため、退職年金額において二三万二〇〇〇円の差額が生じる。原告は提訴時五一歳の男子であり、昭和五九年簡易生命表による平均余命は26.59歳であるので、七七歳まで支給を受けられるものと推定し、年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除して算出した額は二九七万二九八七円となる。

(二) 慰謝料―五〇〇万円

原告は、長年勤めあげてきた自衛官という職業にプライドをもち、上司や同僚から信頼され、高く評価されており、平和な家庭を営んでいたが、本件起訴により、仕事を奪われ、家庭は破壊されたに等しく、社会との正常な交渉を断たれ、七年にわたつて筆舌に尽くしがたい精神的・物質的苦しみを味わつてきた。また、原告は、前記のとおり昭和五一年三月一七日に逮捕状を執行されて身柄を拘束され、同年六月三〇日に保釈されたが、この間一〇六日間勾留され、さらに第一審実刑判決に伴い二日間勾留された。

さらに、起訴に伴い、「航空自衛隊の一曹、盗品故買の内職、息子の友達、買いたたく」などと実名で報道され、これによつて被つた損害も莫大なものがある。これらの精神的損害を金銭に評価すれば金五〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用―三五八万円

原告は、本件の国家賠償請求にあたつて、事件の性質上弁護士にその訴訟追行を依頼せざるを得なかつた。原告は、本件原告代理人らに対して金三五八万円を手数料報酬として支払う約束をしている。

よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法一条による損害賠償請求権に基づき、右合計四二五七万〇一九七円から刑事補償として最高裁判所より支払を受けた五四万円を控除した四二〇三万〇一九七円及びこれに対する損害発生後である昭和五九年五月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(無罪判決確定とそれに至る経緯)の各事実はすべて認める。

2(一)  請求原因2(検察官の違法な職務行為)(二)(不十分な捜査に基づく本件起訴の違法性)(1)の事実のうち、原告が前科・前歴もなく、昭和五〇年当時、特別国家公務員(自衛官)として勤務し、妻と子供二人からなる家庭を営んでいた点は認め、その余の事実は不知。

(二)  同2(二)(2)の事実のうち、Aの供述内容は常識的に考えて通常ありえないおよそ非現実的なものといわざるを得ず、したがつて検察官としては、常にも増して裏付け捜査を十分に行い、その信用性を検討し、それが真実であることを確認すべき義務があつたとの点は否認し、その余の事実は認める。

(三)  同2(二)(3)の事実のうち、Aの供述の一部に変遷があり、「虫めがねみたいなもの」との表現がある点は認め、その余の事実は否認する。

(四)  同2(二)(4)の事実のうち、(ア)の検察官が本犯であるAの家宅捜索を行わなかつた点及び(ウ)の同人の両親に対する取調べを行わなかつた点は認め、その余の事実は否認する。

3(一)  請求原因2(三)(本件公訴追行の違法性)(1)(理由なき太郎の逮捕による証言妨害工作)の事実のうち、太郎の昭和五一年三月二九日付け、同年四月一八日付けの司法警察員に対する供述調書各一通が存在する点及び右供述調書のうちの一通に、指輪などをAから預かり、これを原告に預けて現金二万円を受け取り、Aに貸し渡した旨の記載がある点並びに検察官が太郎に対する窃盗及び賍物寄蔵の逮捕状の発付を受けた点及び右逮捕状請求事実の中に原告に対する公訴事実に掲げられているカセットラジオ、カセットテープレコーダーを太郎がAから寄蔵したとの被疑事実がある点及び昭和五一年九月六日太郎を逮捕し、東京家庭裁判所八王子支部へ事件送致した点は認め、その余の事実は否認する。

(二)  同2(三)(2)(太郎の供述調書に対する検察官の不同意)の事実のうち、杉下検察官が、刑事第一審第一三回公判において、弁護人申請にかかる太郎の司法警察員、検察官に対する供述調書写し五通につき不同意の意見を述べた点は認め、その余の事実は否認する。

4  請求原因3(被告の責任)の事実のうち、本件捜査、公訴提起、追行は、検察官が公務員として職務を行うについてなしたものである点は認め、その余の事実は否認する。

5(一)  請求原因4(原告の損害)(一)の各事実のうち、原告が、昭和二〇年に熊本国民学校高等科を卒業後、昭和二八年三月五日自衛隊の前身である保安隊に入隊し、以後自衛官として勤務していた点及び昭和五一年四月六日休職処分を受けた点は認め、その余の事実は不知。

(二)  同4(二)の事実のうち、原告が、昭和五一年三月一七日に逮捕状を執行されて身柄を拘束され、同年六月三〇日に保釈されたが、この間一〇六日勾留され、さらに第一審実刑判決に伴い二日間勾留された点は認め、その余の事実は不知。

(三)  同4(三)の事実は不知。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(無罪判決確定とそれに至る経緯)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、請求原因2(検察官の行為の違法性)について判断する。

1  はじめに、(一)(検察官の注意義務)について検討するに、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起・追行が違法となるということはない。けだし、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であるからである(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日判決・民集三二巻七号一三六七頁参照)。

したがつて、右のような有罪と認められる嫌疑がなく、有罪判決を期待しうる合理的な理由がないのに、あえて公訴を提起し、これを追行した場合には、検察官の公訴の提起・追行は違法になるものというべきである。

以下においては、このような観点から本件公訴の提起・追行の違法性の有無について検討する。

2  まず、(二)(不十分な捜査に基づく本件起訴の違法性)につき判断する。

(一)  <証拠>を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和五一年三月五日、Aが窃盗罪の現行犯人として立川警察署員に逮捕されたところ、同人は翌三月六日、司法警察員に対し、自己の余罪を記載した書面を提出した後、昭和四九年秋ころから翌五〇年一〇月二五日ころまでの間に、国立市内の清水方から指輪三個、ブローチ二個、プラチナのネックレス一個等、前田方からダイヤの指輪一個、金色の台に石がついている指輪一個、真珠のついたネックレス、大江方からダイヤの指輪一個、オパールのついた指輪一個、真珠のネックレス一個、アイワ製カセットラジオ一台を盗み、いずれもこれらを原告に盗品であることを話して売却したほか、原告から窃盗の方法を教えられたり、窃盗の用に供するためのガラス切りを借り受けたりした旨供述したこと。

(2) 司法警察員が捜査を進めたところ、Aの供述にほぼ符合する被害届が既に清水道子、前田光久、大江勇及び大江松次から提出されており、窃盗の被害事実が確認されたこと。

(3) そこで、司法警察員は、原告に対する賍物故買容疑の逮捕状及び原告方の捜索差押許可状の発付を受けて、昭和五一年三月一七日、原告方の捜索を行つたところ、Aが大江方から盗み出して原告に売却したと自供していたものと思われるアイワ製カセットラジオ等の証拠物を発見したので、これを押収するとともに、原告から賍物とみられる指輪、ネックレス、ブローチ等の証拠物の任意提出を受けてこれを領置し、同日原告を逮捕し、同月一九日東京地方検察庁八王子支部検察官に対し、原告の右事件を送致し、同日同支部検察官はこれを受理したこと。

(4) その後、Aが、司法警察員に対し、原告に賍物を売却した状況につき供述したほか、立川市のマルク商事からゼネラル製カセットテープレコーダーを、国立市内にあるアパート三浦荘二階から白つぽい石のついた指輪一個、白つぽい石のついたペンダント二個、銀色葉模様の中に緑色ガラス二個と白ガラス多数のついているイヤリング一組をいずれも窃取し、これらのうち、イヤリングを除く全てを原告に盗品であることを話して売却した旨自供したので、司法警察員においてその裏付け捜査をしたところ、右供述に符合する被害事実が確認されたこと。

(5) 原告方から任意提出されたネックレス(プラチナ鎖)を清水道子に、指輪(乳白色の石)一個及びペンダント(薄桃色カットガラス付のものと乳白色石付のもの)二個を小澤ハルミに、指輪(アメジスト、一八Kカットもの)一個を前田初枝に、指輪(メキシコオパール、一八金台)一個及びネックレス(真珠、直径6.5ミリのもの)一個を大江しもに、原告方から押収されたアイワ製カセットラジオレコーダーを大江しもに、ゼネラル製カセットレコーダーをマルク商事代表者来栖光一に、それぞれ確認させたところ、いずれも盗難被害品であることが判明し、結局、Aが原告に売却した旨供述していた賍物一七点のうち九点が原告方から押収ないし任意提出された品物の中にあることが明らかになつたこと。

(6) 司法警察員は、昭和五一年四月六日、原告を賍物故買罪で東京地方検察庁八王子支部検察官へ追送致し、同日同支部検察官はこれを受理したこと。

(7) 同支部においては、同年三月一九日、前記事件につき、長谷川検察官を捜査担当主任検察官に指定し、翌日、勾留状の発付を受けて勾留の上、同検察官において、原告及びA等を取り調べる等の捜査を遂げ、前記のとおり、同年四月六日、原告を賍物故買罪で東京地方裁判所八王子支部へ起訴し、さらに同月三〇日、同罪で原告を追起訴したこと。

以上の経過によれば、長谷川検察官が原告を起訴するにあたつては、Aの前記供述が原告の犯行を立証するための重要な証拠となつたものであることを認めることができるが、しかし、原告には前科・前歴がなく、また、同人は、昭和五〇年当時、特別国家公務員たる自衛官として勤務し、妻と子供二人からなる家庭を営んでいたものであること、これに対し、原告の逮捕容疑は、Aという高校二年の少年から、同人が窃取してきた賍物を数回にわたつて買い取つたというものであるが、右Aの供述によれば、友人の父親である原告に対し、その都度盗品であることを明示して買受けを申し込んだのに、原告は何らの抵抗もなしにこれを買い受け、ときには同人の窃盗の教唆、幇助に類したことを行い、さらにこれには原告の妻も息子も関与していたというものであり(以上の点は当事者間に争いがない。)、前記のような立場にある者が、高校生から持ちかけられた賍物の売買の誘いにたやすく応じるなどということはいささか異例なケースであるということができるから、検察官としては、Aの供述の信憑性等を中心に慎重な検討をする義務があつたと解するのが相当である(なお、Aによる窃盗事実に関する裏付け捜査がなされたことは既に見たとおりである。)。

(二)  そこで、A供述の信憑性等に関する検察官の判断の合理性の有無について検討することとする。

(1) まず、Aの供述自体について考察する。

<証拠>によれば、次の各事実を認めることができる。

(ア) Aは、昭和五一年三月二二日付け司法警察員面前調書(乙第七号証)では、「最初に盗んだ品物を原告に買つてもらつたのは、たぶん国立市内の三浦荘から盗んだ指輪一個とペンダント二個(前掲乙第二八ないし三〇号証によれば、小澤ハルミの所有と認められる。)であつた」と供述しながら、昭和五一年四月九日付け検察官面前調書(乙第一四号証)では、原告に最初に売り渡したのは清水宅から盗んだ指輪一個とブローチ二個であつたと供述している。

(イ) Aが清水宅から窃取したネックレスを原告に売り渡した状況について、昭和五一年三月一一日付け司法警察員面前調書(乙第六号証)においては、Aは、清水方からネックレスを盗んでから、二か月くらいは自分で使つていたが、小遣いがなくなつたので、原告に『ドロボーしたものだけど買つてくれ』と言つて二〇〇〇円で売つた」旨供述していたが、昭和五一年四月九日付け検察官面前調書(乙第一四号証)においては、「盗んでから二カ月くらい過ぎた日に、太郎の家で原告が『いいのをしてるじやないか、それを売りなさい』と言つたので、Aが『これは売りたくないのです』と言つたが、原告は『いいじやないか、売りなさい』と言うので『これも国立の方から盗んできたものですよ』と言つて売つた」と供述している。

(ウ) 前田光久の被害届(乙第三三号証)には、前田宅から盗まれたネックレスは、単に「ネックレス一個六〇〇〇円18K」としか記載されていないが、Aは、昭和五一年三月一一日付け及び同月二五日付け各司法警察員面前調書(乙第八号証、第五号証)では「真珠のネックレス」あるいは「真珠のついたネックレス」と供述している。

(エ) Aは、昭和五一年三月一一日付け司法警察員面前調書(乙第八号証)においては、大江宅から盗んだカセットラジオにつき、盗んだ日のうちにダイヤの指輪一個、オパールのついた指輪一個及び真珠のネックレス一個とともに二万五〇〇〇円で原告に売却したと供述していたが、昭和五一年三月二〇日付け司法警察員面前調書及び同月二五日付け検察官面前調書(乙第九号証及び第一二号証)においては、盗んだ日のうちに売つたのはカセットラジオ(一万円)のみであり、指輪二個及びネックレス一個は、その翌日原告に三万円で売つた旨供述している。

(オ) しかも、右カセットラジオは、時価二万円相当であるが、アンテナの先が折れており、テープが巻いてあつて、巻き戻しのボタンの左側がとれていたにもかかわらず、Aは、これを一万円で原告に売つた旨捜査機関に対し供述している。

以上のとおり、Aの供述内容には、一部変遷があり、また他の資料との食い違いがあつたことが明らかである。

しかしながら、<証拠>によれば、検察官はこれらの食い違いにも留意しながら疑問点を解消しつつ捜査を進めたのであり(例えば、(ア)の点につき、長谷川検察官が、乙第七号証を読んだ際、そこに述べられている「最初」という言葉の意味が、「最初に盗んだ物を持ていつた」という意味なのか、「最初に買つてもらつたのが」という意味なのか、はつきりしなかつたため、その点を確かめながら、訂正させつつ作成した調書が乙第一四号証であつたことを認めることができる。)、しかも、Aは、原告が知情のうえ賍物をAから買い受けたとする点については終始一貫変わることなく供述していたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 次に、Aの供述の信用性についての裏付け捜査について検討する。

(ア) 検察官が本犯であるAの家宅捜索をしなかつたことは、当事者間に争いがない。

原告は、検察官がこれを行つていれば「盗品は全て原告に売り渡した」とするA供述の信用性は失われたはずであると主張しており、証人長谷川の証言中にも長谷川検察官は当時A宅の捜索をした方がよいと考えていた旨述べる部分がある。

しかし、他方、<証拠>を総合すれば、Aの供述の信用性に関しては、警察においてAを六回にわたり取調べたほか、検察官自らも四回にわたり詳細、綿密な取調べを行い、また、原告の妻花子、長男太郎からも直接事情聴取をし、さらに検察官は、警察に対し、盗んだと思われるものはすべて提出させるよう指示して該当するものを任意提出させるなどの処置を講じたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そうだとすれば、それ以上にA宅の捜索をする必要があつたものと直ちに断定することは困難といわざるをえない。もちろん、A宅の捜索をしておれば、Aが原告に売つたと供述していた賍物のうち原告方から発見されなかつたものがA宅から発見され、Aの供述のうち、「盗品は全て原告に売り渡した」とする部分の信用性が失われた可能性はないではないが、あくまで可能性にすぎず、また、現実に原告方から発見された賍物についてのAの供述の信用性までが失われたものと推測することはできない。

(イ) また、<証拠>によれば、Aの捜査を担当していた長谷川検察官は、Aの友人・知人ら交友関係者については原告の長男太郎以外に取調べを行わなかつた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

この点につき原告は、もしこれを行つていたら、他に盗品の処分先が判明し、Aの供述の信用性は失われた旨主張するのであるが、原告の右所論はあくまで単なる推測の域を出るものではなく、採用できない。

(ウ) さらに、検察官がAの両親に対する取調べをしなかつた点は当事者間に争いがなく、原告はこの点につき、もし検察官がこれをしていれば、Aが原告と親しい関係になかつた事実及び盗品か否かで争われたネックレスをAが一時着用していた事実がないことが判明したはずである旨主張する。

しかし、<証拠>によれば、Aは、原告の長男である太郎の立川市立第二中学校時代の同級生であり、原告方へ遊びに来たりしており、原告とも話をしたことがある事実を認めることができるのであり、また、Aの両親を取り調べたとしても、息子がネックレスを着用していたか否かについてAの両親から明確な供述を得られたかどうかは疑問であり、原告の右主張も直ちに採用しがたい。

(エ) <証拠>によれば、Aが捜査機関に対し、大江しも宅から盗んだ指輪及びネックレスを立川市内の「ふじ美」質店に持つていつた旨供述していた事実が認められるところ、この点につき原告は、当日、店に出ていた者が誰であるかを調べ、その者から事情を聴取するという捜査の常道を怠つたと主張するが、証人長谷川の証言によれば、長谷川検察官は、警察に裏付けをとるよう指示し、警察官が「ふじ美」質店に赴き事情聴取したところ、同店の店員には記憶がないとのことであつたため、調書も作成しなかつたものであることを認めることができ、警察官が尋ねた相手が当日店に出ていなかつた者であることを疑うべき事情は存しないから、これをもつて検察官が捜査を怠つたということはできない。もつとも、同証人は、Aを「ふじ美」へ連れていつて、引き当たり捜査をしておけば万全だつたかもしれない旨証言するが、結果論にすぎない。

(オ) 証人長谷川の証言によれば、原告宅の捜索によつて押収された賍物、さらには任意提出を受けて領置した指輪、ネックレス等の保管状況については、ことさら書面にして残すことはしなかつたが、長谷川検察官は関心を持つて警察官に電話で聞き、後記認定のとおり原告が昭和五一年四月一三日以降Aから貸金の担保として預かつた旨供述を変更したところの指輪三個、ペンダント二個及びネックレス一個は、一箇所に他の品物と区別して保管してあつたのではなく、あちこちにばらばらにしてあつたとの報告を受けた事実を認めることができる。そうだとすると長谷川検察官がそれらの保管状況を全く考慮しなかつたとする原告の主張は採用できない。

したがつて、Aの供述の信用性の裏付け捜査に関して原告が指摘する点はいずれも採用することができない。

(3) 以上のとおりであり、本件起訴段階において検察官がA供述の信憑性等について検討した結果、これを重要な証拠であると判断したことに合理性がないということはできない。

(三)  次に、原告の弁解供述等に関する検察官の判断の合理性の有無について考察する。

<証拠>によれば、原告は、逮捕されてから昭和五一年四月一三日に至るまで、Aから指輪、ネックレス、カセットラジオ、ブローチ及びペンダント等を買い受けた事実は全く身に覚えがないと供述していた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(1) しかし、<証拠>によれば、原告は、原告方の捜索により発見・任意提出され、前記のとおり清田道子が自己の盗難被害品であると思われる旨確認したプラチナ製ネックレスの入手につき、捜査段階において、「昭和四八年ころ昭島市東中神公民館で開かれる古物売買のための七の市で、七〇〇〇円くらいで買つた。妻の花子が古物商の許可を持つているので妻の代わりに行つたものであるが、古物台帳やメモに記帳しなかつた」(昭和五一年三月二九日付け司法警察員面前調書)、「義弟である乙野二郎(以下「乙野」という。)と七の市へ行つたとき、同人が市を通して七〇〇〇円で買つたものを、その直後、その市の中で七〇〇〇円位で譲り受けた」(昭和五一年四月三日付け検察官面前調書)、「乙野に七〇〇〇円で買つてもらつた」(昭和五一年四月一〇日付け司法警察員面前調書)と次々に入手方法に関する供述を変遷させていることが認められ、さらに、<証拠>によれば、乙野は、昭和五一年四月一〇日付け司法警察員面前調書において、原告と七、八回、右七の市に同行した事実を認めたのみで、原告の右弁解を裏付ける供述はしなかつた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(2) <証拠>によれば、原告は、昭和五一年四月一〇日までは、捜査機関に対し、原告方から発見・任意提出され、前記のとおり小澤ハルミが自己の盗難被害品である旨確認した指輪一個とペンダント二個の入手につき、昭和五〇年一〇月か一一月ころ、七の市で、住所・氏名等をはつきり知らない男から、市場を通さず個人売買で二〇〇〇円で買い受けたが、古物台帳やメモには記載しなかつた旨供述していたことが認められるが、他方、<証拠>によれば、右原告の供述について裏付け捜査をしたところ、昭和四九年一月から同五一年三月までの市場台帳(売上台帳)及び買台帳には、原告の供述する右売買の記載はないこと及び七の市では売主・買主の直接売買は禁止されていることが判明したことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) <証拠>によれば、原告は、昭和五一年四月一〇日付け司法警察員面前調書において、原告方から発見・任意提出され、前記のとおり前田初枝が自己の盗難被害品である旨確認した指輪一個の入手につき、昭和三二、三三年ころ、福岡県内の自衛隊築城基地に動務しているころ、同基地の近くの椎田町駅前の質屋から三〜四〇〇〇円で買つたものである旨供述していたことが認められるが、他方、証人長谷川の証言によれば、この点につき裏付け捜査をしたが、結局分からなかつた旨の報告が長谷川検察官になされた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(4) 同じく<証拠>によれば、原告は、原告方から発見・任意提出され、前記のとおり大江しもが自己の盗難被害品である旨確認した指輪一個の入手につき、昭和四八年ころ、原告が郷里の熊本に帰省したおり、熊本市内の健軍町の商業高校前にある「山口」という骨董屋から四〇〇〇円くらいで買つたものである旨供述していたことが認められるが、他方、<証拠>によれば、経営者であつた山口仁八は昭和四五年五月三一日に死亡しており、その後は、指輪貴金属は他人に売却していないことが認められ、これに反する証拠はない。

(5) 同じく<証拠>によれば、原告は、原告方から発見・任意提出され、前記のとおり大江しもが自己の盗難被害者である旨確認した指輪一個の入手につき、昭和四九年に立川駅前の露店から一〇〇〇円くらいで買つたものである旨供述していたことが認められるが、他方、証人長谷川の証言によれば、長谷川検察官は、この点につき警察に裏付け捜査をさせたが、結局確認できなかつた事実が認められ、これに反する証拠はない。

(6) <証拠>によれば、原告は、原告方から押収され、前記のとおり大江しもがその長男の盗難被害品である旨確認したアイワ製カセットラジオについて、昭和五一年三月一八日付け司法警察員面前調書においては「太郎がAから預かつたものと聞いていた」旨供述し、同月二一日付け司法警察員面前調書においては「太郎が親しくしている友達はAしかいなので、Aから借りたか預かつたものと推測していた」旨供述しており、その供述内容に若干の変遷が認められるばかりでなく、あいまいであり、また、同じく原告方から押収され、前記のとおりマルク商事代表者来栖光一がマルク商事の盗難被害品である旨確認したゼネラル製カセットテープレコーダー及び同じく原告方から押収されたナショナル製カセットレコーダーについては、「ゼネラル製は太郎が友達から借りていると思つていた。太郎はステレオなどを持つているので余分だから茶の間へ持つてきておいたのではないかと思う。ナショナル製は、太郎が友達から買つたものだと思つていた」「これらをAが持つてきたかどうかも知らなかつた。Aが持つてきたとすれば、太郎がAから預かつたものと思う」旨あいまいな供述をしている事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

他方、証人長谷川の証言によれば、原告はスパルタ教育をもつて太郎に臨んでいる旨供述しており、ゆえに長谷川検察官は、自分が関知しないラジオやテープレコーダーを太郎が三台も持つていたことにつき、なぜ原告が親として不審に思い、その入手先や事情等を問いただせなかつたのかという疑念を抱いた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(7) <証拠>によれば、原告は、前記のとおり被害の確認された、小澤ハルミ所有にかかるプラチナ台紅水晶付指輪一個及びペンダント二個(薄桃色水晶ダイヤカット付のもの、乳白色水晶付のもの各一個)、前田初枝所有にかかる一八金台・紫水晶六角カット付指輪一個、大江しも所有にかかる一八金台メキシコオパール付指輪一個及び真珠ネックレス一個の計六点の入手につき、昭和五一年四月一三日に至つて初めて、従前の供述が偽りであつた旨申し述べ、「昭和五一年二月半ばころ、自衛隊の勤務を終えて帰宅し、玄関に入つたところ、太郎が二階から駆け降りてきて、『Aがやつてきて、両親が夫婦喧嘩をして母が家出をすると言つて、二万円ばかり金がいるので貸してもらいたいということで、封筒を一つ預けていつた』と言い、その封筒に右六点の品物が入つていたので、二万円を太郎に渡したところ、同人が単車に乗つてそれをAに届けた」旨供述を変更したことを認めることができる。

そして、<証拠>によれば、太郎は、昭和五一年三月二九日付け司法警察員面前調書及び同月三一日付け検察官面前調書においては、原告がAが持ち込んだ品物を買つたことはない旨供述していたが、原告が前記のとおり供述を変更した後である昭和五一年四月一八日に至つて初めて、原告の前記弁解内容に大筋においては近い内容の供述をし始めたこと、しかし、その供述は、「Aが玄関の外に立つて『俺のおやじとおふくろが大喧嘩をして、おふくろが家を出るので、この品物で二万円貸してくれ』といつて前記六点の品物の入つた茶色の封筒を差し出したので、Aを玄関の外に待たせて一階の和室にいた原告に見せたところ、原告が二万円を出したので、それを裸のままAに渡した」とするものであつて、原告の右供述と若干異なる部分もあること、また、長谷川検察官が、Aの両親の夫婦仲につき、警察に裏付け捜査をさせた結果、Aの両親が喧嘩をして母親が家出をしたという事実は全くないことが判明したこと、原告は、右二万円の貸付について、Aの両親に連絡したり、返還を催促したりしていないことが認められ、そのため、長谷川検察官は、原告の右弁解に強い疑念を抱いたことが認められ、これに反する証拠はない。

以上のとおりであり、前示のような原告の供述態度や供述内容の変遷とこれに対する捜査機関の裏付け捜査の結果等を総合すれば、検察官が原告の弁解供述等に疑念を抱いたことには無理からぬものがあつたというべきであるから、この点に関する検察官の判断に合理性がなかつたということはできない。

(四) 以上の検討の結果、特に、Aが窃取して原告に売却した旨供述した賍物一七点のうち九点が原告方から発見され、いずれも被害者が盗難被害品である旨確認しており、右賍物の入手に関する原告の弁解は、警察の捜査にもかかわらずいずれもその裏付けがとれず、さらに、前記小澤ハルミ所有にかかるプラチナ台紅水晶付指輪等六点の入手については、昭和五一年四月一三日に至つて初めて供述を変更したものであり、太郎の供述もその後に至つて原告の右供述に沿うものに変更されたものであるから、長谷川検察官が原告及び太郎の供述の信用性を疑つたことに合理性がなかつたとはいえないこと、他方、Aの供述中には、変遷した部分があるとはいえ、全体的には一貫しており、長谷川検察官がAの供述に信憑性があり、原告の有罪を裏付ける有力な証拠たりうると判断したことが合理性を欠いていたということはできないこと、そして、Aの供述に信憑性を認める限りは、その余の証拠と相まつて、原告には、有罪と認められるだけの嫌疑があり、有罪判決を期待しうる合理的な理由があつたということができるのであるから、これらの諸事情を総合勘案すると、本件賍物故買の公訴事実による公訴の提起が違法であつたということはできない。

3  次に(三)(本件公訴追行の違法性)につき判断する。

(一)  まず、(1)(理由なき太郎の逮捕による証言妨害工作)の事実につき検討する。

<証拠>によれば、昭和五一年九月一日に太郎に対する逮捕状が発付された事実が認められ、原告の刑事第一審第三回公判期日である同月六日に太郎が逮捕された点は当事者間に争いがないが、原告主張の、検察官は太郎について身柄拘束をしてまで取調べをする必要がなかつたとの事実及び右逮捕状の執行が故意に引き延ばされていたとの事実は、本件全証拠によつても認めることができない。

また、<証拠>によれば、昭和五一年九月七日、太郎の母である花子から東京家庭裁判所八王子支部に対し、右同日、伊藤検察官から「今後息子さんを主人の事件にまき込ませないと約束してくれれば今日午後家裁送りにします」と言われた旨上申した事実は認められるものの、右上申内容を裏付けるに足りる証拠はなく、仮に右内容が真実であつたとしても、<証拠>によれば、太郎はすぐ釈放されたので、証人となることが可能であつたが、むしろ、原告側に太郎を証人としなくても無罪になるとの考えがあり、また、太郎に証人になるよう頼みたくないとの気持もあり証人申請をしなかつたこと、その後、太郎が家出して住所が不明になり、やつとのことで捜し出し、証人になるよう頼んだところ、太郎はできたら証人になりたくないと言つたので、同人を証人にしなかつた事実が認められるから、(1)は理由がないというべきである。

(二)  次に、(2)(太郎の供述調書に対する検察官の不同意)の事実につき判断するに、杉下検察官が、刑事第一審第一三回公判において、弁護人申請にかかる太郎の司法警察員、検察官に対する供述調書写し五通の取調べにつき不同意の意見を述べた事実は当事者間に争いがないが、伝聞証拠である右各供述調書の取調べにつき、同意するか否かは検察官の自由であるから(刑訴法三二六条一項参照)、検察官が不同意の意見を述べたことをもつて違法ということはできず、また、右不同意によつて太郎の供述調書を証拠として刑事第一審に提出することができなかつたとはいえ、原告には、太郎を証人として法廷で証言させる方法が残されているのであり、ただ、本件においては(一)で認定した理由により同人を証人として申請しなかつたにとどまるから、(2)も理由がないというべきである。

以上によれば、検察官による本件公訴追行が違法であつたとは認められない。

三以上の事実によれば、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石垣君雄 裁判官渡邉了造 裁判官岩坪朗彦)

別紙一

(公訴事実)

被告人は、

第一 昭和五〇年一〇月一一日ころ、東京都府中市四谷○丁目○番○○号の自宅において、Aから、同人が他から窃取して来た一四金ダイヤモンド付指輪(#五〇〇四カット、0.13カラット)、一八金台ジルコン付指輪、一八金ネックレス各一個(時価合計六九、〇〇〇円相当)を、それらが盗品であることの情を知りながら、代金一〇、〇〇〇円で買い受け、もつて賍物の故買をなし

第二 同月二五日ころ、同所において、同人から、同人が他から窃取して来たアイワ・カセットラヂオ一台(時価二〇、〇〇〇円相当)を、それが盗品であることの情を知りながら、代金一〇、〇〇〇円で買い受け、もつて賍物の故買をなし

第三 同月二六日ころ、同所の自宅において、同人から、同人が他から窃取して来たプラチナ台ダイヤモンド付指輪(0.4カラット、六本爪)、一八金台メキシコオパール付指輪、真珠ネックレス各一個(時価合計一三八、〇〇〇円相当)を、それらが盗品であることの情を知りながら、代金三〇、〇〇〇円で買い受け、もつて賍物の故買をなし

たものである。

別紙二

(公訴事実)

被告人は、

第一 昭和四九年一〇月六日ころ、東京都府中市四谷○丁目○番○○号の自宅において、Aから、同人が他から窃取して来た指輪三個(一八金台・紫水晶六角カット付、一八金台ヒスイ丸型付、プラチナ製・交互に葉の模様入りのもの各一個)、ブローチ二個(二枚葉に真珠玉三個付、金メッキ台に水晶三個付のもの各一個)(時価合計二三、九〇〇円相当)を、それらが盗品であることの情を知りながら、代金四、〇〇〇円で買受け、もつて賍物の故買をなし

第二 昭和五〇年五月中旬ころ、同所において、同人から、同人が他から窃取して来たプラチナ製鎖ネックレス一個(時価一〇、〇〇〇円相当)を、それが盗品であることの情を知りながら、代金二〇〇〇円で買受け、もつて賍物の故買をなし

第三 同月一三日ころ、同所において、同人から、同人が他から窃取して来たプラチナ台紅水晶付指輪一個、ペンダント二個(薄桃色水晶ダイヤカット付、乳白色水晶付のもの各一個)(時価合計四五、〇〇〇円相当)を、それらが盗品であることの情を知りながら、代金四、〇〇〇円で買受け、もつて賍物の故買をなし

第四 同年一二月下旬ころ、同所において、同人から、同人が他から窃取して来たゼネラル製カセット・テープレコーダー(TFC二、八〇〇)一台(時価一二、〇〇〇円相当)を、それが盗品であることの情を知りながら、代金五、〇〇〇円で買受け、もつて賍物の故買をなしたものである。

別紙三

被告人は、昭和五一年二月中旬ころ、東京都府中市四谷○丁目○番○○号の自宅において、Aから、同人が他から窃取してきたネックレス等七点(約七四、〇〇〇円相当)を、その情を知りながら、甲野太郎を介し、右Aに対する貸金二〇、〇〇〇円の担保として預かり、もつて賍物の寄蔵をしたものである。

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